あらすじ
康二は、東京に出て大学を目指し勉強していたが、結局大学には入らず、フーテンのような生活をしていた。しかし、姉たちには大学で勉強していると言っていた。 康二は自称テレビタレントのフーテン女と遊び回る金を使い果たしてしまって、この義姉のところに金の無心にやってきたのだ。義姉は弟を喜んで迎え、ひとしきり昔話をする。小説の大半は義姉の回想である。 文子にとってなんといっても若死にした兄やんのことが心から離れない。兄やん、と文子が呼んでいる長兄は24歳で自殺した。康二はその長兄の腹違いの弟で、その長兄とは12歳離れていた。その間に3人の腹違いの姉がいた。一番上の姉は名古屋に、そして真ん中の姉は熊野、そして一番下の姉がこの大阪の文子である。そして兄やんはむしろ今では文子の神様となり、仏様ともなっている。文子は辛い時や死にたい時には兄やんに祈るのだという。 文子は今30歳となっている。大阪へ奉公に来て、そこで朝鮮人のヤクザものの男と世帯を持ち、今では小三の息子と小一の娘の母でもある。しかし、文子は夫とは正式に結婚しておらず、子供たちも養子としている。日本で生きる子供たちの将来を考えてのことらしい。夫は賭博師をしている。 康二は黙って文子の話を聞いている。文子は康二の父親が賭博で上げられ、刑務所から出て戻って来た時に、母親が家に戻ることを拒否した。お前の父さんが母さんに捨てられたんだという。それから女手ひとつで5人の子供を育てた。食うや食わずの貧乏生活だったが、一番下の康二だけはいつも小さいからと母親からも甘やかされて育った。だけど自分たちや兄やんがどれだけ苦労したか、お前には分からんだろう、と言われる。そして亡くなった兄やんの思い出は美化されていく。ハンサムで女に持てた兄やん。 文子の話は母親がある日、一番下の康二だけつれて家を出て、新しい夫となる子連れの男と暮らし始めた時のことに移っていく。康二は小学校二年生だった。文子は中学を卒業してまもなくだった。あの時自分たちは母さんに犬みたいに捨てられたんだ、と文子は言った。それがわしらの兄弟の不幸の始まりだった。そうして兄やんは自殺した。熊野に留まった文子のすぐ上の姉シイちゃんはそれからよく気が触れ、精神病院に入院した。その一方で康二は高校まで通わせてもらい、大学受験浪人生活を義父の仕送りで行っている。 文子は幸せもんなやなお前は、と言った。しかし康二は、心のなかではいつかは自分が経済力をもつようになったら、自分を養育するのにかかった金をそっくりそのまま束にして、お前らの横面をはりとばして、これからは親でも子でもないとタンカを切ってやる、と考えていた。義兄が死んだ時も疫病神がいなくなったとほっとしたのだ。
生きるってことは薄情なものやな、と文子は言う。康二は大学へ行っているのか、と聞かれ、頷く。お前だけは人に後指差されることない立派な人間になってほしい、と言われ、康二が土方や大工になって生きるのが一番いいと思ってると言うと、文子はあきれて、そんなこと言ったらどれだけ父さんや母さんが落胆するか、と言った。 文子の話は、それから朝鮮人の夫の話になる。博打で大勝負をやるらしい。夫の韓国の実家を訪ねた時の話、韓国人はみんな優しかったと文子はいう。康二は義兄さんはヤクザの幹部待遇だからだろう、と言うと、いや韓国の人はみんな優しかったよ、といい、康二に韓国の義母からもらったというチマチョゴリを見せた。 康二は、故郷の父や母に大阪に来たことも、金を借りに来たことも内緒だと約束させて姉から10万円をくすねるようにせびりとり、フーテン女の待つ梅田に向かった。文子はどうせ女が待ってんだろうといいながら嬉々として金を用意してくれたのだ。康二は、その金で女とスパゲッティとカレーライスを食べ、それからマリファナかハイミナールでも仕入れて東京に戻ろうと思った。
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