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稲垣栄洋『雑草はなぜそこに生えているのか』
(ちくまプリマー新書)
 著者は、農学博士。そもそも雑草とはと考えるとその定義は必ずしもはっきりしていない。アメリカの雑草学会では「人類の活動と幸福・繁栄に対して、これに逆らったりこれを妨害したりするすべての植物」と定義されていて、「邪魔になる悪い草」というイメージだが、日本の辞書には「自然に生えるいろいろな草。また名も知らない雑多な草」「農耕地や庭などで、栽培目的の植物以外の草」や「生命力・生活力の強いことのたとえ」などと書かれていて必ずしも邪魔な悪い草というイメージはない。
 ところで、雑草というと生命力が強い草と思われているが、実は基本的には弱い植物なのだという。他の草との競争力では雑草はむしろ弱いのだという。その証拠に雑草は木の生い茂る森にはほとんど生えてない。他の草木の競争には負けてしまうからである。雑草が生えるのは、主として人間の手の入ったような場所、すなわち畑や道端や庭はしなどである。雑草は草木の生えていない場所にいち早く芽を出し広がる。だから定期的に掘り起こされる場所は雑草にとっては格好の住み家なのである。しかし、様々な植物が咲き誇るような場所では雑草は次第に隅に追いやられて、やがて大きな草木の力に押されて衰退していく。
 これでは雑草魂という雑草のたくましさのイメージとはほど遠いが、他方で雑草もそれなりにたくましさを持っているのである。そもそも植物の強さには三つあるという。すなわち一つ目は競争力の強い競合型、二つ目はストレス耐性力型(例えば乾燥に強いサボテンや低温に強い稲など)であり、三つ目は撹乱依存型と呼ばれもので雑草の強さはこれである。つまり環境が激変した時などにもいち早く適応して生き延びる力を持っているのである。まさに雑草魂そのものではないか。
 他の植物との競合ではその強さを発揮できないが、厳しい環境の変化にいち早く対応して生き延びる力は凄いのだ。そのため雑草は特別な繁殖力を有している。草木はその多くは雄しべと雌しべを持ち、風や昆虫を媒介にして他の花の花粉から受粉する他殖する。この他殖は遺伝子の多様性を維持する点では望ましいが、しかしうまい具合に近くに適当な花粉をもつ植物があるとは限らない。そこで雑草はどんな時でも子孫を残せるように自殖という方法を選択しているものが多い。確かに長期的には遺伝子の多様性も重要だが、雑草の自殖は他の草木が生えない、また昆虫などのいないような環境でもしっかりと繁殖できるという特性により厳しい環境にもいち早く植生できるという特性を持っているのである。
 雑草にも在来種と外来種がある。一般に在来種は江戸時代末期以前から日本にあったもので、外来種とは江戸時代末期や明治維新後に日本に入って来たもののとされてる。雑草というとヒメジジョンやセイタカアワダチソウなど外来種が有名だが、実は外来種は決して強いわけではない。むしろ完全アウェーの環境での生存競争は熾烈を極める。そのため外来種はむしろ在来種の少ない道路の隅や工場現場などの厳しい環境で生き残りを計り、数を増やしてきたのである。西洋タンポポがその好例だ。また、外来種には原産地にいるときにはいわゆる天敵などにより抑えられていたが、異国では天敵もいないため繁殖が容易になるというものもある。セイタカアワダチソウがその典型で、これによりセイタカアワダチソウは一挙に広がった。しかし、それがセイタカアワダチソウの不幸の始まりでもあった。天敵のいないセイタカアワダチソウは巨大に成長し、結局は大きくなりすぎて衰退を招く結果となったのである。
 逆に日本から海外に渡って猛威を振るっているものもある。葛やイタドリなどがそうである。ネコジャラシの名で知られるアキノエノコログサは日本では道端に咲くありふれた雑草であるが、アメリカにわたりトウモロコシ畑に侵入して背の高いトウモロコシにも負けず秋の雑草として問題化しているという。
 最後に雑草に限らず生物の世界ではナンバーワンしか生きられないという「ガゼルの法則」がある、と著者は言う。しかし、生物界には「棲み分け」があり、同じような環境に暮らす生物は1種類しか生き残れないが、暮らす環境が異なれば共存は可能なのである。つまりすべての生物はナンバーワンになれる場所を持っていて、その場所ではオンリーワンなのである。すなわち、生物はすべてナンバーワンであると同時にオンリーワンなのである。
   
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