終 章 「アメリカ脳」から脱出しないと日本は戦争に巻き込まれる
終章は、本書にかける著者の想いがストレートに述べられているので、特に手を加えることなくその全文を紹介したい。
1953年9月7日に天津の港を出た日本への帰国船・高砂丸は、4日後の11日に舞鶴の港に近づいていた。眼前に広がる高い岸壁を見上げ、「こんな山だらけの所に、日本人はどうやって住んでいるのだろう」と不思議に思った。一方では、天津の小学校で別れを告げた担任の馬老師に「日本の庶民はアメリカの圧政に苦しんでいます。日本に行ったら日本人と力を合わせで革命を起こしなさい」と言われていたので、「この岸壁は革命のためのゲリラ活動には良いのかもしれない」と思ったものだ。 しかし一歩街に入ると、生まれて初めて見るパチンコ屋から、なんと軍艦マーチが流れているではないか。 天津の小学校では「侵略者・日本の民族」として激しい虐めに遭い、入水自殺まで試みた私にとって、パチンコ屋から流れる軍艦マーチは、カルチャーショックという言葉では言い表せないほどの衝撃を与えた。まだ12歳だった。 街には「Buttons and Bows(ボタンとリボン)」(ボッツアンボー)というジャズソングや「お富さん」という演歌も流れている。誰もが幸せそうで賑々しく、「アメリカの圧政に苦しんでいる人」など、どこにもいやしない。 中国の嘘つき! 目も眩むような戸惑いの中で、音楽が好きだった私は、初めて聞くジャズのリズムや、やがて耳にするようになったブルースやシャンソンを口ずさむようになり、気が付けば、クラシック・ジャズやソウル・ミュージックの虜になっていたのだ。やがてハリウッド映画にも魅せられている自分がいた。 1945年8月15日に日本が無条件降伏をしたあとの8月30日に、ダグラス・マッカーサー連合軍最高司令官がパイプをくわえながら厚木の飛行場のタラップに降り立った。その日から日本はGHQ(General Headquarters,the Supreme Commander for the Allied Powers=連合国軍最高司令官総司令部)の支配下に置かれた。GHQは第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を執行するために日本で占領政策を実施した連合国軍だが、実際はアメリカを中心とした日本国占領機関だ。降伏文書に基づき、天皇および日本国政府の統治権はGHQの最高司令官の支配下に置かれた。1952年4月28日に日本の終戦条約であるサンフランシスコ平和条約が発効するまで、アメリカの日本占領政策は続いた。 ここまでは誰でも知っているだろう。 しかし、この時にGHQが日本の武装解除と同時に精神構造解体まで行なっていたことを認識している人は、今では少なくなっているかもしれない。 拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』でしつこく追いかけたが、終戦直前までアメリカの大統領だったフランクリン・ルーズベルトは、「日本軍は異様に強い」と恐れるあまり、何としても当時のソ連に参戦してほしいと、再三再四にわたりスターリンに呼び掛けて、参戦を懇願した。そのためにソ連はアメリカが日本に原爆を投下したのを見て慌てて、日ソ中立条約を破って参戦し、私がいた長春市(そのときはまだ「満州国・新京特別市」)に攻め込んできた。この時に北方四島などを占領したという、忌まわしい歴史を残している。 そのため1947年5月3日に施行された日本国憲法では、日本が二度と再び再軍備できないように、そして戦争できないように強く制限している。 第五章で書いたキッシンジャーの忍者外交で、中国の周恩来が懸念した在日米軍に関して、キッシンジャーは「あれは日本が再軍備して再び暴走しないようにするために駐留させているようなものですよ」という旨の回答をしている。これがアメリカの本心だ。 だからGHQは日本国憲法第九条で日本が再軍備できないように縛りをかけた。 ところが1950年6月に朝鮮戦争が始まったため、GHQは日本に「警察予備隊」の設置を許し、それがのちの自衛隊になっている。それでも憲法九条があるため、日本の防衛はひたすらアメリカに依存するという形を取り続けている。 その結果アメリカに頭が上がらず、精神的に奴隷化する傾向にあるが、もう一つのGHQが行なってきた「日本人の精神構造解体」のほうも見落としてはならない。 1945年から52年までの約7年の間に、日本の戦前までの精神文化は徹底的にGHQによって解体されていった。それもやはり日本軍が戦前強かった(とアメリカが恐れた)ために、「天皇陛下のためなら何が何でも戦う」という特攻隊的精神を打ち砕くことが目的の一つだったので、「民主、人権、自由、平等……」などのいわゆる「普遍的価値観」を埋め込み、それを娯楽の中に潜ませていったのである。 そのためにハリウッドが配給した映画は数百本を超え、ハリウッド映画に憧れを抱かせるように、あらゆるテクニックを凝らしていった。
この背後で動いていたのはCIAだ。
日本敗戦後まもない1947年までは、第二次世界大戦中の特務機関であった戦略諜報局OSS(Office of Strategic Services)がアメリカ統合参謀本部でスパイ活動や敵国への心理戦などを実施していたが、1947年9月18日に機能を拡大して中央情報局(Central Intelligence Agency=CIA)と改名した。 サンフランシスコ平和条約締結に伴ってGHQが解散され、アメリカの占領軍が引き揚げると、アメリカはすかさずCIAを中心として日本テレビを動かし、新たな「日本人の精神構造解体を実行する装置」を構築した。その詳細は 『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』(有馬哲夫、新潮社、2006年)に書いてある。 CIAのその操作は大成功を収め、日本は世界で唯一の「大洗脳に成功した国」と言っても過言ではないだろう。完全に「アメリカ脳化」することに成功したのだ。 日本のその成功例を過信し、アメリカはイラクに大量の破壊兵器があるという偽情報に基づいて「イラクの自由作戦」などと名前だけ民主的な名目を付け、激しい武力攻撃に入った。侵略戦争以外の何ものでもない。大量の破壊兵器は見つからず、それは偽情報だったということが分かっても、イラク国内での戦闘は止まず、凄絶な混乱と治安悪化を生み出しただけだった。 アメリカの腹には、日本に原爆を二つも落として惨敗させても、日本はアメリカによる占領軍の指示を従順に聞きアメリカを崇めるに至ったので、他の国でも日本と同様のことができるはずだという目算があったにちがいない。 しかし世界中、日本以外のどの国でも、そうはいかなかった。 なぜか? なぜ他の国ではうまくいかないのに、日本では成功したのだろうか。 拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』を書くまで、私はスタンフォード大学のフーバー研究所に通いつめ、そこにだけしか置いてない蒋介石直筆の日記を精読したが、日本の敗戦処理に関して蒋介石は「天皇制だけは残さなければだめだ。日本人は天皇陛下をものすごく尊敬している。天皇制さえ残せば、戦後の日本を占領統治することができるだろう」という趣旨のことを言ったと書いてある。 その通りだ! かつて日本軍は「皇軍」と呼ばれて、「天皇陛下のためなら命を落としてもいい」という覚悟で闘った。戦死する時には「天皇陛下万歳!!」と叫んだ。 1945年8月15日、終戦を告げる詔書を読み上げた天皇陛下の玉音放送を聞いて、日本国民はどんなに受け容れがたい現実であろうとも、天皇陛下のお考えであるならばと、「日本敗戦」を受け容れた。そして天皇陛下がマッカーサーに会いに行ったことによって、これは天皇陛下の意思決定だと解釈して、GHQの指示に従ったものと思う。 こうして日本人は自ら積極的にCIAの洗脳を歓迎し、「アメリカ脳」化していったにちがいない。
CIAの洗脳は今も続いている。
たとえばニコラス・スカウ著の『驚くべきCIAの世論操作』(伊藤真訳、インターナショナル新書、2018年)には、CIAがアメリカに有利なように操作・歪曲して流す情報を、少なからぬ世界がそのまま信じて垂れ流す実態が克明に書いてある。情報の捏造どころか、真相を公表しようとする記者がいたら陰湿な脅迫をしたり、場合によっては「消してしまう」ことさえあるという。それでもアメリカ国内ではその情報操作に一定の規制がかかっているが、海外に対しての規制はないので、アメリカに都合が良いように、いかようにでも歪曲して流しても、罰せられないのだと、この本には書いてある。 その最たるものは日本だろう。 人類の「85%」が疑問を抱く情報に関して、残りの人類の「15%」は疑問を抱かないのは、CIAが大手メディアをコントロールしているからだ。それにより、「15%」の人類を騙すという仕組みを、戦後の日本でCIAが創り上げ、その装置が今も有効に生きているということになる。 日本における大手メディアは、CIAによって牛耳られている日本の内閣に反抗はしない。 実はまだ筑波大学で教えていた頃、小泉純一郎政権で国務大臣になった尾身幸次氏が、私の書いた 『中国がシリコンバレーとつながるとき』という本を読んでくださって驚き、ぜひ会いたいと研究室に電話を掛けてきた。その後、当時は「中国のシリコンバレー」と呼ばれていた北京の「中関村」の視察に同行してくれと頼まれ、ご一緒したことがある。 その時に、非常に驚くべき光景を目にした。尾身氏の泊まっているホテルの部屋にNHKをはじめ、北京にある日本の大手メディアの中国総局長を呼び集め、軽くビールを飲みながら「内輪のご挨拶会」もどきが始まったのだ。 集まった中国総局長たちは、揃ってペコペコと腰を低くしているではないか。 ジャーナリストは、毅然としたジャーナリズム精神に基づき、自国の政府の批判をしなければならない場合は堂々と表現すべきだ。しかし、これでは大手メディアは日本政府に、誰も何も言えないのではないかと、唖然としたものだ。 政界のトップに立っている日本の総理大臣は、自分がいかにアメリカ大統領に「気に入っていただけているか」をアピールして支持率を高めようとする。 岸田首相が2023年1月13日にバイデン大統領に会った時の写真が日本のマスコミにも流れたが、あのへつらい方は一国の首相の姿と言えるのだろうか。 GHQ憲法を改正して、せめて日本は自国の軍隊を持つべきだとは思うが、そうやったところで、このような奴隷的姿勢でいる限り、CIAが喧伝する「台湾有事」戦略に乗っかって、日本国民の尊い命を奪っていくことになるだろう。 その一方で、「日本軍人の精神力の強さ」を恐れていたGHQは、日本の精神構造解体の際に、日本が戦争を犯した罪への「購罪意識」を日本人に埋め込むことも忘れていない。これをWar Guilt Information Program(戦争責任公報計画)=WGIPと称する。 第五章の図表5-lに示したように、天安門事件当時の日本の内閣だけがおかしかったのではなく、GHQによって徹底的に叩き込まれた「贖罪意識」も効力を発揮していたことは否定できない。だから日本の閣僚の多くは、実は中国にも頭が上がらないのである。完全に中国に取り込まれている公明党と自民党が連立政権を組めるのも、自民党のわが国切っての親中派である二階俊博元幹事長が幅を利かせてきたのも、岸田首相が根っからの強烈な親中の林芳正氏を外務大臣に指名したのも、自民党の本心には「中国さまさま」という中国重視が脈々と流れているからだ。 だから中国共産党による一党支配体制を崩壊させることができた唯一最大のチャンスを、自民党政権は天安門事件の時に自らの手でもぎ取ってしまった。 中国は今、CIAの心理戦に対抗するため、孔子学院などの「中国が好きになるための装置」を世界各国に設置し、プロパガンダに努めている。 アメリカの国営放送VOA(Voice Of America)は、1941年に日本などの敵国への心理戦として設置されたものだ。しかし、2016年にVOAの依頼で、生出演のためにワシントンにあるVOA本部の中に入った時に、本部スタッフは「今では中国資本に圧されて、中国語部局は滅多に中国の批判をできない状況に追い込まれているんですよ」と嘆いていた。 しかし日本のようにGHQから与えられた借り物の民主主義と違い、アメリカの一部には、きちんと民主主義が作用している側面があることがまだ救われる。第一章でも触れたように、元米軍高官や元安全保障当局者から成るシンクタンク「アイゼンハワー・メディア・ネットワーク」は、バイデン政権に対する書簡をネット公開し、堂々と「アメリカ政府はこれ以上ウクライナ支援を無限に続けるようなことを言うべきではない」と明言している。それはウクライナ人の最後の一人までを戦わせることにつながるので、どのような状況であれ、停戦に向けて動くべきだとメンバーの一人は強調している。アメリカは常にアメリカ人自身は傷つかず他国の人に戦わせて武器を売り、戦争ビジネスをやめようとしない。 日本の場合、ウクライナへの支援は、バイデンが望む戦争の継続と激化を加速させる方向にしか動いていない。それは台湾有事を招く方向と一致している。日本はアメリカと中国の狭間で、日本独自の戦略を立てる勇気も能力もなく、衰退への一途をたどるのだろうかと憂う。このままでは日本が危ないと憂うのである。 それを回避するのは困難なことだが、それでもせめて、自分が「アメリカ脳」化された環境の中にしかいないことを認識しようではないか。そうしなければ、「アメリカ脳」から脱出する第一歩が始まらない。そのために本書が微力ながらも幾ばくかのお役に立つことができれば、この上ない幸甚だ。 序章で述べたような事情から、ともすれば挫けそうになる私を、ビジネス社の唐津隆社長が常にそばにいて支えてくださった。唐津社長ご自身が編集を担当してくださり、全面的に力づけてくださった。心からのお礼を申し上げたい。 また2021年4月にビジネス社で出版した『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』は、出版と同時にニューヨークにあるシンクタンクDialogue China.Inc.「策劃出版」から中国語への翻訳出版のオファーがあり、2022年4月に台湾の印刷所から『習近平對鄧小平的復仇』という書名で出版された。その時、唐津社長は著作権に関して快く無料提供を承諾してくださり、先方も非常に喜んでくれた。オファーしてきたのは天安門事件の学生指導者の筆頭の一人でもあった王丹氏だ。王丹氏のような本物の民主活動家は世界各地にいる。 こういった流れのオファーを快諾してくださり、著作権の無料提供を承諾してくださった唐津社長に改めて尊敬と感謝の意を表したい。 シンクタンク中国問題グローバル研究所の白井一成理事をはじめ、その仲間たちはいつも私を応援してくださり、常に数多くの議論に加わってくださった。その議論は示唆的で私に多くのヒントを与えてくださった。心から感謝する。 皆様、ありがとうございました。
2023年5月17日 遠藤誉
【著者略歴】 遠藤誉(えんどう・ほまれ) 中国問題グローバル研究所所長。 1941年中国吉林省長春市生まれ。国共内戦を決した「長春食糧封鎖」を経験し、1953年に日本帰国。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『習近平三期日の狙いと新チャイナ・セブン』、『ネット大国中国――言論をめぐる攻防』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(白井一成との共著)、『習近平父を破滅させた鄧小平への復讐』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『もうひとつのジェノサイド長春の惨劇「チャーズ」』、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』など多数。 2023年7月12日 第1刷発行
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