さて今度は、日本航空側が所有しているというボイスレコーダーとフライトレコーダーの生データであるが、遺族の吉備素子氏が日本航空に対してそれらを開示してほしいという文書を群馬県のA弁護士を通じて出していた (二〇一八年二月二十八日付)。 当時の日航は植木義晴社長であったが、その答えは次の通りであった。 「日本国が加盟しております国際民間航空機関(ICAO)の定めた規程(Annex13)にて、ボイスレコーダー及びフライトレコーダーの記録は公的な事故調査機関による調査の目的以外には使用してはならないとされております。弊社としましてはこの規程に従い、開示につきましては控えさせていただきたく存じます」として、その返答書には、ボイスレコーダーの記録は事故調査報告書に詳しく書いてあるのでそれを参照してくださいと書かれていた。 まず、この時点で両レコーダーの生データに関し、「弊社は保管していない」でもなければ、「持っていない」でもなく、間違いなく保存しているということを前提として書かれていることになる。 ところが、植木社長はここで「公的な事故調査機関以外に使用してはならない」と書いているにも関わらず、日本航空が過去にNHKの番組に協力してボイスレコーダーとフライトレコーダーの生データを公開していた事実があり、そのビデオが残されていたのである。 これは日航123便のものではなく、一九七二年の日航機ニューデリー墜落事故についてその事故原因を探るという番組(NHKドキュメンタリー「あすへの記録 空白の110秒」) であったが、テレビという、一般人の誰もが視聴することを前提としている番組に協力していたのである。しかも事故発生から一年後に作られたものであるから、ずいぶん早く公開していたことになる。 つまり、「公的な事故調査機関以外は使用できない」という嘘を書いて、遺族の代理人であるA弁護士に対して、騙した内容で回答したことになる。もしも、他の日航機事故なら開示できて、日航123便の場合だけはできないというならば、その理由を添えればまだよかった。どうせ相手はわからないだろうと、それをしなかったため、ICAOの条文を都合よく理由に出してきたのだとばれてしまったことになる。このやり取りからもわかる通り、遺族に対する回答として到底誠実なものとは思えないお粗末なものであった。 さて、そのビデオにたどり着いたのは、実は著者がインド在住の遺族と連絡を取ったことが発端だった。 灼熱のインドからの手紙 話は少し戻る。前著(『遺物は真相を語る』)にて大学の研究機関での調査結果を示し、真撃に事実を追究した内容について、それを茶化し、金儲け本とのレッテルを貼った週刊誌の記事の中で、元日航チーフパーサーで航空評論家をしている秀島一生氏が「遺体の焼け方が激しかった例としては一九七二年の日航ニューデリー墜落事故が挙げられ、123便に限った話ではありません。(中略)事故原因の真相解明を求める声がこの本のような陰謀論と一緒くたにされてしまいかねず、非常に困ります」と述べていた。ここまで明確に言い切るのであれば、秀島一生氏は、よほど具体的に一九七二年六月十四日にニューデリーで起きた墜落事故の遺体状況と日航123便の遺体状況を比較検討なさったのだろうと考えた。 前著(『遺物は真相を語る』)では、著者は当時の医師たちから詳細な検死結果を入手してインタビューを行い、日航123便で亡くなった全員の遺体状況と写真を分析した上で慎重に執筆した。 そこでまず、その検死と身元確認を行った医師に、航空評論家と名乗る秀島一生氏が先生のところに取材に来て、検死結果の資料を渡されたことがあるのかを確認したが、その名前を聞いたこともないし、検死写真も渡していないとの答えであった。群馬県警察医でその先生以外に当時の状況を知り、詳細な資料を持つ人はいない。念のため他の医師にも確認をしたが、その航空評論家を知らなかった。つまり秀島一生氏は、日航123便の遺体状況の調査もしていない上、焼死体の調査をしていないにもかかわらず、あのように雑誌で発言したことになる。これがどういうことを物語るのか、ご自身が一番よくわかっているはずである。秀島氏の言葉を借りるのであれば、これでは真相解明を求める声に対してあまりお粗末すぎるのではないのか。そして航空評論家としては語るに落ちる体たらくぶりと言わざるを得ない。 そして著者自身は、具体的に比較検討するにあたって、ニューデリー事故の遺体がどのように焼け焦げていたのかについて把握しておかなければならないと考え、詳細に調べてみた。その結果は次の通りである。 一九七二年六月十四日(現地時間)、東京(羽田空港)発ロンドン行の南回りと呼ばれていた日本航空471便・DC−8型機(乗客七十人名、乗務員十一名、合計八十九名が搭乗、乗客乗員は十六ケ国にわたり、そのうち六十四名が外国人)は、バンコクを離陸してインドのニューデリー・パラム国際空港に着陸しようとして失敗し、午後八時五十五分(日本時間十五日午前零時二十五分)、着陸寸前で空港から南方約二十五キロのジャイトプール村のジャムナ川土手に墜落した。日本航空471便ニューデリー墜落事故である。当初、十三名が生存していたが、うち八名が全身火傷で間もなく死亡、残る五名の状況は次の通りであった。 ◆イタリア人と結婚した邦人女性三十四歳――頭、顔、手足第三度の火傷、意識明瞭 ◆日航アシスタントパーサー二十七歳――足挫傷、頭部打撲、脳内出血意識不明 ◆英国国籍の姉妹のうち姉四歳――左太もも、右肩骨折 ◆右の妹二歳――左上腕骨折、大腿部骨折、頭部打撲 ◆スウェーデン国籍十一歳女児――左前腕骨折、右ひざ打撲 これらの生存者全員が女性であった。さらにその数日後に邦人女性と日航アシスタントパーサーが亡くなり、最終的には八十六名死亡、三名重傷の事故となった。 火傷の状況だが、新聞記事では「散乱する黒焦げ遺体、我が国初の国際線惨事」との見出しがある。ちょうど空港周辺の土手で工事を行っていたためにインドの労働者四名が巻添えで亡くなった。 前方の乗客の三十二体は焦げておらず完全に近い遺体であった。その理由としては「主翼の燃料タンク付近が土手に激突したため、前方を除く中央部から後部にかけて火に包まれた」との見解だった。気温40℃を超す夏の砂嵐が舞う中での作業ゆえ腐敗と傷みが早く、日航側は現地で棺を作らせ、ホルマリンの調達や東京からドライアイスを空輸するなどの対応に追われた。一数枚の遺体写真は確かに黒焦げ状態に見える。ただし細切れの炭の形はないようだ。表面は真っ黒であるが、骨の炭化の有無までは医師の検死結果が入手できないと明確にはわからない。ただ、身元がわかるくらいの衣類の切れ端や、もみじ柄の和服を着た若い女性、というように衣類の一部が遺体に残っている。日航123便の場合、炭化遺体は歯型以外にはわからないほど骨の奥まではっきりと炭化しており、衣類もすべてが炭の状態になっていた。そこには差異が認められる。つまり表面的な火傷と骨の奥までの炭化とは別であって、ニューデリー事故の遺体状況は日航123便の場合とは異なると推定される。 当時の目撃証言は、機体は火だるまとなって後ろから火を噴いていた、いったん持ち上がって墜落した後部が爆発したなど、当時は中東テルアビブ空港乱射事件に伴って中東路線でのハイジャックや爆破予告が多かったこともあり、日本の警視庁でも捜査員を現地に派遣して捜査をしたとのことだった。 インドでは、国際路線に外国人搭乗者が多いことに鑑み、自国のみならず他国と関係が深い航空機事故に関する調査は、ニューデリー高等裁判所において行うことになっている。当然のことながらボイスレコーダーやフライトレコーダーを含むすべての資料の調査を公開審判形式で行っていく。この日航機事故についてもその旨が決定し、事故調査委員長にはパーカッシュ・ナレイン判事、委員にインド側の航空飛行審査官やインド航空の機長などが任命され、約八ケ月にわたって六十回以上の公開審理を行った。日本側は、代理人としてインド人弁護士を立て、日本航空のT・T機長、運輸省航空局のK技術部長、A事故調査課長が代表となった。法廷では目撃証言、技術や医学調査など米国の専門家や研究者、事故機前後に空港にアプローチした機長など関係者に証言をさせた。これらもすべて公開形式である。特に、なんの損傷もなかったボイスレコーダーの公開日には、多くの報道関係者が傍聴した。現地の日本人特派員たちは、初めて生のボイスレコーダーを聴くことができた。墜落直前までのパイロットたちの会話が事故原因究明にどのように役立つのか、その一部始終を公開裁判というオープンな場で体験したのである。 一九七三年一月七日付新聞各紙によれば、結局のところ、日航パイロットの操縦ミスが主原因と発表され、同年六月二十二日、事故発生から一年後に裁判の結果を踏まえて最終報告書が出された。 結論は、着陸直前まで滑走路の位置や高度の異変に気づかなかった「日航のパイロットミス」と断定されたのである。この結果にはインドの空港設備の欠陥は反映されていなかった。当初より、他の航空会社の機長からの証言通り、パラム空港のILS(計器着陸装置)設備の不備で、ゴーストビームが出やすく、誤った誘導電波によって降下高度のミスを犯しやすいといったことが指摘されていた。その欠陥説を一部認めながらも、最終的にはパイロットミスという形にインド政府側が決定したのだ。 このことが背景にあり、新聞各紙は「後味が悪い結末」、「インド政府の一方的発表」としている。日航側はそれを不服として再審請求を行っている。つまり日航とインド政府の見解の相違によって事故原因の真相が明確にならず、単なるパイロットミスとされたことに対して、日本航空は納得できない結論との見解を出したことになる。 実は裁判と並行して、日航側はボイスレコーダーの聞き取りにくい部分の解析を富士ゼロックス研究所に依頼していた。会話の発声者と詳細な内容を明らかにすることで事故分析を試みようとしていたのである。 この模様を放送で公開したのが、NHKのドキユメンタリー「あすへの記録 空自の110秒」(一四八頁も参照)である。しかも、これはなんとインド政府の事故調査報告書が出る直前の一九七三年六月十五日の放送であった。ニューデリー事故の遺体状況を調べていて偶然この存在を知ったのだが、その日時と内容を見て驚いた、と著者は述べている。 これでわかる通り植木元日航社長による遺族への返答、「事故調査機関以外に自分たちが公表することはできない」というのは全くの二枚舌なのである。日航はボイスレコーダーの音声を自らテレビで公開しているである。したがって、元データの公開不可能という見解は否定されることになる。なお著者は日航123便事故の海外の遺族関係者にも、このビデオが存在することは伝えている。 実はこのニューデリー事故の翌日、今度は南ベトナム(当時)の上空でキャセイ・パシフィック航空が空中分解を起こすという惨事が起き、邦人十七名(うち十二名は群馬県の観光団体)を含む乗客乗員八十一名全員が死亡する大事故が起こった。 当時の新聞記事には、キャセイと日航の記事と悲嘆にくれる遺族が交互に出ており、惨事続きと事故原因について、墜落の謎解きが繰り広げられていた。特に当時は戦時下のベトナムゆえ、信頼される情報として、米軍チャーター輸送機や米軍のF4ファントム戦闘機が衝突したと語る南ベトナム政府軍スポークスマンや、ミサイルに当たったという説が出て、米軍側と南ベトナム政府軍が見解を対立させ、キャセイ航空側が沈黙するという異常事態であった。 ここでのポイントは、事故調査は政府筋の関係による圧力の介入によってゆがめられやすいというD氏の言葉通りだということである。 それにしても、日本航空側も自分たちが納得しない場合は生データを公表しているが、そうではない場合や日本政府の意向によっては、その情報を遺族にすら開示しない、という恣意的な判断を行ってきた。遺族への情報開示は自分にとって不都合だからしたくないということになる。これはいい、これはだめと勝手な判断で行うことは、公共交通機関としてあるまじき行為であり、こういった意図的なやり方について、三宅弘弁護士は断じて許されることではないと語っている。 著者はこの点も踏まえて、早速インド在住の遺族と連絡を取った。 その男性は当時まだ学生で、仕事で来日していた両親を日航123便墜落で失った。著者の本を英語で要約し、資料とともに送付した。そこで彼から連絡をいただいたのである。 彼も日航123便の墜落原因が不明のままだったということを初めて知ったとのことだった。 彼はこれからの展開に大変興味があるとして今後も日本の遺族とつながりながら自分にできることをしたいと語り、情報を交換し合うことを約束した。 外国人遺族と呼ばれる彼らの存在はあまりにも無視されている。損害賠償金を払ったのだからこれで終わりという態度が見え見えである。逆の立場だったらそういうわけにはいかないだろう。今こそ国境を越えた遺族同士のつながりは重要である。念のため、あの日の「外国人」搭乗者名を明記しておく。 日航123便墜落事故 外国人(外国籍)犠牲者名(合計22名) 1.Edward Anderson 国籍:アメリカ 享年48歳 男性 化学薬品会社出張中 2.安時煙(Ahn Chiou) 韓国 52歳 貿易商 男性 3.楊紫丹(Yeung Chi Dan) 香港 22歳 女性 機電工程師 4.ヴュルナー・ハラルド・グェルケ(Werner Harald Guerke) 西ドイツ(統一前当時) 33歳 男性 貿易商 5.キム・オクジャ(Kim Okja) 韓国系アメリカ人 43歳 女性 看護婦 中央日報大阪支社長の妻 6.キム・チェイストファー(Kim Chaistopher) 同右 前者の長男 16歳 高校生 7.キム・スコット(Kim Scott) 同右 前者の次男 13歳 中学生 8.キンブル・ジョナサン・マシューズ (Kimble Jonathan Mathews) イギリス28歳男性 婚約者の西口昌子(享年25歳)と一緒に大阪で結婚式のために来日 9.クラウバルト・ジョチェン (Klaubert Jocben) 西ドイツ 53歳 男性 BASFジャパン常務 10.スリーモーハン・チャウチャリア(Shreemohan Chhawchhara) インド 40歳 男性 カルカッタのアセチレン会社副社長で商用 11.譚澤霖(Tam Chak Lam) 中国(香港在住) 72歳 男性 会社役員 12.張麗娟(Cheung Lai Kuen) 香港 27歳 女性 会社員 13.トリプタ・ムカージ(Tripita Mukherjee) インド 35歳 女性 夫と一緒に商用と観光で来日 14.カルヤン・ムカージ(Kalyan Mukherjee) 同上 41歳 男性 前者の夫 コンサルタント 15.アンドレア・モローニ(Andrea Moroni) イタリア 17歳 高校生 父親と来日中 16.ジャン・カルロ・モローニ(Gian Carlo Moroni)同上 49歳 前者の父親 男性 会社役員 息子と大阪へ向かう途中 17.李國光 香港 58歳 男性 貿易商 18.李恵慶 韓国 21歳 女性 学生 19.崔甲順(Chung Soon Duck) 韓国 45歳 女性 主婦 20.ワーレッチ・ウィルソン・ウォード(Wallach Wilson Ward) アメリカ 26歳 大学研究生 21.葉瑞祥(Yo Nue Sho) 中国(広東省) 37歳 男性 貿易商 22.一人身元遺体未確認者(Michael Hanson) アメリカ 男性 終わりに 公文書は未来のための記録 「自分の子供のいのちに値段をつけること、それを迫るのが補償交渉である」 「そのお金、あなたにあげるから私の主人のいのちを返してくださいと言って、その場で銀行から調達したお金を日航職員の目の前に積んで見せたんよ」 ご遺族からこの言葉を伺ったとき、私のこころに小さな灯りがともされた。 あれから数十年を経て、この灯りは今では国境を越えて世界中に広がり、次世代へと伝わっている。もう誰にもこの灯りを消すことは許されない。むしろこの灯りを広めることこそがこの国で暮らす私たちの使命である。長い年月をいたずらに先延ばしにすることは許されない。 司法の場において不起訴となったことは、結果的にボーイング社、日本航空、管理監督責任のあった運輸省(現・国土交通省)航空局は加害者ではない、という認識が成り立つ。 それについて現在、航空局にいくつかの質問をし、面談を申し込んだ遺族の小田氏に対し、航空局総務課課長のH氏からの回答には、 「(前略)当局は本件につき加害者であるという認識は全く持っておりません(後略)」という明確な答えが記されている(二〇一六年十月二十一日付)。 さらにもう一行、念のためと思ったのだろうが、次の文章を付け加えている。 「当方にはこの点について議論の余地がないと考えているのでこの点をご理解いただくことがお会いする前提です」というのである。 その後、十二月十六日付メールでは、「局内、省内各局及び他省庁との調整など多忙を極めていることから、面談は1時間とさせて頂きます」と時間設定をしてきている。多忙を極めている理由がいずれも内々での仕事である。 墜落で二人の子供と親戚三人の五名を失った当人に対して、「私たちには、明確に責任はない」と言い放っている。どういう理由で、責任がないというのだろうか。無責任体質そのものを自らの言葉で語っているのである。 なお、小田氏は国土交通省に出向き、二〇一六年十二月二十一日に一時間のみ面談を行った。その際に、事前に伝えていた事故原因に関する議題は削除され、すべては事故調査報告書の記載通りであることや、「本件航空事故の刑事訴追に係る検察庁の判断に閲し、国土交通省航空局は関与する立場になく、お答えできません」との回答であった。さらに最後は、公開質問状を持参した小田氏からそめ質問状を受け取りもせず、逃げるように会議室を出て行ったそうである。帰り支度をしていた時その部下が戻ってきて、とりあえず受け取ったそうだが、その後一切、質問に対する回答が来ていないという。 国土交通省側がこうやってその場しのぎで言い逃れてきた結果、時間ばかりが経ってしまったのである。会社組織の中での役割を終えて退職すれば、担当者は全く無関係となる。 次の担当者に引き継ぎさえすれば終わりである。しかし、遺族はすっきりしない思いを抱えてずっと生きていかなければならない。 それにしても、ここまで必死に自分たちの組織を守ろうとするということは、よほどやましいことがあるのか、相手のことなど考えていられないほどのなりふりかまわない状況ということになる。 一方日本航空側は、「補償について、事故の責任を弊社自らが痛切に感じ、加害責任があるとの判断で行いました」とし、その認識は今もなお変わっていないという。そのわりには、詳細な質問への答えは、「ご理解下さい」、「お詫び申し上げます」、「確認できません」という言葉の羅列ばかりである。小田氏は、もっとわかるように説明してくださいと言ったところ、「私は馬鹿ですからすみません」とまで言われたそうだ。 どちらも業務上過失致死で書類送検されているのだが、日航には責任があり、航空局に監督責任はない、加害者ではない、という。それでいて、事故原因は事故調査報告書の通りだ、という。どうしたらこのねじれた内容に納得ができようか。 さらに道義的責任はあるが、罪を犯したという認識やその責任はないと思っているように見受けられる。これらを明確にしなければ、五二〇の失った命は、未来に全く活かされないことになってしまう。 小田氏がこのような質問状を出し続けているのには理由がある。それは、遺族にしか果たせない責任というものがあるからだという。そのことに気づくまで、二十年以上、誰とも会いたくない、もう忘れたい、人と接したくない、すべて遠ざけて逃げ出したいという思いが暗黒の雲のように全身に覆いかぶさってきた。おそらく生存者の四名も一緒の気持ちだろうと語る。 しかし、海外では航空機事故に立ち向かい、公式発表の事故原因を変えさせるまでの新証拠をつかんだ執念の遺族がいるという話を聞いた時、突然真っ黒な雲がすっと消え、心に光明が射し込んだ。自分の果たすべき役割は、これであると思い、そこから一気に墜落原因について調査を開始したのである。思い出したくないあの日々のことを調べれば調べるほど、自分に矛先が向けられているようでそのプレッシャーに心が切り刻まれる思いだった。生存者もたった四人しかいないのだから、墜落の原因究明に力を貸してほしいと心底思いつつ、忘れたいという昔の自分と同じ思いがあろうことも理解できる。こういう心の狭間に揺れ動き、それでもなお自分の使命として必死に書いた質問状であり技術会議である。これを避けている国土交通省航空局と、その質問状の答えをいかにはぐらかすかばかりを考えている日本航空は、もっと小田氏の深い思いに寄り添わなければならない。 日本のみならず世界の航空機墜落史上、単独機で最大の死亡者を出した事件なのであり、さらに今後においても、すべて二階建てのエアバスA380でも国際線仕様で五二〇名となれば、最大の死傷者数は変わらない。この大事故が刑事裁判にならなかったからそのままでいいという訳では断じてない。三宅弘弁護士の思いもそこにある。 歴史の中にきちんとした形で留め、調査の元データも含めて開示をしていくことで、後世に伝えなければならない国民共有の知的財産なのであって、決して曖昧のまま許してはいけないのである。せっかくの情報公開法も国立公文書法もそれを活用してこそ意義があるのであって、民間も公に重要な文書を寄付するようになっている。事故調査委員会も日本航空もこれらのことをしないまま、何処に何があるのかわからない、などというふざけた答弁がまかり通ると思ったら大きな間違いである。 今後は海外の遺族たちが次々と事実の解明に乗り出そうとしているのだから、日本側がやらないというわけにはいくまい。 英国の弁護士のみならず、米国の知り合いの弁護士にも意見を伺ったところ、非常に有効な法理論が出てきた。私はこれについて、広く一般の皆さんとともに考えていきたいと思っているが、今後の計画については現在進行中であることからあえて控えさせていただく。 ただ、一人ひとりが考えなくてはならないことは、私たちの心の奥底にある過剰な怖れの精神である。特に行政側の人間たちがその怖れゆえ、次々と重要な資料を捨てていたらどうなるだろうか。内閣をはじめとして国の機関や公共団体が、法律や政令、その他の法規に従って行う政務の過程において、自分たちの不利になる資料や議事録、公的な文書を改ざんする、破棄する、都合のいいように解釈することが許されるとすれば、信頼関係が根底から崩れていくだろう。 正しく保存するルールがないがしろにされているのである。 司法の場においても裁判記録の破棄が行われている。特に国側の敗訴や憲法訴訟で国が負けた事案の記録が残っていないことが明らかになってきている。民事事件は最高裁内部ルール(事件記録等保存規程)によって、判決文と特別保存記録は国立公文書館に移管、永久保存となっている。しかし、他の裁判記録や資料は五年間で自動的に破棄処分している実態が指摘されている。刑事事件については、判決確定後三年で閲覧禁止、その後破棄(判決文は最長百年保存)である。そもそも刑事裁判記録は公文書管理法の適用除外である。刑事裁判記録とは、供述調書や証拠、論告や弁論などを指すが、保管満了後の保管場所が検察庁であり、刑事記録も含めてその後の保管や破棄の選定手続き、基準、運用実態はいずれも不透明であることが指摘されている。 たとえ国側の敗訴に終わった事件であっても、司法の場における公平性や透明性を担保してすべての文書を保存することが原則のはずである。行政や司法が勝手な判断でそれらを破棄し、消去することは、明らかに作意的だと言われてもしかたがあるまい。 なぜ、先進国の日本においてこのように不透明で手前勝手がまかり通ってしまうのだろうか。公文書への意識がもともと低いからだろうか。それとも単に「長いものに巻かれろ」といった自分の処世術の一つに過ぎない行動なのだろうか。権力を持つ人に従っておけば、自分だけは安泰で得策である、という考えが染みついているのであれば、いつの間にか、それは権力の横暴を招くことになる。権力の横暴は暴力的な支配力を生んでしまう。 その結果、国家間で最悪の事態になるのが戦争であって、誰もが望まない世の中になっていくのである。その時になってから、なぜこんな世の中になってしまったのか、と嘆いても遅い。 今日を生きる私たちにできることは、怖れではなく豊かなこころを持ち、ゆっくりでもまっとうな方向に進んでいくことではないだろうか。 公文書管理と情報開示の先進国ともいえる米国や英国、ドイツ、そして航空機事故調査や再調査について公開裁判が当たり前に行われるインドなどに日本流の曖昧さは通じない。 やっていいことと、悪いことがある、最低でも次世代にこれだけは伝えなければならないのである。 世界の輪 今回は一人の英国人研究者と遺族との出会いが、さらに新たな出会いを生んだ。 まずカーディフ大学教授のクリストファー・P・フツド氏に感謝申し上げる。 彼は英国人として独自の切り口から日本人の精神についての考察を展開している非常にユニークな研究者である。新幹線を舞台にしてミステリー小説も書くほどの日本好きの彼によって、今回の英国訪問とカーディフ大学での講演が実現できた。 ついこの間まで私は、アイデンティティを封じ込められて苦悩しながら生きてきた英国人の遺族の存在を知らなかった。この本は彼女の積極的な行動なしには書けなかっただろう。Ms.Susan Belinda BAYLY・YUKAWAに、心から感謝したい。なお、彼女の名前のカタカナ表記だが、英国風の呼び方であって故湯川昭久氏が表記した形に添うように書いた。正式には、ズザン・ベリンダ・ベイリイ・湯川、である。 英国人法廷弁護士の0・M氏とJ・T氏、BBC英国公共放送のジャーナリストR・C氏、世界中に幅広いネットワークを持つ、ロビー活動専門の政治コンサルタントのM・B氏、元英国航空機事故調査委員で世界的に活躍する航空機事故衝突コンサルタントのD・G民らにも的確なアドバイスをいただき、大変ありがたく思っている。なお、ロンドンで素敵な梅の花の名刺をいただいたC・K氏にも感謝申し上げる。今後もこのつながりを大切にしていきたい。 不起訴確定後、長年にわたり、司法の場でこの間題が取り上げられなかったことで苦悩してきた遺族のために立ち上がってくださった三宅弘弁護士には心から敬意を表する。五二〇の魂も喜んでいることだろう。 「墜落原因を明らかにしないことは公共交通機関としての存在意義にも問われる、原因不明のまま終わらせて済む話ではない、国民の財産である公文書や元本、元のデータはすべて情報公開法に基づいて適切に対応しなければならない」と語ってくださった三宅弘弁護士には、どれほど感謝してもしきれない。 遺族の願いをかなえるべく、今後展開する司法への道がスムーズに開かれるように関係者名をイニシャル表記とさせていただく。 なお私のペンネームは、元・上野村村長の故・黒澤丈夫氏に付けていただいた。上野村の青い山々から、「青山」、物事には透明性が必要であるとのことから「透子」である。透明性を保ち、なんの圧力もバイアスもかかることなく本当のことを書くことが不可欠であるため、本名は非公開とさせていただく。今後、三宅弁護士や海外などの関係者も含め、個人情報に関することでこの問題を封じ込めようとする動きがあれば、ただちに法的に対応することを明記しておく。 思えばその昔、自民党宏池会が公募した「魁−ほんとうに大切な日本の未来像を考える−」というテーマの論文募集に私の論文が入選し、同じく論文が採用された精鋭の人たちとともに、政策に関する会合に参加する機会が何度かあった。ずいぶん以前のことだったが、当時は何かを変えていかなければいけない、このままでは決してよくない、という気概が国会議員の皆さんに滲み出ていた。無知に甘えて勝手に恣意的な政策を語ってはいけないと、懸命に努力をされていた。 その後、群馬県警察医の医師と遺族の吉備素子氏が首相公邸で話をする機会があった。まずは誰もが事実を知ることから初めていかなければならない。 公務員たちも、誰かからの指示で集団ぐるみでネットに書き込むことや、日頃のうっぷんをヘイトで晴らすことや、不本意なことを強要されるような仕事を望んではいないはずだ。隠蔽に加担させられることで得られる利益は必ず身を亡ぼす。 そういった心の歪みがどのような形で表れてくるのか。 先日、覚醒剤保持で逮捕された経済産業省や文部科学省のキャリア官僚は、省内の職場の机の中に注射器を保管し、トイレや会議室で使用したと供述している。ということは、その周りの人間たちが気付かないはずがない。すでに職場全体に蔓延しているのかもしれない。そのうち、薬物依存の入口である大麻も覚醒剤も合法にすれば逮捕されずに済む、という極めて勝手なことを言い出して、そのお金に群がる人たちを巻き込み、法律改正を言い出し始めかねない。それこそ言語道断である。一人が逮捕されても、その根っこを絶たない限り、こういった事態は続いていく。ストレスを薬物で解消するほどみじめな日々を送っていることになる。 これは日航の酒酔いパイロットの逮捕事件と同じ構造だ。隠し通そうとすればするほど奈落に落ちてゆく。その一部始終は隣の誰かにすべて見破られている。官僚もまっとうではない生き方をするために、必死に勉学に励んだわけでもあるまい。誰もが自分自身の役割をきちんと成し遂げること、違法行為に目をつむらないこと、失敗を安易に許さず原因を考えること、失敗したらそれを正直に話すこと、これができる人間が本当に強い人ではないだろうか。その努力を続けることで、何よりも自分自身が理想とする心地よい生き方ができるはずだ。そういう人たちとともに、この事件を解明していきたいと思っている。 相模湾に沈んだ機体の残骸引き上げの実現はどうすれば可能となるのだろうか。 まず、墜落原因の究明に命をかけている遺族たちに、運輸安全委員会がそれらを放置していたことを謝罪する。その遺族が見守る中、若い自衛隊員有志によって相模湾から残骸が引き上げられ、その模様をメディアは襟を正して報道する。英国や米国など海外の航空機事故調査専門委員が分析を行ったその結果を踏まえ、日本航空が本当の墜落の原因について展示をし直し、すべての生のデータは国の公文書館へ寄付をする。 自発的にそれができない場合は司法の力をもって解決するしかない。 墜落をめぐる無駄な論争を仕掛け、姑息な手段で追及を逃れる人生を送ってきた人の行為に終止符を打ち、明らかになった事実を正面から見つめる機会を与える。自分さえ黙っていればどうせわからないだろうと次世代に汚点を残していくのではなく、せめて後世の人たちに悔い改めた姿を残す。これは恐怖心が支配する自分の心との闘いである。突き詰めれば自分の存在価値を高めたいという過去の欲望と、権力を失いたくない、素直に謝れないという怖れがこういう事態を引きおこしたのだろう。自国の失敗を他国のせいにしてスムーズに事が運ぶはずはない。どこかで誰かが注視しているのである。 それによってもたらされる波紋が津波以上の大きさであろうとも、静かな凪であろうとも、次世代が判断することにとやかく口を挟んではならない。 この実現こそが五二〇の魂へ向けた本当の鎮魂であり、その上で私たちは心安らかに納得のいく未来を築くことができるのである。 日航123便における四冊日の本を世の中に送り出してくださった河出書房新社の皆様、編集者の西口徹氏に感謝の念をお伝えしたい。 一年間、この問題を正面からとらえて研究して一生懸命に研究発表を行った県立T高校の生徒たちとその教師の皆様、いつも丁寧なお手紙を送ってくださる多くの読者の皆様に心より感謝申し上げる。 また、この本の出版記念の日(七月十六日)に、早稲田大学法学部と比較法研究所の共同開催ということで、早稲田大学法学部8号館においてシンポジウムを行うことになった。 基調講演は三宅弘弁護士である。タイトルは「情報公開と知る権利−今こそ日航123便の公文書を問う」で、私も登壇してこの墜落に関する多くの疑問点について解説をする。森永卓郎氏は「日本経済から見る1985年」という視点から問題を投げかけて講演してくださる。英国人遺族のスゥザンも来日して、日本人遺族の小田氏、吉備氏らとともに、自分たちが果たすべき本当の役割について語る。この画期的なシンポジウムにはきっと多くの学生や研究者、弁護士たちが参加するだろう。そして最も重要なのは海外メディアへのプレスリリースである。これによって一気に今後の展開が加速するだろう。世話人を引き受けてくださった水島朝穂早稲田大学法学学術院教授に心から感謝する。 最後に感動的なメールを読者の皆様と共有したい。 一七八ページから一八三ページまでに掲載した英文の手紙及び訳文は、小田周二氏がご自身の著書を英国在住の遺族、スゥザンさんに贈った際に、彼女から届いたお礼のメールである。 今後、国際的にも日航123便のような不透明な事故調査とならぬよう、国際的な法律の制定を働きかけることが私たち遺族の使命である、と結んでいる。特に軍事問題が絡む場合、なすべきことをなさない国家に対する市民たちの力が試される時である。 多くの市民の力でこれらを成し遂げたとき、きっと日本は変わる。いや、そういう未来を創るために、今こそ変わらなければならないのである。 二〇一九年(令和元年) 六月一日 青山透子 以下に、スゥザンがメールで小田周二氏に送った手紙(二〇一九年五月二十三日)とその拙訳を掲載しておきます。 Dear Oda san, I hope you are well. Thank you so much indeed for sending me your very precious books! I received them today and I was so surprised and deeply touched by your very kind gesture,I am truly grateful. I have repeatedly read your letter,my heart breaks for you,you were robbed of your children,I feel your pain my heart goes out to you. You lost your sister in law and her two children too.Your grief must have been unbearable,I know it never goes away. You have devoted your life to finding the truth and I have the greatest respect and admiration for your every effort and determination. Your children and other family members are surely with you in spirit. It is unthinkable that the Japanese government and Self Defense Army failed to be transparent.This cover up is indeed an absolute crime and must be exposed. I will do everything in my power to join your efforts because like you all I live for the truth to come to light−and we will achieve it!It’s our mission! It’s already too much in one life time that we have to endure the loss of our loved ones−We should not be tortured as well by lies and lack of truth this only deepens our pain and is unlawful. We deserve only the truth.Like you I am absolutely determined. I am determined to find ways to reach out to the media on the global platform− I am sure with enough foreign media pressure the government will be forced to act−eventually they have to. When the truth is out and the real cause of the JAL123 crash is determined−I hope we could achieve the creation of a new international law to prevents any government from biding the truth after an air crash. Full disclosure of all relevant information should automatically be compulsory so the guilty can be held responsible for murder. Once again,thank you so much again for your great kindness,I will treasure your books. My heart goes out to you. Warmest wishes Susanne Susanne Bayly−Yukawa (拙訳) 小田さん、 お元気でいらっしゃることと存じます。 貴重な本を送ってくれて本当にありがとうございます。 私は今日あなたの本を受け取りました、そして私はあなたのとても親切な行為に驚いてそして深く感動しました、私は本当に感謝しています。 私は繰り返しあなたの手紙を読みました、私の心はあなたのために痛みます、あなたは子供を奪われました、私は同じ痛みを感じています。あなたは義理の妹と彼女の二人の子供も失いました。その悲しみは耐え難いものだったに違いありません、私はそれが決して消えないことを知っています。 あなたは真実を見つけることにご自身の人生を捧げました、そして、私はあなたのあらゆる努力と決意のために最大の尊敬の念を持って称賛いたします。 あなたの子供たちや家族の方々は、きっとあなたと志を同じくするでしょう。 日本政府と自衛隊が透明性を欠いていたことは考えたくもありません。この隠蔽は確かに絶対的な犯罪であり、暴露されなければなりません。 私はあなたの努力に加わるために全力を尽くすつもりです。それが私たちの使命です! 私たちが愛する人の喪失に耐えなければならないのに加えて一生のうちにあまりに多すぎる――つまり、私たちは嘘と真実の欠如によってもさらなる拷問を受けるべきではなく、これは私たちの苦痛を深めるだけでこれらは不法です。 私たちが受けるべきなのはただ真実だけです。あなたと同じように私も固く決心しています。 私は、グローバルなプラットフォームでメディアに手を差し伸べる方法を見つけることを決心しています、政府が強制するであろうことに対して十分な外国メディアの圧力により、最終的に彼らはしなければならないと確信しています。 真実が明らかになり、日航123便の墜落の本当の原因が判明したとき、私たちはいかなる政府からの妨害も防ぐために新しい国際法の創設を達成することができればと思います。 航空機墜落に真実を隠している、そのすべての関連情報の完全な開示は自動的に強制的に行われるべきであり、その結果、有罪ならばこの殺人行為に対して責任を負うことになります。 もう一度、どうもありがとうございました。あなたの本を大切にします。 私の心もあなたと共にあります。 ご多幸をお祈りして 敬具 スゥザン・ベイリイ・湯川
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