作品について
上記標題の他に『人間失格』『二十世紀旗手』『桜桃』『姥捨』『燈籠』『きりぎりす』『思い出』が収められている。 この作品は亡くなる前年の昭和22年1月脱稿、3月に発表されている。同居していた弟子の小山清に口述筆記させたものである。 『ヴィヨンの妻』はモデル小説で、モデルは詩人の矢野目源一。矢野目はフランソワ・ヴィヨンという15世紀フランスの詩人の翻訳本『ヴィヨン詩抄』を出版している。フランソワ・ヴィヨンは人殺しをしたり、窃盗を繰り返した放浪の詩人である。
戦後の一時期、戦前に出した詩集『光の処女』『聖馬利亜の騎士』が注目を浴び、知的スターとしてもてはやされた。しかし、その後は艶物や美容・健康物を書く風俗作家となった。 作品は、男の妻の独白形式となっている。「夫」は酒癖が悪く、しかも女癖も悪い。妻はそんな男の借金のために甲斐甲斐しく小料理屋で手働きをする。妻にはどこか諦観や達観の雰囲気が漂う。男にとっては、それが丁度いい具合なのである。全然重たくない。なにも言わず静かに支えてくれる有難い存在。エゴイスティックな男の願望が妻に投影されている。しかし、小説の終わりの方で、夫が自殺願望を吐露するところがあるが、ここには明らかに作者の願望が投影されている。また、二人の間に生まれた坊やは発育が悪く、障害を持っているのかと、妻は心配しているが、ここには太宰の長男正樹の姿が投影されているのである。 最後に妻が「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と言う。戦後の焼け跡の中でとにもかくにも「生きる」という庶民のたくましさ、を妻の言葉を通じて表現している。それは死へと傾斜していく夫への励ましでもあり、作者自身への励ましであったのかもしれない。また、そこに戦時下から戦争直後の生活を必死で支えたくれた妻美知子への感謝の想いもあったであろう。 作品のタイトルにある「ヴィヨン」は、妻が電車のポスターで、夫が『フランソワ・ヴィヨン』という論文を発表しているのを目にした、というところからきている。
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