作品について
この小説が出版されたのは昭和17年6月、太平洋戦争の真っ只中である。前年の12月に真珠湾攻撃により日本はアメリカと戦争に突入している。この小説ではそうした戦争を感じさせる言葉は一言もない。 というのも、この作品は太宰の弟子であった堤重久の弟堤康久の日記を元に書かれたものであり、その日記が書かれたのが昭和10年頃で、太宰自身も作品のあとがきでこの作品の背景は昭和10年頃の日本だと、記している。 太宰が日記を借りたのは昭和16年末で、その時堤康久は二十歳で前進座の研究生であった。この日記は康久が十六歳から十七歳にかけて書いたものである。兄堤重久によれば、作品の中に流れるキリスト臭は弟の日記にはかけらもなく、当時自分たちをとらえていたマルクスがキリストに置き換えられてる、という。 なお、康久(以下に写真掲載)はその後東宝でドラマ、映画など多数に出演、活躍した。また、兄重久(以下に写真掲載)は東大独文科を出て文学を志し、1940年より太宰に師事し、亡くなるまでで7年間太宰のもとで文学修業をした。太宰死後、京都に移り、京都産業大学で教えた。
本のタイトルは、聖書のマタイ伝六章十六節から主人公芹川進が思いついた「微笑をもて正義を為せ!」のモットオから来ている。小説は日記形式をとっている。兄から聖書の一節を読んでもらった翌日、十六歳の主人公芹川進は今日から毎日日記をつける、と決めた。それはまさに「自分探し」の旅への始まりであった。
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