下巻概要Ⅰ
下巻の副題は、「民主主義の野蛮な起源」である。以下に、あらためて、目次をみておきたい。
目 次 第11章 民主制はつねに原始的である 第12章 高等教育に侵食される民主制 第13章 「黒人/白人」 の危機 第14章 意志と表象としてのドナルド・トランプ 第15章 場所の記憶 以上、概要1 第16章 直系家族型社会――ドイツと日本 第17章 ヨーロッパの変貌 第18章 共同体家族型社会――ロシアと中国 以上、概要Ⅱ
第11章 民主制はつねに原始的である
まず家族形態の推移を分析し、次にそれがイデオロギーに及ぼす影響を分析した結果、われわれは歴史の大きなシークエンスを二つ、捉えるにいたった。 その一つ目のシークエンスは、家族というものが原初には未分化核家族であったこと、そして、紀元前三〇〇〇年から紀元後二〇〇〇年にかけて、大きくは直系家族、外婚制共同体家族、内婚制もしくは一夫多妻制の共同体家族、及びそれらの複合体としてさまざまに差異化してきたことが挙げられる。 また、ユーラシア大陸の西の周縁部に、未分化親族綱への組み込みから解放された純粋な核家族型が現れたことである。さらに、次のことも確認できる。農業発生の中心地に近ければ近いほど、家族構造がより高度に複合的であり、逆にその中心地から遠ざかれば遠ざかるほど、家族がより核家族的なのである。 二つ目のシークエンスを通覧することで確認できるのは、まず識字化に、それから世俗化に続いて出現したイデオロギーの諸形態と、先述の差異化のプロセスによって生み出された多様な家族構造の間の必然的関係だ。 イデオロギーと家族構造のつながりを、それぞれの家族類型の地理的分布と組み合わせてみよう。するとたちまち、次の事実に気がつく。個人主義的・民主主義的・自由主義的イデオロギーが、ユーラシア大陸の周縁部に、逆に、反個人主義的で権威主義的なイデオロギー、ナチズム、共産主義、イスラム原理主義は、ユーラシア大陸のより中心的な地理的ポジションを占めている。
民主制を脱中心化すること 西洋人ナルシシズムから脱却しよう。われわれはこれから、自由主義的民主制(リベラルデモクラシー)の概念と「近代」という概念を切り離すことにする。
一九九六年、ラウル・セビリア・マンダラパス〔一九一八~一九九九〕は、その著作『民衆の意志 非西洋社会における原初的民主制を探る』で、西洋の民主制に先行したいくつかの民主制を描いた。彼は、歴史の発祥地であるシュメールにおいて、民主制が、さまざまな権威主義的な政治的構築物よりも前に存在していたことを明らかにしたのである。すなわちシュメールの原始民主制である。 マングラパスは、トールキル・ヤコブセン〔古代近東学の碩学だったデンマーク人。一九〇四~一九九三〕がシュメールに関する先行研究において、メソポタミアの神々が自由で、集い、討議し、自分たちを統率する長を指名したり、その長たちに異議を唱えたりするという、まさに原始民主制ともいうべき統治を行っていたことを明らかにしたわけだが、それを踏まえたうえで、ヤコブセンの直観を踏襲し、その著『民衆の意志』において、帝国の時代に先立ってあらゆる土地に存在した民主的形態をリストアップし、多くの先行事例を提示した。その中にはインカ帝国やアステカ帝国の地域共同体における形態、イロコイ族〔北米東部森林地帯に居住していた先住民〕における形態などだ。イロコイ族に関しては、米国の人類学者ルイス・ヘンリー・モーガンもある種の「原始民主制」を指摘していたのである。
原始民主制とは、その最も一般的な形態においては、一つの集団の成人男子メンバーが集会を開き、合議し、その集団に関わる決定をおこなうことができる、ということだ。集会は、〔理念や法にもとづいて設置されたのではないという意味で〕「事実上の」制度であった。しかし、これらの原始民主制は、その根本からして平等主義的だったわけではない。というのも、トップの人物(王たち)は、非常にしばしば名門の一族から選ばれていたのである。この事実はいささかも驚くには当たらない。なにしろ、当時の相続の規則は、平等も不平等も原則の形に定めていなかったのだから。原始民主制の世界では、人びとの身分がほぼほぼ相対的に平等であり得たというだけで、不平等性と平等性のあいだの構造的対立は本格的には考えられていなかったのである。ときには、原始民主制ではなく、原始寡頭制と呼ぶほうが、実態により近いかもしれないとさえ思える。
西ヨーロッパにおける代表制的諸制度の残存と開花 以上のように原初の民主制を表象することから始めれば、われわれは、家族システムの歴史を裏返しに読んだのに続いて、ヨーロッパの政治史をも裏返しに読むことができる。 まず、背景となる家族類型の分布を要約しておこう。家族は、中世初期(五世紀~一〇世紀)のヨーロッパにおいては未分化核家族であった。かつてローマ帝国の支配が及んでいた地域に関していえば、ローマ風の平等主義的核家族の痕跡があちらこちらに残っていて、北フランスでは、平等主義的核家族が最終的に都市と田園地帯を支配していたし、イギリスでは、未分化の原初的基底により近い絶対核家族であった。従って、「分化した」家族類型は、一七世紀の半ば頃までは、ヨーロッパのどこにおいても、完全に確立されてはいなかった。
ヨーロッパの民主制についての歴史的認識については、ブライアン・M・ダウニングのように、「世界の他の主要文明と画然と区別される政治的特徴が数多く存在していた。それらの特徴なかでも最も重要なのは、代表者たちの集会であったが、それは自由主義的民主制の基礎を成したのである」として、それを高く評価する者もあるが、トッドはこのダウニングの認識を、西洋ナルシシズムに溢れている、と切り捨て、次のように述べる。 実際は、中世のヨーロッパは、家族および政治の発展の観点から見て、ユーラシア大陸の非ヨーロッパ地域に大きく遅れをとっていたにすぎないのだ。中東、インド、中国は、その頃すでに、父系制共同体家族と、最大限に権威主義的な政治体制構築の段階に到達して久しかったのである。それに対して、中世のヨーロッパには、未分化核家族の類型だけでなく、村人または貴族の集会が移しく存在していた。都市がとりわけイタリアとフランドル地方で栄え、この二つの地域は、ダウニングが注目しているように、寡頭支配的な性格の強い代表制が形を成す中心地となっていた。 こうした都市化の段階は、ヨーロッパでは中世になってようやく訪れたわけだが、古代ギリシアでは紀元前六世紀および紀元前五世紀を、メソポタミアでは紀元前三〇〇〇年紀〔紀元前二〇〇〇年代〕の転換期を特徴づけるものであった。ヨーロッパでは中世末期になっても政治的代表制がいっこうに形骸化していなかった。それは、端的にいって、ユーラシア大陸の周縁部にあたるこのヨーロッパという地域が、歴史的発展の面でおそろしく立ち後れていたことの反映だったのである。
イギリスが一七世紀に自由主義革命を生み出せたのは、あの国に、原始的(あるいは原初的)な民主制、もしくは寡頭制の代表制度がなお充分に残っていたからである。議会が、大陸ヨーロッパの議会のように消失するどころか、イギリスでは権力のすべてを奪うに到った。もっとも、イギリスは島国なので、国防を担うのが国土の外に位置する海軍であり、したがって軍事革命の危険がなかったということも事実である。また、このように分析するからといって、いうまでもなく、イギリスの代表制度の発達におけるモダンな新しい要因、たとえば大衆の識字化や、交易、職人仕事、工業の発達といった要因が果たした役割を排除するわけではない。
政権交代をともなう自由主義的民主制が容易に定着したのは、ヨーロッパでも、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、デンマークといった核家族システムの国々においてだけだった。
イギリス式寡頭制から米国式民主制への移行は人種感情に依存した 一六八八年の名誉革命は、イギリスを寡頭制タイプの代表制にまで導いたが、その先へは導かなかった。 イギリスでは不平等の現実がショッキングなものと受け取られないのである。すでに第9章で確定できたとおり、イギリスの人類学的母体は個人主義的であるが、非平等主義でもあって、まさしく、自由主義的でありながら寡頭制的な政治システムに必要な家族的インフラストラクチャーなのだ。
一八世紀のアメリカは、イギリスとは反対に、民主制拡大の方向へ推移した。 米国の礎を築いたイギリス人たちがアメリカ大陸に持ち込んだ家族構造は、核家族的ではあったが、フランスのパリ盆地の核家族を特徴づけていた平等という価値観は具備していなかった。 アメリカの民主制には、元々から客観的な土台が二つあった。一つは、北部の農地の配分が平等主義的であったこと。北部は少なくとも一九世紀の半ば頃まで中農たちに支配されていたのだ。もう一つは、住民の教育水準の高さで、これはプロテスタンティズムに由来していた。しかしながら、米国人のプロテスタンティズム諸宗派の教義の基礎を成すカルヴァン主義は、人びとが平等であるとは信じない。「すなわち、万人は均一の状態に創造されたのでなく、ある者は永遠の生命に、他の者は永遠の断罪に予め定められた」とカルヴァンは説いているのだ。 ところが、最初の植民者の到着からまだ一世紀半も経過していなかった一七七六年に採択されたアメリカ『独立宣言』には、カルヴァンの予定説とは正反対の言葉が記されている。 《われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信じる》〔斉藤真訳、高木八尺・末延三次・宮沢俊義編『人権宣言集』岩波文庫、一九五七年、一一四頁〕 元々は人間の不平等を明白なものとする信仰を抱いていた米国人たちが、なんと大きく変化したことか!どうしてこれほどの変化が、しかもかくも迅速な変化が、可能であったのか。 独立宣言自体が、この謎の解を提示している。カルヴァン的な不平等主義から民主的な平等主義への移行がどのようにおこなわれたかを明示している。実際、独立宣言はインディアン〔アメリカ先住民〕のことを「情け容赦のない野蛮人」(merciless savages)と述べている。平等な人間たちを語ったあとで、今度は、人間的でない人間たちに言及しているわけだ。不平等は、白人の社会的集団から放逐されて、外部の要素の上に固着した。外部の要素とは、独立宣言のテクストの中と米国北部ではインディアンのことであり、米国南部の社会的現実の中では黒人のことであった。『アメリカのデモクラシー』(一八四〇年)を著したトクヴィルは、内部の奴隷制諸州を特徴づける独特の平等主義に注目し、次のように観察した。「だからこそ、奇妙なことだが、民主主義の高揚は、貴族制がもっとも深く根を張っていた州ほど抗いがたかった。メリーランドは大領主の手で建設されたが、この州が最初に普通選挙制を宣言し、政治全体にもっとも民主的な手続きを導入した」 つまりは、黒人奴隷が数多くいたことが、白人としての平等意識を活性化したのだった。
米国史を播くと、民主主義の勢力伸張の一つひとつを人種へのこだわりの擡頭と結びつけることができる。たとえばアンドルー・ジャクソン(在任一八二九年~一八三七年)は米国で普通選挙が普及し、一般化した時期の大統領なのだが、熱心に奴隷制を擁護し、インディアンたちをミシシッピー川以西へ強制移住させることを決然として主張した。本書の第14章で、われわれは、トランプ現大統領〔本書刊行の二〇一七年当時〕の崇拝対象であるこの人物に再び出会うことになろうが、西部では、一八六〇年から一八九〇年までの間に、人種感情が最高潮に達する中で大平原のインディアン二十五万人の殲滅が行われたのだ。 したがってレイシズム(人種差別)はむしろ、アメリカン・デモクラシーを支える基盤の一つなのだ。建国期には、白人集団の内部での平等感覚の発達を促した。その後、移民流入のすべての段階で、インディアンでも黒人でもない者たちの社会統合を容易にした。その場合に対象となったのは、最初は北ヨーロッパ出身のすべての移民であり、その後、しばらくの躊躇ののちに、イタリア人のように肌の色がもう少し濃い移民たちや、ユダヤ人のような非キリスト教徒たちもそこに含まれるようになった。より現代に近い早い時期には、黒人に対する差別が、日系、朝鮮系、ベトナム系、あるいは中国系の米国人を白人扱いに格上げすることを可能にした。 今やわれわれは、アメリカにおける民主制の魔法を定式化できる。すなわち、
 兄弟間の平等の不在+黒人とインディアンの排除→人種主義的民主制
 民主制のアメリカは、寡頭制のイギリスと同様に安定している。イギリスやアメリカには、家族に関わる無意識の内に錨を下ろしているどんな平等原則も存在しないがゆえに、大衆の激しい政治的平等主義の突き上げがフランスでのように繰り返して起こることがないのである。
エスニックな民主制という概念 古代世界のアテナイにすでに具体例を見ることができるのだが、「他者」の拒否による自己確立に、あるいは、アテナイの場合であればすべての他者を拒否することによる自己確立に強く拠って立つことで、民主制が出現してくることがある。アテナイにおける民主制擡頭の最盛期に発布された紀元前四五一年の法律は、父親も母親もアテナイ人であることを、市民権取得の条件として課した。紀元前四世紀に入ると、アテナイ人と外国人の婚姻も禁じられた。 ピエール・L・ファン・デン・ベルヘ〔ベルギー出身の人類学者、ワシントン大学名誉教授、一九三三~二〇一九〕が南アフリカ共和国を描写するために詳説した概念に「領主民族の民主制」(Herrenvolk -Democracy)というものがあるが、米国はその建国期から第二次世界大戦まで、まさに「領主民族の民主制」の原型であった。 今後私は、イデオロギー的により中立的な「エスニックな民主制」という概念を用いるつもりだが、この概念に含まれる「エトニー」について、排除すると同時に包摂するものでもあることを念押ししておく。つまり、元々の米国の場合でいえば、インディアンと黒人を拒否するが、それはすべての白人を出自を問わずに同化するためであったというわけだ。 われわれが辿り着いたところにあるのは、どうやら、少し思いがけないアメリカン・デモクラシー像である。 一八世紀のイギリスは、家族面では非平等主義的核家族で、政治面では自由主義的でありつつ寡頭制的であった。高い識字率や、始まりつつあった産業革命から見るとたしかに近代的であったが、しかしそれでも、代表制の政治形態が残存していて、やがて開花していったという面から見ると旧式な社会であった。
一九世紀のアメリカが実現したのは、イギリス・モデルの西への移動だけではなかった。 前章で見たとおり、イギリス・モデルから遠ざかり、家族システムのレベルで、未分化だった人類の原初的基底にいささか近づいたのだ。その基底には、ホモ・サピエンスの原始民主制が含まれている。 米国では、イギリスの社会システムの垂直的要素の大半が廃止されたのだ。要は、アメリカで姿を現し、拡がったシステムが、地域共同体の数々と連邦を構成する諸州を擁して、イギリスのシステムよりも遥かに水平的であり、原初的人類を構成した原始的集団のシステムに遥かに近いわけだ。そのようにして成立したアメリカという国家は、代表制が素晴らしくよく機能した。それは、高い教育水準のお蔭であり、人びとに当初与えられていた経済的条件が相対的に平等だったお蔭であり、また、社会を不安定にしやすい平等主義的無意識の不在のお蔭でもあった。 しかし、われわれがすでに見てきたとおり、アメリカという国家はこれまで一度として、正統な暴力の独占を自らに確保し得たためしがない。米国の住民たちはまったく当たり前のように旧式で、武装しており、その他殺率はヨーロッパの水準の五倍から一五倍の間で推移している。
アメリカは、もしそれを原初のホモ・サピエンス集団の大規模な現代版として捉えてよいならば、かつて人類が異なる部族と部族、異なる民族と民族の間でどのような関係を営んでいたかを教えてくれるのかもしれない。オープンさとレイシズムの混合、ヨーロッパ系の人びとの同化とインディアンや黒人の拒否というこの混合は、おそらくは、細かく分岐したとはいえ依然として普遍的なひとつの古い典型、すなわち、同化的であると同時にレイシスト的でもあった原初のホモサピエンス・モデルが、現代的な様相を纏い、一つの大陸に拡がるかたちで完成したものにほかならないのだろう。 **上記のようにアメリカにおける同化(ヨーロッパ系)と拒否(インディアンと黒人)に基づく社会というものが、トッドによれば同化的であると同時にレイシスト的でもあった原初のホモサピエンス・モデルの現代版であったというわけである。つまり家族型は原初的な未分化核家族であり、その基底にはホモ・サピエンスの原始民主制が含まれていて、そうした家族形態を基盤に同化=包摂と拒否=排除を統合したエスニックな民主制すなわち原始民主制が現代のアメリカで開花したのである、と。
アメリカの具体的普遍、フランスの抽象的普遍 分析のこの段階にまで到ると、世界的理想としてのアメリカの成功を理解することができる。たしかに、普遍的人間という概念を生み出したのはフランスだ。しかし、全世界を「グローバル化」し、全世界に自らの言語を与えたのは、人間の平等という概念の理論づけにおいては劣るにせよ、やはり英米世界(アングロサクソン)なのだ。 もちろんフランスは実際に、平等原則について格別に明快なビジョンを持っているがゆえに、アメリカが自らのあるべき姿を意識化するのを昔から継続的に助けてきた。例えばトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』もそうだし、ごく最近も、所得配分についてのトマ・ピケティ〔『二一世紀の資本』の著者、一九七一年生まれ〕とエマニュエル・サエズ〔フランス人経済学者、一九七二年生まれ〕の共同研究は、米国での論議の中心に最富裕層「1%」の概念を持ち込み、米国の民主制における階層の対立という問題系を復活させることに貢献した。 そして、執拗に続く黒人差別についても、近年、カリフォルニア大学バークレー校に拠点を置くフランス人研究者のロイック・ヴァカン〔社会学者、一九六〇年生まれ〕が決定的な責献をおこなった。彼は、移しい数の黒人の若者が投獄されている事実の内に、アメリカが今なおそこから脱却できずにいる人種システムの〔奴隷制度、奴隷解放後にも存続した人種差別法に続く〕三つ目の形の具現を看て取ったのだ。彼が二〇〇〇年に発表したジャーナル論文「アメリカの新たな特殊制度代替ゲットーとしての刑務所について」は、ベストセラーになった しかしながら、フランス人たちの普遍的人間は、いわば抽象的な人物だ。フランスの普遍主義は、ひとつの単純な下意識モデルに従って機能する。すなわち、子供は平等だ、人間は平等だ、人民も平等だ、したがって普遍的人間は存在する、というわけなのである。フランスの中心部分は、同じ国土の周縁部分を占める直系家族が権威と不平等を価値としているのに対して、それと対立する自由と平等を主張する必要を抱えていた。ここに、フランス普遍主義のメッセージの明晰さは由来している。いずれにせよ、われわれフランス人の普遍的人間の概念はすこぶる特殊な人類学的基盤から出現してきているのだ、と認めなければならない。
兄弟の平等――この場合、姉妹は排除される――という次元が、中国、アラブ、ロシアの世界観をことごとく普遍主義的に規制した。とはいえ、ロシアやアラブ世界や中国では、家族の宿す反個人主義のせいで、人びとの選好が、フランスで観察できたのとは反対に、何らかの閉じられた構造――政党、集権的経済、宗教、ネイション――に組み込まれている普遍的人間へと、つまり、たしかに他の人間と平等ではあるけれども、常にエスニックな人間像へと向かう。もしかしたら、こうした国々や地域に関しては、〔普遍的人間ならぬ〕普遍的ネイションの理想を語るべきなのかもしれない。
家族から始まって他者ビジョン一般にいたる単純な下意識メカニズムは、直系家族の場合がそうであるように子供たちが不平等であるとすれば、平等主義に劣らぬ強さで、正反対の方向に命題を確定する。すなわち、子供は不平等だ、人間も不平等だ、人民も不平等だ、したがって普遍的人間など存在しない、ということになる。これが、ドイツ、日本、バスク地方やカタロニア地方などを特徴づける類推シークエンスである。
英米の絶対核家族にも、固有のシークエンスがある。子供はそれぞれ異なる、人間もそれぞれ異なる、人民もそれぞれ異なる、というシークエンスである。不平等が断定されるわけではないが、普遍的人間の概念もまた確信の対象にならない。しかしだからこそ、この他者ビジョンの下で、個人主義をベースとする移民の統合が可能になる。ただし、それが本当に可能であるためには、どこか近くに、忌避対象の役割を果たして他を引き立て、その一つを除くすべての同化を可能にするような「他者」が存在していなければならない。 したがって、英米世界の特殊性の一つは、そこに普遍的人間を非普遍的人間から分かつ境界線が存在している、ということである。
人間的普遍を完全には人間的でないものから分かつ、この英米流の境界線が有する最も注目すべき特殊性の一つは、包摂される人類一般を拡張する方向で移動していく能力である。アイルランド人、イタリア人、ユダヤ人、日本人、中国人、韓国人が、ごく最近にはインディアンが、そしてもうじき皆が気づくだろうが、ヒスパック(南から来たもう一つの先住民を指すコードネーム)が、容易で数多い混合結婚の効果の下で「白人」に格上げされてきた。しかし、黒人はどうか? フランスは、このタイプの「人種的」なこだわりとは無縁である。人間――すべての人間――は類似している筈なのである。 とはいえ、移民集団が普遍的人間のイデオロギー的想定を疑わせるような習俗を持っている場合には、文化的な外国人恐怖症を鮮明に表出することがある。女性蔑視的で内婚に傾斜するアラブ世界の家族文化がフランス流の普遍主義を極度に苛立たせるのは、その家族文化が、普遍主義の確信そのものを否定するように見えるからだ。そこに、フランス的イデオロギーの偉大さに固有の問題がある。
どこで暮らしていようと、どんな文化を生きていようと、人は皆互いに同様の存在である、というように人間一般を見做すことにおいて、アメリカはフランスほど秀でていない。アメリカは常に、自らの存在を感じるために、ミステリアスな境界線の向こう側に位置づけられる「他者」を必要とするだろう。しかし、アメリカの人類学的システムと、そのシステムから自発的に生じるイデオロギーは、フランスの人類学的システムとイデオロギーよりも人類の原初的類型に近く、それゆえ、具体的な意味でより普遍的だといえる。アメリカは、そのあり方において、太古的で普遍的なホモ・サピエンスをよりよく体現しているのだ。
思うに、あるがままのこの自然さにこそ、アメリカなるものが人びとを深く惹きつける所以がある。もちろん、アメリカは、未開拓の大地を、その豊かさを、数百万の飢えた農民がそこでまずまずの経済生活を営み、自分たちの子供のためにさらによい運命を夢見ることができるような可能性を世界に提供した。 アメリカは未来を語ることができたのだ。しかし、アメリカはまた、その生活様式によって、人類共通の過去のようなものをも体現している。アメリカは、深い回路をとおして秘かに、われわれの内部に埋もれている本能に、地上に生きるすべての民族のすべての人間に存在するあの太古からの基底に訴えかける。
しかも、ここでいうすべての人間のうちには、家族的・人類学的構造において複合化へ、洗練へ、規範――父系的または母系的、平等主義的または不平等主義的規範――の方へと進化した人間たちも含まれている。だから、アメリカの本当の神秘は、われわれの共通の未来を表現する国として現れてきていながら、われわれの過去をもまた内に含み持っているという点にある。アメリカはわれわれに、進歩の希望と退行の幸せを同時に提供する。
つねに原始的な民主制 アメリカがフランスに先んじて近代民主制を発明したのも、原初的な自然性というこの同じ理由による。なぜなら、近代民主制は、アメリカで人類の太古的基底に大衆の識字化が重ね合わされた結果なのだから。その基底には、自然で原始的な民主制が含まれているのである。 英米的未分化性のほうが、フランス的平等主義よりも、集団の自意識を存続させるのにより適している。これはなぜか。子供たちが非-平等で、人間一般も非-平等であるとすれば、人びとの集合体も多様で、それぞれ確定的なアイデンティティを持っていると想定され、そうしたアイデンティティが一定の条件の中で民主制の定着を可能にするのである。このことを、われわれはまた別の、よりシンプルだが諦念のこもった表現で述べることもできる。民主制は常にエスニックな土台を有する、と。
まとめよう。アメリカが近代民主制を発明したのは、白人住民のほとんどが読み書きできるようになっていて、教育上の具体的な平等主義が市民の平等を充分に考え得るものにしていたからである。しかしアメリカは、平等も、不平等も、ア・プリオリには信じていなかった。その面では未分化であって、今日も未分化にとどまっている。その一方でアメリカは、情け容赦のない野蛮人〔米国独立宣言がインディアンを評した言葉〕、または黒人奴隷という、外見的にも異質の印象の強い「他者」を排除し、その「他者」との対立において定義される集団への生き生きとした帰属感情を見出し、培った。これらが、最初の近代民主制の出現にともなっていた主要条件であった。とりもなおさず、「原始民主制を生み出した諸条件の再活性化+識字化」である。 **教育を通じた識字率の向上と平等的な価値観が、アメリカのエスニック民主制を生み出す基本的条件であったことをあらためて確認しておきたい。**
さらに、トッドは次のように言う。イギリスまたは米国の人類学的システムの徹底した外婚制が、白人集団の内部における個人主義の開花にひとつの貢献を成したに違いなく、同時に、移民現象と、黒人を除く個人の同化に対する最大限オープンな態度をも可能にしたということ。 さて、次に続く数章では、グローバリゼーションが大衆の識字化によって創出された平等概念の崩壊として分析され得ることを、そしてそれがすべての先進社会について言えるけれども、とりわけ英語圏に適合するという事実を示すつもりだ。また、西洋で二〇〇〇年頃から始まっていた民主制の失地回復の動きが明確になったのは、イギリスの国民投票でブレグジット(EU離脱)の方針が優位を占め、米国でドナルド・トランプが大統領に当選した二〇一六年であって、それが起こったのは――いつものように、と言えそうだ――人間の平等へのア・プリオリの信念が存在しない英語圏においてであったということも確認するだろう。またもやわれわれは、民主主義的実践を育む上での英米の自在さを理解するために、ホモ・サピエンスの自然な基底との近さに注目しなければならないだろう。しかしながら、われわれは英米両方のケースで、件の失地回復の内にまたも外国人恐怖症の要素を見出すこととなる。民主制は、いつまでも果てしなく原始的なのである。
**ここで、上巻の第3章ホモ・サピエンス、においてトッドがまとめているホモ・サピエンスの人類学的原型について再確認しておくのも無駄ではない。それは以下のような公式で示されている。 原型ホモ・サピエンス=(N+M+E+Ⅰ)*Ⅴ ここで、Nは核家族性、Mは単婚制、Eは外婚制、Ⅰは親族システムの未分化性で、それらの4つの要素はすべて五つ目の要素Ⅴ(変異性)の作用を受ける。すなわち、ホモ・サピエンスは前の4つの要素を持っているが、絶えざる変異性を備えた存在だったということであり、それによってホモ・サピエンスは進化の競争を制したのだとトッドは考えているではないかと私は理解しています。またこの変異性という概念は、私なりの理解では、環境に応じてフレキシブルに細かい変容を加えていく能力ということだと思います。**
第12章 高等教育に侵食される民主制
第二次教育革命―― 一九〇〇年~一九四〇年 中等教育、つまり読み書きと単純な計算のレベルを超える段階の教育がいち早く大衆に普及したのは、一九〇〇年から一九四〇年にかけての米国においてだった。そしてその時期に、アメリカは世界全体の発展の先頭に立ったのである。 一九〇〇年頃、中等教育機関(ハイスクール)への入学率はまだ一〇%でしかなかった。それが一九四〇年頃には七〇%に達したのだ。中等教育修了証の取得率も、この二つの年を隔てる四〇年の間に六%から五〇%に上がった。 また、米国では、ナショナルな教育プロジェクトが強力な中央の国家機構によって打ち出されることすらなく、すべてが連邦国家の監督の外で進んだ。第二次教育革命、「中等」教育の革命は、民主主義的で平等主義的なひとつのイデオロギーによって直接もたらされた。さらにこの中等教育は、すぐれてアメリカ的なティーンエイジャーを作ることで移民の同化を可能にするという効果も持った。 一九二四年からは移民制限とも相侯って、米国のパブリック・ハイスクール(公立高校)はこうして、一九五〇年頃には、単に繁栄しているだけでなく、文化面での同質性も高いアメリカ社会を出現させることに貢献した。 民主制の最盛期 二〇世紀初頭、アメリカ社会は物質面できわめて不平等だったが、教育インフラは平等主義的な状態にとどまっていた。 このような教育の普及が底辺にある中で、一九二九年の経済危機は発生したのだった。当時すでに、米国人の半数が中等教育を経験し、その内の四分の一はハイスクールを卒業していた。それゆえ、経済システムの機能障害が結果として米国社会に招来したのは、すこぶる論理的なことに、ルーズベルトのニューディール政策という平等主義的な政治的対応であった。国家による経済の調整と所得への課税は、経済的不平等のレベルを、なるほど漸進的にではあったが、揺るぎなく確実に低下させた。



エマニュエル・サエズとトマ・ピケティが示したように、国民所得の内、人口の上位一〇%の富裕層の専有する部分が一九二八年には四六%だったのが、一九五二年には三二%に落ち、一九七二年までその水準にとどまった。超富裕層の一%が我が物とする部分は、一九二八年には二〇%だったが、一九五三年には九%に落ち、一九六三年から一九七八年まではずっと八%で、あたかもその水準に固定されたかのようだった。
第三次教育革命とその停止 第二次世界大戦終結の直後から第三次教育革命、すなわち高等教育の普及が現実となり、戦前からの上昇運動が引き続いた。一九〇〇年には、バチェラー・オブ・アーツ(BAディグリー、学士号と同等)の学位を取得した者は、二五歳の男性のわずか三%、女性のわずか二%だけだったが、一九四〇年になると、すでに男性の七・五%、女性の五%がそのような学歴に該当し、さらに一九七五年には、その比率が男性で二七%、女性で二二・五%に達した。 しかし、初等教育ではほとんど完全に適用でき、中等教育でもおおむね適用できたモデルは、高等教育では次第に通用しなくなる。実際、普及の動きは一九八〇年から一九八五年にかけては、男性のBAディグリー取得率が二二・五%に落ちたのである。その間、女性のBA取得率は一定のレベルにとどまっていて、その後、男女ともに率が再び上昇に転じ、二〇〇〇年頃には、男性で三〇%、女性で三五%に到達した。こうして女性の学歴が男性のそれを追い越したわけで、この現象は、その後、米国のあとを追うようにして高等教育革命を実現する国々のほとんどで観察されることになる。



しかし、高等教育修了者が人口の三〇%~三五%という上限(とりもなおさず、若年世代における高等教育修了率である)に達した時点で、教育普及の上昇運動が停止し、社会全体における教育普及の停滞が始まる。二〇一五年に、米国社会はほとんどその地点に達した。一九五〇年、一九八〇年、二〇一〇年のデータをピックアップし、異なる年齢集団を比較すれば、世代ごとの教育水準の同質化によって社会全体が教育普及の停滞期に入っていくという、この免れがたいメカニズムが観察できる。バロー=リーのデータに依拠してそれを見ていこう。表12-2に明らかなように、二〇一〇年には、わずかに高齢のリタイア世代を例外としてほとんどすべての成人世代の高等教育修了率が三〇%から三五%までの間の数値となっている。



結局、米国社会では二〇一〇年ないし二〇一五年以来、労働力人口の全体において、最若年層にわずかに再始動の兆しが窺えるとはいえ、教育普及が停滞していると見てよい。米国統計年鑑のほうも、高等教育修了率の上限として三〇%弱の数値を示唆している。高等教育の革命は、今のところ、終息した状態にある。
高等教育の普及が頭打ちとなる現象は、まず米国で、その後各国で、不平等主義的な社会的下意識を生み出した。



表12-4に従って、二五歳以上の諸個人の教育水準の分布をみると、初等・中等教育修了者を主力としていた一九八〇年の米国社会が見えてくる。その社会の内部で、すでに市民の三〇%が何らかの形態の高等教育を享受していたことも分かる。 そして、三〇年後の二〇一〇年、「高学歴」グループが人口の半分以上を占めている。しかし、このグループ自体もすでに階層化されている。「高学歴」グループのちょうど半分、すなわち同世代全人口の二七%が完全な高等教育(バチェラー・オブ・アーツ=BAディグリー、あるいはそれ以上)を享受しているが、残りの半分は、大学に入学はしたものの、学部を卒業していない。2016年の米大統領選挙期間中において世論調査の専門家たちが「大卒」と「大学中退」を2つのカテゴリーに区分しているように、そこに明確な階層化がみられることが示されたのである。
高等教育の普及がもたらす反民主主義的な影轡については、幾人かの明敏な分析家は非常に早い時期にその影響を予測していたのだ。イギリス人の社会学者マイケル・ヤング(一九一五~二〇〇二)は、早くも一九五八年に、その著『メリトクラシー』において、学校教育の過程で人びとが徹底的に選別されることに起因する、恐るべき社会階層形成について描写している。
イギリスにおける不平等、アメリカにおける不平等 イギリスは、昔から平等との折り合いが悪く、人間と人間のあいだに超えがたい差異があるという感覚が消えなかった。 他方、アメリカはというと、人間と人間のあいだの不平等を明示的に求めようとする態度から、独立義争によって解放されたのだった。かくして米国は、教育上の不平等が事実として完成するまでは、不平等主義的イデオロギーの生産においてイギリスに追いつくことがなかった。 しかしながら、一九七一年、すなわち、高等教育普及の進展が停止してから辛うじて数年経ったという時期に、ハーバード大学の心理学教授リチャード・J・ハーンスタイン(一九三二〇~一九九四)が、『アトランティック・マンスリー』誌に、《IQ》(知能指数)という非常にシンプルなタイトルの論文を発表し、人びとに衝撃を与えた。彼はその論文で、知能指数に差があり、その指数が諸個人の社会的パフォーマンスに確実な影警を与える以上、不平等は今後とも解消しないと断定していた。
ハーンスタインがあたかも到来を予告するかのように述べた階層社会は、彼が件の試論の執筆に取りかかったときにはすでに現実化していた。一九七一年には、米国の平等主義的理想の崩壊が進行していた。ベトナム戦争(一九六三年~一九七五年)が触媒の役割を果たしたのだった。
現実を暴露したべトナム戦争―― 「労働者階級の戦争」 ベトナム戦争には、非常に多くの米国人が動員された。一九六五年から一九七一年まで、その数は年間一五万人を超えた。大量動員のピークは一九六八年で、その年は五三万六〇〇〇人だった。動員されたのは誰で、動員を免れたのは誰だったか。 クリスチャン・アピー〔米国人歴史学者、一九五五年生まれ〕の『労働者階級の戦争 アメリカ人戦闘兵たちとベトナム』は、戦争への参加と反対が、米国における階級意識をどれほどはっきりと表面化させたかを明らかにした。 まさにベトナム戦争が続いていた時期に、米国では、学生と労働者の間に、「高等」教育を受けた者と「中等」教育を受けた者の間に、対立が現れたのである。
大学は、その活動がGDPの内に占める割合から見ても、先進諸国の経済社会生活の中で重要な役割を演じている。大学をめぐる旧い表象から自由になるために、この全体を「アカデミア」と呼ぶことにしよう。米国では、二〇一二年頃、高等教育に割り当てられていたのは年額に換算すると、約四五〇〇億ドルである。 アカデミアは、近年は、非常に重要な都市機能の一つにもなっていて、中都市が繁栄するか衰退するかは、しばしば、そこにアカデミアが存在するか否かに依る。 一方で、アメリカではアカデミックな世界の公式イデオロギーは「リベラル」、つまり進歩主義であり、左翼である。しかし、それでいて、アカデミアが客観的に果たしている機能は、むしろ平等の破壊なのだ。今や明らかにアカデミアは、社会の階層秩序化への貢献を最大の存在意義としている。 学生はもはや、高等教育レベルの学びに勤しむときに、知的・精神的な白己解放を目的としておらず、野心的であるならば社会というピラミッドの上層部に到達するためであり、良家の子女ならばその上層部にとどまるためであり、庶民の出であるならば「落ちこぼれ」ないためである。選別がますます苛酷化し、それに応募する者たちに、社会の各方面で表化した競争への服従と順応の態度を強いている。権威と不平等、これこそがアカデミアの秘密のスローガンだ。
結果としての経済的不平等 実際、エマニュエル・サエズとトマ・ピケティが一九一三年から二〇〇三争までの課税所得の推移を示す曲線を確定してくれているお蔭で、われわれは、米国で経済的不平等がいつ顕著になったのかを知ることができ、それが確かに、教育における不平等の顕在化に引き続く時期だったことを確認できる。



さて、ピケティとサエズのグラフを見ると、一九四五年以降、五%と四%の所得がゆっくりと上昇している。この五%と四%はいずれも、恵まれている人びとの内に入るけれども、その内ではさほど恵まれていない人びとだ。最上位の一〇分位数の大部分を仲良く一緒に構成する人口層である。一方、同じ時期の上位一%の所得は一九六三年まで下降し続け、その後一九八〇年まで横ばいにとどまっている。一九八〇年に一%の層の所得の上昇が始まり、一九八五年からはまさに急上昇する。所得水準でその一%に次ぐ四%の所得の伸びも少し加速するが、一%の所得急上昇とは比べ物にならない。 一九八〇年、それはレーガンが大統領に選出された年である。社会全体が戦争のような雰囲気の中で、新自由主義が操縦桿を握った。労働市場の規制緩和や資本自由化の措置などが高額所得の上昇と低額所得の停滞の諸条件、つまり、経済的不平等がすさまじいまでに顕在化する諸条件を作ったのだ。 なお、金持ちたちの解放によって生じた不平等の拡大は、第三次教育革命の効果の下で個人の能力が新たに階層化されたことによって生じていた、一九八〇年に先立つ不平等のわずかな進展とは絶対的に質の異なる現象であった。ここでわれわれが観察する推移は複合的ではあるが、その中でもやはり常に、文化的なもの、イデオロギー的なもの、そして政治的なものが、経済的なものに先行している。 一九八〇年以降、経済的不平等の拡大は絶えることなく続いている。国民所得の内で最富裕の一〇%に占有される割合は、一九七二年には三二%であったが、二〇〇二年には四三%になっていた。最富裕の一%が占有する割合は、同じ期間に八%から一七%に上がった。この数値は、二〇世紀初頭に記録された最高値の一八%に近い。
自由貿易と不平等への「摂理のような」前進 われわれは、一九八〇年から二〇一五年まで続いた不平等への前進の抵抗し難い性格を確認しなくてはならない。新保守主義革命は、ドナルド・トランプ登場に到るまでの間ずっと、「民主制」を伝統とし、複数の強力な政党が選挙で得票を競うような国で、その革命が引き起こさずにはいない経済的・社会的矛盾に冷淡だったように見える。 反平等主義的運動の持つこの津波的性格こそがまさに、社会の趨勢を決める上で教育とイデオロギーが有する優越性を確信させてくれる。ひとつの見えざる手が、すべての経済政策を凶暴なまでに不平等主義的な選択へと導いたように思われる。 完全自由貿易をおこなえば、アメリカ人労働者が彼らの二〇分の一、三〇分の一の給料で働く第三世界の労働者たちとの競争に晒されると分かりきっているのだから、それを選択しようと考え、実際に選択するのは、もはや平等を信じようとしない社会においてしか可能でなかったはずだ。 自由貿易は企業の利潤率をアップし、不平等を拡大する。こんなことは、何十年も前から、米国人学生向けに作成された国際経済の教科書に明記されている。そんな教科書の普及に努めた者たちが、自由貿易が労働者階級の生活を揺るがし、黒人コミュニティを荒廃させることを承知していたことはいうまでもない。 とりわけ、賃金が押し下げられることは何人にも予測できたはずだ。こんな簡単なメカニズムを理解するには、高度な知識を身につける必要などまったくない。ところが、なるほど完全自由貿易の利点を一般に先駆けて称賛・吹聴したのはエリートたちだったけれども、それを率先のよいこととして歓迎したのは米国の有権者集団全体だったのである。だからこそ、一九八四年の大統領選挙で、明確に保護主義的な政策を掲げ、労働組合の支持を受けて立候補した民主党のウォルター・モンデール〔米国の政治家、カーター大統領任期(一九七七年~八一年)中の副大統領。一九二八~二〇二一〕が、ロナルド・レーガンに圧倒的な票差で歴史的大敗を喫したのだった。
企業の代表取締役や役員の給与が、経営上のあらゆる必要性を超え、あらゆる倫理原則を超えて飛躍的に上昇したのも、不平等主義的なイデオロギー環境のせいであって、経済的合理性に属するどんな理由にも拠っていなかった。そうした社会的錯乱にも正統な根拠があるなどといって、金目当ての経済学者たちが無意味に難解な、わけの分からぬモデルを持ち出しても、彼らの迷論をいちいち解体しようとするのは時間の無駄である。不平等が時代精神だったのであり、時代精神にマッチすることなら何でも許されたのだ。だから、大企業の操縦を任された代表取締役たちは金庫を開けて、中身を取り出し始めた。マルクス・レーニン主義の「各人にはその必要に応じて」〔「各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて」は、マルクスの『ゴータ綱領批判』(一八七五年)から広まったスローガン〕を金持ちのために転用して、奇妙なパロディを演じるかのように。二〇一三年に、米国の最も規模の大きい企業五〇〇杜の代表取締役の「平均的な」所得は、平均的労働者のそれの二〇四倍となっていた。一九五〇年には、それは二〇倍であったのに。 **アメリカの民主制を生み出した諸条件の一つである教育が、中等教育・高等教育の拡大に伴って、中間層の分断と経済的格差の拡大をもたらした。加えてアカデミアがその権威を用いて分断を助長したのだ。 また、自由貿易が不平等の拡大を推し進めるということは、トランプの関税政策によりあらためて注目されている。**
第13章 「黒人/白人」の危機 トクヴィル著『アメリカのデモクラシー』を読んだことのある人はもちろん、読んだことのない人でも、アメリカを西洋民主制の筆頭国と目する人ならば皆こぞって、ほかでもないアメリカが、一九八〇年から二〇一五年にかけて、経済的不平等の飛躍的拡大をじつに易々と受け容れてしまったという事実に呆然とし、ある種の驚きを禁じ得ないだろう。 実際アメリカでは、新自由主義革命が、どんな大きな政治的事件に見舞われることもなしに、正常に機能するさまざまな代表制度の枠の中で展開したのだった。すでに見たとおり、教育領域における新たな階層化が大きな要因となって人びとの平等主義的下意識が溶解し、不平等主義的下意識が形成されたという事情は、米国とその他の先進諸国に共通だ。ところが、アメリカの変容は飛び抜けてスムーズで、ヨーロッパの大陸諸国や日本と比べて、さらには、人類学的な基底において米国にあれほど近い英国と比べても、格段にスピーディだった。なぜ、そうだったのか。



この表13-1の資料はいずれもトマ・ピケティの研究に負っている。国民所得のうち、上層部の一%に吸収される部分の増大が、フランスではなかなか現実とならなかったことが分かる。フランスでそれが本当に起こったのは二〇〇〇年代に入ってからだったのだ。その増大は、イギリスではより早く、より激しかったが、米国では、そのイギリスのレベルを超えて飛躍的だった。米国の民主主義的伝統は何はともあれイギリスのそれよりも古く、また、人が一般に信じるところでは、より堅固であるはずなのに。 米国における不平等化拡大の規模がこれほど大きかったという事実をこそ、われわれは説明しなければならない。そのためには、アメリカの民主制の基底そのものを、すなわち、最初にインディアンと特に黒人を劣等に位置づけることで白人の間の平等が確立されたという事情を、改めて踏まえることが不可欠だ。政治生活への黒人の参加・統合が、白人の平等感覚を不安定化することに貢献したのである。教育領域における新たな階層化と、人種差別撤廃のための闘争との組み合わせによって、アメリカにおける平等の崩壊がすこぶるクリアーに説明される。



人種差別撤廃 一九五〇年代中頃までに、米国市民の八〇%が中等教育を享受するようになっていた。普及した中等教育こそ、全世界の主役として自らの将来を楽観する力強いネイション(国民集団)の精神的インフラストラクチャーであった。当時から米国は、共産主義の支配圏に対峠していた。共産圏は、段階的に、(それとは知らずに)かつて外婚制共同体家族によって占められていた地理空間を覆い尽くし、東欧から中国まで、ユーラシア大陸の中心部を支配していた。平等主義的な共産主義イデオロギーとの競争が、米国における平等の問題を深刻なものにしていた。 ナチズムに勝利した直後、世界的な東西対立の文脈において、米国では黒人たちが劣等の地位に置かれているという事実が、ソビエト連邦を利する強力な論拠となっていた。そこで米国は、自らの民主主義システムの内部にマイノリティである黒人を包含しようと試みた。この時期にこそ、歴史的展開を解明するカギを看て取ることができる。なにしろ、その時まで常に、アメリカの民主主義意識は白人同士の間での平等主義として確定されていて、その平等主義は、インディアンまたは黒人を劣等的地位に置くことなしには考えられないものだったのだから。
一九六四年から一九六五年にかけて制定された公民権法と投票権法が、アメリカというネイションの大きな方向転換を画した。黒人の包摂が優先事項となったのだ。米国はこのとき、エスニックな民主制に、すなわち、ひとつの支配的な集団を基盤として特定の賤民集団を排除するシステムから脱却しようと決意していたのである。大胆な統合政策を発動し、「強制バス通学」〔白人・黒人の生徒比率を平均化して振り分け、バス通学させる措置〕によって学校における人種差別撤廃を実現しようとした。「アファーマティブ・アクション」(積極的差別是正措置)によって、教育においても雇用においても蓄積していた黒人コミュニティの立ち遅れを埋め合わせるべく、大学に、また公共部門を中心とする経済領域に、黒人専用の席を用意した。この政策は、無視できないレベルの効果を上げた。二〇〇〇年前後には、二五歳以上の黒人の一六・六%がBAディグリーを取得していて、それを持っていない七一・九%の白人(ヒスパニック以外)よりも学歴が高いという状況が生まれた。黒人の警官や消防士たちは、今やアメリカ生活情景の一部分を成している。
白人民主制の動揺 とはいえ、社会的・政治的システムへの黒人の統合は、白人集団内部の平等主義を脆くした。ひとつの苛酷な三段論法的メカニズムのせいである。白人たちが黒人の劣等性を前提し、その上で自分たちは互いに平等な存在だと認め合っていたとすれば、白人たちと黒人たちの平等性の出現は、白人のあいだの平等をその原理において破壊せずにはいない。 したがってアメリカでは、一九六五年以来、黒人解放が平等主義文化解体の要因の一つとなり、その効果が、教育領域の新たな階層化で上層の白人と下層の白人に分断された白人集団の内発的な崩壊に重なったのだった。 ただ、ここで、あるひとつのパラドクスにだけは言及しておかねばならない。米国の政治的ダイナミズムにおける意識と下意識の間の矛盾を明るみに出すパラドクスである。 意識の次元のイデオロギーに注目すると、一九六〇年代のちょうど中期に白人たちが抱いた黒人解放への意志は実に鮮明で、称讃に値すると感じられるし、その意志は、アメリカのデモクラシーの創設原理の拡張でもあって、当初の人種的決定論からついに脱出しようとする平等主義的ダイナミズムの効果にほかならない、というように思える。しかしながら、次のように考えてみることはできないだろうか。実情はむしろ、高等教育の普及によって平等感覚がぐらついてしまった白人の世界で、黒人の劣等性という観念がもはやその機能を果たさなくなった、と。もしそうだったとすれば、高等教育を受けた白人層が被支配集団たる黒人の解放を望んだ背景に、その層がすでに白人の平等を信じなくなり、それゆえ黒人の存在を特に問題視しなくなっていたという事情が潜んでいたわけだ……。 すると、論理がひっくり返るだろう。すなわち、事実に即した三段論法は、黒人たちが白人たちと平等になると、白人の間の平等性がその意味を失う、ではない。そうではなくて、白人同士の関係が不平等になると、黒人の劣等性がその意味を失う、なのだ。 私はここで確かに、冷酷な問題を提起している。しかも、米国における人種感覚の根強い存続についてこのあと提示する分析も、その内容はこれに劣らず冷酷だ。しかし、読者にはくれぐれもよく理解していただきたいのだが、私の意図は何らかの反米主義をけしかけようとするものではまったくない。私見によれば、この間題は格別に重要なのだ。なぜなら、アメリカがひとつの具体的普遍を表象しているからである。ホモ・アメリカヌスこそ、先進世界おいて原初のホモ・サピエンスに最も近い類型だからである。 黒人たちが白人たちと平等になると、白人の間の平等性がその意味を失う、ではない。そうではなくて、白人同士の関係が不平等になると、黒人の劣等性がその意味を失う、なのだ。
初等および中等教育修了者における人種感情の存続 こうした冷徹なアプローチを採ることで、われわれは、一九六五年から二〇一五年にかけて米国黒人の運命を特徴づけた進歩と退行のとてつもない混在を、たとえ理解するとまではいえなくとも、あえて直視することはできる。 その期間、白人層の大部分には人種感情が存続していた。世論調査の結果がそれと反対のことを示していても、考慮に値しない。なぜなら、人種間題の核心に存する婚姻の分析がそんな調査結果を覆すからだ。なにしろ、混合結婚の比率が高ければ、人種はその濃度が低くなり、ついには消失するのである。 昨今の世論調査だけを見れば、異人種間結婚について、米国人の多くは比較的寛容な傾向を示している。しかし、最近結婚した人口のうちの混合結婚率を見ると、アジア系とヒスパニック系ではおよそ二五%であるのに対し、黒人においては一七%にとどまっている。いずれにせよ、米国黒人の混合結婚状況に典型的なのは、女性が除外されていることだ。最近結婚した黒人男性の二四%は、自分と同じ人種カテゴリーには属さない相手と結婚したが、その率が黒人女性では九%でしかない。 しかも、混合結婚の相対的進展が見られたのは、結婚自体の激減という文脈の中でであって、その激減が特に顕著なのが米国の黒人層においてなのだ。なにしろ二〇一〇年頃、米国黒人のうち、既婚者は人口の三一%でしかなかった。さらに二〇〇八年に、未婚の母の誕生の割合が黒人女性では七一・八%に達していたが、これが白人に分類される女性のうちでは四〇・六%、ヒスパニックと見做される女性のうちでは五二・六%であった。この現実を踏まえると、米国黒人における混合婚率の上昇が持つ意味は、男性に関してはごく小さく、女性に関してはほとんど皆無だと言わなければならない。米国社会の中で異質として特別視される人種カテゴリーにおいては、未婚であり母親であるというタイプが断トツに多く、事実上このカテゴリーを代表している。 **なお、ギャラップが2021年9月10日に発表した調査結果によれば、異人種間結婚を認めると答えた米国人の割合は、過去最高の94%にのぼっている。 ギャラップがこの調査を始めた1958年には、異人種間結婚を支持する人はわずか4%で、94%が不支持だった。 過去10年では、地域や世代による意見の違いが大きく、1991年になっても、南部における異人種間結婚の支持率は33%にすぎなかったが、2021年9月10日に発表された調査では、この割合は93%となっていた。 また、50歳以上の年齢層で異人種間結婚を支持する人は、1991年にはわずか27%だったが、現在では90%を超えている。 ただし、この調査はあくまで異人種間結婚であって、必ずしも黒人と白人の結婚とは限らない。また、後に見るように、黒人の学歴格差は拡大しており、アファーマティブアクションやDEIにより高学歴層の黒人の社会的上昇は進んでいるが、他方で低学歴層の社会的脱落は加速している現状があり、おそらく黒人と白人の結婚率でも学歴格差が大きいとみられるが、そこまでの統計調査は示されていない。 確かに、この調査を見れば白人層の意識も変わってきているように見えるが、こうした意識の変化へのいわばバッククラシュとして「トランプ現象」があるのではないかと思います。**
福祉国家に逆らう人種感情――共和党 一九六〇年前後までは白人集団を平等化する原動力として働いた人種感覚が、一九八〇年からは、白人の間の経済的平等を破壊するための梃子になった。 それに対して、人種差別撤廃措置への拒否感から共和党は、「強制バス通学」やアファーマティブ・アクションへの反対運動等を通じて、課税主体としての連邦国家への全般的な敵愾心と五〇の州の諸権利の尊重を求める闘いを促していった。 そして、一九八〇年のレーガン登場とともに、南部の白人有権者たちを民主党から奪い、次には、北部の元アイルランド系、あるいは元イタリア系の労働者層を本格的に地盤化していった。こうして共和党は、すっかり白人の党となった。 一方、黒人の投票行動は、とてつもないレベルの共同体主義的色彩を帯びた。時と地域の状況によってはコミュニティの八五%、または九五%もの票が民主党に投じられるようになったのである。
まさに人種感情の存続のおかげで、共和党は白人の労働者たちを操作し、彼らが自らの階級的利益に反する投票行動を繰り返すように導いた。この時期、共和党は一貫して宗教的価値を掲げたのだが、それでいて、政権に就くたびに、大幅に、かつ繰り返して富裕層に課す税を軽減し、すでに「黒人向け」と一般に思われていた社会的優遇措置を縮小した。特にレーガンが狙い撃ちにしたのは、いわゆる「社会福祉の女王たち」、すなわち国家から生活保護費や福祉給付金などを不当に騙し取って暮らしていると見做されていた黒人の未婚のシングルマザーたちであった。
ここで、なにゆえに米国の労働者層は自分たちの利益に反する投票行動をとり得るのかという疑問の見事な解明として評判の高い著作『カンザスの何が問題なのか』の中で、著者のトーマス・フランク〔米国の政治評論家、一九六五年生まれ〕は、新白由主義を受け容れて減税のために闘うという罠に落ちた白人有権者たちに人種主義的な動機はなかったと主張しているが、この見解は、いちばん大事な点を見落としている。すなわち、米国の政治文化のただ中に、一見、人種差別撤廃の勝利を示す世論調査につながる誇らしい普遍主義的言説と、無意識というよりも言表されないものというべき根強い人種的ステレオタイプとが共存しているという事実である。 その事実は、一九九九年に、マーティン・ギレンス〔莱国の政治学者〕が『なぜアメリカ人は福祉を嫌うのか』の中で改めて示したように、アメリカのメディアが、貧困は黒人に限定された現象だという偽りのイメージと、公的扶助の対象は黒人だけだという偽りの考えを流布浸透させてきたという現象に明確に表れている。
人種的反動の病的次元――黒人大量収監 危機の推移を観察する上で、暴力事件の増加は非常に確かなシグナルだ。奇しくも当時の米国社会では、人びとの私生活上の行動の大変化にともなって、私生活上の暴力が著しく増加した。この方面のデータのうちで、指標としての信頼性に関する議論の余地が最も小さいのは他殺率にほかならない(殴打、傷害、レイプその他の犯罪行動、麻薬の使用に関する法律違反などの頻度は、それらの届け出・申し立ての率にあまりに大きく依存するため、完全に信頼するわけにいかない)。



さて、米国における他殺率は、一九六二年~一九六一一転頃にはすでに、人口一〇万人当たりの死亡者数が四・六人という水準に達していて、それはもちろんヨーロッパの標準値を明確に上回っていたが、その後、その率が統計上のいわば最低ラインを画することとなった。殺人による死亡者数がコンスタントに増加し、一九七四年には人口一〇万人当たり九・八人にまでなり、一九七六年にはいったん八・七人に減ったものの、また増加に転じて一九八〇年には一〇・二人に達した。そしてその後一九九五年まで、この人数は毎年八人を超えるレベルで揺れ動いた。ところが、一九九六年からはこのデータの水準が急速に下降し、一九九九年には六人を下回り、二〇三毎には四・七人というところにまで立ち帰った。この指標に依拠して、われわれは、一九六四年~一九九五年を移行期的危機の期間と捉えることができる。この期間、米国社会はやや自己喪失的な混乱状層にあったと考えられる。



こうした文脈の中で、社会不安が改めて米国の黒人たちの上に固着した。自由貿易のせいで黒人労働者の雇用が毀損され、それにともなって夫や父親の立場にある者の権威がぐらつくなかで、習俗の自由化が、奴隷制廃止以来続く困難な安定化への途上にあった黒人家族の破壊を完遂した。そのため、暴力現象が突出して現れたのは黒人コミュニティにおいてだった。黒人コミュニティが、アメリカのありとあらゆる苦悩が結晶する場となった。かくして、経済的・社会的発展の相対的停滞という、かつてなかった新しい歴史的状況の中で、黒人たちが再び、アメリカの社会的・精神的編成における否定的な極を成すこととなった。
一九八五年、レーガンの行政府と共和党が、クラック禍〔クラックはコカインを精製した高純度の麻薬で、一九八四年~一九九〇年の六年間、その使用率が高かったという〕をめぐる正真正銘のプロパガング作戦を用意周到なやり方で実施した。その結果、もとより黒人たちを別カテゴリーと見做していた米国人の集団意識の中で、若い黒人男性はア・プリオリに、つまり本人の実際の行動とは無関係に、身体的脅威の体現者と目されるようになった。 麻薬との戦争を宣言したのはロナルド・レーガンだったが、それが最高潮に達したときの大統領はビル・クリントンだった。この「戦争」の間にアメリカは、人を唖然とさせるほどの収監率を記録した。白人の米国人はほとんど影響を受けなかった。一九六五年から一九六九年までの間に生まれて、白人に分類されている男子にとっては、刑務所行きを経験するリスクは二・九%でしかなかった。その人物が高等教育の受益者でない場合には、その率は上がって五・三%に達したが、(大学卒であれ、大学中途退学であれ)高等教育を受けた人物であったなら、〇・七%にまで下がるのだった。同世代の黒人の場合、全体として見たときの刑務所行きの可能性は二〇・五%だった。大学に進学しなかった黒人ならそのリスクが三〇・二%にまで上がるが、大学入学または卒業の学歴がある場合には四・九%に下がるのであった。
黒人コミュティーの階層構造 オバマ大統領は黒人であり、世論調査の結果によれば、米国社会ではこの時期、人種的寛容が高いレベルに達していた筈だ。ところが、すでに確認したとおり、混合婚率は依然として低い。第一、大統領夫人も、大統領自身と同じように黒人である。〔バイデン〕副大統領夫妻はいずれも白人で、このカップルもまた人種的に同質である。そして刑務所には、移しい数の黒人が収監されている。こうして、最もポジティプな要素と最もネガティブな要素が混ざり合っている。この混淆から脱出するには、黒人の米国人についても、白人の場合と同様に、教育レベルに基づく社会的階層化が現実となっていることを認めなければならない。 黒人の場合には、うまく浮上して展望を拓く「高学歴の黒人」と、社会の下層に沈む「低学歴の黒人」とにはっきり二極化している。 二〇一五年の黒人人口に関するデータは、このマイノリティにおける就学率の鮮明な再上昇を証拠立てているのだが、それによれば、二五歳以上の黒人のうち、BAディグリー(学士号)の保持者は二二・五%、学士号取得には到らなかったものの、大学に進学したことがある者は三〇・四%、中等教育修了免状を持っている者は三四・一%そして、教育システムから発行されるどんな資格も有しない者は三%である。 とはいえ、われわれはこの問題について、根元的に悲観的なビジョンを採用するよう強いられているわけではない。アメリカは動き続けている。その動きの中で、社会の下層階級も、米国社会全体と同様に安定化への途上にある。就学から外れて警察の主要な獲物となるあの若者たち、いわゆる「ハイスクール・ドロップアウト(高校中退者)」の比率も、黒人人口の中で着実に下がってきている。
表13-2 米国における人種別教育水準(2015年)
| 25歳以上の教育水準(%) | 黒人 | 白人 | ヒスパニック | アジア系 |
| 高等教育修了 | 22.5 | 36.2 | 15.5 | 53.9 |
| 高等教育末修了 | 30.4 | 27.6 | 21.3 | 16.1 |
| 中等教育修了 | 34.1 | 29.5 | 29.9 | 19.1 |
| それ以下 | 36.7 | 33.3 | 10.9 | |
「白黒」で見る新自由主義の強制収容所 われわれはまず、黒人が米国の建国当初から、その存在によって、白人の間の平等の確立や米国流民主制のダイナミズムに欠かせない役割を担ってきたことに注目した。その次に注目したのは、高等教育の展開によって生み出された階層化の新しい文脈において、いったいどのようにして「黒人間題」が、新保守主義革命の開始や、ニューディール政策以来の福祉国家に対する攻撃のための梃子に使われ、ひいては白人の間の不平等の途方もない拡大を可能にしたのかという点だった。
たしかに米国の政治システムは安定しており、二大政党が政権交代を繰り返しつつも、一九七八年頃以来つねに富裕層優遇の政策を実施してきたのだが、その点にこそ、私が思うには、経済的不平等の擡頭が米国で刑務所の増殖—―——疑いもなくシステムの緊迫を示すしるし――を伴った主要な理由がある。 連邦刑務所と州刑務所における収監者の人口比は、一九六六年~一九七四年に一〇万人当たり一〇〇人だったのが、二〇〇〇年には五〇〇人、二〇〇七年には五二〇人に増加した。その後少し減って、二〇一三年には四八〇人となった。ローカルな刑務所も勘定に入れると、二〇一一年には、一〇万人当たりの収監者数が計七四三人に達していた。国際比較では、この数で第二位に来るのはロシアだが、米国の数値からはかなり離れていて、五六八人である。二〇〇九年の米国では、男性成人の一・四%が投獄されていた。 これを人種別に見ると、白人の〇・七%、ヒスパニックの一・八%、黒人の四・七%であった。
米国における収監問題の規模の大きさをしっかり捉え、「新自由主義下の強制収容所」という概念の妥当性を鑑定するために、まずは、ロシア出身の分析家の見解を聴いてみよう。 ロシア系米国人の科学者ドミトリー・オルロフは、その著『崩壊を発明し直すソ連の経験と米国の予想』の一つのパラグラフにおいて、刑務所について次のように述べている。
「米国の司法システムは、いい学校に行った者、大企業、金持ちを優遇し、充分な教育を受けなかった者、無一文の者、貧乏人を冷遇する。そこでは、司法対策としてお金を適切に用いさえすれば、ほとんどどんな法律上の問題も避けることができるようである一方、国選弁護人に甘んじなければならないような者が法律上のトラブルに巻き込まれようものなら、それがどんな些細なことであっても、罰金や刑務所行きにつながりかねない。基本的に、ある程度以上こみ入った裁判システムはことごとく本質的に不公正であり、その極度の複雑性をコントロールするのに足るだけの資金を有する者に有利なのである。」 つまり、明らかに米国では法律関連のもめ事では、お金を持つ者は、それを持たない者に対して、告訴するぞと単に脅しをかけるだけで勝利を手にすることができるのだ。
米国では、一九六五年から二〇一三年までに、弁護士の数が人口一〇〇〇人当たり一・五人から四人に増えた。つまり、弁護士二・五人分は法律上のもめ事が増えたということであり、したがって、強者が弱者を支配する訴訟メカニズムも二・五人分多く働いたということになる。 今われわれは、国家への隷従に市場の自由を対立させる経済学者兼哲学者たちの新自由主義理論から遠くかけ離れた地点にいる。米国の収監率に照らし合わせてみるとき、ある種のベストセラー本のタイトルには呆然とさせられる。ミルトン・フリードマンの『資本主義と自由』は甚だしい見当外れに思えるし、フリードリッヒ・ハイエクの『隷従への道』は完全に皮肉だとしか思えない。市場を王様のように祀り上げていたら、新たな強制収容所が出現したのである。
歴史的・人類学的なシークエンスの把握に立ち帰ろう。一九八〇年~二〇一五年、米国で一貫して急速に不平等が拡大し、同様に雇用の不安定化も深刻化した。個々人の内に、健康や老後の問題に対処できなくなるのではないかという潜在的な恐怖が棲み着いた。この恐怖は、社会階層の下の方にいればいるほど強迫的なものとなる。収監システムの発展はこの恐怖を別の恐怖、すなわち投獄されることへの恐怖によって処理する。新自由主義の前進は、政治システムの安定にもかかわらず、自然でも容易でもなかった。



アメリカの国家は、選挙は従来どおり自由の原則に基づいて実施され、表現の自由も存続したが、一方で、シンクタンクの創設、新聞雑誌の買収、もっぱら金目当ての宣伝を事とするテレビ局の設置などを通して、大量の金銭がイデオロギー空間に流れ込み、表現の自由を行使できる条件が変えられた。そして、隠れたところで巧妙に大量収監の実施によって恐怖体制が敷かれた。大量収監はまさに国家暴力の一環である。しかし、なぜ黒人を標的にしたのか。 たしかに、収監の脅威は全市民にのしかかる……。しかし、一般に白人はその脅威を免れる。そうだとすれば、国家が人種的に狙いを絞った抑圧をおこなうお蔭で、白人の間の平等が最終的に忌まわしい姿に変異を遂げたと考えなければならない。教育へのアクセスと所得配分においては消えてしまった白人同士の平等が、ひとつの否定的な形をとって存続する。白人が共通に有するもの、それは今や、収監の恐怖にさほどは晒されないという特権なのだ。 社会的・経済的なこの推移は、自由主義的で、非平等主義的な絶対核家族に固有の価値観に対応しているのだろうか。私はといえば、教育領域における新たな階層化と人種的分断によって、経済的・社会的不平等が、英語圏の諸社会における通常の人類学的規定を越え出てしまったというふうに思っている。第一、人類学的な規定による制約の踏み越えという仮説なしには、二〇一六年の米国大統領選におけるドナルド・トランプの当選が理解し難いものになってしまうだろう。 **黒人が置かれている状況がここまで厳しいものとどこまで世界の人々は理解しているでしょうか?アファーマティブ・アクションによってごく一部の黒人が社会の上層に見えていても、その背後では膨大な数の黒人が刑務所に送られている、それが今のアメリカなのです。**
第14章 意志と表象としてのドナルド・トランプ
二〇一六年一一月のアメリカ合衆国大統領選におけるドナルド・トランプの当選は、米国のエリート層を、さらには全世界のエリート層を驚かせた。しかしそれは、本書に含まれているテーゼのうちの二つを申し分なく例証してくれる事件でもあった。どんなテーゼかを確認しておこう。一つは、教育領域に現れた新たな階層化が経済的・政治的衝突に強い影響を及ぼすとする主張である。そしてもう一つは、民主制の原初的な基礎を突きとめて、民主制の発生や再生には何らかの他者の存在が恐怖症が必要であるとする指摘にほかならない。 したがって外国人エスタブリッシュメントを顧客とするメディアは、トランプを下品で、非常識で、邪悪な男、あるいは気のふれている男として表象した。ところが有権者たちは、苦境にありながらも合理的に、アメリカを本来の基盤へと立ち帰らせる意志を表明した。
トランプヘの投票の合理性 グローバリゼーションは、そもそも米国に先導され、管理され、当然米国に利益をもたらしていると思われていたのだが、その発展の果てに、ほかでもない米国の住民たちのただ中にまで、過剰な経済的不平等と社会的不安定を発生させた。かくして、バーニー・サンダースやドナルド・トランプの保護主義を選好する方向への逆転が起こるための必要かつ充分な条件が満たされたのだった。 二〇〇一年一二月に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、中国は、米国で中国製品に課せられる関税が再上昇するという脅威から解放された。たちまち現れた結果は、米国の産業危機の加速だった。国内の製造業はぶん殴られたも同然だったからである。 二〇〇一年三月から二〇〇七年三月に到る期間には、米国の第二次産業の被雇用者人口は一八%下降し、米国の世帯所得の中間値は一九九九年から二〇一五年にかけて、五万八〇〇〇ドルから五万六五〇〇ドルへと低下した。 しかし、二〇〇〇年代初頭に米国の人びとが感じていたストレスの大きさを理解するためには、さまざまな経済的データや所得額の領域の外へ出なければならない。 人口学者のアン・ケース〔米国の医療経済学者、一九五八年生まれ〕とアンガス・デイートン〔英米国籍の経済学者、二〇一五年ノーベル賞受賞。一九四五年生まれ〕が二〇一五年三月付のジャーナルに発表した共著論文で、一九九九年から二〇一三年までに、四五歳から五四歳までの年齢の白人住民の死亡率が上昇していたことを明らかにした。このような死亡率上昇は、世界中の他の先進社会にも類例がない。



主な死亡原因は、グラフ14-2が示すように、明らかに社会心理的なものである。すなわち、麻薬中毒、アルコール中毒、自殺。 したがって、自由貿易と規制緩和の効用についての議論は、もはや「これにて終了!」である。成人死亡率のこの上昇が示唆するものこそが、二〇一六年にドナルド・トランプがまず共和党の大統領候補者に指名され、次に大統領に選出されるという事態を可能にしたのだと、私には思われた。 その後、二〇一六年一一月に発表されたジャスティン・ピアース〔経済学者、貿易問題等を研究〕とピーター・ショット〔米国の国際経済学者、貿易問題等を研究〕のジャーナル論文が、米国各地の郡のレベルで、中国との貿易自由化と死亡率上昇の間に確乎とした統計学的関係があることを明らかにした。実際、産業面で中国製品の競争力に直接的に晒された郡では、死亡率が独特の形跡を残して上昇したのだった。彼らの分析結果によれば、最も意味深い死因は麻薬中毒よりも、むしろ自殺一般であるようだ。 さらに、A・ケースとA・デイートンの論文で分析されている死亡数増加の分布は、教育による階層化を反映している。中等教育またはそれ以下しか享受していない白人の米国人に集中しているのだ(一〇万人当たり一三四・四人増)。高等教育課程の途中まで就学した者の死亡率は横ばいであり(三・三人減)、高等教育を修了した「大卒」カテゴリーの死亡率は少し下降している(五七・〇人減)。 とはいえ、所得推移の比較分析は、学歴による優位性が相対的なものでしかないことを示唆している。死亡率上昇のような種類の劇的変化が白人米国人の最低学歴層において特に目立つとしても、経済の推移は、高等教育修了者たちにとっても、もはや本当には恵まれたものでなかった。実際、二〇〇〇年以来、グラフ14-3が示すように、彼らの世帯の平均所得は年々横ばいだったのである。



この頃から高等教育は、社会的上昇への道であるよりも、社会的転落から身を護るものとなっていた。そして長期就学を支える財政手段を教育ローンに頼るケースがますます増える以上、累積する負債が将来の所得を減じる役割を果たすにちがいなく、経済的に恵まれない家庭出身の高等教育修了者たちは、悪くすれば何らかの形の経済的隷属に追い込まれかねない。 経済学着たちの不思議な魔法の世界から外へ出てくると、ドナルド・トランプの大統領選勝利という現象を理解することができる。 ふつうの有権者の視点から見て、米国社会について真実を言っていたのはトランプのほうだったのだ。実際彼は、『THE TRUMP 傷ついたアメリカ、最強の切り札』の中で、米国社会が苦しんでいる姿を描いていた。その時、他方の民主党陣営は、アメリカとその「諸価値」――寛容性、開放性の永遠の卓越を讃えていたのである。
なお、所得水準を基準とする投票行動の分布については、いたって関連性が弱い。年間所得が五万ドル未満の有権者の過半数がヒラリー・クリントンに投票した事実(五三%。トランプへの票は四一%)はたしかに注目されるが、これは、民主党支持層の中に人種マイノリティ(黒人・ヒスパニック)の割合が多いことの反映であろう。年間一〇方ドル以上を稼ぐ米国人の層では、共和党陣営と民主党陣営は引き分けだった。 これに対し、学歴という基準のほうは、鮮やかなまでに有権者層を分割する。中等教育を完全または不完全な形で受けただけの白人男性層では、七一%がトランプに投票し、クリントン票はわずか二三%にととまった。しかし、全体層でみると、トランプが中等教育層から得ていた支持は五一%だけで、四六%はクリントンに投票した。 高等教育の途中までで就学をやめた、つまり大学に入学はしたが卒業はしなかったという経歴の人びとの内では、トランプ支持が五一%で、クリントン支持の四三%を上回っていたが、学士号取得者の支持においては、クリントン支持四九%に対し、トランプ支持は四四%でそれ程おおきな差はない。 しかし、最高学歴層において、つまり、「大卒」にあたるBA取得ののちも大学院に進み、修士や博士といったポストダラデュエート・ディプロマを取得した有権者層においては、五八%がクリントンに投票し、トランプ支持はわずか三七%にとどまった。この分極化はまったく驚くべき現象だ。
資本の世界は分野によって利害が異なり、自由貿易に対してそれぞれプラグマティックな態度をとる。中国その他の低賃金労働から自らの超過利潤を引き出す部門と、米国内の労働の成果でしか生きられない部門とに分かれている。そして個々の経済活動は、グローバリゼーションに対してどんな関係を持つかによって価値を評価されることになる。 ヴァーチャルやデジタルの世界で労働を取引するシリコンバレーの若いボスが、自由貿易と移民流入に対して、フォードやゼネラルモーターズのように鋼鉄とエネルギーを必要とする企業のトップと同様の態度をとることはあるまい。トランプを前にして、前者は怒りを爆発させるだろう。後者は様子見するだろう。
エリート層の城塞――シリコンバレーとアカデミア シリコンバレーの企業家たちグーグル、アマゾン、フェイスブックなどのトップたちの内には、彼らの年齢の若さにもかかわらず、自分たちの経済的利益に応じて策動し、政治分野に大胆に介入している者も多い。 その多くは民主党支持であるが、中には著名な投資家ピーター・ティールのように、公然とトランプを支持し、トランプの選挙運動にも責献した者もいる。彼は、同性愛者でもあるが、LGBTの人々の多くが民主党支持であることから同性愛者コミニュティにおいてはティールの性的指向のリアリティに対して疑問を投げかけた者もいたという。ともあれ、投票所の出口調査によれば、LGBTの有権者集団の内でトランプを支持したのは一四%だけだった。七七%がクリントンに投票していた。
また、J.コトキンは、アカデミアに「新たなインテリゲンチャ」(The New Clerisy)という表現を充て、そもそも、彼らには知的優越感が染みついているので、その高みから、異文化や性に関する寛容さに対して閉鎖的な下層民を見下すことができる、と述べた。それゆえ彼らは四六時中、純然たるイデオロギーを脳内に仕込んで、ビジネス界の人びと以上に見事に、自由貿易への階級的執着を表明する。
すでに指摘したように、アカデミアは今や、人びとを選別する一大マシンと化している。アカデミアこそが、不平等を社会的に通用させているのだ。だから、経済的不平等を拡大する自由貿易に対してアカデミアが忠実であるのは、論理的なことといえる(たとえ、エリートの巣ではない一般のカレッジの場合に、この忠実さの岩盤がもう少し弱いとしてもである)。さらに、アカデミアは人間一般への愛を標榜しているので、その愛がアカデミアに、合法または不法の移民の受け入れという理想に対して、格別に開かれた態度を取らせる。事ほど左様にアカデミアには、トランプに最大限敵対するための物質的・イデオロギー的条件が揃っている。
実は、国際的順応主義といえるこの同じ現象が、イギリスでも大学で、とりわけケンブリッジ大学とオクスフォード大学で目についた。そこでは、ブレグジット(英国のEU離脱)への偏執狂的な敵意が国民投票の前にも後にも観察されたのであって、そのありさまは、米国の有名諸大学を席巻する反トランプの激昂の予兆でもあった。アカデミアは左翼なのに、もはや民衆を愛していない。
また、フランスでもアカデミアは左翼的であると同時に、おそらくは社会の中で最も順応義的な極の一つを代表していて、自ら知らずして、あるいは知っていても認めずに、平等と民主制の基本概念を拒否している。 まず、すでに破綻しているその単一通貨への執着によって。また、労働者たちを圧し潰す自由貿易の受け容れによって。さらにまた、不法移民の流入に対する「やさしさ」によって。この「やさしさ」は、結局のところ、民主制が機能するためには安定した国境が必要だという原理の否定に等しい。より無自覚であるとしても、フランス版アカデミアの順応主義的マグマは、イギリスにも米国にも類例を見出せないほどに分厚い。
この論点の結論に代えて、ひとつのより広範な問いを提示しておこう。すなわち、先進的社会において、左翼的なアカデミアと大衆に不利な経済政策の擁護の間に定着した奇妙な関係についての問いである。 すでに見たとおり、先進的社会の中に不平等主義的で反民主的な下意識が擡頭したのは、平等主義的な感覚と民主制を胚胎していた教育領域の同質性が破壊された結果であった。しかし、その変動をもたらしたのは、高等教育も含む大衆教育の進展であって、それを望んだのは左翼である。つまり左翼は、自らは知らずして、社会を不平等性へと導いたわけだ。いったいなぜ、どのようにして、西洋の三つの主要民主主義社会において、左翼が教育システムの不平等主義的逸脱に引きずられ、自らは事態を理解することもなしに右翼に変貌してしまったのかを理解するためのカギは、おそらく、左翼と教育のあいだの歴史的・イデオロギー的なつながりにあると思われる。
**アカデミアと左翼についてのトッドの指摘は、欧米世界だけの特殊なものではないように思われる。日本のリベラル左派・アカデミアも、「格差社会」の現状に対してあまりも無力で、なんらの処方箋も示し得ていない。しかもアメリカの属国化がますます進み、民主政治の形骸化も進んでもはや寡頭政治ともいえる政治状況になっているにもかかわらず、「憲法を守れ」というお題目をボソボソと唱えるだけの情けない存在となっていて、まさに平等と民主制を拒否しているようにしかみえない。それが実情ではないでしょうか?**
経済的対立が人種的対立に取って代わる かつての共和党は、従来からの白人大衆の支持層を虚偽意識の中に呼び込んで制御し、労働者層のみならず中間層にも惨憶たる結果をもたらす経済政策を推進するために、人種への合図となる「犬笛」を吹き、そこに宗教的・道徳的な「諸価値」を重ね合わせ、黒人を大量収監し、富裕層を優遇する減税を繰り返して実施していたのだ。 ところが、ドナルド・トランプが、まず共和党のエスタブリッシュメントに対して勝利し、次には米国政治システム全体のど真ん中を制した。しかもそれは、虚偽意識製造マシンへの燃料供給をやめ、労働者集団をある種の階級意識へと連れ戻すことによってであった。彼が自由貿易を攻撃し、保護貿易を擁護した意味はそこにあった。保護貿易の選択だけが、産業崩壊で酷い目に遭う白人労働者たちと、彼らにもまして苛酷な目に遭う同階級の仲間である黒人たちに、かつては分厚かったアメリカ中間層への復帰の可能性を与えるのだから。
米国の南側の国境に沿って壁を建設する(あるいは完成させる)という構想を打ち出したトランプが白眼視したのは、黒人ではなく、メキシコ人だった。しかも彼のヒスパニック出身の判事に向けられた攻撃をみれば、近代アメリカの文脈においては、トランプが、そのアメリカのイデオロギーの基軸となっていた「白人/黒人」という人種的二元論から距離を取ったことを意味する。 しかし、米国で人口統計に用いられている「ヒスパニック」というカテゴリーは、カステイーリヤ語(スペイン語)を母語とする人びとを指すわけだが、それはメキシコ人の大半のルーツとしてアメリカ先住民を意識させるものでもあるので、「ヒスパニック」という括りは、同時に文化的でも人種的でもあるのだ。従って、トランプのケースにおいても、あくまで文化面での外国人恐怖症であって、「レイシズム」ではないとそう簡単に言うわけにはいかないが、反メキシコの壁がトランプの当初の主要なモチーフだったのだから、外部の他者に対する恐怖、国境を脅かされる恐怖を喚起する点で、「外国人恐怖症」という概念はトランプ主義によりよく適合するようにも思える。 それに、何といっても、一般に黒人とヒスパニックは、トランプの経済政策で受益者にこそなれ、損害を被ることはない。保護主義的経済政策は、結果的に肉体労働の価値を引き上げるのだから。 ではなぜ累人有権者層は民主党に投票し続けるのか。この点が説明すべき課題として残っている。トランプに揺り動かされた共和党がついにその政策プログラムを白人庶民層の利益に沿うものにしたその時、クリントン率いる民主党のほうは、以前にもまして徹底的に人種概念を活用し、黒人有権者層を虚偽意識の中に閉じ込めることに成功していた。第13章で分析した黒人コミュニティ内の階層化が黒人の阻害の持続化において重要な役割を果たしたのだ。
人種概念の過剰強調とクリントンの帝国主義的構想 二〇一〇年以降、白人中心の米国の終焉と、諸々のマイノリティ――黒人、アジア系、そして特にヒスパニックが政治的マジョリティを制する時代の到来などが予見されるようになったのだ。事実、全人口のうちの「非白人」部分の増加は、一九七〇年以降、顕著であった。ただ、二〇一六年の有権者人口は、なお七二%までが白人で構成されていたのだが、教育による階層化の影響でこの集団は分裂し、「白人高学歴層」は民主党支持へと、そして「高卒またはそれ以下の白人層」は共和党支持へと方向づけられているようだった。 状況の全体をよく推し測れば、民主党のほうが人口の推移で順風に恵まれるのは明らかだ、という見方が定着しつつあった。折しも、黒人であって、とびきり高いレベルの高学歴者であるバラク・オバマが大統領に選出されていたので、この展望の正しさは現実によって確認されているようにも見えた。なにしろ、自らの人種上の与件を「チェンジ」することのできるアメリカ、すなわちヨーロッパ起源の白人ネイションであることから脱却できるアメリカを、具体的に振り付ける構想なのであるから。この構想の矮小を示すものとして指摘すべきはやはり、金融エスタブリッシュメントたちがバラク・オバマ、続いてヒラリー・クリントンを一致して強力に支援したことだろう。彼らから見ればそれは、黒人とヒスパニックを「傭兵」のように巧みに動員することで有権者集団をコントロールできる寡頭支配グループを設置するための資金供出であった。 こうした寡頭支配的性格が確認されるとしても、依然として壮大な構想ではあった。少なくともヒラリー・クリントンの見地に立てば、その支配は地球規模に拡がるべきものだったのだから。トランプの「国家プロジェクト」に対立する「帝国プロジェクト」であった。 しかし、中国に騙され、同盟国(トルコ、サウジアラビア、フィリピン)に愚弄されたアメリカをごまかさずに引き受け、選挙民に向かって世界の現実を述べることができたのはトランプのほうだった。
クリントン陣営による黒人有権者層の掌握――エリートたちのもうひとつの裏切り 帝国プロジェクトはリーズナブルなものではなかった。しかし、ごく短期的には、米国の所得ピラミッドの頂点の〇・一%を占める寡頭支配着たちのために最大の利潤率を保障し、同じ所得ピラミッドの最上位一%の内に入って、頂点の〇・一%の次に続く者たち――因みにこのグループには、トランプに敵対する声明文に共同署名した経済学着たちの大半が含まれる――のためには、羨望の的となり得る以上の生活水準を保障することができた。経済一辺倒主義に支配される文化と、資金面で金融寡頭支配者たちに依存する政治の文脈の中では、帝国の夢も申し分なく合理的に見えていた。
しかし、いったいどうしてクリントン派の民主党員たちは、経済のグローバリゼーションで経済的に破壊され、メキシコからの移民流入で雇用を脅かされている黒人有権者層を味方につけると豪語できたのだろうか。 黒人集団は、その下層部分においては失業と刑務所行きのいちばんの犠牲者であり、スケープゴートにほかならない。社会の皮肉なメカニズムのせいで、彼らの苦境そのものが一九八〇年から二〇一五年まで、新自由主義的社会システムの安定化に責献したのだった。したがって本来、黒人集団は民主党の方針に激しく反対してよかった。しかし、この人種グループの上層部分はアファーマティブ・アクションの受益者であって、居住地区と結婚をめぐって存続する執拗な差別にもかかわらず、経済面では、グローバリズム的で帝国主義的なクリントンの構想に満足することができた。中間層と下層は単純に、黒人コミュニティ内のエリートたちに追随させられていた。そして、エリートたちを支えていたのは伝統の力だった。実際、リンドン・ジョンソン大統領以来、かつての民主党は、すべての黒人の政治的解放の尖兵だったのである。 二〇一六年の大統領選キャンペーン期間中のあるエピソードによって、黒人有権者層が民主党クリントン派のエリートたちに支配され、自分たちの経済的利益に反する投票行動へと仕向けられていたことが判明した。 保護貿易への政策転換は、白人労働者と比べて取得資格などで平均的に劣る大半の黒人労働者の利益につながる。二〇一六年には、民主党内に保護貿易主義を唱える大統領候補者バーニー・サンダースがいた。ごくふつうの階級的利害の論理によって、黒人たちから、若い世代の民主党員たちが彼に寄せたのと同じくらいの熱意をもって支持されてよかったはずだ。ところが、実際に起こったのはその正反対のことだった。いわば「囚われの身」にある黒人有権者層が、サンダースの予備選敗北を決定的にしたのだ。予備選から予備選へと、黒人の人口比率の高い各州で、ヒラリー・クリントンがバーニー・サンダースを打ち負かしていった。 グローバリズムのシステムのささやかな「おこぼれ」にあずかっている黒人エリートたちの迎合なしには、このような進路選択の間違いは起こり得なかっただろう。つまり、寡頭支配的で帝国主義的なクリントン陣営が民主党を制することができたのは、まったく単純に、同陣営が黒人有権者層をうまく操ったからだといえるわけだ。
民主党のヒスパニック問題 ヒスパックの有権者層は今や、米国の全有権者の一二%を占めている。ドナルド・トランプから攻撃を受けたにもかかわらず、ヒラリー・クリントンに投票したのはこの層の六六%で、二二%がトランプに投票した。 メキシコ人や、その他多くのヒスパニック、なかでもペルー出身やボリビア出身のヒスパニックは、黒人のケースとはまったく異なる家族類型の当事者である。第2章で見たように、彼らを特徴づける「一時的父方居住を伴う核家族」は、若い夫婦が夫の側の家族と何年聞か同居することや、場合によっては、独立後も夫の親の住居の近隣に居住する(近接居住)ことを想定するけれども、あくまで結婚した子供たちの独立を最終目標とする。末子は、完璧に形式の整えられた末子相続の手順にしたがって、年老いた両親の世話をしなければならない。 このタイプの家族システムは、同化のストレスに晒される移民たちにとって、優れた保護装置を提供するものと考えられる。 乳幼児死亡率をみると、それが明確になる。二〇〇七年に、白人の米国人の乳幼児死亡率は、出生数一〇〇〇当たり五・六人であった。米国人のうちでも黒人(非ヒスパニック)に限った場合、同じ年の乳幼児死亡率は一三・三人で、白人のケースの二倍以上にまではね上がる。一方、意外なことに、一括して「メキシコ人」と呼ばれている人口カテゴリーでは、それが五・四人に、また、その他のラティーノ米国人においては四・六人にとどまる。米国社会で支配的な立場にある白人集団よりもわずかに、しかし明確に、乳幼児死亡率が低いのだ。 ラティーノは平均的教育水準がたいへん低く、米国に存在する他のどんな民族的・人種的カテゴリーと比べても劣るのだが、それにもかかわらず、すでに注目したとおり、混合婚の比率が高く、黒人のそれを大きく上回っている。 れわれが特に認めなければならないのは、諸々の非白人マイノリティを一括りにして語る言説は米国社会のダイナミズムに矛盾するということだ。社会生活の現場におけるラティーノの適応のうまさは、黒人の家族が問題を避けて際限なく居場所を変えていくのと好対照だ。ロサンジェルスのワッツ地区は、暴動事件が起きた一九六五年頃は住民のほとんどが黒人だったが、今ではヒスパックが多数を占める居住地の一つになっている。カリフォルニアは、かつて一時期、アメリカ「西部」のさらに西に位置して、混合婚率も高かったので、アメリカ独特の強迫的な人種観念がついに雲散霧消する地になりそうだと期待されたのだが、そのカリフォルニアから、黒人人口は逆流するように離れていっている。 最後に、本当に悲しいことではあるが、最悪の事柄に言及しておこう。同化途上にあるヒスパニックに向けて民主党が送り続けるサブリミナル・メッセージは、「われわれはあなた方を保護する。われわれにとって、あなたがたは黒人と同様の存在なのだから」といったものだが、このメッセージにはヒスパニックを不安に陥れる性質がある。なぜなら、米国社会で気分よく暮らしたい、周りの人びとと同じひとりの人間でいたいと望むならば、黒人であってはならないというのが、あの社会の基本原則だからである。ゆえにラティーノたちは、二〇一六年に、相手がトランプのような男だったにもかかわらず、クリントンを救わなかった。これからの数十年を睨んで、彼らの投票行動が民主党に政界多数派の立場を確実に得させるというシナリオは予想しにくい。
民主制の失地回復はつねに外国人恐怖症的 民主制、それは結局、自らの領土において、自らのために自らを組織化する特定の人民のことだ。この集団は、自分たちの国境を護る。人類一般のために物事を決する抽象的な集合体ではないのである。もしもわれわれが、原初の比較制を構成していた、暗くて、エスニックで、ナショナルな要素の歴史的明白性を受け容れるならば、その時われわれはまた、いったいなぜ、寡頭支配への抵抗が、教育の新たな階層化と自由貿易によって解体に追い込まれた西洋「民主主義国」の一つひとつに関わる民主制の失地回復が、つねに外国人恐怖症の色合いを帯びているのかを直視し、理解することができる。 民主制は再生する。しかしそれはアメリカではメキシコ人の排除を、イギリスではポーランド人の排除を通してなのだ。こうした若干の列挙からだけでも、諸国民が一般に民主制に、西洋寡頭制の今日の用語でいえば「ポピュリズム」に立ち帰ろうとしていることが感じ取れる。「摂理にもとづく前進」と、トクヴィルなら、きっと言っただろう。 たとえ創設基盤において普遍主義的でなかったにせよ、民主制が到るところとは言わないまでも、少なくともかなりの数の地に現実に存在した限りにおいて、普遍的な現象として現れることができた。同系統と思われる政体の間に連帯関係も確立し、そこから逆に、これだけ各地に民主制が生まれたのは、民主制がそもそも人類の生得的な普遍主義の所産だからだといった幻想を生むまでになった。そんな幻想に酔うわけにはいかないが、だからといって閉ざされた悲観的展望に固執するのも、新手のドグマティズムの罠に嵌まるに等しい。 多元主義的民主制は、平等な個々人の解放を市民の集合体の内部で実現するので、そこから、ある種の固有のダイナミズムによってさらにその先へ、自由で、かつ到るところで一般に他者たちと平等である市民という抽象的概念へと到り得る。この派生的普遍主義が、やがては具体的に、隣り合っておよそ似たように推移する人民同士の関係をポジティブなニュアンスで彩ることだろう。国内の「内輪」では自由で、平等で、解放的である外国人恐怖症的諸国民の並行的な前進が、最終的には、民主主義的で自由主義的な普遍を実現するかもしれない。
国家構想に対抗する世界構想 米国の将来の悲観的解釈の一つとして、同等の力を備えた二つのイデオロギーが拮抗して、両者の争いが膠着するだろうという予想がある。一方の共和党がナショナルで、民主主義的で、保護貿易主義で、白人の勢力なら、他方の民主党はグローバリストで、エリート主義で、帝国的で、多人種的だという。トランプの当選に続いた「冷たい内戦」の雰囲気は、そんな予想が的中するかもしれないと示唆する。二〇一六年大統領選の二人の主要候補者の獲得票数はほぼ同数で、しかもヒラリー・クリントンのほうが少し上回っていたくらいなので、米国がナショナリズムへと大きく急変するとは考えにくい。カリフォルニア州とニューヨーク州という二つのリーダー格の州が民主党陣営の地盤になっていることや、主要都市や一流大学でグローバリズムが優勢であることから推して、社会全体がトランプの構想に同調する可能性はありそうにない。
より深い次元で語ろう。高学歴層と低学歴層に分かれた米国社会の分断が続いている以上、件の二つの陣営、二つのイデオロギー的砦の定着もアメリカを長期的に二分割し続ける可能性があり、そうなると、実のところ、米国は経済的にも戦略的にも無力化へと追い込まれかねない。その場合、民主制の失地回復は、その母胎としての外国人恐怖症の内部に囚われたままになりそうだ。今なお世界最強の大国であり、人類全体の将来に関して、いわばオーケストラの首席指揮者のような立場にある国家にとって、それはばかげた状況だといわなければならない。



絶対核家族の凋落と若者の巣立ちの困難 年齢別所得推移の分析から判明することの一つは、すべての西洋民主主義社会でオーストラリアだけはおそらく例外だが、若者を取り巻く状況が厳しい方向へ推移しているということだ。 人口の最若年層の所得減少は、ネオリベラリズム革命と、その諸要素の中でもとりわけ際立って自由貿易が自動的にもたらす効果である。自由貿易は、資本を有しない者を一律
に、実にまったく公平に圧し潰すのだ。だから若者たちは、労働者たちと共に、真っ先に犠牲の祭壇に供せられる。市場の支配は、当該の若者たちが高学歴であるかないかにかかわらず、親に対する彼らの経済的依存を劇的なまでに強めた。 壮年のエリートたちがかつてなかったほどに個人の自由を称揚していたまさにその時、若い世代の個人は、自立の可能性が減じていく現実に直面していたのである。



米国の若者における外国人恐怖症への抵抗 学歴と人種のすべてのカテゴリーを区別せずに一緒に扱うと、一八歳~二九歳の米国人のうち、トランプに投票したのは三六%だけで、五五%はクリントンを選択した。この差は大きい。ただし、白人に分類される若者の層では、トランプが四八%を得票して、得票率四三%のクリントンを負かした。
表14-4 米国人の年齢別捜票行動(2016年、%) 年齢 トランプ ヒラリー・クリントン 18歳―29歳 36 55 30歳―44歳 41 51 45歳―64歳 52 44 65歳以上 52 45
このように、たしかに「若者効果」が存在していて、トランプ的な暗いビジョンを遠ざける働きをしているのだが、その若者たちの世代においても、白人集団の明確な親トランプ志向は無化されなかった。 若年層はシステムに苛まれているカテゴリーの一つなので、この層が有権者集団の反抗の一翼を担ったことは驚くにあたらない。それを思えば、若者たちが外国人恐怖症に比較的よく抵抗したという事実から引き出すべきは、アメリカ文化の明るくて開放的な次元が依然として健在だという仮説である。 なお、確信してよいことの一つとして、米国の有権者集団の最も若い部分のイデオロギー的変容はまだ始まったばかりだということ、そしてその変容は十中八九、近い将来に加速するということがある。ある非常に重要な要素が、二一世紀初頭に成人年齢に達した世代の米国人におけるイデオロギー的急転を際立たせる。その要素こそ、トランプやサンダースの登場という現象や、グローバリゼーションへの異議申し立てが、一時的な熱病などではないことを請け合っている。というのも、最近の研究により、米国における宗教的信仰の急速な衰退が今や明らかなのだ。本書で幾度も見てきたように、歴史上、宗教的信仰の衰退はイデオロギー的革命の予告に等しい。 アメリカをヨーロッパから画然と区別してきたのは、これまでずっと、アメリカにおける宗教的信仰の根強さだった。もちろん、本書でもすでに注意を喚起したように、日曜に教会でミサにあずかる米国人の割合を四〇%~五〇%などと伝えてきた世論調査は、宗教実践の実態からかけ離れた過大評価でしかない。大抵の場合、そんな数値は二で割って受け取るべきだろう。しかしながら、一九五〇年頃に成人した世代がアンケートに回答していた宗教実践を、二一世紀初頭に成人年齢に到達した世代のそれと比較すれば、申告される宗教実践の精勤度が四〇%~五〇%から二〇%へと低下したことが確認できる。自らのことを「不可知論者」、「無神論者」、「特定の宗教には帰依していない」と公言する若い成人の割合は、二〇〇七年から二〇一四年までの間に、二五%から三五%へと拡大した。 ここでわれわれが確認しているもの、それはおそらく米国社会の最終的世俗化であり、この最終的世俗化から、宗教をベースとする新保守主義が共和党陣営で死に絶えつつあることと、目下ひとつの全般的革命が進行していることが分かる。宗教のこの衰退が、共和党陣営におけるトランプの勝利を説明するし、若者のあいだに国家に好意的な態度が擡頭していることをも説明する。トランプに対する若い世代の相対的抵抗を考慮するならば、民主制の失地回復が外国人恐怖症という母胎から出発しても、次の段階では、加速しつつ、普遍主義的な民主制レベル2に到達していくという楽観的な仮説を仮に抱いたとしても、それほどおかしなことではない。 **トランプ登場の必然性は、アメリカにおける経済格差の拡大、さらには製造業等で働く中流・下層白人層の苦境がその背景にあることは明白だが、他方でトランプは、ユダヤロビーとも深いつながりを持っていることについては、あまり大きな問題とはなっていない。トランプ1.0ではアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移転し、イスラエルとアラブ首長国連邦の国交正常化(アブラハム合意)を進めたわけだが、現在トランプ2.0でも、相変わらずユダヤロビーとの関連は深い。娘イヴァンカの夫ジャレッド・クシュナーの父親をフランス大使に任命したり、ネタニヤフが今年4月にアメリカを訪問した際にはクシュナー家に宿泊したとも言われているし、反ユダヤ主義を理由に学生の追放や大学への補助金のカットを行ってもいる。 イスラエルとイランの対立が激化し、その拡大が懸念されている現在、トランプは、ネタニヤフとも共謀しているのではという懸念さえ強まっている。 今日、国際政治を語る上で、このユダヤ問題は絶対に外せないはずだが、トッドはユダヤ問題については、第4章 ユダヤ教と初期キリスト教、においてユダヤ教は特定の領土への定着を失っても生き延び、非常に識字率の高いディアスポラを形成した、と述べ、また家族システムは父系制でも母系制でもない「双系の」と形容されるシステムで、比較的高い女性のステータスを保全した、と述べているが、その後のユダヤ問題などへの言及がないのはちょっと物足りない気がします。**
第15章 場所の記憶
ここまで六つの章を割いて、基本的な家族型が核家族であることに特徴づけられる英米世界のダイナミズムを歴史の長い持続の中に観察してきたが、ついに今、世界の他のいくつかの主要国の最近の推移を検討すべき時がやってきている。それらはいずれも、程度の差こそあれ、過去に家族構造が父系的変容を受けたことのあるネイションだ。



われわれはここでいったん歩みを止め、方法論的な確認をしておく必要がある。というのは、実際のところ、直系家族はもはや、ドイツのものであれ、日本のものであれ、現代の居住地のほとんどの部分を構成する都市空間には存在していない。 それにもかかわらず私は、このあとに続く章で、あたかも直系家族の価値観や外婚制共同体家族のそれが、件のネイションの推移と適応を暗黙のうちに導き続けているかのように話を進める。そうである以上、私はまず、どのようにして、そしてなぜ、そのような恒久性の仮説を受け容れるに到ったのかを最初に説明しておかなければならない。 手始めに、フランスのケースに言及する。フランスの人類学的システムは、基本的に、平等主義核家族のパリ盆地と直系家族の南西部の対立で成り立っている。しかし、南西部でも、直系家族を営む世帯の大部分はすでに消失した。ベルリンや東京と同じように、トウールーズ〔フランス南西部の中心都市〕でも、三世代同居の居住形態はもはや一般的でない。その残存形態の分布を捉える地図15-1は二〇一一年に作成されたものだが、この地図をみると、一九八二年から二〇一一年にかけて、その複合世帯もさらに減少し、かつて一三世紀から一九世紀まで直系家族隆盛の中心であった南西部でも、今日では核家族地域に変わっていることがわかる。
世帯の核家族化が地球規模で進んでいるのをみれば、核家族の普遍的勝利を予言するのは容易いと思えるかもしれない。ウィリアム・グード(一九一七~二〇〇三)は、早くも一九六三年に、『世界革命と家族型』と題する著作で、それを予言した。 「夫婦中心家族のイデオロギーはラディカルで、ほとんどすべての社会で伝統を打ち崩す。その展開の出発点となるのは一連のラディカルな一般的な諸原則であって、この諸原則が、おそらくすべての発展途上国で夫婦中心家族群を政治的に立ち上がらせる。このイデオロギーは、土地再配分要求のそれとほとんど同じほどに普遍的な訴求力を持っている。階級、カースト、性別といったあらゆる障壁に抗して、個々人の平等を主張するのである」
しかし、世帯が核家族化しても、メンタリティまで核家族化するとは限らない。権威主義、不平等主義、男尊女卑が、核家族世帯で構成される社会の中で生き延びることは論理的可能性としてはあり得る。 核家族的世帯が必ずしも核家族的メンタリティを生み出すわけではないということ、そして、過去の農村の複合的世帯の解体が個人主義的なメンタリティを生み出すわけではないということをわれわれに認めさせる可能性を持っているのは、まさしく経験主義的な証明だけである。 それゆえ私は、いかにして自分自身が、グードに近い認識から、非個人主義的で、父系的ないし不平等主義的なメンタリティが核家族世帯中心の社会でも生き延び得る――ときには拡がり得る――という確信へと転じたのかを述べようと思う。 そもそも私にとって、価値観の恒久的存続を可能にするメカニズムを理解するのは一朝一夕のことではなかった。その理解に到るには、家族関係と価値観の継承を精神分析学的に見ることへの私自身の暗黙の同意を捨てなければならなかった。価値観の残存という仮説は、認めるのが困難な仮説だが、しかし、ドイツ、日本、ロシア、中国の昨今の推移を理解しようとする者にとって必要不可欠の前提なので、このあと私は、自分が知的転向に到るまでに経たいくつかの段階を手短に報告する。
私の当初の想定――移行期の危機を経て核家族システムに収赦する 私は当時、都市環境の中で世帯が核家族化するのに伴って、(平等主義的な、あるいは平等主義的でない)権威主義的家族が消失すれば、それに呼応するイデオロギーもまた、年月の経過とともに消え去るだろうと考えていた。 そうすれば、やがて収斂の時がやって来るだろう。新たにできた核家族が子供たちを生み出し、その子供たちは自由主義的な規範によって育てられるので、移行期の全体主義的イデオロギーを拒否することができるだろう。 けれども、奇妙なことに、一九九〇年代を通じて私を面食らわせたのは、ほかでもない西洋諸国の社会の推移だった。実は私は、人類学にしか説明できない意外な恒久性に着目し、それに導かれて、先進社会がこぞって自由主義という唯一のタイプに収斂するという仮説を捨てるに到ったのである。
一九九〇年代の移民現象――西洋における「分岐」 一九九〇年代初頭に西洋の四つの社会――米国・イギリス・ドイツ・フランスにおける社会統合について調べていたとき、私は、イスラム圏出身の移民二世の混合婚率によって測定できる同化のレベルが社会によって大きく異なることを、意外の感をもって確認した。 イスラム教徒の移民の娘の混合婚率が、イギリスやドイツではほぼゼロに近いのに、同時期のフランスですでに相当な数値に達しているという事実に着目した結果、フランスでは人間についての平等主義的な人類学的先入観が相変わらず生きていて、その先入観がきわめて多様な出自の個人たちの間の差異を無視することを可能にし、混合結婚に好都合な条件を構成している、と。反対に、人間は基本的には同じだという普遍主義的前提が欠如していれば、出身の文化が遠すぎると見られる移民の子供との結婚はブレーキをかけられたり、阻止されたりしがちなわけで、それがイギリスやドイツの事情ではないか、と。 研究のこの第二段階で、家族形態の目に見える差異の消失に注目した私は、人びとの態度を規定する要因として、家族システムよりも、地域で相互に影響を及ぼし合う諸個人間のすべての関係を一括する、より広範な概念である人類学的システムをより強く意識し、参照するようになった。子供の教育を、親に限らず、学校教員や近所の隣人たちを含む大人たち一般が、さほど明確な目的意識もなしに与える感化・影響として考えようとしたわけである。しかし、それでも、判然としないメカニズムによって各国の領域内に維持されるさまざまな価値観の恒久的性格は、依然として謎だった。
フランス――ネイションの上部構造を成す差異の持続 一般に、ネイションがそれぞれ国家を営み、強固な官僚機構、法律体系、司法組織で国全体をカバーしているので、それらの制度が各ネイションの典型的な行動様式を永続させているのだろうと想像するかもしれないが、共著『不均衡という病』の中で検討したフランスにおける地域ごとの教育と経済の推移は、二〇〇〇年代の初頭になっても依然として、もはや存在していないはずのローカルな家族システムによってそれぞれ条件づけられ、導かれていた。 そこで、家族構造の分布を示す従来からの地図の上に、一九四〇年から一九六〇年までに現れた宗教的実践の分布図を重ねてみたところ、二つの分布図が、完全には一致しないものの、おおむね合致した。平等主義核家族の地域であるパリ盆地では、その中心部がフランス革命にも先立って脱宗教化していた。活発なカトリシズムが一九六〇年代までフランスで生き延びることができたのは、直系家族または非平等主義的核家族が主流を成す地域(国土の周縁部分)の大半がその地盤となっていたからである。 他方で、バカロレア資格(高校卒業資格)取得者と大学生の数が飛躍的に伸びた時期、すなわち一九六〇年から一九九五年にかけての教育革命に注目すると、教育進展の動き自体が、「消えた」はずの家族的・宗教的システムに導かれていたということが見えてくる。 一九八〇年頃の分布図では、若者のうちのバカロレア資格取得者の比率は、「消えた」はずの直系家族の比率を転写したかのように見える。一九九五年頃のデータを見ると、高等教育機関に進学しようとするバカロレア資格取得者が同世代人口に占める割合を地域ごとに示した分布図が、これまた「消えた」はずのカトリック教徒の地域ごとの人口比を表す分布図と酷似している。そして、非常にしばしばそうであるように、経済と政治は教育の動きを追いかけて変化する。こうして、教育水準の低い地域では失業率が高く、極右勢力の得票率も高いことが確認できる。 つまり、フランスの国土は依然として、もはや存在しないことになっている人類学的および宗教的な力によって構造化され、活性化され続けているのである。ここでもまた、表面には見えない価値観の安定性を公準として前提することで、社会の動きの理解が可能になる。 継続を理想とし、系族を形成する直系家族は、南西部に多い長期就学を説明する要因であり得る。カトリシズムの有する相互扶助の価値観は、宗教そのものを超えて生き延び、特定の社会組織に、グローバリゼーションがもたらすストレスに対する抵抗力を与えた可能性がある。宗教的次元を考慮に入れると、諸文化の永続化という地域に密着した現象の現実的理解に近づくことができる。否応なしに、家族だけでなく、界隈、地域などのテリトリーを直接念頭に置くよう強いられるからである。 私は共著者とともに、消滅したあとも作用し続ける宗教に言及するために、いいかえれば、死んでいる同時に生きている信仰を扱うために、ゾンビ・カトリシズムという概念を導入した。われわれはまた、ゾンビ・直系家族を語ることも、あるいは、中央山岳地帯の北西側のドルドーニュ県とニューヴル県の間辺りを対象に、ゾンビ・共同体家族を語ることもできただろう。 六世紀に核家族だった家族型は、二〇〇〇年になっても核家族にとどまっていたから、一見したところ、ゾンビと称すべきだとは思われなかった。しかしながら、核家族地域であるフランス西部の内陸部に存在する非平等主義的なメンタリティの恒久性は、ゾンビ・絶対核家族という呼称を提案してもおかしくないことを示唆する。パリ盆地で持続する平等主義はといえば、平均寿命の延びと再構成家族〔いわゆる「子連れ」の再婚によって成立する家族。「ステップファミリー」ともいう〕の増加によって平等主義的相続がもはやきちんと機能しない今日、ゾンビ・平等主義核家族という概念の援用に利点があり得ることを示唆している。
さらばフロイト 『不均衡という病』のデータを検討するのに先立って、先述のとおり私は、家族という基本単位が再生産のための特権的な場であることに変わりはないにしても、価値観の継承は、家族の枠内でのみならず、一つのテリトリーを共有する大人たちと子供たちの間でおこなわれるという結論に到っていた。実際、単なる一家族よりも大きな「人類学的システム」を考えれば、「家族システム」の実態を現実に即して正確に表象できるのではないか。
価値観継承のメカニズムを解明しようとする研究者は、家族に関しては本能的に世代の連続性が主軸を成すような垂直的ビジョンを特権化しがちだ。しかし、一個の家族システムは、正確に捉えれば、単に自らの過去と未来の間に位置づけられる型どおりの一家族のことではなく、その主要な機能も一家族を超えている。生きた家族システムとは、一つのテリトリーにおいて配偶者交換をし、子供を生み出す家族群の総体なのだ。
このような表象は、ある地理的空間で機能する人類学的システムという概念と高度に相性がよい、すなわち、その空間の内部ですべての大人がすべての子供に規範と価値観を教え込むことに多かれ少なかれ貢献する、という人類学的システムである。しかし、われわれは、これで探究の果てに辿り着いたのではない。たとえば三世代同居の世帯に具現化されるような、目に見える家族システムが存在しないのに、あるテリトリーにおいて価値観の自己再生産がおこなわれているという事実の謎を、本当に解明したとはいえない。 大人たちが子供たちに強い規範を教え込む場となるテリトリーを想像すること、依然として、子供たちは教育によってその教育が権威主義的であろうとなかろうと鋳型に嵌められるのだと思っていたわけである。
エルヴェ・ル・ブラーズとの共著『不均衡という病』の研究をとおして、私はついに、個々の人びとの移住と、特にその移住が地域文化に影響を及ぼさないという事実は、親または大人によって何らかの規範が子供に強く教え込まれるというフロイト的価値観を前提としているかぎり解明不可能であると理解した。 フランス国内の人口流動の激しさにもかかわらず、各地で地域独得の気質が存続している。どこを見ても、あたかもそれぞれの場所が固有の記憶を持っていて、その記憶が、もともとの家族構造や宗教的構造の消失にも、人口の入れ替わりにも、他の価値システムを出自とする人びとの転入にも、また別の人びとの外への転出にも無感覚で、そうした現象から何の影響も受けずにいるかのようだ。
子供の「躾け」が家族の枠内で、また近隣の人びとや学校によっておこなわれるという仮説を完全に捨てる必要はないにせよ、地方文化の恒久性がもっぱら個人レベルの強い規範によって確保されているという仮説はしっかりと問い直さなければならない。というのも、もしも本当に個人が、子供時代に獲得した非常に強固な諸規範の持ち主であるならば、移住者は生涯その諸規範を守るだろうし、自分の子供にも伝えるだろうし、移住という現象は、結果的にさまざまな価値観を混ぜ合わせ、地域システムの同質性を壊し、最終的には一種の平均値を表す国民文化を創出するであろうから。 ところが、経験的に確認される現実が証拠立てるのは、移住者がおおむねかなり容易に自分たちの習慣や信念から離れること、そして、ローカルな人間同士の相互作用の中で、無意識的な模倣を通じて大きな適応能力を示すことである。そのようにして、移住者はかなり頻繁に、子供時代に抱いていた価値観から身を引き離す。
この段階において、受け入れ社会に住む個々人が帯びているのは「強い」価値観ではなく、むしろその逆で、「弱い」価値観なのだと考えてみなければならない。さてそこで、根本的な逆説は、弱い価値観という仮説こそが、各地域の気質の持続性を、いいかえれば「場所の記憶」という現象を説明してくれるという点にある。実際、あるテリトリー上の圧倒的多数の個人が有する価値観が弱ければ、これまた弱い、または相対的に弱い価値観を有していて、それを受け入れ側の集団の価値観に取り替える傾向のある個人たちが移民として流人してきても、結果として元々のシステムが稀釈されることはない。 ここでわれわれは、ホモ・サピエンスという母胎の中心的要素である柔軟性を、このたびは模倣的行動という概念と結びついた形でふたたび見出している。したがって、この分析の最後に、われわれは断言してよいだろう。受け入れ社会の個々人のレベルにおける弱い価値観という仮説によって、場所の記憶の存在が理解可能なものになり得る、と。
弱い価値観と諸国民の持続 「強い」価値観と「濃密な」継承様態の存在を否定しようというのではない。第一、それらの存在は家族の枠内で確認できる現実だ。児童精神医学と精神分析がすでに、人格形成における最幼年期の重要性を充分に明らかにしている。誕生から思春期までの期間、身体と精神はいっしょに発達するし、精神現象と知的能力が個々人の身体的構造の内に刻み込まれることさえ想定すべきだ。 しかし、そうした濃密な継承様態が、価値観と信念と人間としての行動様式を条件づける要素のすべてではないことを認める必要がある。それとは別に、「弱い」価値観と信念と行動様式の多種多様な世界があり、その継承は、かなり軽やかな模倣プロセスの結果として実現する。 この二つのレベルの継承は、矛盾するどころか、組み合わされて、互いに強め合うことができる。重要なのは、多くの個人が弱く有している価値観が、集団レベルではきわめて強く、頑丈で、持続的なシステムを生み出し得るということである。 もっとも、価値観や信念や行動様式を活性化する日常的な相互作用が生じるには、リアルな空間――村、町、界隈など――の内部に何らかの形で組み込まれることが必要ではあるが、厳密にいえば、特定の価値観を担う集団のすべてがテリトリーに定着しているわけではない。
「弱い個人的価値観」に「強い集団的価値観」を組み合わせる分析モデルには、心を少し躍らせてくれる含意もある。場所の記憶という概念を採用すると、諸国民それぞれの気質が持続していることを理解しつつ、個人を「悪魔化」することを、つまり、各国の国民の一人ひとりをその国の価値観の執拗な担い手と見做すことを避けられるのだ。場所の記憶という概念のお蔭で、人は、ドイツ、日本、ロシア、米国、イギリス、中国、アラブ世界やスウェーデンなどの文化が持続していることの自明性を受け容れ、しかも同時に、ドイツ、日本、ロシア、米国、イギリス、中国、アラブ世界やスウェーデンなどに属する市民の一人ひとりを、生身の人間でありながら永劫不変の原型であるかのようには一秒たりとも想像しないでいられる。個人は、自らの属するグループから離れると、たちまち別の方向へ逸れ、元々の自分の文化から遠ざかるのだ。ただ、その速度に差があることも事実なので、それも認めよう。最後まで、リアリストでいたいものである。
複合的家族形態の消失後も国民レベルの価値観が恒久的であり得るという仮説が有効であれば、これ以降われわれは、本書の最後の三つの章において、一八五〇年頃や一九〇〇年頃には核家族システムに特徴づけられていなかったいくつかの社会の最近の推移を理解できるようになる。私はまず、ドイツと日本という「直系社会」を観察する。この二つの社会は、同族であると同時に、はっきりと異なっている。両国の人類学的な基底は共通でも、今日ではそれを超える正真正銘の分岐が確認されるからである。次に、ヨーロッパ大陸全域で見られる直系家族的価値観の持続と、ゾンビ・カトリシズムの存在という二つの要素が、どのようにして欧州連合(EU)を、その中でも特にユーロ圏を変貌させたのかを述べる。そして最後に、ロシアと中国という「外婚制共同体社会」を検討する。 **「場所の記憶」と「弱い価値観」という概念は、きわめて独創的で、エキサイティングな概念だ。この概念を人々が共有することで、我々はネイションの枠に過度に拘ることも、また流入する移民を「悪魔化」することも、また己を「悪魔化」しエキセントリックな自民族中心主義に陥ることも、ひょっとしたら回避できるのかもしれない。トッドの思想が現代社会の分析においてきわめて大きな力を発揮できるのも根底にこの独自の発想があるからだと思われる。 とりわけ、グローバリズムの行き詰まりの中で、ネイションへの回帰が進んでいる現在各国の表面的なイメージに惑わされることなく、その根底にある「場所の記憶」にまで洞察を進めることが求められるのでは、とも思いました。**
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