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青山透子『日航123便 圧力隔壁をくつがえす
                    (河出書房新社 2020.7.20刊)

 本書は、第一章、第二章、第三章、終章、から構成されている。
| 第一章 | 第二章 | 第三章 | 終章 |

第二章 異常外力着力点

 隠されてきた公文書
 圧力隔壁破損の修理ミスが原因ならば事故であって、墜落の二日後に外務省がわざわざ事件と書かない。事件と書かれていたということは、明らかに犯罪性を帯びた出来事が発生した、ということになる。
 それでは、それがいつ、どこで何が発生したのか。それが明確に書かれた公文書が見つかった。
 実はこれも、昨年から今も続いているボイスレコーダーなどの情報開示請求の裁判準備の過程で、私が書類を精査し、三十五年間を遡ってもう一度チェックしていた際に、偶然発見したものである。今までの執筆の過程で見落としたとも思えないが、見た記憶がないページが含まれていたのである。
 そのページについて語る前に、注意すべき点がある。事故調査報告書のあらゆるところに潜む、隠された都合の良い論理に惑わされないようにしなければならない。淡々と事実を客観的に読み取る能力が不可欠となる。その能力と理解力には個人差や情報量の多寡もあるため、わかりやすく解説をしながら検証していきたい。
 最初に、昭和六十二年六月十九日に公表された 『日航123便の事故調査報告書』は、本文と付図を合わせて三百四十三ページもある膨大なものだったが、その中に数々のヒントが隠されていたことがわかってきた。私が特に注目したのが、DFDR(Digital Flight Data Recoder)、つまりデジタルの飛行データ記録装置が示した数値であり、その中でも特に次の点だ。
 ○前後方向加速度(LNGG)
 時間 18時24分35・70秒 異常事態発生前後と比べて約0・047G突出 約11トンの前向き外力が作用したもの
 ○横方向加速度(LATG)
 時間 18時24分35・73秒から35・98秒間 横方向加速度に最初の有意な変化が見られる
 
 前後方向加速度が示した時間は異常発生時刻で、ボイスレコーダーに「ドーン」という大きな音が録音された時刻18時24分35秒と同じであり、機長、副操縦士らの声が極度に緊張したと数値が示す「精神緊張度の高まり」の時、18時24分35〜42秒で「スコーク77」と発した時間と重なる。
 航空機の運動数値解析によれば、「異常事態発生前は、DFDR記録値とよく一致しているが、18時24分35秒以降の高度、速度、迎角、ピッチ角の計算値は、記録値との間に大きなズレが生じはじめる。このことから異常外力が発生したと考えなければDFDR記録値の説明が出来ないことがわかった」とある。
 ここからわかる通り、データは異常外力の発生を記している。
 数値解析した結果からは、18時24分35・70秒頃発生の前向きの異常外力(最大約11トン)、及び36・60秒にピークをもつ下向きの異常外力が抽出された。さらに「横向きの異常外力についてはDFDR記録からは推定できなかった」と結論づけている。
 この事政調査報告書からわかる点は次の通りである。
 フライトデータの記録から、異常外力の発生がなければ数値に整合性がつかない、ということは、「異常外力が存在した」ということになる。
 その発生時間は、ちょうど相模湾を飛行中の伊豆半島南部の東岸上空で、爆発音が記録された時間だ。さらに「横向きの異常外力の存在は認められても、それが何かは推定出来なかった」という内容の文章が一行あるのみである。
 つまり、「異常外力」の部分は、全く調査しなかったように読み取れる。
 この異常外力発生の現場となった相模湾には、実際に垂直尾翼の破片が多数浮遊し、その残骸を揚収した場所が二十八か所以上もあると示されている。いずれも垂直尾翼周辺の破片ばかりである。
 そして今になって、事件を決定づける「異常外力」について記された一枚が、膨大な書類の間からこっそりと出てきたのである。

 異常外力の正体
 前述した 『報告書(本体、付図)』の『別冊』として、『航空事故調査報告書付録――JA8119に関する試験研究資料』(運輸省航空事故調査委員会作成、以下、『事故調査報告書別冊』あるいは『別冊』と略す)というのがある。これはあくまでも付録として構成されており、12のテーマごとに「付録」と章分けされた研究書である。
 この『別冊』について運輸安全委員会に直接問い合わせたところ、次のような返答を得た。
 運輸安全委員会は二〇〇八年(平成二〇年)十月に、航空・鉄道事故調査委員会と海難審判庁の事故原因究明機能を統合させ国土交通省の外局として発足した組織だが、この時に国土交通省からこれらの報告書が移管されたという。さらに『別冊』として付録類がホームページにアップされたのは二〇一三年二月とのことである。その際、追加や書き込みはないはずで、一回でアップされたという。ただ、二〇〇八年以前がどういう状態だったのか、なぜ二〇一三年までアップされなかったのかは不明、とのことであった。
 なお、専門家が語る公文書の不可思議な特性として、膨大な資料の中に時折気付かないうちに追加されることもあるとのことだったが、実際に外務省の公文書で私はそれを体験した。
 私は、昨年の十一月十九日にこの別冊の中から決定的な図表を見つけたのだが、実は外務省の「事件」と善かれた公文書も同日、発見した。ちょうど情報公開請求用の資料を整理していた時であり、二〇一九年十一月十九日の私の手帳に、「外交文書、思わぬ発見、事件と書いてあった」と記している。実は、昨年の十一月は、不思議な出会いの連続となった月であったが、それについては終章に記したい。
 さて、この『別冊』に話を戻すと、これが最初に出された一九八七年時の報告書とともに同時に公開されていれば、事件の原因が明瞭になったはずであり、圧力隔壁破壊は、誰もがおかしいと納得できたはずである。逆にいえば、意図的に隠された公文書となる。
 『別冊』全体は各研究テーマごとに構成されており、それぞれの分野の専門家に執筆を依頼しているため、文体も内容もつながりがなく、バラバラの印象を受ける。それは恐らく、与えられた材料と基礎データ部分だけをもとにして書かれたからだろう。さらに、決められた結論へ導かなければならないため、担当した研究者たちがかなり苦心した痕跡が随所にみられる。つまり、無理やり結論に持っていかざるを得ない部分と、どうしても客観的データがそれを示していない、というジレンマである。結局のところ、「(望むような)結論にはいたらなかった」としながらも、「(もしも)こうだとすれば推定される」という結論が書かれている。これが特に博士論文であれば、論文審査が絶対に通らない書き方となる。当然のことながら書いた本人もそのお粗末さは十分にわかっていたはずである。
 そこで私は、このように各専門家が担当の章ごとに、苦悩の末に書いた推定の結論部分はすべて黒塗りとし、与えられたデータと基礎データのみを抽出した。これは予断をもって判断しないためである。すると、今まで隠蔽のベールに包まれていた真相が逆にくつきりと見え出したのであった。その中で、私の目に留まったのは次の図10である。
 


図10 異常外力着力点の場所

 この図10は、前述した一九八七年(昭和六十二年)の報告書ではたった一文しかふれてなかった「異常外力」について、わかりやすく図解している。これは、『別冊』内の「付録6 DFDRに基づく事故機の飛行状況及び飛行経路について」という章に出てくる図だ。その中の「1 異常事態発生前後の状況」という項目で論じられている。航空機飛行状況をすべて記録しているフライトデータに基づき、異常事態発生の前後を比較して書かれたものだ。
 
 図10には、異常外力の水平成分(LNGF:Longitudinal Forceの略)と、異常外力の垂直成分(VRTF:Vertical Forceの略)の着力点が明確に示されている。
 「1−2 運動の数値解析」の項目で、この図について「異常外力LNGF(水平成分)、VRTF(垂直成分)の着力点は、付録6の付図−1に記した」と書いてある。したがって、垂直尾翼の黒い丸印の部分に、異常な外力が着力したということだ。
 異常−正常のフライトでは考えられない突発的異常事態の力
 外力−外部から加わる力。外部とは大気、つまり空を飛行中に加わった力
 着力−その場所にやってきて着いた力、その着地点
 これらの力が、垂直尾翼の中央部の黒い丸印の地点で発生した。
 これらはフライトデータをもとにして異常発生の前後を計算しており、これほど道理がはっきりしていてわかりやすいことはない。

 「異常外力着力点」、ここからすべてが始まった。
 正常な通常の飛行の最中、突如として異常な外力が垂直尾翼の「黒丸部分」に着力(着弾)して、その部分から崩壊がはじまった、ということだ。
 たとえ、今まで出ていた結論の後部圧力隔壁破壊修理ミスが原因、という主張を退けずに譲歩したとしても、それよりも前に、この「異常外力着力点」が事の発端であったことは間違いない。
 もし、隔壁破壊も生じたとしても、それは直接の事故原因ではない。
 あらゆるデータが示しているこの異常外力の存在は否定できないのである。しかも、垂直尾翼先端ではなく、黒い丸印が示す通り、尾翼中央の胴体部分に近いところであり、ここに外からの力が加わった、という事実は消せない。だから『別冊』で、その存在を書かざるをえなかった。
 この図10では、尾部破壊前後における機体重量、重心位置、慣性能率、加速度計やセンサーの取付位置も示している。斜線は、欠損部分である。異常事態発生直後、計算の諸元である「事象」いわゆる異常事態が発生する前と後で、どのように飛行機の重心位置(CGと明記:the Center of Gravityの略)が移動したかも明記している。
 そしてこの 『別冊』には「18時24分35・64秒ごろに前向きに、また、36・16秒ないし36・28秒ごろに下向きに、それぞれ異常な外力が作用したことが確からしく考えられる」として書かれている。この「確からしく考えられる」とは、苦肉の表現なのか、変な日本語である。
 さらに研究資料として、異常外力が無いと仮定した場合と比較検討して考える必要があるとし、再びデータをもとにして、着力が無い場合も計算している。
 その結論には、「明らかに18時24分36秒以後に気圧高度、真対気速度、迎え角、ピッチ角の計算値と記録値との間に不一致が生じ始める」と書かれている。つまり、LNGGの計算値は36・70秒から記録値との明らかな不一致が生じはじめ、VRTG(噴流反力の垂直成分のこと)も36・28秒から明らかに不一致であり、これらの事実から「(異常外力の発生時刻が18時)24分36・31秒ないし36・75秒の多くのスロットに修復可能なエラーが発生した」と書いている。最後に「これらの時刻に垂直尾翼取付け部に近い胴体上部に強い衝撃が加えられたことを示唆している」と結んでいる。
 それでもなお、垂直尾翼の破壊は後部圧力隔壁破損による内圧から生じたと二段階で分けて考えるのが「妥当と思われる」とも書いてあった。恐らくこの研究者は、「異常外力があった、でも結論は違う」ということで、科学的データを前にして整合性が取れないため、これ以上書きようがなかったのだろう。
 さて、この異常外力の着力が垂直尾翼を崩壊させた、ということを補強する図があるので検証していく。これも同じく、DFDR(Digital Flight Data Recorder)による飛行データの解析結果と残骸調査から、尾部と尾翼の欠損状況を把握して、破壊後の形状を導きだした図11である。
 


図11 垂直尾翼の破壊場所と面積

 破壊前の形状をVT10とし、便宜上垂直尾翼全損の形状をVT00としているが、実際に「30分を超える飛行を持続した事実に照らしてVT00はあり得ない形状と判断し解析は行わなかった」
 と述べている。つまり、欠損形状はVT05か、またはVT03と仮定して数学モデルの数値計算によって事故機の運動と比較検討を重ねている。
 その結果、尾翼の破壊後の形状は、VT05によって代表されることが明らかになったとある。
 図12は、計算に用いた諸元をわかりやすく解説した図(「付録6」付図1)である。飛行にとって重要なウエイト&バランス(安全に飛行するための航空機重量および専心位置)の重心の位置が、異常外力の着力によってずれたことを示している。
 APU(補助動力装置)と書いてある最尾部とその周辺が、いまだに相模湾で沈んでいる部分である。その上にある垂直尾翼の斜線部分が欠損場所を表す。ちょうど黒丸に記された異常外力着力点の位置から欠損が始まっている。欠損形状を比較するために欠損部分(VT05)を下の図12−2で示した。数値計算で導き出された垂直尾翼斜線部分の欠損状況と、外力着力による欠損部分が一致する。
 なお、わかりやすいように後部圧力隔壁の位置も破線で示した。L5とは、左側5番目、最後尾のドアとなる。この反対側のR5(右側5番目ドア)が壊れたとの情報が伝わっていたが、実際は壊れていなかった。図12−3は、異常外力の着力点部分を拡大したものである。
 


図12 「事故調査報告書別冊」をもとに作成した解説図

 いままで言われている後部圧力隔壁破損説では、「その隔壁から漏れ出た空気が、垂直尾翼上部に吹き上げられて、その圧力が垂直尾翼先端に吹き溜まりのようにたまって破裂、つまり内圧で破壊された」とある。たとえそうだとしても、それは直接的原因ではなく、この『別冊』に書かれているデータを読み解けば、「外力着力によって黒丸印のところから垂直尾翼が破壊された」となる。結果として、直接の原因は、異常外力着力点からの破壊であることをこれらは証明しているのである。
 つぎに、従来の墜落原因とされてきた後部圧力隔壁の内部について補足説明をしておきたい。
 


上図は日本航空整備マニュアルより、下図は「事故調査報告書別冊」より

 日本航空整備マニュアルより入手した図13−1は、お椀型の部分が後部圧力隔壁(注)で、そこから尾部にかけての内部構造が見て取れる。当然のことだが、空洞ではなく幾重にも桁など尾部支材やAPUの防火壁等が入っている。
 図13−2に示したこの防火壁は火災の延焼を防ぐ目的で、横ビームと呼ばれる桁とサポートストラットという桁が網の目状に構造化されて全体が防火用の壁で覆われている。
 事故調査委員会によれば、客室内から流出した空気圧は後部圧力隔壁も破壊し、そのまま威力を保ち、この防火壁をも破壊したことになる。それも、わずか0・1秒以下の時間で瞬時に突き破った、とされている。それだけではない。その空気圧が今度は垂直尾翼のてっぺんに上り詰めて垂直尾翼先端を吹き飛ばした、というのが結論である。
 つまり、組み重なった桁の障害物にぶつかり、垂直尾翼や後部圧力隔壁と防火壁という、頑強な二つの隔壁を破った空気圧が、客室内や天井裏(『事故調報告書』より)から流出した、となる。
 それであれば、生存者が最後尾に座っていたことと、全く辻棲が合わない。それが図14と図15である。
 


上図は上毛新聞より、下図は「事故調査報告書解説」より

 図14のように、生存者の座席の位置は、最後尾周辺に集中している。特に当時、多くの人々の記憶に残った川上慶子さんは最後尾の列である。圧力隔壁の前にあるトイレを挟んだその座席は、乗客の中で最も後部圧力隔壁に近い位置だが、彼女は、頑強な垂直尾翼を吹き飛ばすほどの急減圧による空気圧の影響は全く受けなかった。現実に吹き飛ばされたわけでもなく、耳鼻咽喉もダメージを受けず、他の生存者を含めてみても、誰も鼓膜すら破れていない。
 図15は、二〇一一年に公表された『事故調査報告書解説書』から、客室内を突風が突き抜けて内側から垂直尾翼を破壊したという図に、垂直尾翼の部分を付け足したものである。
 見ての通り、客室内の天井裏部分、機体外板と天井の間を突風が吹き、それが航空機で最も強固な垂直尾翼先端まで、客室内空気圧が上昇していって破壊した、ということだ。さらにそのパワーは尾部APU防火壁をも破壊した。
 この図は飛行機後部や垂直尾翼内を空洞のように書いているが、実際には先ほど解説をした通り(図13・l)いくつもの桁が通っており、支柱と空気はぶつかり合って速度もエネルギーもそがれていく。それにしても、生存者を含めた乗客たちは、平然とこの図の椅子の部分に座っていた事実をどう説明するのだろうか。
 このように、図15の開口部分に向けた空気の流れと比べてみれば、生存者の座席に突風が吹き荒れていなければ整合性が保てないのである。
 何よりもその前に、垂直尾翼は外力によって破壊されていたのである。
 
 それでも、「いいや、違う、内圧で垂直尾翼が吹き飛んだ」という結論を信じたい人がいるのであれば、次の研究資料の説明をする。『別冊』の「付録2 垂直尾翼破壊の解析のための試験研究」という実験から、面白いことがわかってくる。なお、これもまた別の専門家が書いたようで、他の記述と整合性が取れていない。この資料を書いた人は、先ほどの異常外力着力点の存在そのものを知らなかったのか、故意に無視したのかはわからないが、それには全く触れていない。
 だからこそ、つぎのような文章から始まるのである。
 「本事故においては、後部圧力隔壁の破壊によって流出した客室与圧空気の一部が垂直尾翼内に流れ込み、これにより生じた過度の内圧がアプト・トルクボックス構造を破壊した可能性が高いと考えられる。
 このため、垂直尾翼構造の内圧に対する破壊強度の計算を行うとともに、これを補完するための垂直尾翼部分構造内圧破壊試験及びファスナ破壊試験を実施して、垂直尾翼の内圧による破壊の可能性及び破壊順序の検討を行った」
 つまり、垂直尾翼が内圧によって破壊される実験だけを行っている。他の章を担当した専門家が、異常爆発音が記録された同時刻に、異常外力着力があったと認めていることを知らなかったのだろうか。簡単に言えば、垂直尾翼を風船にたとえてみると、この章では膨らんだ風船が破裂するまで空気を入れ続ける内圧の計算をしているのである。実際には、外から針でつつかれた(異常外力の着力)ことによって風船が破裂した、という事実を完全に無視していることになる。別の章で、外力着力での破壊と書いてあるにもかかわらず、なぜこのふくらまし続ける実験が必要なのだろうか。
 さて、ここでも「後部圧力隔壁破壊から出た内圧の力で垂直尾翼が破壊した」という、私たちが信じ込まされた結論との矛盾が明らかになってくる。この実験で垂直尾翼の外側が大きく膨らみ続けるほど異常なまでの圧力をかけ続けた結果、次のようなことが書いてある。
 「垂直尾翼部分構造内圧試験では、いずれの供試体も外反とスパー・コード取付部のピール破壊を生じなかった。(中略)ただ供試体では、ストリンガとリブ・コード取付部が破壊した後の破壊の進行に関しては、事故機の破壊をよく模擬したとは言い難い」とのことだ。さらに「垂直尾翼先端部の強度実験では、翼端カバーの腰部は7・1〜8・6pSiの差庄で曲げ破壊するとの結果を得た。また翼端カバーとリブ・コード取付部のファスナはこれより十分高い強度を有するとの結果を得た(原文ママ)」とある。つまり、より一層高い強度でなければ翼端カバーは破裂しない、と説明している。なお、pSiとは、単位客室差庄(1pSi)を表す。
 結論として、「胴体後部圧力隔壁破壊により流出した客室与圧空気の一部が垂直尾翼内に流れ込み、内圧が約4pSi上昇すると垂直尾翼は破壊し得ると考えられる」と書かれてある。このトリックをおわかりだろうか。さきほど翼端カバー(圧力が吹き溜まりとなつた部分)は7・l〜8・6pSi以上なければ破壊しない、と実験で証明されたのだから、なぜ、4pSiの内圧で破壊することになるのだろうか。一番の目的は翼端カバー、つまり垂直尾翼トップ付近のカバー部分に、圧力が溜まりに溜まって内圧で破損することの証明であったのだから、ここまでやっても逆に破裂しないという結果になってしまっている。この矛盾に、気付かないはずがないだろう。
 同じように、リベットが破裂するまで圧力をかけ続ける後部圧力隔壁破壊に至るまでの試験研究や防火壁破壊実験もある。それにしても、これだけの内外の差庄で、最後部の座席に座っていた四名が、垂直尾翼先端に吹き上げられることもなく、外に飛び出ることもなく、生存していたのである。
 それよりもすでに、外力によって垂直尾翼が先に崩壊していたのであるから、そもそもこんな実験は必要ないのである。
 このように、大金をかけて実験を行い、専門家が限られた情報だけを与えられて行ったこれらの研究は、これから国産飛行機を造るための基礎データにするならばともかく、「異常外力着力点」を抜きにして、それぞれ実験をする意味は全くない。
 外力によって穴の空いた垂直尾翼が、なぜ内圧で吹き飛ぶのか。子供でもすぐわかることを、三十五年間も騙してきたのである。
 こういう「目眩まし手法」で報告書を書き、素人である国民を欺く専門家がいたとして、そこにいかなる政治的判断があろうとも、これでは、521人の死の証明にあまりにもお粗末であり、たとえ権威のある研究者であっても政府側に阿った発言をして許されるはずがない。その威力を笠に着て反論を受け付けない、つまりこのような屈理屈をつけてもなお再調査しない、というならば、これは権威による人殺しということになる。特に科学の前では倫理観を失ってはいけないのである。
 また、専門家に責任を押し付けて判断をゆだねるという政府の責任逃れも許されることではない。
 次は、この「異常外力着力」は何によって発生したのか、ということについて考えていきたい。

 隕石は横から当たらない
 歴史をひも解けば、隠蔽された出来事は、必ず後から真実を語り始める。
 二〇一一年に出た『事故調査報告書解説書』では、相模湾の捜索がいかに大変で難しいかが何ページにもわたり強調されている。その後の二〇一五年八月十二日に、相模湾に沈んだままの残骸が、飛行ルート真下の水深百六十メートルという浅いところで簡単に発見できたように、後からこの解説書の欺瞞に満ちた記述がわかる。
 昨年の上野村・慰霊の園での追悼慰霊式にて、赤坂祐二日航社長がそれでもなお、「相模湾は深いので難しい」と発言したが、これは単なる無知か、またはうそぶいたのかわからないが、遺族側から見れば全てが嘘つきに見えてくるのは当然である。それだけならばまだしも、今回発見した異常外力着力点についても、この『事故調査報告書解説書』には全く書かれていない。これによって、私たちを騙した経緯が明確に見えてくるのである。柳田邦男氏による解説文を載せて権威づけをしたことも含めて、全てが色あせて見えてくる。
 なぜこの 『事故調査報告書解説書』で、垂直尾翼への「異常外力着力点」の位置や、その外力で崩壊したことを隠したのか。問題の所在はそこにある。
 ちなみに運輸安全委員会は、民間の報道機関が相模湾で容易に発見した残骸について、もう終わったこととして見解を一切発表していない。さらに当初から「異常外力着力点」についても、昭和六十二年発表の事故調査報告書に一文記しただけで、その後もずっと知っていて知らぬふりを通したことになる。
 それでは、この解説書の表現から、万が一、後から真実がわかった場合への対応として、どういう記述で書けば言い逃れられるかという隠蔽する側の論理を知ることができるので、それについてわかりやすく説明してみたい。なお、「 」 の中は、原文ママである。

 「異常の発生は突然の 『ドーン』という大きな音から始まっており、フラツタの発生を裏付けるものではありません。DFDRには約11トンの前向き外力に相当する前後方向加速度が記録されています」
 ここから、異常事態が、ドーンという音で始まり、11トンほどの前向き外力が記録されている事実がわかる。しかし、その原因となった異常外力着力点には一切触れずに、
 「これは、外気より圧力の高い与圧室内にあった空気が、圧力隔壁及びAPU防火壁を破壊し、胴体後端部を分離させて噴出したものと考えられます」
 と、結論を誘導している。さらに、
 「ミサイル又は自衛隊の標的機が衝突したという説もありますが、根拠になった尾翼の残骸付近の赤い物体は、主翼の一部であることが確認されており、機体残骸に火薬や爆発物等の成分は検出されず、ミサイルを疑う根拠は何もありません」
 と一方的に結論づけている。なお練習用ミサイルは火薬を搭載しないゆえ、成分は検出されない。これについては炸薬なしの練習用ミサイルの可能性には触れていないということだ。これを言われると都合が悪いらしく、どうしても炸薬入りを前提としてミサイル説を否定したいらしい。
 さらに尾翼残骸付近に赤い物体があった、ということになる。ちなみに主翼の一部の赤い色は目撃者が見た場所のオレンジ色ではなく、大きさも形状も違う。別の発色の物体である。
 「また頑丈にできているはずの油圧配管は外部からの物体が衝突しない限り折損するはずがないという点も、その説の技術的根拠となっています」(網掛けは筆者)
 ポイントは、「外部からの物体が衝突しない限り」の部分である。つまり、頑丈な配管が実際に切断されたのは、外部からの物体が衝突したからだ、ということを逆に説明していることになる。結果から見ても、外部からの物体の衝突があったことを認めざるを得ないということだ。
 「しかし、上方と下方の両方向舵をそれぞれ操作する2個のアクチュエータ(油圧などからのエネルギーを並進運動や回転運動に変換する駆動装置)は、墜落現場で見付かっていないことから、相模湾で一部が漂着した両方向舵とともに異常発生時に脱落したと考えるのが妥当です」
 ここから、異常事態が発生した事件現場は相模湾だ、ということがわかる。
 こうやって本当に重要な点(異常外力着力点)を隠しておいて、後から発見された時のために、ほのめかすような手法は、自分たちの言い逃れの場、つまり逃げ場を作っておく姑息な手段とも言える。「政治的圧力でそうするしかなかった」というのであれば、それも含めて自分の意見を議事録に明記しておき、適切に保存して後世に知らせなければ、公務員としての役割を果たしたとは言えない。
 なぜ、このように隠したいのか、誰の強い指示なのか、この点を私たちは絶対に見逃してはならない。
 「大事の前の小事」と言いたいのならば、大事とは一体なにか、そして521人の乗客という、お金を払ってたまたま飛行機に乗った人たちのいのちが、小事と言いたいのだろうか。大きなことを成し遂げるためには小さな犠牲はかまわないという発想なのだろうか。
 一九八五年という戦争でもない平時において、それはない。たまたまその時の政府に事故調査委員会委員として指名されて雇われた人たちが、たまたまそのタイミングでいた中曽根康弘総理大臣の意向を最大限汲み取り、お国のためと称してあるべき姿を見失い、真犯人を野放しにしただけではないか。
 故意過失を問わず、遺体損傷も含めて、殺人者は殺人の罪で裁かれなければならないのである。
 昨年、私がこれらの公文書を発見した時を基準とすればこの三十四年間、隠し通された「異常」な外力の正体について、これがどういうものだったのかを検証してみたい。
 『別冊』には、「VRTFの下向き(図では正の向き)のピークは、36・6秒付近にあり、その大きさは、約75キロ・ポンド(約34トン)である(原文ママ)」と明記されている。なお、これは最小値であり、様々な状況を前提として計算した結果は、「最大値は、約160キロ・ポンド(約73トン)」と書かれている。
 この数値に対して、「垂直尾翼を破壊させた内外圧力差と破壊部の垂直方向の投影面積とから判断して、ピーク値約160キロ・ポンド(約73トン)は大き過ぎると考えられる。(原文ママ)」とし、仮説や前提条件によって数値は変わるとしている。
 ここで重要なポイントは、「内外差庄(圧力の差)では、垂直尾翼破壊部の面積から考えると説明しにくく、これだけの大きさは生じにくい。従って差庄ではなく、もっと大きなものがぶつかった、そのエネルギーによって破壊されたとも考えられる」と示唆していることだ。これぐらいの破壊力をもつ物体が、飛行機の垂直尾翼の横から当たったということになる。
 この「外力」は、飛行機の左側の横、つまり側面から当たっている。
 最初の報告書では11トンだったが、ここでは34トンから73トンの力と幅がある。
 まず、墜落の発生当初に話題となった「隕石がぶつかった」という説だが、上からならばともかくも、真横から隕石は当たらないので、これは当然のことながら却下される。
 また大気中で暴風が発生したとしても、それは機体全体に影響するものであり、着力点の一点に集中するものではないのでこれも違う。もしもオレンジ色の大型鳥が飛んでいたとしても、エンジンに吸い込まれたら別だが、この強固な垂直尾翼の側面は鳥程度では破壊しない。
 とすると、空中を飛ぶ何かの物体が、この一点に集中して当たったことになる。しかも、巨大なジャンボジェット機の全体を破壊するには及んでいないことから、イラン国で起きた誤爆のように爆発する火薬があるものではない。ただ、この着力点にその物体が当たったことで周辺を破壊するぐらいの力はあった。そして、風速の影響も受けて垂直尾翼が半分以上バラバラとなって相模湾周辺に落ちた、という状況に至る物体となる。
 しかもその物体は複数飛んでおり、一つは垂直尾翼に着弾し、もう一つは静岡県藤枝市上空で目撃された。形は円筒形のようなもので長さが四〜五メートルぐらい、色はオレンジである。目撃証言では、日航機のお腹付近に張り付いているように見えたということだが、実際に張り付いていたのかどうかはわからない。ジャンボジェット機と同じ動きでぴったりと寄り添いながら飛行していた可能性がある。その後、その存在が裏付けられるのは、上野村での村民による複数の目撃証言だ。墜落時刻前頃に、オレンジ色(宋色)の飛行機が、単独で飛行していたのである。
 単独飛行ということは、ミサイルの特性から次の状態が考えられる。
 一九八五年当時に研究されていたのはホーミング誘導と呼ばれ、ミサイルに内蔵した「目」と「頭脳」を使って判断しながら、自律的に標的まで飛んでいく撃ちっ放しミサイルである。その中でも、レーザー・セミアクティブ誘導方式と呼ばれるものは、敵の艦船や飛行機に向けて放射電波を発し、その目標物から反射電波をミサイル最前部に内蔵したシーカと呼ばれる受信装置で受け、反射源をたどり続けながら、目標物に着弾させる仕組みである。そうなると、目標物である日航123便に放射電波を発して実験したとすれば、実験過程の不手際で突発的にミサイルが出てしまい、静岡上空から上野村まではミサイルが自律的に飛行できたものの、なんらかの事態で目標物(日航123便)を見失ってしまったか、またはミサイル内蔵の燃料が切れたのかは不明だが、いずれにしても単独で飛行していた状態を村民が見た、ということになる。
 さて、この「異常外力」の正体だが、米軍と自衛隊が関与していたと中曽根康弘首相がほのめかしたのであれば、軍用装備品を検証しなければならない。
 自衛隊の装備品には、模擬ミサイルという炸薬を積まない練習用ミサイルがあり、模擬標的機といったものもある。オレンジ色の軍装備品の一部を口絵に掲載した。『図解入門 最新ミサイルがよ〜くわかる本』井上孝司著、秀和システム、二〇一七年)においても米国の模擬標的機の発射風景写真に「目立つオレンジ色が塗られている」という記載もある。
 日航123便が墜落した日は、ちょうど防衛庁は護衛艦「まつゆき」の試運転中で、国産のミサイル開発をしていた最中であった。しかし、当日は米軍との合同訓練はなかった。前々日に国産ミサイルのモデルとなっていた米国産のミサイルを飛ばしながら、空対空と巡航ミサイルの二種類を開発中であったと報道されている(模擬ミサイルもオレンジ色だ)。
 さて、「異常外力に起因する事件」という点には、もはや異論は生じない。その外力を発生させて飛行機の垂直尾翼の側面に「着力」させた人間が犯人であるのも間違いない。
 墜落した早々に何の調査もしていない段階で、「日航機墜落事件」と外務省職員が書いたのだから、外務省は「事件」の犯人を知っていたとなる。そうなると、米国も含めた関係省庁も知っているはずである。
 そこで今度は米国公文書の「正門」をノックすることにした。

 米国の情報開示
 まず先に、情報公開先進国であるアメリカ合衆国は現在までどのようにして情報を管理してきたのか、その流れを簡単に俯瞰してみる。
 米国はその国の成り立ちからして、自分たちが委託した政府が情報を秘密にするのは極めて例外的措置であるとしている。基本姿勢としては、国民にすべてを公開する、自由で開かれた国を目標に掲げている。ただ米国の歴史上、時の政権によって様々な変容を遂げてきた。
 第一次世界大戦あたりから、秘密指定情報制度は軍部が独占するようになっていき、それが軍事情報のみならず、非軍事にも拡大していくのだが、その過程で歯止めが必要だとして、指定対象の精査や分類を行っていく必要性が出てきた。そこでアイゼンハワー大統領のもと大統領令を発令し、秘密指定情報は詳細かつ明確に分離されていった。
 しかしながらレーガン政権時の一九八二年、米ソ緊張の高まりという名目で、いったん秘密指定が解除された情報をもう一度秘密指定するといったように秘密保持を強化していく。この時代、秘密指定情報の柔軟化と強化を図った。スターウォーズ計画を立ち上げて今のトランプ政権と同じように宇宙衛星を駆使して戦争を行うことを目標に軍事開発研究費の予算を増強した。ちょうど日航機墜落事件が発生したのが、このレーガン政権時となる。
 その後、ソ連崩壊や東側諸国の民主化などにより、クリントン政権の時代になると、「疑わしいものは秘密としない」という方針の下、省庁でバラバラの管理状態を中央で統一していった。
 レーガン政権が廃止したものをひとつずつ復活させて、秘密指定を自動的に解除する、としたのである。そのための明確な基準を設けて、国民にオープンな政府機関となっていった。私はこれが本来あるべき姿であろうと思うが、それを不都合に思う人たちも多かった。
 ブッシュ大統領の時、二〇〇一年九月十一日9・11大事件が起きた。すると、ブッシュ大統領令で、クリントン政権時に培われた秘密指定情報の制度は原則廃止となり、秘密指定期間の上限も廃止、さらに大量破壊兵器(のちにイラクにはなかつたと確定した)の情報など秘密情報指定強化を促進していく。そして悪夢のリーマンショックにつながっていくのである。
 二〇〇九年、オバマ大統領の時代になって「国民参加による、公開性と透明性を持つ公民が協調する国家の構築」がなされていき、ようやく米国建国時の信条に基づいた社会を取り戻しつつ、より高いレベルでの政府の有り様を目指した。オバマ大統領は、「オープンガバメント・イニシアティブ」を掲げ、秘密指定といえども永遠に秘密にし続けることは、決して許されないと公言し、国家秘密指定解除センター(National Declassification Center:DNC)を設立した。これは現在まで存在している。
 しかし、オバマ大統領時の二〇一〇年に、ウィキリークス事件によって大量の外交機密文書が漏洩する事態となった。日々変化する世界情勢の中で、ネット環境におけるセキュリティ対策の強化や、大統領主導の秘密情報制度は、その時代の大統領の国家安全保障への政策や力量、先見性などによって大きく左右される。特にレーガン時代、ブッシュ親子時代は国家安全保障に重きをおいたため、政府の情報開示は閉じられる方向性にあったのは事実である。
 このように共和党政権による情報のクローズ、民主党政権によるオープンには、それぞれ問題も多いが、ある意味でバランスがとれているため、国民もいずれは秘密情報も開示されるという安心感と国家への最終的な信頼感が存在する。
 現在、政権は共和党でしかも大統領はトランプである。「メキシコとの国境に壁を作る、宇宙軍を創る」と言い続けているが、この発想はレーガン政権の冷戦時代のものだ。再び強いアメリカを唱えて国防費を増やし、軍需産業を活性化させるために宇宙軍を創るという意気込みの背景に何があるのかをもっと注視しなければならない
 今や新型コロナウイルスとの闘いで、イランとの戦争を煽ったり、宇宙軍の構想を進めたりする気力もないだろうが、失敗した政策にかかわる情報や国家機密の情報はクローズする方針だと想像できる。
 一方、日本はどうだろうかというと、歴史的にも情報公開の後進国であり、特に近代以降の官僚制度は窓意的な文書管理を行い、敗戦時の大量破棄を経て与党自民党と官僚によって情報が長年独占されてきた。市民革命もない日本においては国民側の意識も低く「情報公開がなぜ必要なのか」について深く考える機会がなかった。
 公文書は国民のものだ、という考えがようやく広まって法制度が完備されたのは一九九九年に情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律)が制定されて、二〇〇一年に施行された時である。この法律が制定されて公開義務が発生する前の一九九九年十一月に、航空機事故調査委員会は日航123便事件の関連資料一トンもの大量文書を断裁し、破棄、焼却した。
 これでますます、この事件が国にとってうしろめたいものである可能性を強めたと言える。
 国家安全保障上の問題と言えば、何でも秘密が通りやすい日本の現状を見ると、日本という国が情報開示に消極的な姿勢であることは、歴史を見てもわかる通りである。
 安倍政権下の現在の風潮からも非公開や削除が当たり前となれば、政権側の秘密の乱用や個人的な違法行為のもみ消し、政治家や各省庁の官僚が、自分の失態を隠す手段として情報をクローズして悪用する可能性も否定できない。
 そこで私は遺族の方々や全国の支持してくださる弁護士の皆さんと、米軍横田基地の情報開示、日本の運輸安全委員会(事故調査委貝会の後身)の情報開示、米国における公文書記録管理局の情報開示、日本航空株式会社における情報開示の請求を同時に進めていくことにした。
 いままで、陰謀説といい、正面から議論せずにレッテルを貼ってきた人たちも、開示された公文書に書かれているものであれば文句のつけようもあるまい。
 今日に至るまで、異論について真摯な議論に値しないと冷やかしの論調で故意的に隠してきたのだから、この事実を明らかにすることは、521人の死者のみならず一般人を騙す手口の解明ともなる。
 重要なことは、「情報を持ち、隠すことができれば、無知を意図的に支配できる」という見本が、この日航123便であってはならないということだ。これを悪しき事例とするのではなく、私たちが騙されないようにすることこそが未来への義務である。
 
 さて、今までわかったことを整理すると次のようになる。
 @今回の公文書で明らかになった点は「日航機墜落事件」と日本の外務省が認識していたという事実である。なお、外務省は毎月二回行われてきた米軍との会合の場である日米合同委員会にて長年培った情報網を持っている。
 Aその事件性が証明されたのが、『事故調査報告書別冊』に書かれた「異常外力着力点」の存在だ。異常な外力が垂直尾翼中部に着力したことにより、垂直尾翼が崩壊するに至ったと記されている。これは事故原因とされてきた圧力隔壁破壊ではないことを明らかにした。
 百歩譲って、もし万が一、隔壁破壊が起きたとしても、フライトデータの分析では、ボイスレコーダーのドーンという音と同時に、垂直尾翼に外力が加わりそこから崩壊したことが明確になり、従って墜落の根本的な原因は、外力だと断言できる。
 B中曽根首相が語った「米軍と自衛隊」の関与の意味である。
 墜落現場の村民や静岡県藤枝市の住民が目撃したオレンジ色の飛行物体といえば、軍隊の装備品の練習用ミサイルや模擬標的機など、目立ちやすいという理由で朱色に塗られている飛行物体しかない。
 
 次に、「オレンジ色の飛行物体」に関する出所が確実な目撃情報を時系列に並べてみた。


時間       目撃情報                           
 18時24分 静岡県伊豆半島東部沿岸(賀茂郡東伊豆町稲取)の住民
「伊豆大島方面上空でドーンという短い爆音」
 18時30分 静岡県藤枝市大東町
「日航機腹部にオレンジ色の物体が張り付いて見えた」
 18時35分 静岡県藤枝市大洲中学校付近
「自衛隊戦闘機のファントム2機が浜松方面からジャンボジェットの飛び去った富士山方面へ向かい、山の稜線ギリギリの低空飛行で飛び去る」
 18時40分 群馬県吾妻郡東村上空 自衛隊員第12偵察隊一等陸曹による目撃
「航空自衛隊ファントム2機の低空飛行(通常とは異なる気がした)」
 18時45分 群馬県上野村・墜落現場となった上野村小学校五年生他大人たち
「大きい飛行機と小さいジェット機2機の追いかけっこ状態を目撃」
 18時50分頃 上野村野栗地区村民「オレンジ色というよりも朱色の小さな飛行機が後ろからシューと白く尾を引いて飛んでいった」
 18時55分頃 墜落現場の南側に隣接する長野県川上村の住民・子供たちの絵
「低空を巨大な航空機が頭上を飛び去って長野群馬の県境の山並み(標高一九七八メートルの高天原山)を越えた直後に閃光と衝撃音」
 18時56分28秒群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落

 余計なものをそぎ落として確実な情報源だけを時系列に並べればわかりやすくなる。
 これで事件の発生がドーンという音で始まり、日航123便墜落までに目撃されていたのが、オレンジ色(朱色)の飛行物体と自衛隊戦闘機のファントム2機であることは間違いない。さらに墜落現場の上野村、隣接する川上村の村民たちは、即座に墜落場所を警察、NHK、村長らに伝えていた。上野村の黒澤丈夫村長は県、警察、中央政府へ電話で連絡した。村中の防災無線で情報を集めた。しかし、村の道路はいつの間にか警察と自衛隊によって封鎖されて、現場に立ち入ることができなくなった。テレビでは一晩中墜落場所不明と報道されている。自分たちが通報したにもかかわらず、どこの誰がもみ消したのか。その間、一晩中、多数のヘリコプターが上空でモノの上げ下げをしている。明け方まで炎が上がり、火災状態が続いていた。上野村の黒澤村長が早朝五時に村役場に行ったとき心は、すでに泥まみれの自衛隊員や機動隊員が役場の二階を占領して、大勢の隊員たちが床に寝そべっていた。
 この「事件」を、なぜいままで事故として処理し、放置してきたのか。これらが公文書で明らかになっていくのである。
 当然ながら、「異常」な外力の正体について、真っ先に調査するのが事故調査委員会の仕事であり、それが彼らの任務である。
 『事故調査報告書』の最初の一ページは、「異常外力」が、垂直尾翼に着弾してそこから垂直尾翼の崩壊が始まった、というところから書き始めるべきなのだ。今すぐにでも書き直さなければならないのである。

 ボイスレコーダーの不自然な解析会議
 ここで少し角度を変えて、別の方向からこの事件の真相を見ていきたい。
 不自然なまでに生データを公表しようとしないのが、ボイスレコーダーである。
 恐らくここには、現役の自衛隊員や目撃者たちが見たファントム2機と日航123便の高浜機長との交信が録音されているからだろうと想像がつく。
 過去に、生データの一部が流出して報道され、それを編集したDVDが本の付録として市販された。しかし、このDVDでは、会話の空白部分にナレーターが解説を加えたり、切り貼りしたものであって不自然な部分も多いのだが、素人に勘違いさせるには十分である。これが生のデータではないのは周知のことであるのだが、今やそれを本物だと信じ込む人も多い。さらに遺族に対して、「生データを聞きたければDVDを聞けば良い」という、相手を舐めているとしか思えない言動をする人もいる。それが日本航空の法務やその弁護士となると、それは知識の欠落を超えて悪意となる。
 当然、どの国でも、この日本でも雫石事故など事件性のある航空機事故の裁判では、当たり前に公表される生データを、この日航123便は裁判をしなかったゆえ、相手側(日航側や運輸安全委員会、いわゆる政府側)の言いなりにならざるを得なかったということが、残念な点だ。むしろ故意に裁判を避けたともいえる。
 実は生のボイスレコーダーが、どういう過程で改ざんされていったのかを示す会議がある。それを次の図16(本書一〇七頁)の一覧表で示した。これは航空事故調査委員会の「日本航空JA8119号機事故に係る調査抄録」(『日航機事故の謎は解けたか――御巣鷹山墜落事故の全貌』に収録)からボイスレコーダー(CVR)についての会議だけを抜粋したものである。
 まず、ボイスレコーダー(CVR)もフライトレコーダー(DFDR)も同時に発見され、どちらも損傷の程度は他の航空機事故同様といえる。これらは海底深くに落ちたわけでもなく、上野村御巣鷹の尾根の山腹斜面で発見された。通常、現場から引き上げてすぐ解析を行う。詳細なデータを記したフライトレコーダーの解析作業とその会議は七回ほどであった。しかしボイスレコーダーの場合、音声を流して書き写すというだけの作業にもかかわらず、CVR部会という会議は翌年まで引き続き、さらに公表ギリギリまで続けられていた。
 なお、このボイスレコーダーの操縦室用音声記録装置の音声分析を担当したのは、航空自衛隊航空医学実験隊第一部視覚聴覚研究室であり、責任者は同室長の藤原治(昭和六十一年一月一日まで)、同じく航空自衛隊航空医学実験隊第一部視覚聴覚研究室の宇津木成介、とある。いずれもコックピット内音声部分を分析したのは航空自衛隊であって、もしもファントム2機の自衛隊員の音声が記録されていたら、自分たちで不都合な音声をノイズで覆い隠すことは十分可能な環境にあったことがわかる。
 群馬県警が、ボイスレコーダーの聴き取りに立ち合ったことも記録されているが、本来ならば事件として最初から群馬県警が加わるべきところを、参加したのは一九八五年十二月十七日、一九八六年一月九日の二回だけなのがわかる。このタイミングは、すでに圧力隔壁説が出た後となっている。群馬県警が聞かされた内容は、すべて録音されていたママのものなのか、または、作為的に削除された後のものなのか、どちらなのかについては、十分に疑う余地がある。
 なお、これらの会議の議事録も当然のことながら情報公開請求の対象となり、それも含めて、昨年、私たちは開示請求を行った。
 生のボイスレコーダーの公表に際して、何度も会議を重ねていたのは、今となっては国民に真実を語るためとは到底言えない。米軍のためにおもんぱかってという理由も成り立たない。自衛隊が自ら分析の責任者として解析を行っているのだから、十分に当事者である。聞き取り調査という名目で、何を調査していたのだろうか。
 一九八六年(昭和六十一年)六月二日には、後部圧力隔壁の構造実験、六月二十四日には、内圧によって垂直尾翼がどのように破壊されていくのか強度試験を関係者に公開している。しかし前述のように、いずれも前提となる異常外力着力点については無視し続けて実験を重ねている。
 調査経過報告や一周忌を経て、圧力隔壁説を補強し続ける研究を数回行い、一九八七年(昭和六十二年)六月十九日に運輸大臣へ事故調査報告書を提出して無事に「世間を騙す役割」を果たしたのだろうが、未来永劫秘密にしておくことはできない。七月一日、最後の第二八八回委員会を終えて、翌日、懇親会を十七時から十九時まで行い、全会を終了したのである。
 そこで今回、こちらの情報開示請求に対し、彼らがどのような回答をしてきたのかについて、次の章でその検証をしていきたい。

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