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白石一文『砂の上のあなた』(新潮社)
 作品について | あらすじ T  U 

あらすじ T
白石一文『砂の上のあなた』(新潮社)

 主人公は西村美砂子。美砂子は、父西村周一郎、母恂子の三女。長女美貴子と次女美智子は母親に似て器量良しだったが、美砂子は父親似で勉強は一番できたが、器量はそれほどでもなかった。父親の周一郎はそんな美砂子を不憫に思っていたのだろうか、とくに可愛がった。
 美砂子が、これまでの人生三十五年間で最も愛した男は高遠耕平だった。彼とは大学生の時に知り合い、一年半ほど付き合った。しかし美砂子が大学を卒業しソニーに入社し、程なくして高遠は英国への二年間の留学を決めた。その時、耕平から、一緒についてきて欲しい、と言われたが、美砂子はその申し出を断ってしまった。
 折角入社したソニーでのやりがいのある仕事を投げ出すことができなかったのが一番だが、折悪く、父親の周一郎が交通事故に合い、右大腿骨頸部骨折で入院したため、その父親を放って海外に出掛ける気持になれなかったことも大きかった。
 結婚するにしても、留学は二年間だし、彼の帰国を待ってからでも遅すぎることはないと、そう踏ん切りをつけた。
 お正月には、ロンドンに行くね、という約束をして高遠を見送ったが、その約束は果たされることはなかった。高遠耕平は、三カ月もしないうちに異郷での暮らしに鬱病を発症し、十二月初旬に異変を知って美砂子が現地に向かった時には、すっかり別人のように変貌していた。そして、駆けつけ両親とともに日本へ帰国したのちは、医師の勧めもあって郷里の熊本へ引き上げて行った。
 その後一年ほどは本人と両親ともやり取りが続いたが、病状は好転するどころか悪化の一途をたどり、そして二年後には彼の親とも話し合って、かつての婚約者と正式に縁を切ることに決めた。美砂子、二十五歳の年であった。
 美砂子は、今やすでに三十五歳である。高遠との破談からおよそ二年経った二十七歳の時に、西村直志と結婚した。結婚後も、そのままソニーに勤めていたが、四年前父親が亡くなったその翌年の三月に退職した。そして九月に都心から離れた郊外の海沿いのマンションに引っ越してきた。
 家族で一番頼りにしていた父親が亡くなったのがきっかけで美砂子は、突然子供が欲しくなり、そのマンションに移ってからは、夫婦で子作りに励んできたが、一向に妊娠する気配がない。
 そんな折りに、美砂子にある男から電話がかかってくる。その男は、美砂子にあなたの父親である西村周一郎さんがある女性に宛てた手紙を預かっているので、一度直接お会いしてお話がしたい、というのだ。
 マンションの近くのタリーズコーヒーで待ち合わせ、その男に会ってみると、父親が手紙を出した相手の東条紘子はすでに亡くなっていて、なんと西村周一郎と二十年以上もの間深い仲だったというのだ。
 その手紙を持ち込んできたのは、東条紘子の息子を名乗る男であった。年齢は、夫の直志と同じくらいで、痩せた長身のどことなくミュージシャン風のなりをしていた。貰った名刺には「カヌー 鎌田浩之」と書かれていた。門前仲町で、昼は喫茶店、夜はスナックの小さな店をやっているという。
 平成四年七月二日付けのその手紙の筆跡は、間違いなく周一郎のものだった。あの父が愛人に宛ててこんな手紙を書いていたのか、美砂子は、その事実に衝撃を受ける。
 手紙を読んでみると、少し前に二人で京都に旅行したらしく、二年ぶりの二人旅はとても楽しかった、二人差し向かいで、誰に遠慮もなく飲めるというのはなんなともありがたい至福の時間でした、と父は書いていた。さらに、会えない分だけきみを思って日々を過ごしています、という台詞もある。
 この歳になって実の父親の愛人宛の恋文を読まされるなんて美砂子は恥ずかしさでいたたまれない思いだった。まるで夫婦の閨房を覗きみたような、そんな身悶えしたくなるような、顔面を思わず両手で覆いたくなるようなが激しい羞恥が込み上げてくるのをおさえることができなかった。
 しかも、母恂子について、妻はああ見えてすこぶる気の強い人です、と書き、また気位の高い人間との生活は限りなく人間を消耗させるのです、とも書いてあり、東条紘子という女性に対する父のあさましいその媚びへつらいにも不快を禁じえなかった。
 そして、後半部分において、父西村周一郎は、自分の遺骨の一部を分骨してほしいというあなたの願いを是非かなえてあげたいが、その場合には、三女の美砂子に事情を話して計らってもらうのが一番いいのではないか、と書いていたのである。 
 鎌田浩之がわざわざその手紙を美砂子に持ち込んできたのは、なんとか母親の分骨の願いを叶えてあげられないだろうか、という思いからだった。
 美砂子は、確かに手紙は父親が書いたものであることは間違いないが、自分は父親からはなにもこの件については聞いたことがないし、この手紙が書かれてから父親はさらに十三年も生きているので、これが父の最終的な意志であったかどうかは確認がとれないので残念ながらお断りします、と鎌田浩之に言った。それでも鎌田浩之は、しつこく食い下がってくる。
 牛島先生の遺骨は、清澄にある正弦寺の納骨堂にあるはずですが、母の東条紘子も亡くなったあとに同じ正弦寺の納骨堂を買い、今二人は同じお寺に眠っているのです。二人が死ぬまで互いを思い合い、せめて死んでからは正真正銘一つになって眠りたいと望んでいたことは間違いないのです。それは息子である俺が証明しますから、と言った。
 美砂子は、たとえそちらのお母様と父とがかつて特別な関係であったとしても、母をはじめ残された私たちには何一つ関係ないことですし、もし私が一存で父の遺骨を分けるようなことをしてしまえば、それこそ母の名誉と尊厳を著しく傷つけることにもなります、と言い、あらためて拒否した。
 あんまり堅苦しく考えないで、うちのお袋の望みを叶えてやってもらえませんかね。ほんの一粒のお骨でもいいんです、それをお袋の骨に混ぜてやれば、それでもう満足だと思うんです、と浩之は、なんとしてもと粘る。
 渋っている美砂子に、浩之は、テーブルの上の手紙をふたたび美砂子の方に差し出し、今日この場で結論を出すのだけはやめてもらえませんか。この手紙を、せめてもう一度、読み返して、その上でもう一度考えてください。お袋の命日は半月後の六月三日なんです。それまでには済ませたいと思っているんです。もし万一美砂子さんの気持か変わるようなことがあったら、その名刺にある番号に電話をかけてもらえればいいですから。それまで美砂子さんからの連絡を待って、来ない時には俺もきっぱりあきらめます。
 いつの間にか、浩之は美砂子さんと呼んでいた。

 結局、美砂子は、この件について直志にも話し、それなら僕も一緒に納骨堂に行くよ、と言ってくれたので美砂子は浩之に、父の墓参りに行くことにしたのであなたもご一緒にどうぞ、と伝えた。分骨の申し出を受け入れるがどうかは、あらためて鎌田浩之の顔を見て最後の判断をしようと決めていた。
 しかし、納骨堂へ行くその前日になって直志は急に出張が入って行けなくなったと言った。しかたなく美砂子は一人で行くことにした。
 清澄庭園の入口で浩之と待ち合わせ、そこから歩いて五分ほどのところにある正弦寺に向かった。
 鎌田浩之は、黒のスーツに黒のネクタイを締めてやってきた。細い体が一層細く見えた。連れ立って歩きながら、その姿がルパン三世の次元大介にそっくりだな、と思い美砂子の顔に思わず笑みが漏れる。そう言えば、美砂子は子どもの頃、ルパン三世の漫画がお気に入りで、とくにあの次元大介が大好きだったのだ。
 周一郎の遺骨を納めた仏壇は、納骨堂の中央にある御本尊の大日如来像に向かい合う位置の一角にあった。お焼香を上げられるのはその御本尊の前だけなので、二人はまず先にそこに向い、御本尊の前で浩之と二人で手を合わせ、お線香を上げた。そのあとで父親の仏壇のところに行き、仏壇の下にある棚の中に納めてある骨壷を美砂子は取り出した。
 その骨壷を浩之の方に手渡し、美砂子は浩之と向き合うかたちで立って、彼の持った骨壷のふたを開け、そのふたを逆さにして仏壇の盛器の上に置いた。それから骨壷の一番上に置かれた頭蓋骨と思われる大きな骨を取り出し、ふたの上に置いた。その下にある三センチ四方位の骨を取り上げて、これでどうですかと浩之に聞くと、そんな大きな骨じゃなくていいです、ほんのひとかけらで構わないですから、と浩之は言う。美砂子は、それじゃあと、中指の先ほどの小さな骨を指す。浩之が、はい、と言ったので、その骨を取り出して、持ってきた白いハンカチに包んだ。
 周一郎の骨壷を元に戻してから、東条紘子の遺骨が納められた別棟にある納骨堂に向かった。別棟は、本堂の中とつながっていて、歩いてまもなくのところにあった。ここにも中央に御本尊が置かれ、その前でお焼香をするようになっていた。別棟に入ってから浩之はしばらく東条紘子の仏壇を物色するような気配で前を歩いていた。亡くなってからまだ一年ほどしか経っていないのに、仏壇の場所をはっきりと覚えていないのも少し変だなと美砂子は思ったが、ようやく探しあてて、ここです、と言ったのは、三列目の中央で、そこはけっして分かりにくい場所ではなかった。
 早速、浩之が東条紘子の骨壷を取り出し、お焼香はあとにしましょう、お父様の御遺骨をお願いできますか、と言った。美砂子は、バックからハンカチに包まれた遺骨を差し出す。浩之が骨壷のふたをとって仏壇の盛器の上に置き、ハンカチから遺骨を取り、それを骨壷の中に入れた。美砂子は、合掌しながら浩之の綺麗な手を見つめていた。
 父の遺骨が愛人の骨壷に納まったとき、美砂子は、不意に背筋に沿ってうなじから尾てい骨のあたりまで微弱な電流が流れたような痺れに似たものを感じた。妙な生々しさがあった。好きな男に初めて身体を触られたときのような、どことなく色めた生々しさだった。
 浩之が骨壷にふたをして深々と一礼した。じゃあ、お線香をあげに行きましょうか、と言われ、美砂子は合掌を解く。その時、今度は、下半身に疼きのようなものが走った。子宮がぴくんと引き攣ったような、セックスのときにたまに知覚される疼きだった。
 もしかしたら、排卵したのかもしれない、と美砂子は思った。排卵予定日は明後日だったはずだ。やっぱりこんなことをしてはいけないのだ、と思った。もし排卵したなら、卵子の生存期間は六時間だから、直志は明後日までは出張から戻らないので、今月もまた妊娠の可能性はなくなったことになる。
 具合でも悪いんですか、と浩之に声をかけられ、我に返る。いえ、お焼香をして引き上げることにしましょう、と美砂子は言った。
 焼香をすませ、仏壇のところに戻り、位牌のまえに置かれた骨壷を浩之が持ち上げる。しばらくすると浩之は、美砂子さん、これちょっと持ってくれませんか、と言い、いきなり骨壷を差し出してきた。美砂子がそれを受け取ると、美砂子さんも感じますか、と訊いてきた。思わず美砂子は、あったかい、と呟く。浩之が手を伸ばして、骨壷を受け取る。さっきよりあったかい、と言った。
 なにか特殊な化学反応が起きたのかもしれない、と美砂子が言うと、浩之は、まさか、だって東条さんとお父さんの骨を一緒にしただけですよ、と言った。東条さん、という一語に耳を留める。その気配を察したのか、浩之は、すみません、お袋のことときどき東条さんと呼んでいたんです、と言った。
 だんだん冷めてきました、と浩之が言った。触ると確かにさっきよりあたたかみは薄らいでいた。
 骨壷を戻したあとで、浩之は、よし。もう心配ない、と言い、美砂子の方を振り向いて、後半戦も無事終了です。今日は本当にありがとうございました、と大きな笑みを浮かべてみせる。
 美砂子は、ずいぶん迷ったんですが、これでよかったのかもしれません。いまの出来事でそんな気がしてきました、と自分に言い含めるように言った。
 今日、お袋と牛島先生は長年の思いを遂げたんでしょう。二人の思いが一つになって俺たちの知らない世界へと旅立って行ったんじゃないか。あんなふうに骨壷が熱くなったのは、きっとわだかまっていたエネルギーが解放されたからです。美砂子さんのおっしゃる通り、これでよかったんだと俺も思います、という浩之の言葉がすんなりと胸におさまるのを感じた。
 四時になっちゃいました。だいぶ予定オーバーですね、と言い、浩之は一度小さく頷くと、腕時計に目をやり、なんか腹減りませんか、とくだけた口調で言ってくる。
 よかったら、俺の店で何か食べて行ってください。大したもんは出せませんが、せめてものお礼です、と言われた。美砂子は、事が終了したらバッグの中の手紙を浩之に返して、家路につく心づもりだったが、直志が急の出張で福岡に出かけてしまい、今日はこのまま家に戻ってもやることがない、と思い、
そうですか、じゃあ、ちょっとだけお邪魔させてもらおうかしら、と口にしながら、この目の前の男とは今日限り二度と会うことがない、という事実に初めて気づかされた。
 門前仲町まで歩いて十五分くらいですが、と言って浩之は歩きだしたが、途中で激しい雨が降ってきて、結局タクシーを拾って店に向かった。
 カヌーは、思っていたより大きな店だった。カウンターの席のほかに、四人掛けのテーブル席が十卓もあった。店は二階建てのビルの一階にあり、二階は住居になっているようだ。浩之は店に入ると、そのまま二階へと上がり、バスタオルを持って降りてきて美砂子に手渡すと、再び二階にあがり、ジーンズとブルーのTシャツに着替えて降りてきた。
 美砂子が、靴を脱いで濡れた足を拭いていると、よかったらストッキングも脱いでください、あとで従業員に買にいかせますから、と浩之は言い、おーい、とカウンターの奥の二階に向けて声をかけた。すると三十秒ほどして若い女性が姿を現したのだった。
 まだ二十代前半だろうか。髪を金髪に近い色に染めた派手な顔立ちの女の子が降りてきた。彼女もブルーのTシャツにジーンズだったので、それが店のユニホームなのかもしれない。
 みなみ、お前、新しいストッキングあるか、と浩之が訊くと、彼女はちょっときょとんとした表情になった。
 牛島さんのストッキングがびしょ濡れなんだ、と浩之がいうと、ようやく合点がいったふうで、あると思うよ、とカウンターの隅に置かれたエプロンを手に取りながら言う。
 だったら二階に案内してそれを渡してあげてくれ、と浩之が言い、美砂子はななみとよばれたその女の子に案内されて二階にあがった。結局、ストッキングだけでなく湿った服も取り替えることになった。白いフレアースカートとピンクのカットソーを借りた。
 彼女は、浩之のいとこで星みなみという名前だと言った。美砂子はそれを聞いて、なぜか自分がほっとしたのを感じた。じゃあ、みなみさんのお母さんが東条紘子さんのごきょうだいなのね、と訊くと、はい。歳の離れた妹でした。とみなみは過去形で言った。
 美砂子さん、スタイルいいですね、とみなみはしきりにほめてくれる。それが嫌味でないのがこの子の持ち味なんだと思った。話し始めてみると最初の印象とは違ってよく笑う明るい感じの子だった。年齢は今年で二十二になるという。
 着替えながらドア越しにいろいろ話した。室内を見回し、それにしては殺風景だと思う。小さなテーブルと本棚があるのみで女の子の部屋らしさがまるでない。
 じゃあ、いまはここに住んでいるの、と訊くと、半年前まではそうだったんですけど、最近、近所に部屋を借りて引っ越したんです、と快活な声でみなみが言う。ああ見えて、おじちゃん、結構口うるさくって、という。おおかた彼氏でもできて別居を選んだのだろう。着替えたあともみなみの部屋でしばらく話した。
 彼女は熊本の生まれで、両親はいまも熊本市内で暮らしているという。三人きょうだいの一人娘で、母親、つまり東条紘子の妹が四十歳のときの子なのだそうだ。高校卒業後、地元の会社に勤めたが、美容師の資格が取りたくて一年前に上京してきた。いまは代々木にある有名な美容専門学校に通っているらしかった。
 熊本と聞いて、ふと高遠耕平のことを思い出した。浩之には、小さい頃にずいぶん可愛がって貰ってた、とみなみは言い、おじちゃんは紘子おばちゃんとは一緒に暮らしてなかったから、と言い足した。
 鎌田の家も東条の家ももとは熊本で、浩之も大学出るまではずっと熊本にいたという。みなみは開けっ広げに何でも話してくれる。東条紘子と浩之の父親である鎌田なにがしは正式に結婚していなかったようだし、紘子にはせっかく生んだ息子を相手方に手放さなければならない事情があったのだろう。浩之が東条さんと言っていたのも頷けるような気がした。
 十分ほどして二人して階下におりていくと、浩之が、今日はもう看板にしたよ、と言った。この雨じゃどうせ客も来ないよね、と言ってみなみはカウンターの中に入る。それから浩之が身体があったまるからと赤のワインを勧めてくれた。スペイン産の美味しいワインだった。カウンターの中のみなみは、お酒は苦手だというのでジュースを飲んだ。
 しばらくして、浩之が、料理を運ぶからテーブル席に移って、と言い、みなみに促されて一番近いテーブル席に移動した。白身魚のカルパッチョ、とまととバジル、ベビーモッツァレラのサラダ、カリフアラワーとハムの炒めものなどが次々と並べられる。そして最後に大皿に盛りつけたペンネが運ばれてきた。
 浩之がワイングラスを掲げて、美砂子さん、今回は本当にありがとうございました。お袋もきっと感謝していると思います、と言うと、隣のみなみも、美砂子さんにお目にかかるのを楽しみにしていました、と言った。
 料理は、とても美味しくなかでもペンネは絶品だった。しかも、きのことくるみをバターと塩、粗挽きコショウで炒めているのだが、使われているバターがなんとピーナッツバターだったのだ。美砂子はペンネを口にしながら奇妙なほどの符号の一致に内心で驚いていた。
 鎌田浩之からはじめて電話が入ったのは、その直前に“美味しいピーナッツバター”という単語が脈絡なしに脳裏に浮かび、それが何かの吉兆ではないかと言う気がして、美砂子がピーナッツバターを買いに行こうと椅子から立ち上がった時だった。もし、そんなことがなければ浩之に会うなどということはしなかったはずだ。
 美砂子が、あの時に期待していた吉事はもちろんその五日後に予定されていた生理のことだった。生理が来なければ念願の妊娠なのだ。しかし、あの日から五日後にきっちり生理になり、その期待は裏切られた。そんな時に直志の方から、何か困ったことでもあるの、と声を掛けられ、鎌田浩之の件を打ち明けたのだった。直志は手紙を一読して、しばし考え込む様子だったが、いいんじゃないか、お骨のひとつくらい。お義母さんやおねえさんたちに知られなければいいんだから、と言ってくれたのだ。この一言が美砂子の背中を押した。
 雨は相変わらず激しく降っていて、いっこうに止みそうになかった。店のテレビをつけ天気予報を聞くと雨は今夜いっぱいは降り続くようだった。しばらくしてみなみが席をはずし、帰り支度をして戻ってきた、じゃあ、明日の授業が早いんで今夜はこれで失礼します、と言って本降りの中へと消えていった。あいつのアパートは小走りすれば五分もかからないんで、心配ないですよ、と浩之が言った。
 いきなり鎌田浩之と二人きりにさせられ、美砂子はいくぶんか気詰まりな感じがした。私も、そろそろと言うと、もうしばらく待った方がいいですよ、と浩之は言い、それからしばらくさきほどの骨壷のことを思い出しながら二人で話をした。
 美砂子が、あの現象は一体何だったんでしょう、と言うと、浩之は、何らかの霊的な現象であることは間違いないと思います。でも、ああいうことは、こっちがどんなに智恵を絞ってみたって理屈の通った説明は見つからないですよ。結局、不思議な現象というだけです、と言った。
 美砂子は、何か意味があるような気がします、と言ったが、浩之がわずかに反発するような言葉づかいで、分からないことは分からないままでいいんじゃないですか、ああいうことに軽々しく意味なんて与えない方がいい、と言い、それから、そもそも、この場所が巨大な宇宙に浮かんでいる小さな星のほんの一部分で、しかもこの星と似たりよったりの星がまだほかにも無数にあって、おそらくはそこでも俺たちと同じような生物がこんなふうに生活しているに違いない。我々にはこの世界が一体どういう世界で、なぜ存在するのか、その基本構造や存在理由でさえまるで分かってないんですからね。
 美砂子は、軽々しくという一語に微かな反発を覚え、私が言いたいのは、そういうこととはちょっと違うんです、と言い、それから自分がここ数年ずっと子どもを望んできたことについて話した。
 鎌田浩之が少しばかり戸惑ったような面相を作る。いきなりの話に脈絡が見えないという風情だった。
 ごめんなさい、急にへンなこと言って、と美砂子は謝りながら、浩之にはちゃんと説明しようと思った。
 八年前に結婚したときは子供なんてちっとも欲しくなかったんです。いまの夫と一緒になった頃はちょうど仕事も面白くなってきたところでしたし、夫は私より三つ年長なんですが、むしろ当時は夫の方が早く子供を欲しがっていたくらいでした。それが、父が亡くなった四年前から急に心境の変化が起きて、私にもどうしてなのか上手く説明できないんですが、父を失ってみて、不意に子供が欲しいって思ったんです、と美砂子は言った。
 なるほど、と浩之が頷く。
 父に死なれてみて、唯一の肉親を失ったような、何て言うんだろ、自分が存在する根拠を根こそぎ奪われてしまったような、そんな激しい喪失感を覚えてしまって。
 つまり、自分自身の存在の根拠を取り戻すために、子どもが欲しくなったということですか?
 釈然としない口調で浩之が言う。
 美砂子は、さあ、と口を濁す。父を亡くしたときを境に気持ちが大きく動いたのは事実だが、父という「仲間」を奪われた寂しさゆえに我が子という「仲間」が欲しくなって出産を望み始めたわけではない。父の死はあくまでそのきっかけにすぎなかった。
 牛島先生がコウノトリよろしく赤ん坊を運ん来てくれるわけじゃないでしょうし、お父上が亡くなったことと、これから生まれるかもしれない美砂子さんの子供とのあいだには何の関連もないと俺は思いますけどね。今日、ああやって骨壷があったかくなったのだって東条さんと先生が久方ぶりに一つになったからだろうし、仮にそうだとすれば、赤の他人同士である男女のつながりの凄さを見せつけられたって話でしょう、とかなり皮肉っぽい声つきで付け加えた。
 そう言われればそうですけど、と美砂子は同意するしかない。あの瞬間の身体の変化を伝えられないだけにもどかしい。
 俺はそういう血縁の絶対化みたいなのは好きじゃないな、と浩之は独りごちるように言った。
 血のつながりを重視するってこと。俺はむかしから親子関係なんてほんとにくだらないって思ってるんです。子供がどうしても欲しけりゃ貰いっ子すればいいんじゃないですか。血のつながった我が子を作るよりも、いま現在苦しんでいる子供を救う方が先決だと思いますけどね。この世間には今日明日にも飢え死にしそうな子供たちや親からの虐待で小さな心をぶっ壊されてめちゃくちゃになってる子供たちが腐るほどいるんだから。俺は血縁なん実に低俗なもんだと思いますよ。それよりも夫婦関係や恋人関係、友だち関係の方がよっぽど大事なんじゃないですか。
 でも、その大事な男女関係の結果として生まれるのが子供なんですよ、と美砂子が当たり前の反論をすると、浩之はますます皮肉めいた顔つきになって美砂子を見返し、この世界を見回してみれば、みんな死ぬのが嫌だから生きてるだけで、生きるのが楽しくて生きてる奴なんて三分の一もいないんじゃないですか。死ぬことがセックスみたいに気持ちよかったら世の中の半分以上はさっさと死んじまうと俺は思いますよ。
 浩之は言葉を重ね、しばらく私の顔をまじまじと見つめたあと、美砂子さんはどうして子供なんて産みたいんですか、と真顔で問い返してきたのだった。
 
 出張から戻った直志に、久しぶりに伊香保に行ってみない、と誘ったときは彼はすこぶる乗り気だった。伊香保か、いいねえ。じゃあ思い切って代休でもとろうか、と自分から言い出してさっそく昨日の金曜日を休みにしてくれたのだ。鎌田浩之と正弦寺に行った日、深夜に帰宅した美砂子はすぐに排卵チェッカーを使ってみた。予想に反してさしたる反応は示されず、「二十四〜三十六時間以内の排卵」を示唆する結果が出たのは翌日の夕方のことだった。その陽性反応に勇気づけられて出張から戻ったばかりの直志に温泉行きを持ちかけてみたのだ。納骨堂での出来事にかんがみて今度こそはうまくいくような気がしていた。直志の素直な態度もそのことを裏付けているように思えた。
 それがこんな惨めな結果に終わってしまうなんて。どこでボタンの掛け違いが起きてしまったのか。どこで順調に感じられた流れが逆流してしまったのだろうか。
 昨日は午後三時前にこの旅館に到着し、すぐに二人して温泉に浸かった。風呂浴びてからは夕食までのんびりとくつろいだ。夕食後は伊香保名物の石段街をぶらぶらと歩き、部屋に戻ってきてもう一度、今度は露天風呂に入った。直志は家族風呂に一緒に入りたいと言ったのだが、私は広い露天を望んだ。小さなすれ違いだったが、あのときの直志はさほど落胆した様子でもなかった。
 風呂から上がって広縁の応接セットに差し向かいで座り、缶ビールで乾杯した。直志はご機嫌だった。時刻は十時を回ったところだった。十二畳の和室にはすでに床が延べられていた。ビールを飲み干した直志ははだけた浴衣姿のまま掛け布団の上に寝そべってしばらく報道ステーションを観ていた。それが、私がトイレから戻ってみるとテレビはいつの間にか消され、直志は布団にもぐり込んで寝息を立てていたのだった。
 慌てて隣に座り、夫を揺り起こそうとした。このまま朝まで眠られてしまえばせっかくの月に一度のチャンスをまたふいにしてしまう。
 美砂子は、しきりに彼の肩を揺さぶるが、分かったから、ひと寝入りさせてくれよ、という面倒くさそうな声が返ってくる。
 だけど、今夜が一番のタイミングなんだよ、と美砂子もおいそれと引き下がるわけにはいかなかった。トイレでチェッカーを使ってみると判定窓のマークがくっきりと浮かび出ていたのだ。
 だから、分かってるってば。少しは俺の身体のことも考えてくれよ。
 直志は私の腕を邪険に振り払い、閉じた目を一度だけ薄く開いてそう言った。その口振りには微かに蔑みの響きが混じっていた。あの瞬間、美砂子の方が先に内心の怒りを噴出させたのだ。
 いまになって幾らか反省してみる。
 直志を起こすのを諦め、部屋の明かりを落として隣の布団に入ってから長いこと眠れなかった。直志の方はそのうち小さないびきをかきはじめた。去年の春に昇進し、福岡都心部の大型再開発プロジェクトに中心メンバーとして関わるようになってからは彼の多忙さは度を超えていた。月に三度も四度も九州出張が入り、帰宅もほとんどが深夜。土日も半分は潰れるような有様で、一年で体重は五キロも減り、中年太り気味だった体型もすっかり元通りになってしまった。
 彼がくたびれているのはよく分かる。だからこそこちらだって相当の遠慮もしているのだ。だが、妊娠出産という女性の一大事にとって今年、来年は文字どおり死命を決するほどに貴重な時期でもある。どんなに重い責務だといっても、直志の仕事には代わりもいれば別の手立てだってある。だが、こと出産に関してはここを逃すともうあとがない。まさにいまこそが待ったなしの肝心要の時なのだ。我が妻の置かれた状況を真摯に直視すれば、自分の仕事や健康管理などそんな甘えたことを言う資格などこれっぽっちもないと気づくはずだ。夫の疲れの滲んだ寝息を耳にしながらも、美砂子は心中の憤懣を拭い去ることがどうしてもできなかった。
 直志が目を覚ましたのはおそらく四時過ぎだった。彼が用足して寝床に戻ったときには美砂子も目覚めていた。自分の掛け布団を持ち上げて直志を招き入れる。布団の中に身体を差し込みながら彼が小さなため息をつくのが聞こえた。
 おざなりな愛撫を延々と続けたあと直志は美砂子の中に入ってきた。美砂子の方は気持ちを高ぶらせるのに懸命だった。自分の反応が夫の反応を煽り、それが射精量を増やしてくれる。妊娠の確率を上げるためならばどんなことでもしなくてはならない。
 快感が下腹部の奥へと達し、切れ切れの声がようやく口をついて洩れ始めた矢先、しかし、直志は両腕で身体を持ち上げるようにして美砂子の上から降りてしまったのだった。仰向けの裸体を隣に横たえ、わずかに息を整えてから、もうこういうのやめないか、とタバコの煙でも一緒に吐き出すような口調で言った。
 美砂子は開いていた足を閉じ、顔だけ横向けて直志を見る。明かりはなくとも目の前の夫の表情を掴むことはできた。
 俺たち、きっと子供なんてできやしないよ。
 直志は天井に顔を向けたまま目を大きく見開いていた。
 それにこんなんじゃやる気も出やしない。こんな馬鹿げた行為のせいで俺たちはどんどん駄目になってるよ。
 何が駄目になってるの。
 美砂子は呟くように言う。自分が投げやりな口調になっているのが分かる。途中でこんなふうに直志が見切りをつけたのは初めてだった。それは衝撃ではあったが、いつかこういう出来事が起きるだろうという予感はあった。
 だってそうだろ。俺たち、いまじゃあセックスレス夫婦とおんなじだろ、これのどこがセックスなんだよ、と直志があざ笑うような言い方になる。
 そんなことまでして子供を作る必要が一体どこにあるんだよ。
 一貫して直志の物言いには嘲りの色合いが含まれている。
 込み上げてくる悔しさでしばし二の句が継げなかった。直志が成果の上がらない子作りに辟易しはじめているのは分かっている。だが、ここまではっきりと拒絶の言葉を口にされたのは初めてだ。
 赤ちゃんが欲しいの。この手で抱きしめたいの。
 絞り出すような声になっていた。
 直志は半身を起こすと横たわったままの妻の姿を眺めやった。夜目にも慣れて彼の顔の細部まで見てとれる。感情のない能面のような冷たい面相だった。
 もう手遅れだよ、と乾いた声で直志が言う。
 そんなに子供が欲しいならもっと早くに作っておけばよかった。僕が欲しいと言ったとき、きみは子供なんていらないとにべもなかったじゃないか。
 直志はこれみよがしのため息をついてみせる。
  僕はあのとき、きみが欲しくないのなら子供のいない人生も悪くないのかもしれないときっぱり諦めたんだ。こんな残酷な世界に新しいいのちを生み出すなんて馬鹿げてるときみは言ったじゃないか。今の時代に子供を望むなんて大人のエゴイズムでしかないとも。そんなきみが三年経ってお父さんが亡くなったら、急に子供が欲しいと言い出した。正直言って、僕は面食らったよ。というより慣然たる思いだった。それでもこの三年余り、十二分に協力してきたつもりだ。
 で、その結果として僕たちに子供はできない。もういい加減で結論を出すべきなんじゃないのか。まして、あれほどのセリフを吐いていたきみが生殖医療に手を出すなんて、幾らなんでもそれはないって話だろ。
 人の気持ちは変わるの。私も変わったのよ。
 そんなの無責任すぎやしないか。今度はきみの方が諦める番だ。あのときの僕みたいにね。
 そう言い捨てると直志は立ち上がった。下着をつけて浴衣を羽織ると広縁の方へと歩いていった。明かりが灯り、冷蔵庫を開ける音が聞こえ、缶ビールを取り出す音、一人掛けの椅子に彼が座る音、プルタブを引く音が聞こえた。
 ビールを喉に流し込む音がして、一拍ののち、俺たち、もう駄目だな、という呟くような声が聞こえた。
 美砂子は無言で布団の中にいた。直志は缶ビールを何本か飲み干したあとやがて広縁の明かりを消して隣の布団に戻ってきた。彼は背を向けて掛け布団を肩まで引き寄せると、おやすみ、と小さく言って黙り込んでしまった。
 美砂子はそれから数分後に起き出し、一度トイレに立ち、部屋に戻るとそのまま真っ暗な広縁の椅子に腰掛けて障子を閉じた。さきほどまで直志が座っていた椅子だったらしくわずかなぬくもりが座面に残っていた。
 その夫の体温を下半身に感じた瞬間、右の瞳から小さな涙の粒がこぼれた。するとあとからあとからあとからさらさらとした涙が溢れ出してきた。しばらくの間声を立てずに静かに泣くしかなかった。
 
 午前七時過ぎに、広縁のテーブルに置かれた直志の携帯が鳴り、直志がすぐに飛び起きてきた。美砂子は椅子に座ったままうとうとしていたが、きっと直志も眠り込んではいなかったのだろう。
 会社の上司からの連絡で、博多の開発用地の地権者の一人が昨夜急死したという知らせで、直志は急遽博多まで戻らなければならなくなった。
 だが、夫の態度にはどこかしら胡散臭いものが感じられた。少なくとも体よく妻の前から退散できる口実が生まれ、ホッと一息ついている気配は濃厚だった。
 直志は風呂にも浸からずそのまま朝食を食べに行った。美砂子も当然付き合った。
 差し向かいで食事しながら、もう一度、今朝の出来事について謝ってきた。
 心ないことを言って申し訳なかった。そんなつもりじゃなかったんだけど、と彼は箸を置くとそう言い、しかし、いつになく強い目の色でこちらの顔を見つめてきた。
 ただ、言い方はまったく不適切だったけれど、口にしたことは僕の本心でもあるんだ。もう三年以上もトライしてみて、きっと僕たちに子供はできないような気がするんだ。むろん原因はきみでもなければ僕でもない。強いて探すなら僕たち二人の組み合わせの問題なんじゃないかな、と彼は奇異なことを言った。
 もしそうならば問題の解決法は二つしかないよ。一つは二人で子供のいない人生を受け入れるってこと。そしてもう一つ、つまりきみがどうしても子供を産みたいというなら、僕たちは別れるしかないだろう、と付け加えたのだ。
 ねえ、美砂子。もう少しお互いに楽になってみようよ。
 直志は身を乗り出すようにして微笑みかけてきた。
 朝食を終えると彼は車ですぐに出発した。美砂子の方はあとひと眠りして、昼前に旅館を出ることに決めた。渋川から上越線、新幹線と乗り継いで東京まで帰ればいい。気まずかった一夜が明けて、美砂子にとっても一人で帰宅するのは渡りに船と言ってよかった。
 高崎で「MaXとき324号」に乗り換えたのは午後一時半。
 土曜日の昼間の東京行きとあって車内はがらがらだった。窓際の席に腰掛け、車窓の向こうを流れていく景色をぼんやりと眺めながらずっと物思いに耽っていた。
 どうして子どもが欲しいと思うようになったのか。ソニーを退職したのは父が死んだ翌年、三年前の三月末日だった。せっかくここまで頑張ってきたのに、そのキャリアを全部捨ててしまうのは幾らなんでももったいないんじゃないか。仕事を辞めたいと口にしたとき直志が真っ先に言ったのはそれだった。
 しかし、父を失った美砂子は、直後からどうしても我が子をこの手に抱きたいという気持ちを抑えられなくなってしまった。
 自分でも説明のつかないその衝動について最初は父を亡くした不在感が主たる原因なのだろうと感じていた。さみしさと空虚感が自分を痛めつけているのだと。父が死んでからは母や姉たちに会っていても赤の他人のように見えるときがあったし、夫の直志との関係も何かよそよそしいものに思われるときがしばしばあった。大切な人間を失ったかなしみを新しい生命を迎えることで代償するというのは理に適った方法だ。形を失った者を恋い慕う心は、いまだ形をなさない者を追い求める感情とそっくりなのかもしれない。結局は自分のエゴでしかないのだ、そう思う冷静な自分もたしかにいた。だが、不思議なことにそう思えば思うほど我が子を抱きたいという渇望は度を強めていった。
 これはきっと渇望や欲求などではなく、女性としての義務、使命なのだ。
 仕事を辞めると決断したとき、はたと気づいたのだった。
 そうでなければせっかく九年をかけて築いてきたキャリアをこうもあっさり棒に振れるはずがない。自らの胸中に会社や仕事への未練がまったくと言っていいほどないことに自分自身が一番驚いていた。
 車窓の風景から目を離して少し眠った。運転して帰る直志を旅館の玄関で見送ったあと温泉に入り、それから昼前まで三時間ほど寝たのだがまだ眠気が残っていたようだ。
 大宮駅を出たあたりで目覚めた。もう外の景色は都会の色合いを濃くしている。沈んでいた気分がいくらか持ち直してきているのが分かった。
 直志のことは頭の中から消えていた。入れ替わりのように脳裏に浮かんだのはあの鎌田浩之の顔だった。四日前の豪雨の晩、まるで閉じ込められたようなかっこうで彼と長い夜をともに過ごした。
 どうして子供なんて産みたいんですか、と心底不思議そうな声で訊ねてきた彼は、美砂子が何も答えないでいると、何かしら思い詰めたような、親身になって相手を案じているような、そういう有無を言わせぬ表情を作って実に奇妙なことを語り始めたのだった。
 いいですか美砂子さん。この世界はね、誰も子供なんて作らなきゃ絶対にハッピーになるんですよ。ほんとに、もう誰一人親になろうなんて思わなきゃいいんです。俺は真実そう願ってますよ、と彼は言った。
 人間という種の決定的後進性ってのは、人生の価値に対する客観的視点を持ち得るだけの頭脳をせっかく与えられ、しかも、自分のいのちの終わりである死についてもそれなりの自覚を生前から持つことができるにもかかわらず、いまだに生殖・繁殖という未開で動物的な衝動を抑制できないってことですよ。簡単に言えばね、一人一人の人生はどうしようもなく無意味でむなしく、そこに例外はなく、その真理は「死という絶対現象」によって完璧に担保されているというのに、それでも俺たち人間はそういう無意味でむなしい人生というものを際限なく再生産しようとする。これほどに愚かしく矛盾に満ちた行為がありますか?この世界がいつまでたってもちっともハッピーにならないのはね、そういう人間たちのいまだに改まらない馬鹿さ加減のせいでしかないんですよ。
 そして、彼は言った。飢餓も貧困も環境破壊も戦争もね、絶対確実に、しかも誰一人傷つくことなく解消できる手段が一つだけある。それはね、俺たちが繁殖行為をただちにやめて人口を一気に減らすってことですよ。現在の地球人口を千分の一くらい、まあ六百万にでも減れば、みんな大金持ちで寛大で、誰一人他人より優位に立とうなんて下卑た欲望を持つことのない世界が到来する。何といってもこの広い地球上にわずか六百万人の人間しか生きてないんですからね。言ってみれば天国ですよ。地球人類すべてが物質的にも精神的にも満たされたまさに桃源郷の世界です。そしたらね、人間はもう子供を作るなんて馬鹿なことはしなくなるんじゃないですか。そういう行為が無意味であるということを心の奥深いレベルで初めて自覚できるんじゃないかと俺は睨んでいるんです。
 何でみんな子供が欲しいんだろうといつも不思議なんです。俺自身はいままで一度だって子供が欲しいなんて思ったことありませんからね。子供って奴はたしかに可愛いところもあるけど、その何十倍何百倍もうるさくて面倒で自分勝手で恩知らずじゃないですか。あんなものを欲しがる人間たちの気持ちが俺には正直、全然理解できない。せっかくの一度きりの人生だっていうのに子供なんてできちまったらやりたいことの半分どころか十分の一もできなくなる。
 可愛い生き物と触れ合いたいなら、犬か猫を飼えばいいのにと俺は思いますね。子供が欲しいなんて思う前にまずは犬やら猫やらを飼ってみればいい。可愛いって意味では連中の方が子供よりずっと可愛いんじゃないですか。それで満足できる人は、もう子供を産むなんて馬鹿なことはやめてしまえばいいんですよ。
 まあ、そんなくだらない話はこのへんにしておいて、俺が本当に伝えたいことをいまから美砂子さんに言いましょう。
 美砂子さんが子供を産みたいと心から望んでいるのは、俺に言わせれば、とんでもない錯覚にすぎないってことです。美砂子さんはきっと一人の人間を産む、誕生させるということにものすごく大きな価値を感じてしまってるんですよ。どうせ自分同様にさほど面白くも楽しくもない人生を送るしかない、何ほどの価値もないような人間を作り出すだけの行為をものすごく貴い作業のように勘違いしてるんです。
 俺が言いたいのは、じゃあ、どうして美砂子さんはそんなつまらない勘違いをしてしまってるかってことです。それにはちゃんとした理由、原因がある。
 それはね、一言で言うと、美砂子さんが誕生と死というものを一つのもの、一つのつながりとして捉えてしまってるからなんですよ。
 これは何も美砂子さんだけに限りません。世界中のおそらくほとんどの人がそういう錯覚に陥っている。そして、その錯覚のせいで子供を作って喜んだりしてるんです。
 俺たちは死すべき運命を背負わされて生きてます。そうだからこそ、自分が死に絶えたあとも生き続ける若く新しいいのちを誕生させたいという間違ったストーリーについひっかかってしまうんです。
 「人は死に、そして新しい生命が誕生する」とか「たとえ我が肉体は滅びてもその生命の本質である遺伝子は延々と子孫へと受け継がれていく」とか、そういう散文的だったり科学的だったりする陳腐で馬鹿らしいストーリーに俺たちはいつの間にか騙されてしまう。それはね、さっきも言ったように俺たちが誕生と死を一体のものだと思い込んでいる、そういう錯覚に陥っているからなんですよ。
 でも、本当は、死と誕生とはまったく別のもので、この二つにつながりなんて何もない。俺たち一人一人の人生に限って観察してみれば、死はたった一回こっきりですが、誕生の方はほぼ無限に繰り返されている。誕生と死は一対一対応してるわけじゃ全然ないんですよ。人生は一回きりの死と無限回数の誕生によって織りなされた実に奇妙な生成物であって、俺たちには新しい生命を育む必要なんて全然ない。なぜなら俺たちのこの人生そのものが無限に繰り返される「誕生」なんですから。
 動物たちは「死」を知りません。彼らは生殖・繁殖活動は行なっても、それと死とを結びつけたりはしない。我が身のいのちのはかなさを嘆いて新しい生命を生もうなんて考えていない。彼らにとって大切なのはあくまで自分自身の生存と生活なんです。彼らは「死」を知らない。死を知らないということは、人間よりはるかに深く自己の「生」を知っているということです。
 誕生と死との違いを見分けるには、ちょっとだけ頭を使えばいい。
 死は眠りととてもよく似ています。急な睡魔に襲われて眠りに落ちていたとき、眠りは気づかないうちに訪れ、眠ってしまう一瞬を決して憶えておくことができない。死というのは本来、死ぬ瞬間のことで、俺たちが毎晩眠りに落ちて意識を失ってしまうその一瞬、それこそが死の本体です。
 しかし、俺たちは死をそういう瞬間的なものとして捉えることができない。
 俺たちが考えている死というのは、死本体ではなく、そこに至る数々のプロセスのことです。たとえば肉体の機能が奪われていく過程での痛みやつらさ、愛する者や自分自身との受け入れがたい別離のさみしさ、愛の終わりや自己への執着の消滅、そういった死に至る絶望的なプロセスこそが俺たちの考える「死」であって、つまるところ死の恐怖というものなのです。
 だから、そういう愛や自己への執着を捨て去ることができれば死は一切怖いものではなくなる。そうやって執着を全部捨て去ったあとに残るもの、それが一瞬で終わる意識の消滅であり死の本体です。死は一瞬のうちに訪れては去っていく人生で一度きりの現象にすぎません。
 じゃあ、逆に誕生の瞬間というのはどういうものなのでしょうか。
 死が一瞬で訪れる意識の消滅だとすれば、他方で誕生とは一体何なのか?誕生もまた一瞬で訪れては去っていくたった一度きりの意識の覚醒なのか。そう考えると、これはまったく死とは別物であることが分かってきます。
 俺たちは自分のことを自分であると、幼少期のある瞬間に認識する。そしてそのような認識を体験して以降は脳味噌がぶっこわれるか完全にボケてしまうまで、絶えず繰り返し繰り返し「俺は俺だ」「私は私だ」と気づきつづけながら生きていく。
 俺たちは何をやっていても常にその瞬間瞬間に「俺がいまこういうことをしている」「俺がいまこういうことをしていた」「俺はさっきこういうことをしていたということを思い出している」といった自覚を反復しつづけます。そしてしばらくたつと少し前のことなんてすっかり忘れて、次の瞬間の複雑な行為に没頭し、また「俺はいまこういうことをしている」と気づく。いいですか、美砂子さん。俺たち人間はそんなふうにして「俺」とか「私」とかを不変の指標としながら、絶えず新しい認識を繰り返し獲得しつづけてるんですよ。生まれて間もなく、ある瞬間に「俺は俺だ」とはたと気づいたときとまったく同じ感覚で、俺たちは人生の瞬間瞬間で俺は俺だと毎日気づきつづけている。俺という存在は死によって自らの意識を剥奪される最後の瞬間まで無限に、新たに生まれつづけるんです。それこそが俺にとっての俺であり、美砂子さんにとっての美砂子さんなんです。
 一度の死と無限回の誕生によって織りなされたものが俺たちの人生だというのはそういう意味です。そしてね、これは俺たち人間が子供を作ったとしても、または作らなかったとしても何にも変わりはしないんですよ。生まれた子供も俺たち同様にある瞬間に「俺は俺だ」と気づいて、そこから先は、親も子もなく、死ぬまで毎日毎時毎分毎秒、延々と自己を再生しつづけていくだけなんですよ。まったくばらばらに、まったく別々にね。だとすれば、そういう新しいいのちをわざわざ生み出す必要なんてこれっぽっちもないでしょう。自分が日々生まれつづけているというのに、どうしてもう一つ別個のいのちを作らなくてはならないんですか?
 俺たち自身が無限のまったく新しいいのちの集合体なんですよ。死がそれを止めるまで俺たちは無限に生まれつづける。だとすればその無限にどうして別の無限をつけ加える必要があるというんです?無限に無限を足すようなそんな馬鹿げたことをどうして延々と俺たちは繰り返さなくてはならないんですか?
 俺たち人間は、死を知っている。そうであるならばむしろ、俺たちは動物とは異なって子供なんて作らなくなればいい。その方が死という恐怖を知っている俺たち人間にとって理に適ったふさわしいことなんです。
 せっかく「死」を知り、「死を恐怖する心」を持っていながら、なぜいまだに人間が動物と同じような生殖・繁殖を行ないつづけているのか、その理由が俺には本当に分からない。もし仮に犬や猫たちが自分はいずれ死んでしまうんだ、と知ったなら、彼らは決して子孫を残そうなんてしないと思う。死を知らぬままにその瞬間瞬間で生まれつづける自らの人生に没頭できる存在だからこそ、彼らは本能に従って子孫を残しているんです。人間のようにやがてすべての人間が老い、そして死ぬ、生老病死から誰一人として逃れることはできないと知っている存在が、なぜそれを承知で新しい生命を生むのか、そこのところが俺には理解できない。
 死を知っている人間が子供を生むということは、まごうかたなくその子を殺すことです。まさに殺人にほかならない。自分の子供を殺すために生むなんて、よほどのことがない限り動物はそんな無慈悲なことはしやしない。
 まったく人間てのはどうかしている。ありとあらゆる生物の中でも信じられないほどのできそこないが人間なんじゃないですか。俺はそう思っています。
 だから美砂子さん。子供が欲しい、欲しいと願いつづけているいまのあなたは、そのどうかしている人間の一典型なんだと俺は思いますよ。

 どしゃぶりの中をタクシーで向かったときは相当の距離があったように思っていたが、からりと晴れ上がった空の下を歩いてみれば「カヌー」はえんま堂のごくごく近所だった。門前仲町の駅で降りると歩いて約五分。町名も門前仲町二丁目。有名な深川不動堂や富岡八幡宮も目と鼻の先のまさしく深川界隈の一等地と言ってよかった。
 角地に建つ建物の一階部分が店舗だが、店の入口や窓にはグレーのロールスクリーンが下ろされていた。昼日中にこうして見上げてみると建物全体が意外なほどに新しかった。
 二日の晩は少なからず興奮していた。直志以外の男性と一緒に酒を飲むなど退職後は一度もなかったし、まして店を閉めたスナックでまるで貸し切りのように羽を伸ばすという経験も物珍しかった。そして何より、父の周一郎がおそらく通いつめた同じ店で、父の愛人の息子と姪を交えて酒を酌み交わすという行為そのものがおそろしく刺激的だった。
 店は、東条紘子が亡くなったあとに改装したと浩之は言っていた。父の時代とがらりと雰囲気が変わっているのは残念だったが、それでもこの空間に父と東条紘子との隠された関係、秘められた時間が染みついていると思うと何とも言えない心地になったものだ。
 だが、それにしても「カヌー」はちょっと新しすぎやしないか。明るい光の中でこぢんまりとした二階家を眺めてそう思う。改装というには念入りすぎるくらいだった。屋根や外壁も古びてはいないし、よほど徹底的なリフォームを施したということか……。
 鎌田浩之から電話が入ったのは昨日の午後である。
 東京駅から京葉線を使って自宅に戻ったばかりの時刻だった。荷物を解いて汚れ物を洗濯機に放り込んでスイッチを押したちょうどその途端に家の電話が鳴った。受話器を持ち上げてみるとしばしこちらの様子を窺うような間があって、西村さんのお宅ですか、という浩之の声が聴こえてきた。
 家に帰るまでのあいだずっと想起していた当人からのいきなりの電話に一瞬たじろいだ。はい、と呟いたまま返事しかねていると、鎌田です、と言った。
 浩之の用件は、この前渡した手紙の他にまだ先生からの手紙が十数通もあので、この際それも全部美砂子さんに返せないかなと思ったから、とのことだった。要するに彼は周一郎の遺骨を分けて貰った義理もあり、一言断りの電話を入れてきたのだなと察した。むろん、そんな手紙をいまさら欲しいとはこれっぽっちも思わなかった。だが、でしたら、一応、明日にでも受け取りにあがらせてください、と言っていたのだ。
 もう一度、鎌田浩之に会いたい。胸の中にずっと居座っていた思いが本人の声を聴いた瞬間に一気に膨れ上がっただけなのだ。
 明日だったら俺も都合がいいです。日曜は店も休みだから、と浩之は言い、午後一時に「カヌー」を訪ねる約束にして電話を切った。新幹線の中で直志から受け取ったメールによれば、地権者の葬儀は友引を挟んだ九日火曜日と決まったので、早くても帰京は十日になるとのことだった。それまでの四日間、また一人なのだ。
 どこを探してもインターホンらしきものが見当たらず、店先から浩之の携帯に電話を掛けた。
時刻はちょうど一時。すぐに浩之が出た。がやがやとした雑踏の賑わいが声に入り交じっている。
外のようだった。
 近所に買い物に出ていて、あと十分くらいで戻るので、バジルのプランターの下に鍵があるから、暑いようだったら先に店に入っててください。その鍵で玄関ドアは開きますから、と浩之はそう言うとそそくさと電話を切ってしまった。
 まさか勝手に他人の店に入るわけにもいくまい、と思いつつ足元を見やると、なるほど店の壁に沿って幾つものプランターが並んでいた。前回来たときは気づかなかったが、バジルだけでなくセージやローズマリー、ラベンダー、レモングラス、ミントなどがプランターごとに植え分けられていた。丁寧に栽培しているからだろう、どのハーブもそれぞれによく育っていた。お店の料理に使っているんだけあって、美砂子がベランダで栽培しているのとはさすがに腰の入れ方が違うな、ときれいに生え揃った香草たちを眺めてそう思った。
 バジルのプランターの下には銀色の鍵が置かれていた。鍵を目にした途端、それを摘まみ上げていた。手にしてみると浩之の勧め通りにしようという気になった。十二時を回って日射しは夏とも思うばかりに照りつけ始めていた。帽子も被らずに出てきたのでこんな日向に立ちっぱなしだと熱射病にでもなってしまいそうだった。
 店の中は、窓々を覆うロールスクリーンに阻まれてほとんど夏めいた外光も射し込んではいないので薄暗い。美砂子は、まず入口のスクリーンを巻き上げ、次々と他のスクリーンも上げていった。
 店の中はむっとする熱気が充満している。カウンターの上にあったリモコンで天井のエアコンを起動させることにした。
 あれこれやって店内もだいぶ涼しくなったところで真ん中のテーブルに腰を下ろす。壁の掛け時計の針はいつの間にか一時二十分を回っていた。「あと十分くらいで」と言っていた浩之の言葉は当てにはならなさそうだ。勝手に上がり込んで正解だったと思った。
 ぼんやりと周囲を見回した。これといって目を引くものもないが、やはり店全体が新しく見える。東条紘子の代からとなれば三十年は下らない歴史のはずだがそんな感じがしない。浩之は改装と言っていたが、実質は建て替えに近かったのではないか。
 視線を巡らせているうちにカウンターの上の小箱が目にとまった。立ち上がり、そちらの方へと近づいた。最中か何かの菓子箱がぽんと置かれている。無造作に箱のふたを持ち上げる。やっぱり、と思った。中には手紙の束が入っていた。宛て名は「東条紘子」。どれも父の筆跡だ。
 あらかじめ浩之が用意してくれていたのだろう。
 最初に見せられた例の手紙はまだ持っていた。今日もバッグの中に入れてきている。あの一通にしてもどう処分すればいいのか迷っている。ましてこんなにたくさんの手紙を受け取ってしまえばなおさら困るだろう。そもそも手紙は受領した東条紘子のもののはずだ。差出人の身内が返却を受ける筋合いのものではあるまい。
 手紙の束を取り出した。ゴムバンドを外してカウンターの上に広げる。数えてみると全部で十六通。分厚いものから薄いものまでさまざまだが、総じてさほど厚くはなかった。父はこんなに筆まめな人だったのだ、と思いながら一通一通引っくり返してみる。どれも牛島周一郎の署名と共に日付が記されていた。
 一番古めかしい封筒の日付は昭和五十七年の七月七日。昭和五十七年といえば私はまだ八歳。父にしても四十代後半といった時期だ。以降とびとびに日付はつづいている。同年の手紙が二通あったり、三年も空自があったり。浩之が電話で言っていたように紘子は大事な手紙だけを保存しておいたのだろう。
 最も新しい手紙の日付は平成十七年の四月十二日火曜日だった。父が亡くなったのはこの年の四月二十一日だから、わずか九日前の手紙である。
 これが東条紘子が父から受け取った最後の手紙なのだ。
 封筒を手にして表裏の父の筆跡を見ながら思う。愛人への手紙を綴り、こうして封筒に宛て名と自分の名前とを記しながら父は何を考えていたのだろう。父の名前の横には住所のたぐいは書かれていない。湯島の自宅の住所も勤務先の大学の住所もない。十六通すべてがそうだった。自分の住所を決して書くことのできぬ手紙を四半世紀にわたって出しつづけた父。そんな手紙を四半世紀にわたって受け取りつづけてきた東条紘子。
 一度深呼吸して、開いた封筒の口から手紙を取り出した。
 死を目前にした父が、二十数年来の愛人に一体どんな思いを書き綴ったのか、それがどうしても知りたい。

 前略
 今年の桜もよかったね。風邪気味だと言っていたので心配していたけれど、元気なので安心しました。いきなりデジカメなんぞ取り出すものだからびっくりした。しかしあんなに沢山写真を撮って、一体どうするのだろう?ましてこんな年寄りの写真なんてフィルムの無駄なんじゃないの(フィルムじゃないか)。とは言いつつ、桜の前で一緒に写った一枚、出来がよかったら今度ください。考えてみれば一緒の写真どころか、きみの写った写真一枚持っていない。いましがたも机やロッカーを漁ってみたのだけど、なんにもなかった。
 これだけ長いこと付き合ってきて、きみの写真一枚ないなんて、ちょっとかなしい気がしました。
 しかし、桜は幾つになっても胸がぎわめく。そのざわめきをいつの間にやらすっかり忘れて、また明くる年の桜に胸がざわめく。同じことの繰り返しといえばそうだけれど、あんなに美しかったという曖昧な記憶が翌年の桜へと駆り立てる。こういうのは学問と違うなあと思う。桜の美しさに毎年酔う僕たらの心に学問はないなあと。一昨日、「なにぼんやりしているの?」と声をかけられたときはそんなことを考えていたんです。
 僕たちが年々歳々、桜を美しいと思うのは一種の「過ち」なんだろうな。
 過ちを繰り返さないというのなら、人は、間違いを犯すこともなくなるかわりに、年ごとの桜の美しさを味わうこともできなくなるのだろうな。そんな気がする。
 一度美しいと感じ、その感触がまぎまざと僕たちの記憶の中に刷り込まれてしまうのならば、もう二度と桜を見る必要はなくなるよね。
 僕がやってきた「学問」というのはそういうものでした。意味を煎じ詰めたり、曖昧さを排したり、価値を高めたり、体系を広げたり、それぞれの世代の研究者たちが手に手を取って、その学問を新しく堅固で豊かにしてゆく。それが疑いもなく正しいと信じてきた。使い古され、陳腐化された学問はもう誰も見向きもしない。それでよかった。
 そこにこの桜美しさはなかったなあ、とあのとき思っていたのです。
 生きるというのはあくなき繰り返し。それはいわば日々の食事のようなものかもしれない。生きるためには食わねばならず、食うために人は生きる。味だのグルメだの格好をつけてみたって、そういう趣味的な意匠を取っ払った先にあるのは所詮、必死な生命への執着にすぎぬのかもしれない。
 僕たちが何もかも忘れるのはそれが必要だからでしょう。日々、前回の食事で満たされた心地を忘れつづけ、また卑しくも何かを口にせずにはおれないのは、僕たらの脳味噌が決めているのではなく、まさしくこの身体、この生命の本能が決めているのです。きっとあらゆることがそうなのだろう。だから、桜は毎年こんなに美しい。
 この歳になってくると、性愚りもない生命の繰り返しが妙に愛しい。僕が生涯費やして追い求めてきた学問、それは真理や普遍と言い換えてもいいが、そうしたものへの執着がどんどん自分の中で薄れて、一年一年、草や花や木が咲いては枯れ、葉を落としては繁らせ、色や形を変えながら生まれ変わっていく、そういうことのほうがずっと偉大でありがたいもののように思えてくる。
 人間もまた同じなのだと。何の根拠もなく人は生まれて生きて死に、また生まれて生きて死ぬ。たったそれだけではあっても、草木も他のさまざまな動物や虫たち、日々姿を変える世界のありとあらゆるもの、空や海や土や風たちと一緒に我々人間もまたこのはかない生命を削り、散らし、やがては消滅してゆく。そのこと自体が本当にありがたく、何よりも尊いもののように思える。
 そのどうしようもない愚昧さの中にあの桜の美しさが宿っているような気がしてならないのです。
 きみとの長い付き合いもいつの間にやらそういう愚昧さの中に入ってしまったね。馬鹿くさい言い方に聞こえるかもしれないが、僕ときみとの関係はもう無限の繰り返し、永遠の営みとなったような気がする。
 たとえ会わずともよい。だが、どうしても会いたい。が、もう二度と食えずとも僕は構わない。あなたは僕の中にいつも生きている。さながら生命の実質のようだと感ずるのです。思えば取り返しのつかないところまで来てしまったなあ、最初からきみと二人での人生をなぜ歩めなかったのかなあ、といまもたまに思うことがある。されど、もしも望みが叶っていたとしても、それはそれでまたはかない夢であったかもしれない。
 また来年の桜を一緒に見よう。
 どちらかが病に倒れるか死んでしまうまで、ずっとずっときっとそうしよう。
 では。とりとめなくも。
 
 平成十七年四月十二日
 
 周一郎
 
 
 一時半過ぎに戻ってきた鎌田浩之は、すっかり待たせたことを詫びるでもなく両手に提げていた大きなレジ袋ごと厨房に入って、そのまましばらく出てこなかった。
 美砂子の方は、ただ、テーブルの椅子に腰掛けていたが、五分ほどして浩之がやってきた。これでも飲んでちょっと待っててください。何かおいしいものを作りますから、と傍らに立つと瓶ビールを目の前に置く。彼も片手に瓶を持っていた。
 それから、カウンターの上の小箱を持ってきて、これが先生からもらった手紙なんです。俺は読んでないですけど、美砂子さんがもしお読みになりたいならどうぞ、と言った。
 手紙ならさっき拝見しました、鎌田さんぜんぜん戻って来ないし、手持ち無沙汰で店の中をうろうろしてたらその箱が目に入ったから、と美砂子は言い、それから、別に中身は読んでませんよ、そんな気もありませんし、と突き放したような口調で付け加えた。
 ま、そうですよね、親の色恋沙汰ほど気色悪いものもないですしね、などといい加減なことを平気で言う。
 私、おいしいものなんていりませんから。その手紙の処分の仕方だけ話し合いませんか。ついでにこれも、と隣の椅子に置いてあったバッグから最初に受け取った手紙を取り出して小箱の脇にそっと置いた。
 浩之が向かいの席へと回って椅子に座り込み、美砂子さん、何か怒っていませんか、と訊く。
 いいえ。ただ、もうこういうのはこれきりにしたいんです。牛島の娘としては決して愉快なことじゃないですから。
 そうは言ったものの、浩之に指摘されて、美砂子も自分の混線した感情に困惑を覚えた。別に怒るような理由もない。しかし、明らかに気持ちがぐらついている。目の前の浩之の能天気な言葉や仕種がどれもこれも癪に障ってくるのだ。
 さきほど目を通した父の手紙が良くなかったのかもしれない。
 こんな年甲斐もない手紙を書いて、という恥ずかしさはあった。だが、今回の手紙にはそれをはるかに超える何かが詰まっていた。言葉にすれば陳腐でしかないような、でも、誰の心をも打たずにはすまぬような何か。そういう何かがあの手紙にはたくさん詰まっていた。
 ま、とにかくうまいものでも食べましょう。せっかく材料仕入れてきたんだし、と浩之はどこかとぼけた表情のまま厨房へと戻っていった。
 三十分ほどで料理ができあがった。そのあいだ、店に置かれた雑誌に目を通したり、隅のテレビをつけて眺めたりしていた。喉が渇いていたことに気づいてコロナビールを一口飲むとすっきりした味がごちゃついた気持ちを軽くしてくれたようだった。ビールを胃袋に流し込む。あっという間に一本空になる。浩之がさっそくもう一本手渡してくれた。
 今日もまたテーブルに幾つもの皿が並んだ。白ワインを注いだグラスを互いの前に置いて胸当てエプロンをつけたままの浩之が向かい側に座る。
 料理はどれもさして手をかけたものではないが、箸を入れてみると前回同様、非常に美味だった。朝からほとんど何も口にしていなかったこともあり遠慮なく食べる。自分で作ったものより人が作ってくれたものの方が美味しいのはなぜだろう?いつも思う疑問をまた頭に浮かべる。
 食べているうちに人心地がついてくる。
 どうせなら思い切り飲んでやろうか、という気になった。美砂子はアルコールは滅法強かった。会社にいる頃はザルを通り越してワクと言われていた。なんだかやけっぱちな気分になっていた。
 みなみは、美容学校の同級生との合宿に行っているらしい。
 三杯目のワインをグラスに注ぎながら、浩之が、この手紙どうしましょう、と訊いてきた。
 美砂子は、私としてはやっぱり処分してほしいというのが本音です、と言った。
 ですよね。俺もそれが一番いいと思う、と浩之は言うとワインを一気飲みして、ちょっと待っててくださいね、と席を立った。カウンターの奥へ入ってからすぐに、両手に空のキャノーラ油の一斗缶を持って戻ってきて、テーブルの上にその缶を置いた。
 美砂子が一斗缶に見入っていると、これ業務用の缶なんです。これで燃やしましょう、と浩之が言った。何か燃やすならこれが一番安全で便利なんですよ、と言い、一斗缶を持って浩之は入り口を出てすぐの往来にそれを置くと、手紙をまとめて放り込んだ。それから焚き付け用にねじった新聞紙にライターで火をつけ、その先端を缶の底の手紙の束の真ん中あたりに差し入れると、折り重なった十七通の手紙にあっという間に火が移った。
 こうして牛島周一郎と東条紘子との長い長い関係が闇の中へと没していく。自分や鎌田浩之が死んでしまえば、もう父と紘子の関係を記憶しているものは誰もいなくなるだろうと美砂子は思った。
 すごく仲が良かったんですよ、俺は二人とも幸せだったと思います、と浩之が言った。
 その幸せのかげで母は父から何十年も裏切られつづけていました、と美砂子は言った。
 そうかなあ、俺はお母上は察していたと思うなあ。二十数年にわたる関係、気づかないわけないし、気づかれないわけがない。お母上は知ってて知らぬふりをしてたんじゃないかなあ。美砂子さんたちもいるし、先生への愛情も残っていたんでしょう。
 それはないと思います。母は二人のことを知ったら許さなかったはずです。
 美砂子は自分に言い聞かせるように言った。口にしながら、「妻はああ見えてすこぶる気の強い人です」という父の手紙の文章が思い出された。その一文の「ああ見えて」という一語がふとひっかかる。ああ見えて、というからには東条紘子は母の恂子に会ったことがあるのだろうか。
 手紙はいまや真っ黒な灰になってしまった。浩之が新聞の棒で灰をぐしゃぐしゃにしていく。
 どうだろう、すべてを知り尽していながら、何も知らないふりをしつづけるのも悪い生き方じゃない、と思いますよ。でも、もうそんなことどうでもいいじゃないですか。先生も亡くなり、東条さんも死んでしまった。こうやって最後の手紙も焼いたし、二人の関係はもはやなかったも同然です。結局、この勝負、お母さんが勝ち残ったってことですよ、と言って浩之は立ち上がり、ペットボトルに用意してきた水を黒々とした灰の上にゆっくりとかける。
 浩之は水に濡れた灰を見つめている美砂子の方へすいと手をさしのべてきた。ためらわずに彼の手を握る。まるで宙に浮くようにして美砂子は立ち上がっていた。
 見かけによらず強い力で引っ張られた。思わず、すっごい力、と言うと、ずっとカヌーやってましたからね、と言った。
 じゃあ、このお店の名前は?
 そこで浩之はちょっと面食らった表情になる。
 別にお袋がカヌーって店やってたからカヌーを始めたわけじゃないんですけどね。
 言い訳めいたセリフを口にしたあと、熊本は急流が多くてパドリングやラフティングのメッカだから、と言葉を継ぎ足した。
 二人して店の中に戻った。
 一緒にボンゴレでも作りましょうか、と誘ってくる。
 いいんですか。
 もちろん。今日は時間あるんでしょう。美砂子さんともこれでお別れですねえ。
 浩之はぼやけた声で言った。
 
 目を開けてもしばらく状況がつかめなかった。というより自宅のベッドで目覚めたとしか思えないのに、視界に入ってくる部屋の様子が似ても似つかない。この身体を背後から抱きしめている長い腕、その一本は腰のあたりに巻きつき、もう一本には自分が頭を預けている。
 まるでしゃっくりでもするように一度身震いが出て、美砂子はゆっくりと半身を起こした。まず部屋をぐるりと見回して、おそるおそる背中越しに腕の持ち主を見下ろす。部屋は暗く、自分の手足だってちゃんとは見えないが、鎌田浩之の寝顔はなぜだかくっきりと闇の中に浮かび上がった。美砂子は生唾を飲み込んだ。
 暗闇に目が慣れるにしたがって記憶が呼び覚まされてきた。
 眼窩に小さな痛みの芽が生まれたのは、相当量のアルコールを胃に流し込んだあとだった。
 二人で作ったボンゴレをお腹一杯食べて、さらに今度は浩之が、とっておきのラムがあるんですよ、と南大東島のラム酒を持ち出してきたのだ。すでにワインが二本空いてビールに切り換えたところだったが、ラムと聞いてついその気になってしまった。
 どうせ今夜が最後なら、浩之を酔い潰してやろう。いまにして思えば何の意味もない企みに心がとらわれてしまった。
 「COR COR」という名のホワイトラムはめったやたらに飲みやすくてショットグラスでぐいぐい呷った。むろん浩之にも同じペースで勧めた。彼もしたたかに酔っていたから文句も言わずに追いかけてきた。九時を回った頃に、しかし、美砂子の方が目の裏に痛みを感じ始めたのだ。
 浩之は「異変」にすぐに気づいた。美砂子さん、具合が悪いんですか、と心配そうな顔になって浩之が訊いてきた。右手で目許のあたりを揉んで、偏頭痛かもしれない。酔っているときは滅多に出ないんだけど、と言った。「偏頭痛」という言葉を口にした途端、目の奥の痛みが三倍になった気がした。
 排卵が終わったばかりだから生理予定日までは十日以上ある。こんな時期に偏頭痛になるというのは不思議だ。
 頭痛薬、買ってきましょうか、という浩之の言葉に小さく首を振る。むろんロキソニンはバッグに常備しているが、これほど酔っているときに飲むと逆効果になる可能性もある。
 大丈夫。このまましばらくじっとしていればおさまると思うから、と言ったが、痛みはみるみる幹を太くし葉を盛大に繁らせ始めている。
 俯いて身じろぎもしないでいると浩之も無言になった。
 五分くらい経った頃、上ですこし横になったらいいんじゃないですか、と彼が小さな声で言った。実はそうしようかと考えていたところだった。偏頭痛が始まるととにかく横になってじっとしている以外に手がなかった。もう少し酔いが抜けた時点で鎮痛剤を飲めば何とか効いてくれるだろう。壁の掛け時計の針を読むと九時半過ぎだった。よほどタクシーを呼んでもらって家に帰ろうかと思ったが、ここで車に揺られると嘔吐してしまいそうだ。ごめんなさい。そうさせてください、と美砂子はか細い声を絞り出して頭を下げたのである。
 まだ痛いですか?
 闇の中から不意に声が聞こえてぎょっとした。もう一度、鎌田浩之の顔を覗くと大きな目が見開いている。
 大丈夫です。
 それはよかった。何か飲みますか?
 浩之は横になったまま口だけ動かしている。
 いえ。
 慌てて自分の着ているものを確認する。上はカットソーのみで羽織っていたロングシャツは脱いでいる。下半身は下着だけだ。
 だったらもう少し眠りましょう。まだ十二時かそこらだと思いますよ。
 そう言うと、浩之は長い腕を伸ばして私の身体を引き寄せた。
 後ろ抱きにされると彼の右手が肩や首筋を挟み始める。そうされてみて、倒れ込むようにベッドに横になった自分を浩之がこんなふうにずっとマッサージしてくれたのだと思い出した。マッサージのおかげでピーク寸前だった頭の痛みが和らぎ、そのうちいつしか眠ってしまったのに違いなかった。
 もう偏頭痛は消えているが、後頭部や首筋にむくんだような感覚と不快な熱のようなものは居残っている。それらが浩之の掌の力で徐々に薄まっていくのが分かる。
 ふたたび眠りの中へと導かれていった。
 次に目が覚めたときは窓の外が明るんでいた。
 相変わらず浩之の胸にくるまれるようにして寝ていた。
 長い腕をほどいてベッドから降りる。寝室のドアを開けて、左手、廊下の突き当たりに洗面所がある。その手前がトイレのようだった。トイレで用を足して洗面所に入った。
 点灯しなくても洗面台の鏡に写った自分の顔が見える。周囲は静かで、寒くはないが空気はしんと冷えていた。早朝のすがすがしい光が右の小窓から射し込んでいる。
 鏡の中の顔は思いのほかさっぱりとしていた。
 頭の痛みもきれいに取れている。
 顔を洗い、口をゆすいだ。短い廊下を歩いているあいだに胸がどきどきしてくる。こんな気分はいつ以来だろうという気がした。
 寝室のドアを再び開けると、浩之はさきほどと同じ姿勢で寝ている。部屋に足を踏み入れた瞬間、掛かっていた綿毛布がゆっくりと持ち上がる。
 浩之は目を閉じたままだった。
 美砂子はためらうことなく彼の腕の中へと飛び込んでいった。
 
 「弾みがつく」という言葉がある。
 鎌田浩之との肉体交渉は、それまでの生活に別種の色合いを添えただけでなく、何かしら人生それ自体にかつてない勢いを与えてくれたような気がしていた。
 六月八日の明け方に初めて関係を結んで以来、すでに一月以上が過ぎた。そのあいだ浩之と会ったのは数えるほどだった。直志が出張のときを見計らってのことだから頻繁にというわけにはいかない。
 ただ、会えば必ず交わった。
 一晩で何度ものぼり詰めるようなセックスをとうの昔に忘れていた。それだけに浩之との情事はひどく新鮮で深々としていた。浩之に抱かれながら、月に二、三回、排卵予定日の前後に行なう直志との行為と引き比べていた。そして、この三年ほどの自分自身の殺伐さに胸を衝かれるような気分に陥った。ことにここ一年は直志がなかなかその気になってくれず、みじめな思いのままの薄い交わりがつづいていた。口を使って大きくした夫のものが正常位であっさりと挿入され、ものの数分で射精を終える。その後すぐに夫はベッドを離れ、シャワーを使って寝室に戻るとまるで何事もなかったかのように隣で寝入る。美砂子は腰にクッションを当てて授かった精液が漏出せぬように身体を傾かせ、三十分近く身じろぎもせずに仰向けの状態でいるのだった。背中を向けて眠る夫の無関心な寝息を耳にしつつ薄暗い天井を見つめていると、どうにもならないやるせなさが胸の内から渉み出してくる。
 赤ちゃんが欲しい。
 ただその一念だけでそんな幾度もの夜と三カ月に一度の過酷な偏頭痛に耐えてきたのだ。
 だからこそ挑むようにむしゃぶりついてくる浩之が健気でいとおしかった。自分にもまだ男をここまでいきり立たせる魅力があるんだ。そう思うと全身の細胞がいちどきにみずみずしさを取り戻し、一つ一つがはち切れんばかりに膨らむのが分かった。子供を望むという未然の大きな喜びのために日々の大切な喜びをいかに無造作に放り出していたかを痛感させられた。
 非常に矛盾する話だが、浩之と情事を重ねるようになってみて、それまでの固着していた考え方や生活スタイルからすんなり離脱することができたような気がした。
 思い詰めていた気持ちがほどけ、夫の身勝手さへの失望が薄れ、身体の中に溜まっていた澱のような性的不満が浩之とのセックスで急速に排出されていくのを実感した。そして、いまの暮らしを変えたい、何か仕事を見つけたり、親しかった人たち未知の人たちと自分から積極的に関わりたいと強く思えるようになった。
 自分はこの数年、すっかりくさっていたんだ。不遇をかこってひがみっぽくなり過ぎていたんだと思った。なーんだ、そうだったのか、と本当に拍子抜けするほど単純な覚醒だった。
 弾みがついたというのは要するにそういうことだ。千津子と親しくなったのもその「弾み」の一つと言っていいだろう。
 マンションの隣に住む北村千津子が恐縮しきった面持ちで訪ねてきたのはちょうど一カ月前、六月十六日の夕方頃だった。
 隣のベランダの犬の鳴き声は日を追うごとに激しくなっていた。六月に入って豪雨の日が多くなったにもかかわらずずっとベランダに出されているのだから、雨や雷の音に怯えた犬が吠えるのは当たり前である。
 父の遺骨を分けに正弦寺に赴いた次の週、美砂子は都内のデパートから佃煮や焼き海苔、梅干しなどの詰め合わせをシカゴに住む橋本夫人宛てに送った。橋本夫人は以前隣に住んでいた女性で夫の海外赴任に伴ってアメリカに渡っていた。三日後には夫人から御礼の電話が入った。その電話で、美砂子は隣の飼い犬についてしっかりと苦情を申し伝えたのだ。そのとき、隣人が橋本夫人の姪であること、北村千津子という名前であることなどを知った。夫人は美砂子の話に大層驚き、ひたすら詫びてきた。この電話を切ったらすぐにあの子に電話して、美砂子ちゃんにお詫びに行くように伝えるわ、と息巻くようにして電話を切った。
 手土産を提げた千津子が殊勝な顔でやって来たのはその翌日であった。
 部屋に上げて、リビングのソファで彼女と向かい合った。夫の直志はもちろん戻ってはいなかった。同い年くらいかと思っていたが、訊くと千津子はまだ三十二歳だという。橋本夫人に聞いた通り、夫人の妹の娘だそうだ。実家は岡山だが大学から東京で、いまは都内の大手カメラメーカーに勤めているらしかった。ずんぐりした体型でおよそ垢抜けた感じはなかったが、よく見るとかわいらしい顔立ちをしていた。大きな瞳は目尻がやや垂れ下がり、受け口の下唇はぷるんとしてピンク色に光っていた。この手は案外男好きのするタイプだと思った。
 平身低頭の態の相手をむしろなぐさめ、詳しく話を聞いてみると、何のことはない千津子は犬を飼うのは初めてで、あげくハリー(彼女はあのハリー・ポッターの大ファンなのだそうだ)のトイレトレーニングに完璧に失敗し、彼女自身がどうしていいか分からずに半ばノイローゼ状態なのだと言う。
 ベランダに放し飼いになんてしてしまって、本当に申し訳ありませんでした。きっと西村さんが怒ってるだろうなってのは分かってたんですけど。でも、とにかく二時間毎におしっこ、うんちで、私が仕事から帰ってみたら部屋中に撒き散らされてるんです。もう、気が狂いそうになっちゃって。でも、本当にごめんなさい。
 ミニチュアダックスのトイレトレーニングは技術を要するというのが常識だ。
 この子を買った店では、トイレはしつけ済みだからって言われたんですよ、千津子は憤慨したような顔になって弁解した。
 やっぱり環境が変わるし、動物というのはそう簡単なものじゃないから、と美砂子は言った。
 しかし、よくよく話してみると北村千津子は素直で気のいい女だった。どんなことでもおおらかに話すし、といって誰かの悪口を言ったり、仕事の愚痴をこぼしたりといったことはなかった。
 伯母の橋本夫人とそういう点ではよく似ている。
 その晩は、例によって直志の帰宅が深夜に及んだこともあり、十時過ぎまで千津子と話した。
 途中、美砂子が作ったオムハヤシを一緒に食べ、買い置きのワインも一本抜いた。
 私、お酒大好きです、と言って千津子は遠慮なくがんがん飲んだ。ワインはあっという間に空になって、すると自分の部屋から焼酎の四合瓶を持ってきた。
 これ宮崎の芋焼酎なんですけどもうサイコー。私、いつもネットでケース買いしてるんです。
 勧められるままにロックで飲むと、たしかに「サイコー」だった。
 十一時を回って腰を上げる時分には彼女はもう完全にできあがっていた。「西村さん」は「美砂子さん」になり、「北村さん」も「千津ちゃん」になっていた。
 まずは美砂子がハイーを預かってトイレトレーニングを行なうことに決めたのだった。
 翌日、出勤前に千津子がハリーを連れてきた。むろん前夜帰宅した直志に相談し、了解は取りつけていた。直志も小さな頃から動物に囲まれ言った人間なので「隣の犬を預かりたい」という話には一も二もなく賛成してくれた。
 半日つききりでトイレのやり方を教えると、ハリーはすぐに覚えてくれた。ふだんからベランダの仕切り板越しの付き合いがあったこともあり、こちらのこともよく知っているようだった。最初から懐いてきて、何でも言うことをきいてくれた。実に賢い犬だった。
 その日の夜、ハリーを千津子に引き渡そうとするとすさまじい吠え方をした。それでも無理やり連れて行かせたが、翌朝になって千津子が半べそで駆け込ん来た。たしかに粗相はしなくなったが、一晩中、耳元で唸ってとても眠れたものではなかったというのだった。
 あうーんあうーんって咽ぶように鳴くんです。きっと美砂子さんが恋しかったんだと思います。
 そういう経緯もあって、ハリーは週の大半をこの部屋で過ごすようになったのである。
 その日も、千津子は持参のワインをぐいぐい飲んでいた。美砂子は、手作りのタマネギのピザをオーブンに入れると、席について千津子が注いでくれたワインを一口飲む。すると、窓際のソファに寝そべっていたハリーが駆け足で足元へ寄ってきた。じゃれつくハリーの頭を撫ぜ、細い身体を持ち上げて膝の上にのせる。ハリーはしばらくわさわさと動き、テーブルに上がるような素振りだったが、ハリー、お行儀よくして、と腰を両手で押さえると、そのうちおとなしくなった。ちょこんと美砂子の膝上に座って、向かいに腰掛ける本当の飼い主の方へ不思議そうな視線を送っている。
 やっぱり、ハリーは私じゃなくて美砂子さんの方が好きですよねー、と訪ねてくるたびに最低五回は口にするセリフを千津子がまた言った。
 私、子供の頃から動物とは相性抜群なのよ、とこれまたいつものセリウでやり返す。
 キーッ、くやしい、千津子が大仰に顔をゆがめてみせる。
 さっさとハリーは私に譲って、あなたは猫ちゃんにしなさいよ。
 どうせ日中はずっと預かっているし、土日以外の夜もほとんどはこの家にいる。面倒を見るようになってまだ間がないが、ハリーはすでに西村家の犬と言っても過言ではない。だいいちハリー自体が明らかに美砂子に懐いている。千津子が引き取りにくると露骨に嫌がり、しきりに吠えかかったりする。ミニチェアダックスフントはもとが猟犬だから、気に入らない相手には意外なほど攻撃的に出るのだ。
 それにしても千津子はとにかくよく食べる。焼き上がった玉ねぎのピザもそのあとで焼いたオリーブとマッシュルームのピザも三分の二は彼女が食べた。大きなボウル一杯に盛りつけた野菜サラダもいつの間にかほとんどなくなっていた。最初に出したレバーペーストとクラッカーも完食だった。やがてワインを一本空けたところで、美砂子はパスタを茹でた。
 直志とは土日しかちゃんと食事をする時間がない。しかも、半分は外食になってしまうので、こうして出した品を豪快に食べつくしてくれる相手というのは目下のところ千津子一人だった。知り合って以来、ハリーのこともあってたびたび訪ねて来るようになり、三回に二回は夕食を共にするようになったのも、彼女の食べっぷりの良さと独特の人懐っこさにしてやられたからだろうとときどき思う。
 知り合ってわずか一カ月とはいえ、ここまで頻回に会っていれば急速に打ち解けるのは理の当然だ。あっという間にお互い何でも話せる親友のような関係になってしまった。
 千津子は頭のいい人だった。見かけと違って分析的な考え方をする冷静な人だ。彼女と話しているとたまに自分の方が感情的に思えてくることがある。同性と付き合っていて、そんなふうに思ったことはいままで一度もなかった。それが美砂子には新鮮だった。
 あんた見てるとさ、一度でいいから髪振り乱して、誰かを罵ったり、誰かに取りすがったりしてる姿を見てみたいといつも思うよ。これは、中学時代からの親友である鴻巣かんなの言葉である。
 美砂子さんの場合は、冷めて乱れるってタイプかなあ。
 そのことを千津子に話したとき、彼女はそう評した。「冷めて乱れる」という言葉遣いに自分の奥深い部分を探り当てられたような気がした。千津子と話しているとしばしばそういうことがある。そんなときの千津子はどことなく鎌田浩之に似ていなくもなかった。
 彼女は酒の手を休め、九時からのニュースを観ている。
 何だかすごい大雨ですよ。北九州、とキッチンカウンター越しに言ってきた。パスタをソースと絡めながらテレビの画面に目をやった。
 直志は今日からまた九州に出張だった。七月二十日の「海の日」をお尻にした週末の三連休も買収予定地の地主たちの家を訪ねて回るらしい。帰宅は来週の二十二日水曜日になると言っていた。このところ直志の出張はますます頻繁になっていた。
 そうそう。さっき彼から写メが届いてた。すごい雨なんだって。
 写真は水が舗道にまで溢れている博多駅前の風景だった。
 味を整えて二枚の皿に盛りつける。千津子用の皿の方をすこし多めにした。目の前にパスタを置くと、
 わーっ、これピーナッツバターのパスタですね、と皿に鼻を近づけた千津子が大きな声になる。
 これ、私、一度食べてみたかったんです。
 ちょっと意外な言葉を口にした。
 ピーナッツバターのパスタって流行ってるの?
 そうじゃないんですけど、元彼の友だちがこのピーナッツバターのパスタが得意で、一度、その友だちのお店に行って作って貰おうとしたんです。でも、作ってくれなかったんですよ。
 千津子は、おいしい、と一度声を上げ、さらにパスタを頬張りながら千津子が分かりづらい話をする。今夜はペンネではなくリングイネを使っていた。
 元彼って、例のバツイチ子持ちのこと?
 口を動かしながら千津子がうんうんと頷く。彼女は最近まで会社の上司でもあるバツイチ子持ちの男と付き合っていた。二十八歳のときから実に四年近くに及ぶ交際で、この春先に別れたばかりだった。
 じゃあ、元彼の友だちってことは同じ会社の人?
 フォークを置いて、違いますよぉ、と言い、千津子はぐびぐび缶ビールを呷っている。
 元彼の友達というのは、大学時代からの友だちで証券会社に入ったらしいんですけど、脱サラしてお店を開いたんです。で、すっごくおいしい店だから行こうって彼に誘われて一度二人で行ったことがあるんです。
 そうなんだ。
 このパスタは鎌田浩之が作ってくれたピーナッツバターのペンネを再現したものだ。あのあと詳しいレシピも教えて貰ったが、ピーナッツバターをあらかじめ少量のガーリックオイルでのばしておくのが秘訣だと浩之は言っていた。
 直志が出張とあって浩之とは今夜会うことにしている。店が終わってから彼がこの近くまで迎えにきてくれる手筈だった。お酒をややセーブしているのはそのせいもある。
 結局、千津子は、お店で注文してみたけど、あれはまかないだから、とあっさり断られちゃったらしい。
 へぇー、と何気ない合いの手を入れた後で数秒のあいだ千津子の話を反芻して、おやっと思った。不意に胸のあたりがざわざわし始めた。
 その元彼の友だちがやってるお店ってどのへんにあったの、と訊くと、東西線の門前仲町からすぐで、名前はカヌーっていうんですよ、その友だちも学生の頃、元彼と一緒にカヤック・スラロームをやっていて、彼の方はオリンピック強化選手にもなったくらいの有望株だったらしいです。
 でももう会社やめて五年くらいになるんじゃないですか。その人、もともと木場の材木屋さんの跡取り息子で、亡くなったご両親が遺してくれた材木屋を売っ払ってこのお店を買ったんだって本人が言ってました。まあ悠々自適って感じで、元彼とは同い年なのにとてもそう見えないくらい見かけも若かったですよ。ちょっと気難しめだけど背が高くてすりごいハンサムだったし。
 美砂子は、ある人気俳優の名前を出して、・・みたいな感じ?と訊ねると、そうです、そうです。たしかにそっくり、と言った。
 もはや間違いないと確信した。
 
 鎌田浩之がなぜあんな嘘をついて自分に接近してきたのか、その理由がどうにも分からない。彼の詐術にまんまと乗せられ、いとも容易く夫の直志を裏切ってしまった自分自身の愚かさが美砂子は許せなかった。昨日の朝方、いつものように浩之との逢瀬を終えて自宅に戻ったあと、まんじりともせずに彼の嘘の理由を推し量った。いくら考えてもこれという動機は思いつかない。
 何か、自分には予想もつかぬようなただならぬ事情がその詐欺的行動の背景に横たわっている。そう考えるほかはなかった。
 騙されていると知って、吹っ切れたはずの思いがふたたび押し寄せてきた。
 鎌田浩之に自分は一体何を託していたのだろうか?美砂子はそのことを昨日一日じっくりと考えた。何か問題に突き当たった際は、まずは自分の本当の気持ちを直視しなくてはならない。これはかつて高遠耕平と付き合っているときに学んだことでもあった。
 鎌田に抱かれながら、滞っていたここ数年の生活、というより人生に風穴が空いたような気がした。子供、子供とまなじり決して歩くうちに忘れたり見落としてしまったものがたくさんあることには気づいていた。それらを思い出し、再発見する契機が鎌田との交際によって生まれると感じた。
 思い出すべきもの、再発見すべきものは大別して二つの系統にまとめられた。
 一つは、直志との夫婦関係の基盤を取り戻すという道筋だ。子供を作るというのはあくまで夫婦間の愛情が充実していてこその行為に違いない。だとするならば何より尊重すべきは夫である直志の存念である。幼少期に母親を病気で亡くし、郵便局勤めの父親の一人手でずっと育った彼には二親の揃った家庭への強い憧れがあった。それを百も承知でいながら、結婚当初の私は妊娠出産に興味を示さなかった。それがいまになってようやく直志の望みに叶う選択をしたはずなのに、今度は直志の方が夫婦二人きりの生活に執着を持ち始めている。美砂子にはそういう夫の心変わりの理由がいまひとつ了解できない。だとすれば、まずもって必要なのは直志の隠された本心を見極めることではないのか。
 もう一つは、直志との夫婦関係にいまこそ見切りをつけるという道筋だ。本格的に子作りに着手してからの三年、直志という男の本性が透けて見えるようになった。要するに彼が求めているのは妻ではなく、幼い頃に亡くした母親の代りでしかないのだ。彼が子作りへの情熱を失ったのは、妻という名の母親に甘えつづける現在の境遇に味を占めてしまったからではないか。だとすれば、いつぞや伊香保の温泉宿で奇しくも直志本人が言った通り、子供を作ることを一義とするならばいまの夫婦関係はもはや何の意味もなさないのではあるまいか。
 しかし、鎌田浩之の誘惑に手も無く絡め取られたにもかかわらず、美砂子には自分が一体どちらの道を選ぼうとしているのかいまだに皆目見当がつかない。
 ただ、浩之と関係を持ったとき、それを跳躍台として直志との関係を見直さなくてはならないとは思ったのだ。もう一度、直志との関係を真撃に再構築するのか、それともこの背信を挺子として夫婦関係を清算する方向へ進むのか、その岐路に自分が立ったことだけは自覚していた。
 鎌田浩之との将来について何一つ思い描かなかった。彼がそういう対象たりえぬ男であるのは最初から自明のことのようだった。だからこそ彼との情事にさほどのためらいも罪悪感も感じなくてすんでいる。
 美砂子は鎌田のことを愛していなかった。鎌田の方も私を愛していないだろう。愛し合う者同士につきまとうさまざまな要素が呆れるほどに二人のあいだにはなかった。
 だからといって二人の関係が身体だけの殺伐としたやりとりに過ぎないかというとそうでもない。自分がなぜ鎌田浩之とあんなに簡単に関係を結び、その関係をいまだにつづけているのか?
 唯一理由として挙げられるものがあるとすれば、六月二日、正弦寺で体験した不思議な出来事のせいだ。東条紘子の骨壷のほのかなぬくみを両掌に感じたとき、自分は目の前にいるこの男と一線を越えるだろうと直感した。浩之もまた同じだっただろう。最初から自分を罠にはめる腹づもりだったにしろ、あの出来事は彼にとっても意想外だったはずだ。

 高速道路の巨大な高架下を抜けると「福住一丁目」の住居表示が目に入ってきた。目指す住所は「福住一丁目3の15」だった。
 江東区福住一−三−十五 東条紘子
 父が出した封書を鎌田浩之から預かった際に念のために記しておいた住所だった。
 まさかその場所をこうして訪ねることになるとは、あのときは考えもしなかったが。
 昨夜、千津子が引きあげて三十分もしないうちに案の定、浩之から連絡が入った。千津子の話に頭が混乱した状態だったが、何食わぬ顔を装って浩之と会った。いつものホテルにチェックインし、部屋のソファで差し向かいでビールを飲みながら、さりげなく質問した。
 うちの父と東条さんはどうやって知り合ったのかしら?
 東条紘子のことを美砂子も「東条さん」と呼ぶようになっていた。
 浩之の話では、先生は若い頃、狭心症で悩んでいて、当時、お袋が親しくしていた整体の先生が早稲田かどこかにいて、その人が凄い腕だっていうんで先生をそこへ連れて行ってあげたそうなんだ。そしたら二回、三回通っただけですっかり狭心症が治ってしまって、それから先生はよくカヌーに顔を出すようになったらしい、という。
 以前聞いた浩之の話では父と東条さんとの馴れ初めはまだ父が四十代後半だった時分にさかのぼるという。父が出した平成四年七月付けの手紙の中でも「知り合って十年にもなる」との文言があるから、それはおそらく事実だろう。いまから数えて四半世紀以上も前のことだ。
 じゃあ、浩之さんはほんとにうちの父とは一度も会ったことないの、さりげなく訊ねてみる。
 そうだね。東条さんが死ぬまで俺はほとんど店には寄りつかなかったからね。
 当たり前の口調で浩之が言う。これもすでに聞いた話だが、浩之は紘子ががんで入院し、代わりに店を仕切るようになるまでずっと母親と別居していたと言っていた。
 じゃあ、カヌーを引き継ぐまでは何をやっていたの?という質問には、いろいろだよ。熊本の大学を出てこっちにやって来てからしばらくは大学の先輩の伝で古美術の仲買をやってた。昔から俺はそういうのが好きだったからね。それからは株屋の真似事をしたり、飲食関係もあれこれやったよ。ま、そのへんはバイトみたいなもんだったけどね、と言っていた。
 その人は証券会社に入ったらしいんですけど、脱サラしてお店を開いたんです、という千津子の話はほぼ浩之の身の上話と符合する。
 千津子によれば鎌田浩之は木場の材木問屋の跡取り息子だった。別れた彼氏のカヤック仲間で、オリンピック候補にも選ばれた逸材だったという。美砂子は昨夜、グーグルを呼び出して「鎌田浩之 カヤックスラローム」で検索をかけてみた。すると、数件ヒットしたのである。そのうちの一件は千津子の元彼や浩之が通っていた大学のカヌー部のホームページで、そこにOB選手として「鎌田浩之」の名前が載っていた。残りは八〇年代後半から九〇年代前半にかけての各競技会の成績で、どの大会でも「鎌田浩之」は優勝や準優勝という好成績を残していた。千津子の言う通り、彼は日本有数のカヌーイストだったようだ。数年前に脱サラして開いた店に「カヌー」と名づけるに十二分の資格を持った人物、それが鎌田浩之だったというわけだ。
 いまになって思えば、浩之の行動や物言いには解せぬところが幾つもあった。初めて会ったときから自分を意図的にカモフラージュしている印象だったし、たとえ離れ離れに暮らしていたとはいえ実母を「東条さん」と呼ぶのは不自然だ。正弦寺の納骨堂で母親の納骨壇を探しあぐねていたことなども不可解な行動だった。そして何より不審に感じたのは、あの豪雨の晩、別に天気ばかりじゃないわ。世の中も人の心もどんどんへンになってる、と美砂子が洩らしたとき、浩之とみなみが顔を見合わせなんともいえないような表情を見せたことだった。
 むろん、星みなみと名乗っていた巨乳の女も浩之とグルに違いなかった。浩之のいとこだと自称していたがそれも当てにはならない。鎌田家も東条家も同じ熊本の出であるとか、浩之は大学を出るまでずっと熊本にいたとか、熊本時代の浩之にずいぶん可愛がって貰ったとか、彼女が口走ったことはすべてでたらめだった。
 しかし、浩之にしろみなみにしろどうしてあそこま口裏を合わせて騙しにかかってきたのか。はっきりしているのは鎌田浩之が持ち出してきた父周一郎の手紙は本物だということだ。東条紘子という女性と父との間に深い関係があったという事実は覆らないだろう。では、紘子の息子で何でもない浩之はどうやって手紙を入手したのだろうか。また、それを使ってこれほどの芝居を打つと決めた彼らの動機とは何なのか。そんなことをして果たして彼らにどのような利益があるというのか。
 幾ら考えても堂々巡りになってしまうからこそ、こうして東条紘子本人を調べてみることにしたのだった。紘子という人間を知る唯一の手がかりが彼女の住んでいた家の住所だった。
 手紙にあった福住一丁目三−十五という住所を訪ねてみると、そこには瓦屋根の二階建ての古い日本家屋が建っていた。敷地は広く、五十坪もあろうかと思われる。庭なども管理が行き届いている印象であったが、家屋には人の気配がなくずいぶん前から空き家であろうことは見て取れる。
 美砂子は、隣の三階建ての細長いビルで「川上」という表札がかかった建物の玄関脇のインターホンを押してみた。はい、と返事があって、やがて五十がらみの痩せた女性が出てきた。
 お忙しいところ申し訳ございません。実は隣にお住まいだった東条紘子さんのことで教えていただきたいことがあるんですが、と言うと、はあ、なんでしょうか、と言った。
 美砂子は、単刀直入にまず、こちらに住んでいた東条さんが一年前に亡くなったというのは本当か、と訊いた。川上さんは、はい、と頷かれた。
 それから東条さんの身寄りの方はいらっしゃらないのか、と尋ねたが、東条さんはずっとお一人でしたからお葬式のときも身内の方は誰も来なかったみたいですし、と彼女は言った。その家も最近売りに出されたみたいですけど、誰がどういうふうにしてるのか全然わからないのもので。
 やはり、紘子には息子などいなかったということか、と美砂子は千津子からの話で理解しているつもりではあったが、こうしてはっきりするとさすがに衝撃を受ける。
 実は私は牛島という者なんですが、川上さんは牛島周一郎という男性のことをご存じないでしょうか。おそらくこの隣の家にもよく顔を出していたんじゃないかと思うんですが。
 牛島という名前を口にしたとたん、川上さんの表情が一変した。
 ああ、先生の……。
 はい。私は牛島周一郎の娘です。
 さっきから似てらっしゃるなあとは思っていたんですよ。そうでしたか。先生のお嬢さまですか。
 父はやっぱり東条さんを訪ねて来ていたんですね。
 はい。たまにお見かけしましたよ。東条さんのお店にもよく通ってらっしゃったみたいですし。立派な先生でらっしゃるのに私たちみたいな者にも分け隔てなく優しい言葉を掛けてくださって。本当に素晴らしい方でした。
 実は、父はもう四年も前に亡くなったのですが、私たち家族は東条さんの存在はまったく知りませんで、最近になってようやく分かったんです。それから詳しく父の遺品など調べましたら、東条さんにどうしてもお返しすべき物なども見つかりまして、それでこうして訪ねて来たんですが、途中で東条さんが一年前に亡くなったという話を伺って、もうびっくりしてしまって……。
 そうだったんですか。先生がお亡くなりになったというのは私たちも紘子さんから聞いてはいたんですよ。それに新聞にも大きく載りましたでしょう。
 美砂子は、東条さんのお店というのはどちらだったんですか、と訊いた。
 ああそれなら、という顔になって、その門仲の交差点を渡ってすぐのところです。『ルナ』っていうお店だったけど、いまは違う店になっているはずですよ、と川上さんは言った。
 亡くなって一年経つのだから後継者がいない店が閉店するのは当たり前だ。とはいえ、こうして浩之の話がことごとく嘘だと判明してくると自分がどんどんみじめになっていく気がする。
 そういえば東条さんの御身内のことだったら、斎藤さんに訊くのが一番いいかもしれないわ。お葬式からずいぶん経って、親戚だって名乗る夫婦連れが一度挨拶に来たって言ってた気がするから、と川上さんが思い出したように言った。
 斎藤さんというのは、この町内会の会長さんだった。『ルナ』の常連さんで、東条紘子ともすごく仲が良かったらしく、紘子の葬式も町内会で出し、斎藤さんが全部取り仕切ってくれたのだと、彼女は言った。
 斎藤さんはどちらに、と訊くと、川上さんは玄関のサンダルをつっかけて外に出てきた。私も慌てて一歩下がって彼女の隣に立つ。川上さんは右手を上げて左の方を指さし、あそこに見える古いマンション。オカムラハイツってマンションの608号室。そこが斎藤さんの家。ずっとこの近所でお豆腐屋やってたんだけど三年前に奥さんが亡くなって、お豆腐屋さんやめちゃったの。いまはお店も売ってご隠居暮らし。この時間ならきっと家にいるからいまから行ってみるといいわよ。
 言われて腕時計で時刻を確認する。午後二時を五分ほど過ぎていた。
 
 オカムラハイツの608号室のグレーの扉の前で一度息を整えた。呼び鈴を押す。インターホンに向かって、東条です、言うと、ああ、という声が聞こえた。じゃあ、いまから私が斎藤さんに電話しといてあげる、と別れ際に川上さんは約束したが、ちゃんと守ってくれたようだ。
 出てきた老人は想像と違って丸顔に柔和な笑みを浮かべる紳士然とした人物だった。長年どこかの会社で重役でも務めてきたような風貌である。七十をとっくに過ぎているらしいが、髪も黒々としていて、とてもそんな年齢には見えなかった。
 牛島先生のお嬢さんなんだって、と最初から斎藤さんは親しみのこもった口振りになっていた。優しげな目元がほころんでいる。
 はい。三女の美砂子と言います。いままでご挨拶にもあがれず、本当に申し訳ありませんでした。
 葬儀を取り仕切った大の仲良しで、しかも紘子の店の常連だったとすれば父の周一郎とも泥懇だったはずだ。
 いやいや。先生も急に亡くなられたからね。ママのことをご家族が御存知ないのは当たり前だし、それは何よりだったと思うよ。ママも天国でほっと胸をなで下ろしているだろうさ。
 滑舌のはっきりした江戸前言葉で斎藤さんは喋る。聞いているだけで小気味いい。
 畳敷きの応接間に通される。真ん中に小さな座卓があって床の間の手前にはかなり豪華な足付きの将棋盤が据えられていた。紫色の座布団には開いたままの棋譜が逆さに置かれている。盤面には駒も並んでいた。
 将棋盤に目をやっていると、たまに先生とやらしてもらいましたよ。いやあさすがに先生は滅法強かった。
 斎藤さんが座卓の前に座りながら言った。床の間を背負った彼と正対する形で座布団に腰を下ろした。
 父はこちらにもよくお邪魔していたんですか。次第に明らかになっていく父親の隠された日常に興味をそそられざるを得ない。
 そうねえ。ときどきはね。ただ、そんときは将棋なんてやりません。いつもこれ、と斎藤さんは楽しそうに言いながら右手で盃を飲み干す仕種をする。
 将棋はもっぱらママの店、と言い足す。
 父も在宅のときはよく将棋の研究にいそしんでいた。東大生時代には全国大会で準優勝の経験があり、そのときの小さな新聞記事を大切そうに保管していたのを憶えている。たしかアマ六段の免状を持っていたはずだ。
 ルナに将棋盤が置いてあったんですか、と訊く。
 そうそう。ママも結構強くってねえ。前の旦那さんがやっぱり将棋が好きで若い頃に手ほどきを受けたんだそうだ。
 で、紘子さんのことはどうしてお知りになりなすった、と訊かれ、美砂子は、実はと言って、父が出した手紙のコピーを見せた。念のためと思って複写しておいたものだ。斎藤さんは、こんなものを見るのははじめてだな、と言い、名無しの差出人がどんな魂胆があったのか、これだけじゃさっぱりわからねえな、と言った。
 東条さんの遺品は結局、どなたのところに行ったんですか、と美砂子は訊いた。
 そういえば遺言状があったんだよ。みんなでその中身は見たけど、その中に遠縁の人の連絡先が書いてあって連絡はしたが、葬式には誰一人来なかったよ、と斎藤さんは言った。
 あの家も遺品もその遠縁の人たちに渡ったようだけど、半年くらい経って岡山から若い夫婦が挨拶に来たよ。土地の値段ばかり気にしてやがって、紘子さんとは一度も会ったことがないそうだ。
 お葬式は町内会でやられたんですか、と美砂子は訊いてみた。
 店の従業員とか紘子ママに世話になった連中とかね。血のつながった身内はいなかったけど、身内以上の人間なら大勢いたからね、と斎藤さんは言った。
 もしかしたら鎌田浩之はそういう「身内以上の人間」の一人だったのではあるまいか。同じ門前仲町で店をやっていた者同士だ。晩年の東条紘子と何かのきっかけで親しくなったとしても不思議ではない。
 さあ、だけどそんな薄気味悪いようなことをする人間は、うちらの仲間内には誰もいないやね。
 よければママさんと親しかった人たちのお名前だけでも教えて貰えませんか。もしかしたらその中に牛島の家とも繋がりのある方がいらっしゃるかもしれません、と美砂子は言った。
 ちょっと待っておくんなさいよ、そう言うと斎藤さんはふたたび立ち上がった。空になった自分のグラスを掴んでまた部屋を出て行った。
 三分ほどして斎藤さんは戻ってきた。今度は小鉢に盛ったさくらんぼを持っている。テーブルに置いて、どうぞおあがんなさい、と言う。空いた手には一枚の写真があった。中腰でそれをこちらに手渡し、正面ではなく左の角に彼は正座した。
 これは、八幡様の隣の富岡斎場でママの葬式をやったときにみんなで写したものなんだ。ルナの常連やママの友だちは大体がこの中におさまってるから、見知った顔があるかどうかよおく確かめてみればいいよ。
 美砂子は東条紘子の遺影の前に居並ぶ十五人ほどの面々の顔に見入る。
 自分の表情が一瞬で凍りつくのが分かった。
 
 玄関ドアを開けると式台にハリーがちょこんと座って出迎えてくれた。
 目が合うとくぅんと小さく鼻を鳴らして、困ったような瞳で見つめてくる。そっとドアを閉め、沓脱ぎ場の隅に並んだ黒い革靴に目をやった。
 身体の真ん中をすーっと冷たい水が流れ落ちていくのが分かる。腕時計を見た。午前六時ちょうどだ。直志は今日の夕方、東京に戻ると言っていた。それがなぜ一日早くなったのか。
 ごめんね。朝御飯まだだよね、そう大きな声でハリーに言ってリビングに向かう。ハリーが嬉しそうに尻尾を振って足元にまとわりつきながらついてきた。
 リビングのドアを開けると、直志がソファから起き上がるところだった。
 入口の付近で立ち止まる。隣のハリーもぴたりと止まった。
 一体どこへ行ってたんだ。
 スウェットの上下に着替え、こざっぱりとした格好をしていた。おそらく昨夜遅くに帰宅したのだろう。そのままソファで眠ったということか。
 ごめんなさい。いつ帰ったの、と美砂子が訊くと、それよりどこに行ってたんだよ。何回携帯に電話しても繋がらないし、と直志は言った。
 直志からの着信は一件もなかった。それはさきほど車の中で確かめてある。
 おかしいわね。一回も鳴らなかったよ、と言うと、そんなはずないだろ、お前、俺に黙って一体何してるんだよ、とさらに言葉を尖らせてくる。
 ごめんなさい。帰るのは今日だと思ってたからかんなのところに行ってたの。昨日の夜遅くに急に電話が来ちゃって、と美砂子は鴻巣かんなの名前を出す。彼女は横浜で暮らしていた。ここからだと湾岸高速経由で一時間とちょっとだ。
 だったらどうして電話に出ないんだよ、明らかに信じていない顔つきで直志は言い募った。
 ごめんなさい。ほんとに電話鳴らなかったの。かんなの家が受信状態が悪いのかも。
 彼女は山下公園のすぐそばの高層マンションに住んでいた。携帯の電波が届かないわけがない。直志の方がわざと電話してこなかったに違いない。
 一体何の用があったのか、という質問は出ない。鴻巣かんなの現在の状況は直志もよく知っている。夜中に急に不安になって親友の私を呼び出すくらい、いまのかんななら充分にあり得ることだった。
 ねえ、どうしたの。今朝の直志さんちょっとへンよ、と美砂子は両手を広げてみせた。
 だったら、俺がいまから鴻巣さんの家に電話してもいいんだな。
 ねえ、一体何があったの。直志さん私のことを疑ってるの、と今度は呆れた口調で言ってみる。
 当たり前だろ。亭主が一週間の出張から夜中に戻ってみたら家はもぬけの殻で、書き置き一つないんだ。電話しても出ない。これで女房を疑わない男はいないだろ。
 だからかんなの家に行ってたって言ってるでしょ。一晩中彼女の話を聞いて、私だって一睡もしないで急いで帰ってきたのよ。書き置きがないのは当たり前でしょ。直志さん、今日の夜帰るって言ってたんだから。私はちゃんと説明してるのに、まるで何か隠し事でもしてるみたいに言うなんて、そっちの方こそどうかしてるわ。
 よくそんなにシラッとしていられるもんだ。
 直志はソファの前からこちらへ近づくとキッチンカウンターの隅に置かれた固定電話の子機を取り上げた。子機のボタンをしばらくいじり、登録されたかんなの電話番号を見つけたのだろう、無言で耳にあてた。入れ替わりで私の方がソファに移動した。
 時刻はまだ六時を回ったばかりだ。こんな早朝に電話するなんて常軌を逸していると思う。
 電話には、かんなが出たようだった。
 もしもし、おはようございます。こんなに早くにすみません。たったいま美砂子が戻ってきて話を聞きまして。ちょっと僕も気になったものだから。
 尻尾を握られたときのこちらの言い訳をあらかじめ予測していたのだろう。直志の言葉遣いは実に巧みだった。
 電話の向こうではかんながひとしきり喋っているようだった。直志は、相槌を打ちながら耳を傾けていた。やがて、自分の思惑がその通りに運ばないことにようやく気づき始めた様子だ。
 そうですか。これからも美砂子でよければいつでも使ってやってください。ええ、大変なときはお互いさまですから。僕もこのところ出張つづきで何にもできなくて申し訳ありません。
 直志は丁寧な口振りで最後に言って子機の通話ボタンを押した。
 美砂子は黙って夫を見ていた。
 直志は子機を置いたあと釈然としない顔つきで見返してきた。むろん謝罪の言葉などあるはずもない。こんなときのために鴻巣かんなと口裏を合わせていたに違いないと思っているのだろう。
 もしも、美砂子がこの場で追い詰められるような事態に陥ったならば、彼は一体その先どのような展開に持っていく魂胆だったのだろう。
 実はかねてから不倫の証拠はとっくに握っていたんだ、とでも言い始め、一気に鎌田浩之との関係を暴き立てていくつもりだったのか。
 直志はさっさと身支度するとろくに口もきかずに家を出て行った。
 今夜は晩御飯どうしますか、と訊ねると、接待が入ってるから、とだけ言って最後までこちらの顔を見ることもなかった。
 彼からすれば満を持しての作戦決行だったのだろう。あてが外れて気まずい思いだけが残ったというところか。
 東条紘子の旧宅を訪ねてまだ四日しか経っていなかった。見せられた写真や斎藤さんの話など、いまだに整理できないことばかりだった。これから自分が何をどうすればいいのかも皆目見当がつかない。ただ、今朝の直志の様子などを見る限り、思った以上に早く事態は動いていくような気がする。
 昨夜、鎌田浩之から電話があったのは午後十一時過ぎだった。
 一旦は応じて、いつものホテルで十二時に落ち合うことにした。
 その上で午前一時過ぎに断りの電話を入れた。急用ができて行けなくなったというと浩之は、それなら仕方がないね、とあっさり了承してくれた。深夜のドタキャンとあってさすがの浩之も機転が利かなかったのだろう。
 家を出て、鴻巣かんなの家に向かったのはその電話のあとである。
 中・高と同級生だった鴻巣かんなが乳がんで乳房の切除手術を受けたのは昨年の五月のことだ。ずっと外資系のコンサルで働いていた彼女が結婚したのはいまから四年前、三十一歳のときで、相手の村上さんは三歳年下の弁護士だった。某化粧品会社の株買い占め騒動の折に彼女も村上さんも会社側の代理人として敵対的買収を進めるバイアウト・ファンドへの対抗策立案に関わり、その仕事を通じて親しくなったのだった。以来、二人は仲むつまじく暮らしてきたはずだったのが、昨年初めにかんなの左乳房にがんが見つかり、乳房の全摘出手術を受けて以降、一気に夫婦仲は悪化していった。
 村上さんが家を出たのが術後一年を目前にしたこの四月で、乳房再建手術に望みを託していたかんなは突然の夫の家出に文字通り打ちのめされてしまった。
 家出から三日後には村上さん側より離婚の申し出があり、相手側弁護士は、依頼人にすでに愛人がいること、彼はその愛人との新しい人生を望んでいること、結婚と同時に夫婦で購入したマンションについては村上さん名義分の住宅ローンは今後も負担する前提で譲渡すること、そしてさらに慰謝料として五百万円を支払う用意があることなどを電話と文書で知らせてきたのだった。
 それから三カ月余り、そんな身勝手な離婚交渉に応ずるはずもなく、かんなは横浜のマンションでの独り暮らしをつづけていた。
 夫の家出から二カ月近くは混乱の極みで、美砂子は中学・高校時代の仲間数人と監視チームを結成し、順繰りにメンバーがかんなの部屋を訪問することで、取り乱したり、過呼吸発作を起こしり、鬱状態であったりする彼女を見守るように心がけた。ようやく落ち着きを見せ始めたのがここ半月くらいのことで、それでもまだ完璧に立ち直ったというにはほど遠い状態なのである。
 みんなの助言もあって彼女は一カ月前に会社を辞めていた。もともとあまりの激務に耐えかねていた職場だったので、退職自体は彼女にとってストレスではなかった。学部卒業後すぐにシカゴ大学に留学してMBAを取得したかんなの場合、これまでの華麗な職歴とあいまって次の就職先は幾らでもあった。外資系企業でのハードワークと特有のストレス、結婚後もつづいた夫とのすれ違いの生活などが三十四歳という若さでの乳がん発症に関わっていないはずもなく、美砂子や他の友人たちも手術後すぐからとりあえず家庭に入ることを彼女に勧めていたのだ。
 やっぱり、彼と一緒になったときに仕事を辞めておけばよかったかもしれないね。そうすればがんになることも、彼とこんなふうになることもなかったかもしれない、とかんなは昨夜も何度かそう言った。
 しかし、あの頃のかんなにそんな選択肢はたぶんなかった。
 美砂子もかんなも全国有数の進学実績を誇る中・高一貫の女子校を卒業していた。かんなはそこから東大へ進み、美砂子は慶応に入った。
 だけど女って何だろうね。私、がんになってつくづくそう思うようになったよ。その上、今度は若い女に旦那を取られてさ。いまじゃ頭抱えて考え込んでるありさまだよ。
 もしもあんたが男だったら何にも問題なかったことは事実だよね。乳がんになることもないし、連れ合いに逃げられることも絶対なかった。それは確かだね、と自分の現状に引き寄せながら美砂子は言った。
 ほんとそうだよ。男は楽でいいよね。何にも考えないで生きられるんだから。結婚も出産も考えないでいいし、生活のためのスキルも磨かなくていいんだもの。仕事くらいできるようになるのは当たり前って話だよ。
 かんなはそう言って、サイドボードに目をやった。そこには村上さんとの結婚式の写真がいまだに飾ってある。
 だけどさあ、女ってほんとに何なんだろうね。たとえば好きな男がどこか身体の一部を失ったとしても女は平気だよね。たとえインポになったとしたってさ、心底愛している人だったらずっと支えていけると思う。だけど女がこうやっておっぱい一個無くしたら、もうそれだけで相手は逃げてくんだよ。しかも、私にはうちの旦那のそういう気持ちがすこしは分かる気がするんだよね。そりゃあいまでも頭にはきてるけど、でもさ、考えてみればおっぱいが半分無くなった女なんてその気になんないよね。旦那だってさ、まだ三十二歳の若さでこのままこんな女と何十年も一緒に暮らさなきゃいけないのかって思ったらやっぱりやりきれなかったんだと思うよ。
 二人は広いリビングでずっとソファに腰掛けていた。かんなは長いソファに寝そべるようにし、美砂子の方は一人掛けのふかふかのソファに下半身を埋めていた。
 私、いままで、どうして私たちだけがお化粧するのかも、どうして私たちだけがお酒落に血眼になるのかも本気になって考えたこと一度もなかった。男と比べてそういうことが存分にできるのってラッキーくらいにしか思ってなかった。
 この言葉にかんなの半分眠たそうな顔を思わず直視した。
 要するに全部、子供を産むためなんだなあってようやく気づいたよ。これって男を誘って子種を貰うためなんだって。それしか真っ当な理由ってないんだって。だから私たちは化粧もしなきゃいけないし、お酒落もしなきゃいけない。そして何より若くて五体満足じゃなきゃいけない。そう気づいたときは、正直、私、?然としちゃったよ。
 そこまで言ってかんなは目を見開いた。そして、でもさ、そういうのってほんと、超くっだらないよね、と吐き捨てるように付け加えたのだ。
 
 美砂子は、かつて高遠耕平の子を宿したことがあった。それに気づいたのは、高遠の父親が訪ねてくる一カ月ほど前だった。
 生理が一週間近く遅れてはいたが、まさか自分が妊娠しているなどとは思いもよらなかった。
 もともと生理周期は少女期からずっと不安定だったのだ。
 あれは忘れもしない九九年の五月二十七日木曜日のことだ。
 同僚の女の子と会社近くのタイ料理の店にランチに行き、そこで運ばれてきたグリーンカレーにひと口つけたとたんに胃袋の底から突き上げてくるような猛烈な吐き気に襲われた。
 掌で口を押さえてあわててトイレに駆け込んだ。朝食を抜いてきたので吐くものとて何もなかったが幾度も便器に向かってえずいているうちに黒々とした不安が吐き気と入れ替わりのように胸の奥からせり上がってきた。
 まさか、とにわかには信じがたかった。
 その一カ月余り前の四月二十日、美砂子は休暇を取って高遠耕平に会うために熊本に出かけた。高遠とはすでに一年近く顔を合わせていなかったし、電話やメールでの連絡さえもほとんどなくなっていた。二人の将来がもはや潰えてしまったことは動かしがたい事実だった。
 高遠の留学から数えればすでに二年の歳月が流れていた。彼の父親の訪問を受けるまでもなく、美砂子自身が結論を出す時期に来ていた。二十日は二十五歳の誕生日だった。少なくとも前年の誕生日には高遠からカードとプレゼントが送られてきた。それからほどなく熊本に赴き、二日間だったが一緒に過ごすこともできた。しかし、今回の誕生日が近づいても高遠からは何の連絡もなかった。
 美砂子は意を決して熊本に向かった。熊本空港に着いたところで連絡を入れてみようと思っていた。病状を察してもう三カ月近くは電話で話すこともしていなかった。メールも送らないようにしていた。 
 昼過ぎに空港に降り立ち、到着ロビーで携帯に電話した。つながらなければそのまま東京にとんぼ返りするつもりだった。だが、高遠は電話口に出てきた。いま空港に着いたところだと言うと、しばらくの沈黙があった。そして、「美砂子、誕生日おめでとう」と彼は言ったのだ。
 熊本市内のホテルで二時に待ち合わせた。十五分ほど遅れて高遠はやって来た。ひどくやつれていた。顔色も土気色に近く、目もどろんと濁っていた。一年会わない間にさらに違う人のようになっていた。最初しばらく言葉を失っていた。ロビーにあるティールームでコーヒーを飲んだ。
 カップを持つ高遠の指一本一本が細かく震えていた。見ないようにしてもどうしても見てしまう。
 その視線を感じたのか、ひどいんだ。副作用、と高遠は自嘲めいた口振りで言った。
 だがぽつぽつとやりとりを始めてみると、ふだんの高遠らしさがほの見えてきた。話が多少前後したり、呂律がときどき怪しかったりはしたが、話の内容はきちんとしたものだったし、持ち前の論理性もさほど失われてはいなかった。
 こっちに戻ってきて二年経って、ようやくいろんなことが分かってきたよ、と彼は言った。
 高遠の家は調べてみると精神病者がやたらに多いんだ。僕の叔父の一人も鉄道自殺しているし、伯母も鬱病で苦しんだ末に死んだらしいし、祖父も鬱病で入院し最後は自殺だったようだ。しかし、そんなこと僕は自分がこうなるまでちっとも知らなかった。おやじやお袋がもうすこし正直に話してくれていれば心の準備だってできたし、対策だって立てようがあっただろう。そう考えるといささか無念ではあるな、と淡々とした口振りだった。
 だから、どっちみち美砂子は僕なんかと結婚しない方がよかったんだ。結婚したあげくにこんなふうになってしまったら取り返しのつかないところだった。
 そこで高遠耕平はうすぼんやりとした笑みを浮かべて私の顔をじっと見た。
 だけど耕平さん、ぜんぜんヘンじゃないわ。きっと良くなってきてるんだと思う、と美砂子は半分は祈りを込めて言った。
 こうやってちゃんと話せるのもあと三、四時間だよ。そしたら薬の効果が切れてくる。薬が切れた僕はただの泥人形だ。もう自分なんかじゃないんだ。
 二十五歳の誕生日にわざわざやって来た婚約者の目的がどのようなものであるか、高遠耕平にはよく分かっているのだろう。親族に精神病患者が大勢いるという話も別れのための創作かもしれない、そう思っていた。
 僕らが会うのは今日で最後にしよう。
 案の定、高遠が言った。そして腕時計で時間を確かめる。
 いま二時だ。五時になったら病院に戻るよ。
 そのセリフで初めて、彼が入院していることを知ったのだった。もうずいぶん前に退院したという話を聞いていて、てっきりそのまま自宅療養に移行したのだと思い込んでいた。
 あと三時間。それで僕たちは終わりだ。ドクターにも、きちんとさよならを言いたいから、婚約者に会いに行かせてくれ、と頼み込んで、やっとこさ一時外出の許可を貰ったんだ。と高遠はすこしおどけた調子で言った。
 じゃあ、この貴重な三時間、何をしよっか、と微笑み返しながら言う。
 耕平さん、何が一番したい。耕平さんがしたいこと何でもしてあげる。
 すると、高遠の顔からぎこちない笑みが消えた。そして、この上に部屋を取って、美砂子をずっと抱っこしていたい、と言った。
 じゃあそうしましょうか、と美砂子は言い、一番広くて見晴らしのいい部屋にするわ。ちょっと待っててね、と付け加えて立ち上がった。
 スウィートルームがさいわい空いていたので、それを借りた。
 浴室から出てきた高遠のやせ細った身体を見て、息を飲んだ。自然に瞳に涙があふれてくる。
 我慢しなければと自分に言い聞かせようとするが、そうすればするほどに涙が止まらなくなってくる。交代でバスルームに飛び込み、全開にしたシャワーを浴びながら声を上げてひとしきり泣いた。
 備え付けのバスローブを着て戻ると高遠はもうベッドに入っていた。大きな窓にはいつの間にかレースのカーテンが引かれている。
 美砂子の身体を見せてくれないか、と言われ、バスローブを脱ぐ。高遠は無言で食い入るように美砂子の裸体を見つめていた。
 それから、そっちに行くね、と言うと高遠は掛けていた毛布を持ち上げ、二人は裸のまましばらく抱き合った。
 高遠は美砂子の身体を包み込むように抱いていた。背中に回した手を肩口から背部までゆっくりと上下させている。こうして裸で抱き合うのは一体いつ以来だろうと美砂子は思っていた。
 ごめんね美砂子。こんなふうに別れることになって。
 その高遠の声がとても遠く聞こえた。黙って彼の胸に頬をすりよせる。中・高と水泳で鍛えたはずの胸板もすっかり薄くなっていた。
 それから二人はしばらくまどろんだ。
 目覚めたときは美砂子は高遠に背中を向けていた。美砂子の背部と高遠の下腹部が密着した形で後ろ抱きにされていた。高遠の両腕はへそのあたりに巻きついている。かすかな寝息が聞こえた。
 ねえ、同じ姿勢のまま声を掛ける。三度目の「ねえ」に高遠が反応した。
 耕平さん、固くなってる。
 一瞬の間があった。
 ほんとだ。短い言葉に深々とした驚きがこめられていた。ごめん、と言って慌てて高遠が腰をはがした。
 離さないで。
 おずおずと硬い感触が戻ってくる。美砂子がお尻を突き出すとペニスをこすりつけてくる。高遠は間違いなく勃起していた。
 入れて、と美砂子は言った。
 うん、と上擦った声で高遠が答える。
 高遠が入ってきた瞬間、押し寄せてくる感情があった。
 成田空港でロンドンに向かう高遠を見送る前夜に交わって以来だった。もしかしたら、と思う。まだ自分たちの関係は終わっていないのだろうか。
 高遠は果てたあと、ごめん、と言い、こんなことするつもりじゃなかった、と付け足した。
 耕平さん、きっとよくなるよ。私、確信が持てた。
 美砂子が高遠を抱きしめながら言う。
 もう希望は捨てたんだ。
 高遠は淡々とした口調で言った。
 勃起したのは、美砂子と別れると決めて、少し心が軽くなったからだと思う。僕はそうやって大切なものをどんどん失いながら生き長らえる。誰にとっても価値のない、成長を止めた赤ん坊のようになっていくんだ。病気がよくなることもない。僕自身が、もうよくなるということがどういうことか忘れてしまった。行き先を見失った船は、永遠に広い海を漂流しつづけるしかない。こうして正気でいられる時間が与えられているうちに美砂子と別れることができて本当によかったと思ってる。
 無言でなお一層強く高遠を抱きしめた。彼の言っていることがよく理解できた。
 もう泣くことも忘れてしまったんだ。
 最後に高遠は言った。
 その日、ホテルを出て、高遠と別れたあと、美砂子はそのまま飛行機で羽田に戻ってきた。
 
 仕事帰りに品川駅構内にあるドラッグストアで「チェックワン」を買い、当時借りていた祐天寺のマンションに戻ってすぐに妊娠検査をした。予想通り判定窓にはきれいな赤紫色のラインが浮かび上がった。妊娠を確信していただけにそれほどの衝撃はなかったが、午後いっぱい考えつづけてきたことのさらにつづきを考えなくてはならないと思うとやはり幾らか途方に暮れる部分はあった。
 人生初のつわりを体験してわずか数時間しか経っていなかったが、自分でも不可解なほどの心境の変化が起きていた。帰りの電車では空いた席を見つけてすかさず座った。普段ならずっと立っているのだが、その日はごく当たり前に腰掛けていた。そして、座っているあいだもバッグを膝の上に寝せて腹部を圧迫しないようにし、右手はずっとお腹のあたりに置いていた。昼食時に吐き気を覚えるまで何も意識していなかったものが、妊娠を確信したあとは自分の身体の中に新しいいのちが宿っていることが何カ月も前から自明のことであったかのような気がした。
 この子を産みたい、とはっきりと感じた。
 それはいまだかつて経験したことのないような圧倒的な感覚だった。
 理解や判断、選択といった通常の思考経路とはまったく別次元の回路を通ってその力強い声は自分の意識に直接呼びかけてくる。我が子を宿すということはこういうことだったのか、と思った。
 しかし、そうした自らの確信にさからって現実を見据えなくてはならないことも充分に承知していた。高遠の子供を産むなどとてもできる状況ではないのだ。
 翌日、休暇を取って産婦人科に出かけた。一週間前から生理がないこと、市販の検査薬で陽性反応が出たこと、昨日の昼、そして今朝と強い吐き気を覚えたことなどを伝えると、医師はすぐに内診台にのるようにと言ってきた。
 検査の結果、妊娠五週目という診断を受けて病院を出た。予定日は一月八日だと教えられた。
 自分の部屋に戻ると、渋谷の書店で買ってきた妊娠関連の本を読んだ。四週から七週までが「妊娠二カ月」と記されているので「私はいま妊娠二カ月なんだ」と思った。胎児は二カ月の終わりには身長二・五センチ、体重四グラムになるとある。頭と胴体の区別がつき、顔の形もできはじめて二頭身ながら人間の子供らしくなるとある。手足がのびて指が生まれ、歯もできはじめるとある。
 また、流産の危険性が高まる時期なので、日常の動作や性生活は慎重にし、異常出血があれば早く医師の診察を受けること、という「四週〜七週」の注意書きに目が留まる。
 産むにしろ産まないにしろ、父親である高遠に子供ができたことをまずは知らせるのが先決だと美砂子は考えていた。しかし、現在の彼の病状からしてどこまで正常な判断ができるか分からないし、事実を告げることで彼がどのような影響を受けるかは未知数だった。
 そうやって思い悩んでいるうちに、自分がなぜ高遠に妊娠の事実を知らせたいと思っているのか、その理由が次第に分からなくなってきた。
 妊娠の事実を告げることで高遠に一体何を求めているのだろうか。
 高遠はきっと産まないでくれと言ってくるに違いなかった。
 いまここで自分の子供が誕生するなど、必死で生き長らえようとしている彼にとっては究極の重荷でしかないだろう。
 この子をたとえ産んだとしても彼に父親としての役割を期待することはむずかしい。経済的な支援など望むべくもない。その点では、高遠はあってなきがごとき父親でしかなかった。要するに「父親としての知る権利」という実に抽象的な根拠を捨て去れば、彼に何か意見を聞くこと自体がまったく無意味なのである。
 そこまで考えて、一つの思いがけない事実に突き当たった。
 父親とは単なる役割、義務を負った一つの役職に過ぎないということだ。
 子供を生むという行為が徹頭徹尾、女性の裁量に委ねられているという真理に初めて美砂子は気づいたのだった。父親とは生まれてくる我が子同様に、女性が「我が子の父」として認定する存在でしかない。結婚制度の有無にかかわらず、仮に女性が父親抜きで子供を育てたいと望めば、父親という存在自体が不必要になる。男性は自分の力だけでは決して親になることができないのだ。
 この子を産むか否かは自分一人で決めればいいのだ。父親が誰であったとしても結局、この子の母親である自分が自分の意志に従って決めるしかないのだ。
 女性たちに出産を強要することはできない。男性は暴力的に女性を妊娠させることはできても、無理やり子供を産ませることはできない。であるならばどんな時代、いかなる世界においても子供を産むという決断は女性のみが行なってきたということだ。
 この世界で人類という種族が存続してきた理由は、そうやって女性が子供を産むという決断をしつづけてきたから。ただそれだけなのだ。
 そう考えて、美砂子は高遠に妊娠を知らせることを取り止めにした。
 いまの高遠にはこの子の父親としての資格がない。つまり彼を父親として認定する必要などない、ということに美砂子はようやく思い至った。
 
 妊娠が判明して十日後の六月六日月曜日。
 昼間から生理痛のような鈍痛があり、できるだけ安静にしておこうとずっとベッドに横になっていた。夕方には痛みも薄らぎ、何も口にしていなかったので近所のスーパーに食材を買いに出たが、午前零時を過ぎて、寝る前にトイレに立った。茶褐色のおりものが出ていることに気づき慌てて本を開いて調べる。やはり流産の可能性があった。夜中だったが前回出かけた渋谷の産婦人科に電話を入れると、今夜は安静にして、明日受診してください、と言われた。
 タクシーを使って朝一番に病院に駆けつけ、診察を受けた。
 案の定「切迫流産」で、止血剤を処方され、自宅での静養を命じられた。
 会社に電話して上司に事情を話した。いままで気づいていなかったのだが、今朝、病院で妊娠と切迫流産であることを告げられた。ひとまず落ち着くまで休暇をもらいたいと言うと、彼は驚いた様子ながらも、とにかく流産しないように注意しろ。うちもかみさんが一度流産しているから状況はよく分かっている、と言ってくれた。日頃さして親しかったわけではなかったが、その言葉が身に沁みてつい涙声になってしまった。
 電話を切ったあと、妊娠の事実を初めて他人に打ち明けたと思った。もうこれで後戻りはできないと自分に言い聞かせると却って勇気が湧いてくるようだった。とにかくなんとしてでもお腹の赤ちゃんを守らなくては。
 その日は出血もなく、止血剤の効果で無事乗り切れたような気がしていた。
 しかし、次の日の明け方トイレに立ったときに明らかな出血が起きた。股間から生理のような出血があり、余りのことに一瞬意識が遠のきそうになった。すぐに病院に連絡したが、しばらく様子を見てください。診察は九時からです、と言われた。すでに午前六時を回っていた。とりあえず横になって出血の度合いを見計らった。貰っていた止血剤を二回分まとめて飲み、一時間ほど休んでからマンションの玄関までタクシーを呼んだ。八時前には病院に着いた。看護師に状況を説明するとすでに出勤していた医師が大至急診てくれることになった。
 診察室に入ると、初診のときに会った中年の女医が椅子に座っていた。
 さっそくエコー検査を行なった。先生は何度も角度を変えながら画像を見つめていた。
 重苦しい雰囲気が一緒にモニターを見ている美砂子にも伝わってきた。
 ここが赤ちゃんの心臓があるところ。まだ赤ちゃんの姿は分からないけど、このあたりが拍動しているのがふつうは見えるの。でも、動いていないでしょう。
 彼女は胎嚢の真ん中付近をボールペンで指し示しながら言った。
 しかし、美砂子には二頭身のちっちゃな我が子の姿がはっきりと見えた。そして先生が言うように我が子の心臓がぴくりとも動いていないこともはっきりと分かった。
 赤ちゃんもあなたも一生懸命頑張ったのよ。でも、本当に残念ね、という先生の言葉が耳を素通りしていった。
 この子の心臓が動いているところを一目でもいいから見たかった。もっと早く病院に行ってちゃんと見てあげればよかった。そしたらきっとこの子はこんなふうに死ぬこともなかったんだ。
 私がきちんと愛情を注いであげなかったから、自分のことばかり考えて、産むかどうかで悩んでいたりしたから、この子はきっとそんな無情な母親のことがイヤになって生まれてくるのをやめてしまったんだ。
 手術は眠っている間に終わった。目覚めたときはベッドの上だった。四人部屋だったが他のベッドはすべて空いていた。しばらくすると若い看護師が病室に入ってきた。体温、脈拍、血圧をてきぱきと計り、ご気分はいかがですか、と言う。
 人生最悪です、と答えると、
 ほんとに残念でしたね。でも、初期流産の場合は受精卵の異常が九割以上なんですよ。決してお母さんのせいじゃありませんからね、と彼女は言った。きっとこんなセリフがたったいま子供を失った相手への慰めになるとこの人は信じているのだ、と思う。
 二時間ほどこのまま安静にしていてくださいね。それからお薬を貰って退院ということになります。時間になったらまた伺いますが、何か異常や困ったことがあったらいつでもナースコールを押してくださいね。
 彼女はそれだけ言うとそそくさと病室を出ていった。
 誰もいなくなった部屋でぼーっと天井を見ていた。涙が一粒こぼれてこめかみを伝っていく。静かに泣かなくちゃ。本当は泣く資格なんて私にはないんだから。部屋の外からは院内の人たちが行き交う物音が聞こえていた。さすがに赤ん坊の泣き声はしなかったが、同じ階に産科病棟もあるからか、がやがやと話し声がたくさん届いてくる。内容は分からないがどの声もはなやぎに満ちている。ちょうど文化祭前日のような沸き立つ気配が病室のドアを通して伝わってくる。一度出始めると涙はあとからあとから水のように流れ出してきた。
 今日、この病院でこれから出産する女たちがたくさんいる。昨日も今朝もたくさんいたのだ。
 なのに私とあの子との暮らしはたった十日間で終わった。とうとうこの手に一度も抱くことなく、それどころか心臓の鼓動さえ見てあげることもできなかった。きっとあの子は一生懸命に生きようとしていただろうに。その懸命な姿を母親として一度でいいからちゃんとほめてあげたかったのに……。
 扉一枚挟んだだけで世界の色はこれほどまでに違うのだ。
 その事実を生まれて初めて強烈に痛感した。
 この世界は何てひどいんだろう。
 幸福と不幸とがこんなにもはっきりと分かれているなんて。
 そしてそれがこんなにも隣同士に存在しているなんて。ここはとてもレベルの低い、食べ物と汚物とが混ざり合ったようなひどい世界なのだ。こんな理不尽な世界だけが世界のはずがない。もっともっとレベルの高い素晴らしい世界が別にどこかにあるのだ。私の赤ちゃんは死んだのではなくて、こんな無慈悲な世界なんてパスして、直接その素晴らしい世界に行くことにしたのだ。あの子はきっとそう決めたのに違いない。
 一階の受付で会計を済ませ、感染予防の抗生剤、痛み止め、子宮収縮剤などを受け取るために待合室で椅子に座って待った。一週間彼の外来受診で異常がなく、次の生理が無事に来れば、もう心配ないですよ、と看護師が言っていた。何が心配ないのだろう、と思う。取り返しのつかない体験をした人間には心配なんてあるのだろうか。その人にあるのはただ後悔と苦しみだけではないのか。
 待合室は大きなお腹を抱えた妊婦たちでいっぱいだった。
 彼女たちは隣の相手と一様に楽しそうに喋っている。誰もがみんなそっくりの笑みを浮かべていた。
 この人たちは自分の幸せ以外が何も見えなくなっているんだ、と突然に思った。
 この人たちはこれから何十年も、自分や自分の子供のことだけを考えて生きていかなくてはいけないんだ。その何十年の間、こうして自分たちの目の前に座っているたったいま子供を失ったばかりの人間のことなんて何も見えず、何も考えられずに生きるしかないんだ。
 何て哀しいことなのだろうと美砂子は思った。
 ずっとずっとそうやって自分の周辺で絶えず生起している無数の不幸や悲惨に目をつぶりつづけて、ただ我が子や家族のためだけの幸福を願って生きていく。それはなんとみじめで哀れな人生なんだろうと強く感じたのだった。
 
 その日、美砂子はいつも通っている蔵田ウィメンズクリニックで、排卵予定日を調べてもらうと、今日、明日には間違いなく排卵するでしょうね、と医師に言われた。
 前回の検査同様、卵巣、卵管、子宮にも何の問題もないですから充分希望を持ってチャレンジしてくださいね、というその医師の笑顔に見送られて診察室をあとにした。
 外に出てみると眩しい陽光が照りつけ、見上げれば雲一つない真っ青な空が広がっていた。東条紘子の旧宅を訪ねた翌日の七月十九日、関東地方に梅雨明け宣言が出された。以来ずっと好天がつづいているが、こんなに一気に光度を増した青空は初めてだ。時刻は十一時になっている。
 「カヌー」のランチは十一時半からと聞いているので浩之はいまごろ厨房で仕込みにおおわらわのはずだ。携帯に掛けるより店の番号に連絡した方がいい、と思いながらクリニックの駐車場に駐めていた車に乗り込んだ。シートにすべり込むとむっとした熱気に全身が包み込まれる。額に汗の粒が噴き出すのが分かる。運転席のドアを開け放ったままバッグの中の携帯を取り出した。
 アドレス帳をスクロールして「カヌー」の電話番号を探した。考えてみればこの二カ月近く、美砂子の方から鎌田浩之に連絡することはほとんどなかった。いつも浩之が閉店時間後か、その二、三時間前に電話してきた。
 鎌田浩之はいままで何のために自分と会っていたのだろう?彼には一体どんな目的があるのだろう?金のためだろうか?それともどうしても償わなければならない大きな借りでもあるのか?
 あの集合写真に写った十数名の人たちのほとんどは小さな笑みを口元に浮かべていた。誰からも慕われていたという紘子ママを見送った一抹の寂しさを胸に抱きながらも、故人とのあいだに一区切りをつけた安堵感のようなものがそれぞれの表情に滲み出ていた。
 ほんとに心のこもったいい葬式だった。あんなにいい葬式は初めてだったね、と斎藤さんもしみじみと話していた。
 そんな中、鎌田浩之大だけが半べそをかいたような情けない面貌のまま写真におさまっていたのだ。美砂子が素知らぬふりで、この男の方は、と訊ねると、斎藤さんは、ああ、そいつはヒロユキっていうやつでルナの近くで店やってるんだ。五年くらい前に店を始めたんだが、その前は株屋でね。ずぶの素人なもんだから水商売の手ほどきはママがしてやってたんだ。ルナの客も大勢紹介してたしね。晩年は息子みたいに可愛がられてたもんだよ、と斎藤さんはそう説明したあと、葬式んときもそう言えばヒロユキは号泣してたなあ、と独りごちるように言い添えたのだった。
 「カヌー」の番号を見つけると通話ボタンを押す。六日前のドタキャンの詫びを言いつつ何としても今日中に鎌田浩之を呼び出さねばならない。
 何度か呼び出し音が聴こえたあと回線が繋がり、浩之が出た。
 今日、午後から会えないかしら、と先日の話には触れず、美砂子は単刀直入に切り出す。
 ランチのあとなら二、三時間は大丈夫だけど、どうしたの、と突然の誘いにさすがに浩之も不審そうな気配になった。
 どうしてもあなたに頼みたいことがあるのよ。中身は会ったときに話すけど、人目を避けたいからそのあたりのホテルを使いたいの。
 例えばと、美砂子は人形町にあるシティホテルの名を上げた。
 あそこだったら車で十分程度だし、俺も助かるけど。
 ランチの時間は二時までだったよね。だったら二時過ぎにはチェックインして部屋に入っておく。ホテルに着いたら電話ちょうだい。
 いいよ。
 じゃあ、あとで。必ず来てね、と念を押して美砂子は自分から電話を切った。
 鎌田浩之は三時になる寸前に電話を寄越した。電話をとり、美砂子はルームナンバーを伝えた。七階の角、デラックスツインの部屋だった。
 五分もしないうちに浩之は上がってきた。中に入り、ずいぶん豪勢だね、と部屋を見回している。手には赤ワインを一本提げていた。着古したTシャツにジーンズ。いつもと変わらぬ格好だ。
 ただ、長かった髪が短くなっていた。精悼な顔立ちがなおさらに鋭さを増していて、ちょっとほれぼれしてしまう。
 ごめんなさいね。お店やってる時間に呼び出したりして、それにこの前のことも謝らなきゃ。急に横浜に住んでる中学時代からの親友に呼び出されちゃって。いま彼女ちょっと精神的に参っていて心配なの。せっかく近くまで来てくれてたのに行けなくなってごめんなさい。
 会えるときに会えればいいから、と浩之はいつものセリフを口にする。
 早速、浩之が持参したオーガニックワインを開け、乾杯する。
 乾杯してから、僕にどうしても頼みたいことって何、と浩之が言う。
 別にそれほど大したことじゃないの。
 美砂子はグラスのワインを飲み干して、目の前の男の顔をじっくりと見てから、あなたの精子が欲しいのよ、と言った。セイシと言われてもすぐにはぴんとこないだろう。浩之は怪冴な表情になっている。
 私、子供が欲しいの。だから浩之さんの精子を分けて欲しいのよ。
 ようやく了解したようだが、ますます奇妙な面相になっている。なにか別の真意があるのだと感じているようだ。当然といえば当然の反応だった。
 事情があって、夫との間に子供を作るわけにはいかなくなったの。浩之さんだったら分かってくれるでしょう?
 探るような目つきを作って相手を見る。
 つまりあなたにはこのお願いは断れないってことなの、と付け加えた。
 浩之の表情がゆっくりとこわばっていく。
 言っている意味がよく分からないけど、とややあって浩之が言った。
 その瞳にはさすがに動揺が滲んでいる。
 あなただって乗りかかった船でしょう。それぐらいの償いはしたって罰は当たらないと思うわ。もしあなたがこの頼みをきいてくれないのであれば、私には私なりの覚悟があるつもりよ。
 美砂子さん、俺には何のことだかさっぱり分からないんだけど、と尚も浩之は白を切る。
 空になった自分のグラスにワインを注ぎ、半分ほど残っている浩之のグラスにも注ぎ足した。
 浩之さんが持ってきてくれるワインはいつも美味しいね。
 そう言って、もう一度グラスを空にした。
 もし、あなたが精子をくれないんだったら、私、あの子を駅のホームや階段から突き落としてやるわ。どんなに注意していても一瞬の隙をついてやってみせる。どこかに隠れて無事に赤ちゃんを産んだとしても、草の根を掻き分けてでも見つけ出して、今度はその赤ちゃんを必ず攫ってみせる。もし、あの子にこのまま子供を産ませたいんだったら、あなたが彼の代わりに私に精子を提供するのよ。そして、私がちゃんと妊娠できたら、あの子のことも彼のことも無条件で解放してあげる。じゃなきゃ、あの子とあの子のお腹の中にいる子供にいつ何が起こっても不思議じゃない。言っておくけど、これは決して冗談なんかじゃないわよ。
 鎌田浩之はずいぶん長い間、何も言わなかった。彼は無言のままワインをたてつづけに三杯飲み干してみせた。その素振りにはいかにも土壇場馴れした人間の雰囲気が漂っていた。危険なカヌー競技で一流の選手にまで上り詰めたことや証券会社の一員として莫大な株取引を切り回してきた経験が活きているのだろうか。
 美砂子さんにはそんなことできないよ、と浩之が言った。
 そうかしら。
 そんな馬鹿なことをして何の意味がありますか。
 決まっているじゃない。復讐よ。
 誰に?
 このくだらない世界全体に対する復讐。
 そんなの美砂子さん自身が傷つくだけでしょう。
 浩之が薄く笑った。
 俺は美砂子さんはそんなことはしないと思う。あなたは論理的な人間です。そうやって感情に走るのは不得手だ。それに西村君だけが妻を裏切ったわけじゃない。あなただってこうして夫を裏切っている。今となってはおあいこじゃないですか。
 私は西村を裏切ってなんかいないわ。彼やあなたの仕掛けた罠にまんまとはまっただけよ。
 たしかに俺はあなたを騙した。しかし、無理やり関係を迫ったりはしてませんよ。俺のやったことなんて俺たちがこうなる些細なきっかけを作ったにすぎない。美砂子さんが西村君のことを本当に愛していればこんなことにはなってないんじゃないですか。
 浩之は落ち着いた声で言い、それに、よその女に子供を孕ませた男なんてとっとと別れてしまえばいい。美砂子さんにだってもう未練はないでしょう、と言葉を重ねた。
 浩之さんは彼に何て頼まれたの?愛人が妊娠したから別れて欲しいなんて言ったら、うちの女房が何をするか分からないって?だから一肌脱いでくれって?
 浩之はソファの背にふたたび身を預けた。
 そうですね。きっと美砂子さんが半狂乱になるだろうって。
 その点は美砂子も考え尽くしていた。たしかに夫に二十歳そこそこの愛人がいて、あげくその女に子供ができたなどと言われれば、私は発狂寸前の状態に追い込まれただろう。むろん、「生まれてくる子供のために別れて欲しい」と求められれば断固拒絶したに違いないし、夫や愛人に対して何をしでかしていたか知れたものではない。そう考えると直志や鎌田浩之の計略はすでにして半ば以上成功してしまっているのである。浩之に誘惑され身体の関係を持ったいまとなっては、直志の卑劣な裏切りに対しても発狂するほどの怒りは湧いてこない。直志や浩之たちからすれば、まさにしてやったりだろう。それどころか、もしも千津子の話を耳にしていなければ、自分はまんまと彼らの策略にはまり、不倫妻として一方的に別れさせられるところだったのだ。

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