戻 る



                           


白石一文『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』(講談社)
作品についてあらすじ  

作品について
 本作品は、書き下ろし長編小説として二〇〇九年一月二十六日に講談社より単行本として刊行された。
 この作品で二〇〇九年五月に山本周五郎賞を受賞している。さらに同年十一月に刊行された『ほかならぬ人へ』において作者は第百四十二回直木賞受賞を果たしている。
 この作品では、作品が刊行された同時代の日本の経済、政治、社会状況について、主人公の視点から数多くの言及がなされている。
 政治状況からいうと、この時期は、約五年半に及ぶ小泉純一郎政権が終わり、その後第一次安倍晋三内閣(2006年9月〜2007年9月)、福田康夫内閣(2007年9月〜2008年9月)、麻生太郎内閣(2008年9月〜2009年9月)と続いた時期で、この作品が出版されたのは麻生内閣誕生の四か月後である。そのおよそ半年後に麻生内閣は衆議院を解散し、二〇〇九年九月の総選挙で自公政権は敗北、民主党政権が誕生している。
 作品が書かれた時期は民主党政権誕生の前だが、すでに当時の自公政権に対する国民の批判的雰囲気は相当強まっていたことをあらためて感じさせる。作品の中でも、当時の民主党代表岡田克也の著書『政権交代』(2008年6月18日講談社刊)からの引用がなされ、それに対して肯定的なコメントが記されているので、民主党への期待感も相当強かったことを伺わせる。
 すでに民主党政権に対する国民の熱狂が冷め、その後に大きな幻滅を味わってしまった現在からみれば、この部分はもはや隔世の感がある。
 他方で経済面では、小泉政権が推進した郵政民営化に象徴される規制緩和策を積極的に行い、市場競争原理を活性化させ、グローバル化により経済成長を図ろうとするいわゆる新自由主義経済政策が取られた時期である。その結果として、経済格差の拡大、とりわけ正規労働者と非正規労働者の格差拡大、さらには貧困層の増大に伴うホームレスやネットカフェ難民、マック難民などの社会問題が発生した。
 こうした当時の状況を踏まえて、作者はジャーナリスティックな視点から意欲的に政治、経済、社会問題について発言し、またミルトン・フリードマンやポール・クルーグマンなどの経済学者や政治家、宇宙飛行士、マザー・テレサ、芸能人など多くの著作・発言からの引用を行い、それへの自分なりの考えについて主人公の口を借りて述べている。
 すでに作品が刊行されてから干支も一回りしたが、今の時代も経済、社会状況は当時とほとんど変わっていないともいえそうだ。経済格差、貧困問題、虐待、DVなどますます状況は厳しくなっているともいえる。
 作品の中に占める引用文もかなりの分量を占め、小説というよりもエッセイ風の読み物の体裁をとっているようにも見える。これも、作者の新しい試みでもあるのだろう。主人公が、週刊誌の編集長という設定であるなら、こうした幅広いジャンルに興味・関心を示すのは不自然ではないともいえよう。
 また、作品の中では、いわゆる企業舎弟とみられるモデルプロダクションの営業部次長が登場する。主人公も彼を通じて「枕営業」の接待を受けるが、この営業部次長が裏社会の大物を通じて時の政権幹部にまで繋がっているのである。どろどろとした権力構造のまさに内側を覗き見るようなスリルがある。
 また、主人公が胃がんのステージVで、抗がん剤治療を受けていて、常に「死」と背中合わせのような状況に置かれている。そのため、彼自身がすでに「死」に対してどこか達観した境地に達しているところがあり、それゆえか昨品の中での登場人物たちが演ずる「悲喜劇」がより一層その悲劇性と喜劇性を浮彫りにさせてくれている。
 本作は白石昨品の中でも出色の出来栄えであろう。
 なお、本作は上下二巻で刊行されている。それぞれに、小見出し(上巻には38個、下巻には29個)が付けられている。以下にそれを挙げておこう。どんな話題が取り上げられているのかある程度想像できるだろう。

<上巻>
脂肪の塊/N/マスターベーション/排出権取引/僕の年収/テレサ/ユキヒコ/まぼろしの声/コッテコテの物語/マキノ官房長官/難民/ダルキース演説/四分の一/名器の家系/ミルトン/個人の自由/バイトの娘/ひとりの暴君の手/結婚はギャンブル?/ライダーじゃダメ/隔壁/神戸のバラバラ事件/格闘記/モ二カ/メンフィス演説/電池が切れた日/時空の歪み?/引き算の人生/マユカの相談/圧力/私はあなたを仏弟子にしない/無駄と恐怖に支配された世界/そう、たった一人/貸し借り/藤崎農園/私の奴隷/バレバレ/記事の抜粋/
<下巻>
不安/ミッチェル/EVA/もの思う巨人/障害者白書/繁殖生物/ショウダは煙草を吸わなかった/詩集/ジュンナの智恵/小さないのち/手紙/痴漢の?末/白いワンピース/「必然? 何それ」/プランピー・ナッツ/異変/役員人事/クルーグマン/クレバス/新村光治/さよならUSA/偽善者/素直な反射/千枚通し/本当のかあちゃん/サルと人間/この胸に突き刺さる矢/真相/丘の頂にて/


戻る          あらすじへ