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藤田日出男『隠された証言 日航123便墜落事故』

(新潮文庫 2006年8月1日刊)

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第7章 急減圧は、やはりない

 

6回の減圧実験

 事故直後から始まった、事故調から新聞・テレビへの情報提供による「隔壁破壊・急減圧」宣伝に強い不安を覚えた。
 機内にいたパイロットが急減圧とは認識していない。急減圧は居眠りしていても、叩き起こされるような激しい現象で、素人でもわかる。
 急減圧が発生しても気が付かないということは、乗員が教官クラスのベテランであったことを考えるとあり得ないと言える。
 この事実をどうすれば多くの人に理解してもらえるかを考えた。それには公開で減圧実験を行なって、テレビなどで放映するのが一番有効だと考えた。もちろん国に対しても公開の減圧実験を要求した。
 毎分30万フィートの急減圧と、それに続く2万フィート以上の高度を18分飛び続けることは、事故調査委員会が言うように「人間に直ちに嫌悪感を与えるものではない」のか否かを明らかにする必要があった。毎日飛行機に乗って運航している乗員にとって、この問題だけはどうしても疑問のままおいておくことは出来なかった。
 事故機のパイロットたちは、急減圧のときに真っ先に着用すべき酸素マスクを着用していなかった。急減圧のときにすべき、酸素の十分ある1万3千フィートへの降下を管制官に要求せず、2万2千フィートまでの降下しか要求していない。
 客室乗務員として教育訓練を受けている落合さんが、耳は軽く詰まった程度、機内に空気の流れはなかったと手記の中にも書いている。
 落合さんは異常発生から10分経った頃酸素が出なくなったが、別になにも感じなかったと述べている。ここはどうしても、急減圧の実態を明らかにする実験が必要だった。
 

「有効意識時間」

 事故後2週間ほどして発表されたボイスレコーダーの解読記録では、「ドーン」という異常発生から9分以上も経って、「マスク我々もかけますか」とのんびりとした会話が記録されている。本当に急減圧があれば9分もすれば意識がなくなっている。
 そこで、私は、2万4千フィートの高度では、どれくらい酸素マスクをつけないで、正常な活動ができるかということを先ず確認する必要があると考えた。
 私たちはパイロットになるためにいろいろな教育を受けるが、その中に簡単な航空医学が含まれている。そのときに習ったのは、高度2万5千フィートの気圧では、酸素マスクを着けていなければ、「3分から5分で正常な作業は出来なくなる(この時間を「有効意識時間」という)。もしもその中で酸素をたくさん使う、力仕事をすればそれだけ早く意識を失う」と教育された。日航に入社して防衛庁の教官に同じことを教えられた。どの国の航空関係の教科書を見ても同じように書かれている。
 フライトレコーダーの記録によると、事故機のパイロットは、2万フィート以下に降下するまでに150回ほど操縦桿のハンドルを左右に動かし、前後にも数十回程度は動かしている。これはかなりの力を要する仕事で、酸素消費を増大させる。9分も酸素マスクなしでこんな作業をしていたら、意識がなくなっても不思議ではない。
 基本的なところに誤りがあるので、すぐに誰かが気がつき訂正するだろうと私たちは、軽く考えていた。たとえば、「週刊新潮」(85年10月10日号)には、東京大学工学部航空学科教授の近藤恭平氏が次のようなコメントを寄せている。
 「だから、あの修理ミスによって金属疲労が生じてやがて亀裂が生じ、さらにはバラバラになったということは起りにくいと思われるのです。しかも、隔壁が爆発したとしても、はたして尾翼が吹っ飛んでしまうかどうかです。ある構造力学の教授はジャンボの設計図を見て、その尾翼部分の内部構造を指さして、“ピストルのサイレンサーにそっくりだ”といったんです。ということは、隔壁爆発が生じても、衝撃波の力は減少してしまって尾翼に損傷を与えるまでには至らないということではないでしょうか」
 ところがその年も12月になると、テレビ報道などは急減圧説に傾斜していく。これには多くの航空関係者が驚いた。何とかして急減圧がなかったことを世間に明らかにしなければならないと、私たちは対策を考えた。
 

第1の実験 マウスを使って

 私たちは、とりあえず動物実験である程度の見当をつけようと思った。マウス(はつかねずみ)なら実験動物としてのデータも多いし、小型であるために実験装置が小さくてすむと考えた。
 飛行機の胴体に当たる部屋はガラス張りで外から見えなければならない。そこでガラス製のデシケ一ターを使用することにした。水分を嫌う薬品を保管するときに使う、肉厚のガラスで出来た直径25センチ程度のガラス瓶のようなものである。
 ふたの部分には穴があり、そこへ丈夫なゴムホースと気圧計をつけた。機外の空気にあたる部分に低い気圧を作り出すものとして、直径40センチほどのデシケーターを用意し、その上の部分に圧力計と、2本のパイプをつなぎ、1本は空気を抜き取るポンプにつなぎ、もう1本は小さいほうのデシケーターに、開閉できるバルブをゴムホースの間に取り付けてつなぎ、バルブの開閉によって気圧の変化する速度を調節できるようにし、客室に当たる小さいほうのデシケーターにマウスを2〜4匹入れて、実験をすることにした。
 事故の翌年の4月、実験準備が出来上がり、何度か実験を繰り返した。
 まず、実験結果が世界的に認められている人間の「有効意識時間」とマウスの場合ではどの程度の差があるのかを確認するために、3万5千フィートの気圧までゆっくりと低下させていき、マウスの動きを観察した。
 3万5千フィートの気圧下でデシケーター内の2匹のマウスのうち、1匹は35秒から動かなくなり、50秒近くで横になった。他の1匹は、42〜44秒で突然倒れた。1分12秒ごろ、先に倒れたマウスに排尿が見られ、2匹とも1分20秒ごろ鼻の動きが止まり、呼吸が停止した。気圧を元に戻したが、2匹ともすでに死亡していた。解剖の結果、体の各所の血管の色が正常より少し白っぽく見えたが、肺には出血がなく、低酸素症による死亡と考えられた。この実験を2度繰り返したが、ほぼ同じ値を示した。この場合、「有効意識時間」は42秒から50秒付近と推定され、人間の場合の45秒に近い。実験結果から得られたデータは、人間の場合と比較して意味のある数字と判断した。
 次に実験の目的である、2万4千フィートへの急減圧実験を、4匹のマウスを使って行なった。地上の気圧から2万4千フィートの気圧へ、5秒かけて減圧した。この5秒という数字は、航空自衛隊の航空医学実験隊が、事故調から依頼されて日航機事故の調査を目的に行なったときの実験データに準拠したものである。
 2万4千フィートの気圧に達した後、事故機と同じように2万2千フィートまでの間で緩やかに気圧を変化させ、20分後に1万フィートの気圧まで上昇させることにした。
 急減圧時にマウスは跳ね回り、これは減圧症の全身へのショック反応であると見られた。あるいは「ベンズ」と呼ばれる減圧症かとも考えた。ベンズは、栓を抜いたときのサイダーかビールのように、血液中に溶けている窒素が、気圧の低下に伴って血液中に気泡をつくり血管や周囲の組織を圧迫して起こる激痛を伴う症状である。人間の実験ではこの危険を避けるために、事前に100%酸素を30分以上、呼吸することによって、血液中の窒素を抜いておく。これを脱窒素と呼んでいる。マウスでは血液中の窒素を抜いていないので、ベンズという現象が起こりうるわけなのだ。
 4匹のうち、1匹は20秒で倒れ、脚に痙撃が見られた。その直後に呼吸が停止した。
 他の3匹は、早いものは1分過ぎた頃から動かなくなり、1分20秒ではすべて動かなくなった。同時に呼吸が異常に早くなったのが観察された。
 気圧を上げて2万フィート付近になると、少しではあるが、耳・足を動かすようになった。1万5千フィートでは歩こうとするような動きが始まり、1万フィートでは3匹とも歩き始めた。
 1分45秒で倒れた1匹は、地上の気圧に戻しても動かず、死亡していた。
 死亡した1匹を私が解剖した結果、肺に僅かではあるが点状の出血が見られ、胸腔内の体液にも血液が混入していた。この1匹は肺から膨張した空気がスムーズに排出されず、肺胞破裂があったものと考えられた。このような実験を、条件を少しずつ変えて繰り返し、7回以上行なった。急減圧でなく緩やかな減圧ならば、マウスは2万4千フィートで2分半から3分は意識があることが確認できた。マウスの場合は人間と違って、正常な作業が出来る時間(有効意識時間)はわからないが、動かなくなるまでの時間をとった。
 この実験から、急減圧が始まって2万フィート以上の高度を18分間以上も操縦桿に力を入れて操作し続けることはどう考えても不可能であると判断した。
 ここでも日航123便には急減圧がなかったという我々の判断に自信を深めた。

 

第2の実験 「幻の航空自衛隊減圧実験」

 ここで取り上げた減圧実験は、航空自衛隊の航空医学実験隊で行なわれたものであるが、日時ははっきりしていない。
 この実験のときの被験者本人が、1986年11月25日、航空医学実験隊に見学に訪れた日本航空の機関士に語ったところでは、
 「日航機事故を想定して、650フィートの気圧から、2万4千フィートに5・3秒(計画では7秒)で、急に気圧を下げたところ、今までに経験した事がないほど肺から空気が吸い出され、酸素不足のために、すぐに(視界が狭くなって)まわりが暗くなり酸素マスクをつけて酸素を吸った」
 という。かなり激しい減圧であったことは間違いない。このときの会話は、機関士会の会報に記録が残されている。
 この実験には後日談がある。実験の内容を口外したことは理由になっていないが、「外部での仕事で謝礼を受け取った」として、自衛隊はこの被験者を実験隊から解任したという話が漏れ伝わってきた。
 

第3の実験 「急減圧でも操縦可能」

 事故調は、航空自衛隊の協力を得て、機内に減圧が発生した場合、人体にどのような影響が及ぶか実験した。その結果、減圧しても顕著な心身機能の低下は起きなかったことが確認されたという記事が、1986年8月7日の読売新聞に掲載された。
 実際は、パイロットたちは全くマスクを着用していなかったにもかかわらず、この記事では、パイロットは9分間マスクをつけていなかったと、事実と違う条件で実験したような記事になっていた。
 この実験は私たちが、「酸素マスクを着用しなければ、心身の機能低下が起るはずだ」と述べていたことに対する反論の意図があったらしい。読売新聞社から出版された『悲劇の真相』によれば、「日乗連(日本乗員組合連絡会議)の主張通りなら、隔壁引き金説は崩れ去りかねない。それだけに、事故調の意気込みには、ただならないものがあった」と書かれている。
 ただならない意気込みの実験は、5人が、21.5立方メートルという容積のごく狭い減圧室に入って行なわれた。その結果は意識喪失は発生せず、減圧開始から2万フィート以下の気圧に降下するまで、18分間酸素マスクをつけていなかった被験者の小原医官は「低圧環境に対する反応は個人差が大きい、私は高度2万4千フィートくらいの減圧時でも、特に体に異常を感じるようなこともなかったですよ」と語っている。
 しかし、この実験を行なった航空医学実験隊の作成した「航空整理訓練(一般訓練)」用の教科書には次のような記述がある。
 
 2万フィート以上は危険域とされ、動脈中の血液が酸素を取り込める量の70%以下になる。この値は90%以下になると種々の障害が現れ始める。この障害を防止するには酸素飽和度を90%確保することが必要で、そのためには肺胞(肺の中で酸素を取り込んでいる部分)の中での酸素の圧力を60ミリHg(水銀柱を押し上げるだけの圧力)以上に保つ必要がある。
 
 この肺胞内の酸素圧が、60ミリHg以下になるのは1万フィート付近で、そのために減圧があったときには緊急降下して酸素マスクの必要でないその高度付近まで降下する。2万フィート以上では、肺胞の中の酸素圧は40ミリHg以下になる。したがって当然危険な状態になるはずである。たまたまこの減圧実験の被験者に異常がなかったとしても、平均的人間に当てはめられるとは限らない。酸素が物理的に取り込める圧力以下になっている。
 この減圧実験結果を、パイロットたちは誰も信用しなかった。小さい減圧室に5人を入れて、事前に「窒素」を抜くために30分以上100%酸素を吸入させていれば室内の酸素濃度は次第に濃くなってくるはずだ。
 酸欠になるかならないかは、高度の問題ではない。気圧が40%まで低下していても酸素の占める割合が高ければ、酸欠にはならない。100%酸素を吸っている人が小さな部屋に5人もいると時間と共に酸素は増えてゆく。
 酸素が多ければ人間の能力は低下が少なくなる。小原医官ひきいる自衛隊チームが総力をあげて行なったこの実験には、このように根本的なミスがあった。
 この結果を、ある外国人パイロットに話したところ、「その被験者は“クラーク・ケント”という名前に違いない」と言って笑っていた。つまりスーパーマンでもなければ、そんな結果にはならないというジョークであった。
 

第4の実験 アメリカで想定した減圧実験

 事故から10年以上が経過した頃、私のもとに一通の英文の手紙が送られてきた。差出人は書かれていたが、外国人で名前に心当たりはなかった。手紙は英文で書かれており、私が急減圧に関するデータを集めていることを聞いた、興味がありそうな資料を見つけたので送るというものであった。この資料のほかに減圧事故の報告書も2件同封されていた。
 
 「減圧実験」
 100%酸素を吸って血液中の窒素を減らした被験者2名が、減圧室に入り、4千フィートから2万4千フィートまで約5秒間で減圧した。一人は減圧後すぐに酸素マスクを着用し、他の一人はマスクをつけずに、簡単な作業を90秒間行なった。その結果は地上の気圧のもとで行なった作業よりも33%能力が低下した。別の作業を1分半行なったが、被験者は減圧開始後3分51秒でマスクを着用した。
 
 このデータは明らかに、日本の事故調査委員会が行なった実験に近い条件である。
 しかし報告書の結果とは大幅に違っている。
 

第5の実験 テレビ局の協力で行なわれた実験

 1998年の暮れに、私が希望していた減圧実験にテレビ局が全面的に協力してくれる話が飛び込んできた。一時間の特集番組である。減圧実験は、ほぼ私の計画通り実施できることになった。私が長い間考えてきた減圧実験であり、いささか興奮気味であった。
 1999年2月、私はテレビのディレクターやカメラマンと共に、アメリカのノースダコタ大学に向かった。ミネアポリスまで直行し、飛行機を乗り継いで、グランド・フォークスの空港に到着した。
 気温が氷点下20度付近で、久しぶりに経験する寒さだった。翌日、大学の減圧実験を担当する、1500回もの減圧訓練の経験のある、ジャンセン氏と私の実験計画について話し合った。
 やはり地上から2万4千フィートへの減圧は賛成できない、繰り返し急減圧を経験している人でもかなり体にこたえる、もしも少しでも鼻や喉に異常があれば鼓膜に影響する危険性があるとの理由で拒否された。
 結局可能な限り低い高度からということで、4千フィートから2万4千フィートへの急減圧を行なうことにした。
 低酸素症の実験については、大きな減圧室で行なうことで合意が出来た。
 急減圧の被験者は、白人男性2人の協力が得られた。オペレーターとしてジャンセン氏が減圧室に入った。
 急減圧を行なうときには空気を吐き出した状態で口を軽くあけて、酸素マスクはすぐに使用できるように首にぶら下げた状態にしておき、オペレーターの合図で減圧した。
 急減圧を行なった後、2万3千フィート付近の気圧を推持し、被験者には簡単な計算や迷路をたどる作業をしてもらった。はじめの1分半ほどはかなりのスピードで作業をしていたが、その後急激に速度が落ちた。迷路などは鉛筆でたどっているけれども線が乱れ、実際には落書きのような状態になっていた。正常に作業が出来る時間としては、5分弱という状態であった。
 実験後の被験者の感想は、次のようであった。
 減圧時「ドーン」と音がして、耳だけでなく体全体にショックを感じた。急に寒くなった。湿度が上がった感じで皮膚が湿ってきた。最初の頃は作業も出来たと思ったが、すぐに、見えているのだが体が反応しない感じがした。そのうち、めまいとふらふらする感じがした。酸素マスクをつけると急に元に戻った。
 低酸素症の実験では、被験者は3人。1人はやや太めの白人男性、1人はアジア系の細めの男性、もう1人は日本人留学生の3人に、オペレーターと私も減圧室に入った。
 私も被験者のすぐ横に座り、近くで状態を観察した。毎分3千フィートの速さで減圧し、2万4千フィートに到達すると被験者には、酸素マスクをはずしてもらった。
 白人男性には次のような作業をしてもらった。カード(トランプ)を1枚ずつめくり種類と数を覚えてもらう。そして自分には見えないように裏返し、オペレーターのほうにカードを向けてスペード、ハートなどのカードの種類と数を、声を出して伝え、カードの種類ごとにスペードはスペードの箱に入れる。2分を過ぎる頃から、カードの種類を間違えたり、一つ前のカードの数字を言ったりし始めた。3分になる頃カードを落とすなど正常な作業が出来なくなり、有効意識時間は2分45秒程度と判断した。
 アジア系の学生には、いろいろな形の積み木のような物をその形にあった穴に投入する作業をしてもらった。この作業は1分あまりで終わり、迷路と、簡単な質問に答え、鉛筆で記入する作業をしてもらったが、この学生も3分過ぎに、めまいがしたと言って自分で酸素マスクを着用した。
 一番長く持続できたのは日本人の留学生で、この人には小学校一年用の国語の教科書を読んでもらった。酸素マスクをはずして2分を過ぎると、手のつめから血の気が引き、紫色になり始めた。それでも頑張って読んでいたが、4分ぐらいから急に読む速度が遅くなり、読み落しが出始めた。5分になるとマイクのボタンを押していた手が震え始め、痙攣が見られた。すぐに読むのをやめてもらい、指をまっすぐにするよう指示したが、痙攣がとまらず、酸素マスクを着用しようとしても一人では出来ず、オペレーターと私が手伝って着用することが出来た。ちょうど6分であった。
 この場合正常に作業が出来た時間は5分と判断した。
 この実験は私が被験者を観察しており、酸素マスク着用者の影響を小さくするために、22人以上は入れる大型の減圧室を使ったこと、体型の違う被験者に参加してもらっており個人差も確認できていること、などから見て、最も正確であったと自負している。
 

第6の実験 日本航空が独自に行なった実験

 2002年秋、日本航空機長組合と会社の間でこの事故についての日本航空独自の事故調査について話し合われた。その席上、日本航空総合安全推進室は、客室内では急減圧の現象は存在していない、急減圧については、防衛庁の施設を借りて2回実験したと答えたが、詳しいデータは明らかにしなかった。
 日航123便事故の2月ほど前、1985年6月23日、インド航空機がアイルランド沖で空中分解して墜落、329名の乗員乗客が命を奪われた。原因は爆発物と見られた。
 この事政調査はかなり徹底したもので水深2千メートルの海底から数%に及ぶ多量の破片が回収され、ボイスレコーダー、フライトレコーダーも回収された。131人の遺体も回収された。
 遺体の調査を行なったヒル医師によると、回収された遺体のうち、26遺体については、低酸素症の兆候が見られ、その内25体は急減圧の兆候が確認された。
 急減圧に伴う損傷としては次のようなものが見られた。
  • 頭蓋骨に損傷がない遺体で、鼓膜の破れた遺体があったこと
  • 散発的な肺出血がある遺体があったこと(息を吸い込んだ時に急減圧に遭遇した人)
  • 肺気腫が見られたこと(息を吸い込んだときに急減圧に遭遇した人)
 以上からきわめて激しい急減圧があったことを推定したと証言している。
 このように遺体から、事故機は急減圧があったことが確認されている。
 これに比べて日航123便についてはこのような調査は行なわれていない。急減圧の疑いがあるときは、インド航空機のような調査が不可欠と思われるが、わが国では検死解剖された遺体は3体だけだったと事故直後に聞いた。
 このインド航空機の事故に関して、減圧実験が行なわれた。以下、裁判所の記録による。
 
 8千フィートから2万5千フィートまで1秒間で減圧した。この減圧に続いて、およそ2万2千フィートの高度を2分間維持し、簡単な文章を酸素を吸わないで書いてもらった。はじめは正しく文章を書いていたが、120秒経過した時点で誤りが出始め、書くのをやめてしまった。再び酸素を吸わせると、数秒で再び書き始めた。
 
 被験者は語っている。急減圧のときには「バン」という大きな音が聞こえた。寒さを感じ、霧が出たのが見えた。同時に肺から空気が吐き出されるのに気がついた。作業をしているときにめまいがして何が起こったのかわからなくなった。その後、酸素を吸うと作業を続けられた。
 これは典型的な急減圧と、低酸素症の症状とドクターは判断している。
 日航123便事故と同じような条件の減圧実験は繰り返し行なわれているが、3番目に示した事故調が行なった実験だけが特異な結果を残している。科学の実験では、別の研究者が、同じ実験を行なって、同じような結果を得られることによってその結果が社会的に認められる。その点から見ると再度公開実験で証明する必要がある。

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