第一部 人生に甦る
時は、1775年の11月のこと。ロンドンを出てドーヴァーに向かう郵便馬車に乗っていたジャーヴィス・ローリーにあとから早馬で追いかけて来る男がいた。男の名前はジェレマイア・クランチャー。ロンドンのテルソン銀行の雑用係である。彼はテルソン銀行からの伝言メモを届けにきたのだった。ローリー氏は、テルソン銀行の古株の銀行マンで、これからドーヴァーを経て、パリまで行く途中であった。 クランチャー氏が渡したメモには、ドーヴァーで令嬢を待て、と書いてあった。ローリー氏は、それを読んで、返事は“人生に甦った”だ、とクランチャー氏に伝えた。彼はその奇妙な返事に驚くが、ローリー氏は、そう言えば分かる、と念押した。 ドーヴァーに着き、ロイヤル・ジョージ・ホテルの前で降りると給仕長が出迎えてくれた。そのホテルで、ローリー氏は、ルーシー・マネットという令嬢と十七年ぶりに会うことになる。 ルーシー・マネットはアレクサンドル・マネット医師の娘で、そのマネット医師は二十年以上前にローリー氏がパリ支店に勤めていた頃のテルソン銀行の顧客であった。彼は正義感の強い硬骨の人々でもありパリの貧しい庶民にも信望の厚かった人物である。そのマネット医師が、ある日突然行方不明となってしまい、彼が殺されたのか投獄されたのか誰も分からなかった。イギリス人だった彼の妻も必死に探したが、行方は分からず、程なく生まれた娘ルーシーは父親は亡くなっと教えられて育った。ルーシーが生まれて二年後には母親がなくなり、孤児となった二歳の娘ルーシーはローリー氏の手で母親の母国であるイギリスに引き取られて行った。 それから二十年ほどが経ち、二人は顔をあわせることになった。テルソン銀行ではマネット医師が存命であることが分かり、とりあえず彼を訪ねるためローリー氏をパリに向かわせることになったのだが、その際ルーシー嬢も一緒にどうかとの銀行からの誘いにルーシー・マネットも応じ、こうして二人はドーヴァーのロイヤル・ジョージ・ホテルで落ち合って、ともにパリへ向かうことになったのである。 マネット医師は、すでに監獄を出ていたが、出獄後はかつてマネット医師のもとで働いていたエルネスト・ドファルジュの経営するパリの下町にある酒店の屋根裏部屋にかくまわれ、その薄暗い部屋で、黙々と靴造りをしているという。十八年間の投獄生活で精神にも異常をきたしていて自分が誰であるかも分からず、娘にたとえ会っても、その状況を理解することすら困難な状況であるらしい。 しかしルーシーと会い、はじめは牢番の娘かと思いこんでいたマネット医師も、しばらく言葉を交わすうちに、目の前にいる若い女性の声に耳を傾けるような素振りを見せるようになり、ルーシーのほうでも父親がまだ意識がはっきりしないとはいえ、そこになにかしら血のつながりのようなものを感じたのである。マネット医師も、なにか心を突き動かされるものがあったのか、娘の腕の中に顔を埋めて涙を流した。 それは、ローリー氏にとっても、ドファルジュにとっても感動的な光景であった。ルーシーは、一刻でも早く父をここから連れ出してイギリスに連れて帰りたい、とローリー氏に強く頼み込んだ。こうして、マネット医師は、ルーシーとローリー氏に付き添われてロンドンに向かうことになったのである。
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