戻 る




                           
桃井治郎『海賊の世界史』(中公新書)
 著者はまだ40代の若い気鋭の国際政治学者。海賊の話を中心にしながら西欧の国際政治の動乱をその裏面との関わりを踏まえつつ興味深く描いてくれているので、とても面白く読んだ。
 古代の海賊王といえば、ギリシアのサモス島の支配者ポリュクラテスがあげられる。彼は歴史家ヘロドトスによって紹介されている。彼はサモス島で実権を握るとエーゲ海へと飛び出し略奪の限りをつくした。しかしあまりに傍若無人であったため反感も買い仲間の裏切りによってあえなく処刑されてしまう。しかし、ヘロドトスは彼のことを「海上覇権を企てた最初のギリシア人」として高く評価していたらしい。地中海は海上交通が欠かせないため、古代からずっと海上覇権をめぐる争いが続いてきた。海賊の歴史の大半は、地中海覇権をめぐる争いだったといえる。そこでは覇権秩序ができると海賊行為は衰退し、逆に覇権秩序が崩壊すると海賊行為が頻発する、まさにこの繰り返しであった。
 ギリシアの時代が終わると、つぎにローマとカルタゴの覇権争いが始まる。この争いに勝ったローマのもとでしばらく海上秩序の平穏が続く。しかし、まもなくこのローマの覇権を脅かす海賊が現れる。トルコ沿岸キリキア地方を拠点とするキリキア海賊である。カエサルも、このキリキア海賊にはきりきり舞いさせられたようだ。このキリキア海賊を鎮圧し、ローマの覇権を取り戻したのはポンペイウスであった。こうして地中海から海賊は一掃され「パックス・ロマーナ」が到来したのである。ローマの歴史家キケロは「海賊は人類共通の敵」であると断じている。その後地中海にはさまざまな民族が登場する。5世紀に栄えたヴァンダル王国はゲルマン大移動の流れでハンガリー平原から流れてきたゲルマン系の人々でカルタゴに王国を築いた。このバンダル王国も、東ローマ帝国のビザンツ艦隊に駆逐され、再びパックス・ローマが再来するかと思われたが、やがて東に現れたイスラム海賊たちが地中海の覇権を握っていくのである。
 ほどなく、北ヨーロッパから北方ゲルマン系のノルマン人がイングランドやフランスに侵攻しはじめた。彼らはいわゆるバイキングと呼ばれた。またバイキングは地中海にも進出して、傭兵として活躍し、やがてシチリア王国を誕生させた。このシチリア王国の誕生は地中海におけるイスラム支配におおきな転機をもたらした。シチリア王国の進出により東ローマのビザンツ帝国も艦隊を派遣し、キリキア地方を制服した。こうした動きがやがて十字軍の遠征やリベリア半島でのイスラム勢力の追放=レコンキスタへとつながっていくのである。
 しかし、13世紀に入るとトルコを地盤とするオスマン帝国が隆盛をきわめるようになる。オスマン帝国はやがてビザンツ帝国を圧倒し、かろうじてコンスタンティノープルのみを死守するだけとなったビザンツ帝国はその後ほどなく滅亡の道を歩む。
 他方で、リベリア半島ではレコンキスタが激しくなり、イスラム勢力はグラナダを除いてリベリア半島から追放された。追放されたイスラム勢力の多くは北アフリカの沿岸域のアルジェ、チュニス、トリポリなどに領地を得て、彼らはオスマン帝国の支配下で地中海覇権をあらそうことになる。当時、地中海ではマルタ島やシチリア島ではキリスト教勢力がまだ支配権を保持していた。オスマン帝国は、マルタ島の攻略を企てたが失敗、そこで次にシチリア島の攻略を進めようとした。これに対して、キリスト教勢力もローマ教皇を中心として神聖同盟を結成し、対抗する。とうとう両者は激突する。いわゆるレパントの海戦である。
 この海戦でオスマン帝国は敗北する。その結果、地中海には覇権を握る勢力はなくなり混沌とした状況を迎える。
 ちなみに、あの『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスもこのレパントの海戦にスペイン軍の兵士として参戦していた。この海戦で彼は左手を負傷し、その自由を失っている。その後、アルジェで捕虜となり、奴隷生活も経験している。その後、無事故国に帰ることができた。彼の作品にもこの時の経験が生かされている。
 海賊の黄金期は、コロンブスによるカリブ海諸島の発見により、アメリカ大陸とヨーロッパの交易が開かれ、それに伴い多くの交易船がカリブ海を往来するようになったが、それは海賊たちにとってはまさに格好の暗躍の舞台でもあった。黄金の富をめざしてヨーロッパから多くの野心的な貿易商人たちがカリブ海をめざして集まった。彼らは、互いに隙さえ有れば海賊行為をいとわなかった。またスペインによる交易の独占を阻止するためヨーロッパ各国は海賊行為=私掠を奨励さえした。イギリス人のフランシス・ドレークはそうした私掠を行う海賊の一人であったが、彼はスペイン船を追い掛けるうちに、マゼラン海峡から太平洋に出て、そこから西回りで太平洋を横断してインド洋を経て世界を一周してイングランドのプリマスに戻ってきたという。
 有名なカリブの海賊ウィリアム・キッドもそうした私掠船団の司令官であったが、こうした私掠海賊は母国の政治状況が代わればいつでも使い捨てにされる。キッドも後ろ盾を失い裁判で死刑を宣告されてしまうのである。
 カリブの海賊とならんでその後、ヨーロッパ各国を脅かす存在となったのは地中海を舞台とした北アフリカのイスラム勢力で、彼らはバルバリア海賊と呼ばれた。ヨーロッパ各国は実益を優先して彼らに航行の安全を担保してもらうため保証金を納めた。
 しかし、新興のアメリカ合衆国は、はじめはヨーロッパ各国に従ってそうした慣習に応じたが、ジェファーソン大統領の時に、艦隊を派遣して、断固として保証金での解決を拒み、民間船舶の航行の安全をまさに艦砲外交交渉でみとめさせたのである。
 以降、こうした海賊行為は影をひそめることになり、海賊の時代も終焉を迎える。しかし、のちにこうした艦砲外交は欧米列強の途上国に対する常套手段となり、海賊にかわって帝国主義的な植民地侵略が世界の海を席捲することになる。
   
戻る          トップへ