あらすじ W
それからほどなくニシナ・マユカが、いい録音がとれたといって持ってきた。翌日タケヒコは、その録音を、ホテルでジュンナを抱いたあとベッドに横になりながら、ジュンナにも聞かせた。ジュンナの意見も聞いってみたいと思ったからである。 サカモトは、同期であるマスダの悪口をさんざん並べたあげく、マスダとシミズの関係がまだ続いていることをマユカに暴き立てていた。 マスダはシミズのアナルが忘れられないってみんなに言いふらしてるらしいぜ。先週もシミズの部屋でさんざんやったって話だ。あの変態野郎にすれば、きみのアソコよりシミズのケツの穴の方が何倍もいいってわけだ。 マユカが逆上したのはサカモトのこの一言を耳にしたからだった。そのあとは、およそ聞くに堪えないような二人のやりとりが延々続いていた。 ただ、サカモトは、きみは僕と結婚する運命なんだ、とも執拗に繰り返し、彼女の明確な拒絶にも聞く耳を持たず、大好きなマユカがみすみす不幸になるのを見過ごしたりできないんだ、としきりに叫んでいた。 タケヒコはいずれこの録音をもってサカモトを説得するつもりでいた。しかし、ジュンナは、この録音をサカモト君に聞かせたら、逆上して、それこそ収まるものも収まらないと思うとタケヒコに言った。 たぶんサカモト君が言うのは全部事実なんだと思うわ。このマスダっていう男は、まだシミズっていう子と切れていないんでしょう。たぶん彼にすればどうせ遊びなんだろうから、あなたから、バイトの子にそうやってやたらと手を出すのはやめろとマスダ君には厳しく言ってやるのよ。シミズって子との関係も問い詰めてやればいいのよ。サカモト君にすれば、最初は自分と付き合っていた彼女がよりによって同期のマスダ君に乗り換えたのが我慢がならないんどと思う。それが異様な執着の一番の原因なんじゃないかしら。だからマユカちゃんがマスダ君の本性を理解して、それでも彼と別れないと知れば、もう彼女への愛着は消え失せてしまうと思うわ。もし二人が別れてしまえば、それはそれで溜飲が下がるだろうしね。要するにサカモト君をうまく成仏させてあげること。それ以外に彼のストーカー行為を止める方法なんてないわ。今回あなたが間に上手に割って入ってあげれば、彼を納得させるには一番の環境が整うわけだしね。 ジュンナはタケヒコの胸に身体をあずけたまま淡々と話していた。 相変わらず頭のいい人だと思う。たしかに幾ら恫喝してみても人の心は容易には動かせない。解雇や左遷をちらつかせたり、この録音を突きつけたりするのは、サカモトのような男に対しては逆効果になる可能性も大いにあった。下手をすればタケヒコ自身が一昨夜のショウダと同じ愚を犯すことになるところだった。 ただ問題は、とジュンナは言った。サカモト君がそういう話し合いに素直に応じるかどうかね。記事を潰されたことを根に持っているわけだし、すんなりとはいかないんじゃない。人間の考えていることなんて全部陸続きだから、せめて彼女とマスダ君を別れさせるくらいのことをしないとあなたの信用は回復しないかも。その意味でもマスダ君の方に引導を渡すべきよ。どうせ彼は適当につまみ食いしてるだけなんだから。 そういうもんかな、とジュンナの柔らかな乳房を軽く揉みしだきながら言う。 マユカちゃんってそこそこ可愛いんでしょ。いるのよ人の彼氏を奪わないと燃えない子って。その子もきっとそうよ。女たらしに引っかかる子が引きも切らないのも、不倫がいつの時代も廃れることがないのも、スケベな男がうじゃうじゃいるからだけじゃなくて、他人の持ち物を奪うのが好きな女が想像以上にたくさんいるからなのよ。男の人は案外そういう点はけじめがあるでしょう。誰かの女だと知ったらさっと手を引っ込める男も多いじゃない。女はそうでもないのよ。誰かの彼氏でも、好きになったら我慢しないの。そういう男じゃないと燃えないっていうわがままな女も結構いるのよ。 だとしたら、こうして上司の妻であるきみと平気で付き合ってる僕は風変わりな男ってわけだ、とタケヒコは言った。 というより、ケンちゃんはきっと女っぽいのよ、とジュンナは言った。 乳房を揉んでいるうちにタケヒコは高ぶりを取り戻していた。女っぽいと言われて余計にその気が募ってくる。右手をジュンナの股間にあてがうとそこはいまだにしっとりと潤っている。彼女が小さく身をよじり耳元で甘い息を吐いた。 女っていうのは、どんなにしっかり生きていても、誰かに自分の人生を思い切り変えて欲しいって心のどこかでずっと願ってるの。 タケヒコの胸に頬をすりつけながらジュンナが言った。 ケンちゃんも、そうなんだって私は知ってるよ。 三月二十七日木曜日。 今朝は早めに起きてミオと二人で二子玉川の多摩堤通り沿いの桜堤を散策した。五百メートルほどの並木道にはまだ八時前だというのにたくさんの花見客が出て、中には場所取り役と思われる若いサラリーマンの姿もちらほら見えた。 広い緑の芝生でも幾本かの桜の根元には花見用のシートが敷かれ、その上に若い男性がつくねんと座っている。 僕も新人時代はよくやらされたよ、と言うと、ミオは、ヘー、あなたでもあんなことしてたんだ、と意外そうな声を出した。 最初は営業だったからね。桜の季節は場所取りで徹夜したこともある。 タケヒコは昭和六十二年の入社だが、同期八人の中でタケヒコともう一人だけが業務部門に配属されたのだった。そのもう一人が今回の人事で経理部長に昇格したクサナギである。三年目にタケヒコは週刊誌の編集部へ、クサナギはスポーツ誌の編集部へ回った。以来タケヒコの方はずっと編集畑を歩いて、いつの間にか同期の中でも真っ先に編集長に就任したが、クサナギは体調を崩したこともあって編集は二年で切り上げ、古巣の経理部に戻ったのだった。 入社からの二年間、他の六人が雑誌や書籍の編集者として派手に立ち回っているのを横目で見ながら、タケヒコとクサナギは仕事帰りに二人きりでよく飲みに行ったものだ。酒場で会社の雑誌や書籍について互いに批評しあい、それぞれが気に入った本やCDを交換しあったりもした。 思えば、あの頃はクサナギとずいぶん仲が良かった気がする。それがいつの間にか疎遠になってしまった。ここ数年は飲みに行くことなど一度もなかった。それどころか社内で言葉を交わすことすら滅多にない。今年に入ってだと、一月にコマイの経費の件で話した一回きりだ。あのときも、ゴンドウ総務局長の肝煎りで探りを入れにきたクサナギを適当にあしらったにすぎなかった。 桜を見るとケンちゃんのことを思い出すわ。 ミオの声にふと我に返る。ミオは強くなってきた陽射しに目を細めながら、多摩川の穏やかな川面をじっと見つめていた。 あのときのケンゾウ君は楽しそうだったな。 砧公園の満開の桜の下でケンゾウ君はタケヒコの作ったカレーを二杯もおかわりしてくれたのだった。 あれからたった一年なのにもうこの世にいないだなんて信じられない。 タケヒコもミオの視線の方角へと顔を向けた。大きな川は銀粉でも撒いたようにきらきらと光っている。 ただ、会えなくなっただけだよ。 そう口にしていた。 ユキヒコにもケンゾウ君にも、二度と会えなくなっただけだ。 生者と死者は私たちの頭の中の間仕切りによって分別されているにすぎない。とりあえず生きている人だって、二度と会うことがない人ならば、ユキヒコやケンゾウ君と何一つ変わることはないのだ。「会わない」も「会えない」も結局は同じことだ。 そうやって巡り合った大半の人々、さらには世界中の人々を生者の箱の中に仕分けしながらも、私たちは現実には死者と同様に取り扱っているのである。 会えないということは、「ただ」とか「だけ」とかで片づけられやしないわ。 ユキヒコの名を出したのでミオは強張った声になっていた。 ユキヒコもケンゾウ君もどこかで元気にしていると思えばいいってことだよ。僕は最近、そんなふうに考えることにしたんだ。死んだ人たちはみんなこの世界のどこかで元気に暮らしている。その中には過去の僕自身ももちろん含まれてる。そして、未来の自分さえもきっといるんだろうってね。誰かが死んだとき、その人を失ったなんて思うのは、余りに不遜な考え方なんじゃないのかな。 今日のあなたは不思議なことを言うのね。 ミオが口調を和らげる。 どうだろう。何だか疲れたのかもしれないな。 ユキヒコのことで悲しむことに、もう疲れてしまったんだと思う。どんなに悲しんだところであの子とは二度と会えないんだからね。だとすれば、どこかで元気に暮らしてると思った方がずっと楽だろう。 ミオは何も言わずに隣に身を寄せてきた。三日前にショウダからあの話を聞いて以来、徐々に彼女に対する自分の見方が変わってきているのにタケヒコは気づいていた。 ユキヒコが死んだとき、タケヒコはほんとうに悲しかった。あの子の小さな骨を拾いながら、自分の人生にこんなひどいことがあるなんて信じられなかった。 大きないのちの終わりも悲しいが、小さないのちの終わりはもっと悲しい。 タケノウチとの関係を知ってミオもまた自分にとっては死者だったのだと思った。自分は長いあいだ死者を怨みつづけるという馬鹿げたことを繰り返してきたのだ。そう思うと、何か肩の荷が下りたような、一息ついた気分になれたのだった。 あなたの言う通りかもしれないわ。 ミオが目元に微かな笑みを浮かべる。 私もずっと、あの子が死んだなんて思えないで生きてきたから。 彼女はぽつんとそう言った。 広報部のクニイ部長から携帯に電話が入ったのは、散歩からいったん自宅に戻り、身支度を準えているときだった。時刻は午前九時をすこし回ったところだ。 一昨日の朝、サカモトが痴漢で逮捕されていたという連絡であった。 「週刊時代」編集長 川端健彦様 川端様。二月二十八日号のあなた様の手記「格闘記 猟奇殺人犯・山岡重人をこの手でつかまえた!」を読みました。 二人の罪なき中国人女性を殺し、あろうことか仲間の女性たちにバラバラにさせた遺体をマンションのベランダに放置していた山岡をその手でつかまえて、さぞや鼻高々でおられるでしょうね。お書きになった手記を読んでもあなた様の得意満面の笑みが目に浮かぶようです。 申し遅れました。私は山岡の妻です。といっても正式に籍を入れているわけではありませんが。山岡が逃亡を始めて半年後に知り合い、二人でずっと一緒に暮らしてまいりました。 あなた様が山岡をつかまえる二月十五日まで、丸二年半の結婚生活でした。 そういう書き出しで始まる山岡の妻を名乗る女性からの手紙を受け取った。 その女性は、山岡が神戸の事件の犯人であることは最初から気づいていたらしい。しかし、彼女は幼い頃に家族が警察にひどい目にあわされた経験があり、警察というのがどんなにいい加減でインチキなところがあるかを骨身にしみて知っていたので警察に通報するつもりはなかったという。 彼女は山陰の地方都市で風俗関係の仕事をしていて、客として山岡と出会い、いつしか山岡の優しく気の弱い善人なところに惹かれ、知り合って二週間後には、ホテル暮らしで逃走中の山岡を自分の住んでいたアパートに呼び込み、一緒に暮らし始めたという。 同棲を始めてちょうどひと月が経った日、山岡に事件のことを訊くと、山岡は、自分は本当の犯人ではないと言ったらしい。生き残った三人の中国人女性たちも真犯人を庇って絶対に真実は喋らないから、自分は逃げ回るしかなかったんだと。 山岡は本当の犯人ではありません。あなたがやったことは善良で無実の一人の男を監獄に送ること、おそらくは死刑台に送ることだったのです、と書いていた。 そして、中国人女性二人を絞殺したのは同じ中国人マフィアの男で、二人の遺体をバラバラにさせたのもヤンというこの男だ。残忍で人殺しなど何とも思わない異常性欲者で、もちろんあの事件のあと彼は日本から脱出し、いまは中国に戻っている。ヤンという名前も偽名だと山岡は言っていたという。 山岡はヤンに大きな借金があって、それで彼の使い走りみたいなことをさせられていた。女たち五人と同じ部屋で暮らしていたのもヤンの命令で、山岡はきれいな顔立ちをしているので、稼がせている女たちが逃げないよう監視させるにはもってこいの男だったのだろうと書いていた。 山岡はこのヤンという男のことを洗いざらい警察に話しているが、警察は取り合ってもくれない。それどころか、山岡に付いている国選弁護人の弁護士もはなから山岡の苦し紛れの作り話と思って相手にしてくれない。 事件後、生き残った三人の中国人女性も中国に帰ってしまった。山岡は「残りの女たちも向こうでヤンに消されているだろう」と話していたらしい。女性たちは五人とも戸籍もないような闇っ子だった。今となっては山岡の無実を証明してくれる人は誰もいないのだという。 そして、彼女はこう書いていた。 川端健彦様。あなた様のやったことは取り返しのつかないことだったのです。一人の人間の人生を台無しにしてしまう、人間としてしてはならない大きな罪をあなたは犯したのです。手記を拝読すると、何でもあなた様は胃癌の手術をされて、いまも病気と闘っておられるとか。私はその部分を読んで、あなた様の胃癌は必ずや再発するだろうと確信いたしました。私の愛する人を死地に追いやった大罪人のあなた様だけがこの世にのうのうと生きつづけていけるはずがありません。天にいる神様がそんなことをお許しになるはずがないのです。 あなた様の癌はきっと再発します。そして、あなた様は苦しみ抜いて、いまは拘置所にいる山岡の何倍も何十倍も苦しみ抜いて死んでいくのです。因果応報。それがあなた様の定まった運命でございましょう。 いま私のお腹の中には赤ちゃんがいます。妊娠三カ月目に入ったところでした。山岡は子供ができたことを知って、あなた様が行かれた、あの宇都宮駅前のパチンコ店に勤め始めたのです。この二年で逃亡資金も底をついておりました。赤ちゃんができたらお前も働けなくなるから、多少の危険はあっても今度は俺がちゃんと稼ぐ番だと自分に言い聞かせるようにいつも山岡は申しておりました。 川端健彦様。この二年半の生活を共にした私は断言いたします。 神様に誓って、山岡重人は犯人ではありません。真犯人はヤンという中国人マフィアの男です。ヤンは山岡がようやく逮捕されてきっと胸をなでおろしていることでしょう。 私は近いうちに、このお腹の赤ちゃんをおろすつもりでいます。身寄りもない私は、夫を奪われ、あげく生まれてくるこの子には殺人犯の子どもという汚名が一生付いて回るのです。とてもそのような哀れな子どもを生み、育てる自信がありません。 あなた様を怨みます。怨んで怨んで怨み抜きます。 あなた様には何の関係もなかったはずです。山岡がやったと言われている殺人にしても、山岡本人のことにしても、そして私と山岡の暮らしについても、あなた様は何の関係もなかったし本当のことなど何一つ知らなかったのです。 そしてあなた様の軽はずみな行動によって、無実の人間が死刑になり、妻である私が絶望のどん底に落ち、私たちの可愛い赤ちゃんが殺されてしまうことになってしまったのです。 きっとあなた様には天罰が下ります。私はそのことを心から信じて疑いません。 今日はそれだけをあなた様に知っていただきたくて、こうして筆を執りました。 さようなら。 あなた様の癌が一日も早く再発いたしますように。 手紙に日付は記されていなかったが、消印を見れば三日前の三月三十日に投函されたもののようだった。場所は「宇都宮」となっている。 タケヒコは手紙を封筒にしまい、宛名の記された表書きを見た。この種の手紙にありがちな印刷文字ではなく、それは美しい、おそらくは女性のものであろう手書きの文字だった。筆跡は手紙の文字と同一である。差出人の住所氏名はもちろんなかった。 真っ先に浮かんだのはショウダの顔だ。あの晩からすでに十日が経っている。彼からは何一つ連絡がなかった。 これもサカモトに対する攻撃と同じように、新手の脅迫なのだろうか。こうした陰湿な手段でこちらを精神的にじわじわと追い詰めていこうという魂胆なのか。 しかしタケヒコのような立場の人間にこんな手紙を送りつけたところでおよそ効果があるとは思えなかった。手紙に出てくる幾つかの新事実、たとえば真犯人の存在や山陰地方で出会ったというこの差出人の存在、生き残った女性たちの消息、逮捕されたYの警察での証言などは調べればすぐに真偽が判明してしまうだろう。しかも、そういう手紙を自筆で書いて送りつけてくる人間がいるだろうか。 実は、文中に気になる箇所があった。 タケヒコにタックルをかまされてもんどりうって倒れたYは頭を強打して意識を失くしてしまった。だが、通りかかった主婦たちが駅前交番の警察官を連れて戻ってくるまでのわずかなあいだに彼は薄っすらと意識を取り戻したのだ。完全に気を失っていたのは手錠を掛けたあとのシノヅカ巡査の方だった。Yは馬乗りになっているタケヒコに向かって「どうか見逃してください。もうすぐ子供が生まれるんです」とぼやけた口調で呟いた。目はつぶったままで、そうやって一度きり呟くとあとは呻き声以外に何も発しなかった。ただ、その弱々しい一言はタケヒコの耳にいまもはっきりとこびりついていた。 むろんそんな裏付けの取れないことは手記では触れていない。あれはYの創作に違いないと思い込んでいた。 しかし、この手紙ではYに子供ができたとはっきり書かれている。となるとあのときのYの小さな呟きもあながち嘘だとは決めつけることはできない。 少なくともこの手紙はYの周辺事情にある程度通じた人間が書いたものと見ていいだろう。まず想定されるのは現実に存在する内縁の妻本人ということだ。そうでなければ単なるイタズラか、それともサカモトの事件同様、警察関係者の策謀ということになる。 あなた様の癌が一日も早く再発いたしますように。 文末の一行を何度も繰り返し読んだ。 あの事件に別の真犯人がいるというのはそれこそYの作り話に違いない。女たらしのYに彼女はすっかり騙されているのだ。だが、たとえ騙されているとしても、こうして本気でタケヒコのガンの再発を願っているのは事実だろう。 逮捕されたYに極刑が下るのは被害者の無念を思えば当然すぎることだが、そのために彼女の腹の中の子供が殺されるのも事実に違いない。彼女が書いているように「私と山岡の暮らしについても、あなた様は何の関係もなかったし本当のことなど何一つ知らなかったのです」というのも確かに事実ではあった。 サカモトの一件がある以上、この手紙を本物と断定することはできない。 だが、自分の長年の勘でいえば、これはYの本当の愛人が送りつけてきたものだという気がした。やはり一番の根拠は自筆だということだ。イタズラや警察情報を使ったNやショウダの謀略であるならば絶対に筆跡を残すようなヘマはしない。二番目の根拠は文面だった。「風俗関係で仕事をしていた」女性の手紙をもし第三者が捏造するならば、こんなしっかりとした文章にはしないだろう。もっと稚拙な文体を装うだろうし、文字もこれほどの達筆にするはずがなかった。 遠くの町で見ず知らずの誰かが自分のガン再発を念じつづけているという現実は、決して気分のよいものではない。だが、手紙の主に対する怒りは不思議なほどに湧かなかった。手紙が本物だと思う、それも根拠の一つだったのだ。 もしかしたら、彼女はこちらからの連絡を待っているのかもしれないという気がした。彼女の身元など調べればすぐに分かる。そこを承知でわざわざ手書きの手紙を送りつけてきたのではないか。むろんタケヒコへの怨みを一文字一文字に龍めるために自筆を選んだという側面もあるのだろうが。 相手が猟奇殺人犯だったとはいえ、自分が疑いもなく捜査の片棒を担いでしまったことに対して若干の反省がタケヒコにはあった。あの状況で通報した意味についてあとから理屈をひねりもした。Yという殺人者を野放しにすれば、いつまた新しい犠牲者が生まれるか分からない。彼のような凶悪犯が逮捕されないという現実は、社会不安を醸成し、類似犯の発生率を増やすおそれがある。そういった理由付けは可能だったが、一方で、ジャーナリストの一人である自分がああした行動を躊躇なく取ったことに一抹の差恥があった。自分が本当にやるべきだったことは通報などではなく、Yを直接取材することではなかったのか。 そういう点で、この手紙は痛いところを衝いているのだった。少なくともタケヒコがあんなに早く警察に知らせるようなことをせず、Yを泳がせ、彼の生活環境や交友関係を調べ上げていれば、こんな形で虚をつかれるような羽目には陥らなかったはずだ。 彼女が書いているように、Yが凶悪殺人犯だとしてもタケヒコはその直接的被害者ではない。それどころか常に権力側とは距離を置くべきジャーナリストなのだ。 警察権力は犯罪者を検挙もするが、一方において無実の人間を犯罪者に仕立て上げることも平気で行う。 だとすれば、彼女が語っている真犯人説も一笑に付すわけにはいかない。たとえ1パーセントに欠ける確率しかないとしても、このような手紙を受け取った以上、Yの事件をいま一度洗い直してみる必要がある。内縁の妻である彼女を探し出し、まずは事情を聞いてみなくてはなるまい。 タケヒコは手紙を新しい机の引き出しにしまいながらそう考えていた。
讀賣新聞三月二十七日夕刊に以下のような記事が載った。
電車内で痴漢をしたとして、文京区大塚警察署は25日朝、東京都迷惑防止条例違反の現行犯で、豊島区南池袋二丁目、「週刊時代」編集部勤務、坂本淳一郎容疑者(31)を逮捕した。 調べでは、坂本容疑者は25日8時15分ごろ、東京メトロ有楽町線新木場−和光市間下り普通電車内で、目の前に立っていた豊島区の女性会社員の下半身を触った疑い。 会社員は坂本容疑者の腕をつかみ上げて「あなたいま痴漢しましたよね」と声をかけ、近くにいた乗客と取り押さえて護国寺駅で駅員に引き渡した。坂本容疑者は酒に酔っており、「身に覚えがない」と容疑を否認しているという。
サカモトが釈放されたのは逮捕から七日目、三月三十一日のことだった。被害者と示談書を交わし、警察、検察に犯行を認めた上での釈放であった。強制わいせつではなく都条例違反であり、初犯であること、結果的に有罪を受け入れたことから罰金刑で片づくのは間違いのないところだった。サカモトはむろん前科一犯となる。 だが、諸般の事情に鑑みれば、無実を主張して法廷闘争に持ち込んでも無罪を勝ち取る可能性はほぼゼロだった。彼の判断はやむを得ざるものだったとタケヒコも理解している。 二十七日朝に広報部からの連絡でサカモト逮捕を知ったタケヒコは、すぐに会社に駆けつけて善後策を練ることにした。タクシーで社に向かいながら、知り合いの記者たちに手当たり次第に電話して状況を探った。その甲斐あって、広報部のクニイ部長らとの協議に入ったときには事件の大体の様相は把握できていた。 警察側の手口は実に見え透いた大胆なものだった。 まずサカモトの現行犯逮捕に協力した非番の警察官は、警視庁刑事部捜査二課のバリバリの刑事だった。そしてなんと被害女性および目撃者の一人が勤務する職場は、警察庁の外郭団体の一つだったのだ。二人とも正規の職員で、男性に至っては元警察官というおまけつきだった。 その情報を耳にした瞬間に、タケヒコはこの事件がN周辺による謀略であることを確信した。しかもNは自らの権力を見せつけるかのようにあからさまな圧力をかけてきたのである。サカモト本人とまだ面会していない時点だったため、断定的な物言いはしなかったが、サカモトが痴漢などするはずがないこと、これは悪質な取材妨害の可能性が高いことなどははっきりと広報部の面々たちに伝えておいた。二十五日に逮捕しながら二日も経ってから記者発表されたことも、サカモトの肩書が社名ではなく「週刊時代」編集部勤務とされていることもN側の露骨な意思表示に違いなかった。 警視庁クラブの記者たちから矢継ぎ早に問い合わせの連絡を受け、内容が内容だったこともあり、広報部はすっかり慌てふためいていた。メディアヘの対応を含めた今後の方針は全部タケヒコが決めるしかなかった。 @記者には、とりあえず状況が把握できていないので、現時点でのコメントは控えたいむねの連絡を行い、ただ本件が真実であれば服務規定に従って当該社員を厳正に処分するつもりであることを付け加える。 A逮捕三日後ながら、いまだに弁護士を選任していないサカモトに早急に弁護士を紹介する。 Bその際は社の顧問弁護士に依頼するのではなく、この種の事件に精通した優秀な刑事弁護士を派遣する。 Cその弁護士の最初の接見にクニイ部長とカワバタが必ず同行し、サカモト本人の話を一刻も早く聴取する。 D土曜、日曜は弁護士以外の接見は認められないので、サカモトとの接触は今日、明日中に行う。 以上の五点をとりあえず確認した。それから、タケヒコは懇意の弁護士に電話し、その日の午後三時過ぎから彼とともに大塚警察署に足を運ぶことで話をまとめたのだった。 留置場から手錠、腰縄で引っ張られてきたサカモトは憔悴しきっていた。連日の取り調べに対して否認をつづけてはいたが、調べ官の刑事たちから被害者の素性、自分を取り押さえた相手が現職刑事であることなどを聞かされ、サカモト自身もこれが警察の完全な捏造事件であることを確信していた。 おそらくあと二人の目撃者も警察周辺の人間だと思います、と彼は言った。もちろん痴漢などまったくやっておらず、不意にこちらに振り返った相手にいきなり右腕を取られたとき、手は車両のポールをしっかり握っていたという。 事実を幾ら言っても刑事たちは取り合わないし、「目撃者が四人もいて全員が任意の聴取に応じているんだ。お前がどんなに否認してもどうにもならない」の一点張りです、と彼は苦り切った口調で言った。 しかし、その面会の翌日サカモトに再び会うと、彼は、事件がこれ以上大ごとになるのは望んでいない、と言った。サカモトは前日に上京してきた父親から、できるだけ穏便に事を収めてほしいと強く言われたそうだ。父親は岡山のホテルのオーナーで、また県議会議長でもあった。 タケヒコがサカモトから聞いたところでは、彼はその前夜、マユカと月島のジョナサンで喧嘩別れしたあと、コンビニで買った缶チューハイで勢いをつけて彼女のアパートまで行ったそうだ。しかし、どうしてもベルをおすことができず、アパートのそばの公園でカップ酒をすすりながら時間を潰したという。陽が昇り、気付くと桜の木の下にいて、朝陽を受けた満開の桜のあまりの美しさに彼は思わず息を呑んだ。もう一度アパートから出てきたマユカと話しをしようと待っていた彼は、その時、自分は一体なにをしているんだろうと思い直し、飲んでいたカップ酒の残りを桜の木の根元に注ぐと一礼をして公園をあとにしたという。そして、地下鉄に乗り、事件に遭遇したのだった。 タケヒコが、フルカワ専務にサカモトの取材の経緯や事件前夜の個人的事情などを詳しく説明すると、意外にも小説畑出身のフルカワ専務は寛大な対応をしてくれて、サカモトは社内的には本人の言い分を尊重してえん罪事件として処理されることになり、四月からの雑誌への異動もそのままとされた。ただし、編集長の権限で、サカモトには一カ月間の謹慎を命じ、編集部への復帰は五月一日からとした。また、ニシナ・マユカとも今後一切接触しないことも固く約束させた。
それまで住んでいた中野区から江東区平野のマンションに引っ越したのは、九二年の七月だった。当時、タケヒコは二十八歳になったばかりミオと出会う二年以上も前のことだ。そのマンションの部屋を借りようと決めたのは、三ツ目通りを隔てた正面に大きな公園があったからだ。しかもそこはちょうどーヵ月前に開園したばかりで、都内でも有数の規模と設備を誇る見事な森林公園だった。東京都立木場公園である。 九五年の九月にミオと結婚し、結婚と同時に二子玉川の家を買ったので、平野でのマンション暮らしは三年余で終わったが、タケヒコはヒマがあるとしょっちゅう散歩していた木場公園がとても気に入っていた。本当はそのマンションで新婚生活を始めたかったのだが、東京西部でずっと育ったミオが、馴染みのない下町暮らしに難色を示したために引っ越すほかなかった。愛着のある公園を離れることには一抹のさみしさを覚えたものだ。 十三年ぶりに訪れた木場公園は昔のままだった。 公園南地区のパーキングに車を置くと、タケヒコは大荷物の入った段ボールを抱えて園内の芝生広場へと向かった。 眼前に線の空間が開けてくる。懐かしい景色だった。「ふれあい広場」と名づけられたこの芝地はとても広く、案の定、花見客の姿はまばらだった。まだ午前十一時を回ったばかりということもあろうが、木場公園の利点は都心から至便の立地でありながら、休日やこうした花見の季節であっても他の公園と比べて人出がぐんと少ないという点だった。 芝生周辺に植えられたソメイヨシノはいまが盛りの風情だ。芝生がやや剥げかかって白茶けた地面が幾らか覗いている場所に到着すると、段ボール箱を置いて、用意してきたビールシートを広げた。まずは腰を下ろして座り心地を確かめる。広場の端とはいえ見上げれば満開の桜が真上にある。 柔らかな陽光が桜の花を透かして顔面に降り注いでくる。とても静かだった。緑の匂いのする空気を吸うのは久し振りのような気がした。 昨日、Yの妻からあんな手紙を貰ってくしゃくしゃした気持ちになった。先月十三日にマエダたちの抗議を受けて以来、どうにも悪い流れがつづいていた。あのとき感じたミリセカンドの変化は転調されていない。その後のショウダの脅迫やサカモトの逮捕、昨日の手紙とますます状況は悪化傾向にある。それもこれもフジサキ・リコと連絡がつかないことが一つの原因なのだとタケヒコは思っていた。リコは自分を罠に嵌めた当事者ではあるが、タケヒコにとって彼女はそれだけの相手ではない。死んだケンゾウ君がミムラ・ユリエヘと導いてくれたように、彼女もまたタケヒコにとってある種の導き手なのではないかという感じがあった。 リコの部屋に泊まった直後、ユキヒコが自分から離れていったことも、彼女の存在の重さを証拠立てているような気がしている。 ミオは一昨日、四月一日から南米へ視察旅行に出掛けた。帰国は十一日の予定だから丸々十日間の旅だ。それとなく訊ねるとタケノウチも視察団の一員であるらしい。仕事を兼ねてのバカンスを二人で愉しもうというのだろう。ナオは、世田谷の祖父母の家へ行っている。 来週の金曜日までタケヒコは一人きりだった。 新しい編集部での仕事はこれからだが、一日にさっそく開いたプラン会議での各部員の企画書を見る限り、さすがに社の看板雑誌ということもあってベテランから若手に至るまで粒揃いの印象だった。かつて月刊誌時代も数々のスクープを手がけた本命編集長をようやく迎えることができて、彼らの士気は十分に高まっていた。 サカモトとあわせてタケヒコの強い希望で呼び寄せたイケオ・リョウヘイも期待通りのキレを見せていた。イケオはタケヒコより三期下だが、息子の病気が理由でここ数年は出版部で書籍を作っていた男だ。二月の末にアサノから異動を告げられるとすぐに彼と会い、副編集長として月刊誌へ来てほしいと頼んだ。今年小学校三年生になる彼の長男は心臓に先天的欠陥があった。それも昨秋に無事に手術が終わり問題は解決したと耳にしていた。本人と話してみると実際その通りのようで、イケオはこちらの誘いに一も二もなく乗ってくれたのだった。 週刊誌と違って月刊誌はサイクルが長い。毎月の校了は二十四、五日くらいだが、目次の半分は最後の一週間でこしらえなくてはならない。この時期に慌てて企画を立てたところで発売日の来月十日にはすっかり古びてしまっている。 それに、とりあえず二、三カ月はのんびり構えていようとタケヒコは考えていた。 今日も日中はこうやって花見で憂さを晴らし、午後遅くから会社に出ようと思っている。 シートに寝転がり、腕時計で時間を確認してから目を閉じた。十一時十五分。リコとの待ち合わせ時間は十一時半だった。 といっても、昨日の夜、<きみのせいでショウダさんからえらい目にあわされました。せめて罪滅ぼしと思って花見に付き合ってくれませんか>と彼女の携帯の留守録にメッセージを吹き込んでおいただけにすぎない。 あのあとまったく音沙汰もないリコが、こんな唐突な呼び出しに応ずるはずもないが、反面では、事が露見したいまであればひょっとしてという期待があった。サカモトとマユカの関係を完全に切ったこともタケヒコにとっては好材料だろう。水路を一つ断てば、川はもう一本の水路へと流れ込む。 彼女の気持ちはともかくとして、リコにどうしても会いたい。 一度時間を確かめる。時計の針は十一時三十二分を過ぎたところだった。 それから五分ほど経った頃、白いワンピース姿の細身の女性が南口に姿を現した。サングラスをかけているが遠目にもフジサキ・リコだとすぐに分かった。頭には黒い帽子を被り、ベージュのハンドバッグと紙袋を右手に提げている。 起き上がって胡坐を組むと彼女もすぐにタケヒコを見つけたようだった。躊躇う素振りもなく近づいてくる。 その歩き方や体型、おそろしく小さな顔も、こうした日常の風景の中で見ると明らかに他の女性たちとは異なった雰囲気を醸し出している。自分の姿を人々に鑑賞させるための特別な訓練を積んだ人間ならではの美しさがそこにはあった。 ようやく混み始めた広場の中で、こちらに歩いてくるリコに人々の視線が引き寄せられていく。タケヒコの前に立ったときには、あとから来て周囲に場所を占めていた幾つかのグループの面々が一様にタケヒコとリコとを見比べているのがよく分かった。 お久し振り、とタケヒコは座ったまま右手を差し出した。リコはバッグと紙袋を左手に持ち替えて握手に応じてくれる。 ちょっと遅れちゃった。ごめんなさい。 タケヒコが促すと靴を脱いでシートの上に腰を下ろした。 リコはサングラスを外して桜を見上げる。すこし眩しそうに目を細めていた。 およそ一カ月ぶりの再会だが、さほど変わりはないようだった。疲れているようにもやつれているようにも見えない。最初からしっかりと目を合わせてきた。あんな真似をしておきながら悪びれている様子も皆無だ。 時間はどのくらいあるの。その恰好からすると今日は仕事が入ってるんだろ。 今日はお休みだよ、と言い、これ白装束のつもり。私なりに覚悟は決めて来たのよ、と笑った。 別にきみを責めたり、怒ったりするために呼んだんじゃない。 そうなんだ、とリコは意外そうな声を出した。 来てくれればそれでよかった。留守録に入れておいた通りだ。 それから、タケヒコが持参したワインとカレーで二人だけのカレーパーティをした。カレーもタケヒコの手作りでご飯も土鍋で炊いたもの持参した。シートに置いた小テーブルの上にガスコンロを据え付けをカレーの入った銀色の両手鍋をその上に置いてあたためて二人で食べた。 これ全部カワバタさんが作ったんですか、と驚きながら、美味しい、美味しいとリコはたくさん食べてくれた。 カレーを食べあとで、リコが持参した「紀ノ善の抹茶ババロア」をデザートでいただく。 仕事が休みなら、今日は午後までここでのんびりしようか、というと、リコは、うん、と真面目な顔で頷いた。 リコは脚を伸ばして全身で風を受けている。ワンピースから伸びた白い脚がなまめかしい。 私、家がビンボーだったから東京に出てきたの。お父さんやお母さんは毎日毎日、朝から晩まで畑仕事やって、それでもなーんにも贅沢なんてできなくて。そんな暮らしが私はすごいイヤだった。 黙ってしばらく風に吹かれていたリコが不意に言った。 芸能界に入ったら有名になれるし、お金だっていっぱい稼げるって思った? タケヒコはテーブルの上を片づけながら訊く。 そうでもないけど、人生が変えられるような気がしてた。 で、変えられた? それもそうでもない。 だけど、きみは他の子と比べたら順調な方だろう。五月からテレビの仕事も入ってるそうじゃないか。 私、テレビの人たちは嫌いなの。どいつもこいつもインチキでいい加減。ていうかこの業界の人たちがみんな嫌い。 僕みたいなやつばかりってこと? はっきり言って、そう。まともな人ってショウダさんくらいだった。 彼がまともかね。 私はそう思ってるの。怖いって言う人もいっぱいいるけど。この世界に入って、私のことモノ扱いしなかったのは彼だけ。事務所の他の子もみんな言ってるよ。ショウダさんは仕事に絡めて身体を要求したり絶対しないから。 だから、彼に頼まれたら何でもするっていうわけ? そう。特にあのときのショウダさんは必死だったから。 そうなんだ。 あの人、ああ見えてすごい愛妻家だし。だって、手帳にいつも奥さんの写真入れてるもの。 あの男がねえ。 タケヒコはミムラ・ユリエの顔を思い浮かべながら感心したふうを装う。 どんな奥さんなんだろ。 きれいな人だよ。とっても優しそうな感じ。私は直接会ったことはないけど、マナちゃんは偶然、会ったことあるって。ショウダさんマジで照れてたらしいよ。 そんな男が、きみまで使ってあんな卑劣なことをするかな。 だから、よほどの事情に違いないって思ったの。 なるほど。 でも、カワバタさんにあんなことするのは本当はイヤだったの。 どうして。 カワバタさんの書いた記事を読んだらちゃんとしてたし、おでん屋さんで話してみたらもっとちゃんとした感じがしたから。 ちゃんとした、ねえ。 私はね、歩き疲れたときは気にせずタクシーに乗れて、テレビショッピングで気に入った商品が全部注文できて、おうちに毎日新しいお花を飾れるような暮らしがしたかったの。でもその程度の欲望じゃあ、この世界じゃ生きていけないことがよく分かった。だってみんなものすごい欲張りなんだもん。 きみの欲だって大したもんだと思うけどね。テレビショッピングで欲しいと思った商品が何でも買える人間なんて滅多にいないよ。 まあね。それに本当のお金持ちはそんな安っぽい買い物しないよね。 リコが面白そうに言う。 人間の欲望に限りがないことはたしかだな。僕も病気になる前はそうだった気がするしね。 私、ビンボーは嫌い。 そうかな。この国の人間たちの言うビンボーなんて高が知れてると思うけどね。いまの日本で一番つらいのはビンボーなんかじゃない。希望がないことでも時代が不透明なことでもない。みんな自分の人生の先がすっかり見えてしまってることだよ。先が見えてしまうというのはものすごくつらい。ガンという病気がきついのはそのせいだしね。 じゃあ、カワバタさんは毎日つらいんだ。 つらいね。このつらさを何とか軽くしたくていろいろ考えるよ。自分がこれからどうやって生きていけばいいのかとかね。 じゃあ、カワバタさんはこの先どうやって生きようと思ってるの。 僕は自分の必然に従って生きていくんだ。 必然?何それ。 要するに、結局はそうなってしまうだろうように生きるってことだ。たとえば、きみとこうして花見をしているのも必然だ。そうじゃなきゃ、よりによってきみと僕がこんなふうに二人きりで桜の木の下に座ってるはずがないだろ。これは無理だなって思うことでも、それが自分にとって必然であればきっと実現するんだ。人の力や、まして神様の力なんて借りずに、僕はそうやって自分がそうなってしまうだろう人生をしっかりと生きたい。すでに決まっていることを自分で決めるんだよ。 なんだかよく分からない。 もっと噛み砕いて言えば、何かをするたびに「自分がこれをやっているということは、すでに決まっていたことなんだろうか」と自分に尋ねるんだ。そして、「いや、これは行き当たりばったりでやってるだけだ」と気づいたら、そんなことすぐに止めちまう。そういうことだよ。 そんなの難しいよ。自分がやるべきことなんてそう簡単に見つけられないもの。 別にやるべきことをやる必要なんてないさ。そうじゃなくて、僕が言っているのは、欲や希望や義務感で何かするのをやめて、自分はこうすることに決まっていると思えることをやればいいってことだよ。そういう人生を歩めるようになれば、現在の自分を見失って、自分は果たしてこんな自分になりたかったんだろうかって後悔することもない。そのために必然の中で生きるべきだと僕は思ってるわけさ。 じゃあ、これは必然じゃないなってことばかりだったらどうすればいいの。何もしなくていいの。 何もしないということを現在の自分の必然だと思えばいい。 リコは分かったような分からないような顔をしている。 で、カワバタさんはこの先、自分はどんなことをするようになるって思ってるの。それが分かるから必然で生きられるんでしょう。 そんなに遠い先のことは分からないよ。でも、こうやってきみと一緒にいるのは必然だという気がしてる。 ふーん。 あと言えるのは、いまの仕事はもうあまり長くはやらないだろうってことかな。ガンが再発して死ぬかもしれないし、誰かに出会ったり、何か他のことをするために会社を辞めるのかもしれない。それはよく分からないけどね。 私も、カワバタさんと今日、こうして一緒にいるのは最初から決まっていたことのような気がする、とリコは言った。 死者は生者に対してたいへん大きな力をふるうことができます。それはカワバタさん御自身がユキヒコさんとの関係でよくご承知の通りです。シンギョウジはいつもと変わらぬ表情と口調で語る。 亡くなったケンゾウさんという方も、その遺書の効果が限定的であることは十分に理解していたんじゃないでしょうか。それでも、残された奥様にすれば、そういう内容の遺書をあえて残した御主人の気持ちはやはり大きく胸に響くと思います。 そういうものでしょうか。 タケヒコはハイパックの椅子に身体を預けたまま訊いた。シンギョウジは小さく頷く。 そうやって自分のことは忘れ、自由になって欲しいと願っていた御主人の思いが、直接その気持ちが綴られた遺書を読むよりもはるかに強く伝わってくると思います。 ということは、彼女にすればやはり失望は大きいわけですね。彼の狙い通り。 失望という言葉は適切ではないかもしれません。相手の女性の方がずっと失望感は強いでしょうからね。彼が死んだという報告とそんな若い頃の肖像画だけをいきなり渡されれば、彼女には、彼が自分との縁を完全に断って旅立って行ったとしか思えないでしょう。他方で、奥様にすれば、夫が死んだあと、自分以外の誰かが夫のことを思いつづけているという現実の方がずっとイヤだったはずです。その点で、奥様がご主人に失望するということはないと思います。ただ、それでも死にゆく夫が、妻である自分も含めてさまざまなものを振り切っていこうとしていたことが鮮明になって、この世とあの世とのあいだの越えがたい隔絶を思い知らされたのではないでしょうか。 なるほど。 一緒に入院している頃、ケンゾウ君に持ちかけられたことがあった。どちらかが先に死んだとき、生き残った方は遺族たちを自由にしてあげる手伝いをすることにしないかと。タケヒコはそんな必要はないと答えた。自分が死ねば、ミオはその瞬間に自由になるだろうと確信していた。ケンゾウ君は違うようだった。 こんなことを言うのは恥ずかしいし、手前味噌かもしれませんが、僕が死んだりしたらヒロミはきっとどうにかなってしまうと思うんです。彼女を自由にしてあげないと。まだ十分に若いし、好きな人を見つけて再婚し、子供だって産んで欲しい。そのために僕が死んだときは、ヒロミが僕のことを見限るような何か工夫をするつもりなんです。 ケンゾウ君はそう言い、思いっきりがっかりさせてしまうんですよ。僕に愛想を尽かせばいい。死んだあとで秘密の愛人でも登場すれば本当は一番なんですけどね、と笑いながらつけ加えたのだった。 タケヒコがケンゾウ君からの手紙をすぐにヒロミさんに見せたのは、そういう経緯があったからだ。だが、ヒロミさんは手紙を読んでも動じたふうはなかった。ケンゾウ君の他愛もない工作など、長い時間を共にしてきた妻には通用しなかったということだろう。 たしかに人間関係は生きているうちのものですからね。でも、かけがえのない人を失ったときの悲しみやつらさは何年経っても癒えることはありませんよ。 ミオさんの悲しみやつらさもきっと同じなんだと思います。そこを手がかりにすることはもうできませんか。 シンギョウジが言った。 しかし、妻はいまだってタケノウチという愛人と一緒に海外視察に行っているわけですよ。いまさら彼女との関係を修復することに何か意味があると思いますか。 失礼ですが、その部分はカワバタさんにしても同じですよね。奥様以外の女性とも付き合っていらっしゃるし、さきほど話してらした女性には惹かれていらっしゃるわけでしょう。 それは確かにそうですね。うまくは説明できないんですが、彼女に対しては自分でも予想できなかったような感情があります。会ったり電話で話したりするたびにそう感じてしまう。 それは、どのような感情だと思われますか。 シンギョウジに問われて、タケヒコはすこし考える。 ほんとうにうまく言えないのですが、彼女と一緒にいることに必然を感じてしまうんです。彼女と出会うことを昔から知っていたような気がするんです。 電車の中で幻覚を見たとき、年老いた自分の隣に妻が座っていたことになぜあれほどのショックを受けたのか、その理由が最近になってようやく分かった気がします。 実際は、その逆なのではありませんか。以前も申し上げましたが、カワバタさんは奥様との関係を解消したいがために、そういう女性の登場を切望しておられたのではありませんか。そのために偶然巡り合ったその方を必要以上に特別視しようとされているのではないですか。 そういう単純な感覚とはちょっと違っているように思いますね。 そうですか。 妻に愛人がいると分かった以上、妻との関係はいままでと異なるものにならざるを得ません。おそらく、妻の方は僕の素行について勘づいていたと思います。だからこそ自分ものびのびやってるんでしょう。その点では、彼女の僕への構えは今まで同様でしょうが、僕の方はそうはいかない。ただ、だからといって即座に離婚だなんて思ってるわけではありません。あくまでもいずれはということで、それは妻にしても同じでしょう。もう一人の彼女との関係については、経緯から考えてもこれからどうなるものでもないと思います。ただ、その人との間に万が一何かがあるとしたら、それは必然なんです。そのときは妻の存在はいかなる意味でも足伽になり得ないと思います。 仮にそうなった場合、ナオさんのことはどうされるつもりですか。 娘のことは娘のことです。妻と一緒にいようがいまいが僕が父親に変わりはないわけですからね。それに、親子というのは互いに理解し合う必要のない関係でしょう。生きる時代も住む世界も決して重なることはありません。娘が成長していく時間は、僕にとっては死にゆく時間です。夫婦関係とは決定的に違いますよ。 ということは、カワバタさんには、奥様と共に老いていくつもりがないということですね。 その通りですね。子育てなんて一時的なものです。妻というのは、一緒に年老いていく相手です。だが、彼女はそういう対象ではまったくないですね。 それはどうしてですか。やはりユキヒコさんのことが一番の原因ですか。 そうですね。それが一番大きいでしょう。しかしそれだけでもありません。これは彼女と結婚したときから分かっていたことですが、僕には彼女の生き方がまるで理解できないんですよ。僕は男女関係にとって最も大切なものは互いの貞節だと考えています。僕のような男がそんなことを言うのは罰当たりだと批判されそうですが。男女は貞節を前提として、同じベッドで眠り、同じものを食べ、同じトイレや風呂を使い、そして子供を作る。人間の夫婦というのは動物と違って、子供を作るためだけの組み合わせではない。むしろ夫婦関係を長期間継続するという非常に困難な事業を成し遂げるために子供を作る機能が備わっているんだと僕は思っています。だからこそ、夫婦は子供をきちんと育てていくことで夫婦の絆をより強固なものにしていかなくてはならない。そしてその後の二人きりの長い老後に備えるのです。ところがこの社会も、妻のような女性もちっともそんなふうに考えていない。人間をすべて社会的資源と見倣し、生産のための道具と捉えているばかりです。今の女性たちは会社で給料を貰うのが本当の仕事だと思っています。彼女たちにとって子育ては仕事じゃない。僕の妻もそういう女性の一人です。 しかし、僕はそういう妻のことを認めた上で彼女と一緒になりました。何しろ彼女は優秀な人間でしたし、人柄もよかった。でも、ユキヒコをああいう形で失ってみて、僕は思い知ったのです。自分は何でこんな女性と結婚してしまったのだろう。少なくともなぜこの女性との間に子供なんて作ってしまったのだろうと。僕のミスは彼女という女性を妻にしてしまった選択のミスです。でも、妻はそうではない。彼女が子供を失ったのは、僕という夫を選んだからではない。彼女は子供ではなく仕事を選んだがゆえにユキヒコを失った。彼女のミスは選択のミスではなく、生き方そのもののミスだと僕は思います。彼女自身もそのことはきっとよく分かっているでしょう。でも、いまさらどうにもならない。子供を失ったという重い「経験」を糧として彼女は自分の信ずる仕事に没頭するしかない。確かにユキヒコの死は取り返しのつくものではないけれど、しかしそれは彼女にすれば自分自身の体験なんです。自分の人生の一部として消化するしかないし、また消化できる余地も幾らかは残されている。しかし、僕はそうではない。僕は二番手の親として、一番手の親の間違った行動によって理不尽に子供を奪われてしまったのです。彼女の仕事が僕の息子を奪っていったのです。これは何らかの形で消化できる体験ではない。僕の人生に襲いかかった災難のようなものです。 タケヒコは、ますます饒舌になって、政治家たちもそうした女性たちの社会進出を促すためと称して、そのための環境整備を図ることが社会発展の要諦だと説いて、有権者である女性たちにおもねっている。僕たち一般の男も、自分たちが差別主義者の烙印を捺されることを恐れて、育児放棄を前提とした女性の社会進出を応援する態度を取りつづけている。資本主義が生み出したものは結局はそうした人類全体の狂気でしかない。そしてこうした小さな狂気の一つ一つと社会全体を覆う集合意識的な狂気の双方が、僕たちから真実の愛情や勇気を根こそぎ奪い去っていっているのだ、と長広舌をたれた。 タケヒコが話し終えると、シンギョウジは小さなため息をついた。 カワバタさんはいろいろな意味で混乱されているような気がします。カワバタさんは奥様を責める気持ちはないと言いつつ、そういう奥様を生み出したこの社会や時代、仕事を持ちながら子育てしている女性全般を強く非難されているようですが、それは明らかにお門違いの八つ当たりというものです。自分の人生は自分の人生であって、あくまで個人的であり特殊なものです。自分の経験をあまり拡大解釈したり、普遍化して決定的な答えに結びつけようとするのはたいへん危険なことだと私は思います。仕事をしている女性が全員育児放棄しているとは思えませんし、その人はその人なりの事情の中で精一杯我が子に愛情を注いでいるんです。私はユキヒコさんの死はたしかに不幸な出来事であり、それによってカワバタさんがどれほど傷つかれたかをよく理解しているつもりです。しかし、だからといってその個人的な体験を元に、この社会全体が狂気に覆われているといった極端な見解を持つのはやはり聞達っているし、病理的な傾向だろうと思います。 本当にそうでしょうか。 タケヒコは椅子から背中を離して、若干身を乗り出した。 先生にお訊きしますが、では、自分の子供を作って慈しんで育てることと、今まさに飢え死にしそうになっている子供たちを救うことと、一体どちらが大切だと思われますか。 シンギョウジは怪訝な顔でタケヒコを見た。 もちろん、どちらも大事だと先生は思われますよね。僕もそう思います。しかし、現実に僕たちがやっていることはそうではありません。いまの母親が仕事と子育てを天秤にかけているのと同じように、僕たちは自分の家族と見知らぬ子供たちとを天秤にかけている。そして、遠くの国々で毎日餓死しつづけている大勢の子供たちのことには見て見ぬふりを決め込んでいるのです。なぜ僕たちはそんな無慈悲なことを平気でできるのか。先生はその理由を考えたことはありますか。 シンギョウジが首を横に振る。 案外簡単なんです。近くのいのちを慈しむという大義名分があるからこそ、初めて僕たちは遠くのいのちをおろそかにすることができるんですよ。家族が大事だとしきりに強調するのも、家族以外の人間を助けることが面倒でもったいなくてイヤだからです。豊かさの追求というのは結局、小さなサークル内での物質的繁栄を成就することであって、基盤は個人主義、家族主義なんです。カロリー的には過剰であり、健康上マイナスであったとしても、僕たちは舌の贅沢のため必要以上の牛を飼育し、殺して食べます。現在の穀物価格の上昇はそれが原因の一つでもある。物質的豊かさの追求は本質的に贅沢の文化を生み出し、そのために必要以上の富を他人から奪うことを目指します。当然、自分や妻子のためには遠い国の貧しい人々の苦しみなどは見ないことにする。その代わり、自分の妻や子供を大切に守り育てるからそれでいいじゃないか、というわけです。ところが、現実はさらに複雑に展開します。豊かさの追求はそうやって個人主義、家族主義といったエゴイズムを助長し、他人への同情心を抑制する方向に働くため、逆に、肝心要の家族関係まで損なってしまうことが多いのです。現在先進国で例外なく問題化している家族崩壊はその明らかな証でしょう。結局、個人主義の徹底は家族主義さえも破壊してしまう。しかし、そうやって豊かさのエゴイズムの中核である家族関係が壊れてしまうと、僕たちはついに遠くのいのちを見殺しにする大義名分を失ってしまう。これは我々にとって由々しき問題なんです。 そうなるとこの社会は二つの方向に分裂した動きをするようになります。 一つは近くのいのちを守るという大義名分を復活させること。先進国の政治家たちに限ってことさらに、家族の復活だの、教育の再生だの、道徳倫理の復興だのを説くのはそれゆえです。彼らは国家国民のエゴイスティックな利潤追求をあくまで擁護したいし、しなくてはならないと信じている。そしてもう一つの方向は、この際、僕たちは遠くのいのちに対してもっと関心を持つべきではないか、と考え方を根本的に改めることです。国際援助のNGOや反グローバリズム団体の活動が年々勢力を増しているのはそのためです。 妻のミオは、本来、その方向に進むべき人だったと僕は思っています。自分で子供を産んで子育てに追われるのではなく、現在すでに生まれて飢えや病気に苦しんでいる子供たちを助けることに集中すべきだったのです。彼女の生き方の失敗はまさにそこにある。別にすべての女性が子供を産む必要なんてないじゃないですか。中には、苦しんでいる子供たちを救うことに生涯を捧げる女性がいてもいい。それももっともっとたくさんいていい。僕は、女性が社会進出していくということは、この世界にそういう新たな道筋をつけていくことだと思っています。そしてそうした行動こそが、安易な個人主義や家族主義の蔓延ですっかり均衡を失ってしまった世界の富の配分を適正化することにつながっていくんです。しかし、この日本を見回してみてもそういう女性なんて全然出てきやしない。僕の妻にしても言葉だけは気宇壮大ですが、現実には貧困や格差が広がる状況にただ手をこまねいているだけです。 一体、母性というのは何のためにあるんですか。そんなものが本当にあるんですか。僕にすれば、少なくとも閉経した女性たちは孫を可愛がるヒマがあるなら、世界中の飢えた子供たちを助けるために団結し、立ち上がり、今すぐ行動を起こすべきだと思う。でも、そんな動きはどこからも湧き起こってはきません。女性たちはこの社会に進出して、本当は何をしたいのでしょうか。一体何を創造したいのでしょうか。僕たちから見れば、彼女たちのやろうとしていることは僕たち男の単なる猿真似でしかない。ひたすら女を捨てて男になろうとしているようにしか見えないんですよ。 そこでタケヒコは咳払いをして言葉を止めた。今年の花粉症は目や鼻ではなく喉にきている。長時間喋ると喉の奥に違和感が生じてしまう。 女性たちが出産という役割からもっと解放された方がいいという考えには私も同意します。心から望んで子供を産む女性もたくさんいるでしょうが、そうではなく、もう子供を作るくらいしか人生の選択肢が残されていないと諦めて産んでいる人も大勢います。そういう女性は、たしかに何か別の仕事を探すべきかもしれません。中国やインドでの爆発的な人口増加からしても、人間の数が少なくて困るという時代はもう来ないでしょう。何も日本の女性が頑張って産まなくても人類全体はぜんぜん困らないわけですからね。 シンギョウジがやや口調を軽くして言う。 タケヒコはもう一度咳払いをして話を再開した。 WHO(世界保健機構)などによると、現在、世界中で栄養失調に苦しむ子供の数は約一億七千八百万人。日本の総人口と韓国の総人口をちょうど足したくらいの子供たちが、いま、この瞬間も飢えている。その中でも二千万人の子供たちは餓死寸前で、実際、この地球では毎年、五歳以下の子供たち三百五十万人が栄養失調でいのちを落としている。 最近こうした子供たちの飢餓を救うための画期的な栄養食品が誕生した。フランスの小さな会社が開発した「プランピー・ナッツ」という食品で、ピーナッツバターを袋詰めしたようなものだ。この食品の利点は、水なしで食べられること。これまで栄養失調の子供たちへの食糧援助の主役は粉ミルクだったが、粉ミルクを飲むには水に溶かさないといけない。ところが子供が飢えて死ぬような場所にまともな水なんてないわけで、結局、黴菌だらけの水を使って粉ミルクを溶いて、それを飲んだ子供たちがどんどん死んでいく。 ところがこの「プランピー・ナッツ」はそのまま舐めればいい。一袋百グラム足らずで栄養価が五百キロカロリーもあるので、この「プランピー・ナッツ」を世界中の餓死寸前の子供たちに配ってやることができれば、餓死者は一年でぐんと減る。この「プランピー・ナッツ」は一袋で五十円する。日本人の感覚からすればけっして高くはない。 例えば、年間に餓死する五歳以下の子供三百五十万人にこの「プランピー・ナッツ」を一日二袋ずつ配るとして、年間でも千三百億円の金額にしかならない。これは海上自衛隊のイージス艦一隻の金額だ。また、日本の国家予算の二百十兆円のわずか0.06%にしかならない。 もし、世界の先進国の国々が、それぞれごくわずかの援助の手を差し伸べるだけで、餓死する子どもたちは救われるはずなのだ。 しかし、現実には、国際機関や外国の政府がこうした飢えに苦しんでいる子どもたちを救うのは至難の業ということだ。なぜなら、餓死者を出す国の為政者たちはほとんどが独裁政権で、そこに投じられた援助資金は、結局軍事費に化けるか、独裁者たちの懐を潤すだけに終わってしまうからである。 だから、現実的には信じられないことだが、こうした子供たちを救うのは、個人的な援助を積み重ねるしかない。ハリウッドスターやサッカー、テニス、メジャーリーグのトップアスリートたち、そして先進国の大企業の富豪たちが稼いでいるお金や資産のうちの何%かでも飢餓地帯の子どもたちに配り続ければ、餓死する子どもたちはいなくなるんです。 しかし、とタケヒコは言った。金持ち連中がそうやってこぞって目覚めることなんて絶対ないし、それは僕や先生がいま現在そういう援助に手を貸していないのとまるきり同じなんですよ、と言った。 シンギョウジは黙って話を聞いていた。タケヒコはもう一度背中を椅子の背に預ける。 何だか長々と喋ってしまいました。僕は以前、妻と僕とはセックスができなくなった時点で別れるべきだったと言いましたよね。長女が生まれたあと、なぜ妻が僕を拒むようになったのか、なぜ僕のことを生理的に嫌悪するようになったのか。その理由を僕はずっと考えてきたんです。いまにして思えば、妻は最初の子供を持ってみて、これは自分のするべきことではなかったと心の奥底で気づいたんだろうと思います。彼女は自分の子供など産まずに、それこそ、恵まれない他人の子供を救うことを使命とした方がより充実した人生を送れるタイプの女性だったんです。だからこそ夫である僕の身体を受け入れるのがイヤになったんですよ。女性だからといって誰も彼もが出産する必要なんてないし、実際、妻のように能力はあっても資質的にはまったく母親になることが向いていない女性もたくさんいるはずです。 男の中に平気で妻子を捨てて、勝手な人生を送れる者が腐るほどいるのと同じようにね。 タケヒコは最後にそうつけ加えた。 シンギョウジとのセッションを終えて家に戻ったのは午後八時前だった。火曜日の八時といえば先々週までは、組み上がってきた特集原稿を早朝からぶっ通しで読み、中吊りや新聞各紙の広告の最終チェックを終えて、ようやく作業から解放されていた時間帯だ。そのあとは、知り合いの物書きや記者、官僚たちとの会合に出席し、帰宅は深夜の二時か三時くらいというのが通例だった。 それが今夜は、まだ七時台だというのに自宅にいる。先週三日の日もフジサキ・リコと木場公園で花見をし、午後遅くに編集部に一度顔を出すとすぐに家に帰った。まだ週刊誌を離れて二週目だがミオもナオも不在の家に一人で暮らしていることもあって、まるで自分が別人になったような気がする。 タケヒコはがらんとしたリビング・ダイニングで、玉川タカシマヤの地下で買ってきた幕の内弁当を食べた。四月に入ってビールを飲み始めている。ビールを空けているあいだに弁当を食べ終えた。といってもいつも通り、三分の二ほど手をつけて、あとは生ごみ入れに捨ててしまったが。 三日後の金曜日にはミオが帰ってくる。 明日からは本格的に料理を始めるつもりだった。月刊誌に異動したことでミオもナオもタケヒコに余裕ができたのを喜んでいた。いままでも週刊誌以外の部署にいるときはタケヒコが主に食事の支度を引き受けてきた。ほんとうは胃ガンを患ったあとこそ自分で作るべきだったのだが、現場に二カ月足らずで復帰したこともあってそうもいかなかった。 あとどのくらいミオやナオと暮らせるか次第に分からなくなってきている。 書斎から本を持ち出し、居間に移動してソファに腰を下ろす。 掛け時計の針は十時半を指そうとしているところだった。 亀山郁夫訳の『カラマーゾフの兄弟』を読み始めていた。長編小説にはとても手が出ない心境だったものが、一昨日銀座の書店に立ち寄って、ふとそういう気になって全五巻まとめて買ってきたのだった。これまでの生活スタイルを早く変えたいという逸る気持ちもあるのだろう。それにしても、学生時代に一度挫折したこの大長編を案外たのしく読み進められているのが我ながら驚きだった。 三十分ほど読んだ後、文庫本を閉じた。 思いついてダイニングテーブルに置きっぱなしの携帯電話を取ってくる。携帯を開いてデータフォルダを呼び出す。ピクチャーをクリックし、最新のファイルを選択するとディスプレイに一枚の写真が浮かび上がる。 それはケンゾウ君が描いたミムラ・ユリエの肖像画を撮影したものだった。 ヒロミさんが会社に訪ねてきた翌日、タケヒコはミムラ・ユリエの携帯に電話を掛けた。番号はケンゾウ君の手紙に記されていた。用向きを告げるために、まずケンゾウ君が亡くなったことを伝えた。ユリエはそれほど驚いたふうでもなかった。 二日後の午後三時に帝国ホテル十七階のインペリアルラウンジで彼女と待ち合わせた。タケヒコが先着し、ラウンジの入り口近くの席に座っていると約束より五分ほど遅れてユリエがやって来た。すぐに彼女だと気づいて手を振って合図したが、その印象はタケヒコの記憶の中のそれとはずいぶん異なっていた。病室にケンゾウ君を訪ねてきたユリエは、もっと痩せていたし、暗い目をしていた。むろんあとからケンゾウ君に彼女の境遇について聞かされたことがそうした印象を強めた点は否めないが、それにしても目の前の彼女は全然違って見えたのだった。 絵の中の若々しい彼女とも違っていた。年齢的にはヒロミさんと似たようなもののはずだが、ヒロミさんよりもずっと大人びている。少なくともこの女性が日々、夫の暴力に怯えながら暮らしているとは誰にも想像できないだろうとタケヒコは思った。 ユリエは絵を受け取るといかにも懐かしそうな素直な表情になった。 自分にもこんな時代があったなんて信じられないみたい、と呟くように言った。 タケヒコがケンゾウ君との関係など喋っていると、カワバタさんのことは彼からよく聞いてました、と彼女は微笑んでみせた。 ユリエがケンゾウ君と会ったのは、彼が宇都宮に帰る直前、去年の夏の終わりだったそうだ。 再発が分かったから、もうあんまり時間がないだろうって、言ってました。 そうですか。 私たち、若いときに大喧嘩して別れたんです、と不意にユリエがそう言って、くすっと笑ったのだった。 彼、むかしはすっごいとんがってて、わがままを絵に描いたような人だったんです。七年ぶりに偶然再会して、そしたら全然別の人みたいになっててびっくりでした。 僕の知ってるケンゾウ君は穏やかで本当に優しい男でした。 きっと幸せになったんだと思います。私が付き合ってる頃の彼はあんまり幸せそうじゃなかったから。 そうかもしれませんね。 タケヒコはヒロミさんの顔を思い出しながら相槌を打つ。 でも、そういう時代の彼の方が私には魅力的でした。 ユリエは淡々とした口調で言う。 彼女の顔色が変わったのは、タケヒコがショウダと面識があると告げた瞬間だった。ケンゾウ君の手紙の中にユリエの現在の苗字、そして夫の勤務先としてローズ・プロモーションの名前が記されているのを見て、タケヒコ自身も愕然としたのだ。 あのショウダさんが妻に暴力を振るうような人だとは思いもしませんでした。 それから、あなたとケンゾウ君との関係がショウダさんに知られて、あなたが窮地に立っているのではないかとケンゾウ君は心配していました、と付け加えた。 最近はあんまり殴られなくなったんです。夫はタキイさんのことを知って少し怖くなったみたいで、とユリエは奇妙なことを言った。 怖い? ええ。ショウダは私が自分のそばからいなくなるのが何より恐ろしいんです。タキイさんが亡くなったと知ったらまた暴力が始まるかもしれません。 失礼ですが、どうしてそんな男と一緒にいつづけるのですか。 このタケヒコの質問にユリエはなぜか不思議そうな表情を浮かべた。そして意外なことを口にしたのだった。 ショウダと一生を共にする気はないんです。ただ、こうして彼と暮らしているのは自分の宿命のような気がしています。私がどうしても一度は通らなくてはならない道なんだと。 その道の先には一体何があるんですか。 それは私には分かりません。でも、みんなそうやって自分の道を歩くしかないんです。タキイさんもきっとそうだったのだと思います、とユリエが言った。 タケヒコは携帯のディスプレイに映る肖像画を見つめていた。 いまこの絵は会社のタケヒコのロッカーの中に保管されていた。まさかヒロミさんに返却するわけにもいかず、といってこの家に持って帰って壁に飾るわけにもいくまい。 絵を渡してちょうど一週間後、先月の二十八日にユリエが電話してきて、その日の夕方にもう一度彼女と会った。彼女は絵の入った袋をタケヒコの方へと差し出してきた。 家の納戸の奥にしまっておいたが、この分だといつショウダに見つかってしまうか知れない。捨てるわけにもいかずこうして持参したのだ、と彼女は言った。 タケヒコは二十四日にショウダと会い、そこで彼の幼少期の体験を匂わせるような話をしてしまったことを正直に打ち明けた。むろんショウダがタケヒコを脅迫してきた事実も包み隠さず喋った。 そして、もしかしたらショウダは、自分が雑誌に載せた手記を読んで、自分とケンゾウ君やあなたとのつながりに気づいたのではないか。もし御主人がケンゾウ君の死を知っていれば、僕とケンゾウ君との関係を察知し、あなたと僕をつなぐ線を割り出した可能性があります、とタケヒコは言った。 それはあり得ないと思います、とその推理をユリエは言下に否定した。 あの人、ほとんど活字は読みませんから。もともと軽度の読字障害(ディスレクシア)なんです。私と知り合ったのもそれが縁でしたから、と言ったのだった。 ユリエの話によれば、彼女は大学を出たあと大学院でディスレクシアの研究をつづけ、そのときに知り合いの研究者から紹介されて治療にあたった患者の一人がショウダだったのだそうだ。 タキイさんも読字障害を持っていて、彼と知り合ったことがきっかけで、そういう研究に興味を持ったんです、とユリエは言い足した。 タケヒコはケンゾウ君の達筆な文字を思い出しながら、本人もヒロミさんもそんなことは一度も言っていなかったと思った。ただ、読字障害の人たちの中には画家や建築家として大成した人物が多いという話は聞いたことがある。ケンゾウ君もその一人だったのだろうか。 彼はまた暴力を振るっているんですか。 絵を引き取りながら一番気になる点を質問した。 このところすこし。 ユリエはまるで自分が悪いことをしているような顔で言う。 このところ仕事が忙しそうで、ほとんど事務所に泊まり込んでいるんです。ここ数日、ショウダの様子がおかしいんです。昨日の夜遅くに帰って来て…… だが、ユリエはその先は口を閉ざして何も語ろうとはしなかった。 ふと足元に寒気を感じて顔を上げた。もの思いに耽っているうちに思わぬ時間が過ぎたようだ。いつの間にか時計の針は十一時半を回っていた。尿意を催し、携帯を置いてソファから立ち上がった。スリッパを履きなおしてトイレに向かう。 トイレに入ると便座を上げ、下着をおろして便器の中心に狙いを定めて排尿した。真っ赤な血尿が大量に出た。 血尿が始まったのはYの妻の手紙が届いた日の晩からだった。翌日、フジサキ・リコと花見をして、それで止まるかと期待したがさすがに駄目だった。以来、トイレに行くたびにこうやって真っ赤な尿が出る。 自分の身体に重大な異変が起きていることは、もはや疑いようがなかった。 クサナギは五分ほど遅れてやってきた。 そこは、「茂野」という神楽坂の入り組んだ路地の突き当たりにひっそりとのれんを掛けている料亭だった。 分かりにくい店で悪かったな、タケヒコは言う。 ここはもともとある代議士に紹介された店だった。通い始めて十数年になる。代議士は重要閣僚を歴任し、知り合って五年後には幹事長になった。生きていればいまごろ総理総裁の地位に登りつめていたに違いないが、四年前に胃ガンで亡くなった。タケヒコが胃ガンになったとき真っ先に思い浮かべたのは彼の顔だった。なぜかタケヒコのことを身内のように可愛がってくれた人だった。閣僚や幹事長の頃も、たまにこの店に呼ばれて二人きりで食事をした。当然、女将にも紹介されて、以来ずっと面倒を見てもらっている。 今夜のような密談やよほどの相手のときだけここに連れてくる。電話すると必ずこの離れの八畳間が用意されていた。 今回のクサナギの相談というのが特段のものであることは、昨日の電話口での雰囲気で知れた。 ビールで乾杯する。 こうして二人で飲むなんて何年ぶりだろう。 クサナギが言う。タケヒコも同じことを考えていた。 ところで内密の話というのは何だ。お互い日本酒を手酌でやりだしたところで、タケヒコは訊いた。 クサナギの話では、社長のアサノが六月に退任し、代表権を持ったまま会長に上がることになったらしい。それに伴って役員の大幅な入れ替えが行われ、それがまさに耳を疑うような驚きの人事なのだ。 後任の社長になるのがタナハシで、彼は営業担当の常務だが、アサノの妹婿だった。仕事上の実績は皆無で、二年前に役員に昇格したときも去年常務に昇任したときも社内でのブーイングは凄まじかった。彼はひたすらアサノの腰巾着として生きてきただけの男だ。むろん社長など務まる器ではない。 ちなみに雑誌営業部長のカンザキはこのタナハシの側近の一人だった。 クサナギは、六月の役員人事の全容だ、と言って手元のカバンから一枚紙を抜いて差し出してきた。 それを見ると、上段に現役員、下段に次期役員の名前が並んでいる。それぞれの名前の上には○?△の印がついている。○はアサノ派、?は非アサノ、△は中立、を示す。 社長を除く九人の現役員のうち、アサノ派は三人(棚橋常務、取締役の五十嵐と三代川)、非アサノが五人(古川専務、松本常務、取締役の轡田、藤木、黒木)、中立は監査役一人(牛島)である。なんとこのうち次期役員に残ることができるのは、アサノ派の二人(棚橋社長、五十嵐専務)と非アサノの一人(黒木取締役)と中立の監査役の牛島だけで、残りはすべて退任し、新役員が選任される。しかも、この新任の五人の役員のうち石垣を除く四人までがアサノ派で占められているのだ。加えて、その新任の取締の中に、宣伝局長の稲光が入っていることだった。彼はアサノの妻の弟、つまり義弟なのである。 まさに社の私物化を狙う独裁人事だよ、これは、とクサナギは低い声で言い、しかも常務会を廃止して、会長、社長、専務の三人で構成する最高経営会議とやらを作るんだそうだ。もちろん議長はアサノ会長だ、と呆れた口調でつけ加えた。 先月の二十四日にイシガキと会ったとき、役員人事の見通しを聞かされた。この表の中の何人かの名前はイシガキの口からも洩れていたが、たとえばフルカワ専務の退任やイナミツ局長の役員就任といった肝心の話は一言もなかった。イシガキも知らなかった可能性はあるが、イシガキは明らかに何かを隠している気配があった。特に同期のイナミツが一緒に役員になるのは、彼にすれば耐え難い悪夢だろう。イナミツとイシガキの不仲は社内中に知れ渡っている。そもそもアサノにイシガキが疎んじられている最大の理由は、この義弟との確執にあるのだ。ただ、いくらワンマンのアサノでも、妹婿のタナハシ以上に無能なイナミツをこれ以上昇格させることはあるまいと社内の誰もが考えていた。それほどにイナミツは悪評芬々の男なのだ。それが役員になるなどまさに常軌を逸した人事としか言いようがなかった。これでは社はアサノの同族会社と化してしまう。 今月中にアサノさんを解任しようと思っている。できれば連休明けの週かその次の週の前半には臨時取締役会を開いて一気に解任に持っていきたい。そうなると長くても十日程度しか時間が残されていない。 クサナギの口からさらに驚くような言葉が飛び出した。さすがにその表情が強張っていた。タケヒコは黙って一度置いた盃を取り上げた。酒を一息で呷ってから、解任するというのは、と訊き返した。 フルカワさんを新社長に据える。いまゴンドウさんとイシガキさんが中心になって役員たちを説得しているんだ。むろんフルカワさんも直接動いている。現状でも、その×印のついた人たちはおおむね賛成だ。クロキさんを除けばクビを切られる面々だから当然といえば当然だがな。監査役のウシジマさんも説得できそうだとフルカワさんは言っている。解任自体は何とかうまくやれそうな情勢だ。この新役員人事を見れば、アサノさんが狂っていることは一目瞭然だからな。 それに目玉になるスキャンダルもある、とクサナギは付け加えた。 一昨年の本社ビル改修工事でアサノはそれまで長い付き合いだった大林組を切り、突如として三葉建設に工事を発注したのだった。その見返りとして、去年自宅を新築した際に破格の値段で三葉に豪邸を建てさせたともっぱら噂されていた。 それだけではないんだ、とさらにクサナギは続けた。 紙の仕入れで、フユコ夫人のペーパーカンパニーを一枚噛ませて利ざやを抜いているんだ。社長になってすぐからだからもう六年近くになる。 アサノの妻であるフユコは社の創業者一族・稲光家の一員だった。イナミツのような男が社員になっているのもそのためだ。アサノもタナハシもその点では創業家に連なる人間ということになる。だが、うちの会社は他の大手版元のようにいまも創業家が経営を支配するオーナー企業ではまったくなかった。 なるほど、とタケヒコは言う。そういう仕掛けは社内操作がなくては成り立たない。今回同期のイナミツにまで先を越されたゴンドウが実務を仕切っていたのだろう。資材担当のイガラシが専務に昇格できるのもそれゆえということか。もちろん目の前のクサナギもフユコ夫人の小遣い稼ぎの片棒を担いでいたに違いなかった。 で、俺に相談があるというのは。 聞くだにうんざりするような話だが、これほどの秘密を明かすからにはたっての頼みがあるに決まっている。タケヒコは本題に入った。 問題は臨時の株主総会の方なんだ、とクサナギが身を乗り出してきた。 クサナギが言うには、経営陣が株の三分の二を握っているので、取締役会での社長解任によって自動的にそれが株主の総意と言えなくもないが、厳密に言えば残り三分の一を握っている社員持ち株会、つまりは組合の協力が不可欠だという。解任理由が解任理由なだけに組合も株主総会で反対ということにはならないだろうが、まして、解任後にアサノ一派が組合に手を突っ込めるとも思えない。ただそれでも、念には念を入れて執行部の事前了解くらいは取り付ておきたいんだ、とクサナギは言った。 それで? クサナギは一拍置いて、手元の新しいおしぼりで顔を拭った。 組合の同意といっても委員長のオオヌキにだけ内々で耳打ちしておけばいいと思う。それ以上は情報洩れの危険性がある。そこでカワバタの力が借りたいんだ。お前がオオヌキに話してくれれば彼も秘密は絶対に守るだろうし、その後の組合の動きにも不安がなくなる。何とかこの大役を引き受けてはくれないだろうか。 なんだそんなことか、とタケヒコは思った。大役などと大仰な言い回しがいかにも芝居じみている。現執行委員長のオオヌキ・シンヤはタケヒコが委員長をやっていた時代、二期にわたって書記長を務めてくれた男だった。ずっと情報システム系の仕事をやっているが表裏のない誠実な男だ。 カワバタは下の連中からの人望も厚いし、オオヌキは子飼いだろう。今回の企てもお前が参加しているとなれば組合員たちの賛同もぐんと得られやすい。おまけにいまは社の看板雑誌の編集長だしな。是非力になって欲しいんだ。 クサナギはおだてるような言葉を言い添えてきた。 俺にやらせろと言ったのはイシガキさんなのか。 最も気になるのはその部分だった。 いやフルカワさん直々の話だ。 フルカワという名前を強調するようにクサナギが言う。 まあそうだろうなとタケヒコは思う。イシガキの発案というなら彼が直接頼みにくればいいし、二十四日の晩にそれ相応の話があってしかるべきだ。 イシガキとゴンドウが二人三脚で動いているというのがそもそも心もとなかった。あの二人が一枚岩になれるはずがない。まして神輿に載せるフルカワは、六年に及ぶアサノ体制の中で一貫してナンバーツーに甘んじてきた男だ。今回退任させられる連中も含めて、アサノの専横を許してきたのは彼ら自身なのだった。今回アサノが老害化した幹部を切り捨て、一気に若返りを図ったこと自体はさほど不合理ではない。ただ、問題はその若返り人事の中身というわけだ。 こうしてタケヒコにも踏み絵を踏ませようというフルカワの魂胆は見え透いている。 書籍よりも雑誌で長年稼いできた社において、タケヒコの率いる月刊誌編集部は現場の頂点に立つ存在だった。そこのボスを引き込んでおくことはアサノ解任後の社内を掌握する上で欠くべからざる要素である。 ちょっと考えさせてくれと言いたいところだが、こういうことは即断即決だろうな、とタケヒコは言う。クサナギの細い目が見開かれた。 悪いが、俺は遠慮させてもらう。とてもいま、そういう話にクビを突っ込む心境じゃないんだ。 クサナギが唖然とした表情になる。 どうしてなんだ。こんな言い方はしたくないが、お前の今後のためにもここは一肌脱いでおくべきじゃないのか。 心底意外そうな顔と口調だった。なるほどオオヌキに話を通すくらい造作もないことだ。それで勝ち馬に乗れるのになぜ、と言いたいのだろう。 考えてもみろよ。 タケヒコはわずかな間を取ってから言った。 これだけ無茶な人事を断行するんだ。アサノさんだって相当な反発は覚悟の上だよ。お前は×印の連中は全員押さえたように言うが、俺にはそこがまず信用できない。中立のウシジマさんを除いて現役員が九人。五人いる×印のうちの一人でも寝返れば形勢逆転だ。たしかにクロキさん以外は退任となっているが、その中の誰かにアサノさんの毒が回ってる可能性だってある。あの人は老獪だ。逆にフルカワさん一派を灸り出して一掃するために今回の人事を強行する気なのかもしらん。要するにはめられているのはどっちだって話だ。イシガキさんのことも俺は信用できない。ここ数年ですっかり人変わりしてしまった。いまじゃ自分のことしか考えられない男だ。俺に言わせればあの人もアサノさんとどっこいどっこいだよ。ゴンドウさんについてはよく分からないが、彼のような人間がやっていることに乗る気にはとてもなれない。 ということは、アサノさんも自分が解任される可能性があると読んだ上で動いているというのか。 クサナギはまるで虚を衝かれたような面持ちだった。何とおめでたい奴だろうとタケヒコは内心で呆れる。 そりゃあそうだろう。だてに六年も社長をやってるわけじゃない。これだけ身勝手な人事をやれば解任動議くらいいつ出ても不思議じゃないさ。となれば、しかるべき手は打っているに決まっている。あの人はそこまで馬鹿じゃない。 タケヒコはそう言うと、手に持っていた紙をクサナギの前に置いた。 これは見なかったことにする。もちろん今夜の話もなかったことにする。悪いが俺は先に帰らせてもらうよ。勘定はやっておくからお前はもう少し飲んで、一人でじっくり考えてみればいい。 タケヒコはカバンを持って立ち上がった。クサナギは卓上の紙に見入っている。 クサナギ、と声を掛ける。 案外、ゴンドウさんが一番怪しいんじゃないのか。 最後にそう言ってみた。上を向いたクサナギの表情の変化は非常に微妙なものだった。クサナギの真の思惑をその表情から読み取ることはできなかった。 店を出ると、たくさんの人で賑わう神楽坂をゆっくりと下った。 さきほどのクサナギの話をあらためて脳裡に再現してみる。誰が仕掛け、誰が受けに回っているのか、それがよく見えなかった。 ただ一つはっきり見えるのは、欲に目の眩んだイシガキの無様な姿だけだった。 イシガキは何もしなくても役員昇格は決まっているのだ。それが同期のイナミツの昇進に頭の血を逆流させて、社長解任という暴挙へと突っ走っている。しかも手に手を取っている相手が自分が蹴落としたゴンドウ総務局長だというのだからお笑い草だ。ゴンドウはもともとアサノと組んでアサノ夫人のための裏金を作っていた男なのだ。そんな人間をイシガキは本気で信じているのか。仮にゴンドウがアサノの意を受けて反アサノ派掃討のために動いているのだとしたら、寝首を掻かれるのはアサノではなくフルカワやイシガキ自身ということになる。ゴンドウが裏切り者であれば、イシガキの将来はおしまいだ。自業自得といえばそれまでだが、たかがイナミツごときに脅威を感じ、事前に芽を潰そうとやっきになっているイシガキの弱さとあさましさが何とも哀れで情けない。 それにしても胸クソ悪くなるような話だった。 アサノ追放の動きが本物だろうがフェイクだろうが、この業績低迷の時期に経営幹部たちがこぞってコップの中の嵐を演じている我が社に未来などあるはずもなかった。たとえフルカワが実権を握ったところで大したことができるとは思えない。何しろ神輿の一番の担ぎ手は、前社長の背任横領を実務的に支えた総務局長とチャイナバーの女に入れあげた部下の遣い込みを誤魔化し、自らも乱交に加わっていた第一編集局長の二人なのだ。そういう連中の企てに平気で乗る人間が一級品のはずがなかった。 飯田橋の駅に着いて時計を見た。まだ時刻は九時を回ったばかりだ。 このまま帰宅するのも気が進まないが、さりとて馴染みの店に顔を出して飲み直そうという気にもなれなかった。 先月初めから続いていた血尿は半月ほどで止まった。ティーエスワンの休薬期間に入った途端のことで、がんセンターに血液検査に出向いた折に血尿のことを報告した。主治医によればティーエスワンの副作用として血尿が出ることはままあるとのことだった。当日の血液データでは異常は見当たらず、腫瘍マーカーの数値にも問題はなかった。「とりあえず二週間様子を見て、もう一度検査をしてみましょう。血尿がまた現れた場合は投薬量などの調整が必要かもしれませんね」と医師は言った。今日、その検査を昼間受けてきたのだった。数値に変化はなく血尿も二週間出ていなかった。「一過性のものだったのかもしれません。一応大丈夫でしょう」と医師はいままで通りの処方を行ったのである。 明日からティーエスワンを再開しなくてはならない。数日服用してみてふたたび血尿が出れば副作用と見て間違いないだろう。これまでは休薬期間中の鬱が悩みの種だったが、今回は血尿がおさまったこともあって気持ちの落ち込みはそれほどなかった。むしろ、明日からの不安の方が大きい。血尿という副作用が確定されてしまえばティーエスワンの服用自体を止めなくてはならなくなるかもしれない。少なくとも薬量を減らすなどの対策は取られるだろう。 そうやってガン再発を防ぐための有力な武器を奪われてしまうのが恐ろしい。 血尿は止まったものの体調不良は相変わらずだった。週刊誌時代五年間で溜まったツケが一気に出ているだけかもしれないが、とにかくすぐに身体が疲れてしまう。先月末の校了中もゲラを読むだけであっぷあっぷの感じだったのだ。 何事に対しても興味関心が湧かなかった。今夜のクサナギの話ですら他人ごとのように耳を素通りしていっただけだ。たしかに、論評する気にもなれないようなくだらない話ではあった。翻ってそういう自分を冷ややかな視線で眺めやるもう一人の自分がいる。 お前は心の底の底まで倦んでいる。そんな声が聞こえる。 そのとおりだ。 仕事も、会社も、家庭も、そして世界やこの自分自身にももはやうんざりだった。
午後三時からNと会うことになっていた。 Nから電話が来たのは先週土曜日、五月十日のことだった。彼自身が直接タケヒコの携帯に連絡してきた。それにしてもNからの電話は予想外だった。 三月二十四日の晩、ショウダの脅迫を受けたとき、そんなに書かれたくないなら直接連絡して来るようにNに伝えてくれ、とは言った。だが現実に連絡してくるとは思ってもみなかった。 Nの記事についてはとっくに沙汰止み状態だ。タケヒコも週刊誌を離れ、サカモトもあの件からは完全に身を引いてしまった。まして、伝言からすでに一カ月半が経過しているのだ。彼がなぜいまになってタケヒコと話したいと言ってきたのか、その真意が掴めない。 Nは丁重な言葉遣いだった。口調も以前からの知己のような柔らかさを保っていた。大切なお願いもありますので、ご多忙とは思いますが少し多目に時間を頂戴できませんか、と彼は言い、永田町の個人事務所で昼間、人を入れずに一対一で話したいと提案してきたのだ。 タケヒコは今日の三時からであれば夕方まで時間が取れるむね伝えた。Nはすぐに了解した。これが夜の料亭接待のたぐいであれば断ったかもしれない。もはやこちらには彼と話すべきことなど何もなかった。だが、日中、しかも差しで会いたいというのは相手の真剣味が窺われる申し出だった。Nの態度は概して好感の持てるものであった。 Nとじっくり話すのは今日が初めてだ。どういう用向きであれNは依然強敵であった。タケヒコに対してはショウダを使って卑劣な脅迫を行い、サカモトに対しては権力者の牙を剥き出しにしてなりふり構わぬ攻撃を仕掛けてきた。ゆめゆめ油断するわけにはいかない相手だった。 Nとの対決が控えているその日の朝、タケヒコは悪い夢にうなされて午前六時半に目が覚めたのだった。叫び声に驚いてミオがベッドのそばに駆けつけるほどだった。ミオが部屋を出たあとタケヒコはヘッドボードに背中をあずけしばらくうとうとしていたが、カーテン越しの朝日を眺めている間に眠気がさしてきた。 体調は相変わらず芳しくなかった。ティーエスワンの服用を再開して十日が経ったが血尿は出ていない。どうやら薬の副作用ではなかったようだ。主治医が言うように単なる一過性の症状だったのか。しかし、疲れやすさは一向に改善されない。身体が重だるく、夕方すこし微熱も出ていた。一番の心配はこの半月ほどで体重が二キロも落ちてしまったことだ。体調不良のせいで食事量が減っているのは事実だが、それでも二キロの減量は気にかかる。 月末に四カ月に一度の精密検査の予定が入っていた。このまま体重が減り続ければガン再発の可能性も出てくる。 タケヒコはふたたびベッドに横になる。階下からミオとナオの話し声が微かに聴こえている。二人で朝食をとりながら学校の話でもしているのだろうか。 ガン患者とそうでない者たちとの間には深く巨大なクレバスが横たわっている。たとえ家族であってもそれを飛び越えることはできない。 そして、タケヒコにははっきりと見えているそのクレバスが、ミオとナオにはおぼろにしか見えていない。
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