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遠藤誉『習近平が狙う「米一極から多極化へ」』

(ビジネス社 2023年7月12日刊)

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第3章 「アメリカに追従するな!」――訪中したマクロン仏大統領の爆弾発言

 

各国・地域・組織の要人が訪中ラッシュ

 図表3−1に示すのは、中国がウクライナ戦争に関する「和平案」を発表したあとに訪中した各国・地域・組織の要人の一覧表である。



 顔ぶれをみると、アジア・南米・アフリカ・中東ばかりでなく、日本や欧州などの西側からも多くの首脳が北京詣を繰り広げているという印象であるが、その中でも著者は、フランスのマクロン大統領の訪中に注目している。
 マクロン大統領は2023年4月5日から7日の日程で国賓として訪中した。マクロンには、欧州委員長のフランスのフォンデアライエンも同行しているが、これはマクロンから頼まれて訪中したのだ、と著者は言う。マクロン単独で訪中すると欧州の他国から「親中」という批判を浴びかねないからだ。
 従って、マクロンは国賓待遇であるが、フォンデアライエンは国賓ではない。マクロンは閲兵式や公式会談、晩餐会など、習近平から盛大な歓迎を受けた。習近平は終始上機嫌で、滅多に記者会見などには顔を出さないのに、マクロンとの会談後、共同で記者会見にも臨んだのだから、尋常ではない歓迎ぶりだ。



マクロン大統領と習近平国家主席およびフォンデアライエン欧州委員長

 マクロンはウクライナ戦争「和平案」にも賛同しただけでなく、驚くべきことに、共同声明には中仏軍事協力がある。
 マクロンは、5日に北京に着くなり、駐中国フランス大使館で在中のフランス人に向けて講演をしている。講演でマクロンは、「習近平が提案しているウクライナ戦争に関する政治的・外交的解決案である和平案を歓迎する。フランスは和平案の内容全体に同意するわけではないが、和平案は紛争の解決に寄与する」という趣旨のことを述べた。
 実は、フランス大統領府は訪中に先立ちマクロンはアメリカのバイデン大統領と電話会談し「ウクライナでの戦争終結加速に向けて中国の関与を求める立場で一致した」と発表している。バイデンの言質を取ったマクロンは、もう怖いものなし。
 習近平と公式会談をする前の4月6日午後3時22分に以下のようなツイートを中国語と英語とフランス語で公開している。
 曰く:私は、中国が平和の構築に重要な役割を果たしていると確信しています。これは正に、私がこれから議論し推進しようとしているものです。私はこれから習近平国家主席と、企業や気候、生物多様性、食糧安全保障問題などに関して話し合うことになっています。
 会談では、マクロンは、台湾問題などおくびにも出さず、「中国と関係を断つなど、バカげている」と暗にアメリカのデカップリングを批判し、かつ習近平の唱える「和平案」を褒めちぎった。
 習近平もフランスを絶賛し、中国とフランスあるいは欧州で、習近平が力説するところの「多極化」を進めていこうとラブコールを送っている。すなわち習近平は、欧州をつねに多極化世界の独立した「一極」とみなすという意味で、その「一極」を、フランスを通して、何なら欧州に担ってほしいという願望を伝えたわけだ。
 それに対してマクロンは「自分もそう考えている」と快く応じ、会談では多くの経済協力なども約束されて、終始なごやかな雰囲気に包まれていた。
 

広州に行ったマクロンのあとを追って習近平も広州へ

 4月7日、マクロンは広州に行ったが、その理由はただ一つ。フランス企業の多くが広東省にあるからだ。
 かつての植民地時代、フランスはベトナムを占領していたが、フランスは上海や天津などに加えて、1861年からベトナムの近くにある海岸沿いの広東省に租界地を作っている。特に1899年11月16日に清王朝に99年間の租借権で広州湾租界条約を締結させた。日中戦争時代には日本が広州湾を占領し、日本投降後は中華民国に返還された。
 その意味でフランスと広東省はつながりが深いのだが、約40年前の1984年、フランス最大の電力会社であるEDF(エレクトリシテ・ド・フランス)は広東省と協力して大亜湾原子力発電所を含む多くのプロジェクトを開発。今般のマクロン訪中には、そのEDFをはじめアルストム(鉄道車両の製造をはじめとして、通信・信号・メンテナンスなど、鉄道に関連する総合的技術およびソリューションを提供するフランスの多国籍企業)、ヴェオリア(ナポレオン三世の勅令によって誕生した都市部の水道システムを運営するフランスの民間企業)、航空宇宙大手エアバスの代表者を含む50人以上の大手企業家が同行していた。
 習近平政権になったあとの2015年から2022年までの間、広州に本社を置く中国南方航空を中心として中国はエアバスから合計340機以上の航空機を購入(一部購入契約)している。今般も中仏間で20以上の商業契約を結び、たとえば中国はエアバスに160機の航空機(約2.6兆円)を発注し、天津では二本目の製造ラインを設立することを約束。フランスの海運会社CMA CGM社には中国船舶グループ(CSSC)が16隻のコンテナ船(約4000億円)を発注した。
 一方、広東省とフランスは孫文を介して文化・教育などにおいて深い関わりを持ち、1920年、北京大学や広東高等師範学校(中山大学の前身)が協力して、フランスのリヨンに中仏大学を設立したことがある。また、拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』に書いたように、1918年4月、毛沢東は湖南省・長沙で「新民学会」を組織し、フランスへの勤工倹学(働きながら学ぶ)運動を起こして、進歩的知識分子(のちに中国共産党貝)を数多くフランスに留学させた。
 注目すべきは、広州には習近平の父・習仲勲がいたことだ。
 習仲勲は1962年にケ小平の陰謀により16年間も牢獄生活を強いられたあと1978年に政治復帰して、最初に赴任した先が広東省だ。省の書記を務めていたので、広州に住居があった。したがって習近平は、北京で熱烈にマクロンをもてなした後、さらにマクロンを追って広州まで行き、晩餐会を共にしたのである。習近平の広州への思い入れは尋常ではない。



くつろいで散歩する二人(新華社)

 4月7日に発布された「中華人民共和国とフランス共和国の共同声明」は51項目もあり多岐にわたっているが、注目すべきは、その「4」に、「太平洋海域における中国人民解放軍南方戦区とフランス軍との対話交流を深め、国際と地域の安全保障問題について相互理解を深めていくことで一致した」とあることだ。
 フランス軍太平洋管区には、フランス領ニューカレドニアやポリネシアが含まれており、中国が狙う太平洋諸島への進出にも大きく関わってくることだろう。
 その背景にはオーストラリアがフランスから購入することになっていた原子力潜水艦の契約を反故にし、イギリスに鞍替えしてアメリカが主導する米英豪AUKUS(オーカス)結成により、いまだに「アングロサクソン系ファイブアイズの塊」で動こうとすることに対するフランスの意地が透けて見える。
 もともとフランスはNATOからやや距離を取っており、1966年にNATOを脱退して、2009年NATOに復帰した経緯がある。
 また2022年12月にマクロンはアメリカを訪問しているが、その時にアメリカのインフレ抑制法や国内半導体業界支援法は「米国経済に非常に有利だが、欧州諸国との適切な協調はなかった」として「アメリカの公平な競争の欠如」を批判している。
 習近平にとって今般のマクロン訪中は、アメリカ一極支配による対中包囲網を崩すきっかけにもなると狙っているにちがいない、と著者は述べている。
 

マクロンの爆弾発言「アメリカに追従するな!」

 西側諸国から問題にされているのが、マクロンが中国から帰国する時の機内で受けた取材で、台湾問題に関して「対米追従するな!」と発言したことである。
 2023年4月16〜18日、日本の長野県軽井沢町でG7外相会談が行われたが、そこでもマクロンの発言が「西側諸国の団結を分裂させる」として批判の対象になり、フランス側は弁明に追われた。今後も、このマクロン発言は、習近平が起こそうとしている地殻変動に大きな影響をもたらすと思われる、と著者は述べている。
 マクロンは4月7日、北京から広州に向かった後、帰国の機内でフランスのレゼコー(Les Echos)という経済紙とアメリカのポリティコ(POLITICO)という政治に特化したニュースメディアの2社だけに独占取材を許した。
 レゼコーは4月9日に、エマニュエル・マクロン「ヨーロッパの戦いは戦略的自主独立でなければならない」というタイトルで取材結果を発信している。一方、ポリティコも4月9日に、「ヨーロッパは『アメリカの追従者』になるという圧力に抵抗しなければならない、とマクロンは言った」という、非常に明確なメッセージのタイトルで、同じ取材結果を報道した。
 記事の骨子を列挙すると以下のようになる。
  • ヨーロッパはアメリカへの依存を減らし、台湾をめぐる中国とアメリカの対立に引きずり込まれないようにしなければならない。
  • 習近平はマクロンの戦略的自主独立の概念を熱心に支持している。
  • 私たちはヨーロッパがアメリカの追従者であることを認識しなければならない。
  • 台湾「危機」を加速させることは、私たちの利益にはならない。最悪なのは、ヨーロッパがこのトピックにとらわれることだ。アメリカの議題と中国の過剰反応からヒントを得なければならない。
  • 地政学アナリストであるYanme Xie(イェンメイ・シエ)は「ヨーロッパは、中国が地域の覇権国になる世界のほうを、より喜んで受け入れる」と述べた。そしてヨーロッパの指導者の何人かは、「そのような世界秩序がヨーロッパにとって、より有利であるかもしれない」とさえ信じている。
  • ヨーロッパは武器とエネルギーをアメリカに依存しているが、対米依存を減らして、ヨーロッパは自分たちの防衛産業を発展させなければならない。
  • ヨーロッパの一部の国は、ワシントンによるドルの「兵器化」について不満を述べている。モスクワと北京の重要な政策目標である「脱米ドル化」同様に、ヨーロッパも米ドルへの依存を減らすべきだ(著者注:本書の第二章で述べたように、フランスは中国と人民元決済によるエネルギー資源取引を決定している)。
 以上がレゼコーとポリティコの2社独占取材による結果報道だ。この2社のオリジナル情報を基に、多くのメディアが二次情報としてマクロン取材を報道している。
 イギリスのロイター社は4月10日に「マクロン:ヨーロッパは台湾に関するアメリカや中国の政策に従ってはいけない」と報道し、フランスのAFPも4月10日に、「マクロン氏『米中追随は最悪』台湾問題めぐり」と、「米中どちらにも追随するな」というニュアンスで報道している。
 マクロンの発想は、ポリティコの報道にもあるように、「ヨ−ロッパは対米追従から離れて、自主独立路線を行くべきだ」というのが基軸だ。
 しかし、そのようなこと書いたのでは他の欧州諸国からバッシングを受けたり、アメリカの逆鱗に触れるかもしれないという、アメリカへの忖度からか、「アメリカ依存から独立すると同時に、中国にも依存してはならない」というトーンに「変調」しているのである。
 それに比べると日本のメディアでは、時事通信が2023年4月10日に「台湾問題、米に追従せず訪中で厚遇の仏大統領」という見出しで書いているのには驚いた。忖度がないからだ。あるいは何も考えずに、そのまま原文を直訳したのかもしれない。
 日本の報道は、中にはロイターやAFPによる二次情報に基づいているものもあるが、基本的に時事通信のトーンに基づいているものが多い。
 これだけ忖度が激しい日本の報道が、対米忖度の度合いが低いと見えるほどイギリスやフランスの大手メディアが忖度をしている事実は、ヨーロッパの対米姿勢の不統一を示していて非常に興味深い。
 

フランスの自主独立路線はどこから来るのか?

 まず素朴な感覚から言うと、フランスには、たとえばフランス革命にも見られるように自主独立の精神が強く、現在の「アメリカの一極化」に対しても「ヨーロッパの自主独立」を唱え、「多極化」を主張する精神がある。そもそもEU(欧州連合)があり、米ドルではなくユーロという通貨を使うこと自体、本来ならば、ある意味での「全面的対米依存」からの脱却を図り、「多極化」を目指したものだった。
 フランス人は英語を話すのが嫌いで、フランス語こそが最高だという、誇り高い気概を持っているといわれる。
 この「フランスの栄光」に対する気概は、第二次世界大戦後のフランスにおいて、ド・ゴールによる「絶対にアメリカに追従しない」という外交路線が、どれだけヨーロッパで光り輝いていたことを想い起こさせてくれる。
 1959年から1969年までフランスの第18代大統領に就任していたド・ゴール(1890〜1970年)は、その間に「ド・ゴール外交」という独自の外交路線を貫いている。
 それは「アメリカやイギリスに抵抗して、アメリカに追従しない自主独立の外交を貫き、フランスの栄光を失うな」という精神に満ちたもので、そのため核武装を達成し、1966年にはNATOの軍事機構からも脱退したほどだ。この時、フランス領土内のNATO基地すべてを解体した。
 2009年になり、当時のサルコジ大統領が43年ぶりにNATO軍事機構に完全復帰させることを決定したが、フランス国内ではフランス外交の自主独立性が失われるのではないかという反対論が根強かった。2017年にトランプ政権が登場して「アメリカ・ファースト」という自国第一主義を掲げ、「NATOなど要らない!」と発言したことは、きっとマクロンを勇気づけたにちがいない。マクロンはそれに呼応して「NATOは脳死している」という問題発言をしたため、顰蹙を買った。
 そんなわけだからマクロンが「アメリカの一極支配を抑制するには、ヨーロッパにとっては『中国の台頭』は悪いことではない」と思ったとしても不思議ではないだろう。
 現在でもフランスには、「アメリカに追従しない」という精神が生きている証拠に、「フランスには駐留米軍がいない」という事実に注目することは重要だろう。
 2022年9月時点のアメリカ国防総省統計に基づいてヨーロッパ諸国の米軍配備人数を考察すると、図表3−3のようになる。ただし、100人以下は省略した。というのは、大使館の警備安員など国交を結んでいるどの国にも少数は配備されているので、そういう米軍は別扱いだからだ。その意味ではフランスにも75人ほどの大使館警備要員などはいる。



 ドイツに多いのは第二次世界大戦でナチス・ドイツが敗戦したからで、イタリアにも多いのは日独伊三国同盟の中の一国だったからだ。日本には世界一多い、5万3973人の米軍が駐留している。イギリスに多いのは、アングロサクソン系の同盟国だからだが、これはフランスが自主独立を主張する所以の一つにもなっている。
 それ以外にもフランスには「エネルギー資源の対米依存がない」ことも大きいだろう。
 フランスはエネルギー資源の70%以上を自国の原子力発電に頼っているので、他国から干渉される度合いが低いのである。
 その点ドイツは、ロシアからの安価な石油・天然ガスに頼ってきたので、ウクライナ戦争により、これまでEUを率いてきたドイツの地位は下がり、フランスのリーダーシップが強まりつつある。少なくともGDP成長率に関してはEUが発表したデータによれば2022年ではフランスが2.6%であるのに対して、ドイツは1.8%にとどまるとのこと。
 それ以外にも数多くの自主独立路線の要素がフランスにはあるが、原子力発電に関して、最後に中国とのつながりに触れておこう。
 

毛沢東とフランス

 中仏は1964年に国交を結んでいる。ヨーロッパの先進諸国ではフランスが最も早い。その理由は、中国の原爆実験成功と深く関係している。毛沢東は朝鮮戦争の時にアメリカから中国に原爆を落とす可能性があると脅迫されて以来、どんなことがあっても原爆を持とうとした。
 そこでフランスのパリにあるキュリー研究所に留学していた銭三強博士に帰国を命じ、原爆実験に着手させた。この時、多くの中国人研究者がキュリー研究所から戻っているが、2回もノーベル賞を受賞したマリー・キュリーの娘であるイレーヌ・ジョリオ=キュリーは毛沢東にエクサイティングな言葉をプレゼントしている。すなわち「もし原爆に反対するのなら、自分自身の原爆を持ちなさい」という名言だ。そして彼女は「中国が原爆実験に成功したら、その時フランスは中国と国交を結ぶでしょう」と約束した。
 こうして中国が原爆実験に成功した1964年にフランスは中国と国交を樹立した。
 駐中国フランス大使館によれば、1982年フランス原子力委員会(CEA)と中国核工業部が契約し、中国最初の大型商業用原子力発電所、大亜湾原子力発電所を設立。以降、中国のほとんどの原子力発電所はフランスの技術に基づいているといわれる。
 毛沢東が初めて原爆実験に成功したのは、まさにフランスのおかげなのである。1964年10月16日、中国は初めての核実験に成功し、世界を驚かせたが、それを可能ならしめた人物の一人に、先述したフランスに留学して核物理学研究の第一人者となった銭三強がいるのだ。
 銭三強はキュリー研究所で研究を重ね、1946年に「ウラニウムの核分裂」において大きな成功を収め、フランスのアカデミーの物理学賞を受賞し、1948年には中国に帰国している。帰国後、清華大学の物理学系教授となり、1949年11月に中国科学院が設立されると、中国科学院近代物理研究所(のちに原子エネルギー研究所)の副所長、そして所長に任命される。
 朝鮮戦争が休戦協定を締結した2年彼の1955年、毛沢東は中国の核の力を高めるためにプロジェクトチームを立ち上げさせ、銭三強をそのリーダーに任命する。
 1956年、銭三強は四十数名の科学者を引き連れて、毛沢東の命令でソ連に行き、原爆実験に関する考察を行なう。
 この時にアメリカから戻ってきたのが銭学森という、弾道ミサイルに詳しい研究者だ。二人とも名字が「銭」だが、中国にはもう一人、銭偉長(1912〜2010年)という著名な物理学者がいて、アメリカのカリフォルニア大学などでロケット工学の研究などに従事し、帰国後中国の航空宇宙研究などに貢献している。この三人の「銭」を以て、中国では「中国の三銭」と称する。
 1911年生まれの銭学森は1935年、清華大学の公費留学生として渡米し、マサチューセッツ工科大学に入学する。翌年、修士学位を取得し、39年にはカリフォルニア工科大学で博士学位取得。1944年には米国国防総省の科学顧問に任ぜられる。その間に、「航空工学の父」と称せられたセオドア・フォン・カルマンに学んでいるので、銭学森の弾道ミサイル技術は、相当に高いレベルに達していた。
 ところが1950年になると、銭学森は共産主義者のスパイだとして逮捕され、軟禁されてしまった。それを知った毛沢東と周恩来は、あの手この事を使って銭学森の奪還に努め、1955年に朝鮮戦争における米軍捕虜との交換を条件として、中国に帰国させるのである。
 毛沢東は銭学森をソ連に向かわせて、銭三強と合流させた。
 1956年11月16日、毛沢東は第一回全国人民代表大会(全人代)で原子力エネルギー工業を主管する「第三機械工業部」設立を決定し(58年に第二機械工業部に)、原子爆弾製造を加速させていった。
 その時までに海外から呼び戻した学者の中にはアメリカ帰りが最も多く、ほかにフランス帰り、あるいはイギリスから帰国した者もいる。中でもフランスから帰国した放射能科学者である楊承宗は、自分自身が戻ってきただけでなく、「お土産」を持ち帰っていた。
 1947年にフランスのキュリー研究所に留学して博士学位を取得したのだが、新中国誕生後、毛沢東の呼び掛けに応えて、中国に帰国しようとした。するとイレーヌ・キュリー夫妻が、炭酸バリウムによって純化された「10グラムのラジウム標準資料」を楊承宗にプレゼントしたのである。これは世界的に見ても、誰もが喉から手が出るほど欲しいものだった。彼女は中国の成功を祈ると言い、原爆成功と同時にフランスは中国と国交を結ぶにちがいないと言って、毛沢東に一つの「言葉」を送ってくれと頼んだのである。それが先述した「もし原子爆弾に反対するのなら、自分の原子爆弾を持ちなさい」という言葉だった。
 これを受けて、毛沢東は一層、決意を固めたという。
 一方、旧ソ連との関係悪化は加速し、1959年6月には旧ソ連は原爆関連の中国への援助を完全停止していた。そこで毛沢東は1960年に中華人民共和国第九局(核兵器製造機関)を設置して、青海省海北チベット族自治州に核開発のための第9学会(北西核兵器研究設計学会)を設立した。第9学会のコードナンバーは「221」。
 「221工場」は最高機密研究都市と位置付けられた。こうして1964年10月16日、第9学会で開発された初の中国核兵器(コードネーム596)が核爆発に成功したのである。
 これが中国最初の原爆実験だ。
 実はその4カ月ほど前の1964年6月29日には東風2号の発射に成功し、7月19日には観測ロケットT−7A(Sl)の打ち上げと回収に成功している。生物学的実験のため8匹のマウスを搭載させ、安徽省広徳にある中国科学院六〇三基地より打ち上げた。
 1965年11月13日になると、東風2号の改良型東風2号Aの発射試験に成功し、さらに1966年10月27日には、核弾頭を装備した東風2号Aミサイルが酒泉衛星発射センターから発射され、12キロトン級の核弾頭がロプノールの標的上空569メートルで爆発している。
 こうして中国の核実験と弾道ミサイル実験は加速して精度を高めていくのだが、それを可能ならしめたのは、海外から戻ってきた人材たちである、と著者は述べている。
 

習近平の多極化戦略は対米自立経済圏構築につながる

 毛沢東が核実験に成功したのは、朝鮮戦争においてアメリカからの威嚇があったからだ。その脅威に晒されなかったら、あのような飛躍的な成果は達成できなかっただろう。
 今、アメリカは日本を中心とした米陣営を従えて対中包囲網を形成するのに躍起になっているが、しかし毛沢東時代でさえ原爆実験に成功した中国は今、世界第二の経済大国に成長し、製造業では世界一の地位を占めている。おまけに第二章で述べたような巨大なネットワークを持ちながら、米陣営に潰されていくというのは考えにくい。むしろ対中制裁や中国脅威論が激しくなればなるほど、中国は逆にそれをバネとして成長していくにちがいない。
 習近平と会ったマクロンは、中国との経済関係に関して「デカップリングをするなど、バカげている!」と激しく主張している。その言葉に代表されるように、いま欧州では中国経済との完全切り離しである「デカップリング」ではなく、安全保障に直接関わるようなリスクを持つものだけに注意を払うという「デリスキング」が主流となり始めた。
 たとえば習近平が2018年11月から国家商務部と上海市との共催で始めた「中国国際輸入博覧会」は、2023年4月21日にフランスのパリで第六回博覧会推進紹介会を開催している。
 また2023年5月4日、フランス発祥の世界的な金融グループの「BNPパリバ」は、「中国銀行・中国電力連合運営機構と協力して、デジタル人民元クオレットの銀行間ビジネスを促進することにした」と発表した。欧州経済は対露制裁で逆にダメージを受けている。
 一方、人材確保に関しては2001年に上梓した『中国がシリコンバレーとつながるとき』で、アメリカに留学してアメリカでIT産業に従事していた博士たちが中国に戻り始めたことを描いたが、習近平政権になってからはその回帰が400万人を超えるようになった。2023年4月11日、OECD(経済協力開発機構)は、アメリカがあまりに在米中国人研究者に対する取り締まりを強化したため、他国籍も含めてトップクラスの人材がアメリカから流出し、中国へ流入している。今や人材流入では中国がアメリカを凌駕したという結果が出ている。
 半導体制裁に関しても類似のことが言える。アメリカは対中制裁をひたすら強化し、膨大な数に及ぶ中国の企業や教育研究機関が制裁の対象になっている。注目すべきは制裁形態を一歩進めて、2022年8月に成立した「CHIPS法(半導体支援法)」によりアメリカの半導体製造業を支援するために500億ドル拠出するとしたが、中国において最先端工場の建設を向こう10年間禁止するとしたことだ。
 習近平はそれを逆手に取って人類の「85%」を占める「非米陣営」を中心として、「できるだけアメリカと関わらない経済構造構築」へと早くから舵を切っている。
 アメリカがスマホなどに使う集積回路線幅の小さい半導体に関しては厳しく制裁したため、たしかに中国のスマホの発展は頓挫している。しかし線幅が大きめの半導体なら中国国産でも製造できるため、そういった半導体を用いた世界最先端のEV(電気自動車)などのNEV(新エネルギー車)製造に重点をシフトさせている。
 たとえば2023年5月の中国税関総署の統計によれば、中国の自動車輸出台数は1年前と比較して93%増(金額は137.7%増)となっており、中国は日本を超えて世界最大の自動車輸出大国に躍り出た。自動車の内の半分ほどがNEVだ。
 NEVに必要なのは電池。電池製造に不可欠なものの一つに「ニッケル」がある。
 ニッケルの最大生産地インドネシアでは、2014年から自国で資源を精製する産業を育成するため、ニッケル鉱石などの資源を未加工で輸出することを禁止する政策を打ち出し、2020年には全面的に禁輸を実行した。当初から呼応したのが中国だ。2014年から習近平とジョコ大統領は8回も対面で話し合っている。現在でも世界で最も多く投資しているのは中国で、中でも車載バッテリーの世界市場トップの中国の民間企業CATL(寧徳時代新能源科技)が主導している。中国国有の宝武は、青山鋼鉄とともにステンレス銅生産をインドネシアでリードする構えだ。
 一方、アメリカのオースティン国防長官は2022年11月にインドネシアを訪問してアメリカのF‐15戦闘機を購入するようインドネシア政府に圧力をかけたが、拒否された。インドネシアはすでにフランスから42機のラファール戦闘機を購入している。
 インドネシアの政府高官は、アメリカは常に武器購入の交換条件を突き付けてくるので嫌だという趣旨のことを言ったようだが、アメリカの制裁外交とドル覇権を嫌がる「アメリカ追従ではない陣営」が、思わぬところで結びついている。電力はロシア・中東・中央アジアからいただき、新盤ウイグル自治区には太陽光パネルを張り巡らす。こうして習近平が描く多極化は、経済面で米一極から抜け出し、世界新秩序を形成しようとしているのだ、と著者は述べている。

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