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フョードル・ドストエフスキー『伯父様の夢』(新潮社)
作品について あらすじ 登場人物

作品について

はじめに
 『伯父様の夢』(ロシア語 原題『Дядюшкин сон』)はフョードル・ドストエフスキーの中編小説で、1859年『ロシヤのことば』3月号に発表された。シベリヤ流刑後にドストエフスキーの名前で発表されたものとしては、最初の作品となる。彼がロシア内地へ帰ることを許される五か月前であった。この作品も『ステパンチコヴォ村の住人』と並んでユーモア小説の系列に属するものである。1859年5月9日付の兄ミハイル宛の手紙でドストエフスキーは、『ステパンチコヴォ村の住人』の執筆を一時中断して、『伯父様の夢』を書き上げたと述べている。(1859年5月9日付 筑摩書房版『ドストエフスキー全集』第15巻 小沼文彦訳)

(注)なお、この作品に関する記述はウィキペディアのドストエフスキーの項の作品紹介の内容に酷似していますが、いずれもウィキペディアからのコピペではありません。ウィキペディアのオリジナル原稿は筆者が書き下ろしたもので本稿ではそれに拠っています。

 この作品は「モルダーソフ年代記より」という副題がつけられ、1〜15章で構成されている。シベリア流刑後に発表された作品としては、1849年に彼がぺテルブルクのペトロパヴロフスク要塞監獄で書き上げ、1857年8月『祖国雑誌』に発表された『小さな英堆』が最初のものであるが、これはペンネームによる発表であった。従ってドストエフスキーの署名で発表されたものとしてはこの作品が最初のものとなる。
 彼は、これより先に長編『ステパンチコヴォ村とその住人』を書きはじめていたが、できるだけ早く金に換えようと、この作品を先に完成させたとみられる。というのも、ドストエフスキーは1857年2月にマーリヤ・ドミートリイェブナと最初の結婚をし、経済的な面でもかなり逼迫した状況におかれていたのである。
 この作品は、オムスク監獄出獄後に兵役義務を課された辺境の都市セミパラチンスク在住時に書かれた。作品の舞台となったのもそうした地方都市の社交界である。そこでは、おそろしくあけすけな「貴婦人」たちが、これまたおそろしくポンコツな侯爵を相手に欲にまみれた策謀を繰り広げるという一種のドタバタ喜劇である。
 作品に対する当時の評価は、あまり芳しいものではなかった。ドストエフスキー自身も、後になってモスクワ大学の学生M・P・フョードロフに宛てた手紙で「ところが今度読み返してみて、あれは良くない作品であることが分かりました。小生はあの当時あれをシベリアで、刑期満了後はじめて、文学活動をふたたび開始したいというただその目的のために、(かつての徒刑囚に対する)検閲の目をひどく気にしながら書き上げたのでした」(1873年9月19日付、筑摩書房版『ドストエフスキー全集』第15巻 小沼文彦訳)と述懐している。結局、ドストエフスキーはこの作品を舞台にのせたいと許可を求めて来たにその学生に、「お好きなようになさって」いいが、「自分の名前は出さないでいただきたい」と断りを入れているところからも、失敗作と考えていたようである。ただ、本を読んで腹から笑いたいと思う人にはぜひお奨めである。ただし、図書館など静かな場所では読まない方が無難である。まったく予期せぬところで、吹き出してしまうに違いないからである。


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