第三部 脱成長コミュニズムへ
第六章 マルクスと脱成長コミュニズム―MEGAと1869年以降の大転換
本章ではこれまでの文献よりもさらに踏み込んで、1870年代にヨーロッパ中心主義とプロメテウス主義を放棄した後の、晩期マルクスの未来社会像を具体的に描いてみたい。以下で示すように、マルクスは、民族中心主義も生産力主義も最終的に捨て去ることで、それまでの史的唯物論の図式を放棄したのだ。もちろん、それは、マルクスにとって極めて困難な知的格闘となる。ある意味、マルクスの世界観は完全な危機に陥ったのだ。マルクスの晩年の集中的な研究は、唯物史観をまったく新しい視点から再構築し、再定式化するための必死の試みだったのであり、その結果、未来社会についての新たな展望を遂に切り拓いたのである。 晩年のマルクスは非西欧社会を、とりわけ農業や共同体的土地所有との関連を真剣に勉強し、非西欧社会の革命的ポテンシャルを認識するようになっていく。 この変化は、ヴェラ・ザスーリチに宛てた有名な手紙や『共産党宣言』「ロシア語版の序文」のうちに見て取ることができる。 ただし、ロシアの共同体所有に対する高い評価は、西欧での革命への希望を捨てた老マルクスが遠くロシアの革命運動に強く共感したせいだ、という理解になってしまえば、そこでの議論は、ロマン主義的なものに聞こえてしまうだろう。当然のことながら、ロマン主義は魅力的な選択肢ではない。 マルクスの現代的意義を示すためには、ポスト資本主義社会像をより具体的に展開する必要がある。その際に重要なのが、ロシアの革命家たちとの交流である。 ニコライ・チェルヌイシェフスキーやマキシム・コヴァレフスキーは、マルクスにロシアに代表される非西欧社会のコミュニズムへの道程を再考させるだけでなく、西欧におけるコミュニズムの展望をより豊かなものにしたのだ。 しかし、先行研究は1868年以降のマルクスの環境問題への関心に注意を払わなかったために、晩期のコミュニズム像を十分に明らかにすることができなかった。つまり、最終的な未来社会への展望は、マルクスがその生涯の最後の十五年間に行った経済学批判、エコロジー、前資本主義・非西欧社会への取り組みを統合したうえで、初めて展開できるのである。マルクスが前資本主義社会と自然科学を同時に研究しなければならなかった理由を注意深く検討することで、ザスーリチ宛の手紙の解釈をめぐって驚くべき新たな可能性が浮かび上がってくる。結論から言えば、マルクスは最終的に脱成長コミュニズムになったのである。 史的唯物論の解体 前章で述べたように、『1861―63年の経済学草稿』における「実質的包摂」の分析を通じて「資本の生産力」の問題に注意を向けるようになってから、マルクスは大きな理論的転換を遂げる。この転換によって、マルクスは資本主義の進歩的性格に関するそれまでの想定を徹底的に見直すことを強いられるようになったのだ。というのも、生産力の発展が新しいポスト資本主義社会の物質的基盤を自動的に準備せず、むしろ人間や自然からの掠奪をますます悪化させる可能性をはっきりと認識したからである。 しかし、「資本の生産力」概念は、その後ほとんど注目されることがなかったため、マルクスは進歩史観を想定していたという解釈が広がり、それが今でも一般的に受け入れられてしまっている。「マルクスは、歴史とは〔…〕植物の生長のようにそれ自身の法則に従って不可避的に進行する発展であるというヘーゲルの見解を採用した」と言われてしまうのだ。そのような見解によれば、マルクスは人類史の単線的な発展を擁護していたのであり、資本主義における生産力の増大もはじめは社会や自然環境に破壊的な影響を与えることがあったとしても、最終的には、弁証法的な転倒によって、人類の解放をもたらす(だから受け入れるべき)、とされる。 このいわゆる「史的唯物論」は、その経済決定論ゆえに繰り返し批判されてきた。この史的唯物論には「生産力主義」と「ヨーロッパ中心主義」という2つの特徴がある。「生産力主義」は、資本主義の近代化を楽観的に支持する。市場競争のもとで導入される科学技術が、最終的には、貧困の解消や労働時間の短縮をもたらし、これまで少数の支配階級に限られていた豊かな生活を労働者階級にも提供するとされた。この枠組みでは、生産力の発展が歴史的進歩の主要な原動力だとされるため、資本主義的発展を加速させることが、人間的解放に向けた最も効率的な変革への道とみなされるのである。 このような生産力主義的な展望は、同時に単線的な歴史観を前提にしている。生産力の高い西欧資本主義諸国は、非西欧諸国や非資本主義諸国と比較して歴史のより高次の段階に位置しているとみなされるからである。そこからさらに、他の非資本主義諸国も社会主義を樹立するためにはヨーロッパと同じ資本主義的工業化の道を歩まなければならないと推論される。このような、西欧の優位性を無批判に前提し、自国の歴史を世界の他の地域に押しっける態度が、マルクスの思想を「ヨーロッパ中心主義」にするのである。いうまでもなく、生産力主義もヨーロッパ中心主義も、今日ではもはや受け入れることができない。 こうしたマルクスに向けられる批判には根拠がないわけではない。実際、『共産党宣言』の「自然の征服」や「未開国や半未開国」といった記述には、マルクスとエンゲルスの自民族中心的な生産力主義が見て取れるからだ。 しかし、マルクスが『共産党宣言』で述べたことをあまりにも早急に一般化すべきではない。なぜなら、マルクスは後にこの両方の問題含みな想定を訂正しているからである。 マルクスは1868年以降自然科学の勉強によりいっそう熱心に取り組んでいるのがわかる。この時期の研究ノートから見て取れる彼の問題意識は、以前の楽観的な見方とは大きく異なった関心を示しており、資本主義のもとでの生産力の増大を歓迎する姿勢を捨て、生産力の持続的発展が資本主義のもとでは不可能であることをマルクスは認識し、するようになっているのだ。すなわち生産力主義との決別である。 生産力の発展は短期的利益と無限の資本蓄積のために人間と自然を内延的にも外延的にも浪費し、掠奪する傾向性を強化していく。そのことが、より複雑で大規模な環境問題を生み出すのは自明である。それゆえ、「物質代謝の亀裂」を修復するには別の経済システムが必要となる。こうした確信こそが1860年代以降のマルクスの「環境社会主義」の根本洞察をなしている。 1860年代に「環境社会主義」を受け入れたという事実は、マルクスの見解が大きく変化したことを示している。しかし、この理論的変容はより根本的な認識の転換の始まりに過ぎない。というのも、生産力主義からの決別は、「史的唯物論」と呼ばれる彼の世界観そのものを揺るがすものであったからだ。生産力主義を放棄したマルクスは、より大きな生産力を有しているというだけでは、もはや西欧資本主義が非西欧社会や非資本主義社会と比較して、より高い歴史的段階にあることを自動的に保証してくれないと気がついたに違いない。破壊的な技術の発展が、自由で持続可能な人類の発展に向けた「発展」と言えるかどうかは、まったくもって明らかではないからだ。実際、マルクスは『資本論』のなかで、資本が自然から収奪する力を「掠奪」と呼んで、批判するようになったのである。 つまりはマルクスが「史的唯物論」の本質的な構成要素としての生産力主義を捨てるなら、同じコインの裏側であるヨーロッパ中心主義を再考することも余儀なくされる。その結果として、生産力主義もヨーロッパ中心主義も最終的に捨て去ったのであれば、マルクスは「史的唯物論」として伝統的に理解されてきたものとは、完全に決別することにもなるのである。その際、マルクスはすべてを解体し、一からやり直さなければならなかったはずだ。これが極めて困難な仕事であったことは想像に難くないが、しかし、晩期マルクスの世界史や非西欧社会・前資本主義社会に関する研究からもわかるように、自らのプロジェクトの再構築をけっして諦めはしなかったのだ。そして理論的な飛躍をとげたのである。 あらためてみると、1860年代以降におけるマルクスは資本主義の進歩的性格を根本から再考することを迫られていたのである。その結果、自然環境の領域と同様に、1868年以降に、マルクスの非西欧社会に対する扱いに決定的な変化が生じることになる。この転換は、例えば、イングランドの植民地支配に反対するアイルランドの人々との連帯の態度に見てとることができる。1869年12月10日付のエンゲルス宛の手紙で、マルクスは次のように述べている。 僕が長いあいだ考えてきたことだが、可能なのは、アイルランドの体制をイギリスの労働者階級の興隆によってくつがえす、ということなのだ。僕は絶えずこの見解を『ニューヨーク・トリビューン』紙上で主張してきた。より深い研究によって、僕は今ではその反対のことを確信するようになっている。イギリスの労働者階級は、それがアイルランドから免れないうちは、けっしてなにごとも達成しはしないだろう。槓桿はアイルランドに据えられなければならない。そうすれば、アイルランド問題は社会運動一般にとって非常に重要なのだ。(『全集』第三二巻、336頁) アイルランドは地理的には西欧に位置するが、イングランドの植民地支配に長年苦しむ周辺国であった。 それゆえ、この手紙におけるマルクスの分析は、1850年代の自らの見解とは大きく異なっている。マルクスは世界史を前進させるという進歩的役割をイングランドに帰属させることなく、植民地化されたアイルランドが、イングランドの資本主義や帝国主義との闘争においてむしろ主導的で主体的な役割を果たすべきだと主張しているからだ。この箇所は、マルクスが自民族中心主義の論理から脱却したことを初めて明確に示しており、重要である。繰り返せば、このような変化の背景には、マルクスが『資本論』第一巻の刊行直後から、自然科学と並行して、非西欧社会、前資本主義社会の研究を集中的に進めていた事実がある。ここでは、地理的には西ヨーロッパに属するアイルランドが問題となっているが、その背景には、より広域を扱う植民地支配をめぐる考察があるのだ。 その際、マルクスは非資本主義的農業と土地の共同所有制に着目している。具体的には、1868年以降、マルクスは古代ローマ、ゲルマン民族、インド、アルジェリア、ラテンアメリカ、北米のイロコイ族、ロシアの農耕共同体に関する書物を読んでいるが、そのなかでも、晩期マルクスの見解の変化は、特にロシア研究のうちに記録されている。 ロシアとコミュニズムの新しい概念 1860年代後半になっても、マルクスは帝政ロシアだけでなくミハイル・バクーニンのようなロシア人革命家に対しても嫌悪感を隠さなかった。第一巻の初版でマルクスは、ロシアのポピュリストであり親スラブ主義者であるアレクサンドル・イワノヴィチ・ゲルツェンやドイツの歴史家でロシアの農耕共同体や土地改革について幅広く執筆したアウグスト・フォン・ハクストハウゼンに対しても嘲笑の言葉を残している。 しかし、マルクスのロシアに対する態度は、その後ロシアのポピュリスト革命運動との接触を通じて、徐々に変化していく。きっかけは『資本論』のロシア語訳の刊行計画だったが、翻訳過程でのやりとりを通じて、ロシア人たちは逆に、マルクスにロシアの著作や論争の紹介を行ったのである。マルクスが、ロシアの革命家との交流から大きな刺激を受けたのは間違いない。とりわけマルクスは、ロシアの哲学者ニコライ・チェルヌイシェフスキーの著書『「J・S・ミル経済学原理」への評解』を熱心に読んでいる。チェルヌイシェフスキーもナロードニキの中心人物の一人である。 マルクスがチェルヌイシェフスキーの影響を受けていることを示す証拠として1873年に出版された『資本論』第二版からゲルツェンとハクストハウゼンを否定する一節が消えているという事実だ。その代わりに、マルクスは第二版後記でチェルヌイシェフスキーの『評解』を「それは、ロシアの偉大な学者で批評家であるN・チェルヌイシェフスキーが〔・・〕すでにみごとに明らかにしているものである」(『資本論』第一巻27頁)と賞賛している。この変更は、1867年から1872年にかけて、たとえマルクスがまだロシア社会の革命的潜在力を完全に確信していなかったとしても、彼のロシアに対する態度がすでにいくらか変化していたことを示唆している。そしてこの変化は、後によりはっきりとマルクスのコミュニズム構想のうちに現れることになる。 その後、『資本論』ロシア語訳が1872年3月に出版された。一年以内に3000部を売り上げ、当時としてはかなりの成功を収めた。しかし『資本論』初版の「序文」にある、「産業の発展のより高い国は、その発展のより低い国に、ただこの国自身の未来の姿を示しているだけである」(『資本論』第一巻、9頁)というこの一文よって、ロシアでは議論が起こることになった。きっかけは、ロシアのナロードニキ、ニコライ・K・ミハイロフスキーによって始められたものである。そこでの争点は、もしそうであるならば資本主義の段階を経ることなく、ロシアに社会主義を樹立することができるかという問題であった。つまり、マルクスのこの説明がロシアに当てはまるかどうかをめぐって、議論が勃発したのである。 ミハイロフスキーのこの批判に対して、マルクスは、『資本論』第二版「あとがき」でチェルヌイシェフスキーに対する肯定的評価をしていること、さらにはフランス語版では「本源的蓄積」の議論を西欧に限定するという修正を行った点などを指摘して、その批判に応える手紙を書き残している(『全集』第完巻、116頁)が、この手紙は投函されることはなかった。従って二人の間で論争が深められることはなかったが、マルクス自身にとっては、その後のロシアのミール共同体や古代社会(ルイス・モーガン)の共同体、さらにはインドの農村共同体などの研究を通じて非資本主義社会に関するそれまでの均質化アプローチの欠陥への反省をさらに促すことになった。具体的には、非西欧社会を「封建的」や「アジア的」生産様式という単一的なヨーロッパ的カテゴリーに包摂して、分析を済ませてしまうのではなく、各地域の特殊性や差異、歴史的変化に注意を払うようになったのだ。 このことは、ヨーロッパ中心主義的な歴史概念を、あたかもそれらのカテゴリーが非ヨーロッパ地域にまで普遍的に適用できるかのように押し付けようとするヨーロッパの歴史家たちをマルクスが明確に批判していたことからもわかる。 こうした経緯のなかで、1881年にマルクスは突如、史的唯物論の問題に立ち戻ることを余儀なくされる。それが、ロシアの革命家ヴェラ・ザスーリチからの手紙である。『資本論』に端を発するロシアの革命可能性につての論争に興味を持ったザスーリチは、1881年2月16日付の手紙で、ロシアでマルクスの意見を公表するために、彼に直接その真意を問うたのだ。 わが農村共同体のありうべき運命にかんする、また世界のすべての国が資本主義的生産のすべての段階を通過することが歴史的必然であるという理論にかんする、あなたの考えを述べていただくならば、われわれにたいしていかに大きな助けとなるか、ということを御理解頂けるでしょう。(ザスーリチ1972、40頁) 『資本論』第一巻の刊行後14年の間に、マルクスの考え方がどのように変化したかを見定めるためのヒントが、この手紙とその草稿のうちにある。しかもここでは、マルクスがヨーロッパ中心主義的な歴史観を否定しているだけでなく、ポスト資本主義社会についての新しい展望が姿を見せ始めているのである。 とはいえ、実際にザスーリチに送られた返事そのものは、短くそっけない。これは、マルクスがロシアで支持していたのは、ザスーリチの属する「黒い割替」に反対するポピユリスト集団「人民の意志」だったからではないかと言われている。マルクスは、ザスーリチに詳細な手紙を送っても「人民の意志」の利益にならないことがわかっていた。それゆえ、マルクスは『資本論』における資本主義的発展の法則の「歴史的必然性」は西欧諸国に明示的に限定されているという、『オテーチェストヴェンヌィエ・ザピスキ』編集部宛の手紙で述べたのと同じ点をただ繰り返すだけだった(『全集』第一九巻、238頁)。 とはいえ、マルクスは実際にはザスーリチの問いに答えるために、3度も下書きの手紙を書いている。このことは、ザスーリチの投げかけた問いが、いかに核心を突くものであったかを端的に表している。実際、当時のマルクスは意識的にロシアの問題を研究していた。そんななか、ザスーリチは、『資本論』第一巻に透けて見えるヨーロッパ中心主義の歴史観が本当にマルクス自身のものなのか、と問いかけたのである。ロシアをはじめとする非資本主義諸国について集中的に取り組んでいたマルクスは、この機会を使って、自らの考えを定式化しようとしたのである。 まず、マルクスによれば、個人主義が集団主義を圧倒して共同体の崩壊を招いてしまうのか、それとも、労働の社会化の過程で集団的規制が残り、それを基礎として社会主義への道が開かれるかは、それぞれの社会が置かれた「歴史的文脈」によるというのである。そして、マルクスの見解では、ロシアの「歴史的文脈」は社会主義者たちにとって好都合であるという。「ロシアは、「農耕共同体」が今日まで全国的な規模で維持されている、ヨーロッパで唯一の国である」(『全集』第一九巻、39頁)。西欧では「共同体は、なんらかの仕方で、たえまない外戦と内乱とのなかで死滅した」(『全集』第一九巻、389頁)ことを認めた上で、19世紀後半のロシアの共同体を取り巻く歴史的状況はまったく異なり、独自のものだと述べる。ロシアはインドとは異なり、西欧資本主義の植民地支配に屈することなく、西欧資本主義とともに併存している。その際、ロシアの農村共同体は孤立しており、「局地的小宇宙」状態にあることはたしかに弱点であるが、西欧における通信・輸送手段に代表される技術発展の成果は、そうした孤立状態を克服し、集団的労働を可能にする。 したがって、ロシアに残る農村共同体とその共同体的所有が、地球全体を巻き込む資本主義の高波に飲み込まれ、消滅してしまうのを傍観する必要はない、とマルクスは述べる。それどころか、ロシアの農耕共同体の生命力は、容赦のない無限の資本主義の拡大に対する抵抗の基礎を提供することができると言うのだ。 「世界市場を支配している西欧の〔資本義的〕生産と同時的に存在していることは、ロシアがカウディナのくびき門を通ることなしに、資本主義制度によってつくりあげられた肯定的な諸成果のすべてを共同体のなかに組み入れることを可能にしている」(『全集』第完巻、392頁、強調原文)。 このように、マルクスは資本主義の歴史的段階を経ることなくロシアがコミュニズムに移行する可能性を肯定する。だが、マルクスは農耕共同体の前資本主義的な条件をそのまま温存することを要求したのではない。むしろ、西欧資本主義の肯定的な成果を積極的に吸収することによって、共同体を「現在の基盤の上に」発展させることを主張している。そうしてこそ、この西欧資本主義との遭遇をロシアにコミュニズムを樹立するチャンスとして生かすことができるというのだ。 しかし、ロシアへの資本主義の侵入によってミールの崩壊がすでに起こっている以上、残された時間は限られている。そこでマルクスは、ロシア革命の即時実施を主張する。「もしも革命が適時に起こるならば、もしも、農村共同体に自由な飛躍を保障するために、革命が全力を集中するならば、農村共同体は、まもなく、ロシア社会を再生させる要素として、資本主義制度によって隷属させられている諸国に優越する要素として、発展するであろう。」(『全集』第一九巻、398頁) この発言からもわかるように、マルクスの歴史観は1881年までに大きく変化している。なぜなら、ロシアの農村共同体が資本主義的近代化の破壊的過程を経ることなく、既存の共同体的所有に基づいて社会主義へと飛躍し、自らの歴史を作る能動的な力やそれを可能にする「経済的優位性」を明示的に認めているからである。マルクスは、非西欧社会における資本主義の拡大に対する抵抗力に注目することで、ロシア革命の可能性を見出したのである。 この草稿の内容は、最終的に送られた手紙には反映されていないが、マルクスの結論は決して気まぐれではない。マルクスはエンゲルスとともに、『共産党宣言』ロシア語版第2版の「序文」で同様の見解を繰り返しているからだ。 ロシアのオブシチナは、ひどくくずれてはいても、太古の共同体的土地所有の一形態であるが、これから直接に、共産主義的な共同体的所有という、より高度の形態に移行できるであろうか?それとも反対に、農民共同体は、そのまえに、西欧の歴史的発展でおこなわれたのと同じ解体過程をたどらなければならないのであろうか? この間題にたいして今日あたえることのできるただ一つの答は、次のとおりである。もし、ロシア革命が西欧のプロレタリア革命にたいする合図となって、両者がたがいに補いあうなら、現在のロシアの共同体的土地所有は共産主義的発展の出発点となることができる。(『全集』第一九巻、288頁) この記述は、ロシアの読者に向けたリップサービスではない。それどころか、新しい「序文」でこのようにはっきりと主張しなければ、『共産党宣言』をロシア語で改めて出版することは、マルクスが純朴にヨーロッパ中心の歴史観を持っているのではないかと、人々にいっそうの疑念を抱かせることになっただろう。 マルクスのコミュニズムの展望における変容 晩期マルクスの思想的な変容を明らかにするためには、ヨーロッパ中心主義と生産力主義の両方の問題に目を向けることは必要だ。それによってのみ、まったく新しい解釈が浮かび上がってくる。その際に問題となるのは、コミュニズムへの道が複数になっただけではない。むしろ重要なのはマルクスが1880年代にそれまでの理論的欠陥や史的唯物論の一面性を意識的に反省した結果、コミュニズムに対する考え方そのものが大きく変化したという事実である。コミュニズムの樹立がマルクスの生涯を通じての最重要課題であったことは周知の通りだが、将来社会という問題は、これまでの文献ではザスーリチへの手紙との関連で論じられたことはなかった。けれども、1881年のマルクスはこの機会を利用して、農耕共同体の集中的な研究を通じて学んだことに基づいて、ポスト資本主義社会の展望も定式化しているのである。まさにこれこそが先行研究によって見逃されてきた点なのだ。 マルクスが晩年にコミュニズムに対する考え方を変化させた可能性は、『資本論』第二巻と第三巻の出版が大幅に遅れた事実にも示唆されている。エンゲルスが一刻も早い完成を強く望んだにもかかわらず、マルクスは自然科学と前資本主義社会についての研究にこだわった。けれども、マルクスが『資本論』を完成させずに、どうしてこれらのテーマに多くの時間を費やしたのかは、長い間謎のままであった。あたかも、プレッシャーと体調の悪化に苦しんだマルクスが、『資本論』の執筆という苦しい仕事から逃げ出したかのようにも見える。 深刻な健康状態にもかかわらず、知的能力と情熱を失ったわけではなく、『資本論』を完成させるためにこそ新しい領域を研究したことを示していきたい。 この謎を解くヒントはやはり、マルクスの経済学体系の理論的支柱としての物質代謝論にある。つまり、マルクスが物質代謝論を深めていく過程で、自然科学や前資本主義社会・非西欧社会への集中的な取り組みが不可欠になったのである。だからこそ、非西欧社会・前資本主義社会の問題を、共同所有、農業、労働といった観点から扱うだけでは十分ではない。 そもそも、農業こそ、資本主義における「掠奪」と「物質代謝の亀裂」がもっともはっきりと現れる領域であった。だとすれば、マルクスの非西欧社会に関する研究で問題になっているのは、たんに植民地支配による共同所有の解消にとどまらない。むしろ、それはエコロジカルな意味合いを持つのである。というのも、植民地支配や市場拡大による中核部と周縁部とのあいだの不等価交換が掠奪を国境を越えて広めていく。資本の生産力の発展が掠奪を増幅し、地球規模で物質代謝の亀裂を深めていく、これこそリービッヒが警告していた近代の矛盾であった。 だが、それと同時に、マルクスはより持続可能な生産方法についての考察を深めようとした。その際に、前資本主義社会と非西欧社会における人間と自然との物質代謝が、資本主義とはまったく異なるやり方で取り仕切られている点にマルクスは着目した。マルクスは、それが共同体の長期にわたる生命力の源泉だと考えるようになる。要するに、その生命力の根底には、持続可能性の問題があるということにマルクスは気がついていたのである。 このように「物質代謝」という概念を手がかりにすると、この二つの研究分野が互いに密接に関連している可能性が浮かび上がってくる。実際、晩期マルクスが前資本主義社会と非西欧社会の研究を始めた理由を思い出せばいい。マルクスは、1868年初頭にフラースの環境研究を読んで触発され、マウラーのゲルマン共同体に関する分析に取り掛かる。ゲルマンの「マルク協働体とその持続可能な農業に関するフラースの議論が、マウラーの分析に依拠していたからだ。つまり、環境と前資本主義社会の間題は、マルクスのなかで最初からつながっているのである。けれども、「マルクスのエコロジー」は長きにわたって否認されてきたために、自然科学研究と前資本主義社会の研究が合わせて論じられることはなかったのだった。 もちろん、マルクスは、フラースを読む以前から環境への関心を持っていた。だが、フラースの著作を読むことでその射程が拡張され、過剰な森林伐採に対するフラースの批判に「社会主義的傾向」を見出しただけでなく、前資本主義社会における物質代謝の具体的あり方にも、エコロジカルな観点からより注意を払うようになったのである。そして、これらの社会における協同的生産とそれに対応する共同所有が、より持続可能な形での人間と環境の物質代謝に関係していることを認識したのだ。実際、マルクスは、マウラーがゲルマン共同体におけるラディカルな「平等主義」に言及しているところにも、フラースと同じ「社会主義的な傾向」を見出している。 マウラーもフラースも同じ社会主義的傾向を持っていると特徴づけることで、マルクスは持続可能性と社会的平等の関連性を暗に示していた。 ところで、マルクスが西欧の革命家である以上、彼が農村共同体や自然科学に長く取り組んだ主目的は、非西欧的共同体の革命的ポテンシャルそのものではなく、むしろそれらが西欧の資本主義にとって持つ意味であったと言っても過言ではないだろう。このことは、マルクスのザスーリチへの手紙にも暗示されている。 先に述べたように、マルクスは1860年代に入ってから、資本主義的発展がもたらした自然環境の劣化や周縁部からの掠奪を前にして、それまでの楽観的な理論枠組みを再考するよう迫られた。「物質代謝の亀裂」は、資本主義による共同体的生産・所有の破壊が生み出す「自然の生命力」の劣化の現れにほかならないのだ。この意味で、プロレタリアートの形成と環境破壌の問題は同根である。この関連に気がついたマルクスは、「より高い」生産力を持つ西欧が、非西欧社会や前資本主義社会よりも本当に優れているのかどうかを疑うようになっていく。 マルクスがザスーリチ宛の手紙のなかで、前資本主義的共同体の「経済的優位性」を認めているのは、この疑念の表明にほかならない。例えば、マルク協働体の生産力が西欧資本主義社会より賢かに低いとしても、自然との物質代謝的相互作用をはるかに意識的に制御し、社会的平等と土壌の肥沃度を同時に確保していたという点で、そちらの方が優れているのである。事実、これこそが共同体を長く持続させる「自然の生命力」の源であった。さらに、「資本の生産力」はポスト資本主義社会の基盤を提供しない以上、マルクスは、西欧社会はこれらの農耕共同体から物質代謝を組織する別の方法を学ぶ必要があると考えるようになっていったのだ。まさにこうした態度の転換こそ、晩年のマルクスがそれ以前の西欧中心主義から完全に決別したことを示しているのである。 こうして、マルクスの西欧資本主義の分析とコミュニズムの展望は、晩年に大きく変化していく。 ザスーリチヘの手紙で、マルクスが西欧における資本主義の「危機」を指摘した一節にも、この理論的修正が見て取れる。 現在、資本主義制度は西ヨーロッパにおいても合衆国においても、労働者大衆とも科学とも、またこの制度の生みだす生産諸力そのものとも、闘争状態にあるのを、一言でいえば、それが危機のうちにある〔…〕。(『全集』第一九巻、393頁) 注目すべきは、マルクスが資本主義の「闘争状態」と「危機」を労働者階級の運動との関係だけでなく、「科学」と「生産諸カ」との関係を論じている点である。この点について、伝統的なマルクス・レーニン主義では、科学と技術のさらなる発展が最終的に資本主義を吹き飛ばし、危機を終結させる、という生産力主義的解釈が行われてきた。しかし、『資本論』以降の環境への関心の深まりを考えると、この一節のプロメテウス主義的な読み方には整合性がない。 ところが、生産力主義の批判者としてのマルクスの視点からこの一節を読むと、その意味は正反対になる。資本主義が永続的な「危機」の渦中にあるのは、資本主義が持続可能な生産力の維持・発展の障害になっているという「科学」からの厳しい批判にさらされているからなのだ。例えば、リービッヒとフラースは、資本主義のもとでの新しい技術の発展は自然からの掠奪を強化するだけだと主張した。自然科学がこのような資本義の目的に奉仕させられると必然的に搾取的で浪費的になる、資本主義の持続不可能性は、リービッヒとフラースが使う意味での近代科学の「合理的」な適用とはほど遠い。彼らは自然を服従させ、操作するという近代プロメテウス主義のプロジェクトの失敗を明らかにし、資本主義の正当性に疑問を投げかけたのである。 地球は共有財であり、この地球の独占による不合理な扱いは容認できないとマルクスも考えていた。「資本主義的生産の全精神が直接眼前の金もうけに向けられているということ、このようことは、互いにつながっている何代もの人間の恒常的な生活条件の全体をまかなわなければならない農業とは矛盾している」(『資本論』第三巻、79頁)。資本主義の私的所有制度は、個人による共有財の恣意的な使用を正当化する。しかも、アトム化された個人の利己的な悪い振る舞いがもたらす損害は外部化されて、社会全体に不均等な形で波及する。これに対してマルクスは、「アソシエートした生産者が、人間と自然の物質代謝を合理的に規制する」(『資本論』第三巻、1051頁)ことを要求した。ここでの「合理性」の要求は、用語選択も含めて、リービッヒやフラースのやり方とまったく同じであり、未来に向けた持続可能性を意味する。こうした科学の批判が資本主義の正当性の危機を増幅させたのである。 では、この危機はどのように終結するのだろうか。マルクスは手紙の「第一草稿」で、資本主義の危機は、「資本主義制度の消滅によって終結し、また、近代社会が集団的な所有および生産の「原古的な」型のより高次な形態へと復帰することによって終結するであろう」(『全集』第一九巻、393頁、強調筆者)と続けて主張している。ここでもまた、「最新のものは最古のもの」なのだ。つまり、マルクスは可能な限り資本主義の発展を推し進めた先にコミュニズムが樹立されると主張したのではない。驚くべきことに、西欧が前資本主義社会に「復帰する」必要があると主張したのである。原古的な型のより高次な形態に「復帰する」ために、西欧が非西欧社会から、いったいどのような原理を取り込む必要があるのだろうか。 私たちは、いよいよ晩期マルクスの理論的核心に迫っている。先に見たように、マルクスは1870年代に持続可能性と社会的平等の結びつきについて思索した後、ザスーリチからの問いかけをきっかけとして、西欧やアメリカにおける人間の自然との物質代謝を「合理的に規制する」可能性を定式化しようとした。その際、マルクスは「資本の生産力」がもたらす環境的破局を理由に、西欧社会が優れているという前提を修正した。それに合わせて、将来社会においても、西欧社会が原古的な共同体の優れた要素を復活させることを求めるようになったのだ。つまりザスーリチへの手紙で本当に重要なのは、歴史的経過の「複線化」や「ヨーロッパの地方化」ではなく、マルクスが西欧型ココミュニズムの展望そのものを大きく変更した点なのである。 「より高次な形態へと復帰する」という表現は、ルイス・H・モーガンの『古代社会』の影響を受けている。モーガンは、近代西欧社会の主目的が「生涯の財産」になってしまったと批判している。そして彼はまた、自由、平等、友愛を「より高次の形態」で再生させるために、民主的な共同体生活へ立ち戻ることを主張したのだ。 マルクスは次の一節をノートに記録している。 しかし、人間の知性が財産を支配するようになる時が来るだろう〔…〕。人類の最終的な運命は、生涯の財産だけではない。文明が始まってから過ぎ去った時間は、人間存在の過ぎ去った期間の断片(しかも非常に小さい)に過ぎず、まだ来ていない時代の断片に過ぎない。社会の解体は、財産が目的であり目標である生涯の終了となるのが妥当である。なぜならば、そのような生涯は自己破壊の要素を含んでいるからである〔…〕。それ(社会のより高次爵画)は、古代ゲンスの自由、平等、友愛を、より高次の形態で復活させるものである。(『全集』補巻四、319−320頁、強調原文) モーガンは、この高次の社会のあり方を詳細に展開したわけではないが、資本主義社会との対比で、「生活のなかのコミュニズム」という言葉を繰り返し使用した。それがマルクスの注意を引いたことは疑いない。 例えば、マルクスは括弧つき・傍点つきで、以下のような引用をしている、 (南スラブ人のように、そしてある程度は、農奴解放前後のロシア人の農民のように) 共同的家庭を形成し、生活のなかでのコミュニズムの原則が実践された。この事実は、単独で生活上の苦難に立ち向かうには、家族はあまりにも弱々しい組織であったことを証明している(『全集』補巻四、285頁、強調原文) 自然環境の厳しさに迫られたロシア人は、「万人の万人に対する闘争」に基づくダーウィン的な自然淘汰のモデルではなく、後にピョートル・クロボトキンが提唱したような相互扶助に頼らなければならなかった。それこそが、「生活のなかのコミュニズム」の自然的基盤だったのである。 土地や財産の共同体的規制を通じて、「生活のなかのコミュニズム」は基本的に毎年同じ生産を繰り返した。つまり、その長く続く伝統的な生産方法は経済成長のない定常循環型経済を実現していたわけだが、かつてのマルクスはそのような経済のあり方を歴史のない原始社会の停滞だと断じたのだった。もちろん、このような農耕共同体の定常型経済の原理は、終わりなき資本蓄積と経済成長を追い求める資本主義とは根本的に異なるものである。 また、マルクスは、ナロードニキの創始者の一人とされるチェルヌイシェフスキーから強い影響を受けた。チェルヌイシェフスキーは、ロシアの共同体を基盤とした社会主義革命を唱えていたが、その際に、ゲルツェンのようなスラブ主義者のように、共同体をスラブ精神の体現として理想化するロマン主義を採用しなかった。むしろ、チェルヌイシェフスキーは、共同体が解体された西欧資本主義における労働者階級の惨状を前にして、ロシアに資本主義が侵入しつつある時代に、その共同体の重要性を擁護したのである。 しかも、この共同体は、西欧で現れてやる「新しい志向」としての社会主義運動と呼応する。だからこそ、ロシアの伝統的な共同体牲西欧資本主義の果実を取り入れつつ、他方で、西欧の社会主義運動は共同体的生産から学ぶことで、新しい未来を切り拓けると訴えたのだ。 「共同体的所有に対する哲学的偏見の批判」において、チェルヌイシェフスキーは次のように述べている。 いたるところで、発展の最高段階は、形態的には発展の中間段階で対立した形態と交代したところの原始的形態への復帰であり、いたるところで、内容の非常に強力な発展は、内容のあまり強力でない発展によって放棄されたところのまさにその形態の復活に導く。(チェルヌイシェフスキー1983、92頁) ザスーリチへの手紙を踏まえれば、チェルヌイシェフスキーの理論は明快だろう。晩年のマルクスの議論は、チェルヌイシェフスキーの革命論からかなり強い影響を受けて、展開されているのである。 以上のことを考えれば、ザスーリチへの手紙でマルクスが原古的な型へ立ち戻ることを呼びかけたのは、決して無頓着な気まぐれではないことがわかるだろう。1880年代までにマルクスは、経済成長を伴わない共同体の持続的な安定こそが、人間と自然の持続可能平等主義的な物質代謝的相互作用を実現するための基盤であることを認識していたのだ。これは、マルクスが1850年代、さらには『資本論』第一巻においてそれまでアジアの共同体の定常性と不変性に否定的な発言をしていたのと比較すれば、大きな立場の転換である。 このように、自然科学と共同体という一見無関係に見える2つの研究分野が密接に絡み合いながら、マルクスはそれまでの史的唯物論を放棄する。そして、14年間の研究の末、定常型経済に基づく持続可能性と平等が資本主義に抵抗する力の源泉であり、だからこそロシアの共同体が資本主義の段階を飛び越えてコミュニズムに到達しても何ら不思議ではないという結論を出したのだ。さらに、西欧社会が資本主義の危機を解決するために原古的な型のより高次な形態に意識的に「復帰する」のが必要なのも、定常型経済のもとでの持続可能性と平等を実現するためである。この意味で、マルクスのポスト資本主義の最終展望は脱成長コミュニズムなのである。 非資本主義社会へ「復帰する」ことを求める脱成長コミュニズムは、西欧社会が非西欧社会から学び、定常型経済の新しい原理を組み込むことを要求する。だが、マルクスの生産力主義の否定は「田園的生活への回帰」というロマン主義ではない。むしろ、マルクスはチェルヌイシェフスキーにならって、ロシアの共同体も資本主義的発展の積極的な果実を吸収しなければならないと繰り返し述べている。同様に、「資本の生産力」をさらに発展させてもポスト資本主義社会の樹立にはつながらないとしても、西欧はこれまでの自らの発展の成果をすべて放棄すべきではない。そのうえで、資本主義的発展の果実と非西欧社会における定常型経済の原理の組み合わせこそが、西欧社会が原古的な共同体の「高次な形態」としてのコミュニズムへの飛躍を可能にするのだ。「生活のなかのコミュニズム」を「脱成長コミュニズム」として復活させることは、20世紀における伝統的マルクス主義の生産力主義とはまったく異なる新しいコミュニズムへの道を切り開くのである。 脱成長コミュニズムの考え方が若きマルクスのプロメテウス主義の対極にあるのは自明だろう。だが、リービッヒの掠奪農業批判を受け入れて『資本論』で提唱した環境社会主義の立場とも同一ではない。環境社会主義は、資本主義的生産が克服されれば持続可能な経済成長をさらに追求できるという可能性を排除しないからだ。それに対して、脱成長コミュニズムは社会主義においても、無限の経済成長は持続可能ではなく、望ましいものでもないと主張する。それは、社会的物質代謝がさまざまな資源やエネルギーのフローからなることを考えれば、本来、自明のことである。 したがって、脱成長コミュニズムはエンゲルスのポスト資本主義の構想とも異なる。エンゲルスは、資本主義が克服されれば、社会主義が労働者階級のために生産力を完全に解放するだろうと信じていた。社会主義は、「生産力が不断に、たえず速度をくわえつつ発展してゆく〔こと〕〔…〕また生産そのものが実際上無制限に上昇してゆく」(『全集』第二〇巻、291頁、強調筆者)ことを実現するとされたのだ。これに対して、1881年にマルクスは、無限の成長の支持から距離を置き、「生活のなかのコミュニズム」という原理に基づく社会的平等と持続可能な生産の必要性を指摘した。この大転換はアルチエセール的な意味での「認識論的切断」に匹敵するものである。 マルクスは生産力主義とヨーロッパ中心主義を完全に放棄して初めて、定常型経済の原理を未来社会の基盤として完全に組み込むことができた。脱成長コミュニズムは、マルクスがナロードニキを熱烈に支持していたことを考えれば、決して恣意的な解釈ではない。そもそも、あたかも人間の経済活動に実質的な限界がないかのような「無限の成長」という考え方が支配的になるのは、20世紀の発明である。それに対して、19世紀には、将来の技術革新に対する楽観的な論調の裏では、むしろ無限の成長の不可能性がいつも痛切に感じられていたのである。 例えば、リカードやマルサスは、収穫逓減の法則に関する議論において乗り越えられない自然の限界を絶えず意識していたし、ジョン・スチュアート・ミルも先進資本主義における利潤率の低下により「最終的に定常状態を回避することは不可能である」とさえ述べている。さらに、クロポトキンやエリゼ・ルクリユといったアナーキスト・コミュニストたちは、ウイリアム・モリスなどの環境社会主義者とともに、無限に増え続ける物質的消費に基づかない豊かな未来社会を構想していた。この意味で、マルクスがパリ・コンミューンや非西欧社会の農耕共同体を高く評価したことは、けっして突飛なことではない。 しかし、マルクスが脱成長コミュニストであるという可能性は、エンゲルスでさえも認識することができなかった。そして20世紀のソビエトの国家社会主義や西欧の社会民主主義もそのような可能性を否定し、両者とも果てしなき近代化と経済成長を目指したのである。その結果、マルクスの歴史観は単線的で生産力主義的なものに還元され、皮肉にも無限の成長という資本主義の目標に酷似した開発の道を追求することになり、環境問題を周縁化し、他の解放的想像力も抑圧することになったのだ。 20世紀社会主義の呪縛は強く、多くの人はいまだにマルクス主義と脱成長は水と油で、互いに相容れないと信じている。マルクス主義者は労働者階級の生活条件を改善するためにさらなる経済成長が必要であるという信念に固執しているのだ。その結果、環境社会主義者でさえ脱成長の考え方を受け入れるのをためらっている。 そのような流れに迎合せずに、地球環境の崩壊を避けるために高所得国が定常型経済へと移行する必要性を指摘しているのは、フォスターである。彼はルイス・マンフォードの「基盤的コミュニズム」に言及しながら、次のように述べる。 したがって社会は、とりわけ豊かな国は、定常型経済へと移行しなければならない。そのためには、純資本形成のない経済、つまり太陽からのエネルギー収支に収まる経済へと移行することが必要である。発展は、とりわけ豊かな経済圏においては、質的、集団的、文化的という新しい形態をとらなければならない――それはマルクス独自の社会主義の見解と調和した持続可能な人間の発展を強調するものである。(Foster2015.9) ただし、普段はマルクスのエコロジーの一貫性を熱心に擁護するフォスターでさえ、定常型経済がマルクス自身のポスト資本主義像と両立するのかどうかは明言していない。だが、本章の議論はそのような道を遂に切り開くものであった。 このように晩期マルクスの理論的可能性を再解釈することで、資本主義のオルタナティブの想像力を豊かにする新しい道が人新世の時代に再び見えてくる。そのことをより説得力をもって示すために、最終章では、マルクスの未完の資本主義批判を脱成長コミュニズムの観点から再検討し、新しいポスト稀少性経済の姿を構想していきたい。 第七章 脱成長コミュニズムと富の潤沢さ ヴァルター・ベンヤミンは、『歴史の概念について』の「補遺」の中で、マルクス主義の労働観に、「自然の搾取」という特徴が染み付いていることを指摘し、批判している。それに続けて、マルクス主義の革命につきもののプロメテウス主義を克服する試みとして、次のように書いたのだった。 マルクスは、革命は世界史の機関車であると言っている。しかし、おそらくそれは全く別のものであろう。おそらく革命とは、この列車の乗客、すなわち人間という種が非常ブレーキを作動させようとする試みなのである。 「非常ブレーキ」のメタファーは、今、かつてないほど重要である。資本主義の絶え間ない労働者の搾取と自然の掠奪が引き起こす生態系の破局を前にして、無限の経済成長に終止符を打つことが求められるようになっているからである。実際、現代の「非常ブレーキ」は、「脱成長」という形で政治的な支持を広げるようになっている。ここには、人新世の新しい革命の可能性があるのだろうか。 マルクスによれば、資本主義的な「富」は、人間の自然との物質代謝の持続的発展のための物質的条件と相容れない。資本主義的な「富」の範疇に対する批判を通じて、マルクスは「潤沢さ」を、非消費主義的、非生産主義的な方法で再定義していく。こうした「富」の再概念化を手がかりにすれば、「潤沢さ」と「富」に関連する様々な箇所を、より整合的な新しいやり方で再解釈できるようになるだろう。これには、『ゴータ綱領批判』における「協働的富」の潤沢さに関するマルクスの議論も含まれる。この箇所は、マルクスの著作の中で最も有名なコミュニズムの記述であるにもかかわらず、環境社会主義を扱う先行研究は、この一節がプロメテウス的に見えるという理由で、扱うことを避けてきた箇所である。だが、そのような沈黙は、あまりにも不自然だろう。それに対して、「富のパラドックス」を正しく理解すれば、この一節も脱成長と整合的な形で解釈できるようになるのだ。 このような再解釈は、マルクスが『資本論』で解答を与えていない根本問題、すなわち、ポスト資本主義社会における人間と自然環境との物質代謝の管理が、平等を実現しつつ、「修復不可能な亀裂」をどのように修復するのかという難問へのヒントを与えてくれる。つまり、経済成長を伴わないポスト希少性社会としての脱成長コミュニズムが、いかにして、生産力を高めることなしに、「必然性の国」を縮小し、「自由の国」を拡大できるのかを示してくれる。そしてこれこそ、最晩年のマルクスがたどり着いた新しい思想の境地なのである。 経済的・生態学的な破局としての本源的蓄積 すでに知られているようにマルクスは、資本の本源的蓄積は、「生産者と生産手段との歴史的分離」(『資本論』第一巻、934頁)を強制する暴力的で血生臭い過程だと指摘した。 少数者による土地の独占によって生産手段と生活手段を失った農民は、自らの労働力を売ることが生活に必要な金銭を得る唯一の方法である不安定な貸金労働者になることを強いられたのだった。 この暴力的な過程が多数の人々に与えた破壊的な影響の悲劇を強調することは、もちろん重要である。だが、マルクスは「労働」を人間と自然の間の絶え間ない物質代謝の意識的な媒介活動として定義していた。その観点からすると、生産者とその客観的な生産条件との「本源的統一」を解体する本源的蓄積は、労働者の生活のみならず、彼らの自然との関わり方にも大きな変容をもたらす。 事実、マルクスは『要綱』の中で、資本の本源的蓄積によって人間と自然との間に歴史的に特異な裂け目が形成されることを強調している。 確かに前資本主義社会では、人間は自然との統一を保持していた。たしかに、奴隷や農奴は、主人や領主に支配され、搾取され、物や家畜のようにさえ扱われていた。しかし主人は自分の家畜を餓死させないよう、奴隷や農奴の基本的欲求の充足は多かれ少なかれ保証されていたのだ。つまり、彼らの存在を家畜のような非有機的な自然の一部に還元することで、マルクスが「労働者と労働条件との本源的統一」(『資本論草稿集』G、531頁)と呼んだものを前資本主義社会は皮肉にも実現していたのである。そして、まさにこのことが、自然との物質代謝のうちに「亀裂」が生じることを妨げていたのだ。 けれども、この本源的統一の解体こそが労働力の商品化の前提条件である。自らの生産手段を失い、圧倒的多数の生活手段が商品となった時にはじめて、人々は自らの労働力を商品として売らざるを得なくなるからだ。この歴史的過程の根底にあるのは、近代資本主義社会に特有の、人間と自然との物質代謝における「分離」、すなわち、「疎外」である。このような自然からの疎外の結果、人間と自然との相互作用の媒介としての労働は、まったく異なる方法で行われるようになる。生産過程全体が、資本の価値増殖の最大化を目的として徹底的に再編成されるため、人間的労働の支出と人間と自然との物質代謝もまったく異なる形態をとり始めるのだ。 しかも、この労働過程の変容は、自然を巻き込むものである以上、経済の領域だけでなく、生態学的領域にも強力な影響を及ぼすことになる。サミール・アミンは次のように言う。「マルクスは『資本論』におけるラディカルな批判を、あらゆる富の基盤であるところの人間とその自然環境の破壊の上に資本主義的蓄積が成り立っているという断言で締めくくっている」と。すなわち、経済と環境の問題を切り離すことはできないというのが、物質代謝論の立場なのである。 また、そのような洞察に依拠して、マルクスの未来社会像は、資本主義が作り出す自然からの疎外を乗り越えて、「本源的統一」を再建するよう求めたのだ。「資本が創造する物質的な基礎の上で、そしてこの創造の過程のうちで労働者階級および全社会が経験する諸革命によって、はじめて本源的統一は再び回復されうるのである」(『資本論草稿集』G、531頁)。『資本論』第一巻における有名なマルクスの「否定の否定」という定式化も、人間と自然との物質代謝における疎遠な分離を克服する「本源的統一」の「回復」と論理的に対応している。 しかし、コミュニズムにおいて、何が「回復」されるのか。この点を明確化するためには、まず、本源的蓄積を通じて何が破壊されなければならなかったかを、より注意深く理解しなければならない。端的に言えばコミュニズムが目指すのは、資本主義が破壊して、著しく貧しくなった社会と自然の「富」の再建なのだ。資本主義が生産力の著しい増大を生み出し、私たちの身の回りにはこれほど大量の商品が溢れているにもかかわらず、資本主義が「富」を破壊するというのは、逆説的に聞こえるかもしれない。しかし、この豊かさの中の貧困が「富のパラドックス」を構成するのである。 マルクスの「富」の概念と『資本論』の真の始まり このパラドックスを理解するためには、まず「富」のカテゴリーをしっかりと理解する必要がある。 よく知られているように、『資本論』の論理構成は「商品」の分析から始まる。一方でその記述は、資本の本源的蓄積という歴史的過程を前提としている。この歴史的前提を念頭に置くと、冒頭の商品をめぐる一節が、人間と自然の「物質代謝の亀裂」という資本主義社会の根本的矛盾をすでに示唆していることに気がつくことができるだろう。 『資本論』第一巻第一章「商品」については次のように書かれている。 資本主義的生産様式が支配的に行なわれている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現われ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現われる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる。(『資本論』第一巻、47頁) これが『資本論』の始まりである。そして、それが「商品の分析」から始まるのはたしかに事実だ。だが初めの一文の主語は、「商品」ではなく、社会の「富」である。つまり、『資本論』の本当の始まりは、「富」なのである。 ここでは、この文章の動詞も重要である。社会の富は資本主義において「巨大な商品の集まり」として「現われる」とされる。動詞の「現われる」は、富と商品の「本質」が実際には非同一的な仕方で「存在する」ことを意味している。実のところ、非資本主義社会の富の大部分は、非資本主義的な富が市場での交換という媒介なしに生産、分配、消費される限り、商品として「現われる」ことはない。特定の社会関係のもとでのみ、社会の富は商品として「現われる」のであり、マルクスの用語でいえば、労働生産物が「商品形態」を獲得するのである。このように「本質」と「現象」を区別することで、マルクスは『資本論』の冒頭から「素材」と「形態」の方法論的二元論に忠実な仕方で一貫して詩論を進めているのだ。この見解によれば、「富」は労働生産物の「素材」的側面であり、「商品」はその「経済的形態規定」として現われる。 それゆえ富と商品は、資本主義においては同一に見えるとしても、本質的には非同一であり、根本的な緊張を孕んでいる。 なぜなら、現代の「富」のイメージはしばしば資本主義的なものに嬢小化され、「裕福であるreich」ことは、多くのお金や不動産を持つことと同義になっているからだ。 しかし、富は必ずしもこのような形で理解される必要はない。ドイツ語の「富Reichtm」は、形容詞であるreichが「豊かなrich」という意味なので、「豊かさrichness」という形でも訳すことができる。もちろん、「リッチであること」は、多額の金銭的な富を所有していることを意味する場合も多い。しかし、それだけではなく、味や香りの芳醇さ、自然や経験の豊かさなど、より広い意味合いも持っている。かくして、Reichtmという名詞は、それに付加された資本主義的な制約を取り払うことができれば、金銭的な富ではなく、より広い「豊かさ」を表すカテゴリーとして理解することができるのである。 マルクスも『要綱』で書いているように、文化、技能、自由な時間、知識の豊かさを、社会の富と考えた。換言すれば、社会の富や豊かさは、生産される商品の量の増加やその貨幣的表現だけでは測れず、むしろ、人間の潜荏性の完全かつ全面的な発展と実現―――まさに「生産諸力」――によって測られるものである。しかし、資本主義のもとでは、人間の能力と創造性の発展突きく制約されざるを得ない。なぜなら、人間の能力も、常に「既存の尺度」、すなわち、利潤追求のためにどれだけ利用できるかを基準に測定されるからである。その結果、儲からないことに時間や資源は投下されないのである。 資本主義的な生産は、資本の価値増殖だけのために、生産者に「まったく外的な目的」を課し、「総体的疎外」と人間性の「完全な空疎化」が社会的富の発展を犠牲にする。マルクスは、資本のこのような傾向を、「巨大な商品の集まり」のもとで生じる社会的富の貧困化として問題化したのだ。このような資本主義の傾向に対して、人間の創造的潜在性を実現するためには、富を閉じ込める「商品」という「ブルジョア的形式」を撤廃する必要があるとマルクスは主張したのだった。 さらに、富は「社会の富」に限定されない。マルクスはまた、生産と再生の自然的・物質的条件として「自然の富」という表現を用いている。 例えば、彼は『資本論』第一巻で次のように書いている。 外的な自然条件は経済的には二つの大きな部類に分かれる。生活手段としての自然の富、すなわち土地の豊かさや魚の豊富な河海などと、労働手段としての自然の富、例えば勢いのよい落流、航行可能な河川、樹木、金属、石炭、等々とに、分かれる。(『資本論』第一巻、664頁) 土地、水、森林といった地球が提供する自然の「富=豊かさ」は、当然ながら、生活と生産の手段として、社会の繁栄と、健康な生に不可欠なものである。「地球はその内臓からもぎ離されるべき使用価値の貯蔵庫である」(『資本論草稿集』E、349頁)とマルクスは述べている。この発言は、生産過程に対する自然の本質的な貢献というマルクスの認識と合致している。「労働はすべての富の源泉ではない。自然もまた労働と同じ程度に、使用価値の源泉である」(『全集』第一九巻、15頁、強調原文)。 しかし、社会や自然の富が商品化されていくなかで、「富」と「商品」の間にますます緊張が生じていく。なぜなら、自然は労働過程に入り、労働者と共に商品の生産を助けるが、それ自体は労働生産物ではないので、「価値増殖過程」には入らない。だからこそ資本は自然の力を可能な限り利用しようとする。資本の「既存の尺度」は自分にだけ都合良く作用するのである。 こうして資本による自然の取り扱いは、資本の絶え間ない価値増殖のために、自然の豊かさを浪費し、破壊していく。とはいえ、自然は、価値のみならず、富の素材的な「担い手」であることに変わりはない。富は資本が自ら創造できないものであり(資本は知識も文化も土地も水も創造しない)、富には資本の目的とは無関係で存在し、資本とは相容れない独自の素材的性質や再生産条件がある。にもかかわらず、そうした特性に無関心の価値増殖の論理のもとで、使用価値が価値へと従属させられるとき、その矛盾は最終的に「物質代謝の亀裂」として現れるのだ。 だが、それだけではない。野生の自然はそのままでは価値がないため、自然はますます商品化されていく。そして、その商品化が、社会的・自然的な富の潤沢さを解体するということだ。例えば、囲い込みはコモンズを解体し、土地を商品化し、そこに住む人々を追い出した。自然をケアしてきた農民が追い出されたことで、自然は荒廃していく。さらに農場経営者は、短期的な利益のみを求めることで、土地の荒廃はさらに加速していく。 要するに、資本主義の発展とともに、世界はますます商品化されるなかで、文化、技能、知識は貧困化し、労働者階級の家庭の経済的負担は増大し、社会や自然の富は犠牲となったのである。しかし、資本の側から見れば、同じ状況はまったく遣って見える。労働者を市場の商品にますます依存させる富の窮乏化という過程によって、資本主義は離陸し、飛躍的な資本蓄積を実現していったのだ。 富と商品との間にあるこの緊張関係が「ローダーデールのパラドックス」を織りなす。第8代ローダーデール伯爵ジェームズ・メイトランドは、「公富」と「私財」との間に逆相関があることを指摘した。すなわち、一方が増加すれば、他方は減少するというのである。ローダーデールによれば、これはアダム・スミスが「国富」を「私財」の総和であると考えることで見過ごしたパラドックスであるという。この点について、ローダーデールは、「公富」という第三の概念を導入することで、資本主義の矛盾を突いたのだ。 ローダーデールは、「公富」を「人間が自分にとって有用または快をもたらすものとして欲するすべてのもの」からなると定義している。これに対して、「私財」は、「人間が自分にとって有用または快をもたらすものとして欲するすべてのものだが、希少な状態で存在するもの」からなる。要するに、この二つの概念の差異は、「希少性」である。マルクス的な用語で表現するなら、「公富」は「使用価値」を持つが、「価値」は持たない。なぜなら、それは自然界に潤沢に存在し、自らの欲求を満たすためにそれを使用したいと望むすべての人が利用できるからである。例えば、「公富」には本来、大気、共有地、森林、河川の水などが含まれる。しかし、「公富」は、それが希少になると「私財」へと転化するのだ。 ここで重要なのは、ローダーデールが、希少性が必ずしも天然資源の枯渇から生じるのではないと述べている点である。それは囲いを建てたり、人々を強制的に土地から追い出すことによって、人工的に創出されうる。言い換えれば、土地や水や食料を人為的に希少化させることで、金銭的に表現される所有者の「私財」(そして、個人の豊かさの総和である国富も)を増大させることができるという。だが、ここで問題となるのは、そのような形での「私財」の増大は、必然的に社会における希少性の増大、すなわち大多数の人々にとっての無償で潤沢な「公富」の減少を伴うということである。資本の本源的蓄積に見られるように、共有地や森林が柵で囲われ、農民がアクセスできない希少なものとなり、大衆の惨状と自然環境の荒廃を創出する一方で、この人工的希少性の創出過程は少数者の「私財」を増大させたのである。 ローダーデールは人工的希少性の具体例として、商品価格を高く保つために市場の供給を制限しようとして、まだ食べられるものが意図的に廃棄されたり、耕作地が意図的に荒廃させられる事例を紹介している。 ここには、「富」と「商品」との間の根本的な緊張がはっきりと現れているのがわかるだろう。そして、これこそが資本主義システムの歴史的な特殊性を示す「富のパラドックス」なのである。 その際、耕作地や利用可能な水といった「自然的」希少性が人間とは独立して存在するのは明らかだが、資本主義が生み出す希少性とは性質が異なる。後者は「社会的」なものだからだ。社会的・自然的な富は、もともと価値を持たず、共同体の構成員が誰でも利用できるという意味で「潤沢」だったのだから、この社会的希少性は「人工的」に生み出されたものである。たとえ経済的・生態学的な息味で悲惨な状況をもたらすとしても、この希少性はコモンズを徹底的に破壊することで、資本主義のために創出されなければならなかったのだ。 このパラドックスを念頭に置いて、「潤沢さ」と「希少性」の対立を論じる必要がある。このパラドックスがある限り、資本主義がいくら生産力を増大させても、人工的希少性は絶え間なく作り出され、強化される。つまり、潤沢さの約束は実現されることがない。そして、そのことが希少性を乗り越えるために、さらに「資本の生産力」を上げ、技術革新を求めることを正当化していくのである。 だが、このような人工的希少性を克服するために、生産力を最大化する必要は本来ないはずだ。ポスト希少性社会は、前資本主義社会で見られたコモンズの潤沢さを、資本主義が生み出す人工的希少性を廃棄する――これが第二の否定をなす――ことで、再生できるはずなのである。マルクスの脱成長コミュニズムは、「否定の否定」を通じて、「ローダーデールのパラドックス」を超えた社会的・自然的富の非消費主義的な「潤沢さ」の再建を目指す。さらに、そうすることで、「修復不可能」な物質代謝の亀裂を修復しようとするポスト資本主義のプロジェクトなのだ。 「否定の否定」とコミュニズムの潤沢さ 資本の本源的蓄積は、第一の否定として、みずからの労働に基礎を置いた個人的所有を解体する。それに対して、コミュニズムは「否定の否定」を目指し、これを通じて「収奪者は収奪され」、人間と自然の本源的統一を再建しようとする。マルクスは、『資本論』第一巻における有名な一節で、この点について次のように書いている。 しかし、資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。この否定は、私的所有を再建しはしないが、しかし、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と土地の共有と労働そのものによって生産される生産手段の共有とを基礎とする個人的所有をつくりだすのである。(『資本論』第一巻、995頁) 実はこの箇所は、マルクスが『資本論』の第2版の自家用版に付したコメントに基づいて、第3版でエンゲルスによって修正されているのだ。マルクスは、死の直前の1880年代にこの箇所を修正していたのである。修正前の第2版は以下のようになっていた。 それは否定の否定である。この否定は、個人的所有を再建するが、資本主義時代の成果にもとづいて、すなわち、自由な労働者の協業とその労働者による土地の共有と労働によって生産される生産手段の共有とを基礎とする個人的所有をつくりだすのである。(江真美千穂訳『第二版資本論』、幻燈社書店、1985年、887頁) 第2版では「私的所有」という言葉は使われていない。以上の変更からもわかるように、マルクスは第3版でこの箇所を修正し、「私的所有」と「個人的所有」の区別をより明確にしたのである。はたして、この変更は何を意味するのだろうか。 マルクスがこの区別を確立したのは、1871年に出版された『フランスにおける内乱』においてである。「収奪者の収奪」という表現にもはっきりと見られるように、マルクスは、コミュニズムにおけるこの「個人的所有」の問題を同じ観点から扱っている。 コンミューンは、多数の人間の労働を少数の人間の富と化する、あの階級的所有を廃止しようとした。それは収奪者の収奪を目標とした。それは、現在おもに労働を奴隷化し搾取する手段となっている生産手段、すなわち土地と資本を、自由なアソーシエイトした労働の純然たる道具に変えることによって、個人的所有を事実にしようと望んだ。〔…〕もし協同組合的生産が欺瞞やわなにとどまるべきでないとすれば、もしそれが資本主義制度にとってかわるべきものとすれば、もし協同組合の連合体が一つの共同計画にもとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自分の統制のもとにおき、資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣とを終わらせるべきものとすれば――諸君、それこそはコミュニズム、「可能な」コミュニズムでなくてなんであろうか!(『全集』第一七巻、319−320頁) パリ・コンミューンは、「否定の否定」によって「個人的所有を事実」にしようとする試みであった。引用箇所の後半で説明されているように、「協同組合的生産」は、共通の計画と生産手段の共同管理を通じて、社会的生産を規制することを目指す。民主的かつ共同的な管理を通じて、構成員の間に個人的な取り分を割り当てる。それが「個人的所有」を再建するというのである。その限りで、「個人的所有」は「協同的な」財産に等しい。しかも、マルクスにとって、これこそが「「可能な」コミュニズム」なのである。ここでのコミュニズムをめぐる考察を通じて、マルクスは、「私的所有」と明確に区別される「個人的所有」の概念を確立し、その後、『資本論』第3版で関連する表現を修正したのである。 しかし、修正の理由は、パリ・コミューンの出来事だけではない。1880年代に『資本論』第3版のためにコミュニズムに関する箇所をマルクスが修正した事実を考える時、それは、同時期のザスーリチへの手紙との関連においても検討される必要がある。マルクスは、手紙の中で、このテーマに戻って次のように書いている。 資本主義的生産が最大の飛躍をとげたヨーロッパおよびアメリカの諸国民のただ一つの願いは、協同的生産をもって資本主義的生産に代え、原古的な型の所有のより高次な形態、すなわちコミュニズム的所有をもって資本主義的所有に代えることによって、おのが鉄鎖を打ち砕くことにほかならない。(『全集』第一九巻、401頁、強調原文) ここで再び、マルクスは、発展した資本主義社会は、資本主義における私的所有を超克した後、「原古的な型の所有のより高次な形態」に回帰する必要があると主張している。だがマルクスはここで、『フランスにおける内乱』のときよりもさらに踏み込んだことを述べている。マルクスが『フランスにおける内乱』で「協同組合の連合体」として要求したものは、原古的な共同体に内在的な定常経済の原理を通じて実現されるべき「コミュニズム的所有」であるということが明記されているからである。 だとすれば、「コミュニズム的所有」は、単に「協同組合」的生産に基づくだけでなく、マウラーが言う「マルク協働体」の意味における富の共有を復活させようとするものだと言えないだろうか。 前章で論じたように、原古的な共同体は、「集団主義」と「個人主義」という「二元論」によって特徴づけられる。この二元論は、村落共同体における孤立した小規模生産に戻るのではなく、資本主義下で発展した大規模生産を「協同的生産」に転換することによって、西欧で再建されなくてはならない。その結果、「私的所有」は「個人的所有」に変わるが、その内容は、原古的な型のより高次な形態としての「協働体的」所有として把握されるべきものなのである。実際、この理解は、マルクスが『ゴータ綱領批判』の中でコミュニズムについて述べた有名な記述に登場する「協働体的な富」という用語を解釈する上で、決定的なものとなる。 『資本論』における「否定の否定」の一節には、もう1つ注目すべき重要な用語がある。先の引用で使われている「土地」という言葉は、ドイツ語では「Erde」である。これは「地球」という意味をもつ言葉だ。実際、マルクスはこの表現を使って、土地以外の自然資源も表している。そして、マルクスは、地球(自然資源)は「共有」で管理されなければならない、つまり、将来の世代の利益に配慮して慎重に使用されなければならないと述べている。 地球は今の世代が前の世代から引き継いだものであり、現在の世代はそれを破壊することなく、次の世代に引き渡す義務がある。しかし、資本主義は、私財を無限に増大させるという一面的な目標を目指すため、この義務を果たすことができない。資本主義が利潤追求、私有財産、無秩序な競争のシステムである以上、社会的・自然的な富を守るためには、社会的計画、協働、そして持続可能性の視点が不可欠である。だからこそ資本による「商品化」の論理に抗して、コミュニズムは富の「コモン化」を求めるのだ。 当然、そのようなプロジェクトは、世界の富を何の制約もなく享受したいという人間の欲望を完全に実現しようとするプロメテウス主義とは正反対のものである。マルクスは、自然的な富の利用可能性は必然的に制約されており、資本主義の無制限の欲望を満たすために十分ではないことをよく知っていた。「否定の否定」は人工的希少性を超越するものであって、自然的な希少性そのものを超越するものではないのである。 つまり「経済学批判」の方法にならって、「希少性」というカテゴリーを、本質的に社会的なカテゴリーとして理解する必要がある。マルクスの二元論によれば、「希少性」には「社会的なもの」と「自然的なもの」という二つの側面がある。繰り返せば、自然的な希少性は、どれほど技術が進歩しても、完全に克服することはできない。 これに対して、社会的な希少性は、無制限の拡張を目指す資本主義においてのみ、深刻な問題として現れてくる。無限の増大を目指す資本主義では、あらゆるものが定義上、希少だからである。「資本は常に希少であり、それを克服することはできない。ある条件のもとで過剰生産されたとしても、矛盾ではない。資本はシステム内的な規定の問題として、常に希少であり続けなくてはならないのだ。この点は強調しすぎることがない」。資本が、自ら課した希少性を克服するために発展すればするほど、システム全体はより破壊的になっていくが、資本が生み出す潤沢さは、資本自らが作り出した人工的希少性を決して克服できない。これが資本主義における根本的な「富のパラドックス」である。 ところで、未来社会の潤沢さについて、マルクスが生産力主義的な考え方をしていたことの証拠として、G・A・コーエンは『ゴータ綱領批判』の有名な箇所を挙げている。 コミュニズム社会のより高度の段階で、すなわち個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神労働と肉体労働との対立がなくなったのち、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生命欲求となったのち、個人の全面的な発展にともなって、またその生産力も増大し、協同的富のあらゆる泉がいっそう豊かに湧きでるようになったのち――そのときはじめてブルジョワ的権利の狭い視界を完全に踏みこえることができ、社会はその旗の上にこう書くことができる――各人はその能力におうじて、各人にはその必要におうじて!(『全集』第一九巻、21頁) しかし、そもそも『資本論』の環境社会主義的な背景を考慮すれば、この箇所を生産力主義的な自然支配の称賛として読むことはできないはずだ。加えて、コーエンのような理解の仕方ではマルクスが、コミュニズムにおける富の潤沢さが「ブルジョア的権利の狭い視野」を「完全に踏みこえる」ことができると考えた理由をまったく説明できない。 「フランスの内乱」においてマルクスが、人間と自然との間の物質代謝を資本蓄積の圧力から解放し、自由にアソシエートした生産者たちがより合理的に調節することを要求したのは、まさに彼が、自然の普遍的な物質代謝が、社会主義においても超越できない様々な生物物理学的な過程からなるという事実を認識していたからである。自然的な希少性はなくならないという本源的制約が、ポスト資本主義社会においても、社会的・自然的な富をより意識的に調節することを要求するのだ。 むしろ、注目すべきは、『ゴータ綱領批判』のこの箇所でマルクスが、「協同的富」を、あらゆる富の泉が湧き出るポスト資本主義的な潤沢さとして、言及している点だ。マルクスはこの表現をここ以外の場所で使っていないが、その意義を過小評価してはならない。 ここでは、「ローダーデールのパラドックス」、すなわち、人工的希少性を作り出す資本主義のやり方を思い出そう。「否定の否定」、すなわち、私財の人工的希少性を超越することは、貨幣交換を介さずに誰もが利用可能な公富の潤沢さを再建することを目指すことであって、このコモンとしての富の潤沢さの再建は、自然的な希少性を否定することを必要としない、ということである。 つまり、「ブルジョア的な富」ではなくポスト資本主義的な富、すなわち商品としては現れない「協同的富」と対比させることができる「協同的富」は、アソシエートした生産者たちによって民主的に管理され、彼らの能力に応じて生産され、また彼らの必要に応じて分配される。これはまさに、『フランスにおける内乱』で議論された、「協同組合的生産」に基づいた「個人的所有」を再建する仕方である。マルクスは無限の富を生み出すことができるとは考えていなかったが、資本主義が克服されれば、すべての人を養うのに十分な富が生まれると確信していた。つまり、マルクスの潤沢さは、技術的な閾値ではなく、社会的な関係性なのである。この洞察は、「ブルジョア的な富」という人工的な希少性を超えて再確立されるべき、「コモンとしての富」の潤沢さにとって、決定的なものである。 ここまでの考察で、「否定の否定」が目指すものがはっきりしたはずだ。本源的蓄積は人工的に希少性を生み出したので、「否定の否定」は、ローダーデールのパラドックスを逆転させることで、「私財」を犠牲にして、誰もが平等にアクセスできる「コモンとしての富」(=「公富」)の「ラディカルな潤沢さ」を回復する。言い換えれば、「コモンとしての富」の潤沢さとは、社会の構成員の間で富と負担の双方をより平等かつ公正に分配することを目指して、共有し、協働することである。この点を認識することによってのみ、「ブルジョア的権利の狭い視界を完全に踏みこえる」ことができるようになるのだ。 ここで重要なのは、ポスト希少性社会への希望をかつてない技術革新に託す加速主義とは異なり、マルクスはトマス・モア、エチエンヌ・カベ、ピョートル・クロポトキンといった理論家と並んで、労働からの解放や富の潤沢さのために生産の完全自動化を求めることはしなかったということだ。 この意味で、マルクスが『ゴータ綱領批判』において生産力の「増大」について述べたことは、単なる生産性の向上と同義ではない。第五章でも述べたように、生産力概念は、量的かつ質的だからだ。例えば、コミュニズムの高次の段階においては、「個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり」、「精神労働と肉体労働との対立」、すなわち「構想」と「実行」の分離に基づく「資本の生産力」が消失し、「個人の全面的な発展」の機会として労働がより魅力的になり、労働自体が「第一の生命欲求」になる。このような労働過程のラディカルな再編は、過度の分業を廃止し、労働をより民主的なものにすることによって、時としては、現在よりも生産性を低下させるかもしれない。それでも、個々の労働者の自由で自律的な活動を保証するものであるから、社会的労働の生産力の「増大」に数えられるのだ。 この理解に基づけば、有名な「各人はその能力におうじて、各人にはその必要におうじて!」というスローガンも、非プロメテウス主義的に解釈することができる。マルクスは、画一的な平等社会を求めているわけではない。むしろ、個人間の能力や才能の自然的・社会的な差異が、社会的・経済的不平等として現れるのではなく、相互に補完し合い、個人のユニークさとして現れるような社会を構想していた。ある人がうまくできないこと――全面的な発展にもかかわらず個人の能力差は常に残る――は、他の人がうまくできることかもしれない。運動が苦手だが、プログラミングが得意な人もいれば、歌が苦手だけれど、農業が得意な人もいる。そして、自分が得意なことで、代わりに他の人を助けることができる。 一方、誰もがやりたがらないこと――不快で退屈な仕事を完全に根絶することはできないは、より公正な形で全員で共有し、ローテーションすることができる。この意味で、コミュニズムは、平等のためにすべての人に画一性や単一性を強制するのではなく、能力やスキルの差異を経済的不平等と結びつけたり、特定の社会集団に不快な仕事を押し付けるのを止めるのである。 こうした脱成長コミュニズムの観点からの『ゴータ綱領批判』の解釈によって、多数者のためにコモンズの囲い込みを廃止し、「コモンとしての富」の拡張を目指す「否定の否定」の意味がより明確になるだろう。マルクスは、将来的な連関した生産様式を示すために「genossenshaftlich」という用語を使用した。この語は単に「協同的」と訳すこともできるが、その意味は生産力主義の否定に伴い、次第にマルク協働体の原古的な型に移行する。つまり、「genossenshaftlich」という言葉は「協働体的」という意味を持つようになる。 もちろん、それは、前資本主義的な共同体の孤立した小規模生産に戻ることではない。「コモンとしての富」をより高次の形で再建することを目指すなら技術の発展は不可欠だ。けれどもそのような生産力の増大を浪費のために使う資本主義とは異なり、脱成長コミュニズムは無限の経済成長を目指すのを止め、贅沢な消費を促すような部門の生産を減少させるための社会計画と規制を導入する。その代わり、基本的なサービスの脱商品化や公共支出を通じて「コモンとしての富」を拡張していくことによって、人々は、長時間働いたり昇進したりすることで、より高収入を常に求めなくても、基本的な欲求を満たすことができるようになる。アトム化した際限のない競争へのプレッシャーを軽減していくことで、市場外での自由な選択の可能性を拡大していくのである。 このような仕方で、「自由」と「必然性」の領域の区別に関する、『資本論』第三巻におけるマルクスの有名な議論を再訪すると、新しい解釈の可能性が開けてくる。 「ラディカルな潤沢さ」と「脱成長コミュニズム」の観点からすると、「自由の国」の拡大は、生産力の絶えざる増大に依存する必要はない。むしろ、資本主義の人工的希少性が克服されれば、人々は、「コモンとしての富」の拡大のおかげで、お金を稼がなければならないという恒常的な圧力から解放され、生活の質の低下を心配することなしに働く量を減らすという魅力的な選択肢を手にすることができるだろう。具体的には、教育、医療、公共交通機関、インターネットなどを無償化し、水、電力、住居の公営化を進めていくことで、商品や貨幣への依存は下がり、自由な選択肢が増えるのだ。 ヒッケルもこの点を指摘している。「人工的な希少性の圧力から解放された時、増え続ける生産性を競うという人々の強迫観念は消え失せるだろう。私たちは、増え続ける生産、消費、環境破壌のジャガーノートに、自身の時間とエネルギーを費やす必要はなくなる」(Hickel2019.66)市場競争と資本蓄積への果てしない圧力がなければ、自由にアソシエートした労働によって、1日の労働時間をわずか3〜6時間にまで短縮できるかもしれない。そうなれば人々は余暇やスポーツ、勉強や恋愛といった非消費主義的活動に十分な時間を割くことができるようになる。言い換えれば、貸労働に従属することなく、より安定した生活を送ることを可能にするような「共同の贅沢」を回復することによって、「必然性の領域」を大きく縮小することが可能なのである。 脱成長コミュニズムは、所得と資源のより公平な(再)分配によって、自由時間を増やすだけでなく、自然環境への負荷を軽減するために、不要なものの生産量も減らす。加えて、広告、マーケティング、コンサルティング、金融といった分野における不要な生産を削減することで、本来は不要な労働をなくしていき、過剰な生産と消費を抑制することも可能である。モデルチェンジ、計画的な陳腐化、絶え間ない市場競争に常に晒されることから解放されれば、それがウェルビーイング増大をもたらすはずだ。 マルクスが、人間は環境との物質代謝を意識的に制御できると主張した時、それは、単に自然法則を認識するだけでなく、人間が意識的に自分の社会的欲求を振り返り、必要があれば、それを取捨選択できることを意味している。この「自己制限」の行為は、現在の「必然性の国」を意識的に縮小することに寄与する。というのも、いまやこの「必然性の国」は、社会のウェルビーイングと持続可能性の観点からすれば、実際には不必要な物や活動で溢れているからである。それらは、終わりのない資本蓄積と経済成長のためにのみ「必要」であり、「個人の全面的な発展」のためには必ずしも必要ない。「資本の社会的物質代謝の再生産の様式という観点から許容できるような、生産的追求を自己制限する同定可能な目標が完全に不在である」ため、資本主義社会における人間の「自己制限」は真に革命的なポテンシャルを持つのだ。 そして、人々は基本的サービスへのアクセスが保障されることで、現在の社会では抑圧されているさまざまな新しい欲求を持つことができるようになる。破壊的で贅沢で無駄な製品を欲しがるのではなく、人々はより健康的で、連帯した、民主的な生き方を望むようになるのだ。このように、脱成長コミュニズムは、生産性の向上だけに依存することなしに、さらには生産を縮小することによっても、「自由の国」を拡大する。こうして「否定の否定」は、二十世紀に実際に存在した社会主義の失敗を繰り返すことなしに、「コモンとしての富」のラディカルな潤沢さを再建し、自由で持続可能な人間的発展の可能性を高めるのである。 脱成長コミュニズムへの道 マルクスの脱成長コミュニズムの理念は、「協同的富」の「ラディカルな潤沢さ」を基盤としている。商品と貨幣がもたらす人工的希少性を廃棄し、社会的・自然的な富を他者と共有することによって、「コモンとしての富」の潤沢さを増大させる。そうすれば、無限の経済成長は必要でなくなるのだ。 この理念は、『資本論』第三巻において「修復不可能な」ものとして特徴づけられた「物質代謝の亀裂」を修復する方法のヒントを与えてくれる。 しかし『資本論』第三巻を読んでも、「自由にアソシエートした生産者たち」が、どのようにして「人間と自然との物質代謝を合理的な方法で支配し、盲目的な力として自然に支配されることなしに、彼らの集団的コントロール下に置く」ことができるかについてのマルクスの具体的な説明を見つけることができない。 実際、資本主義における労働が、今日の技術水準を考慮しても、「その人間的自然に最も値し、適切である条件で」実施され得ない最大の理由は、物象化にあるのだ。資本の疎遠な力は非常に強く、自然法別の認識だけでは、人間が環境との物質代謝を「合理的な」(すなわち持続可能な)仕方で調節できない。むしろ、無限の資本蓄積のために膨大なエネルギーと資源を浪費し、亀裂を深めていく。要するに、資本主義下における人間と自然との物質代謝は、「最小限のエネルギー消費で」社会的ニーズを満たすにはほど遠く、「不合理」なのだ。だからこそ、物象化された事物の盲目的な力による支配が続く限り、「物質代謝の亀裂」は「修復不可能」であり続ける。 また、たとえ社会主義であっても、人間のあらゆる欲求を満たすために生産力を上げ続ければ、それは環境にとって破局をもたらすことになる。より平等な社会が、自動的に、より持続可能な社会だとは限らない。地球には生物物理学的な制約があるが、社会的な欲求は潜在的に無限だからだ。こうして晩年のマルクスは持続可能性という観点から、定常経済の原理を西欧社会に導入する必要があることを認めるにいたったのである。しかし、その洞察は、1860年代に執筆された『資本論』には見当たらない。そこで、『資本論』を脱成長コミュニズムの視点から再訪し、乗り越えていくことが、より持続可能な未来を思い描くために求められる。 資本主義的生産に比べて、脱成長コミュニズムの方が「物質代謝の亀裂」を修復する可能性を高めると考えられる理由は、少なくとも5つある。 第一に、社会的生産の主目的が、「剰余価値」から「使用価値」の生産に変わる。資本主義的生産は、利潤の最大化を果てしなく追求し、拡大し続けるが、資本が使用価値を考慮するのは、それが価値の担い手であり、価値を増殖するのに必要な範囲に限られる。使用価値が二次的なものにされてしまうことで、社会的再生産に不可欠ではない製品や、人間や環境を破壊する製品例えばSUVやファストファッション、工場畜産が、売れさえする限りで、いくらでも大量に生産される。それに対して、利潤を生みにくい財やサービス、教育、芸術、介護は、それがどんなに暮らしにとってエッセンシャルなものであっても、過小生産される。 資本を廃棄することによって、社会的生産は無限の経済成長の恒常的な圧力から解放され、その焦点をより使用価値の高い生産に移すことが可能になる。資本主義において、多くのエッセンシャルな部門が不十分な状態で放置されてきた以上、そうした分野はむしろ「成長」するだろう。より良い教育、ケア労働、芸術、スポーツ、公共交通、再エネを提供するために、資金と資源をより多く再配分することになるからである。しかし、これらの部門は、無限の成長を目指すわけではない。 そもそも、エッセンシャルな部門は生産性を向上させるのに必ずしも適していない。多くのエッセンシャル・ワークは自動化に向いておらず、労働集約的である。その結果、機械化によって資本集約的になっていく他の産業部門と比較して、「非生産的」なものとして扱われることが増えていく。新しい機械の導入で生産量が2倍、3倍になっていく産業部門とは異なり、看護や教育などのケア労働の生産性は同じように上昇することはない。それどころか、これらのケア部門においては、使用価値を劣化させ、事故や虐待のリスクを増大させることなしには、生産性を高めることができないことが多々ある。ケア労働の性質上、生産力の向上には大きな限界があり、これが「ボーモル病」と呼ばれる問題を生み出してきた。それゆえ、社会が基本的な使用価値の生産を重視したエッセンシャル・ワークにシフトすればするほど、経済成長は鈍化することになる。一方で、ケア労働に代表されるエッセンシャル・ワークは環境負荷が低い。したがって、使用価値経済は、脱成長と親和的であるとともに、環境負荷も下げるはずだ。 第二に、マルクスは、「自由の国」を拡張するために「労働時間の短縮が基本的登別提条件」であると述べている。しかし、資本主義がいかに生産力を発展させても、20世紀から21世紀にかけて労働時間が減少することはなかった。それどころか、近年では、不安定で低賃金の仕事が増えているため、人々はこれまで以上に長時間働くことを強いられている。また、資本の価値増殖のための大量生産は、広告、マーケティング、金融、コンサルティングなどの非エッセンシャルな仕事を増やす。マルクスは、資本主義の発展とともに必然的に増加する、無駄な仕事について、次のように書いている。 資本主義的生産様式は、各個の事業では節約を強制するが、この生産様式の無政府的蓋親争体制は、社会全体の生産手段と労働力との最も無限度な浪費を生みだし、それとともに、今日では欠くことができないにしてもそれ自体としてはよけいな無数の機能を生みだすのである。(『資本論』第一巻、686頁) 単に利潤を追求するためだけに生産される非エッセンシャルな生産を減らすことで、コミュニズムは労働時間を大幅に削減することができる。言い換えれば、不要な労働を削減し、残った仕事を皆で共有することで、「必然性の領域」の縮小と、それに対応する「自由の領域」の拡大が実現できるのだ。 資本主義的生産のパラドクスは、労働力の再生産費に対応する「必要労働時間」が、実際には膨大な量の不必要な製品の生産に費やされているということである。言い換えれば、社会的・生態学的な視点からすれば、「必要労働」の大部分はすでに「不必要労働」なのである。このことは、「ブルシット・ジョブ」(Graeber 2018)、つまり労働者自身さえも社会にとって無意味だと自覚しているような仕事が蔓延していることからも明らかである。 将来社会においてこうした無意味な仕事が除去されたとしても、それらは最初から無意味で使用価値を生まない非生産的な仕事であるため、社会の繁栄や人々のウェルビーイングに否定的な影響を与えることはない。むしろ、ウェルビーイングは上昇しさえするだろう。なぜなら、人生の大部分を無意味な仕事に費やすことはメンタル・ヘルスにとって極めて有害であり、これらの仕事はまた、過剰な広告、スラップ訴訟、株の高速取引といった無意味な営為を大量に生み出しているからである。さらに、この種の無意味な労働は、多くのエネルギーと資源だけでなく、彼らの活動を支えるためのケア労働をも浪費する。要するに、ブルシット・ジョブを除去すれば、社会的労働時間を短縮し、将来の技術革新を待つことなく、環境負荷を即座に軽減することができるのである。 もちろん、予期せぬ自然災害や戦争、飢饉に備えるために、剰余労働や剰余生産物はある程度必要である。しかし、社会的生産の目的が、無限の資本蓄積の圧力から解放されれば、これほど膨大な剰余生産物を生産する必要性はどこにもなくなる。過剰な剰余生産物の削減は、定常経済の原理と整合的だ。これは、ポスト希少性経済において自由の領域が真に開花するための「根本条件」である。 実際、ポスト希少性経済のユートピアを掲げる論者はしばしば、週の労働時間を15〜25時間に減らすことが可能だと述べているが、これは必ずしも労働過程の完全自動化を必要としない。ブルシット・ジョブを廃止し、残りのエッセンシャル・ワークを社会のすべての構成員で共有することで、環境負荷を減らしながら、ポスト労働社会を実現することができるのだ。しかし、こうした労働時間の短縮が、利潤追求や経済成長の原理とは両立不可能なのは明らかだろう。 第三に、脱成長コミュニズムは、労働者の自律性を高め、仕事の内容をより魅力的なものにするために、「必然性の国」の内実を変容させる。資本主義を廃棄しても、「必然性の国」は完全にはなくならない。だが、そのことについて悲観する必要はないだろう。先に見たように、マルクスは、「個人の分業への従属、ひいては精神労働と肉体労働のアンチテーゼ」を廃止し、労働を通じた「個人の全面的な発展」に重きを置くことを主張した。そうすることで、労働は「第一の生命欲求」(『全集』第一九巻、21頁)になるのである。ここでのマルクスは、解放された労働についての「より楽観的な見方」を採用している。 労働が資本に従属することによって、協働と分業は、労働者に対す支配と規律を強化し、「資本の専制」(『資本論』第一巻、834頁)を確立してきた。それに対して、脱成長コミュニズムが目指すのは、過度な分業の廃止である。他者と自律的に協力して生産を行うことができない部分的な存在になってしまった状態から、より多面的な活動に従事できる存在になるために、職業訓練や働き方改革を行うのである。 ここでのマルクスの戦略は、完全自動化による労働からの解放とは大きく異なっている。資本主義的生産の問題は、技術や自律性のない単純作業の退屈な繰り返しによって労働がその内容を失っていることである。だが、完全自動化という解決策は、労働を「生の最たる欲求」とすることなしに、資本主義の傾向をむしろ強化してしまうことがありうる。それゆえ、労働の疎外を終わらせるために、マルクスは「分業に対する個人の奴隷的従属」を廃止することを主張した。労働の脱分業化と、労働過程における労働者の自律性を奪う機械の追放は、経済を減速させるかもしれないが、代わりにより魅力的な仕事をより多くの人のために生み出すのである。 マルクスは、「魅力的な労働、言い換えれば個人の自己実現」(『資本論草稿集』A、340頁)を重視したが、これは、かつてシャルル・フーリエが唱えたように、ポスト資本主義社会において、労働が「遊び」になるという意味ではない。 ポスト資本主義においても退屈で疲れ、苦しみや不快感を引き起こす労働が完全にはなくならないことをマルクスは認めている。この種の労働は、新技術の助けを借りて可能な限り削減する必要がある。その上で、公正な社会は、きつい仕事や不快な仕事を、弱い立場の人々に押し付けるのではなく、ローテーションを通じて公平に分配する必要がある。過度に細分化された分業が、より公平なローテーションや作業内容の自己決定権に置き換えられていくなら、こうした「一般的労働」の普及は、生産を減速させることになるだろう。だが、脱成長コミュニズムにおいては、これは公平性と自律性のために歓迎されなくてはならない。 第四に、脱成長コミュニズムにおいては、利潤追求のための過剰な市場競争が廃止されることによっても、経済は減速していく。これは比較的自明のことだろう。 市場の強制力が存在しないのだから、必要性の領域は、自由の領域におけるイノベーションを導入しながら、ゆっくりと変化していく可能性が高い。このようなイノベーションを導入するには時間がかかるかもしれないが、それはプロセスの変化がもはや市場における競争によって強制されるのではなく、様々な委員会の調整を踏まえて決定される必要があるであろう。 こうしてアーロン・ベナナフも、ポスト資本主義社会においては、「ビルトインされた成長曲線は存在しない」と結論づけている。 第五に、マルクスが『ゴータ綱領批判』において、「精神労働と肉体労働との対立」の廃止を要求したことが重要である。この対立の廃棄は、物質的労働と非物質的労働との区別をなくすことと混同してはならない。マルクスの「精神労働」と「肉体労働」の用法は、むしろハリー・ブレイヴアマンの「構想」と「実行」の概念に対応しているからだ。「資本の専制」のもとで、労働者の「構想」という主体的な能力は完全に剥奪され、労働者たちの意志や欲求とは無関係に、何を、どのように、どれだけ生産するかを決定する資本の命令に従属させられてしまう。その結果、労働者は、資本の命令と指令に従って、ただ「実行」するだけの存在になる。それとは対照的に、「構想」と「実行」の再統一は、市場交換における形式的な平等を超えて、生産過程における生産者間の実質的な平等を確立する。 マルクスは、このような観点から共同社会の生産について書いている。 生産の共同体的性格が初めから生産物を共同体的、一般的なものにすることになろう。本源的に生産の内部で行なわれる交換――諸交換価値の交換ではなくて、共同体のもろもろの必要によって、共同体の諸目的によって規定されている諸活動の交換――が、初めから個々人の共同体的な生産物世界への参与を含んでいるであろう。(『資本論草稿集』@、160頁、強調筆者) このような共同性を再建する際に重要なのは、何を、どのように、どれだけ生産するかの決定に、労働者たちが能動的に参与することである。この民主的生産が、資本主義的生産の「専制的」性格を置き換えるのだ。少数者の意思を押し付けることなしに、アソシエートした生産者がより能動的に意思決定プロセスに参加する。ヒエラルキーの存在は、アソシエートした生産者により多くの自律性を与えるというマルクスの目的とは両立不可能である。だが、ヒエラルキーがなければ、異なる意見を仲介し、合意形成をするためには、より多くの時間がかかる。 資本主義のもとでの生産力の増大は、少数者に権力が集中する生産過程の非民主的でトップダウンの性格に依存してきた。それゆえ、職場における民主的な参加型の意思決定は、必然的に生産過程全体を減速させることになる。ソ連はそのような減速を受け入れることができず、社会的生産の意思決定に官僚的支配を導入した。それに対してコミュニズムの集団的な意思決定プロセスは、生産物の必要性、階級、性別、人種の平等、環境への影響などについて考えることを重視する。こうして、ヨルゴス・カリスは次のように結論づけている。「本物の民主社会主義は資本主義と同じペースでは成長できない。資本主義は自らを減速させるものを周縁化したり、破壊したりするからだ」。 このように、マルクスが将来社会の条件として要求したこれら5つの転換を考慮に入れるなら、コミュニズムと脱成長との親和性が浮かび上がってくる。また、コミュニズムが資本主義よりも物質代謝の亀裂を修復する可能性が高い理由も、まさに脱成長によって説明できるのだ。そもそも、社会主義になったからといって経済成長がグリーンになるわけではない。経済成長が生産と消費の生物物理学的なプロセスに基づいている限り、どのような社会においても、ある時点から成長は持続可能ではなくなる。だからこそ、マルクスの環境社会主義も、脱成長の思想を取り入れる必要があるのだ。これはマルクスが1868年以降、自然科学や前資本主義的な社会を真剣に研究した結果、到達した結論なのである。 同時に、脱成長にとっても、コミュニズムの洞察は欠かすことができない。コミュニズムへの移行こそが、脱成長経済の実現を促進するからである。コミュニズムは、資本の価値増殖を規制し、労働時間を短縮し、環境への影響を軽減する施策をより多く実施していく。労働者は、市場競争から解放されて自律性を高めることによって、労働と消費の意味について反省する機会を得る。社会計画は、過剰で環境負荷の高い部門を禁止し、基本的な社会的必要を満たしながら、プラネタリー・バウンダリー内にとどまるための調整を行う。脱成長コミュニズムは、より持続可能で平等主義的な経済を実現するために、経済の速度を落とし、市場規模を縮小することを目指す。マルクスの脱成長コミュニズムは、20世紀においては誰にも認識されることはなかったが、人新世における人間の生存の可能性を高めるため、今こそかつてないほどに重要な未来社会の理念なのである。 結論 ヨーゼフ・シュンペーターはかつて、「資本主義は過程であり、静止した資本主義は形容矛盾であろう」と述べた。この認識は正しいし、その意味で、脱成長は資本主義とは両立不可能である。 つまり、脱成長というのは、本来、反資本主義的なプロジェクトなのである。しかし、これまで脱成長とマルクス主義との対話や協働は、後者のプロメテウス主義のせいで、ほとんど行われてこなかった。けれども、この状況は早急に変わる必要がある。そして、幸いなことに、「環境社会主義的な脱成長」の提案によって、事態はすでに変わり始めている。 本書でも繰り返し見たように、「マルクスのエコロジー」の存在は、もはや否定できない合意事項となりつつある。特に「物質代謝の亀裂」概念は、脱成長を含む、環境保護主義やポリティカル・エコロジーの他の伝統と批判的に協働するための言説空間を切り開いた。しかも、近年、脱成長理論への注目が高まっており、ポスト稀少性経済をめぐるマルクスの構想を再検討し、アップデートする絶好の機会になっている。そこで、MEGAに由来する新しい知見を用いることで、本書は、晩年のマルクスを「脱成長コミュニスト」として再解釈し、マルクス主義を生産力主義的な社会主義像から解放しようと試みたのである。 本書がマルクスの将来社会像を積極的に描こうとしたのは、抜粋ノート研究の成果に懐疑的な人々への応答をしたかったという理由もある。たしかに、「マルクスのエコロジー」がノートのうちに存在すると示すだけでは、その洞察が現代においても役立つと言うことはできない。21世紀の状況はマルクスの時代とはもちろんまったく異なるし、科学的知識のレベルも比較にならないからだ。だからこそ、「マルクスのエコロジー」は現代資本主義の分析に適用できないのではないかという懸念を表明する批判者が絶えないのである。また、マルクスの資本主義批判をこのように「緑化」することは、マルクスのテクストに対する「我々の」関心事の押し付けに過ぎず、マルクスの理論の深い欠陥や限界を無視していると異議を唱える人もいる。マルクスの理論は「時代遅れ」だとして、批判者たちは、「マルクス主義は理論的に周縁的なものになったのであり、『エコロジカルなマルクス』への希望は今や幻想と見なした方がよい」とさえ結論付けている。 たしかに、マルクスの態度や見解は常に一貫していたわけではなく、多くの点で両義的であった。だが、これはなんら驚くべきことではない。当然のことながら、彼の発想は、個人的な経験や、19世紀西欧の社会・経済構造、支配的な価値基準や規範によって、必然的に制約されていた。だから、マルクスの著作の中に生産力主義的、ヨーロッパ中心主義的な発言を見出し、それを批判することはもちろん可能である。しかし、歴史的、理論的、政治的文脈やマルクスの意図を十分に考慮せずに、いくつかの個別的な発言をもとにして、マルクスの理論全体を否定するのは、やはり不適切である。このような矮小化が特に問題なのは、マルクスがしばしば欠陥のある前提を反省し、自らの見解を修正していたからである。本書を通じて明らかにしたように、マルクスは1860年代以降、自らの以前の生産力主義的、ヨーロッパ中心主義的な立場をはっきりと放棄したのだった。 この理論修正の過程を丁寧に追うことで、マルクスの正しさを独断的に擁護したり、あるいはその逆に、若きマルクスの未熟な見解を過度に一般化してその有用性を盲目的に否定したり、といった不毛な議論を避けることができる。前者の態度が不適切なのは自明であるが、後者のような拒絶の姿勢も不幸なことである。なぜなら、マルクスは資本主義システムに対する批判を体系的に展開した数少ない理論家の一人だからだ。その知的遺産をあまりにも性急に否定することによって、資本主義を批判することがますます難しくなっている 無限の資本蓄積が今日の環境危機の明白な原因であることが明らかなのに、「資本主義リアリズム」を再生産し、強化してしまうのだ。 重要な点なので強調しておきたいが、MEGAを通じてマルクスの未公刊の著作を掘り起こすことは、人新世の環境崩壊を完璧に予測した彼の全能の世界観を神格化するための試みではない。以前の著作である『大洪水の前に』の抜粋ノート研究も、マルクスが環境問題に関心を持っていたという「単なる」事実を示すことで、マルクスを救うことを目指したわけではない。そもそも、マルクスの経済学体系は本質的に未完である以上、『資本論』が全てを説明したなどということはありえないのである。 その限りで、マルクスの分析が人新世の状況にそのまま適用することはできないとしても、それでも、抜粋ノートに含まれているさまざまな情報は有益である。なぜなら、抜粋ノートはマルクスの未完の研究プロジェクトをどのようにしてさらに発展させることができるかの道筋を示唆しているからである。未完のプロジェクトだからこそ、それをさらに拡張していき、現代の科学的知見を取り込みながら、経済学批判のプロジェクトをさらに発展させることもできるのだ。これこそ、今日のマルクス研究者が取り組むべき課題である。なぜなら、そのような取り組みだけが、ソ連崩壊後の時代に、新しいポスト資本主義像を描くことを可能にするからである。 その意味で、『大洪水の前に』は、『資本論』を超え、人新世における他の環境保護主義の潮流と新たな対話の場を開き、ポスト資本主義の未来をより具体的に思い描くための準備的著作であったと言える。そして、本書が、その成果を踏まえて実際に、ポスト資本主義の未来を描き直す試みである。しかし、『資本論』を超えるということは、『資本論』を否定することと同義ではない。『資本論』は、資本主義の環境破壊を批判的に理解するために不可欠な方法論的基礎づけを提供している。この方法論のおかげで、地球システム、土壌・海洋エコロジー、気候変動に関するより最近の科学的発見を、マルクスの環境社会主義を補完するために利用することができるのだ。そうすることで、脱成長コミュニズムという理念が21世紀に浮かび上がってくる。 残念ながら、マルクスは脱成長コミュニズムの理念を具体的に描くことはなかった。マルクスは最期まで、さまざまな理論的非一貫性や限界、とりわけ生産力の発展に関係する諸問題に悩まされていたのである。結局、『資本論』第二巻と第三巻でそれまでの見解を修正して、新しい議論を展開することは十分にできず、生産力主義的・ヨーロッパ中心主義的な思想家にとどまったという印象が広まってしまった。マルクス主義の創始者であるエンゲルスでさえ、『資本論』の先にマルクスが探求していたものを十分に理解できず、マルクスの死後、一面的な印象はますます強まったのだった。 もちろん、これは、マルクス主義の歴史におけるエンゲルスの偉大な功績を否定するものではない。エンゲルスなしには、20世紀におけるマルクス主義の大きな成功は不可能だったからだ。ただし、エンゲルスが成功した理由は、具体的な社会的・政治的出来事に対する鋭い分析に加えて、マルクスの理論を「通俗化」したことが大きい。これは歴史の後知恵でしかないが、マルクスが予言したような、資本主義の胎内での新しい社会のための諸条件の成熟は、ようやく21世紀において達成されるかもしれないものであり、19世紀ないし20世紀の初頭においてそのような条件は存在し得なかった。エンゲルスの理論的努力の本質は、そのような状況において、マルクスの理論の主要な要素を、同時代の社会主義運動や労働者運動と両立可能な形へと意図的に「再構成」することであった。エンゲルスにとっての「マルクス主義」は、近代化という資本主義のイデオロギーに対する対抗イデオロギーとして、労働者階級に包括的な世界像を提供したのだ。しかし、この試みにおいて、エンゲルスは、「合理主義」、「実証主義」、「進歩的歴史観」、「生産力主義」、「ヨーロッパ中心主義」といったマルクスの理論とりわけ初期マルクスには濃厚であったいくつかの近代主義的な側面を過剰に強調することになってしまったのである。 エンゲルスの成功の秘密が、近代化に対する無批判的な肯定であった限りで、「マルクス主義」は、近代資本主義社会を真に超えるために必要な理論を提供することができなかった。ウォーラーステインが指摘したように、「マルクス主義」は資本主義世界システムの中核部では代議制民主主義のもとで資本主義経済の修正を求める社会民主主義に転化した。また革命が成功した半周緑および周縁部では近代的政治権力の担い手となることで国際的な主権国家体制のなかに封じ込められ、中核部の資本主義とは異なる開発独裁型の国家資本主義という形態での近代化を正当化するためのイデオロギーとして機能するにとどまったのだ。 このような歴史的推移のなかで、エンゲルスの理論的介入が「マルクス主義」の政治的ドグマ化の源泉としてみなされるようになると、このようなエンゲルスの理論的介入はマルクスの「歪曲」として厳しく批判されるようになる。エンゲルスは、マルクスと多くの見解を共有していたが、両者の間にはそれでも理論的な違いがあった。結局のところ、彼らは二人の異なる人間なのだから、これは驚くべきことではない。エンゲルスの哲学的プロジェクトは、マルクスの後期の理論的試みと両立可能なものではなかったのである。だからこそ、マルクスとエンゲルスを区別することは、『資本論』を超えるために不可欠な条件なのである。 本書で論じたように、1920年代にはすでにエンゲルスを批判し、西欧マルクス主義の形成に貢献したルカーチをこの文脈で再検討する価値がある。ルカーチのエンゲルス批判は、その不用意な定式化によって重大な誤解を招き、矛盾や曖昧さを批判されたが、ルカーチは後の西欧マルクス主義者とは異なり、マルクスの「物質代謝」概念に着目し、独自の議論を展開したのだ。ルカーチが『追従主義と弁証法』で精微化した「方法論的二元論」――「存在論的二元論」ではない――は、資本主義下における人間と自然との緊張関係を主題化するために欠かせない。また、「同一性と非同一性の同一性」という概念も、価値の同一化の論理に抗う自然の非同一性をもとにして、人新世における資本蓄積の限界を批判的に理解するために不可欠である。 マルクス主義の「方法論的二元論」は、人間と自然の間のポスト・デカルト的な存在論へのオルタナティブとして、人新世においてこそ、大きな意義を持つ。デカルト的二元論が、人新世の複合危機、すなわち自然的なものと社会的なものとの絡み合いを特徴とする危機の分析のために不十分なのはたしかにそうだ。しかし、平坦な存在論やハイブリッド的一元論は、デカルト的二元論に代わる唯一の選択肢ではない。社会と自然の分析的な区別は必ずしもデカルト的二元論を意味しないので、マルクス主義にしばしば帰されるデカルト的二元論は藁人形論法であり、しかも、より生産的な「二元論」アプローチの可能性をア・プリオリに排除するという意味で悪質である。ジェイソン・W・ムーアの「亀裂」批判はその典型であり、マルクスの「素材」と「形態」の方法論的二元論を捉え損なっている。社会的なものと自然的なものは現実において深く絡み合い、手つかずの自然はもはや存在しないが、それでも社会的なものと自然的なものを分析的に区別し、資本主義的生産の歴史的特殊性とその矛盾をしっかりと把握することが、持続可能な生産の物質条件を明らかにするためには必要なのである。 ホアンボーやマルムは、すでにラトゥールらに対して「分析的二元論」を擁護しているが、本書はさらに踏み込んで、「方法論的二元論」がポスト資本主義像に理論的影響を与えることを示そうとした。近年の『要綱』に依拠した左派加速主義の生産力主義とは対照的に、マルクスは1860年代初頭に、「方法論的二元論」と整合的な形で「資本の生産力」批判を行うようになった。その結果、後期マルクスは、民主的、自律的で、さらに持続可能な生産を実現するためには、「資本の生産力」を解体しなければならないが、そのことが、社会的生産力の低下をもたらす可能性を意識するようになった。この洞察が、それまでの史的唯物論の修正を迫ることになり、ポスト資本主義の構想にも大きな変化をもたらすことになっていく。 1870年代のマルクスにとって、ポスト稀少性社会の実現は、生産力の技術的発展だけに基礎を置く必要がなくなっていく。とりわけ、『ゴータ綱領批判』に登場する「協同的富」の潤沢さは、「脱成長」という理念をマルクスのポスト資本主義社会像に統合することを可能にしてくれる。だが、そうした解釈の可能性は長い間、プロメテウス主義のせいで完全に無視されてきたのだ。その限りで、本書の最終章における『資本論』の再解釈は、より平等で持続可能な社会を確立するために、これまでのマルクス像を解体し、『資本論』を超えるものなのである。 もちろん、「脱成長コミュニズム」という理念が現在、政治的に不人気な現状は認めなければならない。 けれども、そのことは、この理念が役立たずであることを意味するわけではない。むしろ、脱成長コミュニズムの理念は、「緑の資本主義」や「緑の近代化」だけでなく、左派加速主義的な環境社会主義やエコモダニズムの問題点を浮かび上がらせ、真に公正で持続可能な未来を思い描くために必要なのだ。環境社会主義であっても、緑の資本主義と同様に、それが経済成長の原理によって駆動される限りで、持続可能なものになり得ない。それに対して、脱成長コミュニズムは、経済成長なきポスト稀少性社会を目指す。資本が作り出す人工的稀少性を克服し、コモンとしての富の潤沢さを取り戻せば、社会の繁栄は可能だからである。 そうだとすれば、この気候危機の時代に求められているのは、価値、物象化、階級、社会主義、エコロジーについてのマルクスの理論を否定することではなく、脱成長という立場からマルクス主義の遺産を徹底的に再解釈することではないだろうか。ソ連崩壊後の停滞を乗り越え、ポスト資本主義のビジョンを大胆に刷新することは、環境保護主義のさまざまな潮流との対話をより豊かで実りあるものにし、人新世の危機における人類の生存可能性を追求するために不可欠な仕事になりうる。そのような仕事は本書だけでなく、世界中のいたるところで、理論的・実践的に生まれつつある。だからこそ、脱成長コミュニズムの政治プロジェクトが本当に幻想的でしかないかどうかは、歴史の審判を待つことにしよう。 日本語版あとがき 本書は2023年2月にケンブリッジ大学出版から刊行されたMarx in the Anthropocene:Towords the Idea of Degrowth Communismの日本語版である。翻訳原稿の下準備は、竹田真登さん、持田大志さん、高橋侑生さんが行なってくれた。ただし、日本語としての読みやすさを優先して、その後私自身が表現や内容の修正をかなり施している。そのため、英語版と対応していない箇所が多々あり、日本語訳というよりは、日本語版であることをご承知願いたい。 英語版のタイトルは日本語にすれば、『人新世のマルクス脱成長コミュニズムの理念に向けて』であり、『人新世の「資本論」』(集英社新書)と並行して準備していた2冊目の学術書である。1冊目の学術書である『大洪水の前にマルクスと惑星の物質代謝』(角川ソフィア文庫)と同様、本書も先に英語で刊行されている。そのため前著同様、日本国内よりも、英米圏での論争や社会運動を強く意識して書かかれている点に注意されたい。 このことは、人文社会科学におけるエコロジーをめぐる左派の議論が、英米圏において現荏進行形で活発に行われているという理由が大きい。実際、このあとがきの執筆時点で刊行からまだ半年ほどだが、すでにいくつもの書評が刊行され、現在進行中の論争にも重大な変化が生じており、そのいくつかを紹介することで、日本語版のあとがきに代えたい。 『大洪水の前に』の原著タイトルは、『カール・マルクスの環境社会主義』であるが、本書はこの間の研究成果を踏まえ、マルクスのポスト資本主義は単なる「環境社会主義」ではなく、「脱成長コミュニズム」であることを明示化したことに大きな違いがある。本文でも述べているように、「環境社会主義」そのものは、経済成長の可能性を排除するものではない。それゆえ、経済成長は一定点を超えると持続可能ではないということをはっきりと認める「脱成長コミュニズム」を打ち出すことには意義がある。実際、英米圏では、グリーン・ニュー・ディールを支持するマルクス主義のマット・ヒユーバーやデイヴィッド・シュワルツマンらを中心に、本書への批判が行われており、今後はエコモダニズム的な環境社会主義との論争が展開されることになるだろう。 本書の読者であればすでに知っているように、「脱成長コミュニズム」としての晩期マルクスというテーゼは、『人新世の「資本論」』で打ち出したものである。ただし『人新世の「資本論」』では、現代の気候危機との関連で脱成長の必要性を論じることに力点を置いていた。それに対して、本書の第三部では、より詳細に抜粋ノートの内容を扱い、マルクスが脱成長という考えを受け入れるようになった過程を丁寧に論じた。さらに、本書第二部では、英米圏の左派の議論を分析しながら、近年、アクター・ネットワーク理論やマルチスピーシーズ人類学の影響で、マルクス主義でも影響を広げている一元論に対しての批判を行っている。この点は、今後一つの大きな論点となるだろう。実際、マルクスの「素材」と「形態」の二元論に対しては、英国ガーディアン紙で好意的な書評が寄せられている。 この間でのもっとも大きな変化は、『マンスリー・レビュー』6・7月号で、編集長であるフォスターがはじめて明示的に脱成長の必要性を認め、「脱成長」特集を組んだことである。そこには、ヒッケルに代表される脱成長派からも論文が寄せられている。私も寄稿を求められていたが、残念ながらスケジュールの都合で引き受けることは叶わなかった。けれどもまさに、このような対話が行われることが、「脱成長コミュニズム」を掲げた本書執筆の狙いであり、歓迎すべき前進なのは間違いない。 それでも、「脱成長コミュニズム」などというものをわざわざ掲げることへの疑念を感じる読者もいるかもしれない。なぜ、今日そのような作業が必要かといえば、社会変革の指針となるようなグランド・セオリーの不在が言われて久しいからである。その結果、社会変革のビジョンがAIのシンギュラリティとか、電気自動車と太陽光のグリーン革命のような、技術論になってしまっているのだ。けれども、技術革命論は保守的である。なぜなら、「資本の生産力」としての技術は、資本蓄積と相容れない技術は排除し、環境負荷などの矛盾を外部化することで、グローバル・ノースにおけるこれまで通りの生活を維持することに貢献するからである。 むしろ今必要とされているのは、現代の技術が前提としているパラダイムそのもののラディカルな批判である。資本主義の停滞が格差や環境問題といった問題を引き起こしているからこそ、「自由」や「豊かさ」などをめぐって、新しい考えを積極的に提起すべきなのだ。そのために、21世紀の新しい基盤となるような理論が求められる。それが、各人のさまざまな持ち場での個別の新しい実践につながっていくだろう。本書による旧来のマルクス像の「解体」が、そのような新しい「発展」や「解放」のビジョンに貢献できることを心から願っている。
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