第一部 マルクスの環境思想とその忘却
はじめに著者の略歴を以下に記す。 斎藤幸平(さいとう・こうへい) 一九八七年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。 ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。 Karl marx’s Ecosocialism:Capital,Nature,and the Unifinished Critique of Political Economiy(邦訳『大洪水の前に』角川ソフィア文庫)によって「ドイッチャー記念賞」を日本人初、歴代最年少で受賞。同書は世界9カ国で翻訳刊行されている。 日本国内では、晩期マルクスをめぐる先駆的な研究によって「日本学術振興会賞」受賞。 『人新世の「資本論」』(集英社新書)で「新書大賞2021」大賞を受賞。 他の著書に『ゼロからの『資本論』』(NHK出版新書)、『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA)など。 本書は以下のような構成になっている。 はじめに 第一部 マルクスの環境思想とその忘却 第一章 物質代謝論と環境危機 第一節 「マルクスのエコロジー」の抑圧 第二節 「マルクスのエコロジー」の再発見 第三節 物質代謝の亀裂の3つの次元 第四節 物質代謝の転嫁の3つの次元 第五節 ローザ・ルクセンブルクの物質代謝論とその忘却 第二章 マルクスとエンゲルスと環境思想 第一節 知的分業? 第二節 『資本論』の著者マルクスと編者エンゲルス 第三節 「支配」と「復讐」の弁証法 第四節 エンゲルスの抜粋ノートと経済学批判 第三章 ルカーチの物質代謝論と人新世の一元論批判 第一節 『歴史と階級意識』の曖昧さ 第二節 ルカーチの自然弁証法と科学的二元論 第三節 ルカーチの物質代謝論と存在論的一元論 第四節 環境危機批判としてのルカーチの恐慌論 第二部 人新世の生産力批判 第四章 一元論と自然の非同一性 第一節 人新世、資本新世、テクノ新世 第二節 一元論と自然の生産 第三節 人新世から資本新世へ 第四節 「形態」と「素材」の非デカルト的二元論 第五節 資本の弾力性と環境危機 第六節 良い人新世? 第五章 ユートピア社会主義の再来と資本の生産力 第一節 加速主義とポスト資本主義 第二節 「一般的知性」と人類の解放 第三節 労働の包摂と資本の生産力 第四節 資本主義的生産様式と史的唯物論 第五節 選挙主義とイデオロギーとしての技術 第三部 脱成長コミュニズムへ 第六章 マルクスと脱成長コミュニズム−MEGAと1868年以降の大転換− 第一節 MEGAと晩期マルクス 第二節 史的唯物論の解体 第三節 ロシアとコミュニズムの新しい理念 第四節 マルクスのコミュニズムの展望における変容 第七草 脱成長コミュニズムと富の潤沢さ 第一節 経済的・生態学的な破局としての本源的蓄積 第二節 マルクスの「富」の概念と『資本論』の真の始まり 第三節 「否定の否定」とコミュニズムの潤沢さ 第四節 脱成長コミュニズムへの道 結論 日本語版あとがき それでは、以下「はじめに」に続いて、それぞれ各章の内容の概略をまとめていきたい。ただし、第二部の第四章・第五章についてはヨーロッパにおける学会に向けの議論が主となるので、ここでは省かせていただくことにした。 はじめに ギリシャ神話の神プロメテウスは、全知全能の神ゼウスの怒りによって火が奪われ、自然の猛威や寒さに人類に同情し、ゼウスを欺いて火を盗み、人間に与えた。はじめ、火を手に入れた人類は自然の力に打ち、プロメテウスの願い通りに、技術や文明を発展させていく。ところが、豊かになっていく過程で人は火を使って兵器を作り、戦争で殺し合いを始めてしまう。さらなるゼウスの怒りを買ったプロメテウスの罰として、コーカサス山の岩場に釘づけされ、半永久的に鷲に肝臓を啄まれ続けることになる。 兵器だけではない。人類は「プロメテウスの火」の力で、原子力のような自分達では制御できないリスクの大きい科学技術を発展させ、さらには大量の化石燃料を燃やすことで、地球そのものを気候変動の影響で燃し尽くそうとしている。人類の擁護者であるプロメテウスの「夢」は、「自然支配」という人類の「夢」に転化した。だがまさにその夢が私たちの暮らす文明の危機を引き起こしているのだ。その結果、ソ連崩壊後にフランシス・フクヤマが宣言した「歴史の終わり」は、当時はまったく想定されていなかったような終焉、つまり人類史の終わりを迎えようとしているのである。 実際、新自由主義とグローバリゼーションの席巻は、第二次世界大戦終結以降の人間活動による地球環境に対する負荷の急激な増大を加速させ――すべての主要な社会経済および地球システムにおける指標がホッケースティックのような上昇曲線を描く「大加速Great Acceeration」の時代だ――だ、文明の物質的基盤を破壊しようとしている。現在のパンデミック、戦争、気候崩壊はすべてソ連崩壊後の「歴史の終わり」と資本主義のグローバル化がもたらした事態であり、民主主義、資本主義、生態系を慢性的な複合危機に陥れているのだ。 現在の生活様式が人類の破滅に向かっているという現実はもはや無視できないものになっているが、資本主義は終わりなき過剰生産と過剰消費に対する代替案を提供することはできていない。実際パリ協定が目指す1.5℃目標を達成しようとするなら、社会のほぼすべての領域における徹底的かつ急速なシステムの大転換が必要であるが、そのような動きはどこにも見られない。さまざまな形での警告、批判、反対の声があげられてきたにもかかわらず、化石燃料の消費量が今も増え続け、格差が拡大している現状を見れば、資本主義が現在の姿を大きく変えることができると信じるに足る理由もない。 だからこそ、資本主義の廃絶を掲げて直接行動をとる、よりラディカルな社会運動が世界中で現れ始めている。ゴッホの絵にトマト・スープをぶちまけた「ジャスト・ストップ・オイル」やフランス政府に解散命令を出された「大地の蜂起」に参加する若者たちを想起してほしい。そこでは、有限の惑星で無限の蓄積を目指す資本主義こそが気候崩壊の根本原因であると明言されるようにまでなっているのである。 若い世代を中心とした環境運動のラディカル化は、「歴史の終わり」の「終わり」をもたらす。そしてこれこそソ連崩壊後「死んだ犬」のように扱われてきたマルクス主義にとって新たな歴史的状況を意味する。環境運動の側が現在の経済システムの破壊的性格や不合理性をはっきりと問題視するなかで、マルクスヘの関心が高まりつつあるのだ。ここで、マルクス主義の側がより持続可能なポスト資本主義社会の具体的ビジョンを提示できれば、マルクス主義は復活できるかもしれない。しかしながら、いまのところ、そのような試みは十分に成功していない。それどころか、ソ連の失敗の後にマルクスの遺産を再び引き合いに出すことには反発がある。マルクスの思想は、今日ではもはや受け入れることのできない生産力主義や自民族中心主義に囚われていると、繰り返し批判されてきたからである。 惑星規模の環境危機に直面しながらも、グローバル・ノースを中心とした資本主義におけるさらなる生産力の発展が人類解放に向けた歴史の推進力として機能し続けると考えるのは、たしかに今日では、あまりにもナイーブだろう。事実、現在の状況はマルクスの時代とは決定的に異なっている。環境運動にとって、資本主義はもはや進歩的ではない。むしろ、社会の生産と再生産の一般的諸条件を破壊し、人間とその他の生命を深刻な脅威にさらしているのだ。資本主義が歴史的進歩をもたらすというマルクスの考え方は、絶望的なほど時代遅れに見えるのである。 それでもマルクス主義の再生を望むなら、その際の必須条件は、いわゆる「史的唯物論」という「生産力」と「生産関係」の間の矛盾を進歩の動力とする悪名高い歴史観に依拠するマルクス像を解体することではないか。これこそ本書に込めた想いである。そのうえで惑星規模の環境危機を前に人類の歴史を終わらせるような悲観主義や終末論に陥らずに、マルクス主義の観点から明るい別の未来を構想したい。 その際気候変動の問題を扱うのであれば、「自然」の問題を避けて通ることはできない。ビル・マッキベンはかつて、グローバル資本主義は地球全体を大いに改変するため、近代世界が長きにわたって前提としてきた「手つかずの自然」は永久に失われると警告した。マッキベンが描こうとした事態は近年で一般に「人新世Anthoropoccene」という地質学の概念で呼ばれるようになっている。人類は巨大な科学技術力を持ち、惑星全体をかつてない規模で変化させる「地質学上の一大勢力」になったというわけだ。 しかし、人新世の現実は、自然の支配によって人間の解放を実現するという「プロメテウスの夢」の実現からはほど遠い。海面上昇、山火事、熱波、大洪水やパンデミックを伴う気候変動は、「自然の終焉」が弁証法的に「自然の回帰」に転じることを示している。その際には自然が疎遠な力として人間に対立し、人間を屈服させることさえある。 このような自然の制御不能性の増大に直面するなかで、人類と自然の関係を再考することが緊急の課題になっている。 (中略) そこで、本書は、マルクスの物質代謝論に基づく「方法論的二元論」を展開することで、人新世における人間と自然の関係を独自の仕方で把握していく。 人新世の存在論は、実践的にも重要な意味を持つ。マルクスの方法論を正しく理解することで、ポスト資本主義をめぐる最近の議論にも、マルクスが独自の貢献を成すことが判明するからである。 (中略) 他方で、経済、民主主義、ケア、環境といった多層的に絡まり複合危機が深まり、その危機が新型コロナウイルスの世界的流行とロシア・ウクライナ戦争によってさらに強められるにつれ、ラディカルな「システム変革」を求める声が左派のあいだで大きくなっている。スラヴォイ・ジジェクとアンドレアス・マルムはともに「戦時コミュニズム」を主張し、ジョン・ベラミー・フォスターやミシェル・レヴィも「環境社会主義ecosocialism」の理念を打ち出しているのだ。 だがより注目に値するのは、マルクス主義者ではない学者の間でさえも、そのような議論が提起されるようになっているという事実だろう。その典型は「社会主義の時が到来した」と断言するトマ・ピケティであるが、気候危機との関連でいえば、「環境社会主義」をはっきりと支持するナオミ・クラインの主張も重要である。 (中略) クラインはマルクス主義者ではないという事実を踏まえると、彼女が社会主義を擁護するようになっているという事実は特筆すべき変化である。 (中略) それはまさに、惑星規模の環境危機が資本に抵抗する普遍的な政治的主体性を構成するための物質的基礎を提供するようになっているからだ。つまり、資本主義はグローバルな「環境プロレタリアート」を生み出している。それだけ多くの人々の生活諸条件が無限の資本蓄積が引き起こす環境破壊によって著しく損なわれるようになっているのである。 より自由で平等で、さらには持続可能な生活のための想像力と創造力を育もうとする、クラインやピケティらの試みからも刺激を受けながら、本書はマルクスの理論を参照して、人新世にふさわしいポスト稀少性社会の姿を提示していきたい。もちろんそれは、ソ連型「社会主義」とはまったく異なる、新しい未来社会である。人新世という新しい地質学的概念を、自然科学を超えて経済学、民主主義、環境正義をめぐる現代の問題と結びつけることで、マルクスが構想していたエコロジカルなポスト資本主義の理念を現代に復活させることを目指ざすのだ。 その際、本書のプロジェクトは、(Marx‐Engrs‐Gesamtausgabe MEGA)で初めて刊行された新資料を活用した近年のマルクス研究の成果に依拠している。とりわけMEGA第W部門でマルクスの自然科学に関する研究ノートが刊行され、マルクスの環境への関心が従来の想定よりもはるかに広いことが判例してきている。これらのノートは長い間研究者によっても無視されてきたが、最近の研究では、マルクスは地質学、植物学、農芸化学の研究を通じて、気候変動や天然資源の枯渇(土壌養分、化石燃料、森林)、種の絶滅といった資本のさまざまな掠奪行為を分析していたことが示されているのだ。 その結果、マルクスの経済学批判のなかでも環境の領域こそが、人新世においてマルクスの知的遺産を再生させるための中心領域になっていると言っても誇張ではない。とりわけマルクスの「物質代謝の亀裂」という概念は、現代資本主義が引き起こす環境問題に対する批判に不可欠な概念になっている。 そこで本書第一部では、マルクス主義の理論的・方法論的基礎として物質代謝論を展開し、環境社会主義の基礎を準備する。その際には、マルクスだけではなく、フリードリヒ・エンゲルス、ローザ・ルクセンブルク、ルカーチ・ジェルジュ、メサーロシュ・イシュトヴァンといったマルクス主義者たちの議論を合わせて取り上げることで、「物質代謝」という概念がもつ理論的射程を明らかにしていきたい。 繰り返せば、このプロジェクトはたんにマルクスの物質代謝概念をより正しく理解するだけにとどまらない。「物質代謝の亀裂」という概念の展開に取り組む価値があるのは、環境危機に対するアプローチの仕方が異なれば、そこから出てくる危機への処方箋も異なるからである。つまり、特定の理論へのコミットメントは実践的帰結を伴うのである。 だからこそ「物質代謝の亀裂」の概念を批判する形で、人新世における人間と自然との関係を把握する「ポストマルクス主義」的な試みが現れてきている事実は、偶然ではない。その特徴は、哲学的な一元論への傾倒である。そして、一元論の支持者たちは、マルクス主義の「存在論的二元論」が人新世における自然の存在論的地位を適切に理解できていないと批判する。資本主義が環境全体を徹底的に再構築するため、自然なるものはもはや存在しない。自然は資本主義の発展を通して「生産」されるものになっているというわけだ。そのような状況を前にして、一元論者は存在論的二元論を捨て、「ハイブリッド」や「ネットワーク」によって特徴づけられた関係的思考で置き換えることを主張するのである。 しかし、一元論は失敗したプロメテウス主義を人新世に蘇らせ、自然へのさらなる介入を正当化することになりかねない。このような「地球構築主義」のアプローチは、人新世においてはすでに自然に対する人間の介入が多くなり過ぎていると主張する。それゆえ、環境破壊を恐れて介入を止めようとする訴えは無責任であり、より酷い大惨事を招くというのだ。地球構築主義によれば、人間の解放につながるかはともかく、人類生存の唯一の道は、惑星全体をさらに徹底的に改変することによる地球のスチュワードシップしかないという。この新しいプロメテウス主義は、ポスト資本主義の未来像を刷新しようとするマルクス主義者たちにも影響を与えている。 そこで本書の第二部では、マルクスの「方法論的二元論」と「物質代謝の亀裂」を擁護しながら、人新世におけるさまざまな一元論とプロメテウス主義に応答していきたい。 現代の一元論とプロメテウス主義の理論的限界を批判的に検討したうえで、本書の第三部では晩期マルクスのポスト資本主義像をエコロジカルな視点から再検討していく。MEGA研究によって新たに浮かび上がってくるのは、マルクスが1868年以降、自然科学、人文科学、社会科学の学際的研究を通じて、理論的な大転換――アルチユセール的な意味での「認識論的切断」――を成し遂げたという事実だ。 マルクスが最終的に獲得したポスト資本主義像は、「脱成長コミュニズム」と呼ぶべきものなのである。 脱成長コミュズムの理念は、「資本主義リアリズム」を克服することを可能にしてくれる。晩期マルクスに立ち返ることでこそ、人新世における未来社会の積極的な展望を提示することができるようになるのだ。これこそまさに、今日私たちがマルクスを読むべき理由である。 しかし、もし実際にマルクスが脱成長コミュニズムを提唱していたのなら、なぜこれまで誰も指摘しなかったのか、そしてなぜ、マルクス主義は生産力主義的な社会主義像を支持してきたのだろうか、と疑問に思うかもしれない。だが、実はその理由は簡単で、「マルクスのエコロジー」が長い間無視されてきたからである。 したがって、マルクスの脱成長コミュニズムを再構成するためには、まずマルクスのエコロジーの周緑化の歴史を系譜学的にさかのぼる必要がある。もちろん、この系譜はマルクス自身から始まる。 第一章では、MEGAで公刊された自然科学に関するマルクスのノートを参照しつつ、「物質代謝の亀裂」の三つの次元と技術によって媒介される地球規模での時間的・空間的「転嫁」を展開していく。資本蓄積にとって自然の収奪が必須の前提だという洞察は、その後、ローザ・ルクセンブルクによって深められる。彼女は『資本蓄積論』において、資本主義の周縁部における人々や環境に対する破壊的作用を物質代謝論を用いて問題視していたのだ。 とはいえ、ルクセンブルクは「物質代謝」という概念を取り上げる際、それをマルクス批判として定式化したのだった。彼女の批判は、マルクスの物質代謝論が当時でさえも十分に正しく理解されていなかったことを示唆している。このような誤解は、マルクスの著作の多くが末公刊であり、ルクセンブルクもそれらを利用できなかったため、仕方のない側面もある。しかし、それだけが原因ではなく、労働者階級のための体系的な世界観として「マルクス主義」を確立しようとしたエンゲルスのマルクス解釈に端を発しているのだ。 そこで、第二章では、マルクスの物質代謝概念がどのように歪められていったかを辿るために、エンゲルスの編集した『資本論』とMEGAで公刊されたマルクスの経済学草稿、および抜粋ノートとを比較し、エンゲルスがマルクスの物質代謝論をどのように受容したかを明らかにしていく。この考察によって、マルクスとエンゲルスの間にはとりわけ物質代謝の扱いに関して、微妙ではあるが、しかし理論的には決定的となる相違があることが判明するだろう。そして、まさにこの違いのせいで、エンゲルスはマルクスの環境思想を正しく理解することができず、物質代謝の概念は、マルクスの死後に周縁化されることになってしまったのだ。 こうした周緑化の過程は、1920年代の西欧マルクス主義の理論的展開にもはっきりと記録されている。よく知られているように、西欧マルクス主義は、マルクスとエンゲルスを厳密に区別して両者の理論的差異を強調していた。その際には、エンゲルスが弁証法を自然の領域へ不合理に拡張したことが、ソ連正統派マルクス主義の機械論的社会分析の原因であると非難されたのである。しかし、エンゲルスに対する厳しい批判にもかかわらず、西欧マルクス主義者たちは、マルクスが自然についてほとんど論じていないという根本的な前提をソ連正統派マルクス主義と共有していた。まさにそのような思い込みによって、西欧マルクス主義はマルクスの物質代謝論と環境思想の重要性を無視する結果になってしまったのである。 けれども第三章で論じるように、西欧マルクス主義の創始者であるルカーチは、西欧マルクス主義の一面性を反省し、物質代謝の概念に着目した例外的な人物であった。たしかに『歴史と階級意識』のなかで、ルカーチはエンゲルスの自然の取り扱いを批判し、西欧マルクス主義に絶大な影響を与えた。だが、ルカーチは『追従主義と弁証法』という1925−26年に書かれた未発表草稿において自然の問題に取り組み、それを物質代謝論として展開したのである。この草稿は長い間知られていなかったため、『歴史と階級意識』におけるルカーチの意図は正しく理解されず、理論的一貫性の欠如や曖昧さを繰り返し批判されてきた。しかし『追従主義と弁証法』を読めば、ルカーチの人間と自然の関係の取り扱いには、社会的なものと自然的なものを区別するマルクスの「方法論的二元論」との連続性があることが判明する。ルカーチの物質代謝論は「形態」と「素材」が織りなす「非デカルト的」二元論であり、それは、現代の一元論とは一線を画す資本主義批判を可能にする。にもかかわらず、ルカーチの物質代謝論はソ連正統派マルクス主義と西欧マルクス主義の双方によって拒絶され、ここでも「マルクスのエコロジー」は周縁化されてしまったのである。 その結果マルクスの方法論的二元論が今日でも正しく理解されていないため、物質代謝の亀裂という概念は依然としてさまざまな批判に晒され続けている。 第四章では、これらの批判に応答するために、ジェイソン・W・ムーアの「世界=生態world-ecology」や、ニール・スミスとノエル・カストリーの「自然の生産」に代表されるマルクス主義版の一元論を取り上げる。両者のアプローチには明確な理論上の違いはあるものの、これらの一元論的な資本主義理解が示すのは、マルクスの方法論に関する誤った理解が、生産力主義という問題含みの帰結を生み出すということである。 第五章で論じるように、マルクスの方法論に対する無理解は、近年のプロメテウス主義の復権にもつながっている。現代のユートピア・マルクス主義者は、マルクスの『経済学批判要綱』を引き合いに出して、情報通信技術(例えば人工知能(AI)、シェアリング・エコノミー、モノのインターネット(IOT))と完全自動化を組み合わせた「第三次産業革命」によって、人間は労働の苦役から解放され、資本主義の市場メカニズムを廃棄できると主張する。けれども、技術が約束する夢のような未来社会を吹聴しながらも、その本質は、古いプロメテウス主義の反復に過ぎない。この根強いプロメテウス主義と決別するためには、1850年代に書かれた『要綱』ではなく、1860年代になってから使われるようになった「実質的包摂」概念に着目する必要がある。この概念に着目することで明らかになるのは、資本主義のもとでの技術発展に対するマルクスの見方に大きな転換があったという事実である。そのことがはっきり現れているのが、『資本論』における彼の「資本の生産力」に対する批判である。この批判によってマルクスは、資本主義における生産力の発展が、必ずしもポスト資本主義への物質的基盤を準備するものではないとはっきりと認識するようになったのである。 しかし、生産力の将来的発展に対する楽観的な支持を撤回したことによって、マルクスは新しい困難に直面することになった。生産力の増大が資本主義のもとで果たす進歩的な役割に疑問を呈し始めると、マルクスは必然的に自らのそれまでの進歩的な歴史観に異を唱えざるをえなくなったからだ。 第六章では、晩期マルクスにおけるこの自己批判の過程を再構築していく。この理論的危機に着目することによってのみ、なぜマルクスが『資本論』の続刊を完成させようとするなかで、自然科学と前資本主義社会を同時に研究しなければならなかったかが明らかになるだろう。しかも、これら2つの領域を集中的に研究することで、ついにマルクスは1868年以降に、もう1つの決定的なパラダイムシフトを経験することになる。1881年にマルクスがヴェラ・ザスーリチに送った手紙はこうした観点から再解釈されなくてはならない。この手紙には彼の非生産力主義・非ヨーロッパ中心主義の未来社会像が刻印されており、それは「脱成長コミュニズム」として特徴づけられるべきものなのである。 多くの人は脱成長コミュズムという本書の結論に驚くに違いない。これまで、マルクスのポスト資本主義の展望をこのような形で提示した人物は誰もいなかったからだ。しかも、脱成長とマルクス主義は長いあいだ敵対関係にあったのでなおさらだ。しかし、もし晩期マルクスがラディカルに平等で持続可能な社会を求めて、定常経済や脱成長の理念を受け入れたとしたら、両者の間には新たな対話の空間が生まれる。そのような新たな対話を実りある形で始めるために、最終章では『資本論』や他の著作を脱成長の観点から再検討していく。 つまり、第七章では、『資本論』を越えて先に進むための試みとして『資本論』を再解釈していく。そうすることで、これまでは生産力主義の表明だと見なされてきた箇所についても、まったく異なった新しい解釈を提示できるようになるだろう。とりわけ『ゴータ綱領批判』における「協働的富genossenshaftlicherReichtum」の持つ「ラディカルな潤沢さ」は、ポスト稀少性経済における非消費主義的な新しい生活様式を示唆しており、それこそが人新世における地球規模の環境危機を前にして、安全かつ公正な社会を実現させるコミュニズムの基盤になるのである。 第一部 マルクスの環境思想とその忘却 第一章 物質代謝と環境危機
マルクスのエコロジーの「抑圧」 マルクスの環境問題への関心については、マルクス主義者を自称するような人たちさえも長らく否定的であった。マルクスの社会主義思想は、自然の支配を目指すプロメテウス主義によって特徴づけられるとし、少なからぬ20世紀のマルクス主義者たちも、環境保護主義を本質的に反労働者階級的で、上流中産階級のイデオロギーにすぎないと考え、さらなる技術革新と経済成長による労働者階級の物質的利害の促進を擁護してきたのであった。 その理論的な背景としては資本主義のもとでの生産力の発展こそが人類解放のための物質的基盤を提供するという「史的唯物論」がある。その陰で、マルクスの環境思想は長い間無視されたてきたのである。 その理由の一つにマルクスの経済学批判が未完であったことに関係がある。よく知られているように、マルクスは『資本論』第二部と第三部を生前に完成させることができなかった。そこで、マルクスの死後、エンゲルスが遺された異なる時期に書かれたさまざまな草稿をもとに編集し、第二巻、第三巻をそれぞれ1885年と1894年に出版したのである。その際マルクス主義者たちは、エンゲルス版『資本論』がマルクス自身の考えを真に反映した決定版であると考えてしまったのだ。 マルクスは特に晩年、自然科学をかなり熱心に研究し、環境問題についてのさまざまな抜粋やコメントを記したノート群を大量に残していたが、『資本論』草稿にそうした新しい知見を取り込むことはできなかったため、マルクスのエコロジーが世に知られるとこととはならなかったのである。 『資本を超えて』や『社会的制御の必要性』で展開されたメサーロシュの「社会的物質代謝」を検討することで、マルクスの環境思想の中心概念である「物質代謝の亀裂」を「経済学批判」との関連で、展開できるようになるだろうし、こうした作業を経れば、「物質代謝の亀裂」を三つの異なる次元に分類し、資本主義が引き起こす問題を多角的に分析できるようになる。また、亀裂の三次元に対応する形で、物質代謝の亀裂を転嫁するやり方にも三つの次元があることが判明するだろう。この転嫁のおかげで、資本は経済危機や環境危機に直面しても、危機からの回復力を弾力的に発揮することができるのである。 マルクスのエコロジーの再発見 しかし、21世紀に入り、こうした状況は変わりはじめている。「マルクスのエコロジー」への関心が高まりつつあるのだ。ソ連に実在した社会主義体制がどれほどの環境破壊を引き起こしたとしても、その崩壊と資本主義の「勝利」がもたらしたのは、さらに深刻な惑星規模の環境危機であった。しかも環境問題の解決を市場メカニズムに委ねようとするやり方が十分な効果を発揮せず、環境危機が深まり続けていることから、マルクス経済学を含めた異端派とされるアプローチに関心が集まり、その結果、「マルクスのエコロジー」の「再発見」がもたらされるようになっているのだ。 この再発見への道を固めたのは、ハンガリーのマルクス主義者メサーロシュ・イシュトヴァンであった。物質代謝概念に注目していたにメサーロシュが1970年代初頭にすでに資本主義のもとでの環境問題を論じていたことは、偶然の一致ではない。そして『資本を超えて』において彼がマルクスのエコロジカルな資本主義批判を前面に押し出した事実は、メサ一ロシュが長年にわたりマルクスの物質代謝論に取り組んできたことの理論的集大成とみなされるべきなのである。 ではまずメサーロシュが1971年の第一回ドイッチャー記念賞の受賞講演において述べた、環境問題と資本主義の「根本矛盾」に関する指摘からみていこう。 そこで彼は、無際限の資本蓄積の過程で膨大な廃棄物を産む破壊的な生産システムは、人間の解放をもたらすことはない。それどころか、長期的には社会の繁栄のための物質的条件を切り崩すことにならざるをえないと警告したのだ。当時の多くのマルクス主義者たちが資本主義のもとでの生産力の発展を人類史の推進力として受け入れていたことを考えると、メサーロシュの発言はかなり踏み込んだものである。 地球が有限である以上、資本蓄積に絶対的な生物物理学上の限界があることは明らかなはずだ。けれども、資本は自らに制限を課すことはできない。むしろ、資本は絶えずこの制限を乗り越えようとして、社会と自然に対する破壊性を増していく。それゆえ、人間の生存と自然環境の保全のためには、資本主義的発展の破壊的な性格に終止符を打つことを目的とした「社会的制御の必要性」が生じるのである。しかし、そのような社会的生産の計画化は資本主義的生産の無政府性と相容れない。だからこそ、自由にアソシエートした生産者による質的に異なる生産の組織化つまり、社会主義システムが必要だとメサーロシュは訴えたのだ。 さらにその15年後、メサーロシュは『哲学・イデオロギー・社会科学』(1986年)において、資本による自然の劣化と破壊の問題を物質代謝概念を用いて初めて定式化し、「すべての真剣なエコロジー論にとって」、物質代謝概念が重要だと強調するようになる。メサーロシュによれば、究極の問題は「資本が安全に乗り越えられるものと絶対的なものとのあいだに真の区別を決してつけられないことである。というのも資本は、その結果がどうなるのであれ、自己増殖する交換価値の盲目的な命令に従って、自分の歴史的に特殊な要求を絶対的な要求として主張しなければならないからだ」。つまり、資本は自身の歴史的必然性を「自然的必然性」として誤認してしまうために、資本が本当は決して乗り越えることのできない「自然的必然性」の存在を認識できないというのである。 本来、「自然的必然性」をなすのは、自然の普遍的な物質代謝によって人間は例外なく制約を受けるという生産の根本条件であり、生物物理学的な事実だ。ところが、資本はその代わりに、自然の絶対的限界さえも乗り越えられるかのようにふる舞うことを自らの歴史的必然性とみなす。たしかに、一部の自然の限界は、科学と技術の助けを借りて安全に乗り越えることができるだろう。だが全ての限界を乗り越えることは明らかにできない。にもかかわらず無限の価値増殖のために自然を無理矢理に征服しようとするなら、「自然の劣化と究極的破壊」を引き起こしてしまうというのである。 とはいえ、そのような指摘は、今日では比較的自明なことに思われるかもしれない。だが、メサーロシュはここで弁証法的に議論を転倒させる。資本は自然によって課される絶対的限界を認識できないという矛盾を抱えている。だからこそ、諸個人の普遍的発展の条件として「いまある障壁を意識的に認識する」ことこそが、革命的行為となるというのだ。「成長の限界」を突破するのではなく、受け入れることで資本主義に抗い、社会的制御によって、自由を構想する。この反プロメテウス的洞察は、環境主義と社会主義の融合に向けた重要な一歩となる。 そして、この議論がより体系的に展開されるのが、大著『資本を超えて』(1995年)である。そして、この作品によって、メサーロシュは、「マルクスのエコロジー」をめぐる言説的布置を大きく変え、フォスターやバーケットに大きな影響を与えたのだ。その際、メサーロシュはマルクスの「社会的な物質代謝」概念に着目することで、資本主義生産様式が歴史貫通的な人間と自然の物質代謝を(再)組織化する歴史的に特殊な方法を分析していったのである。 なぜこのアプローチが重要かといえば、伝統的なマルクス主義が剰余価値論を重視し、資本家による労働者階級の搾取の存在を暴露することに専念したのに対して、メサーロシュはそのような狭い視点へのアンチテーゼとして、物質代謝概念の重要性を強調するからだ。つまりメサーロシュは、物質代謝論によって資本主義批判の理論的射程を工場の外部にまで拡張しようとする。実際、マルクスは「社会的物質代謝の過程」を商品と貨幣が流通するなかで「ある有用な労働様式の生産物が別の有用な労働様式の生産物と入れ換わる」(『資本論』第一巻、138頁)過程として特徴づけている。メサーロシュの物質代謝論は、資本主義のもとでの社会的生産と再生産の歴史的ダイナミズムについての、包括的で統合的なアプローチを可能にしたのである。 そもそも物質代謝概念の重要性は今日でもしばしば過小評価されているが、『資本論』を正しく理解するために、この概念は不可欠だ。というのも、マルクス主義のもっとも根底的なカテゴリーである「労働」を、マルクスは人間と自然の物質代謝に関連づけて定義しているからである。 マルクスは、労働過程においては労働と自然の両方が本質的な役割を担っていることを強調している。「だから、労働は、それによって生産される使用価値の、素材的富の、ただ一つの源泉なのではない。ウイリアム・ペティの言うように、労働は素材的富の父であり、土地はその母である」(『資本論』第一巻、同上)。だからこそ、人間が自然に働きかける際、労働は自然法則と自然の普遍的な物質代謝におけるさまざまな生物物理的過程によって制約される。メサーロシュによれば、このような視点から見た労働という行為は人間と自然の物質代謝という「第一階層」における「一次的媒介」を構成している。「第一階層」とは、要するに、「それなしには人類はもっとも理想的な社会形態においてもおそらく生存しえない」根源的な次元を指す。 より具体的に言えば、人間が外部環境に対して行う物質代謝の方法は、気候、場所、資源やエネルギーの入手しやすさ、アクセスしやすさなど与えられた客観的な自然条件によって大きく異なるが、自然との関わり自体はどこにも共通している。物質代謝の第一階層は、人類の生存における根源的な自然制約を構成しており、それは強制力をもって「歴史的絶対」として残りつづける。 メサーロシュはこの点を、人間と自然の物質代謝における社会的構造化の必然性という形でまとめている。「人類が生存しようとする限り、一次的媒介の決定的な機能が継続可能になるような根源的な構造的関係性を確立するという要請から逃れることはできない」この要請から、コミユニケーション、協業、規範、制度、法律を媒介とする社会的構造が歴史的に形成されるようになる。人間と自然の物質代謝の編成はこの観点からすれば、「第一階層」の自然的・生態学的過程と並んで、同時に社会的・歴史的過程でもある。後者の具体的な形態はそれぞれの時代や場所における社会関係によって大きく変化する。それらは、メサーロシュの表現を使えば、「歴史的に特殊な社会的再生産システムの第二階層の媒介」を構成するのだ。 資本主義のもとでの「第二階層の媒介」の歴史的特殊性は、非資本主義社会における媒介と比較するとただちに明らかになるだろう。 資本主義的生産の一義的な目的は、なによりも資本の価値増殖である。資本主義は利潤追求の飽くなき欲求に駆られ、生産能力を絶えず増大させていく。そこでは、人間さえも価値増殖のための手段となる。これに対して、資本主義以前の社会では、人間こそが生産の目的である。つまり、生産は人間の具体的な欲求を満たすために行われ、特定の使用価値の生産こそが重視されたのである。 当然のこととして、価値増殖の極大化を目指す資本の論理による支配が強まっていけば、世界の姿は大きく変容していく。資本主義の拡張とともに、世界市場、技術、輸送と信用制度、人工的な欲望などが発展し、それらによって歴史的に特殊な「第二階層の媒介」が形成されるようになるからである。究極的には、人間と自然の物質代謝の第一階層は元の姿がわからなくなるほどに変容していくとメサーロシュは述べる。 このようにメサーロシュは、物質代謝論を軸に資本による「第二階層の媒介」をともなう社会的物質代謝の組織化が第一階層における人間と自然の物質代謝の歴史貫通的・素材的性格とは相容れず、長期的にはその質的劣化と破壊につながること。そして、この点を強調するために、それを資本が乗り越えることのできない自然の「絶対的限界」と表現した。そのような限界は資本から独立して存在するが、「総体性」を目指す資本は自然の絶対的限界を認識することができない。資本の体制は、すべてを包摂して自らが絶対的なものになるべく、自然の非同一性を否定し、自然の絶対的限界を相対化しようとする。しかし、資本から先立って、独立して存在する自然を資本の要請に従属させることは、長期的には自然の普遍的物質代謝を撹乱し、場合によっては崩壊させる。もちろんそのツケは社会の側にも跳ね返ってくることになる。 ここから浮かび上がるのは、社会と自然の非対称的な関係である。すなわち、物質的な土台としての自然は人間なしでも存在しうるが、その逆は不可能なのだ。社会は自然に依存する。これが唯物論の基本洞察である。 環境危機においては、そのような非対称性を無視して、一方的に自然を支配しようとする資本主義による第二階層の媒介の根本矛盾が顕わになるのだ。実際、今日の資本主義はもはや生産的ではなく、むしろ破壊的であり、人間の生存すらも脅かしている。こうして、「資本の限界」が顕在化する。資本の限界は、いまやただ生産性と社会的富のさらなる増大に対する物質的障害として、したがって発展のブレーキとしてだけではなく、人類の生存そのものに対する直接的な挑戦として概念化されうる。そして別の意味では、資本の限界は社会的物質代謝の強力な制御者としての資本自身に敵対しうるのであるが、そうなるのは資本がもはやいかなる手段によっても、破壊的な自己再生産の条件を確保できず、それによって社会的物質代謝全体の崩壊を引き起こすときである。 資本は自己膨張を止めることができないため、その破壊的な力は増大しつづける。それはもはやなんら「進歩」をもたらさない。「社会的物質代謝の再生産様式としての資本システムは歴史的発展の下降局面にあり、したがって資本主義的に進歩しているだけで他の意味ではまったく進歩しておらず、そのためこれまで以上に破壊的で、またそれゆえ最終的には自己破壊的な方法でしか自己を維持できない」。 資本主義の自己破壊的な社会的制御のメカニズムが最終的には全人類の生存さえも脅かす以上、資本主義における生産力の発展は社会主義につながる前進をもたらすこともない。この生産力批判によってメサーロシュは、伝統的マルクス主義者たちと一線を画すのである。 物質代謝の亀裂の3つの次元 メサーロシュによる物質代謝論は、その後ジョン・ベラミー・フォスターとポール・バーケットによって受け継がれた。彼らはマルクス自身の「物質代謝」概念の用例を丁寧に検討し「物質代謝の亀裂metaboricrift」という概念を練り上げたのだ。その基本テーゼは比較的シンプルである。 つまり、人間と非人間的自然の物質代謝が社会的生産の基礎を構成しているが、資本主義が人間と生態系との相互作用を組織する仕方は、必然的にこの過程に大きな裂け目を作り、人間と人間以外の生物の両方を脅かす、というものである。この議論はとりわけ英米圏で大きな影響を与え、海洋生態系(ステファノ・ロンゴ)、気候変動(ナオミ・クライン、ブレット・クラーク、リチャード・ヨーク、デル・ウェストン)、窒素循環の撹乱(フィリップ・マンカス)、土壌侵食(ハナ・ホレマン)などの観点から、亀裂についてのさまざまな実証的分析が行われるようになっている。 とはいえ、マルクスは『資本論』で「物質代謝の亀裂」について詳しくは展開していない。実際、マルクスが社会と自然の物質代謝における「修復不可能な亀裂」についての警告を発しているのは、たった一節においてだけなのだ。 とはいえ、『資本論』だけを読むと、この「亀裂」概念は「たまに出てくるもの」にすぎないように見えるとしても、その根底にある物質代謝論は、『資本論』でも中核的な役割を果たしており、それを下支えする準備研究もマルクスは相当に行っているのだ。 だからこそ、マルクスは、剰余価値生産を目指した資本による一面的な素材的世界の変容・再編成が、人間と自然の双方に破壊的な結果をもたらすと主張したのだ。「一方の場合には土地を疲弊させたその同じ盲目的な掠奪欲が、他方の場合には国民の生命力の根源を侵してしまったのである」(『資本論』第一巻、310頁)。実際、マルクスは資本主義の「労働力」と「自然力」という二つの根源的な生産要素の浪費を一貫して問題にしている。労働の疎外と自然の疎外は、相互に構成しあっていると言ってもいいだろう。言い換えれば、資本は労働力を搾取(ausbeuten)するだけでなく、自然を切り出し(ausbeuten)、破壊する。こうして、資本は世界全体を包摂していき、「空間(規模)」と「時間(速度)」も資本蓄積に最適化していく一方で、物質代謝の亀裂を生み出す。 マルクスによれば、資本による素材的世界の再編成がもたらす物質代謝の亀裂は三つの異なる次元で顕在化する。まず、もっとも根源的な第一の物質代謝の亀裂は、自然の物質代謝における循環的過程の撹乱である。マルクスがよく用いた例は、資本主義的農業経営が引き起こす土壌疲弊であった。マルクスは、エストゥス・フォンリービッヒの『農芸化学』(1862年)における「掠奪農業」批判を『資本論』に取り入れたのだ。 リービッヒによれば、資本主義的農業経営は、短期的な利益の最大化だけを目指し、土壌養分を補充せずに収穫を最大化させようとする「掠奪農業」になっている。さらに、市場での競争が農業を大規模化させることで十分な管理や手入れの行き届かない土地利用を増大させ、収穫物も片っ端から遠方の大都市へと売り払ってしまう。その結果、資本主義的農業経営は土壌養分の循環に深刻な撹乱を引き起こすのである。リービッヒはその危険性を強調するために、土壌疲弊による収穫不足がヨーロッパ文明を崩壊させると警告したほどであった。 『農芸化学』に感銘を受けたマルクスは、『資本論』で「近代農業の消極的側面の展開」を行ったリービッヒの「不滅の功績」を讃えたうえで、土壌疲弊の問題を物質代謝の亀裂として定式化している。 「価値」という基準は人間と自然の間の物質代謝の持続可能性の条件を十分に考慮することができない。資本主義的生産が価値の際限なき蓄積を至上命題とする限りで、持続可能な生産を実現するという社会的課題は、克服困難な障壁に直面せざるを得ないのである。 物質代謝の亀裂は、根源的な第一の次元においては、土壌養分のような自然における循環的なフローの撹乱という形態をとるが、さらに二つの次元によって補完され、強化される。物質代謝の亀裂の第二の次元は、空間的亀裂である。『資本論』はリービッヒを高く評価しているが、それはマルクスがすでに『ドイツ・イデオロギー』において「都市と農村のあいだの対立」(『全集』第三巻、46頁)として表現していた社会的分業の批判に対して、リービッヒの『農芸化学』が科学的な基礎づけを提供したからである。先にも触れたように、リービッヒは、農作物が遠方の大都市で販売されると水洗トイレを通じて土壌養分は失われ、堆肥として元の土壌に還らないことを問題視した。農村の自然的富は、大都市の経済力によって浪費されてしまうのだ。江戸の循環型経済に感銘を受けたリービッヒは、水洗トイレと下水の問題について、ロンドン市長に糞尿の再利用を求めて公開書簡を執筆したほどである。 このような都市と農村の敵対的な関係性が、「空間的亀裂」を生み出す。資本主義の発展は、労働者階級を大都市に集積させる。そして著しく増大する大都市における農業生産物への需要を補うために、農業の大規模化、収穫増大のための工業化、収穫物の長距離輸送といった変化を農村部に引き起こす。資本主義的生産に独自の社会的分業は、農村から都市への富や労働力の移転を加速させるのであり、それが掠奪農業を深刻化させるのだ。 だが問題は、農村の困窮化・土壌疲弊だけではない。空間的亀裂は、廃棄物を都市に集積させ、そこでの生活条件も悪化させるからだ。 19世紀のロンドンでは排泄物が悪臭を放ち、コレラが流行した。都市では労働者階級のあいだで貧困と疫病が蔓延し、農村では土壌疲弊が農民の窮状を引き起こす。これこそ、資本主義国家内部での対立的な空間編成が生み出す典型的な帰結なのだ。 しかも、空間的亀裂は一国レベルにとどまらない。事態は資本主義の発展の経過のなかで拡大し続け、地球規模での人間と自然の物質代謝に「修復不可能な亀裂」を作り出すのである。 物質代謝の亀裂の第三の次元は時間的亀裂である。土壌養分や化石燃料がゆっくりと形成されるのに対して、資本の循環はますます加速していく。こうして自然の時間と資本の時間のあいだに亀裂が生じてくる。 資本は絶えず回転時間を短縮し、与えられた時間内での価値増殖を最大化しようとする――回転時間の短縮は、利潤率の低下に直面するなかで利潤量を増やす有効な手段である。この短縮にともない、安価で豊富な原料や補助材料の形態で流動資本に対する需要が増大していく(『資本論』第三巻、133−139頁)。 しかも、資本は生産過程を絶えず変革し、前資本主義社会と比較して前例のない速度で生産力を増大させる。時として、生産力は新しい機械の導入によって瞬く間に2倍、3倍となることがあるが、自然はリン酸や化石燃料の形成過程を変えることはできないので、「原料の生産における生産性は、生産性一般(その増加に応じて原料の必要も増加する)ほど急速に増加しない傾向にあった」自然の循環は資本の需要から独立に存在するため、この傾向が完全になくなることはない。資本は自然なしには生産できないにもかかわらず、資本の加速はしぼしば自然を喰い潰してしまうのだ。 資本の速度に自然が追いつけないとき、二つの時間のあいだで重大な亀裂が生じる。その一例としてマルクスは、資本主義のもとでの過剰な森林伐採を取り上げている。 同じ問題は、化石燃料の形成時間の長さと、化石燃料に対する資本の需要増大の関係にも見出すことができるだろう。いわゆる、ピーク・オイルの問題である。だが、ピーク・オイルが議論の対象となるずっと以前、マルクスの時代にも、アメリカ経済との競争のなかでイギリスでの石炭枯渇の可能性が大きな社会問題となっており、マルクスもこうした問題に注意を払うようになっていたのである。 もちろん現実においては、物質代謝の亀裂の三つの次元は互いに関連し、相互に強化し合っている。また、その具体的姿は変化し続ける。遠距離通信、鉄道、飛行機などの技術的媒介をとおして、資本は空間的・時間的距離を消滅させることを目的とする「時間・空間の圧縮」を引き起こす。だが、この圧縮によって、亀裂が修復することはない。むしろ、この圧縮は、資本の回転数の増加や移動距離の増大に合わせて、より多くの資源やエネルギーを要求するのであり、亀裂を深化させていく。このように、資本による「第二階層の媒介」は人間と自然の関係を根本的に変容させ、社会的物質代謝と自然的物質代謝のあいだの亀裂を修復不可能なものにするのだ。 けれどもマルクスは、このような亀裂の存在を指摘するだけで満足していたわけではない。むしろ、この亀裂がどのような形で具体的に現れ、さらにそれがどのように空間的・時間的に不均衡な形で(再)分配されていくかも、分析しようとしたのである。晩年のマルクスが自然科学を精力的に研究するようになったのは、資本主義のもとでの亀裂の形成と転嫁のダイナミクスを、より具体的な形で把握しようとしたからなのである。 物質代謝の転嫁の3つの次元 資本蓄積の過程で、社会的生産力の増大が自然からの掠奪をあまりにも強化してしまい、自然力の低下を招いてしまうことがあるとマルクスは指摘している。 この矛盾を抑制するために、資本は安価な資源やエネルギー、食料の入手経路を拡張し、より安定的に確保しようとする。マルクスが『経済学批判要綱』(以下、『要綱』)で論じたように、このことが資本を「自然および人間の諸属性の全般的な開発利用」と「全般的な有用性の一体系」の構築に駆り立てるのだ。 資本は自然の限界を克服するために、絶えず新技術を発明し、輸送手段を発達させ、新たな使用価値を発見し、市場を拡大していく。こうして資本は自然の限界が顕在化するまでの時間を稼ぐだけでなく、その過程で、中核部の資本蓄積にとって都合のいい形で、周縁部を従属させていく。それは安価な自然へのアクセスを確立するだけでなく、中核部における亀裂の負の影響の発現を最小限に抑えつつ、どこか別の場所に住む他の社会集団に絶えず問題を「転嫁」していくのだ。要するに、「物質代謝の転嫁metaboric shift」は資本が引き起こす経済危機とエコロジー危機に対する資本の典型的な反応なのである。 亀裂の転嫁によって、資本は自身の絶対的限界を認識することを拒否し、さらなる資本蓄積を推し進めようとする。資本は転嫁によって、絶対的なものを相対化しようと絶えず試みるのだ。資本にとっては「どんな限界も、克服されるべき制限として現われる」(『資本論草稿集』A、15頁)のだから、それは当然のなりゆきである。しかし、物質代謝の転嫁というやり方は、資本の飽くなき蓄積過程を止めることができない限り、亀裂の問題を解決することはできない。地球の全面的な探究や新技術の開発だけでは、亀裂を修復することはできないのだ。つまり、資本主義において、亀裂は「修復不可能」であり続ける。マルクスが「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである」と宣言したのは、このためなのだ(『資本論』第三巻、313頁)。 ここで、亀裂の転嫁について詳しく見ておこう。物質代謝の亀裂の3つの次元に対応する形で、それを転嫁する方法も3つ存在する。 第一に、技術による転嫁である。リービッヒは掠奪農業によるヨーロッパ文明の崩壊を警告したが、その予測は当たらなかった。これは、1906年にフリッツ・ハーバーとカール・ボッシュがいわゆるハーバー・ボッシュ法を発明し、空気中の窒素を固定することによりアンモニア(NH3)の工業的な大量生産が可能になったことが大きい。歴史的に見れば、無機物の不足による土壌の疲弊という問題は、化学肥料の大量生産によってほぼ解決されたのだ。しかし、ハーバー・ボッシュ法は、土壌養分循環の亀裂を回復させたというよりは、転嫁しただけであり、別の問題を発生させることになる。 アンモニアの生産には水素の源として大量の天然ガスが使われる。つまり、土壌の疲弊を回復させるアンモニアを生産するために別の限りある資源を浪費しているのだ。しかも、その製造方法は、エネルギー集約的で、大量の二酸化炭素を排出する(世界の全炭素排出量の1%とも言われる)。こうして工業的農業は水だけでなく大量の化石燃料も消費するため、気候変動の抑推進力となっている。また、植物が吸収できないほどの化学肥料を過剰に使用すると雨水によって環境へと流出し、富栄養化や赤潮の原因となったり、窒素酸化物による水質汚染も起こる。化学肥料に過度に依存すると、土壌生態系が破壊され、土壌侵食、保水力・養分保持力の低下、病気や害虫に対する脆弱性が高まる。その結果、より多くの農薬やより頻繁な濯漑、より大量の肥料が必要となる。 その際、掠奪農業による土壌疲弊は一部の土地に限られるが、化学物質は水とともに環境へと漏れ出し、より広域で生態系の正常な働きを阻害する可能性がある。つまり、物質代謝の転嫁は新技術の助けを借りて、負の外部性を新たに創り出すのだ。負の外部性がもたらす社会的費用は、直接的な因果関係を証明することが困難なことが多く、企業の責任を暖昧にする。たとえその責任が立証され、社会的費用が内部化されたとしても、環境の条件は元の状態にまで決して回復しない場合も多い。ヴァンダナ・シヴァが指摘するように農業の掠奪的性格はリービッヒの時代から変わっていないのだ。「現代の社会では、土壌が侵食され、劣化し、汚染され、コンクリートの下に埋まり、命を奪われており、世界中で社会が崩壊の瀬戸際に立っている」。 さらに資本は亀裂の最中に、新しいビジネスの機会を見出そうとする。まさに、資本への労働の「形式的包摂」と「実質的包摂」と同じように、資本への自然の「形式的包摂」からさらに「実質的包摂」へと至っているのが現代の状況である。 マルクスによれば、資本のもとへの労働の「形式的包摂」は、働き方を変えずに生産者を賃労働者として、資本の指揮・命令下に置く(「絶対的剰余価値」の生産)。それに対して、労働の「実質的包摂」は、協力、分業、機械化を通して資本蓄積に最適な形で生産過程全体を再編していく(「相対的剰余価値」の生産)。 同様に、自然の「形式的包摂」は、自然の循環と過程そのものに技術的介入をすることなく、たんに自然の過程をより広域に利用するだけである(例えば、耕作面積の拡大、機械装置の利用、保存法の開発)。これに対して、自然の「実質的包摂」は、自然を「より苛烈に、より速く、より良く働かせるよう(再)構成する」ために、技術の助けを借りて、自然の力そのものに介入していく。自然の「実質的包摂」によって自然の物質代謝循環は根源的に変化するのだ。その例として、成長ホルモン、合成肥料、農薬、新しいバイオテクノロジー、遺伝子組み換え作物(GMO)などが挙げられるだろう。 自然の「実質的包摂」の結果、農業従事者は巨大アグリビジネス企業が提供する種子、肥料、農薬、トラクターなどの商品にますます依存するようになっていく。同時に、伝統的な知識や農法は解体され(企業が獲得した特許によって利用が禁止される場合もある)、自家採取や野焼きなどには見られた生産過程における自律性や独立性も奪われてしまう。さらに、大規模の商品化は、農業生産の領域における資本の集積を誘発し、小規模の家族経営を脅かす。というのも、作業や原料の工業化・ハイテク化によって、社会的平均水準での生産を継続するための最低限の資本量が大幅に上がっていくからである(『資本論』第三巻、314頁)。 結局、自然の普遍的物質代謝が自由にアソシエートした生産者によって質的に異なる形で媒介されない限り、物質代謝の亀裂が修復されることはない。資本主義のもとでは絶えず亀裂を転嫁し続けなければならず、それによって絶えず新たな問題が生じてくる。 この矛盾は、第二の空間的転嫁によってより一層明らかとなる。空間的転嫁は、グローバル・ノースを有利にするように都市と地方の対立を地球規模に拡大していく。それは、環境負荷をどこか別の場所に住む別の社会集団に転嫁することで、外部性を生み出すのだ。 資本主義的発展の過程で、以前は「奢侈品」――「自然的必要性」(『資本論草稿集』A、197頁)にとっては関係のないものとみなされていたものが、だんだんと「必要なもの」になってくる。しかも、この欲求の変化は労働者階級にも起こる。グローバル・ノースの労働者階級は物質的な生産条件を外部化することによってグローバル・サウスの人間や自然を搾取や収奪するようになり、そうすることで、かつての「奢侈品」が労働者階級にも新しい「必需品」として求められるようになっていったのである。その結果、資本主義の中核部における「帝国的生活様式」がグローバル・ノース全体に広がっていく。 物質代謝の亀裂を絶えず空間的に転嫁して資本主義の中心地から見えなくすることで、資本主義社会の秩序は、中核部の幅広い社会集団にとって魅力的で快適なものとして現れる。「帝国的生活様式」はその真のコストを遠くの別の社会集団と自然環境に押し付けることで、階級対立を緩和し、社会的合意形成を促進するのだ。 他方で、亀裂を周縁に転嫁することで、資本主義の暴力性は中央では見えなくなっていくが、物質代謝の亀裂は遠隔地貿易を通じて地球規模で深まっていき、養分循環はますます撹乱される。加えて、そうした「亀裂の転嫁」にはしばしば先住民への残忍な抑圧と、過酷な環境で働く何千人もの奴隷や「クーリー」の搾取が伴っていた。グローバル・ノース優位の解決策は「環境帝国主義」をもたらし、さまざまな抑圧や不正義、そして破壊を生み出す結果になったのである。 「環境帝国主義」にはいわゆる「生態学的不等価交換」が付随し、エネルギーと資源が周縁部から中核部へと向かって一方向に流出していく。その結果中核部はより多くの富を蓄積し、より豊かになる一方で、周縁は低開発のままか、場合によってはさらに貧しくなっていく。 資源枯渇、奴隷労働、環境破壊といった一連の亀裂の負の影響は、資源が絶えず採取され中核部に輸出されている周縁部に偏っている。これこそ、世界全体を組織する方法としての空間的転嫁の作用であり、節を改めて見るように、資本主義発展の歴史的原動力なのである。 さて、物質代謝の転嫁における第三の次元は時間的転嫁である。自然の時間と資本の時間の乖離は、自然が「弾力性」を持っているのでただちに破局的局面をもたらすわけではない。その限界は静的なものではなく、かなりの程度、可変的なものなのだ。 気候危機は時間的転嫁の代表例だろう。化石燃料の大量消費による二酸化炭素排出が気候変動を引き起こしているが、温室効果ガスの排出がただちに地球システムを崩壊させるわけではない。そこには、何十年もの時差があるのである。資本はこのタイムラグを利用して、掘削やパイプラインといった固定資本を減価償却し、より多くの利潤を確保しようとする。その際、資本は現在の株主の声だけを考慮し、将来世代の声に耳を傾けることはしない。利潤追求が生む社会的費用は将来世代へと転嫁され、彼らは自分たちには責任のない事態に苦しめられることになる。「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」(『資本論』第一巻、353頁)というスローガンこそが、今も変わらない資本主義の根本態度なのである。 また、時間的転嫁によってもたらされるタイムラグは、将来的に環境危機に対処するための画期的な新技術が発明されるのではないかという期待感を生み出す。事実、二酸化炭素排出量を減らそうとばかりして、経済に悪影響を与えるよりも、経済成長を優先して、技術発展を促進する方が、最終結果は人類にとってより好ましいものになるという考えは、主流派経済学ではしばしば見られるものだ。しかし、CCS(二酸化炭素回収貯留)のようなネガティブ・エミッション・テクノロジーやジオエンジニアリング、核融合が開発・導入されたとしても、それが社会に広く普及し、古い技術に取って代わるにはかなりの歳月がかかる。そうやって新技術に期待するばかりで、今すぐにでもできる抜本的な対策を実施しない現役世代の時間的転嫁のせいで、環境危機は悪化の一途をたどるだろう。最悪の場合には、正のフィードバック効果によって気温上昇が予想よりも早く進み、新技術に期待されていた効果が打ち消されてしまう可能性さえある。 だからこそバリー・コモナーは、1970年代に農薬問題との関連で、「どのような場合であっても新技術は経済財の環境影響を悪化させた」と主張した。もちろん、同じことは気候変動についても言えるだろう。 このような危険性にもかかわらず、技術による解決策は現在のライフスタイルを変える必要がないため魅力的にみえてしまう。この場合、新技術への淡い期待は現在の矛盾を時間的・空間的に転嫁することで、化石燃料のさらなる使用を正当化するイデオロギーとして機能する。それゆえ、メサーロシュも「そして最後に、『科学と技術が長期的にすべての問題を解決できる』と言うことは、魔法を信じるよりももっとたちが悪い」と技術楽観主義に警鐘を鳴らしたのだ。 ドイツの社会学者シュテファン・レーセニッヒが主張するように、地球規模の環境危機の時代には山火事や洪水であれ、難民や移民の波であれ、時間稼ぎがもはや不可能になるなかで、「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」という資本家のスローガンは「大洪水よ、我が隣人に来たれ!」となっている。この絶えざる転嫁こそが豊かなグローバル・ノースに蔓延する「外部化社会」の本質なのである。 ローザ・ルクセンブルクの物質代謝論とその忘却 マルクス主義の伝統のなかで、中核部と周縁部の不平等を資本蓄積の本質的な条件として概念化するために「物質代謝」概念をさらに展開しようとしたのは、ローザ・ルクセンブルクであった。ルクセンブルクの『資本蓄積論』は、資本主義的発展が非資本主義社会に破壊的影響を与えていることを批判するのみならず、資本主義が根源的には非資本主義的環境のなかで生まれたと主張している。つまり、資本主義は本質的に不等価交換に依存しており、その際には中核部はただ安価なだけでなく、奴隷の労働力や天然資源を周縁部に無償で供給させている。そのような不等価交換なしに、西欧資本主義は離陸することができなかったというのである。 一見するとこれまでのマルクスの議論と共鳴するように思われるが、実は、ルクセンブルクは、『資本論』第二巻におけるマルクスの資本の再生産論を批判する形で独自のテーゼを定式化している。というのも、彼女の見解では、マルクスは非資本主義社会からの収奪への依存に十分な注意を払うことなく、イングランドの資本主義を自立的な存在であるかのように取扱っていたからである。 従って、ルクセンブルクは、グローバル・ノースの資本蓄積がグローバル・サウスとの不等価交換に依存しているという事実のうちに資本の根源的限界を見出した。資本主義は普遍的なシステムであろうと努めるが、本質的に非資本主義的システムに依存している限り、真なる普遍性を獲得することはできない。資本の普遍化の過程で生じる外部性の枯渇は、「外部化社会」にとって致命的となり、資本主義は自己矛盾によって崩壊せざるを得なくなるのだ。 繰りかえせば、ルクセンブルクは西欧資本主義だけに焦点を当てているマルクスを批判する形で、みずからの物質代謝論を定式化している。しかし、『資本論』第一巻第二四章「いわゆる本源的蓄積」の一節は、資本主義の周縁における破壊的過程が、資本主義の形成にとって不可欠な要素であることをはっきりと指摘している。 アメリカの金銀産地の発見、原住民の掃滅と奴隷化と鉱山への埋没、東インドの征服と略奪との開始、アフリカの商業的黒人狩猟場への転化、これらのできごとは資本主義的生産の時代の曙光を特徴づけている。このような牧歌的な過程が本源的蓄積の主要契機なのである。(『資本論』第一巻、980頁) もちろんこれは短い言及に過ぎない。だからこそ、ルクセンブルクはこの一節を知りながらも、次のようにマルクスを批判したのだ。 しかし注意すべきは、このすべてが、ただいわゆる「原始的蓄積」の視覚の下でなされていることである。上に挙げた諸過程は、マルクスにあっては、資本の発生史、すなわち資本の誕生の時を例証するだけであり、それは封建社会の胎内から資本主義的生産様式が抜け出る際の陣痛を、表現している。 つまりマルクスの誤りは、資本主義は一度成立してしまえば自足的になると考えたことである。しかし、このような批判は必ずしも正しくない。本書第六章で詳しく論じるように、『資本論』第一巻刊行後のマルクスはこの点を批判的に反省し、資本主義以前の社会と非西欧社会を精力的に研究した。その結果、マルクスは1870年代以降に、それまでの資本主義理解を修正し、コミュニズムへの道筋を以前とはまったく違う形で構想するようになったからである。 しかし、マルクスは、生前に新たに獲得した知見を十分に展開することができなかった。この意味で、ルクセンブルクが、マルクスの本源的蓄積論が西欧資本主義だけを対象とした自民族中心主義の議論であると批判したことは、当時としては間違っていない。さらに、ルクセンブルクの物質代謝概念は『資本論』にすでに内在する理論的可能性を発展させ、資本主義のもとでの不等価交換をめぐっての議論をより豊かにすることができるものであった。 けれども、ルクセンブルクの批判は第二インターナショナル内部で激しい論争を引き起こし、その後のマルクスの物質代謝論の展開を阻害することになってしまったのである。 とはいえ、マルクス主義の歴史において物質代謝概念が周縁化されたのにはもっと深い理論的な理由もある。実は、この概念――それとともにマルクスのエコロジカルな資本主義批判も葬り去ってしまおうとする誘因は、第二インターナショナル以前から見出される。実は、その起源はエンゲルスにまで遡ることができるのだ。というのもエンゲルスは、晩年のマルクスが自然科学や非西欧社会の間趨にかなり真剣に取り組んでいることを知っていたはずであるが、この点をマルクスの死後に強調することはなかったからである。 なぜなのだろうか。実はここに潜んでいるのが、エンゲルスとマルクスの物質代謝論に存在する緊張関係である。そのため、マルクスとエンゲルスの知的関係をエコロジーの観点から再検討する作業は、なぜマルクスの物質代謝概念がこれほど長い間、周縁化されていたのかを理解するために欠かすことができない。この間題に取り組むのが、次章の課題である。 第二章 マルクスとエンゲルスと環境思想 前章で述べたように、マルクス主義者であることを自称する人々でさえ、マルクスのプロメテウス主義は環境思想とは相容れないと結論づけてきた。しかし、グローバル資本主義のもとで惑星規模の環境危機が深刻化するなかで、資本主義が生態系に及ぼす破壊的影響を批判的に検討する必要性はますます高まっている。 このような状況で「マルクスのエコロジー」を再発見したフォスターやバーケットのような環境社会主義者たちは、「物質代謝の亀裂」概念によって、資本主義的生産のもとでの環境破壊を批判的に分析している。21世紀において環境の分野は、『資本論』の理論的遺産をより豊かな形で継承するための主戦場になっているのだ。 それでも、一部のマルクス主義者たちは「マルクスのエコロジー」の可能性を認めずに、それは「終末論的」だと退けている。とりわけ、広義の「西欧マルクス主義」に分類される研究者たちは、資本主義へのオルタナティブとしての環境社会主義の構想に対してしばしば否定的な態度を示している。 「マルクスのエコロジー」が否定される原因のひとつは、「マルクスとエンゲルスの知的関係」、すなわち、この二人の思想家の同一性と差異をめぐる古典的問題にまで遡ることができる。その際、ルカーチに端を発する西欧マルクス主義が、自然科学をエンゲルスの専門領域とみなし、マルクスの思想を社会哲学として限定した事実はよく知られている。だが、その結果は、「物質代謝」概念の周緑化であった。例えば、テオドール・W・アドルノは、「生産性〔の概念〕に欠かすことのできない「自然」概念も、有名な「自然との物質代謝」という表現と同様に、未展開のままだ」というコメントを残している。 こうして西欧マルクス主義は、マルクスの自然科学研究を無視して、さらには彼の中心概念である「物質代謝」の役割を軽視したため、人新世の時代に、あるジレンマに直面するようになっている。つまり、マルクスの社会哲学ばかりを重視する自分たちのそれまでの解釈が一面的であったことを認めないかぎり、資本主義が引き起こす環境危機に対する批判を展開することができないのだ。だが、そのことを認めようとしない西欧マルクス主義者たちは、「マルクスのエコロジー」の可能性そのものを否定することで、自分たちの理論の一貫性を保とうとしているのである。 ジジュクやバディウに代表されるこうした考え方とは対照的に、フォスターとバーケットは、マルクスとエンゲルスの知的関係についてより実りあるアプローチを採用している。彼らは、マルクスの自然科学への取り組みに注目するだけでなく、経済学批判と環境思想を巧みに接合することで、現在の環境問題を分析し、マルクスの理論の現代的意義を示しているのである。 ただし、フォスターとバーケットは西欧マルクス主義を批判するなかで、マルクスとエンゲルスの間の意見に重大な相違はいっさいないと主張している。 果たしてこれは本当だろうか?フォスターやバーケットのこれまでの理論的貢献は否定のしようがないが、次のような疑問がまだ残っている。つまり、経済学の領域におけるマルクスとエンゲルスの理論的な差異がエコロジーという分野においても、両者の見解に差異をもたらすのではないか、という疑問である。 そこで本章では、先行研究に対する「総合的」なアプローチを提示したい。西欧マルクス主義によって無視されてきた自然科学におけるマルクスの研究に焦点を当てることで、エコロジカルな資本主義批判という観点から、フォスターやバーケットが認めなかった、マルクスとエンゲルスの理論的差異を明らかにしていく。 特に本章では、両者の協働関係と相互理解を前提にしながらも、先行研究では考慮されていないMEGAで刊行された新しい資料をもとに、両者の思想のずれを論じていく。というのも、フォスターとバーケットはマルクスのノートにしばしば言及するが、その内容を分析していないからだ。また、それらのノートが作成された年代に十分な注意を払っていない。だが、マルクスの理論的発展を解明するうえで、ノートの作成時期や内容を考察する作業は欠かせないはずである。 マルクスとエンゲルスの知的分業? 前章で述べたように、かなり長い間、マルクスの環境思想は無視されてきたが、その理由のひとつとして、『資本論』が未完にとどまったという事情があることはすでに触れた。 けれども、マルクスの環境思想の忘却には、もう一つの原因がある。いわゆるソ連の「伝統的マルクス主義」が、マルクスの唯物論は、労働者階級に人類史と自然史を包含する真理へのアクセスを可能にする世界観を提供するものだと主張してきたのだ。このような壮大なイデオロギー装置の確立は、エンゲルスに端を発する。エンゲルスは、マルクス思想の体系的な特徴を強調したり、労働者階級の人々が理解できるよう単純化したりしたが、そこには政治的な関心があった。オイゲン・デューリングやフェルディナント・ラッサールといった当時の社会主義のライバルに対抗して、マルクス主義へと労働者階級を動員しようと努めたのだ。しかしこのような試みは、必然的にマルクスの本来のプロジェクトを様々な形で歪めることになってしまった。 その結果、伝統的なマルクス主義者たちは、マルクスの『資本論』草稿に十分な注意を払わず、ましてや抜粋ノートにはなんら注意を払わなかった。その代わり、彼らは、エンゲルス版の『資本論』全三巻に依拠して、労働者階級の搾取を暴露し、恐慌と社会主義革命の必然性を証明しようとしたのである。 また、伝統的マルクス主義は、唯物論的理論を自然的領域にも拡大するために、エンゲルスの『自然の弁証法』と『反デューリング論』を引き合いにだした。しかしながら、ここには明らかな問題がある。伝統的マルクス主義も、マルクスが自然弁証法に関する体系的な説明を一切行っていない事実を否定することはできない。自然に関するまとまった記述は、『資本論』のなかには存在しないからだ。そこで、マルクスとエンゲルスの二人の協働プロジェクトには、社会と自然の領域に関する知的分業があるという風に処理されたのである。 この解釈を正当化するためには、草稿を編集し、マルクスのテキストに注釈や序文を加え、さらに都合の悪いことは省略し、すべては慎重に構築されなければならなかった。実際、伝統的マルクス主義は、出版すべきものとそうでないものを注意深く選出した。なぜなら、多くの草稿や手紙、抜粋ノートが、マルクスの理論が未完の体系であることを明らかにしたり、自分たちの世界観と相容れない新たな側面を露見したりすることを恐れたからである。事の大きさを理解するためには、1930年代に旧MEGAのプロジェクトがスターリンの命令によって、強制的に中断され、研究者たちが粛清された事実を思い起こせばいいだろう。 こうして、伝統的マルクス主義の世界観に相容れないものは封印された。例えば、『資本論』のためのマルクス経済学に関する草稿は、2012年にようやくMEGAにおいてすべて刊行されたのだ。しかし、一部の研究者を除いて、今日でも『資本論』の経済学に関する草稿やノートに関心を示していない。例えば、『資本論』第三巻の主要草稿の英訳が2015年に刊行されたが、その序文でフレッド・モスリーは、この草稿とエンゲルス版『資本論』第三巻との間には、いくつかの点を除いて大きな違いはないと断じている。こうした草稿やノートの重要性を過小評価する現状の傾向に抗うためにも、本章では、MEGA版で刊行される草稿やノート、とりわけ自然科学に関するマルクスの抜粋ノートを手がかりに、マルクスとエンゲルスの差異を考えていきたい。 繰り返せば、エンゲルスは伝統的マルクス主義の創始者として、極めて重要な役割を果たしている。マルクスの死後、労働者階級の社会・政治運動のための世界観としてマルクス主義を打ち建てたのはエンゲルスなのである。彼は『資本論』の体系的な性格を強調することで、オットー・フォン・ビスマルクの反社会主義法の時代に、社会民主党内のヘゲモニーを獲得することを目指したのだった。 そのために、エンゲルスはマルクスの死後、『資本論』を編集したのみならず、さまざまな本や冊子、論文などを再出版している。その際、エンゲルスはしばしば新しい序文や紹介文を付け加え、ときにはマルクスの書いた原文を加筆・修正することもあった。その影響力は計り知れない。事実、テレル・カーヴァーが指摘しているように、マルクス主義に関してもっとも読まれたのは、マルクスの『資本論』ではなく、エンゲルスの『空想から科学へ』だったのだ。つまり、伝統的マルクス主義の教条を確立したのはエンゲルスだと言っても過言ではないのである。 実際、第二インターナショナルの指導者たちや、ロシア革命で最初に国家権力の掌握に成功した者たちは、エンゲルスの歴史、国家、革命に関する見解に大きな影響を受けていた。要するに、「伝統的マルクス主義者たち」が考えているような「マルクスについて誰もが正しいと考えていること」は、じつは「老エンゲルスの構成」に過ぎなかったのである。そして、そのエンゲルスが、労働者階級のうちでのヘゲモニーを獲得するために、環境問題を周縁化したとしてもなんら不思議ではないだろう。こうして、19世紀後半以降の労働運動は、ますます生産力主義へと陥ることになっていったのである。 だからこそ、エンゲルスへの反発がある。「科学的社会主義」はマルクスとエンゲルスの協働プロジェクトであり、マルクスは「エンゲルスの発想を完全に共有していた」というマルクス・レーニン主義の根強い主張にもかかわらず、カーヴァーとその見解の支持者は、伝統的マルクス主義の弁証法的唯物論の世界観を断固拒否した。彼らは、二人の関係を「マルクス対エンゲルス」という形で表現し、マルクス主義者は「エンゲルス主義」によって惑わされてきたと訴える。さらには、スターリニズムの恐怖政治に対する責任は、究極的に、エンゲルスにあるとさえ批判するのである。 マルクスとエンゲルスの違いを強調する最も顕著な例は、東西冷戦を背景として生まれた、西側の研究者たちによる「西欧マルクス主義」である。この名称は、もともとモーリス・メルロ=ポンティーによって用いられたものだが、その理論的基礎は1920年代、とくに、ルカーチの『歴史と階級意識』にまで遡る。「西欧マルクス主義」は広いカテゴリーで、論者の見解は時にかなりバラバラであるが、その一つの共通点が、伝統的マルクス主義の機械論的世界観に陥らないような、より高度な社会哲学の理論を提供しようとする「反スターリニズム」の精神であった。 その際西欧マルクス主義は、経済的決定論と科学主義に基づく疑わしいソ連の世界観を招いた原因としてエンゲルスを標的にした。もしエンゲルスが言うように、自然における弁証法が独立して客観的に存在しているなら、自然科学研究を通じてまず弁証法的方法を定式化し、そののちに、弁証法を人間社会の分析に適用することができることになってしまう。しかしながら、このようなやり方は、機械論と実証主義によって特徴づけられた非弁証法的な社会理解を生み出してしまったと西欧マルクス主義は嘆く。そこで西欧マルクス主義は、エンゲルスをスケープゴートにして、マルクスの社会哲学を救おうとしたのである。 例えば、ルイ・アルチュセールは、哲学を抹消するエンゲルスの「実証主義的テーマ」を批判している。ジャン・ポール・サルトルもまた、マルクスの弁証法を復活させようと、エンゲルスの唯物論を「不条理」として非難した。「唯物史観のような肥沃な作業仮説は、その根拠として形而上学的唯物論における不条理を必要とするものでは決してないと私は常々考えている」。ルチオ・コレッティは、マルクスとエンゲルスの知的分業を強調し、「ものの見方が二人で深く異なる」と結論付けている。 知的分業をめぐっての中心的な問題は、自然と弁証法との関係であった。アルフレート・シュミットは、「「独断的な形而上学」に陥ることなく、「全体性」、「矛盾」、「生産性」、「内在する否定」といった弁証法的規定がいかなる意味でも自然に帰するかどうか」に疑問を賀している。このようにして、西欧マルクス主義者たちは、エンゲルスの自然弁証法をマルクス主義から排除しようとしたのだ。 ところが、それに合わせて、マルクスの社会哲学から自然と自然科学の領域をも完全に除外することにもなってしまった。そしてまさにこの分離こそが「西欧マルクス主義の重心全体が哲学を志向する基本的転換」をもたらしたのである。 このような取捨選択の決断は、マルクスの社会理論がソ連マルクス主義の粗雑な唯物論に陥るのを防ぐために、西欧マルクス主義者たちにとって必要なものだったのかもしれない。けれども、その限りで、この「(マルクスとエンゲルスの)分断テーゼ」は、「証拠というよりイデオロギーによって動機づけられている」 しかも、西欧マルクス主義が支払った代償は大きい。環境思想の領域は、自然が中心的な役割を果たすため、環境問題を分析に組み込むことができなくなってしまったのだ。こうして、社会哲学偏重の西欧マルクス主義は、人新世における環境危機に応答することができなくなっているのである。 結局、伝統的マルクス主義も西欧マルクス主義も、20世紀のあいだずっと、マルクスの自然科学研究の重要性を軽視することになった。しかし、フォスターやバーケットのように、マルクスの自然科学への強い関心を認めながらも、実証主義的世界観に陥ることなく、マルクスとエンゲルスの同一性を主張する古典的マルクス主義者もいる。その際彼らが重視するのは、マルクスが『反デューリング論』の執筆に参加し、エンゲルスの草稿も修正したうえで、「非常に重要」と評したこと、マルクス自身も「科学的社会主義」という用語を使っていたこと、そして最も決定的なこととして、マルクスが『資本論』で「量から質への転化」を書いたとき、エンゲルスと自然弁証法を共有したことである。こうして古典的マルクス主義者たちの結論は、「エンゲルスをマルクスから根本的に区別することは、歴史的に疑わしく、不当」だというものになる。より最近では、カーン・カンガルも、あらゆる共同プロジェクトにおいて当然存在する「差異」がただちに「切断」を意味するわけではないと主張し、マルクスとエンゲルスには「共通の世界観がある」と結論付けている。 たしかに、マルクスはヘーゲルに倣って、いくつかの自然現象を客観的な自然弁証法の現れとみなしていた。この点については、マルクスとエンゲルスのあいだに意見の相違はなかったし、この事実までも否定する必要はどこにもない。しかし、だからといって、二人がある種の分業体制のもとで同一のプロジェクトを追求していたと、ただちに言うことはできない。両者は究極的には利害関心の異なる二人の別人格であり、たとえ多くの考えを共有していたとしても、重要な意見の相違もあったと考えるのが普通ではないだろうか。エンゲルスを「都合のよい鞭打ち相手として」スケープゴートにするのは不当だとしても、マルクスとエンゲルスの理論的な相違をただちに消し去るべきではないのだ。 実際、長年にわたる協働はあるにせよ、マルクスの経済学理解をエンゲルスのそれと同一視できないように、類似したテーマを同時に研究していたとしても、また同じ関心を共有していると両者が信じていたとしても、不一致の可能性は常に残されている。だからこそ、より丁寧な検討が必要であり、その際に、MEGAは彼らの知的関係や分業をより厳密に考察するための新たな材料を提供してくれるのである。 果たして、分業は存在したのか?皮肉なことに、このマルクスとの知的分業を強調したのはエンゲルス本人であり、それが西欧マルクス主義の主張に信憑性を与えてきた。マルクスの死後に出版された『反デューリング論』第二版「序文」(1885年)によれば、「マルクスは数学に精通した人であったが、さまざまな自然科学については、われわれは少しずつ、とぎれとぎれに、ばらばらに追究することしかできなかった」。しかし、その後、エンゲルスはこの盲点を反省し、「退職して、自宅をロンドンに移し、必要な時間を得られるようになり、私は数学と自然科学において、リービッヒの言うところの「羽がわり」を力が及ぶかぎり完全に行った」(『全集』第二〇巻)というのである。 事実、『反デューリング論』と『自然の弁証法』には、エンゲルスが当時の物理学、化学、生物学の発展について真剣に研究したことが記録されている。だからこそ、その後の世代のマルクス主義者たちは、二人の間に知的分業が存在すると考えた。マルクスが自然の弁証法のさらなる発展をエンゲルスに託したからこそ、マルクスが自然について多くを語らなかったかのような印象がもたらされたのである。こうしてエンゲルスの『自然の弁証法』と『反デューリング論』は、マルクスの弁証法的唯物論を自然の領域に適用する重要な資料となった。そして、エンゲルスの著作は、伝統的マルクス主義の世界観の形成に大きな影響を与えたのである。 ところが、エンゲルスは『反デューリング論』第二版「序文」のなかで、ある重大な情報を読者に隠している。当時、エンゲルスはマルクスの草稿やノートの整理作業に従事しており、晩年のマルクスが『資本論』の草稿を執筆する傍ら、自然科学を熱心に研究していたことを間違いなく知っていた。それどころか、マルクスとエンゲルスは、しぼしば自然科学の諸問題について互いに議論していたのだ。しかし、エンゲルスはこれらの事実にはまったく触れず、マルクスは自然科学の急速な発展を「とぎれとぎれに」、「ばらばらに」しか追究できなかったと述べたのである。 なるほど、1864年7月の段階では、マルクスはエンゲルスに触発されて、カーペンター『生理学』やシュブルッハイム『脳と神経系統の解剖』などを読み、「僕はいつも君の足跡についていく」(『全集』第三〇巻、330頁)とエンゲルスに伝え、自然科学をさらに勉強する必要性を率直に認めていた。しかし、1865年にリービッヒの『農芸化学』第七版を読んでから、マルクスは自然科学をかなり集中的に勉強するようになる。1868年以降、彼の読書対象はさらに拡大し、化学、地質学、鉱物学、生理学、植物学など、自然科学の多岐にわたる分野に及ぶようになった。こうして、マルクスはエンゲルスに急速に追いついていく。その際、新しいテーマを研究する際にはノートを取る、という昔からの習慣に忠実に、マルクスは自然科学に関する多くの抜粋ノートを書き残している。すべてのノートのうち約3分の1が晩年の15年間で作成されており、しかもその半分は自然科学に関する書物の抜粋なのである。 その結果、1882年12月19日付の手紙のなかでエンゲルスは、化石燃料の使用によるエントロピーの増大という問題について、自分よりもマルクスの方が精通していることを認めているのだ。 当時のマルクスは、地質学や鉱物学を研究して、自然資源の掠奪問題に取り組んでいた。具体的には、ジェームズ・F・W・ジョンストンやジョセフ・ビート・ジュークスといった地質学者の著書を丹念に読み、また、経済や環境に関連する新聞や記事も多く読んでいる。また、マルクスは、石炭採掘の機械化に注目し、その労働者や環境への影響を慎重に検討する必要があるとした。1881年6月6日付の妻イェニー宛の手紙のなかで、マルクスはアメリカで新しく発明された「石炭切断機」に触れ、それが鉱夫にどのような影響を与えるか、また「ジョン・ブルの産業至上」(『全集』第三五巻、162頁)を脅かすかについて注目している。これらの事実を知っていたにもかかわらず、エンゲルスは『反デューリング論』の「序文」でこの点に触れないで、自らの自然弁証法は、マルクスが「基礎づけて発展させた」(『全集』第二〇巻、9頁)弁証法の応用であると主張するにとどまったのだ。 加えて、エンゲルスはマルクスのノートの存在に言及しなかったために、ノートは20世紀のあいだ未刊のままにとどまり、さらには両者の知的分業説が広まることになったのである。 こうしたエンゲルスの不自然な沈黙は、それを抑圧の徴候として解釈できるのではないだろうか。つまり、マルクスの自然科学への関心が自分とは異なる性格を持っていることをエンゲルスは暗に認めていたのではないか。その結果、エンゲルスは、(無意識のうちに)マルクスの自然科学への真剣な取り組みに言及することを避け、代わりに自分たちの知的分業を強調したというわけである。だが、もしそうだとすると、両者の根本的な違いとは、はたして何なのだろうか。 『資本論』の著者マルクスと編者エンゲルス MEGAで刊行されたマルクスのノートによって、マルクスとエンゲルスがともに自然科学を研究していたことが明らかになった以上、マルクスの弁証法的分析の理論的範囲を社会の領域に限定する西欧マルクス主義の解釈をそのままに受け入れることはもはやできない。マルクスの経済学批判は社会分析に限定されなければならない、という主張には信憑性がないのである。むしろ、マルクスの分析対象は、人間と自然の間における物質代謝のやりとりが、資本蓄積に合わせて、どのように変容し、再編成されるかを解明するものであり、自然の領域を明確に含んでいる。その意味で、マルクスとエンゲルスの問題関心を完全に分離することは適切ではないのだ。とはいえ、このことはただちにマルクスとエンゲルスが自然科学の研究において同一の関心を有していたことを必ずしも意味しない。両者の関係性については、より慎重に検討する必要がある。 残念なことに、マルクスは自然科学に真剣に取り組んでいたにもかかわらず、その成果を取り込んで『資本論』を完成させる前に他界してしまった。そして、エンゲルスは、『資本論』第一巻と第二巻の編集を引き受けなければならなくなった。マルクスが残したのは未完成の断片的な草稿の数々であり、それらはそのままの形で出版することができるような完成度ではなかった。第二巻は、1864年から1881年の間に書かれた8つの草稿から構成されているが、これら草稿は理論的な完成度が一様ではない。また、『資本論』第三巻の草稿は大部分が1864−65年(つまり、1867年に第一巻が出版される前)に書かれたきりであり、剰余価値と利潤の割合に関する断片的な計算を除いて、マルクスはその後の展開を草稿に組み込むことができなかったのである。 もちろん、エンゲルスは最善を尽くしたが、マルクスの意図や目的を完璧に理解し、それを『資本論』の編集に反映させることはできなかった。結果として、『資本論』の「著者」であるマルクスと「編集者」であるエンゲルスの間には、理解のずれが生じることになったのである。 大谷禎之介(2016)によれば、草稿に書かれたマルクスの真意をエンゲルスが誤解してしまった第一の理由は、老エンゲルスがオスカル・アイゼンガルテンという名の若者にその草稿を口述筆記させたことにある。エンゲルスはこの筆記原稿をもとに編集作業を行ったが、そのせいで元の草稿に含まれていたさまざまな情報を見落としてしまったのである。 またエンゲルスがマルクスの意図を誤解した第二の理由は、第三巻第五章についてエンゲルスが入手できた情報が、マルクスとの私的な手紙における散発的な発言に限られていたため、必然的に第五章の分析対象やその特徴について強い偏見を持たざるを得なかったからである。草稿を直接読めば、第五章全体が扱うテーマが「利子生み資本」であることは明らかだが、エンゲルスはこの章の対象が「銀行」と「信用」に違いないと考えた。その結果、彼は第五章の内容を自分の理解と一致させるために、マルクスのテキストに変更を加えることになる。その結果、エンゲルスの思い込みにより、マルクスの草稿にあった第五章の真の姿は、エンゲルス版の第五篇では見えなくなってしまったのである。 このような経済学に関する理解の相違を考慮すると、環境思想に関しても同様に、二人の間に見解の違いがあったとしてもおかしくない。もちろん、エンゲルスは、マルクスの資本主義批判において、リービッヒの掠奪農業批判が果たす重要性をはっきりと認識し、同調していた。 ところが、物質代謝概念の扱いとなると、事態はやや違った様相を見せる。そのことがわかるのは、エンゲルスが『資本論』第三巻の物質代謝概念に関連する箇所を敢えて変更しているという理由からなのである。 まず、マルクスは『資本論』第三部主要草稿のなかで、次のように書いている。 こうして大土地所有は、社会的物質代謝と自然的な、土地の自然諸法別に規定された物質代謝の連関のなかに修復不可能な亀裂を生じさせる諸条件を生み出すのであり、その結果、地力が浪費され、この浪費は商業を通じて自国の国境を越えて遠くまで広められる(リービッヒ)。 ここでマルクスはリービッヒに言及しながら、「社会的物質代謝」(利潤のための資本主義的な生産・流通・消費活動)と自然法則が規定する「自然的物質代謝」の連関に、世界規模で深刻な裂け目が生じる危険性を指摘している。 前章で見たように、これは、人間とは独立して存在する普遍的な自然の物質代謝に関する「第二階層の媒介」の問題である。規模を拡大し続け、自らの果てしない価値増殖を目指す資本による物質代謝の再編成は、資本とは独立に存在する自然法則とは相容れない。しかも、この間題は、国際貿易によって、リービッヒの「充足律」を守ることがさらに困難になって、ますます悪化していく。この一節でマルクスは、資本主義の経済的形態規定と素材的世界における自然制約との間の緊張関係をはっきりと定式化していることがわかるだろう。 それに対して、エンゲルスは、『資本論』第三巻を編集する際に、前半の文章を次のように修正している。 こうして、社会的な、生命の自然諸法別に規定された物質代謝の連関のなかに修復不可能な亀裂を生じさせる諸条件を生み出す(『資本論』第三巻、949頁)。 変更後の文章では、「自然的物質代謝」という言葉が削除され、「土地」が「生命」に変更されているのだ。ここで残念なのは、「自然的物質代謝」という表現の削除によって、物質代謝の第一階層と第二階層の媒介を区別するマルクスの方法論を反映した、「社会的物質代謝」と「自然的物質代謝」の対比が不明瞭になっていることだ。 その限りで、「経済学の手法に関するエンゲルスとマルクスの概念は一致している」という主張には疑問が生じる。むしろこの一節は、両者の間に重大な方法論的差異があることを暗示しているのではないか。たしかに、マルクスの草稿には、不明瞭さ、紛らわしさ、あるいは誤りが存在し、エンゲルスが修正しなければならなかった箇所は多々ある。だがこの箇所は、草稿でもマルクスの意図が十分に明確であるばかりでなく、彼の「物質代謝の亀裂」論にとって非常に重要な箇所であり、先行研究においてもしばしば引用されてきた。そのような重要な一節における編集者エンゲルスによる変更は、はたして何を意味するのだろうか。 この問題を考えるために、まずはエンゲルスの「自然弁証法」を簡潔ながら概観しておきたい。エンゲルスによれば、『反デューリング論』が目指すのは、自然と歴史の法則を把握すること、とりわけ「この(ヘーゲル的な)神秘化された形態の殻からとりだし、まったく単純で普遍妥当なものとしてはっきり意識させること」である。エンゲルスは自らの自然弁証法を、「弁証法的法則を構成して、自然にもちこむ」というヘーゲルの誤謬を避けた唯物論的なものであるとした。彼にとって、弁証法的法則は「それを構成して、自然のなかにもちこむことは問題になり得ず、自然のうちに見つけだし、自然から展開する」ものだという。 ここから窺えるエンゲルスの自然科学研究の狙いは、人間の存在や活動から「客観的かつ独立」した自然のうちに存在する諸法則をそのままの形で把握することである。それは、自然における運動、変質、進化そのものを弁証法的に展開するという意味で、自然についての「存在論的な」考察だと言ってもいいだろう。そのうえで、一見偶然的な諸事象の集合として現れる自然界における歴史的な生成過程を、可能な限り「普遍的」で「単純」な諸法別によって説明しようとしたのである。 とはいえ、この存在論的転回は、マルクスの「経済学批判」をエンゲルスの「科学主義」から区別したいと考えるマルクス主義者たちの間で不評である。エンゲルスの考えはマルクスとは異なり、近代自然科学に見られる「物質」と「意識」の存在論的二項対立を反映しており、それゆえ唯物論は、マルクス思想の本流とは著しく異なるもと批判された。 もちろん、エンゲルスは客観的な自然諸法則と人間の意識を単純に切り離していたわけではない。猿から人間への進化における労働の役割に関する有名な議論は、機械論的説明には還元できない。ダーウィンの進化論や熱力学への関心は、明らかに機械論的世界観を否定するものなのだ。つまり、エンゲルスの弁証法は、質的に新しい創発的特性の連続的統合によって特徴づけられる、自然の動態的普遍性の研究なのである。 また、自然諸法則は客観的に存在するが、その認識は人間にとっての実践的目的と結びついている。つまり、エンゲルスの自然弁証法は、外的自然の「支配」と「制御」による「自由」の実現という実践的実践的な要請と結びついているのだ。その限り科学的社会主義の実現は、「自然の意識的な、本当の主人」になることを意味するのである。 これまで歴史を支配してきた客観的な、外的な諸力は、人間自身の統制に服する。このときからはじめて、人間は、十分に意識して自分の歴史を自分で作るようになる。このときからはじめて、人間が作用させる社会的諸原因は、だいたいにおいて人間が望んだととおりの結果をもたらすようになる、また時とともにますますそうなっていく。これは、必然の国から自由の国への人類の飛躍である。(『全集』第二〇巻、292頁) また、彼は『自然の弁証法』の中では、人間の意識と行為に対立する物象化された資本の支配を廃棄するだけでなく、自然において作用する諸力の法則性を認識し、自然を意識的な制御のもとに置くことが、「自由の国」への跳躍となるとも述べている。 もちろん、エンゲルスは自然法則を認識することで、人間が自由自在に自然を操作できるようになると考えていたわけではない。生産力を最大化することによって自然を絶対的に支配できることを無邪気に主張していたわけではないのだ。 エンゲルスは、『自然の弁証法』のなかで、自然の限界を認めずに、短期的な利潤の最大化を目指す資本主義的生産をとくに厳しく批判し、自然の「復讐」について警鐘を鳴らしていた。「個々の資本家たちが目先の利潤のために生産と交換に従事している以上、最も目先の、最も直接的な結果だけが最初に考慮されざるをえない」(『全集』第二〇巻、499頁)。自然法則を無視し続ければ、自然の支配を目指す近代のプロジェクトも必然的に失敗し、大惨事となる。人間は自然の力に翻弄され、「自然の復讐」を前に、文明は崩壊するというのだ。 このようなエンゲルスの発言をもとに、環境社会主義者のフォスターはこう結論づける。「エンゲルスにとっても、マルクスにとっても、社会主義の鍵は、将来世代が必要とするものを守りながら、人間の可能性を最大限に促進するような方法で、人間と自然の物質代謝を合理的に制御することだ」。だが、本当にそうなのだろうか。 エンゲルスがエコロジカルな視点を持っていたのは間違いない。フォスターはこの点で正しい。しかし、マルクスが「アソシエートした生産者たち」に対して「人間と自然の物質代謝を合理的に制御する」(『資本論』第三巻、1057頁)ことを明確に要求したのに対し、エンゲルスは「都市と農村の対立」の克服を求めながらも、その際に「物質代謝」という言葉を使わなかった点にもっと着目すべきである。エンゲルスのエコロジーの特徴は、「自然の復讐」を軸に、資本主義下の近視眼的な利潤の最大化を批判したことだからである。 この点に注目すると、『資本論』の「物質代謝の亀裂」についての重要な文章も、この「自然の復讐」という構図に沿ってエンゲルスは修正しているのがわかるだろう。エンゲルス版『資本論』は、自然法別の侵害が文明に致命的な帰結をもたらすことを強調しているが、社会的物質代謝を支配する価値法則が自然的物質代謝をどのように改変し、修復不可能な亀裂をもたらすかを検討する、というマルクス独自の方法論が、むしろ不明瞭になってしまっているのである。要するに、経済的形態規定「第二階層の媒介」と自然の普遍的物質代謝の絡み合いについてのマルクスの表現が、読者にとって理解しがたいものであるとエンゲルスは判断し、自らの「自然の復讐」という構図に近づけた、より「わかりやすい」表現に文章を変更したのである。そして、その目論みは成功し、フォスターやバーケットはエンゲルス版からこの文章をしばしば引用してきたのだ。 エンゲルスによる変更は、極めて些細なものだと思われるかもしれない。しかし、この変更に注目することで浮かび上がってくるのは、彼がマルクスと異なり、リービッヒの物質代謝概念を評価していなかったという重大な事実である。実際、エンゲルスは『自然の弁証法』において、リービッヒを生物学の「素人」であると批判する文脈で、リービッヒの物質代謝概念に言及しているのだ(『全集』第二〇巻、601頁)。このことは、エンゲルスが、リービッヒの見解を全面的に支持していたわけではないことを明確に示している。 エンゲルスがリービッヒの物質代謝概念を否定したのは、生命の起源に関する二人の意見が対立していたためである。リービッヒは、無機物から有機的生命が歴史的に発生してきた可能性を否定し、地球上の生命の起源として、「永久生命」が宇宙空間から地球に「輸入されてきた」という(現在から見れば確実に誤った)仮説を採用していた。ここには、生命のうちに、人間が人工的に再現することのできない不可解な力を信じた19世紀の「生気論」の影響を見出すことができる。この生気論の伝統を唯物論の立場から批判したエンゲルスは、生命とは歴史的に無機物的な非生命体から発生・進化した物質代謝の過程であると主張したのだ。 元来、リービッヒは生命に固有の栄養摂取・消化・排泄の過程を物質代謝として把握し、生命活動を化学的過程として説明しようとしていたのが1840年代のリービッヒであった。ところが、リービッヒの見解には、生命に固有の力を認める生気論の残浮が存在していたのである。それゆえ、エンゲルスは部分的にはリービッヒの見解を引き継ぎながらも、化学と生物学を分離してしまう生気論を徹底して退ける。エンゲルスによれば、無生物においても化学反応としての外界との物質代謝が行われており、そこからさらに「蛋白体」が歴史的な過程を経て形成されるようになると、生命としての物質代謝の過程が誕生するのである。こうして、エンゲルスの物質代謝概念は、「自然の弁証法」において、化学と生物学という二分野の境界線を架橋する重大な役割を担うことになる。 ここで重要なのは、蛋白体という「歴史性を持つ物質」の生成という視点がエンゲルスの物質代謝概念に独自性を付与する一方で、リービッヒの物質代謝概念は批判され、その結果、エンゲルスにおいては、マルクスやリービッヒのように物質代謝論が環境問題に適用されることはなかったという経緯である。だが、その代償は大きい。というのも、そのせいでエンゲルスは、物質代謝概念の方法論的役割を見失ってしまっているからだ。つまり、人間と自然の関わり合いを歴史貫通的な側面と社会特殊的な側面の両方から分析し、資本主義における「第二階層の媒介」が引き起こす矛盾を明らかにする視点が失われるのである。むしろ、エンゲルスの物質代謝が扱う理論的範囲は、自然弁証法として展開される人間と社会の関わり合いとは関係なしに生じる生命の起源と進化の過程に限定されるのだ。 エンゲルスの『反デューリング論』によれば、「否定の否定」を特徴とする弁証法の原動力は、「動植物界でも、地質学でも、数学でも、歴史でも、哲学でも有効な法則」(『全集』第二〇巻、146頁)であることであり、エンゲルスが物質代謝概念に求めている主な役割とは、資本主義のエコロジカルな分析ではなく、この客観的法則が無機物と有機物の両者を包含する自然全体を貫徹していることの証明なのである。だがそのせいで、マルクスのように社会的物質代謝と自然的物質代謝の連関を分析する物質代謝論を欠くことになり、エンゲルスのエコロジーには、「自然の復讐」以上の理論的な枠組みを見出すことはできなくなるのである。 こうしてエンゲルスは、リービッヒの見解を部分的に取り上げたものの、「物質代謝の亀裂」という概念を採用せず、『ドイツ・イデオロギー』で提唱されていた「都市と農村の対立」という1840年代の構図で満足し続けた。事実、『反デューリング論』でも次のように述べられている。「都市と農村を融合させることによってのみ、今日の空気や水や土壌の汚染を除去できるし、そうすることによってのみ、今日都市で痩せ衰えている大衆の状態を変え、彼らの糞尿が、病気を生みだすかわりに植物を生みだすために、使われるようにすることができる」(『全集』第二〇巻、304頁)。 一面ではこれほどまでにリービッヒの『農芸化学』の見解を取り入れながらも、エンゲルスはマルクスがリービッヒの掠奪農業批判を通じて展開した「人間と大地の物質代謝の撹乱」という概念を採用しようとしなかった。だがその代償として、1860年代のマルクスの理論的跳躍が「社会的物質代謝」と「自然的物質代謝」の「連関」の分析にこそ記録されているということにエンゲルスは気がつけなかったのだ。つまり、人間と自然のあいだで行われる「物質代謝」が、資本による労働の形式的・実質的包摂を媒介として、どのように変容、再編成されるかという1860年代以降のマルクスの経済学批判の根本的な問題意識をエンゲルスは捉えきれなかったのである。まさに、経済学に関するマルクスとエンゲルスの理論的違いが、エコロジーの領域にも大きな影響を与えているのだ。 「支配」と「復讐」の弁証法 また、エンゲルスによれば、自然法則の正しい認識と実践的な適用によって、人間は自由に自然と関わることができるようになる。それが、「自由の国」への「人類の飛躍」だとされるのだ。すなわち自然と近代科学の弁証法に主眼を置くエンゲルスは、自然における超歴史的法則を認識することに基づいた人間の自由を重要視した。自然を支配することが、「自由の国」をただちに実現すると考えたのである。 これに対して、マルクスは、「これ(自然の支配)はやはりまだ必然性の国である」と付け加えることを忘れなかった。マルクスは、際限なき資本の価値増殖による物質代謝の擾乱に直面した生産者たちが問題解決のためにアソシエートし、自然の「盲目的な力」を意識的な管理のもとにおくことを、持続可能な生産にとっての必要条件としてみなしていた。自然との物質代謝の意識的な管理なしには、人間の生存そのものが脅かされるからである。しかし、そのような意識的な制御によって達成されるのは、あくまでも「必然性の国」なのである。アソシエーションに基づく新しい社会は自由な個性の発展を実現するとされるが、そのような「自由の国」は労働の自由を超えたところにあるからだ。労働は生存に必要不可欠であるが、あくまでもそれは人間の活動の一契機にすぎない。「マルクスは資本主義のもとで発展した生産力能を基礎として労働の自由を実現するならば、拡大された自由時間において労働の自由を超えた、真の自由が可能になると考えた」(佐々木 2012年 185頁)のである。 つまり、マルクスにとって自由とは、自然科学の発展に依拠した自然との物質代謝の意識的な制御に制限されるものではなく、芸術や音楽などの創作活動に従事し、友情や愛情を育み、読書やスポーツなどの趣味に興じることも含まれる。それが個人の能力を全面的に発展させるのだ。それに対して、自然の弁証法にこだわったエンゲルスは、超歴史的な自然法別の認識を基礎とした人間の振る舞いを重視することになり、自然の支配がそのままに「自由の国」の実現だと考えた。こうした見方が「自由の国」の内容を狭隘にし、マルクスによって強調される将来社会における「個性の全面的な発展」という契機がエンゲルスにおいては弱められ、むしろ、「必然性に従うことで実現される自由」というヘーゲル的な自由観が前面に押し出されることになったのである。 以上の考察から、マルクスとエンゲルスの自然科学の受容における重要な相違点は、次のようにまとめることができるだろう。エンゲルスの焦点は、「自由の国」を実現するために、自然の歴史曽見通的な法則を科学的に認識することであった。その際、エンゲルスの自然弁証法は、意識/物質、観念論/唯物論といった哲学的な二項対立に基づいて、後者に存在論的優位を与えたのである。こうして、エンゲルスは、環境問題に関心を寄せていたにもかかわらず、それを哲学的・歴史貫通的な図式のもとで扱いがちになったのだ。その結果、彼はリービッヒの物質代謝論を否定し、1840年代には概念化していた「都市と農村の対立」という構図に満足し続けた。さらに、エンゲルスは、「自由の国」や前資本主義社会を論じる際に、近代科学によって自然法則を漸進的に認識することに依拠した、より単線的な歴史発展観を抱いていたことも指摘されなければならないだろう。 これに対してマルクスは、エンゲルスが追究していた唯物論的弁証法のプロジェクトについて、たとえ「友人に道徳的支援と励ましを与えた」としても、実際に自分が採用することはなかった。 マルクスは、『ドイツ・イデオロギー』で「哲学から脱却」して以降、そうした哲学的存在論には関心を抱かなかったからである。実際、マルクスの自然科学への取り組みは、1860年代以降、ますます経験論的な性格を帯びるようになっていく。マルクスは、物質代謝概念を拡張し、人間と自然の生物物理的かつ社会的な関わり合いの変化を、歴史的、経済的、そしてエコロジカルな見地から把握しようとしたのだ。そして、前資本主義社会や非西欧社会における人間と自然の物質代謝のさまざまな組織化のあり方を研究し、資本主義を超えたより平等で持続可能な社会を築くための生命力の源泉を探し出そうとした。つまり、スタンリーの想定に反して、晩年のマルクスの自然科学への取り組みは、『経済学哲学草稿』で提唱したような人間と自然を統一する「普遍的科学」の確立のためではなかったのである。 もちろん、両者の違いを、過度に誇張する必要はない。マルクスは自然における唯物論的概念を確立しようとするエンゲルスの試みを完全に否定したわけではなかったからだ。ただ、同時に、この違いを過小評価してもいけない。なぜなら、エンゲルスが自然科学に関するマルクスのノートの射程を十分に理解せず、『資本論』第三巻の「物質代謝の亀裂」に関する重要な箇所を修正したことは、大きな理論的な帰結を伴うものだからである。実際、エンゲルスの『資本論』理解は、その後のマルクス理論の受容を今日まで決定づけたのである。 物質代謝論のエコロジカルな含意が20世紀のあいだ軽視されてきたのは、まさに「マルクスの後期著作」と「エンゲルスの自然弁証法」との間の相違とその抹消に起因するものだったからである。こうしてマルクスの自然科学に関するノートは、エンゲルスの死後おろそかにされ、次の世代のマルクス主義者たちも、マルクスとエンゲルスの知的分業という神話に固執することとなったのだ。 伝統的マルクス主義者たちがマルクスの物質代謝概念の重要性に気づかなかったのと同様に、エンゲルスを断固として拒否した西欧マルクス主義者たちも偏った一面的理解に陥ってしまった。このように「マルクスのエコロジー」忘却の歴史は、マルクス主義者たちの間でエンゲルスの影響力がいかに強かったかを示しているのだ。 しかし、このような一般的な傾向に異を唱え、マルクスの知的遺産である物質代謝論を復活させようとした例外的なマルクス主義者がひとりだけいた。それがルカーチである。 第三章 ルカーチの物質代謝論と人新世の一元論批判 環境危機との関連で、新たな地質学的年代としての「人新世」をめぐっての議論が盛んに行われるようになっている。地球の表面全体が人間の経済活動の痕跡で覆われるようになっている現在、人間にとって手付かずの「自然」はもはや存在しないように思われる。ビル・マッキベンの「自然の終わり」という主張は30年の時を経て、その説得力を増しているのだ。一方で、人間の手に負えない気候変動の影響の本格化は、自然の支配という近代のプロメテウス主義の野望が失敗に終わったことを示唆している。そして、この失敗がもたらした壊滅的な状況が思い出させるのは、「自然の復讐」に関するエンゲルスの警告や、マックス・ホルクハイマーが『理性の腐蝕』において論じた「自然の反乱」だろう。 自然の「復讐」や「反乱」といった表現は、自然界の受動的なモノが人間に対抗する新しい存在論的状況を作り出し、エージェンシー(作用)がモノに再配分されているかのように見える。このような自然の全面的な改変とモノの新たなエージェンシーの出現によって、ノエル・カストリーの「自然の生産」やブルノ・ラトウールの「アクター・ネットワーク理論」に注目が集まるようになっている。カストリーが人間から独立した自然の存在を否定するのに対して、ラトウールは主体/客体という近代的な二元論を否定し、モノを「アクタン」(作用項)とみなす。両者の考えにはもちろん大きな違いが存在するが、人新世において社会と自然がハイブリッド化する事態に直面するなかで、近代の二元論に対して存在論的一元論の優位性を打ち出すという点は共通している。 一元論が影響力を増すなかで、マルクスのエコロジーは、激しい批判の対象になっている。とりわけ、「物質代謝の亀裂」という考え方は、大文字の「自然」と「社会」を完全に分離・独立した二つの存在とする「デカルト的二元論」によって、「認識論的亀裂」に陥っていると非難されているのだ。その結果、一部のマルクス主義者たちの間でも、現在の環境危機を批判するためには、この二元論的理解を乗り越えなければならないと言われるようになっているのである。 残念ながら、マルクスは自らの経済学批判のなかで自然の存在論的地位についての体系的な展開を行っていない。この種の問題に取り掛かることは彼の経済学批判の主要な課題ではなかったのだから、それも当然だといえる。だが、すべてのマルクス主義者が自然の問題を無視してきたわけではない。 そこで本章では、ルカーチの『歴史と階級意識』に焦点を当てることで、「物質代謝の亀裂」を一元論者の批判から擁護することにしたい。 とはいえ、ここでの『歴史と階級意識』という選択は、一部の読者を驚かせるかもしれない。本書の第二章でも、西欧マルクス主義の伝統における自然の不当な軽視を批判しているのだから、ルカーチを肯定的に取り上げるのは矛盾しているように映るかもしれない。実際、西欧マルクス主義の記念碑的作品である『歴史と階級意識』は、マルクスの弁証法的分析から自然の領域を排除しようとする試みとして読まれてきた。 その結果、『歴史と階級意識』は、「存在論的二元論」を理由に厳しい批判にさらされてきたのである。 しかし、『歴史と階級意識』の理論的難点は、若きルカーチがまだ「未成熟」な思考を書き留めたせいだけではなく、1920年代にソ連の正統派マルクス主義を批判しようとする際に直面した政治的困難にも由来している。ルカーチは政治的な理由から、しばしば自らの本意を隠したり、曖昧にしたりせざるを得ず、そのことが、両義的で、一貫性を欠いた議論の印象を読者に与えてしまうのだ。しかし、これらの点に対する性急な批判は、ルカーチの理論に対するわれわれの理解を必要以上に狭めてしまっている。 自然弁証法と科学的二元論 そこで本章では、『歴史と階級意識』に向けられた批判に応答しながら、ルカーチの真意を明らかにしていきたい。その際には、ルカーチが自己弁明のために執筆した未発表の草稿――これは、かなり後になってから『追従主義と弁証法』というタイトルで刊行されることになる――に着目し、そのなかで展開された物質代謝論を検討していく。そうすることで、『歴史と階級意識』で打ち出された見解が支離滅裂なものではないことが判明するだろう。さらに、ルカーチの物質代謝論は、デカルト的二元論とラトウール的一元論をともに回避している点で、現代の論争への独自の貢献をしてくれる。 結論的に言えば以下のようになる。 まず、物質代謝の過程における歴史的な相互関係や絡み合いが、ルカーチの「唯物史観」の基本的な洞察である。人間と自然の物質代謝という生態学的な過程における両者の根本的至一体性がある一方で(「唯物論」)、その実際の過程や外観は、常にすでに社会歴史的に媒介されている(「史観的」)というわけだ。 皮肉なことに、デカルト的二元論を暗に前提しているのは、ポスト・デカルト的一元論の提唱者たちのほうである。彼らは二元論的に二つの存在を暗黙のうちに分離しているので、人間がそれに触れると、たちまち自然は社会的構築物になってしまうと考えるのだ。それに対して、唯物論者としてのルカーチは、自然の社会的構築主義の立場をとらなかった。むしろ、自然と社会を「物質代謝」という一元論的な枠組みで把握しようとしている。ただし、自然と社会の区別を曖昧にする「平坦な存在論」(ラトウール)を主張したわけでもない。 むしろルカーチは、特定の社会的条件いわゆる「社会的存在」のもとでのみ存在する「等しく客観的な新しい運動形態」があり、それが、自然と同様に実在的で客観的であることを強調している。「社会的存在の直接的な現象形態は、しかし、脳の主観的空想ではなく、実在的存在形態の諸契機なのである」。ここには、社会と自然の連続性を否定することなく、その絡み合いのうちに見出される質的な差異が存在している。そして、この「社会的存在」の分析こそ、ルカーチが最晩年まで取り組み続けたテーマだったのである。 後期ルカーチの未完草稿『社会的存在の存在論』で展開された物質代謝論は、今日ほとんど顧みられることがないが、「社会的存在」についての独自な思索を深めており、重要である。そこでは、労働が自然の領域と社会の領域との間に質的な「跳躍」をもたらすと指摘される。社会は自然から生まれるが、社会的領域には、人間の言語と労働を媒介とする社会関係から生じる、質的に異なる新たな創発的性質があるのである。つまり、人間の自然との物質代謝の過程に根本的に新しい次元が生じるのだ。 それゆえ、資本主義下の社会存在論の歴史的独自性を十分に明らかにするためには、これらの質的に異なる「社会的な存在の直接的な現象形態」を理解することが欠かせない。例えば、商品としての机の「価値」という形態は、資本主義における「純粋に社会的」な性質である。それゆえ、価値は机の感覚的な性質ではない。価値を見たり、触ったりすることはできないのだ。だがそれにもかかわらず、価値は「脳の主観的空想ではなく」、机の形と同じように実在的なのである。実際、「商品」や「価値」という社会的形態は資本主義の発展とともに社会的力を増していき、疎遠な力として人間に対峙し、物質代謝を改変していくようになる。 ここに、人間と自然との物質代謝の歴史的過程における「連続性」と「切断野」の両方が存在する。この社会と自然の複雑な関係を、ルカーチはヘーゲルの表現を借りて、「同一性と非同一性の同一性」と呼ぶ。自然の一部としての人間は、自然の普遍的な物質代謝に包含されている(「同一性」)。 しかし同時に、自然には存在しない社会の新たな質的性質や創発的性質があるために、社会と自然の間には「跳躍」や「切断」がもたらす差異が存在する(「非同一性」)。だが、社会は自然なしには存在しない以上、両者は完全に分断されてもいない。この二つの側面は、「分離の中の統一」のうちにあると言ってもいい。 この「同一性と非同一性の同一性」こそが、ルカーチの見解を平坦な存在論や社会構築主義から差別化する鍵である。自然と社会の「同一性と非同一性の同一性」を念頭に置くと、自然科学の中立的客観性を特権とする科学主義は、自然と社会の非連続性を強調しすぎて、デカルト的二元論に陥ってしまう。一方、ラトウール的一元論は、社会と自然の連続性に注目するあまり、純粋に社会的な創発的性質を過小評価し、人間と自然の物質代謝を編成する資本主義の独自性や矛盾を明らかにすることができないのである。 要するに、ルカーチの方法論は、よりニュアンスに富んだ社会と自然の関係性の取り扱いを可能にしてくれる。だが、それだけではない。こうしたルカーチの方法論は、独自の恐慌=危機論にもつながっていくのだ。 資本の論理によって推進される近代の合理化は、人間と自然の間の物質代謝の複雑な過程全体を十分に考慮することができないので、形式的な法則の合理性は、「全体の非合理性」を増していく。そして、危機の瞬間には自然の非同一性が炸裂する。システム全体の中での各要素の相互依存性が、形式主義では十分に予想も処理もできない形で顕在化するのだ。この意味で、人間と自然の物質代謝の総体性を認識させるグローバルな環境危機は、ルカーチのいう「危機」にほかならない。 このように、ルカーチの議論は、デカルト的二元論とも、社会的構築主義とも、ラトウール的一元論とも違う形で、人新世における人間と自然の関係を分析する実在論的な道を切り拓いたのである。このようなルカーチの二元論的方法と危機論を再検討することは、今、かつてないほど重要である。というのも、現在では、自然と社会とのハイブリッドを受け入れる一元論的な見解がかなり普及するようになっているからだ。 なるほど、近代の矛盾が露呈するなかで、自然と社会が絡めば絡むほど、一元論的思考が支配的になるのは納得がいく。しかし、今日の地球規模の生態学的危機において、資本主義批判が不可欠であることを否定することはできないはずだ。だからこそ、マルクス主義の理論的洞察を性急に捨て去るべきではない。 しかしながら、ルカーチの「主観的意図」は正しく理解されなかった。その結果、マルクスの社会哲学を自然の領域から切り離す解釈が西欧マルクス主義によって打ち出され、20世紀を通じて物質代謝論を軸とするマルクスのエコロジーは無視されることになった。だが、資本主義が人新世の環境危機を引き起こしている以上、忘れられたマルクス主義の理論的遺産を、私たちは今こそ蘇らせる必要があるのだ。
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