第6章 あり得ない「隔壁破壊説」
機内の空気は動いていない
航空自衛隊の小原医官と、事故調の森本調査官による、生存者の落合さんと川上さんへの事情聴取は、8月13日につづき15日にも行なわれた。 日航の客室乗務員の落合さんは、「バーンというような音は、荷物入れの上の方から聞こえたと思う」と述べている。「開いた穴のほうに物が吸い込まれるようなことは?」との質問に対して「なかった」と答えた。これも隔壁破壊によって垂直尾翼を吹き飛ばすほどの空気の流れが、客室内で存在しなかったことを明らかにする証言だった。 事故調の報告書では、平均風速は秒速10メートルで、主として空気は天井裏を流れたといいたいようだが、百歩ゆずって天井裏を強い風が吹いたとすれば天井裏の気圧が下がり、天井がぬけたりしてできる穴に物が吸い込まれたりしたはずだ。その事実もないとすれば客室内には空気の流れがなかったのは明らかだ。 そして客室内で空気が流れずに、客室から外に向かって空気が噴出することはありえない。ならば、垂直尾翼を吹き飛ばしたエネルギーだというその空気はどこから来たというのだろうか。車のタイヤはパンクし、空気は激しく噴出したけれど、タイヤの中の空気は減らなかったというのに等しいことである。 客室に急減圧はなかったことはこの落合発言で明らかなはずである。さらに落合さんは、「酸素マスクは10分ぐらいで酸素が出なくなった(酸素を一時貯めておく袋が膨らまなくなる)。緊急降下はなかったけれども別に息苦しくはなかった」とも言っている。 また9月17日には引き続き酸素マスクについて「お客さんでも10分ほどで酸素が出なくなってから、酸素マスクをはずしている人が多かった」と話していたことも注目される。 これは異常発生から降下するまでの18分間にも、客室内に十分の酸素があったことを推定させる。
「垂直尾翼の点検」を指示
事故調査委貝会と同じ、運輸省の機関である航空局は、この事故には垂直尾翼と方向舵が関与している可能性があると推定し、国内のボーイング747型機を使用している航空会社に対して、1万5千回以上飛行している同型機については100時間以内に、それ以下の飛行回数のものは300時間以内に、垂直尾翼について3項目、方向舵について7項目の一斉点検を指示した。 この航空局の指示に、アメリカ側調査団が「ジャンボ機の尾翼には構造上の問題はない」と反発した。日本の事故調に対して、方向舵の破損が事故のきっかけとなっていると言う日本の航空局の指摘に強く反論した。 8月15日、アメリカの連邦航空局(FAA)のウイルハム氏が、海上で回収された垂直尾翼の破片を見たボーイング社の調査員等(5名)は、隔壁が破壊した可能性があると話しているので、胴体後部のドアより後方の部分を注意して保存し、よく調査するようにと日本側に注意をした、ということが事故から5年が過ぎて、時効が成立した翌年の1991年に出版された『悲劇の真相』(読売新聞社刊)に書かれている。 しかし、この時点で、アメリカ側は、垂直尾翼のごく一部の破片を見ただけで、生存者の証言も確認していない。アメリカ側の発言は事実に基づかない発言だったことは明らかだった。これは事故調査の基本から外れたもので事故調査では最もやってはいけないことである。日本側はそれに対する反論はしなかったといわれている。 事故調は、15日のうちに、「客室内部の圧力に後部圧力隔壁が耐え切れず破損し、客室内の空気が爆発的に噴射して垂直尾翼を内側から吹き飛ばし、脱落させた」とする見方を発表した。 航空局の見解とは明らかに矛盾する見方であった。 事故調では、この日から警察の依頼を受けてボイスレコーダーの解読作業が始まった。解読は翌月9月30日までかかっている。ボイスレコーダーの粗解読が発表されたのは19日であったから、事故調査委員会が隔壁破壊のシナリオの発表は、ボイスレコーダーやフライトレコーダーが解読される前のことであった。ボイスレコーダーも十分に解読せずに、アメリカ側の筋書きでシナリオが公表されたとしか考えられなかった。 このように一つの情報だけから結論を出すことは科学的な事故調査とは遠いもので最も注意すべき初歩的な誤りである。思い込み調査、見込み調査ともいえる。 この経過が示すとおり、前日まで垂直尾翼が先に破壊したと推定していた日本側は、アメリカの一言で、隔壁破壊説に方向転換をしてしまっている。 しかし、運輸省担当の新聞記者から、事故調査委員会メンバーにも、アメリカの誘導に乗せられることを警戒する意見もあったと聞いた。 このような経緯で事故調査委員会が16日に発表した事故調査中間報告書の背骨にあたる概説は、次のようなものである。 「隔壁破壊→客室空気噴出→垂直尾翼の内側の圧力上昇→垂直尾翼破壊→油圧系統破壊→操縦不能→墜落」(1985年8月17日付 日経)という筋書きは、またたく間にマスコミに乗って、日本中に流布された。国民のほとんど誰もがそう信じ始め、疑う者などいなかった。 この筋書きの要は「急減圧」である。客室の空気が垂直尾翼の中に移動しなければ垂直尾翼の中の圧力は上昇せず、垂直尾翼を壊す力は生まれてこない。客室内に風は吹かなかったことが生存者の証言で明らかにされているが、そんなものは、ことここに至った以上、無視するほかない。急減圧はあり得ないなどという証拠が人目に触れたとたん、このシナリオはまさに空中分解する。急減圧はまさに報告書のキーワードなのである。緩やかな減圧では意味がない、数値上、うんと大きな減圧にしろ!そうじゃないと垂直尾翼が破壊されないぞ!というわけである。
もし、本当に急減圧が起ったら
事故調査委員会は報告書の中で、日航123便には、「ドーン」というような音と共に、急激に機内の気圧が低下した、つまり「急減圧」が発生したと書き記した。 具体的には、機内の気圧は毎分30万フィート程度の速さで低下し、数秒後には外気に等しい気圧になった。気圧が低下するということは、機内の空気が膨張することであり、その結果気温は65度低下して、氷点下40度になったとされている。客室を秒速10メートルの風が吹きぬけた、とも言う。 では、仮りにこのような現象が実際に発生したら機内はどうなっていたであろうか。 これまでに実際に急減圧が発生した事例に基づいて推察してみた。 激しい突風が、穴の開いた後部圧力隔壁のほうへ吹きぬける。新聞、雑誌、ほこりが機内を飛びまわり、最後部のトイレのドアが破れ、その穴のほうに飛ばされていく。 ほとんど同時に、「ドーン」というような音が聞こえると共に、急減圧が発生する。詰まるような痛みが耳に感じられ、口からは大量の空気が吐きだされた。体にも気圧の低下に伴うショックを感じる。 機内には濃い霧が立ち込め、ミルクの中に入ったように、すぐ近くの人も見えなくなる。同時に凍えるような寒さが襲ってくる。湿度が急に高くなった感じがして、皮膚が濡れたように感じる。 座席の上にある酸素マスクの収納箱の蓋が開き、中から酸素マスクが、落下して来る。酸素マスクを手前に引き、輪のように巻かれている透明なチューブを引っ張って伸ばし、マスクを鼻と口につける。口と鼻に当てる黄色いプラスティックの漏斗のような形をしたマスクの下に半透明の袋が付いている。それが膨らみ酸素が流れ出す。 暫くして霧は薄くなり晴れる。 しかし、機体に開いた穴から吹き出す空気の騒音が激しく、アナウンスや近くの人との会話も殆ど不可能である。 操縦席と客室の間の扉は、破れるようにロックが外れ、開いてしまっている。パイロットが操縦席から振り向くと、2階席の客室が見える状態になる。操縦席のフライトバッグや、付近に置いていた航空図、規程類を綴じた厚さ5センチもある「マニュアル」と呼ばれるバインダーも後方に飛ばされ、操縦席の後方の壁にぶつかり「ドスン」というような音を立てる。操縦席の中もほこりが舞い上がり、霧と混じって視界をさえぎる。 パイロットたちは「デコンプレッション」(減圧発生)と叫んで、自分たちの座席のすぐ近くにぶら下げられている酸素マスクを着用し、操縦席内の会話用インターフォンのスイッチを入れる。機長はエンジン推力を減らし、減速のために必要な処置をして、緊急降下の準備をする。急減圧と緊急降下のチェックリスト(確認事項)を、空機関士が一つ一つ確認しながらインターフォンで機長に報告する。 副操縦士は、管制官に「急減圧発生、1万3千フィートまで緊急降下を行なう」と通報し、必要な指示を受ける。 車輪を下ろし、機体を傾けながら機首を大きく下げ、1万3千フィートへ緊急降下を開始する。 これに対して、日航123便では、機内に風は吹かず騒音も無く、気温の低下もなし。 生存者の話とパイロットの交信からは、機内の様子は次のように分析できる。 「機内にはうすい霧が発生した。耳はエレベーターに乗ったときのように、軽く詰まった程度。機内の空気は流れなかった。特に大きな騒音はなかった。アナウンスや会話は聞こえた。寒かったという発言はない。落合さんは『訓練の時に習ったような急減圧はなかった』と航空自衛隊の医官に答えている」 「操縦席ではパイロットたちは急減圧を感じていない。寒いとも言っていない。急減圧のときにとるべき処置はしていない。酸素マスクもつけていない。9分以上経ってからの『我々も酸素マスクかけますか』という声が、急減圧でなく緩やかな減圧しかなかったことを示している。地上からの緊急事態の問い合わせに『操縦不能』としか答えていない」 操縦席でも客席でも急減圧に伴う現象は確認できていない。 それが何故か世間では急減圧があったように誤解された。テレビや新聞などマスコミの正確とは言えない報道にも原因があった。
本当に会話が少ないか?
事実を見る限り急減圧は見当たらない。では事故調はどのように急減圧に固執し、強弁しているのだろうか。生存者の証言は無視したが、他方、死亡したパイロットたちのボイスレコーダーに残った「会話」には大いに注目している。 報告書の中でパイロットたちが、急減圧から起こる低酸素症に陥っている証拠として、「18時29分の後半から、36分にかけて機長と副操縦士の会話が著しく少ない。同じく40分から43分までも運航乗務員の会話が極端に少ない」と述べている。しかし、実際の飛行状態をフライトレコーダーから見ると、この29分後半から36分にかけては123便の飛行中、最も厳しい機首の上下(フゴイド運動)とダッチロール (機首の横揺れと左右の傾き)状態にあった時期である。



日航123便の高度変化 (本書より)

上下の加速度を見てもおよそ1分40秒周期で、最大プラス1.8Gとマイナス0.5Gの間を上下している。つまり乗客は座席に激しく押し付けられたかと思えば、空中に浮くような状態を一定周期で体験している。機首の上下も20度機首上げから、15度程度の機首下げを繰り返している。傾きも右60度から左50度ほどの範囲を20秒あまりの周期で左右に揺れている。これはパイロットでなければわかりにくい表現かもしれないが、一般乗客なら悲鳴をあげてもおかしくない揺れ方と大きな姿勢の変化である。最新鋭タイプのジェットコースターでもこうはいくまい。 高度も激しいところでは毎分5300フィートの急下降をした直後に、毎分4千フィート以上の上昇を繰り返していた時期である。もし急減圧して客室の空気がぬけてしまっていて、機内が外気圧と等しい気圧になっていたとすれば、1分もしないうちにたいていの人が耳に痛みを覚えたはずだ。昔の与圧のない練習機で毎分2500フィート程度、急降下したことがあるが、耳がしばらく痛んだ経験が何度かある。 生存者はこの間も「まっ逆さま」という感じがしたと証言しているが、耳の痛みはもちろん詰まりさえ指摘していない。これも機内が与圧された状態にあり外気圧に等しい状態ではなかった、つまり機体に大きな穴など開いていなかったことを示している。 私のパイロットとしての経験から見ると、このあたりの飛行状態ではとても会話なんぞ出来ない。それに実際には事故調が低酸素症と言うほど会話が少ないわけではない。29分の前半には機長は5回発言し、副操縦士は4回、機関士は1回発言している。後半には確かに機長が1回しか発言していないが、30分には機関士が、客室のスチュワーデスと交信しているため、機長は小声で2回発言している。31分になると、機長は管制官とのやり取りと叫び声を含めると7回の発言があり、副操縦士は2回、機関士は5回発言している。32分には機関士が客席と3回にわたり長い会話をしている。 33分には3人で13回、34分には8回、35分には10回、36分には6回の発言が見られ、他の時間帯と比較して異常に少ないとはいえない。 これを事故調は低酸素症の証拠だという。報告書のFDR(飛行記録装置)の解読についての解説の中で、この会話の比較的少ない時間の直後には、これまで経験したこともないエンジンの操作だけでフゴイドを減少させることに成功した、と書いているにもかかわらずである。 「35分から37分ごろ、EPR(エンジン推力)の操作によりフゴイド運動が若干減少した」と、エンジンの推力操作だけによる機首の上下運動(フゴイド)の抑制に成功していることを認めている。低酸素症で能力の低下した頭で出来る操作ではないと誰もが指摘しているのであるが。
急減圧は計算上の産物
急減圧はすべて仮定の上に作られている。先ず事故調が行なったことは、垂直尾翼はどれぐらいの空気の圧力で壊れるかという実験である。 事故調査報告書では、垂直尾翼の柱に当たるトルクボックスの一部の模型を作り、その中に空気を送り込みリベットが抜けて空気が漏れると、そこを修理しながら、パンクするまで圧力を加えていった。その結果およそ4psi(圧力の単位で、この場合、1平方インチに4ポンドの力が加わること)の圧力で破壊することがわかったと報告書には書かれている。 このデータを前提に、尾翼の中が4psiになるには後部圧力隔壁に約2平方メートルの穴が開いたはずだと逆算をしただけのものである。 垂直尾翼を内側からパンクさせるように壊すには、客室から空気が流出したはずで、その結果、機内は毎分30万フィートの急減圧になったはずで、客室の気温は氷点下40度に下ったはずだというように、すべて仮定の計算で作られている。 事実の裏づけのない、仮定による計算だけである。 この点は、報告書の作成前、1986年4月25日に行なわれた聴聞会で図らずも明瞭になる。事故調が作った「事実調査に関する報告書の案」を学者や関係者に示して意見を聞く聴聞会で、機体構造学の専門家で工学博士である東京大学教授(当時)の小林繁夫氏は、概略以下のような問題点を指摘されている。
- まず、第lに、なぜ垂直尾翼破壊が起こったかということに注目する点から、海に落ちたと推測され、しかも事故原因解明に最も重要なかなりの部分が回収されていないのは非常に残念なことである。この部分が原因究明に最も重要であるということがわかっておりながら、約2ケ月半、海底捜査について何も手がつけられていないというのは、何ゆえか、という疑問を持っている。
- 垂直尾翼の大部分が倒壊するということを計算で説明するのは、かなり難しいことである。今回の報告書には強度計算結果が何も示されていないが、この辺の力学的な解析を行った上で、垂直尾翼の内圧による破壊について、納得のいく解答を示していただきたい。
- 今回の事故は、構造破壊に基因すると考えられ、従来の事故とは質的に違う。したがって、この聴聞会用の報告書には隔壁の破壊が先に起こったと仮定したときの圧力の伝播の時間的経過とか、構造についての強度計算結果を示してほしかった。
- 内圧による外板や後桁ウェブの破壊については、たわみによる面内力の発生を考慮した非線形計算をやらないと正しい答えが得られない。線形計算では、外板は、内圧によって曲げられただけで容易に破壊するという答えが出てしまう。
- 破壊の機構解明に重要な垂直尾翼の主要部分が海から回収されなかったわけだから、事故原因解明のためには、せめて、模型を使い、空気力の作用も考えた内圧による垂直尾翼破壊試験を行っていただきたい。
- 構造の立場からいうと、隔壁破壊と垂直尾翼の倒壊が、さらに防火壁を含む補助動力装置(APU)の脱落が同時に起こったとは考えがたい。DFDR(フライトレコーダー)と対照させて、どのような順序で起こったと推測されるのか。当然のことと思うが、垂直尾翼の全体破壊に関しては、局所的な外板剥離に伴って内圧低下が起こるわけで、それも考えに入れて計算されるべきである。
- また、部分破壊後、全体破壊につながるシナリオの一つとして、パフェッティング(異常振動)とかフラッターの可能性をも検討していただきたい。このことに関連して、垂直尾翼や方向舵のフラッターに関する調査結果を報告書に明記していただきたい。
- まとめとして、この事故は、構造に基因する、ほかに例を見ない事故なので、本事故調査委員会の報告書には世界中の航空機構造の研究者、技術者が注目している。専門家が納得いくような事故原因究明結果を出していただくようお願いする。
と言葉を選んで控えめながら、事実の裏づけがないことを理由に、この報告書が専門家の批判に耐え得ないことを指摘していた。 この123便事故の垂直尾翼破壊実験の筋書きは、根本的におかしなものがある。 ジャンボ機では垂直尾翼の取り付けられているセクション48と呼ばれている尾部は、その中に、APUで作られる高圧空気を通すパイプがある。このパイプが通っている周辺の構造物は、そのパイプが壊れたときに、まわりの重要な部分が破壊されないように、1.5psiの圧力にしか耐えられないように作られている。早い話、漏れた高圧空気を逃がすように作られているわけである。垂直尾翼の中が、4psiになる前に、飛行機の尻尾の部分のほうが先に破壊され空気を逃がし、尾翼を守る構造になっている。 事実この部分は丈夫ではないために、現在飛行中のジャンボ機でもここに波打ったような変形が見られる機体が少なくない。高圧空気のパイプが破れた場合に尾翼が壊れないフェール・セーフ構造(異常が発生してもそれが大きな破壊などにつながらない構造)になっている。これはジャンボ機の特徴の一つで、「安全神話」の根拠でもあったわけである。 もう、お解りいただけたことと思う。「空気が漏れるとそこを修理しながら(垂直尾翼が)パンクするまで圧力を加える」実験は、全くナンセンスなのだ。 もしも、本当に隔壁が破れたとしたら、この尻尾の部分だけが破壊されて、垂直尾翼は壊れないようにフェール・セーフが働くはずで、この点からも隔壁破壊はありえないことがわかる。隔壁破壊で垂直尾翼が飛んだとしたら、フェール・セーフは機能していないことになり、ボーイング社には設計上大きなミスがあることになる。 したがって、仮に隔壁が破れたとしても垂直尾翼は破壊されないのだ。この点については、整備関係者から、事故調の筋書きは間違っていると早い段階から指摘があった。 この尾部には、1.5psiで破壊されることを防ぐために、もう一段階下、1.0psiで開いて圧力を逃がすためのドア(プレッシャー・リリーフ・ドア)がついている。それは御巣鷹山の墜落現場で発見されている。飛行中にこのドアが開いていたとしたら、激しいダッチロールに伴う横滑りなどによって飛散する可能性が高いと思われる。それが墜落地点まで機体についていてそのヒンジ(蝶つがい)部分もあまり振動を受けたような傷は見当たらなかった。1.0psiの圧力を生む減圧さえなかったというのが事実なのではないか。
急減圧事故の本当の姿
この筋書きについては、日本航空のパイロットたちの間でも、全員が「緩やかな減圧はあったが、急減圧はなかったと思う」としている。 パイロットやスチュワーデスたちは少なくとも年1回、緊急時に対する訓練を受ける義務がある。その時に急減圧時の対策についても訓練を受ける機会がある。パイロットたちには定期的に実技の試験や訓練があり、シミュレーター訓練では、しばしば急減圧時の対処の訓練を受けている。 したがって急減圧が発生したときの状況、それに伴う現象などを熟知している。急減圧の厳密な定義はないが、多くのパイロットは、搭乗者の多くが耳に激痛を訴える程度の状態から毎分1万フィート以上の減圧を急減圧と考えている。 この事故の翌年の10月26日、土佐湾上空で、手投げ弾が機内で爆発して発生したタイ航空機の急減圧事故では、多くの人が鼓膜に損傷を受け耳の激痛を訴えた。このときは機内に突風が吹き抜け、雑誌や紙くず、衣類などが飛び散っていた事実が乗客の撮影した写真に記録されている。急減圧のときの耳が痛くなるのは降下のときに激しいが、健康な人であれば、減圧時にも耳が詰まる感じがする。急減圧では多くの人が「ドン」というような音を聞いており、体にもショックを感じている。何も感じないことは無い。減圧時の耳の痛みは、口をあけたりすると解消することが多い。 このタイ航空機の事故では、客室の気圧の変化は飛行記録装置に記録されており、毎分約10万フィートの減圧であった。日航123便事故で事故調が想定した減圧の3分の1の減圧であった。 この事例では、緊急降下時に毎分約1万3千フィートの降下をしており、そのときに乗客は、多くの人が耳を傷めた。着陸後も、ひたすら耳の痛みを訴える人々にテレビのインタビューなどとても無理だった。その後、機内を突風が吹き抜け、埃が舞い上り、いろいろなものが客室内に飛び散ったことがわかった。隔壁の少し前にあるトイレも壊れ、その中の備品が隔壁の後ろに飛び散っていた。 123便事故では、タイ航空の急減圧の3倍の急激な減圧があったとされているが毎分30万フィート程度の減圧では、「人間に嫌悪感を与えない」と事故網は報告書に記載している。タイ航空機事故の生還者の話からも、これは判らかに事実に反している。123便も墜落直前には、毎分3千フィート以上の降下を行なっている、もし機内の気圧が外気圧と同じように変化していれば、この程度でもかなり耳が痛くなる。風邪を引いて、鼻が詰まっている人の場合だと鼓膜が破れる危険性すらある。 加えて、日航123便の飛行していた2万4千フィートでは、外気圧は0.4気圧しかないわけで、気温の低下はもとより、低酸素症、通称酸欠に陥ることは避けられない。 他にも1989年2月24日、ユナイテッド航空のジャンボ機が、ホノルル離陸後、日航123便とほぼ同じ高度に達した時に、貨物室のドアが電気回路のショートによって開き、飛散してしまうという事故が起きた。ドアが飛んだときにその周囲の胴体に大きな穴が開き急減圧が発生した。機内の酸素システムは破壊され、酸素マスクは使用できなかった。客室乗務員の中には、酸素不足でめまいを感じたものが出た。客室内は激しい風が吹き、凍えるように寒くなり、機外に飛ばされそうになったが、近くのものにつかまったりして、吸い出されるのを防いだ。騒音が激しくてアナウンスは全く聞こえなかった。 タイ航空の事故と同様このユナイテッド航空の事故も、まさに123便事故の調査報告書通りの状況と言えよう。低酸素症、激しい風、凍える寒さ、激しい騒音、めまい、これが正真正銘の「急減圧」なのである。 これらの事故の例を見ても、急減圧を経験した人は皆、異口同音に、「風が吹きぬけた。機内が真っ白になった。耳が痛くなった。凍えるように寒かった」と答えている。どの事例からも、同じ現象が確認されているわけで、つまりこれらの事実が、生存者の証言で確認されなければ急減圧はなかったことになる。 このように123便事故の場合はそのほかの過去に起きた急減圧事故と比べても、全く異なっているのである。 酸素マスクが落ちているとか警報音が鳴ったというのは、いわば状況証拠であって、それをもって「急減圧」の存在の絶対性を言いたてるのは、ナンセンスな話といえる。 警報音にしても、機械の故障もあれば、別の原因、たとえば緩やかな減圧で作動することもある。 またパイロットは急減圧が発生すると、先ず何をおいても、酸素マスクを着用する。そうしなければ何時意識を失うかわからないからである。次にエンジンの出力を下げ、スピード・ブレーキで速度を落とし、車輪を下ろせる速度になれば、車輪を出し、機首を大きく下げて、呼吸するのに必要な酸素のある、1万3千フィート付近まで緊急降下を開始する。 事故機は緊急降下していない。伊豆半島沖で異常が発生したときにも、管制機関に要求した高度は2万2千フィートまでの降下である。通常、急減圧があったときに要求する高度、1万3千フィートではない。速度を落とす操作も行なっていない。なにより一番先にしなければならない酸素マスクの着用も行なってはいない。 これらの事実は、機内にいた航空知識の十分な教官クラスのパイロットとエンジニアが急減圧でないと判断していたことを示している。彼らが急減圧を認識できなかったことは、まずあり得ないと言ってもよい。 事故調査委員会の武田委員長は、テレビのキャスターから、「急減圧があったというが、パイロットが酸素マスクをつけていないが?」と質問されて、「酸素マスクをつけるより、もっと重大なことがあったと考える」と回答しているが、本当に急減圧があれば、もし酸素マスクをつけなければ、気付かない間に意識を失う危険があるので、それよりも、「もっと重大なこと」はパイロットたちにはない。
事故調査報告書には急減圧の証拠はない
事故調査委員会の報告書では、かんじんな急減圧があった証拠として、 @霧の発生(生存者の証言) B減圧警報の作動(ボイスレコーダーに1秒間だけ記録) C耳の詰まり Dプレレコーデッド・アナウンスの作動 などをあげている。 しかし、このいずれも「急減圧」があったことを裏付けるものではない。 まず、@の霧は急激な気圧低下でなくても緩やかな減圧でも発生する。客室の気圧調整に異常が発生して、霧が発生した例は時たま経験する。事故調の言うように毎分30万フィートという減圧でなくても、毎分9千フィートの減圧でも霧は発生した。むしろ霧は減圧の発生の証拠というよりも、気温が露の出来始める温度(露点温度)以下に下がった証拠に過ぎない。気温が少し下がってだけでも霧が発生することがあるのだ。 落合さんが話しているように、霧がすぐ消えたということは気温の低下が短時間で止まったということであり、空気の膨張が短時間しか起こらなかったことを意味している。 Aの酸素マスクの落下は、急減圧でなくても起こり得る。ときどき、あまり上手くない着陸をするとその衝撃で酸素マスクが落ちてくることがある。相模湾の上空で異常が発生したとき事故機は2G近い力を受けている。2Gという、体重が2倍になったような感じの力を受けるのは、下手な着陸より、もっと激しいショックである。酸素マスクが落ちても不思議ではない。酸素マスクの入っている箱は座席に座るとちょうど顔の前の辺りの上の位置にある。この蓋は、酸素の圧力で小さなピストンが作動することにより扉のピンを押して比較的簡単に開くようになっている。扉に少し心遊びがあるために一度上に押して下げると開きやすい。マイナスGによって一度上に上げられた後プラスGが加わると開きやすいとみられている。 Bの減圧警報の作動は、「ドーン」というような音がして異常発生した直後に1秒間だけ作動している。減圧警報というのは、客室の高度が1万フィートの気圧以下に低下したときに作動する(高度が上がれば気圧は低下する)。事故調査委員会は、これを減圧警報の音だとしているが、それならば1秒間だけ1万フィートの気圧以下に低下したことになり、5秒間で外気圧に等しくなったという急減圧は否定される。したがってこの警報音は急減圧の証拠ではない。 減圧警報でないとしたら、これは離陸警報である。飛行機は軽量化するために、多くのものを兼用している。離陸時にフラップを出し忘れないようにするための離陸警報は空中では必要ない。したがって、その警報ブザーを客室の気圧の低下の警報としても使っている。これを切り替えるのが車輪を取り付けているトラックと呼ばれる物の角度である。飛行中は車輪を収納庫の中に収納するために、車輪のトラックを収納庫に入るように特定の角度に油圧を使って保つ。着陸して機体の重さがかかるとトラックの角度が変化するために、地上に降りたときには離陸警報に切り替わる。 ところが空中でも油圧がなくなったりすると、車輪の角度がずれて空中で地上にいる状態になり、離陸警報になることが時たまある。異常発生の直後パイロットが最初に「ギアドア」と車輪のドアを指摘している。車輪のドアが開いた警報灯が、点灯した疑いがもたれる。車輪のドアが開くことは、車輪が収納位置からずれた可能性が高く、そこからずれると、飛行機が空中にあっても地面にいる状態に切りかわり、巡航中は離陸に必要なフラップは使用されていないので離陸警報として作動した可能性がある。空中で地上モードになると、操縦席でセットされた減圧率にしたがって、緩やかな減圧が発生する。その場合でも白い霧が発生する可能性は残る。 地上か否か?という問題は飛行機にとってきわめて重要な問題である。この機能の異常で、事故はしばしば発生している。事故に至らないまでも、油圧系統の故障のために空中で地上モードになり、減圧が発生した例も少なくない。逆に地上にあっても空中モードになっていてスピード・ブレーキなどが十分作動しないことや、客室の気圧が抜けないで、ドアが開けられなかった例もある。 Cの耳の詰まりについては、私は生存者の落合さんから直接、軽くしか詰まらなかったことを確認している。毎分約30万フィートの減圧は、耳だけでなく体にショックを与える。アメリカの減圧室を借りて、毎分24万フィートの減圧を行なったが、被験者たちは、「体にも耳にもドンというようなショックを感じた。華氏15度(氷点下10度)程度まで気温が低下した感じ。湿度が急に上がり、皮膚が湿る感じがした。作業も始めは普通に出来たが、30秒もすると、何か自分でも手が動いていないと感じた。そのうちめまいがして、気分が悪くなった。見えていることは見えているが、それが何かは理解しにくかった」と答えた。 Dプレレコーデッド・アナウンス(減圧時には客室乗務員も酸素マスクをつけるので、マイクを使ってアナウンスが出来なくなる。そのため機内の気圧が高度1万フィートの気圧以下に低下すると、録音された「ただ今、緊急降下中、マスクをつけて下さい。ベルトを締めて下さい。タバコは消してください。ただ今緊急降下中です」というアナウンスが、自動的に客室に流される)が、作動したことを急減圧の証拠としているが、これは必ずしも自動でなく、客室乗務員が操作して作動させられるし、全員がマスクをつけたことを確認できれば停止することも出来る。この事故では、最初の段階で客室乗務員がマイクを使ってアナウンスしていることから考えても、これが作動したから急減圧が起っていたとは言い切れない。酸素マスクが落下したのを見て、自分でアナウンスした後、客室の気圧が1万フィート以下に低下して作動した可能性がある。 いずれにしても5点とも急減圧の証拠にはなり得ない。 私が、内部告発者から入手したファイルには1985年9月17日に多野総合病院で行なわれた、航空自衛隊の便箋に書かれた、防衛庁の小原医官による落合さんに対する質問記録が存在することは第5章に述べた。最も重要な証言である。
小原 | 減圧が起こったことは起こったけれども、いわゆるものすごい急減圧という感じではない。 |
落合 | そうです。はい。 |
小原 | 今思い出してどうですか、貴女は急減圧の経験が無いから… |
落合 | 無いです。 |
小原 | 今度が初めてだからわからないだろうけれど…… |
落合 | ただ、あの、耳がバッと痛くなって、バーッと機内が真白になってっていうふうに習ってますけど、それから考えると、それほど、まあ詰まった感じはしたんですけれどもね、一瞬、あのキーンて痛いって感じでもなかったし、真白って感じでも、モワーっていう、それもわりと短い時間でしたので。それと比べると……あの……急減圧っていう……いうよりも…… |
小原 | (急減圧)っていう感じではない。 |
小原医官から「貴女は経験が無いからわからないだろうけど……」という趣旨の誘導尋問を受けても、落合さんははっきりと具体的な点を上げて、軽い減圧はあったが激しい急減圧はなかったことを述べている。
疑問だらけのボイスレコーダーの解読記録
8月27日、航空関係者や国民の反応を見るかのように、「隔壁破壊、急減圧」をほのめかす経過報告と共にボイスレコーダーの解読が公表された。 この経過報告に対して、ジャンボ機のメーカーであるボーイング社は「わが社の調査員が調べたところ、問題の隔壁は機体が地面に激突した衝撃で機体から分離したもので、金属疲労や腐食の兆候は見られない」と反論している。 しかし、9月6日には一転してあっさり修理ミスを認める会見を行なった。 私は、この態度にアメリカの企業の対応としては異例なものを感じた。すぐ謝罪し、金で解決しようとする日本企業と違い、一般に欧米の会社は過失を認めたがらない。 隔壁破壊を否定した8月27日から修理ミスを認めた9月6日までの10日間に、ボーイング社ではどのような議論があったのだろうか。いずれにせよ、方針変更の遅い日本の企業と比べると鮮やかすぎる変わり身の早さであった。 ボーイング社が修理ミスを認めても、問題は解消したわけではない。急減圧があったという証拠は相変わらずどこにも見あたらなかった。 事故から、1週間が過ぎた8月19日、事故調はボイスレコーダーの簡単な解読を公表したが、時刻が一致せず、粗解読とはいえあまりにも不十分なものだった。事故調にこの解読で誤りはないのかと電話で問いただしたところ、仮解読でありまだ変更があるかもしれないと返事が返ってきた。 私は、8月27日の経過報告と共に、ボイスレコーダーの解読記録が公表されたことによって多くの疑問が解けるものと期待していたが、その内容に失望しかけていた。 これによれば、異常発生時の「ドーン」というような音に続いて、減圧警報、あるいは離陸警報の警報音が1秒間だけ鳴っていた。 1秒間だけの減圧警報の作動、それはありえないと誰もが思った。もしも、本当に1秒間だけ気圧が低下したのであれば、中にいる人は、激しい耳の痛みを経験したはずである。落合さんが言うように軽く詰まったなどという程度では済まされない。耳が痛くなるのは、鼓膜の内外の気圧差によるもので、気圧が高いか低いかでなく、変化速度が痛みに影響する。1秒間だけ1万フィートの気圧になりまた元に戻るのは、かなり激しい気圧変動になる。 パイロットたちの間では、自動操縦が切れたときの警報音ではないのか?という声があがった。自動操縦が手動に切り替わると、警報音が作動する。油圧がなくなると自動操縦が切れるところから、この警報音を減圧警報と聞き違えているのではないかなどの指摘が多く聞かれた。自動操縦の警報音は、ブザーの音が違い、ボイスレコーダーを聞けばすぐにわかる問題であった。しかし残念ながら、事故調、警察は、航空関係者にはボイスレコーダーを聞かせなかった。 また、このボイスレコーダー解読記録の中に、「R5の窓ですか?」と機関士が客室乗務員に確認している部分が大いに注目された。 これは機関士が社用無線(カンパニー・ラジオ)を通じて「R5ドア ブロークン」と報告する内容だったため、あるいはドアの破損が墜落につながる原因となったのではないかと推論する航空評論家も非常に早い段階から現れた。他方、ドアが壊れたのではなく、窓の破損を意味していたのではないかとも考えられた。 ドアについている窓ガラスにあたるものはアクリル系の樹脂で作られたもの(パネル)で、非常に厚く、しかも二重になっていて、そう簡単には壊れない。飛行中は数百キログラム程度の力が加わっているが、びくともしない。 しかし、私が墜落現場で見たときには、窓のパネルはなくなっていた。ドアは窓以外にも損傷はあるものの、おおむね形が残っていた。そこで、ドアが変形したのではないかという指摘があった。垂直尾翼が破壊するときに胴体を捻るような力が加わり、ドア自体を変形させ、その結果、窓の枠も変形しパネルに歪みを生じさせて破損に至ったのではないかという指摘だった。 ところで、もしも窓が壊れて穴が開くと、そこから流出する空気のために、かなり激しい音がしたはずである。外国の事例では、風の音がうるさくてアナウンスも聞こえなかったという証言もある。しかし落合さんは、アナウンスや付近の会話も特に困難なく聞いており、空気の流れも感じていなかった。すでに書いたように異常発生以降、特に変わった音を聞いていないことなどから見て、窓は破れずに、パネルにひびが入った程度ではなかったかと私は推察する。 この推定は機内にいた落合さんが、後ろのトイレ付近の天井に近いところの壁が剥がれて半分落ちていたと証言している点とも一致している。また円筒形の胴体の後部がねじれ、変形すると、その中に取り付けられている壁面パネルも変形して外れることは想像に難くない。 事実、現場から回収された後部圧力隔壁自体に捻れた時に出来た波型の変形をはっきりと見てとることができた。このような変形は紙を筒のように巻いて軽く捻ってみると斜め方向にしわがよるのと同じことである。このしわのような変形は、空中で破壊されたとされる隔壁の裂け目を越えて同じように見られ、墜落時の衝撃で生じた「捻れによる変形」とは私には思えなかった。
写真が否定する事故調の説明
ボイスレコーダーに記録されていた福田機関士の言葉「R5の窓ですか」という部分を後に、事故調査委員会は「R5のはまだですか」に訂正する。 この解読については、事故調から直接は得られなかったが、『悲劇の真相』の中では、事故調査官から聞いた話として、「R5のはまだですか」というのは「R5付近の酸素マスクの具合はまだよくならないか」という意味だったと説明されている。生存者の落合さんらの証言によると、R5ドア付近の乗客用酸素マスクは酸素の出がよくなかったので、R5担当のスチュワーデスが、自分の使う携帯用の酸素マスクを客に渡して、自分は酸素の出のよくない乗客用のマスクをつけて乗客を励ましていたのだとされているが、そもそも揺れる機内で乗客に酸素ボンベを持たせることはしない。それに落合さんのL5(左側最後部ドア)側の席からR5のほうはよく見えない。どうしてこういう話が作られたのだろうか。 この記事を示して、私は数十人の客室乗務員に質問を繰り返した。すると逆に、ほとんどの人が「R5のマスク」とは何か?と私に聞き返してきたし、大部分の人は「解らない」「そんなものは無い」と答えた。 R5のマスクという言葉は、事故調の中では通じても、実際に運航している乗員の間では通じない。また落合さんが座っていたのはR5(右側最後部ドア)付近でなく、反対のL5側である。彼女が、アメリカのNTSBのサイドレン調査官と日本の事故調の森本調査官に、8月27日に語ったのは、「L5担当のスチュワーデスはどのようなことをしていたか?」という質問に対して、「バーンという音の後、ちょっと揺れましたので、自分のマスクをかけて座席に座り、酸素を吸い、ちょっと落ち着いてから、予備のマスク(座席の数より1個多い酸素マスクが装備されている)がぶら下がりますので、それを吸いながら、お客様のケアを行ない、横揺れがひどくなったので、空席に座って、ひとりで救命胴衣をつけていた」と語っただけである。それ以外の生存者は、このことについてなにも話をしていない。 L5を担当していたスチュワーデス(資格としてはアシスタントパーサー)は、対馬祐三子さんであった。アナウンスを担当し、緊急時のアナウンスのメモなどを残していた人である。『悲劇の真相』に「真相」を語ったというこの事故調査官は、明らかに右と左を取り違えており、ポータブル酸素ボンベをお客さんに渡したというありえない美談″もあまり機内の事情を知らない人の創作のように見受けられた。そもそも一体「R5の酸素の出がわるい」という事実は、何によって確認したのだろうか? 事故後5年が経って、犯罪捜査の時効が過ぎ、警察に押収されていた機内の様子を写した写真が公開された。写真を撮ったのは亡くなった小川哲さんの家族で、公開したのは遺族である長男の領一さんだった。彼とお話しする機会があり、座席の位置なども伺った。確認したところ、落合さんとちょうど反対側の、座席番号56のHとK付近に家族で着席されていた。その写真の一枚にはR5担当のスチュワーデスが写っている。ここでもはっきりと携帯用の酸素マスクを着用していて、事故調の人間が読売新聞の記者に説明したことを否定している。警察は事故調にもこの写真を見せなかったのだろうか?



乗客だった小川さんが撮った事故発生後の客室後部 (本書より)

車輪の異常を指摘したパイロットの声
ボイスレコーダーの解読の中で、私が最も注目したのは、事故発生の「ドーン」という音の直後にパイロットたちが発した言葉である。 機長が「なんか爆発したぞ」「スコーク77」と緊急信号の発信を指示し、副操縦士が「ギア ドア」(車輪の収納庫のドア。機関士への指示)と述べたあと、機長が「ギアみて ギア」を二度繰り返し、副操縦士が「スコーク77」を発したあとで、機関士が、「オール エンジン……」という言葉を発しているのである。そして、機長の指示を受けてから20秒後に、機関士が「ギア ファイブオフ」(車輪が5本とも正常であることを確認)と答えている。 機長が重ねて「車輪を確認しろ」と指示しているのに、「オール エンジン……」というのは全くかみ合わっていない。これは明らかに解読の間違いではないか、と思われた。多くのパイロットにも聞いてみたが、これでは意味が通じない、という。 音声データが手に入れば、なんとか解読をしてみたいと思っていたところ、事故から10年あまり経った頃に、差出人不明のカセットテープが自宅に郵送されてきた。しかし、このテープは録音レベルが低すぎてとても解読できるものではなかった。 その後しばらくして、今度は私の家の郵便受けに別のVTRカセットが郵送ではなく直接投入されていた。これは、映像は勿論ないが、録音状態は良好であった。それを何度聞いてもこの部分は「オール エンジン」には聞こえず、「×× ギア」と聞こえた。ほかの乗員にも何人か聞いてもらったが、「ボディ・ギア」ではないかというものが多かった。 そのボイスレコーダーの音声テープはマスコミ関係にも流されたようで、このVTRカセットの音声と同じものについて、以前某テレビ局の仕事をしていた知人からテープの真偽のほどを鑑定してほしいと頼まれたことがあり、ちょっと聞いただけですぐに本物とわかった。ただ私のところに来たものとテレビ局から持ち込まれたVTRテープは録音中に速度が変わっている部分があり、出どころは違うのかもしれない。 このテープの情報によって、事故調の解読に、疑問点があることがわかった。その頃あるプロダクションから、まじめな方向でこれを取り上げて私の調査に協力してくれるという話が持ち上がった。私にとっては願ってもない話で、私の持っているような不十分な機械でなくよい設備のあるところで分析してみたかった。それまで私は個人的に、日本の中で設備のあるところに協力を依頼しに行ったが、日航機事故の関連とわかると、遠慮するところが多かった。 そこでプロダクションの方では、外国への持込みを考えていた。そしてカナダにある民間の航空事故調査会社に依頼することになった。 この会社には特技を持ったメンバーが多く、物理学者、音響の専門家、コンピューターの専門家が在籍していた。ボイスレコーダーの解読を担当してくれたムーア氏は音響解析のソフトを使って、子音と母音を一つ一つ識別する能力を持っていた。彼は事故調の「オール エンジン」との解読はありえないという。これは音節の数が違っているし音も全く違う。後半は誰が聞いても「ギア」と聞こえたという。 外国人の二人は「プル イン ギア」(pull in gear)ではないかと言ったが、そういう言葉は日航では使わないので、結局「ボディ・ギア」(body gear)ではないかということに落ち着いた。 これは余談になるが、この会社では特殊なソフトを持っており、ボイスレコーダーの中に録音されている、金属の中を通ってきて跳ね返り干渉を起こした振動を解析し、音の発信源の位置を特定することを得意としていた。それによって日航123便事故の音の発信源を算出したところ、隔壁後方10〜20インチ(25〜50センチ)と計算した。しかし、事故機の正確な構造図がなかったので一応の参考に留まった。 確かに音は金属の中を空気中の何倍も早く伝わる。アルミでは秒速3千メートルから6千メートル程度あり、ボイスレコーダーのほんの最初の部分でもかなりの情報が含まれている。これからは音響解析はさらに進み今までわからなかったことがボイスレコーダーから解析できると期待が高まった。
海底捜索は必要ない?
日航123便の事故現場は、御巣鷹山ではない。御巣鷹山は墜落現場である。事故が発生したのは、伊豆半島の稲取に近い相模湾上空で、垂直尾翼が飛散し海上に破片が落下した。一部は伊豆半島や飛行経路に沿って落下し発見されている。 事故原因を究明するためには、出来るだけ多くの破片を回収し、その破断面などを調査することによって、どのような力で破壊されたかを明らかにしなければならない。 ところが事故調は、相模湾からの破片の回収にあまり熱心でなかった。私たち乗員や整備士は、政府に対し繰り返し相模湾の調査を要求した。聴聞会でも学者や関係者から海底捜索の要望が出されていた。しかしなかなか応じなかった。 私たちは潜水艇をチャーターして我々の手で調査することまで検討した。そのためか、事故から3ケ月経った、11月になってようやく、事故調は海中作業実験船の「かいよう」にサイド・スキャンソナー(船が通過するコースの両側を見ることが出来る装置、パスコ社の製品が使われた。沈没船捜索や水中の宝探しに使われる)と深海用のカメラを使用して捜索した。事故から3ケ月も経っているのに、あまり広い範囲は捜索されていない。この付近は、せいぜい水深600メートル以下であり、イギリスなどでは4千メートルの深さからの回収も行なっているというのに。 『悲劇の真相』によれば、この海底捜索は、私たちパイロットが「海中捜索が不十分ではないか」と指摘したことに対応する意味もあって行なわれたものであった事が述べられている。 やはり言わなければやってくれなかったのだと、努力が報われた気がした。 ところが、この本の中に、ある事故調査官の発言として次のように記されていた。 「機体の残骸を見ても、APU取り付け場所付近には、焦げた痕跡や、APUの部品が刺さっているなど爆発を思わせるようなものはなかった。APUにくっついていた ダクトにさえなかった。だいいち、APUはふつう、着陸している時に使い、飛行中は動かさないものでしょう。なぜ、それが飛行中に爆発する可能性があるんですか。(あれ以上の捜索は)必要性がなかったからやらなかっただけのことですよ」と強調されていた。 APUというのは、エンジンをかけていない時に機体に電力や圧搾空気を供給する補助動力装置のことであるが、この周辺部の破壊過程についてはほとんど究明されていない。構造力学の専門家である、東京大学教授、工学博士の小林繁夫氏からも、この事故に関する聴聞会の席上、 「なぜ垂直尾翼破壊が起こったかということに注目する点から、海に落ちたと推測され、しかも事故原因解明に最も重要なかなりの部分が回収されていないのは非常に残念なことである。この部分が原因究明に最も重要であるということがわかっておりながら、約2ケ月半、海底捜索について何も手がつけられていないというのは、何ゆえか、という疑問を持っている」と厳しい指摘を受けたことは、すでにこの章の前半に詳述した。聴聞会での意見は、一方的にしゃべらせて聞き流すのではなく、事故調側も真剣に受け止めなくては意味がなかろう。 尾翼付近の破壊過程から見て急減圧の推定に疑問が出され、垂直尾翼とAPU部分の破壊が同時に起こったとは考えにくく、尾部の破壊過程の解析が不十分であると指摘されている。 事故調は、この事故の調査報告書の中で、方向舵の破壊過程について「方向舵の残骸は回収されたものが少なく、上下方向舵の圧着痕の発生経緯を明らかにすることは出来なかった」とはっきりと海中からの回収が不十分であったために、調査が出来なかったと認めている。 あるときには 「あれ以上の捜索は必要ない」あるときは 「回収が不十分だったため」ただの言い逃れで、こんなことがまかり通ることには暗たんたる気持ちになってしまった。 実はこの報告書には前橋地方検察庁も頭を抱えていた。前橋地検が関係者全員の不起訴処分を決定したことを受け、遺族会は不起訴理由を明らかにする「説明会」開催の申し入れをした。 以下は、それを受けて行なわれた、1990年7月17日の5時間にわたる説明会での検事の発言の一部である。
「私は、検察庁での大ベテランといわれている。ロッキード事件の時、日本では刑事免責制度がないが、免責をし、嘱託尋問をして、田中角栄を逮捕した。大企業の脱税事件、リクルート、三越事件、リッカーミシン、平和相互銀行その他、大きな事件には全て関与し、年間逮捕者No.1(72人)の実力がある。今回この実績をかわれて、昨年9月日航機事故の捜査をすることになった。この時すでにNHKは、”検察庁、不起訴か”という報道をし、どうなっているのかと思った。捜査会議を開いたら部下の検事は、だれ一人(だれもが?)この事件は起訴できないといったが、私は、いろいろな角度から捜査をした。それで11月までずれこんだ。 その結果解ったことは、修理ミスが事故の原因かどうか相当疑わしいということだ。事故原因はいろんな説がある。タイ航空機の時には、乗客の耳がキーンとしたという声があったが、今回にはない。圧力隔壁破壊がいっぺんに起こったかも疑問である。 まず、ボ社が修理ミスを認めたがこの方が簡単だからだ。落ちた飛行機だけならいいが、他の飛行機までに及ぶ他の原因となると、全世界のシェアを占めている飛行機の売れ行きも悪くなり、ボ社としては打撃をうけるからだ。そこで、いちはやく修理ミスということにした。 事故調査委員会の報告書もあいまいだと思う。皆さんは我々が本当に大切なものの資料をもっているようにおもっているが、資料は、事故原因については事故の報告書しかない。それを見ても真の原因は解らない。それ以上のことは、法学部出身の我々に解るはずがない。我々が調べたのは乗っていた人の調書等、日航の調書、飛行機の破片、遺体の資料等、キャビネット20本以上もある、それは見た、でも何もわかりませんよ。 今日これから資料をお見せしてもいいです」
このように、検察側も「事故調査報告書」がとてもまともな代物ではないことはよく解っていたのである。自分の検事としての能力に絶対の自信を持っているこの切れ者をもってしても、結局、誰も起訴など出来るはずがないことは明白だった。 読んでいると、検事の真面目な発言ぶりは今となってはユーモラスでさえある。いささか穿った見方をするなら、事故調は日米両国の誰一人として起訴される者が出ないように、こうしたわけの解らない「報告書」を作ったのかも知れない。そのように思われて来るのだ。
(筆者注:なお、上記の伊豆半島の沖合の海底に沈んでいると見られる事故機の残骸が、相模湾の静岡県東伊豆町沖合二・五キロメートル、推定飛行ルートの真下、水深百六十メートルで発見されたという報道が、事故から30年後の2015年8月12日にテレビ朝日系のANNニュースで流れた。下記の「ニュース映像を観る」をクリックすると確認ができる。)
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