作品について
はじめに
本作品のロシア語の原題は『Двойник』で、『分身』または『二重人格』とも訳される。1846年『祖国雑誌』第二号に発表されたフョードル・M・ドストエフスキーの中編小説で、『貧しい人々』で文壇に華々しくデビューした彼の第二作目となる作品である。『貧しい人々』の発表からわずか一月後のことであった。発表前に兄ミハイルに宛てた手紙の中でドストエフスキーは、「『貧しい人々』よりも十倍も上の作品です。仲間の連中は『死せる魂』以後のロシアの国にはこれほどのものはひとつとして現れなかった、これはまさに天才的な作品だと言っています」( 筑摩書房 版『ドストエフスキー全集』15巻 小沼文彦訳 1846年2月1日付)とその自信を披瀝している。
(注)なお、この作品に関する記述はウィキペディアのドストエフスキーの項の作品紹介の内容に酷似していますが、いずれもウィキペディアからのコピペではありません。ウィキペディアのオリジナル原稿は筆者が書き下ろしたもので本稿ではそれに拠っています。
この作品は「ペテルブルグ史詩」という副題がつけられ、1〜13章で構成されている。『貧しい人々』に続く第二作目でもあり、周囲から大きな注目を集めたが、本人の期待に反してその評価は厳しいものであった。兄ミハイルに宛てた手紙の中でドストエフスキーは、「仲間も一般大衆も皆声を揃えて言うには、ゴリャートキンはあまりに退屈で生気がない、あまりに冗長であって、とても読めたものじゃないというのです」( 中村健之介『ドストエフスキーの手紙』(1846年4月1日付)と記している。 確かにこの作品の最大の欠点はいたずらに冗長であるという点にある。おそらくドストエフスキーは読者の期待を裏切るまいと必要以上に力を入れ過ぎてしまったのであろう。また、ほのめかしやあてこすり等の曖昧な表現が多く全体として内容把握を難しくさせている。しかし、そうした欠点はあるもののこの作品には不思議な魅力もある。
この作品の主人公ヤーコフ・ペトロヴィッチ・ゴリャートキンは『貧しい人々』の主人公マカール・ジェーヴシキンと同じ九等文官の下級官吏である。ドストエフスキーは、『貧しい人々』では主人公が愛する女性に貢いだ挙げ句、借金を抱え結局その愛する女性にも去られて孤独と絶望に陥るという悲劇を描いたが、『分身』では、わずかばかりの野心をもった下級官吏が昇進も念願の結婚も果たせずに発狂するという悲劇を描いた。
当時のロシアの社会では軍人・官吏は十四の等級に分けられ、九等官から十四等官までが下級官吏とされ、八等官から一等官までが上級官吏であった。しかし下級官吏ではあるものの九等官はまがりなりにも貴族に列せられた。ただし、この身分は一代限りのもので、領地などの世襲が認められる八等官とは大きな違いがあった。それゆえ、九等官という身分はきわめて微妙な立場であり、そこにロシア身分社会の歪みが凝縮されているともいえる。 ゴーゴリ も『狂人日記』において、長官の娘に恋をして相手にもされず、あげく自分はスペイン国王であると狂信する九等官を描いている。ドストエフスキーがゴーゴリのこの作品から大きな影響を受けているのは明らかである。しかしゴーゴリは主人公の発狂の様子を描いてはいるが、なぜ発狂に至ったのかについてはあまり触れていない。ドストエフスキーがこの作品で描きたかったのは、まさにそこである。『貧しい人々』での文壇デビュー以来「ゴーゴリをはるかに抜いた」(前掲書1846年2月1日手紙)と周囲の仲間からも褒めそやされていた自負心も手伝って、ドストエフスキーは九等官の内面にまで踏み込んで発狂にいたる人間心理を究めてみようと考えたのであろう。 さて、主人公ゴリャートキン氏が、身分違いの五等官の娘との結婚を願望するようになったのは、もちろん九等官からはい上がりたいという野心からでもあるが、それは同時にまた九等官の職から転げ落ちるかもしれないという危機感からの一発逆転の賭でもあった。しかし残念ながらその望みはみごとに失敗に終わる。彼は大きな挫折感を味わい、絶望感に打ちひしがれ、結局は発狂してしまうのである。
この発狂を「分身」との遭遇=自我の分裂としてドストエフスキーは描こうとした。従って、「分身」である新ゴリャートキン氏が登場する第5章以降はいわば発狂したゴリャートキン氏の内面の物語とみることができる。そこでは現実と妄想とがないまぜになっているが、ゴリャートキン氏にとっては描かれた世界こそが真実なのである。ドストエフスキーは読者には現実と妄想の境目をそれとなく示してくれるが、なかなか見分けがつけにくい。それが作品のわかりにくさにもなっている。 第5章以降、ゴリャートキン氏は妄想である「分身」=新ゴリャートキン氏と格闘を重ねていくのであるが、さてこの「分身」をどのように理解したらいいのか。同時代の優れた批評家ドブロリューボフは、「いやしくもあらゆる狂気には原因があるはず」(『打ちひしがれた人々』重石正巳・石田正三訳 日本評論社)である、と述べて自分なりの分析を試みている。 すなわち九等官ゴリャートキン氏は、仇敵たちがよからぬ陰謀をめぐらしているために自分の立場が脅かされていると感じ、もはや自分も陰謀家と手を組むほかはないと考え、とうとう新ゴリャートキン氏を妄想し、彼と結託しようとしたのである。しかし他方でそうした新ゴリャートキン氏の狡猾さ、世渡りのうまさ、卑しさというものを旧ゴリャートキン氏の愚鈍で実直な性格と道徳的感情がどうしても許すことができないので、彼は心の中に葛藤を抱え込む。この葛藤がついには、「機転のきかぬゴリャートキン氏がなしえた限りでのもっとも暗い抗議−発狂」(前掲書)に至るのである、と。ドブロリューボフは、ゴリャートキン氏が恋敵の八等官昇進やクラーラの拒絶もそれがなるべくしてそうなったもので、「世の中のすべてのものはもっとも合理的な形で能力にしたがって配分されているし、能力は自然そのものによって与えられる」(前掲書)と考えていたら発狂には至らなかったであろう、と言う。しかし、わずかばかりの野心と脱落への危機意識がゴリャートキン氏にそれを許さなかったのである。 また優れたドストエフスキー研究者の一人 高橋誠一郎 氏は、「分身」の出現はあのクラーラ・オルスーフィイェヴナからの拒絶以前にすでに予告されているという。ゴリャートキン氏は常に「仮面をつけるのは、仮面舞踏会のときだけで、毎日のように仮面をつけて人前に出ていったりはいたしません」と語っているが、実際に彼は馬車に乗ってめかし込んで出かける時に上司と同僚にすれ違うのだが、「『いえ、これは私じゃ、私じゃありませんので、はい、それだけのことでして』と自分がゴリャートキンではないかのように装うことで相手を無視したのであった。この見事な深層心理の描写は彼の分身の出現を巧みに予告している。」と述べている。(高橋誠一郎著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』) 普段仮面をつけることは絶対しないと思っている自分と知り合いの前で平気で仮面を装う自分、この相反する二つの自分はゴリャートキン氏の中ではまったく統合されていない。すなわち自我はすでに分裂の危機を迎えていたのである。そして激しい精神的重圧によって自我の分裂は決定的となり、分身の出現へ至るのである。 ところで、原題にあたるロシア語のドヴァイニークはドイツ語由来の外来語 ドッペルゲンガー とほぼ同じ意味の言葉で、「分身」あるいは「二重人格」などと訳される。ただしドッペルゲンガーはいわゆる 自己像幻視であり、この作品での「分身」のように第三者とも会話したりすることはないようだ。従って、この作品の「分身」はドストエフスキーによって独自に創造された「分身」である。 これを現実自己(=現にある自分)にたいする 理想自己 (=こうありたい自分)ともとらえる見方もあるが、はたして新ゴリャートキン氏は理想自己であろうか。ゴリャートキン氏の自己像は<私は人の機嫌をとったり、ごまを擦って人に取り入ったりするのは大嫌いな人間で、うまくいかなかったら我慢するし、うまくいったら守り抜くだけで、いかなる場合も策を弄したり、他人を陥れることはしない人間>である。とすると新ゴリャートキン氏は理想自己ではなくむしろこれは負の理想自己(=そうはなりたくない自分)なのではないのだろうか。つまりゴリャートキン氏は現実の壁の前に次第に追いつめられ、とうとう負の理想自己と手を握ろうとして自己崩壊へ至ったとみることができる。 他方で、新ゴリャートキン氏を「 無意識 」、旧ゴリャートキン氏を「自我意識」と捉えることもできる。 心理学の祖フロイト の知見によれば「無意識」は意識の下に押し込められて通常私たちは認識することができない。しかし、夢の中には「無意識」が歪んだ形で現れ、また私たちの行動に知らずのうちに影響を与えることがあるという。第10章では、ゴリャートキン氏は夢を見る。そこでは新ゴリャートキン氏が周囲の者を次々にうまく手玉にとり、みんなから歓迎され、その愛嬌の良さと才能を高く評価されて本物のゴリャートキン氏を追いつめていく。そして、ゴリャートキン氏は次の第11章でこの「夢に見たのとそっくり同じ事が」目の前で起きるのを経験(いずれにせよ妄想ではあるが)するのである。 ドストエフスキーは、通常は意識の世界に現れることがない「無意識」を夢の世界の再現という形で形象化しようとしたのではないか。厳しい現実に押しつぶされそうになった時、人は精神的逃避を試みる。神経症や精神錯乱もその逃避の一形態である。それは多くの場合意識下に抑圧された「無意識」が膨れあがって「意識」に悪作用を及ぼした結果であると考えられている。新ゴリャートキン氏は、ゴリャートキン氏の意識下に抑圧された<上手におべっかを使い、ずる賢く立ち回ってでも上の者に取り入り、自分の機知と才能を認めさせ、昇進したい>という彼の<欲望の化身>だったのではないか。この<欲望の化身>が意識下に押し込められたままでいたら、発狂することはなかった。しかし、それはついに妄想という形ではあれ彼の意識世界にはっきりとその姿を現してしまったのである。いずれにしてもドストエフスキーが、これを「無意識」として認識していたのだとしたら、この作品が書かれた時点ではまだフロイトの知見は世に現れ出ていなかったのであるから、まさに驚きというほかはない。 なお最後に、ひとつこの作品の中の奇妙な「符合」について触れておきたい。最終章で、ゴリャートキン氏は、オルスーフィイ・イワーノヴィッチ邸におびき出されるが、いつまで経ってもクラーラが現れないので、もうこれでよいとしてそこを引き上げるのだが、セミョーノフスキー橋まで来て、またそこから屋敷へ引き返してしまい、結局みんなに見つかって精神病棟送りとなるのである。このセミョーノフスキー橋こそ、ドストエフスキーが ペトラシェフスキー 事件で逮捕され死刑判決を受けて「狂言処刑」が行われた場所(=セミョーノフスキー練兵場)があるところだったのである。それはこの作品が発表されてから3年10カ月後のことであるから、まさかそのような運命が待ち受けているとは知る由もないのであるが・・・。
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