作品について
この作品の初出は「小説新潮」で、二〇一七年九月号から二〇一九年三月号まで連載され、二〇二〇年一月二〇日に新潮社より単行本で刊行された。 作者白石一文の自伝的小説であり、主人公は野々村保古(ののむらほこ)は白石一文にほぼ近い。単行本の刊行からほどなくして、ある雑誌で白石一文にインタビューを行ったライターは次のように述べている。 「『君がいないと小説は書けない』は自伝的小説とあるだけに、描かれた内容はほとんどが事実。仮名ではあっても文藝春秋在籍時代の話は赤裸々で、発刊の際には文藝春秋の関係者の間にちょっとした緊張も走ったのではと推察される。」(河崎環 「直木賞作家が振り返る『文春、出世、心の病、女』」東洋経済オンライン 2020年3月) また、在職当時の作者についても、「編集者として、とにかくどんな文章を書いても速いしダントツにうまい。天才だった、と伝え聞いています」と文春の若手社員たちが語っていたと述べている。まさに小説に書かれているように、作者自身社内の誰もが認める優れた編集者であり、退社してからも後輩たちに「天才的編集者」としてその名を知られた伝説的な存在だったようだ。 白石一文は、日本の海洋時代小説の第一人者と呼ばれた直木賞作家・白石一郎を父に持つサラブレッドで、早稲田大学政治経済学部卒業後、文藝春秋へ入社。以来約二十年、『週刊文春』や『諸君!』『文藝春秋』などの編集現場を担当し、誰もが知るような政財界や文壇の大物たちに愛され、周囲から名編集者との評価をほしいままにしてきたのであった。 しかし、妻子を置いて家を出、一人暮らしを始めてほどなく突然三十代の終わりにパニック障害を発症する。夫婦関係の軋轢や激務が重なったことが原因だとみられる。その後職場復帰したが、仕事の傍ら小説を書き続け、四十歳で作家デビューを果たしたのち、退職して作家生活に入る。双子の弟白石文郎も作家である。一九五八年八月生まれで、二〇二一年九月現在六十三歳。 この作品の中でも描かれているように妻子と別居したあとほどなくして十五歳下の女性と出会い、すでに二十年以上も一緒に暮らしている。最初の妻は、離婚に頑として応じず、いまだに事実上の妻とは内縁関係にある。一人息子とも別れたきり一度も会っていない。 先のライターは次のように述べている。「妻との関係に悩む苦しさのあまり『お前なんて生まれて来なければよかったんだ』と息子へ取り返しのつかない言葉を投げつけてしまった罪悪感に苛まれ、夢に見る時期が続いた。自分の人生は『大失敗だ』」(同前掲)と白石一文は述べた、と言う。これも作品の中で書かれている通りである。 全体として、エッセイ風の力の抜けた文体で作者の円熟ぶりを感じさせる作品であるが、最後の終わり方がやや唐突で、なんとなくあっけない印象を免れない。 先のライターのインタビュー記事を読んで、その理由がわかった。その部分を引用させていだたく。 驚いたことに、白石は「この小説はもともとは奥さんがいなくなる小説になるはずだったんです」と話した。実際の結末では妻はいなくならないどころか、少々性急な印象さえ受けるほど漠然とまとめられている。「はじめは、僕自身が女房にすごく依存しているので、この小説はちょっとうちの女房がいなくなったらどうしようというのを思考実験として書こうとしたんですよね。想像したら、基本ほんとにお手上げ。最初の1週間、10日、1カ月がもたない。もう下手すると死んじゃうんじゃないかと思うぐらい。」 確かに相当な依存ぶりだ。「ところが書いているうちに、たまたま偶然、女房の体に膵嚢胞が見つかったんですよ。要注意で今も経過観察なんですけど。僕は例によってすごく心配して、いろいろ調べ回って、親しい医師にも連れて行って画像を見てもらったりしたら、医師が『これは良性で心配ないけれど、念のために腫瘍マーカーを取ろう』と言ったんです。その瞬間から僕、精神的におかしくなっちゃって。」 結果が出るまでの数日間、食物が喉を通らなくなり、やっとの思いで出かけた先でオムライスを食べたら「もう、砂」。 もしかして、妻がいなくなるなんて小説を書いているからこんな精神状態になるのではないか、このまま続けたら本当に妻の嚢胞ががん化してしまいはしないか、と考えた白石は、「撤退だ」とばかりに尻すぼみでまとめ上げた原稿を編集者に渡し、「小説のために女房を失うわけにいかない」と告げた。 担当編集者からは「改稿のご提案をいくつかさせていただいたんですけど、お話を聞いて、あまりのことにびっくりしてしまって。本当にそんなことになってしまったら大変だと。結果的に小説よりも白石さんの人生を優先すべきだ、と考えました」と言われたと苦笑する。(同前掲) そんな経緯からこの作品のタイトルも「君がいないと小説は書けない」となったのである。 なお、この作品では、主人公は「僕」という一人称で書かれているが、「あらすじ」をまとめるにあたり「野々村」という三人称に書き換えた。あくまでも、「あらすじ」であることをわきまえてのことである。
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