下巻概要Ⅱ
ここでは、第16章以下を扱う。 第16章 直系家族型社会――ドイツと日本 第17章 ヨーロッパの変貌 第18章 共同体家族型社会――ロシアと中国 以上の三つの章である。 第16章 直系家族型社会――ドイツと日本 率直にいうと、西洋は、日本の異質性とはかなりよく折り合いをつけている。日本は、事の初めの要素である農業と文字を中国文明から引き継いだあと、おおむね自律性を保っている文化なので、西洋と違っているのは当たり前に見えるのだ。第一、日本自身が昔から自らの特殊性を主張しており、グローバリゼーションに決定的なやり方で参加していても、ヒロシマとナガサキの悲劇以来、諸国家間のパワーゲームに加わることは拒んでいる。日本が担う外交上の役割は取るに足らず、あの国の有するテクノロジーのパワーとはかけ離れている。それでいて、日本経済は国内総生産(GDP)で世界第三位であり、評価基準によっては、テクノロジーの面で第一位だといえる。 一九八〇年代には、日本経済の擡頭が米国を多少たじろがせていたのだが、一九九〇年代に日本が慢性的不況に陥った結果、この国への敵意は決定的に失せてしまった。 ともあれ、少しばかり「異質」なこの国は、全体としては、独特の文学、漫画、ロボット、料理などによる世界文化へのポジティブな貢献という意味で、皆から称賛されている。 他方、今日、世界の文化シーンにはむしろ不在のように見えるドイツのケースは、これとは異なる。ナチスの野蛮は、ラディカルな普遍主義の人類観に正真正銘の挑戦状を突きつける。それゆえ、ドイツを「ふつう」だ、「ノーマル」だと再定義することが、一般の西洋主義者にとって理論上の急務となる。かくして、六〇〇万人のユダヤ人の皆殺しはドイツ特有の現象であって、ヨーロッパの他の国では考えられないことだという考えを拒否することが、優先事項にさえなった。しかし、人類は皆同じと決めてかかる態度は、ドイツの過去の、現在の、そして未来の歴史的発展についての理解を禁じてしまう。 ドイツは、確かに武力によって鎮圧され、一九四七年に分割された。するとわれわれは、あのネイションとその文化の凄まじいまでのパワーを忘れようとした。そして今、そのツケを払わされる時が来ている。ドイツは、再統一からまだ四半世紀しか過ぎていないのに、共産主義体制で破綻した旧来ドイツの再建をすでに成し遂げた。東ヨーロッパ一帯を再編し、旧人民民主主義国の社会で教育を受けた熟練度の高い労働人口を活用している。西欧方面では、ユーロに囚われている、ドイツより弱い数カ国に対する正真正銘の産業的電撃戦に成功した。そして中国にパートナーシップを持ちかけ、米国の経済的ライバルを自任するまでになっている。 こうしてドイツは、並外れた行動能力を改めて示した。しかし、そのドイツは、二〇一五年頃の時点で人口が約八一〇〇万人にすぎず、その年齢の中間値が四六・三歳と高く、世界で最も高齢化している二国のうちの一つなのだ。それにもかかわらず、ドイツは世界第三位の輸出国で、その貿易黒字額は、二〇一六年には国内総生産(GDP)の八%に達した。 これらのデータは、依然としてドイツが他の国と同じような国ではないことを裏づけているのではないか。しかしながら、直系家族に由来する価値観の恒久性とそれが及ぼす効果を認めれば、われわれはここで、ドイツ人を人類の共通性から隔離することなしに、ドイツの特殊性を分析することができる。考えてみれば、日本もまた、歴史上のパフォーマンスにおいて並外れていたし、今日なお並外れている国である。非ヨーロッパ諸国のうちで先頭を切って、日本は一九世紀末に経済的に離陸し、今なお世界の最先進国の一つにとどまっている。 ところが、その日本は世界でも最も高齢化したもう一つの国であって、年齢の中間値は四六・五歳と非常に高く、二〇一七年のデータでは、人口は約一億二七〇〇万人でしかない。東京〔首都圏全体〕は人口三八〇〇万人を擁するが、世界の風習とは無関係に独自の道を歩んでいる。なにしろ、道端にゴミが落ちていることがないのだから。 現実には、ドイツと日本以外にも、直系家族系のとても多くの民族集団朝鮮人、バスク人、カタロニア人、ルワンダ人、カメルーンのバミレケ族が「桁外れな」エネルギーと、何らかの形の自民族中心主義を発揮しているので、ドイツや日本は尋常な人類の内には完全には入らないのではないかといった疑念から離れるのは知的にさほど難しくない。北朝鮮は、突飛で、不安を感じさせるケースでもあるが、このケースさえも、直系家族モデルに並外れた効率性を発揮する能力があることを確認させてくれる。 この歴史素描の枠の中では、これらすべての社会を詳細に研究することはできない。それでもドイツと日本を同時に扱うことで、両国に共通の人類学的規定を、地理的・歴史的な他の諸要因から区別して取り出すことができるだろう。その上で、次にわれわれは、両国の資本主義の構造上の類似性を超えて、積極的な対外行動の道をふたたび見出す外向きのドイツと、隣国中国の擡頭がもたらす拘束の下で、何よりも自分自身をふたたび見出そうとしている内向きの日本という、二つのネイションの現時点での国家戦略上の分岐を説明しなくてはならない。
ドイツと日本の出生率の低さ――父系制レベルの残存 表18-1は、二〇一五年における主要先進国の合計特殊出生率を降順に並べている。大掴みにいえば、農村部の伝統的家族システムによって決定された女性のステータスがこの分布を説明する。表の上欄には、核家族の国々、すなわちフランスと英米世界が、一・九人かそれ以上という数値と共に現れている。下欄に見えるのは、直系家族の国々、すなわちドイツ語圏、日本、そして韓国であり、数値は一・五人と一・二人の間だ。女性のステータスを示すのは二番目の縦列で、そのステータスが比較的高ければ数字「1」が、より低ければ数字「0」が与えられている。三番目の縦列は、二〇一七年初めの時点で同性婚が認められていた「1」か、認められていなかった「0」かを示す。同性婚の法的承認という社会変化も、後述のように、人類学的基底と関係しているのだ。女性のステータスの高さと出生率の相関係数はかなり高く、プラス0・60である。 家族類型による出生率分布の法則性を破る例外の大半は、その家族類型の内部における女性のステ一夕スの逸脱によって(容易に)説明がつく。スウェーデンとロシア、フィン ランドのケースは、直系型や共同体型の家族類型にもかかわらず、女性のステータスが高いからである。 イタリアの合計特殊出生率が一・四人と低いのもまた、イタリアの中部と最北部に父系制が強く染み込んでいることを想起すれば、「正常」とはいえる。 スペイン、ポルトガル、ギリシアの低出生率は、別様の解釈を必要とする。子供の数が少なければ少ないほど、高い消費水準と外見的にモダンな生活水準により早く到達できたからだ。短期間で先進国のモデルに追いつこうとすれば、代償は避けられない。強いられる近代化の加速が文化的なひずみを生むわけで、そのひずみの早期に際立った形で現れる出産率の低下であろう。これを、私は、韓国のチャン・キョンスプ(張慶壁)〔韓国の社会学者、ソウル大学教授〕の「圧縮された近代」という概念を修正して、これを「近代化の時間圧縮」と呼んだ。



さて、日本・韓国はいずれも直系家族型で女性のステータスも低いため、出生率が低いが、台湾ももともと父系制の強い土地柄であるため、やはり出生率は低い。なかでも、韓国の低さは際立っている。その低さは、ドイツと日本が一度も達したことのないレベルであり、直系家族という要因だけでは説明しがたい。 これは、まさに「圧縮された近代」という観点から捉えるべき問題だ。女性に対して、子供を産むことと、産んだ子供をグローバル競争に参加できるレベルにまで教育することと、年老いた親の世話をすることを、同時に課す社会なのである。出生率のこの極端な低さ(僅か一・二人)は女性がこうした厳しい社会的圧力を受けている状況にあること以外に説明しようがない。 また、「個人主義なき個人化」という概念を含む「圧縮された近代」の解釈の大部分は、ドイツと日本の分析にも適用できるだろう。ドイツと日本は先進国ではあるが、両国の人口に顕著な不均衡は、直系家族的価値観が「西側」から来たウルトラ個人主義に適応しないことにも起因している。 ドイツでは、世間一般の通念が母親たちに、子供の面倒を見ないのは結局のところ、子供を捨てるに等しいことだと感じさせている。子供の面倒をきちんと見ていない母親、専業主婦の生活以外のものを熱望する母親を指すのに「母親カラス」というショッキングな言葉が用いられている。 連邦共和国はドイツの出生率の低さをついに本気で心配し始め、家族向けに新しいタイプの支援をもたらすことに着手しているが、しかし今のところ、人口統計に効果は現れてきていない。 ドイツに比べて日本では、雇用から女性が遠ざかる現象に集団的圧力はさほど読み取れない。が、日本では、母親が子供に過剰に傾倒する現象が、しばしば夫婦間の「情動的コミュニケーション」の不足によって説明されている。それに、日本の精神科医たちは、子供と母親の濃密すぎる関係を潜在的に病理的なものと見做している。 ドイツと日本で異なる現象が起きているのは、両国で営まれている人間関係のスタイルの対照性を反映しているといえそうだ。ドイツ文化が対人関係において遠慮のない率直さを価値づけるのに対し、日本文化は、他人を傷つけることへの恐れに取り憑かれている。 とはいえ、保育園や幼稚園に頼ること、任せることへの拒否を説明するのに、ドイツ人の場合には外からの単純な圧力を頭から前提にし、日本人の場合には内的強迫ばかりを前提にするとしたら、それはあまりにもばかげているだろう。 直系家族は、社会的規律と個人的内向を同時に強化する。今日、日本でもドイツでも、社会生活のすべての次元において、問題を内面に抑圧する力と外からの圧力が高いレベルで結びついていることに疑問の余地はない。 ドイツと日本のいずれにおいても、「近代化した」システムがあまりにも強い母性的イメージに行き着くときも含めて、それぞれの社会で女性に与えられる特殊なポジションに注目すれば、直系家族自体はすでにほとんど消失したにもかかわらず、直系家族に結びついたレベル1の父系的メンタリティが持続していることがわかる。 ともあれ、父系原則の影響下での変容を被らなかった諸社会は、二〇一五年頃、大きな経済不況に起因する軽い落ち込みにもかかわらず、合計特殊出生率を一・九人ないし二・〇人の水準、つまり、世代の置き換え(人口置換)に必要な二・一人に近い水準にまで回復したのだった。そうした社会における女性のステータスは、「順機能」的であるといえる。 他方で、父系的社会では、低められた女性のステータスが「逆機能」的に働いたのだ。なにしろ、女性においても高等教育が普及し、人生の選択の幅が拡大する状況が生まれたため、そのことで人口置換に必要な出生率を達成できない社会へと導かれてしまったのである。 ここでわれわれは、人類の起源においてホモ・サピエンスを特徴づけていた人類学的形態(核家族型)からさほど遠ざかっていない社会のほうが、今日では、歴史によって大きく変容したタイプの社会(直系家族型・共同体家族型)よりもよく機能することを確認しなければならない。 また、二〇一七年一月一日の時点で同性婚を受け容れた国の女性一人当たりの子供の数の平均は一・七四人である一方、同性婚を受け容れていない国々のそれは一・四六人でしかないのだ。いいかえれば、同性婚を認める社会のほうが自己再生産の効率が良いわけである。 実は、女性のステータスの高さと同性婚承認を結びつける相関係数はさらに強く、プラス〇・七五である。してみると、同性愛行動の受容は、女性解放に伴う副次的現象にすぎないのかもしれない。 いずれにせよ、核家族型の人類学的システムがその相対的な自然さのゆえに、二十一世紀初頭の今日、人口学的に見て順機能的であるという仮説の正しさが強化された。ホモ・サピエンスの原初の基底に最も近くとどまっていた社会が、父系制によって変容した社会よりも、近代の諸矛盾をうまく解決するのである。
グローバリゼーションの要素としての第二の人口転換――直系家族型社会の適応不全? ニュアンスを強調するのもよいが、そのせいで肝腎の点を見失ってはならない。肝腎なのは、ドイツと日本が、人口学的に見て同じような軌道を辿っているということ、そしてそのドイツと日本が直系家族という人類学的形態から生成した二つの社会、つまり、父系制レベル1に特徴づけられた二つの直系家族型社会だということである。父系制レベル1は、女性たちの教育を禁止しないだけでなく、子供の教育係としての母親を大いに尊重する。しかし女性たちは、学業ののちに職業労働に就こうとすると、男性の特徴――子供を産まないということ――を自分のものとしなければならない。「核家族」型社会は、高等教育を受けて職業労働に就いている女性が女性であり続け、子供を持つことを許す。この二つのタイプの先進社会を対立させてみると、変化と収斂を混同しなくて済む。 実際には、人口の変化は、人類全体が統合されていく過程にある世界で起こる。第二の人口転換もまた、まず米国で起こり、その後世界に拡がったひとつの革命だと見做されなければならない。そのベースとなった価値観は、まぎれもなく核家族型社会由来だ。すなわち、個人主義的で、自由主義的で、女権拡張的な価値観。したがって、ここでわれわれは自問しなければならない。まさにこの価値観に適応しようとしたからこそ、ドイツと日本の直系家族型社会は人口面で機能不全を来し始めたのではないだろうか。 グローバリゼーションという概念をここでもし純粋に経済的な次元に限定するならば、グローバリゼーションへのドイツないし日本の対応は高度に効率的だと見做すことができる。実際、この二国は貿易において構造的に黒字国であり、日本の赤字は、福島原発の惨事によって引き起こされた原子力エネルギーの生産停止のあとに現れたにすぎない。今日では、世界の貿易に驚くべき非対称性と相補的関係が存在している。英語圏のすべての国が赤字で、一般的に直系家族型社会が黒字なのだ。 しかしながら、もし人口動態を「世界化」という概念(ここでは「グローバリゼーション」よりも広範で、文化的な諸価値をも内包する)の適用対象の一つとするならば、子供を生み出す力がドイツと日本で弱いのは、直系家族の単純で直接的な結果であるどころか、もっと微妙に、アメリカ的近代に対する直系家族型社会の反動なのではないか。個人主義の度合いの低い直系家族型社会では、女性たちが解放され、子供たちが「王様」になっていくような環境の中で、子供を有益な存在だと見做しにくいのではないだろうか。 今日、ドイツと日本では、社会を均衡状態に持っていくためには、女性一人当たり〇・七人、ちょうど三分の一の子供が足りない。この不均衡は、相当な時間が経過しないと表面化しないとはいえ、とにかく途轍もない規模なので、この二つの国に選択を強いた。 まず教育の領域ですでに、この二つの大国の軌道は分岐している。人類学的であるよりも、歴史的な理由(ナチスによるユダヤ人及び知識階層への迫害)によってである。



教育における二つの直系家族型社会の分岐 グラフ16-1を見ると、米国の先行と、その米国がどちらかというと頭打ち状態で揺れながら横ばいに推移している間に、他の国々が米国に追いついていく様子が読み取れる。スウェーデン、イギリス、フランスは、異なる水準から出発して、およそ平行した軌道を辿っている。日本は他の国々よりも急速に進学率を上昇させ、その結果、二〇〇〇年頃に二五歳に達した若者世代以降、高等教育課程を修了した個人が世代人口の三五%を占めるという米国の状況に追いついている。 ところが、ドイツの軌跡はこのパターンから外れている。ドイツはスウェーデンと同一水準から出発している。この一致に不思議はない。スウェーデンはルター派だし、ドイツは、ルター派発祥の地である。しかし、かつて人類を代表して前例のない普遍的識字化をやってのけたこのネイションが、第二次世界大戦以来、高等教育の非常に緩慢な普及に特徴づけられている。 高等教育課程修了者が二〇%しかいないという点で、ドイツの軌道は、その学歴層が三五%に達した日本のそれと分岐している。 このドイツにおける高等教育普及の停滞は歴史的なものでしかあり得ない。ナチズムによって、ハイカルチャーの一部分と、それを担っていた社会階層が被壊されてしまったのだ。ナチズムは、ユダヤ人も、ユダヤ人でない者も含めて、自国のエリート層のかなりの部分を国外追放したり、大量殺我したりした。この切除が、長きにわたって埋まることのない空白を作り、その空白が国の軌道に狂いを生じさせ、高等教育の相対的な停滞を招いた。



日本の軍国主義は、そのような切除にまでは及ばなかった。要職から遠ざけたり、外出を禁じて監視したり、投獄したりはしたが、知的階層をまるごと職滅することはなかった。 その結果、日本では後年、無事で残っていた有識の人びとが戦後の復興を導くことができた。こうして日本では、直系家族が教育領域で有するポテンシャルが通常の効果を発揮でき、かくして迅速に、高等教育が米国と同等レベルまで普及した。
ドイツと日本の父系制、スウェーデンのフェミニズム グラフ16-2、グラフ16-3、グラフ16-4は、それぞれスウェーデン、日本、ドイツを対象として、高等教育の進展が、いかにそれぞれの国における初等教育進展の延長線上にあったかを示しているのだが、ただし、ドイツには特異な逸脱が見られる。 グラフ16-2に示されたスウェーデンのケースでは、出発点での男女格差が小さかったこと、女性によるキャッチアップの始まりが早かったこと、キャッチアップに続いて、女性が男性を追い越したこと—――〔識字化と同様で〕歴史は繰り返す――が一目瞭然だ。今日では、女性のステータスの高さという意味でのフェミニズムはスウェーデンの代名詞とも言えるほどで、二〇〇〇年に二五歳になった世代では、高等教育課程修了者の人口比が女性では三〇%を超えているが、男性では二二%しか占めていない。 日本では、もともと男性が断然優位にあった。その格差は非常に漸進的にしか縮まらなかったが、それが縮まったのは、進学率の迅速な上昇の中でであった。一九九一年~一九九五年以降、女性が優位に立ったかのような印象をグラフ16-3からは受けるが、おそらくこの印象は、当該の高等教育修了証の中身を分析すれば消えてしまうだろう。日本で女性が受けている高等教育はしばしば、プレスティージの相対的に低いタイプのものである。 ドイツに関するグラフ16-4の曲線は、ドイツの人類学的母胎にふさわしく、当初の段階での高学歴男性の多さと、男女格差の大きさ(高等教育課程修了者が男性の世代人口の二三・六%を占めていたのに対し、女性では六・七%しかいなかった)を明らかにしている。この男性優位は、その度合いにおいて、当時の日本で現れていたそれ(大学卒の比率が男性では一二%、女性では四・四%)を上回っていたわけである。



この事実は、西洋に定着しているステレオタイプに反して、ドイツが日本以上に父系的であることを示唆している。とはいえ、直系家族は、他国においてと同様にドイツにおいても、女性たちや母親たちの就学を問題なく認める。一九六〇年以降、高等教育を修了する女性の比率はドイツでも順調に上昇し、やがて世代人口の一九・一%に達した。それとは反対に、男性のうちでは――そしてここに、西洋社会の「正常な」軌跡からの逸脱があるわけだが――高等教育課程修了者の比率がゆっくりと減少し始めて、二三・六%から二〇・二%に到った。かくして両性の平等がついに実現したのだが、それは、男性人口がかなり意外な軌跡を辿った果てのことだった。 この型破りな推移の意味を、われわれは理解しなければならない。先述の出産率の分析、あるいはむしろ非出産率の分析がわれわれに教えてくれるのは、この推移が、男女の役割分担のバランスの結果としては解釈できないということだ。男性に見られる下降曲線は、いわゆる高等教育には含まれない産業関係の専門技術習得やキャリアにますます特化した進路選択を反映している。いいかえれば、ここでわれわれが出会っているのは、いわゆるレベルの低下ではなく、本来広く普及させる(ユニバーサルにする)ことのできる一般教育の後退、つまりは、大学の後退なのだ。



ドイツのこの軌跡はあまりにも奇妙なので、情報としての有効性を、別のソースから得られるデータによって確認してみなければならない。 表16-2はOECDのデータであるが、この統計結果は、第三期教育〔中等教育修了者を対象とする教育段階〕がドイツではあまり発展していないことを明示している。 二〇一一年に、二五歳~三四歳の人口のうち、第三期教育に属する何らかの修了証書を取得済みの人の割合が、日本では五九%なのに、ドイツでは二八%でしかなかったという。かつて西ヨーロッパで最も識字化の遅かったポルトガルと近い水準にあるわけだ。



さらに、表16-3を見てみると、男女比の指標が一二五を超えている国々のうちに、スカンジナビア半島の諸国、ロシア、ポルトガルを見出すことに意外性はない。この三つのケースはいずれも、ユーラシア大陸の周縁に位置して、父系制原則の伝搬してくるのが最も遅かった地域の様態を示している。そこでは、ロシアでそうだったように父系制原則が勝利した場合でも、すでに幾度も述べたとおり、女性のステータスは低くはならなかった。ポルトガルの母権制は、ブルターニュ地方の母権制も同じだが、心理社会学者たちにとっては月並みな話になっている。 それに対して、この階梯の下の方に、一〇〇未満の指数とともに、日本、韓国、そしてドイツ文化圏のすべての国の名が見える。ドイツはここでも、オーストリアと(ドイツ語圏スイス人が多数派を占める)スイスに、つまり、ドイツと同様に父系的性格の強い直系家族を主流とする二つの国に忠実に随伴されているわけだ。さて、日本とドイツの教育領域の推移の比較分析はこうして、類似性と分岐を同時に明るみに出す。すなわち、同じ父系制を共有していながら、大学教育普及の進展に日本は拍車をかけ、ドイツはブレーキをかける。 次にわれわれが確認するのは、この二つの国で、支配的なイデオロギーであるウルトラ個人主義と矛盾しつつも、ひとつの強力な集団意識が生き延びていることである。その確認をとおして、ドイツと日本の強い類似性を再認識できるはずだ。その上でさらに、経済的グローバリゼーションの主要なアクターである二つの偉大な直系家族型ネイションが地政学的には分岐していることの説明も、試みなくてはならない。
集団意識の抵抗――ゾンビ・ナショナリズム 地方分権体制であるにもかかわらず、ドイツ経済は、あたかも謎の運転手がアクセルを踏む自動車であるかのように状況に対応する。実際、今日、ゾンビ・直系家族は核家族とは反対に、地域別や職業別のレベルでだけでなく、国民レベルでも集団意識の残存を保障する。 このナショナルな集団意識が、ドイツに、日本に、また韓国に、グローバリゼーションの土俵における非対称の優位性を与える。核家族の国では、文化的なウルトラ個人主義と、その経済的構成要素であるウルトラ自由主義が、実際に関税障壁の引き下げに帰結した。米国人、イギリス人、フランス人は、経済理諭の要求するとおりに行動し、ある財を買うときにはホモ・エコノミクスになる。消費者は直接的な個人利益を追求し、いちばん安い製品を選ぶ。ポストナショナルのゲームに参加するのである。イギリスや米国やフランスのそれぞれの資本主義は、(その資本主義の擡頭を可能にした)保護貿易を捨てて、自らの立場を脆弱にする。自国の市場を開放する。しかし、直系家族型資本主義は、同等の補償を提供しない。ドイツや日本の個々の消費者は、経済理論の想定通りになど行動しない。第一、彼らの指導層もその点は同じであって、流通経路を非公式にコントロールする。ドイツ人と日本人は、商品価格を見る前に、相変わらず生産国に関心を向け、そうすることが可能な場合には毎度、自国の製品を買う。 テクノロジー継承能力の高さもさることながら、この人類学的タイプの特徴の一つである不平等主義が促すのは、非対称性のメンタリティであり、たとえばドイツ人と非ドイツ人の間の、あるいは日本人と非日本人の間の本質的な違いをア・プリオリに前提する傾向がある。それによる、交易上の有利さは計り知れない。出発点で競争力上の優位性を与えられ、それで得る利益を輸出産業に再投資するから、時間が経てば経つほど競争力が強化され、ドイツないし日本の技術的優越性は自己成就的予言となり、かくして実際に、ドイツ製品や日本製品は高いレベルに到達していく。 日本のケースでは、従来から事柄がはっきりしている。その意味では、あの国の振る舞いはフェアプレイだとさえいえるだろう。「日本」は自ら特殊な国だと自己定義しており、したがって誰もが、日本が特殊な国なりの経済活動を実践するものと予期している。 他方、ドイツは、かつてナチスのおぞましい過去によってその思想とともに追放された国である。だからこそ、西洋世界はドイツ連邦共和国の普遍主義を額面どおり信じようと努める。それゆえに、ドイツは自由貿易論を唱えつつ、行動においては保護貿易主義であることができる。 ドイツについては、今日まで生き延びた強い国民感情について語るべきだろう。さらに、自由貿易に起因する経済戦争の中で、ゾンビ・ナショナリズムが活動していることさえも語るべきだろうと思う。この同じ用語を日本のケースに適用することを、私はためらう。日本の国民感情はむしろ明示的なのだが、あの国は今日おそらく、世界を征服することよりも、世界から身を引くことを願望しているからだ。
経済的な有利さと人口危機 以上のように考察を進めてきたわれわれは今、逆説的な事態に直面している。つまり、グローバリゼーションの中で最もよく成功した先進国は、自らの人類学的システムによってウルトラ個人主義から護られた国、ホモ・エコノミクスのモデルに合致していない国、グローバリゼーションが基本的前提として押しつける命題を拒否した国だということになる。 物事の経済的表面から、社会生活の深い層――女性のステータス、性行動、子供の教育――に及ぶ世界化の影響へと眼を移すとき、われわれは、ドイツや日本のような国がとりわけ人口の面で、重い代償を払ったことを確認する。ドイツや日本のような国々は、世界化への適応と引き換えに、ウルトラ個人主義とフェミニズムに対して適応しにくい素質を有しているので、その齟齬の結果、もはや自国の人口の再生産を確実になし得ないところにまで追い込まれてしまった。長い期間にわたって、合計特殊出生率を女性一人当たり一・四人に近い水準に維持していれば、必ず、最終的な子孫(女性の各世代が産み出す子供の数)が不可避的に非常に低いレベルに近づいていく。従って、出生数の大きな不足が明らかになっている。ところで、ひとつの社会は、経済の成功・不成功を気に病む前に、自らの人口の再生産を確実に維持しようとしなければならない。 しかし、われわれは、いよいよ問題の分岐点にまでやって来た。まさにこの段階で、二つの偉大な直系家族型社会の類似性が崩れる。ドイツと日本は、人口問題の脅威を前にして、完全に正反対のやり方で反応した。一方は、移民に広く門戸を開けた。他方は、現在のところ、自国の人口減少と国力の低下を受け容れている。
外向きのドイツと内向きの日本
表16-4 各国の在住外国人の割合(2012年、%)
| 国 名 | 外国籍 | 外国出身者 |
| 米 国 | 6.8 | 13.0 |
| 英 国 | 7.5 | 11.9 |
| ドイツ | 8.8 | 13.3 |
| スウェーデン | 7.0 | 15.5 |
| フランス | 6.4 | 11.9 |
| 日 本 | 1.6 | |
| 韓 国 | 1.9 | |
| ロシア | 0.4 | 7.9 |
表16-4をみれば、ドイツはすでに国内に、外国生まれの住民を驚くほど多く抱えていた。そのパーセンテージは、二〇一二年には、総人口の一三・三%であった。この点で、当時すでにドイツは、米国の一三%をも追い越し、特にフランスの一一・九%を凌駕していたのだ。ドイツ以上の比率で外国生まれの住民を抱えていたのはスウェーデンだけで、その率は一五・五%だった。 日本については、国内の外国人の比率だけで満足せざるを得ないのだが、二〇一二年に、ドイツに住む外国人が人口の八・八%であるのに対し、日本では、人口の一・六%しか外国人を見出すことができない。たしかに、すでに日本列島の中で移民流入の始まりは確認できる。この国の経済が露わにしている労働力不足を埋めるという実際上の必要が背景にある。ところがここで特に確認すべきは、日本が、自国の人口問題を解決するために大量移民の導入に打開策を求めることを拒否しているということなのだ。こうした状況の中で、二〇一〇年以来、日本の人口は減少の一途を辿っている。どう見ても、日本は国力の増強や維持を諦めたのである。 ドイツと日本の人口政策の分岐を説明する主要な言説は、日本の文化が社会全体の同質性を理想として、それに執着しているという点を強調する。なるほど、その種の同質性の概念は、直系家族の統合と非対称性の価値とたいへん折り合いがよい。しかし、同じ価値観を帯びていながら、ドイツは開放を選択している。ここで、日本の直系家族とドイツの直系家族の間にあるひとつの差異が、両国の態度と政策の分岐の究極の原因に光を当てるのではないだろうか。ドイツの人類学的システムは、キリスト教によって変容したヨーロッパのすべての家族類型と同様、頑として外婚制に徹している。キリスト教の厳格な外婚制は日本には影響を与えなかった。伝統的に日本では外婚制がいわば穏健化されていて、その証拠に、本イトコ同士の結婚がかなり鷹揚に許容され、第二次世界大戦の直後には、その率が一一%に達していた。その後、イトコ婚は急減し、今日ではゼロに近づいている。 われわれが日本で観察するもの、それは基本的に、開放と閉鎖の間の一種の弁証法だ。その弁証法が、政治、経済、家族など、あの国のすべての側面を結びつけている。 ドイツが、製品の品質が落ちるリスクを冒して東ヨーロッパの労働力を統合した生産回路を確立していたときに、日本にとっての優先事項は、サプライチェーンの自律性を保全することだったようだ。また日本は、福島原発事故のあとでも、絶え間ない地震の脅威があるにもかかわらず、自国の民生利用の原子力産業を維持した。日本の内向性とドイツの外向性がいちじるしい対照を成している。 もしアジアに、ドイツと完璧に等価なものを捜すなら、それを見つけられそうなのは韓国においてだ。韓国の人口危機は日本よりも遅く、より最近に始まったのだが、あの国はすでに日本よりも高い割合で外国人を受け入れている。もっとも、中国東北部に朝鮮「民族」が存在していることで、移民導入が容易なのは事実だ。 米国の文化主義的伝統を受け継ぐ人類学者ならば、韓国文化を外向的で、感情表現に適していると見做し、遠慮を優先する日本文化の正反対だと評するだろう。 なにしろ、韓国と台湾はヨーロッパ的外向性の側に入るのだから。 ここに到って、もしかすると、われわれは最終的に、日本は本当に特別な国だという考えを受け容れてよいのかもしれないという気がする。しかし、日本の差異、内向性、内婚制は、直系家族自体も含めて、せいぜい一五世紀から二〇世紀までの間に展開した比較的新しい歴史の所産なのである。 **ドイツと日本が似ているというのは、日本人の共通認識になっているように思うが、それが実は家族形態(直系家族)からきているということを認識している者は少なくないだろうし、私自身もそうだった。実際には父系制の強い直系家族は日本でもすでに廃れてはいるが、人々の中にその価値観は依然として生きていることは確かに疑いようがない。例えば2024年のWEF発表のジェンダーギャップ指数118位/142カ国をみても、国連発表のジェンダー開発指数92位/192か国をみても、日本ではいずれも女性が男性に比べて厳しい状況に置かれていることは明白だ。選択的夫婦別姓すらなかなか進まないこと、女系天皇もましてや女性天皇すらもその容認が依然として見込めないことにもそれは表れている。そして、日本の保守層は、こうした男性優位の父系制社会こそが日本の伝統的価値観によって築かれたものであるとして、ジェンダー平等やフェミニズム対して厳しい攻撃を行っている。 そうした伝統的価値観が出生率の低下=少子化へとつながっているとしたら、確かに日本の保守・支配層は、結果的に日本の衰退を容認していることになるのではないか。 ドイツでは、そうした少子化に対応すべく大胆な移民政策をとったが、他方でその移民政策やEU支配エリート層に反発する大衆的な運動の高揚を通じてネオナチ・極右勢力の擡頭も顕在化しており、国内が不安定化している状況も否めないので、ドイツも日本も大きな課題に直面していることは間違いないといえると思います。**
第17章 ヨーロッパの変貌
東欧への拡大と西欧での統一通貨ユーロの導入以来、ヨーロッパ連合(EU)は機能不全に陥っているように見える。欧州のこの危機的状況を理解するには、まず、統合欧州の建設を導いてきた二つの知的大原則から自由になることが不可欠だ。すなわち、一つは、経済の決定力が何物にも優るという信念。もう一つは、諸々のネイションのあり方が消費社会の中で収斂していくという仮説。欧州統合のプロジェクトは、経済が歴史のエンジンであるような世界においてなら、そして、経済的効率が欧州の北から南まで、東から西まで同程度であったなら、成功できただろう。しかし、人類の世界はそういう世界ではないのである。本書で私が一貫して指摘を試みているように、深層に潜む力――教育、宗教、家族――の影響力が経済的推移の根底を成している。前章では、ヨーロッパにおける高等教育進展の軌道が国によってどれほど多様であるかに注目した。今度は人類学的な台座まで降りていき、家族的・宗教的多様性がどのようにしてEUの変貌を引き起こしたかを検討する。そうして最後にわれわれは、どちらかというと意外な結論、すなわち、今日のヨーロッパの姿は奇怪なアクシデントであるどころか、むしろ本書が素描してきた歴史ビジョンにしたがえば想定できるとおりのものだという結論に到るであろう。 諸国が経済面と人口面で一致せず、分岐している状況を検討する前に、私は、それらの国々の人類学的多様性を大掴みに描き出しておくために、家族構造の分布図を提示する 地図17-1の図を各宗教の浸透度を示した地図8-1と組み合わせるときに得られる総合的な分布図が、欧州における権威と不平等の価値の配置を浮かび上がらせる。






ユーラシア大陸の末端における家族形態の多様性 地図17-1が教えてくれるのは、欧州連合(EU)の中で支配的な家族類型が、父系制レベル1に相当する直系家族だということである。直系家族こそが、今日では合計すると約一億八〇〇〇万人を少し超えるほどの住民がいる国々と地域の農村で伝統的に支配的だったのだ。この人口は、イギリスのEU離脱前の段階でも、EU総人口の三六%に相当していた。イギリスがEUを去った今では、直系家族人口の割合はEU総人口の四〇%、ユーロ圏に限れば四六%を占めている。それに対して、平等主義核家族に属する人口は二七%で、直系家族人口の四六%の前では、まったく重きを成さない。 直系家族の分布図が明らかにしているのは、たしかにドイツ文化圏のブロックがその中心にあることだが、分布はオランダやチェコ共和国にも拡がり、さらに遠くはフランスの周縁部、スロベニア、イタリア北西部にまで及んでいる。それ以外にも、スウェーデン、南仏オクシタニ地域、スペインのカタロニア地方、バスク地方、北西部のガリシア州、そしてポルトガルの北西部に、それぞれ独自に直系家族の核が存在するので、これらも加えて考慮する必要がある。 人口の大きさからみると、ヨーロッパにおけるドイツに次ぐ、第二の直系家族国は、一九〇〇万人擁するフランスであり、三番目は一四〇〇万人を擁するスペインである。
宗教的浸透の多様性 ヨーロッパで、キリスト教は慣習的に、東方正教、カトリシズム、プロテスタンティズムという三つの主要な流派に区別されるが、地図8-1が示すように、ローマ・カトリック教会の支配下にあったかなりの部分――広大なパリ盆地と、スペイン南部、イタリア南部、ポルトガル南部――では、早くも一七四〇年から一七五〇年にかけて宗教実践が崩壊した。主に、平等主義核家族と大規模農場経営に特徴づけられていた地域でのことだった。世俗化が一八世紀にまで遡るこれらの地域では、宗教的な統合力は最小レベルで、残存的、または皆無である。 他方、プロテスタンティズムの国々では、信仰の退潮が一八七〇年から一九三〇年にかけての時期に位置づけられるので、今日も宗教の痕跡がより深いだろうと推測できる。 また、第二次世界大戦の終戦明けまでカトリックにとどまっていて、かの第二バチカン公会議〔一九六二年~一九六五年〕以降に宗教実践が崩壊した地域の場合には、宗教的影響のよりいっそう濃厚な残存を認めなければならない。私がエルヴェ・ル・ブラーズと共にゾンビ・カトリシズムの存在を見出したのは、カトリシズムが消失して間もないフランスの諸地域においてであった。 フランスにおけるこの諸県においては、教育領域でのダイナミズムとともに、他の地域に優越する経済的効率性をはっきりと示していたが、一方で権威と不平等と階層秩序的社会形態を受け容れるよう予め仕向けられた社会的態度も見出せる。今日の精神的・経済的危機の文脈においては、特殊な――いわば偽善的な――形のイスラム恐怖症も看て取れる。 なお、オランダ、デンマーク、ドイツ北部のプロテスタンティズムには、カトリシズム以上に、宗教色濃厚な外国人恐怖症を活性化させる能力がある。なにせ、選ばれし者と地獄行きの者を区別する予定説を仕込まれているプロテスタンティズムにおいては、不平等の価値の表現がよりあからさまなのである。プロテスタンティズムは、その誕生時から、聖書を現地語に翻訳することを要求したし、歴史上つねに、ナショナリズムと、あるいは少なくともナショナル・アイデンティティの当初の表現としっかり結びついてきた。 一方、経済面では、ゾンビ・カトリシズムの効率の高さが見分けやすい。近年、西欧諸国内で、フランドル地方や、イタリアのヴェネト州や、ドイツ南部のバイエルン州、バーデン=ヴュルテンベルク州などの伸張が著しいのがその証拠だ。ドイツの場合に関していえば、経済的に最もダイナミックな二つの州がカトリック優位の州なのだから。 反宗教改革の中心にあったのは、司祭への服従の原則である。それだけにゾンビ・カトリシズムは、イデオロギー面で、権威主義的で不平等主義的な、階層序列に従順な振る舞い方を推奨する。そしてそのことは、左翼勢力のある種の変化が有権者たちの表面上の政治的支持のあり方を変えてしまい、その結果としてゾンビ・カトリシズムの権威主義的で不平等主義的な価値観に適応する方向での、社会党の側の文化変容がもたらされたといえる。 こうした、動きがまず左翼陣営を、次にフランスを政治的に「征服」したのだった。かくして力を得たのは自由と平等の価値ではなく、その正反対の権威と不平等の価値であった。この動きがさらに強化されていった背景には、むしろ「征服」する側となったカトリック諸地域の教育と経済における成功があった。 到るところで、教育領域の新たな階層化の不平等主義的効果が、直系家族や聖職者の優越性の原則に固有な価値観が及ぼす不平等主義的効果に付け加わった。こうしてフランスは、ジャック・ドロール〔フランスの政治家。仏財務相を経て、一九八五年から丸一〇年、欧州委員全委員長を務めた。一九二五年生まれ〕のもとで緊縮財政主義に陥った社会党とともに、フラン高政策へと、そして次には単一通貨ユーロへと「宗旨替え」をした。 依然としてわれわれは、宗教的実践の崩壊以降も、反宗教改革カトリシズムの権威主義的で不平等主義的な次元が残存するという仮説を前提にしていくことができる。かつては普遍主義のローマ教会が、さまざまな特殊性を帯びた多くの社会を一つにまとめる役割を果たしていたのだが、その教会の力が消失すると、不平等主義的な家族構造の地域では、自民族中心主義的傾向が解き放たれた。すなわち、フランドル地方、バスク地方、アイルランド、ケベック州などに見られる現象である。しかしまた、ゾンビ・カトリシズムの地理空間にはキリスト教的普遍主義の刻印も持続していて、それゆえに外国人恐怖症の抑制も持続していること、そしてその抑制に匹敵するものはプロテスタンティズムの国にはないことも推測しておくべきである。 全体として、ゾンビ・カトリシズムの地域は、直系家族の地域に次いで、EU内で二つ目に大きなエリアを構成している。そのエリアは、必ずではないが、しばしば一つ目のエリアに重なっている。直系家族の比重と同様、ゾンビ・カトリシズムの比重も、EU全体の中でよりも、ユーロ圏の内部で大きい。ドイツ文化圏が中心という性格は、直系家族エリアの場合よりも少し弱い。ゾンビ・カトリシズムは、直系家族型でない地域を権威と不平等の価値観に近づける。



私はここで、家族的価値観と宗教的価値観を毎度必ず事細かに積み重ねるつもりはない。 直系家族、カトリック、プロテスタントの痕跡をプラグマティックに合成するだけに甘んじよう。それをしたのが、地図8-1と地図17-1を組み合わせた地図17-2〔下巻口絵二頁〕である。 直系家族とゾンビ・カトリシズムは協力して、権威主義的で不平等主義的な地域文化を製造し、維持することができる。その二つの力が合同するエリアを特徴づけるのは、階層モデルへの個人の最大限の統合である。直系家族は、カトリシズムの痕跡がなくても存在し得る。フランスのオクシタニ地域やスペインのカタロニア地方では、直系家族文化が、早期の脱キリスト教化を妨げなかった。 欧州において権威と不平等の価値観が有する潜在力を見積もるこの企てにおいては、ゾンビ・カトリシズムのエリアに含まれていながら、直系家族を伝統としていない地域に、格別の注意を向ける必要がある。 その地域は、階層秩序気質と、個人を組織の中に統合する伝統が支配的である環状エリアであるからだ。ユーロ圏の中で直系家族が支配的である比率を、私は四六%と見積もったが、ここに、ゾンビ・カトリシズムのエリアに含まれていながら、直系家族を伝統としていない地域を加えてみると、比率は五六%にはね上がる。 さらに、イタリア中部やバルト三国の伝統は共同体家族で、この家族システムはたしかに平等主義的ではあるが、しかし権威主義的である。こうした国や地域の存在をも勘定に入れると、その比率が六一%にまで達する。 結局、家族と宗教のいずれに起源があるにせよ、権威主義的な気質がユーロ圏の諸々の地域社会の中で支配的なのだ。この試論で展開している理論、家族と宗教とイデオロギーを組み合わせるこの理論の見地から見れば、ユーロ(およびユーロと一体化している緊縮政策)は、自由主義的な価値観に支配されていないヨーロッパ空間の通貨として正常なのである。このような分析により、ユーロ圏においてはトップダウンの権力を歓迎するイデオロギーが存在していることが確認できる。 そもそもユーロを構想したのは、一九八一年に政権の座に辿り着いたフランス社会党のエリートたちだった。この事実は意外の感を与えるかもしれないが、しかしフランスは、一七八九年の大革命の国である一方で、「カトリック教会の長女」〔四九六年にフランク王国の王クローヴィスがカトリシズムに改宗して洗礼を受けたことに因む呼称〕でもあり、しかも、先程も指摘したように、ヨーロッパにおける第二の直系家族国家でもあるのだ。 さらに言えば、直系家族との結びつきの有無を問わず、地図学的に考察すれば、ゾンビ・カトリシズムこそがユーロの真の基礎であるようにさえ見える。ユーロ圏のほとんどすべての国にゾンビ・カトリシズムの拠点が存在し、その分布図から外れているのは、フィンランド、エストニア、ラトビアの三カ国だけなのだから。 欧州共同体の生成においてキリスト教民主主義(カトリック教会)の果たした重要性は、かねてより衆目が一致して認めるところだ。ゾンビ・カトリシズムという残存する宗教的価値観が、ユーロの考案と擁護に貢献したのだ。 ロシアを恐れるがゆえにユーロを選んだフィンランド、エストニア、ラトビアの三カ国を例外とすれば、全面的にプロテスタントである国々はいずれもユーロ圏の外にとどまったのだ。そもそもEUに加盟していないノルウェーをはじめ、ルター派プロテスタントのデンマークとスウェーデンは、さらにカルヴァン派の伝統に連なるイギリスはみな自国通貨を保守した。ゾンビ・プロテスタンティズムとも呼び得る国々のナショナルな次元は依然として活性化状態にあり、自国の通貨上の独立性を保全し、主権国家としての独立を保全する。 ドイツは、あの国が単一通貨制度への参加を決めた当時は、カトリックの地域を地盤とする右派勢力に支配されていたが、その後、東ドイツが併合されて、プロテスタントが多数派の国になった。そうした変容の影響により、国政の方向づけがヨーロッパ寄りであるよりも自国寄りになるという形で現れわれたと見ていいだろう。



さて、次に考察すべきは、ユーロ圏の内も外も含め、拡大欧州連合の管理がいかにして、人間不平等という、ゾンビ・カトリシズム文化の地域の大半と直系家族の文化とに共通する価値観を具体化したかという点である。
ヨーロッパにおける不平等の勝利 二〇一四年に国民一人当たりが生み出した富(一人当たりGDP)の国別一覧は、われわれが述べてきた残存原則の、つまり、「場所の記憶」が生きていることの見事な例示である。数十年にわたる官僚制の実験も、通貨制度上の発明も、ユーロ圏であるか否かも、経済効率性の昔からの地理的・文化的分布にいっさい変更を加えなかった。表17-1は、ヨーロッパ各国の一人当たりGDPを降順で表示している。 当該の国がEU加盟国か否か、ユーロ参加国か否かは問題にしていない。直系家族の国の欄は灰色だ。この人類学的タイプがその国の人口の半分にしか当て嵌まらない場合には、薄い灰色になっている。プロテスタントの国の名称は太字で示されている。数値は、国によって異なる財やサービスの価格を考慮すべく、購買力平価で計算されている。表の上段では、予期できるとおり、プロテスタンティズムと直系家族が混ざり合っている。この表に映し出されているのは、一七世紀に見られたような、プロテスタントの地域を先進的部分とするヨーロッパではもはやない。さらに、二〇世紀初頭のヨーロッパですらないとも言える。なにしろ、直系家族系であって、かつゾンビ・カトリシズムにも特徴づけられるオーストリアが、すでに先頭集団に追いついているのだから。イギリスにはプロテスタンティズムの痕跡が残存しているはずだが、その要素は、中間的なポジションにいるフランスのレベルにまでイギリスが下降するのを防ぎ得ていない。フランスは、その中心部の平等主義核家族文化にとって不利な単一通貨によって本来の動きを阻害され、継続的に下降し、この傾向が持続するならば、ついには富裕国クラブから離れ、イタリアやスペインのレベルに近づいていくだろう。直系家族の国であるチェコ共和国に追いつかれることさえ想像できる。 国別の名目賃金のコストは、工場を国外移転したり、作業を下請けに発注したりする企業にとって、また外国へ出稼ぎに行く労働者にとって重要な指標であるが、この指標に拠ると、各国の隔たりはより大きくなる。ユーロ換算した時間当たり労働賃金の中間値についてのEU統計局のデータが、表17-2にまとめられている。国名は、ここでも数値の降順で並べられている。二〇一四年の場合、この指標は、デンマークの二五・四からブルガリアの一・七までの隔たりを含み、格差は一五倍に達していた。ユーロ圏の内部では、ルクセンブルクの一八・三からリトアニアの三・一までの隔たりがあり、したがって格差は六倍だった。 したがって、旧共産主義諸国の統合が行き着いた先は、欧州の生活水準の収斂ではなく、差異化された不平等主義的なシステムの設置であった。そのシステムの中で、共産主義体制によってよく教育された労働人口が、中国との比較にさえ耐えるような水準の低賃金で、安価な労働力を提供しているのである。



ポーランドは家電製品の製造分野で女王となり、スロヴァキアとルーマニアは自動車生産の現場として圧倒的だ。欧州連合(EU)は今では、内部に一種の「中国」〔「世界の工場」の意〕を保有しているのである。仮にEUをひとつのグローバルな個体と見做すならば、欧州全体での生産システム再編成の結果、加盟各国の内部での所得配分は今や、経済的不平等の指標として時代遅れになってしまった。このことは、とりわけ、「ヨーロッパの民主制」と「アメリカの民主制」を比較しようとするときに言える。今日、米国内の格差がヨーロッパ各国内のそれより遥かに大きいのを見て、米国をヨーロッパ以上に不平等な社会と見做すのが一般化し、月並み化している。しかしながら、EU加盟国の国内状況を別々に見るのではなく、EU全体を一国のように見て計算すれば、一九九〇年から二〇一五年にかけて、「ウルトラ自由主義」的不平等の勝利に「選ばれし地」は、むしろヨーロッパであったことが判明する。
西への産業上の「電撃戦」 西ヨーロッパに目を向けても、限定的な収斂さえ確認できない。一人当たりGDPにおけるフランスの脱落に、われわれはすでに悲観的な結論が示唆されているのを見た。収斂どころか、南欧と北欧という古い亀裂が改めて鮮明になった。 ユーロのせいで、経済の強い国と経済の弱い国の間の競争が苛酷になった。単一通貨の下では、経済の弱い国が自国通貨の平価切り下げによって、その国にとって条件的に無理のある競争から自国経済を護るということができない。したがって、イタリアやフランスの産業は、ドイツやスカンジナビア諸国との競争に耐えることができなくなった。 グローバリゼーションに関しては、周知のとおり、誰もがいつも決まって、先進国の「高い」労働力と発展途上国の「安い」労働力の間で起こる競争を最重要視し、かつそれを唯一の競争と想定し、それがもたらすものについて論議する。たしかに、そうした現象は存在するし、実際に問題の核心だともいえる。 しかし、自国産業の最も進んでいる部分を保持しつつ貿易黒字を蓄積しようとする先進国にとって、最も効果的な自国防衛方法は、生活水準も給与水準も自国とさほど違わない経済的・社会的隣国に敵対することである。 二〇〇九年にパトリック・アルテエス〔フランスの経済学者、一九至年生まれ〕は、『ドイツはフランスにとってひとつのモデルであるか?』という表題の本の中で、ドイツが労働コスト削減政策の実施によって追求している効果の何たるかを問い、その政策はEU内のパートナー国に対して敵対的な方向づけのものだと結論づけている。 伝統的にフランスはドイツにいちばん近いネイションであり、両国のリーダーは、会談のたびに抱擁を繰り返すが、そうした親密さのアピールを超えて、実際にはドイツがフランスに経済戦争の宣戦布告をおこない、そして本当にその戦争に勝利しつつあるということなのだ。 ユーロは、フランス側が考案したのであり、その公式の目的はドイツ通貨のマルクを縛ることにあったのだが、今やその無益さは、かつてのマジノ線〔フランスが対独防衛のために築いた要塞群。第二次世界大戦ではドイツ軍の機動部隊に迂回され、役に立たなかった〕にも劣らない。
東ヨーロッパの、次いで南ヨーロッパの人口破壊 西側空間への東ヨーロッパの急激で強引な統合は、経済的不平等の拡大だけでなく、人口動態における惨事も招いた。東ヨーロッパの賃金水準と西ヨーロッパのそれの間に存在する大きな隔たりが、夥しい数の人びとに移住を促した。その嚆矢となったのが、旧ドイツ民主共和国(東ドイツ)の若い労働力のドイツ連邦共和国への大量流出だった。その後の推移の中で最も有名なのはポーランド人のイギリスへの大量流入で、あまりにも多くのイギリスの町があまりにも多くの移民を迎えることになった挙げ句に、イギリスのEU離脱が国民投票で支持される結果を生んだ。



ヨーロッパのメディア界は、ポーランドとハンガリーにおける外国人恐怖症的な保守勢力の擡頭や、ルーマニアとブルガリアにおける政治腐敗を、しきりに心配する。しかし、これらのネイションをEUに統合したことから始まった社会的・人間的破壊のプロセスを分析することは、頑なに拒み続ける。この無関心は、西洋資本にとって好都合である。 東ヨーロッパでは給与水準が非常に低いので、そこに子会社を設立した企業は超過利潤を手に入れることができ、この超過利潤が、ポーランド人、ハンガリー人、ルーマニア人、ブルガリア人の個人的・家族的自己実現の支えには回らない代わり、西側の投資家たちを幸福にするのだ。こういう事情なので、旧人民民主主義諸国の民主化・自由化のポジティブなイメージがフランス、ドイツその他のメディアによって維持されているけれども、そのイメージが反映しているのは、大概、それらのメディアのオーナーでもある西洋人投資家たちの幸福であって、東ヨーロッパで当該の労働人口を構成している人びとの日々の心配事ではない。彼らは非常に低い賃金で働いており、彼らの社会の医療や年金のシステムは、国全体がグローバル化された経済空間に組み込まれた結果、かなり広範に破壊されてしまっている。



現実は苛酷で、ポーランド、ハンガリーその他の国々は、新たな黄金郷のイメージから程遠く、根本的な将来不安に覆われた場所なのである。死亡率の上昇は今のところ確認されていないが、一般的に所得水準のかなり低いこれらの国々を支配する精神不安には、二〇一六年にトランプに投票したアメリカの白人の内にくすぶる危機感を思い出させる面がある。 死亡率以外の人口学的指標が、ここでわれわれを導いてくれる。一九九五年から二〇一五年にかけての全体的な人口動態、自然増減率、二〇一五年における移入・移出人口の差(社会増減率)などが教えてくれるところによれば、東欧諸国は現在、ネイションとして生き残れるか否かの瀬戸際にある。 表17-3を参照すれば、バルト三国、ルーマニア、ブルガリアが一九九五年から二〇一五年までの間に人口の急減少に晒されたこと、しかもその減少率は一〇%から二二%にまで達していたことが明らかだ。クロアチア、ポーランド、ハンガリーの人口減少は始まったばかりである。その一方で、チェコとスロヴァキアの両共和国だけは人口均衡状態にとどまっている。 表17-4は、二〇一五年における人口の自然増減と社会増減のデータを記載して、最新の人口推移を示している。ただし、出生率の急減によって生じた人口不足を将来に投影する予測まではしていない。唯一、ドイツだけが、マイナスの自然増減を大量移民の導入によって過補償するに到っている。東ヨーロッパを全体として眺望すると、出生率低下と人口流出の結果が重なり、人口が減少している。エストニアの社会増減が今やプラスで、その効果が出生数不足を埋め合わせているのは注目に値する。スロベニアと、チェコ共和国およびスロヴァキア共和国も、移入・移出人口の差(社会増減)の数値がマイナスではなくプラスである。もしかするとこれは、この三カ国が最終的にドイツの空間に統合されたことを示す徴かもしれない。仮にそうだとしても、歴史的観点からいえば不可解なことではない。これらのネイションはかつてオーストリア=ハンガリー帝国の一部分だったのだから。 逆に、スペインとポルトガルは、自然増減もマイナス、社会増減もマイナスで、人口減少の著しい東ヨーロッパの大半と軌を一にしてしまっている。イタリアは、移民をかなり多く受け入れているけれども、人口減少を食い止めるには足りていない。
ドイツの 「人口学的」 外交政策 ヨーロッパの人口システムは、断片的に扱うのではなく、EUの経済システムと相互に作用し合う一個の全体として考察する必要がある。東欧の労働者たちは、東欧の出身国での就労または西欧での移民労働をとおして、利潤率最大化という欧州全体のメカニズムに統合された。しかし、ドイツの場合は、労働力を求めているだけではない。人口を増やすための移民をも求めていて、それが財界と政府にとって一種の強迫観念にまでなっている。 年々ドイツは、低出生率のせいで年齢別人口ピラミッドの底辺部に生まれてしまう空洞を埋め合わせなければならない。強い産業力とその知名度の高さを活用して、ドイツは移民集めの網をますます遠くまで、ますます大胆に、そして二〇一五年には無謀なまでに大きく拡げた。ドイツの外交政策は、そこに人口関連の目標があることを忘れたならば理解できない。今日では、移民導入がベルリンの優先課題の一つなのだ。これを公理とすれば、他の前提に立っているかぎり説明困難な行動が理解可能となる。 この前提に立ってみると、とりわけ、ドイツがフランスの指導者たちの協力にも助けられてユーロ圏の南方の国々に押しつけた緊縮政策に関して、新たな解釈への扉が開かれ、また、そこに働いているように見えるある種の合理性も明らかになってくる。



緊縮政策は、ヨーロッパ各国の内需を圧縮するので、経済は人間と生活に仕えるためにあると考えるすべての人の目に、完全に非合理的と映る。しかしドイツには、ユーロ圏はもはや優先的な市場ではないのだ。なかでも南ヨーロッパは、今なおドイツの生産物の消費に著しく責献してはいるが、それでも存在意義は、むしろ労働力のストック地のそれに徐々に変じていく。すると、南欧経済の破壊はもはや非合理的と思われなくなり、むしろ順機能的、つまり好都合と感じられるようになっていく。そして、スペイン、ギリシア、イタリア、ポルトガルの生産機構が収縮すれば、若くて熟練度も高い労働者たちが職を失い、「解放」される。 二〇一三年二月二七日付『ル・モンド』紙に発表された欧州統合論者のアルノー・ルパルマンティエ〔『ル・モンド』紙の記者、一九六七年生まれ〕の記事は、その事実を率直にかつ詩的に表現している。 《彼らは美しく、若く、頭脳明噺だ。ドイツにやって来た新たな移民たちである。週刊誌『デア・シュピーゲル』がその表紙に掲げた特集記事のタイトルは、「新しいゲストワーカーたち」である。この「新しいゲストワーカーたち」はもはや、一九六〇年代にアナトリア半島〔別名「小アジア」、西アジアの西端に位置する〕からやって来て、ドイツ連邦共和国の自動車工場の操業を担ったトルコ人農民たちではない。彼らはイタリア人、スペイン人、ギリシア人、あるいは東欧の人間だ。それぞれ出身国の一流大学を卒業しているこの若者たちが、「ドイツ経済のための若いヨーロッパ人エリート」〔この文言は件の特集記事のサブタイトルで、『デア・シュピーゲル』当該号の表紙にも載っている〕なのだ。》 ドイツの移民政策に関して政財界の内部でどんな議論がおこなわれ、どんな決定が下されたかを知るためのデータはないが、この『デア・シュピーゲル』誌の率直さをみれば、ドイツの指導層が移民導入を優先目標の一つにしているという見方は、単なる憶測でも誇張でもないことがわかる。
東への殺到 今度はドイツの東の方面に目を向ける。すると、ウクライナ問題へのドイツ連邦共和国の積極的介入が、おそらくはかなり広範に説明のつくものとなる。ウクライナ問題へのアプローチにおけるドイツの論理は、米国の地政学的な夢でもあるブレジンスキー流の反ロシア的な世界戦略に依存するものではまったくない。 そもそもウクライナはロシアから分離して以来、自らの国家をまともには建設できずにいる。出生率が女性一人当たり一・五人と低く、移入と移出のバランスも甚だしくマイナスになっている。一九九〇年に五三〇〇万人だった人口が、二〇一三年には四五五〇万人に減少した。総人口の二・三%を失ったわけである。中間層が国外へ逃げ出しているわけで、これではどんな形の政治的安定も実現の見込みが立たない。西側からの圧力で社会の安定化が遅れるなか、ウクライナは、生まれて未だ日の浅い国なのに、年々ますます、労働力のプールと化していっている。 このような文脈の中でこそ、ウクライナ問題へのドイツの介入、その中でもとりわけ、マルチィン・シュルツ〔ドイツ社会民主党所属の政治家で、二〇一二年から五年間は欧州議会議長。一九五五年生まれ〕とアンゲラ・メルケルのキエフ訪問〔最初の訪問は二〇一四年八月二三日。当時、ウクライナ国内では武力衝突も起こっていた〕は、解釈されなければならない。「西洋の諸価値」云々というお馴染みのリフレーンは忘れよう。瓦解しつつある社会はいかなる政治的価値も生かすことができないのだから。 むしろ、次のようなことがある。EUへのウクライナの正式加盟がもはやほとんど考えられない今日、そのような統合よりもむしろウクライナが一体性を失っていく状況のほうが、ドイツに労働力や移民をふんだんに供給する可能性が高まる。だとすれば、ウクライナの混乱状態を持続させることが、ここでまた「合理的な」目標として現れてきても不思議ではない。もっとも、現段階ではこの政策は大して成功しておらず、それどころか、利益をロシアにもたらした。ロシアには、ウクライナからの移民がたいへん多い。 **ウクライナの混乱状態を持続させることが、ドイツにとっての「合理的な」目標だとしたら、それはなんというグロテスクな悲劇であろうか。トッドの著『第三次世界大戦はもう始まっている』の最終章の小見出しには「“軍事支援”でウクライナを破壊している米国」と書かれていたが、それは米国だけでなくドイツもEUもまさに同じ穴の狢だということなのだろう。まさに戦争による安価な労働力の奪い合いが行われているということなのではないかとも思います。**
橋をかけるには遅すぎる――父系制で内婚制の移民コミュニティ ドイツの人口不足は、不充分な数の最終的子孫〔この概念については第16章を参照〕によって年々更新されるので、拡大していく一方の問題なのである。他方でドイツの重商主義的システムの限定的合理性は、倦むことなく交易上・通貨上のパワーを追求するので、解決不可能となるまで問題を悪化させる。「常にさらなる移民を!」というのがシステムの論理であって、しかもこの論理の中心部では、最終的な不可能性がぼんやりと意識されている。 そこで、ドイツは二〇一五年に、ついにシリアとアフガニスタンをはじめ、アラブ圏もしくはイスラム圏に属する国々からの大量移民に門戸を開き、呼び込むという挙に出たのである。 アンゲラ・メルケルは、特定の文化を身に纏って現に存在している外国出身者を大量に受け入れると主張したのだ。というわけで、二〇一五年および二〇一六年初頭に連邦共和国に入ったのは、ドイツ文化の中に溶け込み得る個々人ではなく、必要となれば自分たちだけで集まって閉じ龍もりかねない諸々のコミュニティであった。 その時点までは、ドイツにおける外国人労働力の呼び入れは、概ね、暗黙だが効果的な人類学的コードを尊重していた。一九六〇年代にトルコ人移住者の同化をめぐっていささかの困難が生じたことがあり、それが、東欧出身者たちの統合の全体としての成功を見えなくしていた。 私はすでに『移民の運命』の中で、ユーゴスラヴィア出身の移民とその子女の混合婚率の高さを指摘した。トルコ人たちが遭遇した困難のせいで、大方の人びとの移民への関心がトルコ人に集中したことが、スラブ系移民の静かでスピーディな同化の好条件になったという経緯も、考えられないことではない。そのような経緯は、米国の同化システムの暗黙バージョンと見做され得るだろう。米国の同化システムとは、黒人を排除することによって、あらゆる出自の白人、またアジア人、さらには、米国建国時に征服されながらも生き延びたインディアンたちをも含めた統合を可能にするという方式である。 一九九〇年以降の東欧からドイツへの移民流入は、一九九〇年より以前の移民と同化のモデルをさらに一般化した現象にすぎなかった。当該の人びとが持っていた家族的価値観は、ドイツのシステムから違いすぎるものではなかった。絶対的な外婚制を基本的性格としていた点で、ドイツで支配的な価値観と同じだったのだ。実際、ポーランドでも、ロシアでも、ルーマニアでも、従兄弟や従姉妹とは結婚しない。ロシア正教、プロテスタンティズム、カトリシズムの教えは、その点ではほとんどまったく異ならない。いずれの信仰もキリスト教の同じ一つの幹から派生しており、その共通の幹は、派に分かれる前の時期に、戦闘的意志をもってイトコ婚を排し、親族綱の自閉を防ごうとしていたからである。また、東欧からの移民の流れは、テンポが一定で安定していたし、言語とネイションの違いによって細分化されていた。したがって、ドイツの社会的・人類学的システムの連続性を脅かすようなどんなリスクも含んでいなかった。 それに対して、二〇一五年の外国人大量受け入れでは、従来の移民と同化のモデルが暴走してしまった。 新たな移民の大半、とりわけシリアとアフガニスタンから来た移民は、内婚制共同体家族という特定の家族システムを生きている人びとだった。この家族システムの父系制原則は、外婚制共同体家族のそれよりも更に強い。父系制の強さのレベルを思い出そう。ドイツの直系家族は、父系制レベル1に相当する。セルビアの外婚制共同体家族は父系制レベル2に相当し、アラブの内婚制共同体家族が相当するのは父系制レベル3である(ロシアの家族はというと、これは完璧な父系制共同体家族の構造を呈しているので、理論的にはレベル2に位置づけられる筈だが、しかし、ロシアにおける教育普及の進み具合は、ロシア社会での女性のステータスが、ドイツの直系家族型社会におけるよりもむしろ高いことを示唆している)。 アラブの中東地域では、本イトコ同士の結婚の率が三五%辺りで推移している。イトコ婚が、トルコにおけるよりも遥かに多いのだ。因みにトルコでは、核家族型と共同体家族型が混ざり合っていて、内婚率は一五%(西部と南部で八%、北部と東部では二〇%)付近で揺れている。 ドイツ国内に、内婚制共同体家族文化の人口集団が突然出現するという現象は、もしそれが比較的早期に解消されない場合には、論理的な成り行きとして、「場所の記憶」の原則を括弧に入れることに行き着くにちがいない。第15章で述べたように、移民は大抵の場合に「弱い」価値観の保持者であって、彼らの無意識的模倣による適応が、一般的には、移民受け入れ社会の人類学的システムの恒久性を担保する。しかしながら、「場所の記憶」は、移民の流入が一定のテンポで進み、かつ限定的であるという前提の上で機能する。ほんの数カ月の間に夥しい数の移民集団が一塊になってやって来るというのは、まったく別の現象である。あらゆる反イスラム教徒的な、あるいは反アラブ人的な偏見から自由な立場に立って、もっぱら知的かつプラグマティックな態度でこの間題にアプローチするために、「場所の記憶」が機能しなかった例として、フランス現代史上の一事件――イデオロギー的な意味合いが今ここで論じている事象のそれとは反対の事件――を挙げるのは無駄ではないだろう。一九六二年にアルジェリアが独立すると、アルジュリア在住のフランス人たちが大量に本土に帰還し、そのうちの約八〇万人〔当時の帰還者のほぼ全員ともいえる人数〕が、非常に短い期間にフランス本土の地中海沿岸地域に居を定めた。その結果、同地域の政治文化が反アラブ人的な方向へ持続的に偏り、一九八〇年代の中頃以降、この地域では「国民戦線」〔極右と目されているフランスの政党。二〇一八年に「国民連合」に改称〕が高い得票率を示すようになった。 当該のプロヴァンス地方とラングドック地方の元々の文化には、人びとをそうした特定の敵意へと仕向ける要素はいっさい存在しない。ローカルな基盤に変更が加えられたのだ。新たな外国人恐怖症が導入され、それ以降はその恐怖症が、まさに「場所の記憶」の原則にしたがって永続化している。 **埼玉県におけるクルド人問題も、これと似たケースかもしれない。規模はまったく異なるが、内婚制共同体家族文化を有する人口集団という点では共通するものがあるように思える。こうした異質な人々が集団化すると、地域社会に溶け込むのが難しくなる可能性は高いのではないかと思います。** 二〇一五年と二〇一六年初頭におけるドイツへの外国人人口の大量流入は、まもなく社会的リスクが意識化されたことで抑制ないし停止されたわけだが、それでも国民文化を変形させるほどのインパクトをもたらしたかどうかは分からない。しかし、二〇一五年の最初の五〇万人規模の流入と、それに伴って現実となっていく移民家族の集結を合わせて考慮すると、絶対的確信の持てることでは勿論ないけれども、今後ドイツ国内で、小規模の隔離的人口集団が定着し、人口を増やし、やがてトルコ系集団と隣接することが予見できる。したがってわれわれは、エドゥアール・エッソン〔フランスの歴史家、一九六九年生まれ〕と共に、国内の安定とネイションの一体感に懸念を募らせていくドイツを想定する必要がある。ここで、われわれはパラドクスの果てにまで到っている。ドイツ経済の外向性が最終的にはあの国を、内向性を選択する日本と同様の内向的孤立へと導いていくにちがいないと考えられるのだ。真のリスクは、ドイツ社会の内的硬直である。社会不安が募りすぎると、住民の間に存在する生活習俗上の差異の警察的管理に行き着きかねない。ドイツ文化に固有の権威主義と体系好みの精神は、そのような方向づけを容易化するであろうから。 **ドイツでもいわゆる「極右」と呼ばれる「ドイツのための選択肢(AfD)」が擡頭しているし、こうしたナショナリスティクな政党の擡頭はフランス・イタリアを含めて今やEUのどの国でも見られる現象となっている。**
ポスト民主制のヨーロッパ――正常な世界 ヨーロッパを指す言葉は以前と同じである。 ところが、人びとは気づいていないけれども、ドイツが再統一を果たし、その領域を旧人民民主主義の諸国とバルト三国にまで拡大して以来、ヨーロッパは従来とは性質を異にするヨーロッパになったのである。一九九〇年に創設された欧州連合(EU)は、自由で平等な諸国家のシステムというように描出できた。「自由で平等なネイション」という表現の使用に示唆されているように、システムのイデオロギー面の重心は、平等主義核家族の価値観を代表するフランスにあった。 しかし、この捉え方はすでに失効している。今日では、権威と不平等こそが、欧州システムを描出するのに適切な二つの概念となっている。豊かな国と貧しい国、強い国と弱い国、支配する国と支配される国といった、さまざまに異なる諸国家を包含する階層秩序が現れた。いいかえれば、創設時の価値観と正反対の価値観を担う政治的実体が出現したのである。 権威と不平等は、ドイツだけに特有ではない。すでに見たとおり、直系家族とゾンビ・カトリシズムを手がかりにして、階層秩序選好の分布図を描くことができるのだ。そして、その分布図の拡がりは、EU最強のネイションの国土を遥かに超えている。 ヨーロッパの現況を異常で、「奇怪」でさえあると見做すことに意味があるとすれば、それはわれわれが、英米とフランスに起源のある自由主義的民主制の意識的な価値観のレベルにとどまっている場合だけである。実際、もし今日もなお、市民とネイションの自由と平等の中での繁栄こそEUの追求目標だと考えるならば、EUの現状は悲惨な失敗の証しだと結論しないわけにはいかない。早い話、それが各国民衆の感想だ。おそらくは、エリート層もそう思っている。しかし、手間を惜しまず国民生活の下意識的・無意識的深層にまで降りていき、人間生活の基盤たる教育・宗教・家族が形成している幾重もの層を観察すれば、ヨーロッパではすべてが正常だと結論せざるを得ない。 教育領域に新たな階層化が出現し、高等教育を受けた者とそれ以外の者が分断された結果、ヨーロッパの到るところで、先行した米国の事例どおりに、かつて大衆識字化の同質性の中にしっかりと根を下ろしていた民主主義的感情が衰弱した。アメリカでは、この動きは、プロテスタンティズムが持つ形而上学的な不平等観念の痕跡によって、また特に、自由主義的で非平等主義的な家族構造――このタイプの家族システムに培われた文化は、大きな所得格差を許容する――によって助長された。しかしアメリカでは、個人はあくまで自由であり、不平等が原則として予め想定されているわけではない。それゆえ、白人たちの苦しみが、最終的には反抗と、二〇一六年の大統領選におけるドナルド・トランプの選出につながった。 彼らの反抗は、本書が展開した人類学的パースペクティブに一致する形で、最初の段階では外国人恐怖症として表面化した。アメリカは、もしそれがアメリカに可能であるなら、よそ者に敵対的な原始的デモクラシーから、自らの内に潜在している普遍性の部分を引き受ける、より成熟したデモクラシーへの道程を改めて辿るべきであろう。 一方、EUの領域、そして特にユーロ圏領域において支配的な家族的・宗教的基盤は、権威主義的かつ不平等主義的である。この与件は、教育の新たな階層化に起因する民主制の衰弱を、アメリカにおけるよりも遥かに遠くまで、つまり民主制の完全な消滅にまで運んでいくことができる。われわれはすでにその段階にいる。 ユーロ圏の人民の投票はもはや尊重されない。ギリシア人、オランダ人、フランス人は、どんなことでも国民投票で拒否できるのだが、次の段階では、その投票結果そのものが、彼らの指導階層によって拒否されてしまう。このシステムの中核を成すのはドイツの政治システムだが、しかし、もしドイツがリーダーとなるならば、ヨーロッパは間違いなく壮大な「民族的デモクラシー」に変容し、その中では、支配的な一つの民族が単独で自らの諸権利を十全に行使することになるだろう。 こうしたことは何ひとつ、アクシデントの類いではない。歴史の悔やむべき逸脱に属すものではない。ヨーロッパで発展した政治的・経済的・社会的システムは、諸国民を位置づける階層秩序、緊縮政策、経済的不平等、代表民主制の欠落などを伴い、まさに直系家族が、ゾンビ・カトリシズムの支援を得て、生み出すべくして生み出した正常な形態なのである。ヨーロッパ全域を一つのエリアとして見たときには、全米におけるより拡大しているといえる不平等の擡頭も、これまた正常だ。なぜなら、直系家族が持つ不平等主義の潜在力は、複数の民族が共存している状況では、絶対核家族のそれよりも大きいからである。 高等教育の革命は、たしかに階層秩序原則に新たな厚みを与えるし、それで立ち現れてくる歴史もまた新しい。しかし、われわれはまた、ドイツの擡頭によって米国の監視から解放された大陸ヨーロッパが、今日、自らの歴史の正常な流れをふたたび見出しているのだということも認めなければならない。その固有の歴史展開の中では、大陸ヨーロッパは、オランダ、ベルギー、フランスとデンマークを別にすると、自由主義的かつ民主主義的であったことが一度もない。一九三五年のヨーロッパを眺望してみよう。到るところに、権威主義的体制が樹立されている。それが、第一次世界大戦の終結した一九一八年から英米とフランスの影響下に設置された民主制が崩壊したあとの状況だったのだ。大陸ヨーロッパは、共産主義、ファシズム、ナチズムを発明した。大陸ヨーロッパが自由主義的民主制の誕生の地であるかのような表象は、紛れもない知的詐欺である。 この章で注目している正常性の最後の要素は、システムへの反抗が、本物の自由主義的価値観を担う核家族型が支配的であるか、またはかつて支配的だったことのある国で起こっていることである。唯一、EUと訣別しようとしているイギリスでは、絶対核家族構造が一貫していて強力な自由主義的民主制の伝統を下支えしている。なお、この点では、小国デンマークも同様だ。スコットランドと北アイルランドは、直系家族型を基盤として、より権威主義的な伝統を持っており、プレグジット(EU離脱)には賛成しなかった。ユーロ圏内の西部にあって、投票による反抗という点で最も注目に値するのはオランダとフランスだが〔この二国では、二〇〇五年のEU憲法条約の批准をめぐる国民投票の折に「否」の票が多数を占めた〕、いずれも歴史的な中心部分において核家族――前者は絶対核家族、後者は平等主義核家族――が伝統の国である。東欧では、ポーランドが未分化核家族の国だ。 ヴィクトル・オルパンが首相のハンガリーを前にするとき、われわれは一つの例外といえるケースに直面する。ハンガリーには、共同体家族、直系家族、そしておそらく未分化核家族が共存している。また、マジャール人〔ハンガリーの基幹を成しているといわれる、非インド=ヨーロッパ譜系の民族〕の宗教的伝統の中で、カトリック教徒、カルヴァン派の信者、そしてユダヤ教徒が、緊迫感を伴いつつ共存していることも、強調しておかなければならない。この微妙な混合状態から生まれてきている国民意識は強力であるが、特殊である。一九五六年にソ連に反抗して立ち上がり、その後一九八九年には、ドイツ民主共和国から来たドイツ人たちが西側へ渡るのを許可することで、鉄のカーテンを降ろさせたこの国には、「規則の存在を浮き彫りにする例外」という位置づけを与えるべきだろう。 しかし、ハンガリーでも、ポーランドでも、フランスでも、オランダでも、あるいはイギリスでも、EUに対する反抗の構成要素の内に外国人恐怖症が入っていることは否定すべくもない。それも含め、すべて正常なのだと、改めて述べておく。米国においてと同様、民主主義の失地回復はヨーロッパにおいても、それが可能なところでは、原初的民主制の民族的基盤に立ち帰って、そこから出発しなくてはならない。将来的には、もしかしたら、民主制の概念をより普遍主義的なものにできるより良き日が訪れるかもしれない。 大陸ヨーロッパでは核家族型は非常に少数派なので、これらの反抗の成功は、イギリス以外の地ではいささかも保障されていない。オランダとフランスでも成功の可能性は高くないと私が見るのは、この二つの国民システムの舵取りをする立場の者たちが、ドイツからの何らかの介入とは無関係に、すでに直系家族型とゾンビ・カトリシズムの影響下に入っているのではないかと思われるからだ。だとすれば、われわれがとりわけユーロ圏の中で覚悟しなければならないのは、民主制の廃止という展望である。 いずれにせよ、今日、欧州大陸はドイツにしっかりと掌握されている。単一通貨がより弱小の一八のネイションを債務の綱の中に閉じ込めていて、そこから脱出するのは技術的に難しい。連邦共和国の貿易黒字が、あの国の企業や外交に、労働力や企業を買うための夥しい手段を与える。何よりも、ユーロ圏の多くの地域が権威主義的で不平等主義的な基層の上にあることを忘れないようにしたい。それらの地域は、支配的なパワーに親和性を感じており、その隷従は、結局のところ自発的なのである。 **この章を読んで、自分がヨーロッパの実情についていかに無知であったかを思いしらされた。フランス革命を象徴とする自由・平等・博愛の精神が今日でも生きているとは思わないとしても、まさかヨーロッパのその大半の地域において権威主義的で、不平等主義的な価値観が根を張っていたとは思いもしなかった。 さらに、EUの支配的層がドイツを中核とするエリートたちに握られているというのも少し意外であった。EU=独仏連合というイメージはあったが、その連合からすでに実質的にはフランスが脱落しているとは思っていなかった。つまりはマクロンが、今でも自分はEUの盟主の一角を担っているのだという演技を続けてきただけということか。さらに言えば、EUがまさにかつてのナチスのドイツ帝国のような存在となっており、表面的にはソフトではあるが、その域内では権威主義的・差別主義的支配を行っていて、東部ヨーロッパと南部ヨーロッパを露骨に搾取しているのだ。にもかかわらず、それらの国々が自発的にその支配を受け入れているとトッドは述べているが、しかし実際にはすでに明らかにハンガリーのオルバンをはじめ反発する勢力が出始めているのは明らかである(その後、オルバンは2026年4月の議会選挙で敗北し、政権を降りたが、依然としてUE内でのブリュッセルに批判的な勢力の動向には今後も注目すべきであろう)。 トッドがもはやユーロ圏では民主制の廃止を覚悟しなければならない状況にあると述べているが、それもあながち大袈裟ではないのかもしれない、と近年のEUの迷走ぶりを見ていて同感の気持ちを強くした。それに対して、日本では、ドイツとは違って、東アジアの盟主の地位を断念し、内向き志向の道を辿ってきたが、安倍内閣以降の自民党政権のもとで対米追従・軍拡路線へとひたすら突き進み、平和国家から「戦争ができる国」への転換が進められてきた。さらには2026年2月の真冬の総選挙で圧勝した自民・維新政権のもとで、国会軽視の独裁政治化が進み、、自衛隊の憲法への明記、緊急事態法の導入などの憲法改悪が強行されようとしており、まさに戦前政治への回帰が進められようとしているのである。まことに遺憾の念を禁じえない。**
第18章 共同体家族社会――ロシアと中国 二〇〇〇年から二〇一六年にかけて、ロシアはふたたび西洋の「目の仇」になった。これは、やや理解に苦しむ事態だ。ロシアはかなり貧しく、人口はといえば、二〇一五年の時点で日本を僅かに上回るレベルの一億四四〇〇万人にすぎないのに、なぜこんなにまで英語圏の国々や欧州連合(EU)の警戒の的となるのか。 フランスでも、二〇一〇年~二〇一五年頃、反体制的な左翼メディアも含めてどんな報道機関においても、ロシアについて穏健な意見を吐くことがほぼ不可能だった。 それでも、まぎれもなくそのロシアが、第二次世界大戦中には自ら犠牲を払ってドイツ国防軍を打ち破り、米・英・カナダの連合軍によるフランス解放を可能にしてくれたのだ。 モスクワによるクリミア半島奪回、ウクライナにおけるロシア系住民の自治権獲得など、伝統的な人民自決権に照らせば正統な調整と思われることが、フランスで、また西洋一般において、当時とんでもなく忌まわしいことと見做され、今もそう見做されている。歴史の忘却を超え、地政学的現実の考慮も超えて、唖然とせざるを得ないのは、ロシアの脅威の過大評価にほかならない。 どう見ても明らかに、西洋が名指しするこの新しい「悪魔」が担っている機能は、実際的な理性の範時には入らず、何よりもまず象徴の次元に属している。 ソ連の瓦解に引き続いた深刻な危機の時期を経て、ロシアの再建が進むにつれて、あの国への不信感がむしろ増大したのである。文化的な次元での拒否感が強まった。ウラジーミル・プーチンの権威主義的民主制それ自体が、安定した政治体制のモデルとして憎しみの対象にもなったのだ。 ところが、二〇一五年から二〇一七年にかけて、西洋の態度が変わり始め、米国、イギリス、フランスの右派が、ロシアの体現する差異に対して以前よりも寛容な態度を示すように見えたし、より強硬な右派は、プーチンの統治モデルにある種の魅力を認めることも辞さなくなった。一方でリベラルな左派は、米国でも他の国でも、きわめて強固な敵意を持ち続けた。西洋では一般に、メディアとアカデミアが、プーチン嫌い・ロシア嫌いの極を成している。 こういった事情を説明しようとするとき、どうしてロシア恐怖症、つまり「嫌露」という概念を用いずにいられようか。対称的に、信念や感情の強度は「嫌露」(フォビア)ほどではないにせよ、それと正反対の態度を指す概念として「親露」も浮上してくる。この二つの態度の綿密な調査や、すべての国におけるその変遷の詳細な分析は、本書の枠組みの中では遂行不可能だが、もしそんな調査分析に乗り出すとすれば、地政学的理性と、価値観を考慮するアプローチを組み合わせるべきであろう。 一九九〇年から二〇〇〇年にかけて大混乱したあとのロシアに、選挙制度と全会一致的傾向の強い投票行動を組み合わせて安定を生み出す権威主義的民主制が擡頭したわけだが、その背景を説明するのは、明らかに共同体家族の価値観の恒久性である。実際、選挙を実施しても、ウラジーミル・プーチンが大統領として、あるいは首相として、システムの頂点に際限もなく留任していくことは妨げられない。メディア支配は、ロシアの中央権力が恒久的であることの根本的な原因ではない。権威主義は人民の中に根を張っており、「場所の記憶」によって際限なく再生産される共同体家族の価値観を源泉にしている。 ドイツと日本については先述したが、ロシアの立場を堅固にしているのも、集団統合のパワーである。
外婚制共同体家族から共産主義体制へ 世界への伝搬・拡大の「終了した」共産主義体制が、一九七〇年代中頃、ちょうどベトナム戦争〔一九六五年一一月~一九七五年四月三〇日〕直後の時期に地理的に世界のどこを占めていたかを示す分布図と、外婚制共同体家族の分布図(ロシア、セルビア、アルバニア、中国、ベトナム、中部イタリア、フィンランド内陸部を含む)の一致に気づいたからこそ、私は一九八三年に、農村の家族システムと、世界各地の大衆識字化プロセスにおいて現れたさまざまなイデオロギーの間に一般的関係があるという仮説を提示したのだった。 この仮説は、実はフレデリック・ル・プレイの弟子たちが夙に、一九一七年の革命とスターリンによる生産手段の集産化にも先立って、ロシアの人類学的基底に「共産主義的」な潜在力があることを予感していたことに負っている。 ロシア革命において、人類学的観点から見て重要なことは、抗しがたい集団主義の夢の擡頭で、レーニンの退場後の一九二九年以降にスターリンによって実現されたわけだが、それはロシアの人類学的基底によって予めその方向への傾向性を与えられていた、という仮説なしには説明がつかない。 外婚制共同体家族はおそらくゲルマン人の直系家族とモンゴル人の父系制組織の衝突から生まれたのだが、ベラルーシと現在のロシアの北西部辺りがその発祥地域であった。 ロシア革命期においても、ボリシェヴィキ党の農村への浸透は、ベラルーシやラトビア、エストニアなどのバルト諸国においても著しかったことを考えると、イデオロギーとしての共産主義と、農村の家族システムにおける共同体主義との結合という仮説の妥当性が確認されるわけである。 また、今日確認できるのは、共産主義体制の崩壊が個人の自律性拡大へと向かう文化的推移の結果であったとしても、だからといって、その崩壊で人類学的基底が消し去られたわけではないということである。 三〇〇〇年紀の初頭である現在、ロシアを支配している権威主義的民主制は、一人の人物とその一派の陰謀の結果であるよりも、むしろロシア人民の政治的体質の表現であるように思われる。 しかも、「場所の記憶」の効果はその程度にとどまらず、われわれにべラルーシという驚くべき実例を提示する。ベラルーシは、一九〇〇年以前には家族レベルでの共同体主義の度合いが特に高く、一九一七年にはポリシエヴイズムへの支持が特に強かった土地柄で、今日では、ロシア以上に権威主義に執着している。アレクサンドル・ルカシュンコ大統領は今や、ヨーロッパ大陸に残る唯一の「昔風の」独裁者であるが、ベラルーシの市民たちは彼に至極満足しているようで、彼らの社会は、かなり満足できるだけの機能を示している。
ロシアの復活――人口学的証拠 前にも述べたが、私は一九七六年刊行の最初の著書で、ロシアにおける乳幼児死亡率の上昇、すなわち、一九七〇年から一九七四年までの一歳未満の子供の一年ごとの死亡数の上昇を確認した上で、ソ連システムの崩壊を予告した。したがって、二〇〇〇年以降のロシアの復興の度合いを評価するには、同じ指標に依拠するのが公正であろうと思われる。



グラフ18-1は、一九九〇年以降の乳幼児死亡率の動きを、ロシア、ベラルーシ、ウクライナについて示し、外の世界と比較するために、ポーランドと米国の動きも表示している。 乳幼児死亡率に注目することで、旧ソビエト連邦圏の西部における新生児の生存条件の改善を跡づけることができる。なお、このグラフでは、米国の進歩の緩慢さも確認できる。この成績の悪さに反映されているのは、先述したように、米国の黒人乳幼児の死亡率の高さだけではない。なにしろ、白人グループの乳幼児死亡率も出生一〇〇〇件当たり五人(二〇一三年のデータ)であり、すでにポーランドの数値を上回っているのである。この点だけから見ても、米国は、西側先進諸国の中でとても良い順位にいるとはいえない。 ロシアの急速な進歩にもまして印象的なのは、ベラルーシの好成績だ。ベラルーシの乳幼児死亡率は、今やポーランドを追い抜き、出生一〇〇〇件当たり三・六人というレベル、フランスの三・三人や、ドイツの三・四人と比較できるレベルに達している。ロシアが実現している率は七・〇人でしかないが、しかし、この率を評価するにあたっては、ロシア連邦のとてつもない広大さと、その領土内に夥しい数の異民族グループが存在し、それら諸民族の生活圏に存在する医療体制は、純然たるロシア人たちがアクセスしているそれに劣る。そのような少数民族がそれほど大量に存在するという現実は、ウクライナの領土内にはない。ところが、精確な地震計の如く、乳幼児死亡率は八・一人という数値でウクライナの遅れを示している。一九九〇年にはウクライナの率は出生一〇〇〇件当たり一七人で、ロシアの二二人より先を進んでいたのに、である。 いくつかの精細な経済指標が、二一世紀初頭のロシアにおける生存条件の迅速な改善を告げている。たとえば、金銭的収入が最低生活保証賃金を下回る人びとの人口比は、二〇〇〇年には二九%だったのが、二〇〇九年には一三・二%にまで急降下していた。とはいえ、GDPや、輸出額や、貨幣にばかりこだわる純然たる経済主義に嵌まっていると、ロシアの立ち直りのスケールを測ることは叶わない。一九世紀に「道徳統計」と呼ばれていたもののほうが、現実に迫ることを可能にしてくれる。自殺率は、二〇〇一年には一〇万人当たり三九・五人だったところ、二〇一四年には一八・四人にまで急降下した(マイナス五三%)。他殺率も、二〇〇三年には一〇万人当たり三〇・〇人だったのが、二〇一四年には八・七人に急減し(マイナス七一%)、アルコール中毒による死亡率も二〇〇三年には三〇・〇人だったのが、二〇一四年には六・五人にまで下がった(マイナス七八%)。 全般的な死亡率は、共産主義体制の崩壊以前には特に男性の場合に異常に高かったのだが、これが後退し始め、平均寿命が、二〇〇五年から二〇一四年までの間に、男性に関して五九歳から六五歳へと伸びた。
ロシアの出生率 ロシアの政治体制の安定性を最もよく説明してくれるのは、西洋の陰謀論的な見方ではまったくなく、ウラジーミル・プーチンの下で進行したロシア社会の深い部分でのバランスの回復である。つまり、ロシアは一九九〇年代の試練を生き延びたのだ。またも生き延びたと、人は言いたくなるだろう。それほどに、あの国は歴史上、多くの試練を乗り越えてきた。あのネイションは、社会の平和と、安全と、そしておそらくは確実に、ひと頃よりも穏和で信頼性の高い人間関係を取り戻した。だからこそ、エネルギー価格の急落にも耐え得るのである。現場から離れた場所で論議する戦略家たちは、その急落によって「プーチン体制」が瓦解することを期待するが、そんなことは起こらない。 とはいえ、人口学者にとって最も印象的なのは、ロシアの出生率が女性一人当たり一・八人というところまで再上昇したことだ。この水準は、ヨーロッパの平均値と、ドイツ、日本、イタリア、スペインといった国々のそれを大きく上回っている。この面でロシアは、「西洋」側にありながら非常に低い出生率に特徴づけられているどの国も試みてこなかった施策を、すなわち、第二子、第三子の出産を支援する積極的政策を成功させたといえそうだ。果たして短期的な再上昇だろうか。世代ごとのロシア人女性たちの最終的子孫はどうなるだろうか。この問いに答えを与えるのは時期尚早だ。専門家たちの間でも見解が分かれている。ともあれ、死亡率の低下と出生率の上昇の結果、人口の自然増減が二〇〇九年にはプラスに転じた。こうして安定を取り戻したロシアは、旧ソ連邦の大部分を包括する移民システムの中心に返り咲いている。ウクライナ、コーカサス、中央アジアから労働者たちがやって来るので、労働力の流れが途切れない。ロシアの人口の社会増減(移入・移出人口の差)は、旧人民民主主義諸国やバルト諸国とは反対に、常にプラスである。多くのエキスパートたちの予想に反して、明らかにロシアは崩壊寸前の状況になどありはしない。それどころか今では、人口収縮に脅かされるEUの東に位置して、凋落に抵抗する極の一つとなっている。米中央情報局(CIA)は、世界情勢についての報告書類の中で歴史的ライバルであるロシアの自滅を予測していただけに、さぞかし落胆しているにちがいない。 一般に西洋人は、短期的経済目標に意識を固着させるあまり、自分たちの社会の第一の課題である人口の更新に本格的に取り組まない。もっぱら経済の好調・不調ばかりを関心の的とし、人口問題を成り行き任せにする。基本的メカニズムを、すなわち、自由市場の雇用不安定が緊縮経済による所得の収縮に加われば、必ず出生率が押し下げられるというメカニズムをけっして考慮しないのだ。ところが、内需の収縮はやがて生命の収縮に行き着くのである。 もちろん、すでに述べたとおり、人口問題へのロシア国家の積極的な取り組みは、その奏功のために好ましい人類学的土壌に恵まれていた。伝統的に東方正教会に支配されていた地域は、歴史上、プロテスタントの宗教改革とカトリックの反宗教改革によってもたらされた性抑圧の波に晒されることがなかったからだ。西欧では、一七〇〇年から一九〇〇年にかけて、比較的高い結婚年齢が一般化し、独身者が増え、人口の一部分が生殖から切り離されていたのだが、東欧の他の地域にもましてロシアは、そのような結婚モデルを免れたのである。早婚と、非出産が稀であることが、依然としてロシアの人口動態の特徴である。しかし、その点を確認するだけでなく、われわれはここで改めて、フランスや、スカンジナビア諸国や、英米世界のケースに確認できるように、女性全般のステータスの高さが母親としての生活と一般社会生活の間の折り合いを容易にするという仮説を、前面に持ち出さなければならない。
親族システムの変異? 私はすでに何度も、ロシアの伝統においては父系制の歴史が浅いことと、従来から女性のステータスが高いことを強調した。今日、幾人かの研究者が、ロシアの親族システムが双系制へ復帰しつつあるのではないかと議論している。たとえば、エリザベート・ジュサ=アンステット〔フランスの民族学者、一九六八年生まれ〕は、ヤロスラヴリ州〔ロシア西部の中央部、モスクワの北東に所在〕で実施した民族学的調査を元に分析を進めた。父系的人名(ファーストネームと姓の間に、「誰某の息子または娘」を付加する)の採用と、世帯組織の内部における母親および祖母の中心的役割との共存が、ロシアの都市環境の内に父系的特徴に母系的特徴を重ねる双系システムが存在することを示唆するという。米国における以上にロシアで、高等教育の進展によって、母権制の方向への変異の可能性が開かれつつある。



ロシアにおける高等教育革命の規模やインパクトを測定する際、私は二〇一〇年のロシアの国勢調査のデータを直接分析するほうがよいと判断した。 それによると、一九七六年から一九八〇年までの間に二五歳になった世代以降、高等教育の全課程を修了する女性の比率が男性のそれに追いついた。高等教育普及のこの進歩は、共産主義イデオロギーを揺るがすことに大きく貢献した。共産主義イデオロギーは、教育領域の最初の移行期「初等」教育の開花した時代に典型的な移行期に定着したのであって、その時期には、圧倒的多数の人間が読み・書き・計算ができたが、それ以上の能力を持っているのは少数のエリートだけだったのである。 二〇〇五年頃に二五歳に達したロシア人のうち、高等教育を享受した女性の数は、同等学歴の男性一〇〇人に対して一四四人であった。スウェーデンは、ありそうもないロシアからの攻撃を防ぐために徴兵制の復活を目論んでいるが〔スウェーデンは、二〇一〇年に廃止した徴兵制を二〇一七年に復活させ、女性にも適用している〕、もし女権拡張における世界一の国というタイトルを防衛しようとするなら、理論面での闘いに重点を置くほかあるまい。
英米世界のアンチテーゼ ここまで見てくると、「場所の記憶」の法則に依拠してわれわれは、なぜロシアが、ソビエト・システムがすでに瓦解したにもかかわらず、相変わらず英米世界から敵国中の敵国と目されているのかを説明できる。結局、ロシアと英米世界のそれぞれに潜在している価値観の構成要素がいちいち対立しているのである。米国、イギリス、カナダ、オーストラリアでは、絶対核家族が、平等の概念に無関心な自由の理想を再生産し続けている。ロシアでは、共同体家族は消失したが、その家族類型に培われた権威と平等の価値が、家族的・社会的行動の無意識的模倣をとおして永続化している。もっとも、外婚制と女性のステータスの高さは、両システムに共通している。 経済システムであるのと同程度に宗教でもある共産主義の崩壊は、勝ち誇る西洋から提示された野放図な自由主義に根本的に不向きなロシアの人びとを一〇年にわたる無重力状態と苦しみの中に投げ込んだ。 人民が生き延びたのは、国家から放り出されてしまった個々人が、家族的・地域的・地方的な連帯を支えにできたからだった。その間の事情は、古典的な経済学的・政治学的アプローチでは分析できない(実をいえば、その前に、知覚できない)。プーチンと共に、新しい指導者グループがついに現れ、社会システムをふたたび自国の人類学的基盤に適合させることに成功した。混乱期に出現していたオリガルヒたちは屈服させられた。強い国家によってコントロールされる市場経済が設置された。国家のほうは、天然資源とりわけガスと石油の開発から得られる収入を自由にできるようになった。産業設備の延命を、あるいはむしろ再建を可能にするために、保護貿易体制が敷かれた。モスクワによる保護貿易システム採用の根底にあるイデオロギー的意味は、ロシアの人民が安価な労働力としてグローバル資本主義に売られることに対する、あの国の指導層の拒否である。そしてまさに、予期されていなかったその選択こそが、西洋側のロシア恐怖症を説明する。グローバル化した世界のすべてのエリートは、ロシアのような閉鎖的態度への懸念を共有すべきではないか、というわけである。そんな観点に立てば、中国共産党のほうは非の打ちどころがないし、共産主義体制の転落から生まれた東欧各国も優等生である……。 しかしロシアは、いくら「非共産化」され、すべての選挙を欠かさず実施しても、相変わらず西洋からは、全体主義時代のように扱われる。凶暴なまでのウルトラ個人主義へと進化した世界において、ロシアは対抗モデルなのである。米国が不平等社会へと横滑りしていったため、プーチンのロシアとオバマの米国との間のイデオロギー的隔絶は、ある意味で、ニキータ・フルシチョフとジョン・F・ケネディの時代〔フルシチョフは一九五三年~六四年のソ連共産党中央委員会第一書記。ケネディの米国大統領在任は一九六一年一月~六三年一一月で、この間にベルリン危機やキューバ危機があった〕に二国間に存在していた隔絶と同じくらい重大な意味を帯びるようになっている。そうであってみれば、米国で保護貿易主義的システムが採用されるのは、ロシアと米国が、如何ともし難い軍事的ライバル関係を超えて、イデオロギーの次元で現実に接近するための好条件を整えることになると考えることができる。 ロシアは、他の先進国と同様に教育領域で新たな階層性の出現に遭遇し、不平等主義的な社会的下意識の避けがたい擡頭を経験した。ロシアでもまた、大衆の識字化から生まれた見事な文化的同質性が打ち砕かれたのだ。高等教育の革命的進展は、すでに米国でアメリカン・デモクラシーを揺るがし、ヨーロッパでは、カトリック教会が生き延びていた地域でその影響力を消失させたわけだが、おそらくロシアでも、共産主義イデオロギーを瓦解へと追いやる最終段階の推移であったといえる。一九八〇年代末には、瀕死のソビエト体制が、こともあろうに、ユダヤ教やプロテスタンティズムと同様に、教育の進歩を枢要な価値の一つとしてきた共産主義の基本原則の一つを捨てて、大学の発展を止めようとしたことさえあった。 しかしながら、ロシアの人類学的基盤は不平等を野放しにはせず、そこに限界を設ける。さて、この点こそが現代ロシア再構築の核心であるわけだが、共同体家族由来の価値観は、統合性の強いネイション概念を持続させる。そうであるように、統合性の強いネイション概念が、自国より遥かに広大で、遥かに富裕で、よりよい軍備を有する英語圏に対峠するロシアに、国際競争上の有利さを与える。だからこそウラジーミル・プーチンの国はアンゲラ・メルケルの国や安倍晋三の国も同様だが、世界の中で、自国の人口学的現実からかけ離れた国際的地位を保っているのだ。そのことにも劣らず鮮明なのは、ロシアの地政学的重要性と同国の国内総生産(GDP)の規模の間の不釣り合いである。一九九六年には、名目価格に基づいて、ロシアのGDPは一兆二〇〇〇億ドルにしか達していなかった。同年、ドル換算の名目GDPは米国で一八兆七〇〇〇億ドル、中国で一二兆三〇〇〇億ドル、日本で四兆二〇〇〇億ドル、ドイツで三兆五〇〇〇億ドル、イギリスで三兆ドル、フランスで二兆五〇〇〇億ドルだった。各国の人びとの現実の消費レベルとの調整のために購買力平価で計算するなら、差額はおよそ二で割れるけれども、粗生産額がすでに、ロシアが世界秩序の中心からどれほど外れているかを示している。
軍事への専門化と諸国民の平等 グローバル化した世界におけるロシアの専門性は、ドイツ、日本のそれとは異なる。貿易よりも軍事に傾いているからだ。数学に強いこと、愛国精神、そしてシステムの惰性などに方向づけられて、ソ連時代にすでに経済システムの中心にあった軍事技術がロシアの専門分野となっている。米国の持続的敵対姿勢に対抗する必要性から、ロシアは軍事部門を意外なまでに再生させ、とりわけ、高性能かつ安価な防衛テクノロジーを発達させた。ロシアのモバイルミサイルは、どんな空域でも制圧できる能力を備え、世界中に、理論上、アメリカ空軍の絶対的支配を免れる可能性を与えた。この驚異的成功なしには、シリアへのロシアの介入は理解できない。新型の核兵器、輸出可能なミサイル、最新の情報処理能力などを具備して、ロシアはふたたび、米国の恰好の対抗勢力となった。このような役割は、家族システムの共同体主義に内在する平等主義的価値観に一致する。 諸国民間の関係についての先験的ビジョンを家族関係に結びつける、一種サブリミナルなシークエンスを再確認しよう。 ドイツまたは日本の直系家族は、現在ではすでにゾンビとなってはいるが、自民族中心主義的なシークエンス、すなわち、「子供たちは不平等である、人びとは不平等である、諸国民は不平等である」を導く。 イギリスまたは米国の絶対核家族は、柔軟な差異主義的なシークエンス、すなわち、「子供たちは異なる、人びとは異なる、諸国民は異なる」を生成する。 しかし、フランスの平等主義核家族がそうであるように、ロシアの共同体家族は、普遍主義的なシークエンス、すなわち、「子供たちは平等である(フランスの場合)、あるいは、息子たちは平等である(ロシアの場合)、人びとは平等である、諸国民は平等である」を起動する。したがって、フランス革命と同様、共産主義革命は攻撃的なまでに普遍主義的であり、ロシアで発明されたシステムを世界に拡げようと試みた。ソビエト連邦と共産主義インターナショナルは、ロシアの人口と国力の膨張過程において制度面でその根深い平等主義を表現したのだった。人口増加が鈍化し、国力が収縮する局面に入ると、帝国の夢は、諸国民は当然平等である筈だという、より平和的なビジョンに変化した。実際、ウラジーミル・プーチンや外相セルゲイ・ラブロフのテクストは多極的世界の構想を繰り広げ、その多極的世界の中でロシアは諸国民の平等性と自律性を擁護しなければならない、としている。ほとんど「家族」にも近い、統合性の強い「人民」(ロシア語では「ナロード」)という概念がロシアを特徴づけており、この概念により、人類が自由主義に浸ってアトム化されている昨今も、ロシアの指導層はフランス式に国家溶解の幻想に酔ったりはしない。過半数の国々が小規模国家で、取るに足らない軍事力しか保有していない世界で、ロシアの多極主義的アプローチに魅力があることは明白だが、ほかでもないその魅力が、今日なお絶対的支配という観点から思考する米国の地政学者たちにとっては甚だ苛立たしいのである。 **ロシア嫌悪(フォビア)はもうかなり前から西側諸国で顕著になってきていた。その端緒がいつだったのかは判然としないが、スポーツにおけるドーピング問題などから次第に広がってきたような気がする。そして、クリミア併合、ウクライナ戦争によってそれは一層激しくなってきた。西側諸国、とりわけ欧米諸国のこうしたロシアフォビアは、スラブ民族への差別感情に基づくものではないか、と私は思っていたが、トッドのこの論考を読んで、むしろそれは逆で欧米のロシアコンプレックスから来る単なる虚勢・反発に過ぎないのではないか、という感じさえ覚えた。前章の「ヨーロッパの変貌」に続いて本章を読んで来ると、ヨーロッパの「体たらくぶり」とは対照的に、ロシアの「充実ぶり」すら感じるような気がするのは私だけでしょうか?**
イデオロギー的オブジェとしての中国 北米やヨーロッパのメディアで、ロシアが手厳しく扱われたのと対照的に、中国は好意的に遇されてきた。ロシアの権威主義的民主制は何ひとつ容赦されないのに対して、中国の市場経済的全体主義のこととなると、すべてが大目に見てよい軽罪にすぎないのだった。北京は、一党独裁体制を敷き、腐敗で弛んでいるにしても基本的に徹底した警察国家を営んでいるのだが、漠然とした形ばかりの非難を向けられるだけだった。なぜだろうか。一九八〇年から二〇一五年までの間に、人口一三億六〇〇〇万人(二〇一三年時点)の中国は、世界の工場になっただけでなく、何よりも、西洋の富裕層にとって超過利潤獲得の天国になったからである。低賃金の中国人労働者によって生産された商品を先進国市場で売ることで、二〇年、三〇年にわたって、夢のようなマージンが得られた。この金銭的な夢が、西洋人の側でも、また中国人自身の側でも、虚偽意識へと、そんな商業モデルを永続させるのは不可能だということの理解の拒否へと変異したのだった。 もちろん、理性的な論者も幾人かはいて、彼らは穏健かつ慎重な言葉遣いで、中国経済の構造と内部の不均衡を分析した。しかし、そうした論者はきわめて稀だった。 二〇〇七年~二〇〇八年に、先進諸国は危機に陥った。そして二〇一七年には、今度は中国が、現実の壁にぶつかった。ドナルド・トランプと、ピーター・ナヴァロ〔トランプ大統領時代にホワイトハウス国家通商会議のトップを務めた。一九四九年生まれ〕をはじめとする彼の顧問たちは、中国のことを、もはや奇蹟としてではなく、むしろ問題として語ろうとする。そして事実、中国のGDPに占める設備投資額の割合の信じ難いほどの大きさから推察するに、公式に発表されている二〇一六年の成長率は七%を僅かに切っている水準にあるが、これは遠からずゼロに近づいていくにちがいない。 グローバリゼーションの礼讃者たちはまた、ここ二〇年、三〇年、中国における中間層の擡頭を称賛し、新世代富裕層の市場を自由世界の地平線とも目して、その開花を謳い上げてきた。ここで、中国の進歩、その生活水準の改善、一人当たりGDPの上昇、さらには賃金の上昇といった事実を否定しようというのではまったくない。ただ、完全に識字化されて、出生調節をする人びとの大集団が、狂気の毛沢東主義国家によって経済活動を束縛されてでもいないかぎり、そのような進歩を実現するのはごく単純に当たり前なのである。 それに、中国の経済モデルの中に、スターリン主義型経済の痕跡をどうして見ないでいられようか。二〇一六年のGDPの四三%にも達する設備投資が占める割合の高さ、国内消費に持続的に課せられている制限、経済の軍事依存傾向、腐敗撲滅闘争の絶え間ないキャンペーンなどは、安定した確かな制度に保障された自由市場が中国に存在していないことを意味するだろう。中国共産党のリーダーたちを天才的な経済戦略家として表象する(しかも、「ロシア人の無能さ」と対比させて……)のは、特に滑稽だったといえそうだ。実際、中国は自らの運命を自覚的に選択したのではない。自国の労働力を、主として米国に、副次的にはEUと日本に操縦されているシステムの中に組み込むことを容認しただけだ。 現在の中国は、西洋によって発明されたのであり、それも非常に早い時期からそうだった。そう、中国の指導者たちは操ったのではなく、操られたのだ。今後は、現実を意識しなければならなくなるだろう。西洋の態度が豹変するとき、まず明らかになるのは北京の戦略的無力さであろう。すでに中国の指導者たちは、彼らの国からの資本流出にブレーキをかけることに苦労している。金融の次元のこの流出は、「流出」という言葉の第一義が「逃亡」であることに鑑みても、貿易黒字から自動的に発生する会計上の結果のように見做されてはならない。健全に発展している国なら、そのような黒字は存在しないだろう。資本の純輸入国で、貿易収支が赤字であるのが望ましいのだ。



しかし現実には、経済的外向性、あまりにも一方的に輸出に牽引される経済成長のせいで、中国経済は成長の正常な軌道から外れてしまった。正常な軌道に乗っている場合、成長のテンポと形態はたいてい、国民経済の基底を成す教育の進展のテンポおよび形態によって決まる筈なのである。グラフ18-3が示しているように、中国における高等教育普及のテンポは速い。しかし、達成された普及率は、米国やヨーロッパや日本に比べて非常に低い。その点を、われわれはすでに、グローバリゼーションの禍中にある主要各国を比較したグラフ16-1で確認できた。中国では、二〇〇〇年に二五歳に達した世代人口のうち、三〇歳~三四歳ですでに高等教育の全課程を修了している者の比率は四%である。日本ではそれが三六%、米国では三五%、スウェーデンでは二七%、イギリスでは二六%、ドイツやフランスでは二〇%であるのに。たしかに、この種の先進国ランキングは、国によって教育システムと発行される修了証が多様であることを思えば、大して当てになるものではない。が、それでも、中国の遅れは明らかだ。
人口学者の懐疑 またしてもここで、人口学がわれわれを助け、イデオロギーの幕の向こう側を透視させてくれる。人口学者たちは、中国に関して楽観的ではない。一九八〇年~二〇〇〇年に見られた中国経済のダイナミズムが、彼らが砕けた表現で「人口ボーナス」と呼ぶ現象に大きく依存していたことを知りすぎるほど知っているからだ。 つまり、その時期には、出生率の低下が高齢者の少なさと相侯って、非労働人口扶養の負担が最小限で済む状況を生み出していたのである。労働者たちが溢れるほどにいて、しかもすでに確認したように、彼らにはグローバル市場での競争力があった。しかし、ボーナスは一時的なものでしかあり得ない。まもなく人口が高齢化し、「人口オーナス (負担)」が大きくなり、経済活動にもブレーキがかかり始める。中国の人口の中間年齢は、一九五〇年には二七・三歳だったが、二〇一〇年には三四・一歳となった。国連の予測によれば、それが二〇三〇年には四二・一歳に、二〇五〇年には四六・三歳に達する。ところが、中国はこれまで、経済成長を急ぐあまり、社会保障や年金システムを導入するだけの時間的余裕を持たなかった。大掴みにいえば、親の面倒を見ることを子供の義務と定める法律を復活させるだけに甘んじてきた。 この状況では、個人のレベルでの予防原則が働く。かくして、中国人の貯蓄率はGDPに占める設備投資の割合と同じくらいに高く、異常である。よく用いられる表現でいえば、中国人は豊かになる前に老いるだろうし、人口の大半が熟年に突入するとき、中国では米国やヨーロッパでよりも遥かに劇的な結果が生じるだろう。 さらに、高齢化は頭脳流出も伴う。これは人口という国の実質を成すものの流出であり、資本流出を補完する。二〇一二年には、世界銀行の統計によれば、中国の移入・移出人口の差、つまり人口の社会増減はマイナス一五〇万人だった。一方で、経済協力開発機構(OECD)は、二〇一三年に関する調査で、中国出身の移民を五〇万人としか報告していないのだが。移民の多くは学生である。なにしろ中国は、西洋に留学する学生の二二%を供給している。二〇一五年には、中国の教育省が五二万三〇〇〇人の学生の外国留学を登録し、その際、留学後に国に帰還する率が近年上がって七〇%~八〇%に達したことを喜んでいた。二〇〇八年の金融危機に起因する西洋諸国の景気後退がこの現象を助けた。 いずれにせよ中国は、ロシアと違って、外国の労働力と頭脳を「捕食」する少数のネイションのクラブの一員でないばかりか、人口の流出というかたちで具体的な人間を失い、かくして中間層が貧血を起こしているネイションの一つなのである。人口の社会増減がマイナスであることは、中国の人口規模を思えば大した問題ではない。けれども、その人口喪失の質的な効果は過小評価できまい。国に帰ってこないのは最良の科学的頭脳なのだ。さらに困ったことに、最終的に外国移住してしまう人口の内で、表現の自由を熱望するタイプの中国人たちの比率が明らかに高い。したがって、人口の地理的な流れが、中国人人口の中で潜在的に最も自由主義的な人材を絶え間なく削減し、結果として、中国の権威主義的システムを強化するのである。
中国とその他の地域で持続する父系的ダイナミズム 父系制のレベルの階梯において、中国は、今から二〇〇〇年あまり前に形成された共同体家族システムに対応するレベル2に位置づけられる。女性のステータスの低下は、あの国の北部と中央部で、先述のとおり九九%を超える父方居住に行き着いた。南東沿岸地方、広東と上海の間あたりには、直系家族(あるいは、さらに核家族)の痕跡と、それに伴う比較的高い女性のステータスの痕跡が共産主義革命までは存続して、それが、ときには一〇%に上る母方居住の結婚の残留に表れていた。 中国の共産主義は、範としたロシア・モデルから、社会における女性のステータスを上昇させる意志を汲み取り、努めて父系制を抑制した。その共産主義の事実上の崩壊以降、西洋のイデオローグたちが中国の近代化を大いに讃えていたまさにその頃、中国現地では父系制の原則がふたたび強く浮上し、革命以前のように改めて前進し始めたと推測して、まず間違いない。社会主義国家によって設置された社会保障制度が崩壊すると、そこが中国であれ、東ドイツであれ、個々人はそれぞれの家族と伝統的習俗へと戻っていくのである。しかし、女性のステータスの急落の原因を共産主義の教義や制度の変異にのみ帰するのは、おそらく間違いだ。実際、女性のステータスの急落はインドでも起こっており、それを共産主義の崩壊で説明できないことはいうまでもない。 中国で、女性への高等教育の普及率は、今のところ最低限のレベルにおいてではあるけれども、確かに男性への普及率に追いつきつつある。しかし、父系制原則の持続は、親が女児よりも男児を選好するという事実によって露わになるのであり、その事実は中国の出産統計を見れば一目瞭然だ。世論調査をおこなう必要はまったくない。現代では、産前検診技術で子供の性別を知ることができるので、女性胎児の選択的堕胎をおこなうことで、男児を「選ぶ」ことができてしまう。中国の出生率は女性一人当たり一・七人なので、かなり低いとはいえ、日本や韓国ほどの低水準には達していない。しかし、一組のカップルの子供が三人未満の場合、その夫婦が男児を得ない可能性が著しく上がる。クリストフ・ギルモト〔フランスの地理人口学者〕は、この間題に関しておそらく世界随一の専門家であるが、彼がいくつものジャーナル論文の中で、世界中を対象として、出生時の性比(男女比)のリスト、すなわち、出生した一〇〇人の女児との比で、何人の男児が出生したかを示す数倍のリストを提示している。ユーラシア大陸の人口の場合、自然な性比は一〇五~一〇六周辺で推移する。男児のほうが女児より多く懐胎されるのである。 次ページの表18-1は、外婚制共同体家族の国々の性比を降順に並べた上で、比較のために、核家族、直系家族、そして内婚制共同体家族のいくつかの国のデータも提示している。外婚制共同体家族の国名は太字で示し、国を全体として見れば外婚制共同体家族が主流であるが、他のタイプの家族構造が主流の地域もかなりあるという国の名称は斜体で示している。指標が一〇七である場合、選択的堕胎が疑われ得る。それ以上の値の場合には、ほぼ確実に選択的堕胎がおこなわれている。性比一一八の中国は、この現象においていわばリーダーであり、一時期、中国の文化的影響が韓国にまで拡がったことがあった。韓国は直系家族の国だが、一九九四年に指標が一一五にまで上昇したことがあるのだ。現在の一〇七という性比は、すでにほぼ制御された危機的状況の名残にほかならない。もっとも、この領域で中国が首位だという印象は、部分的には幻想である。北インドのいくつかの州では、性比が一二〇に達している。インドの国全体として見たときの性比一一一には、相対的に女権拡張的といえる南インドの影響が加味されており、それによって偏りが抑制されている。



イスラム圏の国々は、パキスタンを除いて、選択的堕胎に対して免疫を持っているようだ。宗教的な禁止のためかもしれないが、おそらくは、それにもまして内婚制のためである。内婚制共同体家族システムにおいては、娘は従兄弟に嫁ぐことになっている。彼女の運命は結婚によって自分の家族から離れることではない。懐胎から死まで、彼女は同じ集団に所属し、そういう存在として彼女の生命は保護されるわけである。 この文脈において、イスラム世界でも内婚率が最も高い国の一つで、本イトコ同士の結婚の頻度が五〇%に上るパキスタンの一一〇という性比からは、パンジャーブ〔インド北西部からパキスタン北東部にまたがる地域。一九四七年のインド・パキスタン分離独立の際に二分劃された〕のイスラム教徒、ヒンズー教徒、シーク教徒の間で文化的近接性が持続していることが分かる。パンジャーブ地域では、現代的な選択的堕胎の技術が用いられるようになる以前、長い間、旧いやり方で、女児限定の嬰児殺しがおこなわれていた。 アゼルバイジャンの指標が非常に高く、一一七であるのは、この国が旧ソビエト連邦の南方周縁部に今なお継続的に「属している」ことの表れだ。その地域ではかつて、堕胎が出生調節の標準的な技術だったのである。ソビエト主義はイスラム教と内婚制を制し、選択的胎児殺しを容易にする。ジョージアとアルメニアは、コーカサス地方内部での紛争にもかかわらず、この面では、文化的に従兄弟同士のように似た姿をしている。 ジョージアやコソボを西洋の国として、そしてロシアを西洋の習俗に無縁の国として、われわれに「売り込もう」としてきた地政学者たちにとって、性比は残酷な指標である。ロシアの性比は、いうまでもなくノーマルで、バルト諸国、フィンランド、スロヴァキア、ブルガリアなどと異ならない。他方、女性のステータスの高さが西洋のアイデンティティの構成要素であるとすれば、ジョージアの性比一一二や、コソボの性比一一〇は、この二国がどれほどはっきりと西洋の圏外にあるかを示している。 さらに印象的なのが、かつて女性のステータスが比較的高いまま維持されていた地域である中国南部とインド南部における性比の上昇である。こうした近年の展開が示唆しているのは、今日、女性解放を謳い、フェミニズム的言説が世界的に拡がっているにもかかわらず、まず紀元前三〇〇〇年頃にメソポタミアで、また紀元前一四00年頃に中国で姿を現した父系制原則が、アジアの二つの巨大な大陸国家たる中国とインドの征服を完遂しつつあるということである。
場所の記憶――中国における権威と平等 両性の数的なアンバランスが高齢化に加わり、中国の人口のかなり暗い将来像を垣間見せている。それにしても、われわれがとりわけ理解すべきは、出生時の性比の上昇がメンタリティの次元で何を意味しているかであり、それゆえ、われわれの概念である「場所の記憶」に立ち帰らなければならない。 グローバリゼーションの影響と、輸出大国としての成功にもかかわらず、父系制へと向かう三五〇〇年近くもの進化によって確立された中国の伝統的価値観は、依然として生きており、ときには前進を続けてさえいる。したがってわれわれは、強い父系制原則に、権威主義に、そして平等主義に結びついた共同体家族的価値観の残留を公準として立てることができる。共産党の指導的役割と警察の絶対的権力が権威主義を表している。しかし、人類学的システムの平等主義、かつて中国をしてラディカルな共産主義革命に取り組ませたあの平等主義もまた現存している。直系家族系であるドイツや日本の階層的システムは、社会秩序を安定化させる不平等原則を内包している。中国の価値観に潜在する平等主義は、経済的不平等がいちじるしく拡大する時期には、社会的・政治的システムの均衡にとってひとつの脅威となる。指導者たちは、それを知っている。あるいは感じ取っている。そして彼らは、父系的な家族のつながりの復活にともなって発生する腐敗の中でのみならず、民衆を恐れる気持ちの中で生きている。体制内部の硬直化が中国の民衆に重圧をかけているので、体制はその民衆の気持ちを逸らすために、危険なまやかしの標的を作り上げる。 外国人恐怖症的なナショナリズムが中国共産党によって培養されている。その点で、中国共産党はマルクス=レーニン主義から遠ざかり、ファシズムに近づいているわけだが、とにかくその種のナショナリズムが、隣国日本の生活に毒を盛っている。現在の日本がアジアにおける覇権と膨張主義への願望をどれほど完全に捨ててしまっているかについては、第16章で見たとおりである。もちろん、日本の植民地主義がどれほどの暴力を伴って現れたかを忘れようとするのではない。そうではなくて、その暴力が、アルジェリアにおけるフランス植民地主義のそれや、米国におけるインディアン迫書のそれを超えるものではなく、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺が人類全体との関係で表象したものからは遠く離れた事象だったことを指摘しているのだ。中国のスポークスマンたちが、繰り返しわれわれに南京大虐殺を思い出させようとする執拗さには、何かしら愁嘆場的なものがあるといわざるを得ない。何といっても中国は、共産党の滅茶苦茶な経済政策-「大躍進政策」〔一九五八年~一九六〇年に中国が毛沢東主席の下で強行した経済政策〕によって、外国の介入などいっさい受けることなしに、三〇〇〇万人もの中国人を死に追いやったことのある国なのだから。 しかしながら、中国の膨張主義を誇張するなら、われわれは誤りを犯すことになるだろう。反日本の外国人恐怖症と南シナ海への膨張は、リアルな帝国主義的主張を表出しているというよりも、困難な国内状況への戦術的調整を意味している。中国は人口があまりにも大きいので、その内部の重みに阻まれて、正真正銘の膨張主義は実践できない。人口の塊があの国を、物質を膨張させるよりも、むしろ内に引き込んで濃縮するブラックホールのような状態にしている。 国際関係の面では、中国の平等主義は、ロシアのそれに近いビジョン、つまり、資格において同等の諸国家から成る多極的世界のビジョンへと向かう。したがって、安定的な状態にある限りは、中国は世界の舞台でリーズナブルに振る舞う、信頼のおけるアクターなのだ。たとえ、経済拡大の局面が一定期間続いた段階で、中華文明国家に関する誇大妄想の理論がいくつか飛び出してくることがあったとしても、である。たとえば、張維為〔中国の政治学者、一九五八年生まれ〕が『チャイナウェーブ――文明国家の擡頭』に記した理論は、システム内部の権威主義をポジティブな価値として、西洋民主制に投げつけられた存在論的挑戦として提示している。何百万人もの中国人学生が北米、ヨーロッパ、日本へと流出している事実は、その種の理論とはまったく別のことを示唆している。 世界全体の需要の鈍化にぶつかり、それに起因する成長率急落の影響をまともに蒙り、人口のいちじるしい不均衡に苦しみ、平等主義文化の状況下で不平等の擡頭に直面している以上、一三億の人口を抱える中国は、三〇〇〇年紀の始まったこの時代に、世界の不安定化の大きな極の一つとなるだろう。
偶然としてのロシア、必然としてのロシア 私はこの章を、世界の人類学的・イデオロギー的歴史におけるロシアの位置についての短い考察をもって締め括りたい。 ロシアの家族システムは外婚制共同体家族であるから、まさにそれとして、中国、ベナム、セルビア、アルバニア、中部イタリアと同じ類型の「枠」に入る。これらの国と地域はすべて二○世紀において、革命によってであれ、選挙での安定した定着を介してであれ、共産主義体制を生み出した。 とはいえ、これらの国々とロシアは必ずしも同類ではない。ロシアの現代史を振り返ると、そこには、ときに多数の人命を奪うほどの創造性、発明の能力が確認できる。あの国のそうした能力は、教育の進展における他国との時期的なずれなどでは説明のつかないレベルにまで達している。女性に特別な役割が割り振られていたことが、ロシアの家族システムの基本的な構造的特徴の一つであり、それがロシアを同類型の国や地域から区別するとともに、あの国に、「父系制の罠」と呼び得るものを回避させたように思われる。本書の主要テーゼの一つは、中東、中国、西アフリカで生まれた諸文明がいずれも、農業の発明ののちに父系制を考案し、適用し、強化したところ、その父系制が、時の経過とともに女性のステータスを押し下げ、社会を麻痺させたというものである。 女性たちを周縁化したり、家の中に閉じ込めたりすれば、彼女たちの教育にブレーキをかけ、ひいてはその息子たちの教育にブレーキをかけ、結局、父系制の親族綱の中に閉じ寵もるよう息子たちを仕向けることになる。こうして、男たちもまた、本物の個人であることをやめてしまう。彼らは男性集団として父系制社会を支配するけれども、しかしその社会の中でしばしば、個人としては子供状態にとどまる。この事情により、父系制の世界では頻繁に次のような逆説的事態が発生する。すなわち、男が公式の場を支配するが、自分の家の中では妻から子供のように見做されているという事態である。このような形で成立する社会は、無限に創造的であることができない。起源的文明の中心地に起こった反女権拡張的な退化が、その地域の歴史的発展の停止を説明し、さらには、進歩の遠心的な地理的移動――メソポタミアからイギリスヘ、中国から日本へ――をも説明する。 親族綱の中に個人を閉じ込めることは、ロシアでも確かに発生した。しかし、非常に遅く発生したのであって、女性のステータスがそれによって深刻なまでに低下することはなかった。こうしてロシアは、父系制の世界の中でひとつの例外となっている。ロシアは、共同体家族が可能にする集団統合のお蔭で、自らの内に高いレベルの社会的一体感を保つための基礎を見出す。それでいて、そこに、女性のステータスの高さが矯正剤のように働く。この矯正剤こそが、ごく最近に到るまで良きにつけ悪しきにつけ絶え間なく続いてきたロシアの知的・科学的・軍事的な創造性を説明する。 かくしてロシアは、共産主義体制を発明した。いったい誰が確信をもって、中国にもそれが可能だっただろうと言い切れるだろうか。あの窒息しそうな血まみれの冒険に乗り出したロシアは、それでも一九四一年から一九四五年には、ナチス・ドイツを打ち破るだけのエネルギーを見出した。その折にロシアは、最良の兵器の一つ、戦車T34を繰り出したのだった。T34が当時最高峰の戦車だったことに異議を唱える者はいないだろう。今日でもなおロシアは、体制瓦解の一〇年間を生き延びた上で、自らの軍事技術を本来の水準までふたたび引き上げ、あらゆる制空権を無力化し得る超長距離地対空ミサイルシステムS-400を製造した。 最後に私は、ヘーゲルをもじって、歴史におけるロシアの逆説的な位置を強調したい。あの国民は、耐え難くも普遍主義的な共産主義システムを自らに課すことができた。しかも、世界を救った。ナチズムを打ち破ったことは、人類普遍の歴史への主要な頁献として特筆されるべきである。しかし、ロシアは本当に普遍的な何かを代表しているだろうか。ロシアの共同体主義的でありながら女権拡張的な人類学的下部構造の分析は、あの国がもともと、人類学上の特異例、歴史の偶発事にすぎなかったことを明らかにしている。
**トッドは、中国に対してはロシアに対するよりもやや厳しい見方をしているように感じたが、むしろある意味では客観的で中立的であるのかもしれない。一見、膨張主義と見られる最近の中国の南シナ海への進出にしても、国内の経済的な格差の増大に対する国民の反感から目を背けさせるという戦術的調整という側面もあると述べているし、また、なによりも巨大な人口の塊がまるで濃縮するブラックホールのようにむしろ中国を内部に引き込んでしまうので、そもそも膨張主義は実践できないとみているようだ。ただ、他方で、今後世界全体の需要の鈍化にぶつかり、それに起因する成長率急落の影響をまともにこうむる可能性もあり、人口のいちじるしい不均衡の中での経済格差の増大は、依然として世界の不安定化の大きな極の一つとなるだろう、というトッドの予測はかなり的確なのかもしれない、と思いました。 今回、トッドの本書をまとめてみて、その扱う範囲があまりにも多岐にわたっているので、かなり手こずりましたが、それでも彼の視点はなかなか鋭く、日本の専門家と呼ばれる学者や識者からはあまり感じとることができないような独自の方法論と研究姿勢を持っていて、なかなか素晴らしいと感じました。とりわけ、ネオションへの回帰が進み、国連を中心とした国際連帯を基調としてきたこれまでの「戦間期」の時代がその終焉を迎え、まさに「戦前期」ともいえるパワーポリティクス全盛の時代へと進みつつある現在において、それぞれのネイションのもつ歴史的背景を単に従来の政治・経済的視点(意識)ばかりでなく、識字率や就学率などの教育(下意識)面、さらには出生率や死亡率などの人口の推移や信仰・道徳規範・婚姻・父系制の強度など家族・宗教(無意識)などの面からも捉えていくことがますます重要になってくることを痛感させられました。 もちろん、「日本の核武装論」を含めてすべてを肯定するわけではありませんが、それにしても、ウクライナ、そして現下のイランを見ていると、「やっぱり核を持たなかったからだ」と考える人々が増え、「日本核武装論」を声高に叫ぶが風潮が強まって来るのではないか、と心配してしまいます。・・。 昨年、2025年4月10日付けの「文藝春秋」5月号に寄せたトッドの「米欧の分裂と日本の選択」でも、彼は「日本は核武装と共に通常兵器の増強も進めるべきです」と述べて、軍備増強に突き進む現日本政府へエールを送っています。保守系メディアにとってはある意味都合の良い書き手になっているのかもしれません。もちろん、今や保守・リベラルの対立軸そのものが揺らいでいるわけで、保守だからというだけで敬遠するのも愚かだと思いますし、他方でリベラルがウクライナ戦争以降、混迷を深めている印象が拭えない現状の中で、右派・左派の括りに拘っていては、優れた知見を見逃すことにもなりかねません。その意味でもトッドは、イデオロギーにとらわれない思考の自由闊達さがあり、つねに刺激的だといえるでしょう**。
|