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エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』上巻・下巻

(文藝春秋社 2022年10月26日刊)

著者紹介・目次|上巻概要|下巻概要Ⅰ|下巻概要Ⅱ

上巻概要

 本書は、トッドの人口人類学の集大成ともいえるもので、序章及び全18章からなる大著である。とても、その各章すべてに詳しく触れることはできないので、上巻概要(序章・第1巻~第10巻)、下巻概要Ⅰ(第11巻~第15巻)、下巻概要Ⅱ(第16巻~第18巻)の三つにわけて、その概要をまとめていきたい。
 なお、文中において、折りに触れ筆者の感想・見解を述べているので、参考にしていただければ幸いである。(赤褐色の文字の箇所)
 上巻の副題は「アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」である。あらためて上巻の目次を以下に挙げておく。

 日本の読者へ
 序 章 家族構造の差異化と歴史の反転
 第1章 家族システムの差異化――ユーラシア
 第2章 家族システムの差異化――先住民たちのアメリカとアフリカ
 第3章 ホモ・サピエンス  
 第4章 ユダヤ教と初期キリスト教――家族と識字化
 第5章 ドイツ、プロテスタンティズム、世界の識字化
 第6章 ヨーロッパにおけるメンタリティの大変容
 第7章 教育の離陸と経済成長
 第8章 世俗化と移行期の危機
 第9章 イギリスというグローバリゼーションの母体 
 第10章 ホモ・アメリカヌス

 では、まず本題に入る前に、「日本の読者へ」と「序章」において、トッドが自らの方法について述べているので、その内容をみておきたい。
 

トッドの方法論

 彼は、まず次のように述べている。

 なぜ西洋はみずからの状況を理解できないのか。それは、経済学が支配的なイデオロギーとなり、すべては「経済」によって決まるという経済決定論が思考停止を招き、マルクス的な意味での「虚偽意識」が世界の現実を直視するのを妨げているからです。

 そのうえで、彼はさらに自らの方法についてこう述べる。

 政治や経済という「意識」のレベルだけでなく、教育という「下意識」、さらには宗教や家族といった「無意識」のレベルにまで降りていく必要があり、こうした人類学的アプローチは、西洋とロシアの間ですでに始まってしまった戦争を理解する上でも有効です。

 これを、本書の序章では、以下のようにまとめている。

 フロイト精神分析の基礎の一つである局所論〔心は「意識、前意識(または下意識)、無意識」の三層から成るとする説。〕をもじった単純化モデルを使えば、人間社会とその動態を層状の構造として表象することができる。
 まず歴史の表面に、意識に相当するものを見出すことができる。それが経済学者たちの語る経済である。政治もまた意識に属することはいうまでもない。
 より深いレベルに、社会の下意識を見出すことができる。教育(学歴)がそれであり、 そしてより一層深い部分に、さまざまな社会の正真正銘の無意識がある。家族と宗教と、この二つの複合的な相互関係がその実体だといえる。

 **これは、きわめて独創的なトッドの方法論であり、これにより、経済・政治・教育・家族・宗教、という人間社会を動かす5つの要素を有機的かつ立体的・総合的に捉えることを可能にし、おそらく、その方法によって、トッドは「現代の予言者」になったのではないかと思われます**

 そのうえで、トッドは、GDPで測られる「経済力」はもはやフィクションにすぎず、リアルな経済的実態を反映していない。第二次世界大戦後から一九七〇年代までは、鉄鋼、自動車、冷蔵庫、テレビといった実物経済が中心で、「実際の生産力を測る指標」としてGDPは意味を持ち得ていたが、産業構造が変容し、モノよりサービスの割合が高まるなかで、GDPは「現実を測る指標」としてのリアリティを失っていったと延べ、GDPのこうした欠点を踏まえた上で、経済的グローバリゼーション化が進むなかで、現在では「生産よりも消費する国=貿易赤字の国」と「消費よりも生産する国=貿易黒字の国」への分岐がますます進んでいることに注目している。
 そして、この両者を世界地図の上で見てみると、以下のようになる。




経済構造と家族構造

 要するに、この地図が示すように、「経済構造」と「家族構造」が驚くほど一致している。つまり地図B(各国の全雇用に占める第二次産業の割合)と地図C(家族構造における父権性の強度)を見れば、父系的社会は、第二次産業に強く、モノづくりは男性原理と親和性があり、これに対して、女性のステータスが比較的高い双系的社会は、第三次産業と親和性をもっていて、女性の解放によって女性の社会進出が進み、その過程で第二次産業よりも第三次産業の雇用が増え、結果的に社会全体の第三次産業化が進み、自国の産業基盤は衰退してしまったことがわかる。
 つまり、この違いを人類学的に見ると次のことが言える。
 「生産よりも消費する国=貿易赤字の国」は、伝統的に、個人主義的で、核家族社会で、より双系的で(夫側の親と妻側の親を同等にみなす)、女性のステータスが比較的高いという特徴が見られ、「消費よりも生産する国=貿易黒字の国」は、全体として、権威主義的で、直系家族または共同体家族で、より父系的で、女性のステータスが比較的低いという特徴が見られる。

 こうした視点から世界を見ていくと、それぞれの家族構造にしたがって、一方は「消費」に特化し、他方は「生産」に特化するというかたちで二つの陣営に分かれ、しかもグローバリゼーションのなかで、二つの陣営が極度に相互依存関係にあることが見えてくる。
 いま起きているウクライナ戦争も、こうした文脈で起きていると捉えることが、最も重要なポイントだ、とトッドは述べ次のように言う。

 なぜこの戦争が起きたのか。軍事支援を通じてNATOの事実上の加盟国にして、ウクライナをロシアとの戦争に仕向けた米英にこそ、直接的な原因と責任があると私は考えます。しかし、より大きく捉えれば、二つの陣営の相互の無理解こそが、真の原因であり、その無理解が戦争を長期化させています。
 西洋諸国は、全体主義的で反民主主義的だとしてロシアと中国を非難しています。他方、ロシアと中国は、同性婚の容認も含めて道徳的に退廃しているとして西洋諸国を非難しています。こうしたイデオロギー(意識)次元の対立が双方の陣営を戦争や衝突へと駆り立てているように見え、実際、メディアではそのように報じられています。
 しかし、私が見るところ、戦争の真の原因は、紛争当事者の意識(イデオロギー)よりも深い無意識の次元に存在しています。家族構造(無意識)から見れば、「双系制(核家族)社会」と「父系制(共同体家族)社会」が対立しているわけです。戦争の当事者自身が戦争の真の動機を理解していないからこそ、極めて危うい状況にあると言えます。

 さらに、トッドは、人口学の視点から「人口動態においてはどの国も衰退の局面にあります。いま始まっている戦争のかたちを理解する上で、この点は極めて重要なポイントです」と指摘したうえで、世界的に人口動態が衰退の局面にある今日、どの国も兵士の大量投入は不可能であり、したがって、戦局はゆっくり推移することになり、戦争が長期化することが予想されるとも述べている。また、次のようにも述べている。

 西側とロシア(中国)との対立は、無意識次元の人類学的な対立です。しかし、そのことを戦争の当事者がまったく意識できていないのです。二つのシステムの間に完璧なほどの「相互無理解」があります。
 ここにこそ、この戦争の最大のパラドクスがあり、それゆえに、この戦争を終わらせるのは容易でなく、より激しいものになる可能性があります。

 **フロイトからヒントを得たトッドの独創的な方法論について、ならびにその方法的視点からみたウクライナ戦争のトッドの見方について、主に「日本の読者へ」という「まえがき」よりまとめてみました。なおトッドの方法論については序章でも扱う予定です**

序 章 家族構造の差異化と歴史の反転

 ここでは、さきに挙げたトッドの方法論が詳しく述べられている。

 まず、トッドは先進諸国の危機について以下のようにまとめている。

 今日進行中の変容は人類の生活様式を全面的に激変させる。最も重要な要素を列挙してみよう、と述べたうえで、以下の諸点を挙げている。
  • 全人口、とりわけ中間層と民衆層の大幅な所得アップが、突如生活水準が向上した。この現象は数え切れないほどの心理的効果をもたらした。
  • 一九六〇年から一九八〇年までの間に起こった出生率の急激な落ち込み。
  • 歴史上未曾有のスケールで起こった平均寿命の伸びと人口の高齢化。
  • 教育水準の目覚ましい向上。
  • 就学率における男女比の逆転(女子進学率による男子進学率の追い越し)。
  • 宗教の最終的消失。おそらく、宗教色が強いといわれてきた米国社会の様態も含めて。
  • 宗教的な時代から継承されてきた結婚モデルの崩壊。
 現実界に生きるこうした個々人の推移を観察することによってこそ、われわれは、最先進諸国の社会に侵入した無力感の歴史的諸条件を発見していくのである。無力感の実体をその複合性の中に捉えるために、われわれは経済に加えて、変容の刻印が押される三つの探究領域を念頭に置かなくてはならない、すなわち、教育、宗教、家族である。

 そこで、トッドがとったのは、人間社会の歴史を、意識(経済・政治)―下意識(教育・学歴)―無意識(家族と宗教)から捉えるという方法論である。そのうえで、トッドは、社会を動かす意識(=経済)は五〇年、下意識(=教育)は五〇〇年、無意識(=家族)は五〇〇〇年のスパンで機能する、と述べている。

 そして、家族についてであるが、その原初的形態は「核家族」であるとする。しかし、これは歴史的というよりも、ホモ・サピエンスの人類学的形態であるとも述べている。
 ただし、家族の原初的形態型が「核家族」であるとする説は、必ずしも通説とはなっていないようだ。

  **トッドの説は、トッド自身が述べているように、ジョージ・マードック(1897―1985)やロバート・ローウィ(1883―1957)らのアメリカの人類学者の研究によるところが大きい。特に、ロバート・ローウィはモルガンらの進化主義学説に対し、豊富な民族誌資料を駆使して厳しい批判を加え、その主著の一つ『原始社会』(1920)では、一夫一婦制に基づく単婚家族が進化の最後の発展段階でようやく出現したとするモルガン説に対し、夫と妻の結合に基礎を置く「基本家族」が狩猟採集民のような単純な社会をはじめとしてほとんど普遍的にみられると指摘したのである。
 また、ジョージ・マードックも『社会構造』(1949年)において、親とその子どもから成る核家族が人類の普遍的な家族形態であると主張している。
 しかし、こうした説はヨーロッパ学会では受け入れられなかった。ルイス・モーガン(1818―1881)の『古代社会』やそれを踏まえたエンゲルスの『家族・私有財産及び国家の起源』などにみられるように人類は野蛮→未開→文明へと進化してきたのであって、家族形態も「乱婚→集団婚→単婚」というように変化してきたとしたうえで、単婚の核家族は近代の産物であるとする説が支配的であった。
 トッドの説は、これに真っ向から対立するもので、決して革新的なものではなく、むしろ保守的家族観に近い。
 また日本の直系家族が、ロシア・中国などの共同体家族に先立つ独自の特質を持つものであるというトッドの説は、伝統的家族形態である家父長制を守るべきだとする日本の保守派や宗教右派、そして旧統一教会などの政治的・宗教的勢力にお墨付きを与えるリスクもある。現に、ネットなどで家族に関する検索をかけてみると、旧統一教会の関連組織のサイトからの情報が溢れていて、トッドの説をマルクス主義フェミニズム家族論に対抗するものとして称賛している。この点についてはトッドを援用する際には注意を要するのではないかと思われます**


 ヨーロッパにおけるそれまでの農業の発展にともない、父系化と呼ばれる枠が形成され、それによって家族グループの稠密化と構造化が起こり、夫婦を父系の親子関係の中に閉じ込めるという父系制の家族形態が生まれのである。メソポタミアで生まれユーラシア大陸の大部分を占有した「共同体家族」の形態もその一つであるが、父系制の最初の形態として生まれたのは、「直系家族」と言われるもので、ドイツ、フランス南西部、そして日本などでは直系家族が発達した。直系家族は父系化の第一段階に相当する。また、イタリアの中央部には、「外婚制共同体家族」が発生した。これは父系化の第二段階である。

 このように、ホモ・サピエンスの出現以来、家族は単純型から複合型へ推移したのであって、複合型から単純型へと推移したのではない。女性のステータスの低下は、家族の硬直化を示す本質的要素であった。

 こうした視点はこれまでの歴史解釈の「標準モデル」=「複合型から単純型へ」から「反転モデル」=「単純型から複合型へ」への転換を目指すものとなる。
 例えば、中東は経済的には遅れているけれども、最も複合的な、最も「進化した」家族形態で、その内婚制共同体家族は、五〇〇〇年もの推移の帰結なのである。それにたいして北米は、ホモ・サピエンスの原初のモデルに最も近い核家族形態ということになるのだ。

 さらにいえば、先進諸国といっても、英語圏の核家族型を中心とする国々とドイツ・日本・韓国などの直系家族型の国々とでは抱えている課題が必ずしも同じではなく問題を複雑にしている、とトッドは言う。
 そのうえで、自分の研究方法は特に革新的なものではなく、人類史のこの素描では、家族、宗教、教育、イデオロギーに執着するが、その際に取り上げる変数は、家庭を営むグループの構造と発展、女性のステータス、乳幼児死亡率、ある時点での出生率、完結出生児数〔女性一人当たりの最終的な平均出生児数〕、識字率、高等教育を受けた者の比率、神学的概念、宗教実践、政治的投票、性的規範などだ。いずれも、パリとケンブリッジでの修業時代に学び、採用する気になった変数である。フランスの歴史学のアナール学派と、ケンブリッジの歴史人類学派が用いていた変数である、と述べている。
  **上記に挙げてある11の変数もトッドの現代政治・社会の分析における重要なファクターで、こうした変数を用いることで、政治や社会の基底にある動きを的確に捉え、より現象をリアルに描き出すことが可能となっているのではないかと思われます**

 なお、家族型の類家をまとめると、以下のようになる。

家族型の類型

・純然たる核家族型

(一組のカップルとそのこどもたちで構成され、こともたちは結婚すると自律的な家庭を築く)
 父系制レベル0(結婚・相続等での兄弟姉妹の原則平等)
 絶対核家族―英米圏のアメリカ・イギリス・オーストリア・ニュージーランド等(こどもへの遺産配分は親の自由裁量のため不平等もある)
 平等主義核家族―フランスのパリ盆、南フランスのオック地方とスペイン半島北部他(こどもへの遺産配分は平等)

・一時的同居を伴う核家族

(既婚したこども達が当初の数年間は旧世代と同居する場合)
 未分化核家族(夫婦のいずれ側の親との同居でも構わない場合)カンボジア等
 父方居住(夫の家族との同居の場合)インド南部、トルコ・モンゴルなどの遊牧民
 母方居住(妻の家族との同居の場合)タイ、マレーシア等

・直系家族

(長男が家財の大部分を相続し、結婚後は長男の親と同居する)ドイツ、日本等
 父系制レベル1(男性の特権をみとめるが、男性性の原則があらゆる面で適用されるわけではない)

・外婚制共同体家族

(元のグループの外に配偶者をみつける。遺産相続は平等に配分する。兄弟は対等だが、男性優位)中国。ロシア等
 父系制レベル2(すべての男性が、すべての女性よりも優位な立場におかれる)

・内婚制共同体家族

(主に親の兄弟のこども=イトコ同士が結婚する)アラブ諸国等
 父系制レベル3(結婚・相続等での男性中心原理が最も強いレベル)

第1章 家族システムの差異化――ユーラシア

 家族システムの歴史の再構成を、われわれは、都市化前夜における家族のさまざまなタイプの地理的位置づけから始める。そして、言語学や、第二次世界大戦前の人類学にとってはかなり月並みなものである解釈理論、すなわち、「周縁地域の保守性原則」(以下、PCZP)を用いる。この強力な説明仮説は、歴史を空間の中に読むことを可能にしてくれる。(言語上、建築様式上の、料理の、あるいは家族の)最も旧い形が文化空間の周縁部に生き残る、という原則だからである。ある種の型が先行的な形態であることが地理的に確定したならば、次には、残存している記録資料を用いて変形の過程がどのようであったかを緻密に解明し、時期を推定していけばよい。









 上図を見れば、ユーラシア大陸の中央部を占めているのは「父系制共同体家族」と「父系制直系家族」の「特徴B」で、周辺部に「核家族」である「特徴A」が存在しているのがわかる。

  **トッドが挙げた、「周縁地域の保守性原則」について、私は、かつて学生時代に読んだ増田四郎氏の「辺境変革論」(『ヨーロパとはなにか』岩波新書 1967年)を思い出しました。これは、当時は学会のみならずジャーナリズム上でも大きな話題となっていたものです。
 その論の骨子は「歴史的にみた社会の発展過程は、同一社会においてではなく、少しずつずれたかたちで、周辺地区ないし辺境地区に、新しい原動力が定礎され、そこが基点となって、旧体制を動揺させ、変化させるというケースが圧倒的に多い」(上掲書)というものです。
 この増田理論と、トッドの挙げた「周縁地域の保守性原則」は実は真っ向から対立する考え方です。周縁地域にはかつてその地域全体を占めていた最も古いものが残っているというのが、「周縁地域の保守性原則」という考えですが、増田理論では, 周辺地区ないし辺境地区が基点となって旧体制を動揺・変化させるというもので、周縁は「保守」ではなく、「変革」なわけです。
 なので、私はトッドの説にはじめは違和感を持ちました。しかし、このノートの最初にトッドの方法論で挙げたように、トッドはフロイトの「意識・下意識・無意識」という精神活動の三層構造にヒントを得て、歴史的活動を「意識(政治・経済)、下意識(教育)、無意識(宗教・家族)」という三層構造で捉えていくという方法をとっているのですが、そうすると増田氏が対象としているのは、政治や経済(意識)のことであって、この分野は確かに、その変革の基点は多分に周縁から生ずる可能性が高いといえるでしょう。しかし、トッドが対象としているのは、実は、家族(無意識)であって、この分野では政治や経済とは逆に、変革はその地域の中央部(都市部など)から起こり、周縁へと波及していき、周縁部の一部に旧式のものが残存する形になるということは、十分考えられる。言語の変化などには確かにそうした傾向がみられるようです。
 従って、一見真逆のように見えますが、増田理論の「辺境変革論」とトッドのいう「周縁地域の保守性原則」はそうして視点からとらえれば必ずしも対立するものではない、と考えるようになりました。
 なお、トッド氏は、その後『西洋の敗北と日本の選択』(文春新書 2025.9.20刊)に収録された成田悠輔氏との対談の中で次のように述べている。

 その後、中国の方言研究を専門とする言語学者で友人のローラン・サガールから、核家族構造がユーラシア大陸の周縁部に位置しているのは、単なる「偶然」ではなく、「核家族が歴史的に最も古い」(周縁地域の保守性)ということを教わりました。

 やはり「周縁地域の保守性原則」という考えは言語学の知見から生まれたものだったのである***


第2章 家族システムの差異化

 続いて、第2章では、アメリカ大陸での研究を踏まえて、次のように述べている。

 アメリカ先住の諸民族を対象とする調査を徹底的に実施していくなら、それによって、未分化の親族綱に包み込まれた核家族こそ人類の原初的な家族システムだという仮説が特別な困難なしに確認されるだろうということだ。

 また、下記の図に示されたアフリカ大陸での研究結果を踏まえて、次のように述べている。





 いずれにせよ、周縁地域に残るこうした痕跡が示しているように、西アフリカでは、ホモ・サピエンスの原初的な核家族の時代のあとに直系システムの段階が続き、そののちに家族グループの共同体的対称化が起こったのである。
  こうして、以下のような発達段階が確認されることになった。
 トッドは、第2章の結論部において、次のように述べている。
 遥かに遠い過去にサハラ以南のアフリカに存在した最もシンプルな構造の家族と、女性の比較的高いステータスこそが原初的なのだ、ということを明らかにできた。改めて、核家族と親族システムこそが太古にも遡るほど旧く、原初的なのだということが確かめられた。「核家族、次に直系家族、次に共同体家族」という、単純性から複合性へと移っていく歴史的展開が確認された。

第3章 ホモ・サピエンス

ホモ・サピエンスの人類学的原型

 さて、今やわれわれは、規範と可塑性の組み合わせを、ホモ・サピエンスの人類学的原型を記述する公式にまとめて提示できる。核家族性をNとする。そして、単婚制をM、外婚制をE、親族システムの未分化性をⅠとする。五つ目の要素Ⅴ、すなわち変異の可能性を付け加えよう。これは他のすべての要素に影響を及ぼす(この作用を*で示す)場合がある。すると、次の公式が得られる。
 原型ホモ・サピエンス=(N+M+E+Ⅰ)*Ⅴ
 変異性Ⅴを考慮しなければ、人類が技術面で狩猟と採集しか知らなかった段階で地球上に散らばって遍在するだけの能力を持っていたことが理解できない。ホモ・サピエンスの経済的適応性を理解するには、家族システムをめぐる、とりわけ男性と女性のあいだの関係をめぐる変異性についての理解が欠かせない。
 たとえば、労働の性別分業が原則であって、それにしたがって女たちに採集が、男たちに狩猟が割り振られていたけれども、その原則は絶対ではなく、主に狩猟民で構成されている集団もあれば、第一義的に採集民である集団も存在していたわけである。

 すなわち、ホモ・サピエンスについては、その変異性によって、地球上のさまざまな環境に適応しながら人類として進化を遂げてきたのである。

第4章 ユダヤ教と初期キリスト教――家族と識字化

 紀元後六三年~六五年頃、ユダヤ教・パリサイ派の大祭司ジョシュア・ベン・ガムラが、ユダヤ人で子を持つ父親全員に対し、六歳または七歳の息子を小学校に通わせて旧約聖書冒頭の『トーラー』〔教え、律法〕、すなわち『モーセ五書』を読むことを学ばせよと指令したわけだが、以来、ユダヤ教は特定の領土への定着を失っても生き延び、非常に識字率の高いディアスポラを形成した。
 また、ユダヤ民族の家族システムは人類学で「双系の」と形容されるシステムだといえる。このシステムは、父系制の影響を被ったけれども、おおむねその影響に抵抗し、父系制の特徴を吸収したにもかかわらず比較的高い女性のステータスを保全したというタイプの文化に典型的である、と述べている。

 ***なお、ユダヤ民族について、トッドはその後に出した『西洋の敗北と日本の選択』(文春新書 2025.9.25刊)において、自分の出自について、「フランスで言うところの『ユダヤ人ブルジョワ』で、何よりもフランスの愛国者の家系です」と述べたうえで、しかし自分の一族はシオニズムには興味を示さなかったし、自分もシオニストでも反シオニストでもない、と述べている。従って、トッドのアイデンティティはユダヤ人よりもフランス人の方に傾いてみられ、ユダヤ民族について特別な思い入れはないようだ***

 次に、キリスト教の革新性としてトッドは以下の4つを挙げている。
 厳格な外婚制、フェミニズム、アンチ性行為、極限経験としての貧しさ
 特に、アンチ性行為については、以下のような影響をもたらしたようだ。
 女性たちにとっては、貞潔はまた、あらゆる形而上学とは無関係に、妊娠と出産のリスクを免れる手段、いいかえれば、当時の文脈においては、彼女たちの平均余命をいちじるしく延ばすことを可能にする手段でもあった。ローマ時代の上流社会の中でもキリスト教信者たちの界隈では、女性たちの結婚年齢が上がり、自動的に死亡率が下がった。

第5章 ドイツ、プロテスタンティズム、世界の識字化

 一四五四年頃、グーテンベルクが活版印刷術を開発し、一五一七年、マルチィン・ルターが『九五箇条の論題』をザクセンの都市ヴィッテンベルクの教会の扉に掲示し、プロテスタンティズム宗教改革の幕を切って落とした。この二つの事件と大衆の識字化との関係は、歴史的に明白な事実である。









 しかし、図5-1と図5-2のヨーロッパの地図から判明することの一つは、プロテスタンティズムによる識字化推進の効率が、核家族システムの地域、とりわけイギリスで低く、ドイツやスコットランドのように直系家族だった地域では高かったという事実だ。逆もまた同じで、ドイツ文化圏に属する直系家族の地域で、宗教はカトリックという地域は、同じ直系家族をベースとするプロテスタントの地域には遅れたものの、それでもかなりの速さで高いレベルの識字化を達成していることがわかる。

第6章 ヨーロッパにおけるメンタリティの大変容

 ヨーロッパでは、一六世紀から一六五〇年までの間に女性の結婚年齢が二〇歳から二五歳へ、男性のそれが二四歳・二五歳から二七歳へ上昇した、さらに一六〇〇年から一六五〇年までの間に他殺率が半減した。歴史人口学と暴力の量の歴史研究により、一九三九年にノルベルト・エリアス(一八九七~一九九〇)が『文明化の過程』の中で性生活からテーブルマナーまでの生活全般における西洋人の行動の変容を指摘している。
 こうした変化は、今日の人びとの目に、ひとつの進歩と映るだろう。読むことの学習や暴力の量の減少は、異論の余地なく進歩と見なせるだろう。結婚年齢の上昇や独身率の上昇についての判断はやや微妙かもしれない。性の禁欲・節制は、今日ではもはやポジティブな価値と認められていないからである。それでも、晩婚と独身生活が出産コントロールの第一段階を成し、貯蓄へのある種の適性を助長したことは確かだ。そして貯蓄は、商業的・産業的離陸のための必要条件である。
  こうした変容の背景として、プロテスタンティズムの隆盛があったことは否定できないが、他方で、一五五〇年から一六五〇年に到る年月は、大々的な魔女狩りの一世紀であった。当時は、数百の村落共同体が偏執症に躍った司法官たちに導かれ、何千人もの老婆たちを火灸りにしたのだった。
 魔女狩りは、ヨーロッパのすべての国々がその発作に見舞われた。カトリック地域とプロテスタント地域の間に有意な差はなく、これらの現象が起こった地域のいずれにおいても、支配的な人類学的タイプは、当時出現しつつあった直系家族のそれであった。
 魔女狩りにおける女性抑圧の狂熱を、当時進みつつあった男女関係の変容に結びつけることができる。ヨーロッパ大陸全域に肉体の快楽を否定する雰囲気が拡がり、男女がカップルを形成する年齢が上昇していた。ドイツでは女性のステータスが急低下を始めていた。父系制原理が出現し始めたことが大々的な魔女狩りの起源にあったと確認できる。
 プロテスタントの軍事国家と初期ナショナリズム
 一七世紀以降、突如として、プロテスタンティズムのヨーロッパが集団行動においてずば抜けた能力を秘めていることが明らかになった。
 プロイセン、スウェーデン、あるいはヘッセン〔現在はドイツの連邦州の一つで、中心都市はフランクフルト〕といった軍事国家、また、オランダやイギリスのナショナリズムの擡頭であった。
 直系家族システムでプロテスタントの国々では、長男以外の男子たちが軍事化の恰好の道具となり、スウェーデン、プロイセン、ヘッセンの兵士採用のレベルを押し上げ軍事大国化が進んだ。
 直系家族、プロテスタンティズム、識字化、親族網の崩壊。近代のこの四つの次元を連動するという視点からみると、ヨーロッパ文明の離陸は産業の変容というよりも人類学的な変容という形をとって表れる。 
 次章でパースペクティブを拡大し、世界全体を視野に入れて、経済発展を教育水準上昇の結果の一つとして提示するつもりだ。

第7章 教育の離陸と経済成長

 次ページの表7-1は、アメリカの経済学者ウォルト・ロストウ(1916―2003)によるもので、識字化・出生率の低下・経済的離陸の達成年をしたものである。ここでは経済的離陸の年(ロストウの推定は産業投資率に大きく依存している)と、教育的離陸の年(基準としたのは、男女それぞれの二〇歳~二四歳の識字化人口が五〇%を超える現象)をみるとあきらかに、後者が前者に先行していることがわかる。 
 さらにデータを分析してみると、女性が識字率五〇%という閾値を超えた日付と、出生率低下の開始のあいだの相関は+〇・六七である。この相関関係は前述のものより弱いが、かなりのものだ。女性が識字化されてから平均で三〇年後に出生率の低下が始まっており、それが男性の識字化から数えると平均七三年後にあたるので、識字化は出生率を低下させる主要な要因の一つであると断定してよい。
  また、男性の識字率が五〇%という閥値を超えた日付と、ロストウが確定した産業的離陸の日付のあいだの相関は+〇・八六だ。このデータに基づいて、識字化は明らかに産業化に先立つと付言することができる。
 識字化の閾値が超えられた年と産業的離陸の年のあいだの間隔は、平均四四年である。識字化はまさに経済的離陸の主要要因の一つであり、相関係数の値の高さから見て最も重要な要因だといえよう。

 次に識字化が比較的早かったプロテスタンティズムの国々をみていくと、まずイギリスが男性識字率五〇%という閾値に到達したのは一七〇〇年頃であり、経済的に離陸したのが一七八〇年頃であるから教育上の閾値突破から産業上の閥値突破までに経過した年月は、わずか八〇年だった。ところがドイツでは一一五年、米国では一四〇年、スウェーデンでは二〇〇年だったのである。





 そうなると、プロテスタンティズムも、国民全体の識字化も、まっすぐ近代的な経済成長に直結したわけではないのである。
 第一次産業革命を成し遂げたイギリスの場合、別の説明要因を導入しなければならない。イギリスには石炭と鉄がきわめて豊富にあって、それをグレート・ブリテン島ならではの卓越した輸送綱で運ぶことができた。しかしドイツも、その後の歴史で確認できたように、天然資源を欠いていたわけではない。特筆すべきは、今日と同じように一七八〇年頃のイギリスが、絶対核家族という人類学的基底に由来する、きわめてフレキシブルな社会構造に恵まれていたということだ。イギリスの家族は、世代間の分離を、若者が親元から離れることを要求する。地理的・社会的移動を促すのである。イギリスの農民たちは土地にこだわっていなかった。通産相続の規則は、兄弟間にどんな平等原則も定めていなかった。家族内で、諸階級の間で、あるいは民衆世界の内部でさえも、機会の平等をア・プリオリに重視することのない文化は、上昇するにせよ、下降するにせよ、あらゆる社会的移動を助長する。そんな文化は、経済的・社会的構造のスピーディな変容にとっては理想的な人類学的フィールドだ。

 それに対して、なぜドイツが一時期、産業革命に抵抗したのか。それにはドイツの直系家族システムがある。直系家族の世界では、いったん獲得されたものは稀にしか失われない。知識の蓄積も雪だるま式に加速され得る。しかし、この保守能力は、潜在的ポテンシャルとして守旧傾向を内包している。蓄積の原則を基盤とする社会は、システムの断絶を引き起こさずに前進するのにたしかに適しているが、反面、その社会にすでに馴染んだ方法や目標を根元的に覆すことを受け容れるのは苦手であろう。絶対核家族の社会に比べ、直系家族の社会では、たとえば農村住民を都市住民に変える、職人を工場労働者に変える、貴族を企業経営者に変えるといったことがより困難となる。こうしたさまざまな社会的アクターが暮らし慣れた環境から離れたり、転職したりするのは、外からの圧力に迫られた場合に限られ、大きな苦しみを代償とするだろう。
 シュンペーターは、資本主義ダイナミズムの中心に「創造的破壊」のメカニズムを看て取った。ところが、直系家族は創造的破壊を得意としない。なにしろ、この家族システムの目標は無限の完璧化なのだ。少なくともそれが、「完成した」直系家族の機能であり、それ自体としても相当な完璧さの域に達した再生産のメカニズムなのである。

 ただ、一方でグローバル経済の中で日本とドイツが占めているポジションを見さえすれば、直系家族と経済成長が原則として対立するという仮説はたちまち疑わしくなる。確かにドイツと日本の社会が歴史のいくつかの局面で閉塞の様相を呈したことは事実なので、直系家族と経済成長の単純な結びつきを肯定するのも誤りであろうと思われる。
 そこで、注目したいのがエマニュエル・マトゥデイ〔都市論等を専門領域とするフランスの学者〕の研究である。彼は一九九七年に、二〇世紀のアルプス山岳地帯の複数の共同体を対象とする非常に見事で緻密な比較研究の書を上梓し、その中で村落共同体の特殊な経済的ダイナミズムを明らかにしたが、そのダイナミズムを支配的に担う人類学的タイプは核家族ではなく、純然たる直系家族でもなく、直系家族の不完全形だったのだ。
 結局、直系家族がそれ自体としてあまりにも申し分のない完璧なものになると、そのことがかえって杜会を閉塞させ、瀰漫性の麻痺状態に陥らせる。あるレベルの完璧さを超えると、直系家族という人類学的タイプは、加速の要因と同じくらいに硬直性の要因となるわけである。

第8章 世俗化と移行期の危機

 プロテスタントの世界から始まった識字化が伝搬し、司祭たちに統括されていたカトリックの世界でも進展した。広大なパリ盆地は家族構造からいうと平等主義核家族の地域だが、宗教改革の舞台となった地域に近く、一八世紀初頭という早い時期から識字化が進み、一七三〇年ないし一七四〇年頃には、北フランスで、司祭になろうとする者の数が激減する。識字化と世俗化が同時に進行したこの空間では、フランス革命にも先立って出生率が低下し始めたのだった。
 南ヨーロッパの都市部は、一八世紀のちょうど半ば頃、教会の支配から離脱した。その流れは、パリ盆地だけでなく、スペイン南部のアンダルシア地方や南イタリアも、全体として脱キリスト教化という歴史の新しい局面に入ったのだった。この脱キリスト教化を「世俗化」と呼ぼう。

  他方で、地理的には、カトリシズムの半分以上が一八世紀の宗教的危機のあとも生き残り、さまざまな地域で社会学的に有意味な宗教であり続け、一九六〇年代の半ばまでは人びとをまとめる役割を果たした。





 そして、カルヴァン派やルター派のヨーロッパでは、一八五九年にダーウィンが発表した『種の起源』を俟って初めて、世俗化が始まる。当時、当該地域の社会全体が旧約聖書とその創世の物語の文字どおりの解釈に依っていただけに、信仰が一気に醒めた。一八七〇年から一九三〇年までに、ヨーロッパの北部と北西部の一帯で、プロテスタントの牧師採用数が激減した。世俗化がついに、ヨーロッパ大陸上で最も高度に教育されていた部分に及んだのであった。この世俗化が、ヨーロッパにとって、最大限のイデオロギー的不安定の時代、二つの世界大戦と、ナチズムという恐怖の頂点を含む時代の幕開けとなった。

宗教の崩壊とイデオロギーの時代

 一七世紀から二〇世紀にかけて人類史がわれわれに見せてくれるのは、さまざまな社会が世界中で、しかし異なる日付に、まったく一定ではないリズムで、同じ近代化の軌道――識字化、世俗化、出生率の低下、イデオロギー的危機――を辿っていく光景である。
 宗教的空白と、性的行動の変化に起因する精神的混乱が組み合わさり、ポスト宗教改革の世界で諸々のイデオロギーが擡頭しやすい環境が生じ、擡頭したイデオロギーが第一次世界大戦へとつながっていった。
 日本は、この運動を元々のヨーロッパ圏・キリスト教圏の外で生きた最初の国だ。その日本では、明治時代(一八六八年~一九一二年)の初めに、世俗化の波が仏教の宗教システムに及んだ。日本仏教の危機は、こう言ってよければ「古典的な」パターンにしたがってナショナリズムの擡頭を招き、そのナショナリズムがあの国を台湾、朝鮮の征服へ、広大すぎる隣国・中国への侵入へ、そして遂には強大すぎる敵国に刃向かう真珠湾攻撃へと導いた。

家族構造とイデオロギー

 私は一九八三年に、『第三惑星 家族構造とイデオロギー・システム』の中で、家族構造とイデオロギーとの関連について以下のように述べた。
  • 英米の絶対核家族には、自由主義的だが非平等主義的なイデオロギーが呼応する筈である。
  • パリ盆地の平等主義的核家族には、普遍的人間の概念において頂点に達するような、自由と平等への信念が呼応する筈である。
  • 外婚制共同体家族には、権威主義的で平等主義的な、これまた普遍主義的な共産主義が呼応する筈である。
  • 直系家族には、権威主義的で不平等主義的なイデオロギー、すなわち社会民主主義、キリスト教民主主義、ナチズムが呼応する筈である。
  • 外婚制でない家族システム――アラブ世界の内婚制共同体家族や、核家族ではあるけれども、父系で集合する強い傾向と、交叉イトコ婚モデルの実践をともなうインド南部の家族――は、必ずしも反宗教的ではない独特の移行形態を生み出す筈である。
 今日では世界中から、圧倒されるほど大量の情報が続々と届く。その中にひとつの論理を見抜くには、個々の国について、識字化の閾値との関係におけるその国のポジションと、その国の家族システムに内包されている潜在的価値観を鑑定しておく必要がある。そうすることで、この国やあの国のイデオロギー的未来を予見することまではできないにしても、少なくとも可能性の範囲を絞ることはできる。

宗教とイデオロギー

 宗教とイデオロギーについては、移行期のあいだ一体になることが時折あるが、イデオロギーと宗教のこうした重なりの内に、過剰に特殊な人類学的・歴史的状況の表現を探すのは控えたほうがよい、としたうえで、次のように述べている。
 実際、人が「宗教」と「イデオロギー」を露骨に対立させるのは、宗教的な集団的信仰を本質的に形而上学的彼岸を目指すものと想定し、イデオロギーのほうはより水平的に理想の地上社会を求めると想定するからであうが、おそらくそれが間違いなのである。

 他方で、トッドはさまざまな近代的イデオロギーの形而上学的非合理性についても過小評価すべきではない、として次のように述べている。
 イデオロギーは宗教同様に個々人を統合する心理的機能を果たす。提示するプログラムが実現するより遥か以前に、イデオロギーは孤独から逃れる避難所となり、すこぶる地上的なアノミーに抗する治療薬となる。イデオロギーは漠然とした未来に「彼岸」を位置づけ、倦むことなくそれを喚起する。曰く、理想の共和国、搾取なき共産社会、千年帝国……。初期の賛同者たちは、信念を共にする者ばかりの集団への帰属によって安心し、初期キリスト教徒にも劣らず英雄的に振る舞うし、自己犠牲も厭わない。「自由か、死か」といったスタイルの標語を掲げて行動する。信じるイデオロギーが実は地上に、ある種の隷属を確立しようとしている場合でさえも。

第9章 イギリスというグローバリゼ―ションの母体

 一九世紀以降は、イギリスで産業革命が起こり、米国で領土拡大が進んだ結果、英米世界の発展が一気に本格化した。これを後押ししたのは、まず人口増加であった。
 今日では、英語圏では、約五億人が絶対核家族モデルで暮らすようになっている。絶対核家族は、人類の原初の未分化核家族に近いけれども、それと同一ではない。「絶対」という言葉はここでは、一組のカップルとその子供たちから成るグループを超える親族綱の機能が消滅していることを示す。成人した子供たちはもはや、両親と一時的な同居もしてはならないのだ。兄弟姉妹の相互扶助は社会的に無意味となる。そして、イトコ婚は完全にタブーとなる。
 この絶対核家族は、イギリスではエリザベス一世の治世(一五五八年~一六〇三年)の終わり頃において成立した。しかし、こうした絶対核家族においては、いわゆる「核家族的逆境」の問題が生まれる。つまり、配偶者ないし親のような近親者の死によって孤立した個々人、つまり老人、寡婦、孤児などはどのようにして生きること、ないし生き延びることができたのだろうか、ということだ。
 これに対して、イギリスの地域共同体は、一五九八年と一六〇一年の救貧法でこの問題に対処したのだ。救貧法のメカニズムは、集団全体の利益のために裕福な農民たちによって管理されていたわけだが、それは決して部分的・補完的なものではなく、ほぼ全地域をカバーしていた。その意味では、ヨーロッパにおける社会保障制度の先鞭をつけたのは1883年のドイツのビスマルクの社会保険制度ではなく、それよりも300年近くも早い救貧法だったといえる。

 ところで、ヘンリー八世の絶対王政下で、イギリスは一五三二年から一五三六年にかけてローマ=カトリック教会から離反したのだが、プロテスタント宗教改革が人びとの精神を変えるなどして本格的にその効果を発揮するのは、エリザベス一世の治世以降であり、まさにこの時期に絶対核家族が確立されたとみられるのだが、他方でイギリスにおける一五五〇年~一六五〇年のこの局面を「個人主義の擡頭」の局面として特徴づけてよいだろう。
 実際、未分化性から絶対的な核家族性への移行は、ある意味で、「個人主義の擡頭」というように解釈できるだろう。





 プロテスタント宗教改革はイギリスでもまた、ドイツでと同じように、「個人化」という効果をもたらしたが、また同時にドイツやスウェーデンでと同じくらい、プロテスタント的内面性は、個人の道徳と素行に対する共同体の監視や規制の強化をともなったのである。個人化のプロテスタント的「過剰」は、個人に対する地域共同体や国家の影響力の増大にその補償を見出す。
 絶対核家族は、孤児たちや老人たちの扶養費を税によって賄い得るほどに強固な村落共同体と共に、ひとつの機能的全体を成す。イギリスは、絶対核家族と同時に福祉国家を発明したといえよう。個人を地域共同体に組み込む力の強さも、イギリスという人類学的母体を成す要素の一つである。しかもそこには、その共同体が、男であれ女であれ個人がある共同体から別の共同体へと移ってしまうような、極度に高い移動性を許容するというパラドクスまで付帯している。

第10章 ホモ・アメリカヌス

 一七世紀ないし一八世紀の米国の家族は核家族に分類できるが、しかし、絶対核家族かどうかということになると、前章で同じ時代のイギリスの家族に適用した「絶対」という形容の適合する程度が、米国の核家族の場合には低くなる。
 北米植民地の礎を築いたのはたしかにイギリス人で、彼らは、イギリス流の価値観と社会編成についての観念を抱いて新大陸に上陸したのだった。しかし、アメリカには、それぞれの土地に最初に到着した移民たちの出身地の地域文化の痕跡があり、また時代とともにそれぞれの入植地では、社会組織のあり方がまさに変化したし、平行して家族もまた変化した。
 アメリカにおける純粋な核家族モデルの擡頭は入植の第三世代におずおずと起こり、第四世代で明白になったと推定できる。つまり、そのプロセスが進行したのは、一七二〇年から一七七〇年までの間だということになる。
 その後、一九世紀半ばからの産業革命を経て、産業社会が生まれ、給与所得生活をする大衆が出現するとともに、イギリス型の核家族モデルへの回帰が確定的になっていった。
 そして、二〇世紀を俟って初めて、米国の家族はイギリスのそれを想起させるほど完全な核家族性に回帰した。

 そして、一九世紀と二〇世紀初頭に米国には大量の移民が押し寄せるわけだが、移住にともなう試練の下、最初の時期に起こったのは家族的連帯の再確認・再強化であった。しかし、それから三、四世代下るうちに、どのグループでもそうした連帯が徐々に除去され、生活態度も米国の中心的な家族類型のそれに倣ったものとなっていった。しかも当時、その中心的な家族類型自体も、イギリス標準の絶対核家族モデルに改めて合致しつつあった。
 とはいえ、移民家族においては、父親が英語を不完全にしか使えないため、英語を使いこなすことができる子供たちが家族の中心であるような位置づけを与え、その結果父親の権威の失墜と母親の役割の増大と女性一般の擡頭もみられるようになった。
 また、国家による垂直的統合の弱い国である米国では、教会、もしくはある宗教の教団への帰属が、水平的な社会的統合の重要な要素となり、地域に密着した何らかの宗教グループに属していることが、個人や核家族の安全にとって不可欠の要素でもあった。
 家族という第一の母体を定義するだけに甘んじず、そこに地域集団の構造化のあり方を加味して比較対照すると、米国文化は、強い垂直性原理の不在によって、社会組織と諸々の心性を上から取り締まる超越的要素、すなわち社会的・国家的中枢の消失によって、イギリスという母体の文化と基本的なところで異なる。アメリカ革命は、国王への忠誠をやめ、長子相続制の残滓を抹消した。国家と教会による地域共同体の統制を廃止した。アメリカを創設したイギリス人たちの全員に共通だったプロテスタンティズムが、米大陸ではさまざまな宗派(セクト)に分岐した。かくしてアメリカは、イギリスから受け継いだ双系性、核家族性、外婚制という特徴に、原初的人間集団に存在していた水平性へのある種の回帰をつけ加えたのだ。

 この段階まで来ると、われわれは米国という国のパラドクスに接近し始めることができる。教育、テクノロジー、経済を考慮して言えば、一九〇〇年から二〇〇〇年にかけて、米国は間違いなく世界のトップランナーだった。しかし、誰もが認識しているその現代性・先進性を超えて、われわれは今や、アメリカなるものの人類学的基底が、イギリスのそれにもまして原始的あるいは、もう少し中立的な言葉を用いるなら原初的と見做されざるを得ないことを知っている。事柄を解釈するためのこの新しいカギを手に入れたわれわれは、今後このカギを用いて、米国の社会的メカニズムに固有の、一見当惑させられるような多くの要素をついに解明し得るのだ。

ホモ・アメリカヌスの特徴

 アメリカなるものの特徴を挙げるとすれば、まず上にみたようにアメリカの精髄は、原始的あるいは原初的なホモ・サピエンスの精髄にほかならず、それはイギリスから受け継いだ特徴に、原初的人間集団に存在していた水平性への回帰をつけ加えたものだ。
 そして、それは身体的暴力となって表出される。それ自体、まさに未開人モデルを延長する太古性にほかならない、とトッドは述べている。
 例えば、他殺率でみても、ヨーロッパでは、一六〇〇年から一六五〇年までの間に急落し、二十世紀の一九三〇年頃の時点でみた場合でも、一〇万人当たりの発生件数がすでにイギリスで〇・五件、スウェーデンで〇・九件、フランスで一・九件、ドイツで一・九件、イタリアで二・六件、スペインで〇・九件、そして、日本でも〇・七件でしかなかった。
 それに対して、米国は八・八件もあるのだ。アメリカ社会は歴史上ずっと継続して暴力的であったことが統計の数値にも表れている。一九〇〇年から第二次世界大戦にかけて、米国内の他殺率は一〇万人当たり六件から、一〇件近くにまで上がった。一九五〇年代にはそれが四件を少し上回る程度にまで下がり、その後一九七〇年~一九八〇年にふたたび上昇して一〇件に達した。それが今日ではまた下降して五件となっている。
 米国社会に多分に残っているこの暴力性は、ごく単純にひとつの太古性なのである。この太古性が保全されているのは、国家による正統な暴力の独占が不完全で、社会に垂直的原理が欠けていて、結局、人類学的なある種の水平性が維持されているからにほかならない。米国社会で一般市民が拳銃やライフルを所持するのは、中世ヨーロッパにおけるナイフの日常保持の永続化である。

 加えて、もう一つの特徴として、米国における男女関係の様相の不可思議についてである。実際、男性優位主義(マチズモ)とフェミニズムとの、男の空威張りと女の独立との奇妙な混合が米国文化を特徴づけている。よりニュートラルに、ここで語るべきはむしろ、米国風の生活において男女それぞれの役割が同時に肯定されていることであり、今日的なフェミニズムの勃興より遥かに前から、両性間の関係に構造的緊張が存在していることだと思う。

黒人バージョンのホモ・アメリカヌス

 米国の黒人に目を向けるとき、人は、家族構造の歴史において稀に見る不連続性のケースに直面する。アフリカから強制移送された奴隷たちが受け継いでいた伝統は、米国では入念に打ち砕かれた。なんと新大陸の世界に、マックス・ウェーバーの分析対象となったローマ帝国の奴隷と同じような、家族を形成して家庭を営む権利を奪われた奴隷たちを見出す。米国の黒人たちは、自らの家族史を思い出すことができなくなった。

 黒人家族が被った破壊は、まずもって男性の、そして父親の役割の被壊だった。米国の黒人の遺伝子構成には、その痕跡が残っている。大農園で、白人の主人たちは、レイプによって、あるいは支配的立場からの誘惑によって、遠慮なく黒人女性たちと性的関係をもった。それゆえ、現代遺伝学の測定によれば、米国の黒人の先祖の四分の一はヨーロッパ系だという。
 また、その遺伝子の一部分を構成するヨーロッパ系の要素のうち、男性が一九%である一方で、女性はわずか五%であることも確認されている。黒人男性と白人女性の間の性的関係は、「年季奉公人」としての身分にともなう準隷属の一環とされ、たしかに無視できるものではなかったが、しかし統計的重要度からいえば、奴隷所有者たる白人男性による黒人女性の性的使用の比ではなかった。

 E・フランクリン・フレイザーは後年、一九六五年の「モイニハン・レポート」〔米国の政治家で、社会学着でもあったダニエル・パトリック・モイニハン(一九二七~二〇〇三)がジョンソン政権で労働次官補を務めていた一九六五年に大統領府に提出した、黒人貧困問題に関する報告書〕を踏まえたうえで、米国史における人種間の関係や家族関係について、客観的でニュアンスに富んだ全体像を提示した。 
 それによれば、黒人の家族における女性たちの優位性と「おばあちゃん」の重要性、つまり暗黙のうちに認められた母系的つながりという側面の一方で、夫および父のステータスが、多くの社会的・経済的衝撃によって、また奴隷制廃止とそれに続いた北部への大移動によって絶え間なく脅かされつつ、徐々に、またさまざまな困難に遭遇しながら確立されてきた経緯もよく描かれている。

 米国の黒人があれほど強く宗教と旧約聖書に執着するのも、部分的には、家族と男性の役割を安定化させるための努力の表れとして受け取ることができる。旧約聖書は、父系制の夢であり、ユダヤ人や米国の白人にとっても、双系制に対抗する錘である。男性の役割を再構築するためのイデオロギー的支柱になり得るわけだ。
 いずれにせよ、これは強調しておく必要があると思うのだが、米国の黒人家族は、その歴史のすべての段階で、米国史を構成する諸要素の三にほかならない。つまり、黒人たちもまたホモ・アメリカヌスにほかならないのであり、いわば、ホモ・アメリカヌスの内で被支配的な立場にある一変種なのである。
 今やわれわれは以前よりも高度な知的武装に到達したので、次に述べる疑問によりよく挑戦できる。実際、アメリカなるものは事あるたびに、われわれヨーロッパ人にそれ自体として矛盾した二重の印象をもたらす。最も先進的だという意味で「モダン」を体現しているように見えるアメリカが、それでいて同時に「未開」だとも感じられるのは一体なぜなのか。われわれは前々から訝しく思ってきた。いつも心の中で、「彼ら(米国人)は明らかに先を行っている。そのくせ、およそまったくと言ってよいほど洗練されていない」と呟いている。だが、そう呟くとき、実はわれわれは知らずして、ごく単純なひとつの真実と紙一重のところにいるのだ。
 彼らは、ほとんどまったく洗練されていないからこそ、先を行っているのである。ほかでもない原初のホモ・サピエンスが、あちこち動き回り、いろいろ経験し、男女間の緊張関係と補完性を生きて、動物種として成功したのだ。他方、中東、中国、インドの父系制社会は、女性のステータスを低下させ、個人の創造的自由を破壊する洗練された諸文化の発明によって麻痺し、その結果、停止してしまった。

 なお、直系家族という中間的で特殊なケースの提示する問題は本書全体を貫くテーマでもあるので、そのテーマには、さらに先の章で立ち帰るつもりだ。
 我々は、これまでに、まずイギリスを、次に米一国を人類学的母体として認め、そのいずれもがホモ・サピエンスの原初の型に近いことを明確にした今、われわれは一七世紀以来の世界の近代化を理解することができる。まさに一七世紀に、英米世界がユーラシア大陸の変革におけるリーダーとなり、自らのモデルを提示し、自らのリズムを他に押しつけるようになった。
 最初にイギリスが、一六四二年~一六五一年の革命〔清教徒革命〕と一六八八年の革命〔名誉革命〕によって、当時のイギリスのささやかな規模においてではあったが、産業的離陸の制度的諸条件を明確化した。イギリスは、ヨーロッパ大陸全体と、とりわけフランスが絶対君主制にのめり込んでいったまさにその時期に、代表制による統治を「発明」した。一七七六年〔独立宣言〕から、またそれ以上に一八二〇年〔ミズーリ協定、奴隷制をめぐって対立していた北部と南部の妥協〕から、米国が民主主義を「発明」した。ここで、改めて確認しておきたい。今度はイギリスではなく、米国においてだったわけだが、やはり政治的変革が経済における擡頭に先行したのである。
 しかし、民主主義を「発明」するという表現には留保が必要だろう。というのも、家族構造と政治的イデオロギーの間に何らかの結びつきがあり、かつ、当時イギリスと米国を特徴づけていた家族構造が太古のそれに類似し、ユーラシア大陸の大部分を占めていた家族構造と比べて旧式だったとすれば、「発明」の意味合いが通常とは異なることになるだろうからである。次章で私は、太古的な家族構造の上に設置される近代民主主義が、それ自体も相当広範に太古的なものであることを明らかにするつもりだ。ルイス・ヘンリー・モーガン以来、未開人の原始的な民主主義と西洋人の近代民主主義を対立させる言説が伝統化している。ところが、われわれが次章で目の当たりにするのは、民主主義がある意味でつねに原始的だという事実なのだ。

  **民主主義がある意味で、常に原始的である、というトッドの命題は、次章以下に展開されることになりますが、戦後民主主義の中を生きてきた我々にとって民主主義が原始的なものだという感覚はほぼないと言っていいと思います。ホモ・アメリカヌスが原始性を有しているのはなんとなく分かる気がするのですが・・・**

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