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青山透子『日航123便 異物は真相を語る』(新書版)
    (河出書房新社 2023.8.10刊)

 なお、本書は、「はじめに」に続き、本編は第一章、第二章、第三章、第四章、から構成されている。
 第一章 | 第二章 | 第三章 | 第四章 |


第二章 焼死体が訴えていることは何か

 火災現場での違和感

 人は、自分が飛ぶことができない空を悠々と飛ぶ巨大な金属の塊である飛行機が、何か特別なものであるかのごとく錯覚を持つ。
 医師たちの報告書も警察の調査資料も報道も、大きな勘違いをしていたのは「ジェット燃料」という言葉の持つ錯覚である。ジェット燃料がすごいからあのような炭と化した、と思い込んだ本や記述に、著者は疑問を持った。それがこの日航機事故問題を解明しようと思った始まりである。
 同じように疑問を持った警察医との交流が生まれ、資料を精査していくにつれ、その疑惑が深まっていった。火災で灯油を被り焼け焦げた人を多数見てきた医師の持った大きな疑問が、著者を真相究明に向かわせたのである。
 最初の著作『天空の星たちへ』(『疑惑のはじまり』と改題再刊)で地元の消防団の方に取材した際に聞いた「朝まで燃えていたところがあった」、「現場では灯油ではなく、ガソリンとタールの臭いが充満していいた」、「生存者を助けたのは私たちであって、自衛隊員はなぜか山から下りてきた」といった証言に私は大きな疑問を持った。
 墜落現場の上野村村長や村民が、ジャンボ機は自分の村に落ちた、と認識しているにもかかわらず、一晩中墜落現場不明とした報道は何だったのだろうということから「故意に不明として、一晩中山頂で何かを燃やしていたのではないか」、「ガソリンとタールの臭いで朝まで燃える成分を持つ燃料はジェット燃料ではなく、火炎放射器という武器に使用される燃料である。その使用の可能性は考えられないか」と問題を前著『墜落の新事実』で提起した。しかしながらこの手の話には否定がつきものであり、信じられないと語る人は多い。素人の見解はその程度であり、何の役にも立たない。




 そこで著者は、刑事事件を主とする弁護士や裁判官、警察医といったプロの人たちに、炭化した遺体の写真を見てもらうことにした。その中でも、数多い裁判記録の中で非常に共通点を感じたのは恵庭OL殺人事件である。異常に炭化しすぎた遺体現場に弁護士が疑問を持ち、豚に灯油を何度もかけた丸焼きで実験し、遺体の状況と比較をして、灯油十リットルでここまで燃えない、ということで菟罪の可能性を訴えている。
 この事件にずっとかかわってきた弁護士や、再審請求を支持した日弁連の方々、凄惨な現場で焼死体を何度も検死してきた警察医の方や燃焼の専門家の大学教授などに日航123便の遺体写真を見せて意見を伺い、専門家による調査を行った。
 著者の手元には弁護士の先生方の名刺だけでも五十枚は軽く超えた。特に灯油を何度も被った焼死体を千体も見てきた警察医の見解は貴重だ。例えば、表と裏をひっくり返して焼いたがごとく、頭の先から足の先まで全身がすべてムラなく炭化している遺体があった。 
 しかし、いくら全身に燃料を被ったとしても、夏山の夕立のある湿った地面に接していた裏側の部分と表の部分では焼け具合に違いがあるのが通常である。夏服に燃料が浸みたとしても服のある部分と素肌の部分と焼け具合にムラが出て当然である。しかしながら、すべてがすっぽりときれいに炭化しているのはおかしい、というような疑問がいくつも出てきた。米国内の学術書や学術論文に航空機燃料のケロシンで焼けた遺体写真も掲載されており、そのうちの何冊かを比較してみた。しかしながら、その写真と日航123便の写真では、明らかに違いが出ている。
 つまり、全体にムラのない炭化、というのはかなり特異な状態であった。
 こういう遺体状況や専門家の見解は、事故調査報告書には書かれていない。むしろ遺体については最小限しか言及していないのである。なぜ事故調査委員会はこの重大な問題を避けたのだろうか。
 さて、いち早く現場に入った地元消防団と警察関係者が三十三年前に撮影した写真には、朝まで煙っていた事故現場や早朝まで激しく燃えていた炎なども写っている。これは前著でインタビューをした際、朝まで燃えていた箇所があった、煙が充満してまだ火が燻っていた、という証言と一致する。
 朝まで燻り、炎まで上がっている現場状況、消防団の臭いや目撃証言を総合的に見ていくと、遺体状況の比較を加味して考えれば、ケロシンではそこまでならない。ジェット燃料のケロシンは、不時着や突発的事態によって燃料を空中に捨て去ることも多いため引火点も低く、極めて安全性が高い。
 日航123便の場合、国内線であったことからも、残りの燃料は一時間半分だけである。また、上野村の住民が、大きな飛行機がくるくると回っている状況を「燃料でも捨てているのではないだろうか」と言いながら見ている。
 もしかすると、不時着に備えて高浜機長は燃料を減らしていた可能性も否定できない。そうなるとその量はさらに減少する。また、夏の山は多湿の土や濡れた葉っぱ、木々の茂った湿度が高い環境であって、その中で十時間以上も燃え続けたということに対して説明はつかない。山火事を経験している消防団でも、乾燥している冬山ならまだしも、夏ではそうならないと疑問に思っていたことである。
 燃料に持続性や粘着性があって、薄着の肉体に炎がついたとしても、服に引火したとしても、付着してそこが焼け落ちるまで燃え続けるものと言えば、武器燃料しかない、というのが前著の結論であった。
 こういう現場から、そうなってしまった原因が何か、という視点から見ていくことで見えてきたことであるから、「あり得ない」とか「信じられない」という思考を超えて、私たちは冷静に考えていかなければならないのである。

 炭化した遺体やドロドロに溶けた機体の残骸と現場に山から下ってきた自衛隊員
 さて、私たちは真実を見つめるうえでどうしても欠かせないものを見ておかなければならない。吉備さんも歯科医師の福子氏もそれを見ていたからこそ、真実が知りたいのである。
 新聞記事では掲載されなかったその先に何が見えるのかをしっかりと見てほしい。ジェット燃料によって燃えたから黒焦げになったとか、山肌に激突したから遺体がバラバラになったといった軽々しい言葉で表現してほしくない。黒い塊がいくつもあるのが、これが遺体の一部である。この写真は他の航空機事故の遺体と比較してみても、非常に違和感のある状態で、これほどまでにちぎれた上に、炭状の固まりとなって、しかもカリカリ状態に二度焼かれているものが他にあるのだろうか。

 早速、米国の医学用の学術書で確認をしてみたが、ケロシンで焼けた遺体は火傷の状態であり、このような遺体はほとんど見当たらない。二百六十四名が死亡した、名古屋空港における中華航空の航空機事故で遺体を検死した医師からも直接開いてみたが、火傷で黒くなっても、ここまで千切れたものや、炭状の状況はまれにしかみられないものであることがわかった。
 この身元不明の遺体写真の中で、歯が確認されたものについては福子氏らが歯型から確認作業を行ったのだが、それ以外は身元不明として合同で茶毘に付した。この状況を知らない遺族は、身元確認が遅いという苛立ちで怒りがこみ上げて医師に大声を上げたそうであるが、この状況を知った遺族は、壮絶な遺体の状態に絶句したそうである。
 他にも著者の手元には、人の形を最小限にとどめてカリカリに真っ黒になって、少し触ればぼろぼろと落ちてきそうな身元不明だった遺体の写真もある。
 これを「ケロシンだからだろう」と簡単な一言で終わりにしようとするならば、それは大きな間違いである。もう一度確認するが、遺体の裏側、つまり反対側まで表と同じように燃えているということは、その遺体をひっくり返すか、または燃焼促進剤のようなものが付着してずっと燃え続けない限りそのようにならない。つまり、湿った土に触れている部分まではきれいに焼けないのである。これは肉を調理する際に、ひっくり返して反対側を焼くことを思い出す必要がある。鉄板上とは異なり、遺体があったのは土の上であってどのようにしたら裏まで焼けるのか、考えてみればわかることである。この現場は、連日の夕立で湿った土で、また鉄板のように下から熱が伝わってくる環境ではない。その土の上に横たわった遺体の反対側まで、体の厚みも加味して考えれば、たとえ、さらにケロシンを継ぎ足したとしても、ひっくり返して焼かない限り、全体が炭化することはない。
 山頂付近では、遺体が落下したところに沿って焼損が著しい。逆に言えば、山頂付近でも遺体のないところは燃えていない。そして一晩中、ヘリコプターが山頂付近にて旋回し、物の上げ下げをしている様子が村民に目撃されている。一方、山から下って沢の山林の中深くに落ちた遺体は焼けておらず、そこに生存者がいた。早朝川沿いに歩き、生存者がいた沢から現場に入った消防団、警察関係者はすでに山頂から下りてくる自衛隊員を目撃している。
 消防団から提供を受けた八月十三日早朝に撮影された現場写真には、山から下りてくる紺色の上下服と白いヘルメットをかぶった関係者の姿が写っている。沢から入った人たちより早く山に入り、下りてきた関係者がいる、それをどう考えるのか。この事実を「知る」ということ以外に真実は明らかにならないのだ。なお、写真はこれだけにとどまらない。
 遺体の尊厳を守って事態と真撃に向き合い、これらを直視して深く考えなければ真実は出てこないのである。

 消えた機長の制服
 遺体が炭化した操縦士の服はそのままであったことから、機長の制服だけが跡形もなく焼損することは考えにくくなる。とすると機長の制服だけが消えてしまったことになる。
 あの時、機内では墜落を悟った乗客たちはそれぞれ遺書を書いていた。胸ポケットに忍ばせたり、社用の封筒に書き残したり、時刻表に書いたり、様々であった。
 もし、機長だけがなんらかの事実を知り、それを書き記していたとしたらと考えてみても、必死の操縦で機体をたてなおしていた最中に遺書のようなものを書き残すことは不可能に近い。
 あくまでも想像の範囲だが、一つの可能性として考えられることは、機長の制服の中に「何かがある」ことを恐れた人が、墜落後に回収したのではないだろうかということだ。つまり、副操縦士や航空機関士とは全く関係がないが、機長だけが「知った」何か、である。そして万が一、それが表に出ては困ると考えた人がいるのではないだろうか、としか制服の行方がわからない理由が思い当たらないのである。

 最大の証拠物・後部圧力隔壁は現場でいち早く自衛隊員の手で五分割されていた
 機長の制服が跡形もなく消えたこと、事故歴のあると、機長が自衛隊出身のパイロットであったという組み合わせ、当該飛行機が一九七八年の日航機墜落しりもち事故機であったこと、さらにはその事故機の担当検査官であった運輸省東京航空局羽田駐在航空機検査官長の自殺(S.Tさん五十七歳。事故からおよそ一年半後の一九八七年三月十七日に自宅浴室で殺虫剤を飲んで自殺。亡くなる一週間前から群馬県警特捜本部による事情聴取を受けていた)、これらは偶然なのだろうか。
 まず日時は八月十二日、明日からお盆休みという午後で、蒸した夏の気だるい空気であっても、誰もが休日前のどこかそわそわした気分であった。
 日航123便に異変が起きたのは夕刻の18時24分、夕焼けに染められた日が傾きかけて夜へと向かう時刻であり、昼間ではない時間帯である。伊豆稲取海上を飛行中に垂直尾翼が吹き飛び、残骸の一部が海上に浮かんでいるのを、海上自衛隊護衛艦「まつゆき」が翌十三日夕刻に回収した。拾った位置は三崎港灯台沖西南西十五キロ海上で、その時、「まつゆき」の試験運行中であった。
 突然「後部圧力隔壁が吹き飛んだことによる急減圧発生で垂直尾翼の破壊が生じたことが有力説である」という記事が出たのは、八月十六日(金曜日)の毎日新聞朝刊であり、この時はまだボイスレコーダーもフライトレコーダーも解析していない。
 同時にこのJA8119号機が七年前の一九七八年にしりもち事故を起こして隔壁部分の修理を行った機体であるという報道が出た。
 この二つの報道を重ねてみれば、誰もが「やっぱりそうか」と納得してしまう要素を含んでいる。つまり詳細に調べていないにもかかわらず、なんとなく違和感もなく、すんなりと記事を読んでしまう。もしかすると、これが狙いだったのではないだろうか。
 その時上野村では、日米の運輸安全委員会合同捜査がまだ始まる前である。
 さらに先に現地に入った事故調査委員会によるコメント記事では、後部圧力隔壁はほぼ完全な状態で見つかったが、自衛隊員が最大の証拠物をエンジンカッターで五分割にバラバラに切ってすでに重ねていたと報道されている。エンジンカッターで切った際、切った部分以外にその微振動で亀裂も多数生じたのである。次の日の日米事故調査の後に切るならばともかく、生存者もいない現場にもかかわらず、遺体収容のためというのが理由であるが、なにも後部圧力隔壁から先に切らなくてもよいはずだ。
 さらにその切った場所が、修理ミスと言われている部分に隣接しているのだから、それをどうとらえればいいのか。これは、事件現場がまったく保存されていなかった、それを誰もできなかった、ということが最大の問題である。
 まとめると、修理の事故歴のある飛行機が飛行中の夕刻から夜にかかる時間に突発的事態が発生した。その前日の八月十一日まで防衛庁発表では、国産ミサイルの開発研究で洋上訓練を行っており、護衛艦「まつゆき」も試験運転の最中というのは紛れもない事実である。これらをつなぎ合わせて考えてみると、何が見えてくるのだろうか。
 試運転中に国産ミサイル開発の誘導プログラムのデータ取りが必要であったとすれば、何かあった場合の保険として、飛行機に事故歴のあることが絶対の必要条件であったのではないだろうか。そして、民間出身のパイロットではなく、自衛隊出身のパイロットならばもみ消せるかもしれないという点が十分条件とすれば、両者が揃うことが必要十分条件であると言える。さらに、万が一の場合も考えると、日中よりも夕刻から夜にかけての暗さが好都合であった、とも考えられる。なお、このJAL123号機に高浜機長が乗務するというスケジュールが決定するのは通常なら一月前である。ただし、機長にスタンバイが入ると変更が生じる可能性もある。この123便において、佐々木副操縦士の機長昇格実技審査が行われることになったので、そのチェックを行う高浜機長のスケジュールはよほどのことがない限り変更されない。
 ここで「計画」が立てやすくなる。このように考えると、ありえない話ではない。
 さらに「赤い飛行機のような物体」を目撃していた人々の証言、ファントム二機による日航機追尾の目撃情報も重ねると、一本の筋道が見えてくる。


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