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白石一文『砂の上のあなた』(新潮社)
 作品について | あらすじ T  U 

あらすじ U
 斎藤さんが見せてくれた集合写真に写っていたのは鎌田浩之だけではなかった。
 その隣には笑みを浮かべた夫の直志が立っていたのだ。
 美砂子は息を呑み、我が目を疑った。
 どうして東条紘子の葬儀に直志が加わっているのか?
 内心の激しい動揺を包み隠して、この人は、と指さした。知り合いかい、と斎藤さんが聞き返してくる。父の教え子の一人に何となく似てるような気がするんですが、と咄嵯に誤魔化していた。
 じゃあ、この人かも知れないやね。俺はあんまり付き合いはなかったが先生の知り合いだってママから店で紹介されたことがある。西村って名前で、そうそうこの人がママの遺言状を預かってたんだよ。
 斎藤さんが合点がいったような声を出した。
 西村?
 覚えがあるかね。
 さあ、名前までは。
 とぼけながら、ということは父の周一郎が直志と東条紘子を引き合わせたというのか、とさらに愕然としていた。
 この西村という人もルナの常連だったんですか。
 そうねえ。先生が亡くなってからはちょくちょく顔を見せてたな。ときどきママとひそひそ話したりしてね。相当の知り合いだってのは分かったけど、他の客とはあんまり馴染まなかったからね。ヒロユキとは仲が良さそうだったよ。まあ年回りも近いし、あいつももとは勤め人だからな。きっとウマが合ったんだろう。
 この西村さんが手紙の差出人かどうかも分かりませんし、本当に父の弟子なのかどうかも分かりません。ですから、このことはまだヒロユキさんには内緒にしておいてください。ちゃんと調べた上で私の方からお訊ねしようと思います、と斎藤さんに口止めするのを忘れなかった。
 そりゃあそうだな、と斎藤さんもすぐに了解してくれたのだった。
 西日がきつくなってきたので、ソファから立ち上がり、大きな窓にレースのカーテンを引いた。
 そのときナイトテーブルのデジタルウォッチを見る。時刻は三時四十二分だった。
 だけど、あなたはなぜやすやすと西村の誘いに乗ったの。あの子とあなたとはいとこ同士でもなんでもないし、彼女はもとはルナで働いてた子なんでしょ。
 星みなみの派手な面貌を思い出しながら言う。夫を奪い、妊娠までしておきながら平気な顔で自分の前に現れたあの若い女だけはどうにも許しがたい。
 集合写真には直志や浩之だけでなく、みなみも写っていた。黒のスーツに身を包んだ彼女は直志の隣でこれみよがしに直志に身体を密着させていた。その姿を見た瞬間にさまざまなことがはっきりと見えてきたのだ。
 東条紘子の旧宅を訪ね、斎藤さんから話を聞き出したあと、私は一度自宅に戻って夜が更けるのを待ち、車でもう一度門前仲町に出かけた。「カヌー」の出入口がかろうじて窺える距離に車を駐めて星みなみが出てくるのを待ち構えた。午後十一時を回った頃、みなみは姿を現した。車を降りて彼女のあとを尾行した。いまは近所に部屋を借りてるんです、という一度きり会ったときの言葉に違わず、彼女の住まいは店から五百メートルも行かない場所にあった。「カヌー」と同じ大横川沿いの小さなマンションだった。三階建て九戸ほどのマンションは永代通り側からベランダが見える。みなみが玄関をくぐるのを見届けるとすぐに通りの方へ回ってみた。三分ほどで三階の真ん中の部屋の明かりが灯った。その晩はそれだけ確認すると引きあげた。
 翌十九日は早朝からみなみの住む「メゾン富岡」の近くにレンタカーのライトバンを駐めて人の出入りをチェックした。午後三時過ぎ、飲食店やアパートが立て込んだ細長い路地をこちらに近づいてくる背の高い男の姿をバックミラー越しに見つけた。うだるような暑さの中できっちり着込んだスーツ、その歩き方、手にしている見慣れた色と形のキャリーバッグなどから一目で直志だと知れる。直志はそれとは気づかずに美砂子が乗ったライトバンの脇を悠々と通り過ぎて行った。
 オぺラグラスでマンションの玄関に立った直志を注視した。彼はズボンのポケットから鍵を取り出すとごく自然にオートロックを解錠し、ドアの向こうへと吸い込まれていったのだった。
 その日は深夜に一度自宅に戻ってまんじりともせずに夜を明かし、翌日も早朝から張り込みを行なった。今度はグレーのワンボックスカーでマンションの向かい側に乗りつけた。海の日とあって休日だった。午前十一時過ぎに直志とみなみが手をつないで出てくる。車でゆっくりと二人の背中を追いかけた。永代通りに出ると、都合のよいことに二人はタクシーを拾った。自分の車をそのタクシーの真後ろにぴったりくっつける。タクシーは首都高速9号線の高架下を走り隅田川大橋を渡って水天宮通りへ入ると水天宮前交差点の手前で停車し、二人はそこで降りた。美砂子も、近くのパーキングメーターに車を駐め、急いで降りて、交差点に引き返す。手をつないだ二人がちょうど横断歩道を渡り切るところだった。
 そのまま二人は水天宮の急な階段に向かっていく。
 水天宮の境内が決して広くないことは分かっていたが、多少の危険を承知で階段を上った。快晴の休日とあって社殿の前は参拝客でごった返している。反対側の社務所に回り、一番遠い位置から社殿の正面を見通した。鳥居を過ぎたあたりから短い行列が出来ており、いままさに社殿前の階段を上りきった直志とみなみが御祭神の前で合掌するところだった。
 右手にある額殿にまでにじり寄り、二人の様子を斜め後ろから観察した。両者とも長々と合掌瞑目している。みなみの方は合掌を解いたあともしばらく下腹に両手を当てて正面を見据えていた。
 直志に促されて踵を返す。またしっかりと両手を結び合っている。
 この光景を目の当たりにして、すべての謎が解けた。
 あの日からちょうど一週間が経った同じ月曜日、その水天宮を眼下に見下ろすホテルの一室にこうして鎌田浩之を呼び出している。
 何か西村に弱みでも振られていたの?
 何も答えない浩之に質問を繰り返した。
 ようやく浩之が口を開く。
 東条さんには本当に世話になったんだ。小五のときにお袋を亡くした俺にはまるで本物の母親みたいな存在だったんだ、と言った。
 
 手紙のコピーを読みながら、「あれあれ」と恂子は半分笑っている。
 一度読み終えると元通り二つ折にしてあっさりと返してきた。
 東条紘子の息子と名乗る人物が突然訪ねてきたこと。いろいろと思い悩み、夫の直志に相談した上で周一郎の遺骨を独断でひとつまみ分けてしまったこと。それがいまになって報告する気になったのは話を持ちかけてきた男が東条紘子の息子ではなく生前の彼女に大層世話になった知人に過ぎないと判明したからであることなどを順を追って喋っていった。むろん、直志と浩之がぐるになって自分を騙しにかかってきたことや悪事が露顕した直志がここ数日家に戻っていないことなどは黙ったままだ。
 私のあさはかな考えで勝手なことをしてしまって本当にごめんなさい。
 恂子の落ち着きはらった物腰に釈然としないままに深々と頭を下げた。
 別にお骨くらいかまやしないわよ。だけど美貴子や美智子には内緒だよ。あの子たちはほんとに融通がきかないから。
 恂子は何でもない話のように言った。ますます面食らってしまう。
 茶の間の腰板付き障子は開け放たれ、長い縁側から真昼の陽光が射し込んでいる。今日は七月三十日木曜日。あと二日でもう八月だ。
 お母さん、知ってたの?
 ようやくそのことに思い当たった気分で訊ねる。
 かつて銀座のデパートでお父さんと一緒にいるところにばったり出くわしたことがあった、と恂子は言った。
 お父さん慌てて、この人は同僚の奥さんで自分たちもいま偶然会ったばかりだ、とか何とか言ってたけど、そんなのすぐに分かるでしょ。お父さんもあのときは心の中で真っ青になってたはずよ。もうかれこれ、二十五年くらい前のことじゃないかしら。
 母の口調はまるで懐かしむようだ。美砂子が小学生ということはこの父の手紙が書かれるずいぶん前だ。手紙の記述に照らせば父と東条紘子が付き合い始めたのは私が小学校低学年の時分だ。ということは、それからほどなくして母と紘子は銀座で鉢合わせしたということか。父が「妻はああ見えて」と記しているのはおそらくその時のことを指しているのだろう。
 それにしても東条紘子の存在を母が知っていたというのは驚きだった。そういえば、いつぞや鎌田浩之が、俺はお母上は察していたと思うなあ、と言っていたが、あれは東条紘子から何かを聞かされていたのだろうか。そんなことを思っていると、三日前、人形町のホテルで会ったばかりの浩之の顔が脳裏にくっきり浮かんでくる。直志が帰って来なくなったのもあの日からだった。
 お父さんのこと問い詰めたりしたの、と美砂子は訊いたが、恂子は、別に何もしやしないわよ、と言った。
 美砂子は、ちょっと絶句してしまう。夫の浮気を目の当たりにしながら何もしないなんて信じられない。母もこちらの呆れる思いを察したのか、ちょっと強い目線になって娘を見た。
 でもね。あと一度だけその人に会ったことがあるわ、と恂子は言った。
 銀座でばったり会って、それから三、四年は経ってたわ。その頃お父さんの様子がおかしくなってね。突然、恂子、俺と別れてくれないか、なんて言い出すもんだからさすがにちょっと心配になったのよ。
 何、それ、全然知らなかったわ。
 あんたはまだ中学生だったからね。でも美貴子はもう大学が終わる頃だったからそれとなく気づいてたんじゃないかな。もちろん私もお父さんも何も話したりはしなかったけど。
 そう言えば、と思い当たる。長姉が父についてしきりに批判めいた言辞を吐いていたのはちょうどその頃だったのではないか。お父さんのような人でも、家の中と外とでは別の顔を持っているのよ、という姉のセリフは末娘を偏愛している父親への面当てといった単純なものではなかったというわけか。
 それで、きっとあの女の人のことだと思って、内緒で滝口君や高原君なんかにいろいろ探って貰ってね、一回きりあの人のお店を訪ねて、二人きりでじっくり話し合ったわよ。
 滝口君や高原君というのは父の直弟子たちの名前である。
 そのこと、お父さんは知ってたの。
 さあ。多分最後まで知らなかったんじゃないかしら。彼女もそういう余計なことを喋るような人じゃなかったからね。
 恂子は今年七十歳になる。紘子は去年、七十で亡くなったというから二人はほぼ同世代だったわけだ。その二人が父をめぐって一体どんなやりとりを交わしたのか。
 それから母が語った内容は三日前に鎌田浩之から聞いた話と大筋で一致していた。
 まさか絢子の口から浩之の告白と重なる逸話がこれほど聞けるとは予想だにしていなかったので、思い切って手紙を見せたことは正解だったと安堵した。
 浩之によれば星みなみは東条紘子の孫娘だという。直志や店の常連客を含めてその事実を知っていたのは自分一人だと言っていた。直志もみなみと付き合うようになるまで知らなかったんじゃないか、という。
 みなみは紘子が亡くなる一年ほど前からルナで働き始めた。二人とも自分たちの関係についてとりたてて語ることはなかったが、紘子が一従業員に過ぎない彼女を自宅に下宿させたのは異例だったようだ。
 まさか孫娘だとは思わなかった。そもそも紘子ママに娘さんがいたこと自体、誰も知らなかったからね、と浩之は言っていた。
 浩之と「いとこ同士」というほかはみなみの語った出自はほぼ事実のようだ。
 築地の料亭で仲居をしていた東条紘子が熊本と東京で大きな海産物商社を営む佐伯松太郎という人物に見初められて女児を産んだのは二十七歳のときだった。妊娠と同時に松太郎は紘子に勤めを辞めさせ、あの福住に一軒家を構えて愛人として囲った。昭和四十年代初頭の話であったらしい。
 しかし、紘子は産後の体調が思わしくなかったこともあり娘の養育にかなり手こずったという。
 そこで、松太郎は紘子を説得し、かなえと名付けた愛娘を熊本の屋敷で実子として育てる手筈を整えた。というのも彼と正妻の洋子との間には子供がいなかったからだ。
 しかし、紘子は、元気になって佐伯の援助で店を始めてみて、ああ、私はなんて馬鹿なことをしてしまったのだろうって心底悔やんだわ。我が子を手放すなんて死んでもしちゃいけなかった、と悔やんでいたという。
 浩之が、問わず語りに紘子の人生の一部始終を聞かされたのは、彼女が最後の入院をした去年の三月以降だった。時間を見つけては毎日見舞っていた浩之に紘子はぽつぽつと自分の身の上を語った。もちろん彼女の回想の中では牛島周一郎との関わりも大きな位置を占めていたという。
 母の恂子も東条紘子と一度きり対決した折に彼女の来歴についてかなり聞いたようだった。
 ちょうどその頃、あの人は旦那に渡した実の娘さんを亡くしてたのよ。ものすごいショックを受けて、それでお父さんが同情して、私と別れて彼女と一緒になろうと思い詰めたみたい、と母は言った。
 だけど、愛人の子供っていっても自分の子でもあるまいし、お父さんはどうしてそんな無茶をしようとしたのかしら。死んだ他人の子のためにそれこそ妻と実の娘が三人もいる家庭を捨てようとするなんて支離滅裂じゃない。
 美砂子は至極当然の疑問を口にした。すると恂子は、あの人は、お父さんの最初の奥さんにとてもよく似ていたのよ、と言ったのだった。
 最初の奥さん?
 美砂子は思わず問い返す。母の言葉の意味がうまく把握できなかった。
 そう。お父さんは最初の奥さんをお産で亡くしてるの。臨月のときに胎盤が剥がれて大出血が起きて、それで奥さんもお腹の赤ちゃんも亡くなってしまったのよ。
 そんな話、いままで一度だって聞いたことがなかった。
 だから私やあなたたちのことをお父さんは本当に大事にしてくれたでしょう。若い時に妻子もろとも失った経験がそうさせた面もすごくあるのよ。ただ、お父さんにすれば、そうやって亡くした不偶な奥さんや子供のことも忘れられなかったんだと思うわ。
 母は自分に言い聞かせるように言う。
 あの人を見た瞬間に、私も写真でしか知らなかったけど、前の奥さんとそっくりだって思った。そんな人と出会ったらお父さんならずとも惹かれてしまうのは仕方がないじゃない。
 何も言えずに母を見る。七十歳になったとはいえまだまだ歳よりずっと若々しい。子供の頃はこの美しい母が自慢だったと思う。
 だからね、私は死んだ人とは喧嘩しないことにしたの。あの人はお父さんにとっては亡くなった奥さんの代わりなんだからね。だったら死んだ人にやきもち焼いても仕方がないって割り切ることにしたのよ。
 前の奥さんのこと、紘子さんに話したの、と美砂子は訊いた。
 ええ、話したわよ、そしたら私のような女がその方の身代わりになれて光栄ですって言ったわよ、あの人。
 じゃあ、彼女はその話は知らなかったんだ。
 さあ、どうかしらね。案外お父さんから聞かされていたかもね。でも、そんなこと私にはどっちだってよかったのよ。
 母は突き放すような物言いをした。思い出すといまでも腹立たしさが込み上げてくるのだろう。父の手紙にもあった通り、ずっとお嬢さん育ちできた母は気位の高い人だった。父の浮気を放っておこうと決めたのも、そうした母のプライドがなさしめたものに違いない。母という女性には東条紘子という愛人と対等の目線で向き合うのが耐えがたかったのだ。そう思うといま星みなみに対して抱いている自分の感情が、母のそれとよく似ているような気がして情けなくなってくる。
 だけどずうずうしい女ね。それから何年もしないうちにお父さんにお骨分けのことなんて頼み込んだりして、と本気で言った。
 でも、私が会った頃はちょうど娘さんを亡くしたばかりだったしね。嫌味の一つも言ってやろうかと思ったけど何も言えなかったわ。私だって、あんたたちの一人でも亡くしてたらきっと頭がおかしくなったと思うもの。そういうことがあって、お父さんはますます亡くなった奥さんとあの人のことを重ね合わせたんじゃないかね。
 母はそう言い、お父さんが亡くなったとき、お焼香に来るかなと思ったけど来なかった。そういう礼儀は、まあわきまえてる人だったね、と付け加えた。東条紘子が去年亡くなったとさきほど伝えたときは眉一つ動かさなかったが、いまは幾らかしんみりした口調になっている。
 浩之によれば紘子の旦那だった佐伯松太郎は昭和四十九年に六十三歳でこの世を去ったという。当時紘子は三十六歳。佐伯との関係はわずか十年で終わったのである。紘子の娘のかなえはまだ九歳。以降は生さぬ仲の母・洋子の手で育てられることになった。ちなみに四十九年は美砂子の生年でもある。
 そのかなえは二十一歳の時に佐伯家とは商売でのつながりもあった旧家・星家に嫁ぎ、翌昭和六十二年、二十二歳でみなみを出産する。そしてさらに二年後の平成元年、彼女はわずか二十四歳という若さで亡くなった。紘子同様、産後の体力低下からなかなか立ち直ることができず、冬場に罹った流感がもとの急性肺炎であっけなく逝ってしまったのだった。娘のみなみはまだ二歳。
 母の面影すら記憶できぬ幼さで父親一人の手で育てられることになった。
 西村も俺と同じでお袋さんを早くに亡くしてるけど、とはいっても俺の母親は小五までは生きてくれたからね。その意味じゃ、生まれてすぐにお袋さんが死んだ西村とみなみとのあいだにはもっと近しい感情があったんじゃないかな。そういうのが東条さんが亡くなったあと二人が急速に結びついていった要因の一つだと俺は見てる、と浩之は言っていた。
 たった二歳で母親を亡くしたみなみは、父親の手で育てられたが、小学校四年生の頃にその父が再婚した。以降は実父とも継母とも次第に折り合いが悪くなり、二十歳のときにとうとう熊本の実家を飛び出して祖母である紘子のところへ転がり込んで来たのである。
 かなえの早すぎる死について紘子は亡くなる寸前まで悔やみつづけていたという。
 大きくなったあの子の顔を初めて見ることができたのはお葬式のとき。育ての母の洋子さんと会ったのもそのときが初めてだったけど、九歳からこの継母と二人きりで暮らしたかなえのつらさがひしひしと分かったわ。松太郎さんが亡くなったあと、かなえにはこの家に居場所なんてなかったのね。だからあの子は二十歳そこそこで星の家に嫁いでいくしかなかった。そう思うと、かなえが哀れで哀れで、自分は何という事をしてしまったんだろう、せめて松太郎さんが亡くなったときに是が非でもかなえを引き取るべきだったって悔しくて涙が抑えられなかったわ。
 東条紘子は病室でそう語りながらさめざめと泣いたという。
 それだけに孫娘であるみなみの突然の登場は、紘子にとって望外の喜びだった。みなみがやって来た一昨年の五月といえば前年の暮れに見つかったがんの手術を終えて、ようやく紘子の体調が戻ってきた時期でもあった。紘子は、かなえや先生のいるところへ行くのをあとすこしだけ先延ばしにしよう、と心底思ったようだ。
 手術は何とか乗り切ったものの自らの寿命が尽きつつあると紘子は悟っていた。残されたわずかな時間を孫娘のみなみと表に過ごせることに深く感謝していたらしい。
 むろん母の恂子は星みなみの存在は知らなかった。
 恂子が東条紘子について知っているのはいまから二十年以上前に一度会ったときに聞かされた話だけだ。それでも浩之の説明を裏付けるには充分に足る内容だった。
 いつの間にか二時間近くが過ぎていた。縁側から射し込んでいた光もすこし弱まってきている。
 かつて父が書斎兼書庫として使っていた庭の向こうに見える離れ家に目を留めた。その離れ家の壁一面に青々とした蔦のようなものが生い茂っている。
 ああ、あれはゴーヤよ、と恂子は庭の方へ首を回しながら言う。水さえやってれば一晩でものすごく大きくなっちゃうのよ。帰りに何本か持っておいで。これがお店と変わらないくらい美味しいんだから。
 ありがとう、と言いながら壁全部を覆い尽くすように蔓を伸ばすゴーヤを見ていた。
 だけど、お母さん、本当に頭に来なかったの?
 そりゃ頭には来てたわ。でも、あんたたちがいたでしょう。我慢するしかなかったのよ。お父さんが別れるなんて言い出したときはさすがに乗り込んでもみたけど、でも、話を聞いてみればあの人も可哀相な境遇だったし、そんなときに私が無理やりなことをしたら、それこそお父さんは本気で出て行くと思ったもの。よほど憎み合わない限りは子供のいる夫婦はそうそう別れないものよ。美砂子も自分の子供を持ってみたら分かるわよ。
 恂子は言って、それに、と重ねた。
 お父さんとあの人は、子供が作れなくなってから結んだ縁だからね。お母さんとお父さんの関係とはやっぱり違うもの。あの人だって、本当に深い絆を結んだのは亡くなった旦那さんの方だったと思うしね。男と女の関係というのは、とどのつまりは子供を生むかどうかだもの。だからあんたも早いうちに手を打つようにしなさいね。いまは妊娠しにくい夫婦でもいろんな方法があるっていうじゃない。
 子供を作らない夫婦は本当の夫婦ではない、という母の考えは決し古風なものではない。おそらくそれは現在や未来においても人間という種が抜きがたく信奉しつづける強固なイデオロギーだろう。そういう意味では、みなみと直志との関係は形式上は不倫関係ではあって実質的には美砂子たちよりもはるかに正統な「夫婦」ということになる。
 実際、つい二カ月ほど前の美砂子自身からして同じような考え方をしていたのだ。去年の三月に直志の貧弱な精子を目の当たりにして以来、美砂子はいまの夫とのあいだに子供を作るのは無理ではないかとはっきり認識していた。タイミング法に不熱心になった夫をさして強く引き戻さなかったのは自分自身が直志との子作りを半ば以上諦めていたからにほかならない。直志が美砂子を切り捨てたごとくに美砂子もまた直志を心の中で切り捨てていたのかもしれない。
 三日前、鎌田浩之に詰め寄ったとき、あなただってこうして夫を裏切っている。今となってはおあいこじゃないですか、と真っ先に切り返されたが、あの反論はまさに図星としか言いようのないものだった。
 だが…。と母の言葉を聞きながら思うのである。
 美砂子が子供を作りたいと願ったのは、母の言うように夫である直志と断ち切ることの言ない深い絆を結ぶためだったのだろうか、と。直志と本当の夫婦になるために美砂子は彼の子を産みたいと願ったのだろうか、と。
 正弦寺での四十九日の法要を終え父の納骨を済ませての帰り道、美砂子はふっと子供を産みたいと思った。直志と共に当時住んでいた両国の社宅へと帰るタクシーの中でその思いはみるみるふくらんでいった。
 だが、美砂子は隣に座る直志の子供を産みたいと思ったのではなかった。
 こんなみじめな世界は横目に通り過ぎてより高次の世界へと旅立って行ったと信じてきたあの子をもう一度、ちゃんとこの世界に迎え入れなくてはと改心したのだ。
 父の死を経験し、大好きだった父が時々刻々変わり果てた姿になっていくのをつぶさに目撃して、自分があの子の死を都合よく解釈できたのは、あの子の死をリアルに感じないままに生きてきたからに過ぎないと気づいたのである。
 あの子の死体に触れ、あの子が変色し、あの子が骨になるのを見届けることができたならば、自分はあの子が別のもっと優れた世界へと突き抜けていったなどと甘ったるい幻想を持つことはとてもできなかった
 それはまるで衝動にも似た確信だった。
 たとえこの世界がどれほど悲惨なものであったとしても、それでも人間はまずここに生まれ落ちることから始めるしかないのだ。だからこそ、もう一度、あの子を産んであげなくてはそう強く思った。
 美砂子には、自分たち夫婦は子作りに挫折したがゆえにこのような破綻状態に陥ったのではないという気がし始めている。本心では子供を作るという行為によって夫婦関係の安定化や堅牢化が図れるなどとはこれっぽっちも考えていなかったくせに、にもかかわらずあたかも夫婦和合の究極の営みのような文脈で子作りに挑んだ自分自身の愚かな選択が、直志の痛烈なしっぺ返しを呼び寄せてしまったのではないかと考え始めていた。
 子供を作り育てることと、夫婦関係を推特発展させることとは本質的にまったく別種のものなのではないだろうか。そして、自分は直志との子作りに失敗したのではなくて、直志との夫婦関係の維持それ自体に失敗したのではないか。
 そうした観点からすれば、母の恂子が言っていることはただの負け惜しみのようなものだった。
 母は三人の娘たちを守るために夫の浮気に目をつぶり、それでもその三人の娘という夫との共有財産の保持によって自分たちの夫婦関係は立派に成立しつづけたと言っているが、それは錯覚にすぎないのだろう。恂子が自らの誇りを胸に何をどう言い繕ってみたとしても、母と父との夫婦関係は東条紘子の介入によってその大部分が破壊されてしまったのだ。それは父の不実というだけでなく、一方の当事者たる母自身の蹉跌にほかならない。
 三人の娘を産んだ母もまた結婚につまずいたのである。
 浩之は死ぬ間際の東条紘子から孫娘みなみのことを託されたという。
 東条の血が流れている女はみんな我が子を早くに手放してしまい不幸にさせる。だからこそ、みなみにだけは幸福な結婚をしてほしい。ちゃんと自分の産んだ子供をその手で慈しんで育てることができるような普通の結婚をしてほしい。どうか私が死んだあとも西村君とあなたでみなみを見守ってちょうだいね。
 浩之は手を強く握られ、東条紘子に懇願されたのだそうだ。
 ところがそのみなみが直志の子供を妊娠してしまった。しかも直志の妻は紘子が深く愛した牛島周一郎の三女である。さらにその周一郎は娘婿の直志を信頼し、自分の死後の紘子の行く末を彼に託したのだった。境遇が似ていることもあって浩之と直志は親友のようになっていた。彼も直志も紘子のことを実の母親のように慕っていた。
 正直、一体何てことをしてくれたんだと西村のことを恨んだよ、と浩之は言っていた。
 昼過ぎに湯島に着いたのだが、実家を出たのは八時だった。
 精子を分けてほしいと言い募る美砂子の顔を見つめ、浩之は呆気にとられたような顔をしていた。
 あなたは結局、私の要求を受け入れるしかないのよ。あなたが西村の頼みをきいたのはみなみちゃんを守るためでしょ。西村から私たち夫婦のことを聞いて、あなただって事実がこのまま露顕したら私がみなみちゃんに何をするか分からないと不安になったんでしょ。だとしたら、あなたが私の要求を聞き入れない限り、そのリスクは最後まで必ず残る。あなたが完全にリスクを取り除くにはこの要求を受け入れるしかないのよ。
 こう言ったとき、浩之は、西村はいいやつだよ。美砂子さんはどうして子供を作ること以外の夫婦関係をちゃんと考えなかったの、と真顔で問い返してきた。浩之はさらにこうも言った。
 俺は、夫婦の逃げ場所作りのために生まれさせられる子供ほど可哀相なものはないと思ってるけどね。
 この言葉を耳にした瞬間に、ああ、自分は別に夫の子供を産みたいわけじゃないんだ、とあらためて気づき、そう気づいた瞬間に、あの渋谷の産婦人科病院のベッドに横たわってこの世界の残酷さを肌で感じたときの自分をありありと思い出した。そしてさらには高遠耕平と最後に会った際に、高遠が口にした、勃起したのは、美砂子と別れると決めて、少し心が軽くなったからだと思う。僕はそうやって大切なものをどんどん失いながら生き長らえる。誰にとっても価値のない、成長を止めた赤ん坊のようになっていくんだ、という言葉を声も口調もそのままに脳裏に甦らせたのだった。
 子供を産むことによって女もまた大切なものをどんどん失いながら生き長らえるのではないか。自分は我が子を死なせてしまったあの日、その貴重な真理を死んでいった我が子から教えられたのではなかったか。美砂子ははっきりとそう感じたのである。
 
 湯島の実家を訪ねた日の翌日から風邪を引いて寝込んでしまった。
 直志が帰って来なくなって今日で五日目だった。
 この五日間、挫けそうなる心を支え、癒やしてくれたのはハリーだった。ハリーを抱っこしている間に、いつの間にか熱も下がり、頭痛もほぼおさまってきた。
 金曜日の今日は北村千津子がハリーを迎えにやって来る日だった。千津子は白粥を炊いてくれ、そのお粥をダイニングテーブルの椅子に座ってすすっている間も、ハリーは隣の椅子に座って美砂子を見守っている。
 これじゃあ、今日は連れて帰るの諦めるしかないよね、と千津子は苦笑する。
 お粥を食べ終わるとだいぶ気分がよくなった。熱も三十七度台に下がっている。
 その晩、美砂子は長い夢を見た。熱にうなされて夜中に何度か目覚め、それでもふたたび眠ると同じ夢の続きが始まる。朝方まで一つの夢を見つづけた。そんなことは生まれて初めてだった。
 目覚めたときは夢の大半は失われていたが、幾つかの断片は記憶に残っていた。どれも心楽しい場面ばかりで、その点も物珍しかった。
 最も鮮明に憶えているのは、巨大な砂丘での一駒だ。長く真っ直ぐな海岸線が伸びていて、私は二頭の犬と共にその汀にいる。一頭はハリー、そしてもう一頭はむかし飼っていたコーギーのマックスだった。
 美砂子はハリーやマックスと海岸線に沿って裸足で走り回った。ハリーもマックスも短足ながら駆け足になるとおそろしく速い。笑いながら息を切らして二頭の愛犬のあとを全速力で追いかける。
 途中で立ち止まると、まずマックスが駆け戻ってくる。その後ろをすこしだけ遠慮がちにハリーが近寄って来る。
 濡れた砂の上にひざまずき両腕でそれぞれの首を抱きしめた。
 海に向かって足を伸ばして座ると縮緬のような波が爪先の手前まで寄せてくる。水は透き通ってきらきらと陽光を弾き返していた。二頭が座って両脇に控えている。
 首を回して左右に広がる砂丘の風景に見入った。
 ここは一体どこだろう?
 これがあの鳥取砂丘だろうか。鳥取といえば「鳥取砂丘」。直志の実家に帰省するたびに、一度は見に行きたい、と言ったのだが、近隣の漁村で育った彼には防風林を越えて飛来する砂の「イヤな思い出」しかないらしくいつも却下されていた。
 結婚前に砂丘の話になったとき、直志が「砂の害」をひとしきり喋ったあと、ふと、ところでどうして美砂子は美砂子っていう名前になったの、と訊いてきたのを思い出した。
 美貴子や美智子は分かるけど、何で美砂子だけ美砂子なんだい。
 そこでようやく彼の質問が鳥取の砂丘と関連しているのだと気づく。
 沙羅双樹の沙とか更紗の紗とかにしたかったらしいんだけど、字画の関係で砂の文字を当てたらしいよ。この話は直志にはしていなかったろうか、と思いながら答える。
 美砂子自身も自分の名前だけ「貴」や「智」などではなく「砂」という味気ない文字が使われていることが不満で、小さい時分に父と母に訊ねたことがあった。父の答えが先のようなものだったのだ。
 そうかあ、と直志がちょっとつまらなさそうな声になって言った。
 しかし、夢の中の美砂子は、この父の答えにいまになって初めて小さな疑問を感じたのだった。字画の関係でわざわざ別の文字を当てるくらいならば「美砂子」という名前自体をやめてしまえばよかったのではないか。ほかに幾らでも字画と文字の両方で満足のいく候補があったはずだ。
 姉二人だってさして手が込んだとも思えない名前なのだ。わざわざ三女だけ美砂子と命名するのはちょっと不自然ではなかろうか。
 翌朝、夢から抜け出したあともなぜかこの疑問は頭の中にこびりついていた。
 熱は依然として三十七度台の半ばだった。昨日よりはだいぶ楽だが、それでも長時間動き回ると気分が悪くなる。食欲もなかった。千津子が置いていってくれた蜂蜜レモンでレモネードを作って飲むと、昼近くまでベッドの中でじっとしていた。
 直志のことも鎌田浩之のことも何も考えなかった。
 ハリーはずっとそばに寄り添ってくれていた。漢方薬も一度飲んだきりだったので、回復が順調なのはハリーと千津子のおかげに違いなかった。
 うとうとしているところへ千津子が顔を見せた。昨夜、部屋の鍵を渡しておいたから勝手に上がってきてくれた。寝室に入ってきて美砂子の額をさわり、熱はだいぶ下がったみたい、と言う。見上げるとそのふくよかな笑顔が実に頼もしく思えた。
 千津子はてきぱきと動いてくれた。ハリーがいつになく千津子のあとを追い回して御機嫌を取っている。そんなに無理して愛想ふりまかなくていいから、と逆に敬遠されるほどだった。
 千津子が昼にそうめんを茹でてくれ、それをみょうが、大葉、博多ネギ、それにおろし生麦をたっぷり入れためんつゆで食べたら、俄然元気が出てきた。熱も下がったようだ。
 リビングのソファに座って、今日三杯目のレモネードを千津子と一緒に飲んだ。
 ねえ、訊いていいですか、と千津子は言い、鎌田浩之が親友に頼まれたからって、自分の女房を寝取って欲しいと言われて、はいそうですか、と引き受けるなんて、どうみてもおかしい、そんなことして一体どんなメリットがあるのだろうか、と言った。
 私にもうまく説明できないんだけど、彼はうちの夫に、実はみなみが妊娠して別れるに別れられなくなったから協力してくれないか、って相談されて、じゃあ、そうするしかないか、ってほんとに軽い気持ちで彼の提案に乗ったんだと思うの。何と言うのかな、まあ、やれるだけはやってみよう、みたいな感じだったんじゃないかな。
 浩之の嘘が露顕したあといつも思い出すのは、最初に関係を結んだ朝の情景だった。あの日、浩之は決して関係を無理強いしてきたわけではない。
 じゃあ、美砂子さんはどうして彼と寝ちゃったんですか。
 千津子は、単刀直入に訊いてくる。父の遺骨を混ぜたとき東条紘子の骨壷が熱くなったことだけは千津子に話していなかった。切り出そうとするたびになぜか言い淀んでしまう。
 さあ、どうしてだろう。前にも言ったけどほんの弾みだったような気がする。
 この北村千津子と親しくなったのも「弾み」だった、と思いながら言った。人間関係は総じてものの弾みというものだろう。自分と直志が知り合ったのだって弾みでしかあるまい。
 たしかに、あの鎌田っていう人はちょっとそそられるタイプではあるけど。
 まあね、と美砂子は小さく笑ってみせる。
 美砂子さん、彼のこと愛してるんですか。
 まさか、彼とはそういう関係じゃないのよ。騙し騙されたという話を別にしてもね。
 じゃあ、どういう関係、とさらに問いただしてくる。
 うーん、何ていうのかな。私はこの数年ずっと赤ちゃんが欲しくて仕方なかったでしょう。でも夫とのあいだにはできそうもなくて、それで煮詰まってたの。で、そういうタイミングにたまたま目の前に現れたのが彼だったってことなのよ。彼の側にどんな思惑や魂胆があったにしても、私にすれば彼の登場はある意味好都合だったんだと思うの。子供を産むのを優先するならこの男が相手でも構わないかなって思ったのは事実だから。
 何か問題に突き当たったときはまずは自分の気持ちを直視しなくてはならない。そこを誤ると人間は取り返しのつかないミスをしてしまう。美砂子は高遠耕平が留学を決めたとき本当は最初からついていきたかったし、彼の子供を身ごもったときも最初から産むつもりだった。にもかかわらずさまざまな理由をつけて決断をしなかった。その結果としてすべてを失くした。
 ことに高遠の留学については、父の周一郎の交通事故が渡英を諦める最終的な要因となった。
 だからこそ、あの納骨堂での不思議な体験は美砂子にとって大きな意味があったのだ。これはとても千津子に説明できるようなことではないが、美砂子は内心で、鎌田浩之という男を連れてきたのは周一郎ではないかと感じていた。あの十数年前の罪滅ぼしのために父がそういうレールを敷いてくれたのではないか。
 そんな気がしているのだ。
 じゃあ、美砂子さんは彼の子供を産みたいって思ったんですか、と千津子がちょっと呆れたような顔をしている。
 別に彼の子供っていう意識はなかったけど、でも、まあこの男の種なら貰っても悪くないかなとは思ったわね。
 つまり、子供を産むためだけの相手ってこと?
 そういう意味ではね。
 えーっ。美砂子さんってすっごい大胆ですね。もし彼の子供を妊娠したときはご主人との関係はどうするつもりだったんですか。
 それは別れるしかないじゃない。まさか他人の子供を夫に育てさせるわけにはいかないもの。
 千津子は次第に考えあぐねるような顔つきになった。
 じゃあ、美砂子さんはご主人のことはもうちっとも愛していないんですか。
 そして素朴な疑問をぶつけてくる。
 美砂子はすこし間を作ってから口を開いた。
 結局、私の最大の失敗は、夫を取るか、子供取るかっていう二者択一に自分から陥ってしまったことだと思うの。どうして子供が欲しいと考え始めると、女って案外簡単にそういう落とし穴にはまるんだと思う。いまはうちの夫も、妻を取るか、子供を身ごもった愛人を取るかっていう二者択一を迫られてるわけだけど、でも、その二者択一は彼自身が設定した課題ではないでしょう。彼はあくまで選択を強いられてるわけだから。でも、私の場合は、自分で自分にそういう選択を突きつけてしまったところに問題があったんだと思う。
 女性は産める期間が限られてるからあんまり悠長にしてられないですよね。男の人は幾つになっても子供を作れる可能性があるけど。
 私もついそう考えてしまったのよ。
 なるほどねー、と千津子は感心したような声になっていた。
 彼女が子持ちの男との四年越しの付き合いを終わらせたのも子供が原因だった。そういう意味でこの話は千津子にとっても他人事とは思えないのだろう。
 でもね。美砂子はソファに預けていた身体を起こした。ずいぶん気分が良くなっている。ハリーは相変わらず隣に座ってくれていた。
 今回のことがあって私は少し考え方を変えることにしたのよ。考えてみたら自分の産んだ子供だけが子供じゃないでしょう。どこかで生まれた誰かの子供だって子供はみんな貴い存在なのよ。そのことを深く知っているのは私たち女性だけ。なのに私たちは自分の子供ができてしまったら、ともすればそういう一番大事なことを忘れてしまいがちになる。自分の子供の幸福だけを願って、すぐ隣や、遠くの知らない国で飢えたり、病気で苦しんだり、戦禍に巻き込まれて死んだりしている子供たちのことをまるで存在しないかのように黙殺してしまう。でも、女性がそういうふうになってしまったら、この世界なんてきっと良くなりようがないのよ。
 我が意を得たりという顔になって、私もそう思う、と千津子が言った。
 結婚なんてしたら、実家とか相手の両親とかのプレッシャーでどうしても子供を作らなきゃいけないような雰囲気になっちゃうでしょう。私、そういうのむかしからいわれなき女性への弾圧だって思ってた。
 弾圧?
 はい。
 千津子は真顔で頷いた。
 なるほどねー。
 今度は美砂子の方が思わず感心したような声を出してしまった。
 
 八月一日の土曜日には完全に平熱に戻ったが、身体の重だるさはなかなか抜けなかった。日曜、月曜と用心して一度も外出せず、だらだらと日を送った。五日からようやく普段の生活スタイルに復帰した。
 十日も帰って来ない直志が星みなみのマンションで暮らしているのは間違いない。いずれ彼の方から何か言ってくるはずだが、あんまり動きが鈍いようであればこちらから連絡を取る必要もあった。どのみちいままで通りの夫婦関係をつづけていけるわけもない。直志にその意志がないことを明白だ。これほどまでに破綻してしまった夫婦関係は一刻も早く解消すべきなのだろう。千津子も、離婚は動かないと思う。テーマは取れるだけ取るってことじゃないですか、と言っていた。
 双方弁護士を立てた上での協議離婚となった場合、今回の直志側の卑劣なやり口は慰謝料の金額をどの程度押し上げるのだろうか?罠にほめられた被害者とはいえ、夫が差し向けてきた男と関係を結んでしまった自分に不貞のレッテルが貼られることはないのだろうか?また、鎌田浩之が夫との共同謀議を果たして証言してくれるのかどうか?人形町のホテルで彼と会ったとき、よほどデジタルボイスレコーダーで会話の一部始終を録音しておこうかと迷った。が、結局そういう真似はできなかった。
 別れる夫から毟れるだけ毟り取るという発想はまったくないが、自らの身勝手な行為に相応の報いがくることを思い知らせる必要はあると思っていた。このマンションの処分の問題もある。
 百パーセント直志の名義ではあるが、頭金の半額はこっちが負担している。鴻巣かんなの夫が提示してきた条件のように部屋の名義を私に書き換え、今後も直志が支払いだけをつづけていくというのが一番好ましいが、しかし、一介のサラリーマンにすぎない直志がそんな過酷な条件を飲むのはむずかしいとも思う。
 とりあえずは湯島の実家に身を寄せ、そこで再起を図るのが賢明だろう。
 とにかく直志側との話し合いに入る前に法律の専門家にあれこれレクチャーを受けておく必要がある。これは一刻も早い方いい。知り合いの弁護士ならば何人かいた。
 一番の課題は職探しだった。
 三十五歳にもなる離婚した女をおいそれと雇ってくれる会社があるとは思えない。幸い父が亡くなったときに相続した遺産がそこそこあるし、母が一人で暮らす湯島の家に出戻れば、離婚云々はともかくも姉二人はほっと一息つくだろう。十年、二十年先を想像すれば一人きりの困難は計り知れない。だが、そんな先のことは誰にしろどうなるか分かったものではない。
 次の準備を行ないながら一、二年はゆったり構えていられる余裕はある。それだけでも自分はすこぶる恵まれていると思う。
 鎌田浩之とは人形町のホテルで会って以来、何のやりとりもなかった。
 彼の存念が掴めないと千津子はしきりに言っていたが同感だった。少なくとも浩之はこれっぽっちも罪悪感を抱いてはいないようだった。それどころか、直志の裏切りのために私が受けるダメージを自分の介入によって相当レベル減らすことができたと自負しているふうだった。
 要するに浩之は直志やみなみのためだけでなく美砂子の利益をも考慮して事に及んだと信じているのだ。悪びれる気配が一切見られないのはそのためだろう。
 鎌田浩之の胸中にあるのは徹頭徹尾、死んだ東条紘子への思慕だった。なぜ彼がそこまで紘子に執着するのか分からない。よほどのことが二人の間にあったのか、それとも父の周一郎が紘子に亡妻の面影を見たように、彼もまた小学校五年生のときに死んだ母の面影を紘子に重ねたのか。
 そしてもう一つ人形町のホテルで長い時間をともにしてみて気づいたことがあった。
 もしかしたら、浩之はみなみのことが好きなのではないか、と思ったのだ。
 そんな理由でもなければ、幾ら美砂子が真に迫った顔と口調で脅迫したところで怜例な浩之があそこまで真に受けると息えない。彼は口先では「美砂子さんがそんなことをできるはずがない」と繰り返していたが、しかし、その瞳には明らかに不安と危倶の色が滲んでいた。もし万が一にもみなみや赤ん坊の身に何かが起きれば取り返しがつかない、と彼は真剣にこちらの言動を値踏みしていた。
 母とも慕う「東条さん」の血を分けた孫娘なのだ。浩之がみなみに密かに思いを寄せていたとして不思議ではない。そして、そのみなみが親友ともいうべき直志の子供を宿してしまった。
 彼にすればそれは皮肉では片づけられない現実だったのではないか。
 浩之が美砂子との接触を図った裏にはかなり倒錯した思いが入り交じっていたのかもしれない。
 おそらく直志は、自分一人ではとても抱えきれない難題に遭遇し、たまりかねて浩之に相談したのだ。その最初から、「こうなったら女房をお前に誘惑してもらうしかない」という策略が彼の胸中にあったとはとても思えない。おそらくは浩之の方が、とりあえず俺にまかせてくれ、と言い出し、ついてはこっそり奥さんに接触する何かうまい方法はないか、と持ちかけてきたのだ。それで直志が例の手紙の件を思いついた。
 父の死後、何くれとなく東条紘子の話し相手になっていた直志は、紘子から絶大な信頼をかち得ていたと浩之は言っていた。あの分骨の話についても父の死後、紘子は直志におそらく相談したのだ。直志はかねてから父と紘子の遺志を尊重してやりたいと思っていたのかもしれない。
 だからこそ、浩之に、「何かうまい方法はないか」と問われ、この手紙を使えば一石二鳥だと考えたのではないか。浩之も「これは使える」と思ったに違いない。手紙を小道具にまんまと美砂子に接触し、一緒に納骨堂に出向き、雨に降られ、店で飲み明かし、そし三人でたくさんの手紙を焼いた。そういったあれこれを行なう中で決意は固まっていったのだろう。
 もしもみなみのことを鎌田浩之もまた思っていたとすれば、その女を奪った男の妻を自分のものにしようとするのは、男にとって自己のプライドを守る一種の代償行為ということになるのかもしれない。 
 夫の直志が突然帰宅してこちらの尻尾を掴もうとしたことなどを思い起こせば、妻と親友との情事を彼が結果的に追認し、なおかつそれを悪用し妻を追い払おうと画策したことは間違いない。
 こうした一連のストーリーはあくまで勝手な推測にすぎなかった。
 しかし、あのホテルでの鎌田浩之の反応を見るかぎり、あながち的外れではないのではないかと美砂子は考えていた。
 
 次第に直志抜きの暮らしに慣れ始めている自分がいる。
 八月に入ってからは夏らしくからりとした晴天がつづいていた。洗濯をしたり掃除をしたり買い物をしたり、普段通りの暮らしを心がけていると何かしっかりとした力に支えられている気がする。生活というものの基本に立ち返れたような、ちょっと襟を正す気持ちになる。
 八月七日金曜日。
 母から貰ってきたゴーヤでチャンプルーを作り、風邪以来すっかり気に入っているそうめんを茄でて昼御飯にした。
 昨夜はたっぷりと睡眠を取ったはずなのに午後に入ると無性に眠たくなってきた。一時間だけ仮眠しようと午後四時過ぎにベッドに入った。あっという間にに意識が遠のいていった。
 インターフォンのチャイムで目が覚めた。
 枕元に置いた携帯で時間を確認すると午後七時を回っていた。一時間のつもりが三時間も眠ってしまった。あたりもすっかり暗くなっている。スリッパも履かずに急ぎ足で寝室を出た。チャイムの音がしきりに鳴っている。
 受話器を掴みながらモニターを見る。意外な人物の顔が映っていた。
 星みなみが一人で訪ねてきたのである。
 どういうご用件ですか。
 奥様と一対一でどうしてもお話ししたいことがありまして。
 私と一対一?
 はい。今夜ここに私が来たことはご主人はご存じではありません。
 みなみは直志のことを「ご主人」と呼んだ。しばし黙り込んでみた。みなみの真意をもう少し知りたい。
 そんなにお時間は取らせません。私とご主人とのことで奥様がいろいろと誤解されている面もあると思いまして、それで厚かましくこうして参上させていただきました。
 いま開けます。十六階です。お間違えなく。そう言うとロック解除のボタンを押して受話器をフックに戻した。
 三分ほどしてチャイムが鳴った。ハリーと一緒に玄関まで出てドアを開ける。
 ベージュのワンピースに白いカーディガン姿の星みなみが立っていた。
 六月に会ったときとは印象が一変している。金髪に近かった髪は黒くなり、ショートボブがミディアムボブヘと移行し、大きな瞳を派手派手しくしていたアイメークは完璧に消えていた。目の前のみなみはどちらかといえば清楚な感じに見える。視線は我知らずその下腹部に注がれていた。まださほど膨らんでいるようには見えなかった。
 突然、押しかけるようなことをして申し訳ありません。
 玄関に一歩足を踏み入れるなりみなみが深々と頭を下げる。さすがに緊張した雰囲気が全身に漂っている。顔を上げた彼女と目が合う。挑むような視線というよりもいまにも泣きだしそうな瞳をしていた。この子は今年でようやく二十二歳なのだ、と思う。美砂子が妊娠したときよりもさらに三つも若いのだ。
 どうぞ、上がってください。
 リビングルームに招き入れ、ダイニングテーブルを前に向かい合って座った。
 話というのは何でしょうか、美砂子は言う。
 すると星みなみは一度深呼吸のように息を吸って、不意に椅子から立ち上がった。テーブルの縁に手を添えて左に移動し、ソファセットとダイニングテーブルのあいだのスペースにひざまずくと、本当に申し訳ありませんでした。
 両手をつき、額をカーペットにこすりつけて土下座したのである。
 彼女の這いつくばった姿を見下ろし、目の前で人が土下座をするのを見るのは初めてだと思う。
 さきほどは玄関先での悲しげな瞳につい騙されそうになってしまったが、この女は相当にしたたかな演技者に違いないと思いを改めていた。だからこそこうして平気で単身乗り込んで来たりもするのだ。
 美砂子さん、本当にごめんなさい。
 いまにも涙が溢れそうな目になって言う。
 いいから早く席に戻ってくれませんか。あなたのそういう態度を見てるとむかむかしてくるから、と言った。
 しおらしげにうなだれて星みなみは向かいの椅子に座り直した。
 ねえ、こういうときはくだらない演技はよしにして本音で話しましょうよ。その方がずっと効率的だし、お互いの精神衛生上も悪くないでしょう。
 あなただってそうそう何度も私と会って、こんなふうに話したくはないでしょう。それは私も同じ。できれば今夜を最後にもう二度とあなたの顔なんて見たくないの。だとすればいまきっちりカタをつけてしまった方がいいじゃない。そう思わない?
 みなみがゆっくりと背筋を伸ばす。
 私はね、こんなことでくだらない駆け引きをするのはうんざりなの。分かるでしょ。
 みなみが頷く。
 じゃあ、いまからはつまんないひっかけや演技は無しね。
 はい。
 じゃあ訊くけど、あなた、一体何をしに来たの?
 もし美砂子さんがよろしければ、なんですが……
 みなみはしっかりとした目でこっちを見た。
 ご主人をお返ししようと思って。
 返す?
 思わず問い返していた。
 はい。浩之兄さんからすでにお聞きだと思うんですが、私、妊娠しているんです。それでいろいろ考えた末に、もし美砂子さんがそれでよければ西村さんをお返ししようと思って……。お腹に赤ちゃんがいると分かったときからずっと考えていたんです。だから、その前に一度だけ美砂子さんに会いたいと思って、それで浩之兄さんに私から頼んで、美砂子さんをお店に連れて来てもらったんです。美砂子さんと会って、やっぱり西村さんとは別れようって心から思いました。
 ただ、その代わり、このお腹の子だけは何としても産もうって……。西村さんに認知して貰う必要もありません。この子は私一人の子供として育てますし、もしも信用できないのでしたら、その旨を誓約した書類を作っても構いません。浩之兄さんもぜひそうしろって言ってるんです。
 あなた、それ本気で言ってるの?
 私はまじまじとみなみの顔を見る。「ご主人」が今度は「西村さん」になっていた。
 みなみが大きく頷いた。
 彼にはその話はしてるの。
 まだです。
 だったらそんな話、話にならないじゃない。
 つい語気が鋭くなってしまう。
 でも、私はもう西村さんとは別れるつもりですから。
 はあ。
 呆れてものが言えない。
 彼はいまあなたの部屋にいるんでしょう。
 はい。
 それなら、まず彼を追い出すなり、あなたが部屋を出るなりしてからそういう話は持って来てちょうだい。ちっとも信用できやしない。
 申し訳ありません。西村さんが他に行くところがないと言うんで、つい。でもたしかにおっしゃる通りです。今夜から私がどこか別の場所に行くようにします。本当にごめんなさい。
 あなたがどこか別の場所に行くって言ったって、産んでから、その子供をどうやって育てるつもりなの。認知もしない男は養育費だって払わないわよ。
 お金は大丈夫です。祖母から貰ったお金で、誰の世話にならなくても当面子供とふたりで暮していけると思います。
 星みなみの話を聞きながら、彼女は自分と鎌田浩之との関係については知らないのだろうか、と疑問に思う。そういえばのっけにも、浩之兄さんに私から頼んで、美砂子さんをお店に連れてきてもらった、と言っていた。直志も浩之もさすがにあんな卑劣な行為は身重のみなみには打ち明けられなかったということか。
 だけど、あなたどうしてそんなに彼と別れたいの?彼は曲がりなりにもそのお腹の子の父親なわけでしょう。
 私がしでかしたことの責任を取るにはそれしかないと思うんです。妊娠が分かったときに考えたんです。奥さんのある人を好きになった以上、子供なんて産めるわけがないって。最初は彼にも黙って堕そうって思ってました。だけど、どうしてもできませんでした。
 みなみは淡々とした口調で言う。
 あの人は何て言ったの、と訊く。みなみがよく分からないような顔つきになった。
 堕してくれって言われたの?
 みなみがわずかに唇を噛んだ。
 いまは困るって西村さんは言いました。
 みなみがこちらを見据えるような目で答える。
 どうしていまは困るって言ったの。その理由は何だって。
 さらに言葉を重ねた。
 いま私が妊娠したことが分かったら、美砂子さんが半狂乱になるって。妻をそういう目にあわせるわけにはいかないって言われました。
 勝手なことを、とうんざりした気分になってくる。
 そのときも、だったら自分一人で産むって言ったんです。
 みなみの表情がかすかに歪む。ようやく彼女の素顔に触れようとしている気がした。
 そしたら?
 そういう問題じゃないって。
 美砂子はもう一度息をつく。直志への怒りが久々に生々しさを取り戻す。
 それで彼と別れようと思ったわけ?
 いいえ。
 みなみがはっきりと首を横に振った。予想通りといえば予想通りだが、意外といえば意外な反応でもあった。
 じゃあどうして?まさか本気で私に遠慮してるわけでもないでしょう。
 口調が皮肉めいたものになるのを抑えられない。
 私、直志さんの本心が分かったんです。
 「ご主人」が「西村さん」に、そしていまやっと「直志さん」へと変わった。
 二日前の夜、偶然直志さんと浩之兄さんが話しているのを盗み聞きしてしまったんです。それで昨日丸一日考えて、美砂子さんに会いに行こうと決めました、と言った。
 盗み聞きって……
 一昨日の夜でした。店の片づけをして十時頃に二度部屋に帰って、そしたら忘れ物をしたことに気づいてもう一度カヌーに戻ったんです。裏の勝手口のドアを開けたらまだ店の明かりがついていて、話し声が聞こえてきて。キッチンの出入ロから覗くと、直志さんと浩之兄さんがお酒を飲みながらひそひそ話の真っ最中だったんです。
 じゃあ、あなたはそれを盗み聞きしたってわけね。
 で、あの人たちはどんな話をしてたの。
 ?然とするような内容でした。呆れて物も言えないって感じです、と付け加えた。
 じゃあ、彼らが私に何をしようとしたかもあなたは知ってるのね。
 みなみが大きな瞳をさらに見開いてみせた。
 それが一番許せませんでした。あの浩之兄さんまでそんなことをするなんて。浩之兄さんはたしかに女の人にはだらしない方だと思うけど、でも、誰かを罠に嵌めるようなことは絶対にしない人だと信じてました。おばあちゃんも直志さん同様に自分の息子みたいに可愛がってたし。
 みなみの言葉にげっそりする。あの二人にまんまと騙された自分がいまさらながら情けないし、それを彼女にまで知られたことがいたたまれなくもあった。
 彼らだってもとはといえば、あなたとそのお腹の赤ちゃんを守るためにやったわけでしょう。それをあなたが許せないなんて言うのは筋違いな話だわ。
 別にあの人たちは私や赤ちゃんを守るために美砂子さんを陥れようとしたわけじゃないと思います。みなみが吐き捨てるような口調で言う。
 じゃあ何のために?そのセリフに内心でちょっと戸惑った。
 直志さん、はっきり言ってました。俺はいまでも美砂子を愛してるって。だけど美砂子は俺よりも子供を選んでしまったって。美砂子のためにはここで自分が身を引いて、彼女が子供を産める環境を整えてやるのが一番いいんだって。
 何、それ。
 美砂の呆れ声にみなみが強く頷く。
 みなみに子供ができたと分かったときは動転したけど、美砂子ともう争わずに済むと考えたら却って好都合かもしれないって気がしてきた。うまく事を運んで離婚できれば、それが美砂子のためにもなることだって。そしたら、浩之兄さんが「お前にも女を孕ませる能力があると分かって何よりじゃないか、と笑って、直志さんは、そうだよなあ、ってしみじみ言ってました。
 みなみはそこまで喋ると、ほかにもひどいことたくさん言ってた、と悔しさを顔に滲ませて。
 ひどいことって?
 彼女は利口すぎる。みなみくらい馬鹿な方が女はかわいいよって。
 それ誰が言ったの。
 浩之兄さんです。そしたら直志さんも、まったくだよ、って。
 みなみはそこで不意に言葉を止めた。
 それでどうしたの。
 幾分きつい口調で促してみる。
 みなみの話に美砂私自身の胸中も穏やかではいられなくなってきていた。
 直志さんが、お前にも今回は世話になったな、って言ったら、浩之兄さんが、別にかまわないよ。俺は美砂子さんみたいなのはタイプだったから、って。
 結局、あの人だって子供を産むことが最優先なんだろ。そこはお前の言ってる通りだったよ、って。子供ができたら女はもう女じゃないんだって。
 最後のは誰?
 それは二人とも言ってた。
 みなみの目が潤んでいることに美砂子は気づいた。
 美砂子さん、ほんとうにごめんなさい。でも、直志さんはまだ美砂子さんのことを愛してるんだと思います。それは直志さんの話しぶりを聞いていてよく分かりました。きっと彼は私と一緒になんてなりたくないんです。お二人の間になかなか赤ちゃんができなくて、それで、私に子供ができて、結局、彼にとっては私は逃げ道のようなものになったんだと思う。もう美砂子さんのもとへ戻るわけにもいかなくて、だから彼は浩之兄さんと組んで何とか事実を知られずに美砂子さんと別れようとした。きっとそれだけなんです。
 彼女は喋っているうちにいまにも泣き出しそうな様子になった。
 こんなことで泣いちゃだめ。あなたはこれから母親になるんでしょ。
 自分に言い聞かせるような心地で言葉を重ねる。
 私と彼との関係はとっくに終わってるの。彼が私のことを愛しているというのもちょっと違う。彼は面倒がいやだっただけだし、そのためならどんな卑劣な手を使ってもいいと決めただけ。結局、私たち女を馬鹿にしてるだけなのよ。そんなことあなたにだって分かりすぎるくらい分かっているはずよ。でもね、じゃあ、私たち女はどう?私たちだって男を馬鹿にしてるところはあるでしょう。あなたが感じているように、彼はあなたを逃げ道にしたのかもしれない。あなたが恐れているように、彼はこれからも何か面倒なことが起きたら、誰かを利用して、今度はあなたのことを平気で裏切るかもしれない。でもね、私たちだって似たようなものじゃないの。あなたは私の夫を奪った。私だって鎌田浩之というくだらない男と簡単に寝た。とどのつまりは人間なんてそんなものなのよ。でもね、それであなたは赤ちゃんを身ごもることができたんでしょ。そしてその赤ちゃんを産みたいといま思っている。だったらそれでいいじゃない。ひるがえって彼らは何を手に入れた?なあんにもでしょう。だったらそれでいいじゃない。男っていうのはね、所詮は頭で考えることしかできないのよ。自分たちの方がずっとずっと優秀なんだって思い込まないと生きていけない。だって、彼らには何にもやることなんてないんだもの。せいぜいそうやって根拠のないプライドをひけらかすくらいしかないんだもの。だからね……
 そこで美砂子はしりかりと涙目のみなみを見つめる。
 男になんて期待しちゃだめ。男のやることにいちいち傷ついたりしちゃだめ。
 みなみもじっとこちらの顔を凝視している。
 男に人生を左右されたりしちゃだめなんだよ、と美砂子は言った。
 
 地下鉄東西線「早稲田」の駅で降りて地上に出ると、プリントアウトしてきたグーグルマップを見ながらしばらく早稲田通りを神楽坂方面に歩き、目印にしておいた小さな公園の手前で左の路地に入った。路地を五十メートルほど行くと左右の住居表示が「早稲田町」から「早稲田鶴巻町」に変わる。
 目指す「にしむら孔雲堂」はこの近所のはずだった。そこからさらにしばらく歩いていくと、黄色っぽい小さなビルがあり、壁の黄色はすっかり煤け、両開きのドアの上に「にしむら孔雲堂」と記されたグレーの看板が掲げられていた。
 昨夜訪ねてきた星みなみの話ではもともと西村仁斎と懇意にしていたのは東条紘子の旦那の佐伯松太郎だったという。
 東条紘子はみなみの母のかなえを産んだあとずっと体調が悪く、それで佐伯松太郎が紘子をその西村仁斎先生のところへ連れて行った。その後、美砂子の父周一郎が狭心症で悩んでいるのを知って、紘子が周一郎に西村先生の治療院を紹介したそうだ。
 「にしむら孔雲堂」を訊ねると、出てきたのは白衣を着た風采の上がらない感じの中年の男性だった。西村仁斎はもう二十年も前に亡くなっていて、その男性は仁斎の娘婿だという。その仁斎の一人娘もすでに亡くなっていて、またその母親も十年前に亡くなっているとのことだった。
 どうやらこれ以上の情報はこの男からは得られないようだと思う。周一郎が西村仁斎の治療を受けたのは二十七年前。紘子に至っては四十年以上も昔なのだ。そこまでの過去となると掘り起こすのは容易ではない。
 仁斎先生はすごい方だったと聞いていました。
 そうね。狷介な人だったようだけど、施術の技量は神業に近かったらしいよ。俺なんて足元にも及ばないが、かみさんはそれなりにいい腕を持ってたしね。
 へぇーと感心したように一度頷き、最後に今日の訪問でどうしても確かめたかったことを質問した。
 ところで仁斎先生はもともとはどちらのご出身だったのですか。ずっと東京だったんでしょうか。
 おやじさんはずっと東京だったんじゃないの。かみさんも東京生まれの東京育ちだったからね。じゃあ、仁斎先生も東京生まれなんですね。
 そうだったんじゃないの。どこか田舎に親戚がいるという話も聞いたことがないから、と言った。
 そうですか。
 小さなため息が出る。
 今日はお忙しいところを申し訳ありませんでした、と深々とお辞儀をして相手に背中を向けた。
 やはり思い過ごしだったのだろうか。幾らなんでもそういう偶然が重なるはずはない、と自分に言い聞かせていた。
 みなみの口から「西村」という名字が出た瞬間に「もしや……」と思ったのは事実だ。何しろ、一昨日、つまりみなみがやってくる前日にも驚くような人間関係の一端を発見していた。その直後に「西村仁斎」という名前を耳にしたのだから、背筋がぞっとしてしまったのも無理はない。
 そもそも父の周一郎が愛娘の自分にではなく、女婿とはいえ赤の他人にすぎない直志に東条紘子との一部始終を打ち明け、後事を託したというのがずっと解せなかった。あの最初に読まされた手紙でも分かる通り、自らの遺骨分けの手引きを頼むなら三女の美砂子しかいないと言い切っていた父なのだ。直志と結婚して牛島の家を離れる時点で、嫁ぐ娘に東条舷子のことを告白する方がよほど理に適っている気がする。
 なのに、なぜ父は直志を選んだのか?
 ずっとその点にひっかかりがあるから、つい西村仁斎と直志とを結びつけたくなってしまうのだ。むろんみなみにも問い質してはみた。だが、彼女も父と直志とのつながりについて詳しく知っているふうではなかった。
 とにかくあの鎌田浩之の登場以来、私の周囲の人間関係は異様なほどの複雑さを呈し始めている。始めているというよりもいままで自分がまったく知らなかった網の目のような人と人とのつながりが一気に表面化してきていると言うべきかもしれない。
 父の手紙を読んだ母は、この人も由紀江さんと同じ京都出身だったんだね。そういう偶然もお父さんには重かったかもしれないね、と言っていた。由紀江とは父の最初の妻の名前であるらしい。彼女もまた東条紘子と同じ京都の生まれだった。母は由紀江の旧姓は知らなかったが、この分だと東条紘子と由紀江とのあいだにも格別なつながりがあるのかもしれない。
 佐伯松太郎が紘子に紹介した西村仁斎は父の狭心症を癒し、その父は自分の死後の紘子の面倒を夫の直志に託した。その直志と仁斎とは奇しくも同じ「西村」姓なのだ。私が咄嗟に二人の間に血縁関係を疑ったとしても突飛とまでは言えないだろう。
 だが、周一郎を中心に据えての人間模様の錯綜はそれだけに止まらない。紘子が産んだかなえ、その娘のみなみ、松太郎の正妻である洋子、さらには洋子の親戚へと人々の関係は重なり合い、次々と絡み合っていくのだ。先日、美砂子が発見したのはその洋子の一族と或る人物とのにわかには信じがたいような関係であった。
 偶然耳にした北村千津子の話から徐々に意外な事実が明らかになってきている。こうなると鎌田浩之と親しかったという千津子の元彼と私や直志、さらには佐伯松太郎や東条紘子とのあいだにさえ何らかの関わりがあるのかもしれない。
 いま美砂子が思い知らされているのは、どんな些細な人間関係にも深々とした因果律が存在するのではないか、という畏怖すべき疑念だった。
 私たちが単なる「偶然」の堆積物として見過ごしているありとあらゆる人間関係には、実は私たちには知るよしもないような一つ一つの必然が潜んでいるのではないか。そして、その一個一個の「偶然」たちは互いに密接に関連し合い、私たちの人生を否応なくがんじがらめに拘束しているのではないか。因と果ははてしなく私たちを包み込み、ただ、私たちはその因果をいちいち採ろうとせず、また探ろうにもその術を持たされていないがゆえに、便宜的にそれぞれの関係や出来事を「偶然」と名付けて意識下に追いやっているにすぎないのではないか……。
 物思いに耽りながら歩いていたところ、いつの間にか路地を突き抜けて大きな四つ角にぶつかった。俯けていた顔を上げ、目の前の景色を見る。前方、左右に太い車道が走り、右斜に古めかしい寺院と案外に広い墓地があった。ようやく自分が来た道とは反対方向へ歩いて来てしまったことに気づいた。
 ここはどこだろう?そう内心で呟きつつ、強烈な既視感に見舞われていた。
 たしかに、と思った。
 たしかにこの風景には見覚えがある。私がここに来るのは初めてじゃない。
 寺院の低いコンクリート塀の向こうには墓石が所狭しと並び、各墓の背後にはたくさんの卒塔婆が林立している。きっと歴史のある寺院なのだろう。
 美砂子は路地の出口で立ち止まり、目を開閉しながら過去の記憶をまさぐった。
 目を開けるたびにその寺院の方へと意識が集まっていくのが分かった。山門や本堂は奥まっていてはっきりとは見えないが、その見えない山門や本堂の姿が薄ぼんやりと脳裏に浮かんでくる。
 私は小さい頃、このお寺に来たことがある。
 はっきりとそう感じた。
 
 早稲田鶴巻町の「にしむら孔雲堂」を訪ねた土曜日の晩、根元早智江のもとへ電話を入れた。父の除籍謄本を文京区役所で入手し、先妻の由紀江が「根元由紀江」という名前であることを知ったのは火曜日。高校時代の友人に電話して、根元由紀江の出自を調べてもらった。友人は虎ノ門で弁護士事務所を開いているが、学生時代に司法試験に合格しているのでベテランと言ってよかった。翌日にはスタッフにやらせたという調査結果を知らせてくれた。父の昔の戸籍にあった由紀江の本籍地を頼りに探っていくとあっさり彼女の実家に辿り着いたという。
 やはり由紀江は京都の出身だったが、生まれは京都市ではなく宇治市だった。
 宇治に「根元久兵衛」という老舗のお茶問屋があるんだけど、由紀江さんはその『根元』の三人姉妹の長女だったみたい。二十二歳のときにあなたのお父さんと結婚して、一年後の四月に亡くなっている。まだ二十三歳だからとても気の毒な話よね、と友人は言った。
 除籍謄本ですでに分かっていたことだが、父と由紀江とは一つ違いの夫婦だった。父は東大の大学院に進んで一年足らずの二十三歳で根元由紀江と結婚し、その新妻をお腹の子供と一緒に二十四歳の年に亡くしたのだ。父が母の恂子と再婚したのはそれから七年後、三十一歳のときだ。
 友人は「根元久兵衛」がいまも宇治市に店を構えていること、次女の早智江という人が婿養子を取って店を継いでいることなどを教えてくれた。むろん根元早智江の連絡先も調べてくれていた。
 昨日は午前九時発の「のぞみ」で京都に向かった。京都駅に十一時半頃に到着し、そのまま奈良線の「みやこ路快速」に乗り継ぎ、宇治駅に降り立ったのは十二時過ぎだった。ホームページで調べてみると「根元久兵衛」は宇治でも指折りのお茶問屋で平等院そばに店舗兼倉庫を構えているようだった。
 麻地の立派な暖簾をくぐると手前に小売りのスペースがあり、その奥に広い中庭、さらにその先が喫茶室になっていてたくさんの客がひしめいていた。中庭には枝ぶりの見事な松が何本も植えられ、それら古木の周囲にはかぐわしい匂いが漂っていた。
 電話で言われた通り、喫茶室で働いている黒い前掛け姿の女性におとないを告げると、彼女が早智江のところまで案内してくれた。
 一度店を出てからしばらく歩くと、正面に大きな門構えの日本家屋が建っていた。そこがどうやら早智江が言っていた「本家」のようだった。門柱には「根元久兵衛」と記された古い表札が掛かっている。
 女性が先に立って門をくぐり、勝手知ったる様子で玄関の引き戸を開けた。
 おばあちゃん、お客様だよー、という言葉を耳にしてようやく彼女がこの本家の孫娘であることを知ったのだった。
 玄関先に出てきた早智江は元気なおばあちゃんだった。亡くなった由紀江の二つ下だというから今年七十一歳。いまどきの七十一といえば「おばあちゃん」と言うのも憚られるくらい若々しい女性が多い。
 早智江もそういう一人だった。大きな瞳はきらきらと光り、首筋や腕の肌の張りも充分で、白髪まじりの髪も豊かだった。一目見た途端に母の絢子を連想したが、広い客間に招かれソファセットに陣取って対座してみると、実際、早智江の容姿は母の恂子とよく似ていた。
 姉の由紀江は東条紘子にそっくりだったという。そして妹の早智江は明らかに母に似ている。そう考えると複雑な気持ちになった。
 孫娘の美登利が運んでくれた抹茶ラテを飲みながら早智江の話を聞いた。
 牛島周一郎が根元由紀江と知り合ったのは、昭和三十二年、彼が東大四年生のときだったという。当時由紀江は京都女子大の三年生。東大将棋部の一員だった周一郎はその年の学生アマ名人戦全国大会に出場した。例年、各県持ち回りで開かれていた大会の三十二年度の開催地は鳥取市だった。そこで二人は偶然に知り合う。由紀江は全国大会に進んだ従兄弟(同志社の学生だった)の応援で鳥取に来ていたのだ。
 早智江から父と由紀江との馴れ初めを聞かされて、準優勝を果たしたその大会の模様を報ずる小さな新聞記事を父が後生大事に保存し、たまに取り出しては愛おしそうに眺めていた本当の理由を初めて知った気がした。さらには、休みの日となると書斎の真ん中に将棋盤を据えて棋譜の研究に余念のなかった父が、一体何を胸中に去来させていたかもいまになってようやく分かったような気がした。父は将棋盤と向き合いながら、亡くなった由紀江や子供のことをいつもいつも偲んでいたのだろう。
 二人は鳥取で出会って、その短い滞在のあいだに将来を約束したらしいの。大会の合間を縫って一緒に鳥取砂丘へ出かけたとき、お義兄さんはいきなり姉にプロポーズをしたそうよ。姉が大学を卒業したら結婚して欲しいって。むろん姉もすぐに承知したの。よほど互いに惹かれ合うものがあったんでしょうね。
 早智江は目を細めるようにして美砂子の顔を見つめながら語った。
 そして、その由紀江とお腹の子供とをもろともに亡くしたときの父の姿はとても見ていられなかったそうだ。
 ふだんは穏やかで物静かなお義兄さんが、あのときばかりは取り乱して、このまま後を追うんじゃないかって周りは本気で心配してた。姉は臨月で亡くなったから、赤ちゃんも立派に大きくなっていて、棺は姉のと赤ちゃんのと両方。大きな棺と小さな棺が祭壇に二つ並んで、それを見たら私たちだって気が変になりそうなくらいだった。きっとお義兄さんのかなしみは想像を絶するものがあったと思う。通夜の日は、由紀江姉さんに赤ちゃんを抱っこさせて、その姉を抱いてお義兄さんは眠ったのよ。牛島のおじいちゃんとうちの父が寝ずの番で、こっそりお義兄さんを見守ったって聞いたわ。
 そう話したとき早智江はわずかに涙ぐんでいた。
 
 早智江から父の話を聞いたあと、美砂子は一旦京都に戻り、そこから電車で鳥取へ向かい鳥取砂丘まで足を伸ばした。
 砂丘の上は三十五度になる暑さだったが、美砂子は丘の頂上まで登った。登りきった人たちが一様に感嘆の声を上げながら涼しい風を全身に受けていた。
 正面を向くと蒼天と蒼海が視界の全部を覆い尽くしてくる。
 晴れ渡ったときの鳥取の空は東京以上に真っ青に染まる。
 こうして砂丘の突端から海岸線を見下ろすと想像していた以上に高度がある。足元から急な斜面が三、四十メートルはつづき、浜辺はその先に広がっていた。
 不思議なことに誰もその浜辺へと降りていく者がいない。
 立ち入り禁止の看板があるでもなし、おそらくはこの急斜面を下って浜へと繰り出すことも許されているのだ。夏の盛り、子供連れや若者たちも大勢登ってきているのだから、その中の数組とか数人くらいは砂の斜面を下ってもいいのではないか。こんな大きな砂山を思い切って駈け降りたらさぞ爽快だろうに。
 知り合ったばかりの父と根元由紀江は一体どうしたのだろうか?
 ふとそんな思いが脳裏をよぎった。
 海と空をほんの少し見晴らすとみんな記念写真を撮って引き返していく。美砂子は人の群れから外れて、右の方向へ歩き始めた。
 父と根元由紀江が初めてここに来たのはもういまから五十年以上も前のことだ。だが、十万年の歴史を持つこの砂丘からすれば五十年などたかが知れている。父と由紀江が見た風景もきっと同じだったろう。
 そう考えると、何だか妖しい気持ちになる。たった五十年前にこの同じ場所に立った二人はもうこの世に存在せず、その一人の血を引いた、当時は生まれてもいなかった自分がこうしていまここにいる。そして若い二人の姿を眼前の砂丘の光貴の中に探しているのだ。
 きっと二人は手を取り合って海岸線へと降りていったに違いない。
 右の丘に一人立つと、ゆっくりと斜面を降り始めた。登りと違って一歩踏み込むたびに足首のあたりまで砂に埋もれてしまう。だが、その分、足元がしっかりとして却って進みやすい。身体のバランスを取りながら時間をかけて下降していく。半分くらいまで来たところで上を振り返ってみた。誰もあとにつづく者はいなかったが、高い丘の頂きからこちらを指さしている人が何人かいた。
 思った以上に斜度はきついが、この程鹿ならば引き返すときもさほど苦労はしないだろう。どうしてみんな浜へと降りてこないのかますます不思議な気がしてくる。
 無事に地上に着いた。
 砂地を踏みしめた途端に彼の音が聞こえてきた。
 風は頂上付近に吹いていたものよりなまぬるく、ゆるやかだった。だが、海があるからだろう、日射しは強烈だがそれほどの暑さは感じない。
 ゴム長を脱いでジーンズの裾を捲り上げると波打ち際へと歩いていった。熱い砂が足裏に心地いい。水はひんやりとしている。全身から噴き出していた汗が一気に引いていくのが分かった。しばらく両足を海に浸して佇立し、景色を独り占めにした。
 体内の暑気をすっかり吐き出してから汀を歩いた。降りてきた砂丘からだいぶ遠ざかった場所で海から離れる。持っていたゴム長を下ろすと、乾いた砂地に座り込んで両足を投げ出す。
 よく見ると沖合に作業船が一艘浮かんでいた。何をやっているのだろう。あのあたりに橋でも架けるのだろうか。それともどこかの港へ移動中なのだろうか。
 真上に顔を向ければ、さきほどから一羽の鳶が大きな円を描くように舞っている。時折ピーツという独特の鳴き声が空に響く。
 波や風の音、鳶の鳴き声のほかには何も聞こえない。
 目を閉じてそれらの音に耳をすます。両手をついて砂の感触を掌でたしかめる。
 お父さん……。心の中で小さく呟いてみた。
 早智江のうるんだ瞳を思いだしながら、美砂子は穏やかな波間を見つめていた。いつの間にか作業船は海岸線の向こうへと遠ざかっている。
 通夜の日の父の心情はいかばかりであったろう。
 由紀江が胎盤剥離で病院に担ぎ込まれたのは昼日中だったそうだ。父はその頃、大学の研究室にいた。病院側が連絡してきたときにはすでに赤ちゃんの心音は停止し、出血多量で意識をなくしてしまった由紀江を救命しようと医師が懸命に赤ん坊を取り出そうとしているところだったようだ。
 仰天した父が駆けつけたときには二人ともすでに帰らぬ人になっていたという。
 冷たくなった妻と我が子を抱きしめ、父はどのような思いで一夜を過ごしたのだろうか。私に想像できるのは、あの渋谷の産婦人科医院でのつらい体験が何百倍にも増したような感覚だったろうということだ。それは人間としておよそ耐え難い責め苦だったに違いない。
 死んだ由紀江によく似た東条紘子と出会った父が彼女に惹かれていったのもやむを得なかったのかもしれない。
 結局、牛島周一郎は由紀江と我が子の死を生涯受け入れることができなかったのではないか?
 根元早智江の話を聞いて、私は強くそう思ったのだった。
 上空を舞っていた鳶は次第に高度を下げ、いまは美砂子の周囲を小さな弧を描くようにして飛んでいた。そのゆっくりと柔らかな羽ばたきが間近に見える。
 立ち上がるとすうっと高度を上げた。まるで見守ってくれているかのようだった。砂のついた両手を開いてまじまじと見つめた。掌に残っている砂や熱さの感触にどこか懐かしいものを覚えていた。
 この少しざらついたようなぬくもりは一体何だったろう?
 そのとき、頭上の鳶が不意にピーツと一声大きく鳴いた。
 そして、その瞬間、下腹部に小さな疼きのようなものを感じたのだった。
 
 砂丘会館にいったん戻ってから、美砂子はタクシーで鳥取駅に向かった。駅までまもなくのところだったが、「整体 せきもと孔雲堂」と書かれた看板を目にして、そこで慌ててタクシーを降りた。
 看板に書かれていた矢印に従って左の細い道に入ると、左右に一軒家が並んだ路地の行き止まりに白い小さなビルが建っていた。二階建てで、おそらく上が住居なのだろう。ベランダに洗濯物が干してあった。一階は小さな病院のような両開きのガラス扉になっていて、扉には「せきもと孔雲堂」という金色の文字が大きく真横に描かれていた。
 道路沿いの看板を見たとき、まずひっかかったのは「孔雲堂」の文字だったが、実は「せきもと」の方にもぴんと来るものがあった。それもあって慌ててタクシーを止めてしまったのである。
 右のガラス扉を引いて中に入っていった。左手に受付がある。中年の女性が一人座っていて、受付のとなりにドアがあって、「施術室」というプレートが貼ってあった。右は待合室のようで二脚の細長いベンチに患者さんが三人まばらに腰掛けている。
 サンダルは脱いだがスリッパは履かずに受付台の前に近づき、お忙しいところ恐れ入ります。ほんの少しお訊ねしたいことがあるのですが、と女性に声を掛けた。
 小太りの女性は顔を上げて、人のよさそうな笑みを浮かべた。四十半ばくらいの年回りだろうか。
 こちらは西村仁斎先生とご関係がある整体院なのでしょうか。
 この一言に女性はちょっと目を見開き、しかし、笑みをさらに濃くした。
 はいはい、と大きく頷き、うちは西村仁斎先生の直弟子だったんですよ、と言う。
 すんなり過ぎる展開にやや?然としていた。
 もう一つ、肝心な質問がある。
 関本咲子さんというお名前に聞き覚えはありませんでしょうか。
 どうやら目の前の女性はこの整体院の院長の細君らしいと察しがつく。
 彼女は、この一言に初めて訝しげな眼の色を見せた。
 失礼ですがどちらさんでしょう。
 申し遅れました。私、西村直志の家内なんです。美砂子と申します。西村直正の息子の西村直志なんですが、ご存じないでしょうか。咲子さんの産んだ一人息子の、と言葉を重ねてみた。
 すると女性はようやく合点がいったように二度頷いたのだ。
 主人から直正さんのお名前は聞いております。そうでしたそうでした。咲子さんのだんなさんが西村直正さんですねえ、と言う。
 結局、治療を受けていた患者さんが施術室から出てきた後、細君のはからいで五分ばかり関本院長と話をすることができた。院長はもちろん直志のことも知っていた。彼は、直志の母親咲子の従兄弟にあたるそうで、西村仁斎の直弟子というのも事実だった。西村仁斎は直正の父親、つまり直志の祖父の弟で、直志からすれば大叔父という関係になるらしい。
 院長は大学時代に柔道をやっていて右膝の大怪我をしたことがあり、いろいろ病院を回ったが一向によくならず、もう柔道を諦めるしかないかという瀬戸際までいった。そのときに西村家に嫁いでいた従姉妹の咲子が、夫の西村の叔父がすごい先生だから一度だまされたと思って治療を受けてみればと西村仁斎を紹介してくれたのだった。そして彼は東京までわざわざ治療にやってきたのだが、なんと一度の施術で、それまで松葉杖使わなくてはならなかったのが、帰りは歩けるまでに治っていたという。
 いや、とにかくぶったまげました、と関本院長は言った。
 選手を引退した後、彼は整体師になると決めて東京の仁斎の門を叩いたのだそうだ。数年の修行ののち仁斎の「孔雲術」を体得し、その秘術を引っさげて長らく大阪で開業してきたが、三年前に郷里である鳥取に戻って、この「せきもと孔雲堂」を開いたのだという。
 大阪弁まじりで流暢に喋る院長の話を聞きながら、まさかの事実に驚いていた。前妻の由紀江と父が知り合ったのが直志の故郷である鳥取だという事実を昨日早智江から知らされただけでも愕然としたのに、それどころか、やはり直志と西村仁斎との間に血縁関係があったとは。こうなるともはや驚きを通り越した状況と言うしかないだろう。
 東条紘子の旦那である佐伯松太郎が西村仁斎を紘子に紹介し、その仁斎を紘子が父に紹介した。仁斎の秘術によって心臓病を癒した父は、仁斎の血を色濃く引いた西村直志と私が結婚したときどう感じたのだろうか。また父はその事実をいつどんな形で知ったのか。さらには、父はいつどんな形で直志にその事実を知らせ、東条紘子の存在を打ち明けたのだろうか。
 しかもである。仁斎を最初に見出した佐伯松太郎自体が、美砂子自身とまったく想像もできない形で深く結びついているのだ。そのことを偶然知ったのはつい一週間ほど前だ。
 そうやってこの多岐にわたる人間模様を頭の中で相関図化していくと、物事は整理されるどころかますます絡まり、複雑化し、頭の中は混乱していく。
 直志君とは彼が小さい頃に二、三度会ったきりだけど、そうですか、東京で元気にやっておられるんですね。彼の家とは、咲ちゃんが早くに死んだこともあったし、仁斎先生もとうの昔に鬼籍に入られたこともあって縁が薄かったんだが、どうかよろしく伝えてください。考えてみれば咲ちゃんが西村の家に嫁がなければ仁斎先生と巡り合うこともできんかったわけだから、西村の人たちは僕にとっては恩人のようなもんです。
 筋骨隆々とした体躯に似合わず温厚そうな面立ちの院長は、そう言ってしきりに頷いていた。
 
 お盆休みも終り、ホテルのロビーは混雑している。池袋駅から至近の場所とあって客の大半はスーツ姿の男たちだった。
 数日前に台風が日本列島を縦断し、それ以降すっかり東京は秋めいてしまった。強かった日射しはにわかに弱まり、夕方から吹く風には涼味が感じられる。
 約束の時間は午後二時だった。
 ホテルに着いたのは一時半ちょうど。ロビーに並んだ一人掛けのソファは全部埋まっていた。
 フロント正面の太い柱のそばで待つことにした。一時四十五分。正面玄関のドアをくぐるそれらしい人物を見つけた。彼もロビーに入ってくるとあたりを見回している。
 やっぱり間違いないと思い、自分から玄関付近で立ち止まっている彼の方へと近づいていった。
 耕平さん、と呼びかける。
 相手がちょっと戸惑ったような表情で見た。外見で言えば自分よりも高遠耕平の方が格段に変貌しているのにと思う。あんなに痩せていたはずが今はすっかり太ってしまっていた。
 久しぶり。
 ほどなく笑顔になって高遠が小さく会釈した。その笑顔と声は記憶の中の彼そのままだった。十日ほど前の電話でもいかにも元気そうだったので危倶はなかったが、こうして十年ぶりに本人に実際に会って、立派に立ち直っている様を見ると泣き出したくなるほどの喜びが込み上げてくる。
 きみも元気そうだね、と高遠が言う。耕平さんも、と返した。
 あそこにしようか、と言って、ホテルの中二階のティーラウンジへ向かった。
 先週の電話でも上京するときはこのホテルを常宿としていると言っていた。父親の会社で働くようになってからは二カ月に一度は東京に来ているらしかった。
 いつ熊本に帰るの?
 明後日の予定。いつも二、三日で引きあげるようにしている。こっちはこっちで東京の責任者に任せているからね。あんまり僕が長居してると煙たがられる。そう言って高遠は笑った。
 中二階に通ずる階段を高遠は軽快な足どりで上っていく。この人物が十年前は鬱病で入退院を繰り返し、自殺寸前までいったなどとは誰も想像できないに違いない。
 ティーラウンジは比較的空いていた。一番奥の席に案内された。両隣とも空席だったので心置きなく話すことができる。
 きみが結婚したという噂を聞いて本当に嬉しかった。そのことも病気が良くなっていく大きなきっかけになったと思ってるんだ。
 それまではずっと病院に?
 西村直志と結婚したのは彼と別れて二年半後だった。
 いや。きみと最後に会って一カ月半くらいで退院した。
 十年前の四月二十日に別れ、六月八日に流産した。ということは高遠が退院した頃に子供を失ったことになると思う。
 じゃあ、それからはずっと自宅療養?
 高遠は頷く。きみと別れたからというわけでもないだろうけど、あのあと症状が徐々に改善し始めたんだ。医者たちも驚いてたけどね、と言う。電話でも話していたが、彼が父親の経営する会社を手伝い始めたのは二〇〇二年からのようだ。私が結婚した翌年には相応の回復を果たしていたということだろう。
 でもよかった。耕平さんがちゃんと社会復帰できて。最後に会った日、私が何て言ったか憶えてる?
 高遠は怪訝な顔になり、あの頃のことはぼんやりとした記憶しかないんだ、と呟くように言った。
 私、言ったんだよ。耕平さん、きっとよくなるよ。確信が持てた、って。あなたは、希望は捨てた、って言ってたけど、私の方が正解だったね。
 当時は本当にそう思ってた。というか確信してたんだ。
 高遠はまるで昔を懐かしむような表情で言った。こうやって間近で彼の顔を見ると目尻や額にたくさんの皺が刻まれている。今年四十歳というにはやや老成した趣があった。それもやはり病の体験がなさしめたものなのだろうか。しかし、その穏やかな顔は若かった頃に倍する深みを湛えているようでもあった。
 ところで……、とコーヒーを一口飲むと、高遠は、この前、きみに電話で頼まれた件、調べてきたよ、と言う。
 どうだった、と先を促した。
 たしかにきみがホームページで見た通り、うちの前身は『佐伯物産』で、創業者の佐伯松太郎氏もきみが言っていた人と同一人物だ。つまり松太郎氏の妻は洋子という名前で、この洋子が僕のおやじの姉貴で、僕にとっては伯母にあたる人ってわけだ。
 東条紘子の一人娘であり星みなみの母親でもある「佐伯かなえ」の父、佐伯松太郎と高遠耕平との意外な関係を美砂子が知ったのは、みなみが突然訪ねてくるちょうど前日のことだった。その日、美砂子は何気なしにインターネットで「佐伯松太郎」を検索してみた。すると、数件ヒットし、そのうち一件だけ「有海物産」という会社のホームページに繋がったものがあった。有海物産は天草地方の海産物や加工品を手広く扱っている専門商社で、東京、大阪にも販売支社を持つ大きな会社のようだった。加工品製造工場や九州一円の直売所なども含めての従業員総数は六百名。恐らく地元熊本では有力企業の一つに違いなかった。そして、この有海物産のホームページの「沿革」という項目に佐伯松太郎の名前が初代・創業社長として紹介されていたのだった。
 昭和二十一年七月に初代・佐伯松太郎が弊社の前身である海産物問屋「佐伯」を設立。昭和二十七年四月に本社を熊本市内に移転し、株式会社「佐伯物産」とする、などと記され、昭和三十九年、東京オリンピックの年には東京支社、大阪支社が設けられたことなども記載されていた。ただ、佐伯松太郎の名前は最初の項目にあるきりで、ほかのどの箇所にも出てこない。本来、創業者であるならばその経歴や事績を含めて詳細に述べられていても不思議ではないし、佐伯松太郎が他の検索結果からして地元経済界の重鎮であったらしいことを考え合わせれば、この有海物産のホームページは創業者の存在を実に素っ気なく扱っているという印象は否めなかった。
 そもそも昭和四十九年に松太郎が死去したことは「沿革」では省略され、彼の死から六年後の昭和五十五年に「佐伯物産」から「有海物産」へと社名変更されている点についても、ただ「「株式会社有海物産に社名を変更する」と書かれているのみだった。
 どこかしら不自然なものを感じて「沿革」のページを閉じ、「会社概要」のページを開いた。
 そして、社名、所在地、資本金などの項目を上から眺めていき、「代表者」の箇所で目が釘付けになった。そこには、代表取締役 高遠耕平と記されていたのである。
 おやじが生きていたらもっと詳しい話が聞けたと思うんだけど、何しろいまの僕の家にはお袋しかいないから、佐伯松太郎氏や洋子伯母のこともあんまり分からないんだよ。それで伯母夫婦には子供がいなくて、かなえさんという養女をよそから貰ったというのはお袋憶えていた。ただかなえさんは伯父が亡くなったあとは他家に嫁いでしまって、それで伯母の弟であるうちのおやじが県庁勤めを辞めて佐伯物産に引き抜かれたらしい。僕にはそのかなえさんの記憶ってのがほとんどないんだ。年齢は僕たちより十歳近く上だけど、それでもたまに伯母の家に遊びに行っていたし、幾ら小さかったとはいえ顔くらい憶えていてもおかしくないんだけどね。
 彼女は星という家に嫁いだみたいなんだけど。
 そうそう。星家というのは熊本では名家の一つで、松太郎氏が会社を興したとき資金を拠出した大口の出資者の一人なんだよ。そういう縁で彼女は星家に嫁いだんだろう。いまじゃあうちの会社と星家との繋がりは完全に切れてるんだけどね。と高遠は言う。
 早稲田の「にしむら孔雲堂」を訪ねた翌々日の八月十日月曜日、美砂子は有海物産本社に電話を掛け、社長の高遠を呼び出した。かつての婚約者からの十年ぶりの電話に最初はしどろもどろだった高遠も、しばらく話すうちに昔の感触を取り戻してきたようで、結局、勤務中にもかかわらず一時間近くも二人で話し込んだのだった。そのとき、この三カ月ほどのあいだに自分の身の回りに起きたことを説明した。もちろん直志の不倫や浩之のことは伏せたが、どうしていまさら自分が高遠耕平の名前に行き当たったかについては、周一郎と東条紘子との関係を中心にしっかりと語った。
 自分の伯母である洋子が、佐伯松太郎の愛人である東条紘子の娘を引き取って育てたという話には高遠もすくなからず驚いていた。彼も彼の母親も今のいままで、かなえはてっきり松太郎の遠縁の子だと思い込んでいたようだった。
 それにしても、きみと僕というのは不思議な縁で結ばれてるんだねえ。
 高遠は電話口で感じ入ったような声になって言った。
 もしも、その引き取られた養女がやがて一人娘を産み、その娘が美砂子の夫と関係していまや身重の身であることを知ったなら高遠はどう受け止めるだろうか、と内心で思っていた。さらに言えば、美砂子はその高遠本人の子供を一度身ごもったことがあるのだ。
 一時間たっぷり喋ったあとで、近いうちに熊本を訪ねるので、もう少し具体的に話を聞かせて欲しいと頼んだ。すると高遠の方が、お盆明けには仕事で上京するから、そのとき東京で会わないか、と提案してきたのである。
 この前の電話では言わなかったけど、かなえさんは本当は婿を取って佐伯家を継ぐはずだったのよ。そういう約束で東条紘子さんは産んだ娘を手放したの。だけど、かなえさんがまだ九歳のときに松太郎氏が亡くなって、それからは継母にあたるあなたの伯母さんと二人で暮らすしかなくて、結局、佐伯の家も会社も継がせて貰えないまま星家に嫁に出されてしまったの。正妻の洋子さんにしたら、やっぱり夫が愛人に産ませた子供には跡は継がせたくなかったってことでしょうけど。
 紘子や鎌田浩之から聞き出した話をもとに喋る。高遠は真っ直ぐな姿勢を崩すことなく美砂子の話に耳を傾けていた。
 それはちょっと違うんじゃないかな、とわずかな間を置いて高遠が言った。
 お袋の話だと、伯母とかなえさんとはまるで本物の母子のように仲が良かったらしいよ。ただ、伯母の病気のこともあって彼女は二十歳そこそこで星の家に嫁ぐことになったんだそうだ。
 伯母さんの病気?と問い返す。
 高遠の家には精神病を患った人が多いんだ。洋子伯母やその一人で、松太郎氏と結婚した直後から鬱病を発症して苦しんでいたらしい。
 高遠のこのセリフに美砂子は十年前に彼が話したことを思い出していた。たしか、祖父や叔父の一人が自殺し、伯母の中にも鬱病で苦しんで亡くなった人がいると彼は言っていたような気がする。
 そんなふうで伯母はとても子供なんて産めるような人じゃなかったから、松太郎氏が東京で東条さんという女性と付き合うようになったとしでも、それは仕方なかったんじゃないかな。ただ、お袋の話だと、かなえさんを養女にしてからは洋子伯母の体調はだいぶ良くなったらしいよ。手塩にかけて育てるって言葉そのままの可愛がりぶりだったってお袋は言ってた。ところが、夫の松太郎氏が亡くなって、そのショックで伯母の鬱病がまた悪化したようなんだ。もちろんかなえさんのことはそれからも精一杯育ててたみたいだし、かなえさんも苦しんでいる伯母の面倒を一生懸命見てたらしいけど、何度目かの入院のあとで伯母が僕のおやじを呼んで、これ以上、実子でもないあの子に負担をかけるわけにはいかないから、ってかなえさんを佐伯の家から出すことにしたらしい。こんな話、きみに調べてくれって頼まれなかったら出てこなかっただろうけど、おやじも洋子伯母もすでに死んで、お袋がいまさら隠し事をする理由もないから、たぶん全部本当なんだと思うよ。だとすれば、きみの言うことは事実とだいぶニュアンスが違うんじゃないかな。
 高遠はそこまで一気に喋ると、それに、と言ってこちらを見た。
 かなえさんが若くして亡くなってからは伯母はすっかり生きる気力を失い、その二年後には後を追うように死んでしまったんだ。自殺ではなかったらしいけど似たようなものだったってお袋は言ってたよ、と付け加えた。
 
 高遠の話は浩之の話とはたしかにニュアンスがまったく異なるものだった。ただ、東条紘子から聞いた話を鎌田浩之が意図的に歪曲したとも思えない。
 恐らく、東条紘子はせっかく産んだ一人娘を佐伯松太郎の手に委ね、それきり会いに来ることもなければ連絡一つ寄越さない我が子をひどく不憫に思っていたのだろう。その反動で、早々に佐伯の家を出たかなえが継母の洋子に放逐されたと思い込んでしまったのではないか。まして二十四歳の若さで死んだとなれば、尚更にそうした想像を逞しくしてしまったのも無理からぬ気がする。
 かなえの葬儀で初めて洋子と会った紘子は、娘の長年の苦労が身に沁みて察せられたと浩之に告げている。だが、夫を亡くして鬱病を重くしていた洋子にすれば、愛娘のかなえにまで先立たれた事実はおよそ耐え難いものだったに違いない。そんな洋子の有様に紘子が不安になったのもやむを得ないことではあったろう。
 しかし、高遠の言うように、かなえと洋子はきっと仲むつまじく暮らしていたのだ。結婚したときも子供を産んだときもかなえが生母の紘子に知らせなかったのは、養母の洋子のことをそれだけ大切に思っていたからだろう。かなえにとって本当の母は洋子一人で充分だったのかもしれない。
 かなえの死を知ってうちひしがれる紘子に同情した父の周一郎は、妻子を捨てて紘子の元へ走ろうとしたという。だが、紘子の悲嘆にしろ、周一郎の決意にしろ、熊本で二十数年を生きた佐伯かなえの人生の実質をよく見極めないままの感情作用でしかなかった。かなえは生後すぐに生母とは離されたが、引き取られた熊本の地では愛情豊かに育てられたに違いない。早すぎる死は気の毒ではあるが、紘子が死の直前までさめざめと泣くほどに哀れな人生では決してなかったろう。また周一郎も若い頃に失った妻子と舷子とを重ね合わせるのにやっきになるあまり、妻の恂子やその子供たちの存在を見失ったという点ではすこぶる冷静さを欠いていたのだ。
 あとからあとから掘り出されてくる新事実に当初は翻弄され、ただただ頭の中が混乱するばかりだった。が、この高遠耕平の件や先日の西村仁斎の件にぶつかるにつれて、すべての事態は父である牛島周一郎の熾烈なまでの執着心が呼び寄せたものではないのかと次第に思い始めていた。
 臨月の妻を我が子もろともに失うという痛恨事によって周一郎が育んだ妄念のようなものが、東条紘子や恂子、美砂子、直志、それに鎌田浩之や星みなみ、さらには目の前の高遠耕平をも巻き込んで抜き差しならない人間模様を紡ぎ出してしまったのではないか、どうしてもそんな気がしてくるのだった。
 一段落した頃には二人のカップは空になっていた。ラウンジに入ってから一時間近くが経過していた。
 時間大丈夫?今日、仕事なんでしょう?
 新しい飲み物を注文しようとしている高遠に言った。
 夕方から取引先と飯を食うだけだから時間はあるよ。今日はせっかくだからきみに話しておきたいことがあるんだ、と言って高遠はやってきたウェートレスにコーヒーを二つ頼んでから、姿勢を緩めてソファに背中を預けた。
 いつか話そうと思いながら、今日まで言えないできた、と言う。
 何の話なの。
 僕がロンドンでどうして鬱病になったのかということ。
 予想外のセリフに息を詰めた。
 初めての外国暮らしと恋人の不在、それに留学先の大学の研究室にうまく馴染めなかったことなどが折り重なって発症したとばかり思い込んでいた。
 向こうで暮らし始めてちょうど一カ月くらい経った頃だった。毎朝地下鉄を使って大学まで通っていた。ある日、いつものようにホームで電車を待っていたら、若い母親と三歳くらいの女の子が隣にやって来た。ラッシュアワーは終わって、いつもながらホームにはさみしいくらい人が少なかった。そのときも、あとから来た母子と僕くらいしかいなかったんだ。母親と手をつないだ女の子はちょっとやせていたけどブロンドのすごく可愛い子だった。彼女の手を握っている母親も同じようにブロンドで、でも、こっちの方はずいぶん疲れ切ったような顔をしていた。だけど、何しろ女の子はまだ幼い。そんな母親の様子には無頓着で、たまたま近くにいた僕にしきりに視線を寄越して、目が合うとにっこりと微笑むんだ。笑顔が愛くるしくて、まるで西洋人形みたいだと思った。
 そこで高遠耕平は一度言葉を区切った。コーヒーがちょうど運ばれて来たこともあるが、それより何かを堪えるようにわずかに顔をしかめている。
 話したくないなら無理に話さなくていいよ。
 症状の重かった頃の高遠を咄嗟に思い出していた。きっとこの話を誰かにするのは初めてなのだろう。
 いや、大丈夫。
 目を細めるようにしてテーブルに置かれたカップを持ち上げ、高遠はコーヒーを一口すすった。
 あくまであとから思い出しての話なんだけど、僕はその母親に最初から違和感を持っていたような気がする。この女性はどこか奇妙だ、何かおかしいって彼女を見た瞬間に感じていたんだと思う。もしもあれが東京の地下鉄で、あの母子が日本人だったとしたら僕はきっとあんなふうに二人のことを指をくわえて見送ったりはしなかった気がするんだ。
 高遠が何を言おうとしているのかようやく察した。背筋のあたりがぞくりとする。
 電車の音が聴こえ、すると彼女は小さな娘の手を引いてゆっくりと線路の方へ歩き始めた。僕の目の前を通りすぎて電車のやって来る方向へとホームを斜めに横切った。女の子もようやく母親がこれから何をするのか気づいたみたいだった。慌てて二人の方へ僕が近づいていくとその女の子は大きな叫び声を上げた。まるで接近する僕のことが怖いみたいにね。でも、彼女は僕の方を見て、助けて、って言ったんだ。その瞬間、手を引いていた母親が彼女を抱き上げた。僕が走り出すのと母親が駆け出すのはほとんど同時だった。それが僕の失敗だった。だって、僕たちのあいだには三メートル近い距離があったんだから。トンネルの暗闇から突然のように電車が現れて、あとはただ物凄い絶叫と物凄い音が僕の耳に突き刺さっただけだった。
 何と言っていいか分からず、高遠の顔を見る。彼は横を向いて歯を食いしばっている。そして美砂子の方へ顔を戻した。
 その晩からまったく眠れなくなった。最後に聞いた女の子の叫び声や二人が電車に飛び込んでいった瞬間の光景、そして飛び込む寸前に僕を見た女の子の恐怖に引き攣った表情。一つ一つが頭にこびりついて、フラッシュバックのようにランダムに頭の中で再生されつづけた。自分でもどうしていいか分からなくなった。
 そうだったんだ。
 呟くように言ったきり何も言えなくなった。また頭の中が混乱し始めていた。高遠がロンドンの地下鉄で目撃した母子心中は、たとえば由紀江母子の死やかなえの死、高遠の叔父の鉄道自殺や高遠の鬱病発症、そして何より私自身の流産と何か深い関係を取り結んでいるのだろうか?
 僕の症状が軽くなり始めたのは、そのときの光景が記憶から剥がれだしてからだ。
 それが私と別れてすぐだったの。
 しばらく黙り込んだあとで訊いた。高遠が小さく頷いた。
 そうかもしれない。きみと別れて一カ月くらいしたとき、ふとそのことに気づいた。というより映像はリプレイされるんだが、それまであったリアルさが薄れていた。まるで古いフィルムを見てるようで、次第に何も感じなくなったんだ。
 何だか不思議な話ね、と言いながら、今日、打ち明けるつもりだった流産の件をもうこれで話すことができなくなった、と美砂子は思っていた。
 結局、あの子は父親には永遠に存在を認知されることなく生きつづけていくのだ。私の身体から生まれてくる子供はそれを運命づけられているのかもしれない。
 そう思った瞬間、かつて高遠が呟いた言葉を突然のように思い出したのだった。
 僕たちはそうした先祖代々の宿命のようなものからは逃れられないってことだ。そういう意味では人間の人生は遺伝するし、人間の運命は遺伝するのかもしれない。
 ねえ。
 口調を変えて言った。物思いに沈む風情だった高遠が無理やりのような笑みを頬に浮かべて顔を上げる。
 この前の電話では聞きそびれたんだけど、耕平さんは結婚したの?
 高遠は静かに首を振った。そして、僕はそれだけはしないつもりだ、と言った。
 
 鎌田浩之と最後に会った七月二十七日、あなたの精子を貰えば妊娠できるような気がする、と彼に告げた。私はあなたとの出会いを最初から特別なものと感じていたの、と打ち明け、おいしいピーナッツバター″を思い浮かべた直後に鳴った電話、正弦寺を出てすぐに降り出した大雨、カヌーで食べた同じピーナッツバターのペンネ、そして何よりも、あのあたたかくなった東条紘子の骨壷。そういうおよそ偶然とは思えない幾つもの出来事が重なり合って、あなたと私はこうして一緒にいるのよ、と言った。
 美砂子は真剣な気持ちで話したが、しかし、鎌田浩之はその言葉を一笑に付した。
 そういう偶然の連続なんてよくあることだし、別に特別な意味や理由なんてない。東条さんの骨壷があたたかくなったことも科学で捉えられない例外的現象の一つにすぎず、この世界ではそうした現象が頻繁に起こるものだ。そういう偶然に意味を見いだし、自分の行動の指標にするなんて馬鹿げているとしか言いようがない。
 そして何より一番大事なことは、そういう迷信めいたゲン担ぎは肝心なときにまったく役に立たないということだ。俺はずっと株屋をやっていたからそのことだけは骨身に沁みて知っている。
 人間は自分の最も得意なもので足元をすくわれるってよく言うだろ。あれと一緒だ。ジンクスを守る人間は、最後の最後でそのジンクスにこっぴどく裏切られるんだ、と浩之はそう言った。
 
 体調のこともあって、なかなか思うように外出することができなかった。
 高遠耕平と池袋のホテルで会ってのちの数日間は自宅で静かにしていた。
 週末はふたたびやって来た台風のために各所の河川が氾濫、土砂崩れや鉄砲水が発生して全国でたくさんの人が亡くなる大惨事となった。私の住んでいる湾岸の町も連日の大雨で近所のスーパーに車で買い物に行くことさえままならないような有様だった。
 気圧が乱高下すると持病の偏頭痛が起こりやすいこともあり、ひたすらじっとしていた。例によって千津子が毎日顔を出してくれたから、頭痛に結びつきそうな不穏な時間帯は家事全般を彼女に肩代わりしてもらった。
 八月二十七日木曜日。
 十日近くのんびりと静養したおかげで体調はすっかり回復していた。
 蔵田ウィメンズクリニックを出るといつものように駐車場に駐めた車に戻った。「にしむら孔雲堂」を訪ねた折は電車を使ったが、今回は身体のことも考えてこのまま車で行くつもりだ。大水害を及ぼした台風が去ると、東京の天気は暑かったり涼しかったりをふたたび繰り返すようになった。今日は昼過ぎには三十五度を越す酷暑になると朝の天気予報で言っていた。
 まだ十時過ぎだったが、早稲田に着く頃には強烈な日射しが墓地に照りつけているだろう。元気になったからといってゆめゆめ油断は禁物だ。
 運転席に身体を入れ、エアコンをオンにしてから調べてきた電話番号をナビに入力する。すぐに「霊石寺」の位置が表示された。ディスプレイの地図を念のため拡大して、あの寺に間違いないことを確認する。
 寺のすぐ向かいにコインパーキングがあったはずだ。そこに車を置けば、霊石寺まで歩いてものの二、三分だろう。
 首都高速5号線早稲田出口を出たときには十一時を回っていた。月末とあって箱崎付近の渋滞が普段以上だったのだ。フロントガラスを通して射し込んでくる陽光は眩しすぎるくらいで途中からサングラスをかけて運転した。
 霊石寺そばの駐車場に着いたのは十一時半ちょうど。車を降りてみると案外に涼しい風が吹いているのに驚いた。光は強烈だが、湿度が低いせいかむっとする熱気が余り感じられない。
 前回は山門の前で引き返し、墓地には足を踏み入れなかった。山門まで来て奥の本堂を覗いた際にそれほど強い確信が湧いてこなかった。ぼんやりとした記憶の画像は焦点を結ぶことなく曖昧なままだった。
 今日は躊躇することなく大きな山門をくぐった。
 本堂にお参りして、それから左手の墓地の入口に向かう。広い墓地は周囲とコンクリート塀で仕切られているが、境内とのあいだには生け垣が二、三十メートルにわたって真っ直ぐ植えられていた。生け垣の左寄りに竹製の木戸が設えられている。
 竹を編んで作った木戸の扉を引くとき鮮明な記憶を取り戻した。
 何百という数の墓石が並ぶ広い墓地で目指す墓所を探すのは不可能に近い話だったが、こうしてその場に臨めばきっと詳細な記憶が起るだろうと期待していた。一種の賭けではあったが成功したようだ。
 一度深呼吸をして、それから墓地の中へと分け入っていった。
 碁盤の目のように区画された墓が整然と建ち並んでいる。一基一基の敷地の面積も大体揃っていた。ひとまず立ち止まり、目を閉じて遠い記憶を呼び覚ましてみる。父に連れられて二人きりでこの墓地を訪れたのはまだ自分が幼稚園の頃だ。一度きりではなかった。二度か三度、いつも二人でお参りに来た気がする。そう、父と自分はまだ新しさの残る墓標の前に並び、一心に掌を合わせて祈った。父の峻厳な雰囲気が伝わってきて自然と自分も静かに合掌したのである。
 目を開けて、左から三番目の通路を選んだ。突き当たりの塀近くまでこの通路を進んだ右手に根元由紀江の墓があるはずだった。目指す一画はすぐに見つかった。
 当然のことだが、墓石には「牛島家之墓」と記されている。
 ただ、その墓石と対面して、ふと思った。
 この墓にも父の遺骨がおさまっているのではないだろうか?
 東条紘子への分骨でさえ承諾した父だ。まして死んだ先妻と赤ん坊が眠るこの墓を二人きりのまま放っておくはずがない。
 墓はちっとも荒れていなかった。
 さすがに花立ての花は枯れていたが、香炉には真新しい線香の灰が残り、墓石や玉砂利、墓誌などもきれいに拭き清められていた。そもそも枯れ花がこうして残っているというのが、ここ最近、誰かが詣でたことを証明していた。
 根元家の人たちでないことは確かだった。早智江によれば姉の由紀江が亡くなった際、父と根元家で遺骨を二つに分けたという。由紀江の墓はこの霊石寺だけでなく宇治の根元家の墓所にも存在しているのだ。
 では、父の死後、誰がこの墓を守ってきたのか?
 東条紘子が生きているあいだはきっと彼女が時折訪れていたのだろう。
 だが、紘子が亡くなったあとは?答えは明白だった。
 この花立てに花を飾ったのも、そのときにこうして墓をきれいに磨いたのも、さらには父の遺骨の一部をおそらくはこの墓におさめたのも、内密に後事を託された夫の直志であるに違いない。
 どうして父は実の娘である自分に本当のことを語らず、血縁でもない直志にすべてを打ち明けたのか?たとえ直志が命の恩人である西村仁斎の血筋を引く者であったとしても、その疑問だけは解消しない。
 それこそが美砂子にとって最大の謎だった。
 そして、その答えが墓石の隣にひっそりと建つ小さな墓誌の中に記されていた。
 当然ながら墓誌には二人の名が刻まれている。
 一人は亡くなった妻、牛島由紀江 享年二十三歳。
 そしてもう一人は由紀江と共に死んだ娘 享年零歳。
 その名前は「牛島美砂子」となっていた。
 そうなのだ。父の周一郎はかつて失った娘とまったく同じ名前を四番目に生まれてきた我が子につけたのである。
 この話を早智江に聞いたとき、美砂子はようやく父が自分に対して何も伝えられなかった理由が分かった気がした。さらには、夫の直志が星みなみの妊娠を知ったとき、美砂子に対してどのような複雑な感情を抱いたのかも、少しは理解できる気がしたのだった。
 早智江によると、美砂子という名前は、父と由紀江が一緒になる前から決まっていたのだという。もしも娘を授かったときは結婚を誓い合った思い出の場所、生涯忘れることのない美しい砂丘の光景にちなんで「美砂子」と名付けようと……。
 買ってきた花を手向け、一束の線香を燃やして香炉に供えた。ゆるやかな風に乗って線香の白い煙が立ちのぼっていく。
 墓誌にはもうーつ、驚くべき記載がある。
 それは由紀江と美砂子の命日だった。
 昭和三十四年四月二十日。
 そう記されていた。
 周一郎は恂子と再婚したあとも先立たれた由紀江と美砂子のことをどうしても忘れることができなかった。あの謹厳実直を絵に書いたような父が、恐らく生涯ただ一度だけ自らの魂を情熱の炎で燃やしたのが根元由紀江との恋だったのだ。若い彼の熱き思いは由紀江のもとへ一直線に届いた。そういう点では由紀江の妹・早智江がいみじくも言ったように「よほど惹かれ合うもの」が二人の間にはあったのだろう。砂丘で将来を約束したとき、周一郎は人生最大の幸福を味わった。だが、その最大の幸福はわずか二年で最悪の不幸へと豹変した。
 終生の愛を誓ったはずの足元の砂丘はもろくも崩れ去り、無慈悲という名の大量の土砂が妻の由紀江を死の暗黒へと、夫の周一郎を絶望の暗闇へと引きずり込んでいった。
 父が由紀江と美砂子の復活を望んだのはやむを得なかったかもしれない。
 彼は妻と娘の死という認めがたい現実を否定することに決めたのではないか。そうするほかに絶望の底無し沼から抜け出す術がなかったのではないか。二十四歳の父にとって二人の死は到底受け入れることのできないものだったのだ。
 そして、父は二人の復活を見事手中にする。
 一人は十五年目の命日に生まれた四人目の娘。もう一人は砂丘で将来を約束した日から二十五年目に出会った亡き妻とそっくりの女性。
 お義兄さんからは毎年、姉と美砂子ちゃんの命日の前にお花とお金が送られてきてたのよ。だけど、あなたが生まれた年だけは届かなくて、私も妹も何かあったんじゃないかと気を揉んだの。そしたら、二人の命日から三日ばかりしてようやく届いた。いつもは簡単な時候の挨拶くらいなんだけど、その年の手紙はとっても長いものだった。死んだ美砂子の生まれ変わりをようやく授かったような気がするってお義兄さんは書いていた。いままで娘が生まれるたびにそう願っては失望を繰り返してきたが、今度ばかりは絶対に間違いない。娘をこの手に抱いた瞬間に直感したって。それはそうよね。美砂子ちゃんが死んだその日にあなたは生まれたんだもの。私たち姉妹だってお義兄さんの言う通りだって思った。だからお義兄さんはあなたに美砂子という名前を付けたのよ。
 早智江はそう言っていた。
 東条紘子との出会いは周一郎にとってさらに重いものだっただろう。
 当時狭心症で苦しんでいた父は、心のどこかでは由紀江や美砂子のいる世界へ一刻も早く旅立ちたいと願っていたのではないか。ところが偶然、知人に連れられて入った小さなスナックで彼は亡き妻とそっくりの女性と巡り合う。しかも、その女性は彼の病状を心配し、自分がかつて世話になった西村仁斎という天才整体師のもとへ案内してくれたのだ。あの細い路地裏にある孔雲堂に連れられて行ったときの父の内心の驚きは察するに余りある。しかも、仁斎の力によって彼はほんの数回の治療を受けるだけで狭心症を完治させてしまうのだ。
 すべては死んだ由紀江の導きだと父が確信したのは間違いあるまい。
 由紀江によく似た女性と出会い、その女性が由紀江の眠る霊石寺のすぐそばにある仁斎の治療院へと誘ってくれたのだ。おまけに仁斎は二人の思い出の地、鳥取の出身だった。周一郎がその後、東条紘子にのめり込んでいったのは当然だったろう。
 早智江との面談で、私は最後に東条紘子の名前を口にした。同じ京都の生まれなのだが心当たりはないかと問うと、早智江はしばらく沈黙し、東条さんというお名前は聞いたことがありませんねえ、と言った。ただ、根元家というのはもともと宇治ではなく、岡山なんです。明治の初めにうちの曾祖父が暖簾分けさせてもらってこの宇治に店を構えたんです。
 そう言えば、オカムラハイツの斎藤さんを訪ねて来たという紘子の遠縁の若夫婦も岡山の人だと斎藤さんは言っていた。斎藤さんをふたたび訪ねて、その折に受け取った名刺でも見せて貰えば、夫婦と連絡を取ることもさほど難しくはないだろう。そして彼らの証言は、恐らく東条紘子と誰かとの繋がりをまた証拠立てるのではないか。たとえば紘子と由紀江か、紘子と恂子か、はたまた紘子と浩之や岡山出身の北村千津子との関連が詳らかになっていくのかもしれない。
 くゆりながら風に運ばれていく線香の煙を目で追いながら、美砂子は、お父さん、もうこのへんでいいでしょう、と内心で呟いていた。
 死んだ妻子へのあなたの執念が、数十年の時を経て、かくも絡まり合い、込み入り、錯綜した人間関係を作り上げてしまった。お父さん、私は今回のことで、人の心というものがどれほどに熾烈でただならぬものであるかを身に沁みて教えられた気がします。あなたの拭い去ることのできなかった恋慕や悔悟、絶望や憤慨が、私という娘に死んだ娘の名前をもたらし、東条紘子とあなたとの親密な交渉をもたらし、やがてそれが私の夫と星みなみとの関係や鎌田浩之と私との関係、高遠耕平と佐伯松太郎との関係、紘子の娘かなえと高遠の伯母洋子との関係、母の恂子と東条紘子との関係、さらには私が死なせてしまった我が子やこれから生まれてくるみなみの子供、そしてもう一つのいのちへと時空を超えて生まれ変わっていった。いま私はそのことを確信しています。
 お父さん、人と人とはそれぞれの果たせぬ思い、忘れ得ぬ思慕、償いきれぬ後悔、苦しみや喜び、叫びや鳴咽、そうしたもろもろの感情のゆえに果てしなく繋がっていくのですね。ただ、私たちは日頃、生死を超えた場所に結実している人間同士の心と心との関係を深く追究することなく、知ろうとすることもなく、その術さえも持たずに一つ一つの目の前の人間関係にうろたえ、幻惑され、耐え忍び、追い求めて、あなたと同じように後悔や絶望を次の世代へと先送りしていっているのですね。
 私が流してしまったあの子には美砂子ちゃんのような遺骨すらなかった。あの子は本当に.一生懸命に生まれようとしていたのに……。狭い私の子宮の中から一目でも早く出られるようにと必死で生きようとしていたのに……。もう手も足も、目も口もあったというのに……。私はあなたが亡くなって、あなたの変わり果てていく姿を目の当たりにして、ああ、生きるというのはこういうことなんだなと思いました。生きるというのはこの肉体という容器の中にいのちという光を宿らせて、その光の力だけを頼りに、たった一人でどこまでもこの惨めで残酷な世界を泳いでいくことなんだなと。だからいのちという光が失われると、肉体というのはかくも醜くなり、腐敗し、崩壊していくんだなと。そう気づいたときに私は、もう一度、遺骨さえなかった、ちゃんとした身体さえ持つことのできなかったあの子を今度こそは立派な肉体の中に宿らせてあげたいと思ったのです。そうやってあの子のいのちが光り輝くための手伝いをどうしてもしなくては、と思ったのです。
 でも私たち女がそうやって子供を産みつづけることによって、この世界は人々のまつろわぬ思いで溢れ返り、人と人との関係は煩雑に絡まり合い、混ざり合って、私たち一人一人は一体誰と誰とがどう繋がり、どう断ち切られているかも皆目分からないままにこの人間だらけの海の中をもがき苦しみながら、半ば溺れるように生きていかなくてはならなくなるのですね。
 たった一人ずつの女と男からもしも人類が誕生したのだとすれば、何万回何十万回何百万回、いや何億回何十億回何百億回ものコピーを重ねるうちに何千億の愛とそれと同じ数の別離の悲しみ、そしてその数をはるかに凌ぐ憎しみや恨み、嫉妬が生まれて、そういうすべての私たちの心が何千年、何万年ものあいだずっとずっと絡み合い、もつれ合い、決して一つには整わず、収赦せず、ひたすら混沌のままに、まるで野放図にこの世界で拡大を続けてきたのですね。そんな中に生まれた私たちは、人々で満ち満ちた嵐の海を必死に泳ぐだけで精一杯で、自分がどこに泳ぎ着けばいいのかも、この先何が自分を待っているのかも、自分は一体何のためにこうして泳いでいるのかさえも分からないままに、ただひたすらに泳ぐばかり。生きるというのはそういうことなのですね。そして、私たちは受け取った時よりもさらに重みを増している濡れそぼったタスキを次の世代に押しつける。そうやってやっとのことで私たちはこの海から這い上がる。人生というのはその繰り返しにすぎないのでしょうね。
 お父さん。
 私たちはあなたがかつて由紀江さんと共に赴いた巨大な砂丘の一粒一粒の砂にすぎないのです。過去も現在も未来もなく巨大な砂丘は絶えずうねり、絶えず動いています。その超越的な運動の渦中にあって、私たちは一粒の砂として隣り合った砂や新たに接してきた砂と否応なく関わりを持つ。誰かと愛し合うということも、子供が生まれるということも、すべてはその超越的な運動に巻き込まれることで発生するそれぞれの一現象なのです。私たちは何かを望み、何かを拒もうといつもやっきになっているけれど、でも、そうした私たち砂の一粒の希望や絶望、喜びや哀しみなどというものは所詮は大きな砂丘のうねりの小さな小さな影でしかあり得ないのです。
 だからお父さん。
 あなたがどのようなことを望もうと、または望まないでいようと、結局すべてのものは一つに繋がっているのです。
 
 周一郎と由紀江と美砂子、由紀江に似た東条紘子、紘子が生んだかなえ、かなえが生んだみなみ、周一郎と由紀江が出会った土地・鳥取で生まれた西村直志、西村仁斎と直志、紘子と佐伯松太郎、松太郎の妻・洋子と甥の高遠耕平、その高遠との間に生まれてすぐに死んでいった我が子、直志や鎌田浩之の早くに亡くなった母親たち、さらにはハリーやマックス。おそらくすべてが何かの縁、何らかの因果で繋がっているのだ。そうした中であの東条紘子の骨壷もあたたかくなった。それは鎌田浩之が言ったように父や紘子のわだかまっていた思いが解放されて我々の知らない世界へと昇華していったからかもしれないし、またはそうではないのかもしれない。
 そして、そのあたたかくなった骨壷に共に触れた鎌田浩之の子供をいま美砂子はこうして胎内に宿している。
 誰もが例外なく結び合っている。ただ、私たちにはそれを証明する手段がない。もしもある一人の人間が、たった二人きりの男女から生まれたであろうこの巨大な砂丘の生成過程をつぶさに観察することができたなら、また、その一部始終を記録することができたならば、ありとあらゆる人間たちと自分とのはっきりとした絆がその記録簿には克明に記されているに違いない。
 だが、美砂子はもうそんな絆やしがらみをすべて切り捨てたいと願う。
 自分のこの身体の奥深くに埋め込まれた「人生」や「運命」の古くさい遺伝子たちを抽出し、二度と自分を支配しないように封じ込めたいと願う。
 なぜなら、そうやって巨大な砂丘を生み出し、それを絶えることなく動かしているのは私たち女自身だからだ。砂丘も砂丘の超越的運動も、私たち女が子供を産み育てることによって存在しつづけているにすぎない。
 もちろん自分はこの子の尊いいのちを輝かせるために、その光の住処である肉体という器を精一杯準備しよう。そうやってこの子といういのちの光をこの世界に成就させよう。だが、自分はそれ以上の何ものをもこの子のためにはからうまい。この子のために何も望まず何も期待せず、何も欲せず、何も奪うまい。自分が自分として生きるためにこの子を利用するようなことは決してすまい。
 そして自分は何よりも、この子の幸福を願うような愚かなことは絶対にすまい。
 自分がもしこれからも、自分の隣で起きている残酷で理不尽でおよそ許しがたい悲劇に目をつぶりつづけるとしたならば、自分はそうやって閉じた瞳をこの子の前でこの子のためだけに開くような、そういう恥知らずなことだけは金輪際すまい。
 なぜなら、自分がいまこの子と一本の臍帯で明々白々に繋がっているのとまったく同じように、自分はかつて失った我が子とも繋がり、父や母、姉たち、夫、浩之、紘子、耕平、かなえ、みなみとも繋がり、今まさに塗炭の苦しみに喘いでいる一人一人の尊い心と傷ついた肉体を持った人たちとも明々白々に繋がりつづけているのだから。
 線香が燃え尽き、白い煙がすっかり消えてなくなるまで無言で美砂子は墓標の前に佇んでいた。
 時刻は十二時を回り、太陽の日射しは容赦なく照りつけていた。
 気温が一気に上昇しているのが分かる。
 平日の墓地には誰一人なく、空を飛ぶ鳥の影も木々にしがみついてかしましく鳴く蝉の声もなかった。
 かすかな立ちくらみを覚えてしゃがみ込んだ。足元には花立てから抜いた枯れ花があった。それを新しい花の包装紙で丁寧にくるんだ。
 枯れ花を右手に持って立ち上がる。小さく深呼吸をしてから背筋をしゃんと伸ばしてみる。めまいは消えていた。
 根石の上に置いたバッグを肩に掛け、美砂子は墓標に背を向ける。最後まで掌を合わせることはなかった。
 出口に向かって一歩踏み出した瞬間、強い風が不意に面前を駆け抜けていった。
 いまの一陣の風が父と自分との分かち難い絆をようやく断ち切ってくれた。
 そう信じようと思った。
 (完)

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