著者はアメリカの認知科学の専門家。著者は多の人々は自分が知ってることを過大評価している。つまり知らないのに知っていると思い込んでいる、これを著者は知識の錯覚と呼ぶ。なぜ人々はこうした知識の錯覚のなかで生きているのだろうか?その理由は人間の思考の特性にあるという。そもそも人間の思考は有効な行動をとる能力の延長として進化してきた。人類は長い進化の過程を通して膨大な知識・情報をそれぞれの知識のコミュニティのなかに蓄積してきたのであるが、個々の人間の脳内にある知識量はもちろん限られている。しかし、人間の思考の特性としてそれらの知識が脳内にあろうが脳の外側にあろうが、私たちはそれをシームレスに活用できるようにできているのだ。つまり人間は知識のコミュニティの中で思考し、生きているのである。だから、自らの頭の内と外にある知識の間に明確な線引きができないのである。 とりわけ現代社会は身の回りの物も含めてあらゆるものが複雑となっており、私たちが個人で知ることがてきるものは限られているが、それでもなんの支障もなく生活できる。それは私たちが知識のコミュニティに頼って生活しているからである。 しかし、知識のコミュニティは万全ではない。社会心理学者のアービング・ジャニスが「グループシンク(集団浅慮)」と名付けた現象は、同じような考えを持つ人々が議論をすると、一段と極端化する傾向があることを教えてくれる。こうした状況で生まれる「思想的純潔」というものが、二十世紀にスターリンの粛清、毛沢東の文化大革命、ナチスドイツの強制収容所などを引き起こしきたのである。 こうした悲劇を繰り返さないためにも、知識のコミュニティを前提にしつつ、自分たちが決して全能ではなく、多くの無知のなかに生きていることを自覚し、常に知識に対して謙虚になり、それぞれが自分の理解度を過信せず、できるだけ賢い判断ができるようたえず学びの姿勢を保ち続けていくことである、と著者は言う。
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