続き
手紙を見つけたときの予想とは正反対の内容だった。互いに言葉足らずではあったが、久し振りに話し合いもして、もしやなずなが改心し、ここへ戻って来たいと言って寄越したのではないかと思ったのだ。 だが、離婚届の用紙を見ていると、そんなことあるわけがないと妙に納得する。 男と女が結婚して一つ屋根の下で二年近い歳月を共に暮らしたとしても、所詮はこの程度の終わり方になるだけなのか。 明生は、広げた離婚届を畳み、一筆箋と一緒に封筒に戻す。一瞬、この場で封筒ごとびりびりに引き裂いてしまいたい衝動に駆られた。幾らなんでもこんなやりようは無礼過ぎるのではないか。明生は腹中にいまだかつてないほどの怒りが込み上げてくるのを感じた。 部屋に上がる気が失せて、そのままマンションの外に出る。昨日も今日も腹具合は問題なかった。週末にはアルコールを解禁してもいいかと考えていたところだった。当然、今夜前倒しするしかない。 池袋駅の西口に降り立って、誰かを誘おうと考えた。とても一人で飲む心境ではない。先日のお礼もかねて渚を呼ぼうかとも思うが、残念ながら彼女は下戸同然だった。今夜は徹底的に酔っ払いたかった。 東海さんの顔が浮かんだ。彼女は今日は残業だと言っていた。時刻は九時十五分ほど前。そろそろ仕事も終わっている時分だろう。先々週末に御馳走してもらったお返しもまだだった。さっそく携帯でダイヤルする。 呼び出し音が二回鳴ったところで東海さんが出た。 どうしたの。 東海さん、今から飲みに行きませんか。僕、この前の御礼もしてないですし。 どうしたのよ。宇津木いまどこにいるの。 ブクロです。東海さんまだ仕事ですか。 お腹は大丈夫なの。 先週の後半になってお腹をこわしていると東海さんに言った。顔までげっそりしてきて隠すわけにもいかなかったのだ。もちろんすき焼きの翌日からだとは伝えていない。 もう全然大丈夫です。それから十秒ほど、沈黙が挟まった。 宇津木、何かあったんでしょ。東海さんが不意に言う。 どうしてですか。 そこまで激ヤセしたら誰だってそう思うわよ。どうしたの。とうとう奥さんと本当に別れることになった? まあ、そんなところです。電話で話すようなことでもないのに、とも思う。気にしてくれているならまずは誘いに乗ってほしい。質問は会ってからだろう。 宇津木。東海さんがぴしっとした声で言った。 そういうときは、一人で耐え忍ぶのが男ってもんだよ。 わかりました。いろいろ言葉を探ってみたが、それしか見つからなかった。 すみませんでした。お仕事中にお邪魔してしまって。 確かに、会社の上司、まして女性の上司にプライベートな問題を相談するというのは相手にすれば迷惑な話だろう。 宇津木、生きてたらいろいろあるよ。でもね、何年か経ったらどんなことでも大したことじゃなかったって分かるから。人間はさ、そうやって毎回自分に裏切られながら生きていくしかないんだよ。 東海さんは言うと、じゃあ、まだ仕事残ってるから、と付け足して自分から電話を切った。明生は携帯をポケットにおさめながら彼女の最後の言葉を頭の中で咀嚼した。 自分に裏切られながら生きていくとはどういう意味だろうか。いま苦しくて仕方がないことでも、やがてはどうしてあんなことで悩んだのだろうとか、何であんなことにこだわったのだろうとか、なぜああいうことが可能だなんて馬鹿げた錯覚をしたのだろうとか、冷静に振り返ることができるようになる。それが自分に裏切られるということなのだろうか。誰が誰を裏切るのだろう。将来の自分がいまの自分を裏切る、そういう意味なのだろうか。それだったら少し分かるような気がする。 耐え忍ぶかどうかは別にして、今夜は一人で浴びるほど飲んでやろう。ゲロを吐こうが腹を下そうが知ったことではない。正体をなくすほど飲んで、目覚めたら、なずなの要求通りにこの離婚届にサインしてとっとと区役所に持って行くのだ。 どうしても根元真一でなければ駄目だという彼女の気持ちだけは本物に違いない。どだい、そんな女と結婚を続けていくことなどできやしないのだ。だが、なずなは、いずれその選択を自分自身の手で裏切ることになるだろう。あんな馬鹿なことをどうしてしたんだろう。なぜ私は明生ちゃんと離婚してしまったのだろう。彼女はきっとそう思う。 そうやって自分に裏切られたとき、なずなは一体どうするのだろうか。
ときどき顔を出す西一番街の「濱風」という居酒屋に腰を落ち着けた。吉四六をボトルごと注文する。吉四六は喉越しのよい麦焼酎だ。今夜はこれを最低一本飲み干すまでは帰らないことに決めた。「濱風」は夜っぴてやっているから時間は十分にある。ざる豆腐、青菜の煮びたし、かれいの一夜干しなど胃に負担のかからないつまみを頼む。熱湯の詰まった大きなポットも用意してもらった。 大酒を食らうとなれば日本酒の常温か熱燗、焼酎のお湯割りが一番だ。ペースは決めなかったがいつもよりゆっくりめにグラスを空けていく。それでも九時十五分頃から飲み始めて二時間もするとボトル半分がなくなっていた。 何も考えずに飲んだ。なずなのこともほかの事もできるだけ考えない。店の客たちのさざめきや店員たちの挙措動作、壁中に貼ってある品書き、座敷の端に座ったどことなく不倫めいた雰囲気の歳の差カップルの様子など、そういう記憶の片隅にも残りそうにない、その場限りの音や情景に注意をそそぎながら、ひたすら焼酎のお湯割りを飲み続けた。 明生はむかしからそうやって気を散らすことが得意だった。 世の中には自分のことが大好きな人間がいる。いると言うより大半の人がそうなのではないだろうか。明生の周りもたいがいそうだった。父母にしろ二人の兄にしろ、伯父や伯母、従兄弟たち、それに中学からの同級生などもつらつら思い返してみれば、みんな自分が大好きな人たちだった気がする。明生のように自分のことが大して好きでもない人間など見たこともない。例外は山内渚くらいだろうか。 明生は、自分という人間を憎むようなことはなかったが、それほど大事だと思ったこともない。そして、他人を大事だと思い詰めることもなかった。自分が大事ではない人間には他人を大事に思う力も不足しがちなのである。 しかし、とたまに明生は思うのだった。たとえいかに能力が高かろうと、いかに容姿端麗だろうと、いかに志操堅固だろうと、いかに多くの賞賛を浴びていようと、それにしたって自分というものはそれほどに大事なものなのだろうか、と。この世界の住人たちは誰も彼もが自分自分と言い過ぎているのではないだろうか、と。 自分なんてあってもいいが、なくてもいい。その程度でも、人間というのはちゃんと生きられるようにできているのではないだろうか。 時間を確認していると、掌中の携帯が急に鳴り出した。十時半。着信表示には「東海課長ケイタイ」と出ている。 宇津木、飲んでるの。電話の向こうが静かなことから、東海さんはまだ会社のようだった。 もちろん飲んでますよ。返事をしてみて、声がやや裏返っているのに気づく。全然酔っていないつもりだが、それ相応に酒は回っているのかもしれない。 いまどこなの。 ブクロの濱風っていう居酒屋です。 帰らないの。 はい。今夜はぶっつぶれるまで飲みますから。 じゃあ、三十分以内に行くから、と言っていた東海さんはきっかり三十分でやって来た。座敷の隅の四人掛けの席に陣取っていた明生を見つけ、小さく手を振る。 向かいに座ると、日本酒を熱燗で一口飲み、テーブルの上の吉四六のボトルを覗き込んで、宇津木、これ一本飲んじゃったの、と呆れた声を出した。 いけませんか、と明生は言った。 何があったのよ。 明生は掘りごたつ式のテーブルの上に放ってあったかばんを取り上げ、中からなずなの手紙を出して東海さんに渡した。 いいの、と言って、東海さんは手紙の中身を取り出していた。なずなの手紙を読み、離婚届ともども封筒に戻して明生に返す。 これ、いつ届いたの。 さっきです。家に帰ったら郵便受けに入ってたんです。 そっか。それで宇津木は荒れてるってわけだ。 別に荒れてるわけじゃないです。 そこで日本酒が届いた。明生が徳利に手を出すと、東海さんが先に取って自分でお猪口に注いだ。明生の空になったグラスにも少しだけ酒を入れてくれる。 お猪口を手にして、東海さんが乾杯の所作を見せる。明生もグラスを持ち上げた。 酒に一口つけたあとで、向こうがいきなり離婚届を送りつけてきたわけでしょ、よかったじゃない、そんな女さっさと別れた方がいいよ、と東海さんは言った。 それから東海さんは盛大に料理を注文した。刺身の盛り合わせ、さいころステーキ、カマンベールチーズのフライ、揚げだし豆腐、野菜の炊き合わせ、などなど。 宇津木、まだ飲めるならどんどん飲みな。そう言って、吉四六をまたボトルごと頼んでくれる。 今晩は私がとことん付き合ってやるから、潰れるまで飲んで、そんな女のことはきれいさっぱり忘れな。 明生は東海さんの豪快な振る舞いに、自分のウジウジした気持ちが次第に晴れていくのを感じていた。東海さんも日本酒は一合だけで焼酎のお湯割りに切りかえた。あとの話題はもっぱら仕事のことになった。 六月に入って、北京オリンピック用のイメージキャラクターは各社出揃った感があった。ウェアもシューズもまだ決まっていないのはYAMATO一社のみである。外回りで各店舗を回っても、売り場はライバルメーカーのイメキャラを使った看板やポスター、幟、ビデオディスプレイで埋め尽くされている。これではYAMATO製品が売れるはずもなかった。 大体、本決まりなんだけど、発表のタイミングを見てるのよ。 明夫が、誰なんですか、と訊いても、東海さんは、それはまだ秘密。知ってるのは会長、社長と外薗専務と私だけだから、と言い、吉田という販売担当の役員さえまだ知らされていないという。 トップシークレットなの。だから勘弁して、と東海さんは言った。 しかし、担当役員さえ知らないそんな秘密をなぜ東海さんが知っているのか。 明夫が、東海さんがその選手の名前を挙げたんですね、と言うと、東海さんは頷いた。 交渉は外薗さんが一手に引き受けてくれたけどね。外薗専務は総合商社出身で、国際担当の上席専務だ。次期社長の最有力候補でもあった。 発表はいつですか。 たぶん、今月の末くらいかな。もしかしたら七月にずれ込むかもしれないけど。 東海さんは微妙な口振りになる。何かほかにも重大な案件がこの発表には絡んでいるのかもしれないと明生は感じた。 時刻も三時を回って、ボトルの焼酎も三分の二はなくなっていた。明生もすっかり酔っていたが、東海さんも今夜は酔いが早いように見えた。激務の疲れが溜まっているのだろう。こうして深夜に帰宅しても彼女は明朝七時には出社している。そう思うと、申し訳なさが募ってくる。 だが、東海さんと一緒にいると不思議となずなのことを思い出さない。仕事の話にも身が入る。いまの明生にとって彼女は何よりの存在でもあった。 東海さんの別れた旦那さんって何してるんですか。酔いの力を借りて、先日聞きそびれたことを訊ねてみる。 東海さんは、すこし困ったような顔を作る。 一昨年死んだの、と言った。明生はさすがに絶句した。 酔っ払って、駅の階段を踏み外したの。新聞にも小さく載ったわよ。再婚して子供が生まれたばかりだったのに。 そうだったんですか、としか返せない。 六つ年長とはいえ彼女だってまだ三十三歳だ。そんな若さで結婚、病気、子供の死、離婚、そして別れた夫の死を経験し、その一つ一つを一体どうやって乗り切ってきたのだろう。 私ね、肺がんになったとき、自分は何て運が悪いんだろうって思った。でも、本当に運が悪かったのは彼だったかもしれないわね。私ががんになったときも、あんまり心配しすぎて頭じゅうにハゲができちゃうような人だったから。離婚したのも、彼にもう心配をかけたくなかったからなの。手術が上手くいったと言っても、がんが再発したり転移したりするリスクはあるでしょう。これ以上私と一緒にいたら、この人おかしくなると思ったの。それに私も、そんなふうに過剰に心配する人がいつもそばにいると精神的にたまらなかった。 さきほど電話を掛けたとき、自分に裏切られながら生きていく、と東海さんが言っていた意味が少し分かったような気がした。 それで、来てくれたんですか。俺が大酒飲んで事故にでもあうんじゃないかって、と明生は言った。 まあね。赤くなった顔で東海さんはにやりとしてみせる。 店を出たのは四時過ぎだった。二本目のボトルも空にして、明生は、どうしてだか気持ちは昂揚し、全身に気力が満ち溢れるような爽快さを感じていた。深く酔ってはいたが、酔っ払ってはいない。さんざん食べたのに腹具合も問題はなかった。一方、東海さんの方も飲むほどに酔うほどに意気軒昂になってきていた。 よっし宇津木、歌って帰ろうぜー。店から出た途端に大声で言う。 それから、ロマンス通りのカラオケボックスに入った。さすが池袋だけあって、こんな時間でも案外混んでいる。二階の狭い個室に通されて隣同士で座った。リモコンを取り上げ、東海さんはさっそく曲番号を入力している。東海さんは歌うとき必ず席を立つのだ。 最初はきまってレベッカの「フレンズ」なのだった。彼女の歌はなかなか聞かせる。取引先の接待というと必ずカラオケをメニューに入れるのは、自分の声に自信があるからだ。ちなみに明生の歌い出しはキンキキッズの「硝子の少年」と決まっている。 明生がレミオロメンの「3月9日」を唄いきったところで小休止にした。これでそれぞれ三曲ずつ歌ったことになる。 宇津木はさ、実家が大金持ちだから、悩みなんてないってみんな思ってるよ。ウ一口ン茶をストローですすりながら東海さんが言った。 離婚したって分かっても、宇津木なら次もすぐ見つかるだろうって言われるだけだよ。だからさ、そういう自分に早く慣れなよ。東海さんがあっさり言い放った。 自分に慣れる。 そう。宇津木はなかなかそういう自分に慣れられない人なのよ。自分が誰かなんて選べないでしょう。私だって、自分がブサイクなのは別に私の責任じゃないもの。でもね、私はそういう自分に慣れたの。自分に慣れさえすればあんまり悩まなくて済むようになるよ。 東海さん。 明生は手にしていたコーラのグラスをデコラ張りのテーブルに置いて、隣の東海さんの顔を見る。 そうやってブサイク、ブサイクって言わないでください。東海さんはそんなブサイクじゃないし、スタイルだって超いいじゃないですか。 明生はそこで一度言葉を区切った。いままで何度か言おうとして言えなかったことを今日は口にしようと思う。 それに、これは別にいやらしい意味で言うわけじゃないですけど、東海さんっていつも凄くいい匂いしますよ。 明生が東海さんのことをどうしてもブスだと思えないのは、実は、彼女と最初に会ったときから何ともいえないいい匂いを感じたからだった。きっと特別な香水を使っているのだろうと想像していた。 体型は努力次第である程度はよくできるからね。私みたいなブスは、そこは頑張らないといけないのよ。 だから、ブスって言わないでくださいよ、と明生は右の肘で東海さんの左肘のあたりをこづいた。彼女が大袈裟な声を上げて身を揺する。こうして肌を接するほど近くにいると、酔いで汗ばんだせいもあるのか、東海さんの全身からふだんの倍も二倍もいい香りが立ち昇ってくる。 明生がくんくん匂いを嗅ぐような仕草をすると、ちょっと、宇津木、やめなさいよ、と笑いながら東海さんが身体を少し横ヘずらした。 やっぱり凄いいい匂いしますよ。みんなも絶対そう思ってると思います。 短大の後輩に調香師をやってる子がいるのよ、と東海さんが再びリモコンを手にしながら言う。まあ言ってみれば香水のブレンダー。その子が私のために特別な香水を作ってくれるのよ。もともとは実験台代わりだったんだけど、彼女、腕は滅法いいの。顔は私とどっこいどっこいなんだけどね。 俺、香水には詳しくないですけど、こんなにいい匂いの香水は初めてです。やっぱり特別製だったんだ。 死んだ旦那も、お前はいい匂いがするってよく言ってくれてた。 明生は東海さんのそばに擦り寄って、もう一度匂いを嗅ぐ仕草をした。 宇津木、いい加減にしろ。東海さんがリモコンを振り上げ、明生の頭をごつんと叩いた。
なずなが出て行って一カ月が過ぎ、次第に一人暮らしも板についてきている。時間を持て余していた土日も自炊を始めると、それなりのメリハリが生まれてきた。就職と同時に元麻布を離れてからなずなと一緒になるまでの二年余り、明生は基本的に自炊中心で暮らした。ずっと親掛かりだった反動もあり、何でも自力でこなしてみたかったのだ。大して料理の腕は上がらなかったが、飯さえ炊いておけば一日に一度か二度の食事作りは思っていたよりたやすかった。 その頃の日常がだんだんによみがえってきていた。今夜は鳥すきをつつきながら冷酒を二合飲んだ。ほんのりと全身に酔いが回って、陶然とした気分を味わっている。 結婚と同時にやめた煙草も数日前に復活させた。といっても全館禁煙の社内でも仕事先でも吸ってはいない。一日に二、三本だけ自宅で愉しんでいた。 六月も半ばとなれば、ほろ酔い加減でソファでうたた寝したとしても風邪を引く心配もない。明生は一服二服ふかした煙草を灰皿で丁寧に挟み消すと、壁際に置かれた二人掛けのソファに移動した。正面のテレビのスイッチを入れ、浮かび上がった映像を観るともなく眺める。この一週間はなずなのことも余り考えなくなった。 一つには彼女の持ち物が先週金曜日にきれいさっぱりなくなっていたこともあった。離婚届を送りつけて来てからわずか三日、まさに電光石火の早業だった。衣類や小物類だけでなく、ドレッサーや姿見、衣装箪笥なども運び出されていたから、女手一つの仕事とも思えず、きっと業者に依頼したに違いなかった。 なずなを思い出させる物がなくなってみると、その不在が生む空虚さよりも、気鬱の種が消えた解放感の方がはるかに勝っていた。がらんとした部屋に立って、明生は心底ほっとした気持ちになったのだった。 壁の掛時計の針はちょうど九時をさしていた。まだ眠るにはずいぶん早いが、それもまた善しだ。ソファの端に置きっ放しの枕に頭を乗せて横になる。手にしたリモコンでつけたばかりのテレビを消した。 インターホンが鳴ったのは、ちょうどそのときだった。 訪ねてきたのは、なずなの父親の柴本恵介だった。柴本恵介はリビングに入ると、勧められる前にダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした。恵介や義母の久仁子とはもっぱら南浦和の「しばもと」で顔を合わせてきた。彼らがこの部屋に来たのは四、五回程度だろう。 恵介は持ってきたワインボトルをテーブルの上に置く。 これ、店のだけど飲んでくれ、と言った。すみません、と明生は言い、冷蔵庫から麦茶を出してテーブルの上で自分の分と恵介の分をグラスに注ぎ、一つを彼の前に置いた。明生もいつもの席に座った。 恵介は麦茶を一気飲みする。明生はもう一度ペットボトルの麦茶を空いたグラスに注いだ。恵介が小さく会釈をした。 明生も麦茶を一口すすった。 グラスを戻したところで向かいに腰掛けた恵介と目が合う。 明生さん、本当に申し訳ねえ。この通りだ。次の瞬間、恵介が大音声を発し、深々と頭を下げた。その額がテーブルに擦りついているのが分かった。 顔を上げた恵介に、明夫は、麦茶はやめてビールにしませんか、と勧めた。恵介は手酌でビールを呷りながら、何度も何度も詫び言を口にした。だけど、まさか夫婦別れなんて話になってるとは、一昨日にあざみがやって来て説明してくれるまで夢にも思っちゃいなかった。明生さん、うちの娘が馬鹿なことしちまって本当にすまねえ。俺も久仁子も下げる頭もありゃしねえ心地だ。 あざみというのはなずなの三つ年下の妹のことだった。 もちろん、あざみから聞くまでは、別居のことも赤羽でホステスをしていることも恵介は知らなかったという。しかし、彼が何のためにやって来たのか明夫にはまだ理由が分からない。 明夫は、何か僕に話でもあるんですか、と訊いた。 明生さん、もう届けは出しなさったのかい、と恵介は申し訳なさそうな顔を作って言った。 いえ、まだです。 未練がましい話かもしれないが、明生は結婚二周年を迎える七月六日まで離婚届の提出を先延ばしにしておこうと考えていた。そうそうなずなの好きなようにはさせない、という彼なりの精一杯の抵抗という側面もむろんある。 なずなのことはもう愛想が尽きたんだろうね。さらに情けない表情になって恵介が言う。 どうでしょう。余りに展開が一方的過ぎて、正直なところ何が何だか僕にはよく分からないんですよ。 だろうねえ、と恵介は大きく領いた。俺と久仁子も昨日のなずなの話を聞いて呆れ返ったんだ。あざみだって同じ気持ちで俺たちのところに駆け込んで来たんだよ。なずなのやつ、また真一のことで頭がおかしくなっちまったんだ。五年前にも真一に捨てられて酒浸りになったことがあった。通ってた専門学校は辞めちまうし、家には帰って来なくなるしで大変だったんだよ。あげくキャバクラなんかに勤めて、毎日浴びるように酒飲んで。そんな生活が一年半くらい続いたかな。あいつの目が覚めたのは、涙ながらに説教してた久仁子が心臓発作起こして目の前でぶっ倒れたからなんだ。それが明生さん、あんたと知り合う半年くらい前のことだったんだよ。 義母の心臓が悪いという話は聞いていたが、そんな背景があったとはもちろん知らされていなかった。恵介もさすがになずなが真一のアパートで自殺未遂をしでかしたことまでは口にできないようだった。 マグロの仲買人をやっていただけあって、Tシャツの袖から突き出した腕は恐ろしく太い。引き締まった顔は相当の二枚目だ。なずなの美貌はこの父親ゆずりなのである。 真一はご存じの通りで見栄えのいい男だ。若い頃から御多分に洩れずで女には手が早かった。それがどうしてだかなずなには全然見えてねえ。まったくどうかしちまってるんだ。恵介は大仰にため息をついてみせる。 ちゃきちゃきの江戸っ子を自慢にしているだけに、いつもこんな感じの人だった。南浦和に引っ込んだのは、紆余曲折の末に久仁子の実家の店を引き継いだからだ。 明生はこの義父のことは決して嫌いではなかった。なずなのさっぱりした性格は彼に似たのだと思っている。 明生さん。恵介は明生の目を見つめて切羽詰ったような声を出す。 こんなこと俺の口から言えた筋合いじゃないのは重々承知だが、お願いだ、なずなを見棄てないでやってくんないか。真一なんかと一緒になったって上手くいくわけないんだ。昨日も久仁子と二人でこんこんと説教したばっかりだ。俺も久仁子もなずなが明生さんと一緒になったとき、これであいつもようやく女としての真っ当な幸せを味わえるって心底嬉しかった。最初は、明生さんみたいな名門の人と一緒になるって聞いて、俺たちはそんなの釣り合いが取れるわけねえだろうって思ったさ。でも、実際に明生さんと会ってみて安心したんだ。ああ、この人だったらなずなをきっと幸福にしてくれるって俺も久仁子も確信したんだよ。 そこで恵介はもう一度、明生さん、と名前を呼んだ。 なずながあんなふうになったのも、もとはと言えば自分のせいだ。若い頃、さんざん勝手放題したために、一番苦労を被ったあの子はこうやってずっと俺たち夫婦に復讐してるんだ。その尻拭いを赤の他人の明生さんに頼むというのはお門違いもはなはだしいのはよく分かってる。だけど、俺たちだってまがりなりにも親の端くれのつもりだ。みすみす娘が道を踏み外すのを見過ごすわけにはいかないんだ。そう言ったあとで、さらに言葉を継いだ。 明生さん。ここはたってのお願いだ。どうかなずなを見棄てないでやってくれ。あいつは明生さんと別れたら本当に駄目になっちまう。だから、人助けだと思って、あいつの目が覚めるまでもうしばらく辛抱してやってくれないか。 恵介は再びテーブルに額を擦りつけるようにして頭を下げた。 明生は彼が顔を上げるまで黙っていた。そのあいだに頭の中を整理する。いまここで義父に言うべきもっともふさわしい言葉を探した。 なずなだって、自分で自分がどうしようもないんだと思います。だとすれば周囲が幾らとやかくいっても、それこそどうにかなるものでもないんじゃないでしょうか。 恵介は食い入るように明生の言葉を聞いていた。 なずなは僕に言ったんです。それでもどうしても自分には真ちゃんなんだって。そう言われてしまえば、もう事は善悪や是非の問題ではないでしょう。たとえ彼女が目の前で道を踏み外すとしても、僕たちにはそれを止める手立てなんてないと思います。僕は逆に、なずなは失敗するならちゃんと失敗すればいいんだと思ってます。結局はそれが彼女自身のために一番いいんじゃないですか。僕にだってもちろん責任はあります。もっと僕が魅力的な人間だったら、なずなだって真一さんのことを忘れることができたのかもしれない。でも、僕にはなずなを引き止めておく、そこまでの力がなかったんです。 そして今度は明生が、おとうさん、と恵介を呼んだ。 もう何もかもが手遅れだと思います。今となっては僕にもおとうさんにも彼女のためにできることなんて何一つないですよ。 明生はそう言った。
今シーズンの東京ドームはこれが初めてだ。明夫は、巨人・広島戦を観戦に来た都内各スポーツショップの店員たち十八名の接待に大忙しだった。ウェアや用具部門の営業担当者たちと一緒に日頃世話になっている店員さんたちの弁当や飲み物、観戦グッズの調達などで広い球場内を走り回っていた。 今宵の野球観戦に東海さんは参加していない。いよいよイメージキャラクターの発表が週明け六月三十日月曜日と決まり、彼女はそちらの準備にかかりきりだった。今週一週間はろくろく顔を合わせることもなかった。何しろ、いまだに社内でもイメージキャラクターの名前は明かされていないのだ。すべてが少人数のスタッフで超極秘裡に進められている。そうした状況から、よほど社会的にインパクトのあるアスリートの名前が発表されるのだろうと会社中がその噂で持ちきりなのだった。 背広のポケットの携帯が鳴ったのは、二回の広島の攻撃が終わった六時三十分頃のことだった。ビールや弁当を全員に配り終えて、明生が端っこのシートにようやく腰を落ち着けた直後だ。 表示された番号は登録外のものだったし、歓声や鳴り物の音で相手の声もうまく聞き取れなかった。席を立って駆け足で階段を上り、出入口の通路へと移動した。 明生さん。俺だよ、恵介だよ。 やっと柴本恵介だと了解する。 なずなが真一の前の女房に包丁で腹を刺されちまったんだよ。日大板橋に担ぎ込まれて手術してるらしい。命に別状はないって話だが、それにしても、とんだことになっちまった。 なずなは、真一の息子を保育園に迎えに行って、その園の前で待ち構えていた坂本小春に刺されたらしい。保母さんたちが救急車を呼んでくれて、病院へ運ばれたそうだ。 命に別状はないと聞いて、知らず強張っていた身体が幾らかゆるむのが分かった。それと同時に、そんな事件になずなを巻き込んだ根元真一への言いようのない憤怒が胸中に生まれてくる。 明夫は、丸ノ内線で池袋まで出て西口からタクシーを拾った。日大板橋病院に着いたのは七時十五分頃だ。救急外来の受付で、宇津木なずなの病室はどこですか、と訊ねると、四階の外科病棟だと教えられた。 なずなはすでに手術を終えてベッドに横たわっていた。 明生が病室に入っていくと、こちらを向いてびっくりしたような顔をする。麻酔からもすっかり醒めているようだ。ベッドサイドには根元真一が立っていた。 明生は根元の存在は無視してなずなのそばに近づく。中腰になって横向きの彼女の顔の正面に自分の顔を持っていった。 大丈夫か、と言うとなずなが小さく頷いた。 傷の具合は、と聞くと、そんなに深くなかったから心配ないって、となずなが言う。 一カ月前と比べるとなずなはずいぶんやつれて見えた。 そうか。よかった。明生は立ち上がる。なずな本人の声を聞けてようやく全身の緊張が取れた気がした。隣にいた根元はいつのまにか入口あたりにさがっていた。明生は自分から彼に近づいていった。 小春さんはどうしてるんですか、と訊く。 警察です。 根元が小さな声で言う。 こんなことになってお詫びのしようもありません。 そして深く頭を下げてきた。 とにかく今日はお引き取りください。 内心の怒りを抑えて明生は言った。なずなが別の部屋で眠るようになって、一度彼に会いに行ったことを思い出す。あのとき根元は、あいつ、馬鹿だな、と呟き、長い目で見てやって下さい。万が一俺のところへ来たときは、しっかり説教して、宇津木さんのもとへ送り届けますから、とまるで保護者然とした口振りで言ったのだ。 明生さん、本当に申し訳ありません。全部俺が悪いんです。どうかなずなを責めないでやってください。そう言って再度頭を下げると、真一はベッドの方へは目もやらずに病室を出て行ったのだった。 明生はなずなのところへ戻る。彼女は仰向けになって天井を見ていた。その視線をふさぐように見下ろす。 なずな。 なずなの瞳孔が明生の顔に焦点を合わせた。 お前のやっていることは間違ってるよ。明生はその瞳の深い部分を覗き込む。 こんなことしてたって、誰も幸せになんかならないよ。真っ黒で虚ろだった瞳に小さなさざなみが立ったような気がした。 なずな。もう一度名前を呼ぶ。 今度のことは、全部忘れることにしないか、と言った。 俺もお前も忘れっぽい性格だろ。それでずっと苦労もしてきたじゃないか。だから、一度くらいその欠点を人生で役に立てたって罰は当たらないんじゃないか。 なずなの黒い瞳から涙がひとしずく、ゆっくりとこぼれ落ちた。
七月に入って雨ばかりの天気が続いていた。なずなが退院した五日も雨、川口のマンションで恵介や久仁子を招いて退院祝いの会を開いた翌六日日曜日も雨だった。 六日は明生たちの結婚二周年の記念日でもあった。傷口の治りも早く、肉体的にはなずなはすっかり回復していると言ってよかった。担当医も、もう全然大丈夫ですよ、とお墨付きをくれた。一週間余りの入院のあいだに気持ちもだいぶ落ち着いたみたいだった。 事件の夜、病院を去って以来、真一からは何の連絡もないようだった。なずなの方も彼のことは一言もロにしない。 入院から三日目、坂本小春の両親が病院に謝罪に訪れた。明生もなずなも面会せず、居合わせた恵介が応対した。同日、夕方には真一の父親もやって来て、旧知の恵介と長いことデイルームで話してから帰って行った。その会話の中身も明生やなずなは聞いていない。 小春は当然ながら傷害で逮捕された。取調べの中で、どうしてもなずなに息子を奪われるのが我慢ならなかったと話しているようだった。むろん殺意は否認しているらしい。恵介の一報では包丁で刺したことになっていたが、使った凶器も小さな果物ナイフで、とても殺傷能力のあるようなものではなかった。 事件は翌日の新聞でかなり大きく報じられたようだ。保育園の降園時間に大勢の父母や園児たちの目の前で起きた凶行だっただけに、周辺は一時騒然となったらしい。 真一も東浦和でこのまま店を続けていくのはとても無理だな、と恵介はなずなの目の前で言った。なずなは黙って聞いていた。 退院日が正式に決まった七月二日、明生は、このままうちに戻って来ないか、と言った。なずなは、そうする、とはっきり答えた。 あざみや弟の正樹が、赤羽のアパートの片づけと荷物の処分をしてくれ、家に戻ったときには、なずなの運び出した荷物は全部、元の部屋の元の場所にきちんとおさまっていた。 今後一切、事件のこと、根元真一のこと、ホステス時代のことをお互い口にしないと明生はなずなと約束を交わした。 退院して一週間も過ぎると、なずなは以前の彼女とさして変わらない雰囲気になった。真一のことも事件のことも、無理をして思い出さないようにしているのは明生の方で、なずな本人は本当に忘れてしまったような様子にさえ見えた。 久仁子が目の前で倒れたときもこうだったのではないか。根元が言っていた、麻疹と同じで時間が経つとケロッとしちまう、という評はまさにこういう状態を指しているのではないか、と明生は内心で思ったりしていた。 七月は仕事が猛烈に忙しくなった。 六月末日にYAMATOが発表したイメージキャラクターは、まったく意外な人物だった。専属契約を結んだのは、三月に世界中を震撼させたチベットでの暴動を受けて北京オリンピックヘの不参加をいち早く表明したイギリスの黒人長距離ランナーであった。オリンピックイヤーにオリンピックヘのボイコットを決めた選手をイメキャラに起用するという発表は、世界中に大きな反響を呼んだ。発表当日、極秘に来日して記者会見に臨んだその世界記録保持者は、中国によるチベット民族への弾圧と過酷な同化政策を厳しく批判した。 同時に、YAMATOはもうーつ驚くべき発表も行なったのだった。 三年前に中国へ進出したシューズとウェアの主力工場をタイへ移転し、今後当分のあいだ中国での生産を見合わせることを宣言したのである。 翌日以降のユーザーからの問い合わせは凄まじかった。各ショップへも今回のYAMATOの決定に賛同したユーザーが足を運び、YAMATO製品はまさに飛ぶように売れ始めたのだ。そのことが日本や世界のメディアで報道され、それがまた製品の売れ行きに拍車をかけた。 YAMATOはそれまでの出遅れを取り戻すどころか、競合各社のオリンピック・モデルを一気に抜き去る勢いで自社ブランド製品の売上を大幅に伸ばしたのだった。 発表後、今回の決定の立役者が東海課長であるとの噂はあっという間に全社中に広まった。東海さん本人は例によって淡々としたものだったが、部下たちがショップを回って帰社するごとに売上の伸長を興奮気味に報告すると、さすがに笑みを隠せない様子だった。 扇屋の高森店長が、東海さんのことを絶賛してましたよ。こんな時代にこれほどスカッとしたのは久し振りだって。YAMAT0製品を売って売って売りまくるって言ってくれました。 明生の報告に、別に私一人で決めたわけでもないんだけどね、と東海さんは照れ臭そうにしていた。池袋で夜が明けるまで付き合ってもらって以来、たまに二人で飲みに出かけるようになっていた。ほかの部員とはそういうことは相変わらずないようだったから、東海さんと明生は特別親しい間柄と言ってもいいだろう。といっても色っぽい展開があるわけではない。明生は東海さんといると気持ちが安らぐのだった。彼女のつけているオーダーメイドの香水の力も大きいような気がしている。とにかく東海さんのそばにいると、ほんとうにいい匂いがした。ふだん家にいたり会社にいるときでも、その匂いが無性に恋しくなることがあるくらいだった。 七月後半に入ると、中国工場の撤収期限が一年後と正式に決まり、若手社員の中から撤収作業に当たるメンバーの公募が始まった。春先から「中国研修」という名目で入社七年目までの社員を各セクションから一人ずつ選抜し、中国に送り込むという企画が持ち上がっていた。その時点では、成長めざましい中国市場への若手社員の遊学制度のように説明されていたが、実際には中国からの工場撤退が上層部のあいだですでに議論されていたようだった。 もともとYAMATOは他社と比較して中国進出に積極的でなかった。会社は創業以来、欧米ブランドを凌ぐ高級ブランドの確立を開発・販売戦略の中心に据えてきた。YAMATOの製品価格が国内ライバル企業のそれより割高なのはそのためである。従って、中国からの引き揚げの決定は、これまでの路線をさらに強化していく方針を内外に明らかにしたものであり、これはすなわち欧米派の外薗専務が次期社長に就任することを公式に認めたに等しいものであった。 なずなとの関係が悪化していた時期、東海さんはしきりに中国行きを勧めていたが、元の鞘におさまったことを報告してからは、ぴたりと言わなくなった。なずなが退院して数日後、事件のことや彼女が家に戻ったことなどを二人で飲んでいるときに伝えると、東海さんは、雨降って地固まる。宇津木よかったじゃない、と大層喜んでくれた。 やっぱり俺って平凡なんですね。俺なんかと一緒にいたら気詰りになったり、ひどく退屈したりするんだと思います。あんなことをした妻も悪いけれど、そうさせてしまった俺自身にも罪はあるんですよね、男として。 明生が何気なくこう言ったときだけは、いつものようにぴしゃりとたしなめられた。 私は、宇津木は全然平凡じゃないと思うよ。宇津木家ほどの名門に生まれてそれだけ普通でいられるのは、充分に非凡だよ。宇津木は、人のことだけじゃなくて自分自身のこともちゃんと公平に見られる人間だと私は思ってるよ。優秀な人間は幾ら平等な目線で人と接していても、自分だけはやっぱり特別だと思ってるものよ。でも、宇津木は自分自身に公平だよ。誰に対しても普通に接することのできる宇津木みたいな人間は、きっとこれから伸びると私は踏んでる。だから、そんなに自分が普通だとか平凡だとか言うのはもうよしな。 この東海さんの言葉が明生には嬉しかった。 久し振りに渚に会ったのは、七月半ばのことだった。なずなが戻って来たことを伝えると、意外だなあ、と渚は言った。幾らそんな事件があったからといっても、それで愛し合っていた者同士が別れるなんてあり得ないと彼女は言うのだった。 渚はむしろなずなのことを見損なったという面持ちだった。 それにアキちゃんだってへンだよ。なずなさんが家を出たあと、相手の人と一体どういう関係になってたのかも全然訊かないで、ただ黙って受け入れるなんておかしいと思う。そういういい加減なことしてたって、結局、夫婦の関係は長続きなんてしないと私は思うよ。 いつになく渚の言葉は辛辣だった。 その渚が突然に電話を寄越したのは、七月三十日の深夜、午前二時を回っていた。 隣で眠っているなずなを起こさないよう、そっとベッドを降りて隣のリビングに移動する。 私、完壁に振られちゃった。 詫びも挨拶も抜きで渚のやけっぱちな声が響いてきた。 渚は、京都のホテルから電話を掛けてきたのだった。修論の参考になるシンポジウムが京都であって、それを聴きに来たついでに靖生に連絡したらしい。靖生さんにね、僕もきみと同じなんだ。苦しくてもこうして我慢している。きみだけが辛いんじゃないってお説教されちゃった。もう二度と来ないでくれだって。 そうだったのか。 これじゃまるでストーカーだよね。いまどき流行んないよねえ。だけど本当にどうしてだろうね。私はこんなに好きなのに、そんな私を靖生さんはこれっぽっちも好きじゃないんだよ。それって何かおかしくない。理屈が通らない気がしない。 明生には答えようがない。 兄貴がナギサのことをちゃんと見てないだけだよ、と半分気休めを言う。 アキちゃん、私、全然眠れそうにない。渚が不意に言った。 何だかもうこのまま死にたい気分。 馬鹿言うなよ。 アキちゃんにだったらこうして何でも話せるのに、どうして靖生さんの前だと思ってることの三分の一も口にできないんだろ。渚の言うことがだんだん支離滅裂になってきていた。 いつ戻って来るんだよ。 今日中には帰るつもりだったけど、何だかイヤになっちゃった。二、三日ぶらぶらしてからにしょうかな。 まずは渚を宥めて寝かせるのが先決だ。明生は思いついたことを口にする。 まだ諦めるのは早いよ。麻里さんは宣生兄貴の嫁さんなんだ。靖生兄貴には手も足も出せない相手だよ。ということは、いずれナギサになびく可能性はぜロじゃない。 そうかなあ。 渚が疑わしげな声で言う。 だけどさ、アキちゃんの奥さんって偉いよね。ちゃんと戻って来たんだから。いまだってきっといろんなぐちゃぐちゃした思いはあるんじゃない。それでもやっぱり自分にとってアキちゃんがベストの相手だって気づいたから帰って来たのかな。 そう言われると、そんなことはないだろう、と明生は当たり前に思う。明生自身もなずながベストの相手だとは思えなくなっていた。 きっと何か証拠があるんだよ。気づくと明生はそう口にしていた。 ベストの相手が見つかったときは、この人に間違いないっていう明らかな証拠があるんだ。だってそうじゃなきゃ誰がその相手か分からないじゃないか。 だからみんな相手を間違えてるんじゃないの。 そうじゃないよ。みんな徹底的に探してないだけだよ。ベストの相手を見つけた人は全員そういう証拠を手に入れてるんだ。 そうかなあ、と渚は納得していない。 だからさ、人間の人生は、死ぬ前最後の一日でもいいから、そういうベストを見つけられたら成功なんだよ。言ってみれば宝探しとおんなじなんだ。いままで思ってもみなかったことが口からすらすら出てきて、明生は内心びっくりしていている。頭のどこかではそういう考えが生まれてくる根拠を自分がすでに得ているような気もしていた。 分かった。渚があくびをしながらの声で言った。 アキちゃんと話したら、ほんの少しだけどすっきりした。じゃあ、おやすみ。 彼女はあっという間に自分から電話を切ってしまったのだった。 渚が死んだのは、その日の昼間のことだ。 四条河原町のホテルを出て、交差点で信号待ちをしているところへいきなり暴走トラックが突っ込んで来たのだった。 決して自殺ではない。偶然の事故だった。
渚の死を知らせてくれたのは母の藤子だった。およそ二年ぶりに聞く母の声は小さく震えていた。亡くなる十時間ほど前に渚と三十分近く話したことは言わなかった。 母の電話を切ったあと、明生はしばらく茫然自失の態だった。 連絡は会社の自席で書類を作っているときにあった。午後三時過ぎのことだ。通夜や告別式の日取りは当然未定だった。いま渚の両親が慌てて駆けつけている最中で、遺体の東京への搬送も明日以降になるだろうと母は言った。 靖生兄さんには知らせたの?それだけは訊ねた。母は肝心なことを言い忘れていたといった口調になって、靖生が真っ先に病院に行ってくれているのよ、と言った。 電話を切るとそのまま身を竦めるようにして席にいた。立ち上がることもできなかった。しばらくすると東海さんが声を掛けてきてくれた。 宇津木、どうしたの。真っ青だよ。 明生は東海さんを誘うように、ちょっと会議室に行っていいですか、と言った。会議室で二人きりになったところで渚の死を伝えた。彼女のことは何度か話題にしたことがあった。昨夜のやり取りについても話した。喋りながら、どんなことでも聞いてもらえる相手はいまや東海さん一人だという気がした。 宇津木、いまからどうするの。とても仕事どころじゃないでしょう。今日はもう帰っていいわよ。 そう言われても、帰るところがないと思った。 退院から一カ月近くが過ぎ、なずなとはうまくいっていなかった。最初は打ち解けようと努力を見せていたなずなも、いまは薄い仮面をかぶったようになっている。明生の方にも問題はあった。どうしてもなずなに対して心を開くことができないのだ。 理由は幾つかある。一つは、なずなが戻って来て三日目の晩の出来事によるものだった。 初日から一緒のベッドで寝たが、なずなを抱いたのはその夜が初めてだった。行為の最中、なずなは何度か、真ちゃん、と根元の名前を呼んだ。本人が気づいていたかどうか定かではないが、明生は、その声が耳について離れなくなってしまった。 もう一つは二週間ほど前のことだ。様子伺いに来た義父母が帰ったあと、なずなは何気ない調子で呟くようにこう言ったのだ。 自分の信念を貫くだけで、周りの人がこんなに傷つくなんて思いもしなかった…… 明生はそれを耳にしたとき、自分はなずなが信念を貫くのを邪魔立てしているにすぎないのかと思った。思った途端に恥ずかしさや情けなさでいたたまれない心地になった。 そういういい加減なことしてたって、結局、夫婦の関係は長続きなんてしない、と言っていた渚の声が頭の中で繰り返しこだました。 大丈夫です。今日は何も俺にできることはないですし、仕事も溜まってますから、と明生が言うと、じゃあ、頑張りな、と言って東海さんは先に会議室を出ていった。 暦の関係もあって、渚の通夜・葬儀は八月の三日、四日に決まった。 なずなは通夜にも葬儀にも行きたくないと言った。宇津木の人たちには会いたくないの。明生の「婚約者」だった渚に、彼女はもとからいい感情を持っていなかった。亡くなったと伝えたときも、まだ若いのにお気の毒ね、と言ったきりだった。 八月三日の通夜には一人で出かけた。 遺体はすでに棺におさめられ、顔を見ることはできなかった。 トラックに跳ね飛ばされた渚は、交差点そばの全面ガラス張りの店舗に頭から突っ込み、顔面に相当の損傷を受けたようだった。小窓のない棺が使われていたのはそのためだったと思われる。 父も母も大して変わりないようだった。なずなを連れていないことにも怪訝な表情一つ見せなかった。渚から事情が伝わっているのだろうかと考えたが、単に父も母もなずなのことなど気にも留めていないだけの話だと気づいた。二人ともなずなを宇津木の嫁とははなから認めていないのだから。 二年会わなかっただけで、宇津木の人々はまるで他人のようだった。渚の死を悼んではいたが、所詮他人事というおもむきを家族同士のあいだでは隠そうともしなかった。通夜ぶるまいの席で、父や山内家の親族たちはここ数カ月間の株式市場の動向や現政権の経済運営の稚拙さなどに関して熱心に話し込んでいた。驚いたことに長兄の宣生だけでなく次兄の靖生までごく当たり前の顔でそのやり取りに加わっていた。 靖生は平然としたものだった。山内の両親からはえらく感謝されているようで、明生まで渚の母親から、今回は靖生ちゃんに本当にお世話になって、と涙ながらに礼を言われたほどだった。そうした反応からして、渚は親には何も打ち明けていなかったのだと明生は思った。そして、靖生も完全に沈黙を守っているのだ。 靖生は明生が知っていることさえ知らないようだった。顔を合わすなり、かわいそうに。何て運の悪い子だ、と感情の籠らない声で言った。 明生は祭壇の写真におさまった笑顔の渚に向かって、あんなくだらない男、好きになんてならなきゃよかったのに。馬鹿だな、お前、と語りかけた。 義姉の麻里さんは相変わらず美しかった。彼女はまさか自分が渚を追い詰めた張本人だなんて思ってもいない。人の犯す罪は計りがたいと明生はつくづく感ずる。かなしいのは麻里さんを見つめる次兄の目つきや表情だった。かなわぬ恋に身を焦がす、それは余りにもあさましい姿だった。 宇津木の家ももううんざりだと明生は感じた。 早々に南青山の斎場を出て、青山通りに向かって歩いた。時刻は七時を過ぎ、さすがにあたりは暗くなっていた。喪服を着用しているので歩いていると全身から汗が渉み出してくる。ネクタイを取り、上着も脱いで腕に掛ける。それでも汗は止まらなかった。今年の夏は猛暑だった。七月後半から三十度を超す真夏日が連日つづいていた。夜の帳が降りても気温は下がっていないようだ。風もなく、密閉された瓶の底を歩かされているような気分になる。 十分ほどで青山通りに出た。日曜日とあって交通量は案外に少ない。人通りもそれほどではなかった。 なずなの待っている家に帰りたくなかった。 若い頃からずっと一人ぽっちだと思って生きてきた。孤独には慣れっこのはずだったが、なまじ結婚したりすると耐性が著しく鈍るのだろうか。天涯孤独が骨身に沁みるようだった。思えば、渚は明生にとって分かり合える唯一の友だったような気がする。彼女を失ったことは想像以上の痛手だった。最後の晩も、アキちゃんにだったら何でも話せる、と彼女は言ってくれていた。それは自分にとってもそうだったのだとつくづく思う。 明生は明るい大通りを眺めながらポケットから携帯を取り出した。履歴から番号を選び出して発信ボタンを押す。すぐに電話は繋がった。 休みの日にすみません。いま渚の通夜に行って斎場を出てきたところです。 東海さんはさほど驚いたふうでもなかった。 どうだった、と訊いてくる。 渚の友人の女の子たちがたくさん来ていて、全員号泣で、中には泣き叫んだり、その場にへたり込んだりしてる子もいました。とても見ていられませんでした。 東海さんは何も言わなかった。 いまから行っていいですか。東海さんのあの匂いがどうしても恋しい。 いいわよ。クルマ拾っておいで。何か食べさせてあげるよ。東海さんは事も無げに承知してくれた。 その晩、明生は東海さんの家に泊まった。 玄関脇の寝室で同じベッドに入った。天井のライトが消されると、彼は東海さんの身体にしがみついていった。東海さんは拒まなかった。彼女のいい匂いを全身で感じて、この数カ月間で蓄積された疲労や苦しみが一度に溶け出していくような気がした。泣きたい気持ちになったがそれは辛抱した。東海さんは明生を抱きしめ、髪をやさしく撫ぜてくれた。二人とも無言だった。明生は身体を丸め、東海さんの胸の谷間に鼻面を埋めた。豊かな乳房の感触があたたかく心地良かった。そのうち急激な眠気に襲われ、いつの間にか意識は薄れていった。 渚の死を知らされた日から、彼はほとんど一睡もしていなかったのだ。
榎田さんの計報が届いたのは、九月一日月曜日。明生が中国へと旅立つ二日前のことだった。榎田さんは、八月二十八日に亡くなって、三十日には親族だけの密葬も済ませ、後日、山大主催のお別れの会が開かれるとのことだった。 その会に明生はむろん出席できない。お見舞いにはちょくちょく行っていたが、榎田さんの病室に最後に顔を出したのは、お盆明けの十七日だった。まだベッドに半身を起こせるほど元気で、中国行きが正式に決まったことを報告すると、用意してあった十数枚の名刺の束を餞別代わりにと渡してくれた。一枚一枚、表に宛先が、裏には細かい文字で明生の推薦文が記してあった。 YAMATOは今回中国からの完全撤退を決めたが、中国市場はもっともっと巨大になる。きみのような若手は、十年、二十年先を見据えていまのうちに将来に繋がる人脈を築いておくことだ。工場の残務整理なんてどうでもいいから、とにかくその名刺を手掛かりに片っ端から中国人と会って一人でも多くの友だちを作ってきなさい、と榎田さんは笑顔で励ましてくれた。 あれからたった十日で亡くなってしまうなんてとても信じられない。 どう。支度は終わったの?東海さんはいつも通り淡々としていた。 明生はあの通夜の晩以降、一度も東海さんの家には行っていない。二人で飲みに行くこともなくなっていた。東海さんが明生に中国行きをふたたび勧めてきたのは、一緒に眠った翌朝だった。 トーストを差し向かいで齧っているとき、宇津木、中国行ってきなよ、と彼女が言ったのだ。明生は東海さんの顔をしばらく見つめ、ゆっくり頷いた。 そのあとはとんとん拍子に進み、半月足らずで明生の中国行きは正式決定したのだった。任期は一年、出発日は九月三日となった。 なずなには、内示が下りた十三日の日に伝えた。 俺たちはこのままじゃやっぱり駄目だと思う。一年間、別々にしっかり考えて、それから結論を出さないか。明生の提案に、なずなは、一日時間をちょうだい、とだけ言った。 たとえ別れるにしても、どちらかが謝らなきゃならないような別れ方はしたくないんだ。明生が言い足すと、彼女はちょっと笑った。皮肉の笑みなのか共感の笑みなのかは分からなかった。 翌日、明生は仕事だった。午後八時近くに帰宅すると、ほどなくなずなも戻って来た。どこに出かけていたかは言わず、明生と顔を合わせるなり、昨日の話、分かった。私はとりあえず明日から実家に帰るから、あなたは自分で支度して出発してちょうだい。そしたら私はまたこの部屋に戻る。その方があなたもやりやすいでしょう、と言った。 言葉通り、なずなは翌日いなくなった。今度はちゃんと南浦和に行ったようだった。恵介が電話をくれた。明生が、ご迷惑をかけて申し訳ありません、と謝ると、オリンピックも終わって、中国もこれからは落ち目なんじゃないの、とよそよそしく言って、彼の方からさっさと話を打ち切ったのだった。 今夜は榎田さんを偲んで飲みませんか、と明生は東海さんを誘った。もちろん二人きりの送別会という意味合いもある。 今日も明日も仕事なのよ。とにかく元気に行っておいで。一年経ったらまた会いましょう。待ってるわ。 東海さんは、じゃあ、行ってらっしゃい、と言って電話を切ってしまった。 あっけない別れの言葉に明生はやや唖然とした。体よく東海さんに厄介払いされたような、そんな気さえした。 九月三日、誰の見送りもなく明生は中国・上海へと旅立った。
駅の出口から病院までの風景はちっとも変わっていなかった。 明生は駅前のスタバで買ったコーヒーの紙袋を右手に提げて歩いていた。東海さんとあそこの店でコーヒーを飲んだのは去年の五月のことだった。なずなが家を出てちょうど半月が過ぎた頃で、落ち込んでいた明生をそのあと自分のマンションに呼んで、東海さんはすき焼きをご馳走してくれた。まるで昨日のことのようだが、あれからすでに一年四カ月の時間が流れている。 明後日、十月の第二月曜日は体育の日だった。今日からサラリーマンたちは三連休なのだ。上海、バンコクでの仕事を無事に勤め上げて明生は先週帰国した。赴任中は一度も戻らなかったから、丸々一年ぶりの日本だった。 爽やかな秋の陽射しの中を十分ほど歩いて病院の玄関に着く。正面左手にある広い外来ロビーは土曜日とあって静まり返っていた。二階の各種検査室と繋がる巨大な二基のエスカレーターも止まっている。明生はジュータンが敷き詰められた廊下をまっすぐ進んでエレベーターホールに出た。亡くなった榎田さんの見舞いで通いなれた病院だから、迷うことなく左のエレベーターのボタンを押す。 東海さんの病室は東病棟の六階だった。 肺がんの再発が見つかり、先月末に東海さんが入院したという話は帰国して初めて知った。一日に一度は本社とやり取りしていたのに誰もそのことを教えてくれなかった。戻って来て分かったのだが、どうやら東海さんが厳重に口止めしていたようだった。 彼女は六月の人事で社長直属の経営企画室に室長代理として異動した。もちろん外薗新社長肝煎りの抜擢人事だった。古巣の営業から出てしまっていたことも、明生が彼女の入院を知らずじまいになった要因の一つだろう。 なずなとは中国に行って半年後に離婚した。 一年間の猶予を置いて、その上で二人で結論を出そうという話だったが、日本と中国とに遠く離れてみれば、もはやお互いを繋ぐものは残っていなかった。この三月になずなから長文の手紙を貰った。そこに離婚届も同封されていたが、今度の用紙には彼女の署名も捺印もなかった。根元真一とやり直したいとはっきり書かれていた。根元は事件のあと東浦和の店を畳み、息子と二人で新潟に移り住んだようだった。彼にとって新潟は縁もゆかりもない土地だったが、唯一、かつてなずなに会いに何度か足を運んだ場所だった。そこで働きながら新しい店を開くための資金を貯めているらしかった。そうしたことがなずなの手紙には正直に記されていた。 でも、私にはどうしても真ちゃんなのよ。 俯いたままぼそりと呟いたなずなの姿が瞼の裏によみがえった。 これほど根元に執着するなずなには、彼がベストだというはっきりとした証拠があるのだろうか。それとも自分自身の並外れた執着心それ自体が彼女にとって何よりの証拠なのだろうか。 なずなに限らず、根元にとっても二人の関係はかけがえのないものだったのかもしれない。 離婚届に必要事項を書き入れて明生は送り返した。二週間ほどしてなずなから丁寧な礼状が届いた。差出人の住所はすでに新潟になっていた。もう返事は書き送らなかったが、明生は上海の抜けるような青空を見上げ、なずなの今度こその幸福を心底祈らずにはいられなかった。 東海さんの病室は六人部屋だった。入口の名札で確かめると「東海倫子」は右の一番奥のベッドのようだった。昼食が終わって一休みしたあとの時間帯だったので、どのベッドの周りのカーテンも開けられていた。六人のうち三人の姿はなく、右の三つのベッドは奥に一人だけだ。その人が東海さんだった。 明生を見ると東海さんはすぐに笑顔になった。近づいて、先週帰ってきました、と頭を下げる。 お疲れさま。よく頑張ったわね、と東海さんが言う。ベッドサイドの丸椅子に腰を下ろした瞬間、あの懐かしい匂いがした。明生は思わず鼻孔をふくらませてしまう。この一年余り、ずっと恋しかった匂いだった。 思ったよりお元気そうですね、と明生が言うと、放射線治療だけで、今回は手術もしないし抗がん剤もやらないから。東海さんは羽織っていたグレーのカーディガンの前を閉じた。 十月末には、退院できるようだ。 肺がんの再発症例については、明夫はここ数日で調べられるだけは調べてきていた。手術の適用外ということは局所ではなく肺全体にがんが広がっているか、または遠隔転移があるということだろう。ただ、抗がん剤をやらないとなると、周辺のリンパ節以外にいまのところ明らかな転移病巣が見つかっていないのかもしれなかった。 退院したら、僕と一緒に暮らしませんか。 紙袋からコーヒーを取り出しながら明生は言った。 妻とは半年前に離婚したんで、僕もまた独身に逆戻りなんです。 そうか、宇津木離婚したんだ。 薮から棒の提案にも東海さんは眉一つ動かすでもなく、明生の離婚に妙に感心したような顔をしている。彼の手からまだあったかいコーヒーを黙って受け取った。 東海さん、と明生は名前を呼ぶ。 すると彼女は例のにやりとした笑みを浮かべて、宇津木、悪いけど私、これくらいじゃ死なないよ、それでもいいの。 僕もこんなことで東海さんが死ぬなんて夢にも思ってませんよ。 明生もにやりと笑って自分のコーヒーを持ち上げてみせた。 東海さんは予定通り、十月の末に退院し、一週間自宅で静養したのち会社に復帰した。明生は川口のマンションを解約し、東海さんが退院する数日前に彼女のマンションに引っ越した。越したといっても大方の荷物は捨てたので、運び込んだのは衣類や本、貴重品くらいのものだった。 それからがんが再々発するまでの二年のあいだ、東海さんは本当に一生懸命に生きた。仕事も全力投球で取り組み、幾つもの業績を残したし、同棲二カ月で正式に明生と結婚してからは家事も完壁にこなした。睡眠時間は平均四時間くらいだったと思う。明生はその体調を慮って無理をしないようにといつも言い続けたが、彼女は笑って取り合ってくれなかった。 一日八時間眠る人と五時間眠る人だと、同じ七十五年間生きてもね、五時間の人は八時間の人より十四年も余計に働いたことになるの。十四年だよ。その話をむかし榎田さんから教えてもらって、私は残り時間が少ないんだし、もう長々と眠ってなんていられないと思ったのよ。東海さんはよくそう言っていた。 再々発が見つかってからは病勢が進むのが早かった。肺だけでなく脳や骨にも転移していたので、手の施しようもなかった。体重はみるみる減っていき、亡くなったときは骨と皮という誓えがそのまま当てはまるような身体になっていた。 まだ三十七歳だった。 明生はこんなに素晴らしい人がどうしてこんなに早く死なねばならないのか、どこまで考えても理由が見つけられなかった。 彼女の死によって自分の人生の大半が失われたと思った。それは悲しみが生む一時的な感傷などとはまったく違って、我が身の奥深い部分で掴み取ったいわば真実の感覚とでも呼ぶべきものだった。 葬儀の席でめずらしい人と出会った。箕輪さんという女性で、東海さんの短大時代の後輩の一人だった。明生は箕輪さんとは初対面だった。 彼女は調香師で、東海さんが使っていたあの特別な香水をブレンドしてくれた人だった。明生は箕輪さんに特別の感謝を捧げた。 箕輪さんが倫子のために作ってくれた香水のおかげで僕たちは一緒になったようなものなんです。 だが、この言葉に当の箕輪さんは不思議そうな顔を作り、私、先輩のために香水を作ったことはありませんよ、と意外なことを言ったのだ。 先輩はアレルギーがあって香水は使えなかったんです。私も何度か先輩の肌にあうものをと思って調香してみたんですけど、全部駄目でした。 だけど、倫子はよく箕輪さんの香水の話をしていましたよ。最初の結婚をする前に特別に作ってもらった香水をいまも愛用しているんだと。明生は戸惑いを隠せなかった。 宇津木さんは、その香水を見たことがありますか。どんな銘柄だったか覚えていらっしゃいますか。 そう訊ねられてみて、そういえば倫子は一度も、香水そのものを自分に見せてくれたことはなかったと明生は気づいた。すみません、僕の勘違いだったようです、と明夫は詫びを言って話を切り上げた。 骨箱を抱えて横浜の家に戻ったのは、その日の夜だった。明生は部屋に上がるとすぐ、家中の匂いを喚いで回った。亡くなる十日ほど前、東海さんは三日間の一時帰宅をした。もう体力がほとんど残っていない状態だったので、寝室のベッドに横になっているだけだったが、それでも彼女は久方ぶりの我が家に嬉しそうにしていた。 痛みや麻痺、手足のむくみも出ていたのでずっと添い寝してやるわけにもいかなかったが、求められたときは一緒にベッドに入った。あのいい香りはいつもと変わらず彼女の身体から匂い立っていた。思い出してみればあれほど過酷な状況で、彼女が一体いつ香水などつけていたというのだろう。余りに日常になりすぎて、そんな簡単な疑問にも気づくことができなかった。 やがてこの部屋にしみついた彼女の匂いも少しずつ薄れ、いずれは完全に消えてしまうに違いない。 自分はもう二度とあの匂いを喚ぐことはできないのだ……。 そう思うと、明生は「東海さん」の不在が耐え難いものに感じられた。 彼女は、この家で過ごした最後の夜、明生くんの赤ちゃんを産めなかったことだけが心残りかな。ごめんね明生くん、と言って彼の胸でさめざめと泣いたのだった。 明生はベッドのへりに骨箱を抱いたまま座り込んだ。 決して泣くまいと心に決めていたのだが、余りにも深いかなしみに涙があとからあとから溢れてくるのを止めようがなかった。
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