木村庄助が入っていた療養所は孔舎衙健康道場といい、香川県生まれの篤志家吉田誠宏が私財を投げ打って結核患者の救済のために孔舎衙(くさか)村(現東大阪市)に開設した施設である。吉田誠宏は医師ではなく剣士で、この施設には顧問に医師はいたが、吉田は自ら場長となり、彼が提唱する独自の臍下丹田呼吸法に基づく結核療病法により運営していた。その名の通り健康道場である。
道場での日課は小説にもあるように屈伸運動鍛練、冷水摩擦、掛け声挨拶で、免疫力や自然治癒力を高めて結核を克服しようとするものであった。小説のなかの「やっとるか」「やっとるぞ」「なーにくそ、がんばるぞ」「よーしきた」という掛け声挨拶は日誌に書かれた通りのものである。 |