第一章

日航123便事件発生から三十五年目の今年。 正月気分も抜けきらぬままに、テレビ画面に飛び込んできた映像は、バラバラに細かく飛び散った飛行機と人間の無残な姿であった。本物の炸薬入り地対空ミサイルに撃墜されると、巨大な物体も人もこのような有様になると映像が無言で語りかけていた。 二〇二〇年一月八日にイランの首都テヘランを飛び立ったウクライナ航空752便が、離陸直後にイラン軍(革命防衛隊)の地対空ミサイルで撃墜されるという痛ましい事件が発生して、イランの自国民八十二人、カナダ人六十三人を含む乗客乗員百七十六名が犠牲となった。彼らの命が軍隊の誤射で失われた事実は永遠に覚えておかなければならない。このミサイル誤射事件は私たちに、実際にこういうことが起こりうることを再認識させてくれたのである。 今ならば衛星やレーダー、一般人による動画録画によって、政府の偽りの発表を見破ることは可能だろう。誰もが携帯電話を持ち、誰もが簡単に即席のスクープ記者になれることは、ネット社会の大きな成果である。これらがあったからこそ、イラン政府が誤射を認めて犠牲者への追悼と謝罪に至ったのだ。 もし、三十五年前にこの技術があったなら、〈あの日〉に起きたいまいましいことは瞬時に明るみに出て、あらゆる人々が正義の力を結集して、政府の嘘も簡単に暴かれただろう。 そして、気の遠くなるほど無駄な時間を費やすことなどなかった。 今年の年頭にイランの軍隊が自国を飛び立った民間の飛行機を誤射して墜落させたことも、私たちにこうした「事件」があり得ないことはないと教えてくれた。 そして私たちは騙されていたのだ。 二〇一九年十一月、私は、日航機墜落から二日後に書かれたある公文書を発見した。そこには「日航機墜落事件」と書かれていたのである。 発信元は外務省である。日付は一九八五年八月十四日。まだ事故調査委員会の調査すら始まっていない時期のことであり、当然のことながら、当事者の日本航空も米国ボーイング社も、全く何が起きたのかもわかっていない。その時点で外務省では公文書に「事件」と書いていたのである。 そしてこの「事件」は、あまりにも幼稚な方法によって故意的に「事故」とすり替えられていった。後から思えば「あれはおかしい」と思うことは多々あったはずである。 それにもかかわらず、あっという間に事故と信じ込み、騙された私たちはどの段階で真実を見失っていったのか・・・。 その文字が書かれていたのは、米レーガン大統領から中曽根首相宛の手紙である。手紙の上部に「日航機墜落事件に関するレーガン大統領発中曽根総理あて 見舞いの書簡 8/14 在京米大より接到」と手書き文字が見える。外務省職員によるとみられるものだが、それだけになお一層「事件」に真実味を感じさせるものだ。
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