作品について
この作品は1945年10月から翌年の1月まで64回にわたり新聞に連載され、1946年に単行本として出版された。 この作品の元になったのは、1943年5月に病苦により22歳で自死した木村庄助という青年の療養日誌である。太宰と木村庄助との出会いについては、津島美知子『回想の太宰治』に、次のようにある。
昭和十五年七月、京都府綴喜郡青谷村の自宅の離れ家で療養中の木村庄助さん(大正十年一九二一年生まれ)は長文の「太宰への手紙」を二度に分けて太宰宛送った。八月「『晩年』の『葉』で読んだから」と手紙を添えて宇治茶一鑵を送った。木村さんは茶問屋の長男である。
太宰の返信ははがき三通で、それには今後五年間自重の生活を送るよう、その後文学上のつきあいをすることを約束する、物を送ってはいけないとあった。(中略) 太宰の返信はいつも簡単な走り書きであった上、五年後に会おうとつき放されて、木村さんはこれからは朝夕太宰を思い、太宰に話しかけるつもりで日記を書いてゆこう、それを生き甲斐にしようと考え、病床でこまごまと日記を書きつづけていった。
三年後の昭和十八年七月、太宰は木村さんの父君から木村さんの計報と、遺志によって送られた「太宰を思う」(「善蔵を思う」にちなんだ題名)日記十冊ほどを受けとった。
日誌は全部で12冊、きちんと装丁され背に「太宰治を想ふ」と題し死後太宰に宛てて遺された。小説の題材となった健康道場での療養生活のくだりはそのうちの巻八と巻九であったとみられる。
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