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青山透子『日航123便 墜落の新事実』

(河出書房新社 2017年7月30日刊)

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第四章 三十三回忌に見えてきた新たな事実――目撃証言からの検証

 1 事故原因を意図的に漏洩したのは米国政府という記事
 この三十二年間、墜落に関する新聞記事等の膨大な資料を、現在から墜落時まで時系列にさかのぼって読み込んでいくと、そこに見えてきたものは、これは未解決事件であるということだ。後から次々と重要なことが判明しても再調査はしない、無視をする、という方針を持ち続ける運輸安全委員会の姿勢もさることながら、日本人の特質なのか、何かを隠し通すことが美徳であるという勘違いによって、嘘を突き通すことに慣れてしまっているずるさが関係者の中に蔓延しているのではないだろうか。
 例えば、米国のトランスワールド航空800便墜落事故(一九九六年七月十七日ニューヨーク沖に墜落)の事故調査の解明にあたった元NTSB職員や調査員六名が二〇二二年六月九日に記者会見を行い「事故調査報告書にまとめた事故原因は嘘であった」という衝撃的な発言を行った。これは米国では周知のことであり、そのドキュメンタリー映画『Flight 800』が米国で公開されたが日本では公開されていない。六名の元調査委員によると当初から多数の目撃情報があったように「ミサイルによる誤射の可能性が高い」ということだった。それは米軍のミサイル練習中の事故で目撃情報からも信憑性がある。その当時、事故調査ははじめから戒厳令下のような状況で、嘘の報告書は政府によって真の事故原因をもみ消すためのものだったとはっきりと証言したのである。この勇気ある記者会見は本当に称えるに値するものだ。ただ具体的な証拠物である爆発反応やミサイルによる撃墜を直接的に示したようなものは、すべてFBIによってワシントンへ送られて一切返却されなかった、ということで、提示することはできなかったとのことだった。
 このように、真実の話ができる環境が、自分の住む国にあるということだけで、遺族や犠牲者の心は救われるのである。
 この日本において、私たちはどうすればよいのだろうか。
 そこで実際に目撃したものや現場の人々が見たもの、証拠となりうる写真、さらに検死報告書の結果などを分析しながら、あの日に何が起きたのか、一つの仮説をもとに検証してみたい。
 それに対して、またいろいろな見解やさらなる情報が得られれば、本当の意味での三十三回忌の供養になるような気がする。
 二〇一五年七月二十六日付東京新聞『米政府、意図的に漏えい』の記事内容は、著者にとっては既視感があった。記事では、一九八五年八月下旬にNTSB航空事故調査部の元幹部ロン・シュリード氏らが群馬県の墜落現場で修理ミスの痕跡を見つけて日本側に伝えたが、九月に入っても日本側が公表しないため、業を煮やした委員長のジム・バーネット氏の要請でロン・シェリード氏らがニューヨーク・タイムズ紙に情報提供をした、とのことである。ボーイング社全体の利益を損なわぬよう、事故機特有の問題だということを早く明らかにして、当時の主流だった同型機(B−747)の安全性をアピールすることが狙いだったという。
 それに関する当時の新聞を読むと、一九八五年九月八日付毎日新聞では、すでに先月二十七日の第一次中間報告発表以前に米国側から圧力隔壁修理ミスの可能性を通告されていたのだが、まずはフライトレコーダーとボイスレコーダーの解読が中心となり、まだ隔壁部分は十分に調べていなかったため発表は控えた、とある。第一次報告書にも隔壁のことは一言も書かれていない。しかしながら日本側には事前に一言の連絡もなく、いきなり米国紙で一方的に声明を出されたのは大変遺憾である、と日本側の事故調査委員会は不快感を示していた。これを見ても、事故原因を米国側が意図的に先に出したことがわかってくる。
 これにより、世論は一気に米国が出した後部圧力隔壁説に傾いていく。
 それではなぜこの誘導的な方法で、最終的にはあのような事故調査報告となってしまったのだろうか。そのためにはまず資料をさかのぼって、検死した医師が疑問に思う遺体状況から冷静に推定していきたい。

  ●ガソリンとタールの異臭について
 事故当日の朝、極めて早い時間に現場に足を踏み入れた消防団の人々による証言をもとに、現場に漂っていた臭いから推定されるものについて、元自衛隊関係者、軍事評論家、大学の研究者などに質問をぶつけてみた。なおその臭いの現場が日航123便の墜落現場ということは伏せて質問をした。
 
質問1  ガソリンとタールの臭いが充満し長時間燃える物質は何か。その結果、人間の体が炭のようになる状態(完全炭化)のものは何か。
 答え ガソリンとタールを混ぜて作ったゲル状燃料である。
質問2 なぜそれが人間の体を炭にするのか。
 答え 化学薬品によってゲル状になったガソリンであるため。これが服や皮膚に噴射されて付着するとそのすべてが燃え尽き、結果的に炭状になる。
質問3 これはどこで手に入るのか。
 答え 一般にはない。軍用の武器である。その武器は、燃料タンクを背負い、射程距離は約三十三メートルで歩兵が用いるものである。第二次世界大戦中は米軍で使用された。Ml、M2の二種類がある。昔の武器というイメージがあるが戦後は米軍から自衛隊に供与されていた。現在も陸上自衛隊の普通科に携帯放射器として配備されている。これはM2型火炎放射器の改良型である。噴射回数十回まで可能。噴射用圧縮空気タンクを連結している。今でも駐屯地祭でデモストレーションしている。
質問4 それはどこにあるのか。
 答え 陸上自衛隊普通科歩兵、化学防護武器隊で、相馬原普通科部隊にもある可能性が高い。

 一九八五年当時に実際に確かめたわけではないので、確実とはいえない。しかし、いずれにしてもその臭いがガソリンとタールということから、この武器を使用したとすると筋が通ってくる。
 ちなみにこの話を元自衛官にしたところ「核心に近づくと妨害や脅迫が増えてくるから気を付けた方がよい」という丁寧なアドバイスまで頂いたが、逆に核心はこちらだ、ということを暗示されたようなものだった。
 それではなぜ炭化状態にする必要があったのだろうか。そのいきさつと理由を考えてみる。

 ●墜落現場不明という誤報とファントム二機の追尾
 総理大臣であった中曽根氏が『恐らく防衛庁と米軍でやりとりがあったのだろう』と、後に著書で語っているのであれば、何らかの事態が突発的に生じ、自衛隊側、米軍側が独自の判断で、証拠となる何かを運び出す過程でなされた隠蔽工作としか考えられない。
 その隠蔽工作にはある程度の時間がどうしても必要だった。だからこそ、上野村の村長が中央政府や県に墜落場所を連絡しても報道に反映されず、村民がNHKに電話をかけて場所を教えても「有難うございます」と答えながら墜落場所は長野県と報道していた。つまり報道関係者のトップも何らかの指示を受けていた、または知らないままに自衛隊側からくる情報を鵜呑みにしていたことになる。日本航空側もまさか政府や自衛隊がそのような情報操作に出ているとは思いもよらなかったのだろう。
 もし、圧力隔壁説や垂直尾翼付近に不都合が発生したフラッター説(フラッター説とは主に航空関係者が主張する説の一つであり、圧力隔壁破損からではなく、垂直尾翼付近の構造上の欠陥等から不具合が生じてフラッター状態となって破損したのではないだろうかという説である。フラッターというブレの不安定な状態から発生した空気の乱れや振動の助長で、上下の方向舵のねじれによる構造破壊につながったとされる)などが事故原因だったとするならば、表中、墜落場所不明を放送し続ける必要はない。なぜならば、上野村の人々はあらゆる機関に墜落場所を報告していたからだ。また、関係者からの情報によると当日は習志野駐屯地の第一空挺団も待機命令で準備をしており、日頃夜間訓練も行っていたことから、実際に行ける状態であった。米軍の海兵隊は、人命救助を第一に考えてすぐさま行動を起こし、墜落現場の真上までヘリコプターでたどり着いていたにもかかわらず、「日本側が救助に行ったから」という命令が出ていることで帰還した。それを他言無用とはどういうことだろう。
 しかしながら、日本側の救助の飛行機が来たという発表はない。もし自衛隊機が来たのであれば、墜落場所は特定されて、すぐ救助を開始していなければおかしい。しかし、上野村の子どもたちにも多数目撃された自衛隊のヘリや飛行機は、山頂で何かを上げたり下げたり、サーチライトを照らしながら何らかの作業をしていたという。
 つまり、人命よりも優先させた何かがあったのならば、発表された以外の事故原因がなければ、辻棲があわない。
 あの日、夕暮れ前の明るい時間に低空飛行する日航123便を追尾していた二機の自衛隊ファントム機(F−4EJ)はしっかりと目撃されており、その情報によると、十八時四十分には上野村上空にいた。そして十八時四十五分には、大きい飛行機と小さなジェット機二機が旋回しながら飛んでいたという証言もある。
 なお、この大きい飛行機をアントヌッチ氏の乗っていたC130輸送機、ファントム機は十九時一分に発進した公式発表のものではないか、という意見もあるが、残念ながらそれは十八時三十五分の静岡上空での目撃情報と、十八時四十分の非番の自衛隊員による目撃情報で打ち消された。さらにアントヌッチ氏が搭乗していた輸送機は、123便がレーダーから消えた後に墜落現場を探しに行き、十九時十分に燃えている場所を発見していることからも違うといえる。
 さらに二機のファントム機が十八時四十分にすでに上野村上空を飛んでいたとすると、十八時三十五分の静岡県藤枝市の目撃情報から推定して、ファントム機は富士山の横、大月上空を通過中の日航123便を目視し、一気に上野村まで飛んでいったことになる。そして十八時四十五分に大きい飛行機と小さな二機のジェット機が同時に飛ぶところを目撃、となると、公表された飛行ルートとは異なり、時系列にズレが生じる。事故調査委員会が公表した飛行経路図と時刻では、十八時四十五分の時点で日航123便は上野村にたどり着いていない。これをどう解釈するかは非常に難しい。高度も目撃情報とかなり異なることから、飛行ルートやボイスレコーダーの会話と時刻のつながりも切り貼りされている可能性は否めない。
 当然のことながら、非公式のファントム機との交信記録も一切書かれていないが、上野村で目撃した子どもは埼玉の方向へ去っていった、と文集に記していることから航空自衛隊百里基地偵察航空隊(茨城県)に帰還したものと思われる。
 それでは未発表のファントム二機は、どのあたりで日航123便に追いつき、どういう動きをしていたのかを推測してみたい。
 18:35(下地図A地点)−静岡県焼津市から藤枝市上空方面にて日航123便を追いかけていったのを目撃。
 18:40(下地図B地点)−群馬県吾妻郡東村(群馬県北西部に位置し現在は吾妻町と合併)にて非番の第十二偵察隊(相馬原)一等陸曹の自衛隊員が目撃。
 18:45から5分間程   −上野村にて小学生と大人たちが大きい飛行機と小さなジェット機が一緒に飛んでいる様子を目撃(下地図C地点)。その後、しばらくして二機のジェット機は埼玉方面へ。



(本書より)

 静岡県藤枝市までの航路と時間は一致する。
 その後の日航123便は横田基地に着陸しようと向かう途中でなぜか大月上空をくるりと回っているが、時間的にはちょうどその頃、ファントム機が追い付いたと思われる。しかし、ファントム機はそこから上野村へ直接向って、ずっと上野村上空を旋回していたことになる。
 例えば、そのファントム機の搭乗員と機長はなんらかの会話を交わし、その結果、日航123便は山に向かって進路を変更せざるを得なかった、と考えると説明がつく。
 明確に言えることは、墜落する前のまだ明るいうちに、自衛隊ファントム二機は日航123便と並んで飛んでいた、ということだ。
 高浜機長は垂直尾翼の状況を知って、横田基地に着陸することは非常に困難だと判断したのかもしれない。横田基地は軍の施設であるから巨大な輸送機も着陸可能なように滑走路が長く、万が一の場合もケロシン用の消防車や航空関係の医療設備もあり、医師もいてあらゆる対応が可能である。しかしその選択を妨げる理由があったと考えるほうが、筋が通るのではないか。
 当時の離着陸は、ジャンボジェット機も完全な自動操縦ではなく手動で行っており、著者自身もコックピットケアを担当した時は、着陸後に操縦室へ冷たいおしぼりを持っていくと、経験を積んだキャプテンでも手汗がびっしょりで、本当に着陸は緊張するのだなあ、とつくづく思っていた。着陸時に、垂直尾翼がほとんど破壊されていて舵がきかない状態は、想像できない程の不安と緊張であったと思われる。
 
 ●人命救助よりも大切だったのは赤い物体か?
 墜落現場がわかっていたにもかかわらず、人命救助をせずに、一晩中隠蔽工作をしなければならなかったとすれば、その突発的事態とはなんだろうか。これは目撃情報を繋ぎ合わせて考えるしかない。
 さらにもう一つ考えなくてはいけないのが、赤色の物体の存在である。
 これについては、乗客が撮影した写真に写っている黒い点の画像解析を大学の画像研究機関の専門家に依頼して得られた情報は次のとおりである。
 「黒っぽい円形の塊の領域内は中心から右側へ帯状、もしくは扇状にオレンジがかかっているのがわかる。円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見えますが、データ量が少なく定かではない。黒い何かに太陽が当たってオレンジに見えるのかもしれない」
 さらに電話で確認をしたところ、後ろ側の空に熱の波動が見えるので日航123便側に向かってきているような構図、ということであった。



機内より写した写真 中央付近に黒点
(WEBサイトより)


 この画像解析からわかった事実と突発的事態は関係するのではないだろうか。
 本書では、日航123便墜落前に目撃されているファントム二機のみならず、赤い物体の目撃情報や遺族提供の写真に映った黒点の画像解析からわかった事実にもとづいて推測をしてきた。この点を重視しながら、さらに考察を進めてみたい。
 新聞報道や上野村の子どもたち、大人も含めた地元の人々が語る中では「赤い閃光」、「ピカピカ光るもの」、「赤い流れ星」、「雷のような光」、「真っ赤な飛行機」という表現が出てくる。
 著者が直接インタビューした小林さんが見たものは、「ジャンボ機の腹部左側に付着して見える赤色のだ円、または円筒形のもの」という表現であった。
 赤色のだ円、または円筒形のものが付着……?
 高速で飛んでいる飛行機に付着したままということは、考えにくい。
 そうなると、低空で右旋回中の飛行機の左側腹部にピタッとついてきた物体、とするといくつか可能性のあるものが考えられる。誘導弾、いわゆるミサイルではないだろうか。
 ミサイルの誘導方式には主に@プログラム誘導(慣性誘導、地形照合誘導、GPS誘導)、A指令誘導(目視線誘導、ビームライダー誘導、データリンク誘導、光ファイバ誘導)、Hホーミング誘導(パッシブ誘導、セミアクティブ誘導、アクティブ誘導)というものがある。その要素技術としては、加速度計、ジャイロ、電波高度計、衛星通信、レーザー感知、画像処理、電波、ミリ波等の様々な技術が必要になる。特にプログラム誘導ではミサイルにプログラムを記憶させて操舵信号を変えるだけで従来のものより安価なものであり、指令誘導に富と誘導のための発射管制装置、目標を見つけるためのレーダー、指令発信装置が必要となる。ホーミング誘導では、ミサイルに内蔵された目と頭脳で判断しながら、自律的に標的まで飛んでいく撃ちっ放しミサイルである。レーザー・セミアクティブ誘導方式とは、このBのホーミング誘導に相当し、一九八五年時から研究されていたのはこの撃ちっ放しミサイルである。艦船などから目標に向けて放射電波を発することで、その目標物(例えば敵の飛行機)からの反射電波を受けてミサイル最前部に内蔵されている目玉の部分にシーカと呼ばれる電波や光を受信する装置が、その反射源をたどっていくことで目標物に到達する、という仕組みである。
 実は旧日本陸軍がひそかに開発していた『ケ号爆弾』が赤外線ホーミングといわれるもののルーツとされている。戦時中はグライダー爆弾、吸着爆弾と呼ばれていたとのことである。吸着爆弾、なるほどこれが最も合致する言葉かもしれない。弾頭に装着した赤外線感知器が艦船のエンジン付近にある熱源からの赤外線をキャッチし、それに向かって十字の翼を付けた機体をコントロールして目標へ命中させる、というもので、昭和二十年から約七〇〇発製造中だったという。このアイディアは日本独自のものだったらしい。
 さて、一九八五年当時、米国はプログラムの精度が上がらないことで、日本側の協力がひそかに必要だと考えており、複数の日系企業と共同開発を進めていた可能性がある。実際にその企業の研究者だった人に聞いた話では、一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけて、日系企業の技術者立ち合いのもと、米国のニューメキシコ州にあるホワイトサンズ・ミサイル実験用飛行場で、米軍と日本の自衛隊が実際に古いジャンボジェット機を飛ばして、炸薬なしのミサイルを発射させる実験を行った。結果、生粋の米国製品は飛行機に命中しなかったが、日本側のプログラムを加えたものでは、なんと垂直尾翼にヒットした。自衛隊幹部は思わず、手をたたいて喜んだが、その後、ジャンボ機の修理代金を請求され、その金額を見てひきつっていた、という話の落ちまでついていた。これはさもありなん、という話である。
  • 相模湾上空で機外を写した写真に映り込んでいるオレンジ色の物体。
  • 静岡県藤枝市上空で低空飛行中の日航123便の胴体腹部に付着しているように見えた赤いだ円や円筒形のもの。
  • 赤い飛行機を目撃した地元の人たち。
 これらの目撃情報の点をつなぐと、日航123便の動き方からも真実が見えてくる。
 高浜機長はスコーク7700の信号を出したその少し前からその存在を知っていたのではないか。低空飛行して右に旋回してもついてくる。静岡を過ぎ大月上空でくるりと回ってみたものの、さらについてくる。ファントム機のパイロットにも目視での確認を願ったところ、何らかのもの、ミサイルと思われるものが機体につきまとっていると報告を受けたのではないだろうか。
 そして、「これはだめかもわからんね」と横田基地に着陸できないことを悟ったのではないだろうか。そう考えるとすべての辻棲が合う。
 実はかつて著者のもとには『赤いものがビュー、ビューと複数飛んでた』という目撃情報が寄せられたことがある。この情報も考慮すると、赤い物体の存在が複数あった可能性もある。したがって、その一つが日航123便の垂直尾翼に何らかの形で接触して一部を破壊し、もう一つがつきまとっていたとも考えられる。
 いずれにしても、訓練用で炸薬非搭載のミサイルだとすると、赤色の物体で長さ4〜5メートルくらいのだ円や円筒形。また、ミサイルには小さな翼がついているので赤い飛行機に見えるという目撃情報とほぼ合致する。
 もちろん、この物体が何かについては諸説ある。相模湾では自衛隊の護衛艦まつゆきが試運転中であり、短SAMシースパロー(艦対空ミサイル)の垂直発射装置の試験中だったことからその可能性、または米軍や自衛隊の横須賀基地周辺が異常に騒がしかったとの情報から、何か突発的な事態が発生したのではないかという意見もある。ただし、この話には証拠となる情報が少ないため、本書では、あくまで目撃情報をもとにして赤い飛行機のような物体のみを考える。
 ファントム機と交信をしたのではないかと思われる高浜機長は、その後急に左旋回をして群馬県の山に向かっていく。その際、ファントム二機は急発進をしてきたために、そろそろ燃料切れとなることから埼玉県の方向、つまり百里基地に戻っていったとも思われる。上野村での目撃情報によると、大きい飛行機と小さなジェット機二機が同時刻に飛行した後、小さなジェット機二機は、埼玉県の方向に去っている。このことから推測すると、墜落直前に戻った、ということになるかもしれない。
 その頃、高浜機長は上空から見て長野県川上村レタス畑の広大な農地に不時着しようと考え、一度低空で回って確かめ、再度着陸態勢に入ろうとしたのかもしれない。これは不時着する場合、可能であれば一度下見をするとキャプテンから聞いたことがあるからだ。
 しかしながら、旋回が急すぎて高度が保てず、外側の第四エンジンを樹木(一本カラ松)にひっかけて墜落、または、赤い飛行物体がエンジン部分にぶつかり墜落したのかもしれないが、いずれにしても、吸着状態で飛行する赤色の物体も、一緒に墜落したのだろうと考える。
 その赤い破片(ミサイルの痕跡)を消すこと、それを最優先にして人命救助は後回しにした。
 遺体の状況から推定すると、その際、現場を破壊してなんらかの証拠を消すためにゲル状燃料の武器を使用したのではないだろうか。このように結果からさかのぼって考えると、いろいろな場面の説明がつく。
  1. 完全炭化した遺体から推測できることとして、ガソリンとタールを混ぜたゲル化液体を付着させる武器を使用した可能性があるのではないだろうか。
  2. 非発表のファントム二機による墜落前の日航123便追尾が明確になった。
  3. 墜落直前に赤い飛行機と思われただ円や円筒形に見える物体を目撃した人がいる。
 この三点が物語ることは、武器を持つ自衛隊や米軍が関与していると思わざるを得ない、ということを明記しておきたい。
 そして、「遺体に口あり」を私たちは決して忘れてはならない。

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