あらすじ U
タキイ・ケンゾウ君の訃報が届いたのは、二月十三日水曜日の深夜だった。 先週の水曜日はフジサキ・リコやイシガキ・ジュンナとの約束があったこともあり、打ち合わせと称して会社に出た。翌日発売のスクープ記事の件で法務部との会議を昼からセットしておいたのだ。 十三日の水曜日はふだん通り休みを取っていた。午後十一時過ぎ、一階の書斎で書類の整理をしているとケンゾウ君の奥さんのヒロミさんから携帯に連絡が入った。今日の午後七時五分に息を引き取り、ついさきほど遺体と共に自宅に戻ってきたばかりだという。十日近く前に電話を入れたとき、急激に衰弱し始めているという話は聞いていたが、まさかこんなに早く亡くなるとは思ってもいなかった。突然の知らせにタケヒコは言葉を失った。ケンゾウ君は三十三歳の若さだった。 電話を切り、二階のミオの部屋に行った。 がんセンターに入院しているとき、タケヒコとケンゾウ君は相部屋だった。同じ胃ガンで、しかも好発年齢よりも遥かに早い発症という共通点もあってすぐに親しくなった。まさに同病相憐れむの間柄である。入院も手術も退院もほぼ同時だった。退院後も付き合いが続いた。彼が再発するまでは何度かヒロミさんと一緒にこの家を訪ねて来てくれたこともある。彼の住んでいたマンションの最寄り駅は二駅先の「高津」だった。そんな偶然も親交を深めるよすがとなったのだ。ミオも二人のことはいつも気にかけていた。ことに昨年の九月に腹膜への転移が見つかり、ケンゾウ君が生まれ故郷の栃木に戻ってからは、しばしば「ケンちゃん、どうしてるかなあ」と口にした。自然食の店で買った食材を何度かヒロミさん宛に送ったりもしていた。 明日がお通夜で、明後日が葬儀だそうだ。とりあえず僕だけ宇都宮まで行ってくるよ。 ミオは明日から京都の学会に出席することになっていた。いつものことだが、留守中はニシワキの義母が泊まりに来てナオの面倒を見てくれる手筈だった。 落ち着いたらまた二人で線香を上げに行こう。いずれヒロミちゃんは東京に戻って来るだろう。僕たちに何かできることがあるとしたらそれからだと思うよ。 何だか信じられないわ。去年の夏まではあんなに元気にしてたのに。四月のお花見だってすごい愉しかったじゃない。 昨春、うちの家族とケンゾウ君たちの五人で花見をした。砧公園の芝生広場に集まり、満開の桜の下でよく食べよく飲んだのだった。 タケヒコは自慢のカレーを大鍋一杯作って持って行った。大のカレー好きのケンゾウ君は二杯もおかわりした。 ケンゾウ君はグラフィックデザイナーだった。美大出身の彼はもともとやっていた油彩をずっと続けていた。身過ぎ世過ぎと言ったらグラフィックに悪いんですけどね、と互いに初めて自己紹介したときに彼は言った。花見にスケッチブックを持って来て、タケヒコやミオ、ナオの似顔絵をさっさっさっと描いてくれた。デッサン力の確かさにタケヒコは目を見張った。 その一枚がいまミオの仕事机の上に飾ってある。タケヒコは書斎に、ナオも自室の壁に彼の絵を掛けていた。 いい人はみんな早く死んでいくのね。 ミオが言う。「ケンちゃんはいい人すぎるんです」というのがヒロミさんの口癖だった。 だったら次は僕の番かもしれないな。 冗談交じりに言った。訃報に接して最初に頭をよぎったのはそのことだった。 そんなはずないじゃない。あなたは絶対に再発なんてしないわ。 こういうミオの物言いに入院中何度も支えられた。「手術は絶対成功する」、「転移なんて絶対してない」、「再発なんて絶対しない」、「仕事だってすぐに復帰できる」。しかし、いまのタケヒコは、あの頃のようにミオの確信めいたセリフをすんなり胸におさめることができなかった。彼女に予知の能力など備わっていないことをはっきり感じ取れるようになったからだ。 知り合ってすぐ、ケンゾウ君が「王不留行散」という漢方薬を教えてくれた。手術前から飲んでおくと傷の治りが格段に良くなるという。彼もせっせと服用していたので、タケヒコもさっそく始めた。術後、この薬の効き目に驚いた。担当医も首を傾げるほどに回復が早く、傷口の痛みもほとんどなかった。翌日に手術したケンゾウ君の方も同様だった。 数日で二人とも歩き回れるほどになり、一緒に病院の中を散策した。 昼間は十九階のラウンジでヒマを潰した。眼下には築地市場やお台場の風景が見えた。見下ろしてみると築地市場の巨大さに目を見張った。病室の窓から望む夜景も美しかった。晴れた晩にはライトアップされたレインボーブリッジがきらきらと輝いて見えた。 ある日、ラウンジの窓際に並んで腰掛け、薄曇りの東京湾景を眺めていると、この病院は不幸の瓶詰みたいな場所ですね、と不意にケンゾウ君が言った。そして、だけど、素晴らしく平等な世界だ、とつけ加えたのだった。 しかし、ケンゾウ君がぽつりと洩らしたように、戦争も何もないこの退屈な時代において、人間と人間とがまったく平等になりきれるのはガン病棟の中だけなのだろう。たしかにがんセンター中央病院の巨大な建物の内部には不幸がみっちりと詰まっていた。あそこは「不幸の瓶詰」だった。だが、一方であそこほど人々が対等で平等だった世界をタケヒコはいまだかつて知らない。あの病院の中では社会的地位や財産は怖ろしいほどに無意味だった。金や地位のある人間だからといって余計にガンが治ることはあり得なかった。 ケンゾウも、そしてタケヒコも、あのガン病棟の中に身を置いたわずかの時間のあいだに、人間本来の姿を垣間見る貴重な体験をしたのだ。 病気ってほんとうに人生を変える力があるんですね。特にこのガンというのはそうですね。 いつだったか、ケンゾウ君に同意を求められて深く頷いたことがあった。 上腹部の縫合痕を人差し指でなぞりながらタケヒコは思う。この傷は、自分を根底から変えてくれた。ユキヒコの死を唯一の例外として、他のあらゆる体験をはるかに凌駕する力で自分を完全に変容させてしまったのだ、と。 あの入院中の時間とたったいまこの時間とのあいだにも決定的な隔たりがあった。タケヒコはそういうことを心から面白いと思う。生身の自分と死骸のケンゾウ君との隔絶と同様に、あのときの自分といまの自分とのあいだにも激しい隔絶が存在する。そうした隔絶が自分の中でも、他人との関係においても幾つも生じていく。それが私たちの人生だ。 隔絶によって私たちは小さく閉じていく。過去の自分と現在の自分とを仕切る大きな隔壁がいつかどこかで生まれ、生まれつづける。自分と誰かとの緊密な関係もどこかではっきりと仕切られ、仕切られつづけていく。たとえばタケヒコとミオとのあいだがそうであるようにだ。そうやって私たちの人生は、時間も、場所も、人間関係も絶え間なく隔てられつづけ、矮小化されていくのだ。 ケンゾウ君は大学入学以来、一度も栃木の実家に帰っていなかった。父親との不仲が原因で、母親とはたまに東京で会っているとのことだった。 一人息子なのに、高校卒業以来、親父とは一度も口をきいたことがないんです、と彼は言っていた。 タケヒコもケンゾウ君と似たようなものだった。父は国鉄の運転士だったが、自分とのあいだに共通点が一つもない人物だった。母とも同様で、彼女は二つ上の兄ばかりを可愛がった。兄は両親の期待に応え、阪大を出たあと高松に戻りJR四国の社員になった。結婚していまも高松に住んでいる。 ケンゾウ君のことでは、もう一つどうしても忘れられない思い出があった。 退院する直前、一人の女性が彼のもとを訪ねて来た。ヒロミさんと同じくらいの年回りのきれいな人だったが、ひどく痩せていた。 二人してすぐに病室を出て行った。ケンゾウ君が戻って来たのは一時間ほど経ってからだった。それから丸一日、ケンゾウ君は沈みきった表情でベッドの上で黙然としていた。 翌日の昼、タケヒコは彼に声をかけ、病棟のデイルームで昼食を共にした。窓際の四人掛けのテーブル席に向かい合って座り、タケヒコはすぐに、もしかして昨日の女性、ケンゾウ君のむかしの恋人なんじゃないの、と単刀直入に訊いた。 ケンゾウ君は、持っていた箸を置いて、タケヒコの顔を見てから、学生時代から五年近く付き合った相手なんです、と言った。 ヒロミさんと一緒になってからはずっと会ってなかったが、ガンが見つかる二週間前に偶然彼女と再会しただそうだ。ケンゾウ君によれば、それから二カ月、たまに会ったり電話で話したりが続いているという。 もちろんヒロミは何も知りません、と彼は言った。 彼女もすでに結婚していた。夫は芸能関係の会社に勤めるサラリーマンだったが、その夫が彼女に対して激しい暴力を振るうのだという。彼女は、たまたま再会したかつての恋人に縷縷自分の置かれた状況を語り、相談も持ちかけているようだった。 そんな男とはさっさと別れればいいと言ってるんです。僕の前ではいつも「そうする」って言うんですが、旦那のもとへ帰るとダメみたいですね、とケンゾウ君はため息混じりに言った。 昨日は、旦那に僕のことを知られてしまったって言うんです。彼のことだから何をするか分からない。あなたや奥さんのところに怒鳴り込むかもしれないって。どうもちょっとその旦那、こっちの筋が入っている人みたいで、と彼は人差し指で自分の頬に縦線を引いてみせた。 別に心配いらないんじゃない、とタケヒコは言った。 DVやられると心理的に拘束されて妻は何もできなくなる。早く専門の弁護士に依頼して、暴力夫から離れることが先決だけど、現実はなかなかそうならないのが大半だから。ただ、家庭内で暴力を振るう男というのは、大体は外ではおとなしい連中だしね。すぐに入院しているきみや奥さんのところへ怒鳴り込んでくるとは思えないよ。第一、そうした彼女の態度も、その夫婦の一種のプレイみたいなものかもしれないし。 まあ、そうですよね、というケンゾウ君もさほど危惧しているふうではなかった。彼の悩みは別のところにありそうだった。 だけどカワバタさん、人間って何なんでしょうね。ほんとわけ分かんないっすよ。 困惑気味に呟くケンゾウ君を見つめ、タケヒコは、じゃあ、問題はケンゾウ君の方にあるわけだ。何しろ僕もきみもこういう病気にとりつかれてる時期だしね、と言った。 まあ、そういうことですね。 ケンゾウ君はタケヒコの目を見て薄く笑ってみせたのだった。 十二時ちょうどの出棺を斎場の玄関で見送り、タケヒコは大勢の弔問客の群れから離れて宇都宮駅に向かう真っ直ぐの道を歩き始めた。 棺に横たわるケンゾウ君は穏やかで安心しきった顔をしていた。これからは、ジュンナが「ケンちゃん」と自分を呼ぶたびに、ミオがケンゾウ君のことをいままで通り「ケンちゃん」と言うたびに、タケヒコはあの眠ったような死に顔を想起するのだろうと思った。 さながら小春日和の陽射しの中を三十分ほど歩いてJR宇都宮駅に着いた。ホテルの朝食をしっかり食べてきたのでお腹は空いていなかった。 駅前に大きなパチンコ屋があった。 知り合いの弁護士との会食を昨日のうちにキャンセルしておいたので、夕方まで予定はなかった。 久しぶりに二、三時間、何も考えずに時間を潰してみる気になった。 駅前のパチンコ屋に入った。店内に一歩踏み入ると、九割方、台は埋まっている。たまに打つときはもっぱら『海物語』だったが、新台の『春のワルツ』が一台残っていた。残り物にしては意外によく回る台だった。三千円を元手に始めて、三十分も経つと千五百発入りのピンクの玉箱が二個満杯になっていた。三度目の大当たりが出て、店員の若い男がもう一つ玉箱を持って来る。 タケヒコは玉の行方から視線を逸らし、何気なく店員の方に目を向けた。その横顔に見覚えがあった。あらためて注視して、すぐに彼が誰であるかが分かったのだった。 タケヒコは、それから十五分ほど打って腰を上げた。三箱目も一杯になっていた。さきほどの店員が台車を転がしてくる。箱を積んでくれている彼の顔をもう一度観察した。髪を金色に染め、写真よりは面やつれしているが、あの男に間違いないと確信する。内心の興奮がさらに高まってきた。 台車を押すその後ろについてカウンターまで行く。玉箱を持ち上げ計数機のホッパーに玉を流し込んでいく動作は手馴れたものだった。人目をしのんで各地のパチンコ屋を渡り歩いてきたのだろうか。特殊景品を受け取るとき正面から顔を見たが、彼は当たり前の表情で目を合わせて「ありがとうございました」と丁寧なお辞儀をした。臆したり怯んだりする気配は皆無だった。 景品交換所で換金した。一時間足らずで三千円が一万八千円に化けたのだから悪くない。だが、大収穫は他にあった。 店の裏手の交換所を出ると駅に向かった。西口に大きな駅前交番があり、迷わず扉を開けて中に入った。近くの席の若い警官が応対に出る。タケヒコは名刺を一枚抜いて渡し、すぐそこのパチンコ屋に指名手配犯のYがいるのを見つけました。客ではなく店員です。Yが事件を起こしたときに、彼の子供時代からの顔写真を取材で集めた経験があるので間違いありません、と告げた。 すぐさま現場に直行して逮捕に向かうのかと思ったら、応対した警察官は、しかし本署と連絡をとりますからしばらくお待ち下さい、となんとも悠長なことを言うばかりだ。 Yは五人の中国人風俗嬢を神戸市内の自宅マンションに同居させ、彼女たちから「皇帝」と呼ばれていた男だった。覚醒剤とセックスとで五人の身体を縛り、痴情の果てに二人を絞殺した。Yの異常性は、そうやって順々に絞め殺した女性を他の女たちを使って風呂場でバラバラに解体させ、大きなプランターに埋めて、それをマンションのベランダに平然と積み上げさせていたことだった。事件が発覚したのは三年前で、女の一人が脱走して交番に駆け込んだのだ。 だが、警察が踏み込んだとき、Yは忽然と姿を消していた。当時のYは二十三歳。この事件は猟奇性に富んでいただけでなく、公開されたYの手配写真がSMAPのメンバーの一人に瓜二つだったこともあって、ワイドショーや週刊誌で大々的に取り上げられた。 ようやく本署との確認が取れた年配の署長らしき男が、とにかく、いっぺん西口ホールに行って、その男の面相を確かめて来いということなんですわ。よければご同行願えませんか、と言った。 制服姿の警察官と一緒に店に戻れば、Yはすぐに気づきますよ、と余りなことにタケヒコの声はわずかに上擦っていた。ついさっき、僕と彼は面と向かってやりとりしたばかりなんですから。相手は全国指名手配の凶悪犯ですよ。そんな悠長なことでいいんですか。 まあ、もしYだとすれば非常線を張るなどの準備もありますし、そうやって市民生活に支障をきたしておいて、結局は誤認逮捕だったというわけには我々もいかんのですよ。 いや、しかし、すぐそこに犯人がいて、ちょっと私服に着替えて皆さんで乗り込めば、恐らく五分もかけずに逮捕できるんですよ。非常線だの何だのという大袈裟な状況ではないんじゃないですか。こんなことなら、自分で勝手に捕まえて交番に突き出した方がよほど確実という話ではないか。 まあ、そうおっしゃらずにご協力願えませんか。 相手はまるで子供を宥めすかすような声になっていた。 とにかく僕が一緒に行くというのはやめておきます。きっと勘づかれてしまう。「中村」という名札をつけた、身長は百七十五くらい、髪は金色で、歳のころはせいぜい二十四、五といった感じの痩せた男です。 そうですか。じやあ、仕方ないですな、と途端にぶっきらぼうな物言いに変わると、赤ら顔は最初に応対に出た長身の警官に対して、シノヅカ、お前ちょっと確かめて来いや、と命じた。シノヅカ巡査は入り口の壁に貼ってある手配書の写真をじっと見つめ、黙って出て行った。タケヒコの方は、警官たちの度を越えた杜撰さに開いた口が塞がらない思いだった。 じゃあ、もう失礼します。電車の時間がありますから。 この言葉に警官たちは少し戸惑っていたが、タケヒコが背中を向けてさっさとドアを開けようとすると、協力ありがとうございました、と四人で声を揃えて見送ってくれたのだった。 交番を出ると、目の前に見える「西口ホール」へと引き返した。三十メートルほど先をゆっくりとした足取りで大柄なシノヅカ巡査が歩いていた。ほどなく彼は店の中へと消えていった。 Yが血相変えて西口ホールの正面ドアから飛び出してきたのは、それから三分も経たないうちだった。 直後、シノヅカ巡査が右前頭部を押さえながら出てきた。Yに何かで殴りつけられたのだろう。Yは十メートルほど後方から迫ってくる警官には目もくれず、必死の形相で駅のロータリーを斜めに突っ切り、タケヒコのいる方へと向かってきた。 タケヒコは彼の走路に当たりをつけると、立ち位置をちょっとずらし、腰を落として待ち構えた。左横をYが駆け抜けようとした刹那、思い切りその下半身に食らいついた。左肩に激しい衝撃が走ったが手応えは十二分だった。タケヒコとYは一塊になって、半分身体を宙に浮かした状態で斜め横方向へと倒れ込んだ。 もんどりうったYが後頭部を路面に打ちつける鈍い音がはっきりと聴こえた。 指名手配中の猟奇殺人犯Yを掴まえたことで、タケヒコはそれから一週間、各メディアからの取材やインタビュー、ワイドショーヘの出演などに忙殺された。自分が取材する側の立場にいる以上、こうして渦中の人間となってしまった場合、面倒だからと取材依頼を断るわけにはいかない。畢竟、申し込まれた取材はほとんど引き受けざるを得なかった。二月二十一日発売の号についてはフジマキに編集作業を一任し、タケヒコは日々、各テレビ局のスタジオ回りに追われたのだった。 宇都宮駅前でのY逮捕の一部始終を次号の誌面で報告する必要もあった。「小誌編集長・緊急寄稿」と銘打ち、「格闘記 猟奇殺人犯・山岡重人をこの手でつかまえた!」のタイトルで四ページの原稿を急いで書いた。今号は、Nの疑惑追及記事の第三弾を左に移して、自らの手記を右トップに据えることに決めた。 ワイドショーの中では余り言及しなかったが、手記では警察官の怠慢ぶりについて相当厳しく指摘した。誰何したところ、いきなりハンマーで殴りつけられたシノヅカ巡査は、昏倒したYを組み敷いていたタケヒコのもとに駆けつけたときには、前頭部からの出血で半ば意識朦朧の状態だった。叱咤して手錠だけはかけさせたものの、駅前交番に応援を呼びに行ってくれたのはその場に通りすがった主婦たちという体たらくだったのだ。 タケヒコがタックルをかまして取り押さえていなければ、Yはシノヅカ巡査を振り切って悠々逃げおおせていたに違いなかった。 なぜ十五日の昼日中に宇都宮のパチンコ屋にいたかについても事実をそのまま記した。ケンゾウ君は「K君」としたが、ガン病棟の仲間であり親友でもあったK君を失ったこと、自分がいまも胃ガンの後遺症と付き合い、抗ガン剤を服用し続けていることも包み隠さず書いた。 タケヒコは手記を綴りながら、ケンゾウ君の死に顔に何度も思いを馳せた。穏やかで苦しみなく見えたその顔が、なぜかそういうふうには思い出せなくなっていた。 ケンゾウ君はさぞや無念だったろう。殊にタケヒコの存在は、再発後の彼にとっては不愉快極まりなかったのではないか。そんな想像が先に立つと、あの顔も違った印象で脳裡によみがえってきた。まったく同じ運命を背負った二人がいたとすれば、一人は生き残り、もう一人は死ぬ。タケヒコは彼の再発を知った際、「次は自分の番だ」と怯えると同時に「いや、これで俺は生き残れる」とも考えたのだった。 この半年、ケンゾウ君の死を心のどこかで待ちもうけていたのかもしれない。 彼の死が自分の長期生存を保証してくれるような、そういう気分が確かにあった。 まったく同じ病気なのに生き残る者と生き残れない者が生まれる。もちろんガンの種類やステージの違いなど、ある者が生き残り、ある者が死ぬことを了解するためのとりあえずの理由は幾つもある。だが、患者本人はとてもそんなことでは納得できないのだ。なぜ彼は生き、自分は死なねばならないのか。 ケンゾウ君もその疑問に悩んでいたことだろう。ましてタケヒコと彼とは病態もほとんど同じだった。治療法も同じだった。彼もまた退院後、一生懸命にティーエスワンを飲み続けていたのだ。それなのにカワバタは生き、なぜぼくは死ぬのか。 人間は確率の中に生きることはできない。「あなたのガンのステージにおける五年生存率は何パーセントです」と幾ら医師から説明を受けたところで、そんなものは我々には理解不能なのだ。 そして実際にタケヒコのようなガン患者になれば、今度は、自分だけは絶対に生き残れると思い込もうとする。そのためだったら他人の生命を吸い取ることだって辞さない。ちょうど、タケヒコがケンゾウ君の再発を心の奥底で歓迎していたように……。 ケンゾウ君が言っていたことは正しい。あの「不幸の瓶詰」の中では「素晴らしく平等」な風が吹いていた。だが、その風は平等であるがゆえにどの木をなぎ倒すか分からない恐ろしい風だった。患者たちはそういう予測のつかない風の前で、いつの間にか誰か別の患者を風除けにしたり、自分ではなく他の患者の命を奪って下さいと天に願ったりするようになるのだ。金も権力もコネも通用しない世界では、人間の心は、ありもしない納得を求めて混乱し、戸惑い、そして幾らでも卑しくなる。 同時にそうした自らの卑しさに打ち克つ気高さを獲得しようと必死にもがき始めもするのである。 二年前の五月、胃ガンの手術を終えてから、タケヒコは亡くなった人たちとしばしば出会うようになった。そうした現象は、退院して数カ月のあいだ立てつづけに起きた。いまはもうほとんどなくなったが、それでも皆無というわけではない。 明確な存在として認識できるのはユキヒコの声だけだ。あの幻聴はタケヒコにとっては否定の余地のない「現実」と呼んでいい。ほかの死者たちとの遭遇についてはもっと曖昧でぼんやりとしている。恐らくほとんどが他人の空似、見当違い、目の錯覚だろう。ただ、ガンに罹るまでのタケヒコにはそんな経験は一度もなかった。人間の肉体は小さな体系、小宇宙、自足システムである。その身体にメスを入れ、重要な臓器の一つをもろもろの分泌組織、血管、神経系ごと根こそぎ摘出してしまうと、システム全体に影響が及んでしまうのは理の当然だと思う。 頻回に故人たちと出くわしたのは、ダンピング症候群にひときわ悩まされている時期でもあった。めまい、のぼせ、立ちくらみといった低血糖のもたらす身体症状が、視力低下や判断ミス、幻覚などを随伴させたとしても何ら不思議ではない。 そもそも初めて死者を見たのは、退院して一週間ほどが経過し、発病以来つつしんでいたアルコールを再開したときだった。 タケヒコはその日、退院の挨拶も兼ねて一カ月ぶりに会社へ顔を出した。重病説が社内で飛び交っているという噂を耳にして、とりあえずの存在証明のために編集部に足を運んだのだった。編集長代理を務めてくれているイシガキと部員たちの見ている前で三十分ほど陽気な会話を交わし、昼食をとるために近くのホテルに行った。すっかり元気であることをイシガキに対しても証明したかったのだろう。タケヒコは彼が止めるのもきかずに食事と一緒にビールを注文した。 中ジョッキ一杯を飲み干して、ホテルのロビーでイシガキと別れるまでは何ともなかった。気分は高揚し、ガンで手術を受けたとは我ながら信じられないくらいだった。意気揚々と帰りの電車に乗ったのだ。 急激に気持ちが悪くなってきたのは渋谷を過ぎてからだった。全身から汗が噴き出し、頭の血がすぅーと下がって麻酔でもかけられたように意識が朦朧となった。さいわい混雑する時間帯ではなかったので座席に腰掛けていた。 車内で取り乱すわけにもいかず、座ったまま身体を前に傾け、歯を食いしばって苦しみに耐えた。二子玉川の駅にたどり着いた頃には脂汗で足の裏まで濡れていた。転げ出すようにしてホームに降りると、タケヒコは目の前のベンチに再び座り込んだ。 しばらく風にあたるうちに、次第に意識がしっかりしてきた。タケヒコはようやく身体を起こして、深呼吸を繰り返しながら周囲の情景に目をやった。 その男性を見つけたのは、中央林間行きの電車がホームに滑り込み、ちょうどタケヒコの正面でドアが開いたときだ。タケヒコは階段のすぐそばのベンチに腰を下ろしていたが、彼は電車の到着と同時にゆっくりと階段から姿を現すと、慌てる様子もなく目の前のドアから車両に乗り込んだのだった。痩せた横顔やひょろりとした上背、そして何より独特の悠揚迫らざる足どりがタケヒコの胸に懐かしい記憶を呼び覚ました。ほどなく閉じたドアの向こうで彼はドアの窓越しにその顔がはっきりと見えた。 タケヒコは目を疑った。どう見ても大学時代の恩師その人だったのだ。 十年前にタケヒコとミオが結婚したときは披露宴の主賓の一人だった。瓢々とした人柄の東洋史学者でゼミ生みんなに慕われていた。結婚式から半年後に心筋梗塞で急逝し、タケヒコは通夜の晩に遺骸と対面して涙が止まらなかった。 向こうもタケヒコの顔を凝視していた。表情にさしたる変化は見えなかったが、それでもただじっと視線をこちらに寄越していた。 電車が行き過ぎたあとで、すっかり具合がよくなっているのに気づいた。意識もはっきりしていたし、呼吸も確かだった。最前までの不調がまるで嘘のようだ。 もちろん、いましがた見た恩師の姿は、朦朧とした意識が生んだ幻覚に過ぎないと気に留めることはなかった。 さらに一週間ほどして、今度は高校時代の友人のヤスオカに会った。ヤスオカは東京の山の手に沢山の土地を持つ大金持ちの息子だった。高校時代に親しくしていたが、二人は当時ともに落ちこぼれで、人間不信だった。家族なんて諸悪の根源だから、ぶっ壊れた方がいいんだ、と彼はよく言っていた。そのヤスオカは、二十六歳の時に脊椎の奇病におかされ、一年半後に亡くなった。亡くなる三日前に会った時に、カワバタ、お前もこうやって死ぬんだ。そのことを忘れるな、と言われたのだった。 それ以降も頻繁に死者たちを見るようになった。亡くなった祖父母や伯父、郷里の川で溺死した小学校の同級生、早死した同僚やライターなどなど。彼らはいつでも記憶の中の姿そのままだった。そのことはそうした遭遇が丸ごと幻視に違いないというタケヒコの推測をある程度裏付けるものであった。 胃袋を三分の二切り取ったせいで死者が見えるようになったのか。それとも、自分自身がすでに彼らのいる場所に半身を入れてしまってるってことか。 しかし、そんなタケヒコが、職場復帰を果たして半月が過ぎた七月の末、どうにも幻視や幻聴とは考えることのできない異様な体験をしてしまったのである。
編集部にいるあいだは疲れた顔を見せるわけにはいかない。その分、人目が気にならない場所に来ると激しい疲労感に襲われた。その晩も、帰りの電車に乗ったとたんに緊張の糸が切れ、タケヒコは思わず「あー」と大きなため息をついてシートに座り込んでしまった。 日曜日の午後十時過ぎの電車とあって、さすがに乗客はまばらだった。 タケヒコとミオが連れ立って電車に乗ってきたのは三軒茶屋駅でのことだ。 二人はがらがらの車内でちょうどタケヒコの座席と真向かいの席に並んで腰を下ろした。 タケヒコは電車が三軒茶屋駅のホームにすべり込んだときから何か異様な雰囲気を感じていた。 新しい乗客は三人。一人はジーンズ姿の若い女で、その女と同じ扉から入ってきたのがタケヒコとミオだった。最初からその男女が自分たち夫婦であることは一目瞭然だった。年齢はずいぶん重ねているふうだったが、だからといって風貌や体型がそれほど変わるものではない。まして瓜二つなのはタケヒコ自身だけでなく、一緒にいるミオも同様だったのだ。ミオの方はずっと若々しく、現在の彼女とさして違わないほどだった。髪には白髪が混じり、顔に皺を刻んではいるが、目の光の強さも、強固な意志をうかがわせる引き締まった口許もミオその人のものであった。 こればかりは息を呑んだ。呆気に取られるとはあのときのようなことだろう。二人は何食わぬ顔つきで正面のシートに座った。が、タケヒコの存在に気づくと気配が変わった。特にミオは驚きの表情になり、食い入るような視線をタケヒコの面上に投げてきた。タケヒコの方も視線を逸らすこともできずに彼女を見つめる。隣のもう一人のタケヒコは、さすがに見据えてくるような真似はしなかったが、それでもひどく不審そうな顔つきでちらちらとこちらの様子を窺っていた。 見るところ彼らの年齢はいまのタケヒコやミオより二十歳は上のようだった。タケヒコに限って言えばさらに歳を取っている気もする。六十台の半ばあたりではなかろうか。 死者との遭遇はタケヒコにとって特に意味のある体験ではなかった。彼らはただ見えるだけで何も振る舞っていなかったからだ。だが、いま目の前にいる二十数年後の自分は、そうやって存在するだけで十二分の振る舞いをしていた。 もしも彼が未来の自分自身であるならば、タケヒコはガンを克服して少なくともその年恰好までつつがなく生きられるということだ。これは当時のタケヒコにあって何にもまして大きな情報だった。 さらにミオを連れていることから、自分たち夫婦が今後二十年以上にわたって婚姻関係を継続することが明らかにされていた。これもまた決定的情報であった。 眼前の光景が、白日夢、幻影、妄想のたぐいだとしても、それでもなおタケヒコにしてみればそのような幻覚をおぼえること自体に相当に大きな意味合いがあるということすらタケヒコは考えていた。たとえ幻覚にしろこのように鮮明な形で自分の未来を垣間見るというのは稀有な体験であった。 電車が用賀駅を出たところで、タケヒコは立ち上がった。次は二子玉川だ。その前にやはり彼らと話さなくてはと思ったのだった。 タケヒコは正面の二人の前に立つと「すみません」と声を掛けた。二人が身を硬くしているのがよく分かった。 失礼ですが、カワバタ・タケヒコさんではありませんか。 顔を上げたのはもう一人のタケヒコの方だった。ミオはなぜか無反応だ。 いえ、違いますが。 タケヒコはその声を聞いて、自分が喋ったのではないかと錯覚しそうになった。短い二言だったが明らかに自分自身の声だと分かった。 そうですか。 タケヒコは言って目の前の自分をしげしげと見つめた。顔の中に自分と一致する特徴を素早く探す。小さい頃につけた額の傷も、右の小鼻の脇にある小さなほくろも、ちょっと縮れ気味の髪質もまったく同一だった。 すみません。あなたが亡くなった父と余りにそっくりなものですから。 口からでまかせを言う。父は存命だし、自分とは全然似ていなかった。 そうですか。 もう一人の自分は小さく微笑した。タケヒコの奇妙なセリフに不審を持ったふうもない。普通ならばいきなり声を掛けてきた男にすこしは警戒の様子を見せるのではないか。 私は、ニムラと申します。ここはもう二十年ぶりでしょうか。 彼は不思議なことを口にした。ニムラ?ここはもう二十年ぶり?タケヒコは内心で首を傾ける。 ちょうどそのとき、電車が二子玉川駅のホームにすべり込んだ。用賀駅を出たところで席を立ったのになぜこんなに早く着いてしまうのかと訝しかった。 じゃあ。 もう一人の自分が会釈する。どうしてここで降りると知っているのだろうか。だが、タケヒコはその彼の言葉に促されるようにしてそそくさと電車を降りたのだった。 ドアが閉まり、電車が遠ざかっていくのを呆然と見送った。二人の背中が窓越しにはっきりと見えた。さきほどまでの一場が夢や幻ではないことをあらためて自らに納得させてみる。 「ニムラ」 彼はなぜ「ニムラ」と名乗ったのだろうか。 どういうわけかその一点が気になって仕方なかった。幾ら考えてみてもニムラという苗字の人物と深い関わりを持ったことがなかったからだ。 この二週間、前回お話ししたことが不正確ではないかと僕なりに何度も検証はしてみたんですが、やはり思い出せば出すだけ、あれは間違いのない記憶だと確信を深めました。僕はあの晩、自分とそっくりの男を電車の中で見つけたとき、激しいショックを受けたのです。 その一番の理由は、老人になった自分が依然として妻と一緒にいたことでした。あれはまるで自分の死を見せつけられたような、未来を根こそぎ奪われてしまったような、どうにも救いようのない感覚でした。 タケヒコは、自分と同じ重役椅子に座る目の前の精神科医のシンギョウジ・リエにそう言った。この九段のクリニックに昨年十一月から通いだしてもう三カ月になる。と言ってもせいぜい二週に一度の割合だから今夜でまだ七回目のカウンセリングではあった。 二年前の七月、タケヒコが深夜の田園都市線で体験したことはもちろん幻覚に決まっている。だが、あのときのタケヒコはその幻覚を現実と区別することができなかった。つまり、あれはタケヒコにとっては紛れもない現実だったのだ。そしてミオと連れ添う年老いた我が身の姿を目のあたりにしてタケヒコは心底打ちひしがれた。あの夜、タケヒコは自分の心の声を確かに聞いた。混ざり物のないそれは純粋な声だった。 シンギョウジ・リエは、カワバタさんは奥様と別れたいのではなくてもっと深く愛し合いたいと願っているのではないですか、と言った。 いまみたいな八年間もセックスのない、ただの友人のような関係に強い抵抗感を持っていて、何とか知り合ったときのような男と女の官能的な間柄に戻りたいと考えているんじゃないでしょうか。だからこそ、そうした強い絆を再構築できない自分自身に苛立って、すべてを終わらせてしまいたいという破壊欲にとりつかれているのかもしれません。つまり一種の逃避としてカワバタさんは幻覚を見たということです。もともとガンの手術を受けて、体調のこともあったでしょうし、それより何より、カワバタさん御自身が死の恐怖にさらされていた時期です。自分の死を強烈に意識せざるを得ない状況の中で、カワバタさんは奥様に対してずっと抱いてきた責任感をどうにかして免がれたいと願ったのかもしれない。自分がいま死んでしまえば、残された妻には何もしてやれないという罪悪感が、そういった逃避願望を生み出す原動力だった可能性も否定できません。 シンギョウジはまだ三十代前半だった。百七十センチを超える長身で、顔も日本人離れしている。初対面のときに訊ねると、案の定、母親がベルギー人だということだった。父親は高名な精神科医で、麻布に大きなクリニックを開いている。この九段の病院は一応その分院ということになっているそうだが、シンギョウジ本人の説明によると「父のところとはまったく別物」ということらしい。紹介してくれた作家も「父親のところは旧態依然とした薬物治療が中心だけど、リエ先生のクリニックはカウンセリング重視の先端的治療をやってくれるんだ。自由診療だから診察費は相当なもんだけどね。ただ、その代わりセッションにたっぷり時間を割いてくれるし、とにかく一度行ってみたら、精神科医としての技量というか才能に舌を巻くよ」と言っていたのだった。 タケヒコは、シンギョウジ・リエの考えには同意できない。 自分は妻のことが嫌いでも、まして憎んでいるわけでもないんです。パートナーとしてはまたとない相手だとずっと思ってきました。その気持ちはいまも変わっていません。セックスの問題にしても、少なくとも僕の方は外で適当に処理しています。性的不満が蓄積して、それが妻への怒りに転化したなんてこともない。彼女との関係をいま以上に愛情深いものにしたいという積極的な意志も持ち合わせていません。というより僕たち夫婦は現状でも十二分にうまくいっているんだと思います。しかし、それでもあの晩の僕は年老いた自分と妻の姿を目の前にして絶望的な気分になった。その事実が僕にとって限りなく重たいんです。僕はガンを患うことで死の恐怖にさらされるのではなく、逆に生への無意味なこだわりを捨て去ることができたような気がしています。そして、妻の存在が自分にとって甚だしく無意味であることにようやく気づいたんです。それだけじゃない。僕は妻との長年の暮らしを通じて、自分が加速度的に女性全般への興味を失っていることにはたと思い当たったんです。正直なところ、僕はもうどんな女性のことも本気で好きにならないと思いますし、それでちっとも構わないと思ってるんです。 シンギョウジは幾分困ったような表情になった。面上に苦笑いのようなものを浮かべてさえいた。 奥様に不満はないけれど、でもこれからずっと一緒にいるのは耐えられないということですね、と念を押してくる。 言葉にするとそうなりますが、ニュアンスはちょっと違います。何と言えばいいのか、とにかく僕は妻と別れることを優先せざるを得ない。そこには僕の好悪の感情や善悪の判断を差し挟む余地はない。要するにそれが僕にとって絶対の判断だということでしょうか。 うーん。とても難しいお話ですね。 今度は本当に苦笑してみせる。タケヒコは彼女の反応に構わず自分の考えを述べる。そうやって一方的に喋っても何ら不都合が生じないというシチュエーションがタケヒコにはかけがえのないものなのだ。 最近とみに感ずるんですが、僕がセックスをするのは我が身の動物性を確かめるというか、自分という生身の生命の実感を掴み取るためでしかないんです。勃起したペニスが射精によって一気に原形に戻る。昂ぶっていた気持ちも嘘のように急速に沈静化する。その繰り返しが僕に僕自身の肉体性を教えてくれるんです。自己意識だけでは統御できない何かただならないものの存在を僕は知る。結局、これまでだって自らの生命の確かさを確認するための作業として僕はセックスをしてきただけのような気がします。だから、ガンになって肉体に直接の危機が迫ってきたとき、もう全然セックスをしたくなくなったんです。そんな回りくどい方法で生命感を得る必要がなくなったからです。ガンは常に自身の命を実感させてくれる病気ですから。がんセンターに入院しているあいだ、まるで子供から大人になった気分でしたよ。セックスなんてガン患者にすれば子供のお遊戯程度のものでしかないことを僕はこの肉体を通して知ったんです。 だけどカワバタさんはセックスはお嫌いではないし、いまも奥様以外のお相手がいるわけですよね。 まぜっかえしたり皮肉を口にしたりというのではなく、先を促すような巧みな口調でシンギョウジは言う。 それはそうだけど、いまの僕にとってはセックスは本当にお遊びのたぐいだと思います。なければないで全然平気ですよ。 シンギョウジは大きく頷いてみせる。 僕は必然の中で生きたいんです。もう余分なことをしている時間がない。この若さでガンになると自分の人生が自分だけのものじゃないことに愕然とするんです。自分が何か大きな存在に好き勝手に振り回される哀れな小動物の一匹でしかないことを痛感する。中にはすっかり諦めてすべてを神に委ねてしまう人もいるでしょう。自暴自棄になって悪魔と手を結ぶ者だっているに違いない。でも、僕はそういうのは嫌なんです。死ぬ最後の一瞬まで自分という主体性を失わずに生きていたい。そうなると、新しい生き方を掴み取るしかないんです。いままでと違う僕だけの生き方です。そうやって考えに考えて、僕は必然の中で生きようと決めたんです。何かを選び取り自分の力で作り上げていく人生が虚構だと分かった以上、僕は人生の場面場面で自分にとって不必要なものを切り捨てていく生き方を選択するしかない。未来にある理想の自己を目指して歩むのではなく、自己という現在状態をできるかぎり保存し、継続していく人生を僕はこれから歩んでいかなくてはならない。足し算ではなく引き算の人生です。必然の中に生きるというのはそういうことなんです。 シンギョウジは膝の上に置いたノートにタケヒコの話を書きつけている。自分の喋っていることが聞き手によって記録されているというのは存外心地よい。彼女はしばらくペンを走らせたあと手を止めて、タケヒコの顔を見た。 そんなに主体的に生きたり、新しい目標を定めて生きたりする必要はないんじゃないですか。人間はその場その場で自分にとって楽しかったり価値があると思うことを選んで生きていけばいいんだと思いますよ。たしかにカワバタさんのようにお若くてガンになるのはお気の毒ですし、大変だろうと思います。でも、誰にしても死は恐ろしく、決して逃げることのできないものです。そうであるならば、いっそ死のことなど何も考えずに生きるべきを生き、いざ死ぬとなった最後の瞬間に思い切り嘆き悲しめばいいんじゃないでしょうか。いずれ飢え死にする身だとしても、毎日お茶漬けばかり食べているよりは飢餓状態に陥る直前までご馳走食べ放題の人生の方が幸福だと私は思います。どうせ最後はドブの中で死ぬとしても、ドブに足をつけるまでは大きくて立派な家で寝起きした方がいいでしょう。カワバタさんはそんなふうに思いませんか。 タケヒコは、シンギョウジ・リエの考えに真っ向から反対した。 そういう考え方は完全に間違っているし、いま世界中の人間が悩み苦しんでいるのはまさにそうした考え方のせいだと思います。僕は飢え死にもしたくないしドブの中でも死にたくないんです。せめてもう少しマシな死に方がしたい。そのためにはご馳走だらけの人生や豪壮な邸宅で暮らすことを夢見て、人間同士が不毛な競争をしつづけることそれ自体を直ちにやめないと。先生の言うように自分自身の喜びばかりを追求する人間がはびこる世界は地獄ですよ。そして、この世界はどんどんそうなっています。誰もが豊かになることは不可能です。世界中の人たちが自動車に乗るようになればたちどころに石油資源が枯渇してしまう。そういう世界なんです。この世界を本当に平和で穏やかなものにしようとするならば、誰もが豊かになるのではなく誰もが貧しくなる以外に手がないのです。 それを実行しない限り飢餓も戦争も伝染病の蔓延も決してなくなることはない。人間一人一人の幸福の追求は、全体の幸福にまったく結びつきません。誰かが幸福になれば、その倍の人間が不幸になるのがこの世界のルールなんです。僕は、三度三度の食事をきちんととることができ、それなりの住居と生活用具とを確保した者たちは、さらに高い生活水準を望むのではなく全員が自分より貧しい人、困っている人のために私財を投げうつべきなのだろうと思います。たったそれだけのことでも、世界の悲惨さの半分は一瞬にして消滅するんじゃないですか。先生は知らず知らずのうちに自分が、どこか遠い国の見知らぬ貧しい人たちを踏みにじりながら生きているんじゃないかという恐怖をお持ちではないのですか。現実はその通りなんですよ。僕ら先進国の人間たちが豊かになればなるほど貧しい者たちはより貧しくなっていく。僕は、ガン患者となった僕の人生において、そういうことはもはや必然ではないと考えているんです。だからといっていまの僕には一体何をどうすればいいかが分からない。いや、ある程度は分かっているけれど確信が持てない。ただ、現在の仕事や生活、妻や娘との関係をそのまま続行していくことが必然ではないということだけは確かだと思っているんです。 何もそんなに禁欲的になる必要はないと思いますが。 禁欲的になろうとは思っていないんです。むしろ自由になりたい。そう願っているんです。死ぬ以外に自由になる方法がないのだとしたら、この世界は正真正銘の地獄ですからね。 僕はぺらぺら喋りながら、またミルトン・フリードマンの言葉を脳裡に浮かべていた。彼あるインタビューの冒頭でこう語っていた。
世の中に問題が起こるのは、別に腹黒い男たちが策略をめぐらしているからではなく、世の中そのものが不完全だからということですね。人間は不完全だし、資源は相対的に希少です。物不足も生じます。 しかし、この発言はそれほど真実ではない。むしろそうした考え方は私たちを何千年にもわたって惑わしてきた無責任な固定観念の一種でしかあるまい。フリードマンは、本当はこう述べるべきだったのだ。
世の中に問題が起こるのは、私たちみんなが他人の不幸に余りにも無関心だからだし、その結果として世の中がいつまでたっても不調和なままだからです。私たちは全体の調和を優先しようという強い意志をいまだに持つことができないし、私欲に溺れて資源の分配でも常に独り占めをもくろんでしまう。そのために人間同士の恨みや嫉妬、憎悪の感情は一向に衰えを見せず、相互殺戮がいつ起きても不思議ではない怨恨の連鎖がいまもって途切れることなく続いているのです。
タケヒコは、いつも通りデパスを二週間分処方してもらってクリニックを出た。 先週から今週にかけては憂鬱なことが重なったので、久し振りにカウンセリングを受けることができてよかった。ここに来るタクシーの中ではため息ばかりついていたのが、いまはそれほどでもなかった。腕時計で時間を確認する。午後八時半。きっちり一時間の診療で、薬代も入れて二万五千円。安くはないが、月に五万円程度でこれだけリラックスできれば十二分の効用だろう。普通の心療内科や精神科のクリニックだとせいぜい十分から十五分でも医師とやり取りできれば御の字なのだという。精神科の治療が薬物中心にならざるを得ないのは、そうした背景があってのことだ。通院する鬱病患者は昨年、百万人の大台を突破した。潜在的な患者数はその二十倍とも言われている。身体疾患の何倍も手をかけねばならないはずの精神疾患において患者数に比した医師数の不足は絶望的な状況だろう。自由診療ではあるが、シンギョウジとの毎回長時間のやり取りはタケヒコにとって大きな安らぎである。人間は誰かに思いの丈を存分に聞いてもらうだけで、精神のバランスを相当回復させることができる。本来、妻や友人、知人がそうした「告解」の対象であるべきだが、人が抱える問題の大半がその種の人々との関係から生じたり、または彼らにだけは知られたくない秘密や存念によって構成されるから、実際のところ配偶者や親友が相談相手になり得ることはまずない。ということは、誰にしろ自分の本心を語れる相手などいないのだ。 人々が易占のたぐいや新宗教、カウンセラーやヒーラーたちに救いを求めるのは当然だといえば当然なのだ。ただ、そうした行為によって得られる成果は微々たるものだ。タケヒコの場合は優秀な聞き手を紹介され、金銭的余裕もあることから相応以上の効果を得ているが、それにしてこうしたカウンセリングをあとなん年も続けていくつもりはない。おそらくあと半年もしないうちに卒業ということになるのだろう。 結局、自分の本心を誰かに吐露するという行為そのものが無意味なのだ。その無意味さにどこかで気づくために人間は特定の相手に我が思いをぶつける。この世界では希望は絶望のために存在し、期待は諦めの球根にすぎない。
靖国通りに出るとタケヒコはタクシーを拾った。今夜はこのあとの予定を何も入れていなかったのだが、校了を終えて会社を出ようとしたときニシナ・マユカに不意に呼び止められたのだった。 カワバタさんにご相談したいことがあるんですが、今夜、時間を作っていただけませんか、とニシナ・マユカは言った。彼女は申し訳なさそうな顔をしていたものの、口振りには切迫感があった。タケヒコは一瞬迷ったが、明日の水曜日は休みだし、明後日以降の予定もほとんど埋まっていたので、いまから一時間くらい外出するけど、そのあとだったら大丈夫だよ、と答えると、私も、今日はあと一時間くらいで上がれるんで、カワバタさんの都合のいいところでお待ちします、とマユカが言った。カワバタは、それならと大手町のパレスホテルのロビーで午後九時に待ち合わせることにした。 ニシナ・マユカがこんなふうに相談を持ちかけてくるなど初めてのことだった。話を聞いてみると、彼女は、半年前くらいからグラビア班のマスダと付き合っているが、最近サカモトからストーカーのように付きまとわれて困っているというのだった。 実は、マスダと付き合う前に、サカモトとも少しの間付き合ったようだ。サカモトは、二度目のデートでニシナにプロポーズし、あまりに唐突な申し出に、彼女もどん引きし、三度目のデートで断ったという。しかし、その後、ひと月ほど前にニシナがマスダと付き合っていることが分かると、それからサカモトはしつこくニシナにつきまとい自宅にまで押しかけてきたりするのだ、と言う。 サカモトは、マスダに騙されている、とニシナに言い、マスダは広告部のシミズと二股かけているんだと言っているらしい。サカモトの執拗な押しに、マスダもニシナに対して、マユカはサカモトとよっぽど深い仲だったんじゃないか、と疑いはじめていて、このままじゃサカモトのせいで自分達たちの関係も壊れてしまうんじゃないか、とニシナは恐れていたのだ。 タケヒコは、それにしても、二度目のデートでいきなりプロポーズというのは変だな、と思い、マユカに、最初の日にきみたちはできちゃったわけ、と訊くと、ただのなりゆきです、と彼女はあっさり認めた。 でも、別にぜんぜん合わなかったし、サカモトさん、いつも自慢話ばかりで一緒にいても楽しくないんです。 二十歳の娘が男と身体が合わなかったと堂々と口にできる時代は、果たして幸福な時代なのだろうかとタケヒコは思う。 で、僕に何をしてほしいのかな、とタケヒコが訊くと、マユカは、もう我慢できないんです。こんなお願いをカワバタさんにするのは申し訳ないと思ってるんですけど、他に頼れる方もいませんし、どうかカワバタさんの方からサカモトさんにこれ以上私につきまとわないように言っていただけませんか。サカモトさんはカワバタさんのことはとてもリスペクトしてるみたいだし、カワバタさんの言うことなら聞いてくれると思うんです、と言った。 そんなことは彼氏であるマスダに最後までやらせろよ、と言いたくなる。だが、今回は特段の事情もあった。マユカのこの相談事はタケヒコにとっても渡りに船なのである。彼女が話し始めた直後から思いついていたことを慎重に言葉を選んで口にした。 しかし、何か明確な証拠がないとね。きみもよく知ってると思うけど、サカモト君は優秀な男だ。いまの話だけで彼を呼び出してみてもシラを切るに決まっている。それだと、きみが尚更逆恨みされるって話だ。 証拠ですか。 マユカが訝しそうになった。タケヒコは大きく頷いてみせる。 よかったら録音してくれないか。脅迫したり、きみに無理やり迫っている彼の音声をデジタルボイスレコーダーで録音してほしい。もちろん電話の中身でもいいし、嫌でなければ直接会って話すのが一番いい。そうやって明白な証拠をつきつけることができれば、さすがに彼だって上司である僕の命令には背けないだろう。 タケヒコの言葉にマユカはしばらく黙り込んでいた。もしやこちらの別の意図に気づいたのではないかと少々不安になる。 しかし、ニシナは、やっぱりカワバタさんってすごい方なんですね、いいのが録れたら持ってきます、どうかよろしくお願いします、とにわかに活気づいた声を出し、いつもの屈託のない笑みを浮かべた。
N追及記事の第三弾が出た先週木曜日、イシガキに呼ばれて、次号で予定していた第四弾の掲載を見送るよう通告された。 その理由については「常務会の決定事項だ」としかイシガキは言わなかったが、詳しく問い詰めていくと、予想通り官邸に圧力をかけられてアサノが腰砕けになったということのようだった。検察の動向を探ってみると、すでに党三役を辞任したN単独での捜査開始には二の足を踏んでいる気配だった。そうなると官邸全体を巻き込む「インド疑惑」を報じて特捜部の背中を押すしかないとタケヒコや取材班の面々は判断していたのだ。 現場は納得しませんよ、とタケヒコが言うと、現場って誰だ。フジマキか、サカモトか、とイシガキはいつになく強硬な物言いになった。 六月の役員人事に絡んでアサノから踏み絵を踏まされているのだろう。それが透けているだけにイシガキの強腰がなおさら情けなかった。 四月の異動でカワバタは月刊誌、週刊の後任編集長はフジマキでもうすぐ本決まりになる。サカモトの処遇も特段の目配りをするつもりだ。フジマキに言ってサカモトをデスクに昇格させてもいい。お前が月刊に連れて行きたいのならそれでもいい。場合によっては月刊でデスクに引き上げてやってもいいじゃないか。もちろん社長の了解は俺が取りつける。 イシガキは硬い表情を崩さないままにそう言い、それでフジマキもサカモトも説得できるだろう、カワバタ、と念を押してきたのだった。 じゃあ、本気で記事を潰す気なんですね、とタケヒコが言う。イシガキは、本気だ、俺も、とぼそりと返してきた。 編集部に戻るとすぐにデスクのフジマキを呼んで別室に入った。イシガキからの通告を伝えて彼の意見を聞く。 いきなりの話ですか、それとも最初からそういう動きがあったんですか、とフジマキは案外に落ち着いていた。 突然の話だ。官邸サイドから、具体的には官房長官のマキノから社長のところへ一度連絡があったのはイシガキさんから聞いていたが、それも第一弾の直後で、それからは何の話もなかった。 相手の反応を見極める必要もあるので、タケヒコは淡々と事実だけを述べる。 そうですか…… フジマキは小さなため息をついた。 とにかくすぐにサカモトたちを呼んで、この話を伝えましょう。善後策は全員で練った方がいいと思います。ここまでくるとカワバタさんや僕だけでどうにかしたり、できたりするものでもないですし、とフジマキは言った。 たしかにそれも一案ではあった。回を追うごとに記事の反響は高まり、いまでは全国紙もテレビ各局も排出権取引に絡む今回の疑惑を大々的に報道しはじめていた。サカモトを筆頭に取材班のマエダやサクライも相当に入れ込んでいた。いまさら彼らに相談もせずに記事を止めることなど不可能だった。 サカモトたちに言うのは今週号の校了が済んでからにしよう。俺は上に掛け合って押し戻す努力をしてみる。いまあいつらに伝えたら、息巻いてイシガキさんのところへ怒鳴り込むくらいが関の山だ。そんなことになれば事態は余計にややこしくなる。 しかし、どうしてその程度の圧力に負けるんでしょう。うちはオヤマダに何か決定的な弱みを振られているんですか。 フジマキは同意するのではなく、話頭を転じてきた。 それがよく分からない。あのときの当事者も俺だったから、背後関係はかなり調べたつもりだ。もちろん、税務調査をちらつかされてアサノさんがびびったのは事実だが、その程度で記事を見送ったのは正直、解せなかった。今回も同じだ。といってアサノとオヤマダに個人的なつながりがあるとも思えない。当時もいろいろ調べたが二人の間には何の接点も見つからなかった。とにかくいまはサカモトたちには黙っていてくれ。原稿も予定通り準備してほしい。できれば今週分だけでなく全編仕上げてもらえるとありがたい。いざとなればその完成稿を突きつけて社長に直談判するつもりだから。 インド案件の記事は三週にわたって掲載する予定だった。サカモトのことだ、草稿段階のものはすでに書き終えているに違いない。 分かりました、とフジマキは大きくうなずく。人事をエサに懐柔を図るなどそうそう上手くいくものではない。 人間は感情の動物なのだ。こんなときにポストの話を持ち出せば相手の反発を食らうだろう。 だけどカワバタさん、とフジマキが顔つきを改めた。常務会の決定というのが本当なら、インドの記事は難しいんじゃないですか。 タケヒコが上に掛け合うと知って、フジマキは幾らか現実的になったようだった。 そんなわけにはいかないだろう。きみやサカモトたちのこれまでの努力を台無しにするようなことは、たとえ何があっても俺が阻止してみせるよ。 そうきっぱり口にした瞬間、タケヒコは逆に自分の本当の気持ちを明確に自覚したのだった。アサノやイシガキの思惑は度外視したとしても、タケヒコ自身が今回の企画をここで終わらせることにさしたる躊躇いがなかった。 金権体質を糾弾し、たとえ何人の政治家の首を取ってみたところで、所詮この国の政治が大きく改善されることはない。ミオの言い草ではないが、人間社会の救いがたい惨状は「世界のシステムそのものに本質的欠陥がある」ために生まれている。というより人間という存在が抱える救いがたい利己心が、ありとあらゆる悲惨さの根源なのだ。人類全体の意識が大きく変化しない限り、どんな些細な問題でさえも根本的解決を見ることはないだろう。 今週号での原稿掲載が不可能と決まったところで、俺の方からサカモトたちには話をするよ。場合によってはフジマキもそのとき初めて聞いた顔をすればいい。どうせ火曜日までには結論が出る。目次も台割もぎりぎりまでは掲載の方向だ。 タケヒコの言葉にフジマキは大きく頷いたあと、しかし、もしも見送りやむなしのときはどうしますか。六ページ分すっぽり空いてしまいますが、と進行担当の筆頭デスクとしては当然の心配を口にした。 そのときはそのときで何とかするしかないだろう。いまはゴーの線だけ考えておこう。 タケヒコは心にもないことを言った。差し替えの記事については密かに準備しておくつもりだったのだ。 日曜日になってフジマキが持ってきたサカモトの原稿は想像以上の出来ばえだった。むろん三回分まとめて仕上げてあった。 これが出ればNは離党、下手をすると議員辞職でしょう。オヤマダの監督責任も重大です。一気に政局に突入じゃないですか。 フジマキは興奮気味だった。 七月のサミットが終われば衆議院議員の任期満了を睨んで、いつ解散総選挙が行われても不思議ではない政治状況だった。だが、フジマキの言うように、この記事が出ればサミット前の解散または内閣総辞職も十分に可能性が出てくる。 サカモトにはよくやったと言っておいてくれ。ここからは僕の仕事だ。 この時点ではむろん仮目次の右トップはサカモトの記事だった。 社長のアサノから直接連絡が来たのは翌月曜日、つまり一昨日の午前中だ。すでに目次を確認しているはずのイシガキから何も言ってこないので、大方そういう流れになるのだろうと予想していた。これでイシガキとの長年の信頼関係も終わりだな、と思った。そう思うとなぜかジュンナの顔が脳裡にくっきりと浮かんできたのだった。 アサノは仮目次のコピーを手に、怒りを隠そうともしなかった。 常務会の決定についてはイシガキ君から伝えたはずだが。 濃厚な怒気を含んだ声でアサノは言う。いつものように応接セットには移らず、わざとらしく社長椅子にふんぞり返り、大きな机をはさんで直立のタケヒコを上目づかいにねめつけていた。 承知しています、とタケヒコは答えた。 じゃあ、これは何だ。 手に持っていた紙をこちらに向かって放る。タケヒコはそれを受け取って二つ折りにして机に置き直した。 せめてこれくらいのことはやっておかないと、おさまるものもおさまりませんよ。 アサノが一瞬きょとんとした顔になった。 今回は、社長に徹底的に悪者になってもらいます、とタケヒコは言葉を重ねる。 現場は燃えに燃えてるんです。連載を打ち切るとなるとそれ以外に丸くおさめる方法はないでしょう。 ということは、この目次は無しなんだな。 半ば怪訝な瞳のままアサノは念を押してくる。 もちろんです。差し替え用の原稿もすでに用意してあります。イシガキさんが持ち込んだことにしたいので、社長の方から了解を取っておいてください。どうも彼は僕とは話をしたくないようですから。 アサノは何か考えを巡らせているような表情になっていた。かつては社の看板雑誌である月刊総合誌を実売百万部の大台にのせ、敏腕編集長として鳴らした男だ。こうやって間近で接すればある種の風格や威厳を感じることはできる。 しかし、どうしてオヤマダにここまで気を遣わなくてはならないんですか。 タケヒコは単刀直入に聞いてみた。アサノがぎょろりと大きな目玉を向けてくる。 これ以上追い詰めたら一気に解散総選挙だ。自民党は惨敗し民主党政権が誕生する。あのタカギ・イチロウが日本国総理大臣になるんだぞ。カワバタ君、きみはそんなこと認められるのかね。 まあ、ぞっとしない話ではありますね。 きみらからすれば、僕は日和見主義者の権化のようなもんだろうが、僕はもとからあのオヤマダという男を買っているんだ。あれがずっと可愛がってきたNのこともなかなか見所がある政治家だと思ってきた。だからオヤマダもNも止めを刺すのは忍びない。きみもそう思わんかね。 しれっと見え透いた嘘をつくアサノを見ながら、もしかすると彼とオヤマダとのあいだには誰も知らない深い因縁があるのではないか、という気がした。もう一度、二人の関係を洗いなおした方がいいのかもしれない。 Nはたしかに抹殺するには惜しい人材のような気がしますね。 タケヒコは本音を口にした。アサノがやや意外そうな顔になる。 イシガキ君には僕の方からきみの依頼は伝えておこう。忙しいところご苦労だった。 アサノは二つ折の目次を取り上げ、目の前でびりびりに引き裂きながら言った。 失礼します、とお辞儀をして顔を上げたところで、思い出したようにアサノが再び声をかけてくる。 カワバタ君、くれぐれも余計なことはしてくれるなよ。僕はむかしからどうもきみのことが好きではない。ただ、きみの能力は十二分に評価しているつもりだ。イシガキ君からも聞いているだろうが、四月からきみには月刊誌をやってもらう。分かってるね。 微力ながら全力を尽くします。 タケヒコはそう答えて社長室をあとにしたのだった。 かつて、編集局長時代の彼に記事を潰されたとき、タケヒコは取材の中身や入手した内部資料などを丸ごと親しい全国紙の記者に横流ししたことがある。結局、その記者もオヤマダの疑惑を記事にすることはできなかったが、おそらくはアサノが言う「余計なこと」とはあの時のことを指しているのだろう。そう考えると、オヤマダと彼との密接な関係がにわかに匂い立ってくる。闇に葬られてしまったあのネタが新聞社に流れたことを知っているのは、タケヒコと記者、それにオヤマダだけのはずだからだ。 編集部に戻るとグラビア記事のゲラが机の上に載っていた。グラビア班は月曜が校了日である。タケヒコのチェックを待つためにデスクのカメヤマだけが居残り、他の部員たちはもう引きあげていた。特集班の連中はデスクたちも含めて出社してきていない。時計を見るとまだ十時前だった。 閑散とした広い編集部を眺めわたす。思えば五年間、この大所帯を切り回してよく働いてきた。スクープも何度も打ったし、年に二度や三度は完売号も出した。訴訟沙汰で決定的敗訴をこうむることもなかったし、何より部員の誰一人として重病やひどい怪我に見舞われることがなかった。自分でもどうにかやりおおせたという自負はある。 だが、自分個人は大きな代償を支払った。胃ガンに罹ってから二年、我ながらよく復活できたものだ。
いよいよ四月からは月刊誌の編集長である。出版界全体の中で最も権威のある雑誌だ。現在でも業界人のあいだでは「編集長の中の編集長」と尊称される地位だった。この編集長ポストを経験した者は全員が役員に昇格していた。歴代社長も一人を除いてすべてが編集長経験者で占められていた。いまのアサノもそうだし、イシガキが一刻も早い役員昇格に執念を燃やしているのも当然といえば当然なのだ。月刊誌だけでなく週刊誌の編集長も務めた彼は、次の次あたりの社長候補の筆頭である。タケヒコもまたそのイシガキと同じ道を歩くことになる。 現編集長はタケヒコより四期上の人間だったが。編集長に就任すると急速に部数を落としてしまった。二年での交代は解任と呼んでも差し支えないだろう。新任のタケヒコが衆目の期待を裏切らずに部数回復を果たすことができれば、いまのイシガキ同様、社長を狙える位置につけることも決して夢物語ではない。さしあたり前後の期でライバルはいないのだ。 グラビアのネームと写真にざっと目を通してカメヤマにOKを出すと、タケヒコはさっそく新しい目次作りに手をつけたのだった。 サカモトたちに連載の中止を通告したのは、今朝のことである。 日曜に原稿を入れた特集記事担当のサカモトやマエダ、サクライは月曜は出社しなかったので、今日火曜日の九時過ぎに三人を会議室に集め、デスクのフジマキも同席のうえ、タケヒコの口から説明を行った。 日曜段階の仮目次と新しい目次とを机の上に並べた上で、タケヒコは昨日アサノに呼ばれて記事の掲載見送りを命ぜられたことを伝え、何らかの圧力が官邸サイドからかかったのは間違いないが、その中身についてはまだ把握しきれていないこと、アサノもそのへんについては固く口を閉ざして理由を言わないこと、局長のイシガキもアサノ同様の態度などを丁寧に話した。サカモトたちは自分たちの記事が載っていない目次を目にした時点で顔色を変えていた。 社長に言われて、黙って引き下がってきたんですか、と説明を聞き終えると、サカモトは開口一番そう言い、他の二人も同じ目の色でタケヒコとフジマキを見た。 社長や局長が今回の決定の理由を言わない以上、俺としても抗議の仕様がなかった。辞表片手に息巻いたところで、この決定が覆るわけじゃないというのが率直な印象だ。俺としてはとりあえず今週は掲載を見送ったということだ。会社が何を恐れているのか原因を突き止めて、その上で、可能ならば連載再開に持って行きたいと考えている。もちろん今の時点で確実に再開するとは俺の口からは約束できないが。 しかし、そんなのはメディアとしての自殺行為ですよ。圧力の中身が何であるにしろこれだけのネタをボツにしてしまえば、会社の信用は地に堕ちたも同然でしょう。たとえ向こうがどんな脅しをかけてきていようと、記事を出してしまえば先に倒れるのは向こうの方だ。負ける戦じゃない、とサカモトは至極理にかなったことを言う。 きみの言う通りだろう。だが、だからといって上層部が止めているものを編集部サイドで無理やり掲載することは物理的にも不可能だ。そんなことをすれば俺たち全員がこの編集部から追い払われるだけだ。もちろん雑誌も出やしない。ここはとにかく一度引いて、どうしてこんなことになったのかその原因を調べることの方が先だ。 しかし、連載を止めろと言うのなら、その理由を僕たちに明らかにするのは最低限のルールでしょう。「理由は言えない、だけど記事はボツだ」では誰一人納得できるわけがない。カワバタさんも理由くらいちゃんと聞き出してくるべきだ。何も聞かされずに、ただ上の言うことに従うだけじゃ、それは僕たちに対する裏切り行為と取られても仕方ないんじゃないですか。 アサノさんもイシガキさんも幾ら聞いても本当の理由を言わないんだ。といってこちらに彼らの口を開かせるだけの材料はない。編集部が連載を続けると言っても、営業も広告も動くはずがない。俺やフジマキが辞表を突きつけて抗議したところで「じゃあ辞めろよ」で終わりだろう。いいか。俺だって多少の脅し透かしで動かせる話なら、きみたちをこうして呼びつけて洗いざらいぶちまけるような真似なんかしない。こういうことはいままで何回も経験してきたが、これほど上が強硬なのは初めてだ。一筋縄ではいかないと判断したから、きみたちに全部打ち明けて善後策を練ることにしたんだ。 タケヒコは話の内容ではなく、取材班の仲間意識を鼓舞する言動に努めた。こういう場合は権柄ずくや理屈めいた説得の仕方が一番反発を買う。 しかし、マエダやサクライはともかく、サカモトは納得しかねる表情でタケヒコを見据え続けていた。 カワバタさんだけでなく、僕らも局長や社長に意思表示をすべきだと思います。取材班全体の気持ちをぶつけないと、今週見送ったんだからもう大丈夫だと向こうが高を括ってしまう、とサカモトがまたもっともなことを言った。 いまはきみたちは動かないで欲しい。下の人間から突き上げられれば向こうは逆に態度を硬化させるだけだ。 そんなことはないでしょう。現場の意見に耳を傾けられない経営者はもうそれだけで失格だ。ましてメディアのトップは現場重視が大原則のはずです。 それがそうじゃないからこうなっている。アサノ、イシガキがこんなことを言い出した背景を探って、動くのはそれからだ。とにかくもうしばらくは俺に任せてくれないか。できるだけのことはする。一週掲載が遅れたところで他社に抜かれるようなネタじゃない。ただし、出すときは背中から弾丸が飛んでこないよう十分に足場を固めておくのが不可欠だ。とてもこんな状況で打てるネタでもないだろう。 カワバタさん、ちょっと弱腰なんじゃないですか。そんな生ぬるいこと言っていたら、結局は連載中止で押し切られてしまいますよ。僕はこの際、編集部全体を巻き込んでこんな理不尽な社内圧力は跳ね返してやるべきだと思います。それが、報道メディアとしてのうちの責務でもある。 サカモトの理屈に隣のマエダたちも深く頷いていた。三人が直談判したいというならそれはそれで構わないとタケヒコは考えていた。どちらにしろ、イシガキもアサノも「業務命令」の一語で彼らの抗議を切って捨てるだけのことだ。 フジマキはどう思う、とタケヒコは隣のフジマキに声をかけた。 時間がなさすぎますね、今週は見送る以外にないでしょう。社長の許可がなくてはそもそも雑誌が出せないんですから。サカモトたちがどうしても今週記事にしたいなら、どこか他社の媒体に持ち込む以外にないですが、それをやると我々の処分は避けられない。おまけにライバルに塩を送ることになる。我が社の信用も失墜してしまう。ここはカワバタさんの言うように、ひとまず見送って、今週来週かけて、一体全体うちが官邸サイドにどんな弱みを握られているのか調べてみるべきだと思います。それを見極めた上で局長や社長を説得しなければ連載の再開はおぼつかないでしょう。僕は無用な争いは避けるべきだと思います。僕たちがまず優先すべきは何としてもこのネタをものにすることですから。 取材班を仕切ってきたフジマキの意見に、マエダやサクライは耳を傾けていた。サカモトはそんなフジマキに対しても疑心の目を向けている。 僕は了解できませんね。今週記事が落ちたという事実だけで、もう会社もカワバタさんも信用できない。これからは僕は僕の信念に従って行動するのみです。ただ、フジマキさんのおっしゃるとおり、今回のインド疑惑を世間に対して公表することが最優先事項であることは僕もアグリーします。しかし、そのために何をすべきかは僕自身が判断するし、誰の命令にも従うつもりはありません。 サカモトはそう言い切った。 別に俺はきみたちに何か命令しようなんて思ってはいない。きみたちがきみたちの責任において行動することを止める権利は俺にはない。信念という言葉を持ち出すなら、サカモトはサカモトの信念に従って何でもすればいい。ただ、いかなる状況であれ余り感情的になったり焦ったりしないことだ。Nやオヤマダたちだって必死なんだろう。我々の扱っているネタはそれだけ危険なものだということだ。大きなヤマを踏むときは何かと想定外の事態も起きてくる。要は平常心で対処していくことだ。 もうこれ以上話しても仕方がなかった。フジマキ、マエダ、サクライはこの分だと無茶な暴走はしないだろう。だが、サカモトはそう易々とはいかない雰囲気だった。 話し合いは三十分ほどで切り上げた。タケヒコは最後まで頭は下げなかった。詫びの言葉も一切口にしていない。 サカモトをどうやって懐柔するか、その方法を何とか見つけ出さなくては――皆とともにぞろぞろと会議室を出るときはそのことだけを考えていたのだった。 ガンを患ったあと顕著になったが、三十半ばを過ぎたあたりから、つまりはユキヒコを失ったちょうどその頃から、過去の自分と現在の自分とがスムーズに繋がっていかないもどかしさをしばしば覚えるようになった。 大袈裟に言えば一日一日がバラバラで、およそ脈絡というものがないのである。 今日の自分が、昨日の自分と同一であるという確信が薄らぐというのか。朝目覚めて、いまいる場所がどこなのか分からない気分になったり、洗面台の鏡に映った顔がまるで他人のような気がしたり、そうしたことがごく日常的に起こるようになった。 これは一面においては自己という統一性の弱体化だが、また一方においては自己の流動性、可塑性の高まりを暗示してもいた。ふとした拍子に自分の居場所や状況、心の軸などがさりげなく、だがはっきりと変質・転調・変形するのをタケヒコは察知できるようになった。そうしたいわば位相の瞬時の転換を「ミリセカンドの変化」と名付けていまは慣れ親しんでいる。 自分という存在を一個の合理的まとまりとして考えることに自分は疲れたのかもしれない。ガンを宣告され、否応なく自らの破滅と対峠すべき立場となり、自分を裏切った自身の肉体が疎ましくもあったのだろう。ユキヒコを失ったときも、その悲嘆の強風を真正面から受け止めてしまう自分という壁がひどく鬱陶しかった。 保育士のオクムラさんから連絡を貰い、ユキヒコを迎えに保育園に向かうタクシーの中で、タケヒコはユキヒコの病状に意識を集めていたわけではなかった。というより、実際本人の様子を見てみなくては何とも判断のつけようのないユキヒコの容態のことなどそっちのけで、タケヒコはひたすら、具合の悪い生後三カ月の息子を放り出して朝一番の飛行機で福岡に出かけて行ったミオのことを呪っていたのだ。 もしこれでユキヒコに万が一のことがあれば…、ミオは破滅だ。 そして、幼い我が子を死なせたことで生涯の苦しみを背負うであろうミオの姿を想像して何とも小気味のいい心地にさえなっていたのだった。 保育園に到着し、待たせていたタクシーでユキヒコを病院に運ぶあいだも、タケヒコはそんな馬鹿げた妄想をつづけた。病院の建物が見え始め、熱で上気していたユキヒコの顔色がみるみる青ざめてゆくのを目の当たりにして、ようやく事態の深刻さに気づいた。 一人きりで医師の診断を聞き、病状が予断を許さないことを告げられたとき、罰当たりな妄想をした報いが来たのだと知った。 ユキヒコはきっと助からないと直感した。 だが、そのまったく絶望的な状況においてさえ、タケヒコの頭を占めていたのはユキヒコヘの祈りや愛、同情や悲しみではなく、筆舌に尽くしがたいほどの怒りだった。 もしこのままユキヒコが死んでしまったら、必ずやミオとの関係を完膚なきまでに破壊してやろう。タケヒコはそう決意していた。 タケヒコはユキヒコが死ぬということを認めることができなかった。もう助からないと直感したからこそ、ユキヒコの死は到底受け入れられるものではなかった。 我が子の死は絶対現象の一つだ。絶対現象は思考の対象とはならない。それは突然足元で地雷が爆発したようなものだ。考える間もなく四肢が引きちぎられるように、心が引きちぎられる。 自分の誕生や死。愛する者との死別。異性への激しい性衝動。食欲や排泄欲。睡眠欲。怪我や病気、暴力や拷問による苦痛。 それら絶対現象は私たちが従えることのできないものだ。自己意識に優越するまさに絶対的な現象だ。こうした絶対現象に撞着したとき、私たちの意識は常に何らかの逃げ道をこしらえるようにできている。 タケヒコはユキヒコの死を拒絶するためにどうしてもミオを憎まねばならなかった。精神の内部崩壊を防ぐには、その絶対現象を無力化するための特殊な逃げ道を作るしかなかったのだ。 八年を経た現在もタケヒコはユキヒコの死を受け入れてはいない。彼の幻の声が聴こえるのはその何よりの証左であろう。そしてタケヒコがそのような心性を保持している限り、ミオヘの怒りもまた衰えることはない。 ユキヒコの死という「事実」は、ただミオヘの復讐の材料としてタケヒコの中で活用されている。当然ながら彼の死が全面的にミオの責任であったわけではない。だが、タケヒコにとってそれはミオの全面的な責任でなければならないのだ。 人の心は身の毛もよだつようなそうしたグロテスクな意識に大半を占有されている。 この世界で、幸福や愛、友情や信頼、博愛、利他心といった人間の追求すべき目標と考えられているものがいつの時代においても実現されないのは、その努力目標自体が、人間個々の真実の意識から余りにもかけ離れているからだろう。 タケヒコがシンギョウジ・リエに話した「必然の中で生きる」とは、タケヒコ自身の瞬間瞬間の意識を必然性の有無によって厳しく査定し、無駄を削ぎ落とすということである。 一瞬一瞬を必然だけで固めながら生きる。そうやって生きることでしか、この苦悩に満ちた世界で真実の自己を貫徹し得ないとタケヒコは考えるようになった。 ユキヒコが死んだのは彼が生まれたからだ。本来、彼は生まれるべきではなかったのだ。タケヒコとミオはユキヒコを作るべきではなかった。なぜなら彼が生まれるより遥か以前に私たち夫婦は離婚すべきだったからだ。それがタケヒコとミオとの必然だった。その必然を私たちが破ってしまったがゆえにユキヒコは生まれ、そしてたった三カ月で死んだ。 すべての悲劇がそうやって必然を超越しようと試みることで生起する。 ナオが誕生して一年もたたない一時期、タケヒコとミオはうまくゆかなくなったことがある。別に取り立てて重大事件があったわけではない。ただミオがタケヒコとセックスをしたがらなくなったのだ。ある夜、久し振りの誘いを無下にした彼女にタケヒコは本気で腹を立てた。「赤ちゃんを産んだら、何だかそういう気になれなくって」といつも判で捺したような拒絶のセリフを吐いていたミオに、「誰か他に付き合っている男でもいるのか」詰め寄ったのだ。するとミオはしばらく黙り込み、やがて意を決したような真剣な表情になって、あなたのことが怖いの、と驚くような言葉を口にしたのだった。 そのあとで、ごめんなさい。きっと一時的なものだと思う。いずれそんなふうに思わなくなるだろうから、それまで待って欲しいの、とつけ加えたのだった。 タケヒコとミオとの関係は、あの晩終わったのだ。タケヒコはそのことを知りながら、彼女への執着やナオヘの執着のゆえに結婚生活の継続を選択した。警報が鳴り響く踏切をタケヒコは目をつぶって渡ることにした。その当然の報いとして、運命という列車にユキヒコは轢き殺されてしまったのである。 ミオは、自分の身体に覆いかぶさるタケヒコのことが怖かったわけではない。それは言葉のあやというものだ。彼女は怖いのではなく、薄気味悪かったのだろう。生理的な嫌悪を感じたのだ。さすがにそのままは言えず「怖い」という言葉に置き換えたに違いない。 セックスは根源的な暴力だとタケヒコは思う。男が女に振るう一方的な暴力だ。セックスによる快楽はその暴力性を糊塗するために備わった姑息な報酬だ。セックスの目的は生殖であり、男女の愛などまやかしでしかない。女性にとってセックスは出産のための手段である。彼女たちが子供を産みたいと望むのは生理的な欲求にすぎず、それは他のさまざまな動物たちの雌が行っている本能的行動と寸分違わぬものである。 女性は人間ゆえに発達した理性を、原始的本能のために激しく傷つけられる。彼女たちにとってセックスは最大の辱めであろう。屈辱が余りに深いゆえに特殊な逃げ道を作らなくてはならなくなる。その逃げ道が「愛」と呼ばれるフィクションなのだ。 ナオが二歳になる頃からミオはタケヒコを受け入れるようになった。だが、心からタケヒコとのセックスに酔ってはいなかっただろう。彼女は快楽を取り戻したのではなく、忍耐力を獲得したのだ。だからこそ、ユキヒコを失ったとたんに再びタケヒコを拒むようになった。息子を失うという耐え難い苦痛の中で、もはや我慢しつづける意味を失ったのだ。その気持ちはタケヒコによく分かる。 私たち夫婦は別れるべき必然を踏み越えようとして躓いた。そもそも男女が、たとえ子供をもうけたとして延々何十年も一緒に暮らすこと自体が自然ではない。男は圧倒的な暴力によって女を犯す。犯される女は、たとえ相手が夫であったとして心の奥底では彼が憎いのだ。そんな加害者と被害者の立場に分かれる男女が、子供を作ったくらいで和解できるはずがない。 男と女は、本質的に相容れることのない敵同士なのである。 男女は憎み合い、斥け合うことこそが必然なのだ。 その必然を超越しようとするゆえに男女間には永遠の悲劇が生じる。 人間はとかくそうやって必然を超越しようとする。男女関係に留まらずあらゆる悲劇がそのために生まれ出てくる。 国家などはその最たる一例だろう。もともと国家というのは私たちに必要のないものだ。国家という単位は人間集団の適正規模を遥かに超えている。人間同士の殺し合いが常識の一線を越えたのは国家という統治単位が登場してからである。国家は必然ではない。それは構成員である国民個々をないがしろにしながら拡大する利己的組織でしかない。しかし、人間は必然を超越したいがために国家という無用の長物を作り上げる。より多くの者たちと連帯したいという夢想に走り、結果的により多くの人々を殺戮する集団を築き上げてしまうのだ。 経済活動も同様だろう。私たちは、いま自分たちが手にしているさまざまな道具や手段、制度やシステムについて虚心坦懐にその必要性を検討しなおしてみるべきだ。誰もがより豊かになろうとする世界は、誰もが安全を脅かされ、日常的に誰かの生存が危機に瀕する世界であることをそろそろ正直に認めた方いい。 いま私たちに必要なのは、物質的な「豊かさ」を求めることではなく、個人個人に見合った「豊かさの規模」を正確に把握することだ。 大量穀教兵器、豪邸、宝飾品の大部分、豪華な衣装、時計、バッグ、ホテルのロイヤルスイートルーム、大量の牛や豚の肉、動物園、外国語学校、多機能を謳うさまざまな電子機器などの存在意義についても私たちは一度真剣に再検討すべきだ。それら必然性の薄い生産物の生産のために、本来もっと重要な作業(たとえば最低生活ライン以下の貧困の解消など)が阻害されたり遅延させられているとすれば、そうした生産物の製造はただちに中止しなくてはならない。 世界の安寧秩序が需給バランスの調節だけで維持できるという考え方は、狂気の沙汰だ。 自家用飛行機という完全に無用なモノであっても市場では必ず買い手がつくのである。誰かが欲しているからという理由で、必要のないモノはいくらでも生産されていく。そうした無意味な生産行為によって有用な資源がどんどん浪費されているのが今日の世界の現状だ。 市場には倫理や道徳はない。人間を大量に殺したいと考えている大富豪ないしは金満国家が大量破壊兵器を入手したいと考えたとき、市場が存在すれば必ずその提供者が現れる。核物質や麻薬、臓器、女性や子供を売買する闇市場と主要都市の為替、金、先物、証券などの各種市場が本質的にまったく同じものであることを我々は忘れてはならない。 需給関係だけで成り立つ世界はまさに無駄と恐怖に支配された世界だ。 二月二十六日に連載中止を通告して以来、サカモトは出社しなくなった。二十八日のプラン会議に無断欠席したのでフジマキが連絡すると、体調が悪いので当分休ませてくれませんか、と淡々と言い、それくらい認めてもらっても罰は当たらないと思いますけど、と笑っていたという。 どうしましょうか。サカモトの奴、何か勝手に仕掛けるつもりかもしれませんよ、と報告に来たフジマキは不安げだった。 放っておくしかないだろう。彼が何をしようと最終的な責任は僕がとるから、と宥め、フジマキに四月の人事の話を初めて伝えた。 三月に入ったら早い段階で、社長から内示があるだろう。サカモトの処遇については僕が一任を取り付けている。きみが週刊に残したいならもちろんそれで構わないし、今回の件で使いづらいと思うなら、僕が月刊誌に連れて行ってもいい。どっちみち社長とオヤマダの関係を洗い直したあとでサカモトとは腹を割って話し合うつもりだ。それまでは好きにさせておくしかないだろう。 インドのネタをよそに持ち込まれたらどうしますか。 編集長への昇格を知らされ、フジマキは興奮を隠せないようだった。月刊誌の編集長がわずか二年で解任されるとは思ってもいなかっただろうから、自分が昇格するにしても来年か再来年と予想をつけていたはずだ。 そんなことをすればサカモトは自滅だが、Nやオヤマダも道連れってことだ。それほど困った事態でもないだろう。監督責任は僕にあるんだからきみの昇格にケチがつくこともない。まあ、サカモトもさすがに他社にネタを回すような真似はしないだろう。それより、社長とオヤマダとの関係を必死で探ってるんじゃないか。オヤマダが握っている秘密を見つけ出して、自分で直接社長と交渉するつもりだろう。こっちも同じことを考えているんだから、むしろサカモトには勝手にやらせておいた方が得策かもしれん。 タケヒコは心にもないことを言う。アサノとオヤマダの間に何があるかは知らないが、サカモトが妙な動きをすれば、アサノはタケヒコがやらせているものと考え、激怒するに違いない。 結局、サカモトは翌週のプラン会議にも顔を出さなかった。 ニシナ・マユカに訊ねてみると、彼女のところにも二十六日以降、サカモトからの接触は何一つないとのことだった。まあ、このまま沙汰止みになれば、それに越したことはないしね、とタケヒコが調子を合わせると、でも、ああいう人って、そう簡単に諦めたりしませんよね、と冷静だった。 マエダとサクライはサボタージュすることもなく別の取材に入っていた。フジマキが一晩付き合ってさんざん飲ませ食わせし、懐柔にこれ務めたようだ。どちらもまだ若手だったが取材力は抜きん出ていた。次期編集長として、この二人にまでそっぽを向かれては先が思いやられるということだろう。 フジマキの観察によるとマエダたちがサカモトと密かに連絡を取り合っている様子は見受けられなかったという。 サカモトは一人で一体何をしているのか。彼が他社にネタを持ち込むような男なら、それはそれで構わない。そうではなく、何としても自分の手でスクープをものにしたいと考えているから厄介なのである。組織や人間関係というものは内部から引っ掻き回されると想像以上に脆い。下手をすると取り返しのつかないダメージを蒙ってしまう。サカモトの存在はたしかに不気味だった。獅子身中の虫となる可能性も十分にある。 三月九日日曜日。 正午過ぎから行われた名古屋国際女子マラソンで、本命の高橋尚子がまさかの惨敗を喫し、北京オリンピックヘの出場の目が完全に消えてしまった。 高橋選手が優勝して二大会ぶりの五輪出場を決めた場合は、彼女との単独インタビューを今夜、名古屋市内のホテルで行う予定になっていた。高橋選手と特に懇意のジャーナリストが持ち込んで来た話だけに、テレビなど他メディアでは報ずることのできない秘話をたっぷり聞かせてもらえるはずだった。今週の左トップはそのインタビューでいこうと決めていた。 テレビやインターネットで日々流される膨大な無料情報の前で雑誌メディアの苦戦が喧伝されているが、タケヒコにすればそれは凡庸で一面的な論評に過ぎない。雑誌メディアはむかしから常に主流メディアの脅威にさらされつづけてきた。かつての新聞、ラジオがいまやテレビやネットに取って代わられただけのことだ。 巨大メディアのように不特定多数に対して情報発信を行う場合、どうしても網羅的にならざるを得ない。一つの事象に対して割ける誌面の量、放送時間などが甚だしく制限されてしまう。 雑誌のつけいる隙はまさにそこにある。雑誌編集者にはこの世界の全部を伝える義務などない。自分たちの興味関心をひくものだけに的を絞ればいい。ある特殊な一つの現象の中にこそ世界のすべてが映り込み、凝縮している。大切なのは報道の広さや量ではなく、その深さと徹底ぶりなのである。 ジャーナリズムにとって何よりも重要なのはスキャンダリズム、暴露主義である。この暴露主義には実は二種類ある。一つは人間が隠していること、隠さざるを得ないこと、隠したいことをすっぱ抜く「事実の暴露主義」。そしてもう一つは、人間の隠そうと思う気持ち、隠さざるを得ないと思う気持ち、隠したいと思う気持ちを炙り出す「心の暴露主義」。雑誌の暴露主義の重点はむろん後者の方にある。 私たちが本当に知りたいのは、事の善悪を判断する材料としての事実の暴露ではない。善悪を超えて様々な事象を生み出す当の人間たちの心の内奥なのだ。 その点で、テレビやネットは本来、雑誌メディアの競争相手でも何でもないのである。 手垢のついたように見える高橋尚子へのインタビューでも、内容次第ではまだ十二分に読者の興味を惹きつけることができる。しかし、肝心の高橋選手が負けてしまってはどうにもならない。むろん、レース前から不安説は出ていたが、タケヒコはこの肝心要の大会で彼女は復活するだろうと信じていた。左トップの記事が消えてしまったのも痛かったが、滅多に間違うことのない自分の読みが見事に外れてしまったことの方がショックだった。 サカモトの件もあるので、ふだん以上に嫌な感じがした。 午後四時から特集班のデスクを集めて急遽会議を開いた。左目次をどう変えるか相談することにしたのだ。フジマキヘのバトンタッチまで一カ月を切っていた。先週の火曜日、フジマキは社長に呼ばれ内示を受けている。今月はできるだけフジマキ主導の目次作りをするつもりだった。 三十分ほど議論が進んだところで、ポケットの携帯が鳴った。 表示された先方の携帯番号に心当たりはなかったが、出てみると、フジサキ・リコだった。 タケヒコは、申し訳ありません。いま会議中なんで五分か十分したらこちらから掛け直します。それだけ告げてそそくさと携帯を切った。 そのあと十五分ほどで会議を切り上げ、会議室に一人になったところで、さっそく先ほどの番号に折り返し掛ける。 フジサキ・リコは、その日雑誌の表紙の写真撮影が無事終わり、その礼を言うために電話をしてきたのだった。 それは良かった。本当はゴールデンウィークの合併号の方がいいのかなと迷ったんですが、だいぶ先の話なんで、スピードを優先しました、とタケヒコは言った。 そんなとんでもない。私クラスのモデルが『週刊時代』のカバーガールにしてもらえるだけでも奇跡みたいな話です。 そんなこと全然ないですよ。フジサキさんはこれからもっともっとメジャーになれる人だと思います。グラビアも好評だったし、ショウダさんの眼力に狂いはないと僕は感心してるんです。 今回は、本当にありがとうございました。とにかくカワバタさんに御礼を言いたくて電話したんです。 そうですか。大したことはできないかもしれないけど、僕の力の及ぶ範囲内で今後とも精一杯応援していくつもりですから、どうぞよろしくお願いします。 他人行儀なやり取りを交わしながら、タケヒコは一カ月前に抱いたフジサキ・リコの美しい身体を思い出していた。 テレビの仕事の件もキー局の幹部にすでに話は通してあった。近々、人気バラエティの準レギュラーヘの起用が正式に決まるだろう。注目度の高いゴールデンの番組だ。たった一度、タケヒコとセックスしただけでそれほどの収穫があるとはリコには信じがたい成り行きに違いない。 タケヒコのような仕事では情報源との「貸し借り」は最も有効な関係継続の手段なのだった。してやるばかりで駄目だし、されるばかりでも駄目で、したり・されたりを延々繰り返しながら共に組織内での階段を上っていくのだ。リコのことを頼んだ編成局の幹部とはもう十年越しの付き合いだった。今回の件はタケヒコにとっては「借り」であり、彼にとっては「貸し」だ。いずれタケヒコはこの借りを倍にして返さねばならないが、それがどんなときどのような形になるかはむろん分からない。それでも、そうやって借りを返すまでは彼との関係は終わらない。その関係の維持こそが「貸し借り」自体よりずっと大切なのである。メディアの世界で仕事をしていると人脈の広がりだけは他業種を圧倒するものがある。情報は人であり人は情報である。人と人、情報と情報を結びつけるコツさえ掴んでしまえば、正直なところ少々の借りはあっという間に倍、三倍にして返済できるようになる。 一年ほど前はタケヒコが彼に大きな貸しを作った。彼の会社の政治部の若手記者が野党の代議士と組んで与党幹部のスキャンダルを国会で追及したのだが、その記者が議員に渡した醜聞情報いうのがとんでもないガセネタだった。当の記者はネタ元から一杯食わされているとも知らずに自局のニュース番組で大々的にキャンペーンを展開しようとしていたのだが、タケヒコはいち早くガセであることを聞きつけ、すぐに通報してやった。仰天した彼は慌てて事態収拾に走り、夕方のニュースで一度扱っただけで以降の続報は中止することができた。この一件で彼は苦手の報道局にも睨みをきかせることができるようになり、また上層部からの信任もさらに厚くすることができたのだ。 リコのことを頼んだとき、二つ返事で引き受けてくれたのは当然といえば当然のことであった。 わざわざ電話いただきありがとうございました。じゃあ、これからも頑張って下さいね。 そう言ってタケヒコが電話を切ろうとすると、カワバタさん、今夜空いてますか、とリコがいきなり訊いてきたのだった。 もしよかったら御礼に晩御飯でもご馳走させてもらえないかなと思って、とリコは言った。 タケヒコは、それじゃあ、あべこべですよ、と笑った。 どうしてですか、とリコは真面目な声で問い返してくる。 だってそうでしょう。撮影で世話になったのはこっちだし、それにそもそも僕はフジサキさんから与えて貰ったものの見返りとして今回の仕事を約束したんですよ。御礼なんてしてもらえる筋合いではないし、フジサキさんは僕に感謝する必要なんてこれっぽっちないんですよ。あのときも申し上げたかもしれないけど、いまの業界でもっと稼げるようになるために、もっと有名になるためにフジサキさんは僕を利用すればいい。気を遣うことなんてないんです。僕はさっき、これからも自分の力の及ぶ範囲内で応援すると言いましたよね。そう言った以上、できるだけのことはやらせてもらうつもりです。フジサキさんは、もう僕みたいな下らない男の顔なんて二度と見る必要はない。そうじゃありませんか。 リコはすこしのあいだ黙っていた。そして、そんな面倒くさいこと言わなくてもいいじゃない、と砕けた口調で言った。 事務所やショウダさんに言われてカワバタさんに連絡したんじゃないし、素直に御礼が言いたかったし、一緒に御飯を食べたかったから誘っただけ。下心もないし、まんざら知らない仲でもないんだし、御飯くらい食べてくれても罰は当たらないんじゃないの。 罰が当たるかどうか知らないけど、この前、僕のやったことはろくなもんじゃない。きみだってうんざりしてたじゃないか。 カワバタさん、ガンなんでしょ。この前、カワバタさんの手記を読んで知ったの。だから私、あの日のことは許してあげることにしたの。のこのこ出掛けていった私もアホだったわけだし。 ガンで余命いくばくもなくて、僕がやけっぱちになってると思ってるわけ。 そうじゃないけど、やっぱりむしゃくしゃしてるのかなって。うちもおとうちゃんが肝臓のガンでずっとたいへんだから、とリコはあっさりと言う。 お父ちゃんは大酒飲みだから自業自得といえば自業自得。二年前に見つかって、いまも働きながら治療受けてるけど、さすがにお酒はほとんど飲まなくなったみたい。 肝臓ガンなら幾らでも治療法はある。いい医者も知ってるからいつでも紹介するよ。 リコは小さな間を置いてから、ねえ、江戸川橋に日曜日でもやってる美味しいおでん屋さんがあるの。行きましょうよ、と言った。 結局、タケヒコは、午後八時、そのおでん屋でリコに会うことにした。 場所は、あとで携帯のショートメールで知らせると言うと、リコは電話を切った。
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