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柄谷行人『力と交換様式』(岩波書店)
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概要 V

第四部  社会主義の科学
 これまで述べてきたのは、マルクスやエンゲルスが、それぞれ、“マルクス主義”(史的唯物論)の観点をもつと同時に、それとは異なる観点から、資本主義や社会主義を見ていたということである。特に、それは晩年の仕事において見られる。しかし、そのことに気づいた人は少なかった。たとえば、マルクスは『資本論』において、貨幣や資本を“物神”として見たのだが、このような見方は、マルクス主義者の間では、たんに冗談と見なされた。その典型的な例は、ここまでに何度も言及したように、ルカーチの『歴史と階級意識』(一九二三年)において、『資本論』でマルクスが「物神化」と名づけた事柄が無視され、それが「物象化」という言葉に言い換えられてしまったことである。
 物象化が意味するのは、人間と人間の関係が物と物の関係として扱われる、すなわち人間が物として扱われる、ということである。一見すると、物神化が観念論的な見方であるのに対して、物象化は唯物論的な見方であるようにみえる。そして、そのような資本主義経済における物象化からの解放にこそ共産主義があると、ルカーチは考えた。したがって、彼は物象化を、『資本論』がもたらした“科学的”認識の核心であると見なしたのである。
 しかし、そのような理解は、『資本論』の画期的意義を見失わせるものだといわねばならない。ルカーチがいう「物象化」はむしろ、史的唯物論以前のマルクスが『経済学・哲学草稿』で論じた「自己疎外」という概念に近いものだ。そこから生じる搾取と欺瞞の構造は、労働者階級が自らの社会的存在を自覚することによる、団結と革命的実践を通して克服される。ゆえに、『歴史と階級意識』は、マルクス主義に初めて主体性の問題を提起した著作として評価されたのである。
 しかし、われわれにとって重要なのは、初期″でも“中期”でもなく“後期”の、というよりむしろ『資本論』にのみ見出されるマルクスの考え方である。そして、彼がそこで強調したのは、「物象化」ではなくて「物神化」なのだ。いいかえれば、彼がそこに見ようとしたのは、“生産力”ではなく、交換様式Cから生じる“力”であった。
 ゆえに、物神化の問題を省略して、たんに「物象化」を見出すような『資本論』の読み方は、誤読も甚だしい。ところが、以後はむしろ、それが一般的な見方となってしまったのである。その最大の原因は、ロシア革命にあったのだが、こうした視点からでは社会主義を通じて、資本や国家の「揚棄」の目指すことは不可能だ。
 『資本論』におけるマルクスの考えでは、資本は自らの存続のために、絶え間なく差異=情報を追求しなければならない。それは容易ではないし、資本に新たな危機をもたらす。しかし、それによって資本が滅びるということはない。つまり、「資本主義の終わり」はない。資本は何とかして新たな差異を見つけ出すだろう。そして、それが困難となったときには、国家=ネーションが動員されるだろう。いいかえれば、国家の経済政策が変わり、さらに、対外戦争にもいたる。これは、一八四八年以来、反復されてきたことだ。したがって、物神や怪獣が今なお、というよりむしろ、より怪物性を強めて働いているというべきである。
 そこで、マルクスやエンゲルスは、一八六〇−七〇年代における革命運動が挫折を経験したことを受けて、それぞれにそれまでとは違う新たな研究へ向かったのだ。
 たとえば、マルクスは『資本論』第二巻・第三巻を完成させるかわりに、アメリカの人類学者ルイス・モーガンが刊行した『古代社会』(一八七七年)に関して詳細なノートを書いた。そのとき、マルクスが考察対象を変えたことはいうまでもない。つまり、資本主義経済から氏族社会へ。生産様式の観点から見れば、それは未開段階に遡行することである。しかし、彼が変更したのはそれだけではなかった。このとき、実は、『資本論』でとったのと同じ観点に戻ったのだ。すなわち、人間の社会史を交換様式から見ようとしたのである。もちろん、そのような言い方をしたわけではないが。要するに、マルクスは、『資本論』で資本主義経済に交換様式Cを見出したように、氏族社会に交換様式Aを見出したといってよい。のみならず、それは、未来の共産主義をAの“高次元での回復”として見る新たな見方につながった。われわれの考えでは、それは交換様式Dを見出すことにほかならない。つまり、マルクスは最晩年において、社会主義を交換様式から見る視点を導入したということができる。
 一方、晩年のエンゲルスは、ブルーノ・バウアーの原始キリスト教史研究を評価し、自らもそれをおこなった。その場合、共産主義は、もはや人間が願望し企画したような何かではありえない。それは、人間の意志を越えて、いわば“向こうから”来るものだ。その意味で、エンゲルスはこのとき、「ユートピアン社会主義」のみならず、「科学的社会主義」をも疑ったといえる。むろん、彼は、宗教的社会主義に向かったのではない。彼は社会主義に、人間の意志を越えた何かを見出したのだ。それが何であるかを考えること、それこそが「社会主義の科学」である。われわれの考えでは、それは、社会主義を交換様式Dとして見ることにほかならない。
 このように晩年のマルクスとエンゲルスはそれぞれ違った方向に向かったようにみえる。一方は古代社会へ、他方は原始キリスト教へ。しかし、交換様式の観点から見ると、彼らが同じ問題、すなわち、資本と国家を揚棄した共産主義社会の可能性を追求していたことがわかる。
 彼らは、共産主義がたんに生産様式(生産力と生産関係)の観点からでは考えられない問題だということに気づいていたが、そのことを理論的に明確にしえなかった。そのため、彼らが最晩年に遺した仕事の意義が理解されなかったのである。また、彼らの死後に、形成された「マルクス主義」では、以上の論点は消滅してしまった。だが、そこに、マルクスとエンゲルスが遺した理論的可能性を読みとろうとした人たちがいた。
 第一次世界大戦の末期に、ロシアに二月革命のあと、それを倒す十月革命が起きたことによって、マルクス=レーニン主義の権威が確立された。その結果、マルクスやエンゲルスの仕事にあった可能性が閉ざされてしまったのである。たとえば、エンゲルスの仕事を受け継ごうとしたカウツキーは、十月革命を批判したため、「背教者」として糾弾された。にもかかわらず、第一次大戦後のドイツには、カウツキーの仕事を通して、エンゲルスが『ドイツ農民戦争』以来抱いていた関心を受け継ごうとした者たちがいた。その一人が、エルンスト・ブロッホ(一八八五−一九七七)である。
 彼は、レーニンが『プロレタリア革命と背教者カウツキー』を出版したのと同時期に、処女作『ユートピアの精神』を刊行し、つぎに『革命の神学者トマス・ミュンツァー』(一九ニー年)を刊行した。
 本の題名を見るだけで、それらがどこに由来するかは明らかであろう。その点で、ブロッホは、その後『歴史と階級意識』(一九二三年)を書いたルカーチとは対照的であった。しかし、もともとルカーチとブロッホは親友であった。彼らは、同じ時期に『暴力批判論』(一九二一年)を刊行したベンヤミンもふくめて、それぞれ、“革命的メシアニズム″(メシアの再来を待ち望む終末論)に惹かれていた。ところがルカーチは、一九一八年以後、ロシア革命の影響を受けて、マルクス=レーニン主義に転じたのである。
 一方、ブロッホは“革命的メシアニズム”への関心を推持し、またそれを隠さなかった。にもかかわらず、神学に向かうこともなかった。彼が初期の仕事でおこなったのは、本の表題からも察せられるように、エンゲルスが一八五〇年以来考えた諸問題、また、それを受け継いだカウツキーの仕事にもとづくものであった。ただブロッホが彼らと異なるのは、これらの仕事において、「経済的下部構造」(生産力と生産関係)に関してほとんど言及しなかったことである。
 ブロッホが一貫して追究したのは、資本と国家を乗り越えるような“力”についてであるといってよい。マルクス主義者であれば、通常、それを史的唯物論から説明しようとするだろうが、ブロッホはそうしなかった。それでは説明できないような“力”を見出そうとしたのだ。彼はこのことを、宗教(神学)を手がかりにして考えたが、それに依拠することもなかった。そこから、彼独自の思想が生まれたのである。
 一見すると、ブロッホの態度は、二〇世紀初頭に、社会主義革命の原動力をキリスト教に求めようとしたスイスの神学者カール・バルトに類似している。が、同時に大きな差異がある。先ず、バルトはもともと牧師であるが、旧来のキリスト教会を次のように批判するにいたった。
 「一八〇〇年もの間、キリスト教会は、社会的困窮に相対して、いつも精神を、内面的生活を、天国を、指し示してきた。キリスト教会は、説教し回心させ慰めてはきたが、しかし、助けることはしてこなかった。(「イエス・キリストと社会運動」、『バルト・セレクション4教会と国家T』新教出版社、二〇一一年)。そして、彼は「イエス・キリストと社会運動」に関して、つぎのように述べた。
 この両者は、ただ一つのことであり、かつ、同一のことなのだ。[a]イエスは社会運動であり、[b]社会運動は現代におけるイエスである。この考えを私は安んじて受け容れることができます、と。
 ブロッホも同じようなことを考えていたといってよい。しかし、彼は、資本主義と国家を乗り越えることを、神学的問題として語ることはしなかった。あくまで、現実に存在する国家と資本の下で、それらを揚棄する可能性を追求しようとしたのである。むろん、彼はそのことの困難を知っていた。
 そのとき、彼は人間の社会史に関して、史的唯物論にも神学にもないような観点を導入しようとした。
 それは、彼独自のレトリックによって示される。
 たとえば、彼は、資本と国家を揚棄する可能性を「希望」と名づけた。この場合、希望は願望ではない。つまり、人の主観によって招来するものではない。「希望」とは、「中断された未成のもの」が、おのずから回帰することである。彼はそれをつぎのように説明している。

 最初の「始め」のユートピアは、たんなる「太古」の先史的なものから脱したがっている。この「太古」とは、救いがたく過ぎ去り失跡してしまっているものか、さもなければ中断させられた未成の内実を内包したものかの、どちらかである。そして、これらロマン主義的な名称を付された内実の、依然として残されている意義は、みずからロマン主義的にではなく、未成のもの、まだ成っていないものの志向からのみ、要するに、とどめられている過去からではなく、おしとどめられている未来の道からこそ、明らかにされるのだ。(『この時代の遺産原著』一九三五年、池田浩士訳、水声社、二〇〇八年)

 しかし、このように、「中断され、おしとどめられている未成のもの」の回帰あるいは反復という問題を考えたのは、ブロッホが最初ではない。たとえば、マルクスとエンゲルスが『ドイツ・イデオロギー』を書いていたのと同時期に、キルケゴールも「反復」を論じた。
 「反復」とはそもそも、聖書に書かれた主題である。旧約の「創世記」第三章にあるように、アダムとイブは神の禁を破って「善悪の知識の実」を食べ、楽園を追放された。が、元の楽園に戻ることはできない。楽園は前方に、すなわち「未来」に見出されなければならない。そして、それがキルケゴールのいう「反復」なのだが、ブロッホがいう「希望」もそれと同じである。つまり、元来、神学的な問題であった。しかし、ブロッホはそのように語ることをしなかった。彼はそれを、社会主義に見出そうとしたのである。キリスト教にかぎらず「世界宗教」の根源にある「希望」は、逆に社会主義の中でこそ実現される、とブロッホは考えた。過去に中断されおしとどめられた「太古」の道が回復されることによって「未来」の道を開く。すなわち、「太古の道」が、向こうから到来する。ゆえに、彼はいう。「マルクス主義哲学は未来の哲学であり、したがってまた過去のなかの未来についての哲学でもある」(『希望の原理』第一巻、山下肇ほか訳、白水社、二〇一二年)。
 史的唯物論でいえば、「未来」は、生産力とともに形成された生産関係(階級)の変革と国家の揚棄によって実現される。そして、それが共産主義だと考えられている。しかし、共産主義は、資本主義経済の破綻によって必然的に生じるものではないし、また、たんに人間の認識と意志によって実現されるものでもない。そこには、人間の意志を越えた何かが働いている。神学であれば、それは、神の約束、あるいはイエスの再臨として語られるだろう。が、プロッホは、未来の共産主義を、「太古」からあり且つ中断されていた道が回復されることだと考えた。
 では、この過去に中断されたものが、なぜいかにして回復し「未来」の道を作りだす力をもつのか。ブロッホはこの問いに答えていない。そのような「力」があるというだけだ。彼はそれを「希望」と呼び、その痕跡を人類史における各所に探究するような仕事を続けたのである。中でも、大著『希望の原理』では、世界史的に宗教、哲学、文芸、サブカルチャーなどを通して、多種多様な「希望」の痕跡を追求した。
 ブロッホは、事実上「神学」を考慮に入れながらも、そこには向かわなかった。あくまで「希望」を、社会主義あるいは無神論の上で考えたのである。とはいえ、彼がいわんとすることは、曖昧(両義的)なままにとどまった。その点では、ブロッホと親しかった同時代の思想家ベンヤミンについても同様のことがいえるだろう。
 たとえば、彼は「暴力批判論」(一九一二年)で、「神話的暴力」と「神的暴力」を区別して、つぎのように述べた。「非難されるべきものは、いっさいの神話的暴力、法措定の―支配の、といってもよい―暴力である」(野村修訳、岩波文庫)。このような区別は、ジョルジュ・ソレルが『暴力論』(一九〇八年)で、国家による力をforceとし、それに対抗する力をviolenceと呼んだことにもとづいている。そして、ベンヤミンの場合、神話的暴力がforceであり、神的暴力はviolenceである。彼はいう。神話的暴力からの解放は、神的暴力なしにはありえない。そうすると、国家や資本は「神話的暴力」であり、共産主義は「神的暴力」である、ということになる。
 このような区別は謎めいて見える。実際それは、ある謎を解くかわりに、別の謎に言い換えただけなのだ。だがむしろ、このような謎が人を惹きつけた。ブロッホのいう「希望」に関しても同様のことがいえるだろう。そして、その謎をめぐって、多くの論文が書かれてきた。
 著者もそれについて考えた、と言う。そして、このような謎は解ける、と自分が思ったのは、“交換”から観念的な”力”が生じるということ、ゆえにまた、”交換”が異なれば、異なる”力”が生じるということに気づいたときである、と述べている。
 そして、著者はそのことを、マルクスがいう商品物神の問題をきっかけに考え始めたのだ。“交換”は、たんに物の交換に限られるのではない。したがって、“交換”から生じる観念的な力は、商品物神、つまり交換様式Cに限られるものでもない。たとえば、服従することと保護することが交換される時に、国家権力が成立する。それは交換様式Bから生じる観念的な力である。それ以外にも、交換様式AとDがあり、そこからそれぞれ違った力が生じる。たとえば、ベンヤミンに関していえば、彼がいうforceとは交換様式Bから生じる力であり、violenceとは交換様式Dから生じる力である。ブロッホがいう”希望“についても同様のことがいえる。”希望“とは、「中断され、おしとどめられている未来の道」であり、それを「反復」させるのが交換様式Dから生じる力にほかならない。
 ところで、ブロッホが神学だけではなく、同時にフロイトの仕事を念頭においていた。彼は、フロイトがいう「無意識」に対して批判的であった。ブロッホの見るところ、フロイトがいう「抑圧されたものの回帰」とは、過去にあったものの「想起」であって、「反復」とは異なる。したがって、ブロッホは『ユートピアの精神』(一九一人年)で、フロイトの「無意識」概念に対して、「未だ意識されないもの」という概念を立てた。そして、この「未意識」こそ「未来の道」としての社会主義をもたらす、と考えたのである。つまり、共産主義は、人が理想化する社会を意識的に実現することではない。それは、いわば「中断され、おしとどめられている未来の道」が、自ずと回復されることだ。つまり、未意識とは「反復」にほかならない。
 しかし、そのように述べたとき、ブロッホは、ちょうどその頃、フロイトの考えが大きく変わったことを知らなかった。フロイトは第一次大戦後、戦争神経症を病む患者らが示す「反復強迫」の症状に衝撃を受けて、それ以前の考えをあらため、『快感原則の彼岸』(一九二〇年)を書き、それまでの考えを修正したのである。
 簡単に述べれば、前期フロイトでは、父殺し(原父殺し)が最初に置かれる。それは、交換様式でいえば、Bから出発して考えることに等しい。しかし、後期フロイトの場合、定住以前の遊動的状態、つまり、無機的な状態(U)から出発している。それは定住化とともに失われる。このとき、無機的な状態に戻ろうとする「欲動」が生じた。フロイトはそれを「死の欲動」と呼び、快を求める欲動(快感原則)と区別したのである。「反復強迫は快感原則をしのいで、より以上に根源的、一次的、かつ衝動的であるように思われる」(『快感原則の彼岸』、『フロイト著作集』6)。
 つまり、フロイトがそこに見いだした「反復」強迫とは、欲望が抑圧された結果として生じた「無意識」ではなく、むしろブロッホがいう「未意識」に相当するものであった。が、ブロッホはこのことに気づかなかった。たぶん、以後のフロイトの仕事を無視したのだろう。しかし、彼らがちょうど同じ時期に、同じような問題に着目したことは、今や明らかである。ただしそのことは、フロイト的かブロッホ的か、無意識か未意識か、あるいは想起か反復か、といった議論をくりかえすことでは解決されない。著者の考えでは、この間題は、交換様式の観点から見ることによってのみ解明される。
 ブロッホは、未来の共産主義を、史的唯物論とは違って、「太古」からあり且つ中断されていた道が回復されることだと考えた。そのような言い方をしたのは、生産様式にもとづく史的唯物論では共産主義の必然性を示せないと考えていたからだ。むろん、その判断はまちがっていない。そのとき、ブロッホは、共産主義の必然性を、キリスト教神学を手がかりにして考えると同時に、神学を斥けたのである。そして、共産主義を、「太古からあり且つ中断されていた道」が回復されることとしてとらえた。
 いずれにしても、それはマルクス主義とは異なるものであった。が、マルクスとまったく無縁なわけではなかった。最晩年のマルクスは、ある意味で、共産主義を「太古からあり且つ中断されていた道」の回復として見ていたからだ。つまり、モーガンの『古代社会』を論じ、そこで、未来の共産主義を、アルカイックな社会の“高次元での回復”として見たのである。それは人間社会の歴史を、生産様式からではなく、交換様式から見ることであった。しかし、マルクス自身がそのことを自覚していなかった。
 一方、エンゲルスもマルクスの死後、『ユートピアから科学へ』で述べたのとは異なる観点から、共産主義を見ようとした。彼はその鍵を原始キリスト教に見出したのである。とはいえ、それは宗教的契機を重視するということではない。あるいはまた、経済的下部構造に対して、“相対的に自律的な”イデオロギー的上部構造を重視すること、でもない。晩年のマルクスやエンゲルスの仕事が示すのは、彼らがそれまでとは異なる視点をとったということである。にもかかわらず、彼らはその根拠を示せなかった。それを明示するためには、経済的下部構造の中に生産様式だけでなく、交換様式を見いだす必要があるのだ。
 たとえば、『資本論』は交換様式Cが優位に立つまでを論じた画期的な仕事だが、マルクス自身がそれを中途でやめたため、本来の課題を曖昧にしてしまったのである。また、彼は晩年にいたって、未来の共産主義を、「古代社会」にあったものの“高次元での回復”と見なした。だが、“高次元”とは何を意味するのか。通常、これは「生産様式」(生産力と生産関係)の観点から見られる。つまり、生産力が高度になった段階において、太古にあった共産主義を取りもどすことだと見られる。しかし、交換様式の観点から見ると、そうではない。共産主義とは、「古代社会」にあった交換様式Aの高次元での回復である。すなわち、交換様式Dの出現である。
 あらためていうと、交換様式Aは人類が定住した時点で生じた。そのとき、人々は太古の遊動的段階にあったような在り方ができなくなったが、別の形でそれを保持しようとした。つまり、定住を強いられた諸個人は、定住共同体の綻に自発的に従うようになったが、同時に、遊動的な段階にあった個体性・独立性を保持したのである。それが氏族社会である。しかし、国家の出現とともに、事態が変わった。氏族社会が終わっても、人々は国家の下で村落共同体を推持したが、それまであった個体性・独立性を失った。交換様式でいえば、そのとき、AがBに抑えこまれたのである。
 その後、近代国家・資本主義の発展、つまり、BとCの拡大とともに、村落共同体Aは解体されていった。しかし、それはある意味で回復された。つまり、資本主義経済の下で、ネーション(想像の共同体)が形成されたからである。とはいえ、それはAの“低い次元での回復″にすぎない。その結果として成立したのが、資本=ネーション=国家である。そして、それが最初に出現したのは、ヨーロッパにおける一八四八年の革命を通してであった。マルクスとエンゲルスはそのとき、資本=ネーション=国家の出現、すなわち、Cの下でのA・Bの結合という大事件に立ち会ったのである。
 そして、晩年のマルクスやエンゲルスはそれぞれ、『ユートピアから科学へ』で述べたのとは異なる観点から、共産主義を見ようとした。つまり、マルクスはその鍵を氏族社会に、エンゲルスはその鍵を原始キリスト教に見出したのである。とはいえ、これは、特に氏族社会あるいは宗教を重視するということではない。また、社会史を「経済的下部構造」を越えた観点から見ることでもない。あくまで、「経済的下部構造」に注目する。ただし、生産様式ではなく交換様式に注目することが、以前とは異なる点である。そして、彼らがこのとき考えたのは、事実上、交換様式Dという問題であった。
 Dは、A・B・Cが経験的に実在するように見えるのに対して、たんに観念的・想像的なもののように見える。実際、それは宗教的・神学的な問題として扱われてきた。しかし、たとえば、Dが宗教的だというのは誤りではないとしても、正確ではない。なぜならいわゆる宗教には、交換様式A・B・C・Dが同時に含まれているからだ。
 今日世界宗教と見なされる諸宗教・諸宗派はすべて、交換様式Dに根ざしているといってよい。さもなければ、各地に浸透する「世界宗教」たりえなかっただろうから。しかし、同時にそこにA・B・Cに由来する要素が付随していること、そして、むしろそれらが中心となっていることは確かである。いいかえれば、そこでは、Aが呪術(祈願=神強制)や相互扶助として、Bが教団組織の権力として、Cが経済的な動機として強く働いている。歴史的にそうであっただけでなく、現在もそうである。
 ゆえに、宗教一般を否定する必要はないし、そうすべきでもない。肝心なのは、それが交換様式から見て、どのように働いているかを見極めることである。その場合、交換様式Aから来る「力」に関しては、特に注意が必要である。先ずそれは、「神強制」、すなわち祈願や呪術につながる傾向がある。また、家族的な共同体に閉じこもることに結びつきがちである。そのため、宗教はしばしば、前近代的迷信、あるいは「民衆のアヘン」(マルクス)として否定的に見られる。
 しかし、交換様式A(互酬性)をたんに否定することはできない。それは人間にとって基礎的な在り方であるから。実際、晩年のマルクスはそれを「古代社会」に見出し、共産主義を、交換様式Aの“高次元”での回復と見なした。このとき、彼はそこに交換様式Dを見ていたといってよい。
 後期フロイトは、それを、無機的な原始状態を未来に回復しようとする「反復」強迫として見出した。また、ブロッホは、それを“未意識”あるいは“希望”と呼んだ。要するに、彼らはそこに、Dの到来を見たといってよい。
 BやCから来る観念的な力は、悪質であり強力である。それらはまさに、物神(資本)や怪獣(国家)なのだから。にもかかわらず、概してそれらは、非宗教的なものだと考えられている。したがって、一見して宗教的であるか否かは、重要ではない。むしろ、非宗教的あるいは反宗教的と見える言説の中にこそ、否定さるべき宗教性が見出されることが多い。たとえば、資本物神を無視したり嘲笑したりする人ほど、それに毒されていることが多いのだ。
 ところで、交換様式から見ると、「ユートピアン社会主義」も「科学的社会主義」も違って見えてくる。前者は、いわば、Aにもとづく社会を拡大することである。後者は、それを先ず、Bの力によって実現することである。通常は、それがマルクス=レーニン主義として知られてきた。だが、一九九一年、ソ連邦の崩壊によって、それは回復不能なほどに失墜してしまった。
 その結果、議会制民主主義を通して、国家の力を制限しつつ、同時に資本主義を制御しようという考えが、一般に行き渡るようになった。これは本来、エンゲルスが「科学的社会主義」を唱えたとき抱いていた見方であるが、のちに、社会民主主義と呼ばれるようになったものである。しかし、このような考えには本来、限界がある。それは、国家や資本主義経済を、人々の自由な意志によって制御できるものであるかのように見なしている。しかし、交換様式の観点からみれば、CやBは、人間の意志をこえた「力」をもつ。民主主義的な国家体制において、人々は、自由になったと考えているが、CやBの「力」に対して、一層屈従的になったにすぎない。そして、そのことに気づきもしない。しかも、それが“科学的″な見方だと考えている。
 それらと比べると、Aにもとづく「ユートピアン社会主義」は、たんなる空想とみなされている。そして古い話だと思われている。だが、交換様式から見ると、Aにもとづく「ユートピアン社会主義」は、CとBの“力”から人を相対的に自立させる在り方として、今なお健在である。つまり、産業資本主義が高度に発展した今日においても、それは古びていない。
 たとえば、ロバート・オーウエンが創始した「協同組合」は、今もさまざまなかたちで存在し、機能している。また同様のことが、フーリエが創始した「産業的協同体」(ファランジュ)についてもいえる。さらに、エンゲルスは言及しなかったが、プルードンが唱えたアソシエーショニズムも、広い意味でユートピアンだといってよい。それは、アソシエーションを拡大し、国家や資本を必要としないような社会を創り出そうとするものである。そして、彼が唱えた、人民銀行や相互主義的交換組織なども、現在、世界各地に存在している。
 もう一つの例を挙げれば、後進資本主義国でまだ残っている農村共同体を、「協同体」(アソシエーション)、すなわち、個人が自由独立性をもつような共同体に変える試みがある。交換様式でいえば、それは、BやCの下で半ば埋もれているAを取りもどそうとするものである。スペインの協同組合モンドラゴンの例に見られるように、それが大規模に行われている例もある。また米国では、再洗礼派の集団アーミッシュがA的な共同体を広げている。
 にもかかわらず、Aに依拠する対抗運動が概してローカルにとどまり、BやCに十分に対抗できるようなものとなりえないということも、否定しえない事実である。そこで、エンゲルスがかつて考えたように、Aの限界を―先ずB、すなわち、国家権力によって超えることが「科学」的だと見なされることになる。もちろん、それは、専制的体制によってではなく、民主主義、すなわち多数決にもとつく規制として実行されるものであり、それによってCが抑えられた暁には、Bは不要となって自然に消滅するだろう、と考えられている。しかし、実は、そうはならないのだ。Cは制限されても、Bは残る。また、Aもそこに取り込まれる。具体的にいえば、ネーション=国家が存続する。その結果として、Cもやがて復活する。その結果、資本が存続することになる。
 では、国家や資本を揚棄すること、すなわち、交換様式でいえばBやCを揚棄することはできないのだろうか。「できない。」と著者は言う。
 というのは、揚棄しようとすること自体が、それらを回復させてしまうからだ。唯一可能なのは、Aにもとづく社会を形成することである。が、それはローカルにとどまる。BやCの力に抑えこまれ、広がることができないからだ。ゆえに、それを可能にするのは、高次元でのAの回復、すなわち、Dの力によってのみである。
 ところがDは、Aとは違って、人が願望し、あるいは企画することによって実現されるようなものではない。それはいわば“向こうから”来るのだ。この間題は、別に新しいものではない。古来、神学的な問題、すなわち「終末」や「反復」の問題として語られてきたことと相似するものである。つまり、「終末」とは、Aの“反復”、いいかえれば、Aの“高次元での回復”としてDが到来する、ということを意味する。
 マルクスはこの問題を、神を持ち出さずに考えようとしたといってよい。しかし、彼が初めてそうしたのではない。マルクス以前にも、それを考えた者がいた。カントである。彼は社会の歴史を、自然の「隠微な計画」として見た。つまりそこに、人間でも神でもない何かの働きを見出したのである。そして、彼はそれを自然と呼んだ。だが、そこに謎が残ったままであった。
 著者の考えでは、自然の「隠微な計画」とは交換様式Dの働きを意味する。たとえば、カントが『永遠平和のために』で提起した「世界共和国」の構想は、人間が考案したものにすぎないように見える。その意味で、交換様式Aと類似する。したがって、無力である。ゆえに彼の提案した国際連合は、以来二世紀にわたって、つねに軽視されてきた。しかしそれは、消えることなく回帰してきた。今後にもあらためて回帰するだろう。そして、そのときそれは、AというよりもDとして現れる、といってよい。
 そこでは、私は最後に、一言いっておきたい、と著者は言う。「今後に、戦争と恐慌、つまり、BとCが必然的にもたらす危機が幾度も生じるだろう。しかし、それゆえにこそ、“Aの高次元での回復″としてのDが必ず到来する。」


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