著者はドイツ現代史の専門家、学習院女子大学准教授。『ヒトラーの娘たち』の翻訳を手掛けた。 これは戦後における、ドイツ連邦共和国とユダヤ人国家であるイスラエルとの〈和解〉についてのきわめてリアルポリティクス的な分析である。 本書の構成は、第一部「ドイツとイスラエルの〈和解〉」、第二部「ユダヤ人マイノリティー社会の復活」、第三部「記憶」からなる。 第一部は、「第一章 対イスラエル補償」、「第二章 国家的軍事支援」で、第一章ではまずナチスによるユダヤ人虐殺=ホロコーストに対するドイツ連邦共和国としての金銭的経済的な戦後補償についてまとめられ、さらに第二章ではドイツ連邦共和国からイスラエルへの軍事支援について語られている。 日本も日韓条約で韓国に対する戦後補償などを約束したが、韓国に対する軍事支援は行われていない。それは、イスラエル国家の特殊性がある。パレスチナと戦争状態にあったイスラエルにとって武器の供与はノドから手が出るほど欲しいものだった。一方ドイツにとってはユダヤ人国家の存立を助けることはホロコーストに対する贖罪を意味した。パレスチナとの戦争を有利に進めるうえでドイツの武器は大きな支えとなった。 いずれにしても、日本およびドイツでは戦後のスタート時点で、敗戦国として連合国からの断罪を受けなければならないと同時に、冷戦により対戦相手国や犠牲者に対してできるだけ早く戦後補償をはたさなければならないという面もあったのである。 第二部では、ドイツ連邦共和国におけるユダヤ人マイノリティーの復活についてであるが、戦後ドイツは、ホロコーストに対する贖罪と補償の点からドイツ国内のユダヤ人はもとより、ドイツ以外からのユダヤ人、たとえば旧ソ連からの移住者などに対しても手厚い保護と権利を与えた。ドイツ連邦共和国内部でユダヤ人マイノリティー社会が復活することは、それだけ戦後ドイツ社会がユダヤ人差別から脱却していることを示しているとみられたのである。しかし、それによってユダヤ人マイノリティーは他のイスラム教徒マイノリティーたちとは違う特権を有する社会層を形成することになった。それがあらたな緊張関係をもたらしている。 第三部では、ホロコーストをめぐるさまざまな記憶についてである。犠牲者の記憶はもとより、加害者の想起についても触れられている。特に、ホロコーストの直接の体験者よりもその子供たちの世代においてホロコーストへの受け止めはよりシビアなものとなっている。 戦後ドイツは、ホロコーストへの厳しい反省と贖罪をその建国の柱に据えた。特に東西ドイツ統一後、東ドイツ出身者の中にホロコーストに対する贖罪意識を持たないネオナチのグループがユダヤ人への嫌がらせや傷害事件を起こすなど社会問題化したため、統一ドイツ社会ではあらためてホロコーストに対する反省と贖罪意識を確認するとともに、それが戦後ドイツの民主主義の試金石であると位置づけられ、国をあげてあらためてそうした教育と運動を行うことを誓いあったのである。1996年にはアウシュビッツ解放の1月27日が正式に「ナチズムの犠牲者の記念日」として定められ、ホロコーストを国家として想起することとしたのである。 戦後ドイツとユダヤ人の和解は、決してきれい事ではない。そこには冷戦という特殊な状況も影響を与えている。と同時にドイツが選んだ道は、ホロコーストを絶えず想起し、二度と再びそのような道を歩まないという決意であった。それが戦後ドイツが周辺国とかつての敵対的立場であったユダヤ人からも信頼を勝ち得ることができた要因であることはまちがいない。
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