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柄谷行人『力と交換様式』(岩波書店)
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概要 T

柄谷行人『力と交換様式』(岩波書店 2022.10.5刊)  

 本書は、序論、第一部 交換から来る「力」、第二部 世界史の構造と「力」、第三部 資本主義の科学、第四部 社会主義の科学、の四部構成になっている。また各部はそれぞれ以下のような章で構成される。

序 論
第一部 交換から来る「力」
予備的考察 力とは何か
第一章 交換様式Aと力
第二章 交換様式Bと力
第三章 交換様式Cと力
第四章 交換様式Dと力

第二部 世界史の構造と「力」
第一章 ギリシア・ローマ(古典古代)
第二章 封建制(ゲルマン)
第三章 絶対王政と宗教改革

第三部 資本主義の科学
第一章 経済学批判
第二章 資本=ネーション=国家
第三章 資本主義の終わり

第四部 社会主義の科学
第一章 社会主義の科学1
第二章 社会主義の科学2
第三章 社会主義の科学3

 以下、「序論」についての概要、並びに「第一部の予備的考察および各章」、そして「第三部・第四部」の概要について述べておきたい。第二部については省略させていただく。では、まず序論からみていこう。

序論

 著者は『世界史の構造』(岩波書店、二〇一〇年)で、「生産様式から交換様式へ」の移行を提唱した。本書はそれを再考するものである。簡単にいうと、マルクス主義の標準的な理論では、社会構成体の歴史が、建築的なメタファーにもとづいて考えられた。つまり、生産様式が経済的なベース(土台)にあり、政治的・観念的な上部構造がそれによって規定されているということになっている。著者は、社会構成体の歴史が経済的ベースによって決定されているということに反対ではないが、ただ、そのベースは生産様式だけではなく、むしろ交換様式にあると考えたのである。交換様式には次の四つがある、と述べている。
A 互酬(贈与と返礼)⇔呪力
B 服従と保護(略取と再分配)⇔権力
C 商品交換(貨幣と商品)⇔資本の力
D Aの高次元での回復
 著者がこのように考えるようになったのは、経済的ベースを生産様式(生産力と生産関係)に見出すマルクス主義の見方ではうまく説明できないことが多かったため、それがさまざまな形で批判され、最終的に、経済的ベースという考えそのものが否定されるにいたったからだ。その最初の重要な批判者として、マックス・ヴェーバーを挙げてよい。彼は、史的唯物論を原則的に認めながら、観念的上部構造の相対的自律性を主張した。たとえば、マルクス主義では、近世の宗教改革(プロテスタンティズム)を資本主義経済の発展の産物として見るが、ヴェーバーは逆に、それが産業資本主義を推進する力として働いたことを強調した(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)。つまり、宗教のような観念的上部構造は、たんに経済的ベースによって受動的に規定されるだけでなく、むしろ能動的に後者を変える「力」をもつとみたわけである。

 いわゆる「上部構造」に、「下部構造」から来るものでないような何かが潜んでいる、と考えた思想家には、ヴェーバーのほかに、デュルケームやフロイトもいた。彼らは、経済的下部構造だけでなく、それから相対的に自立した上部構造の次元を探究することが不可欠だと考えた。しかし、彼らは、上部構造の観念的な「力」が、経済的下部構造、ただし、生産様式ではなく交換様式から来るということを見なかったのである。そして、他ならぬマルクスがそれを『資本論』で見出したのである。
 他方で、史的唯物論に立脚するマルクス主義運動では、一九二〇年代に、探刻な挫折を経験するようになった。
 エンゲルスは、マルクスの死後にこう書いていた。

 マルクスと著者は、一八四五年以来、将来のプロレタリア革命の最終の結果の一つは、国家という名のついた政治組織の漸次的な解消であろうという見解をもちつづけてきました。この組織の主要目的は、昔から、富を独占する少数者による、働く多数者の経済的抑圧を、武力をもって保障することでした。富を独占する少数者の消滅とともに、武装した抑圧権力、つまり国家権力の必要も消滅します。だが同時に、われわれは次のような見解をつねにもってきました。すなわち、この目的を達成するためにも、また未来の社会革命のそれ以外のはるかに重要な目的を達成するためにも、労働者階級は、まずもって国家という組織された政治権力を手に入れ、その助けを借りて資本家階級の抵抗を弾圧し、社会を新しく組織しなければならない、と。(エンゲルス「カール・マルクスの死によせて」一八八三年五月、マルクス=エンゲルス全集』第一九巻)

 ロシアで、レーニンとトロツキーが一九一七年の二月革命のあと、十月革命(クーデター)を強行したのは、以上の考えにもとづいてであった。彼らは、プロレタリアートが国家権力を握って資本主義的な生産様式を廃棄するならば、国家は漸次的に消滅するだろうと考えた。その結果、確かに、国家権力によって資本主義的生産様式が廃棄されたといえるだろうが、それは国家権力を強大化することに帰結しただけであった。すなわちそれがスターリン主義であったわけであるが、それはスターリン個人にその責任をすべて押し付けることはできない。そもそも、これはマルクス主義における国家認識の欠落を示すものに他ならないからである。
 そして、そこから政治的上部構造への再考が促されることになった。その一例が、イタリアで革命蜂起に敗れ、ファシズム政権の下で投獄されたグラムシであり、彼は、イタリアにおける国家権力の強さが、たんに暴力的強制によってではなく、服従する者の自発的な同意によって成り立つと考え、それをヘゲモニーと呼んだ。これは、国家がただの経済的な支配階級の「暴力装置」ではなく、独自の「力」をもった装置であることを意味する。つまり、「政治的・イデオロギー的上部構造」なるものは、経済的下部構造に規定されるとはいえ、自律的な力をもっている、ということを見抜いたのである。
 また、一九三〇年代にドイツにおけるフランクフルト学派も、ナチズムの勝利という深刻な経験から、マルクス主義理論の基盤を再検討する方向に向かった。すなわち、ナチズムがたんなる反革命とは違って、自ら革命を唱える、対抗=革命であり、これに敗れたことは、旧来のマルクス主義者が軽く見ていた国家・ネーション・宗教など「政治的・観念的上部構造」に存する「力」に敗れたことを意味すると彼らは受け止めたわけである。そこで、フランクフルト学派の哲学者は、政治的・観念的上部構造の相対的自律性を認め、さらにそれがいかなるものかを見ようとした。
 ちなみに、日本でも、一九三〇年代に“天皇制ファシズム”の下で、マルクス主義の運動は全面的に崩壊し、集団的な転向に帰結した。戦後にこの体験を検討し、マルクス主義の再検討に向かった代表的な思想家として、政治学者丸山眞男と文芸批評家吉本隆明を挙げることができる。前者は、ヴェーバーやアメリカ社会学などを導入し、後者は、観念的上部構造の自立性を「共同幻想論」として論じた。論法は異なるとしても、彼らは上部構造の相対的自立性を見ようとしたのであり、その点で、フランクフルト学派と平行している。しかし、このような考えは、政治的・観念的な上部構造の次元を重視することに帰結した。つまり、彼らはマルクスが『資本論』で見出した、経済的土台(交換様式)から生じる観念的な力(物神)に注目しなかったのである。

 一九六〇年代にフランスで、アルチュセールがおこなったことも、それらと平行するものである。彼は、ラカン経由であるが、フロイトの精神分析を導入して、それまでの史的唯物論の困難の解決をはかった。フロイトは、複数の原因が収斂して結果が生じることを「重層的決定」と呼んだ(『フロイト全集』第22巻)。同様に、アルチュセールは、土台(最終審級)にある多様な生産様式が観念的上部構造を「重層的に決定する」(over-determine)と説明した。そのとき、彼は、土台の中に、経済のみならず、政治、イデオロギーを入れている。つまり、それらの異質な審級(instance)が組み合わされたものが土台にあり、それが観念的上部構造を決定するということになる。
 しかし、それでは、資本主義経済に固有の観念的な「力」が、どこから、いかにして生じるのかが問われない。すなわち、それが交換様式Cから来ることが明らかにされない。その点では、同様のことが国家に関してもいえる。アルチュセールは、国家に関しても、それがたんに支配階級の暴力装置であるだけではなく、人々をそれに自発的に従うようにさせるイデオロギー装置でもあると考えた。彼の考えでは、土台(最終審級)にある多様な生産様式の組み合わせによって「重層的に決定」される。しかし、著者の考えでは、人々を自発的に従うようにさせる「力」(物神)は、多様な生産様式の重層化によってではなく、交換様式Bから生じるのだ。
 以上のような理論は、政治的・イデオロギー的上部構造が経済的ベース(生産力と生産関係)によって規定されるという史的唯物論の見方を擁護するために考えられた。しかし、それは、国家・ネーション・宗教など「政治的・観念的上部構造」に存する「力」がいかにして生じるのかを明らかにするものではなかった。したがって、このような理論は、マルクス主義そのものへの無関心に帰結するほかない。

 一方、著者が考えるようになったのは、このような「力」が他ならぬ「経済的下部構造」から来るということだ。ただし、それは生産様式ではなく、交換様式である。そして、著者はそれを考える手がかりを史的唯物論ではなく、マルクスの『資本論』に見出した。そこにおいて、彼は資本制経済の形成を、生産ではなく交換に見出そうとした。いいかえれば、彼はそのとき生産様式でなく、交換様式に注目し、そこに商品交換から生じる物神的な「力」を見出したのである。

 著者によれば、マルクスは『資本論』では、それまで批判していたヘーゲルの論理を積極的に取り入れている。そして、『資本論』第一巻の第二版の「あとがき」で、マルクスは、次のように述べている。

  私は、自分があの偉大な思想家の弟子であるとおおっぴらに認め、しかも価値論に関する章のあちこちでヘーゲル特有の表現法におもねることさえした。弁証法がヘーゲルの手中で神秘化されたとしても、このことによって、弁証法の一般的な運動形態を最初に包括的または意識的に述べたのが彼であったということは、いささかも妨げられるものではない。弁証法は、ヘーゲルのばあい、頭で立っている。神秘的なヴェールのなかに合理的な核心を発見するには、それを、ひっくりかえさねばならない。(『資本論』鈴木鴻一郎ほか訳、「世界の名著」43、中央公論社、一九七三年)

 この有名な発言には誤解を与える点がいくつかある。ある意味で、マルクスはヘーゲルの観念論的哲学を「ひつくりかえす」ことを若いときからやってきたといえるからだ。しかし、『資本論』における転倒はそれらとは違っている。彼はここでむしろ、ヘーゲル『論理学』の叙述に忠実に従った。それは「価値論に関する章のあちこち」だけではない。『資本論』の全体系においてそうなのだ。マルクスがそうしたのは、資本制経済の中に一種の「精神」の活動を見いだしたからである。
 彼が『資本論』で書こうとしたのは、商品物神(物に憑いた霊)が貨幣、資本へと発展し、社会総体を組織してしまう歴史である。「貨幣物神の謎は、商品物神の、目に見えるようになった、眩惑的な謎にすぎない」(第一巻第一篇第二章、鈴木ほか訳)マルクスはこれを、精神(霊)が自然的・直接的な形態から発展して自己実現するというヘーゲルの論理に忠実に従いつつ編成したわけである。
 たとえば、『資本論』第一巻の冒頭に、つぎのような言葉がある。「資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大な商品の集積」としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態としてあらわれる。だから、われわれの研究は、商品の分析からはじまる」(第一巻第一篇第一章、鈴木ほか訳)。
 つまり、「膨大な商品」の中に、資本そのものも含まれる。すなわち、商品として売買される株式資本である。『資本論』は、したがって、物神が自己実現するにいたる全過程を、ヘーゲル的論理に沿って書いたものだといってよい。
 むろん、マルクスはこのとき、ヘーゲル哲学に戻ったわけではない。ヘーゲル哲学では、精神(霊)は高邁なものであり、自然的・直接的な形態から発展して自らを実現するにいたると見なされているのだが、『資本論』で描かれるのは、物に憑いた得体の知れない霊が、産業資本として全社会を牛耳るにいたる過程である。その意味では、『資本論』はヘーゲル哲学を「ひっくりかえす」ものだ。しかし、マルクスはここで、観念的な力をたんに斥けたのではない。それを観念的錯誤あるいは宗教的倒錯として斥けるかわりに、それがどこからいかにして来るのかを唯物論的に明らかにしようとしたのだ。いいかえれば、彼はそれを“経済的”な次元に見ようとした。ただし、それを「生産」ではなく「交換」に見たのである。それは、事態を経済的・物質的な次元から説明することではない。経済的と見なされる事態の根源に、いわば霊的な力が働いているのを見ることだ。
 さらに言えば、「ヘーゲルの弟子」だと公言したとき、マルクスが見いだしたヘーゲルは、通常いわれているようなヘーゲルではない。ヘーゲルにおいて、世界史は「精神」が自己実現する過程である。しかし、それによってヘーゲルがいわんとするのは、つぎのことだ。人間の社会史は、何らかの意図・設計によって作られたものではない。それは人間の意図を超えたものであり、むしろ「無意識」によって強いられたものである。
 ヘーゲルは『哲学史講義』において、そのことを強調した。彼は先ず「心理的」な見方、すなわち、行為を「意識」から見ることをしりぞけた。たとえば、カエサルやナポレオンは、個人の意識においてはそれぞれの意図や欲望、野心によって動いている。ところが、彼らはそれぞれ、そのような「心理」あるいは「意識」を超えたものを実現してしまう。そのことを、ヘーゲルは、彼らは「無意識」に動かされているのだと解した。その意味で、ヘーゲルは「意識」から見ることを疑い「無意識」に注目した最初の哲学者だ、といってもよい。
 たとえば、ヘーゲルは、ダイモン(精霊)に「議会に行くな」といわれたため、広場に行って問答を始めたソクラテスにかんして、次のように述べている。

 精霊はソクラテス自身ではなく、ソクラテスの思いや信念でもなく、無意識の存在で、ソクラテスはそれにかりたてられています。同時に、神託は外的なものではなく、かれの神託です。それは、無意識とむすびついた知という形態をとるもので、とりわけ催眠状態によくあらわれる知です。死にそうなとき、病気のとき、神経症にかかったとき、正常な知性にはまったく見えてこないつながりが見え、未来や現在がわかることがあります。そんなことはありえないとあっさり否定されることが多いのですが、事実、こういう現象はおこるので、ソクラテスの場合には、知と決断と思考に関係し、意識的自覚的に生じたはずのことが、このような無意識の形式でうけとられたのです。(『ヘーゲル哲学史講義』上巻、長谷川宏訳、河出書房新社、一九九二年)

 なぜソクラテスは広場に行って討議するようになったのか。その理由は不明である。しかし、ここで大事なのは、彼がそのことを意識しておこなったのではない、ということである。であれば、ダイモンとはソクラテスの「無意識」だといえるのではないか。ヘーゲルはそう考えた。「ヘーゲルの弟子」だと公言した時点で、マルクスも同じようなことを考えていたといってよい。実際、『資本論』でマルクスは、交換において何が生じるかについて、つぎのようにいう。

 したがって、人間が彼らの労働生産物をたがいに価値として関連させるのは、これらの物が、彼らにとって同種の人間労働のたんなる物的な外皮と見なされるからではない。逆である。彼らは、彼らの異種の生産物をたがいに交換において価値として等置させることによって、彼らのさまざまな労働をたがいに人間労働として等値させるのだ。彼らはこのことを意識しないが、しかしそうやっているのだ。だから価値の額に、価値とは何であるかは書かれていない。(第一巻第一篇第一章、鈴木ほか訳)

 「ヘーゲルの弟子」としてのマルクスは、『資本論』で「無意識」をもちこんだ、というより、ダイモン(精霊)をもちこんだ、といってよい。それが「フェティシlシュ」(物神)である。つまり、商品価値に関してフェティシュに言及したとき、彼は、そこに一種の霊的あるいは観念的な力が出現すること、そして、それが生産ではなく交換から来ることを洞察したのである。

 マルクスは交換の起源をつぎのような場所に見ていた。「商品交換は、共同体の終わるところに、すなわち、共同体が他の共同体または他の共同体の成員と接触する点に始まる」(『資本論』第一巻第一篇第二章、向坂逸郎訳、岩波文庫)。
 重要なのは、交換が、共同体の内部ではなく、その外にある共同体との間、つまり、見知らぬ、したがって、不気味な他者との接触において始まるということである。だからこそ、そのような交換は、人々のたんなる同意や約束ではない、強制的な“力”を必要としたのである。それがフェティシズムである。
 マルクスの考えでは、貨幣はそのような物神性が発展した形態であるとされた。貨幣には、他の物と交換できる「力」があり、それが、より多くの貨幣を得ようとする欲動をもたらすのであるが、マルクスは貨幣のそのような“力”を交換において生じる物神(フェティシュ)に見いだしたのである。そして、それが資本物神となるにいたる過程を論じたのが『資本論』である。

 そして、マルクスが『資本論』において明らかにした資本の物神性とは、物質的に見え、またもっぱらそのように理解されてきた市場経済が、観念的な「力」によって仕切られた場であることを示すものだ。同じことが他の領域、たとえば共同体や国家に関してもいえるはずである。つまり、マルクスが『資本論』で考察したのは交換様式Cだけであるが、それ以外の交換様式、たとえばAやBについて考える鍵をそこに見いだすことができるのだ。いわば『資本論』を“導きの糸”とすることによって、史的唯物論の公式では“政治的・イデオロギー的上部構造”として棚上げされてきた諸問題を解明することができる。いうまでもなく、それらを経済的下部構造としての交換様式から見直すことによってである。
 実は、それを最初に企てたのは、『資本論』の後のマルクス自身である。『資本論』第一巻を刊行したあと、彼はエンゲルスの再三の要請にもかかわらず、第二巻・第三巻の草稿に手を入れて完成する仕事をしなかった。だが、そのかわりに取り組んだのがモーガンの『古代社会』である。マルクスはこの本について詳細な摘要(『古代社会ノート』)を書いた。
 モーガンが論じた「古代社会」は、史的唯物論の公式でいえば、つまり、生産様式からみれば未開段階である。しかし、モーガンはそれをたんに野蛮な社会とは見なさず、そこに未来の人類社会を予感した。つまり、それは「古代氏族の自由、平等および友愛のより高度の形態における復活」となるだろう、と(岩波文庫、下巻)。つまり、このとき、モーガンは、生産様式ではなく交接様式から社会構成体の歴史」を見た。そして、マルクスもそうした、と考えることができる。すなわち、共産主義が交換様式Dであるとすれば、それは交換様式Aの“高次元での回復”である、と。
 マルクスはかつてつぎのように書いた。「共産主義は、われわれにとっては、つくりだされるべき一つの状態、現実が基準としなければならない一つの理想ではない。われわれが共産主義とよぶのは、いまの状態を揚棄するところの現実的な運動である」(『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳、岩波文庫)。
 このとき、共産主義は「現実的な連動」の中にある。すなわち、それは意識的なものというより、無意識的なものだ。つまり、マルクスはもともと、共産主義あるいは社会主義を、人が意識的に構想する理念として見ることを拒んでいた。そして、そのように見るタイプの思想家(ユートピアン)に対して批判的であった。しかし、晩年のマルクスは、共産主義を、「古代氏族の自由、平等および友愛のより高度の形態における復活」として見るモーガンに共鳴したのだ。それは社会構成体の歴史を、生産様式ではなく交換様式から見る観点にほかならない。しかし、まもなくマルクスが死去したため、それは注目されなかった。
 ところで、近年になって、著者が興味をもつようになったのは、「社会主義の科学」を唱えたエンゲルスのほうである、という。これまで著者は、エンゲルスをもっぱら「史的唯物論」の創始者として見てきた。「社会主義の科学」といっても、結局、史的唯物論の言い換えにすぎないように見える。しかし、必ずしもそうではない、ということに気づいたのである。本書を書き始めたきっかけは、むしろそこにある、とも述べている。
 著者が注目したのは、エンゲルスが史的唯物論に欠けていたような問題にいち早く関心を抱いたこと、のみならず、それを死ぬまで維持したということである。
 具体的にいえば、彼は『ドイツ農民戦争』(一八五〇年)で、ドイツの千年王国運動の指導者トマス・ミュンツァーを論じた。かつて、社会主義はたんなる観念の産物ではなく、生産様式(生産力と生産関係)の発展の結果として生じるものだと主張していたエンゲルスがミュンツァーのような宗教的指導者を称賛したのである。この時期、社会主義者は「科学的社会主義」を唱えたプルードンに代表されるように、宗教的な観念を斥けるのが普通であったにもかかわらず。
 本書の最後で論じるように、エンゲルスは原始キリスト教の起源を問う研究を、最晩年まで続けたのである。彼の死後、カウツキーがそれを受け継いだが、その後、ロシア革命で権力を得たレーニンによって、「背教者」として糾弾されたため、彼の仕事に注目する者はほとんどいなかった。だが、彼らの仕事は、交換様式という観点からすれば、まさに交換様式Dを問うものであった。
 さらに言えば、本書を書く過程で気づいたのは、「社会主義の科学」は、もしありうるとすれば、社会主義を交換様式において見ることによって成り立つということである、と著者は言う。すなわちそれを交換様式Dとして見ること。著者はこれまでの著作で交換様式について論じてきたが、A・B・Cが中心であった。Dに対して本格的に向き合うのは、事実上、本書が初めてだといってよい。Dは厳密にいえば、交換様式というよりも、交換様式A・B・Cのいずれをも無化するような力としてあるものだ。またDは「Aの高次元での回復」として生じる。が、そのようにいうとそのことが、われわれの意志や企画によって実現できるものであるかのように見えてしまう。しかし、そうではない。重要なのは、Dが人間の意志や企画によって生じるものではない、むしろ、それに反してあらわれる、ということである。それは、観念的な力、いいかえれば、「神の力」としてあらわれるのだから。

 最後に、言い残したもう一つの「交通」の問題がある。それは人間と自然との間の交通、すなわち、「物質代謝」(蚕本論』第−巻第一篇第↑章、岩波文庫(一))の問題である。マルクスが交通という問題を考えたのは、そもそもモーゼス・ヘスの影響であった。ヘスが「交通」を、人間と人間の間だけでなく、人間と自然の間にも見出したのであるが、マルクスは人間と人間の間の「交通」と、人間と自然の間の「交通」を区別した。彼はそこで、人間と人間の間の交通を、「交換」としてとらえ、そこから生じて人を拘束する観念的な力、すなわち物神の活動、その発展について考察した。
 しかし、マルクスは「交換」とは別に、人間と自然との間の「交通」という問題も見逃さなかった。「交換」には観念的な力が働くが、「交通」にはそれがない。人間と自然との間に働く力は純粋に物質的な力である。そして資本主義的生産によってこの人間と自然との「交通」が次第に破壊されつつあるのである。近代以降においてそれが次第に明らかになった。そして、現代においてはいわゆる環境問題としてそれが深刻化している。
 われわれが今日見出すような環境危機は、人間社会における交換様式Cの浸透が、人間と自然の関係を変えてしまったことの所産である。それによって、それまで“他者”であった自然がたんなる物的対象と化した。このように、交換様式Cから生じた物神は、人間と人間の関係のみならず、人間と自然の関係をも歪めてしまう。のみならず、後者から生じた問題が、人間と人間の関係をさらに歪めるものとなる。すなわち、それは資本=ネーション=国家の間の対立をもたらす。つまり、戦争の危機が迫りつつある、と著者は述べている。



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