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白石一文『翼』(光文社)

作品についてあらすじ  

あらすじ
 主人公は田宮里江子、独身OL。勤め先は浜松に本社がある浜松光学という光学機器メーカーで、田宮里江子は半年前に浜松本社から東京本社に転勤してきた。彼女は、法人営業を担当していて、その日は午後から彼女が担当している案件の調印式を控えていた。しかし、朝に熱を測ると三十八度九分もあり、慌ててオフィスのあるビルにあるクリニックに行った。夏風邪なんて何年ぶりだろうか。そこで点滴を打ってもらって、なんとか昼過ぎには熱も治まった。
 そして、そのクリニックで彼女を診察してくれたのが長谷川岳志で、里江子の大学時代の友人聖子の夫であった。彼に会うのは十年振りのことだった。

 お彼岸には、里江子は母の七回忌の法要のために久留米に戻った。弟の伸也に依頼していた法要の準備はろくにできていなくて里江子が慌てて準備しなくてはならなかった。伸也を連れて、法要前に住職に挨拶に伺った時、伸也の新しい彼女真理子を紹介された。二十歳の若い娘で、同い歳の前妻の朝子と別れてから伸也は若い女性ばかりを相手にしていた。真理子は気立ては悪くなさそうだが、食べ方に品がなかった。
 翌日は、伸也の前妻の朝子と会い半日を食事や買い物をして過ごした。医療事務の資格を持っていた朝子は、離婚後歯科クリニックに仕事を見つけ、一年半くらい勤めたところで患者さんと再婚した。相手の男性は三十五歳で初婚、実家が資産家で大きな不動産をいくつも持っているらしい。伸也と別れたとたん、運が向いてきたみたいね、と里江子が言うと、朝子は、これもお母さんのお導きやないでしょうか、と言った。
 明日の法要には顔を出したいけど、そうもいかないみたいと済まなそうに言った朝子に、里江子は、田宮の家のことなんかきれいさっぱり忘れてしまいなさい、と言い、とにかくあなたには苦労ばかりかけて、お母ちゃんの面倒も任せきりで、ほんとに何度有難うと言っても足りない。お母ちゃんはいまでも朝子さんの幸福を願っていると思う。あなたも年末には元気な赤ちゃんも産まれるんだし、これからあなたの人生はどんどん良くなっていくから、と励ました。
 七ヶ月を過ぎたとあってワンピース姿からも身重の体だと分かる彼女は、お姉さん、私は伸也さんとのことも含めて、あれはあれで幸せやったような気がするんです。おかあさんとおねえさんにもこうして巡り合うことができたんだし、と言い、それから、ただ伸也さんとの幸せにはきっと締切みたいなものがあったんだと思うんです、と言葉を継いだ。
 締切?問い返した里江子に、私たちは手にした幸せより先に死ねれば、それが最高の人生なんでしょうね、となにかどうでもいいような口調でそう言った。福岡駅の改札口まで見送りに来てくれて、里江子の手に熨斗袋を押しつけるようにして、彼女は、おねさん、ごめんね、と言った。朝子さん、お元気で、と言った里江子に彼女は、ごめんね、を繰り返していた。彼女に背を向けると里江子は振り返えらず電車にそのまま乗り込んだ。あの人は、まだ伸也のことが好きなのかもしれない、と里江子は思った。
 母の七回忌は十五人ほどのささやかな集まりだった。母は五十半ばで心臓疾患が見つかり、数年は薬でごまかしたが、浜松にいい医者がいると聞き、その医者に手術をしてもらってすっかり元気になった。しかし、その一年後に六十一歳であっけなく死んだ。六年前の二〇〇四年のことだった。
 父は、里江子が高二、伸也が中三の時に、愛人の店の二階で夜中に大量の血を吐いて死んだ。四十九歳だった。酔っては暴れ、しかも女出入りが絶えなかった父と母は、里江子が子供の時から諍いが絶えなかった。
 父の死後、母は駅前に保険金で小さなブティックを開いた。高二の伸也は、その新しい店舗兼住居で母と一緒に暮らした。伸也はその後広告代理店に就職して博多に出ていたが、腎臓をこわしてふたたび久留米に戻って母と暮らすようになり、半年の療養を経てブリヂストンの子会社に職を得、そこで朝子と知り合い結婚した。
 彼女が、店を手伝うようになって、店の売り上げは倍増し、儲けは三倍になった。その頃から伸也の生活が荒みはじめ、やがて会社も辞めてしまった。伸也は金にだらしなく、父親似の外見に引き寄せられて寄って来る女を誰彼となく食い漁り、朝子を泣かせた。そのうえ、母が亡くなると、酒を浸りになり、四十九日が済むと家にも寄りつかなくなって、たまに飲んで帰って来ると家で暴れた。
 そんなある日、朝子が伸也に突き飛ばされて左手首の骨を折ったと聞いて、里江子は久留米に飛んで帰った。その時に、伸也が今の店を手放し、それを元手にヨット販売の会社を起ち上げるという話を朝子から聞いた。話を持ち掛けてきたのが、代理店時代の上司で、朝子が言うには評判の良くない人物らしく、どうやらその男の妹と伸也が出来てしまって、その妹にそそのかされて店を手放すことになったらしい。
 里江子は、悪いけどもうあの店のことはあきらめましょう。朝子さんそれより一刻も早く伸也とは別れてちょうだい。当面の生活費のことは私の方で面倒みさせてもらうから、と言った。二人の間に子供がいないのは幸いだった。田宮家の血がこれ以上拡散するのだけは防がなくては、と里江子は深く恥じた。
 法要が終わって、会席料理をつまみながら今は電気工事店で働いている伸也から、矢作典弘の話を聞いた。典弘は、カメラマンを辞めて、久留米に戻って地元の女性と結婚し、子供にも恵まれたらしい。奥さんが九電工の重役でそのコネで今は九電工で働いているとのこと。
 典弘とは幼なじみだった。里江子は、子供の頃父親が母に刃物で切りかかるのではないかと心配になり、父親が酔っぱらって帰って来ると深夜に台所の刃物類を持ち出して弟と二人公園で夜を明かした。ある日、同じように家で夫婦げんかの絶えない矢作典弘が、リュックに父親の大工道具を詰め込んで公園にやってきて、仲間になった。その典弘は中学に入学する直前に博多に引っ越して行った。母親が夫の暴力に堪えかねて離婚したからだ。博多に行く前に彼は里江子たちを訪ねてきた。弟にファミコンのソフトを渡し、里江子には渡すものがないから、今度会った時には飯でも奢ってあげる、と言った。
 十年後に里江子は、カメラマンとなっていた矢作典弘に渋谷のフォトギャラリーで再会した。里江子が就職して勤めた浜松光学の東京本社のすぐ近くで彼の写真展覧会が開かれ、里江子が訪ねて行ったのだった。約束通り、典弘に食事を奢ってもらい、それから二人は付き合うようになった。しかし、その後典弘がスタジオアシスタントの女性に手を出し、相手の女性が里江子に電話してきて、自分は今妊娠二カ月で彼も結婚してくれると約束してくれているけど、彼がいつまで経っても約束を果たしてくれないから、二人で話し合ってください、と言ってきたのだ。典弘は、彼女とは遊びだったんだ、一週間でケリをつけるから今回だけは大目に見てくれ、と言い、その通り、典弘は彼女とは別れた。慰謝料を払ったのかどうかは知らないが、その彼女は今カメラマンとして第一線で活躍している。その出来事は別れる半年前のことだった。その後、浜松本社への転勤が決まり、それを機に里江子は典弘と別れることにした。二人の付き合いは二年半で終わった。

 長谷川岳志は、里江子の大学時代の親友聖子と結婚していた。里江子も、二人の結婚式に出たし、里江子と長谷川岳志の間には男女の関係はなかった。しかし、里江子が大学卒業間近のクリスマスイブの前日に聖子から初めて岳志を紹介されたその翌日、つまりクリスマスイブに岳志は里江子の携帯に電話してきて、どうしてもきみに至急話したいことがあると言い、指定されたコーヒーショップに駆けつけた里江子に、会うなり、僕と結婚してください、今日、聖子と別れます、と言ったのだ。
 もちろん、里江子は岳志の申し出を受けることはなかったし、聖子にもそのことは黙っていた。しかし、今になって考えるとあの時、その事実を聖子に話しておくべきだったかもしれないと後悔にかられる。
 聖子と岳志が結婚してから里江子と聖子との間は疎遠になった。結婚式をすますと、二人は岳志の留学によりアメリカに渡り、その後二人の間には息子と娘が産まれていた。岳志からも里江子に連絡してくることもなかった。しかし、久しぶりの偶然の再会によって岳志と里江子の関係は、あらたな展開をみせることになる。
 岳志から、会うなり今度二人きりで会いたいと誘われたが、里江子が聖子抜きで二人だけ会うのは困ると断ると、だったら家に来ないか、聖子も喜ぶだろから、と言われた。
 秋分の日も過ぎた九月二十五日の土曜日に里江子は、結局阿佐ヶ谷の長谷川夫妻の家を訪ねた。十二時に阿佐ヶ谷駅に岳志が迎えに来てくれて、自宅まで歩いて行った。途中、岳志は、スーパーに寄ってビールのロング缶を五本買い求めた。里江子が、全部違う銘柄を買うんですね、と言うと、そう言えばそうだね、と笑った。里江子はその照れたような笑いに引き寄せられる自分を感じた。
 里江子には一つだけ忘れられない言葉があった。きみと僕とだったら別れる別れないの喧嘩には絶対にならない。一目見た瞬間にそう感じたんだ。初対面の翌日、不意に岳志に呼び出され、余りに唐突で非常識な提案を受け、里江子が、どうしてそんなことを言うんですか、と質した時に岳志がそう言ったのだ。
 十年ぶりに会う聖子は、里江子の両手を取り、元気だった、と微笑む。うっすらとその瞳に涙が滲んでいた。都内の大きな戸建てに、夫と厚志くんとその妹悠子ちゃんの四人家族。その日は二人の子供は実家に遊びに行ってるとのことだったが、二人の子宝にも恵まれ、子育てに忙しい絵に描いたような幸せな専業主婦の毎日を聖子は送っていた。少し印象が変わったのはメイクのせいだろう。昔は化粧上手で有名だったが、今はノーメイクに近い。
 ワインを傾けながら、里江子は聖子と二人懐かしい昔話に華をさかせた。もっぱら喋るのは聖子だったが、子育てのこととなると、里江子は独身OLの自分の境遇との隔たりを感じさせられることもあった。
 帰りも、岳志が駅まで送ってくれた。四時半を過ぎていたので陽射しはだいぶ弱まっていた。カラスが鳴きながら頭上を飛び交っていた。岳志は、カラスを見ながら、カラスは自由でいいな、と言った。鳩はちっとも自由じゃない。まるで放し飼いのペットのようだ。だけど、カラスは違う。人間に迎合しない。あいつらを見るたびに自分にもあんな風に真っ黒な羽があればいいな、と思う、と言った。

 その頃、里江子は、会社ではちょっとした人間関係のトラブルを抱えていた。
 かつて東京から浜松の本社に異動となってほどなく、彼女は城山信吾という四十そこそこで取締役となり営業本部長として会社全体の営業の牽引役を務めている男の秘書となったことがある。秘書は一年半ほどで外れたが、以来八年の間彼を慕い、彼の配下で営業を覚えてきた。その城山信吾が去年の春、突然会社を辞めたのだ。里江子にとって、城山の突然の退職は衝撃だった。今年の春に、里江子が東京へ異動となったのも城山の退職が影響している。里江子のことを気づかって東京本社への異動を差配してくれたのはおそらくかつての城山の部下で今は東京の営業本部長を務める高畑に違いなかった。
 しかし、城山がなぜ突然退職となったのか、表向きは父親が倒れ、実家の家業であるマダイの養殖事業を継ぐことになったという話だが、それまで城山の口からいずれ家業を継ぐなどという話は誰一人聞いたことはなかった。
 里江子は、自分が担当したある案件で社長一族の縁戚に連なる坂巻英介という課長とトラブルとなり、その時に、坂巻と城山との間になにか抜き差しならない確執があったのではないか、と感じたのだった。
 そのトラブルとは、里江子が課長代理として担当した案件に絡むものであった。里江子は日本最大手の精密機器メーカーにデジタルカメラ機能用のフォトダイオードを常時供給するという契約締結にこぎつけたのだが、彼女のその功績を台無しにするような裏切り行為をやったのが課長の坂巻英介で、しかもその責任を里江子になすりつけて営業担当からはずすと言ってきたのだ。
 裏切り行為というのは、浜松光学がつい数カ月に開発に成功した虹彩識別技術を応用した商用センサーの共同開発に関する件だった。その共同開発の相手として、今回の契約相手である大手精密機器メーカーとは別の機器メーカーに決まったことが明日の記者会見で発表されるというニュースが、なんとその日の午後に行われる予定であったフォトダイオードの契約調印式の直前に飛び込んできたのである。その結果、調印式では、契約相手の大手精密機器メーカーの担当者から、田宮課長代理もなかなか策士ですねぇ、いやぁすっかり一本とられてしまいました、などとさんざん嫌みを言われたうえ、恥をかかされましたよ、そういうことなら、事前にひと言おっしゃってくれるべきではないのか、水臭いですね、としきりに言いつのる先方の言葉には明らかに抑えた怒りがあった。
 しかし、その件については里江子はなにも聞かされていなかった。
 なかなか難しい提携で、なにせ昨日の今日で急転直下決まったようななり行きでして、とその席で言葉を引き取ったのは、営業本部長の高畑でも、東京本社常務の本間でもなく課長の坂巻英介だった。
 その日、会社に戻ってから里江子は坂巻に、虹彩識別を用いた商用センサーの共同開発の経緯をただし、なぜ事前に知らせてくれなかったのか、と問い詰めた。きみに知らせて情がからむのもイヤだったしね、と坂巻は言った。あの男は、意図的に里江子への情報を遮断したのだと彼女は思った。
 後日、里江子は坂巻に会議室に呼び出され、フォトダイオードの供給を契約した会社との担当からはずすと言われた。これは上層部の決定なのだからしょうがない。とにかく先方は想像以上に怒っていて、なんらかのけじめをつけないと今後の関係にもヒビが入らないとも限らない。だからとりあえずきみに外れてもらう、と坂巻は言った。
 里江子は納得できなかった。情報をきちんと伝えなかった自分の責任を棚に上げて、一方的にこちらを処分するとは。里江子はこの処分は受け入れられない、と言ったが、坂巻は処分ではない、と言う。里江子は、では私を担当から外したいなら、逆に処分という形をとってください。こんな馬鹿げた決定に従うつもりはありません、と言った。
 すかさず坂巻が、やっぱり城山さんの下にいた連中はどうにもならないな、と言った。ああいう情に流されるタイプの営業が結局会社の利益を損なうってことだよ。城山イズムだかなんだか知らないが、きみのような人間が第一線に生き残っているようじゃ、まだまだ油断なくならないってことだな。分かった。これは会社の決定だ。従わないというなら、処分を下すまでだ、そう言って、席を立ち会議室を出ていった。
 里江子は、この時の坂巻英介の言動には、あきらかに城山に対する私怨の匂いが立ち込めていたと感じた。
 城山が退職する三カ月前に、里江子は城山に誘われて、飲んだことがある。いつもの城山組のメンバーが集う「花環会」かと思って出かけたら、二人だけだった。その日の城山はいつになく精気がなく、横顔に疲労が張り付いているように見えた。その席で、城山は里江子に、人間は死んだらどうなると思う、と聞いてきた。里江子は、なんにもない、完全な無なんだと思います、と答えた。城山は、それはどんな無なのかな、とさらに聞いてきた。里江子は、死は「記憶の消滅」だと思ってきたので、なんにも覚えてない状態、すべての記憶が消去されてしまうという、と答えたが、それからやや言い足りないような気がして、自分の記憶が消滅しても、他人にはその人の記憶が残るので、その意味で人の死は関係者全員の死をもって完全な無になるのかもしれないですね、と言った。
 すると、城山は、ということなら、逆に自分が生きていても、その自分のことを知っている人間が死んでしまえば、自分の一部が死んだことになる。そういうことだろ、と言った。たしかに、自分のことを最も深く理解してくれている人間の死は、自分の死と限りなく近いかもしれませんね、と里江子は言った。
 そう考えると、俺たちは他人の心の中に自分という手紙を配って歩く配達人にすぎないのかもしれんなあ。配達人が手紙の中身を知らないように、俺たちも自分がどんな人間なのかちっとも知らずに、それをまるごと人に預けてるだけなのかもしれん、と独りごちるようにそう城山が言った。
 三カ月後、城山の退社を耳にして里江子が真っ先に思ったのは、この夜のやりとりだった。あの直前に城山の身になにかが起きたに違いなく、それが彼の退職の大きな原因の一つになったのではないかと里江子には思えた。
 会議室を出て、里江子はデスクに戻らず、外に出た。目的もなく新宿駅に向かって歩いた。坂巻英介のような馬鹿な上司のもとではもはや法人営業なんてできない。今のポストも離れざるを得ないかもしれない。そう思うとさすがにやるせなさがこみあげてくる。里江子は、三井ビルの一階にあるロイヤルホストに入り、赤ワインを頼んで、それをちびりちびりやりながら、窓の外を眺めていた。そういえば、このまえのクリニックもこのビルの中だった。岳志は、週二回ここに来ていると言っていたが、どうしてるのだろか。そう思いながら空を見上げていると、携帯が鳴った。
 六時半にグリーンタワービルの玄関まで迎えに来てくれた岳志と、連れだって百人町の近くのインド料理店で食事した。自然と話が坂巻のことになった。里江子の話を聞いて、坂巻が城山のことをいくら憎んでいたとしても、着任間もないきみにまでそれほどの仕打ちをするのはちょっと尋常じゃないな、と岳志は言い、もしかしたら仕事絡みではなく、プライベートでのトラブルかもしれない。たとえば、二人で一人の女を争ったとか、と言った。
 まさか、と言ったがプライベートトラブルという可能性もあながち的外れではないかもしれないと里江子も思った。いずれにせよ、そんな男の下で仕事をするのはやめた方がきみのためにもいい、と岳志は言う。そう思うが、彼がどうしてここまでやってくるのか、その理由を突き止めたいの、と里江子が言うと、だったら、明日にでも呼び出して直接彼に聞いたらどうかな、と岳志は言う。
 里江子は、直接聞いても話すわけない、と言ったが、それはそうとも限らない。城山という男への怨みが動機なら、彼が心のうちにため込んでいる怒りや憎しみをそういう形で表現しているだけなんだから、案外、どうして聞いてくれないんだ、と彼の方も思ってるかもしれないよ、と言い、人間は知恵や理性では絶対に行動しないからね。例外なく感情のままに行動する。なにより大事なのは感情だよ。その坂巻という男の感情を見極めることが一番大事だと思うよ、と岳志は言った。
 それから岳志は、自分の仕事観について話した。仕事なんて所詮は金を稼ぐことで、自分たちの動物的な生存を確保するための行為なんだから、長年やってれば必ず行き詰まるものなんだよ、と言い、自分も最近医者の仕事にちょっとうんざりしてるんだ、と言う。大袈裟に言えば人の命を守ることに生き甲斐を感じられなくなった、ということかな、とも言った。
 岳志さんはこれからもずっと大学病院で働くの、と里江子が訊くと、いや、そろそろ大学からははずれると思う。来年の春くらいかな、と言った。子供時代から「神童」と呼ばれていたという東大医学部出の秀才の彼などは、きっとそのまま大学に残って教授にでもなるのかな、と思っていたので里江子には意外だった。退官した恩師の先生に三鷹の病院に誘われているらしい。
 岳志さんには妻も子供もいるしね、と里江子が言うと、岳志は、僕がいなくても聖子も子供たちも全然大丈夫だよ、と言った。
 そんなわけないじゃない、と里江子は笑いながら言う。妻とか子供とか、それほどたいしたものじゃないよ。だけど、妻も子供も自分の人生を賭けるほどの存在じゃないというそのごくごくあたりまえの真実を知るのがとにかくみんな怖いんだ。たんにそれだけのことだよ。
 そういう言い方をするなら、それこそ自分の人生そのものがただの退屈しのぎということになるでしょう、と里江子は言ったが、岳志は、そうじゃないよ、僕は誰だって真実の人生を見つけることができると思ってる。真実の人生を手に入れさえすればこんな嘘だらけの人生ときれいさっぱり縁を切ることができるんだ。里江子は黙って岳志を目を見つめ返す。またか、って呆れた顔するけどね、きみと会えなくなったこの十年で、僕はますますそう信ずるようになったよ、そう岳志が言った。

 岳志に、その昔突然結婚を迫られたクリスマスイブ。ほとぼりをさますため、その翌日里江子は実家のある久留米に一時帰省し、年が明けた一月六日に実家を発った。そのままアパートには戻らず、横須賀のビジネスホテルに身を寄せた。帰省中に大学の友人から連絡があり、横須賀市議会議長をつとめる父親の選挙運動を手伝ってもらえないか、と頼まれ、里江子はその話に飛びついたのだった。横須賀中央駅まえの古いビジネスホテルに寝泊まりしながら選挙運動の手伝いに奔走していた。公示から数日が過ぎた頃、岳志から連絡が来た。
 午後九時を過ぎていた。いま横須賀中央の駅にいるんだ。もしイヤでなかったら一緒に一杯やらないか、もうきみを困らせることはしないから、と岳志は言った。その日は雨が降るひどく冷えこんだ一日で、そんな中でもわざわざ横須賀までやって来た長谷川岳志を無下に扱うことがどうしても忍びなかった。
 どぶ板通りの小さな居酒屋で飲んだ。岳志は医局での話をしてくれた。医者がやれることは患者さんたちがちゃんと死ぬお手伝いをすることだけだ、と言い、それから死は人間にとってのやすらぎだってこと。死ぬことで僕たちは何か重い荷物を下ろせるんだよ。自分自身を縛っている鎖から解き放たれると言ったらいいのか、そう語った。
 里江子は卒論や選挙運動について話した。岳志は里江子の話を面白そうに聞いたあと、自分という人間は本当はヘンな人間なんだ、と言った。物心ついた時から自分は仲間はずれなんだと思っていた。だから人に嫌われないように必死で自分の能力を隠してきたし、普通の人たちに混じるために懸命の努力を続ける。そういうヘンな人間は、僕も含めてみんな、小さい頃からどうして自分は他の子と違うんだろうって、戸惑い、不安に怯え、この世界で小さくなってひっそりと生きてるんだ。そいうヘンな人間の望みはただ一つ。普通の男の子や女の子になることなんだよ。そう僕みたいなヘンな人間には普通であることの一番の素晴らしさがよく見えるんだよ。
 里江子は、なんですか、その普通の一番の素晴らしさって、と訊いた。それはね、たった一人の人間と一生をともに暮らし、その人のことを生涯愛し続けるってことだよ、と言った。里江子が、そんな相手をどうやって見つけるんですか、と訊くと、まさに直感だよ、僕がきみを見つけたみたいにね、と岳志はさりげない口調で言い、きみにもきっと分かってると思うけど、と小声でつぶやいた。
 結局その日は、その店に明け方近くまで居座り、店主はこのまま店に泊まって始発で帰ればと言ってくれたが、そこまで甘えるわけにはいかず、酔いつぶれた岳志を里江子が支えるようにしてホテルの部屋に運んだ。
  服を脱がせ岳志の大きな体をベッドの端に追いやって里江子もその脇に潜り込んだ。岳志は朦朧とした意識のなかでも両腕で里江子を抱きしめようとし、里江子はその腕に抱きすくめられた。その暖かな胸の感触に身を浸しているうちに里江子はいつの間にか心地よい眠りに落ちた。

 朝子さんから手紙が届いた。母の七回忌の法要の前日に里江子に会った時に、彼女はお腹の子が、今の夫の子ではなく、伸也の子であることを打ち明けようと思ったがどうしても打ち明けられなかった、と書いてあった。しかし、もし自分の身に何かが起こったら、このことは私しか知らず、生まれて来るこの子は永遠に本当の父親を知らないままになってしまう。それが不憫でした。一人でいい、誰かにそのことを知っておいてもらいたい。どうか、おねえさん、たったひとりの血を分けた甥です。それに免じて、その一人になってください。
 確かにあの時、おねえさんから、このままじゃ、あなたの人生がめちゃくちゃになってしまう、と言われた。自分でもその通りだと思った。でも、その一方で、たとえそうなったとしても、伸也さんと別れることだけはイヤだと思い続けていた、とも書いてあった。
 そして今年の春、夫がトルコに出張中のこと、陽気に誘われて街をぶらぶら歩いてる時、後ろからゆっくり近づいてきた車から、朝子と声をかけられ、五年振りに偶然伸也に出会った。それは懐かしい声だった。私はいつも彼のことを思い出していたし、彼も同じような思いで、この五年を過ごしてきたんだ、と悟った。そのあと、天神のホテルで伸也に抱かれたのは必然のことだったと思う、と書いてあった。別れたあと、彼との間に子供を作らなかったのを悔やむ気持があったので、妊娠が分かった時は、後悔する気持はまったくなく嬉しかった。そして、この子を宿してみて、意外なことに気づいた。女は愛する人の子供を産むことで、愛する人と遠ざかることができるのだ、と朝子は書いていた。
 幸い夫と伸也の血液型は同じで、容姿も似ているので、この子は夫の子供として立派に育てていくつもりです。自分が死ぬ時には、この子には伸也さんのことは話すつもりですが、万が一不慮の事故などでそれが叶わなかった時には、おねえさんの判断でそれを伝えてください。

 すでに真冬なみの寒さが訪れていた。その日は、木枯らし一番が吹いた、とニュースが知らせていた。先週朝子から届いた手紙の内容が里江子の頭から離れない。朝子は、私のせいで伸也と別れさせられたことを根に持ってあんな手紙を送り付けてきたのだろうか。五年振りに伸也と偶然再会し、子供を身籠もったという。人間は、例外なく感情のままに行動する、と言った岳志の言葉を里江子は思い出していた。
 会社から家に帰ったのは九時を回っていたが、聖子が夜に家を訪ねてきた。里江子が阿佐ヶ谷の家を訪れてからまるひと月が経っていた。岳志が学会で出張だから子供は実家に預けて来たという。来るなり、一昨日の夜、岳志が私や子供たちと別れてリエと一緒になりたいって言うのよ。なにか思いあたることでもある、と里江子に訊いた。
 里江子は、セイちゃんから紹介された次の日にいきなり岳志さんからプロポーズされたことがあったわ。どうしてそんなことを言い出すのか分からなかったけど、きっとそれと同じようなことじゃない、と言った。そんな大事なこと、どうして黙ってたの、と聖子が言い、里江子は、でも、あんまり荒唐無稽な話だし、もし話したら、セイちゃんと岳志さんの間で大変なことになってただろうし、私だってセイちゃんと気まずくなるのもいやだったしね。でも、今は後悔してるわ。結局、セイちゃんともなんだか付き合いづらくなって、ずっと距離をおくことになってしまったし、と言った。
 岳志は、里江子とはとくにそういう関係になっているわけでもないと言うし、それならリエの方はどうなのと聞いても、そんなの分からない、と言うだけで、とにかく、別れて欲しいの一点張りなの、と聖子は言い、毎度のことながら、いい加減うんざりしちゃうわよ、とも言った。
 それから、リエの方はどうなの、と聖子が訊いた。里江子は、どうもなにも、そんなの考えたことないわ。岳志さんはあなたの夫で、二人の子供の父親なのよ。私は彼とはなんの関係もない人間なんだよ、と言った。
 実はね、彼アメリカにいる時も、似たようなことがあったんだ、と聖子が言った。同じ医局のオーストラリア人の女の子が好きになっちゃって、その彼女と一緒になりたいと大変だったの。彼女にはれっきとした恋人もいたし、まあ彼女は帰国直前だったから、私からちゃんと話してうまく解決したけどね、と聖子は言ったが、里江子はその話はきっとだいぶ脚色されたものにちがいないと思った。
 それから、聖子は、岳志が大学二年の時に、年上のおんなと心中未遂事件を起こしたことがあるとも言った。相手の女の方から持ちかけられて、ついふらふらとその話に乗ったみたい。人から聞いた話だから詳しいことは分からないけど、と言った。その話は、里江子にとっても衝撃だった。
 とにかく、今後は彼の方から連絡が来ても取りあわないでほしいの、と言い、それでね、と聖子は身を乗り出すようにして、もしよかったら、携帯の電話番号も変えて欲しいの。あと、ここも引っ越してくれないかな。もちろん両方とも費用は私が出させてもらうから、と言った。
 
 それから二日後、里江子は新宿で岳志と会い、私と一緒になりたいから別れて欲しいとあなたが聖子に言ったと聞いたけど、と言うと、岳志は、聖子が言った通りだと認めた。
 いい加減にしてくれないかな。あなたのせいで、私は携帯の番号も変えなくてはならないし、引っ越しもしなくてはならないはめに陥ってるんだよ、と里江子が言うと、岳志はいささか戸惑いの表情をみせる。
 岳志さんが聖子にヘンなこと言い出すから、そういう風に結局わたしが割を食ってしまうんじゃない、と里江子は言った。しかし、岳志は、きみに迷惑をかけるつもりはこれぽっちもない、と言いながら、きみと一緒になりたいから別れる。その気持はきみに会った時から変わってない、とも言った。
 はあなたと一緒になるつもりはないわ、と里江子ははっきり言った。しかし、岳志は、それはよく分かっている。だけどもうそんなことはどっちだっていい。僕は僕の信じる道を歩くと決めたんだ。といってもきみに迷惑をかけるつもりは毛頭ない。ただ、やるべきとこをやる。それでだめだったらそこまでの人生ってことだから、とそう言った。
 それから、アメリカ時代に岳志がオーストラリア人の同僚に夢中になったという話も、真相はまったく逆で、むしろ岳志がその女性にストーカーめいたことをされて手を焼いていたということらしい。また、心中未遂についても、岳志は、その相手は、自分の姉で、男に振られた姉が自暴自棄になって一緒に死んでくれと岳志に頼み、たった一人の理解者であった姉貴が死ぬというならそれもいいかな、と一緒に海に飛び込んだという。その二年ほど前に、父も母も相次いでがんで亡くなり姉貴と二人きりだったし、大学の医学部二年の時で、親しい友達も出来ず、学校もちっともおもしろくなかったし、今思うとたしかにあの頃はどうかしていたのかもしれないが、結局、二人とも死にきれず、助かったんだ、と言った。
 それから、岳志は、里江子に携帯の番号を変える必要もないし、引っ越しなんてする必要もない。聖子がそんなことを言ってきたなら、当分はきみとも連絡はとらないようにするから、と言った。
 里江子には、どうして岳志がそれほど自分に執着するのか理解できなかった。自分のことをよく知っているわけでもないのに自分のことを運命の人のようにいうのは妄想のたぐいといってもいいのではないか。そう言うと、岳志は、それをきっぱりと否定し、聖子と結婚し、子供が生まれてみて、僕は確信したんだ。僕にはきみしかいない。僕はきみと生きて、きみとともに死ぬ。僕ときみの仲はそれだけ運命的なものなんだ。だけど、運命の人と出逢うだけでは駄目なんだよ。この人が運命の相手だと決断すること。そう決める覚悟を持ったときにはじめてその人は運命の人となる。たった一人この人と生涯をともにし、真実の喜びを分かち合うんだと、決める。そういう覚悟を持ち続けてる限り、人生とは果てしなく豊かになっていくと僕は信じている。
 里江子は、岳志の言うことには同意できなかった。自分がそれほど大層な女でもないし、一緒に暮らしたらきっとそんな幻想はあっという間に木っ端みじんになる。人間は誰とでも暮らせるし、誰とでもそこそこ幸せになれる。幸せというものも、気持の持ちようで、これが幸せだって、いまの自分を受け入れることができたら、きっとそれが一番の幸せなのよ、とそう言った。わたしと一緒に暮らしてみても、そのまま今の生活を続けてみても、きっとあなたのなかにある不満や不全感は癒やされないと思う。だって、それはあなた自身の問題なのであって、けっして周囲の人間や環境に原因があるわけではないんだもの。
 岳志は、里江子の考えにも同意できないと言い、自分の心の持ちようだけで実現できる幸せ、それこそきみの言うそこそこその幸せなんてたかが知れている。それじゃ、僕たちはなんのために生まれてきたのかわからないじゃないか。それくらいの幸せのために、なぜこんな殺伐とした無慈悲な世界で僕たちは生き続けなくちゃいけないのか。きみだって、そのことにとっくに気づいているはずだ。ただきみはそれを認めることをためらい続けているだけなんだ、とそう言った。
 里江子は、バッグを開けて一枚の写真を取り出し、テーブルの上に置いた。それは一昨日の夜、別れ際に聖子が、お願い、私たちの家庭を壊さないで、と泣きそうな顔をして渡してよこした長谷川家の家族写真だった。
 長谷川岳志さん、誰かの不幸を前提にした幸福なんてこの世に存在できるはずがない。人を傷つけてまで幸せになる権利なんて誰にだって、絶対に、絶対に、ないわ。

 岳志と最後の食事をした二日後に額面百万円の小切手が聖子から送られてきた。
 引っ越しと携帯電話の交換代にあててくれということだろうが、一筆もなく、小切手一枚が封筒に入っていただけだった。
 その一週間後の十一月三日に聖子から電話が入り、あら、つながるのね、が第一声だった。里江子が、今月中に東京を離れることにしたから、と言うと、ありがとう、でも携帯の番号も変えてね、お願い、そういうとそそくさと電話を切った。
 それから一週間後に、アメリカ本社への異動が本決まりとなった。アメリカへの異動は十日ほど前に里江子から希望したものだった。坂巻に伝えるとわずか数日でその人事は実現の運びとなった。さすがに坂巻の社内での力を認めないわけにはいかなかった。ただニューヨークを希望していたが、西海岸のサンフランシスコ勤務となった。里江子にはとくに異存はなかった。
 十二月一日の赴任まで半月たらずとあって里江子は、その準備に追われていた。その間に、海外赴任の際は必ず浜松本社で社長との面談をしなければならず、十一月二十四日に浜松に向かった。社長は、里江子とは浜松本社時代にも面識があり、話が弾んで面談は二時間近くにもなった。社長からは、海外には若い時に行くよりも、ある一定の年齢に達してからの方が、ずっと人生の肥やしになるんじゃないかと思うから、今回のきみのアメリカ行きはまたとない話だと思う。会社のためというよりも自分自身のために大いに勉強してきてくれたまえ、と励まされた。坂巻社長の名前は半太郎というが、それは長岡半太郎からとった名前で、実は坂巻家は長岡半太郎の縁戚にあたる一族なのである。
 社長室を辞して、それからタクシーで駅前にあるホテルにチェックインしたのは午後三時過ぎだった。ホテルの三十七階の部屋から浜松の景色をしばらく見晴らした。その昔、浜松本社時代に住んでいたマンションも眼下に見えた。そこは一人住まいにしては広い部屋で、母が手術をしたあとしばらくその部屋でゆったりと療養できたのも充分な広さがあったからだ。それももう七年前、里江子が二十七の時だった。
 あの頃には、自分の周りには母もいたし、城山も、そして弟の伸也もいた。しかし、今は彼らは遠く私の周りから離れてしまった。里江子は孤独には慣れていた。自分は独りきりでもちゃんと生きていける自信はある。ただ、長生きするという自己イメージはどうしても描けなかった。七回忌のあと、次の十三回忌には、自分はもうこの世にはいないだろう、という気がしていた。
 そういえば、三つ年上の姉とともに海に身を投げたとき、二十歳の岳志は一体なにを考えていたのだろう。最近そのことをよく里江子は考えていた。新宿で岳志と食事した時に、彼からその心中未遂事件は地元の新聞に載っていると聞いて、里江子は翌日図書館に出向き、一九九〇年八月十一日の山口新聞の縮刷版を閲覧した。彼の遭難事故は、社会面のトップに大きく載っていた。しかも、それは予想もつかないような不思議な記事だった。

 その夜、浜松本社時代の同僚たちが壮行会を開いてくれることになっていた。浜松在住の城山組のメンバー十五名が集まった。誰かが、里江子のことを城山組のマドンナのお出ましだと、囃し立てると、別の者が旧城山組だろ、と茶々を入れる。会は和気藹々と進んだ。
 その会で、あるメンバーから城山さんが離婚していた、という話を里江子は聞いた。メンバーの知り合いが、たまたま名古屋で城山夫人に出くわして、その時夫人が、自分たちは離婚したのであのひとがどこにいるか分からない、と言っていた、というのだ。坂巻英介から聴いた話は事実だったのか、と里江子はひそかに思った。

 その美術館は、浜名湖の湖畔の一等地にあった。浜名湖ジョエル・ミュラー美術館という銀色の細長いプレートが玄関扉に掛かっていた。そのこじんまりとした美術館の右奥にはもうひとつ別棟が建っていた。そこは誰も住んでいる気配はなかったが、近づいてみると、家の前の柱にメールボックスが取り付けられていて、名札にはM・SAKAMAKIの文字が見えた。ここが、坂巻英介の姉が一年ほど前に首を吊った家なのか、そう思うと、右耳に刺すような痛みが走った。
 昨夜の壮行会がお開きになったのは、午前二時過ぎだった。ホテルに戻ってシャワーを浴びてすぐベッドに入ったが、耳の痛みで目を覚ましたのは九時前だ。子供の頃から里江子は、疲れが極度に重なると外耳炎になった。放っておくと心配なので駅前の耳鼻科に行き、薬を処方してもらって、それを飲み、レンタカー店でプリウスを借りてホテルに戻った。そして、ホテルをチェックアウトして、車で浜名湖に向かっている時に、痛みがふたたびぶり返してきた。しかし、その美術館に着くと痛みは魔法のように消えていた。

 長谷川岳志のアドバイスに従って、私に処分を下すと言っていた坂巻英介を呼びだしたのは、岳志とインド料理を食べた翌週だった。京王プラザホテルのバーで、里江子は単刀直入に、城山さんのことがどうしてそんなに憎いのですか、と訊いた。坂巻は苦笑いのようなものを浮かべ、あの男の息がかかった人間はみんな許せない。とくにきみのような女には虫酸が走るんだ、と言った。里江子は、あなたと城山さんの間になにがあったのですか。わたしは今回のことで処分されたって構わない。ただ本当の理由が知りたいんです。どうか、教えてください、と頭を下げた。しばらくの沈黙のあとで、坂巻が語りはじめたのは驚くべき事実だった。
 坂巻の姉美代子は、高校を出るとすぐアメリカに留学し、コロンビア大学で現代美術史を学び卒業後はニューヨーク近代美術館のスタッフに採用された。その後彼女は研究を続け、ジョエル・ミュラーの研究者として名の知れた存在となり、またミュラー作品のコレクターとしても聞こえていた。
 城山がアメリカ出張でニューヨークを訪ねた時に美代子は現地ガイドを務めたことがあったが、その後、彼女が三十歳の時に帰国し、買い集めたミュラーの作品を展示する美術館を開きたいと叔父の坂巻社長に相談し、それだったら、と社長室長の城山を紹介されたことで二人は運命の再会を果たした。それがその後の十数年の不倫関係の始まりだった。
 坂巻英介は、二人の関係は社長も知っていたし、むしろ社長は自分の姪が城山とそういう関係になったことを喜んでいたと思う、と言った。なにせ、社長は社業のすべてを城山に頼りきっていて、城山抜きの経営など考えることもできなかったんだから、と。しかも、二人が会うのに都合がいいようにあんな場所に美術館を建ててやったんだ。
 姉は、妊娠したんだ、と坂巻英介は言った。それは、二度目の妊娠で、もう四十を過ぎていた。今度こそ産みたいと城山に懇願したが、城山が俺をとるか、そのお腹の子を取るか、と言ったそうだ。城山には障害を持った娘がいたので、その娘がいる限り離婚はできない、と美代子にはいつも言っていたそうだ。
 姉は泣く泣く堕ろしたんだ。姉の精神状態がおかしくなったのはそれからだ、と坂巻英介は言った。姉が躁鬱を繰り返すようになって、城山は姉を持て余したのか、姉とあまり会わないようになっていった。僕の忠告に耳を貸すこともなく、姉の不調を尻目に海外出張を繰り返すようになった。

 里江子は美術館の中に入り、展示作品を見て回った。一階には、ミュラー作品だけでなく、現代アートの名の知られた作品が年代順に展示されていた。要所、要所に警備員が配置されていて、普通の美術館よりよほど厳重なくらいで、これらの作品が相当高価なコレクションであるばかりでなく、収蔵品のレベルがそれだけ高いことを感じさせた。二階は、ミュラー作品の専用展示室となっている。リーフレットによればジョエル・ミュラーは、もともとはパイロットで、第二次大戦中にオランダの上空で撃墜され九死に一生を得、その事故をきっかけに絵を描きはじめた、とある。また、日本通でもあり、七十年代に二度来日して、長期間滞在しているが、その二度目の滞在時に寝泊まりしたのが、この美術館の建物だったそうで、浜名湖の風物をこよなく愛したという。
 「スキップする無限」というタイトルが付けられた作品を見ているうちに、里江子の頭の中をさまざまな想念が駆け巡っていった。ふと、坂巻美代子はどうして死んでしまったのだろうか。こんなに快活で美しい絵を愛した人がなぜ死ななくてはならなかったのだろうか。自分の生命を断つよりはいっそ城山を奪えばよかったのに。自分が死んでしまうくらいなら、いっそ新しい生命を作って生き延びればよかったのに。女はいつもそうやって生き延びてきたのだから。
 そうじゃないの。
 という声がはっきりと聴こえ、咄嗟に里江子は右の耳を押さえていた。

 私が欲しかったのは子供なんかじゃなかったの。私が欲しかったのはあの人だった。あの人が離れていったのが悲しかった。あの人とともに生きることのかなわない世界は、もう私の生きるべき世界ではなかった。だから、死ぬことにしたの。死ぬことがどんなにつらいことだったとしても、あの人がいない世界で生きるよりはましだったから。愛のない世界で生きることは、死んでしまうことよりもずっとずっと苦しみに満ちているわ。

 耳にあてていた手を離して、「スキップする無限」から里江子は目を離した。自分はどうしてこの場所に来ようとしたのだろうか。坂巻英介からこの美術館の話を聞いてから、いずれ自分がここに来ることを確信していたような気がする。今聞いた坂巻美代子の声が実際の美代子の声ではないことはよく分かっていた。里江子の耳に、城山の言葉や岳志の言葉、そして朝子さんの手紙の言葉が次々と浮かんできた。それらの言葉は、どれもとても大切なことを示してくれているようだった。それは、いわば「死と記憶との関係」ともいうべきものだ。
 人は一人で生まれ一人で死ぬだけでなく未来永劫に渡って孤独であり続ける。そして、この孤独こそが無の正体に違いない。どんなに愛し合ったとしても、最後は死によっていずれ誰も別たれてしまう。だとすれば、愛に貫徹はなく、愛に成就はない。愛などというものはあえなく儚い幻に過ぎないのだ、とそうは思っても、何かが残る。その何かは、結局、それは男と女というものなのかもしれない。人は死すべき存在ではあるが、私たちは私たちの存在のおおもとへどんなに遡行していったとしても、私たちはそこに行き着くことはできない。なぜなら、私たちの存在の始原には、一人の女と一人の男が並び立っているからだ。
 愛がすべてだと岳志は言った。
 どんなに愛し合った相手ともやがて別れてしまう。しかし、別れるからこそ二人の愛は輝くのだと。二人の死が二人の愛を永遠の記憶にするのだと。そして、私たちの愛はその後に続く無限の人々の記憶となり、愛を支え続けていくのだと。それこそが私たちがこの世界に生まれた唯一の根拠なんだと。
 彼は言っていた。私たちは、私たち自身が愛の物語であり、永遠の記憶なのだと。
 彼と最後に食事した晩、里江子は言った。誰かの不幸を前提にした幸福なんてこの世に存在できるはずがない。人を傷つけてまで幸せになる権利なんて誰にだって、絶対に、絶対に、ないわ。
 その時、しばらく考えたあとで、岳志は、田宮里江子さん、と名前を呼んで、こう言ったのだ。
 僕たちの人生は誰かを不幸にしないためにあるわけじゃないよ。愛する人を幸せにするためにあるのだし、そして、何よりも自分自身が幸福になるためにあるんだ。

 全部の作品を見終わり、階下に降りる上りとは別の階段を降りて行く途中に、踊り場に掲げられた小さな葉書二枚ほどの作品に目が止まった。作品の右下の隅に1943.4という日付が記されていた。
 それは木の板に描かれたもので、白い下地が塗られていて、その中心にわずかに青を溶かした同じ白で滝のようなものが描かれ、その滝の周囲に髭のような細い線が無数に描き込まれていた。
 里江子は、顔を寄せて限りないその線を発見した時、そこで足が止まっていた。
 ジョエル・ミュラーが撃墜されたのは1943年2月とあるから、その作品が描かれたのは彼が病床で絵筆をとったごくごく初期の作品であった。金色の額の下にプレートが貼られていた。その文字を読んだ瞬間に背筋に電流のようなものが流れた。
 「わが心にも千億の翼を」

 十二月一日の午後にサンフランシスコ空港に降りたち、それからサンノゼ到着後、用意されていたアパートにそのまま直行し、届いていた荷物を片づけているうちに、ソファでうたた寝し、風邪を引いた。
 昼夜の寒暖差には極力注意するようにと坂巻からも言われていたが、まさか日中は初夏を思わせる陽気なのに、夜になるとめっきり冷え込んだ。
 朝起きて熱を測ると三十九度もあり、雨宮所長の奥さんが車で病院まで連れて行ってくれて、そのあと、結局到着してから日曜日までの四日間、雨宮所長のお宅で療養するはめになった。
 ベッドで熱にうなされながら里江子が考えることは岳志のことばかりだった。あの人を一人にして本当によかったのだろうか。今度こそ自分が迎えに行くべきではないのか。そんな思いばかりが浮かんでは消えた。「わが心にも千億の翼を」一目見た瞬間、助けなくちゃ、と心の中で叫んでいた。
 雨宮夫妻の暖かい看護のおかげで、日曜日にはすっかり回復していた。月曜日から仕事始めとなり、思った以上に自分の英語が錆び付いているのに愕然とし、アパートに帰ってくると、テレビをつけ放しにして、ヒヤリングの勘を戻すのに精力を注いだ。
 体調も戻り、仕事に追われはじめても長谷川岳志のことが頭から離れなかった。彼が出てくる夢を見た。彼がインターンの頃に、出会った病院の掃除のおばさんからもらったという形見を岳志が見せてくれる。彼女は若い時に夫を亡くし、たった一人の中学生の息子も交通事故で亡くし天涯孤独の身だったんだが、優しい女性で、その人が亡くなる前に僕のところへ来てくれたんだよ、明け方にね。そのあと僕は病院に駆けつけたんだけど、容体が急変して亡くなってしまった。これ、若い頃に旦那さんに買ってもらったらしい。こうやってずっと大切に使ってきたんだよ。だから今でもこんなに綺麗なんだ。そう言いながら岳志が見せてくれたその形見は、背中に生えている真っ黒な大きな翼だった。
 同じ夢を三日連続で見た。クリスマスイブが近づき街にはクリスマスソングがあふれていた。里江子は、聖子に電話しようと思い立ち、携帯を握ったのは十二月十七日のことだった。はい、長谷川です、と聖子の声。里江子だと知ると、しばらくの沈黙のあとで、どうしたの、と乾いた声が戻ってきた。里江子は、今月の始めにアメリカに転勤となったことを伝え、そのあとで、岳志さんは元気にしてる、変わりない、と訊いた。受話器の向こうから怒りの波長のようなものが伝わってきた。里江子がさらに、病気とかしてない、と訊くと、元気よ、だけどあなたにそんなこと関係ないでしょう、と言い、それから、悪いけど、もう二度と電話してこないで、そう言うと、いきなり電話を切った。

 聖子の応対に、里江子はなにかひっかかるところがあった。岳志について尋ねた時に聖子が息を止めた理由はなんだったのだろうか、それが気になった。もしかしたら、二人はもう別れてしまったのだろうか。
 いずれにしても、岳志の安否を探るなら岳志本人に連絡をとるしかない。里江子は夢の中味を反芻する。夢の中の岳志に翼が生えていたのは私の中の深い意識が、彼を救いたいと願っているからかもしれない。あの「わが心に千億の翼を」に出会って以来里江子は、彼を救ってあげなくては、と強く思うようになった。
 一方で、岳志は運の強い人間だから、それほど心配することはないのかも、と言う気持もあった。あの心中未遂でも彼は奇跡の生還を果たしたのだから。そう思うとすぐにそれを打ち消すような不安が頭をもたげてくる。
 あなたは彼を見捨ててしまったのよ。もう一人の自分が耳元でそう囁いた。
 里江子は、あらためて深呼吸してから携帯を取り上げ、登録してある大学病院の医局の番号に電話を掛けた。そこで、長谷川岳志が意識不明の重体で入院していることを知らされた。それを聞いて里江子は急いで、飛行機に飛び乗り、十二月十八日に成田に着き、そのまま本郷にある大学病院へ駆けつけた。
 岳志が、自殺を図ったのは、十二月十四日の午後十一時過ぎで、自宅の寝室で塩化カリウムを静脈に注射したのだった。聖子の通報で大学病院に運ばれ、すでに心肺停止だったが、岳志の同僚たちの懸命な救命治療が施されて、なんとか一命はとりとめた。
 内科病棟の看護師に岳志のことを問い合わせていると、たまたまそこを通りかかったのが岳志の後輩にあたる田宮医師だった。里江子と顔を合わせるなり、先輩から田宮さんのことは聞いていました。たしか、先輩の初恋の人ですよね、と里江子と同姓のその医師は言った。病室に入る前に、彼から運び込まれた時の経緯などを聞いた。奥さんの発見があと少しでも遅かったら確実に駄目だったと思う、と彼は言い、意識が戻るうんぬんよりも、このまま生き続けられるかどうかも予断を許さない状態だ、とも言った。
 それから田宮医師とともに病室に入った。ベッドに横たわる岳志には、予想に反して呼吸器も、点滴の管もなにもついていない。なんだか眠っているようですね、と里江子が言うと、田村医師は、ええ、と言い、じゃあ、私は病棟に戻ります、と出て行った。 
 里江子は、しばらく彼の寝顔を見つめていた。そういえば、以前にもこの寝顔を見たことがあった。横須賀駅前のビジネスホテルで一緒に仮眠を取り、昼前に彼を起こして、駅まで彼を見送りに行った。彼を乗せた東京行きの電車が走り去ったあと、里江子は駅のベンチに座ったまま三十分以上も泣き続け、もう二度と彼に会うまいと心に誓ったのだった。
 里江子は、病院のそばのビジネスホテルに泊まり、十九日も、二十日もほとんど病室で過ごした。二十一日に昼食を済ませて病室に戻ると、聖子がいた。あら、アメリカじゃなかったの、と顔色も変えず彼女は言った。それから、聖子は、あなたが彼を追い詰めた。あなたが殺したのよ。一体どうやって責任をとってくれるの。ひとの家庭をめちゃくちゃにして楽しい?
 里江子は、自分はなにもしていない。彼と付き合っこともなければ、彼を愛してるなんて言ったこともないし、ほんの少しでもそうだと覚られるような素振りさえ一度だってみせたこともない。そのくらいあなただって充分に分かっているでしょう、と言った。
 聖子は、しばらく黙って里江子の顔を見ていたが、それもそうね、とぽつりと言った。そして、この人ずっとあなたのことが好きだったのね。でもまさかこんなことをするほど好きだとは思わなかった。そう言ったあと、岳志との最後のやり取りを聖子は話し始めた。
 岳志は、その晩寝室で腕に注射針を刺して、聖子を待っていて、聖子が入って来ると、最後のお願いだ、別れてくれ。別れてくれなかったなら、僕はこの塩化カリウムが入った注射を刺して死ぬ、と言った。聖子が取りあわないで、あなたは頭がどうかしてるわ、と言うと、本当に岳志はためらわず注射器を押したのだ。
 きみのことはちっとも恨んでなんかいない。僕は自分に絶望したんだ。そう岳志は最後に言った、という。
 本当にどうかしてる。私やリエをこんな目に合わせて、と震えた声でそう言うと聖子は嗚咽しはじめた。どうして最初の時に、あなたは言ってくれなかったの。あなたがあの時言ってくれてたら、こんなことにはならなかった。私はあなたのやったことが許せない。この人のやったことも許さない。
 泣き叫びながら訴える親友に対して私にはなにひとつかける言葉はなかった。
 でも、心の中で里江子は、あなたが彼を自由にしてあげるべきだった。あなたが彼を私のもとに返してくれるべきだった。あなたこそが彼を、そして私を許すべきだった、そう言い続けていた。
 
 長谷川岳志が死んだのはそれから三日後、十二月二十四日、クリスマスイブの昼頃だった。里江子が彼にプロポーズされた日からちょうど十三年が経っていた。明け方、田宮医師から容体が急変したという知らせを受けて、病院に駆けつけたが、聖子や子供たちも来ていて、里江子は病室の外でその時を待った。
 やがて、聖子たちのすすり泣く声が聞こえ、里江子は病院をあとにした。どこをどう歩いたか覚えていなかった。気づいたら、大きな池の前に立っていた。どうやら不忍池の池のようだ。水の上には数えきれないほどの水鳥が浮かんでいる。風もなく光も澄みきった、空気だけがぎゅっと締まるような冷えたこの日に、岳志はあの遠い空の彼方に飛び去って行った。
 山口の海を丸一日漂流した岳志を救ったのはカツオドリの大群だった。「東大生、奇跡の生還」という記事には、「鳥に救われた青年」という見出しも添えられていた。岳志が姉と身を投げた周防灘は潮流が速く複雑で、海上保安庁の捜索隊は岳志が流された方向とは反対を捜索していた。岳志を救助したのは、遭難事故のことなどなにも知らないイカ釣り漁船だった。漁を終えて港に向かっていた漁船は沖合いに夥しい数のカツオドリが群れているのを見た。魚群探知機をみる限り海面下に大きな魚の群れはなかった。船倉いっぱいにイカを抱えた彼らはもう漁をする気はなかったが、魚もいない海であれほどのカツオドリが集まっているのはなぜなのか。その理由がどうしても知りたくて船を向けた。近づいてみると、大声で鳴きちらす鳥の大群の真下に必死の思いで浮いている青年がいた。
 記事には、救出された青年のコメンテーターが紹介されていた。
 夜の寒さで何度も意識を失いそうになりました。夜明けの頃、すると太陽の向こうから無数の鳥たちがやってきて僕を励まし続けてくれたんです。溺死せずにすんだのはみんな鳥たちのおかげです。
 あのミュラーの小さな絵を見た時、里江子はこの二十歳の岳志の言葉を思い出した。彼は、一昼夜生死の境界を往復しながら、なにを思っていたのだろう。今にも溺れそうな自分とそれを尻目に大空を自由に飛び交うカツオドリたち。里江子は、彼はきっとどうしようもなく悔しかったに違いない。その悔しさが彼を生き延びさせたのだと思った。そして、あの絵の前で、里江子は、あの人のことを本当に理解してあげられるのはこの私しかいない、そう確信したのだ。無数の鳥たちが二十歳の岳志を救ったように、私もまた「千億の翼」となって彼を今こそ救わなければならないのだと。
 しかし、里江子は彼を見殺しにしてしまった。彼は、あの時、きみと僕とだったら別れる別れないの喧嘩には絶対にならない。一目見た瞬間にそう感じたんだ、とそう言った。その一言の重みを里江子も充分に分かっていた。それは、きみだけは何があっても僕は赦そう、ということだ。彼が里江子に求めていたものは恋や愛というよりも、ただ一生をともにしたい、ということだった。共に生き、共に死にたかっただけなのだ。
 そんな簡単なことを私はどうして受け入れてあげなかったのだろう。彼の生き方を軽くあしらい、ないがしろにし、彼を「自分に絶望した」とまで追い詰めて、なぜ彼を身殺しにしてしまったのだろう。
 私は、私を最も深く理解してくれる人を失くしたのではなかった。
 私は、この世界で最も深く愛してくれた人を失くしたのだ。
 これこそが、私自身の消滅、生きながらの死ではないのか。私の孤独は、私ではなく、愛する人を殺した。私の孤独は、そうやってまさしく、この私自身をたったいま殺したのだ。
 ズドーンと鉄砲でも撃ったような大きな音が立ち、水鳥が凄まじい羽音を立てて一斉に飛び上がる。たくさんの雫が鳥たちの翼下で明るい光線を反射してきらきら光っている。
 里江子は、飛び去っていく鳥たちを目で追いかけていたが、やがて一羽も見えなくなると、今度は音の所在を見極めようとあたりを見回した。だが、それが一体何の音で、どこから聞こえてきたのか、皆目見当もつかないのだった。

    ―了―

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