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白石一文『君がいないと小説は書けない』(講談社)
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あらすじ V
 <今月も戻れなくなった>というラインが来たのは佐藤さんのメールが届いた日の夕刻だった。<なんで>と野々村もラインで訊ねてみる。<実は、三日前にツネちゃんがまた小さな発作を起こしたの>とびっくりする答えが返ってきたのだった。
 野々村はすぐに電話を入れた。
 「発作」となれば脳梗塞の発作に違いあるまい。そんな大事なことを三日も黙っていたというのは一体いかなる料簡か。
 ことりはすぐに電話に出た。
 聞くと、三日前の夕方、一緒に店番をしていて、常子は隣で筆耕の仕事をしていたが、急に筆を持つ手がしびれてきて、なんかへンだって言い出したので、慌ててタクシーで病院に連れて行ったそうだ。検査の結果、CTにもMRにも何も映っていないから一過性の虚血発作じゃないかと医者に言われたらしい。
 だから、とりあえず月末にそっちに帰るのは延期しようかなと思ってるの、残念だけど、とことりは言った。
 それはもちろん構わないけど、と野々村は言う。
 保古ちゃん、どめんね、とことりは殊勝な声を出した。
 しばらくのやりとりのあと電話を切り、あらためてことりの言葉や口調などを吟味してみる。これまで通り、別段怪しい感じはなかった。本多のおかあさんの異変を三日も黙っていたのは謎と言えば謎だが、ことりにすればさほどの出来事でもなく、むしろすぐに報告して、それを理由に月末こちらに戻るのを野々村から止められるのを警戒したと見倣すこともできる。
 数日を経て、やはりもう少し様子見をすべきだと考えを固め、事実も含めていま結論を伝えてきたと推測しても誤りではないだろう。
 佐藤さんからのメールが届いていなければ、この連絡に関して野々村はさほど気に留めなかったかもしれない。
 しかし、九月の初めに数日間戻って来て以来、十月、十一月と一日もことりの顔を見ていないというのは、考えてみればかなり異常な事態ではあった。
 猫の世話があるので、野々村が気軽に上京できないことは彼女も百も承知だ。顔を合わせるには彼女がこちらに帰って来るしかない。
 それより何より、あれほど可愛がり、不在中の様子にひどく気を揉んでいた大事な猫たちと二カ月も触れ合わずに平気にしているというのも、これまでのことりからはちょっと想像のつかないことであった。
 自分や猫たちよりも心奪われる何かをことりは東京で見つけてしまったのではないか。
 よもやと心の半で否定しつつも、佐藤さんのメールの文面も思い出されて、そういう疑念が胸の中でもくもくと湧き上がってくる。脳裏に浮かぶのはむろん、ハイアットリージェンシーで目にした例の若手排優そっくりの背の高い青年の姿だ。
 静観の態度を改めるとなれば、当初の方針(というほどでもないが)の通り、佐藤さんに相談し、ことりの動静を探って貰うのが一番であろう。彼女と会って、探索法も含め綿密な打ち合わせをした方がいい。
 しかし、一男一女を抱えて子育て奮闘中の佐藤さんに、このようなプライベートな用件でわざわざこちらまで来てもらうわけにもいかない。もとより依頼人の方から出向くのが筋というものでもある。ましてや、こんなことをメールで手軽に頼むわけにもいかなかった。
 一度、日帰りで上京するしかなかった。
 とにかく明日にでも電話して、すぐに佐藤さんに会いに行こうと野々村は決めたのだった。
 
 翌朝、目が覚めるとすぐに佐藤さんの携帯に電話を入れたのだが、繋がらなかった。
 昼まで待ってもう一度掛けようと思い直し、しばらく原稿を書いてから、新聞を取りに行くと、郵便受けに新聞と一緒に手紙が入っていた。差出人の名前は「中央日報新聞出版 槙原俊哉」。
 長年の担当編集者で、佐藤さんと並んで最も懇意にしている編集者でもある。
 槙原君とはしばらく連絡が途絶えていた。
 「週刊中央」という中央日報新聞出版が出している週刊誌で一年ほど前に連載を終えた長編小説が未完のままになっており、完結編を書くと言っておきながらちっとも手を付けていなかった。それもあって何となくこちらからは連絡しづらくなっていたのだ。
 槙原君の方も、原稿の催促はしないのが彼の編集者としてのポリシーなので、野々村から改めての連絡が入るまでは自分から連絡はしない心づもりだったのだろう。
 というわけで気づけば一年近くの時間が経っていたのだった。
 そうは言っても、佐藤さんと彼には引越し後すぐに転居通知だけは送ってある。
 昨日、佐藤さんからメールが届き、さっそく彼女に電話して近々の面会の約束を取り付けようとしていたちょうどその矢先に、またも手紙という形でもう一人の最も親しい編集者である槙原君から一年振りの連絡が来た。
 そうした偶然に佐藤さんのときと同様、野々村は何かしら特別な意味を感じた。
 さらに急いで文面に目を通し、なおさらにその感を強くせざるを得なかったのだ。
 
 拝啓 すっかり秋も深まり、束京のもみじも次第に色を濃くしはじめております。お元気でお過ごしのことと拝察いたします。大変ご無沙汰しております。
 野々村さんの御作品につきましては、「連載は、一冊にまとまってから読むように」との言葉がありましたが、特に「小説C」さんの「ひとりでパンを買いに行く日々に」は、ついついその禁を破って読んでしまいます。
 
 との書き出しで始まる長文の手紙には、彼が十代の頃に私淑し、学生時代にはスタッフの一員としても働いたことがあるミュージシャンの安藤庄司がつい最近がんで亡くなったことが記され、次のように書いていた。
 
 十代の頃、初期の虚無感に満ちたその楽曲には本当に共鳴し、励まされました。またかつて就職直後に芸能誌「B」に配属されて悩んでいた際に、「『大菩薩峠』の中里介山だって、ずっとスキャンダル記事を書いていたんだから、恥じることないよ」と言ってくれて、もう少し続けてみようと思い返す気持ちにさせてくれたという意味では、アンショーさん(我々はそう呼んでいました)は恩人でした。
 なかなかその死を受け容れられない中、その楽曲と言葉が、いまも鮮明に脳裡に響いています。
 
 そしてまた、
 「東京という大都市は“前向きの人たち”のための街であろう」、「だが、先にのびる道の終着点が見え始めた人、目前の道をいつの間にか見央ってしまった人にとって、この街はもうさほどの魅力を有していない」という野々村の言葉を引用して、つぎのように述べている。
 
 お互いを蹴落とし合うような過密なこの街で、日々そこに留まって否応なく競争に参加させられ、その繰り返しに明け暮れながら、自分でも一体いまどこに向かっているのかわからなくなりつつある現在、この言葉はとても強く響きました。
 これまで止まることを恐れて振り返ることをしませんでしたが、アンショーさんの死をきっかけとして振り返った途端、自分が立っているのは本当に茫漠とした荒野だったことにはたと気づいた、とでもいう心境です。
 
 このすぐ後で、彼は自分が離婚したこと。そして、妻とはもう何年もこころの通い合いのない状態が続いていて、しかも妻の方にはかねて、男性の影がうかがわれたのも事実でした、と書いていたのである。
 さらに、追伸には、先日、ある作家さんの出版記念の会でC社の佐藤裕子さんに久しぶりにお目にかかりました。ことりさんのおかあさまのお具合が悪い旨伺いました。大変心配です。
 とある。
 野々村は、夕方槇原君に電話し、一度こっちに来ないか、と誘ってみた。その日は土曜日だったので明日は日曜日だから仕事は休みのはずだ。明日でもいいかな、と野々村が声をかけてみると、では、お言葉に甘えて、明日お邪魔してもよろしいでしょうか、と彼は言った。
 そう。だったら明日着いたら電話ちょうだい。夕方、うちに来ればいいよ。うちでお茶でも飲んでから出かけよう。店は午後七時で予約しておくから、と野々村はそう言って電話を切ったのだった。
 槙原君のような男があのような文面の手紙を送ってくるとなれば、彼はかなり精神的に疲弊しているということだ。まずは顔を見てじっくり話を聞いてやらなくてはならない。
 離婚したというのも驚きだったが、それより何より、「妻の方にかねて、男性の影がうかがわれたのも事実でした。」という手紙の一節が気になっていた。
 槙原君と奥さんがうまくいっていないのはずいぶん昔からだったが、奥さんに恋人がいる云々の話を聞かされたおぼえはなかった。
 「類は友を呼ぶ」とは手垢のつき過ぎた言葉ではあるが、人は自分と似たタイプと通じ合う。ことに友人というのはその傾向が非常に強い。
 槙原君とは年齢は二回り以上も違い、作家と編集者という間柄ではあるが、野々村がデビューしたてのときにS社(槙原君はその後、S社を辞めて現在の中央日報新聞出版に転職した)の編集者として訪ねてきたときから、彼は担当編集者であると同時に野々村の大事な友人の一人となった。
 類は友を呼ぶ、は資質の類似性だけにとどまらない。自分に起きたことが往々にして友人の身にも起きるし、その逆もまたあり得るのだ。同じような人間だから、同じような体験をするし、同じような成果を得たり、同じような失敗をしでかす。まあ、これはある程度理屈にも適った現象だと思われる。
 
 自宅マンションから徒歩五分はどのところにある「五十嵐」という小さな料理屋に行った。
 御主人と奥さんの二人きりでやっているのだが、出てくる料理がどれも手が込んでいて美味しい。ことりとも月に一、二度は足を運んでいた。
 メニューはコース料理だけで五千円からだが、五千円でも食べきれないほどの品数が出てくる。今日は槙原君なので奮発して八千円のコースにしたが、ことりと行くときはたいてい五千円だった。
 地酒を飲みながら、まずは二人で乾杯した。一口飲んで、おいしいですね、と槙原君が言う。全国的に知られた名酒が幾つもある酒どころだけあって、甘口から辛口までどの銘柄を飲んでも外れはない。
 手紙には離婚する運びとなったって書いていたけど、もう離婚届は出したの、と野々村は訊いた。
 離婚届は先週出したそうだ。槇原君は、一年くらい前に自分から吉祥寺のマンションを出て、そのまま別居していたという。
 槙原君は生まれも育ちも吉祥寺で、結婚して購入したマンションも吉祥寺にあった。今は、清澄白河のワンルームマンションに住んでいるらしい。清澄白河ならば、中央日報新聞出版のある築地まで大江戸線で一本だろう。そこはことりの実家とも近いので野々村にも馴染みの土地であった。
 吉祥寺のマンションは売却する予定で、売却は渚にまかせるつもりです、と槇原君は言った。
 渚というのが細君の名前だった。野々村も何度か会ったことがある。彼女が体調を崩したときは親しい漢方医のもとへ連れて行ったりもした。渚さんは銀行勤めのはずだから自宅の売却を彼女に頼むのは自然と言えば自然な成り行きであろう。
 それからしばらく、次々に出てくる料理を味わいながら小説の話やこの街の話、ことりの実家の話などをして時間を潰した。
 一合徳利が二本とも空になり、辛口の方をもう一合追加した。
 野々村もさして強い方ではないが、槙原君も酒量はほどほどだ。
 渚さんに男性の影があったっていうのはいつ頃からの話なの、と野々村はようやく肝腎な質問を切り出した。
 気づいたのは三年くらい前ですね。一度、彼女がスペインに一人旅をしたことがあって、でもそれが実はどうも一人じゃなかったみたいなんですよね。
 一緒に行ったのは妻子のある会社の先輩で、その二人は槇原と結婚する前から付き合っていたらしく、二人は引っ付いたり離れたりをずっと繰り返してきているらしい、と彼は言った。
 なぜ槇原君がそれに気づいたのかというと、たまたまその先輩のフェイスブックを覗いてみたらスペイン旅行の写真がアップされていて、その旅行がサンティアゴ・デ・コンポステーラという巡礼の旅で、女房も同じところを歩いて来たと言っていたからだ、と言った。
 槇原君が言うには、その先輩には結婚式の時に初めて会い、その時の女房を見る目つきがちょっと不思議な感じだったので、まあ元彼だろうなくらいに思っていて、それからその先輩のことはずっと気になっていたらしい。それで、スペインから女房が戻ってから何となく様子がへンなんで、もしかしたらと思って彼のフェイスブックを覗いてみたという。
 
 離婚の二文字を先に口にしたのは槙原君だったという。
 妻の方も、ずっとチャンスを窺っていたのは彼も分かっていたらしい。でも、彼女の方から切り出されると、その先輩のこともきっと告白してくると思い、彼女からそんな男の話なんて聞きたくはないので、だったら自分から離婚を切り出すことに決めたんです、と彼は言った。
 奥さんはその巡礼旅行以来ずっと先輩と関係を続けていたってこと、と野々村は訊ねる。
 さあ、それははっきりとは分かりません。向こうも妻子持ちですから。でも、そういう詳しい事情を僕は知りたくなかったんです。これまでも知らない振りで三年近くをやり過ごしてきたわけですからね。でも、どうやら機が熟した感じがしたんで正式に離婚することに決めたんですよ、と彼は言った。
 槙原君と渚さんも野々村とことり同様、二十年近い歳月を夫婦として過ごしてきている。それだけの長さを共に暮らした相手と別れるときに、「機が熟した」という感覚を得られるというのはさすがに槙原君だという気がした。
 どっちが浮気しただの裏切っただのという表層的な現象だけに目を奪われて、二十年にも及ぶ夫婦関係を感情的に断ち切ってしまうのは、やはり大人のすることではないのだろう。
 それから、槇原君は、でも、実際こうして独り者に戻ってみると、なんだか長くて退屈でひどく空しい夢からようやく覚めたような気がしますね、とぽつりと言い、まあ、僕たち夫婦には子供がいませんでしたから、やはりそこは一般的な夫婦とはちょっと違うんだとは思いますけど、と付け加えたのだった。

 槙原君と会って以来、彼が口にした言葉が頭から離れなくなってしまった。槙原君にとっての結婚生活とは、「長くて退屈でひどく空しい夢」のようなものだったというわけか……。
 翻って自分はどうなのか。もしもことりと別れたとき、野々村は彼女との二十年に及ぶ生活をどのように振り返るのだろうか。自分も槙原君と同じように、ことりと別れた途端、長くて退屈でひどく空しい夢から覚めたような心地になるのだろうか。
 
 若い頃の野々村は、人生を否定しないまでも、少なくとも絶対に肯定だけはしないぞという意気込みで小説を書くことによって自分自身の人生をかろうじて肯定し続けていた。
 なんとか作家になりおおせてからは、そうした自家撞着から脱すべく、できるだけ人生を前向きに捉える姿勢で考えを再構築しようと努力してきた気がする。
 だが、その努力はあまりうまくいかなかった。
 槙原君の言葉を借りるならば、野々村にとっては、ことりとの二十年の暮らしにとどまらず、この六年間の自分自身の人生それ自体が、「長くて退屈でひどく空しい夢」のようなものであった。
 そういう茫漠とした虚無から、野々村は解放されることがなかった。
 「長くて退屈でひどく空しい夢」以外の人生などというものが果たして現実にあるのだろうか、と疑う。あるとしたら、それは一体どこにあるのだろう。
 どんな人たちが体験しているのだろう。
 「長くて退屈でひどく空しい夢」ではない人生とはそもそもいかなる人生なのか。
 たとえば、「長くて」「退屈で」「ひどく空しい夢」をすべて反対の言葉に置き換えてみるとしよう。
 そうすると次のような一節が出来上がる。
 「短くて波乱に満ちて、ものすごく充実した現実」
 そのような人生を送れば、人はみな「長くて退屈でひどく空しい夢」のような人生から解放されるのであろうか。
 それはそうだろうと思う。だが、人間はなかなかそういう人生を送ることができない。
 そこは恐らく能力の有無の問題ではあるまい。
 大半の人々は、そうした人生を送ろうと本心から望んだりはしないのだ。
 「短くて波乱に満ちて、ものすごく充実した現実のような人生」と言われて野々村がぱっと想起する人物は、たとえば坂本龍馬やチェ・ゲバラ、ジョン・レノン、作家だったら芥川龍之介といった面々だが、野々村にしたところで、じゃあ龍馬やゲバラやジョンや芥川のような人生を送りたかったかと問われれば、きっと首を横に振ると思う。
 要するに、私たちは自分自身の意志で「長くて退屈でひどく空しい夢」のような人生を選択しているのだろう。
 特に強く執着しているのが「長くて」の部分だと思う。
 どんなに波乱に満ち、愉快な人生であったとしても、それが「短い」というのはどうにも私たちには受け入れがたい。それならば、退屈で空しくても「長く」続く人生の方がまだマシだと考えているのではないか。
 突然、不治の病を宣告された人たちが、にわかに人生を輝かせ始めるのは、この「長くて」という条件を否応なく外されてしまうためだろう。そうなると「退屈でひどく空しい」人生にしがみついている必要がなくなる。必然的に「波乱に満ちて充実」した人生へと一歩を踏み出さざるを得ないというわけだ。
 どうして自分は、このいかんともしがたい虚無の心境からいつまで経っても抜け出すことができないのか。長年その原因を考え続けてきて、ここに至って、もしかしたら、これのせいで虚無から抜け出せないのではないか、と思い当たるものを見つけた。
 一言で言うと、野々村には「理想の人生」が見つからなかったのだ。
 さらに正確に表現するならば、「理想の人生」というものが歳を重ねるごとにどんどん分からなくなっていった、と言う方が正しいのかもしれない。
 あなたにとって理想の人生とは誰の人生ですか、と問われて、よく人は「父です」とか「母です」といった凡庸な答えを口にするが、その種の回答が非常に正しいと野々村は最近になってようやく理解するようになった。自らとの共通点を絶えず確認しつつ、そのうえで人生の模範としてのあれこれを誰かから引き出そうとするのであれば、両親ないしは学校の恩師といった人たちが一番適切な存在なのである。
 その点で、自分が作家として独立した直後に父の宗一郎を失ったのは、野々村にとって痛恨の極みであったあった。同じ専業作家の立場となり、その段階で、創作や作家業について父と二人でこもごも語り合うことができたとすれば、野々村にとってどれほど有益であっただろう。
 それがかなわなかったのは返す返すも残念であり、我が身の作家デビューが遅かったことによる最大のデメリットはそれだったと感じている。
 せっかく作家の家に生まれながら、野々村はその一番の豊穣を享受することができなかったのだ。
 ジャーナリストにしろ、作家にしろ、政治家にしろ、野々村には「あの人のようになりたい」という理想の人物がいなかった。最初は様々な人々をイメージするのだが、やがてその人たちと自分とが余りにも異なることに気づき(たとえ直接知り合うことがなくても)、彼らから離れていく。そうした不毛な作業を繰り返しているうちに職業それ自体に対する興味関心までが徐々に失われていった。
 現在、野々村は「作家」と名乗っているのだが、あなたにとって目指すべき作家の目標はたとえば誰ですか、と問われても、野々村の頭の中に浮かび上がってくる特定の人物は存在しない。
 一方で、じゃあ、自分のような作家になれて本望だったか、というとそれもそんなことはない。
 胸にあるのは、なりたいと願った職業の少なくとも一つにはなれたのだから、まあよしとするしかあるまいな、という淡い感慨一つきりだった。一つきりと言っても、若い時分の夢が実現したのではあるから感謝すべきだとは思う。
 しかし、これで満足かと自問すれば、うーん、そういうのとはちょっと違うんだよなあ、という思いしか浮かんでこない。
 野々村は何か根本的なところで人生行路を見誤ってしまったような気がしている。
 自分は人生に成功したかったし勝利したかった。そうすることで充実した人生を送りたいと願っていた。だがいまとなっては、そのような最初の目標の立て方というか、目線の持っていきかたというか、見る方角といったものが間違っていたように思える。
 結局、野々村は幸福になりたかっただけのくせに、成功したいだとか勝利したいだとかの方にばかり目が行ってしまって、これは大袈裟ではなく、つい最近まで成功のためなら幸福は犠牲にしても構わないとさえ考えていた。
 結婚に失敗したのも、一人息子の新平と会えなくなってしまったのも元をただせばそのせいで、結婚と子育ての失敗は、いまになって思うにまったくどうにも取り返しのつかない大失敗だった。
 しかも、この大失敗のせいで尚更に野々村は成功だけを求めようとした。いまだ成功によって幸福の代替物が手に入る、あるいはまったく別種の“幸福っぽい何か”が得られると思い込んでいたのだ。
 ことりとのあいだに子供を作らなかった理由の一つはそこにあった。
 幸福というのはむろん人それぞれの考え方、受け止め方である。自分以外の誰かが自分の幸福を認定してくれるわけではなく、自分自身が自分は幸福だと認定すれば、それでもう自分の幸福は成就するのだ。
 幸福というのは、幸福感の長期間にわたる持続状態と言ってもいいだろう。そしてその期間のあいだに幸福感の質や量、種類のようなものが移り変わっても何ら問題はない。要は、自分は幸福だと感じ続けられていればそれでいいのだ。
 私たちの幸福を最も端的に表現する言葉がある。
 「毎日、笑って過ごせる暮らし」
 というやつだ。
 なるほど、どんな境遇であったとしても日々を笑顔で過ごすことができれば、それ以上に“幸福感の長期間にわたる持続状態”を証明するものはないと思われる。
 ところがである。
 野々村という人間は、そういう「毎日、笑って過ごせる暮らし」を標榜し、そこに一番の価値を認めるような生き方が、もっともくだらない“唾棄すべき人生”だとずっと思い込んで生きてきたのだった。
 いまにして思えば、野々村は延々とそういうアホらしい強がりに拘泥し続けてきた。自分は他の連中とは違うんだ、という浅はかなプライドに鼻面を掴まれ、引きずり回されてきたのだった。
 野々村は「毎日、笑って過ごす」というのがどれほどに困難で熟練を要する事業であるかをまったく知らなかった。そんなテキトーな人生でいいのであれば、それこそ鼻くそをほじりながらだってやすやすとこなせると、とんでもない勘違いをしていたのである。
 野々村がここ最近で何よりも衝撃を受けた一言というのは、一年ほど前だったか、親友であり兄貴分でもあるノンフィクション作家の横水康明さんに言われた一言だった。
 彼とはたまに電話で互いの仕事の進捗状況などを報告し合い、そういう習慣はもう二十年近く続いているのだけれど、ここ数年はただひたすら出版界の惨憺たる現状を嘆き、愚痴をこぼし合うのが電話の中身の大半を占めている。
 昨年の年の瀬、すでに野々村はこちらに転居してきていて、例によって、「やる気が出ない」だの「もう書くことがない」だの散々愚痴っていたところ、「だったら保古ちゃん、残された手は一つしかないよ」と横水さんが不意に言ったのだった。
 子供を作ればいいんだよ、ことりさんに産んで貰えばいいじゃん、と言ったのだ。男はやる気が出なくなったら、最後はそれしかないんだよ。
 野々村はこの横水さんの言葉に呆気に取られてしまった。
 さらに驚いたことに、「子供を作ればいいんだよ」という一言を耳にした瞬間、自分が、なるほど、確かにそれは意欲を回復させる最後の手段かもしれない、と半ば以上本気で思ってしまったことだった。
 野々村はいっときすっかり“その気”になってしまったのだが、当然ながらそんな妄想が長続きするはずもない。
 ただ、横水さんの珍妙なアドバイスによって、野々村は、何だかんだ言ったって「幸福感の長期間にわたる持続」を図るには、そうやって子供をもうけて、可愛い我が子の姿を日々目にしながら仕事に励むといったやり方が最も有効な手段なのだろうといまさらながら思い知った気分にさせられたのである。
 
 ことりが子供を望んだのは一緒に暮らし始めて数年後、彼女が三十歳を過ぎた頃からだった。
 野々村は静かに抵抗した。
 正式な夫婦ではないので不妊治療を受けるというわけにもいかず、それが勿怪の幸いでもあった。博多に住んでいた時期に公園で子猫だった円之助を拾い、その後、さほど間を置かずに次々と猫を拾って、猫たちのおかげで次第にことりの気持ちも中和されていった。
 野々村が二の足を踏んだのは、「家族」というものがどうしても苦手だったというのが一番の原因だったが、加えてことりの身体の心配もあった。
 ことりは別段大きな病気を経験したこともないし、持病は片頭痛一つだったが、しかし、どうにも虚弱だった。野々村は、この人の身体は出産には耐えられないのではないか、という気がしていて、余計に避妊に気を遣っていたくらいだったのだ。
 やがて一緒の暮らしにも慣れ、そういう感覚は次第に薄まっていったのだが、実際に彼女が子供を望むようになった時点で、にわかに不安が現実味を帯びてよみがえってきた。
 子供を残してことりが死んでしまったら。そう想像すると、妊娠出産なんてとんでもない話に思えた。
 幼子を抱えて、ことりのいない世界で自分は一体どうやって生きていけばいいというのか。いかにも大袈裟な妄想のたぐいではあるが、当時の野々村にすればかなり本気だったし、いま思い返してみても、あの直感があながち的外れだったとは言えない気がしている。
 ことりと出会い、不退転の決意で口説いたのは自分自身が今後作家として書き続けていくためにはどうしても彼女が必要だと確信したからだった。その肝腎要の存在を、たとえ血を分けた我が子であったとしても、野々村は奪われたくはなかったのだ。
 女性の人生というのは非常に恵まれている。誓えて言うなら、彼女たちは誰でも社長になれる。母親になるというのは、男の野々村から見るところ、最低でもそれくらいの意味や価値がありそうな気がする。
 母親と父親の差は、オリンピックの金メダルと銀メダルの差だ。
 大した差ではないと見倣すのも可能だが、正直なところ金メダルと銀メダルの差は限りなく大きいと思う。
 結果的にことりは子供を生まなかった。
 これは、何と言うか、自分としては彼女に対してひどく申し訳のないことをした気がする。彼女は自分のせいでみすみす社長になるチャンスを逃してしまったのだ。
 私たちは年老いていくに従って、自らの生命エネルギーを我が子に移植していく。肉体的にだけでなく精神的にも恐らくそうであろう。
 「若さ」と「生命エネルギー」とは同義語であり、この生命エネルギーのことを人類はここ六、七十年ほどはDNAという言葉で表現してきた。
 女性の方が我々男性よりもたくましいのは、彼女たちは当のDNAを私たち男性から奪い取る側にいるからだと野々村はかねて考えている。
 彼女たちは私たち男性の生命エネルギーを食って新しい生命を誕生させる。
 死ぬとき、男性の場合は現世に残していく子供に思いを致すにしても、それは門閥であったり家名であったり社会的立場であったりへの執着に過ぎず、生理的なものではまったくない。
 男系が尊重され、子々孫々というのが男性側の系譜で叙述されるのは、男性のそうした脆さを補うためと思われる。
 早い話、女性たちは自分の名字が変ろうが、固有名詞が消えてしまおうが、そんなことに余り頓着しない。彼女たちは男たちからDNAを採取し、自分の腹を痛めて自らの血を分け与えた我が子という生命エネルギーの現物を直接後世に残すことができるのだ。
 D社の文芸誌に連載したときの担当編集者だったWさんが、産休明けに初めて顔を合わせた際、産んだ子をこの手に抱いたとき、ああ、自分はこれで生まれてきた役割を果たすことができた。もうこれでいいんだって深く感じたんです、と語っていた。
 Wさんの述懐は、形は多少違っても、いろんな機会にいろんな場所から聞こえてくるものだ。
 女性たちは幾らかの自負心を交えつつ、無意識に同種の言葉を口にしていると思われる。
 しかし、彼女たちには、それが私たち男にとってどのように聞こえているかはよく理解できないだろう。
 野々村は、それらの言葉を耳にするたびに、あなたたちおとこには決して辿り着けない生命の源流があるのよ。そこに近づけるのは私たちおんなだけなの、と言われている気がする。
 そして、そう言われるたびに、俺もどこかへ行かなきゃ。おんなが決して辿り着けない、おとこしか近づくことのできないどこかへ行かなきゃ、と思ってしまうのだ。
 男性と女性は本当に異なっている。
 生まれたときから身体の一部分(しかも非常に重要な一部分)が異なっているのだから、それは当たり前といえば当たり前の話ではある。
 誕生時の重要部分の相違は時間と共にぐんぐんと両者の隔たりの幅を広げていく。
 男性と女性はどうしようもなく違う。あまりに違い過ぎているから惹かれ合うと考えた方が順当なくらいだし、「おとこもおんなも同じ人間」というのは「空も海も同じ地球」というような意味で正しいのであろう。
 誕生時から重要な部分が異なっている男女は歳月と共にみるみる“別の人間”になっていく。そして、死を迎えるとき、両者の差異は恐らく最大に達するのではないか。
 つまり、男の死に方と女の死に方は、きっと全然違うのだ。
 男女の死において最も違うものは何なのか。
 たとえば、女性たちの死は男性たちの死に比べて、どことなく見えにくい感じがある。女性の死が見えにくい理由の一つは、この世界に氾濫する死体の写真や映像(フィクションを含む)の多くが男性死体を映し出しているというのもあるだろう。
 一番の要因は戦争・殺戮(フィクションを含む)の存在だ。敵同士で殺し合って屍の山を築くのは大抵が男性で、そういう写真や映像を私たちは幼い頃からずっと見続けて成長していく。
 メディアを通して拡散する「死」も男性の方が圧倒的に数が多い。新聞の訃報欄を見ればそれは一目瞭然だ。
 そうやって日常的に触れる「人間の死」の多くが「男性の死」であるために、私たちは人の死を想起するとき当然のように死にゆく男の姿を頭に思い描くのかもしれない。
 現実には、男性とほとんど同じ数の女性が日々、死んでいるのだ。だが、どういうわけか死の苦しみや悲惨さをより多く宿しているのは男性の死のように思える。
 男の死は女の死よりずっとつらそうなのだ。
 死のつらさに男女の差があるとは思えないのに、なぜ男の死の方がつらそうに見えてしまうのだろうか。
 それは自分が同じ男で、死をイメージするときにこれまで見てきた数々の無残な男たちの死骸を思い浮かべてしまうからなのか、あるいは新聞やテレビの報道を垣間見る限り、まるで男ばかりがたくさん死んでいるように錯覚してしまうからなのか。
 それだけではないような気がする。
 男の死がつらそうに見えるのは、実際に女性よりも男性の方がつらい思いを抱えて死んでいくからではなかろうか。
 つらさというのも幸福と同じようにあくまで主観の問題である。 男の死の方が本当につらいというのは、男性と女性を比べてみれば、男性の方が自らが死ぬことについて感覚的に余計につらく感じる傾向があるということであろう。
 これは実際そうではないかと思う。
 死に関しては、男性の方が女性よりずっと怖がりだという気がする。
 一つにはいままで書いた通りで死の否定的なイメージが、男性の死によって形作られる傾向が強いせいもあるにはあるだろう。
 だがそういうことを取っ払っても、せっせと戦争をやらかして互いに殺し合いを続けているくせに、いざ死ぬという場面に至ると男性は女性よりずっと取り乱すような印象がある。
 そして、その一番の理由は、やはり男女間の生まれながらの差異にあり、死に至る時点でそれが最大に達するがゆえに、死に向かうときの姿勢が男と女では大きく違ってしまうのではないか考えられるのだ。
 男性が女性よりも死に怯えるのは、男性の方が女性よりも生命というものに対して無知なせいなのではないか。
 あなたたちおとこには決して辿り着けない生命の源流があるのよ。そこに近づけるのは私たちおんなだけなの。
 子供を生むという行為を通じて、女性は一貫してそうしたメッセージを私たち男性側に発し続けてきた。結果、生命(つまりは生と死)を知る(理解する)という点に関して男性は女性よりもずっと自信が少ない。誓えるなら、女性と死とのあいだに横たわる距離よりも男性と死とのあいだに横たわる距離の方がはるかに長いのだ。
 そして、その死と自分との距離の遠さこそが男性の恐怖の最大の要因となっているのではないか。
 
 十二月十一日月曜日。
 原稿を書いていると、ことりから電話が入った。午前中に電話してくるのは珍しいので少しばかり身構える。
 また常子の身に何か起きたのではあるまいか。机上のデジタルウォッチに目をやると、ちょうど十時になったところだった。
 亮輔一家が、年末に家族みんなでハワイに行くことにしたみたい、だとことりは言った。
 奈々子さんの伯母の容態は十二月に入ってからだいぶ持ち直し、いまは無事に退院してホノルルの自宅に戻っているらしかった。間質性の肺炎が重篤化したものの、詳細な検査の結果、肺がんが潜んでいるといった深刻な状況ではなかったらしい。
 ただすでに九十近い年齢とあっていつ何があるかも分からず、元気なうちに可愛い姪っ子(奈々子)や旦那さんたち(亮輔や亜香里)と会いたいとしきりに言い募っているのだそうだ。
 じゃあ、年末年始はきみがおかあさんの面倒を見るしかないってことだね、と野々村は言う。二カ月前に初めてこの話を聞かされたときのような大人げない反発はしないと野々村はあらかじめ決めていた。
 それでね、聞いたら、亜香里にも休みを取らせて、クリスマス前に一家でハワイに出かけるようなのよ。旅費から何から全部伯母さん持ちなんだって。それで思ったんだけど、やっぱり私がこっちでツネちゃんと年越しして、保古ちゃんを放ったらかしにするわけにもいかないし、といって保古ちゃんがわざわざ年越しに来るのも大変でしょう。
 野々村は相槌を打ってことりの次の言葉を待つ。
 ことりは、亮輔だけ先に帰って来るように頼もうかと思っているのだ、と言った。クリスマス前の出発なら一週間くらいは向こうに滞在できるわけだし、伯母さんにすれば奈々子と亜香里が一緒に年越ししてくれたらそれで本望だろうから、亮輔が早めに帰国したって問題はないはず。こっちだって病気の母親を抱えている状況は同じなんだし、とことりは言った。
 それで、おにいちゃんと年末にバトンタッチして自分はそっちに戻って、年明けは遅めに東京に行けばいいと思ってる。たとえば十日とか十五日とか。それまではおにいちゃんがツネちゃんと一緒にこの部屋で寝泊まりすればいいのよ。亜香里の学校が始まったらお店は奈々子さんが手伝いに来ることだってできるしね、とも。
 先だっては年末年始で五日間くらい戻ってくるつもりだと言ってたのが、今回は半月以上は一緒にいられそうだとのこと。野々村としては何の異存もない話だったが、すんなりことりの提案には乗らなかった。
 それは亮輔さんに申し訳ない話だよ。せっかくみんなでハワイ旅行に行って、自分だけ先に帰るなんてあんまりじゃないか。考えてみれば亮輔さん一家が家族水入らずで過ごせる年末年始はこれが最後で、来年からはおかあさんと一緒のお正月だからね。僕たちは今年さえやり過ごせば、あとは全部向こうに任せられる。だったら今回くらいはきみが一緒に年越しをしてあげればいいんじゃないかな。
 ことりはしばらく黙ったままだった。
 じゃあ、大晦日は保古ちゃんが上京してくるの。
 いまから都内のホテルを予約するのは無理だろう。それに年越しとなればホテル代もべらぼうだし、今年は別々でもいいんじゃないか。きみが戻って来られないのなら僕は取材も兼ねて一泊か二泊で近場の温泉に出かけてもいいしね、と野々村は言った。
 保古ちゃん、そんなこと一度もしたことないじゃない。
 だけど、きみのいないこの家で一人きりで新年を迎えるのは幾らなんでもね……
 ことりは何事か考えているふうで何も返してこない。普段の彼女だったら、保古ちゃん、すねてるの、くらいはすぐに言いかけてくるはずだった。
 野々村は、おやおやという気分になる。
 まあ、亮輔さんにその依頼をするのはもう少し考えてからの方がいいと思うよ。きみに帰って来て欲しいのはやまやまだけど、おかあさんの体調を考えるとさすがに独りきりにさせるのはリスクが高いでしょう。年末年始は病院だって休みだしね。かと言って、もうハワイ行きを決めてる亮輔さんに、あなただけとんぼ返りしなさいって迫るのも忍びないよ。今年は僕たちが我慢してさ、年明け亮輔さんたちが帰国したところで、きみも少し長めに戻って来ればいいんじゃない。
 野々村は言葉数を増やして、まるで渋ることりを説得するような話し方をしてみせた。
 やっぱりそれしかないのかなあ……
 しばしの間をあけて、ことりが呟くように言った。
 そのあとは、いつものようにざっとした近況を伝え合い、時間は余りないけど、さっきの件はもうちょっと考えてみなよ。おかあさんの意向だってあるからね。
 最後にそう言って、野々村は自分から電話を切ったのだった。
 スマホを置くと、パソコンのディスプレイに映し出されたままの書きかけの原稿をぼんやり眺めながら、野々村は一つため息をついた。
 丸一日は、ことりからの再度の連絡を待ってみよう、と思う。
 ただ、心象としてはグレーというよりはダークグレーという感じがした。
 いままでのことりであれば、野々村があれくらいのことを言ったところで、もう決めちゃったから、ときっぱりはねつけるはずだった。
 まして、こちらは、年末一人で温泉宿にでも出かけようかと口にしたのだ。少なくともそれをこちらが断念し、あくまでこの部屋で年越しすると確約するまでは彼女はいまの電話を切るはずがない。
 やっぱりそれしかないのかなあ……
 などとあっさり引き下がるのは明らかに普段の彼女ではなかった。
 ことりは容姿の整っている女性の大半がそうであるように非常に嫉妬深かった。美女の特性として第一に挙げられるのはそれだと長年の観察で野々村はそう見ている。
 嫉妬深いからといって諦めが悪いかというとこれはまた別だ。男切れの早い遅いは容姿とはあまり関係がない。美しくても一人の男に執着する女性はいるし、一方で、次は幾らでもいるからとあっさり裏切った男を捨ててしまう女性もたくさんいる。
 友人のイラストレーターに女優並みかそれ以上の美女と一緒になった人がいて、東京にいる頃は年に一度か二度、夫婦同士で一緒に食事をしたりしていた。
 その美人妻が、あるとき、うちはワンアウト、ゲームセットですから、と口にしたことがある。要するに旦那が一度でも浮気をしたら、そこで離婚だと彼女は言明しているわけだ。
 隣の彼に確かめると、うちはそうなんですよねー、とマジ顔で頷いていた。
 この「ワンアウト、ゲームセット」という一言に、ことりも激しく同意していたのをよく憶えている。
 ことりは付き合い始めた頃から、自分は日本でも三本の指に入る嫉妬深いおんなだから、と言い続けていた。その三本の指に入る嫉妬深い女が、そもそもこれだけ長期間にわたって旦那を一人きりにさせ、あげく年末年始も別居のままで、その旦那がいきなりのように一人で温泉宿に行くと言い始めているのに、いともたやすくそれに同意するというのは、どう考えても奇妙だった。
 佐藤さんや槙原君からメールや手紙を受け取り、野々村は、事態を何らかの形で動かさねばならないと感じていた。
 槙原君とは直接面談し、そこで彼の離婚にまつわる驚くような事実も聞かされた。
 野々村がことりの“不倫疑惑”の現場に遭遇したのは、雪ノ下さんに会うために上京したときだった。前日、不吉な夢を見た気がして、それで新宿の病院に見舞ったのだ。
 雪ノ下さんは、かつてサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を試み、彼の地で白い鳥に導かれて何とか結願を果たし、最終的には末期の肺がんを克服していた。
 そして、槙原君が離婚するきっかけとなったのは、妻の渚さんが不倫相手とそのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの道を旅したのをフェイスブックで知ったからだった。
 あり得ないような“同時性”を感じ、野々村は考え込まざるを得なかった。
 雪ノ下さんは末期がんを克服し、槙原君は長年連れ添った妻と離婚した。
 ならばこの先、野々村は一体どこへと連れて行かれるのだろうか。
 野々村を導いてくれるのは果たして白い鳥なのか。
 それとも夢の中で雪ノ下さんが口にした「真っ黒な鳥」なのだろうか。
 とりあえず、ことりが若手排優に似た青年といかなる関係にあるのかを、まずはもう少し自分自身で探ってみようと思ったのだ。そのために一番有効なのは、自分が彼女を疑うのではなく、彼女が自分をどれくらい疑うかを見定めることだ、と思いついた。
 これまでことりの不在を大なり小なり嘆いていた野々村が急に淡白になって、ことりと別々でいる方が都合がいいような態度を見せれば、指折りの嫉妬深さを自認する彼女は、たちどころに野々村へ疑いの目を向け、心のアラートを最大デシベルで鳴らすであろう。
 いままでの彼女であれば必ずそうなる。
 だが、もしも向こうにも特別な事情が生まれているとすれば、そうしたいつもの反応はなりをひそめるに違いない。
 そして現に彼女のついさきほどの反応は、まさしくそれだった。
 やっぱりそれしかないのかなあ……
 野々村が大晦日に一人で温泉宿に出かけると言っているのに、ろくに頓着したふうもなくあんなセリフを口にするなど、およそことりとは思えない態度である。
 もし今日一日待って、「やっぱりおにいちゃんに帰って来て貰うことにする」という連絡が来なければ、明日には佐藤さんに電話して面会の約束を取りつけよう。
 野々村は心にそう決めたのだった。

 結局、十一日月曜日、ことりからの再度の連絡は入らず、野々村は翌日佐藤さんに電話して約束を取りつけ、次の日の十三日水曜日に上京してC社の応接室で佐藤さんと面談したのだった。
 面談後こちらに戻ってきて、佐藤裕子さんから電話がきたのは一週間後の十二月二十日水曜日の朝だった。
 昨日の夕方、ことりちゃんと会って話してきました。結論から言うと、野々村さんの思っていたようなことじゃ全然なかったんですけど、詳しい話もあるので、今日か明日にでも大至急お目にかかれませんか。今度は私がそちらに伺いますから。
 佐藤さんがさっそく用件を切り出してくる。
 昨日、ことりと会ったということは先週の依頼からちょうど一週間だ。佐藤さんにしてはずいぶん慎重すぎるのではないか。
 先週の水曜日に、ことりの疑惑に関して調べて欲しいと依頼し、佐藤さんは今週の火曜日(昨日)にことりと会った。十三日に相談したときから、ことりちゃんに限って、そんなことあり得ないから、と彼女は野々村の疑念を笑い飛ばし、男と女だからね。何が起きても不思議はないよ、と反論すると、それはそうだけど…と言いつつも、持ち前の直感もあってか、最後まで、何か事情があって、その若い男の子とホテルで一緒にいたのよ。野々村さんの勘違いに決まっているわ、と言い続けていたのだった。
 そうした彼女の見解からして、調べるといってもまさかことりちゃんを尾行するわけにもいかないし、ここは、直接本人に会って、率直に問い質してみるのが一番かもね、と別れ際に言っていたのは当然と言えば当然だった。
 正直なところ、佐藤さんなら先週中に調べをつけて連絡してくるのではないかと予想していたのだ。まして、彼女の言の通り、直接問い質すのであれば木曜日か金曜日にはことりと会い、土日のあいだには結果を伝えてくるような気もしていた。
 だから、ほぼ一週間の間があったのは、不自然というほどではないものの、佐藤さんの日頃の反応速度からすればいささかゆっくり目という感は拭えなかった。
 それだったら、僕がいまからそっちに行くよ、と言う野々村を彼女はきっぱりと抑え、今日は私がそっちに行きます。昼の新幹線にするので三時過ぎには駅に着けると思います。さっき調べたら駅前に全日空ホテルがあるみたいですね。そこの一階のティールームで三時十五分待ち合わせでいかがでしょうか、と言った。
 それは悪いよ。こんなプライベートな相談でわざわざ来て貰うわけにはいかないよ、と野々村が言うと、彼女は、何を他人行儀なこと言ってるんですか。ことりちゃんも野々村さんが疑っていたことを知って驚いているし、困ってるんです。だから、私がすぐに会いに行ってしっかり誤解を解いてくるからって昨日約束したんですよ。というわけで、今日は私が訪ねさせて貰います。そのうえで、野々村さんも近々一度こっちに来てことりちゃんときちんと話し合って下さいね。
 佐藤さんは例によって有無を言わさぬ口調でそう言ったのである。
 
 電話を切った後、しばし物思いに耽った。
 結論から言うと、野々村さんの思っていたようなことじゃ全然なかった。
 さきほどのやりとりで、佐藤さんは最初にそう言った。
 つまり、ことりがあの日、西新宿のハイアットリージェンシーで人気若手排優によく似た青年と一緒にいたのは、野々村が思っていたような男女の絡みではなくて別の事情によるものだったというわけだ。
 じゃあ、ことりはなぜ、あの青年とあの日、あのホテルで一緒にいたのか、という当然の疑問に答えるべく、佐藤さんは昼の新幹線に乗ってわざわざこの町へ来てくれるのだ。
 ことりちゃんも野々村さんが疑っていたことを知って驚いているし、困ってるんです、と佐藤さんは言っていた。
 それはそうだろう。ことりにすれば驚天動地と言っていい。
 さて、問題はここからだった。
 「詳しい話」の中身に関しては佐藤さんから直に聞いてみないと何とも言いようがない。だが、これからの面会で佐藤さんが口にする“真相”が本物の真実なのかどうかに関しては現時点でも多少は占うことができるような気がする。
 第一に引っかかるのはやはり、佐藤さんが昨日になってようやくことりと会ったという“事実”だった。
 佐藤さんがことりと会ったのは事実だろう。そしてことりが真相を語ったというのも恐らく事実に違いない。
 しかし、問題は、佐藤さんがことりと会ったのは本当に昨日だったのか、という点だった。
 先週の水曜日、野々村は上京までしてわざわざ佐藤さんに会いに行った。もうそれだけで、察しのいい彼女は野々村の心理状態がかなり切迫したものだと理解したはずだ。
 何らかの問題が持ち込まれれば、可及的速やかに解決への道を探るのが佐藤流のはずだった。
 ことりが若い男と浮気をしているようなんだ。ついてはそれが事実かどうか調べては貰えまいか、とわざわざ会いにやってきた旧知の作家に面と向かっていきなりそんな話を振られて、さすがの佐藤さんも最初は戸惑ったふうだった。
 だが、ことりと若い男性との密会を目撃したという野々村の証言を佐藤さんが疑った気配はなかった。あの日、ホテルのロビーで撮影したスマホ写真を見せると、彼女も、たしかに、この子はことりちゃんよね、と言っていたのだ。
 だとすれば、野々村をC社の玄関で見送って自席に戻ったところで彼女ならすぐにことりに連絡を入れるのではなかろうか。
 一方、ことりはといえば本多のおかあさんと一緒に暮らしてはいても基本的に自由の身だった。
 佐藤さんにとっては、野々村の依頼を引き受けた時点で、ことりとの面会がすべてに優先するものとなっているから、ことりが日程を出してきたらそれを先延ばしする可能性はない。
 長年の付き合いで作家と担当者という関係を超えていまや親友同士と言ってもいい相手からの、しかも容易ならざる内容の相談事なのだ。万事、行動の優先順位を的確に判断できる佐藤さんであれば今回のミッションは何を差し置いても速やかに解決せねばならないと即断即決したに違いなかった。
 そうやって考えてみると、佐藤さんが昨日(十九日火曜日)になってやっとこさことりと会った、というさきほどの電話での報告は、およそ額面通りに受け取れるようなものではなかった。
 実は、佐藤さんは、この一週間のあいだに一度ならずことりと会って話し合ってきたのではないか。そんな気がした。
 恐らくは野々村を見送った後すぐに連絡し、先週のうちにことりと会ったのだろう。そして、野々村の疑念を直接ぶつけて真偽を質した。
 ことりが何と答えたかは分からないが、佐藤さんがのっけに言い放ったように、ことりちゃんに限って、そんなことあり得ない、というのが真実だったのなら、佐藤さんはことりと会ったその日のうちにこちらに結果を報告してきただろう。
 早ければ早いほど野々村は安堵するし、佐藤さん自身の面目も立つはずだ。報告を遅らせる理由は何一つない。
 それより何より野々村の疑いがまるきりお門違いのものであったのならば、ことり本人が、保古ちゃん、今日いきなり佐藤さんに呼び出されて、とんでもない話を聞かされたけど、ねえ、一体全体どうしちゃったの。私が保古ちゃんに隠れて浮気なんてしてるわけがないじゃない、と電話してくるなり、即座に当地に舞い戻って来て、自らへの謂われなき疑惑を全否定し、返す刀で野々村の邪推を厳しく追及してきたのではなかろうか。
 ことりは一見のんびり屋さんだが、実際は非常に気が強く、カチンとくると徹底的に噛みついてくる性分の持ち主だった。身に覚えのない浮気の疑いなどかけられたと知ったら、文字通り烈火のごとく激怒する可能性も十二分にあった。
 だが、現実はそうはならなかった。
 先週中にはことりと会ったはずの佐藤さんは週明け水曜日まで一切連絡を入れてくることはなく、佐藤さんと会って天から疑いの目で見られていると知ったことり自身も、今日に至るまで一切何も言ってはこなかったのだ。
 それどころか、佐藤さんの話では、ことりちゃんも野々村さんが疑っていたことを知って驚いているし、困ってるんです。だから、私がすぐに会いに行ってしっかり誤解を解いてくるからって昨日約束したんですよ、ということだった。
 しかし、これは先ほども述べたようにことりの持ち前の性格からして相当に不自然に感じられる。
 無実の罪で非難されているのであれば、佐藤さんの話を聞いてびっくりしたあとは、「困る」のではなく「怒る」というのが通常のことりの反応なのだ。
 念入りに考えを巡らせているうちに次第に佐藤さんの(加えてことりの)魂胆が読めてきたような気がした。
 ことりは、佐藤さんの突然の追及を受けて、浮気の事実を認めたのではないか。
 もちろん初めは笑い飛ばして一蹴しようとしたに違いない。だが、佐藤さんの百戦錬磨の炯眼をその場限りの嘘で目くらますのは不可能だったろう。
 鋭く突っ込まれて、彼女は浮気を認めざるを得なかった。
 もしかしたら、生来の気の強さを発揮して、佐藤さんの前で案外開き直ったのではあるまいか。
 これまで野々村に賭けてきた持ち点のすべてを回収し、その取り戻した持ち点を今度はあの青年に全部賭ける。そういう無謀な潔さのようなものをことりはもとから持ち合わせている女性だった。
 そうした相手の反応に豪腕の佐藤さんの方がたじたじとなった可能性さえある。
 かねて佐藤さんは、ことりちゃんって、パッと見だとほんわかしてて虫も殺さないようだけど、一旦こうと決めたら挺でも動かない頑固さがあるよね、と野々村に言っていた。
 まして今回は、彼女の直感を裏切って本当に別の男を作っていたのだから、子供二人の母親でもある佐藤さんからすると唖然としてしまう現実を目の当たりにした衝撃も半端なかっただろう。ことりの告白を聞いて、追及側の佐藤さんの方がむしろ動揺してしまったのかもしれない。

 どちらにしろ、今日、佐藤さんは今回の事態を穏便に収拾させるためにこの町にやって来る。
 先週から今週にかけて佐藤さんとことりは幾度か会って話し合ったのだろう。佐藤さんは、ことりに今後どうしたいのかを考えさせ、昨日までに結論を出させた。その過程では彼女なりの助言も与え、野々村と別れない方向でことりを説き伏せる努力を行ったのではないか。
 佐藤さんならば、ことりのみならず相手の青年とも直接会って談判に及ぶくらいのことはやってのけたかもしれない。
 彼女はこれまでC社で幾つものスクープを仕掛けてきているが、そういうスクープ記者(編集者)というのは裏の裏に手を突っ込む経験をたくさん積んでいる。
 そこまでやるのか……。と誰もが二の足を踏むような危ない橋を渡る無鉄砲さが、大きなスクープをものにするときは必要とされる場合もあるのだ。野々村自身も編集者時代はそうした場数を何度も踏んだくちだったから、佐藤さんのやりそうなことは大方想像がついた。
 野々村が佐藤さんだったら、ことりの恋人に会って、彼女と今後一体どうなりたいのか意思確認をするくらいのことは実行しただろう。
 ならば佐藤さんも、必要に応じてそれをやったかもしれなかった。
 たった一度とはいえ、十月九日に目撃した“ことりの彼氏”はどう見ても二十代前半だった。一方のことりはすでに四十四歳。母子と言ってもいいくらいの年齢差だ。
 二十歳以上も年上のおんなと将来を共にしようなどと考える男はいやしない。
 彼にとってはことりはただの遊び相手であろうし、一方のことりにしても最初は夫の居ぬ間に見つけた火遊びの相手くらいのものだったろう。
 だが、一度肉体関係を結んでしまうと、ことに女性の方は著しい心境の変化をきたす場合がままあるものだ。
 ことりの方がすっかりその気になって、青年の方は滅多にないような年上の美女との情事に熱を上げつつも、徐々に重荷になってきていたのではないか。
 あまりにも凡庸な見方ではあるが、男女の恋愛が時間とともに辿っていくコースは驚くほどパターン化しているのも事実だった。
 恋愛の結末というのは次の三つしかない。
 @結婚
 A破綻
 B心中
 ゴールが三個しかないのだから、そこに至るコースが限られてくるのは当然と言えば当然の話なのである。
 私がすぐに会いに行ってしっかり誤解を解いてくるからって昨日約束したんですよ、という佐藤さんの先程の口吻からすると、ことりとの何度かのやりとりの末、佐藤さんは事態の収拾に関してことりの一任を取り付けたのだろう。
 そして、これらのセリフから読み取れるのは、今回のことりの過ちをなかったことにして、彼女は、ことりには、自分がうまく野々村さんを丸め込んでくるから任せてちょうだい。そのかわり、ことりちゃんはいまの男とはきっぱり縁を切って野々村さんのもとへ戻るのよ、という結論で両者(ことりと佐藤さん)が合意に達したのではないか、ということだった。
 
 ことりと佐藤さんが出した結論をそのまますんなり受け入れるか否か、そこは野々村の腹次第である。
 浮気をした(かもしれない)ことりを許し、見なかったことにしてこれまで通りの二人の暮らしを続けていくのか。
 それとも佐藤さんに詰め寄り、話の端々に滲むであろう矛盾点や挙措動作のぎこちなさの一々を衝いて是が非でも真実を聞き出し、そうやってことりの裏切りを確認した上で、野々村はことりとの別離を選ぶのか。
 結局、この間題の肝腎要の部分は、すでにして野々村自身が彼女と別れることができるかどうかという一点に絞られているのだった。
 その意味では、ことりの裏切りの真偽はもはやどうでもいいと言うことさえできる。
 野々村は、どんな理由があったにせよ、ことりと別れて果たして生きていくことができるだろうか。
 正直な話、これまで一度もことりと別れるなどと思ったことがなかった。万が一、自分たちが別れる羽目になるとすれば、野々村に好きな女性が現われたときだけで、仮にそういうことが起きたとしても本当にことりと別れて新しい恋人と一緒になれるかと想像すると、それは甚だ難しいという気がしていた。
 たとえ一時的にことりと別れても、束の間の別離をきっかけにその後ずっとことりと離れ離れに過ごし、やがて彼女のことをすっかり忘れてしまえるなどとは到底思えなかったのだ。
 それどころか、自らの身勝手で別れたのだとすれば、そうやってひとりにさせてしまった姿を思い浮かべるだけで、もう矢も楯もたまらず彼女のもとへと飛んで帰るだろうと想像がついた。
 だが、結局のところはその種のうぬぼれた想定しかしてこなかったわけで、まさか今回のようにことりの方が別に好きな男を見つけて、自分たちの関係が危殆に瀕するなどとは夢にも思ってこなかったのだ。
 もしも、ことりと別れると決めたとき、その後の自分たちは一体どうやって別れるのだろうか。
 具体的に少し考えてみよう。
 佐藤さんの周旋もあって、ことりはとりあえず野々村のもとへ戻る道を選択した。だからこそ今日、佐藤さんはここにやって来る。野々村の疑いが根も葉もないものだと宣言し、まことしやかな別の理由であの日、二人がホテルにいたという説明を開陳するのだ。
 その説明をひっくり返して、ことりへの疑いを確信へと深め、もう彼女とは一緒に暮らさないと野々村が決めたとすると、当然のことながらことりはこのまま本多のおかあさんのところに留まり、こちらへは二度と戻らないという展開となるだろう。
 要するに「裏切ったおんなには金輪際この家の敷居は跨がせない」というわけだ。
 そうなると、彼女に残された道は限られる。一つは野々村と別れて実家の世話になるという道。いま一つは、一度は別れようと決めた現在の恋人とよりを戻して新しい人生に踏み出すという道。とりあえず二つのどちらかだ。
 実家の世話になるといっても、亮輔一家と母親との同居は無理だから、ことりは別に部屋を借りて独り暮らしを始めるしかないだろう。そうなれば経済的に彼女は相当厳しい状況におかれるはずだ。猫を引き取った場合はなおさらだ。
 また、現在の恋人とよりを戻し、新しい人生を踏み出したとしても親子ほどの年齢差のある二人の暮らしが果たしてうまくいくのかどうか。これもあやしい。
 いずれにしても、野々村から突き放されればことりは大きな困難を抱えることになることは間違いない。
 
 野々村は三十八歳のときに中学生になったばかりの新平を捨てて家を飛び出したが、出奔の際に持って出たのは日頃使っていた仕事カバンと書き溜めた小説のデータが入った数枚のフロッピーディスクだけだった。
 りくとの壮絶な夫婦喧嘩をきっかけに深夜、衝動的に家出し、最寄りの駅から最終電車に乗って都心へと舞い戻った。どこにも行くあてはなく、その夜は会社の仮眠室に泊まった。
 翌日からは神田の安ホテルに部屋を借り、そこに二週間ほど滞在したあと池袋のウイークリーマンションに移った。ウイークリーマンションには半月ほど住んだが、へそくりも次第に底を突き始め、前にも書いたが月々の給与はりくの通帳に振り込まれて野々村には一銭も入らないことから、一カ月が過ぎた時点で、今後の生活をどうするべきか本気で決断する必要に迫られた。
 選択肢は二つ。りくと新平のもとへ帰るか、それとも一人で生きていく道を取るかだった。
 たとえ帰っても早晩、同じことが起きるのは分かりきっていた。もっとひどいことになる可能性も充分にあった。野々村は独りになる道を選ぶと決めて、残りの貯金をはたいて池袋から一駅の場所にあるワンルームマンションを借りたのだった。
 入居と同時にりくに手紙を送り、毎月十五万円だけ野々村の通帳に振り込んでくれるように依頼して独居生活をスタートさせた。
 部屋は六畳ほどの広さで小さなクローゼットと電気コンロ一口のミニキッチン、それにバストイレ共同のユニットバスが付いていた。近くの古道具屋で小型冷蔵庫、寝具、テーブルなどを調達し、新調したのはカーテンだけ。炊事道具一式は同僚のS君がプレゼントしてくれた。
 この小さな部屋で一年を費やして、のちにデビュー作となる千二百枚の長編小説を執筆した。入居間もなくから不眠症に陥り、小説でも書いて気持ちを紛らわせないと、残してきた新平のことが心配で夜を越えられなくなったのだ。
 こんな暮らしが長続きしないことは野々村自身にもよく分かっていた。何が起きるかは分からないものの、早晩自分の人生は破綻するだろうと思っていた。
 そうなる前にせめて一作くらいちゃんとした小説を書き残しておきたかったのだ。
 そして案の定、第一稿を書き終えた直後に、野々村はその部屋でパニック発作を起こしたのである。
 振り返ってみても、もうあんな生活を繰り返すことは到底できない。三十八歳というのは決して若くはなかったが、今にして思えば、まだまだ若くもあった。
 誰かに同じような経験を強いるのも絶対に嫌だった。
 まして二十年の歳月を共にし、さんざんに迷惑をかけてきたことりにあのような思いを味わわせるのは願い下げだ。たとえどんな理由があったとしてもそれだけはできない。
 自分と別れ、恋人とも別れてしまえば、当時の自分同様にことりには誰一人頼れる人間はいなくなる。
 さほど親密でもない常子や亮輔たちではいかんともしがたいし、といって他に力を借りられる友人知人のたぐいも彼女には皆無なのだ。
 ことりと別れるというのは、文字通り、世間の荒波の中にたった一人で彼女を放り出すようなものだった。
 自分にそんな阿漕な真似ができるとは思えない。
 翻って、そうやって偉そうにうそぶいている野々村自身の方は一体どうなるだろうか。
 真っ先に浮かぶ不安は、眠ることだった。
 池袋の外れでの独居生活の時代に罹った不眠症は完全には治っていなかった。二十年を経た現在でも、野々村はことりがそばにいてくれないとうまく眠れない。
 この半年ほどの別居期間はどうにかやり過ごしているが、それにしたって一晩中部屋の照明を最大にして眠っているのだ。夜間に明かりを落として寝入るのは無理だった。当然睡眠は浅くなり、熟睡はできていない。
 一度きりわずか半年のことだと思っているから辛抱しているのだが、これが今後も常態化すると考えると、もうそれだけであっという間に自分の睡眠状態はガタガタになってしまうような気がする。
 では、天涯孤独に近いことりと違って野々村には独り暮らしを支えてくれる仲間がいるのだろうか。思い浮かぶのはやはり佐藤さんや槙原君の顔だったが、これだけ遠方だと彼らといえども野々村を見守る術はない。それこそ深夜にパニック発作に襲われて必死で助けを求めたとしても、二人が部屋に駆けつけてくれるのは早くて数時間後だろう。
 その間に私は恐怖に負けて自らいのちを絶っている危険性があった。
 思えば、真理子さんを失った日南田さんはよくぞいままで生き長らえてきたものだ。彼のこうむった苦しみは想像に余りあるものだが、鬱病にもパニック障害にもならずに日南田さんはその一歩手前で何とか踏みとどまった。死んだ真理子さんが恐らくは助けてくれたのだろうし、彼自身の持つ本来の生命力が人生の破綻を寸前で食い止めてくれたのだろう。
 だが、もしもことりとこんな形で生き別れになってしまえば、当然彼女からの支援は期待できず、加えて野々村にはパニック障害の既往歴があり、その点からして日南田さんほどの生命力が備わっていないことも十二分に証明されている。
 つらつら考えていくに、野々村とことりが別れるとなればことりも重大な局面を迎えるが、それ以上に野々村の危機は半端ない気がした。
 ことり抜きで生きていくのはほぼ不可能ではなかろうか。
 友人のイラストレーターの美人妻は、夫が一度でも浮気したら「ワンアウト、ゲームセット」と言ったが、その譬えを拝借するなら、野々村にとってはことりを失うことが「ワンアウト」であり、それによって野々村の人生は字義通り「ゲームセット」となってしまうのではないか……。
 二十年前、十五歳も年齢差のあることりと是が非でも一緒になろうと思ったのは、小説を書き続けるためだった。パニック障害を抱える身としては誰かがそばにいてくれないとおちおち執筆もできないし、多少の無理をすることさえためらってしまう。
 だから、相手選びで何よりも重要だったのは、絶対に自分より先に死なないパートナーであるという点だった。
 妻を失ったときのかなしみに、自分の心は耐えられないと考えたのだ。
 その思いはいまも変わらないし、本日ただ今ことりを病気や事放で万々が一失うようなことがあれば、野々村はパニック発作を始終繰り返していた苦悶のあの時期に再び逆戻りさせられてしまのは必定と思われた。
 死別ではなく、今回のような形で生き分かれたとしても、結果は似たようなものかもしれない。少なくもそのリスクは確実に存在するだろう。
 
 佐藤さんの奔走の甲斐あってか、ことりは戻ってくると決めたようだ。これがもしもそうではなく、佐藤さんの説得をはねつけて新しい男との暮らしを選び取ると決断されていたら万事休すだったのは野々村の方だった。
 それゆえに、野々村は十月に例の密会現場を目撃しながらも二カ月以上のあいだ本人に確かめることも佐藤さんに探索を依頼することもしなかった。要するに、下手に事実をほじくり返して、ことりに去られるという最悪の事態を招来する愚をどうしても避けたかったのだ。
 佐藤さんがやって来る今の今に至って、ようやくそのことが自分の中で鮮明に浮き彫りになったような気がした。
 彼女に問題解決を丸ごと委ねるという計画には、つまりは、ことりが野々村から離れていかないように上手く事態を収めて欲しいという佐藤さんへの密かで強い期待が込められていたというわけだ。
 俺もつくづく老け込んだものだ、と野々村は痛切に感じないわけにはいかなかった。
 もしかしたら他の男に身を任せたかもしれない女房と引き続き暮らしていくなど、若い頃の自分であれば決してしない判断であったろう。
 だが現在は、一度の浮気くらいで二十年間の夫婦生活のすべてをご破算にしてしまうのが正しいのかどうか、はなはだ疑問に思えるのだ。
 ことりの裏切りは、いまだ確定した事実とまでは言えなかった。
 疑いは濃厚ではあるが、佐藤さんは、野々村の猜疑が勘違いであることを“証明する”ためにこれからやって来る。
 彼女の言葉に疑問を差し挟んだり、異議を唱えたりせずに、なんだ、そういうことだったんだ、と自分さえ納得してみせれば、今回の問題はすべて雲散霧消してしまう。
 ことりの裏切りはなかったことになり、かねての予定通り、来年二月に彼女は我が家に戻ってくる。年末年始には一時帰宅し、正月支度もしっかりと整えて、いつもと変わることなく新しい年を二人で迎えるのだ。
 何もかもが丸くおさまり、野々村は、これからも大して売れない小説をこつこつと書き続けていくだろう。
 そうやって歳を重ね、最期はことりに看取られてこの世を去る。もはや野々村にはそんな生き方しか残されていない。
 結局はそういうことなのであろうか。
 
 駅前の全日空ホテルのティーラウンジで、向かい合ってコーヒーを飲みながら、佐藤さんの話を聞いた。
 十月九日は、『戦野行動』というオンラインゲームの愛好者たちが一堂に会する大きな集会があって、その会場が新宿ハイアットリージエンシーの宴会場だったんです、と佐藤さんは言言った。
 ことりちゃんも同じチームを組んでいる仲間に誘われて顔を出したみたいで、野々村さんが目撃した青年っていうのは安西君という名前で、彼女が参加しているチームのリーダーなんだそうです。あの日は、新宿駅の西口で待ち合わせて一緒に会場に向かったって言っていました。もちろん、その待ち合わせをしたときが彼とは初対面だったそうです。
 野々村が、センヤコウドウって、と訊くと、佐藤さんは自分のスマホをバッグから取り出し、画面をしばらくいじってディスプレーをこちらに差し向け、『戦野行動』、オンラインゲームで、いま世界中で大人気らしいんです、と言った。
 野々村も自分のスマホを取り出し、「戦野行動」と打ち込む。同じウィキペディアの記事がすぐに見つかった。
 『戦野行動』(せんやこうどう)は中国企業が開発運営するTPSバトルロイヤルゲームで、約100人のプレイヤーが無人島に降り立ち、最後の1人になるまで戦闘を繰り広げるオンラインゲーム。基本プレイは無料で、アイテム課金が存在する。2017年3月にリリースされ全世界で登録者数が3億人を突破している、とある。
 ゲームの内容に関しては別項でさらに詳しい説明も付されていたが、野々村はオンラインゲームなどやったこともないし、まるきりちんぷんかんぷんだ。
 佐藤さんは、当日ハイアットリージェンシーで本当にそんな集会が開かれたのかをことりを目の前にして、その場でハイアットの宴会係に電話して確認したそうだ。確かに、十月九日にセンチュリールームという大きな宴会場でゲーム会社主催の『戦野行動SHIBUYA決戦リリース記念イベント』というイベントが開かれていたのは間違いないそうだ。
 当日は抽選で当たった五百人のユーザーのほかにも有名なユーチューバーやオンラインゲーマーも参加して、東京新マップでの遊び方を体験したり、『戦野行動』のコスプレイヤーとの撮影会があったりしたってことりちゃんが言っていました、と佐藤さんは言った。
 じゃあ、ことりはその抽選に応募して当選したってわけだね。一緒に行った安西君という青年もそうなの、と訊くと、佐藤さんは、ことりちゃんの参加しているチームは『戦野行動』をやっているチームの中でも日本でトップテンに入るような強いチームらしくて、チームリーダーの安西君はゲストの一人としてイベントに招待されたそうです、と言った。
 そして、そのときチーム仲間と一緒に会場で撮ったスマホ写真も何校か見せて貰ったので、ことりちゃんの話に嘘はないと思います。昨日、彼女からは野々村さんにも写真を見せて欲しいって言われたんですけど、私がいいよって言ったんです。証拠写真なんて見せなくたって私がしっかり説明すれば必ず誤解を解いてくれるからって話しておきました、とも言った。
 確かに、十月九日の件をいきなり持ち出されたことりが、その場でそのような説明を行い、当日のイベントの存在が事実だと確認できたのだとすれば、佐藤さんがことりの言葉を信じたのは当然と言っていいだろう。
 もちろんことりと安西という名前の青年がイベント参加だけで終わらなかった可能性もあるにはあるし、二人が初対面だったという話にも証拠があるわけではない。
 しかし、野々村の目撃談を直接ぶつけたあと、驚きを隠せないままに事情説明を行うことりの様子や物言いをつぶさに観察した上で、佐藤さんが彼女の言い分を信じたのだとすれば、その潔白はほぼ間違いのないところだろうと野々村も思う。
 ただ、問題なのは、佐藤さんがいま私に話してくれた“真相”が、ことりと二人ででっちあげた真っ赤な嘘だったとすれば、すべてはひっくり返ってしまうということだった。
 野々村は、念のために、だけど、ことりは何でそんなゲームにはまったんだろう、と訊いてみる。
 東京でおかあさんと一緒に暮らすようになって凄いストレスだったようです。それで、ストレス解消のためにちょっとだけと思って手を出したら、昔みたいにはまって抜けられなくなったってことりちゃんは言っていました、と佐藤さんは言った。
 それは、いかにもありそうな気がした。
 彼女は、高校時代にコンピュータゲームに熱中して学業がおろそかになり、そのせいで受験勉強に身が入らず、結果、受験した四大すべてに落ちて、やむなくエスカレーター式に上がれる系列の短大に進学したという苦い過去の持ち主だった。その話は付き合って間がない頃に本人からも聞いたし、兄の亮輔からも詳しく聞いたことがあった。
 受験に失敗して、もう二度とゲームはやらないって心に誓ったの。そのかわり必死でバイトしてお金を貯めて、短大二年の春にアパートを借りて実家を出たのよ。
 不仲の母親と一つ屋根の下で暮らすのが耐えられなくなってゲームの世界に逃げ込んでしまった、というのがゲーム中毒になった一番の理由だとことりは話していた。
 実際、野々村と暮らしてきたこの二十年間、ことりはゲームには一切手を出そうとしなかった。もしも、この説明が二人の創作だとしたら、かなりうまく練られた話だと思う。
 さすがに佐藤さんが一枚噛んでいるだけはある、と野々村は妙な感心の仕方をしていた。
 佐藤さんの挙措動作に違和感があるかといえば、そこもよくは判じ取れなかった。
 それよりも、佐藤さんがいま醸し出している雰囲気から汲み取れるのは、ありきたりの言葉で表現するならば、彼女の人間としての誠意のようなものだった。
 彼女は混ざりっ気のない純粋な公共心の発露として、野々村という作家が苦境に立つことのないように懸命に計らってくれようとしている。
 先ほどからそんな気がしていた。
 ことりが安西という青年と関係していようがいまいが、野々村は、この佐藤裕子の希望している通りの未来を選択しなくてはならないのではないか。それが結局は、野々村にとって最も不安の少ない、恵みの多い未来なのではなかろうか。
 そういう気も強くするのだった。
 
 野々村はとある作品(註:『翼』2011年6月25日刊)の中で、自分のことを一番よく知っている他人の死は、限りなく自分自身の死に近いと書いたことがあった。
 「自分のことを最も深く理解できるのは決して自分自身とは限らない。だとすると自分という人間を最大限に把握している別の人がいて、もしもその人が消滅すれば、『自分というデータ』のまさに中枢部分が失われることになる。それは自分自身の死よりもさらに“致命的な死”とは言えないだろうか」と記し、登場人物の一人に、次のように語らせていた。
 「そう考えると、俺たちは他人の心の中に自分という手紙を配って歩く配達人にすぎないのかもしれんなあ。配達人が郵便受けに差し込む手紙の中身を知らないように、俺たちも自分がどんな人間なのかちっとも知らずに、それをまるごと人に預けてるだけなのかもしれん。」
 さらに、この本作の中でも、A社に勤務していた頃の上司で、その後社長にまで登り詰めたS氏の「お別れの会」での出来事に触れて、会社時代も決して深い付き合いをしたわけではないものの、自分はS氏という人物をいつもしっかり見据えていて、それは自分に対するS氏の目線も同じで、なぜそんなことが起こり得るかと言えば、「S氏と自分は、お互いを見たときにぴたりとピントの合う双眼鏡をふたりして持ち合わせていた」からだと記した。続けて以下のように自分は書いた。
 「私たちの首には生まれながらに一台の双眼鏡が掛けられていて、私たちはそれを使って周囲の人々の心を覗き込む。この双眼鏡は非常に使い勝手が悪く、たいがいの像はピンボケのままなのだが、ある特定の人物に対してだけは、なぜか一瞬でピントが合って、相手の奥深い部分まできれいに映し出してくれる。自分にとってのS氏、S氏にとっての自分はそういう特定の存在だったのではないか。」
 要するに、佐藤さんや槙原君というのは、野々村にとって双眼鏡のピントがぴたりと合う相手であり、それは彼らにとっての野々村も同様で、さらに大仰な物言いを許されるならば、彼らは「自分という人間を最大限に把握している別の人」つまりは「『自分というデータ』のまさに中枢部分」だと考えることもできるわけだ。
 だとするならば、野々村というデータの今後の展開に於いても、その「別の人」に進むべき道筋を委ねた方が安全だとの理屈が充分に成り立つというものだろう。
 佐藤さんという人は、性別は異なるものの初対面のときの印象からして自分と非常に似通った資質の持ち主であり、必然的に彼女は、自分という人間を把握するための能力もふんだんに持ち合わせていた。
 そのあたりは長年の付き合いで互いに確認し続けてきたし、頻繁にやりとりをしなくとも彼女が何をどう考えているかが自分に分かるように、彼女もまた野々村の思惑というものを相当の確率で読み取ることができるのだった。
 その佐藤さんが、今回のことりの案件について、いま彼女が口にした“真相”を野々村が素直に受け入れることを慫慂している以上、彼女の敷いたそのレールに乗っかるのが一番正しいのは確かであろう。
 こうして思い出してみれば、ハイアットリージェンシーホテル近くの舗道で見かけ、あとをつけた折の二人の様子はいかにもカップル然としていたし、ホテルのロビーでトイレにでも行って戻ってきたことりを出迎えた青年の笑顔は、いましがた新宿駅の西口で顔合わせをしたばかりの相手に振る舞うようなものではおよそなかった気もする。
 佐藤さんがことりと会うまで一週間を要した点についても依然疑問は残る。よほどそこを質してみようかと思ったがやめにしておいた。たとえ訊いたところで佐藤さんが真実を言うとは限らず、よんどころない事情(たとえば身内の不幸や子供の急病)でことりへの連絡自体が遅れたのだと説明されれば野々村としてはそれ以上の突っ込みようがないのだから。
 つまりはそうしたもろもろの疑念は記憶から削除し、野々村は、佐藤さんの話を真に受けて、ことりへの不信感を本日ただ今限りで我が脳味噌の中から追い払わなくてはならないというわけだ。
 
 佐藤さんの話によれば、こっちに戻ってきたら野々村に間違いなくスマホを取り上げられて『戦野行動』ができなくなると思うとそれが怖かった、ということらしい。
 野々村は、しかし母親との同居のストレスがゲーム中毒の原因なら、まずはそのストレス源から離れるのが先決だろう、と言ったが、佐藤さんは、理屈ではよく分かっているようなんですけど、いまこの瞬間のゲームとの訣別が苦し過ぎてできなかったようなんです。でも、野々村さんに見られていたのを今回初めて知って、それで目が覚めたって言っていました。もうゲームからは完全に足を洗うそうです、と佐藤さんは言った。
 まあ、こっちに戻って来たら自然と足は洗えると思うけどね、と言い、野々村は、ことりに伝言しておいてくれないかな、と少し身を乗り出した。
 さきほどの説明を野々村が是としたと分かって、彼女の表情も柔らかくなっている。
 無理やり止めなくても、あんまり気にしなくていいし、帰ってしばらくは目くじらを立てたりしないつもりだって。それより、僕も一度、その『戦野行動』をやってみたいんで年末に帰って来たときにやり方をぜひ教えて欲しいと言ってたって伝えておいてよ。
 佐藤さんは大きく頷き、分かりました。今日、これから東京に戻ったらさっそくことりちゃんに電話で伝えます、と言った。
 
 新幹線の改札口の前で佐藤さんと別れた。時刻は午後四時過ぎ。一時間足らず話をしただけで、彼女は急いで東京へと帰って行ったのだった。
 平日とはいえクリスマス直前とあってか駅の構内は人々でごった返していた。人混みに身を置くのは何よりも苦手なので、急ぎ足で駅裏の駐車場に向かう。
 車に乗り込んでホッと一息ついた。運転席に腰を落ち着け、上着のポケットからスマホを抜いた。ラインを確認する。ことりからの連絡は入っていなかった。一昨日まではいつも通り、午前中か夕方にラインが届いていたのだが、昨日からはなしのつぶてだった。
 そもそも佐藤さんと食事をする、という事前の連絡も彼女からは来なかった。
 普段のことりであれば、その約束が決まったところで伝えてきたはずだった。
 そういう点からしても、佐藤さんが昨日になってようやくことりと話したというのはやはり、野々村にはいささか信憑性に欠けるのだった。
 佐藤さんと会って以降、ラインが来ないのはまあ当然ではあろう。あらぬ疑いをかけられて、ことりも今後の成り行きを固唾を飲んで見守るしかない状況になっているのだから、佐藤さんからの結果報告が届くまではラインどころの話ではあるまい。
 スマホをしまって車を発進させる。
 常子と二十数年振りに一緒に暮らすことになって激しいストレスを感じ、それを紛らわせるためにことりは高校時代さながらゲーム中毒になってしまったという佐藤さんの説明は果たして事実なのか。
 あの青年は、オンラインゲームのイベントに参加した単なるゲーム仲間の一人に過ぎない、という言い分は果たして本当なのか。
 野々村には確信が持てないが、ただ、今日、佐藤さんの話を聞いてみて、この説明であれば、ことりを信じることはできる、と感じた。
 たとえ嘘だったとしても、騙され甲斐のある上手な嘘をついてくれたものだ、という思いもあった。
 駅から幹線道路を五分も走っていると周囲の風景は賑やかな駅前とは様相を一変させる。とびとびで全国チェーンのファミレスやファストフード店、パチンコホール、大型のディスカウントショップなどが建っているほかは低い家並みが延々連なる典型的な郊外地の情景が立ち現れてくるのだ。
 みるみる日は傾き、二十分も走った頃にはフロントガラス越しの景色はもう薄暗くなっていた。
 なんとなくこのまま家に戻るのが億劫だった。
 大きな父差点で一度左折した。マンションに戻るには右に曲がらなくてはいけないので反対の進路を取ったことになる。
 最近とんと無沙汰にしている「芽が実のパン屋」がある野方原市方面だった。
 片側二車線の道路は、帰宅ラッシュには少し早いせいか車の数も少なかった。
 ことりをひとりぼっちにしてしまったのが間違いだった、とふと思った。
 もとから折り合いの悪い常子との同居など、たとえ半年限定でもことりには無理な相談だったのだ。それを十分に知っていながら、野々村は彼女の東京行きを認めてしまった。
 野々村の死んだあと、友人知人のいないことりが頼れるのは肉親の他にいない。そう考えると常子との関係を少しでも改善しておくのは必須だ。
 そんなふうに自分にも言い聞かせてことりを送り出したのだが、結果的には、大きく裏目に出てしまった。
 こんなことならいっそ猫たちを連れてみんなで東京に引っ越してしまえばよかった。
 さすれば常子を我が家に引き取り、少なくともことりと二人きりにさせずに済んだだろう。
 ことりには誠に申し訳ないことをしてしまった。
 自分がいなくなったあとの彼女の行く末をいつも案じ、実り薄い我が人生で唯一得られたものはことりとの長々とした時間だけだと身に沁みて感じていたにも拘わらず、特段の事情が生まれたとはいえ、その肝腎のことりを手放すという迂闊なミスを犯してしまった。
 ことりがいなくても半年くらいであれば書いていられる。そうした安直な油断の覿面の報いが今回の出来事だったのではないか。要するに、野々村はいつの間にか小説を書くという仕事を甘く見るようになっていたのだ。
 こちらに移り住むきっかけとなったのは、渾身の力を籠めて書いた前作が何の評価も反響もないままに葬り去られてしまったことだった。思わぬ結末に野々村は愕然とし、嘆き、怒り、マジで絶望した。
 そして野々村はその瞬間に不思議な高のくくり方をしたのである。作品のレベルを上げずに、読者に迎合するようなものを書くだけでいいのであれば、それこそ鼻くそをほじりながらだって何千枚でも書ける。だったら金のかからない田舎町にでも引っ込んで、大好きなことりと暢気に暮らしながらさらさらと水でも流すように気楽に書いていけばいいじゃないか……。
 若い頃に、毎日笑って暮らすなんてテキトーな人生ならば鼻くそをほじりながらだってやすやすとこなせる、と図に乗っていたそれと全く同じ倣慢さで、野々村は自分自身や自らの人生というものをすっかり舐めきってしまっていたのだ。
 結果、書き続けるために何よりも大切なものを、どこかへ持って行かれるところだった。
 つくづく思う。小説を侮るとろくなことはない。
 振り返ってみれば、自分はそういう小さく見えて実は巨大な失敗をこれまでも繰り返してきたような気がする。しかも、自分でも内心よく分かっていながら、それらの致命的な失敗からいつもいつも目を逸らし続けてきた。
 S氏の遺作となった句集をあの日、会場のホテルで受け取ってもよかったのではないか。
 S氏は、こんなものは読まなくていいよ、野々村君、と言ったが、あれはS氏特有の韜晦に過ぎず、本当は作家になった野々村の感想が彼は知りたかったのではなかろうか。
 弁護士のMさんの奥さんだった彩花さんはいま何をしているのだろう。一人娘の夏目ちゃんは何歳になったのだろう。
 そもそも親子ほども年齢の違うMさんと彩花さんが結婚に至ったのは、二人が共に私の作品の愛読者だったからだった。そういう意味では、彼らの結婚に野々村は大きな責任を持っているとも言えるのだ。にもかかわらず、Mさんの一周忌の後、野々村はただの一度も彩花さん母子に連絡を入れていなかった。
 作家デビューするまでの一番苦しかった二年間を支えてくれた同期のA君や他の面々ともすっかり疎遠になっている。A君とでさえいまや年賀状のやりとりすらないのだ。彼が会社で何をし、どんな苦労を背負い込んでいるのか何一つ知らない。
 日南田さんとも一年以上、音信不通だった。日南田さんは目下、地下アイドルに熱中しているらしい。いまや全国の地下アイドルを追いかけて、月の半分以上は地方のコンサートやイベントに足を運んでいるんだそうですよ、とは先日、電話をかけてきた山下君の話だった。
 永尾さんの原稿を突き返した後、どうして自分から連絡をして、長編を書くようにともっと強く勧めなかったのだろうか。駆け出しの頃から世話になり、編集のいろはを問わず語りに教えてくれた永尾さんは仕事上の恩人とも呼べる人だった。
 それなのに自分忙しいことを口実に、業界を去った彼への関心を急速に失くしてしまったのだ。
 同様に雪ノ下さんの入院を健彦君からの連絡で知ったときも、最初は見舞いに行くつもりなどなかった。
 西新宿のT医大病院を訪ねたのは、前日の早朝に雪ノ下さんが出てくる不気味な夢を見たからだった。夢の中で彼は、何千羽の鳥に襲われる夢を見たんだ。真っ黒な鳥だった、と言った。
 そしてその見舞いを終えて新宿駅へと歩いているときに、野々村は偶然にもことりと若い青年が一緒にホテルに入って行くのを目撃したのである。
 「真っ黒な鳥」が一体何を意味していたかは、その瞬間にはっきりと分かった。
 それはそうだろう。「鳥」を思い浮かべて真っ先にピンとくるのは、鳥好きだった父親が思いを込めて名付けた「ことり」に決まっている。
 雪ノ下さんが夢を使ってまで私を西新宿に招き寄せたのは、このことりの姿を見せるためだったに違いない、と思った。そしてさらに、ということは、たとえことりに怪しい気配があったとしても、それ以上のことは未然に防ぐことができるというわけか……。
 帰りの新幹線の中であれこれ思いを巡らした末に、野々村はそう結論したのだった。
 なぜなら、雪ノ下さんとの面談から、「黒い鳥」(黒いことり)がそこまで不吉なものではないというはっきりとした感触を得ていたからだった。
 野々村が以降も比較的冷静にこの問題に対処できたのは、まさしくその感触のおかげだったとも言える。
 何のことはない。野々村という人間は今回も不義理続きの雪ノ下さんに助けられたようなものだったのである。
 
 野方原市に入ったあたりから雪が降り始めた。
 師走になってすぐ、みぞれに近い雪が一度降ったが、どうやら今冬初の積雪となる気配だ。
 ことりが待ちに待っていた雪だった。
 桜好きなことりは、花見の季節になると桜の名所を巡り歩いて写真を撮るのを常としているのだが、この地にやって来てからは、雪が積もるたびに外に出て雪景色をカメラに収めるのを非常なる愉しみとしていた。
 積もったらすぐに呼び戻してやらなくては……。
 本多のおかあさんには申し訳ないが、そろそろことりを取り返そうと思う。
 菊川の実家の改築は二月竣工だという。そこまでことりをあちらに置いておくのは、状況がこうなった以上は無理というものだった。
 年末に一度帰ってきた時点でそういう話をするつもりでいたが、いっそ、この雪を理由に呼び戻して、それきりにしてしまおうか。
 年明けからの常子の面倒は兄の亮輔に引き受けてもらうしかあるまい。
 
 一週間ほど前にスタッドレスタイヤに履き替えたので雪道走行に不安はなかったが、突然の雪で目や神経に疲れを感じた。
 意味もなく野方原まで足を伸ばしただけだから、そろそろ引き返した方がよさそうだ。時刻を確かめるといつの間にか五時半を回っていた。もう一時間近く走っている計算だ。
 どこかの駐車場を利用してUターンをしようと付近に目を配ると、大きなスーパーを通り過ぎた先の左手に明かりの灯った小さな店舗と駐車場があるのが見えた。
 「芽が実のパン屋」だった。しかし、あのパン屋はいつも午後三時までで、こんな時間に店を開けていることはないはずだ。パン屋の駐車場に車を乗り入れて、外に出る。
 十数台はとめられる駐車スペースに他の車はなかった。
 大粒の雪が降りしきっている。トランクから傘を出そうかと迷ったが、そのまま店に向かうことにする。
 確かにまだ営業中のようだ。ガラス扉の向こうには白い服を着た男性が一人いるだけだった。彼はレジスターを置いたカウンターの奥に立ち、背後の棚には食パンが並んでいる。
 扉を開けて店内に足を踏み入れる。棚の方を向いていた彼がカウンター越しにこちらに身体を回す。
 二十代前半くらいに見える若い男だった。背が高くて痩せている。見覚えはないが、かといって初めて見る顔というわけでもなさそうだった。
 いらっしやいませ、と甘めの整った顔とはややアンバランスな低い声が返ってきた。
 まだ営業してるんですか、と訊くと、特別に七時までやっています、今日でこの店は閉店なんで、と彼は言った。
 あの繁盛していた店がもう閉店とはどうしたのだろう。どうして、と訊くと、もともと年内いっぱいの予定で始めた仮設店舗でしたから、と彼は言った。
 じゃあ、どこか別の場所で再開するんでしょうか、と訊くと、本部の判断で、とりあえず本格進出は見送ることに決まったんです。まことに申し訳ありません。
 そう言って彼は軽く頭を下げた。
 野々村は、後ろの棚に十本近く食パン並んでいる食パンに目をやる。
 一本八百円もする食パンだが、これが食べ納めだと思うと一本では足りないような気がした。二本買った。彼は背中を向けて棚から食パンを二本取って大きなトレーに載せ、棚の横の作業台で袋詰めを始めた。
 その細い後ろ姿を見て、ようやく彼が誰だか分かった気がした。あの日、西新宿のハイアットリージェンシーでことりと一緒にいた安西という名前の青年だ。
 まさか本人のはずもないが、しかし、凄くよく似ている。
 安西君が笑顔になって食パン二本の入った紙袋をレジカウンターに載せた。勘定を支払ってその大きな紙袋を受け取る。
 店員さんはバイトなんですか。
 何気ない口調で訊いてみる。
 いえ、僕は本部の人間なんです。店を畳むので、この一週間、大阪から来て最後の販売を手伝っていました。
 そうなんですか。じゃあ、また大阪に帰るんですね。
 そうですね。明後日には戻る予定です。
 レジカウンターを挟んで間近で顔を見ると、当然ではあるが、やはりあの安西という青年とは別人のようだった。
 ありがとうございます。引き続きご愛顧のほど何卒よろしくお願い申し上げます、と言う彼に、ふと思いついて最後に訊ねてみる。
 ところで、このパン屋さんはどうして芽が実という名前になったんですか。
 本部の職員だという彼なら店名の由来くらい知っているだろう。
 芽が実というのは当て字で、いわゆる女神さまの女神からいただいている名前なんです。というのもうちのオーナーは実はスペイン人でして、サンティアゴ・デ・コンポステーラというキリスト教徒の巡礼地として有名な町の生まれなんです。
 あそこは、たしか聖ヤコブの遺骸が祀られている町でしたよね。
 そうです。よくご存じですね。
 青年が感心したような顔つきになった。
 でも、聖ヤコブは女神ではないですよね。
 そうなんですけれど、サンティアゴ・デ・コンポステーラの町で聖ヤコブの亡骸が発見されたのは、女神さまの掲げる星の導きがあったからなんだそうです。それにちなんでオーナーが芽が実という名前を付けたと聞いています。
 そうなんですかあ。
 背筋にいささか冷たいものを感じながら、じゃあ、失礼します、と安西君によく似た青年に別れを告げて店の外に出た。
 雪はしっかりと降り続いている。
 駐車場にはいまも野々村の車が一台とまっているきりだった。
 車のそばまで来たところで空を見上げた。
 顔面に大きな雪片が何枚も降りかかってくる。
 ポケットからアイフォーンを取り出し、電話帳でことりの番号を選ぶ。彼女が佐藤さんからの報告を受ける前に、こちらからその内容を伝えておいた方がいいだろう。発信ボタンを押して、電話機を耳にあてがった。
 呼び出し音が鳴り始める。それを聞きながら再び空を見上げた。
 雪ノ下さんが遠いスペインの地で導かれたという白い鳥の姿を、私も目を凝らして、暗い雪空の中に探ってみる。
 
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