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ウェンディ・ロワー『ヒットラーの娘たち』
                  (明石書店)
 著者はアメリカのカレッジの歴史学教授。ホロコースト記念博物館の学術コンサルタントも務める。
 副題が「ホロコーストに加担したドイツ女性」となっている。
 ナチスの戦争を中心的に担ったのはもちろん男たちであるが、女性もさまざまな形で戦争に加担し、またホロコーストにも関わっていた。しかし、戦後そうした女性のホロコーストへの関わりについてはあまり問題されることがなく、女性は銃後の守りを担っていたと受け取られてきた。
 もちろん、銃後の守りも女性の大きな役割だったが、少なからぬ女性たちが前線で戦争、そしてホロコーストの一端をになっていた事実を著者は明らかにしようとする。
 著者によればドイツの全女性の3分の1にあたる1300万人がナチスに加盟していたとみられる。そのうち、戦争になんらかの形で積極的に関わっていた女性はざっと50万人に上るとみられている。
 その多くは、看護師、秘書、看守、タイピストなどの事務員たちであるが、彼女たちがしばしばホロコーストを目撃し、またそれの執行を補助し、支えた。
 とりわけ、著者が注目したのはドイツによる東欧占領地域である。占領地域の拡大にともないその管理に関わる人材が不足し、そこで当局は若い女性を大量に動員したのである。田舎で、家父長制のもと家に閉じ込められていた多くの女性が自立とあらたなチャレンジを求めてあつまった。その数は約2万に上る。
 確かに、初めのうちは彼女たちは希望に燃え、生き生きと活躍した。そこはドイツの支配地域であり、現地の人々は彼女たちには単なる使用人に過ぎなかった。田舎にいる時とは違った豊かさと刺激が彼女たちを満たした。
 そうしたなかで、ホロコーストの事実も次第に耳に入ってくるが、彼女たちもナチスイデオロギーに染まっていたので、それを残酷非道な行為だと感んずることもなく、多くは当然のことと受け入れ過ごしていたのである。彼女たちが、他の女性たちより凶暴で、サディスティックであったわけではない。むしろ、明るい活発な娘たちだった。なかには、銃で白昼数人のユダヤ人の子供たちを平然と射殺した女性もいるが、彼女でさえ特に普段から狂気じみていたわけではなかった。
 著者は、できるだけ具体的な事例を集めようと奮闘し、こうしたホロコーストの現場に立ち会った女性たちの行動を追跡している。もちろん集めることができた事例はほんのわずかでしかない。多くの女性たちの行動はすでに歴史の闇の彼方に消えてしまっている。しかし、ごくわずかの事例からでも私たちはその時代を生きた一部のドイツ女性たちのホロコーストへの加担の事実を知ることができる。しかも、そうした女性たちが決して特別な人間ではなかったという事実とともに。
 戦後、こうした東部に送られたドイツ女性たちは、一転して地獄に突き落とされる。集団レイプの被害に会ったドイツ女性は10万から200万ともいわれる。東部地域でもかなりの被害があったことは疑いない。その様子については本書ではほとんど触れられていないが、何人かの女性たちはそうした運命を乗り越え戦後を生き延びた。
 戦時中の女性の行為に対して、連合国は比較的寛容であった。そのため、なんらかの形で戦争やホロコーストに加担した多くの女性も、厳しく罰せられることはまれであった。とりわけ、西側諸国ではソ連との対立もあり、ボルシェヴィキとの戦いを進めて来たナチスについては勿論その排除はすすめるが、どこまでもとことん追い詰めるつもりはなかったのだ。
 連合国側は、200万に上るナチスの戦争犯罪者のうち厳罰に価する者をわずか1万分の1程度の2〜300人に絞り込むつもりでいた。連合国側からすれば東側をソ連に押さえられたドイツをなにがなんでもいち早く復興させる必要があり、女性はそのおおきな原動力をになわなければならなかったのだ。
 この結果、多くのドイツ女性は戦後いち早く復興の担い手となり、戦後社会に溶け込んでいった。東ドイツでは一部の女性が戦争犯罪者として終身刑を受けた者もあるが、1989年のベルリンの壁崩壊まで生き延びた女性は、裁判の結果に不服を訴え名誉の回復が図られたりもした。
 いずれにしても、著者が本書で述べたかったことは女性も、権力と手段さえ手にすれば平然とで「殺す」とこができるということであり、さらにいえばホロコーストを行った者と「われわれ」との間に深い溝があるという考えを捨てなければならない、ということであろう。
 このことは、戦争やホロコーストが「平和」というものとあきらかな白黒をつけられるようには現れて来ないということを意味しているのだ。知らない間に自分たちが住んでいる場所がグレーゾーンとなってしまっているかもしれない、ということを常に問い続けていく必要があるのだろう。
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