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太宰治『パンドラの匣』(新潮文庫)
作品についてあらすじ  

あらすじ
 ここ健康道場では同室の患者たちにはそれぞれあだ名がつけられている。主人公はひばりだ。それからすぐ隣の東京で新聞記者をしていたという中年の大月松右衛門は越後獅子である。娘と二人暮らしだそうだ。その隣の左官屋で28歳の美男の独身青年は、木下清吉といいあだ名はかっぽれ、都々逸を唄うのが得意だ。さらにその隣が西脇一夫、郵便局長をしていたらしいが、まだ35歳、あだ名はつくしという。ひょろ長く、上品な感じで、小柄な奥さんが時々見舞いに来る。ひばりが一番気に入ってる人でもある。
 さて、ここでは院長のことを場長と呼び、その他の医師は指導員、看護師は助手、そして患者は塾生と呼ばれている。職員にもそれぞれ患者たちからあだ名を付けられている。院長は清盛だ。あとは助手たちだが、三浦正子はマア坊と呼ばれていて、どうやらつくしのことが好きらしい。看護師長の竹中静子は竹さん、それから眼鏡をかけているのがキントト、痩せているのがうるめ、パーマをかけ厚化粧の助手は孔雀、他には赤鬼のお面を連想させるからカクランなどという者もいる。
 主人公は、手紙で自分が気に入っているのはマア坊だと書く。しかし、その直後乾布摩擦で、自分の担当になったマア坊にひばりが一番いいな、と言われ、さらに悩みがあるのよ、と言って涙ぐんだので、ひばりは戸惑ってしまう。さてはつくしが北海道の方に転院するという噂があるからだと思い、ひばりがそのことを言うと、ばかにしないで、と怒って部屋から出て行った。
 看護師長の竹さんはさすがに何をするのもテキパキしていて、そつがない。手紙相手の友人はこの竹さんがお気に入りらしい。でもひばりは竹さんは大柄で、あまり美人でもないし、たしかに気品はあるがそれ以上の興味を感じないと書く。竹さんはひばりにそれとなく好意を示してくれるが、ひばりはそれが却って鬱陶しいとも書く。
 それから、しばらくしてつくしがやはり北海道に転院となった。マア坊がつくしを送っていくことになり、送りがてら彼女は塾生たちにとお土産を買ってきた。マア坊は好きな人と別れてきたはずなのに少しも哀しそうではなかった。マア坊はひばりの他のみんなにはお土産を大声で配って歩いていたが、ひばりにはあとからそっとくれた。シガレットケースだった。他の人たちのより高価なものであったが、ひばりはなんだかちっとも嬉しくなかった。
 つくしの後に入ってきたのは隣の部屋から移ってきた固パンだ。須川五郎という26歳の法科の学生。助手さんたちにも人気があるらしい。固パンとかっぽれがささいなことで言い合いのケンカになったことがあるが、まもなく収まった。
 そんなある日マア坊が冷水摩擦の折にこの手紙読んでとひばりに手紙を見せた。それはつくしからのものだった。最後に万葉集からとった恋歌が書かれていた。つくしはマア坊に宛てて年甲斐もなくラブレターを書いたのだ。話を聞くとマア坊はつくしの奥さんから見送りの時に白足袋を二足もらったので、そのお礼の手紙を出したら、こんな手紙がつくしから届いたという。こんな手紙、いやだわと彼女は言う。君はでもつくしのことが好きななんだろう、と言うと、好きよ、と言う。奥さんのある人を好きになったってしょがないじゃないか、とひばりが言うと、だってひばりを好きなってもしょうがないでしょう?、と言いそれから泣き出した。
 ひばりはマア坊を慰めようとした。しかし、マア坊はしばらくすると冷静になって、早く部屋にお帰り、人に見られら悪いわ、と言った。ひばりが見られたって構わないと言うと、とんまね、ひばりは、と言った。
 それからマア坊が言うにはひばりは竹さんも含めて沢山の助手から好かれている。でも、変な噂を立てられたらあなたが困るからみんな遠慮しているのだ、と言い、でも自分は違う、ひばりのことなんかちっとも好きではないから平気なんだ、と言った。そして、最後に竹さんとなかよくしちゃ駄目よ、と言ったのだ。
 その後でひばりは竹さんの夢を見た。竹さんが夜明け前から洗面所の床板をごしごし拭いていた。その音に引き寄せられてひばりは洗面所に行き、竹さんのその後ろ姿を見てひばりは激しい欲情を感ずる。しかし、竹さんは振り向いてこちらを見ると、裸足で出て来たらいけないわ、と行って足を拭いてくれてスリッパまで貸してくれたのである。夢の中で竹さんの優しさをひばりはしみじみ感じた。
 一方で、道場では近く進駐軍がここに来るのではないかとの噂が起ち、英語が得意だと自慢気にしていた固パンが、実は書くのと読むのは得意だが、話すのはてんで駄目だと打ち明け、ひばりに書いた英文を読んで欲しいと持ってきたりした。
 それから、部屋では越後獅子を囲んで久しぶりに会話がはずんだ。固パンは自由思想について盛んにその方面の知識を披瀝したが、やがて越後獅子がそれを引き取り、最後は彼の独壇場となった。
 また、隣の白鳥の間では、進駐軍が来るということで、助手たちの厚化粧は進駐軍に媚びるものであり、日本の恥である。とりわけ厚化粧の孔雀などは即刻追放すべきである、と一同意見が一致した模様。こちらの部屋にも賛同を求めるとの回覧板が回って来た。桜の間では賛同者はほとんどいない。
 そこで、ひばりはここは自分に任せてと言い、白鳥の間に出向き、今晩、就寝の時までにはお知らせしますから、それでご判断下さいと言って帰ってきた。結局ひばりはその回覧板を竹さんに見せ、竹さんの力を借りてなんとか解決しようと思ったのだ。竹さんは見事に解決してくれた。その晩、放送が流れ、助手さんたちが化粧については自発的にこれを改めるとの申し出があったことが知らされた。さらに孔雀はみずからマイクの前に立ち、私こと、と言ってから、時節や場所をわきまえず残念なことをして申し訳ありません、と詫びたのである。この日から孔雀は、私ことと呼ばれることになった。
 それからまもなく手紙を交換しているひばりの友人が道場を訪ねてきた。友人は竹さんを見てひどく驚いたようだった。それは竹さんがあまりにも美人であったからだ。友人は竹さんを美人に違いないと言っていたが、ひばりはそれは竹さんの品性が竹さんを美しく見せているにすぎないと思っていたのだ。
 友人の訪問は、そのほかにもう一つ大きな衝撃をもたらした。それはあの越後獅子が、かの有名な詩人の大月花宵だということを友人が彼の顔を見ただけで見抜いたのである。ひばりは、そのことを2、3日は黙ってたが、我慢できなくてマア坊にこっそり言ったら花宵先生の評判はたちどころに広まり、先生はみんなからの尊敬を浴びることになった。
 しかし、やがてひばりには哀しい知らせが届く、竹さんが道場の場長のところへお嫁にいくことが決まったというのだ。それを聞いてひばりは大きな衝撃を受ける。そして自分が竹さんに恋していたことを手紙で友人に白状する。マア坊からは、竹さんが本当はひばりのことが好きだったと知らされる。そして、竹さんは結婚の話が出たあと、お嫁に行きたくないと、三日三晩泣いたそうだ。マア坊は、竹さんはひばりが恋しくて泣いたのだ、と言った。
 そのあと竹さんが昼膳を運んで来てくれた。竹さんはふだん通りに振る舞っていたが、ひばりが、竹さんおめでとうと言うと、彼女はひばりの腕の付け根あたりをつねった。それから小さな声で、かんにんね、と囁いた。ひどいやつや、とひばりは言い、竹さんが、おおきにと言った。二人は和解できたのである。
 花宵先生が道場からの依頼で講演することになった。献身についてと題するものだ。
 その話を聞いてひばりも反省させられた。自分は新しい男になったと自負してきたが、花宵先生は献身には猶予は許されない、どうやったらうまく献身できるかなどと考えていたらいけない、時々刻々が献身でなければならぬ、いかに見事に献身すべきかなどと工夫をこらすのも無意味であると、言っている。自分はいままで、献身の身支度に凝り過ぎた、こらからは新しい男の看板などは下ろして自分なりの歩調で前に進んでいこうと思う。
 
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