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白石一文『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』(講談社)
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あらすじ V
 ティーエスワンの休薬期間に入って今日で二日目だった。
 高橋選手の思わぬ惨敗のこともあって、タケヒコは思ってもみなかったほど落胆していることに驚き、これはいつもの休薬期間中の鬱に違いないと気づいて会議の前にデパスを二錠飲んだが、大して効果が出なかった。
 それがリコの電話を切った途端、ちょっと不思議なくらいに気持ちが晴れたのだ。
 夕方に近づけば症状が軽減するという鬱特有の性質もあるだろう。だが、デパスを三錠飲んでも元に戻らなかった気持ちが急激に持ち上がったのは、やはりリコのおかげとしか思えなかった。
 古いしもたや風の店舗の前で腕時計を見ると、針はちょうど八時を指していた。
 地下鉄有楽町線「江戸川橋」の駅から神楽坂方向に歩いて五分ほど。小さな町工場や商店、民家、マンションなどが立て込んだ雑然とした一角であった。
 灯のともった看板には「三郎」とある。
 <大将が函館出身で、北島三郎にあやかって付けた名前だそうです。おでんだけじゃなく北海道の美味しいものがいっぱいあるからお楽しみに。今夜は絶対、私のおごりですよ!>
 リコのショートメールにはそう記されていた。
 引き戸を引いて店内に入ると正面にカウンター、その手前にテーブル席が五つほど並んでいた。どうやらカウンターのさらに左奥に座敷があるようだ。長い暖簾が下がっているので仔細は分からないが、小さな宴会でも張っているのかガヤガヤと人の声が響いていた。
 カウンターに四人、テーブル席は三つ埋まっている。入り口寄りの左のテーブルにフジサキ・リコが腰掛けていた。
 前回同様、リコはジーンズにトレーナーという気を遣わない服装だった。顔もほとんどすっぴんだったが、一カ月ぶりに再会して、その顔立ちの美しさに目をひきつけられる。仕事柄、たくさんの女優やモデル、アイドルたちを間近で見てきたが、すっぴんでこれだけきれいな顔は案外稀だろう。
 お久し振りです、とリコはわざわざ立ち上がって頭を下げた。といっても目の前のテーブルにはビールの大ジョッキと枝豆の小鉢が並んでいた。ビールの方は半分ほどに減っている。
 タケヒコは熱燗を一合注文した。訊いてみると富山の「勝駒」があるというのでそれにする。
 勝駒は美味しい酒だから、フジサキさんも是非あとで飲んでみるといいよ、と言うと、はい、とリコは笑顔で頷いた。
 だけど、カワバタさん、胃ガンなんでしょう。お酒はあんまり良くないんじゃないですか。
 さきほどの電話同様、遠慮なく病気のことに触れてくる。
 二年前に手術してからは節制してるよ。でも酒は血流を活発にしてくれるから飲みすぎなければむしろいいんだ。医者もそう言ってるよ。
 そうなんだ。
 もちろん、お父上のような肝臓ガンの人は、絶対禁酒だと思うけどね。
 熱爛が届き、リコがお猪口に酒を注いでくれる。ジョッキと猪口でまずは乾杯した。
 勝駒のすっきりとした呑口はやはり絶品だ。
 フジサキさんは北海道だし、お酒は強いの。
 私はそうでもないですね。というよりおとうちゃんが酒乱気味だったから、飲めても飲みたくないって感じかな。
 五分ほどすると、卓上コンロとステンレス製の角型おでん鍋が運ばれてきた。コンロに火をつけ鍋を載せてくれる。木の蓋を大将が取ってくれると、さまざまなおでんダネがぎっしりと詰まっていた。
 煮立ってきたら火は一度止めてください、そう言って大将は離れていった。
 うまそうだね、とタケヒコは言う。
 でしょう。ここはとにかくこのおでんを食べないとね。本当においしいわよ。
 リコは湯気の向こうでにこにこしていた。
 何だか、きみは色気より食い気のタイプだな。
 そうなのよ。だから伸び悩んでるのよね、私。事務所でももっと仕事に欲を出せって言われてばっかり。うんざりしちゃう。
 鍋に箸を持っていって、リコがカワバタさん、何がいいですか、と言う。
 野菜を頼むよ。練物は控えてるんだ。胃袋が三分の一しかないから。
 だったら、まずこのじゃがいもを食べてください。十勝産のレッドアンデスっていう銘柄で、こうやって煮込んだら抜群においしいんだから。
 リコは丸ごと一個のじゃがいもを器用によそうとたっぷりつゆをかけて差し出してきた。
 レッドアンデスとはすごい名前だね。
 もともとアンデス地方が原産で、見かけもさつまいもみたいに赤いの。中もよく見ると赤味がさしてるでしょう。
 箸で割ると赤というよりは黄味が強い。口に放り込むと甘みが広がった。
 たしかにさつまいもみたいだ。甘いね。
 でしょう。このレッドアンデスは焼いたりコロッケにしても最高だよ。
 しかし、詳しいんだね。
 そりゃそうですよ。うちのおとうちゃん、十勝でこのじゃがいも作ってるんだから。
 リコが十勝の出身だということは前に会った時にも聞いていた。
 じやあ、この芋だってもしかしたらフジサキ農園で穫れたものかもしれないってことだ。
 どうして知ってるの。うちの畑がフジサキ農園って名前だってこと、とリコが言った。
 タケヒコは思わず笑った。
 そんなの誰だって分かるだろう。きみの苗字がフジサキで、お父さんが北海道でお百姓してるんならフジサキ農場かフジサキ農園しかないだろう。
 そっか。
 リコはちょっと照れくさそうにして残っていたビールを飲み干した。
 十時を回ったところでお開きにした。タケヒコは一合の酒だけでウ一口ン茶に切り替えたが、リコは勧めた「勝駒」が気に入ったのか三合ほど飲んで、見た目にもすこし酔っ払っていた。
 酔うほどに餞舌になり、笑顔が消えなくなる。一緒にいて心地良い飲みっぷりだ。こんなにリラックスできた時間は何カ月ぶりだろうと店を出るときにタケヒコは思う。ジュンナと会っているときも安らぎはあるが、それ以上だった。やはり二十歳近く違う年齢差が大きな安心に繋がっているのかもしれない。
 おでん屋を出て百メートルも歩いただろうか。とあるマンションの玄関前で不意にリコが立ち止まった。てっきり一緒に江戸川橋の駅に向かっているのだろうと思っていたのでタケヒコはびっくりした。
 まだ早いし、うちでお茶でも飲んでいきますか。
 フジサキさん、ここに住んでいるの。
 はい。
 リコがしてやったりの表情になっている。
 白いタイル張りの十階建てくらいの細長いマンションだった。まだ新しそうだ。
 ちょっと寄って行ってください。コーヒーくらい淹れますから。
 躊躇いはあったが、部屋に上がるくらい構わないだろうと思い直した。玄関を入るとなかなか豪華なマンションだった。壁面は真っ白な大理石で覆われ、壁全体が発光しているかのようだ。エレベーターホールも同様だが、ライトがブルーに変わってまるで水族館にでも来た感じだ。
 エレベーターも二基あり、その左のボタンをリコが押す。
 「お父さん、ダメだよ。その人、嘘ついてる」
 という声が耳元に聴こえたのは、リコと一緒にエレベーターに乗り込んですぐのことだ。
 子供の頃の方がずっと寒かったなあ。
 リコは遠くを見るような目になって呟く。
 明るい照明の下で見るとずいぶん赤らんでいた頬も、一緒にコーヒーを飲んでいるうちに急速に元通りになっていった。肌理の細かい肌はしっとりと濡れたような光沢を放っていた。女性は若さと美しさを融合させた一時期、とてつもない魅力を所有する。二十四歳のリコにとっていまはそういう季節なのだろう。
 リコの部屋はワンルームだった。といっても二十畳ほどの広さがあり、壁の両サイドに窓が大きく切られていて、十二階建ての十二階とあって夜景が美しい。
 キッチンカウンターに垂直に据えられた細長い硝子テーブルの両側に座って、僕たちはリコの淹れてくれたコーヒーを飲んでいる。
 さきほどから耳のそばでユキヒコが「お父さん、早く帰って。この女の人は悪い人だよ」と繰り返し囁いていた。
 心の中でそんなユキヒコを宥めにかかる。
 悪い人でもいいじゃないか。お父さんだってろくなもんじゃないんだ。お父さんは、人間をいい人か悪い人かで判断するのにもう飽き飽きしているんだよ。
 ユキヒコは何も答えない。しばらくするとまた「お父さん、早くここから出て」と言ってくるのだった。
 コーヒーを飲み終わってカップを下げると、リコは何も言わずに部屋を出て行った。時刻はまだ十時半を回ったところだ。リコといると時間の経つのが遅いような気がした。
 しばらくすると廊下と部屋とを繋ぐ扉の向こうから水音が聴こえてきた。
 洗濯でも始めたのだろうかと思ったが、音の性質からして違うようだった。
 さらに五分ほどすると、
 カワバタさーん、と名前を呼ぶ声が響いてきた。
 立ち上がってドアを開ける。声は玄関脇の洗面所の方から聞こえていた。
 タケヒコは洗面所のドアを開けた。左手に洗面台があり、そのスペースが脱衣所と洗濯機置き場を兼ねていた。案外広い空間のつきあたりが浴室になっていて、リコが浴室の扉を半分開けて濡れそぼった裸身をさらしていた。いつの間にか水音は絶えていた。
 カワバタさーん。
 彼女の瞳がタケヒコの目を見据える。
 この前のお返しさせてもらっていいですか、と唐突にリコが言った。
 お返し?
 お返しというよりは仕返しかな。
 子供が悪戯をするときのような光が瞳に灯っている。
 だから、カワバタさんも早く脱いで。ここのお風呂場、とっても広いんですよ。
 扉を全開放して、彼女は見事な身体を惜しげもなくさらす。
 タケヒコがシャツのボタンに手をかけると、浴室から一歩踏み出してきたリコの濡れた手が伸びてくる。たわわで真っ白な乳房が眼前で揺れている。
 この前は気持ちよかったですか。
 指先に視線を集中しながらリコが訊いてくる。髪はまだ洗っていないようだ。
 ああ。
 私は気持ちよくなかったよ。
 ボタンを外したシャツを剥ぎ取り、タケヒコの背後にまわると睨むような目つきになった。
 今日は、私を気持ちよくさせてね。
 そう言うと、今度はズボンのベルトに手をかけ、下も脱がした。
 浴室は大人二人が入っても十分に余裕のある広さだった。
 リコはしゃがむとタケヒコの下腹部を丁寧に洗ってくれる。みぞおちから臍上にかけての手術痕をまじまじと見つめ、石鹸をつけた指でなぞる。
 しゃがんだままタケヒコを見上げて、痛かった?と訊いてきた。
 そうでもなかった。術後三日目にはもう病院の廊下を歩いてたよ。
 リコは、そうなんだという顔をしてからタケヒコの柔らかなペニスを掴んでもう一度念入りに洗ってくれた。
 浴室には暖房装置があってちっとも寒くない。貯め始めたお湯はあっという間に浴槽を満たし、その立ち昇る湯気が心地よかった。
 そうだ。私にも小さいけどカワバタさんと同じような傷があるよ。
 タケヒコのものを洗い終わると、彼女は自分の股間も軽くすすいで立ち上がった。
 タケヒコの方に背中を向け、形のいい尻を突き出してくる。右の背部の中心よりやや左、肛門のすぐ横を人差し指で指し示した。
 ほら、見てみて、と言う。
 今度はタケヒコがしゃがんですべすべの尻の山に顔を近づける。なるほど小さな傷があった。肉が盛り上がり、ちょっと大きめの種痘痕みたいだ。前回、背後からリコを犯したときはちっとも気づかなかった。
 小さいとき畑でお姉ちゃんたちとふざけてて、畑の隅に寝かせてあったレーキの歯に尻餅をついちゃったの。ものすごい血が出てたいへんだったんだって。
 レーキって?
 ほら、大きな熊手みたいなやつ。畝を耕したり野菜の葉や茎を集めたりするの。
 ああ、あれか。
 タケヒコは何となく分かった気がした。
 そのまま鼻面をリコの白い尻にくっつける。美しい尻と小さくすぼまった肛門を間近にしているうちにすっかり欲情してしまっていた。
 ダメ。
 リコが尻を振ってタケヒコから離れた。
 嘲笑するかのような笑みでタケヒコを見下ろすと、浴槽のへりにゆっくりと腰を下ろした。
 今夜はカワバタさんが私の奴隷。
 足を大きく開きながらリコが言う。
 ちゃんと気持ちよくさせて。
 その命令口調に誘われてタケヒコは犬のようによつんばいでリコの股間に顔を寄せる。彼女の中心に唇が触れた瞬間、後頭部の髪の毛を両手でぐいと掴まれ、引きつけられた。顔全体が股間に埋まる。
 タケヒコのペニスはすでに目いっぱい怒張し、意識には霞がかかったようだ。これほど強烈な性欲を感覚したのは久し振りだった。
 舌を硬く尖らせてリコの敏感な部分を激しく責める。そこから溢れ出るものを音立ててすする。額や鼻の頭から一気に汗が噴き出してくるのが分かった。目を閉じて流れ落ちる汗をやり過ごすと、突き出した舌の上に滴ってリコの体液と混ざり、独特の味わいになる。その味がさらにタケヒコの股間を刺戟した。
 リコは次第次第に喘ぎ声を高く大きくし、声自体を詰まらせ詰まらせしだした。そうやすやすと感じてやるもんか、という彼女の意志が舌で奉仕をつづけるタケヒコの意識に直接響いてくる。粘膜と粘膜とによって交わす、それは男女の玄妙な会話だ。
 息継ぎを繰り返しながら、タケヒコは執拗にリコの中心を舐め、しゃぶり、噛み、吸った。
 リコの声が浴室全体に響き渡る。
 いっちゃう。
 口にするたびにタケヒコの髪をものすごい力で引っ張った。
 ダメ、いっちゃう。
 股間でタケヒコの頭を強烈に挟み込んだ。
 目も耳も鼻もリコの粘膜や肉にふさがれ、首から上の自由も奪われて、タケヒコはただ口唇とペニスだけのフロイト的人間になったかのようだ。懸命に唇や舌をつかいながら、光も音も匂いもない静かな世界に自分がいるような気がする。ちょうど泳いでいるときのような、まるで潜水艇にでも乗って深い海の底へと下降していっているような、そういう浮遊感を伴った非現実的な感覚に全身が包まれていた。
 頂点に達した瞬間、リコの大腿が跳ね上がり、腰部が浮き上がって背後の浴槽に落ち込みそうになる。タケヒコが両腕で食い止めると、下腹部から足先、細い肩や腕がわななくように痙攣した。
 それでもタケヒコはリコの中心に貼り付けた顔を離さない。一心に舌や鼻をつかう。
 するとまたリコは鳴咽のような声を発し始める。
 何度も何度もそうやって彼女は頂を極めつづけるのだ。
 どれくらいの時間が経過したのか。次第にリコの下肢からの反応が弱まってきた。大腿やふくらはぎの筋肉にだいぶ乳酸が蓄積されてきたのだろう。ただ、性感はまだまだ衰えてはいない。女性の性はマラソンランナーのように持久性に優れている。男のような短期集中型とはまったく異なる。
 あーん。おしっこ出ちゃいそう。
 不意に幼児のような声でリコが言った。
 ねえ、飲んで。私のおしっこ飲んで。
 タケヒコは半ば朦朧とした意識のままに激しく頭を縦に揺すった。
 尿道口のあたりに半開きの口をあてがう。
 ジュワッという最初の音。と勢いよく口の中に生温かな液体が飛び込んでくる。酸っばい匂いと苦味。リコの尿を受け止めながら鼻面で彼女の中心をつつく。
 あー、いく。またいっちゃうよー。
 リコが泣きそうな声を出し、すごい、すごい、と引き絞るような叫びを上げる。
 直後、すさまじい痙攣がリコの全身を襲った。
 タケヒコはばたつく彼女を立ち上がって抱きかかえる。浴槽の床に仰向けに横たえ、間髪入れず、彼女の両腱を抱えて爆発寸前の一物を中心に挿し込んだ。カチカチの亀頭が入り口のあたりで跳ね返されそうになるほど内部はきつく締まっている。強引にねじ込むと、ぐいぐいと締め付けてくる。
 脳味噌が焼き切れそうなほどの快感にタケヒコは息を詰まらせた。
 遮二無二腰を振り立てていると、死んだ魚のようだったリコが再び生気を取り戻し、あんあんとかわいらしい声で鳴きはじめる。
 中に出していいよ、と目をつぶったまま言う。
 安全日だから心配いらないよ。中に出して。
 自分は奴隷なのだ、と思う。彼女の命令のままに奉仕する奴隷なのだ。
 そのときタケヒコの快感はついに頂点に到達した。
 
 デスク会議が終わって席に戻ると、しばらくしてマエダとサクライが揃ってやって来た。彼らが一緒ということは大方サカモトのことだろうと察しはついた。
 サカモトは今日のプラン会議にも出てこなかった。これで三週連続だ。欠勤がちょうど半月となり、局長のイシガキはさきほども「このままだと処分するしかなくなるぞ」とわざわざ電話を寄越してきた。タケヒコとしては来月一日の人事異動までは大目に見てやるつもりだ。フジマキと相談し、サカモトを月刊誌に連れて行くことで人事部との話もすでにつけてある。
 部員たちへの内示は異動一週間前の三月二十五日と決まっていた。この日までにはサカモトを呼んで突っ込んだ話をするつもりだが、まだ二週間近く余裕がある。彼の方から何か仕掛けてくるなら、それを待ち受けるしかないと腹は括っていた。
 二人を伴って会議室に移動した。
 テーブルを挟んで向かい合って座る。タケヒコから見て左にマエダ、右にサクライだ。
 話というのは、コマイの件だった。
 コマイさんがいつの間にか僕たち取材班の一員ということになっているのは、一体どういうことでしょうか。
 最初に口火を切ったのはサクライの方だった。
 意外な名前が飛び出して、一瞬面食らった。
 その話、誰から聞いた。
 タケヒコはすこし間を置いてから逆に問い返した。中身については否定も肯定もしないが、隠し立てするつもりはない。
 訊くと、経理のアライから聞いて、コマイにも確認したという。
 サクライたちが一昨日同期会を開いて、取材の裏話を少しばかり喋ったりしていたら、酔っ払った経理のアライが、だけどあれだけ取材費を注ぎ込めばどんなスクープだって取れるだろうって言い出して、それで逆にこっちから訊き返してみたら、コマイさんがこの取材で一千万以上も遣ったっていう話が飛び出した、という。
 タケヒコはマエダの顔とサクライの顔を交互に見据える。
 で、サクライはアライに何って言ったんだ。まさか、コマイは取材班のメンバーじゃないなんて言わなかったろうな。
 そんなことは言ってません。もしかしたらフジマキさんやサカモトさんの特命でコマイさんが別ルートを洗っていたのかもしれないし。サカモトさんに電話して確かめようと思ったんですが、幾ら電話しても出ないし。それで昨日、マエダさんと僕とでコマイさんに直接確認したんです。
 歳若いサクライはもはや弁明口調だ。
 で、コマイは何と言ったんだ、と訊くと、自分からは何も言えない。詳しくはカワバタさんに聞いてくれって言われました、とサクライは言った。
 サクライの同期のアライは案外、ゴンドウやクサナギの手下なのかもしれない。同期会にかこつけてコマイの使った一千万円の内訳をサクライに確認したかったのではないか。取材費とはいえ幾らなんでも額が大きすぎると考えるのは経理マンとしてこれまた当然の感覚だろう。イシガキと六月の役員レースを争うゴンドウにすればどんなことでもいいからイシガキやタケヒコにボロを出させたいに違いない。
 きみたちの疑問はもっともだ。タケヒコは一分ほどの沈黙を挟んでからおもむろに言った。
 コマイは今回の取材には一切タッチしていない。彼が使った一千万円は、一部は離婚した妻と子供への仕送り資金になり、一部は行きつけのチャイナバーのホステスとの遊興費にあてられた。要するに単なる遣い込みということだ。ただ、それでは精算できないから苦肉の策として、彼を特別取材班の一員ということにした。その取材費の名目で精算書をこしらえて何とか穴を埋めたわけだ。
 マエダもサクライも唖然とした顔つきになっていた。
 どうしてそこまでするのかときみたちは疑問に思うだろうが、こちらとしては編集部のそんな不祥事が表沙汰になるのは時期的に極めてまずいんだ。というのも一番はイシガキさんの六月の役員就任に甚だしく響くということ。加えて四月から月刊誌を任される予定の俺の人事にも影響があり得ること。そしてそうなるとフジマキの昇格人事も難しくなってくるということだ。よって、イシガキさんと俺は何とかしてこの不祥事を揉み消すしかなかった。もちろんフジマキもこの件は承知してくれているよ。
 そして、断っておくが、この件と今回の連載中止との間には何一つ関係はない。そこは二人とも誤解しないでくれ、とタケヒコはつけ加えた。
 マエダもサクライも何と言えばいいのか分からない感じだった。
 だから、きみたちもこの件は決して口外しないでほしい。コマイが取材班の人間ではなかったと経理に知れれば、コマイだけでなく俺やフジマキ、イシガキさんもただじゃすまなくなる。露見すれば立派な背任横領だからな。
 しばらくの沈黙が流れた。目の前の二人はすんなり納得した表情ではなかった。
 コマイさんはどうなるんですか、と俯き加減の顔を上げて、マエダが言ってくる。
 むろん、彼には時期を見て編集部から出て行ってもらう。ただ、いますぐというわけにもいかないだろう。何しろ彼は名目上はきみたち同様、今回のスクープをものにした取材班の一員だからね。そんな人間を急に辞めさせれば却って怪しまれる。それでなくても経理担当のゴンドウ局長はイシガキさんと役員レースを争っているライバルだからな。
 マエダもサクライも絶句した。
 編集部から追放されるにしても、一千万円も使い込みをしておいてなんの処分も受けないとは、いくらなんでも納得できないという彼らの心情はタケヒコにも分かる。
 頭ごなしに目をつぶれとは言わない。口外するなとさっきは言ったが、どうしても見過ごせないと思うなら、告発してもいいし、社内中に言い触らしても構わない。ただそんなことになったら、俺もフジマキもイシガキさんもアウトつてことは知っておいてくれ。あとはきみたちの判断に任せる。
 タケヒコはそう言って、二人の様子をじっくり観察した。マエダもサクライもタケヒコにここまで言われて何かできる男たちではない。彼らはサカモトとは違う。
 この世界、真面目にコツコツ働く人間もいれば、浅い落とし穴に足を取られた途端、バランスを崩してその何十倍もの深さの谷底に転げ落ちる人間もいる。誰が谷底に転落するかは神さえも知らぬというのが実状であろう。
 他に何か訊いておきたいことはあるか。
 マエダとサクライはお互い顔を見合わせている。
 どうせ二十五日には発表になるから、その前にお前たちには言っておくが、二人とも週刊に残留だ。マエダはもう丸三年だし、俺は月刊に連れて行きたかったんだが、フジマキがどうしても残してくれと言うんで諦めた。そのかわり、サカモトを連れて行く。今回のこともあって俺の信用も地の底だろうが、あいつを月刊でデスクに起用しようと思っている。サカモトとはもう少ししたら差しで話すつもりだ。それまではコマイの件は絶対に彼に言わないでくれ。いまあいつがこんなことを知ったら、ますます俺やイシガキさんに不信感を募らせて、一体何をするか分からんからな。
 二人とも頷くでもなく黙って聞いている。マエダが小さく一つ咳払いをくれて、じゃあ、やっぱりインドのネタはこのままお蔵入りってことですか、と訊ねてきた。インド案件についてマエダは相当突っ込んだ取材を行ってきたので、悔しさは人一倍だろう。
 タケヒコはテーブルの上で掌を組み、しつかりとマエダを見た。
 社長が強力に反対しているのが現状だ。いまのアサノ体制のままだと連載再開は相当難しいだろう。ただ、それも六月人事までかもしらん。アサノさんの続投が規定路線のように言われているが、人事だけは蓋を開けてみないと何が起こるか分からない。どちらにせよ俺とサカモトは四月から月刊に移る。インドの記事をやるとしたら月刊の方がいいような気がしているんだ。そのときはフジマキやきみたちにも当然協力してもらうつもりだから、よろしく頼む。
 タケヒコは思わせぶりなことを口にした。マエダの顔を見ていると何とかものにしてやりたいという気持ちにもなる。サカモト相手ではこの程度の生ぬるい話では効果もないだろうが、目の前の二人は多少ほだされもするだろう。
 他に何か訊きたいことは。サクライは何かあるか。
 目を向けると小さく首を振った。この男は思った以上に小心のようだ。
 じゃあ、このへんでお開きにしよう。
 タケヒコは立ち上がった。ニ人ともつられて立ち上がると、同時にぺこりと頭を下げてきた。
 会議室を出たあとタケヒコは自席には戻らず、外に出た。広い前庭の駐車場を歩いて社の正門を抜けると右に曲がる。赤坂方面に向かいながらポケットの携帯を取り出した。
 フジサキ・リコの番号を出して呼び出しボタンを押す。
 それにしても何もかもが次第に面倒臭くなってきていた。いまさらコマイやイシガキと話をするのも億劫だった。連載休止以降、イシガキとはすっかり疎遠になっている。
 マエダたちと話しているうちに、タケヒコはふっとミリセカンドの変化を感じたのだった。微妙に流れが変わり、タケヒコにとって不利な状況が生まれつつある気がした。
 その流れを元に戻したくて、こうしてリコに電話している。呼び出し音が鳴っている。
 なかなか録音メッセージに切り替わらない。一度切って、もう一度ダイヤルした。
 十数回呼び出し音を聴いて、タケヒコは電話を切った。

 タケダというライターが書いた「マック難民のオグラに関するレポート」の原稿について、フジマキが、ちょっと問題があるんじゃないか、と言ってきたので、タケヒコはあらためてその部分を読み返してみた。
 「マック難民」となったオグラに、タケダが、今君は世の中をどうみているのか、と訊く。するとオグラは、法外な所得を得ている芸能人やスポーツ選手などの高額所得者に対して、辛辣な考えを述べる。

 僕はね、芸能人にしたってスポーツ選手にしたって音楽家や作家にしたって、あいつらは結局カネのために働いているだけだと確信しています。もちろん大企業の幹部や政治家はそれ以下ですけど。人々に夢を与えるとか、娯楽を提供するとか、物の見方や考え方を教えるとか、この社会や国家をよきものにするとか、そういうお題目はすべて嘘っぱちですよ。あいつらの頭の中にあるのは金儲けと賛沢だけです。これ本当です。
 そうでなきゃ、大豪邸に住んだり、外車を何台もガレージに並べてみたり、海外に別荘持ったりなんてことしないでしょう。人々に夢や希望、喜びや美、哲学や思想を本気で与えようと思っている人間だったら、決してそんな馬鹿げた賛沢なんてしませんよ。
 食うに困らない、寝るに困らない、仕事を続けていくのに困らない程度の生活を確保したら、あとのカネは全部、僕みたいな貧困生活者に分け与えればいいんですから。あいつらはね、大衆に夢なんて与えちゃいない。希望なんて与えちゃいない。その正反対なんですよ。あいつらこそが大衆から夢や希望を吸い上げてるんです。大衆の叶わぬ夢をね、生まれながらの天分九割とたった一割の努力でお手軽に形にしてみせて、その他愛もない芸で大衆からたんまり木戸銭を毟り取ってるんです。
 ちょっと考えてみればね、イチローのやってることなんて馬鹿みたいでしょ。野球選手は人類の進歩に貢献するようなことは何一つしちゃいませんからね。芸能人にしたって歌手や小説家にしたって同じです。僕は断言しますが、彼らのやっていることは僕のような境遇に落ちた人間にとってひとかけらの慰めにもならないんです。僕のような人間以下の人間を救えなくて何が娯楽ですか、何が芸術ですか。そう思いませんか?
 逆に、こういう人間以下の人間になってみて、僕はあいつらの正体がはっきり見えるようになった。普通に暮らしていたときには嗅げなかったあの連中の醜悪な匂いを嗅ぎ分けられるようになったんです。
 テレビで馬鹿話したり、たかが野球やったり幼稚な恋歌を謳ったりするくらいで一年間に何億とか何十億のカネを受け取って、それを全部独り占めして、あいつらの心は痛まないんですかね。疾しかったり恥ずかしかったりしないんですかね。だってそうでしょう。
 世の中を見渡せば、明日の御飯どころか今日の飲み水や薬さえ満足に手に入れることができずに死んでいっている子供たちがくさるほどいるんですよ。そんなこと、本も読まなければニュースもろくに見ないあいつらにだって重々分かってる筈です。まして、政治家や作家はそうした世の中の矛盾を解決するために存在しているわけでしょう。少なくとも建前上はね。
 僕はね、いま五十万円というカネがあれば立ち直れると本気で思ってます。
 こんなネットカフェやマックを泊まり歩く生活をやめて、ワンルームでいいからユニットバス付きの部屋を借りられれば、いまからでもちゃんと立ち直れると思う。
 年収二十億の人間からすれば五十万なんて四千分の一の金額に過ぎない。年収一千万の人間にとっての二千五百円ってことです。
 だったら、どうしてあいつらはたった二千五百円ぽっちのカネを僕に恵んでくれないんですか?たった二千五百円で僕という一個の人間を救うことができるというのに。
 それって外車何台も転がしたり、防犯装置をいたるところに付けなきゃいけないような大豪邸に住んだり、帰国のたびにファーストクラスを使って、デタラメな経営を続けている航空会社に何百万も貢いだりするよりよほど人間として有意義なことなんじゃないですか?
 もちろんイチローから五十万恵んで貰ったって、僕には何の御礼もできやしない。
 でもね、僕はお返しできなくても、神様はきっとお返しをしてくれるはずですよ。
 だって人間一人の人生を救ったわけだもの。
 二千円ちょい払うだけで、神様を味方につけることができる。なぜそんな簡単な理屈があいつらには分からないんでしょう。それが僕には一番理解できないことですね。
 
 タケヒコは、別に問題ないんじゃないか、と目の前に座っているフジマキとヨシダを見ながら言った。
 後半のオグラのコメント部分もですか。
 フジマキが念押しするような口調でタケヒコを見返してきた。
 というか、このコメントが一番面白いんじゃないの。オダラの言っていることは正論だと思うけどね。タケダさんの原稿が上がるのが一カ月以上も遅れたから心配してたけど、このルポは出色の出来なんじゃないかな。
 タケヒコがそう言うと、フジマキは、しかし、このオダラの発言は余りにも一方的じゃないですか。これを読んだら名前を出された連中はクレームつけてきますよ。別にイチローがオグラを貧困生活者にしたわけじゃないですからね。オグラにこんな恨み言を言われる筋合いはまったくないでしょう。五十万円が二千五百円ぽっちという譬えも余りに陳腐じゃないですか。
 別にオグラがイチローを恐喝してるってわけでもないだろう。この記事を読んでイチローがオグラの口座に五十万円振り込むなんてことも金輪際ないだろうし、オグラだってそんなことを本気で期待しているわけじゃない。ここにも書いてあるように、ちゃんと自力で五十万貯めようと思って頑張ってるんだろ、彼は。
 タケヒコはヨシダに問いかけた。
 ヨシダは頷く。
 オダラの言ってることは別にそれほど不穏当な話でもないだろう。この程度でイチローや紳助が抗議でもしてくれば、それこそ物笑いの種だ。まさかこれが名誉毀損に当たるはずもないしね、タケヒコはフジマキに向かって言った。
 僕もカワバタさんと同じで、オグラさんの言っていることはかなり正しいんじゃないかと思ってます。年収が二十億以上もあるなんて幾らなんでも馬鹿げてますよ、とヨシダが言った。
 しかし、だからといって自分の才能や才覚で稼いだカネをビンボー人に分け与えなくちゃいけないという法律はないだろ、とフジマキが反論する。
 ただのビンボー人なら、僕もそう思いますよ。でも、この世界には一杯の粥、一粒の薬がなくて餓死や病死している子供たちがくさるほどいるわけで、彼らはただのビンボー人じゃない。人間としての基本的な生存権を脅かされてるんです。そして世界中の大金持ち連中が、そういう子供たちの存在を知りながら見殺しにしているのは事実じゃないですか。
 そんなこと言ったら、俺たちだって同罪だろ。
 フジマキがすこし声のトーンを上げた。
 同罪といえばその通りですが、しかし、一年間で二十億稼いでいる連中の不作為の罪に比べたらカワイイもんでしょう。僕から言わせれば、彼らは二億か三億を自分の手元に残して、残りの十七、八億は貧しい人や病んでいる人のために、どんな形でもいいから寄付すべきですよ。だって、そんな何十億というカネを持っててもまともな使い道なんてないでしょう。年収二十億なんてマジで馬鹿げてる。僕は、そんなカネを平気で受け取ってる連中は頭がどうかしてると思いますね。ましてそんな連中を毎日持ち上げてヒーロー扱いしているメディアは論外ですよ。そういうメディアがいくら反権力と言っても誰も信用しやしないのは当たり前じゃないですか。
 タケヒコは聞きながらヨシダの話には十二分の理があると感じていた。
 たしかに、ちょっと人より野球が上手いというだけで二十億も年収があるというのは馬鹿げている。そんな馬鹿げた世界に自分の意志で身を置きつづけている人間は、ヨシダの言うように「頭がどうかしている」と疑われても仕方がないのではないか。
 ミルトン・フリードマンは「個人の自由より福祉や平等が重視される世界」を激しく攻撃し、福祉や平等の名の下に政府が個人の自由を侵害することを舌鋒鋭く批判したが、この世界の現状を見る限り、その考え方は「ごくわずかな勝ち組の代弁」でしかないだろう。
 これからの世界はもっと「福祉や平等が個人の自由より重視される世界」に変化していくべきなのだ。
 自由の拡大こそが福祉と平等を実現する効率的な手段だとするフリードマンの考え方は現実と相反している。この世界では、個人の自由や権限の野放図な拡大によって、富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなっている。そして、それを修正する手段としてはヨシダの言っていることもあながち荒唐無稽ではない。たしかに、イチローや松井のような高額所得者たちが自発的に貧しい人々のために自らの所得の大半を投げ出せば、それだけで相当の人数が救われるだろう。それこそイチローや松井は、マザー・テレサの創設した「神の愛の宣教者会」に私財をなげうてばいい。イエス・キリスト流に言えばまさに「もし完全になりたいのなら、行って持ちものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。……それから私に従いなさい」ということだ。
 市場主義者が信奉してやまない、貧困を含むすべての問題が調整され、改善されるという当の「市場」の存在を我々が認めるためには、「双方が十分な情報を得たうえで自発的に行う限り、経済取引はどちらにも利益をもたらす」という原則が必須だが、実際の市場ではこの原則はほとんど守られない。
 現在の市場において繰り広げられているのは、人間と人間とが、その人生やカネ、運命を賭して、いかに相手に罠を仕掛け、いかに相手を騙し、いかに相手を完膚なきまでにやっつけるかを試す壮絶なゲームだ。双方が十分な情報を共有することなどあり得ないし、ましてどちらにも利益をもたらす取引など、誰もやらない。「どっちも儲けるだって?そんなおめでたいこと言っていたら、それこそケツの穴の毛まで毟られておしまいさ」というのが、すべての投資家、企業人の偽らざる本音である。
 とにかく原稿はこのままでいいだろう。タケダさんにもとてもよかったと伝えておいてくれ。近々、彼と一緒にみんなで飯でも食おう。
 タケヒコはそう言って、話を打ち切ろうとした。
 そこでヨシダが、ちょっとお二人に相談があるんですが、と言った。
 実は、タケダさんに出馬の話が舞い込んでいるんです。次の衆議院選挙に出ないかって民主党から持ちかけられてるみたいで、とヨシダが意外なことを口にした。
 フジマキは、あのタケダが衆院選に出るだって、どうりで最近、弱者の味方ぶってると思ったよ、と呆れたような声を出した。
 で、相談ってのは、とタケヒコはヨシダに訊いた。
 衆議院選は早くても年末だと思うんでずいぶん先の話なんですが、僕は出馬するように勧めているんです。タケダさんももう四十半ばだし、このままライター稼業を続けてみても先は知れてるんじゃないかと。勘は鋭い人ですし、ルックスも悪くないし、何より喋りがいいじゃないですか。むしろ政治家の方が向いてる気がするんです。
 ヨシダはそのあとで、もし当選したら政策担当秘書になって欲しい、とタケダからと言われてる、と言ったのだった。
 はっ。
 素っ頓狂な声を上げたのはフジマキだった。
 じゃあヨシダ、お前、タケダが当選したら会社を辞めるってことか。
 フジマキの質問にヨシダは小さく首を振った。
 だからそうじゃなくて、タケダさんの一期目のあいだだけ手伝ってあげたいんです。僕も国会というところをこの目でつぶさに見て、今後の編集の仕事の役に立てたいですし。それで、社内留学制度を使って出向扱いにしてもらえないかと思ってるんです。社内留学制度だと留学期間は最長で二年なんで、場合によっては二年でも構いません。他の連中みたいに海外留学なんかするより、一度現職の国会議員の政策秘書になって実地に政治の世界を見聞しておく方がジャーナリストとしてもよほど有益だと思いませんか。
 ヨシダは淀みない口調で喋る。
 そんなの無理に決まってるだろう。国会議員の政策秘書となれば特別公務員で兼職禁止のはずだ、とフジマキが言う。
 それは正式な政策秘書の場合です。私設であれば問題ないと思います。
 しかし、メディアの社員が特定の政党の議員秘書に出向するというのは、報道倫理的にもあり得ない話だろ。
 そうでしょうか。そういう例は皆無ではないと思いますが。古くは東京都知事だった美濃部さんが「世界」の編集部員だった安江良介氏を特別秘書として都庁に迎えた例もあります。安江さんは岩波書店に戻ってその後社長になったじゃないですか。
 岩波とうちとは正反対の会社だよ。
 フジマキは吐き捨てるように言った。
 タケヒコは二人のやり取りを黙って聞いていた。フジマキがヨシダを嫌っていることは最初から分かっている。だが、まだ衆議院選挙の日取りさえ決まっていない今、なぜこんな話をヨシダが唐突に切り出してきたのかが解せなかった。
 しかし、タケダさんはまだ正式に決断したわけでもないんだろ、とタケヒコが訊くと、ヨシダは、九分九厘間違いなく出ると思います。
 選挙の時期もはっきりしていない段階だ。きみも知っての通り、政治というのは掴み所のない生き物だ。まだまだ何が起こるかわからない。その件はもっと具体的になってからでも構わないだろう。
 もちろん正式にタケダさんの出馬が決まれば、改めてお二人に相談します。ただ、時期が迫ってからいきなりこんな話を持ち出すのはルール違反だと思ったので、とりあえずご相談してみたんです。
 話の内容からすれば、ヨシダは不自然なほど落ち着き払っていた。
 俺たちに相談されてもどうにもならんよ。そういう話はきみが総務と直接掛け合えばいいじゃないか、とフジマキはもはや不快感を隠そうともしなかった。
 タケヒコはヨシダの言葉を注意深く聞いているうちに次第にその意図が読めてきた気がした。「改めてお二人に相談」という一語が何よりのヒントだった。
 よく考えてみれば、ヨシダがこんなことを自分とフジマキ両方に相談するのが不自然なのだ。フジマキがヨシダのことをライバル視していることはヨシダだって十分に感じている。
 この編集部で自分を最も高く評価し、守り続けてきたのが編集長のタケヒコであることも彼はよく分かっているだろう。であるならば、こういう相談はタケヒコに対してだけなされるべきものだ。
 それを現にこうしてフジマキ同席の場で持ち出し、タケダの出馬が固まった時点でもう一度タケヒコとフジマキの二人に相談するとヨシダは言う。
 とにかく無理だと思うね、僕は。それにそういう軽はずみなことは、たとえ社が出向を認めたとしてもきみの将来にとってマイナスだと思うけどね。
 フジマキは「そんなことを言い出すなら、さっさと辞めろ」とでも言わんばかりの雰囲気になっていた。
 それはやってみないと何とも言えませんが、永田町関係のネタ元を確保するには絶好のポジションだとも言えるんじゃないですか。モリナカさんだって松下政経塾出身であることを大いに誌面作りに役立てているわけですし。
 モリナカというのはうちの言論雑誌の編集長のことだった。彼は現在の横浜市長と同期の政経塾出身者である。フジマキにとっては一期上の先輩だが、二人はライバル関係にある。
 今回のフジマキの昇格は、このモリナカを出世競争で一気に抜き去ったことを意味していた。ヨシダの発言は明らかにフジマキを挑発するたぐいのものだ。
 タケヒコにはようやく真相が見えたのだった。
 フジマキはタケヒコに内緒で人事と掛け合い、今回の異動でヨシダを週刊誌から飛ばすことにしたのだ。そのことをどこからか聞きつけたヨシダは、それでこんな奇妙な相談をタケヒコとフジマキにぶつけてきたに違いない。ヨシダにすれば、タケヒコとフジマキは当然ぐるだという思いがあるのだろう。
 まさか編集長のタケヒコがその人事を知らないとは思ってもいまい。
 ヨシダはまったく畑違いの編集部に追いやられるのだ。そんな部署にやられるくちいならタケダの政策秘書になって当分社業から離れたいというのが彼の魂胆に違いない。だからこそ自分を飛ばした張本人と思われるタケヒコとフジマキにバックアップさせようという肚づもりなのだ。
 豪腕のヨシダらしいパフォーマンスではある。彼はすでに半ば会社を辞めるつもりでいるのだろう。
 編集部から追い出しはしたものの、そのせいで社内的評価のすこぶる高いヨシダを退職に追い込んだとなればフジマキの立場も苦しいものになる。いまフジマキは内心冷や汗をかいているはずだ。タケヒコに内緒でヨシダ外しの人事を断行し、どうやらそれをヨシダ本人に掴まれたあげくにタケヒコの面前で匂わされているのである。フジマキにすれば最悪の展開というところか。
 ヨシダの言ってることも分からないじゃない。とにかく時期が来たらもう一度相談してくれ。ただ、我々としては貴重な人材であるきみをたとえ一時期でも手放すというのは難しい気がする。まあ、もうすぐ人事もあるし、その蓋が開いてからきみも改めて真剣に検討してみればいい。
 タケヒコはそう言うと、なあフジマキ。きみだってヨシダが抜けたらたいへんだろう、とフジマキに向かって大きな笑顔を作ってみせた。
 フジマキは無言のまま相槌さえ打たない。
 編集長が内定してからこの方、こいつはちょっと増長しすぎているな、とタケヒコはかねがね思っていた。

 ティーエスワンの休薬期間中とあって心が落ち着かない。デパスを午後、就寝前と服用しているがかつてのような効き目は戻ってこなかった。
 悲観的、否定的な感情に支配される時間がどうしても増えてしまうので、そのことが尚更に不利な状況を招き寄せるような気がして不安になる。
 そうした不安を払拭したくもあって、あれから時間を変え、日を変えて何度もフジサキ・リコに電話を繰り返した。だが、電話は繋がらなかった。リコがこちらとの接触を拒んでいることは明らかだった。
 そうなってみて、あの晩のユキヒコの声がしきりに思い出されるようになった。
 「お父さん、ダメだよ。その人、嘘ついてる」
 フジサキ・リコは一体どんな嘘をついていたというのだろうか。
 明るいバスルームで交わったあと、二人で身体を洗い合った。濡れた髪のリコはずいぶんと印象が違った。誰かに似ているような気がして、しばらく考えたが思い当たらなかった。
 翌朝、髪を短くまとめたリコの顔を見て、あっと心の内で叫んでいた。
 彼女はミオの若い頃にそっくりだったのだ。
 そのことが、ユキヒコの言う「嘘」の中身なのかとも考えたが、他人の空似というのはよくあるものだ。それをもってリコがタケヒコを騙していたことにはなるまい。
 明け方どちらからともなく起きて、ベッドの上でもう一度セックスをした。
 二時間ほど再び眠って、タケヒコはベッドから抜け出した。身支度していると彼女ももそもそと起き出してきて、コーヒーを淹れてくれた。玄関先まで見送りにきたリコと笑みを交わして、部屋をあとにしたのだ。
 江戸川橋の駅に向かって歩いているとき、ユキヒコの声が聴こえた。
 「お父さん、これでもうお別れだよ」
 普段と違って消え入るほどにか細い声ではあったが、彼は間違いなくそう言った。
 彼の忠告を聞き入れなかったのできっとつむじを曲げたのだろう。
 なぜだかタケヒコは、そんなふうに軽く受け止めることしかしなかった。
 その言葉の重さにようやく気づいたのは、リコと連絡がつかないと分かってからだ。
 もう二度とユキヒコの声が聴けなくなったなら、一体どうすればいいのか。
 結局、タケヒコはさらに不安を募らせることになった。
 
 三月十八日火曜日。
 二十日が春分の日に当たるため、発売日が明日に繰り上がっていた。校了も昨日すべて済ませてしまい、今日は午前中に業務推進連絡会議が一本入っているきりで、他に何の予定もない。めずらしく夜の会食の約束もなかった。
 会議は十一時だったので十時半頃に出社した。ふだんは校了した目次を改めて眺めたり、中吊りや新聞広告の刷り出しを机上に置いてあれこれ次号に向けての想を練るのだが、あと一冊でこの雑誌ともおさらばだと思うと、まったく身が入らなかった。
 すでに関心は四月から手がける月刊誌の方へと移っていた。午後は資料室に籠もって、ここ数年の月刊誌の目次をじっくり検討してみようと考えていた。
 パソコンを起ち上げ、ヤフーのニュースをチェックしていると興味を惹かれる記事に行き当たった。タイトルは「政府は宇宙人の存在を隠ぺい?=元NASA飛行士が『証言』」。
 時事通信社の配信記事で内容は以下の通りだった。
 【ニーヨーク25日時事】米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士が英国の音楽専門ラジオ局のインタビューで、政府は宇宙人の存在を隠ぺいしていると発言。米英メディアが相次いで報じる騒ぎに発展した。
 この宇宙飛行士は、一九七一年に打ち上げられたアポロ14号の元乗組員エドガー・ミッチェル氏(77)。
 同氏は23日の放送で、政府は過去60年近くにわたり宇宙人の存在を隠してきたが、「われわれのうちの何人かは一部情報について説明を受ける幸運に浴した」と説明。宇宙人は「奇妙で小さな人々」と呼ばれているなどと語った。
 タケヒコはこの記事を印刷し、プリントアウトした紙に「エドガー・ミッチェル発言の全容は?」と書き添えた。エドガー・ミッチェルのことはよく憶えている。彼はアポロ14号で月に向かい、人類史上六番目の月面探査を行った人物だ。立花隆の『宇宙からの帰還』の中で、宇宙空間での霊的な体験を赤裸々に告白していたのが強く印象に残っている。
 いつものように袖机の一番上の引き出しにその紙をしまい、「米英メディアが相次いで報じる」とあるから、詳しい内容はすぐにするはずだ。そう思ってグーグルを呼び出したところで、時計を見ると十一時五分前になっていた。
 タケヒコは仕方なくパソコンを切り、調べは後に回すことにして椅子から腰を上げた。
 会議を終えて席に戻って来たとたんに机上の電話が鳴った。
 カワバタさん、タキイさんという方からお電話です。
 受話器を持ち上げると交換室のナカノさんの声が聴こえてきた。
 それは、ひと月前に亡くなったタキイ・ケンゾウ君の奥さんのヒロミさんからだった。
 実はカワバタさんに折り入ってご相談したいことがあるんですけど、とヒロミさんは電話の向こうで言った。それで一度お目にかからせて貰えないかと、という。
 彼女は、一昨日から門前仲町にある実家の方に来ているというので、タケヒコの会社の方に来てもらうことにした。
 約束の午後一時に、バッグのほかに紙袋を一つ提げてやってきたヒロミさんと、会社の一階にあるサロンと呼んでいる大きな応接スペースで話をした。そこは喫茶室もかねていて、ウェートレスも二人常駐していた。
 ヒロミさんはやつれていたが、元気そうだった。
 少し落ち着いた?と訊くと、なんだかボーッとしちゃって、と言う。
 何となく分かるよ、僕も息子を亡くしたときそうだったから。
 それからしばらく、今後のことをヒロミさんから聞 いた。今月末に予定している四十九日を済ませたあとは、できるだけ早く東京に戻って来るつもりだという。貯金もほとんどないし、生命保険にも入ってなかったし、早く仕事を見つけて働き出さないと生活できないんです、と彼女は言った。それで相談に来たのかと最初は思ったが、そうではなさそうだった。
 帰ってきたら、とりあえず予備校の講師でもやろうかと思ってるんです。学生時代の仲間や教師仲間の中に予備校勤めしてる人も案外いるから、空きはすぐ見つかると思います、とも言っていた。
 二年前にケンゾウ君の胃ガンが見つかって退職するまではヒロミさんは中学校の英語教師をしていた。勤務先は中高一貫の進学校として都内でも有数の学校だったから、なるほどキャリア的には予備校の講師というのはうってつけかもしれない。
 仕事を再開するのは賛成だよ。実家に籠もっていても気が滅入るだけだし、いまは忙しくして、できるだけ何も考えないようにすることだ。僕も息子を亡くしたときは仕事を持っていて本当によかったと思った。ミオもきっとそうだったと思うよ。
 そうヒロミさんに話しながら、その仕事のせいでユキヒコを死なせたのだ、とタケヒコは内心思っていた。
 ヒロミさんはまだ二十八だ。幾らだってやり直せるが、問題は彼女がいつそういう前向きな気持ちになれるかだろう。
 ところで相談って何?
 アイスティーを飲み干し、温かい緑茶を追加注文したあとでタケヒコは本題に入った。
 ヒロミさんは隣の椅子に置かれた紙袋に一度目をやった。
 宇都宮の家でケンちゃんの作品を整理していたら押し入れの隅からこの紙袋とカワバタさん宛ての手紙が出てきたんです。
 ヒロミさんは紙袋ではなく横のハンドバッグの口を開いて、中から一通の封書を取り出した。それをテーブルに置くと、今度は紙袋に手を掛けて中身を出した。厚紙で厳重にくるまれた三十センチ×四十センチほどの四角い物体だ。
 これは絵だと思うんです。見つけたときはカワバタさん宛ての手紙と私宛ての手紙がここに貼り付けてありました、とヒロミさんは包みの真ん中あたりを指差した。タケヒコはテーブルに並んだ包みと封書を見る。封書には「川端健彦さま」とタケヒコの名前が記されていた。
 最初は、これをカワバタさんに形見分けしたいのかと思ったんですが、私宛ての手紙を見たらそうじゃなくて、この包みを開封しないで、手紙と一緒にカワバタさんに渡してくれって書いてあったんです。
 ヒロミさんがテーブルの上の手紙を取って、タケヒコに差し出してきた。
 タケヒコは手紙を受け取るとすぐに開封した。中には便箋が二枚入っている。一枚目は達筆の文字で埋まっているが、二枚目には日付と「瀧井謙蔵」という署名があるきりだった。日付は昨年の十月になっていた。再発が判明し、ケンゾウ君が宇都宮に転居して一カ月ほど経った頃だ。
 タケヒコはゆっくりとケンゾウ君の手紙を読んだ。一度読み終えてヒロミさんの方を見ると、やや困惑の態だった。こうして目の前でいきなり読み出すとは予想していなかったのだろう。
 文面は淡々としており、事務的と言ってもいいくらいだった。
 タケヒコは二度繰り返して読んで、便箋をヒロミさんに差し出す。いいんですか、という顔つきをしたあと彼女はそれを受け取った。
 ヒロミさんは真剣な表情で手紙を読んだ。二度といわず三度、四度と読み返し、日付と名前だけの二枚目にも幾度も目を凝らしていた。
 ヒロミさんが届けて欲しくないんなら、僕はこの役目から降りようと思うんだけど。
 緑茶を一口すすって先に切り出した。ヒロミさんが顔を上げてこちらを見た。文面からして彼女の心中が穏やかならざるものであることは察せられる。
 ケンちゃんにこんな人がいただなんて……。
 呟くような声だ。
 読まないほうがよかったかな。
 タケヒコの一言にヒロミさんは強くかぶりを振った。
 いえ、そんなことはありません。
 はっきりとした口振りだった。
 実は、一度、そのミムラ・ユリエと思しき女性がケンゾウ君を訪ねて病院に来たことがあるよ。名前は聞かなかったけど、昔の恋人だと言っていた。
 そう言いながらタケヒコは大きな包みを手元に引き寄せて包装を解きにかかった。タケヒコの行動にヒロミさんが目を丸くしていた。中から出てきたのは案の定、額縁におさまった肖像画だった。
 やっぱりこの人だよ。
 病院に来た彼女はもっと髪も短く、顔も痩せていたが、同一人物に間違いなかった。学生時代から五年近く付き合った相手だとケンゾウ君はあのとき言っていた。絵の中の彼女は若々しかった。白い頬と桜色の唇がかすかな笑みに彩られている。紫で描かれた大きな瞳が理知的な視線を放っていた。見事な出来映えの油絵だった。
 タケヒコが上下を入れ替えて彼女の方へ差し向けると、ヒロミさんは食い入るようにしばらく絵を見つめていた。
 ヒロミさんは、この人のことは全然知らなかったようだ。
 どうしようか。さっきも言ったけど、ヒロミさんが望まないなら僕は届けなくてもいいと思うんだけど。向こうだって突然こんなものを持ち込まれても処置に困るだけだ。彼女はもう結婚しているとケンゾウ君も言っていたしね。
 
 死を目前にしてみると思い出されるのは、ユリエのことばかりです。ヒロミに対して申し訳ないと思う気持ちもいまはありません。私はヒロミと結婚し、こうして彼女のそばで死んでいく身ですが、もしもユリエと一緒になっていれば自分の人生はどうなっていただろう、と考えます。川端さんには厚かましいお願いをして申し訳ありません。この絵を渡して、一言、私が死んでしまったことをユリエに伝えてください。彼女にだけは私の死をどうしても知って欲しいのです。
 
 ヒロミさんにとって手紙の中のこの一節は耐え難いものかもしれない。タケヒコは彼女の判断にすべてを委ねるべきだと思った。ケンゾウ君はすでにこの世の住人ではないのだ。この世ではこの世の住人の意向がまずもって優先されるべきだ。
 ケンちゃんの遺言なんです。ご面倒だとは思いますが、彼の言う通りにしてあげていただけませんか。
 ヒロミさんは言うと、手にしていた手紙を差し戻してきた。テーブルの絵もこちらに押しやってきた。
 分かりました。近いうちにこのミムラ・ユリエさんと会いましょう。ただ、彼女とどんなやり取りをしたかは伝えません。それでいいですか。
 手紙を受け取って封筒に戻し、タケヒコはヒロミさんをしっかりと見た。
 はい。
 その瞳にさしたる感情の色は窺えなかった。二十歳のときにケンゾウ君と出会い、大学卒業と同時に式を挙げたというから、二人の結婚生活は六年に及んだのだ。ヒロミさんは夫であるケンゾウ君のことを分かりすぎるくらいに分かっているだろう。彼がなぜこの絵をタケヒコに託したのか、どうしてこんな手紙を遺したのか、それをまたなぜタケヒコが彼女にこうして読ませたのか、そういった疑問の答えをいまの彼女は亡くなる前の夫の様子と照らし合わせながら懸命に探っているのかもしれない。
 カワバタさん、お手数をかけますが、どうかよろしくお願いします。
 椅子の上の紙袋を取ってテーブルの上に置きながら、ヒロミさんは深々と頭を下げてきたのだった。
 
 結局、米国メディアを当たってみてもエドガー・ミッチェルの発言を紹介しているサイトは一つもなかった。配信元の時事通信に照会したが、そんな記事を掲載した記録はないと言われた。ファクシミリでプリントした記事を送り検証を求めたが、担当者はヤフーにも確認した上で「やはり心当たりがありませんね」と首を傾げるばかりだった。その過程でもう一度あらためて印刷した記事を見ると、配信日時は見出しの下に「7月25日15時48分配信 時事通信」と小さな文字で明記されていたのだった。そうなると去年以前の記事が誤って配信されたことになる。その点も指摘したのだが、「キツネにつままれたような話ですが、こんな記事は載せたことがありません。何かのイタズラとしか考えられませんね」と時事の人は言った。
 ヒロミさんと会社で会った翌々日の二十日、タケヒコは渋谷の書店で『宇宙からの帰還』の文庫本を買って出社した。昨日は休みを取ったので家中の書棚をめぐって探したのだが見つからなかったのだ。学生時代に読んだ本なので、さすがにどこかの時点で処分してしまったのだろう。
 祭日とあって週刊誌の編集部以外はほとんど誰も出てきていない。会社全体がしんとしていた。
 各班のデスクが記者たちとプラン会議を行っているあいだ『宇宙からの帰還』をずっと読んでいた。エドガー・ミッチェルヘのインタビューもかなりのページにわたって収録されていた。ミッチェルヘの取材は最終章に近かったのでその部分から読み始め、最後に登場するラッセル・シュワイカートへのインタビューまで通して読んだ。シュワイカートはミッチェルに先立つアポロ9号の乗組員で、EVA(船外活動)の経験者である。同じ宇宙飛行士といっても、宇宙船の中から小さな窓越しに地球や月の姿を見ただけの者と実際に月面に降り立ったり、船外へ出てじかに宇宙空間を体感しながら宇宙全体を見渡すことのできた者とでは、宇宙体験のインパクトの強さには雲泥の差がある。立花隆も本書でその点を強調しているが、文庫版では巻末に立花と野口聡一(二〇〇五年七月にスペースシャトル・ディスカバリーで宇宙飛行を行ったミッションスペシャリスト)との対談が載せられており、野口も同じようなに次のように述べていた。

 宇宙に行き外から地球を見るという経験は人を変えずにはいられません。とくに船外活動で真空の宇宙に出るのは、地球との接近体験としては質的な違いがあると思います。窓越しに景色としての地球を「見る」のと、EVAで目の前にある地球を物体として「感じる」のとでは、リアリティが違う。何しろ自分が生まれて以来見てきたすべての人々、すべての生命、すべての景色、すべての出来事は、目の前にある球体で起きたことなのですから。地球と一対一で対峠しながら考えたことは、見渡す限りの星空の中で生命の輝きと実感に満ちた星はこの地球しかないということでした。それは知識ではなく実感です。天啓と呼んでもいいかもしれない。

 そして、ミッチェルもシュワイカートも宇宙での自らの神秘的な体験を率直に語っていた。
 ミッチェルは、月探検を終えて、月軌道を脱し、地球に向う帰路において、船窓からはるかかなたの地球を見たその時に、突然いつも自分の中にあったさまざまな疑問に対する答えが瞬間的に浮かんできたのだ、詩的に表現すれば、神の顔にこの手でふれたという感じで、とにかく、瞬間的に真理を把握したという思いだった。と述べている。
 
 世界は有意味である。私も宇宙も偶然の産物ではありえない。すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。そのプランは生命の進化である。生命は目的をもって進化しつつある。個別的生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。一体である全体は、完璧であり、秩序づけられており、調和しており、愛に満ちている。この全体の中で、人間は神と一体だ。自分は神と一体だ。自分は神の目論見に参与している。宇宙は創造的進化の過程にある。この一瞬一瞬が宇宙の新しい創造なのだ。進化は創造の継続である。神の思惟が、そのプロセスを動かしていく。人間の意識はその神の思惟の一部としてある。その意味において、人間の一瞬一瞬の意識の動きが、宇宙を創造しつつあるといえる。
 こういうことが一瞬にしてわかり、私はたとえようもない幸福感に満たされた。それは至福の瞬間だった。神との一体感を味わっていた。

 ミッチェルは、そうした宗教的な神秘体験のあとで、また総体としての人類の愚かさを痛感したという。
 
 そうなのだ。瞬間的だった。ことばでは表現できないが、とにかくわかった、真理がわかったという喜びに包まれていた。いま自分は神と一体であるという、一体感が如実にあった。それからしばらくして、今度はたとえようもないほど深く暗い絶望感に襲われた。感動がおさまって、思いが現実の人間の姿に及んだとき、神とスピリチュアルには一体であるべき人間が、現実にはあまりにあさましい存在のあり方をしていることを思い起こさずにはいられなかったからだ。
 現実の人間はエゴのかたまりであり、さまざまのあさましい欲望、憎しみ、恐怖などにとらわれて生きている。自分のスピリチュアルな本質などはすっかり忘れて生きている。そして、総体としての人類は、まるで狂った豚の群れが暴走して崖の上から海に飛び込んでいくところであるかのように行動している。自分たちが集団自殺しつつあるということにすら気づかないほど愚かなのだ。
 
 ラッセル・シュワイカートは、ミッチェルのような宗教的な体験はしていないが、彼もまた宇宙での神秘的な体験を否定はしてない。その言わんとするところはミッチェルと酷似している。シュワイカートは我々の住むこの宇宙に一つの真理が存在することは認めている。その真理とは何かと立花に問われた彼はこう答える。
 
 一言でくくるとすれば、人間の生命生活体験とでもいえるだろう。そして、私は神が存在するとは思わないが、生命が進化しつつあること、進化には一つの方向があるだろうということ、そして、生命にはあるパターンがあるということは信じている。
 
 そして、宇宙服を着て宇宙空間に浮かんでいる時に、シュワイカートが強く感じたことは人間という種に対する義務感のようなものであったという。
 
 この体験の価値は、私にとっての個人的価値ではなく、私が人類に対して持ち帰って伝えるべき価値だ。私は人間という種のセンサーだ、感覚器官にすぎないと思った。それは私の人生において、最高にハイの瞬間だったが、エゴが高揚するハイの瞬間(ハイの瞬間はたいていそうなのだが)ではなくて、エゴが消失するハイの瞬間だった。種というものをこれほど強烈に意識したのは、はじめてだった。そして種を前にした、自分個人の卑小さを強く感じた。
 それとともに、人間という種とこの地球との関係をもっと深く考えなければいけないと思った。私の目の下では、ちょうど、第三次中東戦争がおこなわれていた。人間同士が殺し合うより前にもっとしなければならないことがある。人間と人間の関係も大切だが、人間という種と他の種との関係、人間という種と地球との関係をもっと考えろということだ。

 核戦争が起こらないとしても、地球の上に人類のあまりよい未来はない。というのは、人間という種の内部で、画一化がどんどん進行しているからだ。これは交通・通信の発達と、環境の画一化といういずれも文明のもたらした現象によるものだ。一つの種が健全な生命力を保っていくためには、多様性が必要なのだ。多様性のためには、多様な環境が必要だ。特に、穏健な環境ではなく、苛酷な環境が必要だ。それなのに地球上の人間の環境は、画一的に穏健になりつつある。こういう種は種としてひ弱になっていく。いつどんなことが原因で大絶滅が起きるかもしれない。
 それに対して、宇宙に進出した人間は、宇宙という苛酷な環境の中で、きたえられ、より強い種として発展していくだろう。百年単位で見たときの人類の未来が、宇宙への進出にかかっていることは疑いのないところだと思う。

 そして彼は人類の進化史の観点から見れば、いまの時代が最もユニークな大転回点だと語り、人類はこれから宇宙に乗り出していくことで種として進化するよう計画されているのだと主張するのである。
 しかし、エドガー・ミッチェル同様にシュワイカートの人類に対する視線も辛辣である。
 
 人間がいまのようにバカげた生活をつづけていれば、つまり、エネルギーを浪費し、資源を浪費し、環境を害し、しかもお互いに殺し合うという愚行をつづけていれば、人類の持つ最大の可能性である宇宙への進出を不可能にしてしまうことも起こりうると思う。
 
 十二時半からのデスク会議が始まる直前まで、タケヒコは『宇宙からの帰還』に読みふけっていた。
 一九六九年にアポロ11号が月面に到達してからすでに四十年近い年月が経過している。この『宇宙からの帰還』の単行本初版発行が一九八三年なので、そこからでも四半世紀が経っているのだ。にもかかわらず未だに人類が有人火星探査さえ実現できていないというのはちょっと不思議な気がした。少なくとも月面着陸に熱狂した当時の人々、立花隆のインタビューに答えた各宇宙飛行士たちは、人類進化の契機ともなるべき宇宙開発がこれほど急速に熱気を失い、国家予算を浪費する一番の元凶として隅に追いやられるようになるとは予想だにしていなかっただろう。
 しかし、月面着陸という一大イベントが終了したのち、人々が宇宙への関心を薄くしてしまったのはある意味当然だったという気もする。アメリカの飛行士たちが月に降り立って持ち帰ってきたものはただの石ころに過ぎなかった。あのとき何かまったく新しい鉱物資源や化学物質のたぐいが月面から採取され、それが画期的な新素材に化けたり、はたまたガン治療の特効薬の原料とでもなっていれば現在のような宇宙開発の低迷は起こり得なかっただろう。大衆にとって、月への到達は一時的興奮を誘うものではあったが、結局のところは単なる見世物でしかなかった。ゴールドラッシュは起こらなかったのである。
 宇宙開発によって人類の生存基盤がより多様で確実性の高いものになるだろうことは認めるが、だからといって人類が宇宙に乗り出したくらいで、種として新たな進化を遂げるとはタケヒコにはとても思えなかった。
 そもそもミッチェルやシュワイカートがしきりに持ち出す、「宇宙の創造的進化」や「進化の一つの方向」などという言葉の真の意味とは一体何なのか。
 タケヒコはこうした安直な言葉に触れるたびにいつも幾分の胡散臭さを感じてしまうのだ。
 タケヒコが「神との合一」だの「宇宙の創造的進化」などという言葉を胡散臭く感ずるのは、結局のところ私たちが持っているという「神性」にしろ「創造的進化の可能性」にしろ、そもそもの出発点に「全能にして完全なる存在=神」という定義を据えたがために生み出されたこじつけの産物ではないのか、という疑いを払拭できないからだ。
 この世界に説明しようのない不可思議な現象が存在することは自分も認める。自分の体験からしてもそれは否定しようがないものだろう。しかしだからといって、説明の方法のないものをあえて無理に説明する必要はない。ところが人間という肥大した頭脳の持ち主は、自分たちがきちんと絵解きできない数々の現象を放置しておくのが耐えられない。とにかく何でもいいから、もっともらしい説明をつける方法はないものだろうか、と智恵を絞る。そうやって捻り出されてきたのが「全能にして完全な存在=神」というアイデアではないのかとタケヒコは密かに疑っている。
 ひとたびそのような存在を認めてしまえば、どのような奇跡も怪奇現象も神御自身やその周辺が関わるものとしてとりあえずの説明をつけることができる。人間は神の存在を認めることで、不可知なもの、矛盾に満ちた現象をまるごと神一人に委ねることができるのだ。
 しかし、当然ながらそうした解決法にも限界はある。全能にして完全なる存在=神がどうしてこのような不完全と思える世界を創造し、運営しておられるのかが人間には説明できない。そこで苦肉の策ともいうべき第二の解決法が生まれてくる。この世界や宇宙の存在理由を知る者は創造主である神一人のほかにあり得ないのだから、その神と合一することを人間は目指せばいいのだと考えるのだ。そのためには人間は本来的に神に近づけるものでなくてはならない。だから是が非でも「スペクトラム」(境界のない連続体)であらねばならない。
 こうした考え方はまったくご都合主義的だとタケヒコは思う。絶対の真理を掴んでいる、または掴みつつある存在はたしかにいるが、その真理の内容は彼でなければ分からない。だから、神ならぬ身の我々は、まずはその存在に限りなく近づき、彼自身になりおおせることを目指せばよい。運良く彼とよしみを通ずるか彼と一体化することができれば、もうあとは心配御無用。神になった瞬間に、いままで決して解くことのできなかった大宇宙の真理はすべてあなたのものだ、というわけだ。
 神に触れる、神と出会う、神と一体化するといったアイデアは、そういう点で、タケヒコにははなはだ怪しげに感じられる。
 私たちは何でもかんでも全能の神に責任を押し付けてしまうことで、自分自身の怠慢や臆病、無知や偏見、憎悪や嫉妬、残酷さなどに頬っ被りを決め込むのがものすごく得意なのだ。この世がこれほど支離滅裂な状態で推移しているのも、それは創造主の計り難い計画の一環であるとマジで思ったりしている。
 全知全能であるはずの神の力が、この世界ではどうしてこうも無力なのか。神の力が金銭の力にどうしても勝てないのはなぜなのか、という問いの答えは、実は至極簡単だ。
 神とはそういうものとして規定されているのである。
 神の存在というのは、私たち人間が金や権力の追求、戦争や暴力の行使、人種差別や環境破壊、資源の浪費、富の偏在の容認、奢侈贅沢、人間以外の動物への虐待、絶滅などを好き放題にやらかすために、責任を回避する手段として利用する一種の便法だ。つまるところ「世界をより善きものに変えるだって?全能の神ですらできないことが、こんな俺たちにできるわけがないじゃないか」という言い訳が必要なのである。
 神は私たち人間が繰り返す過ちを適切に解決などしてはくれない。そのことを私たちは心から知っている。知っていながら、いつまで経っても「ああ、神様」と神頼みに走るのは、自らが直面する重大な問題に対して永久に目を背けていたいからに他ならない。
 
 「努力が報われる社会は大事だが、ただし、人生は努力だけで決まるものではない。人間には努力が必要不可欠だが、同時に生まれながらの才能や運に左右されることも忘れてはならない、と私は思う。実質的な機会の平等をあまりに強調しすぎると、不本意な結果を得た人に対し『努力しなかった本人が悪い』となりがちだ。私自身の人生を顧みても、多くの幸運に恵まれてきた。かつて、何人かの成功した若手起業家に会ったときに私が違和感をもったのは、すべてが自分の能力によるものだと言わんばかりの強烈な自負心に対してだった。成功した者は『自分は運もよかった』と自覚し、他人を思いやる気持ちを決して忘れてはならないと思う」

 これは、民主党の元代表の岡田克也が、著書『政権交代』(講談社 2008年6月18日刊)で述べている言葉だ。いみじくも岡田が書いている「人生は努力だけで決まるものではない。生まれながらの才能や運に左右されることも忘れてはならない」という一節は、この世界における競争ルールの設定や所得の再分配比率の決定を行う上で科学的、論理的に徹底して議論されねばならない課題だとタケヒコは考えている。
 自由競争や機会の平等という言葉は、弱者への同情心を払拭するために強者が自己正当化の手段として使う常套句の一種である。
 犯罪者、多重債務者、ホームレスなどの人々の中には脳に障害を持つ人がかなりいるのではないか。彼らの脳を最新鋭のCTやMRIなどによって仔細に画像診断すれば、脳の各部位にさまざまな亀裂、陥没、欠落、血管障害などが一定の頻度で見つかるだろう。要するにその相当数が病者なのだ。だとすれば、この世界で勝者と呼ばれる者たち(つまりは欠陥の少ない優良な脳を持つ者たち)は大方が卑怯者ということになる。彼らのやっていることは横綱が子供と相撲をとったり、陸上選手が足の不自由な人間と百メートルのタイムを競ったりしているのと同じだからだ。機会の平等だの自由競争だのという概念はことほどさように、いい加減なものだ。人間個々の脳の構造にまでさかのぼれば、勝者は勝つべくして勝っただけのことで、努力云々がすこぶる二義的な要因にすぎないことがすぐに了解される。
 二〇〇一年七月、秘書給与詐取の罪で実刑判決を受けた元衆議院議員・山本譲司は栃木県の黒羽刑務所に入所した。この刑務所で山本は、精神障害者、知的障害者、認知症老人、聴覚障害者、視覚障害者、肢体不自由者など、一般懲役工場での作業が不能な受刑者たちの「指導補助」という役目を刑務官から与えられる。そうやって各種障害者たちとのあいだ起居を共にした山本は、出所後、軽犯罪を重ねつづける彼ら障害者たちの実状を社会に強く訴えるようになる。
 著書『累犯障害者 獄の中の不条理』(新潮社刊)の中で山本はさまざまな驚くべき統計数字を紹介している。
 法務省発行の『矯正統計年報』によれば、二〇〇四年に新たに刑務所に入った犯罪者三万二千九十人のうち七千百七十二名が知能指数六十九以下であり、さらに測定不能者が千六百八十七人もいる。要するに二〇〇四年に服役開始した犯罪者の三割弱が知的障害者なのだ。
 しかもこうした知的障害受刑者の七割は再犯を重ね、十回以上服役している障害者が実に二割を占めている。彼らの人生はシャバと刑務所との往復で費やされる。
 このような実態をそれぞれのケースごとに詳しく報告した上で、山本は著書の中で次のように書いている。これを読めば、機会の平等や自由競争という考え方が社会病理の改善にとっていかに無意味かがよく理解できる。
 
 内閣府が発行している『障害者自書』の平成十八年版によれば、「現在、日本全国の障害者数は、約六五五万九〇〇〇人」となっている。その内訳は、身体障害者が約三五一万六〇〇〇〇人、精神障害者が約二五八万四〇〇〇人、知的障害者が約四五万九〇〇〇人だ。
 しかし、この知的障害者の総数は、非常に疑わしい。
 人類における知的障害者の出生率は、全体の二%から三%といわれている。だが、四五万九〇〇〇人だと、我が国総人口の〇・三六%にしかならない。欧米各国では、それぞれの国の知的障害者の数は、国民全体の二%から二・五%と報告されているのだ。「日本人には知的障害者が生まれにくい」という医学的データは、どこにもない。要するに、四五万九〇〇〇人というのは、障害者手帳所持者の数なのである。現在、なんとか福祉行政とつながっている人たちの数に過ぎない。本来なら知的障害者は、日本全国に二四〇万人から三六〇万人いてもおかしくないはずである。
 結局、知的障害者のなかでも、その八割以上を占めるといわれる軽度の知的障害者には、前述したような理由から、福祉の支援がほとんど行き届いていない。したがって、障害が軽度の場合は、あえて障害者手帳を取得しないケースも多くなる。現状では、軽度知的障害者が手帳を所持していても、あまりプラスはなく、単なるレッテル貼りに終わってしまうからだ。
 こうして、数多くの知的障害者が、生まれながらの障害を抱えていながらも、福祉と接点を持つことなく生きているのだ。もともと、社会や他人と折り合いをつけることが不得意な人たちだ。だんだんと社会の中での居場所を失い、それに貧困や虐待やネグレクトといった悪条件が重なれば、すぐに刑務所に入るようなことになってしまう。
 国会議員在職時、「セーフティーネットの構築によって、安心して暮らせる社会を」などと、偉そうに論じていた私。ところが、我が国のセーフティーネットは、非常に脆い網だった。毎日たくさんの人たちが、福祉とつながることもなく、ネットからこぼれ落ちてしまっている。そして、司法という網に引っかかることによって、ようやく生き長らえていた。そう考えれば、「刑務所は、行き場を失った障害者たちを保護する施設」ともいえるのではないか。
 
 人間の世界においては知的能力の高い者が圧倒的に有利である。支配層や富裕層は知的エリートが独占し、彼らは自分たちに都合のいいルールをこしらえて、それを一方的に被支配層や中間所得層、貧困層に押し付けてくる。そうやって権力や官の寡占状態を推持しようと図るのだ。
 この世界に「機会の平等」などあり得ないし、その機会の平等を前提とした「努力した人間が報われる社会の実現」というのもフィクションにすぎない。
 様々な資質、能力、生まれ育ち、家庭環境などを抱えて生きる人々が、互いを認め合い、互いの人格や個性、思想や生活スタイルを尊重し、そのために少しずつ痛みを我慢し合う社会や世界を構築したいなら、私たちが優先的に実現しなくてはならないのは、機会の平等や努力が報われる社会などではなく、結果の平等であろう。
 人間一人一人が誕生してきたことを呪うことなく生き、この世での我が人生に多少の満足と惜別の情をおぼえながら死ぬためには、私たちは相当の自己犠牲を甘受しなくてはならない。機会の平等を主眼とし、努力を重視する政策を幾ら積み重ねてみても、この世界の飢餓や貧困、戦争や紛争などがなくなることは永遠にない。
 携帯のディスプレイに「正田修ケイタイ」と表示されているのを見た瞬間、フジサキ・リコの身に何か起こったのではないかと思った。
 タケヒコはそのときちょうどタクシーの中で、国会前を通過し、あと五、六分で会社に着くというところだった。
 携帯に出ると、ショウダは、実はカワバタさんに折り入ってお願いしたいことがありまして、と言った。
 何?フジサキ・リコの件で手違いでもあったの、と訊いたが、ショウダは、いえ、その件はおかげさまで順調にいってます。連休明けの週からフジサキが出演できることになりそうです、と言った。
 ショウダの勤めるローズ・プロモーションはモデルプロダクションとしては一流だが、テレビメディアヘの進出はこれからだった。今回のリコの準レギュラー獲得は、リコ本人や営業次長のショウダだけでなく会社にとってもまたとない話だろう。
 リコからは相変わらずのなしのつぶてだった。今回の件で御礼の電話一本掛けてくるでもなかった。
 電話ではちょっと。ただ、カワバタさんにとっても決して悪い話ではありません。ある件でどうしても御力をお借りしたくはあるんですが、とショウダ・オサムは言った。
 今日遅くなら構いませんよ。今晩はオータニに泊まるから十時過ぎに部屋に来てもらえれば内密の話もできるし、とタケヒコが言うと、助かります、と言った。
 だったら十時にもう一度電話ください。部屋番号を伝えるから、と言って携帯を切った。
 今夜は七時から久し振りにイシガキと食事をする約束になっていた。
 フジマキがヨシダ放逐を画策している一件で直談判するつもりだ。昨日、タケヒコの方から誘った。ほんとうならもっと早く話をしたかったのだが、何しろ気分が乗らなかった。
 イシガキとは三週間近く、一言も口をきいていなかった。連絡すると、案外あっさり乗ってきた。彼としても六月の役員改遇を押え、タケヒコを敵にするのは避けたいだろう。よほど強力な経営幹部の後ろ盾でもない限りは、現場を直接掌握していない管理職の社内政治力は高が知れている。幾つもの雑誌の編集長をこなして十分の実績を積みながらも、役員昇格程度でイシガキが四苦八苦しているのは、彼が必ずしもアサノの側近というわけではないからだった。アサノ寄りという点では競争相手のゴンドウ総務局長の方がよほど有利である。イシガキにすれば数多くの秘密を共有するタケヒコにここで離反されてしまえば致命傷なのだ。結局、組織にあっては欲望の強烈な方がトップに登り詰めるまでのあいだにより多くの妥協を重ねなくてはならない。タケヒコがヨシダの残留を主張すれば、いまのイシガキは呑むしかないのである。フジマキはヨシダを切って、あのナカヤマを残すつもりだ。そんなデタラメな人事を通させるわけにはいかない。ヨシダではなくナカヤマを業務に飛ばしてフジマキの思惑とは正反対の人事を実現し、こちらの力を見せつけてやる必要がある。そうやって自分が一体誰のおかげで編集長に昇格できたかを彼はもう一度念入りに噛み締めなくてはならない。
 タクシーを降りて、正門から社のビルを見据える。いよいよあと一日で五年間の週刊誌暮らしともおさらばだった。明日は校了日であると同時に異動の内示日でもある。内示当日になって人事がひっくり返されたことを知り、新編集長のフジマキはさぞや慌てることだろう。そのときの彼の顔を想像すると密かな笑いが込み上げてくる。
 明日はサカモトを呼び出して一緒に月刊誌に移ることを告知しなくてはならない。サカモトは社の誰とも連絡を取っていないようだが、といっておとなしくしているわけでもなさそうだった。先週、昵懇のネタ元から連絡が来て、サカモトがNの件でいまだにいろいろと喚ぎまわっているらしいと知らせてくれた。彼をどう説得するかは難題だが、本人も退社までは考えていないだろう。そうである以上、異動という業務命令を拒絶することはできない。イエスかノーかで即断を迫れば彼も首を縦に振るしかないだろう。Nの記事のことで相当の不信感を持たれたのは確かだが、それでもサカモトとのあいだにはまだ基本的な信頼関係は残っていると思う。そこを信じて交渉する以外に手段はない。
 イシガキとは銀座の「あさの」で待ち合わせた。奥の座敷で朱塗りのテーブルを挟んで向かい合い、食事をしながら二人きりで二時間ほど話し込んだ。名物の鯛茶漬をイシガキは三杯も平らげ意気軒昂な様子だった。
 イシガキはすんなりタケヒコの申し出を了承した。ヨシダを出すなんてフジマキもどうかしてるんじゃないか、と呆れ顔になり、今晩中にフルカワさんと話して、ナカヤマ放出でまとめておくよ、と請け合った。フルカワとは人事担当の専務の名前だ。いかにも初耳という様子だったが、そんなはずはなかった。ヨシダの異動は人事部経由で報告され、局長である彼も同意していたに違いない。
 連載中止の件やコマイたちの遣い込みの件で生じたわだかまりも表面上はまるで感じさせず、今回の定期人事の要点や六月の役員人事の見通しなどを詳細にイシガキは解説した。コマイとの契約停止、シノハラの業務部門への転出についても、六月の総会が終わったら可及的速やかに手をつけるよ、ときっぱり言い、来月からカワバタが月刊に行ってくれれば、俺も大船に乗ったようなもんだな、と上機嫌だった。タケヒコは却ってその取って付けたような快活ぶりを訝しんだ。役員昇格はどうやら内定したようだったが、それとは別にこの男は裏で何か画策しているのではないか、という気がした。最近無沙汰にしているジュンナを近いうちに誘って、このところのイシガキの様子などを聞き出してみなくては、と考えていたのだった。
 店を出ると、これから赤坂方面に繰り出すというイシガキのために昭和通りでタクシーを拾ってやった。車に乗り込む直前、カワバタ、お前ちょっと顔色悪いぞ。あんまり無理するなよ、と耳元で囁くように言った。
 この男にすればこれが精一杯の皮肉ということか、と思いながらタケヒコは笑顔で頷いてみせたのだった。
 九時半にはホテルの部屋に入った。ホテルニューオータニのガーデンタワー。今夜は二十七階のデラックスツインを予約しておいた。五年のあいだ年間実売部数を一度たりとも落とすことなく、男性総合週刊誌売上ナンバーワンの座を保持しつづけてきたのだ。週刊誌最後の夜にその程度の賛沢をしたところで罰は当たるまい。ショウダを迎えるにしても好都合というものだ。
 上着を脱ぎ、冷蔵庫からミネラルウォーターを一本抜いて、その水でティーエスワンを飲んだ。一人掛けのソファに腰を下ろし、手にした空っぽのタブレットシートをしげしげと眺めてみた。こんな小さなカプセルを朝晩たった三個ずつ服用するだけで、どうして休薬期間中の重い憂鬱が嘘のように晴れてしまうのだろうか。これは抗不安薬でも安定剤でもない。ただの抗ガン剤だというのに。
 やはり自分はそれだけガンの再発を恐れているのかもしれないとも思うが、それもまた実感とは遠い気がするのだった。
 タケヒコはガンを告知されたときもさほどショックは受けなかった。
 ユキヒコの小さな遺体を思い出し、彼を死なせてしまった自らの責任を思えば、たとえ末期ガンと宣告されていたとしても不安や動揺は覚えなかったに違いない。タケヒコにとってみれば八年を経たいまでも、「ユキヒコの死」の方が「再発を危倶されるガン患者である」という現実よりもやはり過酷な体験なのだ。
 十時きっかりにショウダから連絡が来た。部屋番号を告げ、いつでもいいよ、と言う、じゃあ五分で上がって行きます、とショウダは言った。
 ショウダが持参したシャンパンを開けて、小さなテーブルを挟んで差し向かいでまずは乾杯した。顔を合わせるのは二カ月ぶりくらいだったが、いつも通りの物静かな雰囲気は変わらない。大学時代は名の知れたビッグバンドの一員として全国を回っていたそうだが、ベーシストだったというのがいかにも彼らしい。こんな穏やかそうな男が、実は日々妻に暴力をふるう悪質なワイフビーターだと誰が想像できるだろうか。
 ショウダは、買ってきた何種類かのチーズの包装を丁寧にはがし、いつも携帯しているという万能ナイフでスライスして白い皿の上に器用に盛りつけていった。ナイフを使っているショウダに、ところで折り入ってお願いしたいことって何?とシャンパンを舐めながらタケヒコは言う。ショウダは手を止めてタケヒコの方へ顔を向けた。
 カワバタさん、N先生のことはもう勘弁してやっていただけませんか。
 意外な名前がショウダの口から飛び出した。
 タケヒコはテーブルにグラスを戻して姿勢をあらためた。
 うちらの業界にもつながりってものがありましてね。もしこれ以上カワバタさんの雑誌でN先生の記事はやらないとお約束いただけるなら、こちらとしても今後はいままで以上のお付き合いをさせていただくつもりなんです。
 だけど、どうしてショウダさんがそんなこと言うの。Nとローズってどこでどうつながってるのよ。
 これ以上は勘弁してください。ただ、今回はどうしてもカワバタさんに折れて欲しいんです。俺の面子を立てると思ってOKしちゃもらえませんか。カワバタさんには悪いようにはしませんから、ショウダはそう言うと頭を下げてみせた。
 タケヒコは、あれは三週やって一カ月前に終わった記事なんだよ。Nが三役を辞めたことで当初の目的は果たしたわけだし、第二弾をやるかどうかもまだ決めてるわけじゃない、と言ったが、カワバタさん、つまんない肚の探り合いはやめにしませんか、と顔を上げたショウダはドスの利いた声で言った。
 サカモトさんでしたっけ。N先生もほとほと手を焼いておられるようです。このままだとオヤマダ総理にまでとばっちりが行っちまいそうで、それが一番厄介なんですよ。
 なるほど、とタケヒコは内心で納得した。サカモトは周辺取材だけでなくNへの接触も続けていたのだ。オヤマダ―アサノのラインで記事が止まったと思い込んでいたNとすれば困惑しきりなのだろう。先方はむろんサカモトが独断専行しているとは思っていまい。といっていまさらオヤマダに泣きつけない事情がNにはあるのかもしれない。
 一つ確かめたいんだけどね、ショウダさんはNサイドの人間として動いてるの。それとも官邸サイドなわけ。
 ショウダはにやりと笑った。
 まじりっけなし、本音で話しますよ。うちの事務所はN先生と関係の深いある方に大層お世話になってるんですよ。その方に先生が相談を持ち込まれて、それで回りまわってうちに話が来たというわけです。
 ショウダ・オサムは、そのある方の書生を長くやっていて、メディア絡みのトラブルシュートはショウダの裏稼業でもあったというわけだ。
 そのある方というのが関東に根を張る組織暴力団のトップであることはタケヒコも察しがついた。ミムラ・ユリエからも、夫が若い時分、そのトップにずいぶん可愛がられていたらしいと聞いていた。もちろん彼女は結婚して初めて知らされたようだ。
 ショウダというのは、こう見えて裏世界ではなかなかの実力者なのかもしれない。ローズ・プロモーションが企業舎弟だという噂は業界内でかねてから囁かれていた。
 もし、俺がノーって返事したらどうなるの。
 タケヒコは少し間を置いてから言った。
 だから、イエスってことでおさめて欲しいんですよ。さっきも申し上げましたように、今後のことは特段に配慮させていただきますんで。
 ってことは、グラビアアイドルが抱き放題ってこと?
 お望みなら、どんな売れっ子でも調達させていただきます。
 タケヒコは、それにしても皮肉な展開になったものだと感じていた。アサノからの圧力もあってNのインド案件がらみの記事はお蔵入りと決まったのだ。サカモトがごちゃごちゃ動き回れるのは今夜限りでもある。Nが今回の社内の動きや人事をつぶさに把握できていれば何もこんな物騒な真似までして記事を揉み消しにかかる必要などこれっぽっちもない。
 ショウダさんの提案についてはよく理解したよ。少し時間をくれないかな。返事は来週にでもさせてもらう。今夜はそれでお開きにしよう。
 タケヒコはうんざりした声を作って言った。
 そういうわけにはいきませんね。絶対に記事にしないという約束をいただくまでは帰れません。ガキの遣いじゃありませんから。
 それは困ったな。外部からのこんなくだらない圧力で記事を潰すなんてことはうちの雑誌にとって前代未聞の話だ。それに、最初からハイと言うしかないんじゃ脅迫と同じだろう。
 カワバタさん。これは安手のテレビドラマとは違うんですよ。こっちも精一杯お願いしてるんです。もう少し真剣に考えていただけませんか。
 衣の下のヨロイをちらりってところですか。
 タケヒコはチーズを一切れつまみながら言い、それで、エチゼン・マナやフジサキ・リコのことで脅迫でもするつもりなわけ、と言う。
 ま、そんなところです、とショウダはあっさり頷き、一つ深い溜息をついた。
 ショウダはスーツのポケットから携帯を取り出すと開いてテーブルの上に載せた。最新式のアクオス携帯のようだ。横にしたディスプレイをタケヒコの方へ向ける。ショウダは黙ってボタンの一つを押した。顎をしゃくって映し出された画像を見るように促す。始まって映像を見るまでもなく、流れ出してきた音声で、それがいつどこで撮影されたものであるかは分かった。どうりでフジサキ・リコが電話に出ないはずだと思った。
 二分ほど眺めたところで、タケヒコはリコとの痴態がつづく映像を終了ボタンを押して打ち切った。
 なかなかうまく撮れてる。録音状態も悪くない。しかしあの狭いバスルームによくカメラを仕込めたもんだ。もちろん彼女も了解の上でってことだろうね。
 はい、とショウダは表情を変えずに言う。
 なるほど、それであんな電話をいきなり掛けてきたってわけか。
 呟きながら、あの日、耳元で聴こえたユキヒコの声をふと思い出した。
 で、これをどうしようっていうの。
 タケヒコは今度は本当にうんざりした声で言った。
 この映像の取り扱いを決めるのはカワバタさん御自身だと思いますが、とショウダは言った。
 タケヒコは、この程度の代物で脅せると思ってるんなら、やっぱりあんたは俺を舐めてるよ。別に強がってるつもりはないが、俺はこういう脅しには屈しないと決めてるんだ、と言った。
 そうですか、とショウダはテーブルの上の携帯を取り上げると畳んでポケットにしまった。ショウダは、困りましたね、とまた溜息をついた。
 こういうのはくだらないよ。そんなに書かれたくないなら直接連絡してくるようにNに伝えてくれ。あんたやあんたの親分をパシリ扱いしてこんなことをさせてるようじゃ、彼のこれ以上の出世はとても見込めない。そんな政治家と付き合ってもあんたたちにメリットはまるでないと俺は思うけどね。
 カワバタさんがそこまでおっしゃるんなら、少し考えて下さって結構です。俺も結論を急ぎすぎたのかもしれない。
 そうしてよ。
 分かりました。
 ショウダの空のグラスにタケヒコはシャンパンを注ぎ、チーズをまたつまんで、このチーズは上等だ、と言うと、もう一つだけいいですか、とショウダがグラスを持ち上げながら言った。
 タケヒコはチーズを齧りながら頷く。
 カワバタさんも結局、今回の件では利用されているだけなんです。そのことをご存知ですか。
 タケヒコはしばらく考えてから、いや、全然心当たりはないけど、と言った。
 最初のネタ元はM大のタケノウチ教授でしたよね。そのタケノウチ教授と奥様のミオさんは長年の愛人関係にありまして、今回の件も、タケノウチ教授が奥様に頼んでカワバタさんにインドの資料を持ち込ませたんですよ。要するに奥様は愛人の歓心を買うために夫であるカワバタさんを利用したわけです。タケノウチはもともと過激派のシンパの疑いが濃厚な男ですし、その点では奥様も利用された口かもしれませんが。
 タケノウチが北大勤務時代に過激派のシンパだったという疑惑についてはタケヒコも知っていた。彼の資料を基に取材を始める前に警察のルートを使って調べたのだ。しかし、あの男とミオができているとは思いもよらぬ話だった。
 タケヒコはしばらくのあいだ黙り込むしかなかった。おそらくショウダの言っていることは事実なのだろう。彼の言うように、タケヒコはミオとタケノウチにまんまと利用されたということになるのか。
 まいったな。
 これ見よがしに吐息をつく。ショウダの方からしてやったりの空気が流れてくる。タケヒコは内心ほくそえんだ。
 しかし、夫婦や家族というのは面倒なものだね、とタケヒコは言った。
 顔を上げてショウダの無表情な顔を眺める。ユリエから聞いたショウダの生い立ちを頭の中で反芻する。彼は幼少期、実の母親から凄絶な虐待を受けつづけたという。今でも全身にその頃の傷跡が残っているんです。ペニスにも煙草の火を押し付けられた痣が何カ所もあります、とユリエは夫の暴力の背景を語ってくれた。
 タケヒコはさらに続ける。
 仲が良ければいいでわずらわしいし、隙間風が吹いていれば日々がむなしい、不仲だとそれこそ死にたくなっちまう。まったく人間は何のために家族なんて代物を作るんだか。そういう意味じゃショウダさんのように最初から家がめちゃくちゃだったっていうのも、今となっては却ってさっぱりしていいのかもしれない。おかげでショウダさんは家族に対する幻想を一切持たずに成長できたんだろうからね。
 ショウダの顔つきがみるみる青ざめていくのをタケヒコは黙って見つめる。
 ケンゾウ君のかつての恋人がショウダの妻だと知ったとき、タケヒコはショウダという男が自分に対して決して優位に立てないことを知ったのだった。人と人とのあいだにはそうした抜き差しならぬ優劣関係が稀に存在する。ショウダにとってタケヒコはいわば天敵のようなものなのだ。
 彼にすれば災難としか言いようのないことではあるが。

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