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アーサー・ビナード『知らなかった、ぼくらの戦争』
                 (河出文庫)
 日本がポツダム宣言を受諾してから早くも70年以上の月日が経った。
 あの戦争体験者が今ではこの地上からもの凄いスピードで姿を消しつつある。
 1990年、アメリカからやって来た若き青年詩人は、日本語に魅了されやがて日本語で詩を書くようになるが、併せて彼はさまざまの場面を通して戦後日本の欺瞞に直面し、自分なりの言葉でその欺瞞のベールを剥ぎたい衝動に駆られたかのように、日米を跨いで戦争体験者の真実の声を訪ね歩く旅を続ける。
 真珠湾攻撃の爆撃機の搭乗員、戦時中収容所に収容された日系アメリカ人、北方領土の択捉島から終戦直後に追放された女性(鳴海富美子)、それから広島(大岩孝平)、長崎(松原淳)の被爆者たち、硫黄島の捕虜で奇跡の生き残り(秋草鶴次)ニューギニア島の奇跡の生還者(飯田進)、パプアニューギニアで戦死者の遺骨収容のために再移住した男(西村幸吉)、海軍唯一の生き残り駆逐艦雪風の搭乗員(西崎信夫)、大久野島の毒ガス製造工場で学徒動員で働いていた女性(岡田黎子)、満州からの引き揚げ者(ちばてつや)、台湾からの引き揚げ者(宮良作)、1500人の児童が犠牲となった対馬丸の奇跡の生還者(平良啓子)、などなどその他にも極限の地獄の体験を生き延びた人びと。
 彼らの重たい口を開かせるには、質問者に対する信頼が欠かせないが、この異国人の青年がそうしたことを可能にしたのも、過去の日米の不幸な戦争に対する彼の真摯な向き合い方にあるのは確かだ。彼は、アメリカ人としての戦争に対する贖罪意識を表に出すわけでもないが、ひたすら国家の誤った戦争政策の犠牲となった人びとのギリギリの人間としての呻き声を聞き取ろうとして彼らの胸の中に飛び込んでいく。それは、こうした体験を二度と繰り返してはいけないという切実な思いからであろう。
 彼がインタビューしたのは2015年4月から2016年3月までの1年間であるが、この本が出版されたその1年後にはインタビューした多くの方がすでに亡くなられているのである。戦争の風化は恐るべき速さで進んでいる。
 そして、また終戦記念日がやってくる。
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