第8章 18年間の出会い
遺族と呼ばれない遺族
この事放と取り組んできた18年間、いろいろな人との出会いがあった。多くの人から多大な協力を頂いた。 なかでもとりわけ、この事放で婚約者を失った若い女性との対話から、私は犠牲者と遺族の気持ちを考える上で様々のことを具体的に教えられた。 事故から何年か経った頃、ある安全問題をテーマにした会議に出席していたときに、「藤田さん、女性の方から電話ですよ」と呼び出された。 この電話が、あの事故で恋人を失った女性だった。 彼女と初めて会ったのは、当時、オープンしたばかりの羽田空港の新ターミナルビルの中央ホールだった。彼女が羽田についたら、私のいる事務所に電話する約束になっていた。 電話を受けて、直ぐにビルの中央ホールに向かった。そこにいたのは、背の高い、地味な服装の、化粧はあまりしていない健康そうな女性だった。 彼女のほうから、私を見つけて挨拶してきた。 「太田恵子です。初めまして」 型どおりの挨拶をしてから、ちょうど昼時だったので、ビルの3階にあるレストランに誘った。彼女の言葉遣いは、完全な関西訛りで、大阪弁とも違う神戸訛りだった。 事故当時、この女性は大学を出て就職してからまだ2年目だった。登山とスキーが趣味で、山で知り合った彼と恋に落ち、1年余り付き合った後に婚約をした。 彼女の両親に初めて会うために、彼は夏休みを利用して神戸の彼女の家を訪ねるところだったという。初め新幹線に乗る予定だったが、どうしても席が取れなかった。やむなくかなり無理をして飛行機の切符を手に入れ、事故機に乗り合わせてしまった。 まだ婚約と言っても、二人だけの約束であり、彼女の両親にも紹介していなかった。彼女は遺族とも言えない単なる友人としか見られない立場だった。 確かに、人生の最高の幸せから、地獄に突き落とされた感じだったろう。しかし、その言葉遣いや、言葉を正確に選んで話すようすで、しっかりした人だという印象を強く受けた。 「私、あの事故について何でも知りたいのです。彼がどんな状態で命をなくしたのか知りたいのです」 と真剣な顔つきで、思いつめたような口調で切り出した。 「お気持ちは良くわかります。これまで何人ものご遺族の方とお会いしていますから。私は技術的なことが専門ですが、飛行機のことを理解するにはかなりの勉強が必要です。大学は理科系ですか?」 「文系です。どちらかと言うと理科系は苦手です。でも勉強したいのです。この事故に関していろいろな本が出版されていますが、よく解らないことや、信じられないような話があり、雑誌やテレビでの航空評論家の解説も必ずしも正しいとは思えないものもあり、とにかく本当のことが知りたいのです」 「事故調査報告書は読まれましたか?」 「新聞に出ていた解説や要約は読みました」 と言いながらバッグの中からスクラップブックを出して見せてくれた。新聞各社の記事が切り抜かれていて、所々に赤線が引かれ、書き込みもされていた。 「ちょっと見せてください」 と言って手にとって見せてもらった。書き込まれたところには、飛行機の高度をフィートからメートルに換算したものや、驚いたことに、事故機に異常が発生した高度である2万4千フィートの気圧まで書き込まれていた。飛行機の機首の上下のバランスの問題や、操縦系統についても絵がかかれていた。ダッチロールとフゴイド運動についても、航空辞典でも調べたのか、細かい書き込みがされていた。 「驚きました、よく勉強していますね。事故調査報告書をはじめから終わりまで、すらすらと読んで理解できる人はいません。私も運航関係や機体構造などは判るのですが、リベット、金属の鋲の事ですが、その強度等については専門家に聞いて確認しています」 「本屋さんで飛行機の初歩的な本を買ってきて勉強していました。でも判らない事ばかりで、知り合いの新聞記者の人に教えてもらい、その人の判らないことは工学部の学生に聞いていました」 「そうですか……」 と言ったものの、私はこの人の気持ちに圧倒されていた。愛していた彼を突然亡くし、きっと耐えがたい寂しさを、わかりにくい航空のことを勉強することで紛らわしていたのだと思った。しばらく沈黙があった。 「本当に彼のことを愛していたのですね?彼はどんな方でしたか?これだけあなたの気持ちを掴んで離さない人はどんな人だったのか知りたいですね。いい加減な気持ちでこれだけ苦手のことを勉強する気にはならないと思います。お手伝いできることは何でもさせていただきます」 「ありがとうございます。わけのわからないことでも報告書の言葉を一つ一つ、勉強しているとなんとなく、彼の近くにいるような気がするのです。今では航空関係の本が何冊も私の本棚においてあります」 これまで私はマスコミ関係の記者たちにこの事故の話をしたことがあったが、これほど勉強している人はいなかった。それだけに彼女の気持ちが、痛いほど伝わってきた。 「本物の報告書はご覧になりましたか?2冊に分かれた、500ページを超えるものですが」 「いいえ、手に入れたかったのですが、知り合いの記者も新聞社に1冊しかないとかで、貰えなかったのです」 「とりあえず私の持っているのを1冊あげます。私はもう1冊持っていますから。ところであなたが今一番知りたいことは何ですか?」 「何故救助が遅れたかということです。彼は機体の前のほうに乗っていたので、遺体は形がなかったようで、救助が早くても無理だったのです。生存者のスチュワーデスの方の手記を読むと、墜落してからしばらく生きていた人がいたといいます。もしも、救助が早ければ、私が経験した寂しい思いとやり場のない怒りを経験せずに済んだ人がいたのではないかと思ったものですから。 それと、事故調査委員会の調査には誤りがあるという話を聞きました。事故の本当の原因を知りたいのです。これは藤田さんも言っておられますが、検察官も急減圧があったかどうかわからないと事故調査委員会の報告を否定していますね。それについても知りたいのです。命を奪われた上に、その原因もいい加減なことを言われたのでは死んだ彼がかわいそうです。死んだ人みんながかわいそうです」 と言うなり彼女は泣き出し、声が大きくなった。周りの人の目がこちらに注がれたのに気付いたが、全く気にもならなかった。 「本当の話、死にたいほど寂しかったのです。何でこんな思いをさせられるのか腹が立って、八つ当たりしたい気持ちというのが本当のところです」 彼女はそういいながらぽろぽろと大粒の涙を落としていた。 「八つ当たりして後に何が残りますか?彼とあなたが逆だったら、彼があなたを事故で失ったとしたら、彼はどうしたと思いますか?」 「悔しいのです。彼の命が無駄にされたようで、みんなの命も無駄にされたようで。彼を含めて、520人もの人が亡くなって、空の安全がこれだけ良くなったというのならまだ少し許せるような気がします。実際には事故の原因もあいまいだし、我慢できない気持ちになってしまって……」 「わかりました。一緒に勉強して、運輸省に再調査をさせるようにがんばりましょう」 私は、これまで事故原因の技術的な解析に力を入れてきた。それでいいと思ってきた。だが、それだけでは専門家の範囲に留まってしまう。このような被害者の立場からの事故への対応も必要だと強く感じていた。 墜落地点の確認の遅れ、捜索、救助の遅れについても追及していかなくてはならない、そう痛感した。 彼女が報告書を読んでから、疑問点をゆっくり話し合うことを約束して、その日は別れた。 次に太田さんと会ったのは、数ヶ月後だった。空港のビルの5階にある、滑走路がよく見渡せるレストランで話した。 しかし、その時の彼女は態度が変わっていた。 「藤田さん、520人もの人が亡くなって誰も責任を取らないのですか?」 険しい表情でいきなり詰問してきた。 「藤田さんは事故の関係者の刑事責任の追及に反対されているそうですね」 「ええ、事故に関して刑事責任の追及には反対しています」 「何故ですか、被害者、遺族の気持ちはどうなるのですか?どう思っているんですか、パイロットをかばいたいのではないですか?」 私は、少しの間答えなかった。彼女の態度の変化が大きいことに驚いていた。 「問題は過失ということなのです。よくパイロット・ミスと言われますが、過失、ミスは誰にでも起こり得ます。ミスを罰してもミスは防止できない。もちろん、酒を飲んで仕事をしたというような事は論外で、ミスではなく故意だと思います。そんな事まで隠したり、かばったりする気はありません」 「では何故、刑事罰を恐れているのですか?」 「そうですね、航空を安全にするためには、発生した事故の原因を科学的に調査して、それを取り除く必要があるのです。そうやって事故を減らしてゆく以外に、道はないと思います」 そう答えると、彼女は不満そうな顔をしながら、 「それと社会的な責任とどう関係するのですか?」 「航空関係者が犯罪者になれば、空は安全になりますか?もし、なるのなら意味があると思います。しかし、人間ですから、誰でもミスはあり得ます。罰則を設けてもなくなるものではありません。」 もちろん、彼女は納得してはいなかった。しばらく目をそらして窓から離発着する飛行機を見ていた。 「確かに言われるような点はあると思います。でも何か釈然としないのです」 「それは当然だと思います。私だって、孫が事故に巻き込まれたとしたら冷静でいられるかどうか。特にあなたの場合は、これから人生の一番素晴らしい時期を迎える前に、彼を失ったのですから、そう簡単に納得は出来ないと思います。感情的にはよくわかっているつもりです」 彼女は私の目をまっすぐ見て、しばらく黙っていた。そして突然、泣き出した。 「すみません、つらいことを思い出させたようで。でも私たち航空関係者もあなたのような方と話していると、後ろには、乗客というよりも、多くの『人生』を乗せているという気がします」 「そういわれても、何か悔しいのです。誰かに何かをぶつけたい気持ちになって、……」 彼女はきっと、あだ討ちでもしたい気持ちなのだろう。 私自身、以前別の事故のご遺族の方から話を聞いた時、「あなたは本当は責任を感じていない、人を殺して何故責任を取らないのか」と初めはよく叱られたものだ。しかし、しばらくすると次第に自分と同じような遺族を減らすように頑張ってくださいと言って私たちを激励してくれるようになった。 私は、事故の本当の原因が知りたいのです、と彼女に言った。 「この事故について、あなたも報告書を読んだはずですが、この報告書はひどすぎると思います。検察官がこれでは裁判には使えないと話したそうですが、事故調査報告書を裁判に使えば、今回のように修理ミスがあるのでボーイング社が被告人になるわけで、修理ミスを見逃すような検査をした運輸省にも責任があると考えられます。事故調査委員会の報告書が刑事責任の追及に流用されると、事故調査段階で誰を起訴しようとするのか、逆に起訴しないようにするのか事故調査委員会の方針で左右できます。今回の報告書は起訴が出来ないようにわざとひどい内容にして裁判に耐えないようにしたのではないかという疑いを持っている司法関係の記者もいます。これでは事故調査が科学的には出来ません。だから犯罪捜査と事故調査は分離すべきだと言っているのです」 彼女はまだ釈然としないようだったが、「だんだん藤田さんのペースに巻き込まれたようですね」と言いながら初めて笑顔を返してくれた。 私は、ほっとした。同時に被害者と厳しい話をしたので疲れてしまった。しかし、勉強になったと彼女に感謝した。 「彼のことがまだ心に強く残っているようですね、これからの人生計画は何か考えておられますか?」 「そうなんです。彼がいなくなってから、もう彼の歳をこえてしまいました。もうすぐ40の声が聞こえてきます。何とか将来を考えなければとは思うんですが、未だ彼の亡霊が、とりついていて……。もうあきらめ気味です、人は亡くなるといいことばかりが記憶に残るのですね」 私は返事に困った。 「一度御巣鷹山に登る覚悟はありますか?いつでも案内します」 「ありがとう、その気持ちになったら。空港でお会いしてますけれど、実は本当はまだ飛行機にも乗れないのです……」 なんと彼女は新幹線で東京から、わざわざモノレールに乗って空港へ来ていたのだった。 私はふとPTSDという言葉を浮かべた。心理的なショックが心に穴をあけていたのだと改めて思った。 「やっぱり事故のことをもっと勉強します。もっと強い人間にならないと。負けていたら悔しいですから」 それ以降、ときどき彼女は事故について質問の電話をかけてくる。ほかの航空事故についても彼女なりの意見をまとめた手紙をくれることもある。 この事故の生存者はすべて女性だった。遺族と呼ばれない遺族の恵子さんも、実にたくましく強い女性だと思う。最近では「忙しくて大変です」などと弱音を吐いていると、私のほうが励まされることが多くなってきた。 彼女を通じて被害者の気持ち、心の動きが少しだけ理解できたような気がしている。
機長の声を送ってくれた人
事故から10年近く経った頃、御巣鷹山で高濱機長の息子さんが、父親の最期の声を聞きたいので、ボイスレコーダーを聞かせてもらいたいと運輸省に願いを出したが、聞き入れられなかったと不満げな顔をして私に話しかけて来た。 私は、ひそかに事故調が新聞記者にボイスレコーダーを聞かせている事を聞いていたので、それならば機長の遺族に聞かせることぐらいは可能だと思った。 子供が父親の声を聞きたいと思うのは当然であり、秘密にすることはなかろうと考えていた。どこかでテープを聞かせて貰えば、それで息子さんは満足するだろう。これまでの事故では、私たちもボイスレコーダーの音を何度か聞く機会があった。ボイスレコーダーは別に秘密ではないのである。以前、ニューデリーで発生した日航機事故のボイスレコーダーの音声を、NHKテレビでも流したことがあった。 何故この事故に限って隠すのか。どうも私たちパイロットが事故原因に疑問を持って、調査していることを気にして、隠しているようなふしがある。事故機の乗員の同僚にボイスレコーダーの聞き取りについて、協力依頼が一度はあったが、その後実行されなかったという経緯もあった。乗員には聞かせたくない何かがあるのではないかという声さえあがった。 私はいろいろなルートに頼んで、息子さんの希望を聞き入れてほしいと依頼したが、なかなか実現は難しかった。 それも忘れかけていた頃、差出人名のない手紙が届き、中にカセットテープが入っていた。テープは録音状態が悪かったが、たしかに123便の操縦室の音を記録したものだった。機長の息子さんに聞かせてほしいと依頼してから、時間が経っていた事もあり、その依頼に応じてくれたのだとは気がつかなかった。 このテープが本物であることは、彼らの声、録音されている音などからすぐに判定がついた。 ある晩、解読作業をしているときに電話が鳴った。 「遅くなりましたが、機長の息子さんに聞かせてあげてください。それ以外には使わないようくれぐれもお願いします」と一方的に話された。 私は最初、誰かが探りに電話してきたのかと疑い、何のことでしょうか?と、とぼけてみた。相手は返事に困ったように、少しの間、うなっていた。 「アー、藤田君だね。ありがとう。気を使ってくれて。例のテープは子供さんに聞かせてくれたか?それ以外にはちょっとまずいのでよろしく」と言って一方的に電話を切った。その声には微かな覚えがあった。まさかと思えるような地位の人だった。 すぐに機長の家族に連絡して、テープを聞いてもらった。 啜り泣きが聞こえた。しかし、皆、納得した感じがした。 やはりボイスレコーダーは、遺族には聞く権利があるのではないか。 このテープを送ってくれた人物が、私の頭に浮かんだ通りの人であれば、地位から見ても公になれば影響が大きいと思い、それ以降は、自分の勉強にだけ使用していた。 デジタル変換をしてディスクに保存し、周波数フィルターにかけるためのコピーをとって分析を試みただけで、他人には聞かせなかった。 この人は、私の古い知り合いで、元は同じ会社の上司であった。私がボイスレコーダーの話をした当時、日航の子会社の役員をしていた。政府関係にも知人が多く、もしかするとそのルートで聞く機会が得られるかもしれないと考え、訊ねてみたことがあったのだ。 そのときは、また厄介な問題を持ち込んできたな、そんな話は聞かなかったことにしておきたいなと笑っていた。 私は、やはりだめかと思っていたが、この人以外に送り主は思い浮かばなかった。 あるいは誰かに依頼して送らせたものかもしれなかった。 私とは立場が違い、企業の利益を考える側にある人だったが、人間の心が良くわかる人物だった。私は勝手に、この人が送ってくれたと信じて感謝している。 迷惑にならないように、会うことは避け、近頃は連絡も取らなくなってしまったが、この厚意はとてもうれしかった。
内部告発に守られる安全
最近、橋や道路の地震に備える補強工事で、工事費を安く上げるため、アンカーボルトを打ち込む際に鉄筋にぶつかると、この鉄筋に穴を開けなおすのでなくアンカーボルトのほうを切断して短くしていたことが発覚した。この手抜き工事は、いざというときの橋の強度を低下させ補修工事の意味を無くすものだが、国の検査では発見されず、内部告発によって明らかにされた。その後すべて検査をやり直し、再び、莫大な費用をかけてボルトを打ち直している。 今は下火になってきたが、牛肉のBSE騒動もことの起こりは内部告発であり、食品の不正表示事件も内部告発に端を発している例がある。 航空の世界では、事故原因を正確に突き止めることが不可欠である。事故原因を明らかにしてそれを取り除く以外に同種事故を防止する道はない。 日本という国は今や国民の安全を、内部告発に頼るしかないところまで来ているのだ。政府機関がその役割を果たしきれない以上、情報公開を進め内部告発者を保護しなければ、国民の安全はもはや守られないということだ。 私はこの事故をめぐって、資料の破棄、証言隠しなどを暴いてくれた勇気ある内部告発に敬意を表したい。 このような内部告発が有効になればなるほど、彼らへの圧力も強まる危険性が高まることに注意しなければならない。「内部告発者保護法」の一日も早い成立が望まれる。
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