11時28分 | 生存者4人確認(吉崎博子、吉崎美紀子、川上慶子、落合由美)とニュースが流れる。 |
11時32分 | 消防本部次長より上野村事故対策室へ患者を藤岡の病院へ収容するよう連絡の電話が入る。 |
12時03分 | 生存者4人、ヘリコプターで藤岡市立第一小学校へ着陸予定。 多野総合病院へ収容するが、救急車が目印になるため、第一小学校で待機する件、藤岡消防署に連絡。 |
12時47分 | 運輸大臣と消防庁長官が総合グランドに13時11分頃到着するとの連絡が入る。 |
12時53分 | 墜落現場との無線交信不能。 |
13時21分 | 警察無線より、生存者全員の収容がまだ済んでいない模様との情報が入る。 |
13時28分 | 生存者を多野総合病院へ収容する件は、警察が直接連絡するので藤岡消防署の救急車はいつでも対応できる状態で第一小学校で待機をするよう再度連絡。 |
13時30分 | 墜落現場より生存者4名を乗せたヘリコプターが、仮治療を受けるため、上野村のヘリポートに向け出発。 |
13時57分 | 東京消防庁のヘリコブターで2名、自衛隊機で2名を乗せ藤岡へ出発したとの連絡が入る。 |
14時08分 | 藤岡第一小学校にヘリコプターが到着との連絡が入る。 |
@19時15分 | 米軍輸送機C,130型機より、墜落機のものと見られる煙を発見、位置は横田タカンから305度、34海里(およそ北西の方角、63キロ)という情報。事故現場のやや北寄り、諏訪山に近い。 |
A19時21分 | 航空自衛隊のF‐4ファントムによる計測。横田タカンから300度、32海里で火災発見。この位置は三国峠の東側で埼玉県内。 |
B20時42分 | 航空自衛隊百里基地所属のV‐107型ヘリコプターが現地上空に到着。位置は横田タカンから、299度、35・5海里と報告。この位置は、ほぼ正確に墜落地点と一致している。 |
C20時50分 | @の米軍輸送機に誘導され、厚木基地から飛来した救助用ヘリが墜落地点上空に到着。現場上空は煙が多く、少し離れたところにロープで降下しようとしたところ、横田基地司令部より、中止命令が出され基地に引き返した。 |
D21時10分 | 朝日新聞社のヘリコプター「ちよどり」が現場上空に到着、幅2キロにわたって広がる火災を確認。位置は、羽田VOR・DMEの304度、60海里であった。この通報された位置も正確に墜落地点と一致。現場上空には他にもヘリコプターが飛行しており、数機の飛行機、ヘリの衝突防止灯を確認している。 |
E23時17分 | 長野県の信濃毎日新聞が、自衛隊のヘリに位置を確認したところ「群馬県の小倉山と品塩山を結ぶ線らしい」との情報を得た。墜落地点よりかなり北側 |
F23時35分 | 朝日新聞社のヘリ「ちよどり」は御座山北斜面が墜落現場でないことを確認し、再び墜落現場上空に到着し、21時10分の計測が正確であったことを確認した。「ちよどり」のさらに下には自衛隊機と見られるヘリが飛行していたのが確認された。 |
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川北 | 1996年8月の上野村でのシンポジウムに招待したいがどうか? |
アントヌッチ | 招待は光栄だが「職業的責務」のため出席はできない。だが、自分の体験に関する以下の説明を行事にて発表され利用されても結構。 *私の体験の記事を日本人が目にするとは予想していなかった。 *私は救援措置で何かが間違っていたという確信を持っている。 *当時私が報告した現場位置測定が不正確だったという記事を読んだが、今でも誤差1マイル以下で正しかったと確信している。 *1点だけ私の誤りを訂正したい。当時自分が電波誘導したヘリは厚木基地の海兵隊ヘリではなく、キャンプ座間の米陸軍ヘリの間違いだった。 *現場は急峻な地形で救援活動に危険を伴うことは認めるが、それでも救援隊の現場降下があれほど遅れたことには疑問を感じる。 *本件における救援努力とそのあとの出来事は緊張状態を増す結果にのみ終わり、今も私の心を乱している。 |
川北 | 我々の目的は緊張状態を増すことではなく、肉親の死の真相解明と将来の墜落事故における生存率向上への寄与であることを理解して欲しい。その上で以下の質問に答えて欲しい。 横田の米軍ヘリに夜間現場に降下する能力はあったか? |
アントヌッチ | ヘリの装備については断言できないが、横田のヘリはサーチライトを装備していた。 |
川北 | 「夜間現場に近づくのは不可能だった」と主張するのは日本人か米国人か? |
アントヌッチ | 「ジャパンタイムズ」紙の記者から当時の自衛隊中部航空作戦司令官のオオナカ・ヤスオ氏が「夜間現場へのリペリングは危険と判断し断念した。米軍でも不可能だったろう」と主張していることを聞いた。 |
川北 | 「森林進入装備」とはどんなものか? |
アントヌッチ | 特殊な防具で森林地帯への降下を可能とする装備。自衛隊もこの装備を保有していたものと確信している。 |
川北 | 95年9月25日放送のテレビ朝日「ニュースステーション」に元航空自衛隊中部航空方面司令官・松永貞昭氏が出て、あの夜の現場への降下は「自殺行為」と断言している。 |
アントヌッチ | 「リぺリング」とは滑車を利用したロープによる降下のこと。私の見た新聞報道では自衛隊による最初の現場降下は13日午前7時45分とある。日の出はそれ以前のはずなのに、なぜ日の出と同時に降下しなかったのだろう?また、朝まで何の対応もしないと決定したのは誰なのか? 私のTACAN測定は間違いなかったと確信している。もし朝まで救援活動が試みられなかったのなら、少なくとも飛行機1機を現場上空に張りつけるべきだったと思う。 私は以下の点についてずっと疑問に思っている。すなわち、自衛隊は残骸の位置を知っていたのだろうか?もし知っていたならどうしてもっと早く救援活動をしなかったのか?知らなかったのなら(12日午後)8時42分に上空を旋回していた2機のヘリは何者だったのか?その後どこへ行ったのか? 真相究明のためには以下の3点が明らかにされる必要があると思う。 @8月12日午後6時57分より9時20分までの間に日米当局でどんな交渉が行われたのだろうか? Aなぜ我々は現場を去るように命令されたのか? B日本の当局はどのような命令を救援隊に与えたのか?(日本のX‐107ヘリ2機は交代機が来る前に現場を去るよう命令されたのか?誰かが「朝まで現場を放棄しよう」と言ったのか?) |
川北 | 95年8月17日付「星条旗」紙に載ったあなたの体験によると「現場到着2時間 後の9時20分、最初の日本機が現れた。管制塔はそれが日本の救援機だと言った」とあるが、その日本機はヘリコプターか?固定翼機か? |
アントヌッチ | 我々が現場を去る直前に到着した日本機は固定翼機だった。高度は海抜1万3千〜1万5千フィート東から接近してきたように思う。機長のグリフィン大尉がその機に「現場を渡す」旨送信していたようだが応答はなかった。 |
川北 | あなたは座間キャンプの米陸軍ヘリを現場に誘導したが、あなたが交信したヘリの乗員は海兵隊員だったのか? |
アントヌッチ | のちにグリフィン大尉と記憶を突き合わせた結果、私が「海兵隊」としたのは間違いで「陸軍」と訂正されるべきだ。 |
川北 | 「星条旗」紙にはあなたの「私は後に日本の危機管理当局に近い人間から彼らが自分たちより2時間も前に1機でなく2機の米軍機が現場にいたことに驚いたと聞かされた」との発言があるが、あなたにそう語った人物の名前や所属、そしていつ彼があなたに語ったのかを教えて欲しい。 |
アントヌッチ | その人物はオフレコの約束で話してくれたので名前は言えない。自衛隊に多くの友人を持つ「第5空軍」の関係者とだけ申し上げる。 |
川北 | 95年9月25日放送の「ニュースステーション」で、当時の在日米軍最高幹部が匿名を条件に「事故の当日かなり早い段階で日本の自衛隊は米軍の援助を断わった」という事実を明かした、と報道した。この点についてはどう思うか? |
アントヌッチ | 在日米軍最高幹部の証言は真実で正確だと信じている。その人が誰かを知る方法はない。 |
川北 | 同じく「ニュースステーション」で松永司令官は夜間における山間のリペリングは自殺行為、と言明しているがこの点についてはどう思うか? |
アントヌッチ | 確かに危険ではあるが、「自殺行為」と呼ぶのは馬鹿げている。夜明け前に墜落現場に多くの救援隊員を降下させることは可能だった、と改めて強調したい。 |