あらすじ T
主人公はカワバタ・タケヒコ(川端健彦)。四十三歳、大手出版社の週刊誌の編集長を務める。一年九カ月前に胃がんの手術を行い、現在も、抗がん剤治療を続けている。 家族は、妻ミオと娘ナオの三人暮らし。ナオの下に弟のユキヒコが生まれたが生後三カ月で亡くなっている。 妻のミオは、東大で経済学部の准教授を務める。国際経済学を専門とし、主にラテンアメリカ経済を研究テーマとしている。ミオとタケヒコとはすでに八年間もセックスレスではあるが、夫婦関係は必ずしも悪くはなかった。ミオは、研究一筋の人間で、料理もほとんどしないが、タケヒコはミオを人間としては信頼していた。 タケヒコは社の上司であるイシガキ編集局長の妻のジュンナという女性と三年前から月に一、二度程度、ホテルで会い、体の関係を持つようになった。ジュンナはタケヒコと同じ会社にいた女性で、二十代の半ばに二人は一年ほど付き合っていたことがあった。その後、タケヒコと別れたあと、彼女はまもなく映画配給会社の社員と結婚した。しかし、結婚三年目に肺結核に罹り、それがきっかけともなり離婚した。そのあとで、一回り近く年上で同じ離婚経験者であるイシガキが社内で評判の美人だった彼女を口説いて二度目の妻として迎えたのだった。 イシガキが子供を望まないというので、二人の間には子供はいなかった。またタケヒコが妻とも長年セックスレスであったこともあり、三年前ちょっとしたきっかけから二人は時々ホテルで会って体を重ねるようになった。
政権党の実力者Nの金銭スキャンダルのスクープが掲載された今週号が発売されるその前日の水曜日、タケヒコは、二人の女を抱いた。リコとジュンナだ。タケヒコにとって、それはあたかも神前に捧げる生贅のようなものでもあった。 スクープ記事の内容はNの政治生命に甚大な打撃を与え得るもので、それが公になればNは現在の党三役のポストから外れ、今夏予定される総選挙後の総裁レースヘの参加も見送らざるを得なくなるに違いない。Nは祖父が衆議院議長、祖父の弟が首相、実父が副総理を務めた政治一家のエリートで、四十八歳という若さと甘いマスクで人気の政治家でもあり、その点からしてもこれは相当な破壊力を秘めたスクープであることは間違いなかった。 手間も時間も、そして金もかかった記事であり、編集部にとっても社にとってもここ数週間の部数低迷を打開する切り札ともなるべきものでもあった。ここから先はタケヒコにとってはNとの運と運との戦いである。スクープが手に入るかどうかも、形になるかどうかも、社会にインパクトを与えて雑誌が売れるかどうかも、結局は運次第なのだ。相手の運気が強ければ、スキャンダル記事はなかなか実を結ばない。著名人や権力者たちはもともと強運の持ち主であり、彼らを追い落とすのはジャーナリズムの力をもってしても容易ではないのだ。 発売日の前日の午後三時半、タケヒコは東京ドームを眼下に望める高層マンションのDルームと呼ばれる三十二階の一室でフジサキ・リコという二十四歳のモデルの女を抱いた。そのDルームというのは、モデルプロダクションである「ローズプロダクション」が所属するモデルやグラビアアイドルたちに枕営業をさせるための部屋で、「ローズプロダクション」営業部次長のショウダ・オサムが、その手配をしていた。 約束の時間にフジサキ・リコが来るまでに少し時間があったので、ソファに横になりながら小説を読んでいたタケヒコは、しばらくして立ち上がり窓ぎわに寄った。窓から外の景色を眺めていると雪が降っているのが見えた。今年はじめての雪だった。 やがて駆け出しのモデルのフジサキ・リコがDルームにやって来た。来るなり、さっき始まっちゃったんで、口じゃだめですか、と聞いてきた。手には買ってきたばかりの生理用品をぶら下げている。タケヒコは、彼女には答えず、別室に行ってショウダ・オサムに電話し、約束が違う、こんなことなら明後日の撮影は中止にするしかないな、と文句を言うと、ショウダ・オサムは、分かりました、じゃあ二分後に電話します、と言って電話を切り、二分後に折返し電話が来た。やるのは構わないんですが、やっぱりゴムを使ってくれませんか、とショウダ・オサムは言った。タケヒコは、仕方がないね、と言って電話を切った。 リビングに戻って、何も飲まなくて大丈夫、と訊ねると、相変わらずの無表情でリコはソファに腰掛けたまま頷いた。タケヒコは半年前にやはりこの部屋で交わったエチゼン・マナのことを思い出した。マナも目の前のリコ同様、終始黙りこくっていた。その分、タケヒコはマナの見事な身体に集中できたのだった。マナは今年から深夜のバラエティ番組にレギュラー出演している。それはタケヒコが押し込んだ仕事だった。あるキー局の制作畑の実力者にタケヒコは強力なコネを持っていた。ありていに言えば、仕事柄、彼の決定的な弱みを握っているのだ。それも一つや二つではなしに。 金、女、家族関係、交友関係、病気、前歴。誰にでも白日の下に晒されたくない秘密はある。出世の階段を上れば上るほどにそうした秘密の数は増え、その内容もより高度で深刻なものになっていく。権力闘争とは、戦う者同士の秘密の暴き合いである。人間は強い部分で勝つのではなく、弱い部分で負ける。十人の味方を作るより一人の敵を作るなと言った田中角栄は正しい。そして、いかに多くの権力者に対してその「一人の敵」になりおおせるかで、ジャーナリズムの世界での実力は定まっていく。ある者にとっての「一人の敵」は、対立する別の者にとっては価値ある味方になり得るからだ。 受けた恩義は最低でも倍にして返すようにタケヒコは心がけてきた。ショウダもその点については十二分に心得ているはずだ。だからこうして二人目を推薦してきたのだ。 結局、タケヒコはフジサキ・リコの生理中のヴァギナにむき出しのペニスを突き刺した。終わったあとで、フジサキ・リコが、きっとショウダさん、怒りますよ、と言ったが、タケヒコは、ショウダには内緒にしておいてくれないか、三ヶ月以内に表紙の仕事を回すから、と言うと、ほんとですかと顔をほころばせた。今のフジサキ・リコにとっては、明後日の巻頭グラビアの撮影でさえ破格の扱いと言っていいのに、表紙を飾るとなればそれは望外のことであったろう。 タケヒコのペニスはリコの経血で少し黒ずんでいたが、しばらくペニスが乾くのを待って下着を身につけた。今夜、会うことになっているジュンナの身体に突き刺してやろうとタケヒコは考えていた。 フジサキ・リコの生理中のヴァギナにペニスをなんとしても突き刺したい、そしてその血に濡れたペニスをジュンナにも突き刺したいとタケヒコが思ったのは、三十二階の窓の外に思いもよらぬ雪を見て、ひょっとしたら天が向こうに味方したのではないかと疑ったからだった。綿密な取材結果をもとに校了寸前までN本人とやり取りを重ね、編集部側が一方的に押しまくった。動かぬ証拠を前にNは防戦もままならぬ有様だったのだ。その形勢に水を掛けられたような嫌な感じがあった。 何事か流れを引き戻す儀式が必要だと直感した。神前に捧げる生贅を用意せねばならないと思った。そうした直感をさら助長したのは、直前に読んでいたモーパッサンの『脂肪の塊』だ。プロシア軍に占領されたルーアンの町を抜け出したブルジョアの面々が、お人好しの娼婦を敵の士官に献上することで危うく難を逃れるという、あの有名な物語。タケヒコにとっての『脂肪の塊』が今日のリコであり、今夜のジュンナであってほしいと思った。リコの血で悪を払いたかったのだ。雪がこのままおさまり、もしも明日晴れたならば、タケヒコはフジサキ・リコに大いに肩入れしてやろう、と思っていた。
翌日の週刊誌発売日の木曜日は、あたり一面の雪となった。二月初旬の東京は四十年ぶりの大雪にみまわれたのだった。週刊誌は発売日当日に、次号の編集会議がスタートする。十一時からのプラン会議、十二時半からのデスク会議で特集記事の中身を決める。普段ならば、会議が終われば、特集班の連中はすぐにでも取材を始めるのだが、この雪では交通機関もマヒ状態でどうにもならない。タケヒコはいつもより早めに会議を切り上げた。 それからほどなく営業担当から、キヨスクとコンビニの売上の数字が届いた。異例の売れ行き、だとの報告だ。この大雪の日にも関わらず、これだけの数字ならば相当な売上部数に達するのはまちがいないだろう。さきほど雑誌営業部長のカンザキもやってきて、来週も期待してるから、と言い残して帰っていった。 カンザキとは、新聞広告の件で、二日前に大激論をしたばかりだった。車内の中吊り広告に準じて新聞広告でもスクープに半分のスペースを割いておいたところ、刷り出しをひっつかんで編集部に駆け込んできて、いくらなんでもこれはやり過ぎじゃないのか、これじゃ左半分が台無しだろが、と吼えたのだ。 左半分のトップは、ある芸能人カップルの破局を報じたものだった。校了日前日持ち込まれたネタだったが、情報源は確かな筋だった。結婚確実と伝えられていた二人なので、破局となればワイドショーの恰好の話題となるのは明らかだった。通常号より五万部も部数を上乗せしていただけにカンザキが神経質になってるのはタケヒコもよく分かっていた。 しかし、タケヒコが我慢ならなかったのは、世の中の大半はNの資金の話なんかより、こっちの方がよっぽど関心があるんだよ、とカンザキがそうやって同じ理屈ばかりを繰り返したからだった。タケヒコは、カンザキにはっきり言ってやった。政権党で幹事長に次ぐ地位の幹部が収賄罪で立件可能な金銭のやり取りをした。この記事が出れば特捜だって動かざるを得ない。それだけのクォリティーのある記事なんです。いいですかカンザキさん、世間が唯一反応するのは情報の概略ではなくて情報の質に対してなんだ。政治ネタは票にならないなんて、まともな取材もできない連中の泣き言、言い訳のたぐいなんですよ。これだけの記事は全国紙だってやれない。だからここまで大きくしてるんだ。 カンザキには政治資金規正法違反と受託収賄罪の持つ犯罪としての重みの決定的な差異が理解できないのである。十五分近く押し問答の末、僕がこの広告に最後まで反対だったことは覚えておいてくれよ、と捨て台詞を吐いて彼は去って行ったのだった。 タケヒコは、午後四時を回って閑散とした社内の五階の窓から一面雪に覆われたがらんとした駐車場をながめていた。そして、その真っ白なスクリーンの上に、昨日交わったリコとジュンナの姿態を交互に思い浮かべてみた。フェラチオされているときに見下ろした深い谷間を刻むリコの真っ白な乳房、風呂場で後ろから挿入したときペニスの動きに応じて前後に揺れたツルツルの白い尻。サランラップで手足をぐるぐる巻きにされたジュンナをリコの経血まみれのペニスで犯している最中、万歳の恰好で縛られた両手首だとか、踵と尻がくっつくほどに折り畳まれた足だとか、そういうラップの厚みのある部分に汗が溜まり、ホテルのライトに照らされ白く輝いていた有様。その一々を思い出すたびに下腹部に鈍痛に似た昂ぶりがよみがえってきた。 タケヒコは、さきほど、帰り支度をしていたグラビアデスクのカメヤマを呼んで、三月末の号までにフジサキ・リコを表紙に起用するよう指示しておいた。カメヤマは多少訝しげではあったが、明日の撮影のときに本人とマネージャーに依頼すると言っていた。テレビの仕事については次の改編期までに何か枠を見つけてショウダに斡旋してやるつもりだ。フジサキ・リコと顔を合わせることはもう二度とあるまい。これからは彼女が様々なメディアに登場するたびに、あの白い柔らかな肢体を思い出して自分で慰めればいいのだ。 タケヒコは、通常のセックスはもっぱらジュンナ相手に行っていた。女性相手に正式なセックスをするのは、そのジュンナとのセックスに限られているのだった。昨日のように昼間はフジサキ・リコと交わり、夜はジュンナと交わるなどということは例外中の例外と言っていい。セックスは多くて月に二回、あとはすべてマスターベーションで済ませていた。胃ガン患者といっても、別に病気のせいで性欲が鈍ったりはしない。四十を三つ過ぎた現在でも、ほぼ毎日マスターベーションを行っている。タケヒコにとってのセックスとはマスターベーションのことである。それが毎日の家での食事のようなもので、女性とのセックスはめったにない外食のようなものだった。 気がつくと時間は五時を回っていた。いつの間にか駐車場の明かりが灯されていた。床に置いたカバンを持ち上げ薬袋を取り出した。薬袋からタブレットシートを出して錠剤を二錠抜いた。抗不安薬のデパス〇・五ミリ×2。抗がん剤のティーエスワンの休薬期間中はどういうわけか精神不安が増大してしまう。デパスを使い始めたのは三カ月前からだった。二週間に一度ティーエスワンによる副作用を調べるために築地のがんセンターで血液検査を受けているが、今のところ特に問題はなさそうだ。 立ち上がって作業台のそばにある冷蔵庫まで行き、ミネラルウォーターを取って、二粒をボトルの水で飲み下した。作業台の周囲に並べられた椅子の一つに腰を下ろし、つけっぱなしのテレビを観るともなく眺めた。テレビは巨大なラックの中に八台が上下四台ずつおさまっている。在京キー局、NHK、BSl、それにCNN。NHKはずっと大雪情報をやっていた。他の局は画面を分割し、小さい方で気象情報を流していた。CNNはもちろん別のニュースだ。下段の真ん中の一台に目を据えると、右隅の小窓画面に降りしきる雪にぼやけた皇居外苑の風景が映し出され、大画面の方では久本雅美がいつもの大口を開けて何事か早口で喋っている。 すべてがくだらない、と何となく思った。この世界のすべてが、たしかに猛烈にくだらない。 目をつぶって光も音も遮断した。編集長になってあと一カ月半で丸五年になる。もう何一つ情報は要らなかった。ここ一年は、歌謡曲でさえ真剣には聴けなくなっている。特集班の記者はデスク以下総勢三十人だった。今日の会議では、その三十人が一人最低五本ずつのノルマでプランを出してくる。合計百五十本。さらに今週五日間で新しいネタが少なくとも五十本程度は入ってくるだろう。一週間まとめて約二百本。年間で五十冊を刊行しているから一年間の総計は一万本。月にして八百三十三本。一日あたりでも約二十八本。政治、経済から事件、芸能、スポーツに至るまで、底深い真実から皮相な事実、デマ、中傷のたぐいまで、ありとあらゆる新情報がこの耳に入ってくる。もうどんな情報も欲しくない。特に日本語の情報は心底うんざりなのだ。 タケヒコは人形のようにただ座っていた。何も見たくないし聞きたくもない。特にこんな静かな雪の日には。
ダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした途端、向かい側に座っていた妻のミオが、今週号、売れてるんじゃない?と言った。タケヒコは無言で小さくガッツポーズを作ってみせる。タケノウチ先生もさっそく電話してきてくれたわ。とってもいい記事だったって、とも言った。 今回のNに関するスクープのネタを持ち込んできてくれたのはミオだった。国際経済学を専門とする彼女はラテン・アメリカ経済を主たる研究テーマとしているが、半年ほど前に、同じ研究室の先輩で、現在M大で途上国経済論を教えているタケノウチ・リョウヘイ教授からインドでのメタン回収事業にNが深く関与していたことを裏付けるデータの提供を受けたのだ。教授はネル一大学留学時代に懇意になったインド政府関係者からこの資料を偶然に入手したのだった。 Nのような将来を嘱望されている若手政治家まで相変わらずODAで甘い汁を吸っているのかと思うと心底この国の政治が嫌になるよ。旦那さんにこのデータを渡して是非公表に踏み切って欲しい、とタケノウチ教授はミオにそう告げたという。 タケヒコはさっそくタケノウチ本人と会った。彼の話し振りや様子から政治的背景の有無を探ったが、そのようなものは感じられなかった。彼から幾つかのアドバイスを貰い、極秘に特別チームを編成して取材を開始した。むろんインドヘも記者を出したし、中国の工場建設プロジェクトにまつわる新たな疑惑が浮上してからは数度にわたって中国へも取材陣を派遣した。 二〇〇五年二月の京都議定書の発効により日本には一九九〇年比で温室効果ガスの平均排出量を六パーセント削減するという目標が課せられた。第一約束期間と呼ばれる最初の目標達成期限は二〇〇八年から二〇一二年までの五年間である。この過酷な目標数値はとても日本単独で達成できるものではない。そこで目標達成のためにどうしても活用せざるを得ないのが「排出権取引」という新たな仕組みなのである。これは簡単に言うと、議定書で削減目標を課せられた国ないしはそれ以外の国々の温室効果ガス削減に資金・技術面で協力することによって、その事業で排出カットできた分を日本の目標数値に加算していいという制度のことだった。 Nはこの排出権取引のスキームに政治的影響力を行使することで、排出権取得に乗り出した国内メーカーや商社などから多額の政治献金を受け取っていたのだった。中でもNの職務権限が明確に裏付けられる取引が二件あった。一つはNが経産大臣だったときに日本政府が承認した中国における化学薬品製造プラントヘの亜酸化窒素熱分解工場建設事業。もう一つはNが内閣官房長官時代に政府開発援助を利用してインドで実施することを決めた埋め立て処分場でのメタン回収事業である。どちらの案件でも、政府承認と事業者選定の過程でNが献金企業を強力に推薦していたことが取材で明らかになっていた。もちろんNはそうやって受領した政治献金を収支報告書に記載していなかった。 今週号で報じたのは、この中国案件に関するものだった。ODAが絡むインドの案件についてはいまだ温存している。贈収賄として立件しやすいのはむしろインド案件の方であろう。 党三役を辞任するくらいで済んでしまったら、ますますこの国は絶望的ね、とミオは言う。 かつて一九七〇年代半ば、九〇年代前半と二度にわたって徹底的な規制緩和による新自由主義改革を断行し、その結果、破局的な経済危機に陥ったアルゼンチンを長年にわたって研究してきただけに、ミオは小泉政権以降の構造改革路線に真っ向から異を唱えている。要するに彼女は典型的な所得再分配論者であり、反グローバリズム主義者かつ反米主義者であり、「大きな政府」による適切な規制を求める修正資本主義的市民社会主義者なのであった。その点ではタケノウチ教授もまた同じ人種と見ていいだろう。 自民かそれとも民主か?何が国民による政権選択よ。議論の余地なくどっちも丸ごと駄目ってだけでしょう。この国には国民が選択できるようなまともな政党なんて一つもないのよ。そんなのその辺のチューボウたちにだってバレバレなんじゃないの。ミオは昨夏の参議院選挙のときもそう言って投票にも行かなかった。 かつてのタケヒコはミオのその種の言説を無責任なアナキズムに過ぎないと小馬鹿にしていたものだ。だが、ここ数年、彼女の一貫した主張には一理どころか相当の理があるのではないかと思い直し始めていた。 検察は必ず動くと思うね。こっちにも二の矢、三の矢があるしね。動かざるを得ないようにしてみせるさ。 久しぶりにタケヒコの腕の見せどころね、とミオがカップを持って乾杯のしぐさをしてみせる。 タケヒコはミオと知り合って、この世界には心底勉強の好きな人間というものが存在するのだと初めて知った。学者とは総じてそういうものなのかもしれないがミオはとにかく学問さえしていれば幸福なのだ。年に二、三度ミオの研究者仲間を呼んでこの家でホームパーティーを開くのだが、集まるメンバーからは例外なくミオと同質の匂いが感じられた。 そのうえミオは自立を重んじ、わがままを言わず、弱音も吐かず、賛沢ではないし、努力家だった。感情的というよりは沈着冷静なタイプで、何事にも偏見を持つことがなかった。家事も料理以外は実に手際よくこなすし、他人にはお人好しなくらい親切で優しく、経済学者としても着実な進歩を遂げているようだった。東大でも悪くないコースを歩んでいて、近い将来、問題なく教授に昇任すると学内では言われているらしかった。 しかも母親としても申し分なかった。ミオの貴重な遺伝子のおかげでナオも勉強さえしていれば不平を言わない素直な娘に育った。そして大事なことがもう一つ。ミオはとてもきれいな人だった。タケヒコが彼女との結婚に情熱を燃やした一番の理由はそこにあった。 肉体関係を結ばなくなった今でも、ミオはタケヒコにとって信用の置ける人間の一人だ。気が置けない友だちと言ってもいい。愛する娘を産んでくれた恩人でもあるし、ナオという人間を育てていくために組織された家庭という事業体において、二人は完全に対等な共同経営者でもある。 ミオとは、すでにセックスをしなくなっていたので、二人の関係は人間対人間の関係になっている。もはや男と女ではない。確かに、セックスなんて所詮大したことじゃないし、排泄欲に駆られた末の浅い快楽の手段に過ぎないのだ、とも思ったりもするが、しかし他方でどんなに信頼し合っていようと、どんなに互いの人格を尊重し合っていようと、身体で愛し合うことができなければ男と女の関係は存在し得ないのではないだろうか。心や言葉で愛するよりも肉体で愛し合うことのほうが何倍も重要なのではあるまいか。タケヒコはそうも思う。
三日間降り続いた雪は、昨夜遅くようやくやんだ。夜半からの水っぽい雪が、それまでのドカ雪をおおかた溶かしてしまったようで、外に出てみると昨日までの雪景色はすっかり消え失せていた。タケヒコの自宅は二子玉小学校のすぐ近くにあった。昨日とうって変わって快晴の空が広がっている。 土曜日のその日、タケヒコは出社前に、生後まもなく亡くなったユキヒコの墓参りに一人で出掛けた。墓は三軒茶屋駅から歩いて十分くらいのところにある西方寺という大きな寺の中にある。その寺はミオの実家のニシワキ家の菩提寺で、ミオの父親に頼んで住職から墓地の一区画を特別に融通してもらったものだった。 墓参りの時は必ず立ち寄る花屋で菊とチューリップの花束を二つずつ買った。山門をくぐり、本堂でのお参りを済ませてから墓地に足を踏み入れた。黒い地面には霜が降り、歩くたびにさくさくと小気味よい音が立つ。 先月の月命日に顔を出して以来だから二十日ぶりだった。ユキヒコが死んで三年間は週一回の墓参を欠かさなかったが、五年前に週刊誌の編集長を任されてからは忙しさにかまけて次第に足が遠のいていった。いまでは月に一度が関の山である。 墓石にも花立てや水鉢、香立てにも雪が積もっていた。軍手をはめた手で雪を払い、持ってきたタオルでそれぞれをきれいに拭き上げていった。枯れた花を捨て、菊とチューリップを飾る。念入りに拭いた香立ての中で線香は勢いよく燃えた。立ち昇った白煙があっという間に風にさらわれていく。陽射しは十二分なのに風は身震いするほどの冷たさだ。 合掌し、墓の下のユキヒコに語りかける。 寒かっただろう。遅くなって悪かったな。 二〇〇年の一月にユキヒコは生まれ、同年四月二十一日に死んだ。生きていれば今年で八歳だ。ミオがユキヒコを身ごもったとき、二人はこれからの子育てについて話し合った。三歳の年を迎えていたナオは手のかからない子だったが、彼女の世話は父親であるタケヒコの方がそれまで余計に担っていた。お腹がふくらみ始めたミオに、無事に博士号も貰えたことだし、今度こそ少しゆっくり休まないか。ナオもいまからが大事で、きっと母親が一番必要な時期だと思うんだ、とタケヒコは言った。だがミオはその提案をあっさり退けた。 理由は次のような明確な「思想」に基づくものだった。 まだ私は何者にもなっていないの。研究もいまからが肝心なの。ようやく博士論文を終えて、これからの数年間が研究者として勝負の時なのよ。それに、私は世の中の役に立つ人間になりたいの。それが小さな頃からの夢なの。国や政府といった単位では、この世界はもはや良くなりようがなくなってる。お金という道具を生み出し、財という概念を作った途端に人間はどんどん経済の奴隷に変わっていった。そしてとうとう行き着くところまで行き着いてしまった。私はそう感じているの。お金は化け物よ。国家が国民から税金を集めて、利権まみれのくだらない政治家たちや彼らを裏で操っている資本家たちが、その税金の使い道を決めている限り、世界は絶対に良くならない。いまでも一日あたり二万五千人の人々が飢えと貧困のせいで死んでいるの。一年間で九百十二万五千人が貧しさのために命を奪われている。なのに、私たちは何もしない。毎日毎日おいしいものをお腹一杯食べて、太りすぎを気にしてダイエットに励んでいる。世界では十一億の人たちが安全な水を飲むことができないでいる。トイレなどの衛生施設を持たない人たちが世界中で二十六億人もいる。だけど私たちは何もしない。政府も何もしない。毎年サミットで集まって話し合っている先進国の首脳たち、政治家たち高級官僚たちも何もしない。毎日二万五千人が飢え死にしているのに、一億人がばい菌だらけの濁った水を飲んでいるのに、二十六億人がトイレもないような粗末な家で暮らしているのに、私たちは何もしないし、できない。これはもう個々人の意識だとか倫理だとか、政治家たちがどうだとか、金持ちたちがどうだとか、そういう問題じゃないと思うの。世界のシステムそのものに本質的な欠陥があるのよ。高度資本主義だなんてうそぶいてマネーゲームに現を抜かしているこの世界は、これからもっともっと悪くなる。国同士の格差も各国の内部での格差も埋めがたいほどに深く拡がってくる。私たちが信じている思想やシステムを一度根本的に見直さなくてはもう駄目なの。いまとはまったく違うシステムを考え出さないといけない。そのための材料としてラテン・アメリカはすごいの。私は考えたい。もっともっと人間が根源的に豊かになれる社会の仕組みや在り方を。そのために頑張っているの。だから、ナオだってこのお腹の赤ちゃんだって、単に親のエゴの犠牲になってるわけじゃないと私は信じてる。ナオも赤ちゃんも母親である私と一緒に戦う立派な同志なのよ。 そんなふうに語るミオに向かって、そういう考え方は、それこそ何かが根源的に間違っているような気がするけど、とタケヒコは意見した。世界の役になんて立たなくていいし、そんな大それたことは僕たちにはできない。むしろきみみたいな人のそうしたお節介な考え方が、この世界を損なっている本当の原因なんじゃないのか、とも言い足した。 あなたは頭もいいし、判断力にも優れている。でも、絶望しているし、すべてを諦め過ぎていると私はいつも思っている、とミオは言った。 僕から言わせれば、きみは焦り過ぎているし、自信過剰だ。世界というリングの上でどれほど強いボクサーになりおおせたとしても、すべての敵を打ち負かすには人生は短すぎると思わないか。きみの努力は最初から徒労に終わることがハッキリしている気がするけど。 ミオは首を横に振って、いいえ、大丈夫、と自信あり気に言い切ったのだった。 二〇〇〇年四月十九日水曜日。風邪気味だったユキヒコを抱いてミオは八時前に家を出た。保育園にユキヒコを預け、彼女はそのまま十時羽田発の飛行機で福岡に向かった。西南学院大学で開かれるラテン・アメリカ経済学会において「アルゼンチン経済に与えたブラジル危機の影響――労働運動の進展という視点から」というテーマで研究報告を行うための出張だった。 ユキヒコは一週間前にも風邪を引いていた。入園十日足らずでさっそく風邪を貰ってきたユキヒコを見て、他人の手に委ねるのはやはり尚早ではなかったかとタケヒコは後悔していた。ナオのときですら保育園にやったのは五カ月目からだったのだ。その朝も、ユキヒコは少し熱を出していた。出社を午後からにして様子を見ようかとよほど迷ったが、十一時にどうしても外せない弁護士との打ち合わせが入っていた。タケヒコが担当した月刊誌の記事の一本が名誉毀損で告訴されていた。訴訟沙汰は日常的だったが、その案件は中央官庁の派閥抗争が絡んだ少々ややこしいものだった。筆者や編集長を交えての訴訟対策の会議に担当者のタケヒコが出席しないというのはさすがにまずかった。 この前の風邪がまだ残ってるのかも。オクムラ先生にはよくよくお願いしておくから…‥。先週小児科で貰った風邪薬のシロップをユキヒコに飲ませながら、ミオは言った。 タケヒコも一時からの座談会の司会が終われば今日はフリーになる。そしたらすぐに迎えに行くつもりでいた。 幸い、ナオと同じ保育園にユキヒコを預けることができ、その上、ユキヒコを世話してくれているオクムラ保育士は三月までナオの担任だったのだ。 園からタケヒコの携帯に連絡が入ったのは座談会の最中だった。中座して折り返し連絡を入れると、ユキヒコの熱が三十八度を超えているので迎えに来て欲しいという。とりあえず三十分ばかり座談会を続行し、それでもかなり早めに切り上げて、園に駆けつけた。ユキヒコはむずかっていたが、ぐったりした様子ではなかった。ただ、お昼にあげたミルクを全部戻してしまって、とオクムラ先生は心配そうな表情だった。 タクシーで家の近くの総合病院へと向かった。抱いているユキヒコの体温がみるみる上昇していくのが分かった。病院に到着した頃には明らかに容態は悪化していた。 小児科医に見せると、すぐに点滴が始められ、レントゲン検査と口腔粘膜を採取してのウイルス検査が行われた。一時間半ほど経って、インフルエンザウイルスが見つかったこと、ユキヒコが重篤な肺炎に罹っていることを医師から告げられた。 二日経った四月二十一日金曜日、午後三時十五分。治療の甲斐なくユキヒコは死亡した。生れて三カ月とちょうど十日後のことだった。享年零歳。 医師がユキヒコの死を宣告した瞬間、ミオはまるでこの世が終わったかのように絶叫した。タケヒコはただ背後から彼女を抱き締める以外に何もできなかった。 掌三つ分くらいのユキヒコが小さなベッドの上で苦しそうに呼吸している姿を眺めていると、大きな足音を響かせてミオが病室に飛び込んできた。血相変えたその妻の表情を見据えた瞬間、タケヒコは内心で叫んだ。 お前はそれでも母親か! 腹を痛めた我が子よりも、お前にはアルゼンチン経済の今後の方が大切だったのか! もちろん、これが腹いせ交じりの一場の激情に過ぎぬことは、その瞬間のタケヒコにも分かりきっていた。それでもタケヒコがあのとき胸の奥でミオに対して譬えようのない怒りを爆発させてしまったことは事実だ。 片やミオはどう思っているだろうか。彼女はタケヒコのことを恨んでいるだろうか。 そんなことはあるまい。彼女は自分自身を激しく責め立てはしてもタケヒコのことはちっとも恨んでなどいまい。なぜか。彼女はユキヒコを自分のものだと思っていたからだ。彼の生死に関われる人間は自分だけだと確信していたからだ。その確信はいまも変わっていないだろう。ナオのこともユキヒコのことも彼女は自分だけが真実の親だと信じ、信じていたに違いない。 彼女は二つのかけがえのない所有物のうちの一つを、痛恨のミスで失ってしまった。 どんなにかそのことで自らを責め苛んでいることだろう。だからこそタケヒコはユキヒコの死に関しして一言たりともミオに対して苦言めいた言葉を吐いたことがない。彼女は我が身を鞭打つことでタケヒコからの冷ややかな視線を封じ、ユキヒコの死を丸ごと彼女だけのものにしようと図り、ちゃんと成功した。 女のずるさの前で男はいつだって完壁に無力なのだ。
西方寺を出てバス通りを歩いていると背中越しに小さな声が聴こえた。 「お父さん、薬、忘れないで」 ちょっとかすれ気味の男の子の声だった。 タケヒコは立ち止まり、後ろを振り返った。 むろん誰もいない。横を見ると自動販売機が三台並んでいた。 そうだった。ティーエスワンを今日から再開するのだった。急いで家を出てきたのですっかり忘れていた。 ティーエスワンは朝・夕食後の一日二回、二十八日間連続で飲み、その後十四日間休薬するという服用法を繰り返していく抗がん剤である。抗がん剤がもっとも効きにくいといわれている胃がんにおいて、ティーエスワンの登場は画期的なものだった。 タケヒコの場合はいまのところ、二十ミリグラムのカプセルを朝と夜三個ずつ、一日当たり百二十ミリグラムの摂取で一定していた。 自動販売機でミネラルウォーターを買い、薬をカバンから取り出して飲んだ。 さきほどのような形で、男の子の声がたまに聴こえるようになったのは、二年前に胃の摘出手術を受けてからだ。手術後、麻酔から醒めたとき、「うまくいったよ」という耳元で囁くような声を聴いたのが最初だ。ベッドサイドにはミオがいた。ミオはタケヒコの顔を覗きこみ、手術成功したって、と笑顔を浮かべた。一瞬前に耳にした声とミオの声は明らかに異なっていたが、タケヒコは当然どちらもミオが口にしたのだろうと考えた。病室には彼女の他に誰もいなかったからだ。 だが、そう思ってミオの顔を注視していたとき、幽かな声がまた聴こえたのだ。 「お父さん、ぼく、がんばったんだよ」と。 よほどタケヒコが不思議そうな顔つきだったのだろう。 あなた、大丈夫。私のこと分かる? ミオが不安げな様子で語りかけてきた。 以来、この男の子の声の幻聴がずっと続いているのだった。
三軒茶屋駅への帰り道には小さな書店がある。立ち寄って店主らしき男に確かめると、今週号は昨日の朝には売り切れたという。木曜日発売の週刊誌の場合、実際に雑誌が売れるのは木金土の三日間だ。月曜日には競合する二誌が発売されて、タケヒコの雑誌の商品価値は急落する。だが、今週号は久しぶりに完売だろう。二子玉川駅の売店にももう一冊も残っていなかった。 Nは昨日の午前中に官邸を訪れ、党三役を辞任する意向を総理に伝えた。報じられた疑惑に関しては全面的に否定したが、記事に名前の出た企業のうちの二社から献金を受け取り、それを会計責任者のミスで収支報告書に記載しなかった点については認めたのだった。辞任の理由は、事務手続き上の過ちとはいえ、政治とカネの問題で国民に疑念を与え、結果的に国会審議を停滞させ、党に迷惑をかけた事実を重く受け止めたため、というふざけたものだった。 部下と共に編集部のテレビで辞任会見の中継を観ながら、タケヒコは今回の記事が充分に当初の目的を果たしたと感じた。今後の検察の動きによってはさらに大きなヤマに発展していく可能性もあるが、Nの苦渋に満ちた表情を眺めているうちに、このあたりで鉾をおさめてやっても罰は当たらないような気分になったのだ。ミオは、党三役を辞任するくらいで済んでしまったら、ますますこの国は絶望的ね、などと言っていたが、そうした皮肉交じりの倫理観で政治家の首を何回すげ替えてみたところで、この国の政治が良くなるわけではなかった。 Nの後任として有力視されている男などはNよりよほど汚れた政治経歴の持ち主である。 この世界は泥臭い大衆演劇を絶えず上演しつづける劇場なのだ、とタケヒコは思う。 私たちはそれぞれにいい加減な役回りを与えられた三流役者にすぎない。Nにしろタケヒコにしろ大した差はない。そんなことより、こんな延々似たような筋書きが世代を超えて繰り返されるだけの嘘っぱちのドラマを私たちはなぜ面白いと思ってしまうのか。そこがあらゆる問題のキーポイントだとタケヒコは若い頃に気づいた。人間だけが、自分たちとはまったく関係のない架空の世界の物語に酔う。人と動物との差はさまざまだろうが、その一番は、人間のみが架空の現実に魅せられるということであるに違いない。 私たちは自分たちの人生にほとんど無関係な出来事で成り立っているこの世界にどういうわけか興味をそそられる。タケヒコの仕事などはそのお先棒担ぎでしかない。そうしたくだらない好奇心を満足させて、人々から金を掠め取っているのだ。 だが、一方でタケヒコはいつも疑っている。幾ら関係のない出来事ばかりとはいえ、それにしたってこの世界はどうしてここまで過激で非人道的で、一向に品位を上げようとしないのか。 そう疑問をおぼえるたびに、「きっと誰かが観ているのだ」と思う。この地上で繰り広げられる無限の物語を私たち以外の存在がじっと眺めているのだ、と。そのためにストーリーは極端に残酷に仕立てられている。だから残虐で血みどろのシーンの連続だ。好色で卑猥な性描写に満ち満ちている。そのようなスプラッタームービーが大好きな、子供じみた存在がこの世界を構築した。そして彼は天上からじっと、あらかじめ用意された悲惨な舞台の上でわけも分からず右往左往し、知らず知らずに滑稽で皮肉で哀れで、ちょっと泣かせる物語を演じつづけている私たちを、ポップコーン片手に鑑賞して楽しんでいるのだ。 そう考えると、この世界が平和で穏やかなものに決して進化しない理由がよく理解できる。同時に、私たちがどうしてくだらない好奇心に振り回されてしまうかも分かるような気がしてくる。 世界は静穏で美しいものになってはならないのだ。そんな環境ビデオまがいのつまらない演劇は誰だって観たくはないからだ。 大量殺裁あり、レイプあり、差別や虐待あり、復讐あり、メロメロのラブロマンスあり、裏切りと破壊、戦争、とにかく派手派手のコッテコテの物語こそが大衆を惹きつける。世界の無秩序ぶりは、最初からそのように企図されて生起している。 ミオはタケヒコのことを絶望しすぎているとよく言う。だが、タケヒコは別に絶望しているわけでも諦めているわけでもない。 ただ、冷静なだけだと自分では思っている。
出社してメールの処理をしていると、イシガキ編集局長から内線が入った。六階の第一会議室に来てくれという。イシガキが土曜日に出社しているのは珍しい。昨日の校了の直前の時点で、経産省の広報課長から泣きが入った話は聞かされていた。彼はイシガキとは旧知の間柄で、Nからせっつかれてやむなく抗議してきたようだ。 本人にも取材ずみだし、いまさら止めるわけにはいかないよって言ったらあっさり引き下がった。Nのやつ、意外に人望ないな、とイシガキは言っていた。 会議室に行き、大きな会議用のテーブルにイシガキと向かい合って座ると、イシガキは、昨日の夕方、官房長官のマキノから社長宛に直接連絡があり、もう一個の方はやるのか、と訊いてきた、と言った。 もう一個の方というのはインド案件のことだ。Nは昨年九月の内閣改造までは現総理を直下で支える内閣官房長官の地位にあった。その長官時代の疑惑となれば否応なく内閣全体の責任が問われる状況となる。オヤマダ総理や後任のマキノ長官としても、インドでのメタン回収事業に対するNの関与は対岸の火事と見過ごすわけにはいかないだろう。当然ながら、N本人が昨日の官邸訪問の際、総理と官房長官に、何とかしてくれ、と泣きついたに違いない。 うちも舐められたもんですね。ま、オヤマダ相手じゃ仕方ないけど、とタケヒコは言った。
イシガキの話では、官房長官のマキノが社長のアサノに、どうしても会いたい、と言ってきかず、昨日アサノはマキノと赤坂で一席やってるらしい。その席で、マキノは、とにかくインドの件だけは勘弁してくれと社長に懇願の態だったそうだ。 何ですか、それ、とタケヒコは呆れた声を出してみせた。 十年近く前、イシガキ編集長時代に月刊誌である現職閣僚の収賄事件を扱ったときも、相手が大蔵大臣だったことから国税が動き、社への税務査察を匂わされて慌てて第二弾の記事掲載を取り止めたことがあった。そのときの編集局長のアサノがいまの社長で、当の大蔵大臣こそが現首相のオヤマダなのだ。 その記事の担当者はもちろんタケヒコだった。だから、あのとき突っぱねとけばよかったんですよ、とタケヒコが言うと、イシガキも、まあな、と頷く。 社長は、現場の意向もあるからすぐには返事できないとかわしておいたとイシガキは言うが、雑誌が出た翌日にマキノの金で飲み食いしてしまえば、もう軍門に降ったようなものだ。三本目の煙草に火をつけながらイシガキが、どうする、と訊いてくる。おそらく社長とやり合う気は最初からないのだろう。 もともと来週は、中国の件で続報を打つ予定なんです。インドはどっちみち三週目か四週目の話ですから、しばらく静観しませんか、とタケヒコは言った。 じゃあ、官邸には、いまのところどうするか分からないと言っておいていいんだな、とイシガキが言うので、そうですね。どこまでやるかは世間の風次第だってことにしておきましょう。こっちとしても検察の動きを見極める必要はあるし、とタケヒコは言った。 分かった、とイシガキの顔に安堵の色がにじむ。 だけど、編集部がゴーと判断したら止まりませんからね、あのときみたいには、とタケヒコは釘を刺すのを忘れなかった。 そんなこと分かってるよ、とイシガキは言ったが、タケヒコは懐疑的な心地でその笑みを見つめた。今年六月の役員改選で取締役就任を狙っているイシガキは、もう昔のイシガキとは別の人間である。 そもそもこうした事態は充分に予測済みだった。破壊力のあるインド案件を温存しておいたのも今日あるを想定してのことだ。 経産大臣、官房長官を歴任し、党三役の地位も手にしたNの政治力を侮るわけにはいかなかった。現在の会社上層部は骨のない面々で占められていた。社長以下役員たちは、官邸あたりから圧力がかかればすぐに腰砕けになりそうな連中ばかりだった。もしも「手心を加えろ」といった指示が降りてきたときに備えて、タケヒコはわざと本丸ネタを後回しにしたのだ。今後しばらく検察の動向をウォッチし、着手の気配が見えないようであれば、記事の掲載と併行する形で親しい法曹関係者を通じてこのネタを地検特捜部に流そうと思っている。彼は特捜部長とは泥懇の間柄だった。特捜が動くと分かれば、社の幹部たちも強気に豹変するのは目に見えていた。 だが、当のタケヒコの心境の方が微妙に変化している。若かった頃のような血気が長くつづかない。そうやって弾を仕込むまでは従来の手つきで実行したものの、いまさら検察と組んでNを政界から放逐したり、現政権を窮地に追い込んでみたところで一体何の価値があるのだろうか、とどうしても気が萎えてしまうのだ。 政治家が賄賂を受け取ることの罪はよく理解している。企業側が政治家たちにカネを掴ませようとするのは当たり前だ。政治家は税金という莫大な資金源を握っている。たとえば数百億円の公共事業を落札したり、収益率二十パーセントの許認可事業の営業権を獲得できるならば、そのために便宜を図ってくれる政治家に数億円の献金をしたところで何ほどのこともない。企業からすれば割安な営業経費で大規模事業や収益性の高い事業の免許をまんまと手に入れられるのだから、こんなに美味しい話はないのである。だからこそ、贈収賄事件において罪深いのは贈賄側の企業ではなく収賄側の政治家の方なのだ。彼らはまさに国民一人一人の税金を掠め取っている盗人に等しい。 理屈としてはNのような収賄議員を叩きのめすことに何のためらいもない。しかし、よくよく目を凝らさずとも、N同様ないしはN以上に政治を金儲けの道具にしている議員は他にもウヨウヨいるのである。総理のオヤマダにしてからが利権まみれの代表選手のような男だ。そうした汚染されつくした政界にあって、なぜことさらNという一政治家を追い詰めねばならないのか。その理由がタケヒコには分からなくなってきている。 Nはこの国を支配する官僚システムの解体論者としては急先鋒であった。政治力の面でも抜きん出た存在だった。 受験競争に勝利し、東京大学法学部に進学、国家公務員上級職試験に合格して各省庁に入省した官僚たちは、世間で想像しているより数倍も無能力である。まずもって彼らに欠けているのは創造性、想像力、共感力だ。いかなる論理性も計数力も文章力も、創造性や想像力、諸問題に立ち向かう国民個々への共感力がなければ無益であり、却って有害である。何より問題なのは、彼らの伝統的な出世競争において、創造性や共感力は出世の妨げとなることだ。結果、官僚機構の頂点に本来立つべき資質の持ち主は、遅かれ早かれ組織からはじき出されていく。 従って、官僚たちの数を増やしたり、彼らに大きな権限を与えることだけは、何があっても避けねばならない。我々が優れた政治家を選ぶべきなのは、議員や首長たちのみが官僚を指揮監督する法的権限を与えられているからだ。 その点からすれば、Nのこれまでの政治活動は、タケヒコの目から見てもおおむね正しいものだと思われる。だとすれば、そのNを葬り去ることは、無能な官僚たちに手を貸すことに他ならないのではないか。そう考えると、タケヒコは自分の行っていることにどうしても矛盾を感じざるを得なくなってくるのだ。
四時からの会議はスムーズに進んだ。今週号の完売を受け、統括のフジマキを筆頭に特集班の四人のデスクたちの物腰もいつになく柔らかだ。この土曜日のデスク会議で来週号の特集記事のおおよそが固まる。目次で見れば右トップ、左トップの記事を選び、真ん中の品揃えもほとんど決めてしまう。週刊誌といっても、事実上は取材スタートから三日間で中身はできあがってしまうのだ。これ以降の記事の出し入れはせいぜい二、三本といったところだ。仮目次を今夜のうちに作り、明日、取材の進捗状況を最終的に確認して正式な目次を仕上げる。そうなるとよほどの突発事故や事件がない限り、目次の変更はない。従って普段の土曜日の会議は、かなり白熱した議論の場となる。デスクそれぞれが自分の力量を試される真剣勝負の場でもあるからだ。排出権疑惑の続報を柱に据えて大特集を組める今週みたいに楽な号は滅多にない。 特集班のデスクはフジマキ、ミナミ、ヨシダ、ナカヤマの四人だった。むろんNの記事を担当しているのは統括のフジマキだ。すでに五年目に入っているタケヒコの任期もそろそろ終わりに近づいている。後任には二期下の彼を推薦するつもりだった。 Nの件とは別に、タケダというライターに書かせている「マック難民」のルポについて担当デスクのヨシダが報告すると、フジマキがそれに難色を示した。フジマキはもともとタケダというライターが好きではなかった。最近は若年貧困層の問題を積極的にレポートし、テレビでも売れっ子のタケダだが、裏ではインサイダーまがいの株取引でしこたま儲けているともっぱらの噂だった。正義派のフジマキとしてはそういう男を誌面で使うのは面白くないのだ。 ヨシダが、タケヒコの顔を見て、どうしましょうか、と言う。 タケヒコが、まあ、タケダさんにはもう少し取材を続けてもらっていいだろう、と隣のフジマキを見て言と、フジマキは、だけど、いまのヨシダの報告だとちょっとインパクト弱過ぎですね、と言った。 それに同調するように、一番若手のナカヤマが口を挟んだ。このオグラって青年も、結局はなるようになっただけってことじゃないですか。僕はワーキングプアの若者を社会の犠牲者みたいに言い立てる最近の風潮にはうんざりですね。所詮は自分の選択だし、その末にプアになったって全部自己責任って話でしょう、と。 彼はタケダがいま取材しているオグラという青年と同年代だった。バブル崩壊後の就職氷河期を経験した、いわゆる「日雇いフリーター」たちの中核世代でもある。年齢的には現在三十二〜三十五歳くらいの層だ。 家を持たずインターネットカフェをホテル代わりにしながら日雇いバイトをつづける「ネットカフェ難民」が話題になったのは昨年のことだ。ところがこの「ネットカフェ難民」という言葉が定着するかしないかのうちに新たに登場してきたのが「マック難民」だった。 マック難民たちは、ネットカフェで一晩過ごすのに必要な千円の金も出せずに、百円コーヒー一杯で粘ることのできる二十四時間営業のマクドナルドに寝泊まりしているのだ。 ライターのタケダが深夜のマックを覗いて回り、ちょっとユニークな難民を見つけたよ、とヨシダにネタを持ち込んできたのは半月ほど前だった。 そのオグラという三十三歳の男は、慶応の経済学部を出たあと証券会社に入ったものの過酷なノルマ営業に疲れ果てて退職。しばらくは実家に戻ってコンビニバイトをやっていたが、父親が経営していた会社が倒産して家屋敷は人手に渡り、両親も離婚。アパートを借りて自立を余儀なくされた。再就職先を探し回ったが、三年間のフリーター生活がたたって正社員として採用してくれる企業はどこにもなく、仕方なくワンコールワーカーの道に入る。ところが、二年目に顔面ヘルペスを患って入院治療の羽目に陥り、以降はヘルペスの再発も頻繁でまともな仕事につくどころではなくなってしまう。思い余ってホストの世界に飛び込んだのが三年前、三十歳になる年だが、幾ら慶応出のホストといっても年齢が年齢だけにうまくいくはずもなく、気づいてみれば客のツケの肩代わりや店への前借などで負債が二百万円にまで膨らんでいた。結局、夜逃げ同然で店の寮を飛び出して、それ以降はネットカフェやマックを転々とするようになり、そんな難民暮らしもすでに二年目を迎えているのだった。 それにしたって、歯医者に嫁いだ姉貴がいるくらいのこと、タケダさんだって最初に聞き出してなくちゃどうにもならんでしょう。 黙って聞いていたミナミがフジマキの肩を持つ。タケヒコはデスクたちの反応を見ながら、ヨシダが他の三人から次第に浮き始めているとあらためて思った。ヨシダは敏腕として鳴らしている男だ。去年までいた月刊誌の編集部でもスクープを連発し、社内では「カワバタ二世」とも渾名されている。年齢はまだ三十五歳だが、将来を嘱望される人材の一人だった。フジマキにしてもミナミ、ナカヤマにしてもヨシダにはライバル意識剥き出しなのである。 慶応卒のホスト上がりがいまやマック難民というオグラの経歴はたしかにユニークだ。彼の生活に密着したルポをタケダに書かせたいというヨシダのプランをタケヒコは即座に採用し、来週の二折八ページをぶち抜きで与えた。日曜日先行校了でヒマネタを扱う二折とはいえ、一つの企画に八ページを割くというのは異例だった。フジマキたちからすれば、それもまたヨシダ優遇の証ということになるのだろう。 ナカヤマはすかさず、オグラの姉が歯医者に嫁いでいて、母親も姉貴もオグラのことを気にかけていていつでも面倒を見ると言ってるとすれば、こんなの悲劇性もドラマ性もゼロですよ。そんな奴のことを難民なんて呼んでたら、アフリカや東南アジアの本物の難民たちが激怒するんじゃないですかね、とミナミに同調する。 するとヨシダがテーブルに広げたノートの上で動かしていたペンを止め、おもむろに口を開いた。 僕も昨日と一昨日、タケダさんとマックに泊まってみたんです。もちろんオグラさんも一緒ですが。たしかにナカヤマみたいな物言いもできなくはないですが、実際、ネットカフェやマックで寝るのって想像以上に過酷だと実感しましたね。オグラさんみたいに百円コーヒーだけで粘ってると店員が露骨に出て行けって言ってくるし、午前二時から四時までのあいだは清掃時間だからって、テーブルに突っ伏して眠ってたら起こされて、ほんとに追い出されるんです。一昨日なんて大雪ですよ。三人であの雪の中を二時間延々歩いたんですけど、正直死ぬかと思いましたね。四時になってマックに入りなおしたときは全員、唇まで真っ青だったし。そりゃあ、オグラさんの自己責任という部分もあるだろうし、慶応まで出て再就職先が見つけられなかった点についても彼の独特なキャラが災いした面は多分にあると思うけど、それにしたって、彼のような人間をあんなふうにまるで野良犬みたいに排除するというのは許されないでしょう。現に、木曜日なんて状況としてはマジで凍死してもおかしくなかったわけですし。オグラさんにしてもそういう生活をノリで一年三カ月もやってるわけじゃないし、幾ら自己責任とはいえ、一人の人間をあそこまで追い込む権利は誰にもないですよ。僕は学生時代にアジアの難民キャンプにも何度か足を運びましたけど、ナカヤマの見方とは正反対で、オグラさんは、本物の難民たちよりよほど悲惨な目にあってると感じましたね。しかも彼の場合は、社会からも黙殺されてるし、こうなったのも自己責任だから仕方がないと本人が誰よりも一番強く思い込んでいて、本物の難民のように世間に自らの苦境を訴えようという気持ちすらないわけですよ。 ヨシダの訥々とした発言に他のデスクは沈黙してしまった。まさかヨシダがあの大雪の晩にオグラやタケダと共にマックで徹夜していたとは思ってもいなかったのだろう。タケヒコも初耳だったが、ヨシダならそれくらいはやるだろうと思っていた。 なかなか面白くなりそうじゃないか。引き続き頑張ってくれ、と言ったあとで、タケヒコは、ヨシダはともかくどうやら他の者たちは考え違いをしているようだから、一言俺の方から言っておくことにする、と言い、とくにナカヤマはこうしたテーマについての経験も考えも浅すぎるからよく聞いておけ。そう言ってタケヒコは話しはじめた。 労働者たちが長い歴史の中で勝ち取ってきた同一労働同一賃金というのは最も重要な権利だってことを忘れないで欲しい。使用者および管理職などではない一般の被用者は、同じ労働をすれば同じ賃金を得る基本的な権利を持っている。つまり、現在の正規社員と非正規社員とのあいだの賃金格差は、彼らが同じ労働をしている限りはまったく不当なもので、アルバイトだろうがパートだろうが、季節工だろうが、そんな呼び名は関係ない。小劇団で活動しているフリーターが、たとえ好んでそういう働き方を選んでいたとしても、だからといって同じ作業をしているのに隣の正社員よりずっと少ない賃金しか支払われていなければ、それを「あいつは好き勝手な夢を追っていて、どうせこの仕事は腰掛けだと思ってるんだから構わないさ」と正当化するのは許されないってことだ。 しかし、まあそういう堅苦しい話は抜きにしてもいい。それよりも、俺がナカヤマの物言いで一番気になるのは、じゃあ、お前は同年代のオグラさんと比べてそんなに偉いのかってことだ。 オグラさんがたまにやってるコンビニ店員や軽作業労働の時給は八百五十円ってとこだろう。その時給じゃあ、一日八時間、週五日みっちり働いたって月収は十五万もいきやしない。正直な話、彼女一人作るのも無理だろうな。それと比べてナカヤマの年収は手取りで千二百万くらいだろ。月にすればちょうど百万。うちは裁量労働制だから残業代はつかないが、たとえばナカヤマが年末年始、ゴールデンウィーク、夏休みを全部さっぴいて、それでも平均すれば一日十時間、週六日働いているとしよう。月にして総労働時間はおよそ二百九十時間。ナカヤマの時給は一体幾らになる。四千円だろう。つまりナカヤマの時給はオグラさんの時給の五倍近くってことだ。 そこで俺は訊きたい。ナカヤマ、お前は同じ歳のオグラさんと比べて一時間当たり五倍の働きをしているって胸を張って言えるのか。年収ベースにすればナカヤマと同年代のフリーターたちの所得は平均百六万円にすぎない。お前はそいつらの十年分の給料を一年で貰ってるわけだ。オグラさんなんて年収はさらにその半分程度だろうから、彼と比べりゃ二十年分だ。ナカヤマは、そこまで自分とオグラさんたちとのあいだに歴然とした能力格差があると自分自身で信じることができるのか、そこが俺は疑問だと思ってるんだ。 俺たちが何で高い給料を貰ってるのかをよくよく考えてみることだ。別に俺たちメディアの人間がとびきり優秀だから高いわけじゃない。俺はいつだって、偉そうにふんぞり返って権力を振り回している連中に舐められないための高給なんだと思っている。そういう奴らに限って収入の低い人間を小馬鹿にして頭から舐めてかかるからな。だから会社は、そいつらの懐に俺たちが飛び込んで信用を得られるようにと高い給料をわざわざ支払っているんじゃないのか。トロイの木馬よろしく、仲間面して近づき、彼らから情報を引き出して悪事の尻尾を掴み、それを世間に暴く。そうやって権力者や金持ち、有名人の鼻を明かすのがメディアの仕事だし、それによって嫉妬心の強い一般大衆の溜飲を下げさせることで俺たちの商売は成り立っているんだ。 タケヒコは一気にここまで喋って言葉を止めた。 釈然としない顔つきのナカヤマを眺め、自分でもずいぶん子供じみたことを言っている気がした。だがタケヒコは、この世界の事象全般を相対的に捉えられない彼のような人間は嫌いなのだった。その意味で、「自己責任」という歯切れだけ良くて、実際はすこぶる曖昧な言辞を平気で弄する者を看過することができない。そういう相手には「お前の言う自己責任とは一体何だ」とどうしても問い詰めたくなる。自分の行為や、それによってもたらされた結果をすべて自分一人で引き受けねばならないのならば、この世界で人間は一秒たりとも生きていくことはできない。 ナカヤマのような男は、たとえば自分が秀才だという現実が、彼より勉強のできない多くの人間の力によって支えられていることが分かっていない。美人が自分だけの力で美しいと自惚れているようなものだ。美人が美人でいられるのは、彼女より醜い女性が大勢いるからにすぎない。 ナカヤマは、オグラのような存在に依存することでようやく自分の豊かさが実現しているという相対的認識を持っていない。少数のブルジョワは大多数のプロレタリアートによって作られる。その事実を失念した者はいずれ粛清の憂き目にあってしまうのだ。 要するに、オグラを目下の境遇に追い詰めている張本人はナカヤマ自身であって、オグラ本人ではない。 そうした感覚を持てない人間は救いようがないとタケヒコは思う。 彼らには自己という存在が、ある種の機能と役割を与えられた一過性の幻影にすぎないという醒めた自己認識がない。 総額百二十五兆ドルに達する世界の「富」の約八十五パーセントを、世界の成人人口の二パーセントが保有している。アメリカの富の四十パーセントは一パーセントのアメリカ人が保有し、日本でも一パーセントの日本人が富の二十五パーセントを保有している。中国などはたった五パーセントの特権階級が九十五パーセントの富を占有していると言われている。 こうした現実をナカヤマは一体どう説明するのか。世界の富のわずか十五パーセントしか保有していない九十八パーセントの成人たちは、そのような現実をまるごと「自己責任」として甘受しなくてはならないとでも彼は言いたいのか。世界の九十八パーセントもの人間が引き受けるべき自己責任とは一体どのような責任なのか。 まあ、どのみちナカヤマと仕事をするのはあと二カ月足らずだった。
デスク会議は一時間半で終わった。他のデスクたちと一緒に会議室を出ようとしているフジマキを呼び止め、タケヒコは二人だけで少し話をした。 まずN関連の続報記事の進捗状況を確認する。原稿はいつ上がりそうか、と訊くと、明日の夜には……とフジマキは言った。 書き手は取材班のリーダーを務めるサカモトである。入社八年目、三年前に週刊編集部に来てからは常に大きな記事を任せてきた。取材で決して手を抜かない緻密さと見事な文章力を備えている。年齢は三十そこそこだが特集班の中でピカイチの記者だった。 今週号では、中国側と日本企業との橋渡しを行ったコンサルタント会社の女性社長とNとの特殊な関係をすっぱ抜くことにしていた。その女性はもともとは地方テレビ局のアナウンサー出身で、地元の私大の講師をやっているときにオーナー学長の愛人となり、彼の出資で東京に放送系の専門学校を開校して理事長におさまった。さらに学長の縁故で企業幹部や政治家たちの知遇も得て、数年前には虎ノ門にコンサルタント会社を作って社長に就任したのだった。年齢はすでに四十半ばだが、とてもそうは思えぬ美貌の持ち主である。地元選出のNとの仲もそもそもはパトロンの学長の紹介だったという。Nとのあいだには肉体関係もあったが、彼女にすればそれは営業活動の一環にすぎなかったようだ。サカモトたちがNを取材したとき、いまでも学長と彼女との仲は続いており、学長が上京したときは必ず彼女のマンションに泊まっているという事実を告げると、Nはしばし絶句して一言も発しなかったという。 やっぱりウブなお坊ちゃんですよ。まんまと女にはめられたってところでしょう。取材のあとサカモトはそう言っていた。そして、この女性社長はインド案件においても重要な役回りを演じているのだった。 ページは幾らでも都合するから、サカモトには思う存分書くようにと伝えておいてくれ、とタケヒコが言うと、分かってます、とフジマキは頷く。この半年間、フジマキもサカモトも、そして取材班の面々も不眠不休に近い状態で頑張り抜いてくれた。特別取材班といっても、スタッフに余裕のない週刊誌では専従というわけにはいかない。取材が佳境に入ってからはかかりきりにさせたが、それまでの数カ月間は毎週のネタを追わせながら、空いた時間を使って排出権疑惑の調査を続けさせたのだった。それだけにフジマキやサカモトたちの達成感はひとしおのものだろう。 くたびれたワイシャツにところどころシミのついたネクタイを垂らした小太りのフジマキは、もう何週間も剃っていないような無精髭の中にいつもの赤ら顔を埋めている。 何か上の方から言ってきてますか、と天井を指差してフジマキが言う。役員フロアは八階だった。二人きりになったのは、そのあたりの話を聞かされるためだと思っているのだろう。 いや。別に何も言われていない。Nや周辺からもクレームは来てないようだ。 タケヒコはさきほどのイシガキとのやりとりは伏せた。取材班にはなるだけ雑音は入れたくない。友人の法曹関係者に特捜部とのあいだを取り持たせる計画もフジマキにはまだ知らせていなかった。 話したかったのはそのことじゃないんだ、そう言ってからタケヒコは、実は特派記者のコマイの取材経費を特別取材班の経費に上乗せして欲しいんだ、と言った。もちろん領収書集めも精算書類の作成も全部コマイにやらせる。サインは僕がする。フジマキに負担はかけない。ただ、そうなると経理部への報告上、コマイは特別取材班の一員ということになるから、その点だけ了解しておいて欲しいんだ。コマイには固く口外無用と言っておくし、経理部から何か言ってきたらすべて僕とイシガキさんで対応するから。そう言うとみるみるフジマキの顔色が曇ってきた。 タケヒコが特派記者のコマイの遣い込みに気づいたのはわずか一カ月前のことだった。同期入社で経理部の次長をしているクサナギから内々で、コマイの取材経費がこの一年で急増し、優に一千万円を超えているという事実を伝えられたのである。その金額を聴いて仰天した。コマイはタケヒコではなく局長のイシガキの判子を貰って経理部に精算書類を提出していた。数年前にフリー記者だったコマイを週刊誌編集部に紹介したのはイシガキだったから、それは別段不自然ではなかったが、それだけにタケヒコは何一つ知らないままだったのだ。 何か、大きなネタで潜行取材してるのなら問題ないんだが、チェックしていくと錦糸町のチャイナバーの領収書がほとんどなんだよ。経理部内でもそろそろ問題になり始めている、とクサナギは言った。万事に細心臆病なゴンドウ総務局長の依頼で、彼が同期のタケヒコのところへ事情を聞きに来たのは間違いなかった。次期役員ポストを巡ってゴンドウとイシガキがつばぜり合いを繰り広げているのは社内周知だ。クサナギはゴンドウの側近の一人だった。 タケヒコは、その場では、中身は言えないが、もちろん取材で行かせている、と取り繕った。特派記者の遣い込みが発覚すれば、編集局長のイシガキだけでなく編集長である自分の管理責任が問われることになる。幾ら編集局長の判子だったとしても編集長が知らなかったでは済むはずはない。 すぐにコマイを呼びつけて問い質すと、彼はあっさりすべてを白状した。いずれ露見するものと覚悟を決めていた気配があった。 聞けば唖然とするようなお粗末な話だった。コマイは錦糸町にある「金華」という店にこの一年通い詰め、そこで働いているリンカという中国娘にさんざん貢いでいたのである。さらに驚いたのは、入社三年目の社員編集者であるシノハラもコマイに誘われて「金華」の常連となり、彼は彼で相当な金を取材費名目で遣い込んでいるということだった。コマイから洗いざらい聞き出し、今度はシノハラを呼んで事情聴取すると、彼もいとも簡単に事実を認めた。シノハラの相手はアイカという名のやはり中国娘で、リンカとは従姉妹同士だった。ここ半年ほどは二人でほとんど毎晩錦糸町に繰り出して「金華」で飲み明かしていたのだという。 結果、コマイの不正流用は一千万円余、シノハラはおよそ四百万円だ。ここまでの話であれば、コマイとシノハラ両名に正直な再申告をさせて横領した金銭の返却を行わせればよかった。コマイは当然クビにし、シノハラも今度の異動で編集畑から追い払ってしまえばいい。一千万円の遣い込みは確かに問題だが、長年週刊誌をやっていればその程度のことはたまに起こる。特派記者というのは要するに専属の契約社員であり、編集部の社員記者とまったく同じ仕事をさせている。にもかかわらず四十手前のコマイの年収は五百万円そこそこで、二十六歳のシノハラの年収はすでに八百万はあるのだ。記者としての力量はコマイが遥かに上であることは言うまでもない。仕事的にはシノハラはまだコマイのパシリ程度の存在なのだ。そういう点で、安く使っている特派記者の取材経費については余りガミガミ言い立てないのが会社の不文律になっていた。特派記者から一流のノンフィクションライターに成長していった者たちも相当数いた。彼らへの経費支出は人材投資の一面もなくはないのだ。 彼ら二人がどうしてそんな中国娘たちに入れあげたのか。タケヒコに尋ねられたシノハラは、本当のこと言っても、カワバタさん、僕のこと馬鹿にしませんか、と言い、いいから言ってみろ、とタケヒコが促すと、彼は照れたような笑みを面上に浮かべ、リンカもアイカもあそこが凄いんです。あの子たちの一族は代々名器の家系らしくて、男だったらあんな女と一度やったら誰でも俺たちみたいになっちゃうと思います。だってイクときあそこがギュウッと締まって、こっちの射精が止められちゃうんですよ。カワバタさんだってそんなの経験したことないでしょう。ほんと凄まじいですよ、と言った。 そして、この発言の直後、シノハラの口からとんでもない告白が飛び出したのだ。 実は、イシガキ局長も、何回かコマイさんの部屋で俺たちと一緒にリンカやアイカとやったんですよ。最近は局長が一番ハマってました。 このシノハラの一言で、局面は一気に転換してしまったのだ。 どうりでコマイも目の前のシノハラも妙に落ち着き払っていやがるんだ、と腑に落ちた気がした。コマイがすぐに口を割ったのも、シノハラの名前をゲロったのも計算ずくだったのだ。二人で相談して、いざとなれば社員記者のシノハラの口から編集局長の関与を暴露する魂胆だったのだろう。なるほどイシガキが一枚噛んでいるという事実は充分な切り札だった。 コマイたちからすれば「これは局長公認の遣い込みですよ」といつでも開き直れる状況である。 タケヒコはその日のうちにイシガキを会社から離れたホテルの一室に呼び出した。真偽を質すと、悪びれるでもなく彼は事実を認めた。イシガキは半年前くらいからでコマイの部屋で五回ほどやった、という。 この大事な時期に、何やってるんですか、というタケヒコの叱責に彼はしょげた顔を作った。 「金華」は中国マフィアとつながってる札付きの店らしいですよ。オーナーは完壁そっち系です。これ以上深入りするとヤケド程度では済まなくなりますよ。 タケヒコの警察ルートの情報源の確かさはイシガキも百も承知だから、うんうんと頷いて、もうすっぱり手は切るよ、と殊勝な声を出した。 以来、タケヒコとしても二人の記者の遣い込みは闇に葬る以外にないと考えていた。
さきほどの会議室でのやり取りでも、イシガキの本題はこっちの方だった。マキノ官房長官の件は先送りにすると決めてタケヒコが席を立とうとすると、実は、いいアイデアがあるんだ、と身を乗り出してきたのだ。イシガキが言うとおり、今回のスクープに絡めてゴンドウやクサナギたちの目をくらますのが上策だろう。コマイたちが通い詰めていたのがチャイナバーというのが好都合だった。まだまだ俺たちにツキがあるってことだろ、とイシガキはほくそ笑んでいたが、タケヒコはとてもそんな気になれなかった。 シノハラは四月の人事で外に出す。コマイとは六月で契約を打ち切ることにした。もちろんイシガキさんも承知だ。とにかく了解してくれないか、とタケヒコはフジマキに頭を下げる。 二人の遣い込みに関して伝えていたのはこのフジマキだけだった。他のデスクは何も知らない。むろんイシガキの関与についてはおくびにも出していない。 コマイの遣い込みについてタケヒコが腹に据えかねていることはフジマキにもよく分かっていた。 それって、やっぱりイシガキさんの意向なわけですか、とフジマキは訊いてきた。 ま、コマイだけのことならともかくシノハラも一枚噛んでいるからな、とタケヒコは言う。 別にシノハラのためってわけでもないでしょう、とフジマキは不愉快な声になる。 フジマキの言うとおりだった。イシガキとしては六月の役員改選を前に膝元での金銭スキャンダンルを何とか揉み消しておきたいのだ。しかし、フジマキはそこまでは知らないはずだ。イシガキが古くからの友人を庇おうとしていると単純に考えているだけだろう。 分かりました。ただしコマイさんとシノハラの口は絶対に封じておいてください。サカモトたちが知ったらただじゃ済まなくなりますよ、と心外そうな表情で言ったフジマキに、タケヒコは、もちろんだ、ともう一度頭を下げた。
デスクたちが出してきたタイトル案に手を加えながら仮目次を作り終えると、タケヒコは小会議室に閉じこもって、プリントアウトした目次を一時間ほどかけてじっくり眺めた。これは毎週の恒例行事で、そのあいだは電話も取り次がないよう部員たちに言い渡してある。明日以降のニュース次第、また取材の仕上がり如何でこの仮目次の中身や大小は否応なく変化していく。それでも曲がりなりにも一冊の体をなした雑誌の原型を、誰よりも早く概観できるというのは、編集長ならではの醍醐味である。 といっても、五年もやっているとさしたる興奮も喜びもない。物事の価値というのは詰まるところ希少性に依拠しているだけなのだろう。どんな輝きも日常化された瞬間に、それは輝きではなくなる。 出前の仕出し弁当を持ち込み、テーブルに載せた目次の紙を見やりながら箸を使った。弁当はすっかり冷めている。炊き寄せの里芋やかぼちゃ、レンコンやししとうの天ぷら、玉子焼き、海老団子などをつついただけで、あとは手をつけなかった。色の変わった刺身も汗をかいた白飯も、三分の一しか残っていないタケヒコの胃袋に適しているとは思えない。 弁当箱の蓋を閉じ、ポケットからティーエスワンを取り出して飲んだ。一日二回。今日はこれで終わりだ。あと二十七日間つづけて、再び二週間の休薬に入る。 白いカプセルが縦に二列並んだタブレットシートをぼんやりと見た。 服用を始めてすでに一年半を過ぎた。まだ歴史の浅い薬だけに使用期間が定まっていない。がんセンターの主治医も、最初は、とりあえず一年をメドにしましょう、と言っていたのが、さしたる副作用が出て来ないことを知ると、じやあ、もうしばらく続けてみましょうか、と一年後に方針を変えた。 ステージU、Vの胃ガンを対象とした大規模臨床試験の途中で劇的な効果が確認され、急遽試験を中止して治療現場に投入されたティーエスワンには、使用上の明確なガイドラインがまだない。二年前はタケヒコ自身、臨床試験に応ずる形でこの薬を使い始めたのだ。その点で、現在もタケヒコは被験者の一人だ。ある日、医師の判断で服用を中止する。それからしばらくして胃ガンが再発すれば、服用中止の判断は尚早だったことになる。その後何年も再発がなければ、薬効の維持が認められる。逆に、医師の判断で延々と服用をつづけさせられるのかもしれない。にもかかわらず再発すれば、その時点までの投与には治療上の意味がないと判断される。いまの自分は一人の人間であると同時に一個のサンプルデータとして生きているわけだ。 どうしてこの若さで胃ガンになどなったのだろうか。 二年前の五月、ガンの告知を受けたときに一番実感したのは、自分の人生に対する暗黙の信頼、当然の期待が一瞬で消え失せたことだった。何と表現すればいいだろう。いままであると信じていた人生の土台、ベースというものが実際は存在しないことを思い知ったというべきか。ガンそのものよりも、タケヒコにとってはそのことの方が何倍もつらかった。タケヒコは自分のことをそれほど幸運な人間だと思ってはいなかったが、さりとて不運だとも思っていなかった。そうした曖昧なスタンスが「甘いな、お前」と嘲笑われたような気がした。 自身の人生を愛していたつもりはなかった。生まれながらに身体にオン・オフのスイッチが付いていたとして、そのスイッチを押せば苦痛も何もなく人生を終わらせることができるとするならば、タケヒコは、もうとっくにこの世界からおさらばしていたに違いない。 だが、ガンの告知によってタケヒコが受け取ったのは、言うなればそうした自発的な死の甘美さではなく、自分の肉体が自分を裏切り、自分を殺そうと刃を向けてきたような納得できぬ理不尽さばかりだった。 私たちは死ぬのではなく、殺されるのだ。生まれて初めてその事実にリアルに接近した。自殺を除外すれば、死は常に私たちの外側からやってきて私たちの内部に突き刺さる。 私たちにできるのは、「やってきたその死」を受容することだけだ。そんな当たり前の現実にようやく気づいたのである。 「自殺」がタケヒコの中でまったく違った色合いを帯びるようになったのは、それ以降だ。 たとえば、タケヒコはティーエスワンをこうして飲み下すたびに死にたくなる。どうにも恥ずかしくてならないのだ。四十一という若さでガンに罹るような、運に見放され、不良品の熔印を捺された自分が、それでも生にしがみつき、必死の思いでこんな毒薬を飲み続けている。お払い箱を告げられていながら、まだ仕事が欲しくて雇い主の足元にすがりつく老奴隷のような真似をしている。そういう自分自身が恥ずかしくてみじめで耐え難いのだ。 その恥ずかしさの尻拭い、補正作業の一環としてタケヒコは死にたくなる。死のう、という思いだけが生に拘泥する自らの愚かさを中和してくれる気がする。 「PLAYBOY」誌のインタビューの中でフリードマンはこう断言している。 物欲の上に立たない社会なんかがありますか。「信じていて絶対間違いのないことは、相手があなたの利益より自分の利益を優先させようとすることだ」とは私の友人の言葉ですが、私も確かにそうだと思います。 だが、このフリードマンの信念は恐らく間違っている。 まずもってこの社会は物欲の上に立ってはいまい。マザー・テレサの言葉を想起するまでもなく、どんな金持ちもきっと心の奥底においては誰よりも貧しくなりたいと願っているのだ。乞食が王子になりたいだけでなく、王子こそが乞食になりたいのだ。 人間は自己の利益を他者の利益よりも必ず優先するという原則も、肝心な部分ではその真逆となる場合が往々にしてある。たとえば、明治維新最大の功労者だった西郷隆盛は、『南洲遺訓』の中で次のような有名な言葉を遺している。 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして、国家の大業は成し得られるなり。 要するに、この世界はフリードマンのような合理的な人間たちだけで成り立っているわけではない。 人間という動物は自己の経済的利益に反する行動をむしろ平気で行う。復讐のために全財産どころか自らの命までを賭し、それでも歓喜の中に死んでいけるのが人間というものだ。 タケヒコは、この世の中に問題が起こるのは、世の中そのものが不完全だからでも、人間そのものが不完全だからでもないのではないかと思っている。 むしろ、世界も人間も私たちが想像している以上に完全なのだ。 経営者は株主の利益を考えれば考えるほど、株主の利益を離れて社会的責任に目覚めていく。別の言い方をするならば、自分の個人的道徳観を真実に達成するためには、フリードマンの言説とはまったく異なって、どうしても「他人の金」を使わねばならなくなってくるのだ。 この世界は、分離独立した存在や現象が各々非常に完成度を高めているために否応なく相互に絡み合い、それゆえに自他の区別がつきにくい複雑極まりない様相を呈している。個人の利益が全体の利益につながり得る可能性が著しく高いのだ。個人と全体とのあいだに利益相反が起きにくいということは、それだけ個人と個人との間の独立性が曖昧である証拠と言っていい。つづめて言えば、ここはおしなべて「情けは人の為ならず」が貫徹する世界なのだ。 フリードマンがこよなく愛した「個人の自由」に大多数の人々がそれほど大きな価値を認めないのは、彼らが無知だったり愚かだったりするからではなく、「個人の自由」によって解決可能な人生上の諸課題がそれほど多くはないことをよく知っているからにすぎない。 これは経済活動においても同様だろう。 企業や個人の存分の経済活動が許され、政府や中央銀行の介入から市場がどれほどに自由であったとしても、それだけで我々の幸福が極大化することはあり得ない。 なぜなら、私たちの幸福は、自由の中と同じくらいに束縛の中にも存在するからだ。
九時半には会社を出た。通用口から外に出る前に守衛さんの許可を貰って、正面の駐車場の雪を見に行った。まだ全体にうっすらと残っている。踏んでみると一部がシャーベット状に凍っていた。そのシャーベットの部分を爪先でつつきながら広い敷地を横切った。滑りにくい靴を履いてきたので足を取られることはない。シャキシャキと軽快な靴音が暗がりに響く。昼間強かった風はすっかり凪いでいたが、夜気は冷え切っていた。中央付近まで来たところで振り返って、会社を見上げた。九階建ての変哲もない茶色のビルだった。こんな小さな建物の中で二十一年間も働いてきたのかと思うと、いつもながら「俺は、そんな人生でほんとによかったのか」と自問したくなってくる。大きく深呼吸する。吐息が真っ白に煙った。五階の週刊誌の編集部を見た。タケヒコがいつも背負っている窓があり、さきほどまで腰掛けていた肘掛け付きの椅子が見えた。その真下は資料室で、やはり明かりが灯っている。あとは出版セクションが入っている六階に電気が点いていた。 資料室の窓に人が立っていた。こちらの方を見て手を振っている。アルバイトのニシナ・マユカだった。そう言えば会社を出る前に、明日すぐに目を通したい幾つかの雑誌記事を資料室で見つけて複写しておくよう命じたのだった。 ニシナ・マユカは大学二年。まだ二十歳だ。去年の春からタケヒコの編集部でバイトしている。毎晩遅くまで残っている部員たちのために買い出しに行ったり、出前を注文したり、新聞をとじたり、資料をコピーしたりと雑用全般をやらせているが、彼女の席をタケヒコの隣に置いているので、タケヒコにとっては秘書役のような存在でもあった。小柄だが目鼻立ちのくっきりした可愛い子である。若手の部員からもすこぶる人気があるようで、この一年のあいだに恐らく何人かは言い寄っただろうし、いまはそのうちの誰かと付き合っているのではないかと想像している。 タケヒコも手を振り返す。気づいたマユカがちょっと飛び上がって、さらに大きく手を振ってくれた。小学生のナオもすぐにマユカのように大きくなるのだろう。考えてみればあとたった九年でナオも二十歳だ。その頃、タケヒコは五十二歳。ガンが再発していなければまだこの会社にいるだろう。だが、何となくそんなに長くは生きていないような気もする。胃ガンが見つかってからは、十年先、二十年先を素直に思い描くことがまったくできなくなった。それも一因だが、ガンに罹る前から自分は五十までは生きられない気がしていた。 タケヒコは手を振りながら通用口の方へと引き返した。ニシナ・マユカも視界から消えるまで手を振ってくれていた。
「ジョイス」は青山通りから一ツ木通りに入ってすぐ右手、赤坂四丁目の角にある。細長いビルの五階で、常連以外の客はいない店だ。タケヒコもたまに足を運ぶが、ここはもともとイシガキが行きつけにしているバーだった。 長いカウンターの真ん中あたりに陣取って薄い水割りをすすっていると、樫の重い扉を引いていて、イシガキが入って来た。タケヒコを見つけて手をあげる。背の高い若い女性を連れていた。 髪の長いきれいな人だ。イシガキは何事か耳打ちして彼女と別れ、こちらに近づいてくる。 女性の方はドア近くの席に一人で座った。 イシガキが右隣の椅子に腰を下ろす。待たせて悪かったな、と出されたお絞りで入念に手を拭いながら言った。時間は十時ちょうどで、約束どおりだった。 精算の件、フジマキは了解してくれたか。 バーボンのソーダ割を注文すると、イシガキはさっそく本題に入った。 ええ。ただサカモトたちには絶対に洩れないようにしてくれと釘を刺されました。 サカモトは堅物だからな。バレたら騒ぎ出す可能性もある。お前はあいつをえらく買っているが、俺は、どうもああいう融通の利かない手合いは好かん。 そんなこと言わないで下さい。今度のスクープもサカモトの取材力のたまものなんですから。 まあ、ネズミを捕る猫なら黒でも自でも構わないってか。 イシガキはそう呟くと、届いたソーダ割を半分ほど一気に飲み干した。 コマイとシノハラの処分はどうしますか。シノハラは四月の異動で飛ばして、コマイについては六月の契約更新をせずに追い出すというのが筋ですが、なにぶんイシガキさんの件で二人にケツをまくられると厄介です。そのへん、イシガキさんからコマイに因果を含めてもらえませんか。シノハラに引導を渡す役は僕がやりますから。 それは難しいよ、とイシガキは即座に言った。 コマイも離婚したばかりで慰謝料や養育費の支払いで大変らしい。遣い込んだ金も半分はそっちに回したと言ってた。いまあいつを切るのは得策じゃない。 クビにしたら何をするか分からないってことですか。 コマイも今度のことでは反省している。大目に見てやろうや。長年まじめにやってきた男だ。中国女にハマったのもあいつが遊び慣れていなかった証拠だろう。シノハラもまだ若い。きっちり精算させて、もう一度チャンスをやってもいいんじゃないか。 イシガキのとってつけたような言葉にうんざりした。しばらく黙って何も答えなかった。 写真でも撮られてるんじゃないですか。正直に言ってください。 水割りの残りを飲み切ってからタケヒコは言った。 それはない。コマイだってそこまでするような男じゃない。 イシガキはむっとした声で否定する。 だったら責任の所在は明確にすべきです。シノハラは僕たちを敵に回してこれから会社で生きていけないことはよく分かっています。コマイにしても一千万円以上の遣い込みを見逃してやるんです。クビにしたところで逆切れできるような立場じゃないでしょう。 今度はイシガキが黙り込んだ。 なあカワバタ…… しばしの間を置いて、妙にしんみりした調子で口を開く。 俺も何度かあの中国娘たちとやってみて、こりゃあコマイたちが深みにハマったのも無理はないかとつくづく思った。実際やったことのない人間に幾ら話しても分からないだろうが、ほんとにそれくらい凄いんだよ。シノハラのセリフじゃないが、最近は俺が一番ハマってたかもしらん。コマイの遣い込みがバレたおかげでずぶずぶになる前に足抜けできて俺は幸運だと思ってる。人間、ときに我を忘れることがある。殊にセックスは男にとっては永遠の鬼門だ。コマイは離婚して女ひでりだったし、シノハラは毎日でもやりたい年頃だ。俺だってかみさんとやるのは二カ月か三カ月に一回。完全な義理マンだよ。それでもこの歳になると長続きしなくて、いつもAV観ながらやってるんだ。ああなるとかみさんのあそこはまさに穴だよ。大人のおもちゃと同じだ。そんなときに、目の前にぴちぴちのボディと極上の名器を持ちあわせた若い娘たちが現れて、金さえ払えばバンバンやらせてくれるとなってみろよ。コマイやシノハラならずとも、カワバタお前だって、あの娘たちと一度やったら絶対溺れまくるよ。だから、今回だけは俺に免じて二人を許してやってくれないか。 そんな法外な話は通りませんよ。とても無理です、とタケヒコは突っぱねた。だいいち、セックスがそれほど大事ですか。 空のグラスを前に押し出し、イシガキの顔を覗き込む。 そりゃ大事だろう。 イシガキが不貞腐れた面持ちで言った。 僕はそうは思いませんね。僕だったら、二度とガンを再発させないかわりに一生セックスができなくなる手術があるとすれば、躊躇なく受けますよ。ガンが見つかって、会社に戻るまでのあいだ、女の身体なんて頭に浮かんだことさえなかったですよ。セックスは所詮、賛沢品だと思いますけどね。ないならないで案外我慢できるんじゃないですか。誰も彼も大袈裟に考えすぎなんです。僕はガンになって思い知りましたよ。 そんな枯れたこと言われてもなあ…… イシガキは弱った声になった。タケヒコが入院したとき一番親身になってくれたのはこのイシガキだった。休職していた二カ月間、彼が編集長代理を務めてタケヒコの復帰を待っていてくれたのだ。 とにかくコマイに一度持ちかけてみてください。次の仕事口も場合によっては見つけてやっていいですから。うちの編集部にこのまま彼を置いておくのだけは御免です。 イシガキはまだ渋っていた。あいつとは長い付き合いだからなあ、と呟く。 タケヒコは、これ以上言い募っても無駄のようだ、と思い、ま、まだ時間はあります。コマイとシノハラはあくまでセットで処分しないとアンフェアですしね。イシガキさんも最初から投げないで、少しは努力してみてください。 そう言って、タケヒコは椅子から立ちあがった。 また打ち合わせしましょう。今夜はイシガキさんも忙しそうだ。 皮肉を一つくれてタケヒコはそのまま出口に向かった。擦れ違いざまにカウンターの隅に座る女性に目をやった。若いと思ったが近くで見ると二十代後半といったところか。イシガキもそろそろ五十だろう。それにしては相変わらずの精力ぶりだ。 イシガキには前の夫人との間にも現在の夫人との間にも子供がいなかった。彼がいまだにセックスに固執する原因は、案外そのあたりにあるのだろう。セックスの本来の目的は繁殖だ。一人でも子供を持つことができれば、男にしろ女にしろ、自分たちのセックスに一応の区切りをつけられる。親になるというのは「セックスの完成」を意味するからだ。一度でもゴールテープを切るなり、ノーサイドの笛を聞くなりすればレースやゲームの全体像が把握できるのと同じで、子供を持つことで私たちはセックスのゴール風景を見る。だが、子供を作らぬセックスばかりしていると、気づかないうちに人間は道に迷ってしまうのではないか。目的地を失って性欲の海を漂流しつづけるみじめな幽霊船と化してしまうのではないか。 どうですか、ソポクレス。愛欲の楽しみのほうは。あなたはまだ女と交わることができますか。 古代ギリシャ最高の悲劇詩人ソポクレスは、晩年、ある男にそう問われて、次のように答えている。 よしたまえ、君。私はそれから逃れ去ったことを、無上の歓びとしているのだ。たとえてみれば、狂暴で猛々しいひとりの暴君の手から、やっと逃れおおせたようなもの。 イシガキはさしずめその「ひとりの暴君の手」によって翻弄されつづけているというわけだ。 ではタケヒコはどうだろう。イシガキにはあんな物言いをしたが、ガンから生還した途端に、タケヒコもまた暴君の思いがけぬ再襲撃にさらされている感じがある。 だが一方で、セックスに何一つ幻想を抱かなくなったのは事実だし、かつて感覚したような躍動感や充実感を得ることが一切なくなったのも事実だった。
電話口の向こうでジュンナは「どうしたの」と少し驚いた声を出した。たしかに時間はもう午後十時半を回っていた。 イシガキと別れたあと、タケヒコはジュンナに電話して、これから会おうと誘った。三日前に会ったばかりだし、タケヒコがこうして急に、しかもこんな遅い時間に連絡するのも滅多にないことだった。 ジュンナは、いまからっていまから? ちょっと呆れた口調になっている。 タケヒコは、今夜は旦那さんは、間違いなく泊まりだと思う。だからジュンも好きにして大丈夫なんだ、もし出て来られるんだったら、芝公園で待ってるけど、と言った。 タケヒコは、土曜と月曜は翌日の出稿に備えて会社に泊まることを通例としていた。二折の原稿は分量も少なく、土曜日は泊まり込みで待つ必要もないのだが、この五年間ミオにはそう言い続けてきた。といっても必ず土曜に他の女性と会っていたわけではない。ジュンナと付き合うまでは一晩中飲み歩いて会社の仮眠室で眠るのがほとんどだった。 ジュンナは、私に会いたいの、と訊く。 うん、ものすごく会いたい、とタケヒコは答える。 分かった。あなた今どこ。 赤坂。 だったら、一時間後に芝公園のロビーにしましょう。 美味しいワインを持っていくよ。 電話を切って、タケヒコはこの時間でも開いているリカーショップを探すために一ツ木通りをTBS方面に向かった。しばらく歩いたが、時刻が時刻だけに営業している店は見当たらない。方針を変え、道を左に折れてみすじ通りに出た。サントロぺの向かいのビルに入る。エレベーターで三階に上がると、降りた正面に「kaede」という暖簾のかかった小さな日本料理屋があった。 引き戸を引いて店内に足を踏み入れる。割烹着姿の中年の女性が姿をあらわした。 奥にカウンターとテーブル席が七つ。決して広い店ではないが、今夜も外人さんたちで満席のようだった。 今日は、客じゃないんだ、と言うと、女将は、あら、じゃあ、何か用、と訊いてくる。 ワインを一本分けて貰えないかな。いまから作家先生のところへ急に顔を出さなきゃいけなくなったんだ。 了解。そう言うと女将は厨房の奥へと一旦消えた。白ワインを提げてすぐに戻ってくる。 これでいい?と差し出されたボトルのラベルを見る。シャトーマルゴーの二〇〇二年だった。最高級のワインだ。 ありがとう。助かるよ、そう言ってタケヒコが一万円札を二枚抜いて女将に渡そうとしたが、彼女は受け取ろうとしない。 そんな水臭いことするんだったら引っ込めちゃうわよ。 笑みを浮かべながら女将は言う。珊瑚玉一つ挿した小さな鬢に着物姿の彼女は相変わらず若々しい。とても五十歳を越えているなんて思えない。タケヒコは仕方なく紙幣を財布にしまい、ボトルを受け取った。 じゃあ、近いうちに必ず埋め合わせするから。 気にしないで。大スクープのお祝い。サトシも喜んでたわよ。 そうか。あいつ元気にやってるのかな。 仕事は大変みたいだけど、楽しいって。 そりゃよかった。今度こっちに戻ってくることがあったら連絡するように言ってよ。何かうまいものでも奢ってやるからって。 分かった。伝えておく。 店を出てタクシーを拾った。運転手に「芝公園のパークタワーホテル」と告げる。ジュンナのマンションから近いこともあって「ザ・プリンスパークタワー東京」をタケヒコはよく使っていた。 「kaede」の女将、アズマ・キヌヨとは十数年来の付き合いだった。最初に出会ったときの彼女はサイマル・インターナショナルに所属する同時通訳だった。その彼女が日本料理の店を開いたのは八年ほど前だ。オランダ人の夫と離婚したのをきっかけに同時通訳の仕事を辞め、半年も経たないうちに「kaede」をオープンさせた。東京の物価に愕然とする在日外国人や外国人観光客のためにリーズナブルで美味しい日本料理を提供するという店のコンセプトは、それまでの彼女の通訳としての人脈も手伝って、大成功をおさめたのだった。 二年前、タケヒコは彼女の一人息子サトシの就職に力を貸した。放送記者を志望していたサトシの相談に乗り、第一志望だったNHKに入局させたのだ。当時の総務大臣とは彼が議員秘書時代からの付き合いだったので、知り合いの息子を一人推薦するくらい造作もないことだった。ただ、サトシは慶応の学生で、一年間のアメリカ留学経験もあり、そこまでのコネを使わずともNHKくらい十分に入れる実力の持ち主だった。それでも、母親のキヌヨはひとかたならぬ恩義を感じたらしく、以来、下にも置かぬもてなしでタケヒコを迎えてくれる。それが億劫で、逆に「kaede」から最近は足が遠のいているくらいだ。サトシは現在、NHK旭川支局で働いていた。 ホテルにチェックインを済ませ、一階のドラッグストアでワインのつまみをみつくろっていると携帯が鳴った。時刻は十一時半を回ったところだ。ジュンナだった。タクシーの中からで、あと五分ほどで到着するという。このホテルは、カードキーがないと上層階行きのエレベーターに乗ることができない。タケヒコは、いつものドラッグストアにいるよ、とジュンナに伝えた。 チーズやナッツを選んで会計しているところに黒のロングコートを羽織ったジュンナがやって来た。ミネラルウォーターと缶ビール二本を冷蔵ショーケースから急いで持ってきてレジに置く。その分もまとめてタケヒコが支払った。 部屋は二十九階だった。大きな窓からは正面にライトアップされた東京タワーが見える。 下界を見下ろすとタワーの足元の緑地にも、右手の増上寺の森にもまだかなりの雪が残っていた。 ジュンナは家で風呂に入ってきたというので、タケヒコだけシャワーを使った。 さっぱりしてバスローブ姿で浴室を出てみると、ジュンナはホテルのパジャマに着替えベッドの背に上体を預けて、買ってきた缶ビールを飲んでいた。 ワインにしようよ、とタケヒコはカバンからマルゴーを取り出したが、今夜はビールにしておく、とあっさり断られてしまった。 どうしたの。めずらしいね。 ジュンナは大のワイン党なのだった。 別に理由はないんだけどね。少しは貞淑な妻になろうかなって思っているの。 不意に突拍子もないことを言う。 ジュンナは合掌するような形でビールを胸元に持ち、ここに来るタクシーの中で思いついたんだけどね、と言った。 タケヒコも彼女の隣に滑り込み、ベッドの背に上体を預けた。 あなたと会っていないときは、せめてもっといい奥さんになろうって。 タケヒコはジュンナの肩を抱き寄せた。月に一、二度の逢瀬とはいえ三年の付き合いだ。腕におさまる身体の感触はすっかり馴染みのものだった。 何でそんなこと思ったの。 前開きのパジャマを割って、肩に回した左手をジュンナの胸元に差し入れる。熱を帯びた左乳房を掌で包み込んだ。 こんなことをして、旦那に申し訳ないなってときどき心から思うことがあるの。ケンちゃんは奥さんに対してそんなふうに思うことないの。 ジュンナはタケヒコの「健」をとって「ケンちゃん」と呼んでいる。タケヒコはジュンナのことは「ジュン」と呼ぶ。どちらもむかし付き合っていた頃そのままだった。 僕のところは、夫婦と言ったってもう八年間も身体の関係がないからね。 そんなのうちだって似たようなものよ。 だけど、旦那さんは二カ月か三カ月に一度はやってるって言ってたよ。 何それ。 ジュンナが呆れたような声を出した。 だとすれば、うちとは大違いだよ。たとえ三カ月に一度でもセックスしているんなら、ジュンがときどき疾しい気持ちになるのは当然だと思う。夫に抱かれるべき身体をこうして他人の僕に与えているんだからね。 そういうことじゃないと思うんだけどな。 ジュンナはビールを飲み干すと、腕を伸ばして空き缶を枕元のナイトテーブルに置いた。 じゃあ、どういうこと。タケヒコは言いながら乳首を強く引っ張った。いたーい、と高い声を出してジュンナが身をよじる うちも基本的に夫婦仲は悪くないのよ、旦那のことも肝心な部分ではすごく信頼しているし、とジュンナは言い、だからね、旦那が早く帰ってきた日は、二人で決まってワインを一本空けるのよ。夫婦水入らずで。それで、そういうことをもうケンちゃんとはしないようにしようって、さっき思いついたわけ。どう、いい奥さんじゃない? ジュンナの話はどこまでが本気でどこまでが冗談なのかいつもよく分からなかった。 タケヒコは彼女の胸元から左腕を抜いて後頭部で両手を組んだ。目と口を閉じる。 「ジョイス」で出会った髪の長い女の顔が脳裡に浮かんだ。その顔がやがて和服姿のアズマ・キヌヨの丸みを帯びた顔に変わった。そしてそれはいつの間にか、会社を出るときに資料室の窓辺から手を振って見送ってくれたニシナ・マユカの幼さの残る面差しに入れ替わっていたのだった。 どうしたの。気を悪くしたの。 黙り込んだままタケヒコは首を横に振ってみせた。 ねえ、ケンちゃん。どうしたの。 せっかく来てくれた彼女を余り困らせるわけにもいかない。タケヒコは、目を開けると組んでいた手を解き、再び彼女の肩を抱き寄せ、ジュンも旦那さんとセックスするのをやめてほしいな、と言った。 どうして。 だって、僕はきみとしかしてないんだし、と言うと、ジュンナが含み笑いをする。 別に私たち、愛し合ってる恋人同士なんかじゃないでしょう。 それはそうかもしれないけどね。 かもしれないじゃなくて、そうなのよ。 ベッドの上でこうやって彼女と取り留めのない話をするのがタケヒコはとても好きだった。何よりジュンナは賢い人だった。きっとミオなんかより十倍も二十倍も賢いに違いない。 あなたとはいつか終わりになるからいいけど、旦那とはまだまだ延々と続けていかなきゃならないでしょ。本当は、あるようなないような関係が一番いいのよ。旦那との関係も、あなたとこうやって付き合うことで曖昧になるし、そうすれば仮に裏切られたとしても、ずっと傷が浅くて済むじゃない。人間なんて誰も信用できないもの。私が人生で学んだことってそれだけ。自分のことも私は信じてないの。だって自分の感情だって時間が経てばまるで他人のように思えるでしょう。全然信用できない。人間は、その場その場で愛したり信頼したりできる相手を見つければいいのよ。大切なことは一つ。愛も信頼も決して長続きしないってことよ。 だったら結婚なんてまったく無意味じゃないか、とタケヒコ言ったが、でもジュンナの言っていることは当たっているとも思う。 結婚というのは人間関係じゃないのよ。純然たる経済行為。繁殖や相互扶助という目的はあるにしても、この社会は夫婦や家族を単位として動いたときに最も経済効率が高くなるように作られているから。経済行為である以上は感情に振り回されてはダメでしょう。恋愛はギャンブルだけど結婚はビジネスなの。だからたとえ相手に裏切られた場合でも、最善の修復方法を考えて、結婚を継続させられるように常日頃から感情のコントロールが必要だし、結婚という関係に過剰な期待を寄せない人一倍の冷静さも大事なの。ビジネスに楽しさや快適さばかりを求めていたら仕事にならないのと一緒。だから、私はあなたとこうして付き合っていることに大きな意義を感じているのよ。 僕はきみたち夫婦の結婚生活を長続きさせるための安定化装置ってわけだ。 あなたにとっての私もそうでしょう。八年間セックスレスの男女を夫婦でいさせるために多大な貢献をしている天使なのよ、私は。 天使ねえ…… タケヒコは笑った。 だけど、ジュンはどうしていまの旦那との結婚にそこまでこだわるの。 そうタケヒコが訊くと、ジュンナは別にこだわってはいないけど、自分もこの歳になれば、また新しい相手を見つけるとしたらその男のレベルはいまの旦那よりずっと落ちるに決まっているし、それに、彼はこの分でいくと社長にだってなれるかもしれない。私は書店の娘として育ったからよく分かってるんだけど、書店と版元では階層が全然違うの。大きな書店の娘でしかなかった私が、あの会社の社長夫人になれるなら、それは凄いことだと思わない?あなたの奥さんもきっと同じよ。あなたがもっともっと偉くなると思ってるから離れて行かないのよ、と言った。 すくなくとも彼女はそんなことちっとも考えてないよ。娘のことを除けば、あの人は自分の研究者としての将来にしか関心がないだろうから。 そんなはずないわよ。妻は誰だって夫の出世にとても関心があるの。自分や子供のために夫の力をどううまく利用しようかっていつも考えているものよ。あなたの奥さんだってこの八年間、あなたが清廉潔白だったとはこれっぽっちも思っていないわよ。あなたが外でしていることなんてお見通しよ。それでも結婚を継続させているということは、それだけのメリットをあなたとの関係に感じているってことでしょう。 ということは、彼女も僕以外の男とこういうことをしているのかもしれないね。 それはどうかしら。 ジュンナは静かな口調で言った。 あなたの奥さんには娘さんがいるから。子供のいない私とは違うもの。母親は夫のことは平気で裏切っても、娘に対して恥ずべき行為は躊躇うものでしょう。
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