作品について
1973年6月号の『文藝』に掲載された作品。1973年度上半期芥川賞の候補作となる。受賞には至らなかったが、選考員の大岡昇平、吉行淳之介、永井龍男らから好意的な選評をもらい、中上健次は一躍注目を浴びる。そして、その3年後の1976年に『岬』で芥川賞を受賞しブレイクする。 松本健一があとがきを書いているが、この作品が出た2年後の1975年に反日アジア武装戦線による連続企業爆破が起こっている。松本は、その事件は『十九歳の地図』の主人公たちが起こしたものだな、と思ったと語っている。とりわけ地方から都会で出て根こそぎにされてしまった若者たちによるものに違いないと。連続企業爆破の実行犯たち8人中7人が地方出身者だったからだ。 しかし、現代社会への不条理さに我慢ならないという心情は共有しているのかもしれないが、悪戯電話をするのと実際に爆弾をを仕掛けるのではまさに千里の径庭がある。組織をもって爆弾を仕掛けるには、なんらかの共同幻想が必要だ。それが思想であれ、宗教であれ、大量殺人によって贖われるなんらかの至上なものがあると信じなければ組織をもって爆弾を仕掛けることなどできないのだ。 この小説で描かれているのは、あくまで個人的であり、彼の行為によって贖われるのは彼の不満や怒りであり、こうした不満や怒りによる自暴自棄的行為はあくまで個人的な行為にとどまる。それを組織的事件とアナライズするのは適当ではないと考える。
とはいえ、中上健次は作家としての本能的嗅覚によって虚栄をきわめる都会の下に蠢いて呻吟している数多の若者たちの鬱屈した不満や怒りがやがてなんらかの回路を通して爆弾テロへと至るのではないかという予感めいたものを嗅ぎ分けていたのではないかとも考えられる。
中上は、この作品から二年後にこう書いている。「アングリー、ハングリーの者が引き起こした爆破をみて小説家の想像と、実際の現事実には千里のへだたりがある、と思う。架空と現実である。(中略)小林秀雄がやってしまったことを書くのが小説だ、と言ったが、それを僕なりに解きほぐしてみれば、架空のもの、想像されたものから、現事実までの千里の距離を書くのが、小説であるといえる」(「アングリー、ハングリー」1975年8月『文芸』に発表。筑摩書房版『中上健次全集』14所収)
また、作中の「かさぶただらけのマリアさま」のモデルは、作家の小林美代子氏だと1973年8月発行の日本読書新聞紙上で明かしている。
「ぼくの『十九歳の地図』のかさぶただらけのマリアさまは、小林美代子さんをモデルに借りた。それで、けんかして、音信が途絶えた。それまで朝から晩まで、もしもしと彼女独特の蚊の鳴くような声で電話がかかり、彼女の一方的にしゃべりまくる小説の構想をきかされ、”関係”にふんがいしはじめるのをたまりかね、”いいですか、単眼じゃなく複眼で書くんですよ”と激励とも注文ともつかぬことをしゃべったのをおもいだす」(「作家の背後にある関係」方位73 筑摩書房版『中上健次全集』14所収)
なお、小林美代子氏は中上とともに「文藝首都」の同人で、1971年に自身の精神病院入院体験をもとに書いた『髪の花』で群像新人文学賞を受賞している。しかし、その後めまいや幻聴が再発し、1973年8月18日に自宅で睡眠薬自殺を遂げ、死体が腐乱状態で9月1日に発見されている。
また、この作品では、中上はまだ「路地」をテーマには取り上げていないが、実は作品のなかに、それとなくいわゆる被差別部落民への差別語とされる表現が書き込まれている。作中にこんな箇所がある。 主人公吉岡が、早朝の新聞配達で、ポリバケツをあさる犬と出くわすのであるが、吉岡が近づくと犬が唸り声をあげてきたので、「ぼくは走るのやめ、四つんばいになり、ぐわあと喉の奥でしぼりあげた威嚇の声をあげた」が、犬はそれでも唸り続けた。吉岡は、立ち上がり「人間の姿に戻り、それでもまだ犬のように四つんばいになって犬の精神と対峙していたい気がしていた。犬の精神、それはまともに相手にしてもよい充分な資格をもっている気がした。この街を犬の精神がかけめぐる」 「四つ足」「四つ」は被差別部落民に対する差別用語である。さりげない形ではあるが。むしろ却って書かずにはいられない作者の想いが伝わってくる。
他にも、吉岡が、不意に赤電話の受話器をつかんで、ダイヤルを回し、相手の名前も確かめないで、「ばかやろう!」とどなり「てめえ、まともにおてんとうさまおがめると思っているのか、皮剥いで足に針金つけててめえの販売店の軒からぶらさげてやっからな」と叫ぶ場面がある。「皮剥いで足に針金つけて」という表現が、屠殺を生業としてきた被差別部落民を思い起こさせることも、作者は意図的であるだろう。
まだ、おのれの出自を公にしてはいないが、もはやそれを押し止めることはできない段階にまで来ているというそうした作者の想いが伝わってくる。『岬』までは、そう遠くないところに作者はいる。
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