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白石一文『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』(講談社)
あらすじ T | U | V | W  X |

あらすじ X
 永田町二丁目に建つ十階建ての古いビルの中に「新村光治事務所」はあった。斜向かいが首相官邸、国会も目と鼻の先というそのビルは、かつては首相経験者や自民党の重鎮たちがこぞって拠点とした由緒ある建物だったが、近年老朽化が目立ち始め、政権党の権力が旧田中派・経世会から旧福田派・清和会へと移行していったこの十年ほどの間にすっかり往時の威勢を失ってしまっていた。数年前に所有権が外資の手に移り、格段の立地条件もあって再開発の恰好の対象となって、現在はテナントたちと転売目的の不動産会社とのあいだで立ち退きを巡る訴訟合戦まで起きていた。入居していた代議士たちも一人、二人と転出し、新村のような売り出し中の政治家がまだこんな場所に事務所を構えているのがむしろ不思議なほどだった。
 午後三時ちょうどに四階の事務所のドアを引いた。部屋は決して広いとは言えず、入り口正面の小さな受付台から奥に向かって声を掛けると、若い女性秘書が現れた。社名と名前を告げる。秘書は、お待ちしておりました、と丁寧に頭を下げ、七階の応接の方で新村は待っておりますのでご案内いたします、と言って、その部屋を出てエレベーターへ向かう。タケヒコは黙って彼女のあとにつづく。
 七階で降り、廊下の突き当たりまで歩くと、そこだけ木目調の立派なドアがはまった部屋があった。プレートも表札も掛かっていないその前で秘書はインターホンを押して、川端様がいらっしゃいました、と言った。どうぞ、という新村の陽気な声が返ってくる。
 重そうなドアを引いて、秘書を先頭に中に入った。応接セットの置かれた四畳半ほどの部屋があって、さらにその向こうにもう一枚木製の扉があった。大きな窓からは国会議事堂の威容が一望できた。秘書がその部屋をすたすたと横切り、二枚目のドアを開けると、入り口には新村光治が立っていた。にこやかな笑みを浮かべて、今日はお忙しいところを申し訳ありません。お待ちしておりました。と一歩前に出て右手を伸ばしてくる。
 タケヒコは新村の掌を軽く握ってすぐに手放し、はじめまして、と頭を下げた。
 新村は訝しげな顔でタケヒコを見つめ、川端さんとは慶応の有澄先生の勉強会で何度か一緒させていただきましたよね、と言った。新村が数年前の勉強会のことを憶えていたのは意外だった。
 ま、どうぞどうぞ、と手招きされて部屋に足を踏み入れる。二十畳はありそうな広々とした部屋だった。応接室というよりは執務室という感じだろうか。奥の窓際に大きな机が置かれ、その手前に十人程度はゆったり座れそうな応接セットが置かれていた。
 ただ、大物政治家の個人事務所にはつきものの豪華な壷や花瓶、絵画、掛軸や扁額、置物のたぐいはまったく見当たらない。
 機能的ではあるが、どちらかといえば殺風景な部屋だ。
 新村に促されて大掛けのソファに座る。新村も斜向かいの大掛けのソファに腰落ち着けた。テーブルの角を挟んで思いのほか近くで新村の顔と対峙する。
 四十八歳の若さだが、すでに運輸相、経済産業相、官房長官を歴任している。父親の新村邦治は幹事長から副総理まで登り、祖父の新村義治も衆議院議長を務めた実力政治家だ。百八十センチを超える上背と甘いマスクで女性たちの人気も高い。彼は政治家というよりタレントみたいなもんだからな、と営業部長の神崎が言っていたが、なるほどこうして間近で見るとそういう気がしないでもない。
 新村はテーブルの上に置かれた茶道具を使って茶の用意を始めた。手馴れた風情で茶筒の茶葉を急須に落として電気ポットの湯を注ぐ。一分ほど待って並べた湯呑に丁寧に茶を淹れ、タケヒコの分だけ茶托に載せて差し出してきた。そのあいだ無言だった。
 粗茶ですが、どうぞ。川端さんとはぜひ一度じっくり話をしたかったのですが、なにしろこの数カ月、お互い敵同士のようなものでしたからそうもいかずで。実は今日も来ていただけるかどうかちょっと心配していたんです。
 タケヒコはお茶をもう一口飲んで、湯呑を茶托に戻した。
 本来、お会いするのは僕としても不本意なんですが、ローズ・プロモーションの正田さんからつまらない脅迫を受けたときに、記事のことで話したいなら直接連絡するようあなたに伝えてくれと申し上げたので、お断りする筋合いでもなかろうと考えまして、とタケヒコは言った。
 正田君から初めて川端さんにどんな手を使ったかを聞いて仰天した、と新村は言った。まったくもって申し開きもできないような大それたことをしてしまってお詫びの言葉もない。正田君には厳しく注意しておいたので、二度とあのようなことはないとお約束する、とも言った。
 タケヒコは、そういう言われ方をしてもとても信じる気にはなれません。ましてうちの坂本君をあんな薄汚い手口で罠にはめたのは一体どこのどなたですか、と新村の平然とした顔を見据えた。
 あの状況ではああするしかなかったんです、と新村は言った。ご承知のとおり、インドのプロジェクトに関して私が特定の企業に便宜を図り、その見返りとして帳簿を通さない政治資金を受け取ったことは事実です。当時、官房長官の職にありましたから職務権限の問題もありますし、あの件が報道されてしまえば私の政治生命が危機に陥るだけでなく、小山田総理の責任問題に発展すること不可避です。おたくの坂本記者にはご迷惑をかけましたが、日本国のためだと思って私は鬼になったのです。ただ、彼に対してはいつか償いはさせてもらうつもりです。
 タケヒコは、新村が疑惑を完全に認めたことに息を詰めた。いかにも手前勝手な言い訳ではあるが、その正直さは驚嘆に値するものだった。
 ずいぶん率直な物言いをされますね。僕のような人間にそこまで話して大丈夫ですか。皮肉を込めて返してみる。
 川端さんは、もうあの件を記事にするおつもりはないのでしょう。記事にする気なら、坂本さんが逮捕された時点で書いていたのではないですか。
 僕はまだ諦めたわけではありませんよ。
 それはよく分かっているつもりです。だからこそ、今日こうしてお越しいただいたのですから。
 また新手の脅迫でもするつもりですか。
 とんでもない。そんな気はさらさらありません。
 じゃあ、何か交換条件でも提示しようというわけですか。
 そんなところです。といっても川端さんの意に添うかどうかは分かりませんが。
 新村は、タケヒコの方に半身を向け、真剣な表情を作った。
 川端さん、次の総選挙に出馬しませんか。もし出馬していただけるなら、私どもも、そして小山田総理も最大限の努力を惜しみません。必ずや当選していただきます。選挙区は川端さんの故郷、香川県第一区でいかがでしょぅ。香川一区はわが党の現職である長谷部泰造先生の選挙区ですが、ある事情があって引退がすでに内々で固まっています。その後継候補としてぜひ川端さんに御出馬いただきたいのです。
 タケヒコはしばし何の言葉も返せなかった。
 自分がこれまで激しく攻撃してきた相手からいきなり選挙に出ろと言われているのだ。空いた口が塞がらないような申し出だったが、新村の顔は嘘や冗談を言っているようには見えなかった。党三役を外れた彼は、次期総選挙に向けて準備を急ぐ党内で、幹事長、選挙対策本部長に次ぐポストである選挙対策副本部長に就任していた。次の総理総裁の有力候補であり、自民党内では「選挙の顔」として世間にアピールできる数少ない人材の一人でもある彼は、事実上の選挙対策責任者となって辣腕を揮い始めている。むろん候補者の選定においても決定権を握っているのは副本部長の新村だった。
 タケヒコは、そんな話、僕が引き受けると本気で思っているんですか。そこまでして、あの疑惑を揉み消したいのですか。
 出馬まで持ちかけてくるということは、インド絡みの案件の奥にはさらに重大な疑惑が眠っているのかもしれない。
 そういうわけではないのです。私は、川端さんが今回おやりになった記事というのは、私と川端さんとがこうして出会うきっかけを作るために天が計らってくれたものなのだと受け止めているのです。坂本さんに対してあそこまでやったのも、彼がその天の計らいを本気で阻もうとしているように見えたからです。そうでなければ、単なる保身のためだけであんな手の込んだことはやりません。
 タケヒコは、おっしゃっている意味がよく分からないのですが、と言った。
 ですから、私の不正な政治資金の授受を告発することがこの世界にとって重要なのではなく、それをきっかけとして私と川端さんとがこうして出会えたことこそが重要なのです。ということは、今回の私の申し出を川端さんが拒絶なさることは万が一にもあり得ないわけです。
 新村は最後に不敵な笑みさえ浮かべてみせる。
 よくまあ、そこまで自己中心的に物事を考えられますね。内閣の中枢で権力をほしいままにする人間が、自分の金銭的な利益のために国家の事業を特定の民間業者に下げ渡した。これは完全な受託収賄であり、刑法によって厳しく罰せられるべきものです。あなたは単なるワイロ政治家にすぎないし、そんな人間に国家がどうだとか、世界の何が重要であるかといった道理を語る資格はこれっぽっちもないんですよ。まして自分が賄賂を受け取ったことを揉み消すために、あろうことか告発者である僕や坂本君を恐喝し、あげくは選挙に出馬させて口封じをもくろむなどというのは、政治権力の私物化以外の何物でもありません。こんな恥知らずな申し出は、それ自体、あなたの受託収賄事件を上回るほどの大スキャンダルでもある。
 タケヒコのこの言葉にも新村の口許の笑みが消えることはなかった。彼はソファの背に身体を預けると余裕たっぷりに腕を組んでみせる。
 川端さん、そういった通り一遍の型にはまった物言いはやめにしませんか。あなただってご自分が口にされていることが表層的かつ凡庸に過ぎるものであることは十分にご承知のはずだ。言い返すわけではありませんが、川端さん。私は内閣の中枢で権力をほしいままにしたこともないですし、自分の金銭的な利益のために民間業者から金を貰ったこともありません。坂本さんに対しては悪いことをしましたが、それもこれも、私があなたともにこれからこの国を変えていくためのやむを得ない措置だったと考えています。まして、自分のスキャンダルを揉み消す目的であなたに出馬を勧めているなんて、そんなことは絶対にあり得ない。川端さんだって、内心では、私がそういう人間でないことは十分にお分かりになっているのではありませんか。
 タケヒコは、新村の瞳に奇妙な光が生まれているのに気づいていた。その光に引き寄せられる自分を感じる。
 新村は、それから長谷部の引退の理由が胃がんであり、彼が胃がんで出馬を断念されたというのもカワバタさんの存在と無関係だとはとても思えない、と言い、一度言葉を区切り、新村はふたたびタケヒコの方に身体を向けてきた。
 驚かれるかもしれませんが、私は『週刊時代』が取材を始めてすぐの段階から、あなたのことをずっと調べてきたんです。そして、あなたのことを知れば知るほど、私とあなたとは特別な関係なのではないかと考えるようになりました。私たちはそっくりなんです。あなたの経歴を見てつくづく思いました。
 四国の田舎で生まれ、父親も平凡な国鉄マンの自分ときらびやかな閨閥の中で育ったあなたとの間には何一つ共通点はない、とタケヒコは言った。学歴だって仕事だってまったく違うし、趣味噂好もおそらく全然違う。そして、おまけにあなたは健康、自分はガン患者ときている、とも。
 新村は探るような目つきでタケヒコを見ていた。
 川端さんは八年前に息子さんを亡くしておられますね、と意外なことを口にした。幸彦さんという名前ですよね。実は私も息子を亡くしているのです。ユキハルという名前で、やはり幸彦君と同じ生後三カ月でした。ユキハルのユキは幸彦さんと同じ幸福の幸です。二人とも重度の脳性麻痺を抱えて生まれてきたんです。幸治は亡くなりましたが、もう一人は伸治というのですが、彼は今年で十五歳になります。
 そうでしたか。
 幸治が死んだときは、正直ほっとしたんです。これで伸治一人になってくれたってね。重い障害ですし、長く生きるよりもいっそ早く死んでしまった方が本人にとっても幸せなんじゃないかと思ったくらいでした。でも、伸治を育てているうちに自分がどれほど勘違いをしていたか思い知ったんです。いまでも幸治のことを思うと胸が張り裂けそうです。彼が死んだときあんなふうに考えてしまった自分が許せなくて、死んだ息子に何と言って詫びればいいのか途方に暮れてしまいます。
 僕も似たような思いを抱えていますよ、と今日初めて、タケヒコは新村に対して素直な気持ちを表した。
 すると新村は、私自身も子供の頃に双子の弟を亡くしているんです、とさらに意外なことを口にした。
 彼については徹底的に調べたつもりだが、どの資料にもそんなことは書かれていなかった。戸籍も洗っているはずだ。デスクの藤巻からも取材班のメンバーからもそのような報告を聞いた憶えはない。
 まだ私が五歳のときのことです。私たちは一卵性双生児でしたが、弟は青信号で横断歩道を渡っているとき、突っ込んできた乗用車に撥ね飛ばされたのです。隣を歩いていた私は、弟のおかげで車が道を逸れ、かすり傷一つ負いませんでした。書生と三人だったのですが、書生が慌てて屋敷に駆け込んでいるあいだ、私は道路の隅に横たわる弟と二人きりでした。
 まだ息をしていました。とても苦しそうで、ときどき薄目を開けてこちらを見ていました。言葉は何も発しませんでしたが、書生が母を連れて戻ってくる寸前まで意識はありました。
 あのときのことはいまでもこの瞼の裏にはっきりと焼き付いています。私には弟がもう助からないことが分かっていました。たった五つでしたが、それでも神に祈るすべは持ち合わせていたのです。弟の右手を握り締めて私は祈りました。どうか神様、お願いだから僕から弟を奪わないでください、たとえいま死んだとしても、どうかまた弟を生まれ変わらせてもう一度僕に会わせて下さい、と。何度も何度もそう祈りました。一九六四年六月十四日日曜日の午前十時過ぎのことです。
 新村の最後の一言に全身が緊張するのが分かった。一つ大きく息をつく。このままだと自分が混乱してしまうような不安があった。
 それであなたは、我々には何か特別のつながりがあるのではないかと考えているわけですか、とタケヒコは間合いを取りたくて質問する。
 川端さん。考えているのではありません。感じているのです。
 単なる偶然だとは思いませんか。
 思いません。なぜなら、そのことを最初に指摘したのは私ではないからです、とさらに奇妙なことを新村は言った。川端さんたちが私の周辺を取材していると知ったとき、最初にあなたのことを予言したのはあの大月志麻子なんです。
 予言?
 そうです。川端さんたちは私と彼女との関係を単なる愛人関係だと思っているでしょうが、事実はそうではありません。むろん肉体関係がなかったとは言いませんが、彼女は私にとってもっと重要な存在なのです。「週刊時代」が周辺を調べ始めていると告げたとき、大月志麻子は「おめでとう。ようやく先生は亡くなった弟さんと再会できるわ」と言ったのです。これは信じても信じなくても構いませんが、彼女はたいへんな霊能者です。高台寺学園の上林理事長が志麻子に入れあげたのも、その霊能力に惚れ込んでしまったからなんですよ。
 大月志麻子とは例の虎ノ門のコンサルタント会社社長のことだった。
 川端さんは弟が息を引き取ったまさにその日、その時間に生まれているんですから。大月志麻子の予言は正しかったのです。
 たしかに、タケヒコが生まれた日は一九六四年六月十四日日曜日、時刻は午前十時過ぎだった。
 タケヒコは二年前の七月三十日日曜日、夜の電車の中で、自分自身の顔をこの目ではっきりと見たのだった。あの奇妙な感覚はとても口では言い表せないし、決して忘れられるものではない。
 小さい頃につけた額の傷も、右の小鼻の脇にある小さなほくろも、ちょっと縮れ気味の髪質も自分とまったく同じだった。その男は、失礼ですが、川端健彦さんではありませんか、というこちらの問いかけに首を振ってみせ、私は、ニムラと申します、と自分から名乗ったのである。
 ニムラという名前の人間と関わりを持った記憶はなかった。
 初めてそのことに思い当たったのは、メタン回収事業に絡む新村光治の疑惑追及記事第一弾を掲載した号が発売される前日、正田が用意してくれたDルームで藤崎里子を待っているときだった。
 ソファに座って文庫本を読んでいたタケヒコは、十五分ほど過ぎた頃、ふと活字から目を離して顔を上げた。室内が不意にしずまったのが分かった。そしてその瞬間、どういうわけか頭の中で「ニムラ」と「ニイムラ」とがすうっと重なり合うのを感じたのだ。ソファから立ち上がり、窓際へと歩み寄ってカーテンを引いた。思いもよらなかった雪の光景が眼前に広がっていた。しばし息を呑んだ。
 あの男は、「ニムラ」ではなく「新村」と名乗ったのではないか。足元から冷気が立ち上ってくるのを実感しながら、タケヒコはその二つの名前が酷似していることにようやく気がついたのである。
 それからはニイムラという名前が頭の中を占領した。新村の辞任会見をテレビで観ながら、もうこのへんで鉾をおさめてやってもいいだろうと思ったのは、やはりあの晩の記憶と画面の中の新村とが二重写しになったからだった。苦渋に満ちた彼の表情を見て、どういうわけかひどくやるせない、不憫な心地になった。タケヒコはあのとき、まるで自分の肉親が大勢の人々の前で吊るし上げでも食らっているような奇妙な悔しさを味わっていたのだ。
 その新村が、タケヒコのことを四十四年前に交通事故で死んだ双子の弟の生まれ変わりだと言っている。
 川端さんにも何か思い当たることはないのですか、と思い詰めたような顔つきで訊ねてくる。
 突然、そんな荒唐無稽な話をされても何とも答えようがありません。ただ、僕が弟さんの亡くなった同じ日に生まれたことはお調べの通りです。しかし、だとすれば弟さんの生まれ変わりは世界中に何万人も存在することになり。この地球上では一分間に百四十人、一日だと二十万人の人間が誕生しつづけているわけですから。
 タケヒコは心の動揺を見抜かれぬよう注意しながら言った。
 大月志麻子は、弟と再会できるとはっきり予言したんです。だから、私はあなたのことを調べた。すると、弟が死んだ同じ日、同じ時刻にあなたが生まれていることが分かった。四十四年も前のことですし、まさかそんな古い記録が残っているはずがないと思っていましたが、お母様のカルテが奇跡的に保存されていたのです。
 タケヒコは帝王切開で生まれていた。もしも母のカルテが残っていれば誕生時間は記録されていたに違いない。
 弟の死亡時刻も実ははっきりしているのです。弟の全身から力が抜けたのを私は見ました。彼が母親に最後のお別れをして旅立ったことが私にはちゃんと分かった。そのとき、母の隣に立ち尽くしていた書生の腕時計の針をとっさに読んだのです。私はその時刻を鮮明に記憶していました。そして、取り寄せたお母さまのカルテの写しを見ると、そこに記されていたあなたの誕生時刻と弟の死亡時刻はぴったりと符合したのです。それから四十四年の歳月が流れ、最も信頼する霊能者が、ようやく弟と再会できると予言し、その通りに僕はいまこうしてあなたと会っている。そういうことのすべてが、単なる偶然に過ぎないと川端さんは本気で思えますか。
 そう言うと、新村は顔を一度両手で覆った。
 とにかく、川端さんにすれば、突拍子もない話であることはよく分かります。私のような男にこうして急に呼び出されて、あげく、「あなたは死んだ弟の生まれ変わりだから今後は一緒に仕事をしていきたい。ついては次の総選挙に是非出馬をして欲しい」と言われているわけですから。そんな法外な話、おいそれと乗れるはずもありません。
 タケヒコは新村の話や身振りを見聞きしているうちに次第に息苦しくなってきていた。無意識にネクタイを緩め、腕時計を覗いた。三時四十五分。まだ一時間も経っていない。それにしてはずいぶん長い時間が過ぎたような気がした。
 お時間は大丈夫ですか、と新村が訊いてくる。
 ええ。今日は夕方まで空けてありますから。
 そう返事したあと、何か冷たいものでもいただけませんか、と付け加えた。
 新村はソファから立ち上がると執務机の方へ歩き、卓上のインターホンで、すみませんがアイスコーヒーを二つ大至急ね、と言った。
 席に戻ってくると新村の顔はさきほどより落ち着きを取り戻していた。亡くなった弟の話をしているときの彼はやはり幾らか上気した様子だったのだ。
 川端さん。国民というのは本当に愚かです。彼らは何も考えていません。この国のことも、この世界のこともです。多くの政治家や官僚たち信じられないほど頭が悪いんですよ。彼らがこの国を治めている限り、この国にこれ以上の発展はありません。
 私は優れた人間を糾合したい。でなければもはやこの国は救われません。自民党はもうおしまいですよ。こんな党にしがみついている気など私には最初からなかったんです。といって民主党が政権を握ったところで同じです。彼らは所詮は既得権益に酔いしれ、甘い汁を吸っている人間たちの寄せ集めでしかない。代議士になれば、先生面して他人を見下し、やがて大臣にでもなり、歳を取ったら胸に勲章の一つぶら下げる。そんな馬鹿げた連中しかいまの永田町にはいないのです。私はいずれ新しい政党、まったく新しい人たちだけで組織された政党を作るつもりでいます。
 川端さん、あなたもこの世界に入って来られれば分かりますが、政治にはうんざりするほどカネがかかるのです。私が現在さまざまな企業から受け取っているカネは、種類形式の如何を問わず、すべて世直しのためのカネです。そうやって便宜供与目当てに政治家にすり寄ってくる不届き者たちを成敗するためのカネでもある。彼らは自分の縛り首用のロープを、私が処刑人だとも知らずに渡しているのです。他の政治家が受け取っているカネとは、同じカネでもまったく違うカネなのです。新しい政党を作るためには莫大な資金が必要です。川端さん、そこのところをどうかご理解いただけませんか。
 新村は淡々とした口調で述べた。
 新党はいつ作るおつもりなんですか、とタケヒコは訊く。新村の発言はその場しのぎの言い訳にしか聞こえなかった。彼のように不正な政治献金を平気で受け取る人間が、有力で清新な政治勢力を形成できるとは思えない。
 まして、彼はそうやって企業から金を受け取る行為を自己正当化している。
 数年以内でしょう、と新村は言った。
 世界情勢はこれから加速度的に悪化していくと私は見ています。地域紛争、資源の争奪戦、伝染病の蔓延、環境悪化による破局的な自然災害、そして世界恐慌と、この百年で我々人類がやってきた貪欲で自己中心的な振る舞いのツケを一気に支払わされる時代が来るのです。そうした困難な時代にあって、我が国のように主体性の欠片もない国家はとてもこのままでは生き延びることができない。
 そして、新村は、アメリカは早晩国際社会での指導的地位を失うだろう、と言う。実体のない経済を借金と過剰消費だけで維持してきた国家がそうそう長続きするはずがない。しかもアメリカ政府はこの十年余り、〇・一パーセント以下のスーパーリッチにだけ優しい政策をとり、その結果、経済格差は深刻となり、かつての人種間題に匹敵するほどの内政問題となっている。加えて、低所得者向けの住宅ローンはすでに破綻状態に陥っている。近々アメリカの金融システムは崩壊し、それは世界経済全体に壊滅的な打撃を与えることなる。
 さらに、日本はそんなアメリカに従っているだけではもはや立ち行きません、と新村は言う。それどころか、これからの日本は脱アメリカの国策を強力に進めていかなくてはならない。もうアメリカというヒーローの尻を追いかけるグルーピーでは駄目なのです。実際、国民は長年の対米従属関係にほとほとうんざりしています。新しい政治家の仕事は、アメリカ抜きでどうやってこの国を繁栄させていくのか、それを懸命に考えることです。
 たしかに我が国は太平洋戦争でアメリカに敗れました。広島や長崎に核攻撃を受け、東京、大阪をはじめとした各都市を空襲で焼き尽くされ、戦地・内地において三百万人を超える国民を殺された末に負けてしまった。
 しかし敗戦からもう六十年以上も経過しているのです。にもかかわらず我々は、一体いつまでその一度きりの敗北の責めを負うつもりなのですか。一体いつまで敗戦国としてアメリカの風下に立つつもりなのですか。一体いつまで米、英、ロ、仏、中の国連常任理事国に向かって許しを乞いつづけるつもりなのですか。
 自国の安全は自国の力で保つのが国家の基本原則です。しかし、この国はその原則すら守れないでいる。我々は自国の軍事力のみで国土を守ろうとなぜしないのですか。米軍の駐留を一体いつまで認めるつもりなのですか。米兵が女子中学生をレイプしても手をこまねいていているしかない、という空恐ろしいほどの時代錯誤を一体いつまで続けるつもりなのですか。
 現在のアメリカの所得格差を是正するためには、富裕層への課税強化は避けて通れません。むろんこれは日本においても同様です。アメリカの最高所得税率は三五パーセントですが、一九一〇年代のアメリカではそれよりさらに低い二四パーセントでした。それをルーズヴュルト政権は一気に六三パーセントまで引き上げ、政権第二期にはさらに七九パーセントにしたのです。アメリカ経済の黄金期だった一九五〇年代になると冷戦の戦費負担もあって最高税率は九一パーセントにまで伸びています。同様に最高不動産税率も七七パーセントにまで上昇しました。しかし、この強力な所得再分配政策がアメリカに中流階層を作り出し、その後の国家発展の基礎を作ったのです。富の集中は弱まり、一九二九年には最も裕福な〇・一パーセントが国の富の二割を占有していましたが、五〇年代半ばになるとその比率は一割にまで激減しました。
 ところが最近の共和党政権は、両大戦を通じて縮まった所得格差をふたたび急激に拡大させる方向へと政策の舵を切ってしまった。結果、〇・一パーセントの富裕層の総所得が全国民収入に占める比率は、三十年前は二・二パーセントに過ぎませんでしたが、いまでは七パーセントにまで跳ね上がっています。しかもそれはあくまで収入ベースの比率であって、保有資産で見れば、富裕層の占有率はさらに膨れ上がっている。
 それでも、アメリカ政府は最高税率を九一パーセントまで引き上げるといった大胆な政策を実行することはできないでしょう。拳銃と個人主義があれほど蔓延してしまったアメリカ社会では、たとえ正しくともそのような“非民主的”政策は実現不可能です。
 だとすればアメリカの弱体化はもう避けられません。
 川端さん、アメリカの時代はもうすぐ終焉を迎えるのです。これからの国際社会は、二九年の大恐慌のときと同じようにブロック化へと突き進んでいくことになります。EUおよびロシアを中心とした欧州、南北アメリカ、そして日本、中国、統一朝鮮を主軸とする東アジア。そうした保護主義的経済圏が次第に形作られてくる。まさに未曾有の合従連衡の時代が到来するのです。
 そのような時代に、現在の自民党や民主党の議員たちでは使い物にならないのです。彼らはほとんどが対米従属派ないし対米協調派です。思考は柔軟性を著しく欠き、自分たちの能力の欠如を糊塗するために、国家権力の行使に制限を加えようとばかりしています。そんなヤルタ・ポツダム体制の残滓をいまだに引きずっているような連中には一刻も早く退場してもらわなくてはならない。
 だからこそまったく新しい政党の誕生が急務なのです。この国を敗戦アレルギーから解放し、真の自存自衛の独立国とするための政党。古い政治に毒されていない人材によって組織され、敢然と新時代を切り拓いていく力を持った政党。そんな政党を速やかに起ち上げなくてはならないのです。
 新村は滔々と持論を展開した。タケヒコは黙って、確信に満ちた表情で語り続ける彼の姿を見ていた。さきほどまでの息苦しさはだんだんと薄れてきていた。
 市場の意志に任せる、つまり金持ちたちの好きなように金儲けをさせてしまえば、結局彼らはモノ作りやイノベーションを忘れて投機ばかりに精出すようになる。カネがカネを産む道しか考えなくなり、市場はいたずらに過熱して、最後には破綻・大恐慌です。金持ちたちから有り余るカネを取り上げ、政治が有効な使い道を創出する以外に社会を救う手段はないのです。税率を大幅に上げ、公正で格差のない社会を作らねばならない。考えてもみてください。一人の人間が何億も何十億も溜め込めるような社会のどこが健全でまともなのですか。五千万も一億も稼ぐような連中からは七割の税金を取って何がいけないのですか。
 いまでこそ所得税の最高税率は四十パーセントですが、八〇年代までは七十パーセント台でした。それでもこの国は現在よりよほど活力に満ちていたじゃないですか。たとえ五千万円の所得から七割さっぴいたところで千五百万円が手元に残る。人間の生活なんてそれだけあれば十分です。それ以上の暮らしをしてみたところでろくなことはありません。
 機会の平等ではなくて結果の平等こそ追求しなくてはならない。それが我々政治家の真の仕事なのです。累進税率や相続税率などは幾ら上げても一向に構わないのです。税金を納めるのがイヤだからといって国から逃げ出すような連中や企業は、もともとこの国には必要ないのです。カネの亡者はどうせ国家にとって害悪しかもたらさない。
 経済問題なんて日本人が本気で取り組めば、たちどころに解決するでしょう。国際競争においても優秀な日本人は負けるはずがありません。重要なことは新しい価値を生み出すことです。本物の経済成長は技術革新からしか生まれない。良いモノを作り出して、それを世界中の人たちに提供する。実体のある経済成長はそのことによってしか実現しない。そういう点で、モノ作りに特化した戦後日本の経済成長路線は決して間違ってはいなかったのです。
 いまこそ国家レベルで壮大なプロジェクトを起ち上げればいいのです。新しいエネルギーの開発に莫大な国家予算を投じてもいいし、宇宙開発に対抗して海底都市構想といった海洋開発をぶち上げてもいい。一番に優先すべきは先端技術を駆使して欧米の英語支配を打破することです。英語を国際語として認めている限り、真の東洋世界の復権はあり得ません。一日も早く、世界の言語を瞬時に翻訳できるインカム型の自動翻訳機を開発するべきです。そしてその装置を世界中の国々に安く提供すればいい。
 景気がどうだの、経済がどうだのといった話はまったく本質的ではないのです。経済政策など正直なところ単純で容易なものです。国家にとって何より大切なのは、国の自立と民族としての誇りを失わないことなのです。民族といっても狭い意味での日本人を指しているわけではありません。この小さな島国で生活する人々すべてのことです。
 川端さん。この世界なんて一瞬で変えられるんですよ。何も難しく考えることなどありません。明治維新や終戦後の我が国を見てください。世界は音を立てて変貌しました。戦争や技術革新が世界を変えたのですか。そうではありません。この世界を変えたのは政治家であり法律なのです。政治によって法を定め、それを警察力と軍事力によって定着させる。それが政治です。国家という真っ白な紙に法という定めを記す鉛筆が我々政治家であり、その紙を国民一人一人の額に貼り付けるための糊が政治権力なのです。
 たとえばですよ、川端さん。私たちの党が衆参両議院で過半数の議席を獲得すれば、この国の土地をすべて国有化することだって不可能ではなくなるのです。たった一度の選挙に勝利するだけで、日本中の土地を国有化できる。そのこと一つでこの国のシステムも経済も国民生活もすべて変わってしまう。
 いずれこの首都東京は大地震で壊滅的な打撃をこうむるでしょう。しかもここ十数年のうちに必ず地震はやって来る。にもかかわらず政府のこの無策は一体何事でしょうか。可及的速やかに首都機能を各都市に分散せねばなりません。大都市部での土地私有の一部制限は当然のことです。そんなことは実際、あっという間にできるのです。明治の御一新のときにしろ戦後復興の時代にしろ、私たち日本人はもっともっと大きな変化を柔軟に受け入れ、数々の施策を迅速に実行しました。実はどんな政策も簡単なんです。民主主義とは本来、そうした非常に効率的なシステムなのですから。
 タケヒコは新村の長広舌を聞いているうちに次第にその話の内容に惹き込まれていった。雑誌編集者になって二十年余り、相当数の政治家たちにインタビューし、また個人的に付き合いもしてきたが、新村ほどの立場の人間がここまで大胆率直な話をするというのはあり得ないことだった。
 彼の語っていることは大半が真実だった。たしかにアメリカの世紀は近いうちに幕を下ろし、これからの日本は非アメリカの道を模索していくしかないだろう。機会の平等ではなく結果の平等を追求することが政治の要諦であるという考え方も世界中で急速に復権してくるはずだ。グローバリズムヘの批判はやがてブロック経済の進展へとつながり、人類は「同じ宇宙船地球号の乗組員だとしても、別に全員と仲良くする必要などないのだ」という当然の真実にようやく気づき始める。もしも戦後、アメリカというスーパパワーがいなければ、ここまで世界が混乱し戦争が頻発することはなかったのではないかというこれまた素朴な疑問が、数年のうちに様々な角度から分析されていくことだろう。アメリカの世紀は否定的審判の中で完全に終焉する。一部の政治学者が以前から主張してきたように「アメリカはソ連崩壊とともに実は死んでいた」ということだ。
 日本も経験したごとく住宅バブルはいつの時代にも起こり得るものだが、今回のアメリカのバブルには「金融工学」という名のマッドサイエンスが用いられた。無価値な証券類はこのサイエンスによって“細菌”から“ウイルス”へと生まれ変わり、世界中にばら蒔かれたのだ。アメリカは自分たちのやっている詐欺行為が露見し、国家そのものの信用が失われることを恐れて軍事行動を世界中で繰り返してきた。拳の力を見せつけることで国内外の人々の目を誤魔化すか、または脅迫しつづけてきたのだ。
 新村の指摘するように、いずれ破綻するアメリカ経済を救うにはほとんど無制限のドル供給、つまり巨額の財政支出が求められる。しかし現在のアメリカ政府にそれは困難だろう。所得格差をこれほどまでに拡大させてきたスーパーリッチたちは、当分は相応の政治力を発揮できるからだ。結果的にブッシュもブッシュ以降の大統領も限定的な救済策しか採用できない。そうやってバグダッドのアメリカ軍同様に、アメリカは徐々に弱体化していくことになる。そして、決して遠くないある日、世界中の国々がドルを一斉に売り始めるのだ。基軸通貨はこの瞬間に消滅し、世界は混乱を経て新しい秩序の構築へと向かい始める。
 そのような困難な時代にあって、それぞれの国民国家を主導するのはむろんビジネスマンではない。ましてヘッジファンドでもなければアラブやロシアの大富豪たちでもない。見識と熟練を兼ね備えた政治指導者以外にはそうした任に耐える者はいない。そのために政治色のない優れた人材を糾合し、まったく新しい政党を起ち上げるという新村の構想は、一見荒唐無稽にも見えるが、決して非現実的ではないとタケヒコは感じた。たしかに自民党、民主党といった既成政党、既存の政治家たちでは、アメリカという宗主国を失ったこれからの日本を正しい方向へと導いていくことはできない。それは誰の目にも明らかなことだった。
 新村さんのおっしゃっていることに自分としても同意できる部分が多々あるのは確かです。しかし、だからといって僕が次の総選挙に出馬するというのは筋違いだと思います。
 新村が弁舌を振るっているあいだに届けられたアイスコーヒーを一口飲んでからタケヒコは言った。
 どうしてですか?
 新村はいかにも不思議そうな顔を作る。
 これは、川端さんが私の弟だからうんぬんではなく、単純な話として申し上げるのですが、少なくともいまのお仕事よりは国会議員のほうがやりがいは大きいと思いますよ。しかも、おこがましい言い方で恐縮ですが、香川一区はご存知のとおり我が党の鉄板選挙区です。そこから日本で最も権威のある月刊総合誌の現役編集長であり、地元高松市出身でもある川端さんが、長谷部先生の後継として党公認で出馬されれば、落選は万が一もあり得ません。というよりこの新村光治が政治生命に賭けて当選させてみせます。もちろんさきほどもお伝えしたとおり、私だけでなく小山田総理も全力でバックアップしてくれます。次回総選挙の選挙情勢が予断を許さないものであることは事実ですが、もし川端さんが出馬してくださるなら、香川一区は最重点選挙区として、徹底的にテコ入れしていくつもりです。ですから、何もご心配には及びません。
 タケヒコは新村の言葉を聞きながら、確かにいまの自分が出馬すれば当選はさして難しくないだろうという気がした。
 しかし……そう呟いたところで、こちらの肚の底を見透かしたように、新村がまた身を乗り出してきた。
 とにかくこれほど重大な話です。いまここですぐにお返事をいただきたいと思っているわけではありません。じっくり考えてからご決断下さい。ただ、釈迦に説法ですが総選挙は日に日に近づいている状況です。出馬を決断いただいたら、すぐに発表し、現在の仕事はお辞めいただいた上で選挙準備に取り掛かっていただきます。やはり一番大切なのはご家族の同意です。川端さんの奥様はご自身が立派な職業を持っておられますから、きっと賛成して下さるのではないでしょうか。当選すれば議員は東京暮らしですのでお嬢様の学校については問題ありません。ただ、選挙となるとご家族の役割も大きいのです。その辺の理解だけはしていただかないと。場合によっては私が直接、奥様やお嬢様にお目にかかってお話しさせていただいてもいいと思っています。むろんそのときは死んだ弟のことに触れるつもりはありません。どうかよろしく前向きにご検討下さい。勝手ながらお返事は今月いっぱいということでお願い致します。
 そう言って深々と頭を下げてくる。
 あの美緒が、夫が自民党から出馬することを承諾するだろうか。まして新村光治の勧めだと知れば、彼女は唖然とした顔をするだろう。
 だが、とタケヒコは思った。仮にこれからも彼女がタケヒコとの夫婦関係を継続していくつもりならば案外賛成するのではないか。自分が勝手気ままに生きている人間には二つのタイプがある。
 一つは自分だけは自由に振る舞うくせに、妻や夫には自由を許さないという筋金入りタイプ。もう一つは自分自身の身勝手さを免罪するために、妻や夫の自由をある程度認めようとするずる賢いタイプ。きっと美緒は後者に違いない。
 ご提案は承りました。しっかり考えて今月中に必ず返事をします。
 タケヒコが新村派の新人として総選挙に出ると知ったら、あの竹之内はどう思うのだろうか。そうなれば彼はタケヒコと新村とをつないだ間抜けな産婆役だったことになる。きっと美緒に向かって、絶対に辞退させろ、と息巻いてみせるに違いない。
 そうですか。ご検討いただけますか。
 新村が会心の笑みを浮かべる。
 その笑顔を眺めながら、彼に双子の弟が本当にいたのかどうか大至急調べ直さなくてはと思う。
 ところで一つだけ伺ってもいいですか、とタケヒコは軽い調子で言った。新村も気安い感じで頷く。
 小山田総理とうちの浅野との特別な関係というのは一体何なのですか。
 今日の新村との会合で唯一探り出そうと狙っていたのがこれだった。新村は「何だ、そんなことか」という顔になった。
 新村によれば、小山田と浅野には知的障害のある子どもがいて、その子どもがともに小平市にある川雲学園という知的障害者施設に入っていたのが二人の縁だった。川雲学園は、あの香川友厚が設立した歴史のある社会福祉施設で、香川友厚は大正・昭和に活躍したキリスト教社会主義者だ。「貧民窟の聖者」として世界的にも知られた人物で、生前はノーベル平和賞の候補にもなっている。
 二人は、若い頃に、同じ悩みを持つ親同士として親しくなったようだ。そしてその後二人は理事として学園の発展のために尽力し、浅野はいまでも名誉理事長をやっているという。
 実は、新村の息子の伸治にも知的障害があり、二年前までこの川雲学園に通わせていて、学園を新村に紹介してくれたのも小山田だったという。その関係で浅野社長ともずっと懇意にさせてもらっているのだ、と新村は言った。
 知的障害児を持った親同士として知り合ったとなれば、まだ小山田や浅野の子供たちが幼かった頃ということになろう。あの二人は何十年も前から泥懇の間柄だったのだ。
 これでようやく謎が解けた、とタケヒコは思った。大蔵大臣時代の小山田のスキャンダルを暴いたときも、そして今回の新村の疑惑追及にしても、浅野にとっては長年の友人たちを攻撃されているようなものだったのだ。障害者の子供を持つ親同士として一般には想像もつかない苦労と悩みを分かち合い、我が子を預けた学園の発展に共に尽力した仲間となれば、肉親以上の関係といっても大袈裟ではないだろう。
 小山田のネタを全国紙の記者に流したことを浅野が知っていたのも、小山田本人に聞いていたからだ。
 あの二人には、そういうつながりがあったのですか、と言いながら、目の前の新村が小山田にずっと目をかけられてきた理由の一つが分かった気がした。
 うちの伸治は、父親の私が言うのも何ですが、動物が大好きなとても優しい子供なんです。知能は小学校の低学年程度ですが、何でも分かっているし、感情の豊かさは健常者以上だといつも感じます。しかし、いまの世界は息子のような人間にはとても生きにくい場所です。強い者、ずる賢い者が全部独り占めにできるような弱肉強食の世界ですから。
 すでにこの国の労働力人口の三分の一が非正社員です。アメリカ同様にこの国でもごく一部の限られた人間たちに富が集中し、所得格差は年々拡大しています。どんなに働いても貧困から抜け出せない人々が多数生まれ、『ワーキングプア』などという矛盾に満ちた言葉が平気で国民の口の端にのぼっている。このままこんな状態を放置しておくことは誰のためにもなりません。誰であっても明日への希望を持つことができる社会でなければ、人間性の進歩も国家の発展もあり得るはずがない。
 川端さん、政治というのは素晴らしい仕事です。ただ、その素晴らしい仕事を単なる出世や金儲けに利用しようとする人間が横行していることが問題なのです。
 是非、私と一緒にやりましょう。二人で力を合わせて仲間たちを見つけ、みんなでこの国や社会を大きく変えていきましょう。私はあなたが前向きな返事をされることを心から期待しています。
 新村はそう言うとソファから立ち上がった。タケヒコも腰を上げた。彼は歩み寄ってくると両手でタケヒコの両掌を包み込むようにして持ち上げ、強く強く握り締めてきたのだった。
 
 執行委員長のオオヌキと会ったのは連休が明けてすぐだった。「個人的な話だ」と断った上でクサナギから聞いた話を彼に伝えておいた。オオヌキの感想もタケヒコと同様だった。
 アサノさんはもちろんですが、タナハシさんやイガラシさんも案外したたかですよ。フルカワさん一派ではとても太刀打ちできないと思いますね。と開口一番言ったのだった。
 タケヒコはアサノ夫人のトンネル会社の件を伝えて、今後のこともあるから組合で少し洗っておくといい、と勧めた。その話にはさすがにオオヌキも驚いていた。
 あれからすでに半月が経っているが、臨時取締役会が開かれた形跡もないし、むろんアサノ解任も行われていなかった。
 オオヌキと組合の現状について話を聞いているときにナカヤマの話が出てきた。
 ナカヤマが、カワバタさんに飛ばされたってショックを受けてますよ、とオオヌキは思い出したように言ったのだ。
 ナカヤマは、四月から広告企画部に配属されていた。ヨシダを編集部に残す代わりに、ナカヤマを業務に出してほしいとイシガキに頼んだのはタケヒコだった。
 オオヌキと会ってからほどなくナカヤマから話したいと誘いがあった。表参道の行きつけの小料理屋からスタートしたのだが、一杯のビールに口をつけたとたん、ナカヤマは、カワバタさん、あんまりじゃないですか、と文句をつけてきた。
 最初は僕じゃなくてヨシダさんが出ることになってたらしいじゃないですか。それを内示の前日にカワバタさんが引っくり返したって聞いています、と言った。
 誰が、そんな無責任な話を流してるの、と訊くと、フジマキさんに決まってるじゃないですか。最近、あの人、カワバタさんの悪口をさんざん言いふらしてますよ。カワバタさんはとんでもない権力主義者でガリガリの出世亡者だって。
 フジマキが方々でタケヒコについての批判を口にしているのは知っていた。世の中にはポストを得たとたんに人変わりする愚か者が結構いる。フジマキも残念ながらその一人だったようだ。
 ナカヤマはヨシダより二期下のはずだから今年三十三、四だろう。ずっと編集畑を歩いてきて同期の中で最も早くデスクに昇格した。よもや自分が編集から外されるとは思いもよらなかったはずだ。しかし、ヨシダと比較すれば資質的にも実績においてもやはり見劣りがする。今回の人事はナカヤマ本人には不満だろうが、タケヒコからすれば当然の措置だった。
 僕に比べたらヨシダさんなんてワーキングプアの本当の実態について何にも知らないと思いますけどね、と言い、それから彼は延々とヨシダ批判を繰り返し、カワバタさん、ぼくはやっぱヨシダさんみたいな人はどう考えても偽善者だとしか思えません、とウィスキーの水割りをすすりながら言った。
 彼のヨシダへの批判は偏見に基づいていた。たしかにヨシダは恵まれた家庭環境で育った「お坊ちゃん」だ。父親は日弁連の副会長を務める大物弁護士、実の伯父は都銀大手の社長だと聞いている。他方でナカヤマは母子家庭で育ち、苦学して大学を出て今でも実家の祖母や大学に通っている妹のために仕送りを続けている。それで独身なのだとオオヌキは言っていた。
 ナカヤマ、あんまり上ばかり見るのはやめとけよ、タケヒコは言った。
 他人を羨んだり、自分を哀れに思って卑下したりするな。今度の異動についても不平不満はもう言うな。編集に戻りたいと本気で思うんだったらヨシダの悪口も封印だ。
 ナカヤマはいかにも不満げな表情になる。
 だから、そういう顔もするな、とタケヒコは笑いながら言い、さらに言葉を重ねた。
 ヨシダがお前より恵まれているように見えるのは、ただ、お前がヨシダではないからだよ。世の中なんて全部そうだ。どんなに幸福そうに見える人間でも、そいつが本当に幸福かどうかなんて俺たちには永久に分からないんだ。貧乏人には貧乏人の不幸があるし、金持ちには金持ちの不幸がある。同じように貧乏人にしか手に入らない幸福もあれば、カネでしか買えない幸福もある。要するにそれだけの話だ。そんなことより、もっとよく現実を見ろ。それがお前の仕事だ。
 俺たちジャーナリストがこの世界で見逃してはいけないのは、過剰な不幸、過剰な貧困に喘いでいる人たちの姿だ。その人たちのために自分には何ができるかを考えろ。俺たちにできることもやるべきこともそれだけだ。この世界がなぜこうも悲惨なのか、なぜこうまで残酷で非人間的なのか。つまりは問題や課題は一体何のために存在するのか、その一点に自分の能力を集中しろ。周囲の人間のことが気になって目の前のテストをおろそかにするヤツは落第する。落第したくないなら他人の幸福を妬んだり羨んだりなんて馬鹿げた真似は絶対にしないことだ。
 十一時前に店の前でナカヤマと別れた。タケヒコは狭い路地を通り抜けながら表参道へと向かって歩いた。
 Nと会ってから十日が過ぎている。タケヒコはまだ何の返事もしていなかった。ミオにも何一つ相談していない。出馬する気がないわけでわけではなかったし、逡巡があるわけでもなかった。Nに幼い頃に死んだ双子の弟がいたことは事実だった。永田町の生き字引と呼ばれている古参の自民党議員に聞いたらすぐに教えてくれた。Nの息子が知的障害者であることも彼は知っていた。それでN先生は奥様と共に熱心なクリスチャンになられたんですよ、と彼は言っていた。
 Nの語っていたことはタケヒコの現在の考え方と通ずるところ大であった。彼の勧めに応じて次の総選挙に出馬してみようか、という気持ちは日に日に強まってきている。だが一方で、自分は決してそのようなことはしないだろうという思いも確固としてあった。
 Nはタケヒコのことを死んだ弟の生まれ変わりだと言った。その口振り、様子からして本気でそう信じているようだった。タケヒコ自身もNの話を反芻し、考えれば考えるほど彼と自分とのあいだに抜き差しならぬ繋がりがあるような気がしている。
 しかし、それでもNの誘いに手放しで乗ろうという気にはどうしてもなれない。
 ここ数日、また血尿が始まっていた。やはりティーエスワンの副作用なのかもしれない。微熱や倦怠感も相変わらずだし、体重もわずかずつだが減りつづけていた。
 入り組んだ路地裏をそぞろ歩く。生温かい夜風が火照った頬に心地よかった。
 酔いが回っている割に今夜は気分が悪くない。というよりも多目のアルコールが体内の毒素を洗い流してくれたような感じがした。
 ナカヤマと飲んだことは自分にとって必然だったろうか、と考えてみる。
 親友関係に近いオオヌキからの勧めがあったという点で必然と言うべきかもしれない。しかし、そうとも思えない気もする。花見のときにフジサキ・リコに問われて答えたことだが、何もしないことがいまの自分の必然であるような気がする。長年壁に貼り付いていたシールが自然に剥がれるように、赤く色づいた紅葉がいつの間にか枝から離れていくように、いままで積み上げてきた人生からタケヒコ自身が剥離し始めているような気がする。そういうときは、じたばたせずに黙々と剥がれ落ちていくしかあるまい。
 青山通りの明かりがちらちらと前方に見えてきた。タケヒコは空にかかった明るい月を見上げながら歩いた。狭い通りに人影はなかった。
 背後から何者かが襲いかかってきたとき月に目をやっていた。避けること、見分けることもできなかった。まして凄いスピードで首に巻きついてきた腕を振り払う余裕など皆無だった。口に大きな布のようなものを当てられ、甘い匂いを嗅いだ瞬間、タケヒコは意識を失っていた。
 
 全身に寒気を感じて、タケヒコは目を覚ました。
 突然背後から何者かに襲われ、麻酔薬のようなものを嗅がされて意識を奪われたこと。いま自分が固い椅子に座らされて腕を後ろ手にきつく縛られていること。両足も背の高い椅子の長い脚にガムテープのようなものでしっかりと固定されていること。その重そうな椅子の背が壁に密着していること。そして自分が素っ裸であることなどはすぐに了解できた。
 しばらくすると乏しい光に目が慣れてきて、そこが見覚えのあるDルームであることが分かった。
 まもなくショウダ・オサムが現れた。
 お久し振りですね、カワバタさん、どうして自分がこんな目にあってるか分かりますか。
 相変わらずの落ち着いた声だった。
 まったく心当たりがないね。
 タケヒコは言った。普段の声を出すことができて内心ほっとする。
 女房がいなくなっちまったんですよ。もうひと月半も過ぎちまいました
 まさかと頭の隅で閃いたことが的中してしまった。そういうことかとタケヒコは思う。全身に戦慄が走った。
 どこに行ったのか、あなたならご存知じゃないかと思いましてね。
 もしユリエと面識があると認めれば、ショウダはかさにかかって責めてくる気がした。このような手段を取っていること自体、彼の狂気を疑いなく証明している。何をされるか分かったものではなかった。
 どうして俺があんたの女房のことなんて知ってるんだよ。そんな馬鹿らしい話は止めて、さっさと本当の用件を言ったらどうだ、とタケヒコは抑揚をおさえて言った。
 ショウダがすぐ目の前まで近づいて来た。そのとき初めて右手に何か握り締めていることが分かる。ショウダは右腕をゆっくりと持ち上げてタケヒコの鼻先に掴んでいる物を突き出した。かなり太い千枚通しだった。と思うや彼は無造作にその千枚通しをタケヒコの左肩、鎖骨のくぼみに突き立てたのである。千枚通しの針が柄の根元まですうっと筋肉の中に差し込まれていくのが分かった。経験したことのない激痛が左肩全体に走る。タケヒコは大声で呻いた。
 大丈夫ですよ、カワバタさん。この程度で人間は死んだりしませんから。ただね、俺が本気だってことを知って欲しかったんです。これはゲームなんかじゃないんですよ、と耳元でショウダが囁く。
 俺はあんたの女房のことなんて何も知らない。とんだ勘違いだ、とタケヒコは激痛に耐えながら声を絞り出す。
 もしかしたらショウダは三月二十四日のニューオータニで、タケヒコが言った、ショウダさんのように最初から家がめちゃくちゃだった、というあの一言だけで、タケヒコがユリエと繋がっていると確信しているのかもしれない。彼が幼少期にまで遡って自らの成育歴を徹底的に消してしまっているとすれば、唯一の秘密の共有者であるユリエに接触しない限り彼の過去は分からないことになるからだ。
 カワバタさん、あなたが肝っ玉の据わった男だってのはよく知っています。俺はずっとあなたをリスペクトしてきたんですよ。だけどね、人間っていうのはそうそう痛みに耐えられるようにはできちゃいないんです。喋るんならいまのうちに喋っておいた方がいい。無駄に苦しむのは馬鹿馬鹿しいじゃないですか。とにかくユリエがいまどこで何をしてるのかだけ教えてくれればいいんですよ。頼みますよ、カワバタさん。
 ショウダはそう言うと、左肩に食い込んでいた千枚通しをゆっくりと抜いた。
 痛みがいくらか和らいだのが分かる。
 ショウダさん。ほんとにあんたは何かとんでもない思い違いをしてる。僕はあんたの奥さんのことなんて何一つ知らないんだ。幾らこんなことをされても知らないものはどうしようもない。お願いだ、もう一度、よくよく調べてくれないか。きっと別の誰かと勘違いしてるんだ、あんたは。
 これだけ喋るのに一分以上かかった。痛みで知らず目に涙が滲んでくる。
 強情な人だ、ショウダはそう言うと、今度は上着のポケットから何かを取り出した。またタケヒコの顔の前にそれを指し示してくる。太い針だった。布団針か何かのようだ。
 教えてくれないんなら、これをあなたの足の指に一本一本突き刺していきますよ。さっきの痛みなんてもんじゃない。死にたくなるような痛みですよ。
 頼むよ、ショウダさん。本当に何にも知らないんだ。フジサキ・リコからあんたがすごい愛妻家だって話はこの前聞いた。この前といったって四月初めのことだが。あんたのプライベートな話を耳にしたのはあとにも先にもその一回こっきりだ。ほんとうに俺は何にも知らない。お願いだから勘弁してくれ。これ以上、ひどいことはしないでくれ。
 タケヒコは半分泣き声になってショウダに哀願した。
 右足の親指をぐいとショウダに掴まれるのが分かった。
 親指に焼けるような痛みが生まれた。
 タケヒコは絶叫する。爪と肉のあいだに布団針がゆっくりと食い込んでいくのが分かる。激痛という言葉では到底表現できない痛みが指先、くるぶし、右足の付け根から上半身へと一気に駆け上ってくる。
 ぎゃー、という絶叫が迸り出る。そんな大声が自分の喉から発せられているのが嘘みたいだ。
 ショウダが立ち上がって、タケヒコの首を両手で絞めつけてきた。首が絞まると全身の痛みが倍になった。
 カワバタさん、さっさと吐いたほうが身のためですよ。ユリエはどこにいるんです。教えてください。俺はあいつがいないと生きていけないんですよ。あいつだってそうだ。俺たち夫婦はうまくやってきたんです。上っ面だけ覗いてあなたが余計なお節介をしたって何のためにもなりはしないんですよ。
 抜いてくれ。針を抜いてくれ、とタケヒコは必死に連呼した。
 ショウダは鬱血したタケヒコの顔に唾を吐きかけ、手を放した。
 俺を本気で怒らせたいんですか、カワバタさん、とドスの利いた声で呟く。彼は再びしゃがんでタケヒコの右足の親指から布団針を抜いた。
 何にも知らないんです。信じてください、とタケヒコは言った。
 困りましたね、とショウダはしゃがんだまま大きなため息をついた。
 直後にタケヒコの縮こまったペニスを掴んで思い切りねじり上げてきた。不意のことで声も出せない。思わず失禁しそうになる。
 このくされチンポでユリエと何回やったんですか、カワパタさん。
 ショウダさん、ほんとにあんたはひどい誤解をしている。あんたが何を言ってるか俺には分からない。何か根拠があるなら教えてくれ。
 ぬうっとショウダの手が伸びてきた。足から抜いた布団針が右手の親指と人差し指で摘まれていた。
 カワバタさん。五分だけ時間をあげましょう。それでもユリエの居場所を言わなかったら今度はこの針でこのきたねえペニスを串刺しにしちまいますよ。もう二度と女を抱けない身体になりたくないんなら正直に話してください。ユリエだって本当は俺に会いたくて仕方がないんです。あんたのやってることはまるきりピント外れなんですよ。いい加減で目を覚ましちゃもらえませんか。
 ショウダは立ち上がるとタケヒコの前から離れていった。ソファに座り、煙草に火をつけているのが見える。ライターの小さな灯がショウダの荒んだ横顔をうっすらと浮かび上がらせた。
 それが尚更、彼の孤独な心を包み込む闇の深さを物語っているような気がした。
 右足の痛みは針を抜かれると急速に消えていった。いまは指先を刃物で割いたときのようなジンジンした痛みが残っているだけだ。それよりも千枚通しで貫かれた左肩の状態がひどかった。こちらは胸の奥へと痛みが広がっている感じがした。たちの悪い傷はこの肩の方だろう。
 あの男はニムラでもニイムラでもなく、「ミムラ」と言ったのではないか。
 不意にそんな気がした。ミムラ・ユリエのことでショウダからこんな目に遭っている自分を思うと、そうに違いないような気がする。このままだとショウダに殺されてしまう恐れすらある。
 こんな形で死ぬのは不本意だが、死自体に対する恐怖はなかった。いっそひと思いに殺してくれればいいが何しろ相手は狂人だ。まだしばらくは苦痛の時間がつづくのだろう。しかし、こうしてがんじがらめに縛られていては抵抗のしようもなかった。苛まれるままにただ苦しむ以外にない。せいぜい「早く殺してくれ」と頼むくらいが関の山である。
 ショウダが煙草を消して、ソファから立ち上がった。
 タケヒコは全身の筋肉を強張らせて彼がやって来るのを待った。
 もう一度だけ聞きますよ、カワバタさん。ユリエはいまどこにいるんですか。
 タケヒコは黙って一度首を振る。
 ショウダさん、お願いだから信じてくれ。ショウダさんの奥さんがどこにいるかなんて僕は全然知らないんだ。
 ショウダはまるで自分が責められてでもいるように顔を歪めた。
 カワバタさん、あなたには失望しました。
 そう言うとショウダはタケヒコの股間に手を伸ばし、掴み上げたぺニスを布団針ではなくあの千枚通しで無造作に刺し貫いたのだった。
 下半身に大量の水が溢れるのをタケヒコは感じた。出血ではなかった。自分はついに失禁したのだろう。きっと真っ赤な血の色の小便がショウダの足元をしとどに濡らしているに違いない。
 そう思った直後、激痛に我を失った。

 実の親や兄弟、夫や妻、同級生や友人たち、職場の上司や同僚、そういった者たちの暴力に日々さらされている人々が、この世界中で一体どのくらいいるのだろうか。
 きっとその実数は想像をはるかに超えているのだろう。
 そして、何よりの問題は、暴力を受けた被害者たちは決まって自己を否定するということだ。世界を否定する人間はまだ自己を否定はしない。だが人間は世界に否定されたとき、あっさりと自分自身を否定する。そうした自己否定こそが自己責任論を助長する。自己否定は自己嫌悪そのものとなり、彼や彼女は誰にも助けを求めず、ただひたすら自分自身を責めつづけるのだ。
 では、人はなぜ暴力を振るうのか。それは自己の存在を限りなく否定する一方で、いかんともしがたく肯定したいからだ。そのために自己否定、自己嫌悪に囚われた人間たちは、自分よりさらに弱い者たちを踏み台にし、足蹴にする。しかし、彼らは相手を殴ると同時に自分自身をも殴りつけている。だからこそ彼らの振るう暴力には際限というものがない。
 Dルームで失神していたタケヒコを助け、救急車で病院へ運んでくれたのはフジサキ・リコだった。彼女はショウダからの真夜中の電話で事態を知り、慌ててDルームに駆けつけて血だらけのタケヒコを発見したのだった。
 飯田橋の病院に担ぎ込まれたときは日付も変わり、五月二十三日の午前四時を回っていたという。
 ペニスを千枚通しで刺し貫かれて以降の記憶はなかったが、タケヒコは意識を失ったあともショウダから激しい暴行を受けたようだ。肋骨が二本折れ、左脚の脛の辺りにヒビが入り、後ろ手に縛られたまま椅子ごと倒されたらしく、千枚通しで刺された左肩を脱臼していた。
 全治三カ月の重傷だった。
 警察の事情聴取は入院二日目から始まった。行方をくらませてしまったショウダからは何も聴き出せないとあって警察の調べは執拗だったが、タケヒコはショウダがなぜこのような行為に及んだのか皆目見当がつかないと言いつづけた。ショウダ同様に所在の掴めないユリエについても訊かれたが、これも何も知らないで通した。
 暴行を受けた被害者が存在し、その犯人も特定できていながら概要すら明らかにできないこの事件の取り扱いに警察は困り果てているようだった。フジサキ・リコも何回も所轄に呼ばれて事情聴取されたようだが、彼女もさしたることは何も話さなかったらしい。
 病院からの連絡で駆けつけたミオは、タケヒコの凄惨な姿に絶句していた。どうしてこんな目にあったのかという理由さえ彼女はまともに訊けないほど取り乱していた。
 ちゃんと説明したのは、二十三日の夕方になってからだった。
 これ以上の身の危険を避けるために警察には決して喋らないつもりだと前置きして、N一味による記事への圧力に違いないと告げた。三月のサカモトの痴漢事件やショウダからの脅迫のことを打ち明けて、今回も駄目押しのつもりで自分に暴行を働いたのだろうと話した。ミオは血の気の引いた顔で、この法治国家でそんな理不尽なことがあっていいの、と呟き、どうしてもっと早く、私に話してくれなかったの、とも言った。
 ショウダという男から口止めされていた。向こうは警察でも何でも動かせるわけだし、きみやナオの身の安全を考えれば彼の言うことをきくしかなかった。それにきみに話せばタケノウチ先生に筒抜けになってしまう。
 そうタケヒコが返すと、ミオは黙ってしまった。
 ミオにしてもタケヒコの説明を額面通りに受け止めたはずはない。これだけの大怪我をさせられ、幾ら警察がぐるだといっても、Nという政治家からの妨害工作であることがはっきりしている以上は事を公にするのがメディアの人間としての責務だ。それをしようともしないタケヒコのことを彼女が疑っていないわけがなかった。しかし、タケノウチとの関係を握られていると知った彼女は、これ以上この事件に首を突っ込むのを止めたのだ。タケヒコはミオのそうした態度を見て、彼女とタケノウチとの関係が想像よりも根深いものであることを知った。
 右手は自由に使うことができたので、入院三日目の二十五日にN宛ての手紙を書いた。今回の事件のことには一切触れず、自分には出馬する意志がまったくないこと、いまの仕事も近いうちに辞めるつもりであることなどを手短に記した。
 この世界を損ない続けているどうしようもなさは、六十七億の人間たち一人一人の中に確固として存在するどうしようもなさの集積である。だとすれば世界を改善するためには六十七億の人間個々の精神を作り変える以外に手がないのだ。しかし、そう考えたとき、政治はNが思っているほど万能ではなく、むしろ政治の力が人間の精神に及ぼす影響は、政教分離の原則が維持されている現代では非常に限定的なものにとどまらざるを得ないだろう。
 Nの夢は聞達っているとは言えないが、決して現実になることはない。
 五月末日からティーエスワンの休薬期間に入った。数日すると前回同様、血尿はぴたりと止まった。この病院の医師も「抗ガン剤の副作用ですね」と言っていた。
 入院してみると不思議と元気が出てきた。傷の治りも順調で、左肩や肋骨、脛の痛みは一週間もするとだいぶ和らいだ。ショウダに刺し貫かれたペニスの痛みだけはなかなか取れなかった。ペニス全体が通常の二倍以上に腫れ上がり、排尿するたび下腹部全体に激痛が走った。
 医師から聞かされて驚いたのだが、今回のような怪我はさして珍しくないのだという。自分で自分のペニスを傷つける者もいるし、妻や恋人に針や錐で刺されたといって駆け込んでくる男性も結構いるのだそうだ。
 タケヒコの場合、幸い尿道を傷つけていないので消毒を繰り返しながら傷口が自然に塞がるのを待てばいいらしい。勃起障害が残るかどうかは海綿体の回復力にもよるので、まだ何とも言えないと言い渡されていた。
 不能になるのなら、それはそれで一向に構わなかった。
 ただ下腹部の痛みは排尿時だけでなく、ペニスが下着と擦れたり何かに当たるたびに起きるので、最初の数日は夜も満足に眠ることができないほどだった。
 次第に腫れが引き始め、痛みも薄くなってきたのは入院して十日以上経ってからのことだ。
 六月二日の月曜日の夕方、入院中に仕事を任せていた副編集長のイケオが病室を訪ねてきた。その日開かれたプラン会議の内容を説明に来たのだが、編集部員たちが提出したプラン用紙の分厚い束をタケヒコは受け取らなかった。不審気な顔のイケオに、今月も全部、きみに任せるよ、とタケヒコは言った。そして、中旬過ぎには退院できるけど、そしたらすぐに会社に辞表を出そうと思ってる。後任にはもちろんきみを推薦しておくつもりだ、とつけ加えた。
 カワバタさん、本当は何があったんですか。
 今回の事件についてイケオも大きな疑問を抱えているはずだ。当然の質問だった。
 別に大したことじゃない。会社に迷惑を掛けるようなことでもない。ただ、俺にとってはこれがどうしても一度は通らなくてはならない道だった気がしてるよ。
 イケオは分かったような分からないような顔になり、もう何も訊いてこなかった。
 イケオが帰ったあと、届けてくれた郵便物を整理していると、見覚えのある文字で表書きされた封書を見つけた。宛先は前回と同じ「『週刊時代』編集長 川端健彦様」だったが今度は封筒の裏に、宇都宮市内の所番地と「田所花恵」という差出人の名前がきちんと記されていた。
 急いで封を切り、中身を取り出した。二通の手紙が一緒に入っていた。一通はタドコロ・ハナエのもので、もう一通はYがタドコロ・ハナエに宛てて書いた手紙のコピーであった。タケヒコはハナエの短い添状をまず読んで、それからYの手紙を開いた。
 花恵へ
 花恵、長いことウソばっかついててごめんな。この前の面会のときお前がぽろぽろぽろぽろ泣いてばかりいるのを見て、俺は息が止まりそうな気がしました。早く死んでしまいたいと思いました。俺が犯した罪を許してくれとは言わない。俺はやってはならんことをやってしまいました。花恵と会うまでは、自分が悪いことをしたという気持ちもあんまり持っておらんかった。花恵の父ちゃんが警察にひどい目にあわされた話を聞いて、俺はそれにつけ込んで自分のやったことまで全部警察のでっちあげだと話しました。そのことを本気で信じてくれた花恵に、そんなだから父親も警察にはめられるんやと思ったくらいでした。けど、それからこの二年半ずっと花恵と一緒に暮らしてきて、俺はすごく変わったんです。こんなこと言ってもどうせまたウソに決まってると思われると思うけど、俺はあの頃の俺とはぜんぜん別の人間に変わったような気がしています。

 こんな書き出しで始まる長い手紙だった。さらに続けて、自分の母親はひどい女で、いつも男を引き込んでいたし、自分は母親からしょっちゅうひどい虐待を受けていたので、水商売の女はみんな嫌いだったが、花恵と暮らすようになって花恵がそういう女とはぜんぜん違う女だということに気づいた。世の中にはこんなにまっさらですなおで優しい人がいるんだと心の底から思った。花恵と一緒にいるだけで自分まで優しくなれるのがよく分かった。そして、そのうちに俺は被害者の人たちにやってしまったこと、ほかのいろんな女にやったひどいことを思い出して、自分の罪の重さに恐れおののくようになった、と書いていた。
 そして、あの日、自分を捕まえた客の男を店で一目見たとき、俺はとうとうこれで終わるんだという気がした。本当は制服の警官が店に入って来たとき、自首する気だった。もう十分だった。これ以上、花恵にウソはつけないし、この二年半でもう十分に俺は違う人間に生まれ変われたんだと思った。
 ところが警官は店内をうろうろするばっかりで、それから店長をつかまえてへらへらしながら何か話している。俺が二人の方を見てると、その警官が俺を指差して笑った。逃げようと思ったのは、その顔を見たときで、警官が慌てて追いかけてきた。俺は怒鳴りながら近づいて来た警官の頭を事務所にあったトンカチで思い切りぶん殴って店から飛び出した。走り出した俺の中にあったのはもう一目だけ花恵に会いたいという気持ちだけだった。花恵とお腹の赤ちゃんに最後に一目だけ会いたいという気持ちだけだった。
 さらに、それに続けてYは書いている。
 
 花恵。そのお腹の子には何の罪があるんやろうか。俺の犯した罪は償いきれるものではありません。やけどそんな俺を父親に持ったその子に一体何の罪があるんやろう。
 今日も朝からずっとそのことを考えていました。いくら考えても、俺にはやっぱりその子が死なないかん理由が分からないのです。悪いのは全部俺です。なのに、なんでその子まで俺の罪をかぶって死なないかんのでしょう。

 そのあとで、彼は、自分は必ず死刑になって犯した罪を全部背負って死ぬ。だから、その子を許してやってくれないか。その子になんの罪もない。俺の子に生まれたことが悪いというなら、その分の罪も俺が背負って、どんな罰も受ける。どうか一生のお願いだから、その子を殺さないでほしい。もう人殺しはたくさんだ。情けと思って俺にこれ以上の罪を犯させないでほしい、と書いている。
 そして、最後にこう書く。

 花恵は俺にとって本当のかあちゃんのようでした。俺は、たった一度きり本当のかあちゃんにお願いするつもりで頭を下げます。花恵のこれからの苦労は百も承知のお願いです。どうかその子の命を助けてやってください。
 そして、その子を産んで、花恵も本当のかあちゃんになってください。 

 日付は五月十三日、差出人は「重人」となっていた。
 最初の手紙を受け取ったのは四月二日だったので、ちょうど二カ月ぶりの二通目だった。タドコロ・ハナエの添状には、タケヒコに対する詫び言が書き連ねてあった。自分がYにすっかり騙されていたことに恥じ入っている様子が文面から窺われた。すでに五カ月目に入っているはずのお腹の子供をどうするかについては一行も記されていなかったので、彼女がYの手紙をなぜ同封してきたのか、いまひとつ真意が掴めない気がした。
 それでもタケヒコの心はこのタドコロ・ハナエの手紙によって格段に軽くなったのだった。
 元に復しつつある体調が、これで一気に改善するような気がした。

 退院前日、フジサキ・リコが見舞いに来た。
 この病院に運び込んでくれた晩を除けば、彼女が来るのは二度目だった。
 午後二時頃で、ちょうどタケヒコは昼寝の時間だった。個室のドアが引かれる音がして横になったまま薄目を開けると、いつの間にかリコがベッドサイドに立っている。
 タケヒコはリコに、ショウダさんから何か連絡はあるのか、と尋ねるが、リコは、全然、と答える。リコとは電話ではときどき連絡をとっていた。
 事件からすでにひと月近くが過ぎたが、ショウダの行方は香として知れなかった。
 彼は相当な幹部だったみたいだな。警察は組のルートを使ってすでに高飛びしてると踏んでるようだ。
 ショウダはユリエが話していた通り、有力な組織暴力団トップの子飼いだった。前科はないが頭が切れることもあってトップにずいぶん可愛がられていたらしいと担当の検事は話していた。
 私はまだ日本にいると思うよ。
 リコが暗い顔になって言う。ショウダと彼女との関係はよく分からなかった。なぜあの晩、ショウダがわざわざリコに自分のことを知らせたのか。リコは、ショウダさんからたまたまDルームの鍵を預かってたの、としか言わなかった。
 タケヒコはベッドを降りて冷蔵庫からウーロン茶の缶とコーラの缶を取り出した。リコにウーロン茶の方を渡してそのまま向かいのソファに座る。足の怪我も肩の脱臼もかなり回復している。ペニスの腫れもようやく引いた。
 明日、退院だよ、と言うと、そうなんだ。よかったね、とリコが笑顔になった。
 いつから仕事に戻るの。
 もう戻らないと思うよ。辞表を出すつもりだ。
 そうなんだ。
 リコは呟くと、自分のウーロン茶を一口すする。
 じゃあ、私とおんなじだね、私も事務所辞めるつもりなの。この世界からは足を洗って田舎に帰ろうと思って。
 何で。番組はどうするの。
 タケヒコの予想とは裏腹に、テレビに出たリコの無気力キャラはじわじわと人気を集め始めていた。彼女に言われて先週ネットで検索してみるとたいへんなヒット数で仰天したほどだ。他局のバラエティヘのレギュラー入りが急に決まったという話を先日の電話で聞いたばかりだった。このまま順調にいけばブレイクの可能性も十分にある。
 おとうちゃんの肝臓ガンが急に悪くなってきて、お医者さんにあと半年くらいって言われたみたいなの。ショウダさんもいなくなっちゃったし、いまが辞めどきかなって思って。もともとこの仕事、ずっと向いてないと思ってたし。
 せっかく売れ始めてきたのに、俺は反対だ、とタケヒコは言った。
 すると、リコは、私、何も大切なものがないのよ、と飲みかけの缶をテーブルに置いてぽつりと言った。
 この世の中で大切なものはお金くらいかなって思ってこの東京に出てきたけど、お金もそんなに大切じゃないって分かったの。結局、私はビンボーが嫌いだっただけでお金がそんなに好きだったわけじゃないのよね。一緒にお花見したときカワバタさん言ってたよね。自分がしたいこととか、しなくちゃいけないことをするんじゃなくて、自分がこれをすることは最初から決まっていたって思えることをやればいいって。おかあちゃんからの電話でおとうちゃんがあと半年の命だって聞いたとき、私、実家のベッドの上に横になっているおとうちゃんの姿と、その世話をしている自分の姿がはっきり見えたんだよ。したいとか、したくないとかじゃなくって、私がおとうちゃんの最期をきっと看取ることになるんだろうなって感じた。だから田舎に帰ることに決めたの。
 タケヒコは話しているリコの顔をじっと見ていた。
 じゃあ、それがきみの必然ってことなんだね。
 リコは、さあという感じでやや首を傾げてみせる。それから、でも、きっとそうだと思う、と言った。
 だったら田舎に帰るべきだとタケヒコも思う。
 前言撤回だ。
 でしょう、とリコがにやりとした笑みを浮かべる。
 よかったら、カワバタさんも一緒に来ていいよ。
 何気ない口調だった。
 どうせ会社辞めるんだったら、療養がてらに来ればいいじゃない。うちはお金はないけど家と土地だけはすんごい広いから。お米以外は食べるものも全部揃ってるし、北海道は梅雨がないからこれから本当にいい季節なんだよ。
 そして、リコは、とりあえず来週からしばらく帰るつもりなの。と言いつつそのまま引きあげちゃおうかなとも思ってるんだけどね。もちろん事務所にはまだ内緒だけど。
 そう言うとリコは持っていたバッグから紙片を抜いて差し出してきた。
 私の実家の住所と電話番号。いつでもいいから気が向いたら電話して。
 タケヒコが二つ折りの紙片を開いていると、彼女はさっさと立ち上がった。
 じゃあね、と敬礼のように額に右手をかざしている。タケヒコも、ああ、と答えて敬礼を返した。リコが病室を出て行ったあと、窓の外の薄曇りの景色を眺めながらしばらくぼうっとしていた。
 彼女は僕のことを迎えに来てくれたのだろうか、とタケヒコは考えていた。

 いよいよ北海道にむけて旅立つ日の前日、タケヒコは、ミオのためにベーグルを焼いた。淹れたてのコーヒーと焼き上がったばかりのベーグル、それにホイップバターと蜂蜜をトレイに載せてタケヒコはダイニングに戻った。
 ベーグルを入れたバスケットをダイニングテーブルの真ん中に置き、バターの容器、蜂蜜の入ったビンを並べる。トレイを端に置いてコーヒーポットを取り上げミオのカップ、タケヒコのカップの順にコーヒーを注いだ。
 ありがとう。
 ミオが言う。トレイにポットを戻し、タケヒコも向かいの自分の席に座った。
 久し振りだったからあんまりうまくいかなかったよ。
 ナオの分も入れて今日は八個焼いたのだが、成型の失敗で穴が小さくなったり形が不恰好になってしまったものが三つもあった。
 いいじゃない。あなたのべーグルはいつだって最高よ。
 ミオはそう言って穴が塞がり気味の一つを手に取る。タケヒコは一番不細工な形のを選んだ。ベーグルを割ると甘い匂いと仄かな豆乳の香りが立ちのぼった。
 ああ、やっぱり美味しい。
 ミオが笑顔になった。頬張ってみるとなるほど柔らかさ、生地のなめらかさともにまずまずの出来だった。
 悪くないね、とタケヒコも相槌を打つ。
 ミオの背後の出窓に目をやる。どうやら雨は上がったようだ。
 よかったわね。雨がやんで。
 今年の春は桜が終わったあとは雨の日ばかりだった。六月に入ってすぐに梅雨入りしたが、それからは一日のうちのどこかで必ず雨が降る。先週末には九州、近畿が大雨に見舞われ、東京も一昨日から激しい雨が続いていた。今朝になって小降りになり、ようやくおさまったらしい。時刻は午前十時を回ったところだった。ナオはとっくに学校に行っている。ミオもあと三十分もすれば出勤だろう。タケヒコは荷造りがまだ少し残っているので、それを片づけ、午後になってから出ようと考えていた。
 荷物のこと、悪いけど頼むよ。
 コーヒーを一口飲んでタケヒコは言う。
 分かったわ。そんなに急がなくていいし、身の回りのもので何か必要なものがあったらいつでも連絡して。すぐに送るから。
 ありがとう。落ち着いたら連絡する。そんなに時間はかからないと思う。
 いいわね、北海道。こんなじめじめした梅雨の季節がないんだもの。
 でも、冬はきっとすごい寒さだよ。まあ、僕の場合は関係ないだろうけど。
 そんなことないわよ。寒くなったら今度は沖縄にでも行けばいいじゃない。そうやって自然に時間が過ぎていってくれるわ、きっと。
 死神と追いかけっこか。
 タケヒコが笑うと、
 死神なんているわけないじゃない。
 ミオがミオらしい口調で言った。
 治療はどうするの。
 向こうに行ってから考えるよ。何もしないわけにはいかないし、まだ諦めたわけでもないからね。
 ガンの再発が判明したのはちょうど二週間前、六月十一日のことだった。この日、タケヒコは入院先の医師の許可を貰ってがんセンターに四カ月に一度の検査に出かけたのだ。その日の午後にはCTとMRIの結果が出た。胃の周辺リンパ節と肝臓に小さいが明らかな転移層が見られた。担当医にとってもタケヒコの再発は予想外のことだったようだった。
 今後の治療はどうされますか、と問われて、すこし考えさせてください、と答えて入院している病院に戻ったのだった。
 彼女は何か考えてくれてるのかしら、とミオが言う。
 どうかな。彼女も行ったばかりだし、土地勘もほとんどないだろうからね。
 うまくいくといいわね。
 そうだね。
 きみの方も彼とうまくいくといいね。ナオのこともあるし大変だとは思うけど。
 タケノウチは五年前に離婚していて、できればミオやナオといずれ一緒に暮らしたいと考えているようだった。ガンの再発が分かったあと、タケノウチに病院に来てもらい、今後のことについて二人でじっくり話し合った。もちろんあらかじめミオの了解を取り付けてのことだったが。
 人生なんて馬鹿みたいね。
 ミオが不意に言った。
 特に女の人生はそう。馬鹿みたい、と繰り返す。
 “人生”なんてどこにもないのに、とタケヒコは思う。
 タケヒコは右手を伸ばしてトレイの上のポットを持ち上げる。ミオのカップにコーヒーを注ぎ足し、タケヒコの空になったカップに残りを全部注いだ。
 ナオには再発のことも離婚のこともミオと二人ではっきりと伝えた。どうして?と心底不思議そうな顔で質問するナオに、おかあさんにもおとうさんにも他に好きな人ができたの。だから二人で話し合って別れることにしたの。好きな人と一緒にいた方がおとうさんの病気だって治りやすいでしょう、とミオは言った。「好きな人」というのはちょっと違うような気もしたが、小学六年生のナオにはそういう言い方が一番分かりやすいだろうとタケヒコは思った。ナオの衝撃はいかばかりか想像もつかない。ただ、彼女のことはミオに任せるほかはない。母と娘の関係は今後数十年つづいていくが、タケヒコとナオとの関係はおそらくあと一、二年で消滅するのだから。
 むかしのことなんて都合のいい記憶にすぎないし、これから先のことはまだ何も決まってはいない。過去の中にも未来の中にも僕たちは存在していないんだ。この前も「僕は死ぬのなんて平気だ」ってきみに言ったけど、それはそういう意味だ。自分はガンという病気になってみて、初めて過去にも未来にも縛られず、寄りかからずに生きられるようになった気がしている。僕ときみはたったいま出会ったばかりで、そしてたったいま別れるんだ。お互いそんなふうに考えた方がずっと気持ちが楽だとは思わないか。
 ミオは怪訝な表情を作ってみせた。
 私は、そんなに物事を単純に考えることはできないわ、と突き放すように言う。
 でもね、ミオ。僕たちは過去をもっと疑うべきだし、未来になんて目を向ける必要はこれっぽっちもないんだよ。僕たちには今という時間しかなくて、時間が今だけであれば、それはもう時間とは呼べないものだろう。それと同じように人生っていう代物だって本当はどこにもないんだ。僕たちは僕たちという実体のない何かに囚われ過ぎて、この今という時間をいつも疎かにしているんだ。きみは人生なんて退屈だってさっき言ったけど、それじゃまるできみの人生を俯瞰して嘲笑っているもう一人の自分がいるみたいじゃないか。僕は人生の残り時間が見えたとき、誰よりも真っ先に切り捨てるべきはそういうもう一人の自分なんだと気づいた。たしかに僕たちは全員見えない牢獄の囚人で、様々な環境や状況にがんじがらめで身動きが取れなくなっているけど、でもそこの牢獄の番人は、他の誰でもない。僕たち自身なんだよ。物事を単純に考えているのはきっと僕じゃないよ。それはきみの方なんだ。
 ミオは感情を押し殺したような瞳でタケヒコを見つめていた。そんな無責任な言い草は耳にしたくもない、という声ならぬ声が聴こえてくるようだ。彼女はいま、タケヒコがガン患者だという一事のみを根拠に自らの怒りを抑えているのだろう。思えば、この二年余り、彼女はずっとそうだったに違いない。
 結局ミオは何も言葉を返すことなく黙って椅子から立ち上がった。自分の分のカップと皿を両手に持ってキッチンに行き、タケヒコに声をかけることもなく部屋を出ていった。階段を上るミオの足音が大きく響いた。
 タケヒコはその足音を耳にしながら、どうしようもなくかなしい思いが胸に込み上げてくるのを禁じ得なかった。
 この別れのときに何かミオに語るべきものがあったのではないか。たとえ人生というものが虚ろな幻影にすぎないとしても、まがりなりにも十数年の歳月を共にした妻にかけるべき言葉があったのではないか、とタケヒコは思った。
 しかし、しばらく経つうちにそのような言葉などどこにもありはしないことにタケヒコはたと気づいた。
 そのかわり、胸中には別の言葉の群れがあふれるように湧き上がってきていた。
 タケヒコは目をつぶり、その言葉の群れに静かに身を委ねる。
 この世界を損ない、僕やきみたちを損なっているものは一体何か。その正体をいまこそ僕たちは見極めるべきだ。僕たちは過去から遠い未来へと旅する旅人などでは決してない。僕たちの人生にとって過去などどこにもなく、そして未来などどこにもない。人間は何千年何万年を生きてきたのではない。たかだか百年足らずの人生を個別に繰り返してきたにすぎない。過去の人々は僕たちとはまったく異なる、本来何の意味も価値も持ち得ない無味無臭の液体のようなものだ。僕たちに与えられたのは今、今このときだけなのである。
 僕たちは自分が過去から未来へと連綿と生き長らえる何物かの一部だと感じた瞬間に自分自身を見失う。そして無責任で怠惰になる。そういう考えの中に夢や希望、絶望や諦め、期待や不安といった人生のガラクタが混ざり込み、僕たちをひたすら翻弄してしまうのだ。過去への未練や後悔、未来への憧憤や畏れ。ただ一度生まれ、わずかな時間で死に滅びてしまう僕たちは、この二つの甘い誘惑につい引っかかりそうになる。偽りの神は現在の中にいるのではなく、そのように過去と未来の中に住んでいる。
 本当の神だけがいまこうしてこの瞬間に存在し、僕たちを小さな声で励ましてくれているのだ。あなたはあなた自身をひたすらに見よ、と。あなた自身を常に見失わず、あなた以外のありとあらゆる存在に対して身構え、なすべきことをなせ、と。あなた以外のありとあらゆる存在を慈しみ慰めるために、いまこの瞬間に自らが欲することをなせ、と。あなたはいまここにしかいない。そのあなた自身があなたという必然の唯一の根拠なのだ、と。だから、たったいまあなたはなすべきことをなせ、と。
 僕たちは今の中にしか生きられない。今、この瞬間だけが僕たちなのだ。時間に欺かれてはならない。時間に身を委ねたり、時間を基軸として計画を練ったりしてはならない。そういう過ちを犯した瞬間、僕たちは未然のものとなり、永遠に自らの必然から遠ざけられてしまう。そして、影も形もない希望や取り返しのつかない事柄への後悔や懺悔の虜となり果て、偽りの神の信徒となるほかに生きる術を失ってしまうのだ。
 この胸に深々と突き刺さる時間という長く鋭い矢、偽りの神の名が刻まれた矢をいまこそこの胸から引き抜かねばならない。その矢を抜くことで、僕たちは初めてこの胸に宿る真実の誇りを取り戻すことができるのだから……。

 退院から二日後、六月十九日に会社に退職届を提出した。
 翌朝、ジュンナが驚いた声で連絡してきた。タケヒコはガンが再発したことを告げ、しばらくどこかに転地療養に行くつもりだと言った。もう会えないの、とジュンナが訊いてくるので、もう会えないだろうね、と答えた。ほっとした気配が電話口の向こうからわずかに伝わってきた。
 社長のアサノは六月九日の緊急取締役会で解任された。フルカワが新社長に選ばれ、翌十日の定時株主総会で新役員人事ともども承認された。タナハシ、イガラシといったアサノ派は一掃され、クサナギのボスであるゴンドウ総務局長がイシガキと並んで取締役に昇格した。これからはフルカワ擁立の立役者であるこの二人の取締役がフルカワ政権を切り盛りしていくことになるのだろう。
 そういうもろもろを報告しに来てくれたオオヌキが面白い話を教えてくれた。
 緊急取締役会でフルカワ議長のもと、アサノ解任の緊急動議が常務のマツモトから提出されたとき、アサノはあまりの驚愕ゆえにか一言も発することができなかったのだという。
 今度ばかりは権力というものの怖さを痛感しましたよ。アサノさんはフルカワ一派の動きをまるで掴んでいなかったどころか、気にもしてなかったってことですよ。それであれほどの更迭人事を断行するつもりだったわけだから、いやあ、権力者の驕りほど恐ろしいものはありませんね。
 オオヌキは感に堪えぬという口調でそう言っていた。
 ショウダ・オサムが逮捕されたのは六月二十三日月曜日のことだ。
 案の定、とかち帯広空港行きのJAL始発便を待つフジサキ・リコの前にショウダはのこのこと姿を現したのだった。早朝の羽田空港で捜査員に囲まれ、彼はさしたる抵抗もせずに捕まったという。むろんフジサキ・リコも犯人隠匿、逃亡幇助の罪で現行犯逮捕されている。
 リコから北海道行きを誘われた日、彼女とショウダはやはり繋がっているとタケヒコは確信した。じゃあ、それがきみの必然ってことなんだね、と訊ねたときの首を傾けるようなリコの微妙な表情はそのことを如実に物語っていた。担当してくれている地検特捜部の検事にすぐに連絡して、フジサキ・リコを徹底的にマークするように勧めた。彼女が郷里に帰るときショウダもきっと同行するだろうとタケヒコは睨んだのだ。
 サカモトの事件が起きた直後、大塚署への同行を依頼した弁護士を仲介に立て、東京地検特捜部にNのインド案件の取材資料をすべて提供した。件の弁護士は十年来の友人だったが、かつては特捜検事として鳴らした人物だったのだ。そのときNとショウダ、さらにはショウダと指定暴力団トップとの関係についても、タケヒコへの脅迫の経緯を含めて洗いざらい紙に書いて渡した。もちろんNと警察が手を組んでサカモトを痴漢犯にでっち上げた一件も詳細に記しておいた。
 検察はショウダの存在に強い関心を示してきた。数日後には現在担当してくれている検事が直接タケヒコに会いに来たのだった。それから二カ月近く、特捜は密かに内偵を進めていたが、先月のショウダによるタケヒコへの暴行事件を突破口に本格捜査に着手する態勢をようやく整えた。叩けば幾らでも埃の出そうなショウダを別件で引っ張る大きなチャンスを得て、特捜部はショウダの行方をやっきになって追いかけていたのだった。
 担当検事の内々の話ではショウダ宅へのガサ入れで暴力団トップとNとを結ぶ幾つかの証拠も押収できたという。中国、インドでの排出権取引をめぐるNの贈収賄事件は立件に向けて大きな一歩を踏み出した。今後はNと検察との間で虚々実々の駆け引きが始まることになるだろう。ショウダの証拠次第では、Nが思わぬ方向から足元をすくわれる可能性もあった。
 それにしてもショウダのユリエに対する執着は尋常ではない。
 あの度を超えたタケヒコへの拷問だけでも十分にそれは察せられるが、幾ら傷めつけても無駄だと分かるとフジサキ・リコを使ってタケヒコを一度救い出させ、今度はそのリコの手管でユリエの所在を引き出そうとする。普通ならおよそ考えつかないような手口だった。しかもタケヒコをおびき寄せるためにリコを仕事から外し、北海道に帰省させようとしたのだからまったく恐ろしい相手だった。
 リコはどうしてそこまでショウダに協力したのだろうか。彼女とショウダとの関係がどうにもうまく把握できない。ただ、ミムラ・ユリエがそうであったように、いつの間にかフジサキ・リコもショウダの狂気に操られる人間になっていたのかもしれない。
 
 六月二十七日金曜日。
 札幌発スーパーカムイ15号は定刻通り、十二時二十分に旭川駅に到着した。
 二日前に二子玉川の家を出て、その日は都内のホテルに泊まり、昨日の午後札幌に入った。
 ボストンバッグを提げて駅の改札を抜けた。
 聞いていた通り、待ち合わせ場所の旭川ターミナルホテルは駅を出るとすぐ左手に建っていた。昨日の札幌も素晴らしい晴天だったが、今日の旭川の空も太陽の光に青々と輝いていた。この街が冬になれば零下二十度を下回る厳寒の地となるとは想像もつかない。
 駅前は背の低い駅舎に垂直に接する形でまっすぐ太い通りが走っている。これが旭川名物の「平和通買物公園」なのだろう。その買物公園は平日の昼間だというのに人々でごった返していた。といっても多くは作業着に身を包んだ男たちで、遠く通りの向こうまで諸所にたむろして幅広い舗道の端や中央に仮設テントを設営したり、大量の段ボール箱を運び込んだりしているのだった。
 活気に満ちた通りに背を向け、タケヒコはターミナルホテルの中へと入っていった。「オリオン」というレストランは二階にあった。
 ちょうど昼食時とあって広いレストランは結構混み合っていた。入り口から左の奥まった席で一人の男性が立ち上がるのが見えた。
 こっちこっちと彼が手招きしていた。タケヒコも手を上げて合図する。
 二年ぶりに見るアズマ・サトシは見違えるほどたくましくなっている。日蘭の混血であるサトシは相変らずのハンサムぶりでもあった。
 ご無沙汰しています、と彼の方から太い腕を差し出してきた。タケヒコはサトシの大きな掌を握り返して、いろいろ世話になったね。本当にありがとう、と頭を下げた。
 隣の椅子に座っていた女性がゆっくりと立ち上がった。彼女と会うのはこれで四度目だが、東京では見たことのないような穏やかな笑みを浮かべていた。
 いらっしゃい、とミムラ・ユリエが静かな声で言った。
 三人で昼食をとりながら話をした。
 テントや大きなパラソルがどんどん立ってたけど、お祭りか何か、とさっそくタケヒコが訊ねると、ええ、明日から買物公園で大道芸フェスティバルが開かれるんですよ。もう今年で七年目ですが、週末はすごい人出で賑わいます。何しろ旭川の買物公園は昭和四十七年にオープンした日本初の歩行者天国ですからね。
 さすがに地元記者は詳しいもんだ、とタケヒコからかうと、カワバタさんは相変わらずイジワルですね、と隣のユリエの方へ相槌を求めるようにしてサトシが言った。
 いまからちょうど三カ月前の三月二十八日、前回と同じ帝国ホテルのインペリアルラウンジでタケヒコはユリエと会った。彼女からケンゾウ君の絵の返却を受けたあと、ショウダが前夜に振るったという暴力についてかなりしつこくユリエに問い質した。だが、ユリエは、私にも落ち度はありますから、と言ってなかなか口を開こうとはしなかった。たまりかねたタケヒコは、トイレに立つふりをして急いでツインの部屋を一つ取ると、彼女の腕を掴んで強引にその部屋へと連れ込んだのだった。ユリエは怯えたような顔でタケヒコを見ていた。恒常的に暴力にさらされている人間がそうするごとく彼女は凍りついたようにただじっとしているだけだった。申し訳ないとは思ったが、問答無用でその衣服を剥ぎ取って上半身を裸にした。
 タケヒコは、ユリエの身体に記された無数の青黒い痣を目にした瞬間、ショウダという男の悪魔のような執着心を鳥肌の立つ思いで実感したのだった。
 彼女に服を着けさせると、迷うことなくアズマ・キヌヨに電話した。時刻は七時を回り「kaede」はちょうど書き入れ時の頃合いだったが、タケヒコからの連絡にキヌヨはタクシーを飛ばしてホテルに駆けつけてくれた。事の経緯を詳述して今夜からユリエを預かってくれるようにキヌヨに頼んだ。
 ユリエはショウダの追跡と報復を恐れているのか、そんなことをしたらたいへんなことになります、と激しく抵抗したが、このままショウダと一緒にいたらきみはいずれ殺されてしまうぞ、と強い調子で言うと、じっとタケヒコの目を見つめ、やがて「ありがとう」と小さく頷いたのだった。
 旭川のサトシのところへ身を隠してはどうか、と言い出したのはキヌヨの方だった。タケヒコはそのアイデアに飛びついた。キヌヨはすぐに携帯でサトシに電話を入れて了解を取り付けた。彼女はその晩、ユリエと共にホテルで一泊し、翌朝一番の旭川行きの飛行機でユリエを息子のもとへと送り届けてくれたのだった。
 ユリエのこの三カ月間の暮らしぶりやサトシの近況、タケヒコの詳しい病状などについて話し合ったのち三人は席を立ち、これから取材があるというサトシとはホテルの前で別れた。時刻は一時半になったところだった。
 ユリエと二人きりになるとぎこちない空気が生まれた。いままで電話でのやりとりはしていたが、それも頻繁というわけでなかった。そもそも安心して長話ができるようになったのはショウダ逮捕の報が入った四日前からにすぎない。
 タケヒコが駅に向かって歩き出そうとすると、車、買ったんです、と不意に言ってユリエが逆方向を指さした。カワバタさんを驚かせようと思って黙ってました、とユリエが口を手で覆って笑う。
 駐車場はあっち。
 二人で並んで買物公園の石畳を歩き出した。
 実は、もう一つ内緒にしてたことがあるんです。先週、家を買いました。
 はっ。タケヒコは思わず足を止めた。
 もう引っ越しもすませてます。だから私たちは今日はその家に帰るんです。
 ユリエはサトシと同じマンションの一室に住んでいたはずだ。旭川駅から富良野線で一駅の街だと聞いていた。
 家といっても古くて小さな一軒家です。でも周りの景色が素晴らしいんです。私、いっぺんで気に入っちゃいました。
 この近辺の中古住宅が一体幾らくらいするのか分からないが、ずいぶん大胆なことをする人だなあとタケヒコはユリエを見直していた。考えてみれば彼女のことなどまるきり知らないのだ。
 こんなにいいお天気だし、一緒にドライブして帰りましょうね。
 タケヒコは、はい、と言って頷いた。
 ユリエの運転する車は旭川市内を抜けるとぐんぐん足を伸ばしていった。富良野へと通ずる道を三十分以上ひた走り、美瑛の駅の手前で左折して細い道へと分け入った。
 照りつける陽光はますます純度を増し、透明な日差しが道の左右に広がる雄大な畑地をきらきらと輝かせていた。車の窓を開けると涼やかな風が吹き込んでくる。湿気た空気に包み込まれた東京と比べれば、ここはまるで別世界だった。
 野菜の植わった緑の畑の合間に紫のラベンダーや白やピンクのルピナス、黄色いポピーが咲き誇る花畑が点在している。なだらかな坂道を車はゆっくりと上っていった。
 窓から吹きつける風に混じる緑の匂いが濃くなっていった。やがて丘の稜線に沿って衝立のように横に広がった森が見えてきた。その森の真ん中へとつづく坂道をユリエは迷わず進んでいく。
 しばらく小暗い山道のようなでこぼこ道を走る。勾配もずいぶんきつくなりタケヒコたちの乗った軽自動車はふうふういっていた。
 十分ほど経っただろうか。突然のように視界が開けた。さきほど稜線と見えたのは丘の中腹でしかなく、森を抜けていくうちにようやく丘の頂に達していたのだった。木々が途切れ、目の前には見事な丘陵地帯の全景が眼下に横たわっていた。
 タケヒコは助手席から身を乗り出して見渡す限り広がるパッチワークのような色とりどりの畑の風景を見つめた。そしてふと視界の左手に何かがあるのに気づいた。それは延々とつづく森の際のあたりに一軒だけぽつんと建った小さな平屋の家だった。
 ユリエはハンドルを切ってその家へと車を近づけていった。
 家の前で車が止まった。そばで見ると案外立派な黄色い外壁の家屋だ。
 十年くらい前に束京のお金持ちが別荘として建てたらしいんだけど、今年になって売りに出されてたの。場所が場所だから買い手がつかなくてずっと残ってたんだって。買物公園の不動産屋さんでたまたま見つけて、一度見に来てすぐに決めちゃった。びっくりするくらい安かったんだよ。
 ユリエは幾分興奮したような声になっていた。こんな親しげな言葉遣いをするんだ、とタケヒコはまた一つ発見した気分だった。
 車から降りて、眼前の丘を見下ろした。穏やかな風が麓から吹き上げてきていた。
 素晴らしいね。
 タケヒコの声もすこし上擦っている。
 でしょう。
 ユリエがいつの間にか隣に寄り添うように立っていた。
 何だかきみを遠くの遠くまで連れてきてしまった気がするよ、とタケヒコは言った。
 それは私の言うセリフよ、とユリエが返す。
 こうしてきみと巡り合えたのも全部ケンゾウ君のおかげだ。
 そこで、言葉が途切れてしまった。どうしてだか分からないが胸が詰まったようになって声が出なかった。
 だけど、ほんとうはもう少し早く会いたかったな。一度深呼吸して、あとの言葉をつなぐ。
 そんなことないわ、とユリエがくっきりとした口調で言った。
 いまが一番よかったのよ。
 タケヒコはその声を聴いた瞬間、すうっと自分の意識が変性するのを感じた。
 久し振りに体感するミリセカンドの変化だった。
 心はユリエの存在から離れ、眼下に悠々と展開する美しい景色に注がれようとしていた。
 マーティン・ルーサー・キングが暗殺される前日に行った演説の内容がいつの間にか頭の中によみがえってきていた。
 キングは言った。私も長生きがしたい、と。そして、長生きするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいと。自分は神に許されて高い頂に登り、約束の地と再臨の栄光を見たのだ、と。
 そして、キングはただ神の意志を実現したいと言った。そうだ、タケヒコもまた自分の意志をただ実現したいのだ。ユリエの言うとおりだった。彼女ともう少し早く出会う必要などなかった。いま出会ったこと、そしてこれからも彼女と出会いつづけることこそが大切なのだ。
 ねえ、というユリエの声にタケヒコは我に返る。
 初めての人を見るような心でユリエの顔を見る。
 大丈夫よ。
 ユリエもまた初めての人を見るような目でタケヒコを見ていた。
 あなたは死なないわ。私には分かるから。
 そう言ってほんわりと微笑む。
 そのときだった。耳の後ろで囁くような小さな声が聴こえた。懐かしい声、タケヒコにとってそれは必然の声だった。
 お父さん、その人は本当のことを言ってる。その女の人はいい人だよ。
 
   ―了―

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