概要 Ⅱ
第一部 予備的考察および各章について 予備的考察 力とは何か 著者が「力と交換様式」というとき、その力は物理的な力ではなく、観念的、あるいは霊的な力を指す。そして、それは人間と人間の間の「交換」から生じるものである。そして、この力は「交換」の種類によって異なる。 著者がこのことを考えるようになったのは、マルクスが『資本論』で、商品の価値を物神、すなわち霊的な力として見出したことを、考え直してみたときからだ。彼はつぎのように述べた。「机は、やはり木材、ありふれた感覚的なものである。ところがこれが、商品として登場するとたちまち、感覚的でありながら超感覚的な物に転化してしまう。それは、自分の脚で立つばかりでなく、他のあらゆる商品に対しては頭でも立っていて、ひとりで踊りだすときよりもはるかに奇怪な妄想を、その木頭からくりひろげる。したがって商品の神秘性は、その使用価値に由来するものではない。価値規定の内容から生ずるものでもない」(第一巻第一篇第一章、鈴木ほか訳)。 では、それはどこから来るのか。それは「交換」から来る、とマルクスはいう。彼はそれをつぎのような場に見出した。「商品交換は、共同体の終わるところに、すなわち、共同体が他の共同体または他の共同体の成員と接触する点に始まる」(第一巻第一篇第二章、岩波文庫(一))。ここで重要なのは、「商品交換」が共同体の内部ではなく、その外にある共同体との間、つまり、見知らぬ、不気味な他者との接触において始まるということである。そして、そのことがかつてないタイプの「力」を必要とした、といってよい。 たとえば、家族や共同体の内部でも交換がなされる。ただ、マルクスがここで交換と呼ぶのは、見知らぬ他の共同体との間の交換であり、その場合、何か人を強制するような観念が付随する。それにも幾つかのタイプがある。その一つは、商品交換であり、著者はこれを交換様式Cと呼ぶ。さらに贈与とお返しという交換がある。それはマルセル・モースが贈与交換と呼んだもので、著者はこれを交換様式Aと呼ぶ。この場合、顕著なのは、たんに人と人の間の同意や約束ではない、何か強制的な“力”がそこにおいて働くということである。モースはそれを霊の力だと考えた。しかし、彼はそのことで、のちに彼を高く評価した人たちからも批判されたのである。それについては後述する。 ここでいっておきたいのは、マルクスが『資本論』で「商品交換」について考察したとき、すでにそれと似たようなことを考えていた、ということである。すなわち、共同体と共同体の間での交換、つまり、見知らぬ者との交換においては、それを可能にする「力」が不可欠なのだ。マルクスはその力のことを一八世紀の先駆的な人類学者ド・ブロスにもとづいて、フェティシュ(物神)と呼んだのである。
第一章 交換様式Aと力 マルクスは、交換は共同体と共同体の間で始まった、という。そこから、商品物神が生じ、それが貨幣物神に転じた、というわけである。しかし、そこにいたるまでの道は遠い。それを考察するにあたって、マルクスが人類社会史の出発点に置いたのは、原始的な遊動民である。「放浪生活、総じて移動が生存様式の最初の形態であり、部族は一定の居所に定住しているのではなくて、手当たり次第のものを食いつくして(移動して)いる。人間は生まれつき定住性をもっているわけではない」(マルクス「資本主義的生産に先行する諸形態」、『資本論草稿集』巻2、大月書店)。 放浪生活において、人々は必要な物があれば、それを得るために全員で移動した。また、獲得したものを貯蔵できないから、その場で平等に再分配した。また、他の集団と出会った場合、必要なものを交換することがあった。その集団は小さかった。また、基本的に一夫一婦であったが、簡単に離別した。そのような人びとが放浪生活をやめて定住するにいたったのは、それが楽で快適なものであったからではない。 狩猟採集をしていた人々が定住に向かった理由として、つぎのような推測がある。一つは、地球の温暖化によって、狩猟採集の対象が小型化したことである。たとえば、それまでは、アザラシ、バイソン、カリブーといった大型の獲物を狩猟しようとしてきたが、植物、貝類、フルーツ、ナッツ、小型魚類などを採取するようになったのである。それらは定住しても採取可能であった。さらに、定住化の結果として、栽培や飼育が自然発生的にはじまった形跡がある。 そして、定住化とともに、小さな集団が多く結集するようになった。それとともに形成された共同体は、その内部での規律を必要とした。と同時に、他の共同体との交換を必要とした。そこに始まったのが交換様式A(贈与・返礼交換)である。これはたんに人々の合意や協力によってできたのではない。つまり、人々の「意識」によるのではない。もしそうであれば、交換は成り立たなかっただろう。それを成り立たせたのが、各人の意志を越えた「霊」の力である。
第二章 交換様式Bと力 原始社会の段階は、遊動的なバンド、定住によって生まれた氏族社会、さらに、部族社会、首長制社会、さらに国家の成立としてあった。ジャレド・ダイアモンドはそのような発展を、つぎのような四段階にまとめている(『銃・病原菌・鉄』)。 1 バンド(小規模血縁集団) 2 トライブ(部族社会) 3 チーフダム(首長制社会) 4 ステート(国家) このような集団の違いは、人口数の違いから生じていると考えられているが、人口数はその結果であり、むしろ集団がいかなる交換様式にもとづいているかによって生じると考えるべきである。 1から3までの集団は、贈与と返礼の交換様式Aによって成り立っているが、4の国家の出現はそれとは異なる交換様式Bが必要となる。 国家が成立するのは、Aとは異なる交換様式が成立する時、つまり、ある者が絶対的に支配し他の者がすべて自発的に服従するという関係が成立する時、いいかえれば、首長が王となる時である。それが交換様式Bにほかならない。そして、これが成立するためには、先ず、武力、あるいは物理的な力による支配、つまり、軍事的な征服がなければならないが、そのような力によるだけでは、自発的な服従は得られない、つまり、交換様式Bが成立しない。では、いかにしてそれが成立しうるのか。 軍事的征服は、相手を物理的な力によって抑えるが、それだけでは、相手が自発的に服従することにはならない。それを可能にするのは、物理的な力ではなく、交換様式Aに伴う霊的な力をさらに上まわるような霊的な力である。それは交換様式Bによってもたらされる。それのみが、王に首長を越える力を付与する。真に「聖なる王権」(ホカート『王権』)が出現するのは、そのときである。 つまり国家の成立にとって必要なのは、人々の隷従化であり、いわば〝自発的に服従する奴隷″としての臣民(subject)である。服従する者が自発的にそうするのは、それによって得をするからだ。いいかえれば、それは、支配することと自発的に服従すること、あるいは収奪されることと保護されることの「交換」である。そのとき、支配する側にも相手を保護する義務が生じる。そこに、交換様式Aとは異なるが、一種の互酬性(相互性)が存在することに注目すべきである。交換様式Bが確立されるのは、そのときである。 歴史的には、たとえば、メソポタミアでは、部族社会や都市国家の間の戦争の結果として、大量の捕虜が生じたが、彼らは奴隷にはならなかったし、奴隷の意識もなかった。彼らは王の臣民、いわば、“自発的に服従する奴隷”となったのである。また、征服された共同体全体が強制的に移住させられたりしたが、彼らも臣民となった。このような形で交換様式Bが確立され、古代国家が成立してきたのである。 また、農耕が発展したのは、国家の下で農耕に従事する臣民がいた所だけである。その意味で、農業革命(新石器革命)の結果として国家が生まれたのではなく、その逆に、国家の出現が農業革命をもたらしたのだ。つまり、国家が臣民や捕虜を用いて大規模な潅漑を行い、また、交易港を造った。 注意すべきことは、このとき、農耕に従事する者のみならず、それを指揮する者もまた“自発的に服従する奴隷″であったということである。それを典型的に示すのは、この段階に成立した官僚制である。首長制社会では、生産物のプーリングと再分配が首長の指揮の下でなされるが、このシステムが国家の下で変形された。それは王とその臣下である官僚機構によってなされるようになったのである。 官僚制は上意下達のシステムであり、互酬原理が強い社会では成りたたない。人々は独立心が強く、上の命令に服従させられることを嫌うからだ。それを進んで引き受けたのが官僚である。したがって、官僚は隷従的である。しかし、たんなる奴隷ではない。奴隷はもし隙があれば逃亡するだろうが、官僚は積極的に王の命令に従うからだ。その意味で、官僚は“自発的に服従する奴隷”、すなわち臣民である。
こうした国家の支配についてマックス・ヴェーバーは、政治的権力は経済的な次元とは別のところに発すると考え、その国家の支配の「正当性」をつぎの三つに分けた。 第一に、合法的支配 第二に、伝統的支配 第三に、カリスマ的支配 これらは歴史的な順序ではない。実際、この中で、始元的且つ最も重要なのは、カリスマ的支配である。カリスマとは、預言者・呪術師・英雄などに見られる超自然的、または常人を超える資質のことを指す。それは元来、『新約聖書』で、神からの天与の賜物の意味で用いられた言葉だが、ヴェーバーの用法によれば、ユダヤ・キリスト教に限定されるものではない。そして、彼の主張の核心は、国家の起源において、先ずカリスマ的支配がある、ということである。伝統的支配はそのあとに生じた。そして、その正当性は、カリスマ的支配がもたらした「伝続的」な型を踏襲することから来る。さらに、その後に、合法的支配が成立する。それは官僚制において最も純粋な形で存在するものだが、近代的社会において一般化された。しかし、これも元来、法に服従すれば法によって保護される、という「交換」にもとづいているのだから、カリスマ的支配に由来するものである。 すなわちヴェーバーは、国家をもたらす「力」は、経済的土台から相対的に独立した、観念的・政治的な上部構造に属すると言おうとしたのであるが、しかしながら、これらの力は、「経済的土台」、すなわち交換様式Bから来るものだ。つまり、国家あるいはカリスマ的支配は、交換様式Aにかわって交換様式Bが支配的となったことによって生じたのである。つまり、カリスマとは、まさに交換から生じる霊的な力にほかならない。したがって、政治的権力に関しても、広い意味で“経済的土台”から見ることができるし、またそうすべきである。
第三章 交換様式Cと力 交換様式Cとは、商品交換を主とする交換のことで、それは交換様式Bが確立されるのとほぼ同時期に同じく共同体と共同体の間での「交換」から始まったものである。しかし、互いに見知らぬ共同体と共同体の間での交換は容易ではない。そのような他者と交換をおこなうためには、先ず相手との間に「信用」を築かねばならない。信用とは、いわば、両者を拘束するような「力」である。 そもそもどんな交換も、信用なくしてありえない。そして、信用を形成するのは贈与である。その意味で、財物の交換は根本的に、贈与交換によって支えられている。交換様式でいえば、Cの根底にAがある。著者は先に、交換様式Bとしての社会契約は双務的であり、ゆえに交換様式Aの痕跡がそこにあると述べた。同様のことが、交換様式Cについてもいえる。それも交換様式Aによって支えられて成立したのである。 そして、贈与交換から商品交換への移行、すなわちAからCへの移行を典型的に示す事例として、人類学者のブロニスワフ・マリノフスキーが『西太平洋の遠洋航海者』で論じた「クラ交易」やP・H・グリァスンが論じた『沈黙交易』(一九〇三年)がある。 これらの事例が示唆するのは、第一に、交換において、交換する者たちの間の“信用”が根本的だということである。第二に、交換が広がるにつれて、社会が拡大し変容するということである。すなわち、氏族社会から、部族社会、首長制社会、そして国家社会へと発展する。交換様式の観点からいえば、それは、交換様式AからBへの移行であり、そこに不可欠な要素として、交換様式Cが絡んでいるということである。 そして商品交換の発達により貨幣経済が発達した。それが生じたのは、先ず都市国家においてであった。その場合、国家が貨幣を作り出したわけではない。貨幣の力は、共同体や国家を越えて通用する「信用」にある。国家がおこなったのは、それを保証することである。 マルクスの言葉でいえば、貨幣とは、何らかの物に貨幣形態が“付着”することである。その意味で、貨幣の力は、付着した「霊」(フェティシュ)の力である。「貨幣形態は、外来の最も重要な交換品に付着することもある。このばあいは、その物品が、事実上、域内生産物の交換価値の自然発生的な現象形態なのである。それとは別に、貨幣形態は、たとえば家畜のような、域内の譲渡されうる財産の主要素をなす使用対象に付着することもある」(『資本論』第一巻第一篇第二章、鈴木ほか訳)。 とはいえ、貨幣の「力」は国家によって与えられたものではない。国家が寄与するのは、たんにその貨幣が本物であること、たとえばそれが貴金属である場合、その含有量を保証することであった。貨幣に諸物と交換しうる「力」を付与するのは、国家ではなく、そこに付着した“何か”、つまり貨幣物神である。ただ、国家の保証がなければ、それは貨幣として機能しない。その意味で、貨幣経済、そして貨幣の増殖としての資本の活動が成立するのは、国家の下においてである。 たとえば、マルクスは「貨幣物神から資本物神への転化」について、つぎのように述べた。貨幣は物と交換できる力をもつ。そのことが貨幣を蓄積しようとする「絶対的な致富衝動」をもたらす。先ず、この欲動に駆られる振舞いは、「守銭奴」(貨幣畜蔵者)に見いだされる。「貨幣蓄蔵者は、黄金物神のために自分の欲情を犠牲にする。彼は禁欲の福音に忠実なのだ。……勤勉、節約、そして食欲が、彼の主徳をなし、多く売って少なく買うことが、彼の経済学のすべてをなす」(第一巻第一篇第三章、鈴木ほか訳)。さらに、この致富衝動から、たんに貨幣を貯め込むだけでなく、売買を通してそれを蓄積しようとする「資本家」がうまれる。守銭奴は“気の狂った資本家”であり、資本家は“合理的な守銭奴”である。 しかし、このような「絶対的な致富衝動」、あるいは営利的な精神は古代から存在するとしても、一般的なものではなかったし、肯定的に見られたわけでもない。それが肯定的に見られるようになったのは、近世ヨーロッパにおける商人資本主義の段階である。古代の領域国家では、「致富衝動」が存在したとしても、それが守銭奴や資本家を広汎に生みだすことはなかった。交易を通して貨幣を増殖しようとする欲動は、国家によってもたらされたというべきである。 さらに、交換様式Cの発展に伴って、交換様式Bも変化していった。古代アジア、たとえばメソポタミアや中国では、多数の首長制社会を競合するような都市=国家が生まれた。つまり、都市の形成は国家の形成と切り離せない。都市は、交易の場であるとともに、それを外敵、海賊や山賊から守るべき城砦都市、すなわち武装した国家でもあった。都市国家は、いわば交換様式BとCの結合によって成立したのである。さらに、多数の都市国家の抗争を通して領域国家が形成された。さらに、それらの抗争を経て、「帝国」が形成されたといえる。 この帝国の形成に伴って世界宗教が生まれた。その典型例がエジプトのアトン教だとフロイトは述べている。つまり、エジプトが世界帝国となったことが唯一神への信仰をもたらしたと、フロイトはいう。 「この若い王〔イクナートン〕はアトン数を国教にまで高め、この若い主によって普遍的な神は唯一神とされる。その他の神々に関して語られるいっさいは、錯誤であり虚妄である。……これは人類史上における最初にして、おそらくは最も純粋な一神教の例である」(「モーセという男と一神教」フロイト全集)。だが、イクナートンの死後、それは祭司たちによって葬り去られた。その後に、アトン神信仰を復興させた王家の者がモーセである、とフロイトはいう。 イクナートンの一神教が示すのは、それが世界帝国を目指す宗教だということである。それが、ハムラビ王の「社会正義」のための統治とつながっている。そのような宗教を著者は「世界宗教」と呼んでいる。一方、モーセ(に限らないが)の一神教は、それと似て非なるものである。著者はそれを「普遍宗教」と呼ぶ。 この両者は、類似しているため、しばしば混同される。それらの違いは、厳密には、交換様式の観点からしか説明できない。一口で言うと、世界宗教が交換様式BとCの圧倒的優越によってもたらされるのに対して、普遍宗教はそれらに対抗するものとして、交換様式Dによってもたらされる。そして、Dとは、BとCによって封じ込められたAの“高次元での回復”にほかならない。
第四章 交換様式Dと力 ここまでに著者は、交換様式Aから、B、そしてCへの発展を論じてきた。ここで扱うのが、Dである。社会構成体は、A、B、Cの交換様式の結合体としてあり、どれがドミナントであるかによって、歴史的段階が区別される。そして、Dは、Cが支配的となる資本主義社会のあとで出現するような社会の原理だといってよい。しかし、それはたんに生産力が進んだ段階で出現するというようなものではない。Dはいわば、BとCが発展を遂げた後、その上で無力化したAが“高次元”で回帰したものだ。注目すべきなのは、それがすでに古代において出現したということである。 それについて述べる前に、世界史において、AからB、そしてCへの発展の過程で、そのような発展に対抗しようとする動きがつねにあったことを指摘しておきたい。ピテル・クラストルは『国家に抗する社会』において、人々が定住し国家を形成するようになったあとも、氏族社会にあった、生産物の共有という平等主義と、個人の自由独立性という観念がさまざまなかたちで残った、という。 交換様式の観点からいえば、それは、氏族社会にあった交換様式Aの名残、あるいはその回帰があったということである。 その一例として、アジール(asylum)と呼ばれる聖域を取り上げよう。そこに入ると、人々はそれまでの社会的制約や拘束から解放された。たとえば、奴隷・債務者・犯罪者などが制裁を免れた。アジールは、どんな国家社会でも局所的に存在してきたといえる。オルトヴイン・ヘンスラーは、アジールは元来、呪術的な起源をもつもので、倫理的な意味をもっていなかったという(『アジール - その歴史と諸形態』舟木徹男訳、国書刊行会、二〇一〇年)。 では、なぜそれが倫理的な意義をもつにいたったのか。著者の考えでは、それが呪術的な性格をもっていたからというより、交換様式Aを回復するものであったからだ。概して、国家成立後に残存する呪術性は、Bを支援するものとして働く。しかし、そこには同時に、Bを拒み、Aにあった互酬性をとりもどす衝迫が残っていたのである。その点から見ると、アジールは、氏族社会が国家社会に転じたのちに、抑圧された交換様式Aが局所的に回帰したものだといってよい。
著者は、世界宗教と普遍宗教を区別している。世界宗教とは、エジプトのイクナートンや、オリエントのハムラビ王がもたらしたような、帝国を支える一神教である。多数の地域社会を統合した帝国では、統治のために、新たな世界神が不可欠であった。つまり、このような神は、交換様式でいえば、Bの極大化によって生じたものである。 一方、普遍宗教とは、帝国の中心ではなく周辺部にあらわれたものであり、帝国に対抗するものであった。交換様式の観点からいえば、それは“Aの高次元での回帰”を通して、BやCを超克しようとするものである。すなわち、Dの出現である。このような宗教的集団は当初、少数であり、また無力であった。その後、世界帝国によって受け入れられるようになると、変容した。つまり、世界宗教と類似するようになったのだ。そのため、世界宗教と普遍宗教は混同されてしまう。ゆえに、この混同を避けるためにも、交換様式の観点が不可欠である。 普遍宗教はたんにトーテミズムあるいは部族宗教が線的に発展したものなのではない。普遍宗教が出現するには、複数の異なる契機が必要なのだ。そして、それらの契機は互いに矛盾するので、普遍もまた、たえず矛盾にさらされる。また、それはいつのまにか、共同体の宗教(偶像崇拝)、民族の宗教、帝国の宗教に戻ってしまう。 歴史にはそのような事例が多く見出される。旧約聖書(ヘブライ語聖書)にも、そうした出来事が無数に描かれている。それに対して異議を唱えたのが、預言者たちである。彼らが唱えたのは、要約すれば、荒野に帰れ、ということである。それは、原遊動性の回帰にほかならない。そして、それが交換様式Dの到来であるといってよい。 しかし、原遊動性への回帰を志向したのは、イスラエルの預言者たちだけではない。また、それは宗教的な人物に限らない。Dは、いわゆる「宗教」とは異なる次元にあり、したがって見たところ非宗教的な場合も少くない。 例えば著者が本書でとりあげているのは、ゾロアスター教の始祖ゾロアスター、ユダヤ教の始祖モーセ、さらにキリスト教の始祖イエスなどの他、ソクラテス、中国の諸士百家、ブッダなども含まれている。 古代に各地で起こった普遍宗教的運動は、外見はさまざまであるが、次の点で共通している。それは、交換様式BとCに抗して、Aを“高次元”で回復するDの強迫的な到来である。それはBやCによっておさえこまれたり、自ら堕落したりしたが、完全に消えてしまうことはなかった。 Dの出現は、一度だけでなく、幾度もくりかえされる。それは多くの場合、普遍宗教の始祖に帰れというかたちをとる。たとえば、千年王国やさまざまな異端の連動がそうである。しかし、産業資本主義が発展した社会段階では、Dがもたらす運動は外見上宗教性を失った。社会主義の運動も、プルードンやマルクス以後「科学的社会主義」とみなされるようになった。が、それも根本的に交換様式Dをめざすものであり、その意味で普遍宗教の性格を保持しているのである。とはいえDは、それとして意識的に取り出せるものではない。「神の国」がそうであるように、「ここにある、あそこにある」といえるようなものではない。また、それは人間の意識的な企画によって実現されるものでもない。それは、いわば“向こうから来る”ものだ。
第二部 世界史の構造 (省略)
第三部 資本主義の科学 交換様式Cは、商業資本の広がりから進んでやがて産業資本の発達をもたらす。また他方でこうした交換様式Cの拡大に伴って、王権が都市のブルジョアと結託して封建領主を抑え込む絶対王政が成立した。この絶対王政を倒したのが市民革命であった。 しかし、この革命の主体ブルジョア(市民)とは、中世都市における市民とは違って、いわば、王の臣下subjectとして養成された者たちである。いいかえれば、それが、絶対王政の下で形成された国民(ネーション)である。彼らが絶対王政を倒したとき、国民国家が成立したのである。それはまた、資本主義市場経済の本格的な出現でもあった。 他方で資本主義市場経済の発達によって劣悪な労働環境や重労働・貧困に苦しむ多くの都市労働者が生み出され、それに対抗するものとして社会主義運動が十九世紀半ばから大きなうねりとなった。そして、一八四八年にはパリ二月革命をはじめとしてヨーロッパ各地に革命が起こった。しかし、革命は失敗に終わった。 とはいえ、革命の失敗は社会主義の敗北であると同時に、ある意味で、その実現でもあった。それ以後、イギリスでもドイツでも、国家が社会主義的政策を取り入れたのである。イギリスのフェビアン社会主義やドイツの社会民主主義(ラッサール主義)がそれを示している。別の観点から見れば、一八四八年革命以後、ヨーロッパ各地で、資本=ネーション=国家が生じたといってよい。以後、それが世界中に広がり浸透していった。 この時点で、マルクスは新たな認識を得た。というより、新たな「幽霊」を見出したのだ。すなわち、“共産主義という幽霊”にかわって、“資本主義という幽霊”を。別の言葉でいえば、物神(フェティシュ)としての資本を。そして、四八年革命の後、彼が専念したのは、そのような霊がいかにして生じたのかを突きとめることであった。 マルクスは四八年の革命のあと、イギリスに亡命するとともに経済学研究に転じた。そして、その研究がやがて『資本論』へと結実するのである。その『資本論』序文の冒頭で、彼は次のように述べている。「資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大な商品の集積」としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態としてあらわれる」と述べ、さらに第一巻第一章において「貨幣物神の謎は、商品物神の、目に見えるようになった、眩惑的な謎にすぎない」(第一巻第一篇第二章、鈴木ほか訳)とも述べている。つまり、マルクスはここで、商品の価値を、「商品の内在的精霊」=「物神」、すなわち交換において生じる観念的な「力」として見出し、このような物神(霊)が、商品と商品の交換、さらに商品と貨幣の交換を通して、やがて資本を出現させるということを明らかにしたのである。このように商品・貨幣・資本を交換様式からとらえる見方は、初期マルクスにないだけでなく、その後の史的唯物論にもなかった。この『資本論』の地平こそ、後期マルクスが切り開いた独自の到達点であったといえる。 そして、『資本論』において、マルクスが注目したのは、生産ではなく、「効用と交換」から来る問題であった。すなわち、使用価値と交換価値である。ただ、そのとき、彼は、後者において生じる「力」、つまり、物神を見ようとした。しかし、エンゲルスをふくめて、マルクス主義者はそのことに気づかなかったのである。たとえば、彼らは、マルクスが資本による剰余価値の搾取を発見したと考えた。しかし、それはすでにリカード左派が唱えていたことである。『資本論』におけるマルクスの創見は、そこにはない。それは何よりも、交換から生じる“力”を見出したことにある。経済学を真に「科学」にするのは、そのような認織である。 ここであらためて述べると、マルクスが『資本論』で見ようとしたのは、先ず商品の“物神″化が共同体と共同体の間での物品の交換に始まるということである。そこに貨幣物神が生じ、さらに貨幣を増やし蓄えようとする欲動が生じた。それが資本物神であり、それが人を駆り立てて、自己増殖を果たす。その場合、資本の増殖を可能にするのは、異なる価値体系の間での交換(差異)である。 商人資本の場合、物をその価格が安い所で買って、それを高い所で売る(交換する)ことでその差額を利潤とする。産業資本の場合も差異を利潤に転じて増殖させるという点では商人資本と同じであるが、産業資本の場合は、差異は空間的というよりも時間的に存在する。つまり、その利潤が、主として資本家と労働者の間での交換、すなわち貨幣と労働力商品の交換から得られるのであり、そしてこの交換によって剰余価値を生み出すには資本は、技術革新や共働化を通して労働生産性を上げ、労働力の価値を実質的に下げなければならないのである。このように、商人資本では、利潤となる差異が空間的に見出されるのに対して、産業資本では、差異は時間的に創り出されるといってよい。 その意味で、資本は根本的に商人資本的である。とはいえ、資本制経済を飛躍的に発展させたのは、差異を空間的に“発見”するというより、時間的に“創出”する産業資本であった。そして、そのことが「産業革命」をもたらし、その結果として資本主義市場経済が誕生したのである。さらに言えば「産業革命」は石炭を用いた蒸気機関に代表される第一次産業革命、電気および石油にもとづく第二次産業革命、さらにコンピュータにもとづく第三次産業革命を通じて現代に至るまで資本主義市場経済のとどまるところを知らない肥大化と爛熟をもたらしている。 こうした現代の資本主義市場経済における問題は、『資本論』には見いだせないような現代的な問題である、と考える向きもあるが、けっしてそうではない。『資本論』は、資本が存続するために、たえまなく差異exploitot(開発=搾取)をするほかないことを理論的に示したのである。そして、そのことは、資本制経済を「生産様式」からだけではなく、「交換様式」から見ることによってのみ可能となったのである。 ところで、マルクスが「物神」と呼ぶものを最初に想定したのは、プルードンである。彼は反宗教的であったが、『経済的諸矛盾の体系-貧困の哲学』(一八四六年)で、資本主義経済の根底に「神」が存在するという「仮説」を立てた。つまり、彼は、資本制経済の中に「神」が存在すると想定し、そして、それを打倒すべき「敵」と見なしたのである。彼にとっては、それを倒すことが革命であった。また、彼はそのような「神」を見ない、フォイエルバッハの「人間主義」を批判した。 このとき、ブルードンは「物神」に気づいていたといえる。だが、彼にとってそれは「仮説」にとどまるものであり、それ以上には進まなかった。一方、この「神」を人間と人間の間の「交換」から生じる力として解明したのが、『資本論』のマルクスである。では、彼は、交換から生じる観念的な力という考えをどこから得たのか。プルードンからではなく、ヘーゲルからでもない。また、スミスのような経済学者からでもない。『資本論』にいたる「経済学批判」を考えたとき、マルクスの念頭にあったのは、『リヴァイサン』を書いたホッブズである。 ホッブズは、一六四〇-六〇年にイギリスに起こった市民革命(ブルジョア革命)の中で、国家権力の秘密を、その“怪獣”性に見出した。彼が洞察したのは、その“力”が、支配する者と服従する者との間の交換(契約)から来るということである。彼の考えでは、自然状態では、すべての人間は自由で平等な自然権をもつ、だが、それが「万人の万人による闘争状態」を招いてしまう。そこで、各人が自然権を一人の者に譲渡することによって、平和状態が創り出される。そして、その者が主権者となる。ホッブズはその者を、旧約聖書の「ヨブ記」などに出てくる海の怪獣の名にちなんで、リヴァイアサンと名づけた。それは神のように見えるが、いずれ死すべきものでしかない。 あらためていうが、ホッブズは近代的国家体制を望ましい形態として見たのではない。逆に恐るべきもの、すなわち、怪獣として見たのである。ゆえに、ホッブズは、国家すなわち怪獣を上まわる「神の力」に、くりかえし言及した。すなわち、最期には、神がリヴァイアサンを含むすべての権力を倒すと示唆したのである。 しかし、そのことはむしろ、国家の怪獣性の、人間の及びえない強さを示唆するものである。 マルクスが、ホッブズが国家に見出した「怪獣」をヒントにして、資本物神を見出したことはすでに述べた。だが、問題は、マルクス自身が国家についてどう考えたのかということにある。むろん、彼にとって国家は、資本と同様に揚棄されるべきものであった。しかし、それは資本と同様、単なる幻想ではなく、交換から生じる「怪獣」である。つまり、簡単に消せるようなものではない。ところが、彼は『資本論』第一巻を書き終えた時点で、史的唯物論の観点に戻り、国家をたんに支配階級の装置、あるいは政治的上部構造として見なすにいたったのである。 そうなると、国家の揚棄はたやすいことのように見える。たとえば、エンゲルスは『ユートビアから科学へ』において、社会主義革命、すなわち、資本主義社会から共産主義への移行は、一挙におこなわれるのではなく、二段階においておこなわれる、と。 それをまとめたエンゲルスの言葉でいえば、つぎのようになる。「プロレタリアートが国家権力を掌握すると、それがまず生産手段を国有にする」。それが「低い段階」、すなわち「社会主義」の段階である。「そして、こうすることは、プロレタリアートがプロレタリアートを止揚し、一切の階級差別と階級対立を止揚し、そしてまた国家としての国家も止揚することである」(『空想から科学へ』大内兵衛訳、岩波文庫)。それが「高い段階」、すなわち「共産主義」の段階である。 先ず社会主義の段階では国家が存在するが、共産主義の段階ではそれは消える。この場合、エンゲルスによれば、「国家は「廃止」されるのではない、死滅するのである」(同前)。なぜなら、それがもはや存在する必要がないからだ。「社会的生産の無政府状態が消滅するにつれて国家の政治権力も衰える。人間はついに人間に特有の社会的組織の主人となったわけであって、これにより、また自然の主人となり、自分自身の主人となる。要するに自由となる」(同前)。共産主義は、「低い段階」において、「旧社会の母斑をまだ帯びている」。それは「高い段階」に到達して、初めて「旧社会」と完全に決別した社会の内容を獲得する。かくして、エンゲルスはつぎのようにいう。
共産主義社会のより高度な段階ですなわち諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神労働と肉体労働との対立がなくなったのち、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生活欲求となったのち、諸個人の全面的な発達にともなって、また彼らの生産力も増大し、共同的富のあらゆる泉がいっそう豊かに湧き出るようになったのち―そのときはじめてブルジョア的権力の視界を完全に踏みこえることができる―各人はその能力におうじて、各人にはその必要におうじて!(同前)
これは、エンゲルスによれば、マルクスが確立した「科学的社会主義」の見方である。しかし、問題は、これが国家の揚棄に帰結するとはいえない、ということである。確かに、国家(権力)によって、生産関係を変える、すなわち、階級社会を消すことはできるだろう。しかし、その時、国家は残る。つまり、権力をもつ支配者が残る。したがって、階級が消えれば国家が消える、あるいは、生産関係が変われば国家が消える、ということはできない。 このような見方は、国家を甘く見るものだ。そもそも、国家はたんに支配階級が用いる“装置”なのではない。それは交換様式Bにもとづく「力」である。すなわち、それは、交換様式Cから生じる力(物神)とは異なるが、やはり観念的な力として残り続ける。というより、むしろ強大になる。先に述べたように、そのことを見抜いていたのが、一七世紀イギリスの市民革命を体験したホッブズであった。 ところで、マルクスは『資本論』第一巻の序文において、「ヘーゲルの弟子」であると名乗った。しかし、実際には、『資本論』に存するマルクスの理論的核心に、ホップズの『リヴァイアサン』がある。マルクスは『資本論』において、ほとんど言及しなかったが、ホッブズ理論の核心を受け継いだ。つまり、彼は“ヘーゲルの弟子”というより、“ホッブズの弟子”であったというべきだろう。 実は、同様のことが、カントに関してもいえる。マルクスは、肯定的であれ否定的であれ、絶えずヘーゲルと取り組んできたが、カントについてはほとんど言及しなかった。しかし、ある意味で、マルクスは“カントの弟子”であったということができる。 たとえば、マルクスは一八四〇年代半ばには、社会主義革命は「世界同時革命」でなければならない、と明言していた。「共産主義は、経験的には、主要な諸民族が“一挙に”、かつ同時に遂行することによってのみ可能なのであり、そして、そのことは生産力の普遍的発展とそれに結びついた世界交通を前提としている」(『新版 ドイツ・イデオロギー』「フォイエルバッハ」花崎皐平訳)。 実際、このような観点から、マルクスは一八四七年に「共産主義者同盟」、六四年に「インターナショナル」を結成しようとした。つまり、彼は革命を一国だけでは考えなかった。それは、何よりも、国家が単独に存在するのではなく、他の国家に対して存在するという認識にもとづいていた。私の見るところ、このような考えに関して、先行する重要な著作がある。カントの『永遠平和のために』(一七九五年)である。これは、フランス革命(一七八九年)の後、周辺の諸国による干渉とそれに対する革命防衛戦争がおこることを予期して書かれた論考である。 カントの『永遠平和のために』が、何を念頭においていたのか。彼は当時、ナポレオンによる世界戦争が目前に迫っていることを予感していたのだ。彼の考えでは、それまであった「平和条約」は、いわば休戦条約であって、戦争を廃止するようなものではない。条約はいつも破られるし、むしろ条約が戦争の原因になってしまう。そこで彼は、「平和条約」にかわって、「平和連合」を提起した。前者は「たんに一つの戦争の終結をめざす」もの、後者は「すべての戦争が永遠に終結するのをめざす」ものである。永遠平和は「連合」によってのみ可能となる、と。 カントの考えでは、諸国家の連合(アソシエーション)は、人間がその意志によって作るようなものではないし、また、その意志によって斥けられるようなものではない。それを作る主体は「人間」ではない。といっても、「神」でもない。それは、人間であり、同時に、人間が意識しないような何かである。それをカントは「自然」と呼んだ。 カントは世界史を、ヘーゲルのように理念あるいは精神の実現過程として見たのではない。自然が「隠微な計画」を実現する過程として見たのだ。彼がここでいう「自然」は、「神」の言い換えではない。それは、神とは異なる何かである。つまり、神が作ったものではなく人間が作ったものだが、にもかかわらずそれが人間を超えた「力」として働くことを、示唆したのである。後述するように、それを「自然」と呼んだとき、カントは、著者がいう「交換様式」(D)のようなものを感知していたと考えられる。 『永遠平和のために』において、カントが考えたのは、国家、いいかえれば、交換様式Bがもたらした怪獣をいかに揚棄するかという問題であった。そのとき、彼が示唆したのは、それを片づける「力」があるということだ。彼はそれを「神」とは呼ばず、「自然」と呼んだ。先に言及したように、そのときカントは交換様式Dに該当するものを見出したといってもよい。 しかし、このとき彼が見逃した幾つかの問題がある。一つは、貨幣・資本、すなわち、交換様式Cから生じる霊(物神)の問題である。彼がそれを見逃したのは、産業資本が未発達であったため、それがはらむ「力」について十分に知らなかったからだ。もう一つ、彼が見逃したものがある。それはネーション(国民)という問題である。それも、資本と同様に、この時期のドイツではまだ出現していなかったからだ。 著者は、ネーションの基盤が絶対王政の下で形成されたことを述べている。(第二部第三章「絶対王政と宗教改革」)。ネーションは、国家と切り離せないが、同時に国家とは異なる、また、国家が破壊されても残存する観念的な「力」としてある。その意味で、ネーションも一種の“霊”だといってよい。ドイツでネーションという観念が強く出てきたのは、カントが『永遠平和のために』を書いた後に始まったナポレオン戦争の時期である。それを典型的に示すのが、フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』(一八〇八年)である。以来、ドイツに「国民」(ネーション)が出現したのである。 ネーションを形成したのは、二つの動因である。一つは、中世以来の農村が解体されたために失われた共同体を、想像的に回復しようとすることである。もう一つは、絶対王政の下で臣民(subject)とされた人々が、その状態を脱して主体(subject)として自立したことである。しかし、実際は、それによって彼らは国家に自発的に従属したのである。一八四八年革命が歴史的に重要なのは、その時点で、資本=ネーション=国家が各地に出現したからだ。 さらに、そのあと、資本=ネーション=国家と他の資本=ネーション=国家が衝突するケースが見られるようになる。その最初が、普仏戦争(一八七〇年)である。著者の考えでは、これが世界史において最初の帝国主義戦争である。そのとき、資本・国家だけでなく、ネーションが重要な役割を果たすようになった。交換様式でいえば、ネーションは、Aの“低次元での”回復である。ゆえに、それは、国家(B)・資本(C)と共存すると同時に、それらに抗する何かをもってもいる。政治的にそれを活用したのが、イタリアのファシズムやドイツのナチズムであった。今日では、概してポピュリズムと呼ばれるものに、それが残っている。 このように、資本=ネーション=国家が出現するとともに、「資本の揚棄」という問題も、「国家の揚棄」という問題も、以前にもまして難しくなった。なぜなら、資本、ネーション、国家、すなわち、交換様式C、A、Bが相互に助け合いつつ存続するからだ。したがって、それらを揚棄することを考えるとき、それらとは別の何かが不可欠となる。それがDにほかならない。最後の部で論じるように、マルクスやエンゲルスは晩年において、それぞれ、この間題を考えようとしたといってよい。
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